うちの白ワン(続き)
2003年01月25日(土)
先日テレビでペットの病院のドキュメント風な番組をやっていて、その中である日突然ペットが原因不明のまま死んでしまうという場面を見た。 医師の手で何時間も心臓マッサージを受けたものの助からず、そのまま亡くなってしまった猫や、全く手を施す間もなく亡くなってしまった犬のこと。 そうして、初老のご夫婦の『この子がいたから幸せでした』というコメントに思わず貰い泣きをしてしまったり。
かつて飼っていたうちの白いワンコの事はいつも頭にあったが、この番組を見たらすぐに書きたくなり、写真をスキャンして UP してみたら何故かいきなり前日のような書き出しになってしまった。
名前の由来はあまり有難くはなかっただろうが、可愛がって過ごした。 このロンはやんちゃなワンコで、私の所に来た時にはトイレの躾は終わっていたが、まだ小さいこともあって時々失敗をした。 特にお留守番をさせて帰って来ると、『食べる』『寝る』ともう一つのお仕事である『お迎え』に励んでくれるのだが、その時に嬉しさのあまりにチビってしまうのであった。 犬が喜ぶと尻尾を振るというが、この時の喜びようといったら、尻尾どころかお尻ごと、というより腰全体を左右に振り全身で喜びを表してくれて、可愛さのあまりちやほやするとついちょちょっとチビってしまうわけで。 そんな時、「あー!」などというと、申し訳なさそうに首をすくめて癖である口の回りを舌で舐めるという動作をして上目使いに私を見る。 こちらもそれほど怒っているわけではないので、少し優しく「あーあ、ま、いっかぁ、よちよち」などというと、それはもう許しを得たものとばかりまた全身ではしゃいでまたチビる。 「よちよち」チビる。「あー!」上目使いで口を舐める。 「よちよち」チビる。「あー!」上目使いで口を舐める。この繰り返し。
イタリア時代によくみかけた犬たちは、躾がいいのかどういうわけか、散歩をする時には必ず飼い主より半歩下がった場所をちょこちょこと歩いていたものだが、うちのロンと来たらいつも飼い主より縄のありったけ先を歩き、しかもそれはイタリアで見たツンツンすましたような歩き方ではなくて、まるで人間が跳び箱を飛ぶ時のような前足より後ろ足が大きく開いてガシガシといったような歩き方になっていた。息だって「アヘアへ アヘアヘ」していたのだ。
トイプードルのような小型犬は、あまり歩くのは好きじゃないと聞いていたが、この子は走るのだって大好きで、一緒になって走ると何百メートルでもよく走った。 ペットトリマーさんから、この子は爪を切る必要がないくらい爪が減っていて珍しいとも言われた。よく外で運動をしたからである。テニスボールを投げてやると拾って来てまた投げろというので、家の中でもよくこれをやった。 私はソファーに寝そべったまま、ボールだけを投げるので大して疲れはしないのだが、ロンの方は随分と疲れたのではないかと思う。 だんだん面倒になると、ボールを投げるフリだけするのだが、それでも律儀に走っていって探したりする。 犬というのは、遊びたい時にだけ遊ぼうとすり寄ってくるのではなくて、人間が遊ぼうとすり寄っても、どれほど疲れていようと遊んでくれる。 ボールの弾む音に合わせていつも「ポンポンポンポン」と言っていたら、いつの間にか「ポンポン」というとボールを捜すようになっていた。 寝ているのに「ポンポンは?」と問いかけると、どんなに眠くてもボールを見つけて来て遊んでくれるからまったくもって可愛いとしか・・・。(笑)
冬のある日公園に連れ出すと、池の水面にラジコンの舟が走っていた。いきなりこの舟向かって走り出すロン。そうして池の水面を数歩走ったかと思うとそのまま沈んで行った。出来事はほんの一瞬でアッと思った時には彼は沈み、しばらくして浮かび上がり文字通りの犬掻きでこちらに戻って来た。 心臓が止まる思いをしたが、泳いで来るのを見て安心したら、可笑しくて可笑しくて笑ってしまった。生まれて始めての泳ぎは上手く行ったが、ショックも大きかったようで、陸に上がるとしばらくガタガタ震えていた。
小さい犬ほどよく吼えるというが、ロンも全くその通り。 散歩の途中で行きかう犬が自分と同じかそれより少し大きな犬だったりすると、よく吼えてうるさいくらいだったが、相手がまったくお話にならないほど大きな犬だったりすると完全に無視をする。 まるで何にも見えないかのように、顔をそちらに向けない。 「ロン、大きいわんちゃんがいるねぇ〜」 と言っても歯を食いしばって顔をそむけている。まったくセコい。 何しろお利口さんとは程遠い、どちらかといえばお馬鹿なワンコであった。 しかし、馬鹿な子ほど親は可愛いというように(比喩が違う?)私にとっては可愛いとしかいいようのない犬であった。 ツンとすまして「ふーんだ」なんて言っているような躾のいい他のワンコよりうちの子の方がずっとずっと可愛いのだった。
