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2002年12月31日(火) 祈念する心

●昨日から、8日の初日を目指して、劇場仕込みが始まった。朝から資材が搬入され、どんどん照明機材がつり込まれていく劇場を眺め、稽古場へ。稽古を終えて、また仕込みの進む劇場へ。もう基本舞台ができあがっていて、いよいよという気持ち高まる。
 この間の後悔はあっという間に消えたか、それから照明チームの忘年会に紛れ込んで酒を飲み、そのあと恋人と5時半まで。

●大晦日、1月1日、と、うれしい2日間のお休み。
 オーストラリアに仕事で出かけてしばらくNGだった主演俳優から「元気に戻ってきました」の電話があり、頑張りましょうと声をかけあった、来年初頭の舞台がよりよきものになるように。

●1年という区切りの時だからといって、ことさらに思うこともないのだけれど、それでもやっぱり、改めて祈ってみたりする。新しい1年は、どうぞ少しでも哀しみや苦しみより、喜びや楽しみが多いようにと。この身にも、近しい人たちにも、すべての命あるものにも。
 テレビでは紅白歌合戦。なんとなく眺めたり聴いたりしながら、わたしが、わたしたちの芝居が、世の中が、これからどうなってくのだろう? と、思いを馳せたりもする。

●平凡でも単純でも当たり前でも、幸せであれ、平和であれ、と祈念する心。


2002年12月28日(土) またしても深酒、反省しきり。

●大事な通し稽古を終えて、少しほっとする。ほっとしてプロデューサーと飲みに行ったら、ついついまた調子に乗ってしまい、気がつくと朝の五時。話していたのはほぼこれからの仕事についてであったから、無駄な時間ではなかったが、睡眠不足と二日酔いのさんざんな状態で稽古場へ。まあ、なんとかなってしまったが、やっぱり仕事はベストな状態で立ち向かうに限るので、反省しきり。

●「GO」を撮った行定監督が、演出家との対談のついでに稽古場に遊びにくる。紹介されて話すうち、クリエイティブな仕事をしている人独特のオーラと、面白いことへの欲求の強さを感じる。
 確かにわたしの今の仕事は大変で、この肩にたくさんの責任がのしかかっているが、基本的には他者の仕事のサポートに相違ない。
 自分から発信して創ること。早くそこに行きつかなくては。……やっぱり、酒ばっかり飲んでる場合じゃないな。

●仕事は30日まで。新年2日から。さあ、いよいよ初日に向けて、緊張感高まる。


2002年12月26日(木) こたえられない美味さ、ズッキーニのフリット。

●昨日は、主演女優のNGで、全関係者にうれしいOFF。人並みにクリスマスに休めることになった。家庭を持つ人たちには何よりのプレゼントだろうと思う。出演者の一人には、この日、第二子が誕生。それぞれの休日、それぞれの一日。
 わたしは、先週、タイトな稽古に仲間の死が重なって、疲労困憊。風邪をひいたのか、ただ単に疲れたのか、知恵熱のような高熱をだし、半日寝込む。でも、病は気からといったところか、夕方、恋人が買い物袋を抱えてやってきて、二人で料理を始めると、俄然元気が出てくる。
 二人で4品作ったが、何よりわたしの作ったズッキーニのフリットが最高に美味しかった。ズッキーニのみじん切りとすりおろしを混ぜ合わせたものに、溶き卵と小麦粉を加え、パルメジャーノのすりおろしを山ほど加えて丸め、揚げるだけ。この、上等のパルメジャーノのすりおろし山ほど、というところが味噌だ。
 今年わたしが作った料理の中で、群を抜いた美味しさだった。美味しいものを食べるのも幸せだが、美味しいものを作ってしまうというのも、なかなか幸せなことだ。うん。
 美味しいシャンパンも加わって、実に気持ちのよい時間を過ごした。

●休み明けの今日は、実に実に集中力を要する、大変な稽古。11時から9時まで気を抜かない時間を過ごしたあとは、もう腑抜け状態。スコーンと寝て、また、明日、しっかり働く。今は仕事が楽しい。


