momoparco
  気分転換に
2003年03月30日(日)  

 このところ聴いた曲に、 JENNIFER LOPEZ のアルバムがあるのでございますが、これがとても素敵でございました。
素敵などという月並みな言い方で申し訳もございません。
わたくしはブラックテイストの音楽が大変好きでございまして、そうでないものを聴くというのはなかなか珍しいことなのでございますが、それはこちらに置いておいて。
何かこう、この人の歌は、シンディー・ローパーを想い出させるものがございます。シンディー・ローパーもとても好きでございまして、美しさと面妖さを兼ねそろえた(何それ)おばはんでございましたが。歌に迫力パンチがございまして、圧倒されるものがございました。まぁ、最近はあまりお見かけいたしませんが。
話を戻してこのジェニファー。シンディー。ローパーからちょっとパンチを引いて、その分美しさを足したような感じと申しましょうか、爽やかあ〜んど澄んだ歌声で可憐にお歌いあそばします。

 えっと、まぁわたくし、音楽の話などまったく専門のことは存知ませんのにこのように語ろうというのも畏れ多いことでございますが。
まぁ、あれでございます。映画のメニューの中をご覧あそばしてくださいますとお分かりと存じますが、わたくしの場合、テクについては一切触れておりませんの。例えば、カメラワークがどうでございますとか、照明が何でございますとか、クレジットがどうでございますですとか。つまりただ単純に入り込んで楽しんでいるだけでございますし、批評をするというのは月に100本もご覧になる専門家の方にこそお出来あそばすこと、わたくしのような者が批評など滅相もございません。話がそれましたが。

 で、ジェニファーのアルバムの中に、The One という曲がございまして、イントロがあのスタイリスティックスのYou're Everything なんでございますね。バックにこのメロディーが流れる中で、彼女も少し口ずさんでいるのでございますが。
これはちょっと違いました。(笑)やはりこれは本家本元のスタイリスティックス、もしくはマービン・ゲイとのデュエットでのダイアナ・ロスのあの可愛らしいYou're Everything が格段に上でございます。
やはり、ブラザーあ〜んどシスターというと深くて濃い独特な高音がもう、他の追従を許さないと申しても過言ではないのではないかと思っているのでございます。

 というわけで、次にEVE の Scorpion などを聴いて納得いたした次第でございます。このアルバムは、何でございましょうか、ソウルとR&Bとラップがフュージョンしているような感じ。(などといい加減なことを申しておりますが。)アルバムジャケットの写真も迫力がございますが、もう始まりからすぐに体の中に浸透するのは何故?好きだから。それしかないんでございます。ちょっと目新しさには欠けるかもと存じますが・・。
でも何でございますね、音楽ばかりでなく常に新しいものを生み出していくというのは、本当に大変なことでございますね。

 新しいものと申しますと、私の小さい時、ジュリー(沢田研二)という歌手がおりました。わたくしには10才と9才の年の離れた兄たちがおりますので、ジュリー全盛期の頃に一緒になってテレビの歌謡番組を見させられておりましたが、子供心にいやもう格好いい!と思っておりました。当時ですと、まだジュリーのような歌手は、世間のオトナたちからは理解不能の色眼鏡で見られていたようでもございますが、ジュリーの魅力がそれを吹き飛ばしていたような気がいたします。それにしても大人の歌を歌うようになってからのジュリーもますます素晴らしいと子供心にも思っておりました。
今、こうして大人になってみましても、彼ほど純情と色気のない交ぜになった歌手は見た事がございません。あのつんくが出て来て色んな事をやった時にも、こういうことは昔全てジュリーがやっていたと思いましたし、小林さんや美川さんが何をしようと、ジュリーのパフォーマンスにかなうものはなく、ユーミンも、あのライオン・キングすらもぶっ飛ぶものではないかと思っているのでございます。最近のジュリーは、まぁちょっとアレでございますが・・・。

 と、このように申しますと、ある種の世代の方には忘れてはならないビートルズというグループがございました。
勿論アニキたちの影響で、わからないながらも聴いていたのでございますが、いつ聴いても新しい。ビートルズの存在というのは、時代そのものを大きく変えたと言っても過言でないほどでございますね。初めは大人たちに疎まれながらも数多くの曲を生み出し、共感を持って当時の若者に受け入れられ、常に人々を魅了いたしました。それはもう未だに沢山の人に指示され語り継がれております。あのジュリーだって、ビートルズの影響を受けてタイガースというグループサウンズのボーカルをしていたのでございますから。

 歌は世につれ世は歌につれ・・・。
新しい時代に、未だに反戦歌が作られる世であることは残念なことでございますね。

 まぁ、何か意味のない駄文を書いておりますが、前回、前々回とあまり心地よくもないものを書いておりましたし、今のこのご時世でございますから、少し気分をリフレッシュさせたいなどと思った次第でございます。

