2005年03月30日(水)  日比谷映画・みゆき座閉館巡礼


有楽町にある「日比谷映画」と「みゆき座」が閉館になるので最後の巡礼をしてきた。ついでに、開館当時(1957年)の入場料金300円で映画も観てきた。
観たのはキューブリックの『博士の異常な愛情』。
閉館まぎわの古い劇場で観る白黒映画にグッドチョイスだとひとりほくそ笑むわたし。
わたしはこの映画はいつも途中で寝てしまうので、まともに観られた試しがない。おもしろくないわけじゃないんだが、あの巨大な円卓で(これがいかにもキューブリックらしい)、官僚たちが会議をしているシーンあたりで一気に睡魔が襲ってくる。また長いんだ、このシーンが。まあそれでも最後には話の内容がわかってしまうので、この映画のメッセージがいかに単純なものであるかわかる。
ピーター・セラーズはこの映画のなかで3役をこなしており、その天才的な成りきりぶりに改めて感激してしまう。

また、感慨深いものがあったのはやはり観客層で、明らかに、若いときここに通い詰めたのであろう年代と、わたしのようなシネフィル族がむらっとやってきて、平日の昼間なのになかなか不思議な盛り上がりがありました。

両館閉館に伴い、近辺の劇場の名称が多少変わるようですので、いちおうここでに書き留めておきます。

現在の「日比谷スカラ座2」が「みゆき座」に
「日比谷スカラ座1」は「日比谷スカラ座」に
「ニュー東宝シネマ」は「有楽座」に変更になります。



最後の姿を記憶にとどめようと、カメラを手にして来ている人多数。
名前が残るとはいえ、時代の流れを強く感じるこの頃。


2005年03月26日(土)  花粉症ブルース


今朝、洗顔クリームで歯みがきを、
歯みがき粉で顔を洗おうとしていた。
花粉が飛ぶ時期はいつもとなにかがちと違う。

普通だったら、朝ごはん食べずに出かけるときでも
今の時期は薬を飲むために朝ちゃんとお腹に入れるようにしている。
一年中花粉だったら、わたしの食生活も規則正しくなるかも。

でも薬を飲んだら飲んだで、
こんなところで寝ちゃいかん場面で、ふと意識を失いかける。

この間なんか、職場での作業中、
カッターナイフで紙を切っているときに眠くなった。
その時、このまま寝たら指切るなと思った。

先日、下りのエスカレーターに乗っているときにふと睡魔が襲った。
その時、このまま寝たら落ちて死ぬかもと思った。

今日映画を観ている間に、自然と頭が垂れてきた。
その時、今寝たらお話がわからなくなるなと思った。

それでもイヤなことばかりじゃない。
今の時期に、田舎にいる母から毎年、
日向夏(ひゅうがなつ)が送られてくる。
皮以外は、袋とか渋皮とかぜんぶ食べられる柑橘類で、
中身はとろとろ甘酸っぱい。
1個2個、いっぺんにいけるまったくもって美味な果物。
それでもジューシーな果汁は、
翌朝、鼻水となって流れ出てしまうのがもったいない気もする。


2005年03月20日(日)  嘘をついた男


嘘をついた男ニコル・ガルシアによって映画化され、2002年のフランス映画祭でも『見えない嘘』という題名で上映された映画の原作。
著者はエマニュエル・カレール。彼はフランスでも著名な作家で、95年に(フランスにて)発表された『冬の少年(原題:LA CLASSE DE LA NEIGE)』は、フランス文学賞のひとつ、フェミナ賞を受賞。この映画も同名で映画化され、やはり99年のフランス映画祭で上映された。後に、『ニコラ』という邦題で一般公開されているのでご存じの方もいるのではないでしょうか。

実はわたしは、この本を読むまで、この『冬の少年』がエマニュエル・カレールの書いたものだとは知らず、そう言えば、心の奥深くにある「闇」をテーマにしたこの話は、『嘘をついた男』に出てくる主人公(実在の人物)に共通するものがあるなあと改めて気がつきました。『冬の少年』に出てくる少年は、まさに嘘をついた男の幼少時代の心を表現したものだったのですね。

偽医者として親族友人を18年間も騙しつづけた男ジャン=クロード・ロマン。収入源は、人の善意を利用し、だまし取ったお金。最終的に彼の選んだ道は、妻に子ども二人、両親を殺害し、自宅に火をつけること。そして自らも命を絶とうとするが未遂に終わる。事件後、彼の正体が明らかになるやいなや世間・マスコミは大騒ぎ。作家エマニュエル・カレールは、この男の「頭のなかにあるもの」に興味を持ち、獄中に居る彼に手紙を書きはじめる。膨大な資料を読み、裁判を傍聴し、7年の歳月をかけて1冊の本をしたためた。
映画を観たときもショッキングだったが、映画でいうならば、いささかドキュメンタリーともいえるこの本は、そのほとんどが事実に基づいて描かれているので驚かされることばかり。人が四苦八苦して何かを創造したとしても、こんなすごい事実を知ってしまったら最後、創造することに限界を感じるのではなかろうか。というか、本当にこの話は嘘みたいだ。

