世界お遍路 千夜一夜旅日記

2002年11月30日(土) 熊野古道 小辺路越え第一日目

昨日と同じく6時半勤行、お掃除の下座行。昨日より人数がぐんと少ないので、今日は一人でお風呂場を一人でやる分担だった。おお、びっくり。
でも、事務の気がいい女の子が手伝ってくれて助かった。
8時半より、宗務総長法話。お話の時間延長もいいとこで、終わったのが9時55分。おお焦りで、出る支度をした。
大師教本部の好意で、おにぎりの弁当をいただいた。
10時5分、金剛三昧院の角から左へ。ずんずん坂を登り、ろくろ峠へ、女人道及び大滝への道となる。
ここまでくると、高野山が八葉の山に囲まれた土地なんだとよくわかる。
いい道をぽくぽく歩く。この後が問題。迷った。薄峠のピーク、関西無線手前50メートルからはいる・・・とガイドブックに書いてあり、この入り口を間違えたら今日はえらいことになると愚さんに話していたのに。
それを、間違えたのだ、というか不注意だったのだ。
送信塔があり、その手前50メートルほどのところに左に下る山道があって、これだと深く考えもせずに降りた。ところがガイドブックにある、丁石も墓石も出てこない。左手に山が開ける、とか、槙の植林・・・・・でもない、変だヘンだ、といっているうちに藪こぎ状態で、ついに道は消えた。。そま道(木こり道)に降りてしまったのだと悟った。愚さん、12時半でわたしご飯を食べないと動けない・・ということで人気のない山中に座って高野山でいただいてきたおにぎりを食べて10分休憩。
やっぱり勇気ある撤退をしましょうともどった。ところが、まずは40分は戻ることを覚悟していたのに、20分足らず、狐に化かされたようにするするともとのところに・・・二人してなんなのこれ、とびっくり。面妖である。
「もへじさん、お大師さんは12月に登られたとか、お大師さんも歩かれたんだ、とかしきりにいっていたし、ワシはこんな道を歩いたんだ、ということでこの道で私たちは迷ったんじゃないの」
と愚観音様。
そうだろうか???
結局、私たちが戻った地点から、5分ほどでホントの小辺路古道が見つかった。
ガイドブックには印はないとかって書いてあるんだけど、しっかりと道標があった。はじめから道標あり、と書いてくれれば、探したのにさ。
それで、1時間半もロスらなくていいのにさ。
えらいことになった、今日は最悪、懐中電灯で歩かねばならないぞ。
とにかく急ぐ。
新家というすごく奥地の村落をすぎて、高野・龍神スカイライン合流。2時40分。ここで昼食のつもりだったのにおやつの時間だ。
困ったね。
急ぐ、愚さんに1時間5キロペースの早さだねとといわれるが、急ぐ。
コースタイム的には6時前になりそう、真っ暗。できるだけ明るいうちに距離を詰めておきたい。
スカイラインは尾根道、林道に入る水ガ峰には雪が残っていた。
かなりの急坂だが一息入れるゆとりもないのだ。どんどん暗くなる。
やがて道は舗装林道へ。立派な道、これが小辺路を破壊?したんだなあ・・・・
立派な道標がある。
それに従って進む。

懐中電灯をつけなければだめかな、という頃合いに樹林をとおして眼下に大股の光が見えてきた。
もう少しか・・また道は舗装林道へ。そこで、懐中電灯を出した。
ここでちょうど車が通った。
「乗せてくれないかな・・」といっているうちに通り過ぎて、やっぱりだめか、といっていたら、車さん、泊まって戻ってきてくれた。
ブラボー、やった!!今日はタイムオーバー。
愚さんとお喜びで乗せてもらう。
それは狩猟する人の車、乗ったら猟銃があった。
「この下にあんたらくらいの熊がおるし」
ええ?
「薄暗い山道で何か足下をはしったんだけど・・」
と愚さん。
山は暗くなるともう人間の時間ではなくなるのだ、ね。
しばらくいったら、今度は泊まる宿の津田旅館の車が来てくれて乗り換えた。拾ってくれた猟師さんによくお礼を言った。ホントに地獄に仏でした。

その後野迫川温泉につれていってもらい、お風呂に浸かって宿へ。
家庭的な宿で、ねねちゃんという5歳の女の子がすごくおしゃま出よくお世話をしてくれた。
「ねねちゃんって、かわいい名前だね、だれがつけたの」
「お父さん、でもお父さん、難しい名前の病気でなくなってん」
そうあか・・・・
でも、お父さん、ねねちゃんのこと、みているよ。
「しっているで、いつか生まれ変わってくるねん」
うーん、きっとそうだね。

夜はすき焼き、すごいボリウム。おいしかった。
やどのおじちゃんがどうして間違ったのかききに来た。
ところで、私たちが着く前にだれかから電話があったとか。
誰だろ、と愚さんと話していた。
携帯使えず。
<今日のコースタイム>
高野山大師教会 10時10分発→薄峠ロスタイム11時10分から1時まで→小辺路大滝への道へはいる1時5分→大滝鉄橋1時40分→スカイライン合流2時40分→水ケ峰分岐3時20分→舗装林道タイノハラ線3時50分→平辻4時50分→林道に出て拾ってもらう5時15分



2002年11月29日(金) 高野山研修第二日目

5時半起床。私は善通寺のおつとめが冬は6時の観念が頭にインプットされていていて、大急ぎで身支度をしたら、なんとお勤め6時半より、ほっとして朝のコーヒー。自由に飲めるように用意してあるのがありがたい。

6時20分、大講堂へ、開け放された外は霜がおりてきりりとした空気。すがすがしい。お日さまがまだ山の端、時期に出るのだろうが、まだ見えない。
霊気が漂う時間だ。

若いお坊さんの先導で、正しい勤行。
約40分。
外に出たら、日が出ていた。南無お日様、である。
そういったらお日様は大日如来だし、おんばざらだとばん でいいんだよ、と年輩が教えてくださった。なーるほど。
7時過ぎから、下座行、お掃除である。
きょんちゃん、愚さん、私はお風呂場掃除。3人してばったばったとやって7時30分朝食。はやくから働いたのでご飯がおいしい。お代わりまでしてしまった。

第1時間目
写経。
しんしんと静かにみなさんなさる。
第二時間目
ご詠歌。
金剛流孝行和讃というもの。
お大師さんが、老いの身で会いに来た母を女人禁制のお山にお連れすることができすに、下の九度山に滞在していただいてお世話したという内容のことが和讃になって節がついている。
詠監 静 弘教師は美声、朗々と唄い上げられる。
いい感じだが、私は和讃とかをやるにちょっこと若すぎるかな。
後で驚くべきことを知った。なんと和讃の音程は、絶対音階がないのだ。
相対音階なのだ。びっくり。
でも、音符に拾ってもらえないと、わかりにくいよねえ・・・・
オランダで教会に行くと、賛美歌の本を渡されても、とりあえず音符だから、即、歌えるもん。

11時45分、15人ほどで参加していた北海道の参与会グループがお帰りになるのでその前に記念撮影。愚さんと私、明日はみんなより早く出るから写真ないね、といっていたからオオよかった、である。
でも北海道のみなさんがお帰りになると一気に人数半減、寂しくなる。
写真撮影には、高野山真言宗の管長さん(というのだろうか?)がお見えになった。上品なお顔の優しげなかたであった。

午後。
3時間目、華道高野山。盛り花。もちろんお花なんて初めての男性もする。
花材は、アカシアの木、ピンクの小菊、白いストック。
中心となる木モノのバランスの説明があった後にそれぞれ生け始める。「生かせ命」がお山のモットーなので、切り落とした小枝類もできる限りにつかうようにということ。これ、イイと思う。
大昔、20代の真ん中、4,5年、古流の生け花をやったのだが、すっかり忘れている。はさみはそのときから使わないで取ってあったのだが、探し出した。でも切れた。偉いなあ。いいはさみだったんだ。
生け花、おもしろかった。
生け手の個性が出て、同じ花材なのに、ずいぶんと違う印象になっている。鑑賞もおもろかった。
4時間目
奥の院参篭。
バスで、奥の院へ。3時過ぎに着く。ああなつかしやな。杉木立の中の参道を奥の院ご廟へ。
ご廟の前でお参りした後、地下の法道場でまたお参り。
その後、またご廟の前まで戻って、瞑想。気持ちよかった。
きょんちゃんと愚さんは杉の気もいただいていた。

夕ご飯の後、5時間目。
写仏。書くのか、と思ったら、大師像の色塗りであった。
あれまあ。これって、善通寺の子ども合宿の写仏のほうが難しい。彼らはホントの墨を使って、ものすごく細かい観音さまとかお地蔵さんを写し取るんだもん。
それでも、お大師さんの色ぬり、真剣に楽しみました。
7時、すべて終了。
でも、愚さんと私は明日の感想文書きの時間に失礼するので今夜のうちに書いておかねばならぬ。それをやって、御布団を敷いてお風呂。
で、すでに消灯の9時が近い。
それからこの日記である。
今日も長い一日でした。

<あちこちに張ってあるご真言の例>
トイレに張ってあるご真言 おんくろだのう うんじゃく そあか
洗面所 おん ばざら はさは
口すすぎのご真言 おん ばざら さどさく そあか