     ジェニファー・ロペス、いいです。



  まったく・・・
2003年03月29日(土)  

 銀行へ行ってキャッシュカードで預金を下ろそうとすると、手数料がかかるというコメントが出た。そういえば、しばらく前に一部の銀行ではキャッシュディスペンサーを使っての預金引きおろしは手数料がかかるようになるとニュースで聞いたのをすっかり忘れていたのだ。
 機械のない時代には、銀行の預け入れや引き出しは全て窓口で行われていた。それがオンラインで全てが済むようになり、安全さや正確さ、時間の節約という利点がある。また、銀行の営業時間外とか、銀行のない場所でも現金の入出金が出来、何かと便利なのが当たり前だと思っていたので、今回のようなことになると損をしたような気になってしまう。

 というよりもやはり損をしているのじゃないか。今までは窓口で預金引き出しをしようとすると、まるで機械でやってくれとばかりに手間を惜しんでいたくせに、それがこれからは有料になるのならやはり何か不満が残る。誰も預けなければ何も出来ないのだ。

 私の給与振込みの銀行は、3つの銀行が合併して1つになり、当初はあちこちに同じ名前の元違う銀行の店舗があったが、最近は少しずつ店舗の数が減りったばかりかついこの間最寄の駅前にあった店舗は無くなってしまった。こうなると何かで窓口での手続きを要する場合には、各駅停車の電車に乗って2駅も動かなくてはならない。

 店舗が吸収されるにあたっては、支店番号が変わる理由で口座番号も変わり、そのための諸般の手続きもさせられたばかり。口座引き落としのものはそのままなのに、何故か向こうから入金されるものに限っては届けを出しなおさなければならず、その面倒なことといったらありゃしなかった。
今となっては、キャッシュカードを使わずに窓口で用を済ませたいが、さりとて窓口のある銀行へ行くには交通費がかかる。それなら手数料のかからない銀行へ蔵替え(笑)したいが、またまた面倒な手続きを踏むのも馬鹿らしいし、何よりその銀行の機械が近くにはない。

 銀行では、手数料がかかる理由を明らかにせず、何をやっているの定かではない。またまた疑心暗鬼のまなざしになる。何かが起これば国におんぶにだっこである。そちらはそれで良いだろうが、それは結局こちらの生活にかかってくる。まったく、銀行、証券、生命保険。こういう他人の金を使って儲けようという魂胆を持つギャンブラーほど始末に悪いものもない。大きな取引きに目を輝かせるのは当然だろうが、まるで自分の生活水準を高〜い棚の上に置いたか忘れたフリをして、小口の小市民を馬鹿にするべきではないだろう。自分じゃ何一つ生産しないくせにギャンブルをするのは勝手だが、せめて身銭を切ってやってくれといいたい。



  混沌
2003年03月26日(水)  

 仕事場でひとさし指の先に三角形のガラスの破片を刺す。破片を抜き取ると血が飛んだ。驚いた同僚が手当てをしてくれたらしい。ひとさし指に白い包帯が巻かれてあった。

 帰り道・・・坂道を歩いていた。急に地面が持ち上がってきたかと思うと次の瞬間には仰向けになって空を見ていた。転んだらしい。日暮れた後なのに夏の空みたいにはっきりと雲が見える。ゆっくり起き上がると体の後ろから肩越しにピュッピュッっと血が飛んでくる。何かと思って顔を向けると血は目の中にも入ってくる。どこから血が出るのか探ってみると、肩から背中にかけてザックリと切れていた。血はいっこうに止まる様子がない。いつまでも同じだけの血が飛んでくる。さっきの包帯はもう真っ赤に染まっている。着ていた服も少しずつじわじわと赤い血に染まっていく。

 携帯電話で救急車を呼ぶと思いがけないほどの早さでサイレンの音が聞こえてきた。2人の救急隊員が私を救急車に乗せる。両脇に救急隊員が乗ったその車は屋根も囲いもないサイドカー。サイドカーは私をベルトでくくりつけるわけでもなく、地面スレスレにかなりのスピードで走っている。こんな救急車は初めて見た。少し振り向くと、後ろから本物の救急車が付いてくる。座席に3人の男が座り、真ん中の1人がリモコンで私のサイドカーを操縦している。

 病院に着く。どこかの地方らしくて言葉がよく分からない。保険証のない私の身分を証明するために何問かクイズを出される。苦労して何とかクリアした。どうやったのか憶えていないが、とにかく言葉は通じたらしい。

 しばらく待たされた。ようやく診察室に呼ばれて重たいドアを開けると、中は職員の控え室になっていた。食事時らしくテーブルの上に沢山のお弁当が並んでいて、白い白衣を着た人が大勢であちこちに座って食事をしている。血だらけの私を見ても誰も何も言わない。目が合っても何も言わない。その様子を見ながら、診てもらえるのはこの食事が終わってからだと思っている。その辺に座って待つように言われるが、椅子は一つも空いていない。

