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2002年01月31日(木) 竹内浩三のことば ●日本が見えない(竹内浩三)・紙屋町さくらホテル(井上ひさし)

 このところ新聞などで話題になっている竹内浩三作品集を入手。

 八千八百円という値段にいったんは二の足を踏んだが、結論、思い切って買ってよかった。


 彼は23歳の時、フィリピンで戦死。
 
 こんなにもことばに溢れた青春を、わたしは知らない。

 ノートに手帖に、原稿用紙に、本の余白に、饅頭の包み紙に、ほとばしるように書き付けられたことばの全てが鮮烈。

 綴られた文字に書き直しはほとんどない。推敲の跡が見えない。彼の中にことばが生まれると同時に、文字となっている。文字は彼の心の写しになっている。

 教室で、青空の下で、汚れた下宿で、兵舎の寝床で、書き続けられたことばは、美しかったり、痛ましかったり、青春のすべてが映っている。

 わたしは愕然として読み進めながら、このようなことばの泉を枯らしてしまったものを改めて恨んだ。自分の家族を失ったみたいに悔しかった。

 詩、創作、日記、漫画、それは膨大な量なので、まだ3分の1しか読んでいないが、魂を抜かれたみたいに1日呆けてしまった。


***

 下に、天声人語にその一部が紹介された詩を写そう。色んなところでこの詩は紹介されているから、全文写したっていいだろう。


「骨のうたう」

戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
遠い他国で ひょんと死ぬるや
だまって だれもいないところで
ひょんと死ぬるや
ふるさとの風や
こいびとの眼や
ひょんと消ゆるや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

白い箱にて 故国をながめる
音もなく なんにもなく
帰っては きましたけれど
故国の人のよそよそしさや
自分の事務や女のみだしなみが大切で
骨は骨 骨を愛する人もなし
骨は骨として 勲章をもらい
高く崇められ ほまれは高し
なれど 骨は聞きたかった
絶大な愛情のひびきをききたかった
がらがらどんどんと事務と常識が流れ
故国は発展にいそがしかった
女は 化粧にいそがしかった

ああ 戦死やあわれ
兵隊の死ぬるや あわれ
こらえきれないさびしさや
国のため
大君のため
死んでしまうや
その心や

***

 ひとつ残念なのは、やはり、この本の値段。
 若い人にこそ是非読んで欲しいのに、八千八百円は普通一冊の本に支払わない。若い時は、我々中年と違う意味で物入りなのだ。
 紙質を落としてでも、もう少し廉価にならなかったのかしら。
 願わくは、日本中の図書館すべてに置かれんことを。


2002年01月30日(水) 切実さ ●彦馬がゆく(三谷幸喜)

 政界、大荒れね。その割には切実さが伝わらない。

 三谷幸喜氏の「彦馬がゆく」を観る。基本的にわたしは氏のファンなので、たっぷり大笑いし、楽しむ。でも、笑いで筋を運ぶことと、役の人生を生きることの間で俳優が行きつ戻りつ、少し苦しそう。(少なくも、わたしは観ていて苦しい。)無理をしない小日向さんと筒井くん、伊原さんがいい。役得。

 新聞を読んだり、本を読んだり、芝居を観たり、映画を観たり、自分の中に入ってくる情報がバラバラで、バラバラに過ぎて、どれも消化不良のまま栄養にできないまま過ごしている感じがする。
 どこから得るのもひどく切実なことばかりなのに、自分が切実に受け取れないのは、何に因るものか? そういうことを分析できていないと、いつまでもこの先の1歩を踏み出せないよなあ。


2002年01月29日(火) 何もない日々。

 活字中毒のような暮らしで、目が痛む。昨日は自分に読み書きを禁じて、なかなか先に進まないチェロの練習と、料理に精を出す。
 赤ワインをほぼ1本使って、日がな一日かけてのビーフシチュー作り。きっと、我が人生の中で、あんなに真剣にシチューを作ることは、これ以降ないんじゃないか。

 今日はひたすら、自分の仕事の資料を読む。


2002年01月27日(日) 「青春の終焉」

 三浦雅士の「青春の終焉」という評論を読み始める。
 
 雨の音を聴く薄暗い夜明けから、俄に晴れ上がり白い光が部屋に注ぎ込む昼へと、なんとも美しい日曜日であるのに、わたしの仕事は遅々として進まず、悶々としている折りに読み始めた。

 20世紀初頭から日本に流布し、日本の近代文学界を席巻した「青春」ということば、60年代後半の学生闘争と共に死語となってしまった、当時は「人生」に置き換わりさえした「青春」ということばの概念を、解き明かそうとするこの書物。

