夕方から風が強くなった。 雨もそれなり。 でも、ピークは未明らしい。
昼間は暑かったわ。 しかし、めげずに午前は掃除、洗濯、10月になるので塾部屋の展示物を10月バージョンに。 昼には弟のとこに行って、それからススキをとって、月見だんごならぬ月見まんじゅう買って、実家と姪のことへ。 私んとこも飾ったが、まったくダメだ、今年の仲秋の名月。 で、母がたくさんあるという野菜を箱につめて、母名義で福島の真行寺に送った。 ここは、子どもには、せめて汚染のない食べ物を食べさせたいという発信をしている。保育園をやっているお寺で、カンパで送られてくる野菜を父母達が分けているのだ。 「内部被爆を生きる」といドキュメンタリを見た時にできることがあったら、私も、と思っていたので、母がいっぱいあって困るというかぼちゃやおいも、糸うりなどをおくった。 母、用意しつつ「糸うりの食べかた、ボンさま(お坊さんのこと)しっているかな」 まあ、大丈夫なんじゃない。 夕方、もう一度病院へいって、ちょうど起きていたので話をして、寺宝へ。 3日続けて寺宝に行ったら、体が芯から温かくなった感じだ。 そうそう、今朝には昨日の夕方、トマトやゴーヤのツルを払った後のプランターにブロッコリだの葉ネギを植えたわ。 だって、コメリで、苗が4つ値下げ100円とかでていて、かわいそうになって花を買うの止めて野菜になったというわけで。 野菜さんたちも、プロのお百姓さんに育ててもらいたかったろうけど、売れないで捨てられるより、うちのプランターで我慢してもらおうと。命ををつないでもらおうというわけで。
こんなことをしていたら、1日が終わった。結構、それなりに充実した1日であったかな。
台風さんお手やわらかに。実って収穫を待つばかりのりんごさん、あまり落とさないでほしい。
17号、でっかい台風だ。 このままだと本州縦断だ。 稲は新潟県今年は104、豊作だと聞く。 果物も今年はまあまあだと聞く。 台風さん、ここに来て、豊作をチャラにしないで。
むし暑い。
昨日は、久しぶりに寺宝温泉にいったら、やたら眠たくて9時半くらいから寝ていた。 今朝は5時から起きだして、塾準備。 寺宝に行って来て、眠たいというのは疲れているシルシ。 要注意だね。 夜しっかりと寝よう!
今日の弟のせりふ「物語はおしまいだ」 母、なに言ってるがら? 私「もう少し、続けてもいいんじゃないか、まあおしまいにしてもいいけどな、好きなようにせい」 物語り=人生? と私は考えたのだが・・・・ 弟の魂は、怜悧らしい。(複数の霊能者さんの話では) 今や、魂が剥き出しになっている? 大ケガをした傷の骨が見えるように魂の本質から発言が出ているか? などと考えつつ(私の妄想?)対応したが。 機嫌はよかった。
本日のニュースで、中国の怒りは温家宝のプライドを傷つけたこと。 つまり、野田首相が、温家宝に国有化しないでくれ、と頼まれたすぐ後に、国有化に踏みきったこと。これでプライド、メンツまるつぶれ、だから許さないということらしい。 これはヤバイわ。 中国のエライ人の一番ヤバイところを刺激してしまった野田のバカ。 とりあえずは、石原にいわせ放題で、東京都に買わせて、中国から抗議を受けたら、東京がやったことと、しらを切り、私はあなたの顔を立てて国有化に踏みきりませんでした。と鉄面皮。で、ほとぼりが冷めたころ、こっそり国有化って段取りがなんで踏めなかったのか。 凡人もへじでさえ、考えることなのに・・・外交って、こういうものでないのかい。 手遅れにならないうちにチャラにするためには、はやく政権交代したほうがいい。 もうだめだ、マジに。 野田も、民主政権も、小さい、小さすぎる。 ダメ過ぎる。 危ない、ニッポン沈没するよう・・・
大間原発、工事再開だって。 正気なんだろうか?