原題は「L'Adversaire(敵)」
心のなかに「敵」を宿した男。男はその敵を隠すために「嘘」をつく手段を選んだ。しかし、彼にとって敵とは、本当は、とうの昔に「心」をなくした彼の実体そのものかもしれない。フランスでは死刑が廃止されているので、いくら残忍な行ないをしても死でもって罪を償うことはできない。判決で無期懲役を言い渡された彼は、獄中生活に問題なければ2015年(61歳)に出獄する予定になっているらしい。

ロマン事件の詳細はこちら(フランス語のみ)


2005年03月16日(水)  夜明けの空、寝言をいう猫



あっというまに10日経っちゃいました。更新してなくてすみません。
ちょっと税金の計算なんかしてましてね。忙しかったんです。
やっとあったかくなってきたましたね。
そろそろ寒い冬も終わり。朝まだちょっと寒いですが、厚手のセーターなんかもういらねえ。確定申告書は先週末に郵送したし、今月やることといったら、あと運転免許証の更新・・ て、今月誕生日なんです。こんなわたしでもいちおう車を運転できるんですよ。といっても、免許取ってから実際に車を運転したのは数回こっきり。文字通りペーパードライバーです。今はもう身分証(ずいぶん高い身分証だこと)と化してしまって・・ うぅなさけない。でも捨てるのもったいないから、行ってきます。更新に。

数日前、朝方、「ひやぁ〜〜〜」「ふわぁ〜〜」という声で目を覚まし、何の声だろう?と思って起きて周りを見てみると、布団の上で伸びてる居候猫の両手両足がぴくぴく、口の周りのヒゲもぶるぶる。
やがてまた「ふぅ〜〜」という声が聞こえ、怪しい声の主はわかった。
喧嘩した夢でも見てるのだろうか。それとも、ごちそう横取りされた夢でも見てるのだろうか。アンドロイドは電気羊の夢を見るか? という本はあるけど、ノラネコは狸の夢は見ます。

まるさんのブログでおもしろいことが書いてあった。
長い間、犬や猫を飼っている人ならご存じの方もいるとは思いますが、危険(?)なキャットフードの話。市販のキャットフードからお手製のエサに変えたら、今までごわごわしていた毛並みが羽毛ふとんのようにふかふかになり、万年肥満も解消されたというから驚き。飼われているワンちゃん猫ちゃんの肥満にお困りの方は、「お手製のエサ」試してみたらいかがでしょう。

うちの居候猫は、ノラ飼いしてるので今のところ肥満の問題はないんですが、病気はいやですね。できればいつも健康でいて欲しいです。人間みたいに癌にかかる猫もいるとかで。
これ、どこかで読んだんですが、猫という動物は自然治癒力がそなわっており、病気にもかかりにくい動物なんだそうです。それでも現代の猫ちゃんたちは、自然の環境から離れて育っているので、やはり人間と同じような病気にかかったりするそうな・・。時間がないときは仕方ないけれど、わたしも「お手製エサ」挑戦してみようかナ。というか、うちの猫、魚好きなので、サンマ一匹焼いてあげればすむことなんですけどね。


2005年03月05日(土)  また言い訳めいたことを(終)


最初から読む

昨日の雪は、前日の夜から朝にかけて降っただけで、“大雪”なんて言われていたわりには積もらなくて残念。朝起きたとき外がまっ白な雪野原だったので「今夜は雪だるまだ!」と(食べるんじゃないぞ)喜んだのもつかの間、あっという間に溶けてしまいました。

もう春だな。



そう言えば、雪野原の中を歌って踊るミュージカルとかありましたかね?
雨の中をばしゃばしゃやるのは知ってますが、ずぶ濡れになりながら歌うよりは雪の中を転げ回って雪だるまになった方がかわいらしい気もするんですが、どうでしょう。ロシアが舞台の「屋根の上のヴィオリン弾き」はどうだったかな。

前回の続きです。


当然のごとく、わたしは前知識なしで『オペラ座の怪人』を観たわけだから、アンドリュー・ロイド=ウェバーなんて人が製作していたなんて知るわけありません。家に帰ってネットで調べたら、やはり、この人は『ジーザス・クライスト・スーパースター』を作った人だったのですね。というか、『エビータ』とか『キャッツ』なんかも手がけている人なのね。知らないって、こわいことだわ。

