今日もだ。 朝から、30度だったし。猛暑。 チヨさんが、ゼイゼイいっていて具合悪そう・・ただご飯は食べる。 様子見だ。 今晴れるのはいいけれど、長岡花火の雲行きがあやしくなりそう。
朝から、夏休み教室。午後も3時から。 この一週間は忙しかったわ。
2022年07月26日(火) |
イッサの旅立ちから丸っと3年 |
7月26日、イッサの命日。今年はお骨を納めたのでお参りに。
お花、お水、むかしの教え子(ゆうじくん、ありがと)が「イッサに」と贈ってくれたチュールを紙皿に出して、線香を上げた。そして、お経をよんで来た。
月日の過ぎるのは早い。
2019年7月26日、早朝。
早朝もはや歩けなくなっていた(這いずっていた)イッサを箱にいれて、東側の窓辺に運んだ。そして「イッサ、この景色をよく覚えておいて、あちらに逝ったらすぐにここに戻っておいで」と何度も話した。
イッサとは仔猫の頃から、春夏秋冬一緒に外を見た、空を見た、雨を見た、雪を見た、月を見た,鳥を見た。一緒にドライブもした。だから、病院通いも静かに車に乗っていてくれた。チヨはダメだ、すごい暴れ方と鳴き方をする、あの子はうちで静かに看病するつもりだ。病院はきらいってよく分かる。ミヤコは、腹くくるようなとこがある。診察台の上では動かないで、まな板の上の鯉になるので先生にほめられる。
さて、あの日。 東の窓辺から移動して、階下でお水とできれば液状の栄養を飲ませようとしたら、がくんとして息絶えた。そのときまで粗相をしなかったイッサ、最後に私の着衣にオシッコとどろりとしたウンチを流して旅だった。
振り返ればいまだに辛い・・・何でもっと早くに気がついてやれなかったのか、と。というか、何かよく吐くなあ・・と思っていたが、新築移転した忙しさに取り紛れてイッサのケアが後手に回った。 このことについては後悔しかない。イッサ、ごめんとしかいえない。
ミヤコにイッサの魂が分霊で来ているとは思っている。やっていることがよく似ているし。が、イッサともう少しすごしたかった・・と思うときが、いまだにある。 イッサのあちらに残った御魂は、きっと虹の橋のたもとで私をまっていてくれるはず。そのときは、チヨもミヤコも一緒だろうし、3匹と私で霊界でいっしょに楽しく暮らすとしよう。
2022年07月23日(土) |
「PLAN75」をみた |
チョー忙しい1週間だったが、忙中閑ありで「PLAN75」という映画を観てきた。
ストーリー・・映画紹介サイトより 是枝裕和監督が総合監修を務めたオムニバス映画『十年 Ten Years Japan』の一篇『PLAN 75』を新たに構築、キャストを一新した、早川千絵監督の初長編映画。75歳以上の高齢者に自ら死を選ぶ権利を保障し支援する制度”プラン75”が施行され、その制度に翻弄される人々の姿を描く。年齢で命が線引きされてしまうことの恐ろしさとそのようなシステムを⽣み出してしまう社会構造や人々の意識に対し、痛烈な批判を込めて、生きるとは何か、を問いかける。
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一言にしていえば、気持ちの悪い映画だった。これは制作者側には「いい感想」かも知れない,痛烈な批判がこめられているとすれば。
この映画の中でのPLAN75の推進のしかたはワクチンをする理由とおんなじ。
「コロナワクチン打ちましょう」それが人に迷惑をかけないこと、って一時いわれていたやり方とおんなじ。
高齢者施設を襲って、若者が高齢者を殺す。理由は「高齢者のために若者が犠牲になっていると。同じような事件が頻発して、採用された政策が「Plan75」。つまり高齢者に若い世代のために「死を選んでくれませんか」というゆるい圧、同調圧力。
高齢者射殺事件頻発は、ワタシ的には、こういうプランを推進するために国民的合意のために「計画」されるのもあり。ってなことで、このあたりの導入が甘いわね、って思ったりして。
倍賞千恵子さん演じる角屋ミチ、78歳。夫に先立たれて身寄りは無い。ホテルのルームメイクの仕事をしていたのだが首になった。(理由は同じく高齢の同僚が仕事中に亡くなったため)仕事も見つからず、賃貸の住居移転も見つからず、親しかった友も亡くなった。追い詰められた彼女は「Plan75」に申し込む。旅立つ日まで、彼女のカウンセリングをしてくれる若い女性(成宮)との関係をひととき楽しむが、その日が来る。
一方、もう一つのタイムラインで「Plan75」に向かっている老人(岡部幸夫)がいる。彼はPlan75に申し込む時に、甥(岡部ヒロム)に再会した。甥なので担当ではなかったが、旅立つ日、彼は叔父をその場に送る。