2002年12月23日(月) やっぱり、いいのだ、生きていることは。

●仕事を終えて、仲間のお通夜に静岡まで出向く。11時を過ぎていたが、泊まりこみの懐かしい仲間たちが顔を揃えていた。
 やはり俳優仲間であった奥さんが、「顔を轢かれたので、2枚目がかなりひどいことになってるの。だから、死に顔は見ないでもいいよ。もし見るんだったら、すぐにかっこいい写真を見てね。そっちを覚えていて欲しいから」と言う。
 遺影に手をあわせ、死に顔は見ないままにしようと思っていたら、仲間のひとりが「見なきゃだめだよ、ちゃんと見てお別れしてやらなきゃだめだよ」と、わたしの手を引き、再び棺の前に。
 崩れてしまった顔と対面し、歪んでしまった唇に、綿棒で、大好きだった焼酎を唇に塗ってあげた。そして、やはり大好きだったショートホープに火をつけ、お線香がわりにした。煙にむせながら、お別れをして、そして、2枚目だった彼の写真を長らく眺めた。

●奥さんは、彼の両親が感情的な人たちだから、わたしが泣いてちゃなんにも進まないのよ、と、ひょうひょうとしている。まだ泣いていないと言う。あれだけお互いを必要としていたカップルなのに。
 彼女ののろけ話を聞いたり(!)、懐かしい思い出話をしたり、馬鹿を言い合ったりして、夜を過ごす。知らぬ間にそこら辺で寝てしまい、6時半に再び彼の遺体に別れを告げ、稽古場に向けて新幹線に乗り込んだ。

●寝ていなくっても、心が揺れていても、やっぱり仕事場に着いたらしゃんとした自分がいる。わたしは仕事に恵まれた幸せ者だ。
 仕事を終え、心配してくれていた恋人に会い、美味しい食事とワイン。生きていることを二人で喜んだ。何がなんでも長生きしようねと、お互いに誓った。

●やっぱり、いいのだ、生きていることは。


2002年12月21日(土) そして。

そしてまた1日が終わる。一日の終わりにとても悲しいことがあったが、明日はすぐそこまで来ているので、泣いてはいられない。
眠ろう。


2002年12月20日(金) 新しい1日。強い心。

●目が覚めると、新しい1日が始まっていた。
 昨日の、大事な栓の抜けてしまったような、頼りないわたしが消えて、また「きりり」としたわたしが、いつの間にか戻っていた。
 
 心が揺さぶられることが起こると、確かに辛いけれど、こうして、何かまた新しく生まれ変わったような気分になる。別に、私自身、何が変わったわけじゃないけれど、いつもなら繰り返しに思われる毎日が、実はちゃんと新しく始まり、実はちゃんと新しい自分で立ち向かっているのだと感じられる。

●一緒に仕事をしている、とても素敵な女優Mさんが、
「誕生日のプレゼントに何がほしい?」って聞かれて、
「強い心。」って答えてた。
 みんなと一緒に笑いながら、心の中で、「わたしも!」と共感していた。
 これを声にすると、「お前はそれ以上強くなくていい」と一蹴されそうだから、言わないけど……。でも、もっともっとタフになりたい。感じる心はそのままに。


2002年12月19日(木) 大事な仲間の死。

●稽古場に着いて、朝一番で、かつての俳優仲間がバイク事故で死んだと知らされた。それをどう受け止めてよいやら、心のまったく落ち着かぬうちに、今日の稽古のための一息つく間も惜しいほどタイトな準備が始まり、そのまま稽古に突入。面倒なシーンを作っているので、緊張集中しっぱなしの7時間。終わって、緊張の糸が切れると、放心状態になってしまった。

●きりりとクールに存在し続けるべき稽古場の隅で、泣く。同じ現場にいた俳優仲間が肩を抱いてくれる。

●明日の準備を終えて稽古場を出る頃には、何か大事な栓が抜けてしまったようで、いつもの倍以上の時間をかけて、駅までの道を歩いた。納得できない、消化できない、どうしようもないものにぶちあたると、わたしはいつもそんな風になってしまう。歩きながら道に涙をこぼした。