 相変わらず血は止まらない。血を噴き出して顔も体も血だらけになりながら、立ったまま白い白衣の人たちを見ている。

・・・そこで、目が覚めた。
10日以上も前に見た夢。普段はあまり夢をみないか、見ても覚えていないのに、この長い夢は何故か克明に覚えていて、それが頭の中にチラチラするときがある。
このところ特に。
50の星が閃光を放って、アラビアンナイトのロマンティックな宮殿が赤い炎に包まれた。
それから特に夢の中での出来事が常にちらちらしているのは何だろう。何にも関係がないことなのに。

夢の中ではちっとも痛みを感じなかったので、何もかも映画を観るように見ていたのに現実は気持ちがザラついているみたいで、感じやすくてもろくて落ち込みそうになる。
ザラザラザラザラして傷つきやすくなっていて、同じくらい傷つけている。

私が誰かを傷つけているのは、決して戦争のせいなんかじゃないだろう。
あれこれ見たり読んだり聞いたりすると、この先どうなってしまうのか、いつも不安と隣り合わせな気持ちでいるのは確かだけど、だからたまたま近くにいる誰かを傷つけているわけじゃない。色んなことが変わっていくんだろう。いつか何かがはねかえってくるんだろう。

わけのわからない気持ち。
言葉にならない大きな黒い雲に覆われたような気持ち。
ちゃんと整理して考えようと思うのに、そうするとますます頭と心がバラバラになる。
何もかもが気に入らないようで、そういう自分が嫌になって、だからといってどうしたいのかが上手く言葉にならない。

漠然と、ただ漠然としている。




  腹の立つ話
2003年03月22日(土)  

 品川に住む友人からの電話で、彼女の職場に来ているパートの女性のことが話題になった。友人の鼻息が荒い。
その女性は37才、離婚歴があり現在は中学1年生の長女との2人暮らしだそうだ。彼女は一年ぐらい前から出会い系サイトにはまり、次々と相手を変えて付き合っているらしい。
最近の相手は北海道に住む年下の男性で、彼女は月に一度ぐらいの割で北海道に会いに行き、そんな時は彼女のホテルに相手が泊まり、彼が上京して秋葉原か何かのパソコンショップで買い物をする時などには相手が彼女の家に泊まるそうだ。費用はいつも彼女持ち。最近その相手が冷たくなり、メールも来ないし電話をしてもいつも留守電になっていて、連絡が取れなくて泣いているという。その前にも確か同じような状況に陥ったことがあり、自然消滅の形で相手と縁が切れたのだが、また似たようなことをやっているらしい。

 私の友人はネットはしないし、出会い系サイトは、=殺される もしくは集団自殺、という事件が多いので、これをほとんど信用に値しないという考えでいる。従ってそのような交際はいかがわしいからやめるようにと何度も忠告をしたが、彼女は言うことを聞かないらしい。話を聞けば聞くほど彼女が遊ばれているようなのだが、友人の言葉は相手を信じている彼女の耳には届かない。それをどう思うか、というのである。
いきなり殺されるということもないだろうが、ネットをふらふらしていると、そのようなサイトは沢山ある。そういった場所で知り合った人の日記のようなページも山のようにある。メールが来たとか来ないとか、会いたいとか寂しいとか、そんな部屋が隠れた地雷のように点在している。

 この彼女は10代の終わりに恋愛の経験もないまま、ふた回りも年上の男性に見込まれて結婚したが、ある時離婚を言い渡されて現在に至り、ストレスで食べに食べて90キロの体重があるという。30の半ば過ぎまで恋愛をしたことがなければ、あのような場所で知り合った人と恋愛気分に浸れることは楽しいに違いない。大きな体を持て余して日頃は週に半分くらいのパートしかせず、あとはくてくてと過ごしていれば、実際に恋愛のチャンスなどなかなかないだろう。まったくもって傲慢だが、そう考えると出会い系サイトもちょっとは人助けになっているのかもね、などと話していたが、友人の鼻息の荒いのはもっと別の理由であった。

 実際この人が、子供を抱えて女手一つで週に半分ぐらいの仕事しかせずにいるのは不思議な話で、その中でちょくちょく北海道に行かれるのも、大不思議。
一体どういう生活なのかというと、子供の養育費が元夫から月々10万ほど入ってくる。パートの仕事が月々10万ぐらいある。後は区から母子家庭手当てが同じくらいおりるのだそうだ。家は都営住宅なので母子家庭の彼女の場合、新築2LDKで家賃はたったの900円。
最近の都営や市営の住宅は、民間の住宅より設備が良くてあなどれない。
このような住宅には申し込みが殺到するので、抽選によって住む権利を得るがその倍率はかなり高い。
生活保護や彼女のような家庭は優先的に住む権利を得ることが出来るし家賃は収入によって違うので、彼女と同じ部屋でも最高で月に16万の家賃だそうである。都営16万の部屋が彼女の場合たったの900円。
 