 ゆっくりと序章を読み終えただけで、もう今日という1日が価値あるものに思えてくる。
 何にも出会わない1日ほど淋しいことはない。そして、こういう書物との出会いが、わたしの無為な生活に輝きを与えてくれる。

 読み終わったのはまだ序章だけだし、それを要約して伝えることも意味がない。

 ただ、本書読書中の印象とは関係なく、引用されていた三島由紀夫の文章を、是非、写してみたくなる。(※の注は、ワタクシがつけたもの)

***


「佐藤春夫氏についてのメモ」       三島由紀夫

 大正以後の作家の成長には或る型がある。一様に青年期には、時代の頽廃を一身に背負ったやうな観を呈する。彼はその自らの頽廃を精選する。頽廃の精髄をつかまうとする。さうしてゐるうちに、自分であれほど自信を抱いてゐた頽廃の根拠があやしくなる。頽廃と見えてゐたものは、実は青春の別名であり、近代西欧の教養の洗礼にすぎなかったとも思はれてくる。このとき、徐々に作家の本来的なもの、風土的なものがあらはれてくる。そして青春と壮年、西欧と日本との調和や総合が企てられはじめる。
 明治以後、西欧とは日本にとって青春の別名であった。これを裏からいふと、青年の嗜好に愬へぬ(※)ような西欧思想は、ひとつとして輸入されず、又たとへ輸入されても、ひとつとして普遍化されなかったと云っていい。
 さて、詩人とは、自分の青春に殉ずるものである。青年の形態を一生引きずってゆくものである。詩人的な生き方とは、短命にあれ、長寿にあれ、結局、青春と共に滅びることである。

 これだけの前置きが、どうしても佐藤春夫氏を語るために、私にとっては必要であった。

 小説家の人生は、自分の青春に殉ぜず、それを克服し、脱却したところからはじまる。
 かういふ小説家的人生と、詩人的人生との、明瞭な、しかしイローニッシュな対比が、芥川龍之介と佐藤春夫との間に見られる。芥川は小説家である。彼は本来、自分の青春から脱却して生きのびるべきである。それなのに、それを果たさずして芥川は死んだ。佐藤春夫は詩人である。氏は自らの青春に殉ずべきである。それにもかかはらず、氏は老来ますます壮健である。(※)この対比は、まことに皮肉で、運命的だった。

 青春の懲罰を一生受けつづけねばならぬといふことに詩人の運命を見て、おめず臆せず、その運命に従って生きてきた氏に敬意を払ってゐる。


※愬=訴(愬は、訴より、心的情的な「うったえ」に使われた漢字)

※三島はこれを別の文章では、
「本来夭折すべき作家が生き長らえ、しかもその危険な青春から身をそらせて生きたとみえてじつは果たさず、青春の衣裳をそのまま着つづけて(もし夭折していたら美しい屍衣になっていたであろうものを)、おのれの青春に対する盲目的誠実が、ついには、そのまま不誠実と化してしまったドラマ」
と言い換えており、佐藤春夫が青春の美に殉じなかったことを惜しみ、にもかかわらず生き延びてしまった姿を憐れんでいる。憐れみもまた、美の鑑賞のひとつの形態であるとして。


***

 益のない写しなどし、相変わらずの無為の中、こうしてまた1日、終わる。


2002年01月26日(土) 雨の朝 ●森のなかの海〈下〉(宮本輝)・井上ひさしの作文教室

 わたしの朝型は、すでに確固たるものなりつつあるらしく、二日酔いで遅く寝覚めた昨日でも、午後10時を過ぎると眠くなる。1日分、時間を少し損したような気分にもなるが、こうしてちゃんと午前5時過ぎに目覚めると、気分がいい。

 雨だ。今年初めての雨の朝。陽が昇る時間に降っているのは、たしか、はじめて。間断なく地面に降り立つ水の粒の音や、濡れたアスファルトをゆく車の走行音。遠巻きに耳に届いてくるいつもと違う音。このところ朝の静寂を一人ひそやかに楽しんでいるが、雨が降ると、いつもより音の要素が多いはずなのに、またぐっと違う趣の静けさを感じてしまう。なぜ? 
 長い間の夜更かしと不眠症生活で、朝とのつきあいが人より少ない。わたしは朝のことを何も知らない。しばらくこうしてつきあえるのだと思うと、無為の毎日であっても、ほんのり嬉しくなってくる。

 


2002年01月25日(金) 眠くても、そこに酒があると ●森のなかの海〈上〉(宮本輝)