●死んだ仲間は、集団の後輩だった。彼の奥さんはわたしの同期だった。
 二人は、金がなくても何がなくても、お互いがいれば生きていける、幸せでいられるといったタイプのカップルだった。その、欠くべからざる片割れを失うということ。

●仕事に追われる恋人に、頼み込んで、1時間だけ一緒にいてもらう。何が変わるわけでもないけれど、心がちょっとずつ凪いでいった。何が変わるわけではないけれど、こうして大事な他者に助けられつつ、また明日も生きていかなきゃならない。緊張の糸を張り直して。
 今は、まだ、ただ放心しているけれど、眠りを越えて、また扉を開けて出ていこう。なんとか、なんとか頑張って。


2002年12月18日(水) 酔っぱらいもすなる……。

●まあ、なんと言うか、大変な日々なのであって。それは少しでも、休めるときは休むべきであり、一息つくときは一息つくべきな日々なのであって。
 そんなことは分かりきっているのに、わたしは、こうして、休むことより、とことん酒を飲むことを選んでいたりする。

●今夜は、ビール、日本酒、ライウイスキーと重ねていき、最後はテキーラで飾った。困ったことに、飲めば飲むほど、酒は美味しい。飲めば飲むほど、人生時間を酒に費やした貴賤を問わぬ様々な他者の人生を想像するに至る。追体験するに至る。

●ってなこと思っていても、あと何時間かすれば、人一倍クールに人一倍クレバーに、わたしは仕事しているわけなのだな。

●まったく、この1日1日って、なんなのだろうな?

●演劇の面白いところは、この1日1日を重ねていくと、必ず初日が開くっていうことだ。また、必ず開ける自分がいるっていうところだ。"Show must go on."


2002年12月16日(月) 明日はお休み。

●いつものように、仕事をする。フル回転。表向きには穏やかに見せていても、内側でたくさんの歯車が重なりながら、くるくるくるくる回り続ける、フル回転。

●明日はお休み。久しぶりのお休み。お休みに何をするかって言うと、今までできなかった仕事をする。あまりに仕事が忙しいと、「これをやっておいた方がいいのに」「これを勉強しておきたい」ということがたまっていく。だから、お休みの日には、そんな「もう一品」の美味しい小皿のおかずみたいな、仕事をしたくなる。
 あさってからの仕事を、より気持ちよく進めるための仕事、というところか。
 初めて会った人に、よく「プロ」ということばを冠される。でも、好きだからできるってことが殆どだ。好きなことは人の何倍もやって苦にならないし、自分の想像力の届くことや、やるべきと思うことは能力を超えてもハードルを越えてやろうとする。
 でも。好きじゃないことはやらない。「それ違うでしょう」と思うことには、とことん反発してしまう。
 で、いまだに出世してない。ま、そんなことなのだが、その程度のわたしを、素敵だと誉めてくれる人がいるとホッとする。しかもわたしが素敵だと思っている人から素敵だと言われると。

 まあ、そんなこんなのささいな喜びに支えられて、仕事を続けているわけだ。そこが社会であり、商売の場である以上、自分の愛せることばかりでなくっても。


2002年12月15日(日) パワーハラスメントの記事から。

●この間、朝日の朝刊でパワーハラスメントの記事を読み、ちょっと考え込んだ。
 パワーハラスメントっていうのは、記事によると、「実際の職務とは関係ない、または適正な範囲を超えて、上司が部下に嫌がらせの物言いなどを繰り返し行う状態」のことらしい。
 で、その相談所にかかってくる電話には、出来の悪い、あるいは間違った上司に本当に苦しめられている人やら、上司の正当な職務上の要求を嫌がらせと思い込む人やら、そりゃあ様々なものがあるらしい。

