| 2002年02月28日(木) |
第65夜 ジュール=ベルヌ「地底旅行」の舞台を横切る! |
7/27<木 曇り> オラフスヴィクのゲストハウス泊
本日の予定 ボルガネス<Borgarnes>10時15分発 バスno「2e」でオラフスビク< Olafsvik>へ移動 ホエールウオッチの船に乗るかどうかはお天気しだい
朝8時。昨日の快晴とはうって変わった曇り空。外を見たら岩崎さんの自転車はもうなかった。 はやい。 YHからバスセンターまでは、歩くと2,30分かかる、タクシーがいいよと昨日受付にいた子が教えてくれた。
朝食をすまし、お昼用の「もしかサンド」<もしかの時に食べられるサンドウイッチ>を用意し、荷物を持って、階下に降りてみたが、受付には誰もいない。 鍵はドアにつけたままにしておくシステムなので返す必要はないが<北欧のYHや安宿にはこの方式が多い>タクシーを呼んでもらえないのが困る。
ウロウロしていたら玄関脇の電話に「タクシーを呼ぶ人はどうぞ」と電話番号まで書いてある。 つまり自分でやらなくてはイケン、のだ。 電話は苦手でよけてきた私としては「試練」だ。 イヤだったら歩くしかない。ウーム。 「よし、」と気合いの声を出す。 やる。 大きく息を吸い込んで受話器を取り番号を押す。 すぐに眠そうな男の声。 「アー ユー タクシーカンパニー? アイ ニード タクシー 、ジャストナウ アイ ステイ イン ユースホステルハーメル、アー ユー オーケー?」 −オーケー、バット******− 「ハア?<脳内温度が一気に上がる>プリーズ、ワンモアセイ<焦って声うわずる>」 −ホワットタイム デゥ ユー ニード タクシー?− 「!!!<わっかった>イミディエイトリー」 「オーケー」 電話は切れた。 書くとこれしきだが、いやはやで、ホッ。
10分後、タクシーといってもワゴン型四駆だが、が確かに来た。
ボルガネスのバスターミナルまで10分足らず、10時前に到着した。ガソリンスタンドと、小さなお店、コーヒーショップがいっしょになったコンビニエンスストアのような店の前がバス停だった。 ドライバーは荷物を降ろしてから、にこりともせず「ここにバスは来るから、待て」と指で地面を指すようにしてから去った。 すっかりおなじみとなったアイスランド人のブアイソだが、「ジツ」はある。
レイキャビク発のバスは時間に来たが荷物の受け渡しで少し遅れた。 マア、10分くらいこの国では遅れにはいらんから。
オラフスビクはスナイフェルネス半島のはしっこ。道はリングロード1から外れる。バス代を払った。そうまでしてもでっかいクジラが見たいんだわ、私。
人気のない溶岩台地と草原で草をはむ羊の群。ときどきあらわれるファームステイの看板。すっかりおなじみとなったアイスランドの風景が続く。 あっ、自転車。岩崎さんである。 手をふったが気がついてもらえなかった。ほとんど車の通らないこんな道を走るのは気持ちいいんだろうな。 もう少し若かったら「自転車オンナ」になりそう。(^_^;)
途中で一回バスを乗り換えると、道は高度を上げ始めた。 山岳道路である。左手に氷河の姿、道路は未舗装のところがあったりして急激に『田舎』化する。
ジュール=ベルヌ「地底旅行」の舞台を今まさに横切っているんだとちょっとドキドキ。原始地球をイメージさせる景観を毎日眺めていると、ベルヌがなぜアイスランドの端を地底への入り口と設定したのか素直に納得できる。
11時過ぎ、前方に海が開けた。到着だ。人口100人足らずの町の姿は小さい。かわいい家が並ぶ。 海に沿った道路にガソリンスタンド、小さなスーパー、軽食レストラン、ホテルなどが並ぶ。でも、何百メートルも行かないうちに町はずれとなる。
着いたら、「緑色の屋根のゲストハウス」を探せとアクレイリのツーリストインフォでいわれた。 「エー、そんなことでわかるの?」といったら「わかる」と力強い返答。 その意味がよくわかった。 緑色の屋根の二階にゲストハウスはあった。 「スリーピングバッグアコモデーションを予約しているんだけど」 「オーケー。あんたがカコ、ね、」 「そう、チョコレートよ」 「カコ」とは、アイスランド語でチョコレートの意味。 私の名前の「タカコ」→カコ→チョコレートの連想ゲームが成立する。 それがおかしいと予約を入れてくれたおネエさんがいっていた。