またまた暑い。 二つの台風のせいか。 17号の方は、このまま行くと、ニッポン縦断となりそうだ。
ラジオで、可愛いこねこや子犬の写真を見てから、細かい手作業などをやると見ない人にくらべて、作業の集中と能率がたかいのだという。 だから「可愛い」というのは、役立たずじゃなくて、「役に立つ」ものらしい。 じゃ、私なんて、生でめちゃ可愛いネコ2匹を見ているんだから、すごいんだわ。 なんて、つぶやいていたのであった・・・
あっという間に9月の末がくる。
多分、石破さんではないか、と思っていたのだが、自民党総裁選、安倍さんだって。 そうか・・・きちんと正統右派だよね、この人。 で、正統坊ちゃんでもある。 前回は、体調不良で降りたはずだが、大丈夫かい、精神と体。
中国との関係悪化で、あちこちで支障がおきている。 それは多分中国でも同じ。 日系企業が操業停止が続いているようだし、彼ら(一般庶民)困っているはずだが。 でも・・サンフランシスコ講和条約の時に権利を放棄した、そのあたりの筋は通そうではないか、中国。 でも、どうか戦争だけは止めよう、お互いに絶対的な負けだ、それは。 ニュースを聞くたびにそんなことを思っている。
霊能者さんに会って、弟、命の「おまけタイム」に入ったとの話を聞く。 この世でしなければならないこと(人の世話になる修行)をほぼ終えたらしい。 そうだよね・・やっぱり。 フルコースで終えつつあるよ・・・ 一気に悪くなって、絶妙のタイミングで的確なところへ入院したから、一命をとりとめたが、それもしかし、そう長くはないようだ。 うん、私もほとんど同じことを思っていた。 自分が漠然と感じていたことを確認する作業。 天命にまかせて最善を尽くしているから、明日が「その日」であってもそう後悔はない。 大変なこの世修行、よくがんばったね、と送り出してやれる、と思う。 ただ、肉体を持っているもののさがで、姿が見えなくなるのは、理屈抜きに寂しい。
こんなことを想いながら病院に行ったら、本日は手も足も温かく、よくしゃべった。 体はつらいけど、頭と足は、彼、クリアです。 魂はしっかりとまだ「いる」 という話だったが、その通りだ。 あとは本人(の魂)がいつあちらへ移行するか、神様と相談して決める。 ということらしい。 好きなだけ、気がすむだけこの世にいなさい、その間はちゃんとお世話するからね。 「千円もってきて」とやけに主張するので、明日は、財布に千円いれて持っていって、施設にいっていた時のように首にかけてやる予定だ。
徐々に、秋の涼しさではなくて一気に、だ。 天候は年々激しくなっている。 昨日は、映画祭で映画を4本見て、合間に弟のところ、最後にたみちゃんと夕ご飯。 今日は、その反動で、朝から黙々と仕事をして午後から病院で、入院の手続きをいろいろ。 で、なんとタオルケット3枚、バスタオル2枚、フツータオル2枚、ゆかた、下着、シーツなどの弟の大山洗濯を「シャボン玉」でして乾燥機。 30分で乾ききらず、しめっぽさをとるためにうちでも広げている。 合間、買い物いろいろ。 であっという間に4時が過ぎた。 今日は4時半から開塾だ。
映画の感想、いずレゆっくりと書きたい。
やや暑いが、気持ちのいい秋晴れだ。 しかしな・・心晴れぬわ。 本日は塾五時半過ぎ終了。 終わったら、速攻で病院に行って見よう。 その後、母の敬老の日お祝い会で予約のお店に行く。 スポンサーが行かないとはじまらないし。
まあ、天命に任せて人事を尽くしている。 ため息をつくのは止めよう、平常心でいこう。
12時に、今の施設の担当医から電話。 黄疸が出ているので、至急に来てください. ホントは1時に母を迎えに行って、行く予定にしていた日なのだが、「少しでもはやく、ほかの病院に受診しないと」といわれたので、急きょ、昼ご飯を食べてでかけた。 確かに黄疸、微熱。 ホントは西病院、といわれたのだが、担当医を変えて下るならいいですが、福居ならお断りします、どれだけいやな思いをさせられたか、信頼関係ないですよ、不信しかない。 「先生のように、患者の変化に早急に対応してくださる方ならどなたでもいいんですよ、ほんとに、1年前に、先生のようなドクターに出会っていたらこの子の運命も変わっていたかもしれません。自分の患者が、38、9度の熱を出しているのに、病床にも来ないのはダメです、そういうかたでしたよ」 ここまでいうののはよほどだと察してください、といったら、対応してくれた。 ということで、今回は弟が亡くなった病院である。 弟が息を引き取った病室の多分ほぼ真上の個室。 しかたないね。 いやがられるか、と思ったが、淡々と冷静に対応して入院させてくれた。 まあこれがフツーだよね。 フクイのように、なんで、うちにつれてきた、なんで○○園に行かないんだ、とかいうほうが異常なのだ。 完全になおりきっていない肺炎+短のう炎+胆石 つまりは合併症っていうのか、これ。 短のう関係は黄疸、発熱、腹痛がそろうらしい。 でもって、血小板が異常に少ない。 抗てんかん剤の副作用で、いままでも八万くらいだったはずだが、今回はその半分。 ここもなにかありそうで・・・。 なにより、胆石がとれない、内科的温存治療。 要するに、抗生物質です。 今のドクター、多分胆のう炎、胆石もあるかも、という見立てだったから、その通りだった。 更に、血小板が少ないので処置のときも気をつけてもらってください、とも。 35歳にはなっていない感じ、わかいが立派なお医者さんです。
