金トレ
2004年06月23日(水)
脚が痛かった。初めは膝関節を曲げた時に、何やら奥の方で筋を引っ張られるような、つっぱらかったような感じで違和感があった。長時間経っていて、急にしゃがんだり正座をしたりした時に。 職場に冷房が入り出した時からだったので、冷えているのかも知れないと、温めてみたりもしたが酷くなる。心当たりはないが、もしかして筋を痛めているのかと、湿布など張ってみたが効果がない。それでもひと月ばかり放っておいたら、徐々に痛みの範囲が広がり、大腿部から膝にかけて常に痺れを感じるようになった。膝は勿論曲げると痛い。
痛みのために歩き方が不自然になるので、ようやく意を決してレントゲン撮影をする。そうそう、左手の小指の先がいつも痺れていたので、そちらも撮影。
3月24日のDiaryに書いたのだけど(自慢の骨ってやつ)、骨密度を測ってもらった時、私の骨は同年代の中では109.2%。一番高いといわれる年齢層との比較でも、108.9%!と稀に見る立派な骨で、これからは鉄骨女と呼んでちょうだいという構えでいたので、骨関係は心配していなかったが、膝関節が痛むので軟骨はどうだろう〜なんてチョット不安はあったのだ。
ところが、出てきた画像は綺麗なもので、レントゲン医師が限りなく透明に近い美しい骨だと絶賛してくれる。(爆)
結局何かといえば、昨年春にやった坐骨神経痛と同じらしい。これって軟骨が磨り減ったりするとなるのだけど、私の場合それとも違うみたい。かと言って、痛みの走る箇所は全てその神経の流れに沿った場所に間違いはないので、やはりそれが原因らしい。
あの時は、立てど座れど横になれど痛くて身の置き所もなく、最終的に秘密兵器の注射で治った。といってもコルセットは数ヶ月外せないままではあった。それからすっかり良くなり、今回は全く腰が痛くないのでそこに気がつかないでいた。
しかし・・・、いくら坐骨とはいえ、シンケーツーって病名の響き、何だかやだね。 なんかさ、おばぁさんみたいだよ。 そうなると、連想されるのがリウマチとか老人性乾燥肌とか・・・。それで、何とか温泉に行ったり 「あたしゃ持病のシンケーツーが痛くてねぇ」なんて痛いの重複で人に訴えたりする図が嫌でも浮かぶっしょ。
私はまだ、骨量の検査をした方が良いという年齢では全然ない。測定してみたのは、たまたまチョット流行ったから。(マジ) なので、いくらなんでも老人性ナントカはまだまだ無縁だと思うが、シンケーツーがこんなに身近なことだとは、いやはや何とも♪いやだねったら、いやだねぇ〜。もっとはかなげな名前はないのか!
なのでなので、この数ヶ月は筋力をいかにパワーアップするかについて考えていた。素人が下手にやると逆にどこかを痛めるし、ほら、学生時代腹筋の運動と言えば脚を伸ばしてしたものでしょ?今違うんだよそれは。それは腰を痛めるから、膝を曲げてするのが良いの。などなど、ことほど左様に色々変わっているわけで。今回私の場合は、調度近くにスポーツセンターが出来たので見学に行ってみた。
日曜のスポーツセンターは中年層が非常に多い。ありとあらゆる設備が整い、エアロビや筋トレの部屋を覗くと、それぞれ思い思いのウェアに身を包み、見るからにスポーツマンといった様子で黙々と汗をかいている姿が見える。
勿論、インストラクターがいるのだが、つきっきりというわけでなく、皆一人でせっせせっせと体を動かす。機械の上で歩くのや、走るのなんて、マシンの先にテレビまで付いてるじゃありませんか。そこから繋がったヘッドホンで音を聴きながらテレビを見ながら黙々と。
初めはほう〜っと関心したのだが、よくよく見ていると、何だか怪しげな気がしてきた。なんのことはない、あれはただの自己満足じゃないか?と。「体を鍛えた」そんな気持ちになって帰って来る、それで満足ってな感じ。翌日筋肉痛があると、効いてるという自覚があて、それで満足みたいな感じ。
私って何て天邪鬼!と思うけど〜、そうなんだもの。(笑)エアロビなんて話に聞くだけだと、テレビでよくみるコンテストのような恰好いいものを想像するけど、生でジムの中を見ると、恰好いいのは一部だけ。何かやらないほうが医院で内科医?(←変換ミスじゃないから)という感じの場合もある。チョットやだよあれ。あーいうのやりたくない。もともとみんなが右向きゃ私は左向きたいし。ははは。( えこー ))))))))))))))))
で、やはり体を使うものはしかりマンツーで習わないとどうも違う気がする。最も感じたのは、マシンでの筋トレ。あんなにガンガンやると、必ず関節を痛めるだろう。関節には柔らかな軟骨があって、それが骨と骨とのクッションの働きをしているのだが、年と共にそれが磨り減る。ああいったものは、一度減れば再生は難しいので、そうなる方が怖いじゃないか?それは非常に大事なことだ。関節なんていじめればいい事なんか一つもない。そういう形で歩けなくなった人や、五体が不満足になった人を沢山知っている。
筋力がつくのはやぶさかではないが、関節を痛めるのは、軟骨が減るのは大いに困る、嫌だ!我がまま?
