momoparco
  ++ 乱れ月 ++
2001年09月27日(木)  

 このところ晴天が続き空が澄んでいるので、夕方から夜にかけて綺麗な月が見えます。
 月の形は、日一日と変わり三日月から十五夜へ、そして少しずつ膨らみ始めて満月の予感が見えて来ました。

 先日、久し振りに見えた月に喜んで、思わず傍らの友人に
 「月が綺麗だねぇ!」と言ったら、
 「三つ見える。」ですと?

 【 乱視 】だったのかいっ!!

 贅沢な・・・。



  ++ 白い月 ++
2001年09月24日(月)  

 昨日、昼間の月を見ました。
 ひと月ぐらい先回りしたように気温は低く、そのせいでもないでしょうが、朝から空が抜けるように澄み渡り、気持ちの良い一日でした。

 夕方5時過ぎに何気なく空を見上げたら、ひょっこりと白い月がありました。
 空はまだ明るく曇りのない薄水色で、月の反対側には沈み行く夕日の名残りに淡い淡い曼珠沙華の色がありました。

 月は白く、空の明るさにまだ色は付かず、ふんわりと浮かぶ様は Innocent な繭玉を想い出しました。

 ものの一時間もしない内に日は落ちて、空は見る間に暗くなりました。
 秋の彼岸の空の姿は、薄水色から濃紺へのグラデーションがもう見えないほど日の落ちるのが早く、瞬く間に月は黄色く輝き始めました。

 雲一つない空はいつものようにまだらではなく一点の翳りもない薄墨色をして、そして月は暖かい光を放つ黄色いハンモックになっていました。

 障害物が無い場所に登り、今度は肉眼で見える星の数を数えてみました。
 360度の天空の星の数を数えるのは、視力が2.0に近くてもなかなか難しいものがありましたが、大小合わせて30近く見えました。

 この数は、満天の星を見慣れた人から笑われてしまいそうですが、なかなか遭遇出来ません。
 寝そべって眺めていると、未知の何者かと交信出来そうな気がして、野生(宇宙人)に帰ったひと時でした。

 横須賀上空に、旅客機とは明らかに動きの違う飛行機がニ機。
 地上の有り様を想い出し、地球人に戻りました。



  ++ 性同一性障害 ++
2001年09月23日(日)  

 男女の兄妹、男の子の双子一組、男女の双子一組、計6人の1歳から4歳までの子供と一緒に過ごす機会があった。みんな友人の子供たちだが、一部屋にそれだけの小さい子供がいるのはまるでワクワク動物ランドである。小さい子供は何となく小動物のようで、考えている事が分かりそうで分からず、次に何をするかも分かりそうで分からず、その動作が1つ1つ笑える。

  遊び方も男女それぞれに特徴があって、男の子の場合は太陽電池で動いているとばかりに全身を使って絶え間なく動き回り、ギリギリのところまで動いていたかと思うと次の瞬間にはもう寝ている。
 一方、女の子はぜんまいじかけで動いているように、少し動き回ってはじっと座って静かに遊ぶ。また少し動いたかと思うとまた大人しく座って遊ぶ。大人しくしている間にネジを巻いているようなのである。
 太陽電池とぜんまいじかけ。おおざっぱに言ってしまうと、動作にそのくらいの違いがあった。
 これはどうしてこうなのか、男女の性は遺伝子の配合で決まるから体つきがそれぞれ男女の特徴を持っているのは分かるとして、動き方がどうしてそうなるのか。
男とか女とか性が決まった途端にそのようなプログラムがインプットされるのであろうか?

 更にこの子たちが遊ぶのに、色んなおもちゃがばら撒かれた状態だと男の子は男の子向けのおもちゃに、女の子は女の子向けのおもちゃに吸い寄せられる。
 男の子向けというのは超合金で出来たロボットだの乗り物だので、女の子向けというと小さいお人形やおままごとなどである。まぁ、昔からそんなようなものでしょ?
 同じ日に同じ親から生まれて一緒の環境で育つ双子でも、男の子と女の子の興味は全く別方向に向いている。

  そこにいる親に確認したら、そうするようにと教えた訳ではない。
 おもちゃは与えたからそれが気に入ったのではなくて、気に入ったから与えたのだそうである。
 親がこうだと教えたわけではないのに、何故興味を持つ対象がこうはっきり分かれるのか不思議である。
 おすぎとピーコのような双子もいるから、この際親や環境は関係ないのかも知れない。

  男の子の体だけど女の子の気持で、或いはその反対で生きていても何の不思議もないではないか。
 体と感情が不一致な事を性同一性障害というが、多分本人は障害を感じず、むしろ自然な事なのだ。
 ただ、渡る世間において何かとやりにくい事がある、という訳で障害と名がついたのではないだろうか。

 良く考えたら失礼な話かも知れない。



  ++ 気ちがい水の飲み方 ++
2001年09月21日(金)  