それにしても、霊能者さん、あたり過ぎです。(悪い意味で)
12時過ぎに出て、帰宅9時近く。 つかれた・・が、明日の準備だわ。
2012年09月19日(水) |
長岡(アジア)映画祭3日目 別離 イラン映画 |
この映画は第61回ベルリン国際映画祭の最高賞である金熊賞と、女優賞、男優賞の2つの銀熊賞の計3部門で受賞。第84回アカデミー賞では外国語映画賞を受賞したほか、脚本賞にもノミネート。とまあ、輝かしい経歴の映画。
舞台はテヘラン。 ナデルとシミンは14年来の夫婦、11歳の娘テルメーと暮らしている。 家族は中産階級の上流に属し、それぞれが英語教師、銀行員とい仕事を持っている。しかし、夫婦は離婚の淵に立たされている。 シミンは夫と娘とともに国を出ようと、海外移住許可を一年半かけてとった。 だが、ナデルはアルツハイマー型認知症を患う父のことを心配し、国に留まりたい。そこでシミンは家庭裁判所に離婚許可を申請するが、認められなかったため、彼女は実家に帰る。 ナデルはしかたなく、父の世話のためにラジエーという若く敬虔な貧しい娘(既婚)を雇う。ラジエーは短気な夫ホッジャトに無断でこの仕事を得ていた。 イスラムでは、基本的に女性が男性を介護する仕事をするのは禁止、のようだ。 しかし、ホッジャトが無職のため家族の生活はこの仕事がなければなりたたない。ある日、ラジエーはナデルの父をベッドに縛りつけて鍵をかけて閉じ込めて出かける。ベッドから落ちた父は、帰宅したナデルとテルメーに意識不明で発見された。怒ったナデルは帰ってきたラジエーを怒鳴りつけてアパートの玄関から無理に押し出したがラジエーは階段に倒れ込む。 その夜、ラジエーは妊娠していた胎児を流産してしまう。 ラジエーとホッジャトはナデルが胎児を死に至らせたとして告訴し、ナデルの裁判が始まる・・・・。 だいたいのストーリーはこんな感じ。
イスラムの戒律と裁判、人間のとしての誠実やウソ。 そのほか、ジェンダー、階級、正義。 それを貧しいけれど敬虔なイスラム教徒の家族と世俗的な中産階級の家族という、「しくみ」の中で葛藤させぶつけるている。
ものすごく見ごたえがあった。 問題は普遍的なのだが、それがイスラム社会の中に置かれると違う光が当たる。 イランの日常的なくらしがみえたし。 久しぶりに、これぞ映画!という作品だった。 イラン的にえば、発禁ものでしょう。 (そうかな?多分) こういうの、たくさんみたいな、ながおか映画祭。
本日、雨。ややすずし。 彼岸の入り。 昨夜、お彼岸いなり寿しの下ごしらえをし、今朝五時半おきでつくって、朝に実家や姪、本家やたみちゃんなどのそれぞれ少々届けた。 だんだん向こうの世界に移動する人が多くなり、彼岸に思い出す人が多くなる・・・なり秋の夕暮れ。
2012年09月18日(火) |
長岡(アジア)映画祭2日目 |
いつのまにか、アジアが取れていた、パンフレット。 でも、私は、最初の名前のほうが好きなんで入れてみた。 で、今日の一本は、「鬼に訊け 宮大工西岡常一の遺言」 一言感想としては、「すべては1つ、1つはすべて」が宮大工という仕事を通してわかっておられた方。まさに聖人の戒めにかなえり。 それと、神仏拝むこと無くして宮大工の仕事はするな、という家訓、その通りだと思った。 それから、1300年たった法隆寺の檜、瓦をとると(重りをはずすと)またむくむくと上がってくる、という話に驚嘆した。すごいことだ、つまりは命をいまだもっているということではないか。 それと、南東の山に育った木は、南東におけというつくり方、これまたさかわらずに1番強いということ。 フィルムを見ているうちに、まとめて、この方の本が読みたくなった。よく課題文などで出ているので知ってはいるのだが。 すごく魅力的な話だった。 1つだけ、私の戒め、仕事は心ってこと。
昨日は,「アノソラノアオ」地元映画だ。 2004年の7・13水害を背景にして、喪失感をいただきつつ、日常を送る青年が、漠然と元気になる・・? シャイな映画。
暑かったわ。 弟、熱下がる。しかし、炎症置はまだ3以上あるし油断はできない。 でも、やや・・やれやれ気分。
この時期にしては狂気のような気温上昇。 信じられない。 毎日稲刈りの甥と働いてくださっている方々がかわいそうで・・・ 今朝は、オレンジとグレープフルーツを切って冷蔵庫に差し入れしてきた。 先日は梨、9月初めころは西瓜・・ホントは西瓜をしたいのだが、時期的にもうない。 速く来い来い、秋風さん。