何事も適度なのがいいんだろうけど、スポーツクラブの会員になるのって安くないのよね。かと言って、ビジターで行くともっと高いの。ちょっと今考えてはいるのだけど。
でも、昨日の話では関節をいじめず筋力をアップする方法があるのだとか。気持ちは大きくそちらへ揺れて、ちょっと考えているところなんざんす。 何か良いことだったらお教えしますね。
皆さま、お体は大切に♪ 骨と筋と関節ざます。 あ、勿論内臓もね。
黒いパラソル
2004年06月20日(日)
しばらく前に喪服を新調した。あのような服は何かのために、とか誰かのためになどという時に用意するものでもないし、比較的そういったことが起りそうもない時に買っておくのが良いだろうと思ったから、何事も起らなそうなタイミングを見計らって今だ!とばかりに買ってしまった。
そして、ハタと思ったのが黒いパラソル。 昨年夏に父の叔母が亡くなり、猛暑の最中に納骨があった。八月の炎天下、お寺から墓地までの道を、黒い服を着て歩く時の暑さといったら、ゆらゆらと体ごと蒸発するのではないかと思われるほどで、参列した叔母たちはみな黒いパラソルをさしていた。
私の夏のパラソルは、うっすらとしたアイボリーなのでさすがに墓地には不向きだった。それを買うとき、売り場には色違いの黒も売られていた。透かし模様のデザインは涼しげで好みだし、レースのように重たくもない。遠めに見れば黒でも素敵。と思ったのだけど、売り場の鏡の前でさしてみるとそれはいけない。黒い布地が頭上に広がると、何と顔映りの悪いこと!顔がとっても暗くなる。何だか非常によろしくない。それで色の白い方にしたのだけど・・・。
真夏に黒いパラソルをさしている人を見かけるが、どちらかといえばカラフルな夏の服と真っ黒なパラソルはあまり相性が良くなくて、素敵にさしている人を見たことがない。だから買うのは黒でなくて正解だったと思っていたが、あのとろけそうに暑い一日を思うと、やっぱり一本は用意しておこうと思い当たったのだ。
親友と一緒にパラソルの売り場へ行く。こういう時、気心の知れた友達のアドバイスは、頼りになる。似合うか似合わないか、らしいからしくないかを即座に答えてくれるからだ。目ぼしいものをいくつかピックアップして、片っ端からさしてみる。ダメダメダメ暗い暗い。(笑)
最後に、『あっ!それがいい!』と彼女が言ったのは、柄の部分が金色のものだ。黒いパラソルのほとんどは、柄の色も黒いのだが、彼女がいいといったゴールドのそれは、さしてみると確かに顔映りが明るくなる。たったそれだけのことで全く別な印象だ。屋内でこの感じだと、夏空の下ではもっと明るくなるだろう。しかし柄はゴールドだ。この色だと仏事にはどうかしら?無作法になるかしら?などといいつつ、どちらを選ぶかといえば顔映り。
女心とはこんなもの・・・。(笑)
なごみたい
2004年06月16日(水)

今日はオフです。 梅雨の合い間の爽やかな晴天です。 こんな日は何をするにもふさわしくて、一年中こんな日だったらよいのにと思ったりしますね、私。(笑)
前回のDiary、題材が重かったみたいですね。 そのことを引きずって、一昨日の晩はとても怖い夢を見てしまいました。
私は滅多に夢を見ないのですが(見ても憶えていないのかも知れません)、一昨夜の夢は鮮明でした。
そもそも中学二年生の夏休みに、初めて金縛りというものに合って以来、寝ている時に手だの腕が、体の上に乗っていると必ずと言っていいほど怖い夢を見て金縛りに合います。
一昨夜も、覚醒しつつある時に、腕がお腹の上にあることがわかり、「あ〜、やっちゃった」と思ったわけです。
夢の内容はあまり書きたくないくらい怖い出来事なのですが、後からつらつら思えば事件のことが大きく影響していたことは確かです。
そんな時に私の見る夢は、何でそれが出てきたかと必ず辻褄の合うことばかりで、無意識のうちに潜在意識のどこかにあることが、短い時間にどんどん流れていたのだということがわかります。
ちなみに、出てきたのは中学生、父兄、近くで英語塾をしている友人、そのお子さんに、同居するご主人のご両親、そして、その家にホームステイするアメリカから来た美少年。(笑)