 その日のうちに就寝、翌朝5時から6時に起床、という生活がほぼ体になじんできたところで、このところ、午前2時越えの痛飲が続く。眠くってしかたないのに、目の前に酒と語るべき相手がいると、どうしても。

 書きたいことは山ほどあれど、心はもうベッドの中。

 明日は、通常のストイック一人暮らしに戻る。


2002年01月22日(火) 夜の続きではない朝の時間 ●少女(マンスフィールド)

 早起きは三文の得を実感する1日。

 夜の時間から朝を迎えると、その明るさ、清新さが、何かしらそらぞらしく感じられるのに、朝が始まろうとする時間に起き出すと、その朝の芝居の巧さにすっかりだまされ、同調し、わたしは気分よく、朝からひと仕事できたのだった。こういうことは、毎日を楽しく過ごすコツのひとつであるなあと、納得した次第。

 ちゃんと朝ご飯を作り、仕事(と、現在わたしが呼んでいること。それでお金がはいってくるわけではない)して、洗濯して、干して、一息ついてもまだ午前中。
 昨日、万年筆を落として破損してしまったので、修理に出している間使えなくなってしまった。久しぶりに街に出る。新しい万年筆を求めて。

 散財して帰る。気分よく。家に帰り着き、新しい紫色のモンブランで書き始めると、わたしの本日の気分の良さはピークに達し。

 金井美恵子の噂の娘を購入。彼女の新作にドキドキするのも久しぶりのこと。

 散歩(時としてジョギング)の、公園行のための、新しいウェアも購入する。

 休みを過ごすリズムが、強引な朝型移行のおかげで、少しつかめそうな予感がしている。さて。気分のよいところで、風呂につかり、ビールでも飲み、次の朝を楽しみにして眠ろうか? 現在午後9時15分。


2002年01月21日(月) 体内時計調整すべし ●サイドカーに犬(長嶋有)・幸福な遊戯(角田光代)

 夜中に読み出したり書き出したら、翌日の予定がないものだからいつまででもやってしまい、寝るのは朝、起きるのは昼過ぎという生活になってしまった。体内時計が完全に狂っている。
 運動不足と脳の興奮が冷めないせいで、おとといは午後2時まで眠れず、これではいかんと反省。

 夕刻目覚めてそのまま眠りを翌々日の昼から我慢し続け、午後10時に倒れるように就寝。昨日1日わたしは頭脳労働の何もできない人であったが、おかげで朝起きるリズムを取り戻せそう。このまま無茶をしなければ。


2002年01月19日(土) 木に咲く花 ●武蔵丸(車谷長吉)・杜子春(唐宋伝奇集)

 いつもの散歩コースより、少し先まで足を伸ばしてみると、日当たりがよいせいか、木々のほころびが目に飛び込んでくる。

 林の中に、陽のあたる方だけ咲いている白梅を見つける。木蓮、こぶし、はなみずきのつぼみを、カメラのレンズのように、目を寄せて眺める。どれも大好きな、木に咲く花。

 昨年4月、わたしは今の部屋に越してきた。仕事は忙しいし、物件は時節柄出払った後で、条件がよい部屋はほとんどなく、それでも、「ここなら」と決めた理由のひとつに、かねてから好きな公園の側だということがあった。
 川に沿ったこの公園には、お気に入りの白木蓮の木がある。そう猛々しく大きくはないのだが、林から離れてぽつんと生えている。
 木蓮を楽しむにはあの白い花を青空バックに見るのがいちばん、と、常々わたしは思っているのだが、孤立しているからこそ、この白木蓮は、どこから見ても、青空を威して和していた。
 今年は、見ようと思えば毎日でも、そのほころんでいく様を見届けることができる。

 
 読んでみると、芥川が書き換えたものとはまったく様相を異にする、唐宋伝奇の「杜子春」。なぜ、芥川はあの「杜子春」を書こうとしたのか、しばし考える。
 「カラマゾフの兄弟」の中の小さなエピソードを「蜘蛛の糸」として書き換え知らしめたことは大きいが、「杜子春」はどうか。云ってしまえば、芥川のは話が単純で、唐宋伝奇の方がずっと面白いのだ。
 面白くてもそうでなくても、自分好みでもそうでなくても、このところ、本を読むと、作家がそれを書き始めた端緒のようなことをよく考える。こうして、同じ人の形に同じ内臓を持って生まれてきて、まあ、生まれた限りいつか死んでいくらしいと云う、大筋では変わらない生活をする中で、彼らの中にどんな塊が生まれて、作品に形を変えていったのか。そういうことを考えていると、時間はあっという間に過ぎていく。いいのかしらん? こんな毎日で。
 