 母子家庭で子供も大きいのに何でもっと働かないかというと、それをすると収入が多くなりすぎて、母子家庭手当てがおりなくなるからだという。すると今の場所に同じ家賃で生活できないし、取れるものは全て取らないと損であると。

 更に言えば、彼女の娘は中学入学してすぐに不登校で過ごしたために、今は千葉にある私立の全寮制の学校にいる。この親子は毎日がほとんど外食で、ダラダラとお菓子ばかり食べているので、娘の体重も100キロだとか。そのせいでいじめられて学校へ行かなくなってしまったのかと思ったら、そうではなくてただ朝起きられないだけらしい。まったくもって馬鹿野郎である。私立の全寮制といえば、月額10万はかかるだろう。

 そうして、娘が毎週土日に帰って来ると、2日間親子でゲーセンに通い、一度に軽く小一万も遊ぶらしい。ビデオを借りれば一度に10本も借りて来る、MDコンポだって娘だけで2台もある。というより持っていないものはないのだそうだ。

 聞いているうちにどんどんどんどん腹が立ち、そんな生き方に親は何にも言わないのかというと・・・。
彼女の母親は数年前にご主人(彼女の父親)を亡くし、手元に残った生命保険の300万だかを全部使いきって生活保護を受けているそうである。預金だけで生活をすれば、目減りしていつかなくなってしまう。だったらいっそのこと好きなように使って、後は区から援助を受けようという腹だったらしい。通帳に残高があると保護は受けられない。使い果たした金額の中から家具調度を買い揃えてあるから、この親も何でも持っている。生活保護を受ける家庭は医療費0に家賃0。親子で別の都営住宅に住んでいるのである。

 更に母親は”ちょっとだけ”リュウマチの気があり、国から身体障害者の「身分」を与えてもらっている。こういう人を車に乗せる時には、車椅子のステッカーを貼るとどこでも駐車することができる。そのステッカーを使うのは母子家庭の彼女である。彼女にとっては日本国中がフリーのカースペースである。

 呆れ果てて言葉もないが、彼女はあらゆる目をかいくぐり得られるだけのモノを得る知恵に長けていて、また常にそういうことを考えている。それを何の恥ずかし気もなく平気で話すし、彼女から見るとこちらがまるで馬鹿みたいだそうだ。道徳観?価値観?何かの感覚が違うのだ。一体何それ。こういう社会通念がズレている親が子供を育てると、その子供も同じようになってしまうのだろうか。それにしても気分が悪い。

 本当に困っている人がいる。住宅であれ、何かの手当てであれ、困っている人の所に使われるのならそれは有効である。税金もある程度は仕方がない。しかし、困っているからといって誰でも彼でもがすぐにそれに頼ろうとしない人も沢山いる。
働くだけ働いて無理が祟り、病気になってしまう人もいる。食べる物も食べられずに、もっと早く生活保護を受ければ良かったのにと思うが、死んでしまう人もいる。なるべく回りに迷惑をかけずに生きて行こうというのが、人間のあるべき姿なのじゃないのだろうか。だからといって、餓死してしまうのを美談にする気はないし、潔い心意気は尊敬もするが死んでしまったら意味がない。しかし、五体満足、やろうと思えばまだまだ他人の力を借りずに生きて行けるのに、それをしようともしないどころか、あまつさえ真面目に生きる他人を馬鹿にしたような態度でいるのは人間のクズである。そんなクズもまた山のようにいる。そうして、それを見過ごしている行政にも大いに怒りを感じるのである。

 結局友人の鼻息の荒いのがこちらにも移り、「まったく、チクってやろうかしら」という友人と「チクってやればいいじゃない」という私。

 この話、聞いた時にあまりに気分が悪かったので頭を冷やして書こうと思ってしばらく書かずにいたのに、今こうして書いてみるとやはり何日経っても気分が悪くて、心拍数が上がってしまいます。



  その日
2003年03月21日(金)  

 昨日は所用があって日比谷へ出かけた。朝は晴天だが風があり、地下鉄の日比谷の駅から帝国ホテル方面へ向かう途中、高いビルの隙間を強い風が吹き抜けるのでコートの襟を立てて歩いた。
入り口付近に、チケットを買うためか何人かの人がたむろしている帝国劇場を背に、交通渋滞の道路に沿って見える細くて高い空は思いきり晴れて綺麗な青空であった。

 幾度か道を曲がって宝塚劇場の前を通ると、劇場の入り口付近には揃いの白いハーフコートを来た女の人の一団が道の両側にひしめいていた。50人ぐらいはいたかもしれない。楽屋入りする歌劇団員を一目見ようと待っているらしい。老若を問わず同じコートを着ている女の集団が異様でもあった。