この辺りは例の問題を考えていた時にちらっと脳裏に浮かんだ人たちで、それに老人問題が絡んでいました。
それから大衆がいて、バレンタインデーの話があって、例の美少年が再登場。 大衆は、間違いなく日曜日に観た「トロイ」の映画の大衆で、美少年は多分トロイの王子の弟。そして、バレンタインデーの元は、たまたま行きつけの素材屋さんで見た、バレンタイン用のハートの形をしたお煎餅です。「こんなのがあるのね〜」と思って見ていただけなのですが。
登場したものを列挙して書いても何だかわからないでしょう?それがちゃんとひとまとまりになって、怖い話のストーリが出来てしまうのが夢の恐ろしさかな。
夢を見ている時間がどのくらいなのか分かりません。とても長い夢でしたが、実際はごく短い間のことなのかも知れないですね。 まるでサブリミナルのように絵が流れて、何らかのストーリーになってしまったというような形。 しばらく前に見た怖い夢のことも、この場に綴りましたが、そんな感じでした。
何かこう、日々色々なことが情報として入ってくると、それはやはり少なからず脳を刺激しているようです。 現代のように、事件の情報がいち早く、こと細かに、後から後から伝えられるようになると、見なくていいこと、知らなくていいことまでが入って来てしまう。 何気なく流して見聞きしているようでも、やはり残っていくことが沢山あるのだと思います。特に、センセーショナルな事件ともなると、コメンテーターやら評論家やら、ついでに街頭インタビューで、あらゆる人が語りますから、ますます言葉が氾濫状態。
テレビは特に、まだ何がどうだとはっきりわからないうちから、部分的なことを針小棒大に捉えてこちらの考えや感情を誘導するような報道の仕方をするので、ちょっとした言葉でまた喧々諤々と言う形。
そういう時、動揺したり惑わされたりというのは、比較的多くの人が自然に行ってしまう行為だと思うのですが、そもそも論点がずれていって、収拾なんかつきようもない場合がほとんどです。だから、視聴者が選ばないとダメなんだよね、どこを受け入れるかってことを。
ただ、今回の報道が過熱することにより、北朝鮮から帰国した、拉致被害者家族のお子さんたちが、マスコミに晒されなくなったことは救いです。救いと書くと不謹慎かも知れないですね。
本当は、次の事件が起こると関心がそちらへ移ってしまうとは限らないのですが、報道はそういう形で流れます。いずれにせよ、煽り騒げば解決するというのでもあるまいし、間違いだらけのような気がしますね。
犯罪のない世の中、なんて夢のまた夢なのかも知れませんが・・・。 安心して暮らせる世界が欲しいと思うのが率直なところ。
あ〜、また何だか話が重たく・・・。(笑) 気分転換に、ウチのラベンダーでも見ていただきましょう。 これは、今年咲いたもの。今はもう花が終わり、株分けして鉢を移してありますが、そうですね、4月の頃はこんな感じ。 いい感じで咲いてくれました。
親
2004年06月11日(金)
小学生の女の子が同級生の友達を殺した事件は衝撃的であった。 お互いに、同じバスケットクラブに属していた時期があり、インターネットが共通の趣味でもあったそうだ。
殺す動機について、ネットを通して掲示板でのやり取りや書き込みが原因云々というような情報も流れていた。それに伴い、現代の社会のどうのと、ネットに対しての批判も多く見られ、それが悪の根源でもあるかのような言われ方もしている。
今は子どももネットをやるような時代ではあるが、私が子どものころ、クラスの教室では小さなメモに手紙もどきの言葉の書かれたものが回ったりしたし、その中には『あのコって嫌ね』なんていう内容のものだってあった。当然、当人には回らないような仕組みにはなっていたのだが、そういうものは絶えずあちこちで徘徊していたように思う。
勿論、人の悪口ばかりではないのだが、こういうものは退屈な授業中にストレスのはけ口的な目的が含まれていて、友達ではなくて先生のことであったり、親のことであったり、とかく何かの批判や(幼いが)、鬱憤の混じったものは多かったような気がする。
