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2003年08月30日(土) 体からの進言。●孤独の歌声(天童荒太)●子どもの王様(殊能将之)

●朝起きて、シャワーを浴びて、体中に赤い発疹が出ていることに気がつき、一気に血がひいていく。(……何、これ?)
 伝染るものだったら仕事場に行けないので、遅れる旨電話して、病院へ。

 診断は、胃腸障害かストレスによる発疹。

 ……ストレスと、わたしは即刻自己診断。

 この間の心臓の発作も、プロデューサーに「わたし、ストレスがたまると、よくなるよ、それ」と指摘されたばかり。
 わたし、そんなにストレスばっかり後生大事に貯めていたんだ……。

 ストレスたまるでしょう?ってよく聞かれるけれど、わたしはいつも「それほどでもないよ」と答える。ストレスためてる現代人って、いかにもって感じでかっこわるいと、わたしは思っているからだ。
 だから、苦労や空しいことが多い現場でも、いいことばっかり探そうとする。何か素敵なことを見つけようとする。
 でも、社会である限り、やっぱりどうしようもないことはあるわけで、確かにわたしはこのところ、とっても心が疲れていた。

 で、体が進言してきたわけだ。「あんたストレス貯めこんでるよ。気ぃつけた方がいいよ」と。

 わずらわしくなって、このところここには書かなくなったが、恋人とA氏の間での軋轢は続いており、それもまたストレスになっているに違いない。
 そして。こうして、不調に泣いていても、A氏に連絡を取ろうとは思わない。もう長らく電話もしていない。無償の優しさに包み込まれて緊張の糸が解けると、わたしは闘いに負けてしまうような気がして、ひとりで頑張っている。
 人に優しくされすぎると、優しさと引き替えに自由を奪われそうになると、逃げたくなる……それも、わたしの性、natureだ。いつも、どこかひりひりとして生きているのが、結局好きなのだろう。

 と、これは、昨日、ベッドで読了した本を読んで考えたこと。

●それにしても、自分の体が目に見えて不調なので、どうしても気が沈みがち。これしきで沈むのは悔しいので、なんとか自分を鼓舞して1日過ごした。明日は待ちに待ったお休みなので、朝の目覚めを気にせず、5時までかかって、また1冊読了。
 


2003年08月29日(金) 深夜の観戦。

●疲れがたまって、帰宅後ベッドに倒れ込むように寝てしまう。暑さに目が覚めたのが午前3時過ぎ。エアコンをかけながら、世界陸上200メートルの決勝がそろそろであることを思いだし、テレビをかける。
 末次の走りに、深夜、シンプルな感動を覚える。
 現在の仕事に、心身共に疲れ切っている自分が情けなくなる。 
 もっと軽やかに闘えないものか?

 でも、複数の人間の寄り集まった社会で闘っていることのもたらす辛さもあれば、喜びもある。小さな喜びをエネルギーにして、社会にままある「心なさ」と闘っている。


2003年08月28日(木) "It's my nature."〜性(さが)●美しいこども(石田衣良)

●世の中には、遅刻することが平気な人と、遅刻するのが嫌な人の、2種類いる。
 厳しいスケジュール調整を一手に担っていて、この、遅刻するのが平気な人に、どれだけか悩まされている。
 わたしは、残念なことに、遅刻するのが大っ嫌い。損な役回りばかりだけれど、これは一生変わらない。

●「クライング・ゲーム」という映画の中に、面白いエピソードが出てくる。IRAの戦士に捕虜にとられた英国人が、囚われの身から解放されようと戦士に語りかける、ちょっとしたおとぎ話。

 深い川を前にしたカエルに、サソリが話しかける。
 「カエルくん、僕をおぶって川を渡ってくれないかい?」
 「でも、サソリくんは、おぶってあげたらきっと僕を刺すだろう?」
 「刺すわけないじゃないか。だって、刺したら君は溺れて、僕も溺れてしまうんだから」
 そしてカエルは、サソリをおぶって川を渡り始める。向こう岸を目の前にして、サソリはカエルを刺す。
 カエルが溺れながら言う。
 「サソリくん、どうして僕を刺したんだい? 君も溺れてしまうのに………」
 「それは、これが僕の性(さが)だからさ……」

 わたしの記憶の中に住んでいるお話なので、映画どおりの台詞ではないが、とにかく、そういうお話。最後の台詞の原語は確か、
 "It's my nature."だった。

●たくさんの人間と長時間を共に暮らす仕事をし、たくさんの本を読み。
 そんな暮らしをしていると、この「性」というやつのことを考えることが多い。
 自分の性。
 他者の性。

 昨夜、石田衣良の小説を読み終え、ベッドの中で、逃げられない、自らに植え込まれた性に泣く。そしてまた、重松清の「疾走」のことを思い出す。
 自分からは、死ぬまで逃げることができない。ずっとずっと、この自分とつきあっていくしかない。
 だから、せめて自分からは逃げないで、生き抜くだけだ。なんとか、この自分と。