とまあ、あらゆるところにこうご真言が張ってある大師教会研修所でありました。
2泊3日、あっというまでした。忙しかったです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
伝言
出口組様 ごめんなさい、こんな感じでメール返信の暇さえありません。
帰ったら4日以降お返事しますね。

しきちゃん ご心配ありがとう。つちのこ、ニホンオオカミ、いたら生け捕りにして帰りますからお楽しみに。
お気をつけてルーマニアにお出かけください。ウコン茶、忘れないように。



2002年11月28日(木) 高野山研修 第一日目

朝、4時目覚ましがなった。
はい起きるよ!!しかし、ねぶい。
夕べは布団にはいったのは、1時ちかいいのでいくらも寝ていない。
お大師さんに行って来ますの挨拶をして、おにぎりを作り、おうち発5時5分。まだ真っ暗。怖い気がするが、大通りに出たらぼつぼつと人の影が。
新横浜発6時16分ののぞみなのだが、三十分近くの速く着いてしまった。
飲み物、なに買おうか・・と売店のボックスを熱心に見ていたら後ろから「っわ」おおおーーー。愚漢音様ときょんちゃんである。
ああびっくりした。
飲み物を買ってホームに出たら外は、ようやっと明るくなってきた。

新幹線の中で、朝日、富士山、と結構な景色。おしゃべりしていたらあっという間に新大阪。
御堂筋線、ものすごく混むと夕べ敷ちゃんにいわれてびびっていたのだが、そうでもなくて(東急の急行のほうが混む)予定どうりにこうや一号に乗車。
すぐにしきちゃんと山Pさんに電話。二人はホームに来てくれるという。うれしい、ありがたい。
堺東、止まったらしきちゃんがニコニコして立っていてばんざーい。ほんとにうれしかった、ありがとうううう、です。
金剛、こんどは山Pさんが楚々とにこやかに・・・・車でとんで来てくださったのだ。これまた本当にありがとうございました。
一緒に行きましょうよ、状態だった。今度、きっとね、である。

高野山着、10時50分、きょんちゃんは高野山は初めて。「高野山なんだ」という感じでうれしそう。
金剛峰寺をお参りして、振り向いたら私の名前を呼ぶ人がいる。知らない方である。でもお名前をお聞きしたら、ああ!!ビデオをありがとうございました、とお礼を申し上げた。先日のシンポのビデオをお送りくださったのである。
見かけたので・・・と我ら3人に防寒の白い軍手、写真をとってくださって、すぐにプリントアウトしてくださった。
我ら3人ともいい顔をしている、と写真を見ながら自分褒め。
ちょっとあつかましい??
Yさん、ありがとうございました。いい記念になりました。

雪がちらつく高野山、さすがに寒い。
それでも薄日が射すので、ほっとする。
昼食後受付をすませて、行動で開会式。参加者は40人ほど。北海道から団体で見えている。
火の気のないところでの式、まして解放されていて外気が入る。いやはや寒い。
ぐさま、ホッカイロ。きょんちゃんも式終了後ホッカイロ。私、やせ我慢。
その後、お受戒。受戒堂真っ暗な中で、ろうそくの明かりの向こうにお大師さん、神秘的だった。でも寒いし、足は痛くて・・すぐに降参して不埒にも足崩し。我慢して愚さんときょんちゃんは一時的に立てなかった。でも後の人たちはすくっと立ち上がってたね、びっくり。

次の阿字観は、暖かい講堂でほっとした。
若いお坊さんのはつらつとした説明の後に、やったのだが、呼吸が整ってくると、体のすみずみに気が行き渡る実感がして気持ちいい。そうするうちに体が温かくなって、1時間があっという間。気持ちよくてリフレッシュした。
もう少ししたかったくらい。

10分ほどで、今度は高野山の歴史の講義だ。
花園村がお山でお供えするシキミや槇を奉仕する村だった、そこに残る古い習俗がいろいろとスライドで説明された。興味深かった。なにより、お寺の行事や慣習ににもう、ふつうの生活には残っていない日本人の原風景、習俗が残っているという話がスライドで見るとなるほどとうなずけた。

4時半夕食。
5時半座談会。
私たちの歩き遍路の話、私たちがお遍路のHP、インターネットで知り合ったんだというと、みなさん「ほお」といことで。少し話してとフられてしまったので、愚さまと私が少しお話しした。
北海道からみなさんををつれて見えた和尚さまは立派な方。
自分の若い頃の歩き遍路の話、ご縁、サハリン慰霊団のこと・・・いいお話をお聞きした。お茶菓子に出た酒饅頭とてもおいしかった。
7時過ぎに、自由時間。お布団の用意できてやれやれと思ったら、呼び出し。
しきちゃんご紹介の空海研究の武内先生が見えてくださったのだ。
いろいろと興味深いお話をたくさんお聞きした。
次回は、空海の本がたくさん積み重なっている研究室に・・とお約束してお別れした。本当に興味深いお話をたくさんしてくださって、もっとお話がききたい気がした。

9時消灯なので、大急ぎでお風呂。
マジに9時すぎたら大広間の出来が消灯。廊下で日記アップ。
暖房は入っているがしんしんと冷える。
お勉強の始まり、ご飯の始まりは般若心経、終わりはお大師さんのご宝号。
今日はたくさん、お経やご宝号を唱えた。
10時20分、まだはやいよ・・・さてねむれるかな。
明日は6時おきだし、ねないとな・・。
長い一日でした。







2002年11月27日(水) 準備いろいろ

明日から一週間いない。
その前にやることを書き出したら、15個もあった。
ベトナム行きの飛行機の予約から、ゴミの処理までホントにいろいろだ。
ベトナム・ホーチミンANA直行便、行きは来年2月4日に取れたんだけど、帰りが取れない。19,20,21あたりでキャンセル待ちだ。どないなっとんのじゃ。
19日なんて、100人のキャンセル待ちなんだという。
まじかよ?だ。
まあ、私の場合、持ち越しできないマイレージこなしの無料航空券だしそうなのかしらん?

30日まで高野山での研修。30日からは熊野古道小辺路越えだ。
阿波公方さんから夜8時過ぎに電話で、無理をすると寒いし死にますよ、という忠告をいただいた。ハイ、無理はしません。
明日も行けたらちょこっと、電車まで愚さんやきょんちゃん、わたしの顔を見てきてくれるという。あなうれしや。いそがしいのに、ねえ。ありがとうございます。ヤマピーさんにも会えるかも、だ。

今十一時、やっと完了。
明日の朝は4時おきだ、ダイジョブかな?目覚まし二つだね。



2002年11月26日(火) 川崎大師からお台場へ

朝6時45分、目覚ましがなる。
9時に東京駅に行かねばならぬのだ、今朝は。
幸い雨は降っていない。

8時55分、上越新幹線20番プラットホームで待つ。
あさひ304号から弟夫婦がけっこう厚着で降りてきた。
「おはよう、今日はいい天気になりそうだよ」
まずは、川崎の親せきに、母の退院祝いを持って参上。
その後、近所にある川崎大師をお参りした。
川崎大師は、すでに新年の準備態勢なのか、あちこちに綱を張って工事のようなことをしていた。
人は少ない。門前のアメ屋さんやくず餅屋さんもヒマそうであった。
その後、義妹の要望で、なんとお台場のフジTVへ。
夕方は舞浜のデズィニーシーのアトラクション、近辺のホテル泊で・・・明日は一日ミッキーとお遊び・・立派なおばさん、おじさん夫婦にして好奇心旺盛なり。
義妹、こういうの好きなのね。
おかげで、私一人では絶対に行かないフジTV、お台場行きなどというのが実現してしまった!!
「今日のわんこのストラップが欲しい」のだそうな。
ゆりかもめは、さすがに平日火曜、空いていた。夏、私が竹芝までいったときは混んでいたけど・・ねえ。
フジTVも空いていた。近辺は海べりで、寒い風が吹いていて・・・
丸い展望室にも登った。
「今日のわんこ」のストラップもゲットしたようだし。よかった、よかった。
しかし、ショップにはすごくへんてこりん土産があった。
基本は伝統的ー食べるものは饅頭とかなんだけど、色つけとか、形がケッタイとしかいいようのないものが多かった。

遅い昼食をフジTVのビル1階にある神戸やレストランで。
なんと日替わりランチは800円、うちの近所の神戸屋よりお安いではないか、うちの近所は1000円するよ。
昼ビール、パンをしこたま・・で満腹。
3時にはホテルには入れるというので、京葉線ホームまで送って私は帰路へ。
ハイ、今日の小旅行は終わりとなりました。

夕焼けがきれいだった。
夕焼けを見ていると冬型になってきているのかな、という感じがする。



2002年11月25日(月) 関所抜けの本面白し・・が、眠い

朝から薄暗い天気だ。
異様に眠い。
困った。

午前中は、がんばってお仕事をしたが、午後から温かいホットカーペットの上で、ごろついて本を読んでいたら、しこたまお昼寝。
本当に冬眠の熊だ、困ったね。
本は、ずっと前に買い込んでいた江戸期に関所抜けしてお伊勢参りや善光寺参りをした女たちのお話。ノンフィクションである。関所抜け、関所破りというと、重罪の感じだが、幕末期にはかなり普通におこなわれていたようである。
関所近くには関を避けて抜け道を手引きする人がいた、関守が出勤する前に密かに関所の柵の下をくぐる・・なんていうのもあったうだ。
とにかく女たちは、ハナから「関所は抜ける」のが常識みたいなノリで旅をしていたみたいなのだ。何度もやるうちに、慣れで、できて当たり前でしょ、みたいになっていたようで・・・やるもんだ。
というわけで、本はすこぶる面白いのだが、眠気に負けた。