 わたしに言わせれば、許容量の少ない上司か許容量の少ない部下がいれば(もっと簡単に言えば、バカな大人とバカな若者)、そんなことは何処にでも見受けられることだ。
 それに。生涯をひとつの会社に捧げるのが当たり前だった時代はもう終わった。世代の違いから職業に対する考え方の違いが顕れて当然だから、上司と部下の思いが食い違うのは、これまた当たり前。自分にとって当たり前のことが他人にとっても当たり前だと思い込んだ途端、人間関係の悲劇は生まれるものなのだ。

●ちなみに、わたしはそういうバカな大人ではない。それでも、この記事を読んで、考え込んでしまったのだ。
 わたしも職場でたくさんの若い子と一緒に仕事しているのだが、どうも、あれやこれやの指示を出したときの反応がビビッドじゃない時が多い。
 現場に入れば1ヶ月に2日休めればましな方という厳しい場所にいながらも、自宅での作業を余儀なくされるような、大変な仕事だ。敢えてそんな場所を選んでいる彼ら彼女らに、わたしは更にいろんな要求をする。いや、要求というより、現在をよりよく過ごすための、未来をより開いていくための、アドバイスだ。でも、これがなかなか、届いているのやらいないのやら、反応がはっきりしない。

 もしかして、ただでさえ辛い彼らは、わたしの言うことが無理難題の押しつけに思えているのかしら? と、ちょっと疑問を持ってしまったわけだ。

●そうは思いつつも、大変な仕事を抱えている今、常よりもっと若い子たちに仕事を理解してもらう、また教えていく必要に迫られているわたし。
 伝える、ということを、もう少し丁寧にやってみようと、直属の女の子二人を呼んで、じっくり時間をかけて、仕事をするということの基本、本質、現在の問題点を話してみた。その中には、もちろん、叱責も混じった。苛酷な要求もあった。
……実にビビッドな反応が返ってきた。そして、翌日の彼女たちは、それまでの彼女たちと確かに変わっていた。

 伝えるということの難しさ。要する愛情とエネルギー量。受け取る側に必要な、前向きさ。ひたむきさ。……そんなことを久々に実感した。
 伝えたり教えたりということが、職業的な日常になっているわたしにとって、忘れてはいけないことを色々と考えることになった。

 自分自身が常にひたむきであること。教えること伝えることを自分が軽やかに実践していること。
 何を伝えるにも、想像力と心を尽くすこと。


2002年12月14日(土) 苦手。

●仕事の本質とはまったく離れたところで、嫌な思いをすることがある。人がたくさん集まってる場所なんだから仕方ない、と思うが、わたしはそういうことにいつまでたっても慣れない。理不尽、不公平ってやつが、幾つになっても、苦手だ。


2002年12月13日(金) 幸せな子供。

●緊張している時間が長いので、家にたどり着く頃にはぐったり。やろうと思えば幾らでも予習復習があるのだが、今夜はやすもう。6時間、寝よう、ちゃんと。

●わたしは美人じゃないが、自分の容姿を疎ましく思ったことはほとんどない。ちゃんとある程度に産んでもらっているので、あとは自分の責任だと思ってきた。
 ところが。この間、お世話になっているプロデューサーと一緒に芝居を観にいった時。そのプロデューサーと旧知の演出家の話を同席して聞いていら。
 話の最後に演出家はこう言った。
「どうせ連れてくるんならもっときれいな女連れてこいよ」

 芝居を観にいくのに「きれいな」もくそもないだろう! と、ちょっと不愉快に思ったが、別に気にはしなかった。こういう仕事をしているのに、今時こんなこと言う奴もいるんだなあ、などと逆にあきれていた。

 ところが、それを母に電話で軽い気持ちで話したらば、さあ大変。

「あんた、もうええ歳なんやから! ちゃんと手入れしてるの?」
から始まって、女はいつもきれいにしてなきゃいけないんだという、お説教とも人生訓ともつかぬ、長い長いお話が続く。
 最後には、
「ちゃんと産んでやってるんやから……」とちょっと悲しげ。