2003年08月26日(火) 健康に留意の暮らし。

●1日1日、やるべきことを為す。ただそれだけの毎日。このそれだけが、いたって大変。
 この2日、11時から22時の稽古時間、煙草の1本も吸えず、食事も出来ず。わたしは今まで、恵まれた仕事をしていたんだなあ。そりゃあ今までだって大変だったけれど、能力とやる気のある人間が集まっていた。……お金のないカンパニーは先ず人を削る。そのしわ寄せが、わたしにきているわけだ。でも、どんな状況であっても、幕は開ける。幕というのは、開けるためにあるものなのだ。

●先日の心臓痙攣がマジに怖かったので、このところは健康に留意して暮らしている。忙しくっても、朝ご飯をちゃんと食べ(仕事中に食べられないから意地でも食べる)、忙しくってもちゃんとお風呂につかり、読みたい本の続きをちょっと我慢して、早めに目を瞑る。栄養補助剤を摂り、寝る前に軽くストレッチ。そして、お酒はしばらく我慢。
 と、なんだかやはり、調子がいい。しばらくはこの暮らしを続けてみよう。歳をとってくると、たまに不良であることを楽しむためにも、健康でいなきゃあならんのだ。




2003年08月24日(日) 陽の目を見たい若者たち。●二十一世紀最初の戯曲集(野田秀樹)

●それにしても、このところの業界のモラルの低下は甚だしい。
 仕事を受けておきながら、後になって、どんどんNGを出してくる。最初から分かっていれば、絶対キャスティングしないようなNGの数々。
 タレントを使い捨てにしてしまう事務所のやり方、馬鹿ばっかりのマネージャーたちに、腹を立て続けている。このところは、腹を立てるだけではなく、どうあるべきなのかをちゃんと説くように心がけている。何がどう間違っているかを伝えるようにしている。馬耳東風であっても、片腹痛い思いを少しは味わっておくべきだ。

●どんどん現場は、情報飽和状態になっていく。問題も山積みで、何から手をつけていいやらという感じ。こういう時は、地道に一つずつつぶしていきながら、全体を見渡し続ける意識を忘れないように過ごす。自分が全体をしっかりと把握しておかなければ、何かが零れていくのだという責任感で、気の休まる暇がない。

●帰り道、11時までやっている本屋に寄り道して、しばらくは持つだろう量の書籍を購入。忙しくっても、最近はネットのメール便配送で買えるのだが、やはり本屋に我が身を置く喜びは代え難い。
 今夜は、なるべく早くベッドに入り、新しい物語の扉を開こう。でも、このところ書き続けていた感想など、まったく書く余裕なし。ただただ、自らを喜ばせる読書のみ。

●今までの夏不履行を取り返すような、猛暑。でも、お陽さま好きのわたしは嬉しい限り。これを素直に喜べなくなったら、わたしの人生も寂しくなるだろうな。
 それにしても、今年の蝉はかわいそう。
 長い長い間スタンバイして、ようやく本番がこれでは……。彼らの燃え切れない夏に同情。
 わたしがそんな話をしていたら、若いダンサーの男の子が、「他人事じゃないっすよね、やっぱ陽の目見たいっすからね」と眉間に皺を寄せていた。その姿に笑いながら、自分の経験で助けてあげられることがれば、何でもしてあげたいと思った。
 しんどい毎日でも、そんな前向きな若者たちが、今のわたしを支えているのかも。


2003年08月23日(土) 12年前に見た映画。

●ちょっとした雑事をすませただけで、ただただ、疲れを癒す休日。

●昨夜は、体調を心配して恋人が我が家を訪れた。しばし共に過ごす。彼は今朝、仕事で海外に飛んだ。3週間は会えない。
 この夏に起こったことすべての帳尻をどこかで合わせていかなければならないと知ってはいる。
 両親は、A氏と結婚しなければ勘当だと言う。諦めてでも、結婚してほしいと言う。でもそれは……。
 今は仕事に忙しいことを理由に、黙って暮らしている。A氏にも1週間連絡を取っていない。でも、大人はごまかせても、GOのことを考えると、何があっても、正直になれねばならないと感じてしまう。

●テレビでやっていた「ゴースト・ニューヨークの幻」を見る。
 20代の終わりに、新宿の映画館で、当時一緒に暮らしていたボーイフレンドと共に見た。別れた今でも、深い愛情を持っている人だ。
 確か、お互いに仕事のない日で、先ずは「シェルタリング・スカイ」を見たのだった。で、わたしがその内容にあまりに辛くなってしまい、見終わっても苦しくて涙が止まらない様子を見て、彼が続けて「ゴースト」を見ようと誘ってくれた。彼はニューヨークですでにこの映画を見ていて、「これを見たら、違う涙が流れて、気分が楽になるはず」だと思ったらしい。
「ゴースト」を見ている間、ずっと、自分の隣に彼がいることを感じ続けていた。それだけで生きてることを喜べる映画だった。
 映画の後は、シェルタリング・スカイのサントラを買い、ホテルの喫茶室でお茶を飲み、映画の話をし、一緒に家に帰った。
 その後、彼と心がすれ違うようになった時、わたしはシェルタリング・スカイのサントラを一人でよく聴いた。
 2年後、彼と別れることになるまで、本当によく聴いた。

