ライフ・ストーリー

DiaryINDEXpastwill


2004年10月02日(土) 桃の実

 雑文を書くときにもことばの神様が降りてきてくださるとしたら、わたしのばあい、その時間は深夜の零時をまわったころだろう。零時から2時、もしくは4時くらいまでが最も集中して文章が書ける時間になる。

だから昼間に書く文章はなんとなく自分の内にも響きにくいし、遠くまでとどく力が弱いような気がする。「遠く」まで、というのもあくまで自分の感覚によるものだけれど。

書く仕事をしていたころは、昼だろうが夜だろうが締切はおかまいなしにやってくるものだった。とにかく時間内に所定の文字数を書き上げなければならないため、神様が降りてくるのをのんびりと待つわけにはいかない。そんなときは火事場のなんとかみたいに別の力が作用するらしく、わたしは一度も締切に遅れたことはなかった(これは自慢にはならない。締切に多少遅れても、時間をかけてより良いものを書き上げる人が事実たくさんいるのだから)。

さて、昼間(というより自分)の力不足を感じながらも、こうして文章を書いているのは、文章を書くということがほかの知的活動に発展しやすいからだろう。先日絵本のことを書いてからその内容をほとんど忘れているのに気がついて、さっそく絵本をさがすために本屋をめぐってきた。これはわたしにとっては知的な活動のひとつ。

残念ながら近所の本屋ではここに挙げた絵本を1冊も手に入れることはできなかった。親切な書店員さんの計らいで2冊を取り寄せてもらえることになり、1週間もすれば手元に置けるはず。おどろいたのは、なぜ今までこんなに簡単な行動をとらなかったのか、ということ。本屋へは頻繁に足を運んでいたのに、絵本のことはすっぽり抜け落ちていた。

「こころの深いところで自分には縁がないと感じているものは、その人の目には入らない」ということを聞いたことがあるけれど、それは当たらずとも遠くはない。どこかで「縁がない(絵本にかかわる仕事ができないという意味ではなく、私的な面で縁がうすい)」と感じていたのだろう。実生活では縁がなくても、知的(もしくは美的)生活のためには、素晴らしい絵本たちとの縁をつないでおきたい。

日記に書いたことで絵本との「縁」を復活することができた。
素直に、うれしい。


- * -

一篇の詩をどうぞ

- * -


  「生立」 

                               
 わたしは
 手に桃のやうなものを持つてゐた
 遊びに行く丘は墓地で
 いつも夕陽に赤く染まつてゐた
 わたしは
 その丘から遠く人生を眺め
 その桃の実のやうなものを落すまいとして
 小さな手を
 しつかりと握りしめてゐた
 わたしは
 いつのまにやら大人になつた
 それでも夕陽に染まつた長崎の丘丘を眺めると
 はつとして
 その桃の実のやうなものを想ひ出す


      /森清秋


 ☆森清秋は大正2(1913)年長崎県生まれ。
  幼い頃に父と死別し、19歳のときに母を亡くします。
  詩は18歳から書きはじめました。
  清秋も戦時中に病を得、長い闘病生活がつづきます。
 「詩も詠めぬ。詩も書けぬ」と綴った日記(昭和19年)
  が遺っています。昭和22(1947)年9月、病状の
  悪化により34歳で逝去。
  熊本正との合同詩集『鳥のゐる碩』、遺稿詩集として
 『糸瓜集』が刊行されています。


<< previous      next >>


2004年09月29日(水) 「Many Moons」(改稿)

木いちごのタルトを食べすぎて病気になったお姫さまが、「なにかほしいものは?」と王さまに問われて「お月さまがほしい」とこたえる物語がありました。ジェームズ・サーバーの『Many Moons』という童話です。手がとどかないほど遠くにあるものにあこがれて「ほしい」と願う気持ちは子どももおとなも変わりなく、せつないものです。
(※邦題『たくさんのお月さま』/中川千尋訳/徳間書店)

先日、月のことを日記に書いたので、子どものころに読んだ月をあつかった絵本や童話をなつかしく思いだしました(ん? なんか前にも同じことを書いたような気が…。で・じゃ・ぶ? )。

フランク・アッシュの『HAPPY BIRTHDAY,MOON』の青い表紙に描かれた黄色い月と茶色の子ぐまの絵は今でも鮮明に思い出すことができます。この子ぐまは「月の誕生日になにか贈り物をすると楽しい」と思いつくのです。そして月に誕生日はいつかと聞きに行きます。それはほんとうに楽しい物語でした。
(※邦題『ぼく、お月さまとはなしたよ』/山口文生訳/評論社)