 帝国ホテルの前を過ぎて向かいのビルに入ると中では重々しい警備がなされ、エレベーターホールへの入り口でのチェックが厳しい。

 お昼過ぎに用が済んで、今度は東銀座の駅まで銀座通りをブラブラ歩くと、アメリカが攻撃を開始したというニュースを知らせる号外を配っていた。半袖でもいられそうなほど暖房の効いたビルの中で、ぬくぬくと用を済ませている間に、向こうでは戦争が始まっていた。号外を3誌ほどいただいて道のこちら側とあちら側を行ったり来たりしながら歩いていると、今度は真空パックの中国産のうなぎの蒲焼を配っていて、これは一つだけいただいた。その頃には風が止み、天頂付近の日差しが強くて春の陽気になっていた。珍しく空は澄んでいた。歩きながら花屋の花に見とれてその値が高いのに憤慨した。

 地下鉄に乗ってさっきもらった号外に目を通していると、回りの人が覗き込む。空爆の写真が一昨年のテロ事件を思い出させるが、電車が地下から地上に出ると、窓の外の景色はあまりにも明るくて今あちらで起きていることなどおかまいなしの静かな風景があった。しばらくしてもう何度目かの『きんぴか』を読み始め、・・・まるでワンコメロンであった。・・・このフレーズにクスリと笑う私がいた。



  星に願いを
2003年03月19日(水)  

 人は、誰しも幸せになろうと思う権利があり、それぞれがそのようにして生きているのではないかと思う。
まず自分自身が幸せになりたいと思うのはごくごく自然な気持ち、無意識のうちにすでに根底にあるものだと思う。
そして、生まれて初めて関わる親や兄弟の幸せも、ごくごく自然に願っている。
それから、友だちが出来、誰かを愛し、それぞれの幸せも願うようになる。
愛し合い子供が生まれたら、その子供の幸せも願うようになり、子供が増えればまた次に生まれた子の幸せも願うようになる。
人が生きていく上で、次々と人に関わることにより多くの幸せを願うようになる。
願える幸せの一番大きな形が100だとしたら、その中で誰彼にその願いを分配するのではなく、それぞれに100ずつの幸せを願う気持ちになる。
すると、人は生きていく間に、どんどん欲が深くなるということなのだろうか。
そうではなくて、誰彼に感じることの出来る何かの愛情が、その幸せを願う気持ちになるのだろう。
親子の愛、兄弟愛、友情、愛する人への愛。
誰でもみんな、いつも誰かを愛して誰かに愛されている。
誰も愛していなくても、愛されている。
誰にも愛されていなくても、愛している。

 もしも今、愛する誰かが命がけの危険なことに出向かわなければならないとしたら、命がけの危険なことを受け入ざるをえなくなったとしたら、誰でもみなその人の無事を祈り、出来ればその危険から回避させたいと願うのではないだろうか。
それは欲の深いことではないと思う。

 ブッシュの、フセインの、彼らの願いとは、一体何なのだろう。



  ぬか漬け
2003年03月17日(月)  

 先日職場に漬物の差し入れがあり、スタッフ一同でありがたくいただいた。これはぬか漬けなのだが、なんとなんと、かき混ぜる時には二の腕がどっぷりと埋もれてしまうという、90年来のぬか床で漬けられたぬか漬けである。その美味しさといったら生きてて良かったと思えるぐらい。大根、にんじん、茄子、きゅうり。色も瑞々しく艶々で、漬かり具合も丁度よく、山のようにあったものがアッと言う間になくなる勢いであった。

 ぬか漬けを漬けるのは簡単なようで意外と面倒なものだ。私も何度かやってみたが、たいがい何日かすると忙しさにかまけた(フリをして)ダメにしてしまう。糠床は毎日毎日空気を混ぜるようにかき混ぜないと、死んでしまう。しかしその毎日が難儀なのだ。

 よく漬物だけでご飯が食べられるというが、それはたまにの事で毎日三度三度の食事が漬物だけでは多分身が持たない。漬物はおかずのまたおかず、あってもいいがなくても困らないぐらいの地位じゃないかと思う。勿論、食糧難の時代にならそれも贅沢な話ではあったと思うけれど。

 とにかく、かようなわけで私と関係する糠床はないがしろにされやすい。情けないことに、1日サボると2日3日とそのままズルズル気にはなりつつ次第に諦めの境地に至り、ついにとうとうダメにしてしまうのである。

 糠床に釘を入れておくと茄子が綺麗な色に漬かるというのを聞いた。暖簾に腕押し糠に釘 というと、手ごたえのない張り合いのないことだが、糠に釘は大いに張り合いがあるそうなのだ。釘を入れるのは刺さりそうで怖い。なのでパチンコ好きな友達からパチンコ玉をいくつか貰って入れてみたが、私の場合、その効果が表れる前にダメにしてしまうのである。