これで、また夜になるとちゃんと眠れるのだから怖ろしいか。



2002年11月24日(日) 帰りました 新潟はよい天気

上天気の長岡をでてきたのに、県境を越えたとたんに、小雨模様の時雨れた天気だ。
違うねえ。
県境の越後山脈は雪をかぶって美しかった。
里山の雑木林は、朽ち葉色というのだろうか、優しい優しい、体温があるような色をしていて、眺めていて飽きなかった。
この景色が見たくて、バスにした。
高速道路が景色の一番いいところを切り裂いて走ってるのだ。
池袋着は、15分あまり早かった。
景色を眺めすぎたせいか、電車にのったとたんに眠くなって、爆睡。気がついたら、一駅乗り越しだった、ヤレヤレ。

手紙、メール、洗濯等々、これからやりますーす。

22,3日・・・たった2日の留守だが、もっといっていた感じ。
この変な感じは、昨日の同期会の余韻だろうか。



2002年11月23日(土) ★十年ぶりの同期(クラス)会

朝起きると、外は一面の霜である。久しぶりに霜なんて見たぞ。やっぱり新潟は寒いのだ、を実感。
午前は弟の車で、破磐神社さんへ奉献の御神酒を買いになじみの酒屋さんへ行った。出てきたのは、父と同い年の昔のご主人だ。なつかしい。いろいろと昔話をしてしまった。

午後、4時中学の同期会の会場、長岡グランドホテルへ。市の中心のホテル(実は私は場所もしらんかった)、弟たち夫婦は長岡で一番高いよ、誰かつとめている人とか、日本精機の関係者とかがいるんじゃないの?というが。
そういう地元の事情に全く疎い私である。
20分前に行ったら、受付に誰もいない。代わりに、窓際のテーブルにいたグループから名前を呼ばれた。
ええ??誰、誰・・あっちはわかるらしいが、私はわからん・・・・・・
ああ??も、もしかして、ミヨコさん・・えええ???ナオヒコ君(同じ町内だぞ)エーーーヨシオカサン???だって・・・
じいいとみると昔の面影はあり、だが・・ねえ。
受付に誰もいないのは、幹事が急用でまだ新潟からの新幹線の中だ、ということ、で、ミヨコさんとナオヒコ君が代わりに受付に座った。ミヨコさんて、昔から面倒見がよかったけど、そのまま、てきぱきとよく動く。ナオヒコ君はそうでもないはずだったが幹事のエイサク君に連絡を取ってことに対処するというのは、やっぱり大人の男の責任・・かな。

とまあ、こんなふうに、私にとって数十年ぶりの会は始まった。(97年にもやっているのだが、事故で入院していて行けなかった、そのとき出ていた、タツル君は、癌でなくなり、ヒトシ君は仕事上の悩みから自殺した。その前にヒキタさんとケッコンしたマエダくんがやっぱり癌で亡くなっているし、合計3人の男の子が亡くなっている。)
会が始まると、女の子は顔がわかる・・・話しているうちに昔の面影がよみがえってきて、あああなつかし・・「むかしのまんまらね」となる。
男の子は、変わり果てすぎていてわからぬ、というと「おめさんはさ、むかしから男に関心がなかったがろ」とこれまた変わり果てたヨシマツ君にいわれた。
あったよ、シンジ君来てないじゃん。(私が好きだった高跳びのシンジ君)
シンジは県警勤務で刑事で、小出署だとかいう話まで聞いてしまった。
刑事ィィ!!ほううう。
小学6年の時に白血病でなくなった修君のことなども話に出た。
彼の死は、私にとって初めての「死」の体験、で、いつまでもショックだったことを覚えている。聞けば、みんなそんな感想を話す。
私だけじゃなかったんだ・・・

おいしい中華料理がテーブルに並んでいるのだが、全然減らないで、話の輪ができる。
一学年総勢80名ほどで、21名参加はたぶんそこそこ、なんだろうね。
小学3年の時に小さな三つの小学校が統合して、その後はずっと9年間いっしょだった仲間たちだ。
仲良しだった、三浦さんによると、一番最初(近年の。96年・・このときは用があって出られなかった)は、40人も来たんだという。
みんな昔の話をよく覚えているのに感心。
私、全然記憶にありません状態。
困ったもんだ・・・・
びっくりしたのは、いつも隅っこにいたという気がするのだが、そんなことはない、目立っていた、とかいわれて。
なにがあ???本当??だった。
ミヨコさんはいつも明るく、しんせつ、だったよね、といったらミヨコさん、ええ・・・そうだった??だって。
これについてはミウラさんがそうだ、と、同感してくれて。
ショックだったのは、小学校の卒業アルバムで自分がわからなかったこと。
どうも、これ私みたい、という子は髪を伸ばしているんだね。
私、6年のとき、髪を伸ばして、後ろでむすんでた・・これにもびっくり、だ。
昔の自分を見つける作業は大変でありました。

2時間の会場予約だったが、このホテルに勤めるノリコさんの力でのびて4時間あまり、その後2次会へ。
あっという間にまた1時間。
明日が早い私は、9時過ぎに失礼してきたのでした。
楽しかった、なつかしかった・・なんだか不思議な不思議な時間でした。






2002年11月22日(金) 新潟へ

朝、ぎゅうぎゅうの急行で、東京駅着9時20分、走った、走った・・・で、9時28分発の新幹線セーフ。
ところが、新幹線車両の換気がよくないのか、やたら咳が出て参った。
咳をしているの、私だけではないのが怖い。悪いばい菌をながしてんじゃないかとすこし恐怖。
県境の山々は紅葉しながらもすでに雪が見える。
新幹線の中からでも空気がりんと張りつめているのがわかる。
帰りはこの景色が堪能できるバスで帰ろうと決めた。

母の足は、エアマッサージがきいたらしくて、だいぶ腫れが引いた感じ。
よかった。
夕食は、11月誕生日の姪と私のお祝いとかでお寿司、その後ケーキ。
大学の交流団で北京に行って17日に帰っていたばかりの姪が、一日にすごい設備で勉強する子どもと、ストリートチルドレンを見たのがショックだったと話す。
このごろの北京はテーマパークのようにきらきらだし、おもしろかったようだ。失敗、彼女に、空港にあるうまいワイン「長城ワイン 赤」を頼めばよかった、あれ、うまいのだ。
元々好奇心の強い姪、結構、中国にはまったようだ。

新潟は寒い。
山に雪があるので空気がすごく冷たい。
初冬である。



2002年11月21日(木) 小辺路越えの計画

このところ早寝・遅起きの日々。だから、元気が戻りつつある。
というわけで、朝から月岡さんのお遍路組曲をかけていっしょに唄いながら掃除をする。
昼近くから、30日からの小辺路越えの宿予約を入れ始めたが・・・。
一泊目 大股、津田旅館OK。
2泊目 五百瀬(いもせ)に宿がない。一番近い宿を十津川村観光協会に電話して聞いて入れたが工事の人でいっぱいで駄目。困った・・もう一度観光協会に電話して相談。タクシーも入りにくい所、村営バスはあるにはあるが、チョーまばら・・、五百瀬は携帯もつながらないのだとか。おやまあ。
「迎えに来てくれる宿を探してくれないか」と頼んだ。
夕方、返事あり、津川という12キロほど離れた民宿が引き受けてくれたという。
よかった、よかった。早速そこに電話を入れた。
野迫川村、十津川村、不便とはしってはいたが・・ねえ。
三泊4泊目 十津川村のまん中の宿は民宿「松乃家」がいいと聞かされたので予約を入れるもつながらず。しかたなくFAXを入れた。
夜、10時過ぎに返事あり。人のよさそうなオヤジさんの声で、今日は一日おらんかった、御免な・・という感じ。四国みたいだぞ。
12/3日二、あこがれの玉置神社に登拝したいのだが、道はどうかと聞いたら、登れる、ということだった。よかった。
オヤジさんの話によれば、この頃小辺路を歩く人が多いので、道もいいから安心して歩いてきてよろしいと言うことだった。
これで、完了。後は好天を頼むのみ。

11月末から12月初めに出かけるために、旅原稿、12月分残り2本完了。
格安チケットのゲット法、青春18切符を使うことについて。
お出かけが決まると俄然ピカピカと動き出す私なのであった。



2002年11月20日(水) FDSで久しぶりの渋谷

10時渋谷のウイメンズプラザのフリースペースでの会合。しかし何と、お休みでした。
で、近くの喫茶店へ。
ウイメンズプラザはもしかしてなくなるかも、という話になった。
メンバーのMさんが新聞の切り抜きを持ってきてくれていた。
石原都知事の政策。あの人はなったときに真っ先に福祉予算関係を切ったけど、次は婦人問題関係。弱いものいじめの典型の人だね、やっぱり・・というのが感想だ。地獄に堕ちるよ。
北朝鮮に宣戦布告だ、みたいなこといってるけど、マジに恐いお人だと思う。
でも、自分の家族はまず第一に安全とこににおいてから始めると思うよ。
しんじまえ!くそくらえ!!だね。
でもそういう人を選んだ都民がドアホなんだが。