 40歳過ぎにして、純愛映画にまた泣く。
 
 それにしても、映画を見るという行為は、どうしてこれほど記憶に残るのか。たとえ内容を忘れても、どんな時にどんな場所で見たか、わたしは克明に覚えている。
 しばし、かつてのボーイフレンドのことを考える。
 そして、そろそろ飛行機を降りる頃であろう恋人のことを考える。
 どうしようもない愛情がある。

●洗濯物があっという間に乾いていく。
 今年はじめて「ああ、これが夏だ」と思い出させてくれる1日だった。


2003年08月22日(金) 心臓の反乱。

●仕事後、つまりは深夜、恋人と軽く食事をし、お酒を飲んで、眠る。午前4時頃、目覚めると仕事を続ける彼の背中が見える。と、心臓の辺りが熱いことに気づく。眠っていたというのに、走りすぎて心臓が圧迫され息があがった時のような状態になっている。
 しばらく、心臓が痙攣を起こし、わたしも、彼も、不安になってしばし過ごした。少し落ち着いたと思ったら、息苦しさがまたぶり返し、少し落ち着いたら……の繰り返し。
 そうこうする内に朝になり、仕事が朝早いわたしは、とりあえず自宅に戻る。タクシーの中でも息苦しい。家までつきそうと言ってくれた彼をとどめたことを少し後悔する。
 家にたどり着いて荷物を整え、着替えて、臨海地区にある現場までタクシーで。7,8千円はするだろうと思われたが、今日の仕事のために、わずかでも眠りを買いたかった。

●心臓の痛みは少しずつおさまり、ユンケルを飲んで、しばしの力を得、妙なハイテンションで1日を終える。
 わたし、疲れているんだ。

●明日はお休み。少し休まなければ。休まなければ。

 


2003年08月20日(水) Are You Lonesome Tonight?

●いやはや、大変な仕事を受けてしまったものだ。毎日そんなことを書いているが、毎日そんなことを思っているわけで。
 歩いている時も、家にいる時も、「あ、あれをああしておかなければ」「あれは、こうしておいた方がいいな」「やばい、あれはすぐにもこうしなければ」なんてことを考えており、おかげで、日常生活に様々な破綻をきたしている。
 新しいメトロカードを買って、改札機に突っ込み、抜かずに電車に乗ってしまい、降車時に改めて電車賃を払うこと三回。千円券が2回。3千円券が1回の損失。……考え事をしないで歩く、というのが、このところのわたしの課題だ。

●今の現場は、若い子がとっても多くって。で、久しぶりに、若い奴ら、いいじゃないって思わせる奴がいたりして。つまりは、大人や仕事に飼い慣らされてないってタイプの子たち。
 その一人が、踊るとき、妙な美意識を見せる。
 ボクサータイプのブリーフの、ロゴの入ったゴムの部分を、どれだけ、どの振りの部分で見せるかということに、かけている。(というように、わたしには見える)
 20歳そこそこの、そういうこだわり、そんな主張、わたしはものすごく愛せる。可愛くって仕方がなくって、その幼いセクシャリティーに、だまされてあげてもいいって気になったりする。(現実的にはありえないけれど)
 まあ、大変な現場ほど、そういうどうでもいいことに喜びやら楽しみを見いだしてしまうのだな。

●昨夜、仕事で遅く帰ってきて、なんとなくNHKをつけていたら、「歌のアルバム」ってのを延々やっていて、プレスリーの「Are You Lonesome Tonight?」が聞こえてきた。
 この曲の邦題、確か、「今夜はひとりかい?」だったと思う。
 「寂しくないかい?」ではないところが、突然、わたしの心をぐぐいと動かす。
「今夜は一人かい?」と聞かれて、始めて、二人の夜もあることを思い出す。そして、その一人の欠如が、「寂しい」ということなのだと思い出す。
「寂しくないかい?」と聞かれたら、「寂しくなんかない」と答えられるのに、「今夜は一人かい?」と聞かれると、「そうね、二人じゃない」と、答えざるをえなくなるのだ。