昨夜は楽しかった。 10時帰宅で、今朝は8時半より塾。 で、昼休み40分をはさんで、15時過ぎまで、で16時から30分間町内会草取り。終わってから、公園でバーベキュウ大会なのだが、失礼して弟の病院へ。 熱は下がっていて、姪に会いたいと、しきりにいっていた。 洗濯物をとって、今度は、三日前に注文しておいた特大鯛の尾頭付お造りをとりにまたまた走る。 値段もよかったが、大きかったわ。 姪の息子、風呂敷をとって見せたら、鯛の顔を見て妙な声を出して踊り出した。 姪曰く、あ…テンションあがったわ、花火を見た時と同じ反応。 そう、私、でかい鯛を見て彼がどんな反応をするか見たかったんで大成功。 3歳児はおもしろし。 手巻き寿しとケーキを食べたら眠たくなったので早々に失礼して、帰りに麻生の湯でゆったり。 関原町の祭りとかで小さな花火が、露天風呂より見えて楽しんだ。 昨日の朝から、突っ走って日曜の夜を迎えましたわ。 帰りがけ、セブンイレブンで頼んでおいた「荒凡夫」をとって、ついでにグランドキリンを購入。 やっと、うちでビールを飲む気になった。 体調完全回復かな。 昨夜の同窓会、亡くなった五人(確定している人、まだいるという話だが、連絡がとれない人が何人かいる)に黙祷した。 昨年五月も1人、鬼籍にはいった。 自分の元気、申し訳なくあり難く、ただ感謝、感謝。 それでも本日はさすがに疲れた、早寝するべし。 来週は、アジア映画祭が始まるので、毎日1本見に行く予定。
それにしもて暑い。 今日の草取りたった30分なのに大汗かいた。 いつになったら、ほんとの秋風が吹き始めるのか。
本夕、同窓会。 蓬平温泉で。 世話役さんがいるから、こういうなつかしい会ができるわけで、感謝だ。 仕事を3時15分までやって、タクシーよんで集合場所へぶっとんで行く予定。 楽しみだ。
ムハンマド侮辱による反米デモ。 アメリカは、イスラムをバカにしているからな・・・ こういうときに吹き出る。 尖閣国有化による中国反日デモ。 中国政府よ、日本人個人に対する危害を抑止しなさいよ。 日本外務省、日本人、守りなさい!! 腹立つわ。
2012年09月14日(金) |
改めて・・弟は不運だった・・・ |
弟、本日発熱37、4度。 少し楽そうで、目を開けていた。 で、3時半よりケア会議。 リハの先生、病棟の担当、ドクターそろって、いままでの経過や報告を聞かせていただいた。 ドクター、わかい小柄な無口系の方なのだが、いわく「緑膿菌(多剤耐性)が検出されました。これに効く抗生剤を入れていたのですが、昨日薬疹が出たので、すぐに抗生剤をかえました、この抗生剤の問題は、抗てんかん剤の血中濃度を下げることです、だから、もしかしたら、けいれんが起きるかもしれません」 「肺炎の部位は、背中です、状況からしてまたごえんの可能性は高いです」 病棟の看護師「でも、食べるようすからしてむせることもないし、誤えんしている感じは無いのですがね・・・」 「唾とかだの可能性もありますね・・・。でも、また回復したら、どこまで経口摂取が可能かみる意味でも口から入れます」 わたし、うんうんとうなずきながらメモをとっていた。 西病院のフクイのように、「やめます、ダメです、そらダメでしょう」なんていわないんだ、この先生、と思いつつ。 司会の旧知の施設相談員ウチヤマさん「おねえさん、なにかありますか」 すべて納得できる論理的ですっきりした説明なので「いいえありません、お任せします。すばやく対応していただいて感謝しています」 今回ように、発熱、薬疹のパターンは、西病院でも2回あった。 しかし、土日が入るとフクイドクター患者放置状態、看護師が連絡してもようすを見にも来ない。薬疹だって本当は重大なことだったのに(後になって判明)そのうち治るでしょう、ようす見ましょうだった。 あの時いまのミウラドクターだったら…と今日のケア会議でつくづく思った。 手を打つのも、変えるのも速い。 眠気問題についての見解もすっきり論理的。 病棟の師長と担当の看護師さんも、建設的だし。 今回の動きを見ていると、西病院、すべて、遅くてごてごてだったなあ。 マジ、弟は運悪いわ。 出会いのよし悪し、医師に関しては、命の質を決めてしまう。 アムステルダムのミエコから「あんたモンスターシスターじゃないの」とメールでいわれた。しかし、今回のような対応されるとすべて納得できて感謝しかない。モンスターになりようがない。医療者の敷くレールにまかせて乗せていただこうと思う。結果の良し悪しはわからないが、たとえ悪くなってもしかたない、と納得できる。信頼って、ほんとに大事だ。 帰りがけ、ウチヤマさんに「今度のことで、いかにフクイは無能だったかがわかった、とにかくどんなに悪くなっても西病院には戻らないからね。そのことよろしくです」と話した。 母も「フクイ先生のところにはもういやら」といっていたわ。 弟の運の悪さも帰りの車で嘆いていたわ。
しかし本日やたらに暑し。 35度って、9月にあり得るの??