メンバーの一人Aさんがずっと体調をくずして、欠席している。
腰が悪い。ということなのだが、それにしても長い。重度障害のお嬢さんの世話で、腰にずっと負担をかけつづけていたせいだとは思うが・・心配。
ちゃんと誰かにSOS出しているかな・・という話題になって、もっと近かったらちょこっと行って買い物したり、お風呂に水入れたり・・とかってこれまたまたちょこっとヘルプができるのにねえ・・という話になった。彼女は我慢強いし、あんまり人にそういうこと言わないと思うし・・心配だよね、と。
一番近い(といっても車でそれなりの距離らしいが)Jさんが行って様子を見て来ることになった。
そして、来月は渋谷ではなくて、彼女のうちにヘルプに行こうではないかと・・・
それくらいしかできないけど、でも何もしないでいるよりマシかな、と。

昼から、切符を取ったり、地図の専門店で奥高野の地図をかったり・・・

なんだか、体がだるい、疲れだね。
いくらでも眠れるし・・



2002年11月19日(火) 光陰矢のごとし

17日、18日と、まさに光のように過ぎて行った。
いいのか、おい? 
何が?
だって、ホントに一日、24時間、あるのか?時間泥棒に時間を盗まれているんじゃないのか・・・。
そうかもしれんなあ・・・でも、人生にもつるべ落としの秋の暮れってあるんだよ、きっと。
こんな自問自答をしてしまった本日でありました。

本の整理をして、コピーを取りに行って、愚さまと電話でおはなしして、あちこちに礼状やお便りを書いて出して、夕方。
生命保険のことで、保険屋さん(といっても知人だが)に会って、帰ったら夕方7時過ぎって、やっぱり時間泥棒に時間盗まれているわなあ・・・。
実にあっけなく19日も暮れていく。

15,16,17日の日記アップできず、というのも気になるが。
あったことのみでも書いておくかな。

今日も内容のない日記となりました。ゴメンm(_ _)mでござる。



2002年11月18日(月) 高知より朝帰着 

7時20分、東京駅八重洲口、朝帰着。
着いて、あああ、と発声したら、声がかなりかすれていて・・・これはこの数日間おしゃべりの時間がすごく多かったことと空気の乾燥に関係する。
私の身体の要注意信号だ。
熱がでないように気をつけねば。

うちに帰ってメールや書き込みをして、シャワー、少々睡眠。洗濯や荷物片づけをしていたら、夕方となった。
昨日の楽しかったお遍路の時間が夢のよう・・・
皆さん、ありがとうございました。
楽しかったです。

今日は早く眠ろう。



2002年11月17日(日) お天気上々・・たまちゃんお遍路

朝方3時、大阪駅中央郵便局前、ということで11過ぎに寝たが、少しうとうととしたら、下から救急車の音が2台、続けざま。事故の心の後遺症で救急車の音がすごく苦手。ダメ。参った。不安感で完全に目が覚めた。

それで、結局2時15分になって起床。
徹夜でお出かけとなった。
2時半に阿波公方様より筺
2時50分チェックアウト。ホテルのロビーで連絡を待つ。
3時少しすぎ電話。
ホテルをでて郵便局前に行くとすでに見慣れたなつかしい公方様の車が止まっている。
後ろの席にはつぐちゃんとじゅんちゃん。
おはようございます、で発車オーライ。
道々いろいろと話していく、眠いがドライバーの隣で眠るなんてとんでもない。
すごくはやいタイムで動いていたみたいで、6時前に22番駐車場着。
ミッチー先生の車もすでに着いている。
寒いが、きりっとした空気感が気持ちいい。
6時すぎ、たまちゃんファミリーと愚さんきょんちゃんも着く。シバちゃんがまだ。どんどん明るくなっていく中、先にお参りに行く。
大イチョウの黄色にモミジの赤、それに朝日が黄金色に輝いて美しい。
シバちゃんも途中から到着して、大師堂は全員でお参りした。

次は23番、鯖大師である。
歩いている人の姿を道々見かけた。
三宅のおっちゃんが、厄除けの臼で線香を年の数だけつぶすというやり方を教えて下さった。三宅のオッちゃんは、ホントにいろいろなことを知っておられて教えて下さる。ありがたい存在。
鯖大師では、本堂の他にお砂踏みをしてお不動様をお参りした。
24番で、たまちゃんたちはおうちへ。お父さんが東京へ出張だ。
たまちゃんは、まだ帰りなくない、行きたいと悲しむが・・・・・
私たちは高知に出てお帰りだし・・ということでやっと納得してくれた。
ありがとう、たまちゃん、またね。

25,6番とお参りするうちにますますよい天気になった。
26番さんでは、奴草が咲いていた。
春先にお参りしたときに、まさかこれをみることができるなんて思いもしなかった。
新村不動をお参りして鯨館横のキラメッセで遅い昼食。
私は鯨館の町田さんに会いに行って話をしてきた。
なつかしかった。

27番からすばらしい夕日。
月の光の下で、不動霊場極楽寺をお参りした。
今日もすばらしい天気、楽しくて心豊かなお遍路ご一行様でした。
よかった。
いいメンバーのおかげである。感謝。
シバちゃんから、御免駅まで送ってもらって帰途へ。
今日もいい一日でした。
毎日、こんなに極楽でよいのかと思ったことでした。
皆さん、ありがとうございました。







2002年11月16日(土) 広峰神社・同窓会へ

仏教がはいる前から文化が栄えていたところは神社が多い、と私は思うのだが、姫路はまさにそう。
その一つ、広峰神社に、Dさんと行った。
今日もいい天気で、山道歩きが気持ちいい。
山のうえからの景色のよろしいし。

姫路市内で美味しいハヤシライス定食をDさんと食べて、名残惜しくお別れして京都に。
京都東洞院三条の旅館が会場。
始まる2時間も前に行ったのに、すでに2人到着。
みたらすぐにわかって、わいがや・わいがや。
ああ、なつかしいよう・・・
ゾクゾクと到着。
今日の参加予定は20人ほど、みんなおじさんとおばさんになったが、話し出すと昔が彷彿。かわんない。
楽しかったようう。
またしても名残を惜しみながら、8時半、みんなより一足先に辞す。
明日はお遍路、大阪泊まりだ。

今日も楽しい一日。
よかったなあ。



2002年11月15日(金) 書写山から破磐神社へ

昨夜、阿波公方様よりのメールで、何だかへんろ館の掲示板に私のことが書かれていることを知った。あれあれと、携帯でえらく時間をかけて掲示板を開けてみた。
ほうほう、なるほど・・
他の方のことはともかくとして私の司会、まあ、的を射たご意見ではある。
異議なしという書き込みを、帰ってから(姫路着10時30分で、遅い夕食を食べて、お風呂に入って後)していたら寝たのは1時過ぎ。
7時に目覚ましがなるも、眠い、眠かあ。
しかし、7時50分、ホテルの外にDさんが迎えに来て下さる。起きねば、だ。

7時50分少し前に外に出たら、もう車を横付けで待っていて下さった。
お久しぶりでーす。
またお会いできてウレシイです。
と再会を喜ぶ。
喜んでいたら、眠気も吹っ飛んだ。
今日の予定は、Iさんも合流して書写山を徒歩で登ってお参り。その後、破磐神社山で正式参拝。
夜はDさんのお宅に泊めていただく、のだ。
西国徒歩巡礼の時に、書写山の下りで初めてお会いした。観音様がつないで下さったご縁である。

Iさんもおいでになったので八時半頃から、書写山へ。
ひさかたぶりの山歩きが気持ちいい。
書写山は霊山なのでことさら、だ。
九時過ぎに着。
まだ、早いので人気も少ない。
紅葉がすばらしい。
特に本堂の周囲の銀杏やモミジがすごい。
感動。今年は、寒暖が特に激しいので、こういう美しい色がでたのだろう。
歩きの時は時間のゆとりがなくていけなかった、境内全域を散策した。広い。実に大寺だ。京都にあったら、間違いなく1流観光地だろう。
モミジ祭りと言うことで、ふだんは入れない鍾楼や塔頭にも入れた。
Iさんから、先日ここでロケしたトムクルーズの生写真をいただいた。
あなうれしや。

12時、破磐神社へ。
もう一人、四国を10番まで歩かれたという方も合流して4人で正式参拝。(宮司さんによれば、正式参拝というのは、神様こんにちは、ということらしい)
夏から希望していた参拝がかなった。うれしい。
その後、神様へのお供物のお下がりや、自作の野菜、地元産の品で宮司さん自らがお造りになるという見事なお昼をいただいた。

メニュー

食前酒(手作り梅酒)
お造り(鯛といか、添え物としてついていた大根の葉の茎を使った星みたいなサイクのもが凝っていた)
大根そぼろあんかけ。ゴマ豆腐のくこの実のせ。小松菜と油揚げの煮浸し。居抜き高野豆腐。ちゃきんしぼり。さしまきたまご。人参のはちみつと梅酢煮。黒豆。松前昆布のいくらのせ。タケノコの磯辺あげ。こいものあえものクルミのせ。稲穂あげ。
これらが少しずつ、竹を割った入れ物に美しく並べられてでてきた。
蒸したてのきのこご飯、香の物、土瓶蒸し、
デザート 太郎柿
とても美味しかった。
宮司さんからたくさんの興味深いお話をお聞きして辞したのは、4時近く。
破磐神社は、日本一の神社ですね。