国語的にいうと,人物の対比関係。しかしその対比はやがて、並行する・・成宮は、仕事が終わったあとにベソかきの表情で角谷に電話をした(つながらなかったが)ヒロムは叔父を送った先にもどる「先」とは、旅立ちのための収容所。これは病院とかいわないだろう。政府関連施設なので、給料がいいそうな。で、訳ありのフィリピン人介護士がここで働いている。ま、この人の存在、映画の中では今ひとつ?象徴的な意味はありそうだが。製作協力だったかにフィリピンが入っているのでの配役かな・・・
ヒロムは間に合わなかった。叔父は旅だったあとだった・・
一方、隣のベッドにいた角谷はそれを(岡部の旅立ち)カーテンのすきまからみていた、彼女は自然と酸素マスク・・正しくは死にいたるお薬が出てくるマスクをはずして起き上がって逃げた。(ということでしょう、とても抽象的な描き方,彼女は怖くなったんでしょう,生き物としての本能がにわかに再生した)
ここはあまり書くとこれから鑑賞する人にわるいので、くわしくは書かないが・・・
光ある終わり方(観念的)にもかかわらず、気持ち悪というか心寒々としかいいようのないこの感覚。ただ倍賞千恵子は名演である。
映画に痛烈な批判は特に感じなかったし、生きるとはなにかって、そんなことは考えることじゃないわね。私たち人間は生き物だから、理屈抜きに生き物は生きるしかないってこと、それ以外の答えあるんでしょうかね?
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昔から姥捨てはある。
古典の大和物語にもあるし,近いところでは「楢山節考(ならうやまぶしこう) 深沢七郎」と、これを元にした映画。
これは観た。60歳になったら、お山に行く(姥捨て)という貧しい村の決まり。
息子が母をおぶって捨てに行く。
私が観たのは、坂本スミ子が捨てられる母、捨てに行く息子が緒形拳の配役。監督が今村昌平さんでわき筋ストーリがいろいろとあって癖ありすぎというか猥雑でいい方かえれば下品傾向、とにかく土臭くて強烈で・・好き嫌いは分かれる作品だった気がする。
でも、最後の坂本スミ子が降る雪の中で手を合わせて座っている、上でカラスが待っているシーンは忘れられない。神々しかった。
Plan75は、こんなふうに残るかな?
あの今村昌平と新進女流監督を比べてはいけない、個性も違うし、生きている時代も違うし。でもね・・・熱量が違う気がするんだわ。
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この映画のキモは、なんといってもPlan75,という将来ホントに政府主導でされかねない政策だ。
それが、テレビCMでがんがん流れて、役所が推進役になり・・・具体的に動くのは「丸投げされた」私的企業。
高齢者にかかる圧。
今も進行している効きもしないワクチン推進のやり口と同じだ。映画が先に計画されていたはずだから、そういう点では非凡の監督さん、期待したい。
ただ観ていて、このシーン必要?みたいなところもあったりしたけど。
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藤原新也さんの「メメント・モリ」がその昔は座右の書だった。今も時おり手にとってページをめくる。「人は犬に食われるほど自由だ」というコピーがついたインドでの写真は衝撃だった。この本に出会って、私はインドに旅に出た。
生き物は自由に死ぬべきだと思っている、私は。死は徹底的に個人的なものだ。
今回のワクチンも含めて政府の管理でというより、誰かに管理されて「死なされる」のはごめんだ。神さんがお決めになったことを勝手にするなってこと。
聖書には「産めよ、増えよ、地に満ちよ」と神がいわれたとかいう言葉があったはず。人がいじくっていい分野ではないと私は考えている。
日本神話でも、この世とあの世の境であるヨモツヒラサカで黄泉の国(冥界)にいるイザナミ(女神)と現世界のイザナギ(男神)が喧嘩して、イザナミが「1日に1000の人間を殺すでしょう」と。イザナギは「それなら私は産屋を建てて1日に1500の子を産ませよう」と返したって話。
日本神話だって人は増えるように書かれているぞ。それも神様同士の会話として。人間の出てくる幕はない。
とりとめも無く書いたが、気持ち悪いという感想はこの映画にはプラスの評価。観てよかった。
・・・・ 以上、国語塾ブログより転載
2022年07月17日(日) |
日曜は,ゆっくりしたい |
夏休み教室の、高校生用の小論文テーマをつくったりグラフ問題を考えたりする予定だったが・・・しないで、ミヤコと一緒に涼しいところでお昼寝たっぷりたっぷり。たっぷりすぎでしたわ。 まあ、いいよね、日曜くらいは。 って思っている夜。 すっかり元気になりました。
梅雨の戻りというか、やっぱり梅雨は明けてなかったんじゃ?の天気図ですね。 何だか変ですね。