30度だ、9月半ばというのに。 やれやれだ。
弟の熱下がらず。 昨日は6度台で少し楽そうだったのだが。 今日はまだ8度近い。 こんこんと寝入っていた。 薬疹まで出ているし。 長引きそうだ。 霊能者さんにいわれていたんだわ、9月要注意。 なんでこんなによく当たるかね。 たまにははずれてくれ。
日が沈むと気持ちいい。 夜になると風も温度もあまりに気持ちよくて、つい読書だの、考え事だのにふけってしまう。 昨夜も、従姉妹にもらった甘口白ワインをチビチビ飲みつつ、新聞と本読み、深夜1時まで。 で、今朝は6時前に起きるどころか、6時55分やっと。 やはり六時間は寝ないと眼があかない、いくら目覚ましがなっても。 反省:今夜は早く寝よう。
2012年09月12日(水) |
富士山、初冠雪というけれど |
確かに今朝は涼しかった。 ネコたちが温かいところ!を探していたわ。 しかし、昼間はやはり残暑です。 でも、雲がぷかり、ぽかり、のどかに浮いて、光の加減は秋ではある。 本日も弟の病院へ。 いるいろと処置していただいたようで、熱は下がっていたが、CRP値(炎症値)は、5・5もある。 まだまだだ。 明日も母を積んでいかねば。 霊能者さんに、春の頃、秋9月になったら気をつけてください、末端に気をつけてください、そこから黄信号がともります。 といわれていたが、末端の冷えが気になっていて・・まさに。 この後の「予言」はあまりよくないのだ。 彼の運命が改善するように祈らなければならないなあ・・・ せっかく口からものを入れていただけるようになったのに。 もっとおいしいものを食べさせてやりたいもん。
今週末、土曜は中学の同窓会。 日曜は中学生テストで補習、夕方は町内会の草取りとバーベキュー。夜は姪のところで彼女の息子の誕生会。 それで来週は長岡アジア映画祭が始まる。 お彼岸にも入るし。 なんだか予定をたてたら忙しい。 なんとか9月中に、スポーツクラブに入会して、ジム通い、体幹鍛えなおしをはじめたいのだが。 はい、もちろん仕事も誠実地道にやりまーす。 本も読みたいな。 「荒凡夫 一茶」と言う本が読みたくて、でもネット上だと売りきれている。図書館に行きたいのだけれど暇がイマイチない。 //////////////// ふっと思いついて、いまさっき もう一度検索かけたら、重版したようで本あり。 早速、注文、数日中に届く。 本の注文するときが一番うれしい私なり。 いま読んでいる吉沢久子さんの「あの頃のこと」を、さっさと読了せねば。
本日の最高29度。 20度台って、何ヶ月ぶりか? 一気に下がったので、なんだか、眠たい。
弟が発熱。 昨日いった時にやや熱っぽかったのだが、今日は本格的に出していた。 37度6分といわれたが、私が触った感じでは8度ぎっちりくらいだ。 酸素吸入までして。 たんが絡んで苦しそうで、こんこんと眠るばかり。 誤嚥ではなくて、風邪であろうと。 今血液検査を出しています、とのこと。 かなり冷房が効いているし、体温調整が苦手で、最近手足が冷たいのが気になっていたのだが、しかたないね。 明日、またいこう。
今日は、震災から1年半。 アメリカのテロから11年。 特別な日だ。 祈りたい。
暑いです、33度だって。 朝と夜はさすがに涼しいが、昼間これではやる気が出ない。 ネコたちもごろついていて、夜中になるとやたらに元気で大暴れしてさまざまなものが朝に散らかっている。 やれやれだ。 今晩から明日は雨らしいが、少しは涼しくなってくれぃ!
2012年09月09日(日) |
旅レポート3 岩手・宮古市 |
★宮古市は遠かった 仙台市で友人達と別れて、私は新幹線「はやて」へ。 これ、初めて乗る新幹線、テツコとしてはうれし。乗り心地よかったわ。 まさに疾風(はやて)のように、盛岡市に到着、が、ここからチョ−ローカルな山田線。一両編成。乗った時は明るかったのに宮古市に着いたら夜。 県として第1位の広さを誇る岩手県、やっぱ、広いわを実感した。 山田線、宮古市で運休で、終点の山田町までは行っていない。津波被害で町が壊滅的、まだ復旧されていないからだ。 夜は、出迎えてくれた愚さんと楽しく夕食をとった。 いや、彼女が津波にもっていかれていなくてよかった・・亡くなられた方々に申し訳ないが。彼女のおうちの1階は津波でやられたので改装、新築のようにきれいだった。 宮古の海の幸を食べさせたいと連れていっていただいた店で聞いた話。 「名物のウニがちっとも獲れないらしい、海の水がにごっているんだって」 「それって、海底が動いているってことですよね」 「そうだと思う、だから、また来るってみんな いっている」 ウーム。 その晩朝方に地震があり。宮城県沖震源松島は震度5。 旅程が1日遅れていたら、私たち、松島で震度5に遭遇したんだわ・・・・ ★津波を逃れた観光船で海をみる 宮古の観光は、白亜紀にできた美しい海岸線。 遊覧船が就航している。乗った船は、なんとあとの2艘が津波でやられた中、1艘だけ生き延びたもの。 ちょうど3月11日、春の観光シーズンに備えて船の点検中、海で地震、津波来襲の報を聞いた船長さんは沖にでた。