夜。
Dさん宅でネットにつないでへんろ館をみた。
書き込みは増えていたが、あたたかいお言葉に感謝。
Dさん宅は高校生と中学生、2人の男の子がいる。小気味いいほど、ご飯やお菓子を食べる。口数は少ないが素直で、優しいお子さんたちだ。
夜はご主人とも話した。
明るい楽しい感じの方。
12時過ぎに就寝。
楽しい、充実した一日だった。
ありがとうございました。








2002年11月14日(木) 松山・北条へ

朝、7時45分、ホテル発。
8時20分の新幹線、岡山41分の「しおかぜ」、と思っていたのに大チョンボ。しおかぜは29分発だったのでした。時刻表の写し間違いでした。とほほ。
でもって、岡山で30分ほど時間つぶし。お茶とおにぎりで朝御飯であった。
新幹線で、お杖と白衣、荷物に笠をつけたお遍路さんに出会った。ばりばりの歩くスタイルの初老の男性であった。

しおかぜでは、前のご夫婦が歩き遍路。
きけば、今治で降りて延命寺まで行き、55,56番と打つということ。お気をつけてといってお別れしたのであった。
今治でKさんと合流。一緒に松山の病院まで杖大師の堂守りさんのOさんのお見舞いにいった。今日は具合がいいよということでいろいろとお話しできてよかった。
松山の紅葉は今とてもきれい。今年は、寒暖が激しいしそれもあると思う。だって電車の車窓から見える山の紅葉、みんなそうだったもん。

その後、杖大師へ。今、お堂をお守りになっているMさんにお会いする。先日、玉ちゃんや愚さんがここに来てくださったのだが、たまちゃんのことを天使のようなお嬢さん・・といわれていた。自分のくらい気持ちや顔を見られたら恥ずかしい・・と思って顔を上げられなかった・・と。
そうか・・・今度こちらに来たら、またたまちゃんによってねといっておきますね、といってきた。
わたしはMさんもだが、Oさんにもたまちゃんに会わせてあげたい、と思う。
Mさんは「泣くかもねえ」といっていた。

帰途、菊間あたりの海沿いの道で歩きお遍路さん2人に出会った。
5時15分過ぎ。もう暗い。一人はとても元気、もう一人は野宿のようで足は重たそう、疲れている感じだ。で、kさんと青木杖大師かねえと、乗りませんか、といってみようか、まだ1時間以上あるかんといかんよ、と話し合って方向転換、戻った。
私が降りて「お乗りになりませんか、青木杖大師までまだありますよ」
断られた。しっかりと、大丈夫ですから・・いいですから・・と。
そうですか・・ということで、また方向転換、お気をつけて、と。
「この時間になると声をかけたらたいてい乗ってくれるんやけど、やっぱりなにか思いがあるんやろね」とKさん。
私もうなずく。
がんばってください、と思った。

今治発夕方7時19分。電車の中。
今日もホテル着は10時をまわるね。




2002年11月13日(水) お遍路シンポ、終わる

八時過ぎの新幹線で大阪へ。ゆうべあんまり眠れなかったので、新幹線で寝ようと思ったがこれまた眠れず。
シンポの進行案を見るが、どう考えても、どこで話がかみ合って展開していくかが見えずに、あきらめてもういいよ状態で、「農から明日を読む」という有機栽培農家のあいだでは有名な星寛治さんの本を読んでみたが・・・文字の上を目が滑るのみであった。

      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一時、食事の後に打ち合わせ・・であるが、打ち合わせのお好きではない早坂先生は「しないよ」、なんて、たまちゃんファミリーさしいれのちくわをかじりながらニコニコと・・ありゃりゃ・・で、松岡、立松先生と・・・振ってくれたら何でもしゃべりますよ、という心強いお言葉で。(しかし、これがくせものだったなあ)
早坂先生は打ち合わせ話なしがおもしろいという考え。であるが、私はどきどきなのである。
立松先生のお話、興味深いのだが寝ている人が多かったなあ。あの話のイントネーションがなごみ系なんだよね、やっぱり。
月岡さんの演奏は楽器が多いとやっぱり華やかでいい。それに音響が高松の時よりずっとよかった。遍路組曲、私も思わず口ずさんでいた、いいよね。
で、三時、開始。
会場、相変わらずの満杯。
早坂、松岡、立松先生の順に並んでおられるので順に振るも、「それぞれ節」で。
早くも終始がつかなくなりそう・・の予感。
それに三人とも話と長いんだ、時計を見ていると五分は越えているもん。
中盤、立松先生より逆に振られて「私、お大師さんに会いました」の話をしてしまった。
このへんからもうあっちこっちにおもしろい展開で・・・・・(おもしろかったです、ホントに)
でも、司会としては途方に暮れて・・・そういうとき正面一番前にいてくれた曼陀羅の春美さん、舞台より右側の前にいてくれたたまちゃんファミリーと愚さまの方を見ていました。
ほんとに来てもらって、よかったよ、たまちゃんパパ、お休み取ってくださってありがとうございました。
最後の三人のお話の後に、早坂先生が「でもやっぱり歩くのがいい」ということで締めてもらってほっ。
とにかく終わりました。
まあ、予想したとおりの終わり方(話が重ならない)ではありましたが、おもしろかった、私は。(会場がどうであったか心配ではあるが・・)

夕方月岡さんと彼女のお知り合いの方(お遍路仲間)で曼陀羅へ。
ネットでしかお名前を知らなかった方々にたくさんあえた。
楽しかった。朝から炊いてくださっていたおでんもおいしかった。
春美さんの「曼陀羅」も拝見した。きれいだった。
月岡さんがまた演奏してくれた。これもgood!!
九時過ぎにやまざるさんが駅まで送ってくださった。
ありがとうございました。
竜馬16さんから、なんと私のこのサイトに書いた巡礼やお遍路日記をプリントアウトしてきれいに製本したモノをいただいた。感動。ありがとうございました。
まことさんや幽黙さんから、今日はまとまりませんでしたね、大変でしたねといっていただいた。はい、そうなんです、ありがとうございました。

会場であったたまちゃん、たまちゃんお父さん、お母さん、愚さん、ありがとうでした。たまちゃんお手紙ありがとう。「たまき」の字から「たまちゃんパワー」がでていましたよ。
山ピー先輩ありがとうございました。
姫路からの「出口組」さんありがとうございました。
終わってやれやれ、ほっ。感謝。







2002年11月12日(火) ベルーガ(^^)/

昨夜のNHK「不思議大自然」で、カナダ・チャールズ川のベルーガを見た。
ベールガ・・シロイルカのことである。
この夏、彼らが見たくてカナダのタドウザックとか言うちょっと人が知らない(カナダ人は知っているが)セントローレンス川沿いの僻地まで行った。
しかし、ちょうどベルーガは今、川の上流だ、とかインフォメーションで言われてしっかりと見ることができなかったのだ。このが番組で堪能させてもらった。
ベルーガが、どうして川に行くのかもこの番組でわかった。
脱皮しに行っていたんだな・・・びっくりだね。インフォメのおネエさんは「子育て」といっていたけど、それもそうはずれてはいない。
海でシシャモをご飯に食べて、水温が海より10度も高い川で、子どもたちは大きくなるのだそうだ。水温が低いと発育がよくないのだとか。
なるほどね。

シロイルカ。
本当に真っ白なのだ。北の黒ッぽい海中でその色はひときわ美しかった。(遠目ではタドウザックでたくさん見たんですね)
顔も愛嬌系でなんか可愛い。そして何より、こういう生き物がいる不思議。
北海道の海でも時々見られるらしい。
ウラジオストクの水族館の汚い水槽にも飼育されていた。(あれはかわいそうだったが)

いよいよは明日はシンポジウムです。
いろいろな方から励まし言葉お接待をいただきました。
ありがとうございまーす。
しっかりやりまーす。



2002年11月11日(月) 今年のラマダンは11月5日から

旅の連載2回目に「ピサの斜塔は登れない」と書いたら、「今は登れるんだ」という。そういう電話が新聞社の方にあったという連絡が来た。
ネットで検索を入れて書いたのだが、「ピサの斜塔 観光」みたいなキーワードをいれたような・・・。これに「入場制限」を加えてグーグルしたら、出てきた「2001年12月に修復完了。30人、40分のツアーで一日300人くらいが入場できる」と。
甘かったなあ。昨年の夏に行った友人がはいれんかったと言っていた記憶があるので、まったく再開を考慮しなかった。
担当氏は、お詫びを書いて欲しいという。
書くのはいいが、(当然だ)それを導入として、そういうとこはまだまだありますよ、という内容にしたいかな、と言うことでいろいろとネット検索をした。

2000年には入れたホワイトハウスの中は今はダメ。

昔は、確か「火、木」の午前中しか入れなかった毛沢東記念堂。今は月、土以外はよし。ここは、毛沢東のご遺体が水晶の棺に入れられて安置してあるのだ。今も昔もお登り中国人の観光名所。(日本人団体客は当然行かないが)
恐くて、気持ち悪いもんですよ。周恩来も毛沢東の生前は仮装を推奨していたらしい。だから周恩来は火葬ととなって故郷の山河に散骨された。しかし、さすがに毛沢東はならんかったのですな。というより当時の共産党幹部がさせなかった。
私は、行儀の悪い中国人があの中では規律正しく行動するのに、ぶったまげた。というなつかしい記憶がある。さすがに未だ痰は吐くが、飛行機のチェックインのとき割り込みはせんようになった。
ちなみに世界で毛沢東見たいに「ご遺体」拝観ができるのは、レーニン廟、金日成廟、ホーチミン廟、らしい。毛沢東を加えて4大ご遺体なり。
これはけっこうグロい観光地だと思う。