 しかしいただいた茄子や胡瓜の綺麗なことと言ったら・・・、ため息が出てわが身の情けなさを恥じ入るばかり。

 90年も漬け継いで行くということは、本当に頭が下がるというか、尊敬としかいい様がない。何かの料理屋さんとか旅館ではない一般の家庭で、今どき90年も同じ糠床を守り続けているのは並の努力、忍耐、根性ではないのではないか。野菜だってそう安くない。毎日毎日これを続けるには、随分野菜も要ったことだろうし、糠床に二の腕までどっぷり潜らせるとはさぞ冷たいだろうなぁ。やりたくない時も沢山あっただろうなぁ。こういったものを受け継ぐのは、なまなかなことではないだろうなぁ。つくづく尊敬である。

 不詳私めも、あの糠漬けの足元にも遠く及ばないが、またやってみようかしらんと思っていたりする今日この頃、あの美味しい漬物が漬かるぬか床は、100年でも200年でも続いて欲しいなぁと勝手ながら思うのである。



  話しことば
2003年03月16日(日)  

 私の回りに地方出身の人は多い。非常に親しくしてもらっている友人も何人かいる。普段はこちらの言葉で話すし、何の癖もない話し言葉はまるでこちらの人そのものである。しかし、ある時実家からの電話で友人が突然新潟弁になって驚いたことがある。またある時は、地元から親友が遊びに来たから一緒に飲もうと誘われて付いていったら、いきなり博多弁を話す友人を見て驚いた。非常に親近感を持って仲良くしてくれていた彼らが、故郷の言葉になった途端に今まで見た事もないほど生き生きと、もっともっと心を開いて話しているように見える。そして彼らのまるで別の一面を見たような気持ち。今まで知っていた彼らは何だったのかという気持ち。心を開いていたように見えたけれども、それは違ったんだよ〜と言われたような気持ち。複雑な思いの中で地元の言葉があるのがちょっと羨ましい気持がした。

 インターネットを始めたころ、何のきっかけだったかチャット部屋へ迷い込んだ。その部屋の面白さは、送信した言葉が方言に変換される仕組みになっていることで、津軽弁チャット、名古屋弁チャット、大阪弁チャット、広島弁チャット、博多弁チャット、の部屋に分かれていた。
私は方言を話せないので、これが非常に面白くてしばらくはまった。自分が別のキャラクターになったような気分になれるのであった。
地元の人に聞くとけっこういい加減な変換もあったようだが、そういったカラクリでもないと、多分チャットなどしていなかったと思う。方言を話せるのが(文字だけでも)面白かった。後々その部屋はヤフーだか何だかのネット雑誌に載り、来る人が増えすぎて面白くなくなってしまったが・・・。

 とにかく、チャットに来る人の住む場所もまちまちで、北は北海道から南は九州沖縄まで、同じ時間に同じ場所で電話同様に話が出来ることを知り、インターネットで世界が近くなったとかいう言葉を実感した。
さまざまな人と色々な話をし、その後誘われるままに言葉が変換しない部屋へ遊びに行ったが、その時の照れくささと言ったらなかった。
あのような場所ではとりあえずほとんどの人が共通語を話すので、普段から方言のない私にはまるで素にされたような照れくささや気恥ずかしさを感じた。

 共通語とは、大辞林によると、一国のどこででも、互いの思想や感情を伝え合うことのできる言語。わが国では東京語(特にその山の手言葉)がこれにあたる。全国共通語。〔共通語は標準語という用語を避けて用いるようになった語。標準語は全国に共通して用いられるとともに人為的に整備された規範性の強いものであり、共通語は自然に存在して全国に用いられるものとして区別する考え方による〕となっていて、その反対の位置に方言がある。

 とにかく、全国あちこちから集まる人と話をするのは非常に面白くて随分色々な話をした。たいていの場合、気の合う人と話すので、長いときには朝まで話し込んだこともあり、数人の仲間が出来ると実際に電話で話をするようになった。

 初めてネットで知り合った人と話をしたのは熊本の人であった。あれだけ話が弾んだのだから、さぞや楽しく話が出来ると思ったのだ。しかし、さっきまで文字ではスイスイ話が出来たのに、電話で話をしたらさっぱり話が出来なかった。それは照れくさいとかそういうことでなくて、熊本弁ががさっぱり理解出来ないのであった。時々気を使って何かの言葉は”文字での話し言葉”で語ってくれるのだが、話が進んでくると途端に分からなくなってくる。その言葉でない言葉で話して欲しいと思うが、それを言うのは申し訳ない気がして言えない。分からないのに分かったような振り・・・愛想笑いで済ませてみたり・・・つまり外国語と同じ状態・・・やはり世界は遠かった。
一方相手は、私が変な所で笑うと思ったらしい。通じてないのが分かったようだが、どうすることも出来なかったと後になって、”話し言葉で書いて”くれた。その後も何人かの人と話したことがあるが、大抵の場合抱いていたイメージとは大きく違った。百聞は一見にしかずというがこの場合、百読は一聞にしかずだったわけである。だからと言って何かが変わったわけではないが、イメージというのはおよそいい加減なものである。