2002年01月18日(金) 食べたり飲んだりすることで。

 豚肉と長ネギがほどよく煮えただし汁に味噌をといていたら、恋人から電話。どうも仕事でくさることがあったらしく、日本酒いっぱいどう? のお誘い。
 みそ汁の火を消し、炊きあがった御飯をとりあえず混ぜっかえして、10分後には家を出ていた。

 よく行く美味しい焼き鳥屋で、お気に入りの酒肴と燗酒をかこむ。
 「どうも気持ちが晴れなくて」という彼に、「大丈夫、わたしと美味しい日本酒飲んでればすっかり忘れるよ」と飲みだしたら、やっぱりわたしの云った通りになった。こちらはこちらで、顔を見ることができて嬉しさいっぱい。もちつもたれつ。

 お互い、それぞれ夜の時間にやるべきことのために、終電前に帰宅。

 帰宅後。
 ちょっとした偶然で、10年以上前わたしが演出した芝居に出演してくれ、以来連絡の途絶えていた(これもやはり、連絡をもらっても返事をしなかったわたしのせいではあるが)俳優のHPを見つけた。

 今や焼き肉屋をはじめとする飲食業の会社の社長である。

 それでも、不思議なもので、その当時、彼が俳優として持っていた魅力は、そのHPに書かれた彼の文章から読みとれる生き様にも見えていて、なにやらわたしは、驚きながらも、懐かしい気持ちに。

 先日も書いたが、こういう時に手紙を書くゆとりが今はある。
 書き始めたら止まらなくなってしまい、彼のことのみならず、狂牛病で頭打ちの全国の焼き肉屋さんのことや、かつて仕事をして会わないままの人たちのことや、深夜に色んなことを思いながらキーボードをたたき、送信してふと時計を見ると、2時間半もたっていた。馬鹿だなあ、と思いつつも、そういう時間が今はうれしい。

 俳優時代、(わたしも含めて)観客を和ませ楽しませてくれた彼が、人々に食を提供する場所で働いているのは、これもまた嬉しい話。

 ふだん、仕事をしている時は缶詰状態だから、コンビニのおにぎりとサンドイッチで生きている。これが劇場に入ったらお弁当になる。だから、「美味しいもの食べたいね」が仕事の合間の口癖になる。もちろん、ただ美味しいだけじゃ足りない。あの店に行けば・・・と思わせてくれる、時間と場所を求めているのだな。
 お気に入りのお店に、ずいぶん心と体が救われてきたと思う。

 そして、現場から離れている今は、もう7年ぶりくらいの自炊生活。かつては食べてくれる人がいなければ作る気がしなかったものだが、今はそうでもない。歳をとるということがもたらす、微妙な変化が、こんなところにもある。このことを書き出すと、また長くなってしまいそうだから、いつか日を変えて。


2002年01月17日(木) 2本の映画 ●Dancer in the dark・Shakespeare in love

 仕事の前に映画でも、と、未見だったDancer in the darkをヴィデオで見る。
 確かに、監督やキャメラのやりたかったことは非常によく分かるし、また、ハリウッドの対極にある新しいミュージカルの形としては、面白いところも一杯あるし・・・でも、あの脚本は・・・。
 いくらビョークの歌が素晴らしくっても、わたしの大好きなデヴィッド・モースが憎まれ役をいくら好演しても、脚本が偏りすぎていて、見ていてどうしてもノッキングを起こしてしまう。よって、ビョークのナルシズムばかりが目立って、セルマというドラマの中の人間を殺してしまう。
 もちろん、ブレヒトのように、歌とドラマをはっきり線引きしてしまっているのなら、それはそれでいいのだけれど、そうでもない。
 ラストシーン、セルマの絞首刑の直後、途切れた彼女の歌を文字で示すなどという、メッセージ性の強いことを平気でやれるのなら、もっと脚本を見直してほしかった。
 意図が読めない。

 1日に2本見るつもりはさらさらなかったのに、どうも後味が悪く、やはり未見だったShakespeare in loveを。(仕事が忙しいと、悲しいくらい映画を見逃す)

 もう、「恐れ入りました」って感じ。うまく出来ている。
 シェイクスピア好きにはたまらない、小さなくすぐりみたいなエピソードが山ほど、そして、シェイクスピアの手法を引き継いだたくさんの人物の書き分け。人生を鼓舞するおおらかな大枠。
 3時間弱、エリザベス朝に生きた英国市民の気分になって、演劇人と劇場と、恋の行方を見守った。
 久しぶりにジュディ・デンチを見たのも喜びのひとつ。「ムッソリーニとお茶を」以来。
 知的で強固で、それゆえのユーモアと人間味。一人の演劇人として、憧れの女性。