 わたしは、そのとき、二人ではなく、一人だった。
 一人であることが寂しいのではない。
 一人が欠けていることが、寂しいのだ。

 一人、プレスリーの問いかける歌声に、胸を震わせる夜。

●仕事帰り、恋人と待ち合わせ、お酒を飲んで帰った。
 さっきまでは二人でいて、今は一人だ。


2003年08月19日(火) 忙し過ぎるってのもねえ……。

●ぎゃーって、叫び出したくなるほど、忙しい。
 朝8時に家を出て、帰ったのは2時。……16時間労働。しかもほとんど休憩なしに、ぱんぱんに。食事は、深夜の打ち合わせをしながら、まさにしながら、デニーズで食べた1食。……いいのだろうか、こんなことで。
 しかも、プロダクションは、完全に赤字が見えていて。わたしのギャラなんて出るかどうか分からない。それでも、これを生業とするわたしは、幕を開けなければいられない。で、死にものぐるいで働く。……いいのだろうか、こんなことで。

●明日も朝が早い。早く寝なきゃいけないのだけれど、これだけ長時間働き続けると、心と体の興奮が冷めなくて、いつもなかなか眠りにつけない。
 昨夜からのベッドの友は、星野道夫氏の「魔法のことば」。
 星野さんが講演会などで語ったことばを、そのまま起こしたもの。稽古場に閉じこもって暮らすわたしの夜に、ぴったりの本だ。
 今夜も、遠いところの、自然と生命の営みに思いを馳せて眠ろう。



2003年08月17日(日) 休日。●モスクワ地下鉄の空気(鈴木常浩)

●1週間、詰め込むだけ詰め込んで仕事して、翌日は休みだと思った途端、もうがっくり。ばたんきゅう。数ページを残すのみとなっていた本を読み切った途端、意識がなくなっていた。
 起きたら次の次の仕事の打ち合わせに、別稽古場へ行くつもりだったが、なんと起きたら13時。よっぽど疲れていたんだ、仕方ない、と、自分を甘やかす。

●夕刻。恋人がやってくる。わたしのデスクでひたすら仕事をする。わたしは休日も携帯が鳴りっぱなしで、またしても仮設事務所状態。デスクを明け渡したので、食卓に資料と楽譜を並べ、やはり仕事。
 夕食はすき焼き。この時期に、エアコンをかけずに鍋を囲むなんて、この夏は本当におかしい。
 依然、雨は降り続いている。

●下町の現場に向かう朝、大雨の中で御輿をかつぐ祭りに行き当たった。ハッピ姿でずぶ濡れになりながら、足袋で水たまりをばしゃばしゃさせながら、声をあげて楽しむ大人たち。一方子供たちは、カッパを着せられ、「なんで雨の中を……」ってな感じで渋々着いていく。
 まったく今の子供たちはヤワだなあと思っていたら、裸同然で、きゃっきゃきゃっきゃと雨中ではしゃぐ男の子二人を発見。それはもう、見ている者が気持ちよくなるほどの楽しみよう。
 雨の中、泥んこになっても怒られない非日常と、お祭りっていう非日常を、体一杯で楽しんでいる。
 うん、いいぞいいぞ、と、わたしも心を弾ませた。

●重松清氏の「疾走」読後しばらく経つが、ニュースを見たり、それこそ雨中の少年を見たりする時など、何かにつけ、その物語を思い出す。
 この作品は、2000年7月から、角川の雑誌に連載されていたものだ。当時の少年犯罪や、舞台となっている瀬戸内海あたりの埋め立て地のことなどをネットで調べながら、感想をまとめようとするが、どうも書き出せない。あまりに気になるので、何が気になるのか知るために、もう一度読んでみようと思う。この作品の何かがわたしをイライラさせるのだが、それが何なのかがわからない。

●モスクワの地下鉄。
 事が起こった時の、機密の地下鉄は、実際にある。クレムリンから、何カ所かに向かって、現行の地下鉄よりさらに深いところに。都市伝説としてではなく、モスクワ市民ならみんな知っているという、あっけらかんとした事実。
 わたしの中で、「おかしな国」は、どんどん大きくなっていく。
 タタールのくびきから、現代のネオナチまで。
 ロシアを知る読書は、さらに続きそうだ。

●明日から。さて、また、仕事人として、ひたすらに。


2003年08月15日(金) 生活一変。

●生活はすっかり変わってしまった。
 毎日静かに本を読み、静かに考えて、書き。結婚問題に悩み、愛されたり愛したりし。新聞を読み、ニュースを見ては、世を憂え、自分の出来ることを黙考して。
 それが今や、9月初日の舞台を立ち上げるために動くことしかしない毎日。自分自身はなんら変わっていなくっても、ただそのことに夢中になっていると、家に帰り着く頃には、くたくたで。……なんだか知らないけれど、毎日、とっても元気な張り切り者として暮らしている。これが来年7月まで続くと思うと、「これでいいのか?」とも思う。
 

●若い奴らは、何にも持ってなくても、ひたすらに元気だ。それはなかなかに輝かしい。
 まだ売れてない若者がたくさん出演している今回の仕事。中には、往年のアイドル歌手や、往年の人気女優の息子もいる。お母さん似で、実に可愛い。でも、芝居も歌も、まあだまだ素人同然。ただ、若くて、若いだけで輝かしいのだ。そんな若者がたくさん、蒸し暑い稽古場で、ひたすらに汗を流す。