ついでに、今年のラマダンは11月5日からみたいだ。
ということはアホブッシュは、ここしばらくは戦争せん。
今年の暮れ、以降が危ない。
北朝鮮も、今年の冬に何かが起きる、と見ているウオッチャーもあるし・・何かこの冬はどうにかなるんじゃないか。心配だ。
日本もアッという間にその渦に巻き込まれそうな・・・
世界の経済不安・テロ不安はブッシュが作り出している、という話をあちこちで見かけるこの頃なのだ。

ネットは、お宝の山(フェイクも多いけど)で、あちこちに寄り道して「ヘエ・・」とかって感心しながら読んでいるとアッという間に時間がたつ。面白かったのは、「飛行機ゲロ袋」(失敬、エチケット袋、というんですね)の収集。はあ・・・おもしろやつがいると一人ごと言ってしまったもんねえ。1本書くのに2時間はネット遊びをしてしまった。この非効率、反省。

今日は比較的にぬくかった、明日は雨か。



2002年11月10日(日) 僧侶になる、人に会う

夕方、出先から自由が丘にまわって、「僧侶になる」メールで驚かせてくれたお方にもう一人の20年来の友人と共にあった。

聞けば家庭をうち捨てての僧侶志望ではなくて、奥さんお実家がそうなので・・ということらしくて少しほっとした。禅、曹洞宗の方らしい。
彼は長崎の人なので基本的には故郷に帰るのだ。いいことだと思う。
「修行は春から」らしいので思わず「よかったね」といってしまった。だって、冬に向かうときだと寒いもんねえ。(と軟弱な私)
確か何年かまえに自宅も自由が丘の近くに買ったはずなので「ホントに計画性のない生き方だね、いいけど、・・らしくて」といったら、「うん、この9月から急にこういう話になったんだ」とか。フーン。
まあ、計画性のない、ということであれば人の事は言われん、私はもっとそうだもんねえ。
宗教、信仰・・いろいろと話して帰宅。
一年後、修業が終わったら、どう変わったか見に行くよ。
といって別れた。
ホントに久しぶりにあって、楽しい時間だった。
振り返れば、20代の頃から知っているんだけど、アッという間の時間だ。こういうのを「往時茫々」というんだろうか。
もう一人の友人は、横浜生まれの人なのだが、「そいいう生き方チョイスがあるってうらやましいわ」としきりにいっていた。
そうかも、ね。
私だって事情が許せば四国近辺にすみたいもんね。

夜中「ドキュメント 02」、愛知の犯罪被害者の会をレポートしたものを見た。
殺されたお母さんのそばで何も知らずに遊んでいたお子さんの心のキズ、両親を通り魔に殺されて更には警察に犯人と疑われてずたずたになったご夫婦の話・・見ていてつらかった。
「加害者の人権が守られ過ぎている」・・これはホントにそう感じるときがある。しかし、でも、刑務所の中での人権のなさはどうだろう。(名古屋刑務所の事件)
確か、刑法って明治の頃からあんまり変わっていないってなんかで読んだことあったよなあ。



2002年11月09日(土) 旅に英語は必要か 英語を巡る思い

ベルギーからいただいたメールに言葉ができなくて旅が心配・・と書いていらしたので
言葉なんて通じなくても旅はできますよ。
 私は日本語オンリーですから。
と書いたら
 本当でしょうか? だったら勇気百倍です
という返事が来た。

理想を言えば、行く先々の現地語をみんな話せるのがいい。
しかし、普通にはそれは無理。
で、英語、となるが、日本人の多くは英語に自信がない。もちろん私もない。でも旅にいってしまうのは「慣れ」かな。
ただし、たくさんの旅(今30カ国ぐらい?わかんない)をして必要に迫られて「旅英語」なるものは何とかできるようになった。
つまり「部屋をとる」「ご飯を食べる」「ものを買う」あたり。
しかし、これ以上には進歩しない。せっかく旅先でせっぱ詰まって覚えた言葉やフレーズも不必要になるとたちまちに忘却のかなたとなる。
だって、今の私には、日本に帰ると英語は必要ないし、日本語をむしろ極めたいと思うから。(文を書くのも話すのも下手だから)

では私の「旅英語」って、どの程度か。まあ中2のレベルかな。
「take」「get」「have」・・・レベルの単語、「Can〜?」「Do〜?」あたりを使い回せばたいてい通じる。
それに、シーンに応じて定番の言葉やフレーズがあるし、それをクリアすればいい。
単語数が増えればもっとなんとかなるとは思うのだが、旅先で覚えてもすぐに忘れる「鳥アタマ」だからな。
日本語で考えて知っている英語に翻訳する回路で話している限り、それは「日本語オンリー」の世界だと私は思うのだ。

オーストラリアで麻薬所持で(冤罪のようだ)刑務所に入っていた人たちの悲劇は英語が分からなかった、ということにつきるように新聞には書いてあったがあれは違う。
問題は、肝心要めの場合「わからない、納得できない」時は断固として「NO!!」をいい続けること。首を横に振り続けること。簡単に「ごめんなさい」を言わないこと。これが大事だ。
(でもこういうの、日本人は苦手、私もそうだったけど、この頃はけっこう強い、日本でもこれを時々やっている、いまだに片づいていない著作権の問題はまさにこれ、って気がする、納得するまで折れない)
いつだったかアメリカで「わかった?」と何度も聞かれて「No.わかんない」を繰り返していたら「じゃ、ちょっとお待ち、今日本人の女性を呼んであげよう」と
言って彼が呼び出したのはアメリカ人と結婚している、近所に住む方だった。彼女にはホテル探しから観光までお世話になった。以来時々、旅先からハガキをだす。クリスマスカードを交換している。
彼ら、もっと正しく通訳できるヤツを呼べ、日本大使館から人を呼べ、と日本語で叫び続けるべきだったと思う。絶対絶命の時折れてはいかんのだ。だいたい、わかんない言語でわめかれると、しゃべられると人は引く。
それにしても、日本大使館は、なにしとったんじゃろ。
たくさん税金を使って、日本人の自由や権利をまもれん奴らは首じゃといいたい。
冤罪で過ぎ去った10年は重いと思う。

折れてはいかんといっても、ホールドアップさせられて、金を要求された時は
即出すのがいい。
エジプトとメキシコでは、即出せるところに「ドル札」を入れて置いた。とりあえず、これをひらひらさせたら瞬時に打たれる、刺されるということはなかろうと。
メキシコシティなんて、タクシーが強盗に変身しちゃうなんて日常茶飯事みたいだから。こうなると言葉以前の問題だ。

オッと横道だ。
今度の旅で帰りの飛行機でとなりに座ったスエーデン人のおっさんがいったものだ「何でわたしらは英語でしゃべらんといかんのじゃ」
「私は、あなたのお国の言葉がわからない、あなたは日本語が話せない、よって英語である。コミュニケーションツールである」と私の答え。
そう、世界にはいろいろな英語がある。だって、エジプト人は「pen」は「ベン」「飛行場」は「エルボルト」。これでも「英語」。
致し方ないのである。
神さまが「バベルの塔」の崩壊以降そうなさったんだから。

言葉も才能だ。
友人のミエコや彼女の夫のテクラブ氏を見ていると本当にそう思う。
でもミエコは努力もしている。常にオランダ語の辞書を側に置いて引きながら新聞を読んでいる。オランダの学校に行っている娘や息子に聞いている。
これって大事だと思う。
また言葉は必要に迫られる、も大事だ。
だって、留学して1年とか過ぎるとたいていの人、日常語には不自由しなくなるじゃないですか。

学校の先生の友だちに会うとこの頃よく話すこと。
英語が話せない、話さなくていい、ということは幸せなことだ。
子どもの頃から英語が話せる国はある意味で不幸だと。
ラトビアの子がそうだったが英語がうまかった。
小国で、国が不安定で、もしかて故国を逃げだす必要がでてくるかも・・というところは英語ができる、うまい人が多い。
だって、逃げ出した先ではとりあえず「コミュニケーションツールとしての英語」が役立つだろうから。さらに英語ができることで多大な・明らかなメリット(収入・就職)がある国ではみんな必死にやる。(東南アジア方面のお国に多い)
日本人は、国がなくなる心配はとりあえずないし(多分、北朝鮮がドカンとやってきたらワカラン)、明らかな就職差別は今のところない。「有利」くらいだ。これを「幸せ」とよばすして何という?