 母は娘がそんな風に言われて、すごく傷ついたのだった。わたしは母の自慢の作品なのだ。

 それから母は、たっくさんの化粧品を、なんとわたしに買い集めていたらしい。女を美しくするのは化粧品だけじゃないけれど、母はそれくらいなら力になれると思ったのだ。
 いまだに現役で働き続ける母は、毎日入念に化粧をして出かける。マニキュアだってちゃんとして。そんな母のプレゼントが、もうすぐ届くらしい。

●あまりの仕事の忙しさに、毎日、化粧をしたとしても所要時間は3分以内。寝る前も化粧水をつけるだけ。でも、そのプレゼントが届いたら、もうちょっと気にしてみようかと思う。
 母に感謝。
 産まれてくる子供は、両親を選べない。不幸な子供がたくさんいる御時世だ。そんな中、わたしはとびっきり幸せな子供だ。40歳を過ぎても、父と母の、幸せな子供。

 


2002年12月12日(木) 酩酊とは言わないまでも。

●今日は書きたいことが山ほどあるのに、山ほどある分、酒飲みになって、語りまくってしまった。仕事仲間としての恋人相手に。
 こういう時、この時書いておかなきゃどうしようもないことがあるのに、今しか書けないことがあるのに、って悔しくまた残念に思うんだけど、仕方ないなあ、3時前に帰ってきて、明日早起きして仕事で、ってことになると。

●今しか書けないこと、今しか言えないことが、新しい仕事に反映されることを願って、とりあえず眠る。眠って、また明日考える。

●ちゃんと学習して生きてれば、なべて問題なし。人生は思うままにならないけれど、ちゃんと、その日その日が自分のわずかな血肉に変わってさえいれば。たぶん……問題なし。


2002年12月11日(水) くたくた。

●1日中集中しっぱなしなので、もうくたくた。さすがに真っ直ぐ帰宅し、独りでクールダウンの時間を過ごす。

●多くの人が集まり、それぞれがそれぞれに頑張りを見せながら、同じところを目指しているので、ちっとばかり大変でも苦にならない。この商売の良きところ。


2002年12月10日(火) 酒とのつきあい方。

●稽古初日。たくさんの人が集まり、たくさんの人のそれぞれの緊張が、狭い空間を支配する時間。わたしは自分の緊張の上に、たくさんの人の緊張を吸い取って、常ならぬ時間を過ごす。
 明日は少し楽になり、あさってはまた少し楽になる、そのことは分かっているが、必ず最初にこの緊張がやってくる。
 きっと、出会うっていうことは、そういうことなんだろう。

●またまたつい飲んで帰ってしまう。酒を飲まないと帰る気になれない最近の自分を振り返り、何かが足らないから酒を飲むのだろうかと、訝しく思う。
 単にお酒が好きで、何かを捨てても美味しい酒は飲んでやるぞという気概みたいなものは確かにあるのだが、なんだかこのところの飲み方には混じりっけがあるような気がしてしまい。
 相変わらず、飲んで愚痴をこぼしたりするのは大嫌い。そういう飲み方からは依然として距離をおいているのだが……。

●いい仕事をしたいと思うのと同じくらい、一生かっこよく酒を飲み続けたと思ったりする。……なんだかわたしって、逆に不自由かな?
 いやいや、かっこいいってことは、いつもある種の不自由さを伴うものなんだ。……って思うんだけど……さて……?


2002年12月09日(月) 明日のための眠りのための……。

●いよいよ明日から、本稽古。

 興奮、いよいよ昂まる。

 先の仕事の打ち合わせで来ていた恋人を誘い、美味しいワインとチーズをいただく。

 すべて明日にむかってのクールダウンのため。恋人と一緒にいる時間はかけがえのないものだが、わたしはどこかで明日のことを考えている。

 明日のための良い眠りのために一緒にいてほしいという願いを、ことば少なく理解してくれる恋人に感謝しながら、さて、一人で明日の眠りを貪ろう。


2002年12月08日(日) 興奮してる。

●プレ稽古が終わり、ようやく演出家が加わって本格的稽古を迎えようとしている。稽古場にセットが建ち、あさってから。明日は準備の最終段階。
 興奮しているので、仕事終わりに舞台監督と技術監督を誘い、美味しいビール。パリとモスクワで飲み続けたベルギービールのレフ。これはフルーティーかつ深みがあって実にいける。ただ、日本で飲むととても高くって、その点はいただけない。モスクワだと1本300円くらいで飲めたのに……。(今日のバーでは1150円だった!)
●このところわたしの書く日記の文章、体言止めがやたらに多い。余裕がないのかな。