 小さい子供の頃は親を通してしか世の中を見ないので、その時期に親から教えられた事にはある種の洗脳力があり、これはこうだと言われれば、そのまま鵜呑みにして物事の判断の基準にしていると思う。
 ある時期が来て自分の目で世の中を見るようになった時に、それは我が家の中だけの事であったのかと思い知る事がいくつかはあるのではないだろうか。
 
 そして、親から教えられた事が絶対的な事ではないと知り、自分なりに物事の判断の基準が変わって来る事があり、極端に言えば善悪の基準も変わって来るものではないか。

 私の父は酒は飲むが晩酌はしない人で、食べる時には食べ、その後で飲む(毎日ではないが)という生活習慣を繰り返していたので、食事の最中に食べる以外の動作をするのは我が家ではいけない事であった。
 子供の頃の私は今ほど食べる事に熱心でなく、時間が来て惰性で食事を摂るような所があり、その頃の味覚では白いご飯が美味しいとは思えず、美味しいと思わないから集中力も続かず、さりとて残すのはもっての他なのでよく食事の最中にボーとしてあらぬ方を見たりしていた記憶がある。
 すると、物も言わずにピシッっと父の箸が飛んで来る。
 食べ物を摘む方ではなく、柄の部分で箸か茶碗を持つどちらかの手を叩くのだが、いきなり来られるとこれが滅法痛かった。
 私の家では、食事中に会話を交わすのは良いが、途中で箸を置いて一休みしたりしたらいけない。
 つまり食べ始めたら食べ終わるまで、箸だの茶碗だのを置いて手を空ける状態というの不躾な事なのである。
 お茶やお水を飲むぐらいは許されたが、食べる事を疎かにしてはならないのだ。
 そのような状態で育ったので、当然私自身もそれこそが正しい食事の摂り方であり、世の中の常識であると信じて疑わなかった。

 中学生になった頃、仲の良い友人の家に泊まりに行った時に初めて見た”晩酌をする父親”の姿は私にとってはまるで晴天の霹靂であった。
 その家の家族や私はご飯とお味噌汁とおかずのある食事をして、彼だけはご飯もお味噌汁もなくおかずだけを小皿に取って少し食べては酒を飲み、また少し食べては酒を飲み、最後の最後にご飯とお味噌汁だけの食事が終わるまで、一体何度箸を置いたことか。
 私にとっては、『大人のくせになんて奴だ。』である。
 とにかくそのような行為はいけないとされていた事の集大成のような食べ方(飲み方?)は居汚いという印象しか受けず、平然としている我が友人や彼女の母が不思議で不思議で仕方無く、父上がおかしな事を言って笑わせてくれても私の笑いは顔が引き攣り目が泳いでいたはずである。

 母の場合は宝塚が好きで、歌劇場やその他の芝居を見にはよく連れて行ってくれたが、
映画館とは如何わしい場所として、映画を観に連れて行ってくれる事はおろか、誰かに連れられて観に行くのも良しとしなかった。
 そしてそれも子供の私はそういう物かと思っていたが、いつの間にかどこかで認識が変わり、今では一人で映画館へ行くのも平気である。
 母ではなく自分の目を通して物事への偏見が一つ減った事になる。

 しかし、酒の飲み方だけはどうしてもどうにもならない。  
 その後、友人の父上の飲み方を晩酌と言う事や、その行為を楽しむ人が沢山いて特別変わった事ではないらしいと知り、自分自身が酒を飲みに行くようになってからは、それは正しくない事ではないと認識はした。
 友人の父上様の事も今となっては、家族の為に働いて、夜のひと時のたりのたりと酒を飲むのが幸せなひと時だったのだろうと微笑ましく思えるようにもなった。
 しかし、それも遠くから想えばの話で、未だに私にはどうしても出来ない。
 そのような飲み方は、何故か食べ物も美味しくなくお酒も美味しくない。
 ましてや、目の前でちびりちびりをやられるとその躾の悪さ(ではないのに既にそう思ってしまう私がいる。)が気になって仕方がない。
 私の方が少数派で援護してくれる人も少ないだろうと思うにしても。

 そのような訳で、気のおけない友人と飲む時には問題ないが、どうしても避けられないそういった飲み方の会合に出る時には密かに腹ごしらえをしてから行くようにしている。
 酒の席で食べずに飲むのは通りが良いが、飲まずに食べるのは通りが悪いのだ。
 
 よく、自分は全く飲めないのに晩酌をする人と一緒に暮らして、
 「まったく、いつまで経っても片付かなくていやんなっちゃう。」
 などど言っている友人がいるが、私など絶対にやだねったらやだね、である。
 こういう偏った物の見方はどうにかしたいが、それは理屈を超えて生理的な感覚なのでどうにもならない。
 映画などは非日常的な行為だが、食事は毎度の事なので、骨の隋まで浸透するのだろうか。
 何故か私の兄二人は酒は飲むが晩酌はしないし、件の友人は今では大酒飲みの晩酌女である。