『ジーザス・クライスト・スーパースター』は、当時わたしは「映画」として観に行ったのではなく、どちらかと言うと、ロック好きの流れで、ロックコンサートに行く感覚で観に行った覚えがあります。“ロック・ミュージカル”といううりだったのですね。
年代的にみるとガキの頃なんですが、ガキだったからこそ、この映画の強烈なインパクトはけっして忘れるものではありません。後に、マグダラのマリア役になったイヴォンヌ・エリマンのレコードなんかも買ったりして、かなりはまっていました。たぶん2回ぐらい観に行ったんじゃないでしょうか。

んで、『オペラ座の怪人』でなぜこの映画を思い出したかというと、ファントムの歌い方がロックっぽいんですよ。訴えるような色気のある歌い方、音の取り方、またときどき、こぶしを利かせていたりして(演歌か?)、歌のレベルからしたらたぶん、ファントムはクリスティーヌやラウルより落ちるのでしょうが、だからこそ、わたしのような普段オペラに親しんでいない人間にもすんなり入っていけたという感じです。このファントム役の人は昔ロックバンドで歌っていたというから納得。あの怪人メイクも、グラムロックの化粧だと思えば不思議じゃない。この映画の成功は、意外にもこの人の魅力かもしれないなあなんて思ったり。

ロック・ミュージカルの映画では『トミー』とかもあったりするのですが、こちらの方はどちらかというと、“ザ・フーの映画”といった印象が強く、彼らの音楽がダメな人にはダメでしょう。ザ・フーもまあまあ聞いていたのでこっちの方も劇場で観ましたが、わたしにとってはやっぱり『ジーザス・クライスト・スーパースター』がミュージカルの最高傑作で(そうでないとは言わせん!)、『オペラ座の怪人』がいくら良い映画でも、これに勝るものではないでしょう。

あと、最後になりますが、『オペラ座の怪人』のクライマックスともいわれるマスカレードのシーンですが、これはわたし的にはダメでした。
たぶんこの辺が、ミュージカル好きと苦手人間とに別れるような気がします。このシーンは華やかで音楽もよくて衣裳も素晴らしく、いかにもという感じなんですが、ひねくれ者のわたしは途中でうんざりしてしまって、もういい加減にせい・・とか・・思ってしまいましたよ。


『オペラ座の怪人』感想はこちら


2005年03月03日(木)  また言い訳めいたことを(2)


最初から読む

音楽の話ついでに書いてしまいますが、ロック熱が一段落したあとに聞きはじめたのがジャズなんですけど、これはその頃住んでいた環境によるところが多かったです。というのも、当時は、都心のど真ん中に住んでいて、建物の(アパートとは言わん)屋上に登ると南新宿の摩天楼がきれいに見えるところにいたのでした。

今はもう嫌煙家ですが、当時はかなりのヘビースモーカーで、吸っていた煙草もロングピース。香りがいいのよなんて、知ったかぶりなことを言いながら、わたしの周りには常に煙が漂っていました。
そんなわたしが夜になると、毎晩のようにカセットデッキと煙草を持って屋上に登り、摩天楼の夜景を見ながら友だちといっしょに音楽を聞いたりしてましてね。いやもう、なんというか、夜空にぼぅと浮かび上がる摩天楼を前にして聴くマイルスとか、クリフォード・ブラウンとか、エルビス・ジョーンズとかはもうこのまま屋上から飛び降りてもいいと思えるほどよかったです。ジャズというのは、都会の音楽なのですね。富士山の大自然をみながら聴く音楽ではないのです。都会も、整然と区画整理された都市ではなく、混沌とした都市。新宿にジャズライブの店が多かった(過去形にしとこう)というのはある意味理にかなっているのです。

余談ですが、当時わたしの周りではペットにミュージシャンの名前をつけるのが流行っていて(今でもそうなのかなあ)、ある友だちの飼っていた猫が「ジャコ」という名前だったんですが、もちろんこれは、ちりめんじゃこじゃなくて、ウェザー・リポートのジャコ・パストリアスからきてます。
そしてもう一人の友だちの飼っていた犬が「リック」。今でこそリックというと、映画『カサブランカ』を思い出すのでしょうが、当時はそんなオサレなこと考えるやつなんていません。イエスのキーボード奏者リック・ウェイクマンです。そんなやつ、知ってる人は知ってるが、知らん人は知らん。その犬、長髪だったんです。といえば気がつく人もいるかもしれん。

そしてわたしの飼っていた猫は「しょうへい」。男の名前です。音楽好きのくせに男の名前つけて、風上にも置けないやつでした。それでも男同様、その猫が5年目にしていなくなったのは、名前のせいではないと未だに信じております。

えーと何の話でしたっけ。あ、ミュージカルだったですね。


閑話休題(2度目)