それで助かったのだとか。救助が来るまでの食料はウミネコパンだったそう。ウミネコパン…これは、観光客がウミネコにやる餌のパンだ。私も食べてみたが、おいしかった。 船が美しい海岸を巡る間ついてくるウミネコ達、カラスやトンビほど狂暴ではなくちょこっとだけかわいかった。 ちなみに、愚さんの話だと、鳥に餌づけをして観光の目玉にしたのはここが最初だそう。 海も風景も美しく穏やかで、真っ黒い津波を想像させるものはなかったが、堤防だった残骸が今だにあちこちに見えて、やっぱり津波ってすごいパワーがあるんだと感じる景色もあった。 :::::::::::旅を終えて::::::::::::::: やはり思い出すのは「松島の夢」。 あの「壁」はなんだろう。亡くなった方々の魂の壁?それはみんなを守るために「壁」となったのか?それとも日本人が乗り越えねばならない「壁」なのか? 多分、両方なのだろう。 戦後の繁栄と平和が300万人以上の戦死者や、空襲・原爆の死者の上に立ったものだった・・・あれと同じように、私たち生者の今後は、この壁を忘れてはならないといことだ。 と私は思っていたい。
がんばれ東北!とかいっていますが、皆さん十分にがんばっている。 日本人ってけっこう「しんなら強い」(弱そうに見えるがしなやかに強いの意味)人達なんだと。これから地震災害めじろ押しとなりそうな日本列島、やまと民族、意外と生き残れるかも。
今回は、まさに観光・・・「光」を観る旅であった。 数日の旅で陰りが見えるわけない。でも許していただきたい、被災地の方々よ。 来年また旅します。 忘れません、被災地。 これが大事だと思っている。
2012年09月08日(土) |
旅レポート 仙台・松島 |
★がんばる東北!のエネルギー 仙台では高校時代の友人が待っていてくれて、4人で名物の牛タン定食でランチとなった。しかし炭火で焼く牛タンの店、暑いし、繁盛しているし。すごかった。 高校3年の同級生の我ら、一気にその時代に気分はさかのぼり、楽しい時間を過ごし、いいものです、学校時代の友人たちとしみじみと思った次第。 ビックリしたのは仙台駅のにぎやかさ、そのエネルギーだ。 松島もそう。観光客がたくさんいた。当初から、松島はそんなに被害はありません、、来てください宣伝をしていたが、それでも人多し。 私たちのように、復興キャンペーンで来た人達かも知れぬが、それでも「にぎわっている、よかった」と。 問題は松島の先だ。次の「高城町駅」で仙石線は運休。 その先には、まだたくさんの人が行方不明だといわれる東松山市(松島町も確か東松島だが)復興がなかなか進まない石巻市がある。
★松島でみた夢 松島では、松島湾が見下ろせる景色だけが売りの宿。 夜、仙台の方向を見ると灯りでうす赤く、しかし、行方不明者がおられる方向は真っ暗・・。落差ありましたわ。 その晩、夢をみた。 夢というより、オートヴューイングで見せられている、といういい方があっている感じなのだが。 たくさんの顔が暗い空に浮かんでいる。それは「オペラ座の怪人」のポスターのような白い顔に目だけ黒いもの、まさにデスマスク。 それが無数に・・そして動き出し、右から左にすごい勢いで飛んでいく。やがて、大きな川の流れができてその流れも右から左にすごい勢いで流れる。そうして、それは大きな壁になった、色はうす茶色の大きな壁。 壁ができると、また無数の顔が出てきて飛んで川になる、それがまた壁になる・・一晩にこれは何度も繰り返されて、怖くはなかったが、疲れましたわ。。
★塩釜駅で津波のすごさを実感 松島から遊覧船に乗って、塩釜港へ。小さな島の点在する松島の美しさは、芭蕉が「松島や ああ松島や 松島や」と、言葉もなく松島を繰り返した句をよんだくらい美しいといわれているが。しかし、芭蕉ほどの人が、これしきの景色で言葉をなくすかな??そんな微妙な印象であった。 今回松島を見て、日本三景をみんな観光した私のランク:一番美しいのは安芸の宮島(広島県)、第2位は天橋立(京都府)、第3位が松島と決定。 塩釜まで船のガイドをつとめてくれたオネエさんは、津波で親を亡くした、と話していた。「みんな、いったん避難したのに薬を忘れたとか貴重品をとりにいくとうちに戻ってさらわれた、皆さん、津波からいったん逃げたらものをとりに戻ってはいけませんよ」 港について、塩釜駅まで。そして見たのが、津波到達ライン。私たちの中で一番大きいたみちゃんの背丈(162センチくらい)を越えていた。 津波は1メートルで人をさらっていくといわれている。この場で、10メートルを超えてきた巨大津波を想像すると、改めて人間はちっぽけ。日々、正直に誠実に生きないとね。5分の魂。 塩釜では、塩釜神社をお参りして、名物のお寿司を、遊覧船に乗るときに聞いたお店で食べた。 うまし。 回転寿しにはないうまさを久しぶりに思い出した。 ほんものの味。 もちろん、値段も高かったけどね。
2012年09月07日(金) |
旅レポート その1 会津 |