 以来、私はHPでよそのお宅にお邪魔する時には、管理人さんがどこの方なのかを確認するようにしている。それから書かれた物を読ませていただく。共通語で書かれたものだとしても。言葉というのは生きている。同じ朗読でも、森本レオが読むのと、立松和平が読むのとでは大きく雰囲気が変わるではないか。その雰囲気は、私が友人を見て感じたその人らしさとか、もっと奥深いその人そのものである。だから、書かれた物をその方が声に出して読んだとき、どのようにして聞こえるのかを想像しながら読むのである。それも想像には違いないが。



  春の前
2003年03月15日(土)  

 春眠暁を覚えず というのでなくて、何だっけ。
俳句だったか川柳だったか、多分俳句。
春うらら、うつらうつらと、魂を神様にに奪われてしまうように眠ってしまう、というようなそんな句があったんだけど、思い出せない。確か女性の句。
春と言いきるにはまだまだ早いんだけど、そういう句が気になるほど今日は一日眠たかったというわけ。
ちなみに今日は雨で、春という言葉は似つかわしくなかったけれど。 



  万引き犯は今日も行く
2003年03月12日(水)  

 いつだったかテレビのドキュメントの番組で、スーパーでの万引きと警備員の様子をやっていた。
 最近のスーパーでの万引きは、主婦や年配の男性によって行われる件数が多くなっているらしい。番組は隠しカメラで、警備員と万引き犯の動きを追い、その後の場面をいくつか放映する。

 登場する警備員もベテランなら、万引き犯も手馴れたものである。片やその挙動からいち早くこれはヤルなと察して目をつけ追いかける。片や実に巧妙に死角を利用して万引きをする。万引きといっても、欲しい物全てを盗むわけではない。いくつかの品物はカートにいれ、支払いをするものもある。彼らはカートの手前に大きな嵩のある物を置いて死角を作り、手前に入れた小物を男ならコートやズボンのポケットに、女なら用意した別の袋の中に入れながら店内を徘徊する。解説のいうところによるとかなりの常習犯らしい。確かに防犯カメラにはなかなかその現行は映りにくいし、同じ平面上にいる人間には見え難い。カゴに残ったいくつかの品物はレジを通り支払いをするので、いかにもスーパーで買い物をした風情を装う。しかしながら、警備員もそのプライドにかけて狙った獲物は逃がさない。どうやってもしょぴいてやろうと数人の連携プレイでへばりついてついに現行をその目で確かめる。そして、後でお金を払おうとしていた、と逃れられると逆に客からのクレームの対象になるので、万引き犯が一歩外へ出てから声をかける。
これはテレビの番組だからこの時にすんなり捕まる場面しかないが、その後事務所に連れて行き会計していない物を机の上に出させると、出るわ出るわ10個以上の品物が体のあちこちから登場する。

 関東編の警備員は、浅香光代ばりのベテランのおばちゃんである。
捕らえられた主婦関東は30代。盗んだ中身はお菓子やレトルト食品。これはそのまま子供のおやつとなるらしいが、確かに罪の意識があまりない様子である。常習犯だとニラんだおばちゃんは、ダンナさんに来てもらわないと帰せないと連絡先を聞くが、主婦関東はダンナはまだ仕事中、帰りは遅いので連絡は出来ないという。誰も迎えに来ないなら、警察に行ってもらうことになると言うと
「娘に来てもらってもいいですか?」携帯電話を取り出す主婦関東。
「娘さんは何歳なの?」
「17歳です」
「あんた、どういう顔して娘さんをこの場に呼べるの?!」
「あんたが携帯電話を持っているのにダンナさんが持ってないわけないじゃないか!」
「そうですよね・・・」うつむく主婦関東。
「あんた、そんなにお金がなさそうな買い物はしていないのに、盗んだ物も子供に食べさせるつもりなの?」
「はい・・・」
「あんたに親の資格はない!!」
ドン!机の上を拳で叩く浅香光代。
「親なら自分の食べる物も我慢して、子供に食べさせるのが当たり前でしょう。それを何なのアンタは、ましてや子供を身柄引き受け人にしようなんて、アンタ本当に親の資格ないわよ!」
女剣劇の勢いに泣き出す主婦関東。
結局70を過ぎた主婦関東の母親に連絡をして迎えに来てもらう。その後姿が妙に侘しいが、あの女はまたやるだろうと思わせる。