「じゃ、一泊2000クローネ」 「え、ツーリストインフォでは1500といったけど、」 予約の紙に料金を書いてもらっていてよかった。 「わかった、」 紙を見せたら、至極あっさりと了解した。 「ここ、キッチンはどこ?」 「ないけど、」 あら。ボルガネスでせっかく食料を買い込んだのに。ちょっとずうずうしくなってみようか。 「私、食事を自分で作りたいの、この国は何でも高いから。このホテルの台所を貸して」 「わかった、使うときにいってよ」 これまたあっさりとOK。経済観念の発達しているアイスランド人、レストランは高いからつくりたいといったら理解してくれるとは思ったのだが、やっぱりだ。さっそくお湯をわかさせてもらってお茶を入れ、「もしかサンド」でお昼となった。
さてクジラ、だ。 外は曇り、クジラウオッチの船は14時発。どうしようか。明日の天気がもっと悪くなるのだったら今日乗ってしまうが、回復するのだったら見合わせたい。 ゲストハウスのすぐそばにツーリストインフォがあった。訊きに行くと「明日の方がいいはず」とおネエさん。 じゃ今日はやめだな。 「それじゃ、私ヒマになるのよ、近くの水産会社を紹介してくれない、日本の子どもにアイスランドの魚工場を紹介したいから」とまたまた図々しく頼んでみた。 「OK、今夏休みででやっているところが少ないのよ。今当たってみるから」 見つかった。 「すぐに行って。待っているって、あそこ」とおネエさんは港に隣接した小さな工場を指さした。 ワオ、こんなに簡単でいいの。
工場にはなんと「マニラの高校で日本語を勉強したことがある」というフィリピン人の女性がいた。はるかフィリピンから働きに来てこちらで結婚したのだという。イヤー逞しいわい。 笑顔の明るい感じのいい人だった。白身魚の加工がメインの仕事のこの工場、製品はみんな輸出だ。 「今やっているのはベルギーに行く」のだという。 そういえばこの町の漁獲量はスナイフェルネス半島で1番なのでした、わ。 というわけで、1日は過ぎた。明日はいよいよ「シロナガス!」だ。
>>>>>> 2月28日(木 曇り小雨)本日のできごと >>>>>
朝から、メールでkさんが羽田行きのバスの時間の問い合わせ。 お答えするが、この頃バスが混んでみんな乗れないことがある。
天気がぱっとしない。 が、先日から持ち越しの仕事をせねば・・でがんばる。
今日で2月が終わりか・・。2月は逃げるってホントだわ。 ホームページの大幅改造とか、うちの中お掃除とか何もしないうちに3月に突入か・・少しあせる。こうやって年取る・・の最たるモノだ。
新しい名刺の注文、四国行きの飛行機のチケット予約、ネットで買ったプリンタインク代金の払い込みをした。
仕事をしていたら、ぼとっとすごい音がした。 何じゃ?と思って音の出所を探したらなんと一輪挿しに活けてあった百合の花の落下音。いのちが尽きるとき花もすごい音を立てるんだわ、と妙に感心した。
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| 2002年02月27日(水) |
第64夜 アイスランド一周は第四コーナーに入る・・ |
▲▽▼ 第4STARGE ▼▽▲
★オラフスヴィク<Olafsvik>で、シロナガスジラウオッチ ★ジュール・ベルヌ「地底旅行」で、地底への入り口となったスナイフェットル氷河を眺める。 ★レイキャビクに戻りアイスランド一周完了。レイキャビク周辺観光
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7/26<水 小雨、のち晴れ> ハマル<HAMAR>YH泊 今日の予定 移動日である。 8時レイニフリースからアークレリ行きのバスを昨日と同じく道路ぎわで待つ。 <バスno11b> 9時30分 アークレイリ着 すぐにレイキャビク行きバスに乗り換える。 <バスno9b> 14時過ぎ ボルガネス<Borgarnes>のYHへ