 稽古後、残って自主稽古をする若者を、徹底指導。奴らのエネルギー量なんぞにはまだまだ負けてないわたしは、がんがん煽ってがんがん刺激してやる。
 ほんのちょっとのくすぐりで、ぐっと変わったりして、それが本人たちも分かるものだから、目を輝かせてついてくる。そういう時間って、人生のほんの一部に過ぎないけれど、何にもならない時間かもしれないけれど、好きなんだな、わたしは。
 かつては、仕事をするたびに、新しい弟や妹が出来ていたのだが、最近は、新しい娘や息子ができるような感覚で、ちょっと自分が怖い。……そういう年齢なんだ。もう。(GOはどうしているだろう。長らく会っていない。)

●ニューヨークの停電。ぞっとしない。どうしたって、テロの影を感じる。実際はどうなのか。

●明日1日頑張れば、OFF。来年の仕事の打ち合わせが入っているから、完全OFFではないが、気分は変わる。


2003年08月14日(木) 元気。

●相変わらず、仕事は楽しい。
 この仕事で出会っている、新しい人たちとも、よい出会い方が出来ている。……っていうか、若い奴らを、わたし自身が、かわいくって仕方ないって思ってるんだな。

●恋人と、久しぶりに、行きつけの店で美味しいお酒を飲む。
 A氏には申し訳ないけれど、仕事の話をして、彼は世の中でいちばん楽しい人だ。

 酒を囲んだ時間の中で、ふと、もう書けなくなってしまった劇作家と、その妻の女優の、過去と現在に話が及ぶ。

 その痛みと愛情に満ちた顛末を、酔いと疲れで、今日もちゃんと書けそうにない。

 でも、思いを馳せるだけで切ないことが世の中にはあり。
 あまりにも美しい、人と人との関係が、世の中にはあり。

 そんなことを考えながら、グラスを傾けるだけで、こうして生きているのが、幸せなのであった。

●その日その日が、色濃い。
 わたしは、辛かろうが、報われなかろうが、よい仕事を選んだのだと思う。
 わたしは、今、とっても元気だ。

 
 


2003年08月13日(水) 余裕なし。

●疲れる。1日終わると、どっと疲れてる。久しぶりに、いっぱいいっぱいで働いている。余裕なし。
 


2003年08月12日(火) 仕事、楽しい!

●本格的な稽古、始まる。
 昨夜は準備に明け暮れて、2時間しか眠れなかったのに、現場では元気元気。しかも、楽しい!
 わたしはやっぱり、よほど仕事が好きなんだと実感。
 まあ、長らく休んでリフレッシュしたせいも、きっとある。これから来年の7月まで休みなしに駆け抜けることになっているから、その長き走りのスタートとしてはいい気分。この新鮮さが、さて、褪せずにいつまで持つやら。……人間、疲れが貯まると、楽しいことも十分に楽しめなくなるからなあ。
 さて、明日も早起き。
 今日はよく眠れそう。

●ベッドの読書。
 モスクワの地下鉄。滞在中、たびたび利用したマヤコフスカヤ駅がシェルターとして利用されていた当時の写真に驚く。
 深さには、理由があった。
 毎晩数ページの読書が面白い。


2003年08月11日(月) 諦めは新しい人生の始まり?

●ああー、いい天気だっていうのに、やること山積みで、1日中机にへばりついて仕事。しかもひっきりなしに電話がかかってきて、ほとんど我が家は仮設事務所状態。dも、今日1日じっくり準備したことで、明日は不安なく稽古場に行ける。歌稽古期間を終えて、明日からいよいよ本格的な稽古の始まりだ。まあ、どれだけ準備をしていても、現場では何が起こるか分からないからなあ……。

●母と、結婚問題について長い時間、電話にて話し込む。娘のことを熟知している母のことばはやはり強い。わたしは正直に今の気持ちを全部話す。ちょっとすっきり。でも、流れとしては、結婚しないなんて言い出したら、わたし、勘当かも。
 母は、人生なんて、ちょっとした諦めをよしとして進んでいくものだと言う。そこから、新しい挑戦や冒険が生まれて、夢中になれるものだと。

●すでにベッドの中だけに限られてしまった読書時間。モスクワの地下鉄の深さとスターリン政権の話が面白い。これを読み上げたら、ずっと読まずに置いていた、スターリンとの共生で人生を歪めた芸術家たちの本に着手しよう。……重松清「疾走」で、物語に、ちょっと疲れてしまったかもしれない。


