人生の午後に書く日記

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救急車で入院
2009年05月27日(水)

日曜日、母と買い物に出たら店で母が急に倒れ、引き付けを起こしてそのまま気を失ってしまった。すぐに救急車で近くの病院へ。救急車の中で既に意識は戻っていて救急隊の質問にも答えていたし、病院の診断も特に異常がないと言うことだったが、意識を失くした人をそのまま帰すわけに行かないと言うことで、私が付き添いでそのまま入院することに。母が他の患者さんに迷惑をかけそうなので一日だけのことと思って個室にしてもらったので、もしかしたらこれは家にいるより休めるんじゃないかと色めいた私がバカだった。母は点滴が気になるようで一晩中外そうとしてばかりいてまったく寝てくれず。実際に二度も外してしまって、看護婦さんをイラつかせていた。それに病院の寝具のお粗末さで、寝返りをうとうとするとガサガサといちいち大きい音がして母の神経を高ぶらせるので困った。翌朝、お昼ご飯をもらった後の様子見で帰ってもいいと言われたけれど、なんせ母が落ち着かず、こっちも手に負えないので、もう退院したい旨を伝え、帰り際やっと先生の話を聞くことができた。特に悪いところはないけれどとしながら、良性の脳腫瘍がある、と言われてしまった。命にかかわるものでなく、認知症にも関係ないと言われ、そのときはそういうものかと思ったけれど、帰ってきて調べてみたりしたら、良性と言ってもやはりいろいろ問題はありそうで、なんだか気になっている。最近の症状の進みはそのことも多少なりとも関係あるんじゃないかと思わずにいられない。医者は母を目の前にして本当のことが言えなかったんじゃないかと勘ぐってもみる。まぁ、どうであれいつ何が起こってもおかしくないのだ。今回は命が残ってよかったけれど、本当のお別れはそう遠くない将来確実に訪れるのだと思わされた。


思いがけなさ
2009年05月22日(金)

病院に行ってまいりました。このところ状況が変わったので、それを先生に聞いてもらいたくて、来週の予約を今日に変えてもらいました。と言うわけだったのですが、なんか期待はずれだったような? 母のこと意外にも父親との昔からの不仲、それから始まった私の精神不安定についてとか、森田療法にかかっていたことなど言ってみたけれど、さらっと流されてしまった感じ。さらに最近の母と関わり方について、この状態を続けるのは難しいだろう、様子を見て、母のトイレ後の徘徊の頻度が少なければ、私は元のようにする方がいい。そうでなければ、睡眠薬を与えて寝かしてしまう方法があるがこれは失禁を伴うかもしれない、とのこと。認知症の患者を家庭で面倒をみる上で、介護者の生活を守ることも大事な要素だから、と。・・・・。お医者さんの言うことはもっともなんだろうけど、一方で他人の無責任な発言と思えてしまう。やはり一度あのような夜間の徘徊状態を目撃してしまうと、呑気に構えているわけにいかないのが家族だ。とはいえ、母の隣で神経を尖らせながら眠る生活がまだ一週間にもならないうちに、私はもうとても疲労している。父親はあのような人なので相談することもできず、私一人で問題を抱えたまま苦悩するだけなのだ。どうすることが最善なのかわからない。  

今日の占いに「思いがけないことに直面する」とありビクビクしていたが、やはり診療にやたらと期待を持ちすぎていたため、それが裏切られたような思いがけなさがあった。現実って、必ず予想外のことを仕掛けてきてくれる。


父親が憎い
2009年05月20日(水)

愚痴らせてください。この頃になって母がトイレの場所を忘れたり、この間はトイレからの戻り方がわからなくなって、だいぶ離れたところをうろうろしていたという出来事があったのです。うちは古い家なのでトイレが外にあるため、それが気がかりではありました。でも、こういうことがあった以上、もう今までどおりではいかないわけで、夜は私が母と一緒に寝ることにしました。これまで母はずっと父といっしょの部屋で寝ていたけれど、父に「母のトイレについていってやれ」と言うわけにもいかず、これしか方法がないのです。というのも父はとても冷たい人で、私に対して母のことを「お前は娘だが俺はもともと他人なんだから関係ない」と言い切る人なのです。そんなわけで唯一の家族でありながら、父に協力を求めることができない上、母は私のことだけきれいに忘れてくれるのだからたまりません。猫のことはわかるのに・・。それでも精神科の先生に恵まれたことや、お薬の効果で、なんとかやっていられたのに、睡眠時間まで母のために使うことになってしまうと、まったくもって休まる時間がないのです。ここ3日ぐらいの話ですが、とにかく眠れません。こんな風でこの先やっていかれるのかって。さらに父はこれらをまったく意に介さず、娘なんだからすべて背負うのは当然と思っているのでしょう。父は教育委員というのをやったことのある人です。さらに短歌教室などと言うものをやっていて、集まる人に「先生」と呼ばせています。あの人は自己愛性人格障害といったタイプの人で、私は子供の頃から父のことが嫌いでたまりませんでした。あの父でなければ、私はここまで歪まなかったと思います。今後父を殺さないように努めなければなりません。


命の電話
2009年05月17日(日)

昨夜いろいろあって、今さっき、命の電話というものに電話してみたら、「本日の相談は終わりました。相談は午前11時から○時までです。 プツッ」とのことでした。・・・・。・・・・。もうちょっとさぁ?




中学生が挨拶なんてするだろうか?
2009年05月14日(木)

昨日、歩いていたら中学生の男の子とすれ違いました。挨拶をしてくれたようなので一応私も「こんにちは」と返したのですが、「・・わ」しか聞こえなかったので、もしかしたら「こんにちは」じゃなくて「ババァ」と言われたのかもしれない、なんてネチネチいぶかる自分がほんとに鬱陶しい。


5月にしては寒いですね
2009年05月07日(木)

毎日いろいろと苦しいのですが、たぶん薬のお陰でなんとかやっています。先生は70歳ぐらいの方ですが、見た目ではなく頭の中がとても私好みな気がして、よい先生に出会えたことを嬉しく思っています。

ここを読んでくださっている方、気にかけて頂いているようで有り難うございます。



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