2002年12月07日(土) 幸せだなあと思えることがうれしい。

●ロンドンへ短い出張に出ていた恋人から、帰国の連絡なく、仕事の合間にも、そわそわそわそわ。
 元気にバリバリ働いていながら、パリで、自分自身が突如帰国不可能と思われるほど体調を崩したことを思いだし、不安つのる。
 仕事が終わろうかという頃、帰ったよの電話あり、飛行機は遅れるわ、リムジンバスは遅れるわ、の報告。ほっと胸を撫で下ろし、待ち合わせて食事。

●わたしが今、ものすごーくいれこんでいる小説、これをどうしても舞台にしたいと思っている小説を、旅のお供にと、彼に渡してあった。
 先日プロデューサーに、「難しいね」とまずは一掃されたもの。
 読み終えた彼の「面白い、いけるよ、あれは」のことばに、ガガーン、ゴゴーンと、テンション高まる。
 自分が面白いと思ったものを、たった一人でも、他人が面白いと思ってくれた瞬間に、仕事は始まる。あとは自分のエネルギーと、愛情や熱意を形に能力だ。むくむくとやる気が湧きあがってくる。
 スタートラインに立ったという気持ち。

●わたしが恋人と呼ぶ人は、わたしがこれだけcleanにこれだけpureに愛しているにも関わらず、妻帯者だ。どうにもこうにも、限界がある。でも、こと仕事に対する判断力に関しては絶大なる信頼がおける。まるで交換条件のように、一緒に仕事をできる人だ。(世の中はうまくいかない)
 戦友であり同士(同志)である恋人に後押しされて、前に進むエネルギーを惜しんではいけないなという気持ち。

 生き続ける限り、仕事したい気持ち。

●と、理想と無垢なる喜びを並べる夜の時間を過ぎると、現実の仕事が待っている。
 今日、稽古場にセットが立ち上がった。また新しい仕事の始まり。これはこれでやっぱり、どきどきわくわく。
 新しい人が集まって、新しい人と知り合って、短い時間、密接に暮らす。人が集まる以上はめんどうなことがいっぱいあって、人が集まる以上は、喜びがいっぱい生まれる。

 さあ、また始まる。

 なんだか悪くないなあ。

 ちょっと酒に酔っているのと、夢見る気持ちで、ささやかな幸せを思いきり享受する。

 恵まれていると言えば恵まれているし、恵まれていないと言えば恵まれていない。まあ、当たり前の暮らし。それを幸せと思えることが、幸せ。


2002年12月06日(金) 小さな乳歯の思い出。

●本日はお休み。色々と雑用をこなす。
 これからしばらく、年末年始を含めて、いつ休めるか分からぬ身になるので、ちょっと部屋の整理などする。
 
●引っ越しして2年になろうというのに、まだ未開封のダンボールがある押入に、おそるおそる手をつける。山ほどの使いかけのノート、かつてお世話になっていたワープロまわりの物。見つからなかった仕事道具。そりゃあまあ思いもかけないものが思いもかけないところから出てくる。
 いっちばんびっくりしたのは、20年前飼っていた猫の写真が出てきたこと。
 古臭いアルバムの最後の頁に封筒が貼り付けてある。何なんだろう?と開封してみると、そこには小さな小さな白い歯がひとつ。「今日、乳歯が抜けました」と書いた便箋と一緒に。