今のようにメールやネットなんてない時代に人はよく言った。 手紙(文字)は、書いたものが後まで残るから、あまり書きたくはない、もしくは、なるべく口頭で伝えたい、と。手紙のようなものは、滅多に話すことが出来ない遠く離れた人同士や、儀礼的な目的に使われることの方が多く、現代のメールのように頻繁に文字をやり取りすることは稀だったと思う。それだけ後々に残る文字や言葉には慎重であったのだろう。
今は便利になってどこにいても居ながらにして、即座に遠く離れた誰かとリアルタイムで言葉送受信することが出来る。そうなると、内容はまるで会話をしているような錯覚を覚えるほどに距離感がなく、しかもそれらは流れていく。
しかし、一度口から出た言葉は、後になって拾い集めて元に戻すことが出来ないように、文字となって一度書いたもの、あるいは読んだものも消えはしない。どういう内容であっても、発言というものは出した以上は責任がある。何気ない言葉のつもりでも、受け取り方によっては傷ついてしまうことは多々あるし、逆に傷つけてしまうこともある。それを膨大に捉えるか、流そうとするかそこに大きな違いがある気がしてならない。
人の陰口というのは、当人には聞こえないようなつもりでいても、回り回って当人の知るところとなるものだ。どういうわけか、人の嗅覚はその辺りには敏感である。もしかしたら、それは自分のことではないかという疑心は誰でも持つものであるということだろう、言い換えればそれだけ自分のことには関心が大きいのだ。
どの言葉をどう捉えるにせよ、ものの理解が直線的であるか曲線的であるかで、後の在り方が微妙に変わってしまうことではあり、手軽で便利な文字のやり取りとはいえ、侮れないものである。
ここで知らなければならないことは、こちらが悪口を言っている以上、相手もどこかでこちらの事を言っている、ということだろう。そして多分、私が子どもの頃の多くは、それを知っていたと思う。そこに何か双方にチャラという暗黙の後ろめたさがあり、どちらも公にして騒ぐようなことがなかったのではないだろうか。つまり痛み分け。
ところで、この殺人事件は、本当にそうした言葉の表れ方だけが原因であったのだろうか。 カッターナイフは指先の少しばかりを傷つけても痛いものだ。私から見ると、それを使って友達を殺すという発想は、何が原因であるにせよ、もっと別なものが欠落していたとしか言いようがない。
小学5年生にもなると、特に女の子は難しくなる。今の子は全体に発育が良くて私の頃よりは早熟だから、性格や体つきも含めて他人と自分との違いを見出し始める時期でもある。
しかし、異質のものを見出すまでは出来ても、それを受容するという器には至らず、色々な所で摩擦が多くなる。こういうことが、魔の14歳と言われる中学2年生頃まで続き、その後高校受験の時期が来て、個人差はあるが人は人、自分は自分という考え方に発展していく。
男の子の場合には、精神的に女の子より幼いので、中学生になってからこういった状況に陥り、やはり魔の14歳を迎えるようになる。実に色々なことがある。
どちらにしても、高校生になる頃には、かなり落ち着いて、個人差という人と自分の違いや、距離を多少は認められるようにもなるものだと思う。
しかし、小学5〜6年生の女の子の心情は大人が思う以上に複雑である。大人から見て扱い易い子どもなどいないと思った方が近いだろうと思うほど、個々にはそれぞれ突出したものがあり、なかなか面倒で手が焼けるものだ。
そういうものが多数集まって出来上がる小社会のなかで、何も問題が起こらない方が不思議ではないだろうか。理想論で言えば、そういった中から色々なものを学び、人との関わり方を見に付けていくことが望ましいし、多くの子どもはそうしている、そうしようとしている。
しかし、どうしてもそれが出来ない場合には、必ず何かの原因があり、それは多分見過ごさないようにしていれば大人にも分かるはずのものである。
バスケの練習の連絡が来なかった、とか自分だけが仲間はずれになっていた(気がしただけなのかも知れないが)というような少女の気持ちや様子を見ていなければならないのは、本人を含めて関係する全ての保護者であり、大人たちの仕事である。
そして、更に突き詰めて言えば 気に入らない=殺す こういった発想に直結するのは、それまで家庭で培った何かが大きく影響しているとしか思えない。
優しい?