この子が小さい時には本当にさまざまな楽しい思い出があり、思い出すだけでも顔が笑える。 しかし年月が経ちだんだん年を取ると、笑ってばかりもいられなくなってしまった。 この子が小さいときに何かの病気で歯が生えなくなってしまったのは、随分と後になって知ったことだが、13年目ぐらいには白内障にかかってしまった。白内障というのは手術をすれば治るのだが、当時既に13歳でその頃でも随分とおじいさんになっていたはずで、今から手術をするのは危険も伴うと言われた。 私は犬の寿命は10年と少しぐらいと思っていたので、今からそんな手術をするのは可哀想だと思ったし、白内障は少しずつしか進まないのですぐに目が見えなくなってしまうこともなく、見えなくなるのが先か寿命が先かは分からないと言われ、それなら手術はしないでいいようと思ったのだが。 なんとそれから6年間、19歳の年まで長生きをした。
この6年間の間には、その他にも病気をした。ある時オス犬の印であるタマタマが一つ、だんだん大きく腫れて来て座るのも抱くのも何をするにも痛がるようになってしまった。手術はこの時が始めてだが、やはりしばらくは痛そうで可哀想であった。しかしその痛みも消えるころ、少しずつ老化が始まり白内障はほとんど目が真っ白で見えない状態に、耳は少しずつ遠くなり、家の中を起きている間中徘徊するようになっていた。 散歩に連れ出しても、時計周りにグルグル走り回るだけで真っ直ぐには進めず、目の前に食べ物を置いても匂いも分からなくなり、そうしてトイレも我慢が出来ずいつしかすっかり痛ましい姿に変わり、「ポンポンは?」と言っても反応してくれなくなっていた。
多分、体の老化だけでなしに少しはボケも混じっていたのではないかと思う。名前を呼んでも答えなくなっていた。動物は人間よりも先に年を取ってしまう。出合った時にはどんなに小さくやんちゃであろうと、先へ先へと行ってしまうのだ。 この頃は、『老い』とは一体何だろうとよく考えた。
外に連れ出して赤ちゃんのように抱えてあげてオシッコをしていたが、留守をする間には我慢が出来ないのでオムツを当てた。 次第に寝ている時間が長くなり、食べ物は寝たままの状態で手から口へ入れてあげないと食べられないし水すら飲めなくなっていた。昼間はつらつら寝ているのに、夜中になると不安なのか、時々「クンクン クンクン」と泣き始める。 そうすると抱いて少し歩いたり外に連れ出してトイレをさせたり、なだめて隣で寝てみたり。一晩のうちに何度そうしていたことか。 そうして秋も深まる11月の昼間、眠るようにして亡くなった。
この子のことを想い出すと、小さな時、元気な時にくれたありあまるほどの楽しい想い出とともに、どうしても目が見えなくなってからのあちこちにぶつかりながら歩いていた姿も想い出す。 そうして、あの時目の手術をしてあげていたら・・・そう思う。 たった一つ、そのことだけはいつにになっても『ごめんね』と思う。
ウチの白わん
2003年01月22日(水)
ぼくは犬である。 正確には犬であった。 あったというのは、ぼくは既にこの世には存在しないからである。 しかし今でもこちらで犬をやっていることには違いない。
おぎゃ〜と言ったかワンと言ったか記憶は定かではないが、とにかくこの世に生を受けて数ヶ月は、ある老夫婦のところで育てられていた。ある時この夫婦が娘さんの所へ同居するために引越しをしなくてはならなくなり、その時に犬であるぼくを連れては行かれなくなってしまったために、何の因果かこの飼い主の所へ連れてこられたのである。 この飼い主とは、この部屋の主である。 余談だが、この部屋の主は鏡子という名ではないし、家族の誰かも胃弱のためにいつもタカヂアスターゼなんか飲んでもいない。 とにかく、この家に連れてこられて19年、犬の中でも長生きをした方ではないかと思う。
ぼくがこの家に来た時にはちょうど歯が抜け替わる時期で、乳歯がポロポロと落ちて新しい主は驚いていたが、それが乳歯だとわかると安心して元気な歯が生えて来るように、上の歯は縁の下へ、下の歯は屋根の上へと放り投げていた。 しかし実は、生後間もなく大きな病気をしたために、永久歯は永久に生えては来ず、新しい主がそれを知るのはもっと後になってからであった。