 関西編の場合(注:関西弁は得意でないので、聞いた通りに書けないが、まぁこんな感じ)
捕らえられた主婦関西は40代。連れて行かれた事務所には3人のおっちゃん警備員。盗んだ品物を机の上に並べさせるのはここでも同じ。
「ようまぁ、こんなに盗ったもんやなぁ」呆れるオッチャン警備員。
「はぁ・・・、堪忍したってぇな〜」
「堪忍したってぇやないやろお前、初めてやないな?」
「そんなことない。こんなことしたの初めてやわ、許したってぇな」
しばらく似たようなやり取り。
「いや!お前は初めてやない。あっちこっちでこんなことしてるんやろ」
「だってぇ〜、これはな、私の癖っちゅうか性格の一部みたいなもんなんや、しょうもないの!」
開き直る主婦関西。ますます呆れるオッチャントリオ。
「許してくれっちゅうたって、さっきからちっとも反省しとらんやないか。少しは申し訳なさそうにしたらどうや」
「だぁかぁらぁ〜、さっきからごめんねってゆうとるやん〜」
(ちっとも言ってないってば)
何だか私の笑いを取ろうとしているのかと思うようなやり取り。
結局主婦関西は今回、努力も虚しく警察のご厄介になることに。
しかし、どう見てもまたやるだろう、今度はもっと上手くやるだろうと思わせる。(いや、そう思っているだろうと思わせる・・・かな)

 17歳の娘に来てもらうと平気な顔で言うのもナンだが、性格の一部だからとふんぞり返るのもナンである。
こうして不幸にして(?)捕まってしまう万引き犯もあちこちにいるだろうが、実際にはつつがなくその仕事を遂行している中年万引き犯は全国津々浦々で相当な数だろう。
何故か関東編はシリアスに、関西編は可笑しいが、まぁ、西も東もしょうもない。立派な大人がこうなのだ。今更万引きに限った事ではないだろうが、この言葉使いの対比が面白くて記憶から消えないでいた。
子供の頃は、大人というのは『大人』だと思っていたが、こうしてみると世の中の大人というのは、実際のところどうなんだ。



  ことば
2003年03月09日(日)  

 たった50のひらがなの中から、ほんの少しの組み合わせで言葉が出来る。漢字の衣を着せると更に、表情を持った文字になる。もともとはただの音なのに、人を喜びに包んだり悲しみに覆ったりもする。文字だけのやり取りでも気持ちや温かみを感じることも出来る。文字からは想像が膨らんで、何がしかのつじつまの合う理解も生まれる。
しかし、まったくリアルに想像することはまず不可能であると思う。



  曲がり角
2003年03月07日(金)  

 後から後から回りで思いもよらない色々なことが起きて、考え事が多い。
事が大きければ大きいほど、慰めたり励ましたりなどという粋を脱していて、かける言葉もなくただただ考え込んでしまう。何故か今、私の回りで同時に何人もの人が、全く別の場所で大きな大きな曲がり角に立っている。
人生の変わり目とでもいうようなそんな時期が、人には必ずあるのかも知れない。




  無題
2003年03月06日(木)  

 このところ花粉症の薬を飲んでいるせいか非常に眠いのです。
仕事中は何とか緊張感を維持していられるのですが、帰って来ると無性に眠くなります。
まだ7時過ぎたばかりなのにもう眠くて眠くて、幼稚園の子だってもう少し起きていられるんじゃないかと思うのに。
ですから、夜になってパソコンの前に座るとやりたい事は沢山あるのに意識が遠のいてしまいます。
せっかく来ていただいたのにごめんなさい。
今夜は起きていられるか・・・とりあえずそんな状況です。



  弥生
2003年03月01日(土)  

 今日は仕事でした。さきほど帰って来ました。横浜はどしゃぶりの雨です。。
今ね、ちょっと座ったら疲れがどっと出て、動きたくない。で、ここにいます。(笑)




 日曜日に飾った雛人形です。3月になったのでUPしてみました。
数年ぶりに飾ったので、飾り方を忘れておりました。痛んでいるんじゃないかと気になっていましたが、大丈夫でした。
まだあられや白酒を飾っていなかったので少し寂しい気もしますが、今はちょっと賑やかになっています。
心が和みますね。年に一度ぐらいは出してあげないと、デスね・・・。 ^^;
 みなさまは飾られたでしょうか?私のは添えられていた写真の真似をして向かって右にお雛様をおいてありますが、お内裏様とお雛様って本当は右左どちらにどちらなんでしょうね、色々あるみたいですが。

 さて、明日もまた仕事なので今夜はこれで。
BBSへの返信が遅くなってごめんなさい。
明日はもっと早めに帰れるはずなので、もう少しお待ちくださいね。
それではみなさま、素敵な週末を。



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