●東京に出てきて、独り暮らしになかなか慣れなかった時分に、大学のともだちから子猫を貰い受けた。以来、どれだけかかわいがり、どれだけか救われた。長らく長らく、わたしの友だちだったが、医者も首をひねる突然の内臓障害で死んでしまった。1週間くらい大学を休んで看病したあげく、様態の変化に気づき抱き上げたわたしの腕の中で、ゆっくりゆっくり死に至った。柔らかかったものがだんだん固くなり、温かかったものが、だんだん冷たくなっていった。

●あんなに大事にして、あんなに泣いて別れたのに、乳歯のことなんて忘れていた。小さくな白い塊が、まだこの家の中で息をひそめていたなんて。

●人間が忘れていく生き物でよかった。切ないことがたくさん蘇るのを堰止めながら、そんなことを思った。


2002年12月04日(水) ちょっとずつ進む。

●今日は雨。昨日はあんなによいお天気だったのに。

 同じような毎日なのだけれど、天気のように、わずかに違う。確かに昨日より1日生き延びているし、仕事も進んだ。たぶん目に見えないお肌の老化も1日分進んだことだろう。

 劇的な変化とは言えないが、毎日ちょっとずつ進んでいる。

 そんな感じ。


2002年12月03日(火) ここのところ。そして今日。

●30日は徹夜明けで1日仕事をするも、ぴんぴんしていた。妙な覚醒状態が午後6時を過ぎ食事をすると、もう使い物にならない人に。10時には寝て、翌日のマチネ観劇に備えた。

●1日。静岡芸術劇場までは、新幹線に乗れば二時間くらいで到着する。モスクワのフォメンコ工房の「戦争と平和」を見る。向こうにいたってなかなかチケットを入手できない劇団なので、見たい人間からすれば交通費も惜しくない。公演は、技術、心身、ともに成熟した俳優と演出家が時間をかけて丁寧に創りあげた素晴らしいもの。見てよかった。
 ただ、客席が空いている。商業ベースで招んでいないからだろうが、他の都市への招聘を考えることもなく、宣伝もあまりなされない公演自体に、少し疑問を覚える。
 同行したプロデューサーとたっぷり自分の仕事の話をするが、やはり何も具体的なことは見えず。わたし自身が、自分を企画する力が試されている。時間がほしい。もっともっと時間がほしい。勉強したい。

●現実的な仕事の上では、怒濤の冬から春が訪れた。時間の使い方を考えても、やる仕事の内容を考えても、想像するだけでハードな日々になりそう。ちっとも余裕のないわたしは、移動のタクシーの中で日記を書いたりしている。こうして何かを書き留めていると安心するものだから。

●今日はいいお天気。本当にいいお天気。でも資料だの、小道具に提供するギターだの、コンピュータだの、両手に余る荷物をこの体と共に運ばなければならない。で、金持ちでもないのにタクシー。健康的じゃないな。でも、この後荷物を稽古場に下ろしたら、大調べもの大会が待っているので、有栖川公園にある中央図書館まで行ってくる。少しはお陽さまの下をてくてく歩いたりしたい。
 ああ、本当にいいお天気だ。渋谷の、こんなごみごみした街の中で渋滞につかまっていても、道を知らない運転手にちょっといらいらいしていても、いい天気というだけで、どこか気持ちが潤ってくる。ありがたい。


●そして、今や自宅でくつろぐ身。家に持って帰った仕事ももうなし終えた。今夜は少し本が読めそう。
 久しぶりに歩く広尾。犬を連れたご婦人、やけに多く、昼間っから働き盛りとお見受けする男性が粋なスポーツウェアを着込んで散歩していたりする。……相変わらずそういう街なんだなあ。
 マクドナルドでお腹をくちくしていたら、隣には上品な親子連れ。グラタンコロッケバーガーってやつを頬張った女の子は、フィリングのマカロニを見て一言。「あ!ストローパスタが入ってる!」……相変わらずそういう街なんだなあ。

●稽古場に戻ると。依頼していた、ちょっとした挿入曲があがってきた。注文したわたしが、まさに望んでいたような曲で、うれしくなる。こういうことがとってもうれしい。


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