2022年07月12日(火) |
10.11日男鹿半島へ |
男鹿に雲昌寺という、紫陽花で有名な寺がある。 見頃は7月に入ってから。 義理で行けるかな、と1泊2日で行って来た。 きれいだった、というか、青い紫陽花が好きな私には、いい時間でした。 ただ、秋田は雨がないそうで、一部日差しの強いところは花が焼けていました。仕方ないけど。
交通の便がよくない男鹿半島、なまはげシャトルっていう乗り合いタクシーがあるのだが、その運転手さんと自民圧勝を嘆き合った。憲法改正はさせないようにしないとね、という話もした。 安倍さんの死が選挙の行方を変えたね、誰だ、この作戦を練ったのは。
2022年07月09日(土) |
あれこれ出てきた安倍元総理の狙撃死について |
Twitterなどで言われているのは「銃創位置」がおかしい。ってこと、
以下はよく拝見する「おおきな木ファミリークリニック」の関根先生のブログの一部です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ もう一つ違和感がありました。 病院の説明では、「首の右前部に約5センチの間隔で2カ所の小さな銃創があった。」とありました。
しかしSNS上ではまさに銃撃されるシーンが見れるのですが、安倍元首相は1発目の銃声が背後から聞こえたときに、左を向いて後ろを振り返っているのですね。 そして2発目を受けて倒れています。 つまり、発砲位置と安倍元首相の動きを考えると、首の右前部に銃創があるのがおかしいことになります。
また病院の説明では 「銃弾が首から体内に入り、心臓と胸部の大血管を損傷したとみられる。心臓の壁には大きな穴が開いていた。」 とのことでした。 首の右側から球が入って、心臓に到達し、心臓を損傷したようなのですが、これも不思議ですね。 確かに体内に入った銃弾は骨などに当たって軌道が変わることはあります。 しかし安倍元首相は台の上に乗って演説していたのですから、下方向から打たれたことになります。 下方向から打たれた弾が右首に当たって、心臓方向へグインと軌道を変えるのでしょうか? 頭蓋骨や頚椎に当たって大きく軌道を変える可能性はあるかもですが…。 でも致命傷になる心臓にたまたまいきますかね? たまたまにしては運が悪すぎます。
処置として開胸して止血位置を探っていたと説明されていました。 つまり仰向けです。 ひょっとしたら背中側の銃創を見逃していたのではと思うのですが…。 外傷で運ばれてきたとき、背中の傷もチェックするときはするんですけどね…。 ただ患者さんは当然仰向けで搬送されてきますから、目立った傷に目を奪われ、背部の傷を見逃してしまうこともあるんですよね。
今後また詳しい情報が出てくるかもしれませんね。 しかし、それでも右前頚部の銃創だけだったら違和感しか残りませんけど。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私は、ケネディ大統領暗殺事件を思いだしている。 しかしまあ、真相はでてこないとは思う。 この死をどう利用するかという観点でしか情報は出てこないと思っている。
2022年07月08日(金) |
安倍元首相、亡くなった! |
お昼のネットニュースで目を疑ったのだが。 夕方には、旅立ち。 奥さん待ちの延命だったのかな。 まあ、心肺停止だったし。
あしたに紅顔ありて 夕べには白骨となる
まさにこれだ。 世は諸行無常なり。
自作の銃で狙撃って、ここはどこの国? これ、テロですよ。 これをきっかけに,日本の治安はもっと落ちるだろうし、次の似たような事件がありそうだ。 岸田さん、テロとの認識はあるのか?戦うっていったのか?
67歳であったか、確か。 まだ若いのに。 94歳のお母様はどうされているのか? お可哀想に。
冥界で安らかでありますように。
こんなことが起きる元凶は「政治が悪い」から。 これに尽きる。 犯人の元自衛隊員も、失うモノがない人だったのか?と思う。 妄想的には(陰謀論的には)裏の裏の裏・・ものすごい闇がある事案なのかもだけど。
今年も後半戦に入った。 早いなあ・・早過ぎるわ。 サル痘来るまでの小休止。 あるいは、第7波までの小休止。 サルも7波もまたまたワクチンをいい出すけど、もう簡単にだまされないようにしましょ。
でも無理か。 だっていまだにマスクをはずさない人たちだし,日本人。 何か絶望している。 まあ、自民党が勝利、憲法が改正されて、人権がなくなって・・それで気がつく?いやそれでもこれでいいやって思う人達みたいな気がする、この国の人たち。 正直、こんな現世に未練は無いが・・元気な認知症老母と猫たちがいる。 ありがたや。
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