 映画って、見る人によって、それぞれでいい。もちろん。
 前者が大好きで、後者が健康的過ぎてつまらないという人もいるだろう。

 わたしにとって大事なことは、他者の創った作品に触れて、自分が(今)何が好きなのかを知ること。そして、身を委ね、楽しむこと。


2002年01月16日(水) ぼくは二十歳だった ●残響(保坂和志)

 「ぼくは二十歳だった。
 それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどと、 だれにも言わせない。」

 成人の日になると、いつもこの、ポール・ニザンの言葉を思い出す。


 次ぎに引用するのは、ポール・ニザンにあてた、サルトルの言葉。

 「彼はコミュニストになり、コミュニストであることを止め、
 孤独に死んだ、或る窓の傍で、 階段の上で。
 この生涯は、この毅然たる妥協の拒否によって説明される。
 彼は反抗によって革命家になった。
 そして革命家が戦争に譲歩せねばならなくなったとき、
 彼は過激な自己の青春を 再び見出し、反抗者として終ったのだ。
 彼の言葉は、若く、きびしい言葉だった。
 これを老いさせてしまったのは、われわれなのだ。」

 反抗の形は様々。

 このところ我が国では、20歳たちの幼稚で無自覚な自己主張ばっかりが取り沙汰されるけれど。

 いやいや、一事が万事ではないはず。

 これからを変えてくれる、20歳の美しき無軌道が、ポジティブな反抗の心が、わたしの知らないところで、ふつふつとたぎっていることを想像する方が楽しい。
 


2002年01月15日(火) 酔いにより、筆記できず●なんとなくな日々(川上弘美)・ゴドーを待ちながら(串田和美)

 本を読み、芝居を見、恋人と会う。

 恋人とは、おつな酒肴とともに、日本酒を飲み、帰り道で危険な選択ながらもシャンパンを買い、我が家で飲む。

 どうしてそんなに話すことがあるのかと思うほど、話す。時々黙るが、それもまたよし。

 もうすっかり酔っているんだから、と、選んだのは、冒険と称した安物買い、タスマニアのシャンパン。(厳密に云えば、シャンパーニュ地方でないから、単なる発泡酒なのだろうが)

 したたかに酔う。

 


2002年01月14日(月) 手紙、日誌、悠長な時間 ●蝶の皮膚の下(赤坂真理)

 忙しい時にはどうしても出来なかったことで、今は出来ることのひとつが、ゆっくりと手紙を書くこと。
 万年筆を使って書くのは久しぶりだし、メールにしたって、じっくりと書くのは恋人に宛てるものだけだった。もともと筆無精ではないのだが、人づきあいは悪い。ひと仕事終えて、住所録とかもらっても、すぐになくしてしまい、さして困らない。「出会うべき人には、またきっと何処かで出会うのだ」とうそぶいて、自分の無精と無礼を省みない。
 そんなわたしが、机の奥にしまいこんだ「受け取ったまま返事を書かなかった」手紙たちを引きずり出し、机の上に並べている。一度にすべての返事を書くわけではなく、かつてわたしに送られた文字たちを、しばしば眺めて暮らしている。実は、そこでもう、手紙を書く行為は始まっている。

 自分の近況を伝えるなら、たかだか便箋3、4枚の手紙より、自分のHPにアップした日記を見てもらった方が早い。相手の近況や健康が気になるなら、電話の方がよほど確実に情報を手にいれることが出来る。
 でも。机の上の手紙を眺め、「さて何を書こう、どの便箋に書こう・・・」とその人のことを思い出しながら筆を進め、時には許せない書き間違いに紙を丸め、読み直して読み直して落款を押し、朱が乾くまで煙草など吸い、封筒にいれて、「あらら、郵便番号5桁じゃない」とおもむろに調べ、切手を舐め。そして生まれた一通の封書は、やはりわたしの机の上で、静かに投函されるのを待っている。
 この悠長なわたしの時間。これは、電話でもメールでも相手には伝わらない。便利なメールがここまで浸透した今、この「時間」というものが、手紙を書く意味なのだろう。

 ということは、何処でも、誰でもよく書いていて、そう、新聞の「声」欄などでも、趣旨を同じくするものが季節に一度は取り上げられている気がする。
 
 ただ、この「そういうものだ」と頭で分かっていることと、暮らしの中でふっと体感することは、だいたい、我が家と樺太くらい遠い。忙しい時には、目の前にいない人のことなど考える余裕がないのだもの。仕事に埋没していると、親の調子の悪いことまで忘れてしまうような人間が、たまさか自由になる「時間」と暮らして、思うことは、実にたくさん。