ミーバートン湖はガスの中、小雨のせいもあって何も見えない。ここ、雨の日には来たくないな。例のごとく道路に車の通行はほとんどない。 昨日、管理事務所の女の子達が明日ここからアークレイリ行きに乗る人がいると電話してくれているから止まるはずだ。
ぼんやり待っていたら、後ろに荷物カーをつけたマイクロバスが来て「雨だし乗れ」という。バスを待っているからといったら、ドライバーはちょっと納得できない顔で去っていった。
15分後、その表情の意味が分かった。 どう見ても公共バスには見えなかったさっきのマイクロくんが戻ってきた。なんと「アークレイリ行き」のバスだった。 ンだったら、「これがあんたの待っているバスだよ、」とでもいえよ、全く。 日本の公共バスのイメージを払拭できない私としては、荷物カーつき定期バスはやっぱり意表をつかれる。
9時40分過ぎにアイクレイリに着いた。バスターミナルには、レイキャビク行きが待っていた。時間的には遅れているのだが、ドライバーさん達、実におおらかに荷物の主を確かめながら乗せ変えをしている。 これだから、セカンドジョブをしても疲れないんだよな。ちっとばかり急いだってどうなるものでももないし、このスピードでいい。 アイスランド人が分秒刻みの日本の公共機関を見たら、びっくりどころか病気になってしまうだろう。
バスは濃いガスの中を走る。 いい道だ。 今までのリングロード1の中で一番。 このアークレイリとレイキャビク間は、冬でも毎日バスがあるというし、いってみればこの国の大動脈、当然かな。 「ストライキ」があった区間でもある。
人の影は薄い。山と川の間に、ときどき牧場があるのみ。たいていファームステイのマークがでている。
バスは、停車するごとに荷物を降ろしたり積んだりする。宅急便もかねている。 バスはフィヨルド湾に開けた小さな町をつないで走る。 昼の休憩が終わって、リングロードは、海とさようならした。風景が変わった。またまた溶岩ごろごろの景色。
天気が回復した。バスの向こうに真っ青な空が広がり始めた。 私のYHが近くなっている。例のごとく前方席に座ったので、目の辺りにそばかすを散らしたかわいい少年バスガイドくんに「あとどのくらい?」ときいてみる。 「じき。止まるから大丈夫」と大きくうなずいてくれた。
海と山の景色へと大きく周辺が変わったところでバスは止まった。 「ほら、あれがあなたのYH」 なるほど。 バスの左前方に小さく白い建物が見えている。 数百メートル、かな。 あそこまで歩くのだ。 またしても周囲に何もない。野中の一軒家。 今晩の食料はまだある。よかった、よかった。 もうYHがどんな田舎の一軒家であっても驚かない。
ハメルYHは、ゴルフができるYHであった。 周辺がゴルフ場なのだ。ゴルフとYHって、ミスマッチって感じだがスポーツという観点からみたらおかしくはないのかも。 ゴルフ=利殖、投機、政治家の汚職、成金の趣味、アヤシイといった連想ゲームになってしまう私の日本人根性の方が問題なのだろう。
部屋は例のごとくスリーピングバックアコモデーションだが、ツイン、今のところ同室者はいない。占有かも、だ。 キッチンで「やれやれアフタヌーンティー」を入れていたらアクレイリのYHで「知った顔」となった男性に再会してしまった。 人相的には北欧系なのだがどこのお国の方かは知らない。 「オー、また会えたね」と懐かしがってくれたが、私は苦手。 「ネズミ系」の顔立ちなのと、アクレイリのYHで私がオーナーと言い合いをしていたときに「フン、日本人が・・」と言ったんだよね。確かに。 ニコニコされても、心があまり広くない私としてはですね、わだかまる。
ティーカップを持って、すばらしいお天気を外のテーブルで楽しんでいたら、小学生がゴルフを始めた。 球を集めたり洗ったりしているのは中学生くらいのアルバイトくんだ。この国の子どもは「健全」だなあ。
そこへ、現れたのは、なんとまたまた日本人自転車乗りだ。 あ、日本人だ」 私のノートを見ながら、あちらからの声かけだった。 岩崎幸正さん<59歳> だ。 ★☆★ 岩崎さんの話を聞く ★☆★
