人生の午後に書く日記

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孤独な一日
2009年02月25日(水)

今日は苦しかった。おとといまでなぜかとても調子がよかった母なのに、昨日から急に妄想が激しくなり、私のことも誰かと勘違いしたまま。今日もちょっと一人にしておいた間に変になってしまい、その後は妙にハイでやたらと喋りまくり、当然私のことも誰だかわかっていない。まあ慣れてきたし、それでもいいんだけど、私のことだけわからなくなるという屈辱が耐え難いのだ。どんなに母のことを思って尽くしても、存在すら消されてしまうという悲しさ。暴言ばかり吐き、母のことにはノータッチでいる父のことはわかるらしい。猫もミーだとわかる。私のことだけ消されてしまう。

ムカシから母に気に入られるように振舞ってばかりいたような気がする。つまりは母から愛されていなかったんだろう。女性から嫌われることをやたらと怖がる傾向は、そこに原因があるような気がしている。そして母から理性が消えてしまった今、私の存在もあっさり消えてしまったのかもしれない。体さえ元気でいてくれる有り難味は十分すぎるほどわかっているけれど、感情を抑えてばかりいてそのうちどうにかなりそう。この間テレビで見たうつ病のおばさんは、認知症の親の介護がきっかけとなって発症したそうだ。ただその方には親身になってくれるご主人がいてくれたけど、私には母の悪化を私のせいだという異常人格者の父親しかいない。

いつまで耐えられるだろう?


待合室に集う様々な人々
2009年02月20日(金)

母の認知症の診療に行って来た。これまで病院がどうしても嫌で父に任せていたのだけど、やはり私が行かないとダメだなと思い直し、気が重かったのだけど行くことに。今日のような荒れた日はあまり混んでいないだろうと思っていたが、果たして、なぜか妙に混んでいた。

病院に行くといつも思うのは、みんな何処が悪いんだろうと、傍目には全然わからないこと。認知症は神経科の先生に診てもらうのだけど、そこにはひっきりなしに人が入っていく。みんなそんなに病んでいるのか? でも待合室で誰よりも不審者っぽいのは私だったような気がするんですけど・・。

アリセプトについて聞いてみた。毎日飲んでいると逆に妄想が強くなる気がするといったら、必ずしも薬のせいとはいえないけれど、別にもう飲まなくてもいい、と。アリセプトとは、初期認知症の進行を抑えるためのもので、ある程度すると効かなくなり、症状を悪化させることも在る、というようなことを言っていた気がする。つまり、もう薬なんかじゃどうにもならないレベルに来てるんだ、ってことなんだと思う。診察室で言われると緊張してて言われたことがよわからないけど、後になってゆっくり考えると、こういうことを言われたんだなって気づく。・・・。まぁ仕方ないですね。何事も起きたことは受け止めるしかないでしょう。

昨日「ありふれた奇跡」を見てたら、男の人の方にうつ病で入院していた過去があって、それに対して女の人の方の親御さんがとんでもない欠点を見つけたような言い方をしていたけれど、世間ってそんなもの? アレを見てたら、自分の人間としての価値のなさを目の前に突きつけられているようだった。でも、普通って残酷なものだと思う。だから私はそんな中から外れていてよかった、のかもしれない・・(?)


慣れと偏見
2009年02月17日(火)

母の眩暈がなかなかよくならない。というか波があって、なんでもなくてお風呂に入れるときもあれば、立ち上がろうとして、倒れてしまうときもある。紹介してもらった病院へ行ってみようと思う。

ただこの一ヶ月、こんな状態の母にだんだん慣れてきて、前は母がくらくらすると言っただけで私はお腹が下るくらいだったのに、今はあまり動揺したりしない。どころかせっかく久し振りに47キロまで落ちたのに、ちょっと安心したせいで過食になり、これまた久し振りに50キロ超えをしてしまったのだ。さっき食べたばかりなのに今また空腹。空腹感に勝てなくなってきた。

今朝ゴミ捨てに行ったら知らない男の人が「おはようございます」と先に声をかけてくれた。私はよれよれの格好で行ったのに、よくぞ挨拶なんてしてくれたと思う。それも笑顔で。で、見てたらその人ちょっとカッコイイ系の車に乗って去っていった。なんか、そういう人って挨拶なんてしてくれない嫌なヤツだろうってな気持ちがあるけれど、人を見た目で判断したり、偏見で凝り固まってるのは私だよなぁと思わせられる。


どこかで繋がっている?
2009年02月09日(月)

母の眩暈がよくならないため、今日は病院へ連れて行った。とにかく連れて行くまでが一苦労。何かちょっとしたことで「行かない!!」となってしまうので。なんとか連れて行ったものの、その病院はレントゲンの設備などないのか、この前往診してもらったときと同じような診察内容で、見立てもこの前と変わらず。脳梗塞など危ない病気の兆候はない、とのこと。再びそう言ってもらえたことで安心は安心なんだけれど、脳の写真など撮っていないことが引っかかる。でも一応脳神経系の病院の紹介状を書いてもらったので、一歩前進と思おうか。なんか母のためというより、私が安心したいだけって感じがするけれど。

で、その病院で高校時代の先輩のイノウエさんに会ったような気がする。音楽クラブで一緒だった人。向こうはわかったかわからないし、声も掛けなかったけど、たぶんそうだと思う。こんなところで何十年ぶりに会うなんて不思議。あんな少人数のクラブで一緒になるのもすごい少ない確立なのに、またこうところで会うって、薄いながらも縁ある人なのかもしれない。母も知り合いに会ったようで声を掛けられていた。でもその人は普通じゃない母の様子に面食らったようで、すぐに黙ってしまった。他人って、普通じゃないものにはほんとに冷たいものだとつくづく思う。イノウエさんも、今の私の現状を知ったら軽蔑するんだろうか。

縁、というんじゃないけれど、病院にいたとき、お気に入りの郵便配達のお兄さんが調度来ていて、こっそりジロジロ見ていた私。帰宅後も2度見かけてなんか得した気分であった。





アリセプト以外の薬はいつだ?
2009年02月05日(木)

ここ一週間母の体調は回復していたのに、また眩暈がすると言う。一度診てもらっているし薬もあるので、またもうしばらく様子を見ようと思う。

服用しているアリセプトかイチョウバの副作用なのではないかと気になり、それらをやめてみる。一応かかり付けの病院に問い合わせたら親切に答えてくれたけど、やはりアリセプトに変わる薬はないという答えに失望。

病院へ連れて行くのなら、その病院の内科担当の先生は脳神経系が専門ということで眩暈は範囲らしいが、この間往診してもらった先生がとても丁寧で、医者には珍しいほど好感のもてる方だったので、ならばまた診て貰いたい気もして悩む。独り悩む。

眠れないということに悩んだことのない睡眠女王の私が、もうずっとよく眠れない。


幸福感は長く続かない
2009年02月03日(火)

母の体調がよくなり、さえないながらも現状維持できることの有り難さが身にしみて、柄にもなく幸福感に包まれた先日。が・・。やはり幸福感は長続きするものでなく、反動のように泥のような憂鬱に包まれてしまった。頭では、母がよくなってもうそれだけで十分と思っているのに、心の奥で「そんなわけないじゃん!」と己を糾弾する私がいて、こいつがどうにも手に負えない。ほんとは母のことも自分のことにもうんざりしていて、見込みのないこの一生にしがみついている意味なんてあるのかなぁ、なんて気持ちが覆いかぶさってくる。

と、そんなふうでいたら、また母がクラってする、なんて言う。
・・・。私が悪うございました。



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