8月27日 熱が37度台に下がったので、ふらふらしながらも家を出た。 駅でたみちゃんと合流、新津駅でカサも。 ここから、磐越西線で会津若松へ。 磐越西線は、SLがはしるんでそれに乗りたいと思っていたのだが、残念ながら、26日でおしまい。 緑が滴るような景色の中を行くが、私は冷房除けに、ホームレスの人みたいに新聞紙を体にかけて爆睡。 11時前に、到着。 会津って近いんだわ、とあらためて思った。
★ネコが駅長の会津鉄道芦ノ牧温泉駅 全く知らずに予約した芦ノ牧温泉の宿、後でビックリ! なんと駅長さんがネコであった。 名前は、バス。ととろのネコバスの顔に似ているから「バス」なんだとか。 確かに似ていましたぞ。とても利口で、「バスちゃん」と呼ぶと、ニャ−ンと返事。(イッサみたい)カメラを見ると撮られるポーズ。自分の立場がわかっている。 この温泉の近くには、江戸時代にタイムスリップしたかのような宿場町「大内宿」が残っていて、観光地になっている。 確かに通りは風情があるのだが、軒先がどこもかしこも金太郎飴のように土産物屋。これがなんだかな・・・そういえば白川郷もこんな感じになっていたな、と思ったことだ。 名物は、ネギ1本を箸にして食べるネギそば。 うまかった。なんだか風邪に効きそうで。 それよりなにより、暑い盛りに食べたかき氷はおいしかった。 かき氷は、暑い中で食べるのが正解だ。 ★泊まった宿の人の話 「去年の地震、3月11日の後、2か月間は1人もお客様はおいでになりませんでした。今もまだ落ちこんでいます、南会津は低い(放射能値)のですが…」 確かにそう。南会津地域は,たしか、0.006マイクロシーベルト。新潟でいえば、阿賀とか南魚沼と同じくらいだ。しかし、会津若松から、郡山市、福島市といくと高くなる。福島市はだいたい0.6マイクロシーベルトあるはず。すべては原発が爆発したときに吹いていた風向きのせいだ。
★福島から仙台市に向かうバスで思った。 今バスが走っている辺りは数値的にいえば高い地域だ、しかし畑ではトマトが赤くなり、水田では稲穂がたれ始めている・・見えない、放射能は見えないのがやはり怖い・・。お米をつくっても、果たして売れるのか?果物もそう。 車窓の景色を見ながら、やはりとんでもないことが起きたのだ、原子力の平和利用なんて今のところあり得ない、と。 なお、私たち3人、もう年なのでどんどん食べた。駅の売店で売っていた福島桃を宿の冷蔵庫で冷やして食す。ジューシーで甘くておいしかった。 宿は古いながらも、よく手入れされたいい宿。 お湯もいいし、もてなしもよかった。 「芦ノ牧温泉 小谷(おや)の湯 不動館」 不動館にひかれてきめたのだが、由来は、先代がお不動さまに祈願してここを買い取ることができたのでそうつけたのだそうな。
そうそう、来年の大河ドラマ、新島八重がヒロイン。 会津出身。 あちこちに「八重の桜」というのぼりがたっていた。 今だに落ちこんでいる福島の観光の呼び水になればいいのだが。
2012年09月06日(木) |
朝っぱらから夕立?に雷鳴 |
朝からすごい天気あった。 お約束で7時過ぎまで寝ていたが、あまりの降りっぷりに仰天。開いていた窓をしめまわった。 でも、今日は30度ない。かなり涼しいが、じめっとしている。 だるいので、午前は最低限のことをして寝ていた。 午後からぐんと元気。 咳は相変わらず出るが、でかたが少なくなって楽になった。 やはりお医者の薬がじわりと効いている。 でもな、抗生剤がそろそろ腸に悪影響。 だるいのは下痢気味のせいだ。 今晩で抗生剤は終りだし、のみ切ろう。 お医者でもらった薬のみきりって久しぶりだ。 このまま涼しくなってほしいが、明日はまた30度を越すらしい。 弟の洗濯物がじめっとしているので乾燥機をかけに行ったついでに、大玉西瓜を買って来た。2000円なり。 明日忙しい甥やヘルパーさんにさし入れしようと思っている。 でも、西瓜も終わりだ。 このごろ買うやつは糖度10度くらい。夏の盛りは12度あったのだが。 今年も西瓜を食べた夏だった。
まだまだ真夏だ。 しかし、夜はさすがに風が寒い。 うちは夜、冷たい山風がびゅんびゅん入るのだ。 数日前から戸を閉めて寝ている。 それと、チヨが夏の間は絶対に近づかなかった自分のベッドに寝るようになった。 チヨ専用のこれ(昔はイッサのものだったが)、座椅子をさかさまにして、箱にかぶせるようにして箱にはまっている部分に、私の古くなったフリースを袖部分を切ったものをカバーにしてある。 チヨはこのベッドが大好き、時々、反対側の座イスの背中部分で爪研ぎをする。 そこそこ涼しくなったから、フリースの上で寝る気になったのだろうと思うのだが。 ちなみにこの夏は、廊下か風の通るイスの上を寝場所にしていた。
今日は弟の施設に呼ばれていってきたら、リハビリの真っ最中。 なんと、少しの介助で座れることがわかった。 でもする気がない。 看護師さんがやってきて、本人にもう少しやる気がほしい、と。 いや全くその通り。 それにしても、食事といい、リハビリのやり方といい、病院と多いに違って、こちらありがたし。感謝だ。