2004年06月08日(火)
「努力や苦労は、他人が認めてナンボのもんだ」と言ったのは、野村元監督だが。 そういうものの中には、もっと色々な言葉が当てはまるような気がする。
特に私が最もそうじゃないかと思う言葉に「優しい」というのがある。 「優しい」は、私の書くものの中に、最も出場回数の少ない言葉、あるいは文字である。
優しいというのが、つきつめるとどういうことなのだか、私にはあまりよくわからない。「あの人は、優しい人よ」と言うのは、「あの人って、いい人よ」と言われるのと同じくらい、意味不明で(?)と思ってしまうのだ。
ものの言い方が穏やかであるとか、細やかな心配りであるとか、受ける印象はその時々だろうが、それを”優しい”と一括りには出来ないものが私の中にある。
そもそも、なんで人が憂うと書いて優しいなのか。 と思ったので調べてみたら、
[一] (1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。 「気立ての―・い女の子」
(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。 「―・い心づかい」
(3)上品で美しい。優美だ。 「―・い物腰の婦人」
[二] (1)身もやせるような思いでつらい。他人や世間に対してひけ目を感ずる。恥ずかしい。 「世の中を憂しと―・しと思へども飛び立ちかねつ鳥にしあらねば/万葉 893」
(2)心づかいをして控えめである。つつましやかである。 「されば重木は百八十に及びてこそさぶらふらめど、―・しく申すなり/大鏡(序)」
(3)(節度をもって振る舞うさまが)殊勝である。けなげである。 「己が振舞―・しければ、一筋取らするぞ/保元(中)」
〔動詞「やす(痩)」の形容詞形で、身もやせ細る思いだというのが原義。平安時代には[二](2)の意でも用いられ、つつましくしとやかなさまを優美と感ずることから[一](3)の意が生じた。[二](3)は優位の者がほめことばとして用いた。→やさしい(易)〕 −インフォシーク大辞林−より ・・・だとか。
[二]の(1)だ。 これがその文字の原因(由来)なのだろう。もともとの語源はここらあたりではないかと思われるが、概ね世間では、[一]の方で使われているようである。
で、−優しい− 言葉使いが荒くても、心の暖かさを感じることが出来る人はいるし、その逆もある。 いかにも丁寧で、柔らかくて言葉はとても穏やかなのに、冷たさを感じる場合だってあるということだ。 感じる心の持ちようなのか、それともそもそも”優しい”のか、よくわからない。
ある時、どこかの掲示板で 「私の優しさに、あなたが窒息しないかと思います」 と書いている人がいて、目が点になったことがある。 それって有り?
それ以来、余計に優しいという言葉には慎重でありながら、かつ敬遠という立場にある。
簡単、容易であることの、易しいとか、優良だの優秀だのの、優れているという意味は、この際だけどよくわかっているつもり。
人を形容する時、勿論自分にも当てはまらない文字。もっと他の言葉が沢山あるから、不自由はないと言えば言えるが、とても難しいい言葉だと思う。
−それがどうした−(アッテンボロー)
まぁね。(笑)
香の季節〜今年も
2004年06月07日(月)
今朝はどしゃぶりの雨。 午後からは日が差したものの、空気中の湿度は高くて、やはり梅雨モード。 こうなると、部屋の空気も心なしどんよりと感じます。
今日くらいの気温では、除湿機をかけると室温が上がって暑くなるし、かといってエアコンのドライをかけると冷えてしまって心地よくない。 つまり、少しの湿度を我慢することが出来れば何ということはないのであるよ。 というわけで今年も香の季節です。?