本題に戻る。
英語もほかの国の言葉も話せないより話せた方がよい。
でも、とりあえず旅は「健康、ヒマ、少しのお金」「○○○に行きたいという熱意」があればいいと思うのだ。
スパシーバと、ハラショーしか知らないで行ったロシア、イルクーツクのバスターミナルで「バイカル!!」と言い回ってバスチケットをゲットして、乗り場まで教えてもらい、無事にバイカル湖畔に着いた私は、そう思う。
敢えて必要なものを言うとすると、心からありがとうを現地語で言う事、笑顔かな。それと、若干の機転と勘。
 ということで
 Have a nice trip!! (^^)/~~~



2002年11月08日(金) 鍼灸で元気回復

旅先では、病気のビの字も風邪のカの字もない私なのに、このところの不調はめずらしい。やっぱり旅に出ないとからだが怠けるみたい。
お久しぶりに鍼灸の師の所。
金曜ヒマだから、ということで7時に入れてもらった。
「疲れているね」「凝っているよ」「眼から」みたいお話をしてじっくりと見てもらった。
自分的には、問題はメガネを飛ばして、10日間予備をしていてそれが度は強いし重たいしで疲れたとこから始まっているんだと思う。
コリをほぐして、鍼をうち、足はメドマーまでして、灸を自分のツボを確かめて教えてもらいながらしてもらった。フルコース。
眼がみるみる明るくなって、背中が軽くなって、なんか付き物がとれたみたいに元気になった。ありがとうございました!!
そりゃ、いろいろとおしゃべりをして1時間半もしてもらったんだから当然でしょう。とは我が内心の声。
もともと、弱くて凝り性の私が丈夫になったといっても知れているんだよね。
ここに来ると、このところ会っていない友人の噂などを聞く。みんな私の紹介で来ている。今回はめずらしい人の話を聞いた。
甥の同期生の女の子。彼女はすごい便秘症で苦しいというのでこちらで売っている便秘に効くハーブティーの見本をあげた。もう3年くらい前のことだ。
そしたら、いまだにはるか新潟から注文が来るらしい。アキちゃん、いい子だったけどどうしているのかな。こんなふうに噂を聞くと何だかうれしい。

母の足の腫れに有効な方法も教えてもらった。
★お風呂で、熱いお湯につかって温めたら、バケツにいれた冷たい水に足を入れて冷やす。これを二回する。上がり湯は足に冷水シャワーをする。
★昼間、メドマー(エアッマサ−ジ器)弱で15分くらいかける。
私もこれでいけると思う。
体験的には「循環」の問題だと思うから。
母は「医者は、湿布と塗り薬(多分モビラート)しかだしてくれない。でも効かない。どうして腫れが引かないんだと聞くと自分もわからないという、いたくて寝られないと言うと痛み止めと睡眠薬だけが増える」と訴える。
整形外科はこれも体験的には「野蛮な医療」だと思う。つまり切ったりはったりに実に有効だけど、母のようなデリケートな痛みや訴えになすすべ知らずなんだから。これは、漢方の領域だ。私もどれだけ助けられたか。

強い痛み止めは肝臓や腎臓を痛めるし長期に使うのはよくない。
母のように寝られないと言う患者に安易に睡眠薬を出し続けるのもどうかと思う。
そもそもすごく動いて疲れて寝ていた人なのにその活動が停止しているんだから寝られなくてある意味当然だよね。逆にいつでも寝られる状態なんだから、寝たくなったら寝たらいいんですよ、と気楽にかまえることを助言して欲しいんだけどな。

身体が軽くなって温かくなって気分が良くて早寝してしてしまった。



2002年11月07日(木) 昨日に続き、びっくり

朝メールをあけたら、20年来の友人(といっても、この数年あっていない、時々メール、時々彼のHPを見ている)から「僧侶になるから、東京を出る、その前に会いたい」というメールが来ていた。
もうびっくり、どうした六ちゃん?
大慌てで、いつでもよし、時間つくりますの返信。
休みに会うことになりそうだが、どういう心の変化なのか。ただただ、びっくりしたのであった。

夕方は元同僚の友人に会った。
あの蓮池薫さんのお兄さん、透さん、立派である。父母の会の人たちもすごい、という話をした。
さらに私は、昨日中国の公安につかまって強制退去させられた加藤博さんもすごいと思った。優しい感じなのに、腹が据わっている。
この国、上の人たち(官僚・小泉首相etc)は情けないないがこういったいわゆる無名・普通の人たちがすごいからまだ何とかなるか、と思ったりする。
そんな話をして、彼女の好きな湖東三山の観音さまのことなどを話題にして、アッという間の時間であった。

このところ、ホント、北朝鮮関連でこの国の平和もやばいぞ、という感じになっている。アメリカじゃあほブッシュが悪運強く選挙に勝ったし、さ。
地球を神は見放したのか、と思ったね。
アホブッシュは、イラク、や北朝鮮へ攻撃かけそう。

去年中学の講師をしに1学期間、中一に社会を教えたときのこと
「日米ガイドラインというのがあって、アメリカが戦争を始めたら、日本はアメリカを助けないといけないの、例えば、すぐお隣の国の北朝鮮とアメリカ、あんまり仲良くないんだけど、もし喧嘩を始めたら日本は助けるのね、アメリカの味方をする、そうすると戦争しません平和憲法です、といってもアメリカを助けるからやっつけるって爆弾が飛んでくることになるかも知れない、戦争はすぐそこにあるんだよ、平和だっていってもいつこの国も戦場になるかわからないんだよ」
何かのはずみに授業中にそんな話ををした。
中一、12歳は食いつくように聞いていた。
シンとして、私語はなかった。
そうだよね、自分たちの将来、命に関わることだものね。
あの話が現実になりそうで恐い。

中国にしろ、北朝鮮にしろ、ロシアにしろ、なんだか、やばい国がこの国のまわりにはごろごろ。海の向こうにゃアホブッシュ、もちろん、我が日本もろくなもんじゃないが・・・

風邪が直らないので話題が暗いのか。
明日は針灸に行くことにした。



2002年11月06日(水) ベルギーからのメール

このエンピツメールシステムから思いがけないメールが届いた。
以前、塾をやっていたときに神戸の震災被害に遭われたお年寄りの方におひな様カードを作って差し上げるという活動に子どもたちと共に参加していた。(今年は友人たちと共につくって参加)そのときに世話人をやってらしたTさんから、ベルギーよりのメールだった。
彼女は、あしなが育英会の方に関わっておられる。お目にかかったことはないのだが、お便りなどからだいたいどんな方かわかる、という感じなのだ。
エンピツメールからで、さらにはこれを時々読んでいて下さるというのがうれしかった。ありがとうございます。

ベルギーはオランダのお隣り。かつては同じ国だった。
でもかなりお国柄が違う。
オランダ人はどっちかというと、味覚音痴という感じだが、ベルギー人は違う。
ホントのフレンチはベルギーにありとかいわれていて、昔、ブッリュセルでうまい魚料理、ブリュージュでものすごくうまいグリーンペッッパーステーキを食べた。
あのステーキは私が食べたステーキのうちで一番うまいと記憶にある。
 すき焼きだと、松坂の「和田金」で食べたヤツが忘れられないが(あの味、肉は芸術だった)ステーキはやっぱり「欧州」じゃなかろうか。
フェローアイランズであったベルギー人のトムという子は、自分で鳩を撃って料理するといっていた。
鳩を喰うなんて、とあのあちこちにいるド鳩を思い出して哀れを感じたが、エジプトに行って彼らも高級料理として喰うことを知ってベルギー人と同じだ、と思った。
トムとは、いっしょにパフィンを食べにいったんだ。
鳩くらいの大きさで、ほかの国では保護鳥になっていたりするヤツ。
くちばしと足がオレンジ、胸はしろ、羽根は黒で美しい鳥だ。
私も人のことはいえんわね、あんなかわいい鳥を食らっているのだから。
話が横道だが、ベルギー人の食べ物のへのこだわりは南欧的だと思う。
ブルージュ、中世がドライフラワーになった町。あっちに行く人にとりあえず進めたい。

田舎に電話したら、昨日半日雪が降っていたという。
寒いわけだ。
でも11月のこの時期に新潟に雪、というのはこのところないと思うのだが・・・
どういうことなんだろうねえ。
風邪気味とれず。今日は、なんか頭が痛い。
急な冷えで、11月はストーブ入れないとがんばってしまったので、身体が気温変化についていけなくて頭が痛いのだろう。
多分、身体の芯に冷えが入ってしまった、数日様子を見て直らなかったら、鍼灸だね。
今日は早寝しよう。




2002年11月05日(火) 寒さに完敗

窓から見える富士山は、真っ白だ。
高野山の山林課に小辺路越えの寒さについて訊こうとメールしたら、雪ですよ、といわれた。
何でこんなに一気に寒くなったのだ?
例年、12月まで暖房を入れない主義の私だが、夕方の天気予報で、この寒さは12月下旬と聞いて、「そうか」とつぶやいて押入からガスストーブをだして設置した。
入れたらすごく温かい。
身体がなごむ。
思わずまったく無関係だけど「太陽政策」(韓国の北朝鮮への政策だったよね)という言葉を思い出した。あの政策の実はあがっているのか?とは思うけど、ネーミングとしては最高だね。

郵便処理などいろいろとやっていたらアッという間に夕方。暗くなるのが早いと一日が短い気がする。

三斗小屋であの強風越えをいっしょにしたWさんより来信。
彼女は、長野の農家で働いたお金を資金にして約1ヶ月、山旅を重ねていたのだが、うちに帰ったら残り資金は300円だったという。おおすごい。
お遍路ガイドブックを送ったら、偶然だったが次のバイト先は四国の蜜柑農家がいいと思っていたのでタイムリーだった、と喜んでもらえた。
よかった。あの命に関わる強風の中で、人の心配ができる彼女、私は好きだ。

エジプトであったひとり旅の若者は、カフェで私がだしたお金が違っていて(ついたばかりで紙幣を見誤っていた、たくさん払おうとしていた)ウェーターがそれを「気をつけなさい」と注意してくれたという話をしたら「オレだったら、黙ってもらう」(言外に、そいつは馬鹿正直だのニュアンス)なんて顔色も変えずにいっていた。(あれ、「倫理の荒廃」と感じて忘れられない)
若者、男のひとり旅、このヤカラによくあった。
旅をしていて自分なりのポリシーを色濃くもって爽やかなのは、女性ひとり旅と、高齢者ひとりまたは少人数旅が多い。
21世紀は占星学的にいうと「水星の世紀」(女性の世紀)だという。
出会う人の態度を見ているとそうかも?と思ってしまうことである。

ところで、1ヶ月で彼女は何座、登ったんだろう。
手紙してみよう。
四国の蜜柑農家がうまく見つからなかったらお四国の知り合いに話してみようか、とも書いてみよう。



2002年11月04日(月) なんで ばけるのよ??