マーガレット・ワイズ・ブラウンの『GOODNIGHT MOON』も素敵な絵本です。こちらの主人公はうさぎ。子うさぎが眠る前に自分の親しいモノたちに「グッドナイト」と挨拶するかわいいおはなし。最後は夜空の丸い月が眠った子うさぎを窓から見守ります。
(※クレメント・ハード絵/邦題『おやすみなさいおつきさま』せた ていじ訳/評論社)

イヴ・ライスの『GOODNIGHT,GOODNIGHT』のページをめくると次々に変わる白と黒で描かれた素晴らしい風景のなかに、丸く浮かぶ黄色い月もそれはそれは奇麗でした。
(※邦題『おやすみなさい』/かたやま れいこ訳/ほるぷ出版)

どの絵本も子どもたちのゴー・トゥ・スリープ・ブックとして読みつがれてきましたから、現在でもわりと簡単に手に入る本ばかりです。わたしの持っていた絵本はみんな姪っ子たちにあげてしまいましたが、今はこの絵本たちをもう一度手元に置きたいと考えています。できれば原書でほしいものです。それもネットで手に入れるのではなく、本屋をめぐって1冊1冊をさがして歩きたいのです。絵本との出逢いをもう一度味わうために。


最後におとなも子どもも楽しめる(もちろんほかの本だってそうなのですが)美しい絵本『THE MOON'S REVENGE』(邦題『月のしかえし』/猪熊葉子訳/徳間書店)についてすこしご紹介。イギリスの作家ジョーン・エイケンの文章に、『指輪物語』で有名なアラン・リーが幻想的な画をつけている秀逸なこの作品は、中世イギリスの架空の町(村)が舞台。馬車作りの職人の息子がフィドル(バイオリン)弾きになることにあこがれておこる出来事を描いた優れたファンタジーです。

手がとどかないものにあこがれるのは苦しくてせつないけれど、あこがれることが「ほしいもの」を手に入れるためのモチベーションを保つ、最も強いエネルギーにかわることをおしえてくれる本です。


<< previous      next >>


2004年09月27日(月) 「良夜」- 後の月編 -

※だ、である調に疲れたのでしばし休憩。

- * -
 
 まぶしく熱い夏が終わって季節は秋になりました。

そして明日は天保暦の8月15日。今年は中秋の名月が満月と重なります。28日の東京での月の出は17時32分、南中(月の中心が子午線を通過する)は23時38分だそうです。晴れるといいですね。お月見。

ここ数日は天候が不順なので気になりますが、お月見ができない年は豊作とも言われますから、たとえ見えなくともよしとしましょう。

再録をつづけて今年で4年めになるので、もう飽きた、という方もいらっしゃるでしょう。まあ年中行事ということでお許しいただいて今年も再録してしまいます。今年は後半を大幅に改変しました。


- * -

     「紫苑と良夜 - 後の月 -」

 この季節になると、実家の庭には薄紫の紫苑の花が咲きます。

日ごとに空が澄んでくるように感じるいまの季節、ふんわりと房になって揺れる紫苑の花を小さい頃は飽かずに眺めていました。

紫苑はキク科の多年草。古い時代には鎮咳・去痰などの薬草として用いられていましたが、儚いうすむらさきの花が美しいので、しだいに観賞用としての栽培が盛んになったようです。

紫苑が咲くとお月見の季節。
月明かりの綺麗な夜、主に陰暦の8月15日(今年は陽暦の9月28日)の中秋の名月の夜のことを「良夜(りょうや)」と呼ぶそうです。

語源は北宋の詩人蘇東坡の書『後赤壁賦』の

  「月白く風清し、此の良夜を如何・・・」

や『徒然草』の

  「この宿、清明なるゆゑに、月を翫(もてあそ)ぶに良夜とす」

などからきているようです。

月の美しい夜は十五夜だけではありません。中秋の名月から一ヶ月後、陰暦9月13日の十三夜は「後の月」とも呼ばれ日本では古くからこちらが最も美しい月だと云われてきました。お月見は秋の収穫を祝うことから、十三夜の月が「栗や豆の形に似ている」という説もあるそうですが、天候が不順な中秋の名月の頃より安定して恵まれることが多いため、より澄んだ空に昇る「後の月」のほうが綺麗に見えることに由来しているようです。

お団子や里芋を月に見立て神酒を備え、月を眺めながら詩歌を詠み、酒宴に興じていた古き良き時代の人々の姿が忍ばれます。

忙しさに追われて夜空を見上げるのも忘れがちな毎日ですが、たまにはゆっくりと空を見上げて美しい良夜を楽しみたいものです。

そんな日は、窓からの風に揺れる懐かしい紫苑の花を部屋に飾って。  

  
  いもうとの小さき歩みいそがせて千代紙かひに行く月夜かな

            /木下利玄


              (2001.9.10付日記を改稿)

<< previous      next >>


夏音 |MAILMy追加