こんな風に少しだけ空気が澱んでいるような、スチームの匂いがするような時に私がすることと言えばいつも同じ、香を焚くこと、これに尽きます。
で、今夜も香を焚いております。白檀の香り。何となく、去年のDiaryを紐解くと、6月14日に同じことを書いていますね。(笑) ですので、以下引用。
私が好きなのは、沈香(ぢんこう)、白檀の2つの香りで、この2つの香は少しばかりコレクションがあります。
沈香というのは、水中に完全に沈む香木です。 沈むのは木質に沈着した重い樹脂成分のためで、芳香を放つのは樹脂が揮発するため。 猟師達が淡路島の浜辺で、流木で焚き火をしたところ、えも言われぬ芳香に驚き、朝廷に献上したというのが「日本書紀」に記述されており、それが香木「沈香」に関する最初の記述だそうです。 この木から採取された沈香を香りの質(甘い、辛い、苦い、酸っぱい、鹹い)で、タイ、カンボジャ、マレーシア、インド、インドネシアと産地と思われる六国に分類したそうですが、香道においてはこの分類に貴賎の差別をしていないとか。 しかし中でも伽羅の香りは特別高価なものとして、他の5種とは区別して考えられていたようで、これは徳川家康が伽羅を偏愛し、多量に収集したこともこの一因だそうです。 実際には、伽羅も他の5種の沈香と同じく沈香の木から採取したものですが、大変に高価なものばかりですね。
好きなのは、甘く濃厚な香りの伽羅ではなくて、どちらかというと軽くて爽やかな白檀と、少し漢方の薬のような香りの混じる沈香です。 今、手元にいくつかの白檀と沈香があるのですが、中でも好きなのは香十の白檀。 これは形が細いお線香。実は仏壇で焚くものの形なのです。(笑) それからもう1つは、松榮堂の沈香。 これは1cm四方ぐらいに割ってある香木です。香木というのはそのまま香りを楽しめるもので、入れ物がここにあるだけでもかなりの香りがしていて、実際に焚くより爽やかな感じ。 この香木の入っている包みの中に、香十徳というのがありまして、ちょっと書いてみると
感は鬼神に格る(かんはきじんにいたる) 心身を清浄にす(こころをきよらかにす) 能く汚穢を除く(よくけがれをのぞく) 能く睡眠を覚す(よくねむりをさます) 静中に友と成る(せいちゅうにともとなる) 塵裏に閑を諭む(ぢんりにひまをぬすむ) 多くして厭わず(おおくしていとわず) 寡くして足れりと為す(すくなくしてたれりとなす) 久しく藏えて朽ちず(ひさしくたくわえてくちず) 常に用いて障り無し(つねにもちいてさわりなし)など。
良いことばかりですね。(笑) 爽やか、清潔で静謐。落ち着くし気分転換になります。 今が一年のうちで一番香を焚く回数が多い季節です。
・・・です。(笑) ちょっと爽やか♪
なんちゃってクリスチャン
2004年06月06日(日)
洗濯機が危ない。 コントロールパネルはすでにパリパリになっていて、これは年季によるものだから仕方がないとして。 水道の蛇口からの管は、水が漏れて修理をした、これも年季だから仕方がないとして。
先月になって、大元の電源のスイッチボタンのポッチが取れてしまい、中の棒状のつまみが出てしまっている。 ボタンのポッチをはめると何故か電源が作動しないので、中側も破損してしまっているのだろうと思う。
つまみを指で下げたり持ち上げたりすれば、電源は入れたり切ったりは出来るのだが、洗濯が終わって5分すると、自動的に電源が切れるようになっていたのは壊れたらしくて、うっかりするとパネルの部分が熱くなっていたりする。
要するにそろそろ寿命、買い替え時なんだと思うが、なるべくその時期を先に延ばしたいと恐る恐る使っていた。
先日友人のHPの日記を読んだら、他人事とは思えないようなことが書かれていて思わず熱読。
何でも洗濯中、まだ水槽には水が入ったままで故障してしまったらしい。洗剤と洗濯物、多量の水の入った洗濯機がそのまま止るとどういうことになるのか・・・、興味津々で読んでいたが、彼女はその状態を放ったらかしにして、最も現実逃避に近いところにいた。 つまり、その日記を書いていたのである。(爆)