今日はどこからですか。 「レイキャビクの近くです。100キロくらい走りました」
すごいですね、自転車歴はもう長いんですか。 「40年くらいですよ、NCTCという自転車クラブにも所属していますよ」
今回のご予定は? 「3週間くらいかけてアイスランド一周しようかと思っています。自転車のいいところは、地図さえあれば旅ができることです。まわりの景色や風をじかに感じることもできますし」
今まで、どんなところを自転車まわられたんですか。 「スイス、スペイン、アイルランド、フィンランド、ノルウェーですね。ノールカップを目指したときは強風で自転車が前に進まなかったんですよ」
どこがよかったですか。 スペインはよかったですね。それとアイルランドは自転車で旅するのにいい国です。どこを走ってもそうですが、苦労の後に楽しさがあるというかそれがいいですね。それと、お金を使わなくなる、どういう訳かストイックになります」
岩崎さんは、あまり大柄ではない。しかし、足の筋肉がしっかりとついて盛り上がっている。自転車歴40年の風格を足が語っていた。
★☆★ ★☆★ ★☆★ メモ スリーピングバック・アコモデーション 寝袋を持って宿に泊まること。ベッドメークがしてないベッドで、寝袋で寝る。 安いし、夏の人出が足りないアイスランドではごくふつうの泊まり方。寝袋を持っていないと泊めてもらえないところもある。
>>>>>>>> 2月27日(木 曇り)本日のできごと >>>>>>
11時にスヌちゃんとあってお昼。和食、まではよかったがその後、パステルのでかいケーキを食ってしまった。野島無線へプリンタのインクを買いに行くも私の機種のモノは品切れ。
帰宅して、結局、ヨドバシのオンラインショップで購入。何やってんだろね。
4時、T・Mさんが来る。 クジラレターの写真の入れ方を教えて、ということで。 その他PCの操作で盛り上がり、彼女は6時半ころ帰った。 足は、たたみに座れるようになっていたのでびっくり、よかった、と思った。 またまた彼女のおみやげのでかいお雛祭りケーキを食。いいのか・・。野田名物の醤油羊羹も食べてしまった。いいのか・・×2
私のとこに来る前、Kさん宅に寄ってきたので、彼女からのぼたもち、福岡の明太のチューブ入りをいただく。明太チューブ入りなんて初めて見た。ノルウエーに魚卵のチューブ入りがあったけど、にている。あれもうまかったなあ・・パンじゃなくて、あつあつのご飯にのせたい・・といつも思ったもんだ。
夕食の後、インターネットで遊んで筑紫さんを見た。 桝添さんと蔦さんが出ていた。桝添さん、目をパチパチするチック症候群がでなくなっている。どういう心境の変化?あの石原慎太郎の激しさに比べると落ち着いたね、慎太郎は目パチパチ、すごいモンね。気の小ささがでている。
なんか、このところ夜が遅くて疲れ気味、久しぶりに12時前に寝に就く。(この言い方、高群逸枝さんが娘遍路で書いていて、好きな言い方なんだわん(^^))
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| 2002年02月26日(火) |
第63夜 お待ちかね!月面によく似たアスキャ・ツアー |
7/25<火 晴れ> ヴォルゲルキャンプサイト2泊め
今日の予定 7時30分 アスキャツアーのバスが、キャンプ前に来る。ピックアップ。 8時 他のお客と合流、アスキャへ 夕方8時から9時に帰ってくる。
7時前、隣の棟のキッチンで朝食をとり、サンドイッチづくりをする。 棟内も外のキャンプサイトをまだシンとしている。 私がキッチンを出ようとしたら、シャワーを浴びに若い男が一人入ってきた。 「おはよう」だ。 欧米人は「朝シャワー」が習慣なので、私はあえて「夜シャワー」を採用している。だって、彼らとかち合わないから、ね。
7時20分過ぎ外の道路沿いで待つ。 どんなバスが来るのかしらんが、昨日事務所にいた若い女の子たちに確認してもらっているから、来ることは確か。 アイスランド人の性格からして、早めに来ることはまずない。 全然人気のない道路だが、マア、安心して待とう。