2003年08月10日(日) 徹夜明けに、モスクワを思う。

●朝5時に仕事を終えて、「モスクワの地下鉄の空気」という本を抱えベッドへ。7時頃ようやく眠気を覚えて本を閉じ、目を瞑る。MAX11時まで寝ても平気だな、と、目覚ましをかけていたのに、9時に演出家に電話で起こされた後、相次いで仕事の電話。諦めて起きだし、ゆっくり朝ご飯。起床予定時刻には、家を出る。

●モスクワのことを思い出す。たかだか2週間しかいなかったのに、様々な事件、出来事があり、濃密な時間だったから。
 何より、チチェン人の劇場テロに出くわしたこと。地下鉄の隣の駅の劇場で芝居を見ていたわたしは、翌日、事件を知った。それからは、ホテルにいる間、テレビに釘付け。窓の外にはクレムリン。観光客を閉め出して、ものものしい警備が続く。街を歩けば、そこかしこに実弾の匂い。占拠が続く中、劇場はハウスオープンを続ける。上演前、休憩中、終演後には、無線連絡の声がホールに響く。「桜の園」をマールイ劇場で見た時には、小銃を膝に置いた警官が斜め前で観劇していた。ボリショイでオペラを見た時には、休憩中サンドウィッチをほおばるかなり御高齢のおばあさんが、「あたしゃ、前の戦争の時も、毎日通ってたからね」とクロークのおばさんにしゃべっていた。歩くのもままならないのに、食べ物をほおばる姿が逞しかった。モスクワ座では、喜劇の上演前に演出家が出てきて「こんな時に劇場にきてくれてありがとう」といった挨拶をし、拍手喝采を浴び、上演中は劇場に笑いの渦ができていた。
 その間も、占拠は続き、延々続き、プーチンは、十分な解毒剤が用意できないままに、化学兵器を用いて、突入。事件は解決を見たが、多くの人質も、化学兵器に命を取られた。テレビは、生き残った人たちを見舞うプーチンの心配げな顔ばかりを映し続けた。
 わたしの仕事場、劇場には、爆弾を腹に巻き付けた女達が、無様とも果敢とも言い難い死に顔を晒していた。多くは、紛争で夫を亡くした女たちだった。

 出来事は、そこにあって、目の前にあって。言わば単なる事象であって。
 しかし、そこに何を見るかは、ただの旅行者であるわたしにさえも、委ねられていた。

 モスクワを思うとき、わたしは自分の仕事に対して、とってもフラットな気持ちになれる。目の前の些事、目の前の大事に踊らされず、この仕事をやっている自分と、落ち着いて向かい合おうという気持ちになる。

●それにしても、モスクワの地下鉄は深い。延々と潜る。エスカレーターに乗ったら本をおもむろに開く人がたくさんいたくらいだ。歩かず走らず乗っていたら、一駅分くらいの時間は優にたってしまうのだもの。構内の案内は恐ろしくわかりにくいし、外人を適当に連行して賄賂、外貨をまき取ろうとする警官が待ちかまえているし、ちょっとしたワンダーランド、ちょっとした異界なのだ、モスクワの地下鉄は。(その後ペテルスブルグに行ったら、ネオナチが跋扈しており、これも怖かったけど)
 滞在中、わたしは夜休みなく劇場に通ったけれど、それは毎夜、一人歩きをするということ。大事な仕事を帰国後に抱えていたわたしは、実に用心深い人となり、昼間、チケットを入手するついでに、必ず劇場からの導線を予行演習として歩いた。きっちり回りの状況を把握しながら。で、終演後は、「わたしはここの人間だから」って顔をして、すたすたと迷いなく帰途につく。……一人旅はなかなか大変だけれど、終わってみると、その予行演習の時間が実になつかしい。
 どうしてそんなにモスクワに惹かれるのか、と思う。
 芝居好きの街だからか。それとも、あの、あらゆるどうしようもなさが、逆にいいのか。

 だって。たとえば。
 7連泊で予約していた部屋を、2泊目の夜、他の部屋に移ってくれと言われて。なんだか知らないけれど、改装だから仕方ないんだと言われ。「だって予約してあったんだから改装を待てばいいでしょ」というようなことを、理解されない英語で伝え。断って。向こうが「仕方ないなあ」って顔をしていたから一安心したら。
 次の日劇場から帰ってくると、ヒーターははぎ取られ、電話とテレビは引っこ抜かれて、壁紙は一部剥がされていた。
 そういうことなのねと観念して、「どこへ移ればいいの?」と聞いたらば、「フロントに聞いて」「旅行社に聞いて」「ジジュールナヤ(各階にいる鍵を預かってるおばちゃん)に聞いて」とたらい回しにされ、引っ越しを終えるのに半日を要した。……一事が万事、そういう国だった。
 自分だけ頑張っても損、という考え方は、共産圏ならではのもの。サービス業なんて絶対根付かないし、働かずにすめば、それに超したことはないのだ。
 貧しさは、人を暴力的にして、白タクの兄ちゃんにあやうく身ぐるみ剥がれそうになったりもしたけれど、彼の外貨への強い欲望を思うと、そんなに否定的にもなれない。