本日もお昼寝たっぷり1時間。 で、夜もはやく寝よう。(といっても11時だろうが) それで7時まで寝ていよう。 薬が後4日ばかりあるのでその間はこの生活なり。 と決めた。 早く咳が切れないと、苦しいし。 体調が戻ってきたら、8月旅レポートします。
2012年09月04日(火) |
マイコプラズマ、陰性 |
今朝検査結果を電話で聞いたら、大丈夫だった。 やれやれだ。 でも、相変わらず咳は切れない。 よっぽど、こじれたんだわね。 デレデレ、だらだら、怠けて仕事して最低限のことをしてしばらく過ごしてみよう。 なんてことで、今朝は7時すぎまで寝ていた。 昨夜は12時近い就寝だし、7時間睡眠。 しばらく、こんな感じかな。 私があまりに起きないので(いつもは6時前後)ネコどもが、お腹を空かせてふてていた。 ネコといえば、会津鉄道芦ノ牧温泉駅の駅長さんはバスちゃんという10歳のチンチラミックスのメス猫だ。 この子、賢くて「バスちゃん」というとないてお返事をするし、カメラを出すとカメラポーズをする。 お見事。 自分の立ちイチがわかっているのだ。 で、単なる捨て猫から、駅長の地位をゲットしたというわけ。 1枚百円のポストカードまで売っていて、いわく「赤字路線の貴重な財源です」だそうな。 まさに招き猫だ。 ちなみにイッサは返事はできるが、きめポーズはできない。 チヨは、返事はしないが、隠れ家からできて、私の前に姿を見せる。 チヨに関して言えば、こういうことをできるようになっただけでも、実は大進化なのだ。 このごろは、子ども達がくると、迎えにでるし、送ってもいく。 これも激変。 ネコは、こちらの思いにこたえてくれる。 バスちゃんも、きっと駅のお客さんや観光協会の人にたくさんかわがられたんだと思う。で、生来の賢さに磨きがかかった。 おお、話横道もいいとこだ。 まあ、今日もぼちぼちと。
一気に来た。 その時、私は電話で・・なかなか切っていただけなくて・・・あちこちびしょびしょ。 やれやれ。 あっという間に上がったが、ちっとも涼しくなっていないぞ。かえってむあんとする。
午前はお医者で費やした。 明日、検査結果が出る。 多分大丈夫だと思うが。 だいぶ、こじらせたんだわね。 私の問題は、常に耳鼻咽喉からはじまる。 特に咽喉。ここに問題がおきたときは速やかに医者に行くか、薬を飲むか、休息しよう。 我が教訓なり。
やっと、少しはじまるモードが入った感じ。 この後は12月末まで休みなし。 がんばろう。
夏休み教室完了後、ろくに掃除していなかった塾部屋を、モップた雑巾をつかって念入りに掃除。トイレも手抜きなし掃除。 明日から気分あらたに秋の部が始まります。
今日は弟の食事介助をしてきた! 3食、ゼリー食ですが、口から入れてみますとはいわれていたのだが、順調だそう。 ミキサー食というのは食べたことあるが、ご飯も、おかずもゼリー状で固まっている。こんなのはじめて。 弟に食べさせつつ、母の手のひらに乗せて試食させて見ました。 うまい、らしい。 そうか、本人もうまいというし、うまいのだろうね。 コーヒー、飲ませたいんですけど・・・といってみたら、あっさりいいですよ、ただ、とろみをつけてください。 すぐに、自販機に走って、弟の好きなミルク入りの甘いやつを購入。 とろみつけの粉末をいれてとろとろになったものを口にいれたら、うまい・・・となんともいえない顔。 そうか、よかった、よかった。 やっぱり生きていてよかったんだわ。 去年の今ごろのことを思えば、夢のようだ。 たまにランチタイムに合わせて行って、コーヒーを飲ませる(食べさせる)ようにしよう。 飲食が大好きな弟の生きる励みができた、うれしい。
咳が楽になった。 医者処方の薬がジワーッと効いて来ているような気もする。
昨夜はお便り完了後に、大震災後、亡くなった方々の顔の修復をなさった女性納棺師の本を読んだ。 泣きながら読んだ。 私は光だけ見てきたのか・・まさに観光、申し訳ない気がした。 明日は、この本を「もへじが最近読んだ本コーナー」におく予定。
やはり咳が切れない。 友人から、もしかしてマイコプラズマじゃ?というメールをもらったのでえ? あれは若い子達の肺炎という印象があったのだが、でも昨年11月、天皇陛下も確かマイコで入院。 で、午後から受診できる結構評判のいい耳鼻科医院にいってきた。 マイコの検査は、もう今日はできない、どうしてもっとはやくにこなかったか?といわれたのだが、 お子さんの多い混んでる時間を遠慮した といったら、うちはいってくれたら、隔離しますって。 そういうい待合室があるらしい。 ほう。 結局、マイコに効く抗生剤と咳止めをもらって帰ってきた。 検査は月曜になる。 違うとは思うが、感染力が強いし、もしか?ならするべしだわ。 でも、して陽性だとOK出るまでどうする? 休み?? それも問題だなあ。 とりあえず、今夜は薬をなんと5つも飲みました。
今日やるべき仕事、旅便りを書くという仕事が終わっていない、やるべし。
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