***

 日常の中で、書くということは、実に様々。
 今日、わたしのHPも時々のぞいてくれている友人から、メールを受け取った。やはり書くことに心と時間を費やしてきた彼女がわたしに訊く。「人に読まれる前提で日記を書いて、どんな効用があるの?」
 効用、と云われてしまうとちょっとたじたじとしてしまうが、実際、こうして不特定かつ不可視の他者に読まれる日記は、自分の日記とはまったく違う。
 自分の日記では、自分の知っていることは書く必要がないが、ここではどんな形であれ、ことばにしないと書き進められない。どう書けばいい? どこまで書く? と思案する。それがいい。そしてまた。鍵をかけた日記なんて自戒ばっかりで、自分でさえ読む気にもならない。だから、人が読むと思うと、自戒や落胆の中でさえ、俄然元気なわたしが起きだして、何やら面倒ではあるがちょいと意味ありげな日常を綴っている。もちろん、どっちも嘘ではない。一人の人間は、そうそう一辺倒ではないから。

 「時間」があるので、かつてのWEB日記を読み返してみると、「ああ、あの時は心身ともに辛かったなあ」というような時節に、やけに威勢がよかったり軽やかな文章を書いていたりして、個人的に面白い。わたしは職業柄、人を鼓舞するのが上手い方だと思っていたが、実は自分を鼓舞することに長けているのかもしれぬなあ、などと思ったりする。

 とまあ、こんな風に、今日も書いており。ガンガンタイピングしていても、それなりに時間はたっており。効用と云えば効用のある日記を、実はやっぱり自分のために書いておったのだな。

***

 今日は、今夜わたしがこしらえた、世にも美味しいスパゲティのことを書こうと思っていたのに、「書く」という1トピックでここまで引っ張ってしまった。
 うーん、また明日だな。

 


2002年01月13日(日) ことば ●声に出して読みたい日本語(斎藤孝)・宮廷の道化師たち(A・ダガン)

 「声に出し読みたい日本語」が売れている。売れているので、わたしも買って読んでみる。
 暗誦できることばを持った日本人が減っていると嘆く著者に共感。
 わたしはこの本で取り上げられた幾つかをそらで言えるような人であり、俳優の、音になった「ことば」とつきあう身であり、氏と同じく、「声」を発する時の原初的な喜びや快感を、伝えていきたいと思っている。ああ、早くも現場で仕事がしたい。

 ただ音にする、そのことから生まれる所感は、まず意味を離れて心地よい。そこを経て再生した意味は、豊かなものとなって人の中に住み着く。

 相変わらず、享受のみの生活。そんな自分が鬱陶しくて仕方ないが、享受の喜び、手応えは、確かなもの。他者によって生かされていると、つくづく思う。


2002年01月12日(土) 不健康がお似合い ●半所有者(河野多恵子)・ブルールーム(D・ルヴォー)

 なんとか朝型生活者になろうと、早く寝ようとしても眠れず、例えば飲んだ勢いでそのまま眠れてしまえても、やはり中途半端な時間に目覚めて、夜の真ん中で途方に暮れてしまう。
 それでもなんとか、複数の目覚ましで強制的に朝を迎えても、健康的な空気の中で仕事をする気になれない。むくむくと妄想が頭をもたげ、書かずにいられなくなったり、自分の見たい景色が広がっていくのは、どうしても夜の中において、なのであった。

 憧れの「健康」はひとまず脇に置き、やはり夜の人として生きるのか?

 河野多恵子氏は「半所有者」を、一体どんな時間帯に書いたのだろう?
 原稿用紙30枚かそこらの短篇に描かれるのは。
 病院から自宅に戻り、通夜を待つ妻の亡骸の上に乗っかる夫の姿。彼は死体との交わりの中で、女の官能にさえ至る。つまりは、すでに肉として喜べなくなった女の体と交わる中で、女の喜びを代わりに己が肉に移し込んでしまうような一体感を味わっているのだ。

 なぜ交わるのか、それは愛か? どの刹那、死体との結合という絵が彼の裡に浮かんだのか? 妻の死体は如何にして夫をその行為に誘ったのか? それは妻の一生かけた貯めこんだ、女の業の表出なのか?
 