 で、だから、どうしてそんな国がそんな街が気になって仕方ないのかと問われても、わたしには説明がつかない。……たぶん、出会い方なのだと思う。

 恋人がパリに惹かれ続けれるも、やはり、そういう出会い方をしたのか。
 A氏とどういう関係であろうと、わたしは年末に生まれる仕事の僅かな間隙を縫って、パリを訪ねるだろう。そこに、どういう出会いが待っているのか。

●台風一過。傷跡を残した台風だったが、過ぎた後の清々しさは。
 暑くても暑くてもわたしは夏が好き。紫外線がどんなに肌に悪いって言われても、陽の光を浴びるのは好き。どうせ、いつかはなくなる体なのだ。使い切って、思い切り気持ちいいことして、死なずして、どうする!


2003年08月09日(土) 忙殺されて。●阿修羅ガール(舞城王太郎)●大力ワーニャの冒険(プロイスラー)

●久しぶりだなあ、日記を書くの。
 どんなに忙しくても今年は少しずつでも書いていくのだと、永井荷風先生の日乗を読んだ正月に思ったのだったが、このところの忙しさに、つい。
 休みの間に本を読んでないと気が済まない習慣がついていて、忙殺されるだけの1日を書く時間があれば、読んでいたい気持ちだった。

 それにしても、突然忙しい。
 朝から晩まで動き回っていたり、朝から晩までコンピュータに向かっていたり。まったく、寝る時間を惜しんで働いている。
 別に、いつもより大変な仕事をしているわけではない。お金のないカンパニーだから、仕事の出来る人が少ないのだ。人員削減のおかげで、わたしにどっと仕事が回ってくるというだけのこと。

 その上、恋愛がらみでも、相変わらず気持ちの浮き沈みが激しい。本を読むのは、活字中毒というよりは、物語に逃げ込んで現実から目を背けているのか……?

●仕事の合間に、頼まれていた、GOのお守り袋と、防災頭巾のキャリーバッグを縫った。なかなか可愛らしい。でも、けっこう時間がかかってしまい、その分残務に追われ、今夜はたぶん徹夜。

●評判にはなっているが、わたくし的には読まなくてもいいかと思っていた「阿修羅ガール」。三島賞の選考評で、宮本輝氏があまりにけなしているので、逆に読んでみる気になった。そこまで、作家を嫌な気持ちにさせる小説ってどんなもの?って感じ。
 それが読んでみると、悪くないんだな、これが。
 徹頭徹尾、作為の嵐。下品めのガーリッシュな語り口、リアリティーがある。2ちゃんねる風巨大掲示板の延々描写も、ほんものの気持ち悪さに迫っているし、挿入されるおとぎ話の怪物も、「モンスター」の名前のない怪物くらい魅力的。……最後の最後に、なんだか落ち着くところに落ち着く感じが、面白くないが、それでもまあ。
 何より、宮本輝氏が、何を嫌がったかが自明で、それがすごく単純なことで、でもその単純さが、今の文学界では大問題になってしまうところが面白い。

●仕事を覚えたての若い子を何人か使っている。みな素直で一見真面目そうなのだが、何を教えても、一緒に作業しても、豆腐みたいな歯触り。
 がむしゃらになることがなく、言われた以上のことはやらない。(だから、言われたことも真っ当できない)
 与えられた時間は、とりあえず頑張ってみるが、家に仕事を持ち帰ろうとは決してしない。
 だから、「やれ!」という前に、わたしはわたしが仕事をする姿勢をとりあえず只で見せて勉強させてやっている。ついて来る奴はついてくるだろう。
 人より好きだったり、人よりやる気があったり、人より欲望が強かったり。と、そんなことから、仕事はふくらむ。


2003年08月05日(火) 俯瞰したり、凝視したり。●疾走(重松清)

●あっという間に、忙しい人に戻ってしまった。
 でも、よく休んだせいか、人に対してかつてよりおおらか。このところ、働くことが、いたって楽しい。
 ただ、今日と明日は受難の日。
 今日は自宅で資料つくりと、スケジュール調整。一日中携帯で連絡を取っていたような気がする。家は事務所状態。……と言っても、様々な経費は全部持ち出し。個人事業者はつらい。
 明日は、恐怖の打ち合わせデー。朝から4件の打ち合わせを、すべて別場所で、という冗談のような1日。しかも、電車で帰れる見込みはほとんどない。仕事だから、ま、仕方ないか。

●重松清氏の新刊「疾走」を読んだ。

 少年の自殺。少年の殺人。少年の放火。
 頻繁に社会を浮き足立たせるこれらの事件。
 親も、友人も、教師も、精神科医も、誰も、少年の「内」には届かない。
 なぜ、少年は、そこに至ったか。