朝から、一太郎を立ち上げたら、改行がみんな「A」に変身している。
ありゃあああ・・・・
どうやっても直らない。
ジャストホームのサイトにいって「QA」に直し方を見つけたので試みる。
なんか、フォントの情報に不正があるのだという??
何でそういうことになったわけ?
あたしは何もしないよ。
ADSLにしたせい?誰かがこっそり私の「PCちゃん」に入り込んできて「不正」を働いたわけ?
実に不気味だ。
でもわからぬ。
エンドユーザーの哀しみだ。
でも、まあうなってばかりもいられないから、サイトにあった解決法をいろいろと試してみる。
再起動したり、Safeモードで立ち上げたり・・・しかし・・・ダメ。
イヤイヤ困ったわいさ。
最後のやり方「隠しファイル」なるものを白日の下にさらしてそれを消去して・・再起動をかけて・・消したファイルが自動生成されるようにする・・・。
これがダメなら、入れ直しだわああ、とゲンナリしたが、うまくいった。
ヤレヤレと思ったら、お腹が空いた。
お昼が近い。
ああ、こんなことで時間をつぶした、と思うと、「原因不明」に腹が立つ。

昼から、「モスクワの地下鉄」の旅原稿を書いた。
どこでテロがあってもびくつくし悲しいが、行った街であると「ことさら」だ。
モスクワ市民はロシアのほかの都市よりも生活レベルが高いせいもあって、おしゃれで、生活を楽しんでいるという印象があった。
6月の日曜日、市中心の目抜き通りであったマラソン大会を見物したのだが、お体の不自由な方もかなり参加していた、家族や友人がそれを応援していた。
日本人よりずっと生活を楽しんでいる感じだった。
ラトビアであったブリギッタ先生もそうだったが、彼らは演劇も音楽も、ミュージカルもバレエも好きだ。入場料が安いこともあって、普通の人のお楽しみだ。そこでテロがあった・・
そんなことを思い出しながら書いた。
ああ平和であって欲しい。
旅は平和であってこそ成り立つ。
ツーリストが来なくなると即、生活に響く人が世界にはたくさんいる・・・



2002年11月03日(日) なつかしの小笠原

今日は、朝方近く、やっと「ブツ」を書き上げた。
なんのことはないA4、2枚ほどのものなのになあ・・・アタマが悪いって、ホント、困るよ。

ネットお遍路のお仲間さんは、真鍋島でとても楽しい一日だったらしい。
よっくんせんせいと、阿波公方様、お誕生日祝いもかねて・・・。いいなあ。
八歳と四十数歳・・がいっしょというのは、面白いご縁だ。お二人さん、おめでとうございましたね。
「蠍座」仲間ですなあ。

昼は「道元」読む。

夜は待ってましたとばかりに「宇宙船地球号」の小笠原を見た。
ホントになつかしかった。
知っている人、きりまるの船長さんとか、母島の田沢さんとかがでないなかな・・と思ってみていたのだが登場せず。デモしかし、あの南島や母島のジャングルがでて、あいや!!なつかしいやな。
YHの若い子たちに誘われて、後ろからついていったジョン・ジニ海岸の美しさ、母島の乳房山登りとか・・思い出す。
父島のそば、南島は固有の植生を取り戻すために、外来種を抜いて固有種を植え付ける作業。
母島は、島ホルトの木を増やすために外来種アカギを枯らす作業。
愚かしいと言えばおろかしい・・みんな人がしでかしてしまったことを修正しているのだから。
でも、やっている人たちの表情のいいこと。幸せそうに見える。
信じるこか、信念という四角っぽいことではないけれど、大好きな島を昔のように・・という温かい思いが表情にでているんだよ。
機会があれば、私も参加したい気がする。
もう、父島周辺には来たからザトウが南下してきているらしい。
先日、小笠原ホエールウオッチング協会のMLが来た。

母が事故入院でなければ、10月小笠原、いいてもいんなと思っていたんだけど。おが丸は高いから共栄丸という貨物船にもぐりこんで、さ。
母島なんて、極楽パラダイスだもん。
ああ、いきたいねえ。

世界遺産は、私がベトナムと共に行くか?を検討しているバングラデシュだった。
バングラデシュ、なんもない国、というイメージだったけど、あるのだね。

このところ、ホントに寒い。
これって、正常なの?11月って、こんなもんだったあ?



2002年11月02日(土) うん、うん・・う〜んん

便秘ではありません。
11月13日に悩んでいます。

時々どうにも困って、例のごとくお布団にエスケープ。
あげくに、何だか頭が重い。喉は少し痛い。
仮病じゃない。
やや風邪気味か。
ビタミンCと喉なので小青龍湯を飲んで。

でも、なんとか夜中11月13日の悩みは一応形になった。
あすY氏に見てもらう。
それでよければ送る。

阿波公方様、岡山のホテルよりメール。
愚さん、きょんちゃん、倉敷への車中よりメール。
いいなあ、みんな明日は、真鍋島で「島遍路」なんだよね。
浜辺で「たこ一匹まるまる天ぷら」を食べるらしい。
真鍋島のみほさんから「おたんじょう日おめでとう」のメールをいただいた。
ありがとうございます、です。
みほさんには、まだお会いしたことがないんだけど、たまちゃんやミッチー先生の掲示板への書き込みで前から知り合いの気がするんだわ・・・
たこ天は、私の分はたまちゃんが食べてくれる?らしいけど、私も行きたかったわんさ。



2002年11月01日(金) 誕生日である ^^;

昨夜ご宿泊の友人は、研究会の出るので朝早くお発ち。
久しぶりに「朝定食」を作った。
その後、洗濯。天気が悪くなるのは承知だが、する!!という気分の時にしないと・・・

10時過ぎに、読売のY氏から電話。打ち合わせ。
細案つくりのメドが立ったが、ない脳みそが「ウンウン」で進まず。
つまったときの例の行動「布団の中にもぐり込む」・・ああだめな私。

足の腫れがとれない母に「メドマー」なるエアマッサージ器をプレゼントした。
8万近いんだけど、鍼灸の師に相談したら、少しお安く手に入ることになった。ビンボー人には、本当にありがたい。
メドマーは本当に効くのだ。
私が事故にあってやっぱり腫れがとれないときに入院している病院で使った。
気持ちいいし、みるみる腫れがひいて感動した。
「痛いことはしたくな〜い」を連呼して大人にあるまじき態度でナースやドクターをてこずらせていたわたしが「メドマーだけはやりたい、」とお願いしたもんね。

夕方、友人のご主人の月命日なのでお参りに行く。
1999年9/1日、癌との壮絶な闘いの果てに亡くなられた。まだ51歳だった。
「もう3年が過ぎたんだねえ」
 としみじみと思い出話。
私が事故で入院しているときに彼も下の階に入院していて、まだ病勢が進まないときだったので私の病室によく見えて励まして下さったのだ。時々外出して美味しいコーヒーをテイクアウトして持ってきて下さったのも、なつかしくてかなしい思い出。
友人も毎日ご主人の所にお見舞いに来て、私のとことにも寄ってくれて・・・
あの時は、本当にいろいろな方に助けてもらったが、友人ご夫婦も忘れられない恩人なのだ。
お参りをしてから、2人でご飯。
お酒で「誕生日」乾杯((*^_^*))
お酒がお好きだった友人のご主人愛飲のものだったので彼にもお供えして。
学校5日制になってかっえて大変という話を聞いた。給料もカットだしという話も。
昨夜もその話になって、夏休み、海外に行くとなると手続きの果てにレポートを出せとかいわれて、彼女は「頭に来たから、どうせ忙しくてろくろく使えない年休を思い切り取ってやった」といっていたよ、という話をしたら「それがいいよね」。
新聞で読んだが、神奈川県の高校にタイムカードが導入され、教師たちはこれで我々がいかに勤務時間外にも働いているかわかってもらえると喜んだら、それは朝の出勤時だけ。帰りはナシとか。ふざけた話だよね。
おしゃべりしていたら、アッという間に夜中。
こうして私のお誕生日は終わりました。

雨がふって、寒い日。
三斗小屋からハガキが来て「久しぶりに10月に初雪をみた」とのこと。


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