 
 先日ニューヨークのツインタワーに飛行機が突っ込んだ映像を見て、まるでお祭り騒ぎで喜ぶ国の人々の映像を見たが、その中に旗を振りながら同じようにはしゃぐ子供の姿があって、こんな事を想い出しちゃった。



  ++ An earthquake ++
2001年09月19日(水)  

 この所やはりニュースが気になって落ち着きませんね。

 今日は朝方の4時半頃に比較的大きな長い地震があり(震度4)目が覚めたのですが、揺れている間に色々な事が頭を駆け巡って怖かったです。
いつもは、目が覚める時にはもう地震だと悟っているのに、最近のあらゆる映像や情報が潜在意識の中で踊っていたようで、地震だと分かるまで時間がかかってしまいました。
測ってみれば大した長さではなかったのでしょうが、大変に長く感じました。

 あの、飛行機がビルに飛び込んだ映像や、ビルが崩壊する場面をテレビでは繰り返し繰り返し流していますが、小さい子供さんにはとても影響が大きいのだそうです。遊びやゲームの一部のように見えてしまったり、または大きな不安を感じて恐怖心を抱いたり(もっともな話だと思いますが。)何度も見せるのは良くないそうです。

 これから、もっと違った形で不安な映像が流れて来るようになってしまいそうですが、どうなのでしょう。

 気分を変えて・・・。足の小指の先を思いっきりぶつけてしまいました。
痛いーっ! (><。。)
内部から、破壊的な音が聞こえたんで、折れたかと思っちゃいましたが、それほどヤワではなかったようです。
それにしても痛いものですねぇ、靴を履いて歩くのなんて・・・。

 まぁ、それも楽しいお話でもありませんね。(笑)

今日も下のBbsが調子悪くて開きません。
時間が経てば直ると思いますが、ご迷惑をおかけします。

何か、全然まとまらない日記になってしまいましたが。 ^^;

 今日が良い一日でありますように。



  ++ 太陽の視線 ++
2001年09月04日(火)  

 掲示板にも書いたが、子供の頃は太陽がいつも私を見ていると思っていた。
どこにいてもいつ見ても太陽と私の視線が合うような気がしたのだ。
 太陽には目があるわけではないので見ているというのは感覚的なものだが、どうやってあの視線から逃れようかと色々試してみたりした。
 歩いていて、急に路地をクルっと曲がってみたり、駐車中の車の陰にササッとしゃがんでかくれてみたり、テレビの中の女刑事そのものの動き(のつもり)で機敏に動いては(つもり)太陽を見上げると、やはり私を見ていた。

 ある時、友達に「どうして太陽はいつもアタシを見ているんだろう。」と言ったら、その友達が「違うよ、太陽は、アタシを見ているんだよ。」と言った。
そこで二人で「私だ。」「私だ。」と言い合い、「ほら見てごらんよ、私でしょ。」「違うじゃん、私じゃん。」などど険悪なムードになったりした。

 何故か急にどちらからともなく「逃げよう。」という事になり、太陽を背に二人して走り出した。
走りながら振り返り振り返り太陽を見ると、どこまで逃げてもやはりこちらを見ているのだった。

 いつしかそんな事も気にならなくなり、子供の頃には出歩かない夜の時間に夜道を歩いていて、ふと見上げると月があった。
何気に月を見ながら歩いているうちに、月がいつも追いかけて来るような、太陽を見て感じた視線を思い出した。
夜道は暗いので、月がこちらをいつも見ているのは少しも怖いものでなく、どちらかと言えば安心感が湧いた事を覚えている。

 子供の頃に感じた太陽の視線は、安心感というよりも、”見張られている”ようで少しだけ怖い気がした。

 あの頃は、好奇心旺盛で良いか悪いかの区別も分からず、色々な事をしでかしては怒られていたから、何だかは分からない何かがバレるのを怖れていたのかも知れない。
子供なんてそんなものじゃないだろうか。
あの時一緒に逃げた友達も、きっと同じようなものだったのだろう。

 昔の子供って純情で可愛かったね。
 注:昔というのは、私が子供だった頃の事である。(笑)

 今は太陽がこっちを見てるなんて思う小学生はいないだろう。
何しろ昔に比べると今の子供たちの情報量というのは500倍だそうだから。
色んな事を知っているし、自分が子供の頃のつもりで接すると笑われてしまう。
それが幸せかどうかは分からないが、それが当たり前なのだろう。

 昔は知っていても大人の前では言ってはいけないような言葉があって、意味がわかっていても分からない振りをしたりして、子供は子供なりに分を守っていたものだが、最近の子供はませた事を平気で口にするし、うっかりすると馬鹿にされている。

 しかし、少し大きくなった時にどのくらい大人度が上がっているかというと、中身は意外に幼く純情ではないのに赤ちゃんなのでびっくりする。

 太陽の視線を感じて、うしろめたい事をしていないかどうか、ビクビクしていたのはちょっと幸せだったように思う。




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