ミーバートン湖は、湖面から湯気のようなものが上がってガスっている。
☆★★〜 アスキャツアーレポート 〜★★☆
アスキャは、活火山。1969年、アポロ11号で月面に降り立ったアームストロング船長が訓練したところとして知られている。 つまり地球上でもっとも月に似た場所なのだ。
8時過ぎ、レイニフリースで15,6人の客を乗せると、大型バスは走り出した。えんじの半袖シャツ、短パンの女性ガイドが切符を切り始めた。 20代後半くらいかな。 がっしりとした体格で、短パンからでた足の真っ白さがまぶしい。まさに「ホワイト」。 冬にお日様がほとんど出ない環境で育つとこんな白さになるのか、って感じだ。 このツアーのお値段6000クローネ。朝から、晩までのツアーだしこれは妥当な価格だろう。
昨日見学した「箱根大湧谷」<ほら、温泉タマゴのできそうな・・>を過ぎて、道はリングロード1から右折した。 とたんに、道はでこぼこ、砂漠地帯のようなすごい景色が広がりはじめた。
リングロードからはずれる前、自転車の若者が手を挙げてバスを止めた。日本的に考えるとバス停でもないところで、となるが、この国では、手を挙げたところが停留所となる。 こういう光景に慣れた。
滝や川の豊かな水量、氷河は「アイスランドは水の国」という印象を作り上げている。 しかしこの乾いた不毛的景色は何だ、である。 これぞアメリカNASAが求めた月にもっとも似た景観だったのか。 なにも生えない平原、茶色い地平線。 溶岩がそのまま固まった岩が転がる。 羊も見えない。この国で羊のいない景色は初めてだ。時折岩陰にささやかな草が見えるが、それ以外は岩と砂の世界だ。 シロ足ガイドさんが言うには、あのネコジャラシを貧相にしたような草も「輸入もの」らしい。
右手前方に帽子型のでかい山が見える。 いわゆる「テーブルマウンテン」だ。氷河地形の典型。それがバスの進行に従って近づいてくる。 「ハルドブレイ山」という名前を前の席に座っていたガイドさんが教えてくれた。
走り初めて1時間半、渡河だ。 渡りきった後、バスが止まった。 こんな何もないところで休憩?と思ったら後輪にもう一つタイヤをつけ始めた。この先、けっこう悪路みたい。
川の水はきれいだ。さすがに川周辺は、水のおかげで草や花が咲く。空気はきりりと澄み切っている。お客たちは、そんな中を散歩したりひっくりかえたりしてリラックスしている。 私は水を口に入れた。 冷たい。 「これは氷河の水?」とガイドさんにきくと「氷河の川は濁っている、この川は違う」という。 なるほど、一つお勉強をした。 「今日は水が多い、この前に来たときはこんなではなかった」と彼女。 「どうして?雨?」ときいたら「雨は、この3ヶ月近くあまり降ってないのよ。降って欲しいくらい」 「南アイスランドでは、よく降っていたけど」といったら「この辺と、南の天気はずいぶん違う、夏は北アイスランドの方が晴れが続くし、気温も高い」という返事。 またまたなるほど、である。
バスが走り出す。茶色い平原の上に白い月が浮いている。ペーパームーンだ。変な感じ。 突然、人類が滅びてもこの荒涼とした景色は人間なんかと関係なく残る、と思った。 そんな日があまり遠くない気もしたりして・・・などという怖いインスピレーションがわいてくる。
11時近く、帽子型のハルドブレイ山ふもとにあるキャンプサイトに着いた。澄んだ川のほとりに、ピンク色のかわいい花が咲き乱れる。 しかし、でこぼこした小道を少し行くと黒い溶岩台地が広がる。 もこもこと吹き出してきたマグマがそのまま固まった感じのうねりが、ハルドブレイ山の周りに広がっている。 うーん、すごい。 こんなところでキャンプして、夜、星を眺めていたらどんな気持ちになるんだろう。 トイレ、シャワー、キッチンなどのシンプルな設備はある。 してみたいもんだ。ここで飲んだ水はうまかった。
やがてバスは、モコ、ムク溶岩の波が続くまさに不毛地帯に突入。 よいっしょ、どっこいしょと進む。 耳がツーンとしているところをみると高度が上がっているのだろうが、外の景色を見る限りではそんな・・・である。高度感はない。