というわけで、普段から“ミュージカル”と名の付く映画には足も運ばないわけですが、たまに、評判の良さそうなのは観に行ってみたりするわけで、あとお気に入りの役者見たさとか。そしてついこの間も『オペラ座の怪人』を観てきました。と、ここにきてやっと本題に入ったわけですが、長かったですね。ここまでくるのに。

映画は、悪くはないと言っちゃあ失礼なんですが、意外によかったんです。けっして両手上げて絶賛するような代物じゃありませんが、少なくとも見ている間恥ずかしくはなかったです。音楽が良いというのもあったんですが、それ以上に、わたしの中で懐かしい思いがふと沸きあがってきて。

ん、これはどこかで聞いたことあるぞ。どこだったかな。わたしはこのオペラ座の怪人の舞台なんか見たことないし。いやそういう問題じゃない。このフレーズ、リズム、歌い方・・ ファントムが歌い出したとき、オペラというより力強く、歌うというより叫びに近い。むむ・・これは昔観た『ジーザス・クライスト・スーパースター』ではないか? と気づいたら最後。映画を観ている間中、キリストやマグダラのマリアの顔が、クリスティーヌとファントムの顔に重なってきた。


つづきを読む


2005年03月02日(水)  また言い訳めいたことを(1)


今日は猫の話ではありません。写真もありません。

ねこたまサイトに長い間おつき合いいただいている方はご存じだとは思いますが、このサイトの管理人は(わたしのことですけど)ミュージカルが大の苦手。
別に音楽がきらいというわけではなくてですね。いえ、音楽は、ジャンルにもよりますがとても好きな方なのです。小学校高学年ごろから“うるさい音楽”を聞きはじめ、中学に入ってすぐできた友人が無類のロック好きというのもあって、二人でハマっておりました。高校1年のとき、友だちとロックコンサートに行って帰りが遅くなり、父親に勘当されたこともあります。(門限過ぎたのが気に入らなかったみたい)

子どものとき、はじめておこずかいで買った「レコード」がビートルズ(どれとは言わん)。姉がおとなしめの正統派の音楽ばかり聞いていたのに対し、わたしはちょっと反抗派。ビートルズからすぐストーンズに流れたというのもありますが、部屋にこもって大音量でがんがん「レコード」かけて、何度父親に叱られたことか。わたしと父親はその頃から常にディスカッションしながら生きてきたわけです。「もうちょっと音を小さくして聞けんのか!」という父に対し、「小さい音で聞くのは音楽じゃない」とか、わけわからんへ理屈をこねてここまで泳いできました。

まあそんな父も今は他界し、わたしもディスカッションする相手がいなくなったのでおもしろくなくなり、映画に嗜好を変えたわけです。というのは嘘ですが、あそうそう、ミュージカルの話でしたね。

閑話休題。


わたしがミュージカルが苦手なのには、いくつかの理由があります。

・演技しながら上手く歌うやつは許せん(天は二物を与えるな)
・歌が歌えないのにミュージカルをやるな(吹き替えはダメ)
・唐突に歌って終わる不自然さにふと顔が赤らむ
・一生懸命歌っていればいるほど、しらけてくるときがある
・屈託のない明るさが苦手
・みんな揃って踊るのが気持ち悪い
・普段はうまい演技も、歌が入るとなぜかわざとらしくなる


とまあ全部あげればキリがないんですが、要するに「相性」の問題ですね。
たぶんアングラ系のわたしは、お天気系が合わないみたいです。

でもそんなこと言いながらも、中には許せちゃうのもあって、インド映画なんかはその良い例。みんな揃って踊るのはインド映画の定番みたいなもので、これがなかったらインド映画を見た気がしない。インド映画が大丈夫な理由は、彼らがインド人だから・・(て、なんだ?)
演技もコテコテなら歌もコテコテ。ここまでくれば好き嫌いの問題じゃない。
スパイスだけであんなに旨いカレーを作ってしまう人たちに逆らって、どうする。
歌も踊りも、真面目にやってるようで実はふざけてるんだろうという気がする。
だからインド映画は、ミュージカルではなくてコメディなのだ。

思うに、わたしにとって音楽というものは「耳」から入ってくるもので、どちらかというとビジュアル的なものではなく、舞台やライブなどの「生」で聴くもの以外は耳が中心。それをミュージカルというものは、見せる方にも力が入っているものだから、こちらとしては、こんないい音楽に不自然な“振り”つけて何やってんの?てなことになる。

あ、そういえばわたしは、アイドル歌手(←死語?)がTVの歌番組の中で、かわい子ぶって振りつけて歌うのも好きじゃないんだわ。

つづきを読む


 前の日    次の日

MAILchat gourmand X

Copyright 2000-2009 nekotama club All rights reserved.

リンクは自由に貼っていただいてかまいませんが、
記載内容の無断転載はお断りいたします。

My追加