僕はトイプードルという種類の犬だが、プードルカットにしていた時間は意外と少なく、いつもこんな写真のようなヘアスタイルでいた。 何故ならプードルカットにした僕の様子は、その昔『細腕繁盛記』というテレビドラマの新玉三千代という女優が扮するヒロインの情けない風情に似ると彼女の10才上の兄たちが言ったからで、プードルカットにした僕はときどき彼女から、『新玉クン』とか『かぁよ〜』などと呼ばれていた。 しかし、実際の名前はロンである。 この名前は、ちい坊、ちゃん太、莉市、純ちゃん、などという候補の中から選ばれたものだが、返す返すもドラなどと呼ばれることはなくて良かったと思っている。
無題
2003年01月20日(月)
何かを書こうとして書くのが嫌になってしまうのは、語彙の少なさに辟易してしまうからだ。 しばらく書いていなかったからではなくて、書きたいことがないわけでもなくて、ただただ表したいことを文字に落としてみると、ちっとも表したいことでなくなってしまうから。
Raoul Dufy
2003年01月19日(日)
先週の日曜日、渋谷Bunkamuraのメトロポリタン美術館展へ。 この美術館はパリのルーブル美術館と並ぶ世界最大の美術館で、現代美術のコレクションまで所蔵しているという最先端の総合美術館である。 今回は特別に、その近代美術のコレクションの中から、パリが国際的な芸術の都として最も華やかだった1895年から1930年代までに焦点をあてて、名作絵画72点が展示されている。 ・・・というのは、パンフレットの受け売りで。(笑)
いわゆる、エコール・ド・パリの時代の、ピカソ、ルドン、ボナール、ローランサンなどなどの絵を見てまいりました。 絵は全て目の前50cm ほどの距離にあり、勿論ガラスケースなどにも入っていなくて、油絵の絵の具のボリュームといった所までがありのままに。 角度によっては、絵の具が反射して同じ絵が違ったようにも見えましたが、そこここで見慣れた有名な絵もこのようにして見るとまた印象が違っていました。 絵画には造詣が非常に浅く、というより何も知らないのですがどの作品からも圧倒的な表現力を感じました。
会場の出口にこの日展示されていたもののリトグラフが売られており、連れて行ってくれた方から記念に一枚買っていただきました。 この時、迷わず選んだのが、上の絵です。 Raoul Dufy の Dusk at La Baie des Anges,Nice - ニース、天使の入り江の夕暮れ -
青の色の美しさと、大好きなサンレモを想い出させてくれる大切な一枚です。
あれはどうかと
2003年01月18日(土)
数日前に旧正田邸の取り壊し作業が始まったが、地域の反対住民によって阻止され・・・というよりも邪魔されて中断してしまうという場面をテレビのニュースで見たが。 いやはやあれはすごい。 旧正田邸の木を切ろうとしている業者の人に向かってオバサンが、スピーカー&大声で 「アナタには祟りというものがないと思っているんですか!!」 「木には精霊というものがあるんですよ!!」
・・・。 気持ちだけは分からなくもないが、自分の言い分が通らなかったからと言ってそりゃないだろう。 木を切る人だって仕事なんだから、なんだかんだと言われても困るじゃないのさ。 大体、自分の言いたい事を正当化するために、霊だの祟りだのと説得力がないどころか墓穴掘ってるんじゃない? 塩爺さんも言ってましたが 「あんまりエゴイスティックなのはマイナスじゃぁ〜ないんでしょうかぁ〜」 だよねだよね。 大きなお世話だろうが、あの人のダンナもきっとどこかで汗水たらして働いてるんじゃないの〜?なんて思ったりして。 なんだか不愉快な場面でした。
こちらも久しぶり
2003年01月17日(金)
なんと先月から何も書いてない!(笑) このダイアリーを初めて見る方は驚かれるかも知れませんが、これは私がサイトを立ち上げてからずっとつけていたもので、別のサイトに置いてあったものをこちらに持ってまいりました。 同時にいくつかのメニューも一緒に持って来て、メニューの数がえらいことになってますが。
ページを作り始めてから、紆余曲折を経てこのような形になりました。 一時は全て同じ場所にあったのを分けてみたりしたんですが、サイトを2つって意外と疲れることが分かりまして(笑) これで落ち着こうかなと思っております。
今日はまだ、他のメニューやら手直ししなくてはならない箇所など見回りたいと思っております。 なんという走り書き! メニューをいじると動作確認で出たり入ったりしているんで、カウンターを1人で回してしまいましたね。(笑)
取り急ぎでした。
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