 読むたびに匂い(臭い)を変えそうなこの小説、こんなものを朝方書くと思うとぞっとする。いや、でも、きっと朝の時間に書いたに違いないと思えてしまう、作者の企みを、感じてしまうのだ。平明な文章、淡々とした時間の運びの中に。

 我が青春の劇場「ベニサン・ピット」で、「ブルールーム」を観る。シュニッツラーの「輪舞」を舞台化したもの。
 一言で云えば、セックスの話のオムニバス。いちばん危ない題材を見事なバランス感覚で演出するルヴォーに、久々に感服。そして、昨年仕事で知り合った女優、秋山菜津子の鮮烈さ。軽やかに、かつ執拗に「女」でありながら、時折ユニセックスな存在になって自分の「女」を不機嫌そうに眺めていたりする。
 ナルシズムから見ても、愛し過ぎたり嫌いすぎたり、ぎりぎりのところを行きつ戻りつ。

 本はバシバシ読めてしまうし、観劇予定は続くし。休暇に入っても、享受するばかりのわたし。

 才能も企みもない人間は、やっぱり夜中にこそこそと、妄想を膨らませ、不健康にまみれて仕事するのが似合っているのかも。

 


2002年01月11日(金) 休暇初日

 劇場に朝方までいた興奮から醒めず、本を読めば読むほど目が冴えて(今は「宮廷の道化師たち」を大事に大事に少しずつ)、7時半頃ようやく眠りの中へ。
 ほっとしたせいもあるだろうが、目覚めたのが午後3時だと知った時はがっかり。これからは規則正しい生活をしようと思っていたのに、休暇初日がこれとは。
 
 まあ、昨日仕事が終わったばかり。現場から現場に移動して働き続けることで見失ってしまったものがある、と、この休暇を待ち望んでいたわけだから、しばらくは心も体も解放してやろう。

 この深夜重点型不規則生活を正すのに、1週間くらいかけて、その間は別に何も手につかずぶらぶらしている、なんてのも、悪くないかもしれないな。
 


2002年01月10日(木) 千秋楽

 そしてひとつ仕事が終わった。大きな大きな仕事が。

 千秋楽は。
 いつも通りでもあり、お祭りでもあり、別れでもあり。

 大切に作りあげてきたものが、夢のように消えてしまう。
「儚い」という言葉を、思い出す日。

 仲間のスタッフたちがまだバラシをやっているのを尻目に、4時頃帰宅。

 さて。わたしはいよいよ、4ヶ月弱の失職者生活に入る。
 


2002年01月09日(水) 二日続きの痛飲

 昨日、今日、と、連日の痛飲。
 もちろん、状況はずいぶん違っていて、昨日は恋人とお互いの現在を話しつつしっとりと。今日は、劇場のプロデューサーたちと、これからの仕事の話、プラスつまらない世間話に盛り上がりながら。

 この先、他者とコミットしなくなる個人的な休暇を控えていると思うと、普段なら「早く帰ろう」と思う席での時間も惜しくない。

 勝負は独りでしなければならないのだろう、と思う。
 でも、独りで生きてきたとは、とても思えないし、他者といなければ世界が広がらないのは当然のこと。

 ただ、他者といる時間が、そうそう充実していないと感じるのは、それぞれが違う現在を抱えていて、それぞれ、真っ直ぐにそのことどもを他者にぶつけられないからなのか?

 そういう意味では、恋人と語らう時間がいちばん。

 人を愛するってことは、歳をとると、ずいぶん滋味に溢れたことになってくるものであるなあ。


2002年01月07日(月) 無為 ●独り居の日記(メイ・サートン)

 遅く目覚め、何もしない休日。
 時間をかけて読み損ねていた新聞を読み、整理などをする。
 
 現在の自分に欠けているもののことを考えたりする。

 
 ベッドの中で少しずつ読み進めてきたメイ・サートンを読み終えた。
 


2002年01月06日(日) 早めの打ち上げ

 あと3日4回の公演を残しているが、打ち上げパーティーが催される。
 とても良い集まりだった。

 わたし自身は問題を抱えており、満足な仕事をしたとは言えなかったのだが(他人の評価は違うかもしれないが)、同じ仕事を愛している人々が歓ぶ姿はうれしいものだ。

 もうすぐ現場から離れ、しばらく他者と仕事をせず、自分のやり残してきたことを詰めようと思っているが、その時が近づいてくるにつれ、劇場が愛おしい。
 現場を4ヶ月も離れて、わたし、平気でいられるかしら?