なので、その後どうなったのかがわからない。起承転結の結がない。う〜む。 やっぱり私の友だちである。
彼女はリアルな友人で、中学高校と同じチャペルで賛美歌を歌った仲なのだ。 今でも近くに住んでいて、私の方が一つ先輩であるにも関わらず、その態度は私よりデカい。しかしその時は困っていた。一体どうなるのだろうと気を引いた。
今日になって、彼女からメールが届いた。HPはしばらくお休みと書いてあるけど、どうしたの? そんな内容のメールである。
冗談はよしこせんせぇ〜! アンタの洗濯機が気になって、夜も眠れないほど心配でHPどころではなかったのだよ、などとは真っ赤な詭弁だが(自爆)、そうだよね、心配かけてごめんね、と思いつつ彼女のHPへ。
次の日記には、もう新しい洗濯機を購入というピカピカ洗濯機の話が乗っていたのだが、件の洗濯物はどうなったかとまたまた興味津々で読み進んでみると・・・。
軽く絞った洗濯物を、それだけではどうにもならないので、表へ出て一つ一つ振り回したらしい・・・。 人間遠心分離機?・・・(ーー;) 回りも濡れるが、自分も濡れたらしい・・・。(ーー;) 翌日は、肩が痛くてたまらなかったらしい。(ーー;)
・・・友達だったことあったっけ? いや、立派な友達だろう・・・。(ーー;)
今私は気になって仕方がない。 ウチの洗濯機が同じ運命を辿りそうで、いつかその日が来ることが。 私が彼女と同じ運命を辿るその日が来ることが。
その前に何とかしなくちゃ、この洗濯機。でもまだ使えるんだよね、騙し騙し。
天にまします我らが父よ。 御心の天にあるごとく洗濯機にもなさせたまへ。 アーメン。
月の暈
2004年06月04日(金)
月の暈 2004/06/04
綺麗な満月が見えます。 梅雨時のこの季節ですと、澄んだ夜空はなかなか見ることが出来ないのですが 今夜はひんやりと湿度も低くて 月の暈もはっきり見えるし、紫色のような赤いようなMoonbow(月の虹)もよく見えますね。
ゆくへなく月に心のすみすみて 果てはいかにならんとすらん (西行)
西行法師の詠んだ歌は沢山ありますが、月を見て詠まれたものもまた驚くほどに多くて。
あてもなく月を追いかけて、追いかけるごとに心が次第に澄んできた。 いったい私の心は、このままおしまいにはどうなろうとするのだろう。 このまま、澄みに澄んだ空に溶けてしまえば、これ以上のしあわせはない。 みたいな。
月があらゆる情感をしなやかそそるのは 決してその裏側を見せないからなのかも知れないと思ったり。
momomoon してますね。(笑)
横浜開港記念日に寄せて?
2004年06月03日(木)
痛みは、知覚ではなくて感情である。 だからこの痛みは感情なのだ。 と思いたい。
何故かというと 私は今歯が痛い。
でもこれは感情だから、本当は歯は何ともないのだ。(希)
逃避願望。 それを認識するのは理性だが、願望そのものは感情である。
歯痛⇒歯科医 これは嫌! だから逃避願望。 だからこの歯痛はただの感情であると思うことにしたいのだ。 何故なら、歯科医は痛いから。
でも、痛みは知覚ではなくて感情なのだ。 だとしたら・・・
歯医者なんて怖くない。(泣)
開港
2004年06月02日(水)
痛みは、知覚ではなくて感情である。 だからこの痛みは感情なのだ。 と思いたい。
何故かというと 私は今歯が痛い。
でもこれは感情だから、本当は歯は何ともないのだ。(希)
逃避願望。 それを認識するのは理性だが、願望そのものは感情である。
歯痛⇒歯科医 これは嫌! だから逃避願望。 だからこの歯痛はただの感情であると思うことにしたいのだ。 何故なら、歯科医は痛いから。
でも、痛みは知覚ではなくて感情なのだ。 だとしたら・・・
歯医者なんて怖くない。(泣)
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