 重松氏は、それを書いた。
 一人の、ごくごく当たり前な少年が、殺人を犯し、放火を犯し、逃亡し、自殺を選んだ、その長く短い時間を。丹念に。実に実に丹念に。

 今までの重松作品から想像できない強靱さ、息苦しいまでの緊張感だ。

 どうしても、書かずにはいられなかったこと。だからだろう。

 でも、余りにやるせないので、小説を書くって一体なんなんだろう? って考え込む。小説を読むって、一体なんなんだろう? って考え込む。
 どうも辛くって、やりきれない。

 この心のもやもやを、うまく言い表せない。
 
●また悪い夢を見た。休みの間、あまりにたくさんの本を読み、たくさんのドラマに浸かりこんで過ごしたので、しばしば、物語は夢に侵入し、目覚める時の、現実のわたしを脅かした。

 仕事が始まり、俯瞰する暮らしから、凝視する暮らしに移っていくものの、目の裏に、様々な焼き付いたドラマは、残っていくのだろう。

 何か、別種の見方をしたい。と、切望していた。
 宇都宮で、舟越桂氏の作品展が開かれているらしい。次の休みに(休みが休みになれば)、行ってみようかと思う。往復4時間はかかるが、きっと無駄じゃない。


2003年08月03日(日) 原石たち。●輝く日の宮(丸谷才一)

●まずは、歌稽古から。今日借りたスタジオまでは自転車で30分位の距離。待ちかねた晴天の下、迷わず自転車を駆る。心地良い。

 このたびの出演者の平均年齢は、驚くほど低い。なんたって、中学三年生の女の子さえいるんだから!(まあ、子役は別と考えて)
 最初のダンスのレッスンのあと、着替えた女の子たちを見て驚いた。なんと制服姿。しかも、稽古だ、仕事だ、と張り切っているものだから、わたしなんかよりしっかりお化粧しており、どう見てもコスプレ状態。中身は可愛いことこの上ないんだけどね。

 まだ商品になっていない段階から磨き上げる作業が、この仕事の稽古期間には含まれている。もちろん、磨きがいのある原石を選んではあるわけだが、今日の歌稽古を聞きながら「原石も原石だな、こりゃあ……」とスタッフは頭を抱える。……ということは、わたしは奴らを、思いっきり愛してしまうということだ。(10月までこいつらと暮らすんだ)と思いつつ、一人一人の緊張した顔を眺める。こういう時、わたしは最も優しくて安定した気持ちになれる。誰かに、何かを渡すことができるということ。誰かに、力になることができるということ。誰かが、自分の力を求めているということ。そういうことが、必要な自分を持ち上げてくれる。

●丸谷才一の「輝く日の宮」という小説を読み終えた。源氏物語の失われたひとつの巻をさぐる主筋に、女性国文学者の恋愛譚が絡む。
 この女性の恋愛たるや、まあ惨憺たるもの。自分の中に描きたい物語がまずあって、自分をそこに当て込んでいくような恋愛の仕方。ドラマティックなことが大好きで、すぐにドラマ性に踊らされて、しなくてもいい恋愛をする。必要なのは、生活じゃない。知的に人生を読み取っていける環境。
 たまにいい出会いがあっても、自分はどういう女であるべきかという思いこみに惑わされて、二人の関係性で行動が選べない。相手の男も、おんなじタイプ。やっぱり似た者を呼ぶものなのだ。そして、当然のごとく、崩壊する。だって、それぞれに自分のことしか考えていないんだもの。

 で、わたしは、相当に落ち込んだ。眠れなくなってしまった。
 だって、それは、わたしの似姿なんだもの。「古典馬鹿」と笑いながら読み進めるうち、ふっと、「あ、これ、わたしだ」と気づいたときの落ち込み。……ひどかった。
 こんなもの読むんじゃなかったと思っても、もう遅い。
 もうすぐA氏の仕事も一段落する。さあ、どうするんだ、わたし。


2003年08月01日(金) 仕事モードに入る。

●新幹線に乗り込んでからというもの、すっかり仕事モード。現場に入ってからは動きがあって楽しい仕事も、今は打ち合わせに次ぐ打ち合わせ、資料作りに次ぐ資料作りで、ずっと机の前にへばりついている。
 A氏も泊まり込みモードに入っていて、しばらく会っていない。
 昨日、「恋人を好きなまま、俺と結婚しよう」というメールをもらったが、やっぱり、世の中そういう風にはいかないのだ。いかないことが、この何週間かで、骨身にしみてわかった。
 しばらくお互い仕事で会えない時間を利用して、頭を冷やそうと思う。


●長い雨はやんだものの、なんだか湿気ばかりが気になるどんよりしたお天気。洗濯物が1〜2時間でカーンと乾いてしまう陽射し、はりさけんばかりに鳴く蝉の声が、恋しい。

●はじめて仕事でおつきあいさせていただく作曲家が素晴らしい。デモテープをかなり聴いているせいもあり、頭の中で常に歌っている。


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