2002年01月03日(木) 仕事はじめ

 仕事はじめ。
 
 いつもの「おはようございます」という挨拶が、「おめでとうございます」とか「今年もよろしくお願いします」とかに変わったくらいで、公演中の芝居を、いつも通りに上演する。

 マチネ終演後、スタッフ全員で新年会。総勢40人。
 大勢の宴会が苦手なわたしは、近くにいた人と少ない酒量でたくさんしゃべって笑い、酔わずに帰った。

 突然、ジャック・マイヨールが自殺した事実を思いだし、帰り道から彼のことを考え続けていた。「孤独」の2文字をキーワードにして。
 休みになったら、言葉にしながら考えてみたいことが山ほどある。
 
 でも今は。
 明日から昼夜昼夜昼、と、5れんちゃん。千秋楽を間近にして、いちばんきついところ。
 読みかけの本を抱えて早めにベッドに入り、明日に備えよう。

 


2002年01月02日(水) 今日はこんな1日 ●80人の遺書(文藝春秋)・黒猫白猫(クリストリッツァ)

 午前。
 配送業者のノックで起きる。母からの荷物。
 大晦日からお正月を、風邪でウンウンうなりながら独り過ごす娘を不憫に思い、元旦から料理をして、おせちと共に送ってくれたのだ。
 
 これには泣けた。百万回でも「ありがとう」って云いたかった。
  
 午後。恋人が部屋を訪ねてきてくれる。
 母の料理に、ぬる燗の日本酒で、心和むひととき。

 日が暮れて。
 彼は会社の新年会へ。駅まで見送る。
 恋人が帰った後は、いつも彼のいたところだけ、ぽっかりと穴の開いてしまったよう。そこだけ空虚なのだ。だからその足で部屋に帰る気にはなれず、辺りをウロウロ。しかし寒い。本屋が開いていればなあ、とコンビニに入り、幾多の読む気にならない雑誌の中から、文藝春秋を購入。そして、喫茶店が開いていたらなあ、とモスバーガーに入り。

 特集の「80人の遺書」というのを読み出したら、やめられなくなってしまい、じっくり全部を読破した時には、もう9時を過ぎていた。

 愛しい人との時間のあとで、文藝春秋、しかもファーストフードのコーヒーで、おまけに読むのが他人の遺書ときた。・・・笑えるね、まったく。

 部屋に戻ると、すっかり暖かさは消えていて、風呂が沸くまで、久しぶりのチェロタイム。またふりだしに戻っているので、休みに入れば、と、待ってくれているチェロに言い訳をする。

 そんなこんなの休日を終え、明日から仕事。


2002年01月01日(火) どこにでもある休日 ●ポロポロ(田中小実昌)

 目覚めると、とってもいいお天気。でも、いたく寒い。
 昨日、風邪の一気呵成なる悪化に懲りているわたしは、自粛して、今日も家に籠もり、あれやこれや。

 さて大掃除、というほどの元気もなかったので、とりあえず、書棚の整理を試みる。手をつけてみると、これが実に大変。いったん秩序の枠から外れると、本というものは嵩張ることこの上ない。しかも放り出しては、記憶のしおりに誘われて頁を繰ってしまうものだから、まったく埒があかない。

 埃のせいか、ようやく落ち着きをみせていた我が鼻の粘膜がやおらむずむずし始め、途中で断念。

 読んだ当時、ノートに書きとめておいたものの、何処にいってしまったやら。そんな大事なことばたちが、たくさんあった。
 いくつかをキーボードでパソコンにおさめておく。

 それにしても、ざっと数えてみると、2千冊以上ある。もちろん、現在の狭い部屋に全部出せるわけはなく、3分の1は押入と物置の中なのだが、いや、それにしてもだよ。まあ、2日3日に1冊のペースで読んでいれば、いくら売ってもそんなもの。お世話になっているなあ、ことばたちに。物語に。
 書棚とソファに囲まれたお気に入りの場所で、お正月気分も何もなく、どこにでもある休日を過ごした。
 恋人といられないから寂しい、とかいった感傷は意外となくって、あたりまえに、幸せだった。あたりまえに、暮らしていられて。


 Hold on tightly, let go lightly.(死守せよ、そして軽やかに手放せ)
 というピーター・ブルックの言葉に再会して、今年の自分の歩く方向を少しだけ考えた。
 築いてきたもの、培ってきたものから、今年わたしは少し離れて、独りで歩いてみようと思っている。
 単に、逃げたり、方向転換したりするのではなく、わたしは彼のことばの示すような決然とした毅然とした態度で、独りになれるだろうか?

 というようなことを、無為の1日の後に考えるのも変なもの。云うは易し。考えるだけなら誰でもできる。

 さて。明日はどんな休日?


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