「1970年、まだこの一帯が観光などでの立ち入りが禁止されていた頃、研究のためにアスキャに来たドイツ人が2人行方不明になった。彼らを捜しに来た人たちもいなくなった」
道とも思えぬ溶岩波の中を走る車中、シロ足ガイドさんに、そんな話を聞いた。あちこちに見えているクレーターにはまったら、そんなこともありそう。
12時半過ぎついに到着。30分ほど歩いて、レヴィーテ、アスキュウバ、という湖へ行った。 何も生えていない赤黒い山が周囲を囲む。道はポッコ、ポコという奇妙な音がする。ガイドさんにきいたら、一見黒くなっているのでわかりにくいが、下は氷、「永久凍土」らしい。
レヴィーテは、火口湖。すり鉢状の底はイオウで白い。水温25度ほど、泳げる。 なんと同じバスの面々はレヴィーテが見えたとたん、河口へ走り降りていく。 そして服を脱いで水着、半裸状態だ。 いくらお天気はよくても、周囲は氷河、不毛の山峰、涼しいどころか寒い。 私はセーターでちょうどいい。 とてもじゃないが水温25度のイオウくさい天然プールなんかで泳ぎたくはない。 それにすり鉢状の底で泳ぐというのは怖い気がする。 「あなたは泳がないの、臭いがいやなの?」 私があきれて眺めていたら、ガイドさんがそばにきて言った。 「寒いし、そう、臭いもいやね。それに私の国も火山がたくさんあるから、あれは珍しくはないわ」 「そうね、日本も火山が多いのね」 そんなことから話が始まった。
彼女は、なんと小学校の先生だった。6,7,8,の3ヶ月、夏休みなのでその間このアスキャツアーのガイドをするのだという。 あなたはいつ休むの、ときいたらクリスマスにねと笑った。 やはり物価と税金が高いことが、彼女に第二の仕事として観光ガイドをさせているのだろう。 「私、この仕事好きよ」とはいっていたが・・・ それにしてもアイスランド人は働き者だ。 私だったら、休みに働こうなんて思わない。 でもオフに別の仕事ができるくらい疲れず、ストレスためずに働けるアイスランドの仕事時間の流れっていい。 余力を残しているということなんだから。
レヴィーテの隣りに広がるアスキュウバは、大きい。深々とした青さが印象的な湖だ。湖面には、日の光が映って輝いているが、しんと静まり返っている。 「魚はいないの」 「いない、冷たすぎて」 きれいではあるが恐いような気配もあるのは、生き物が棲めない低温のせいか。なんか「これぞアイスランド」だ。 深さは220メートルもある。 行方知れずのドイツ人たちが、たとえばこの湖に沈んだのだとしたら、今も水底で腐敗もせずに横たわっているのではないかと思う。 ここもまた、人類が滅んでも関係なく、地球の終末まで、ただ存在し続けるだろう。
アームストロング船長はいったという。 「月面は、本当にアスキャそっくりだった」 3時過ぎ、帰路についた。 自転車旅の若者は30分ほど走った先にあるキャンプ地で降りた。 そこから乗ってきた人たちもいる。 このバスは、観光と、定期運行の両面を持っているみたい。
途中、馬で移動する集団に出会った。 もしかして「乗馬」でのアスキャツアー? まさかね。 でも、月面的景色に馬はよく似合う。
リングロード1に戻ってしばらくしたら「あそこが、ヨーロッパプレートと、北アメリカプレートの裂け目です」とガイドさんが指した。 一見、この辺によくあるマグマが吹き出して固まった割れ目なんだけれど、フーンである。
帰着は9時近かった。 でもお日様は、ミーバートン湖の上に輝いていた。
>>>>>>2月26日(火曜 晴れ)本日のできごと >>>>>
昨日、一昨日と深夜2時過ぎに就寝なので8時前に起きるのはつらい。しかし、だらしなくなると、とことん・・なのでとりあえずは規則正しく、だ。
スヌちゃんと電話で話す。今日は関帝さんの日なので横浜の中華街に行くのだという。一緒に行かない、といわれたがやることありで、お断りする。その代わり、明日に会う約束。 やることあり、というわりには、ハワイアンをきいて洗濯物たたみなんかを優雅にしている私ってなんでしょう。
愛知のM氏、千葉のKさんより来信。 徳島でお訪ねしたい方々に送信。
y子さんに離婚後の保険のことをメールで訪ねたらすばやい返信。感動だ。
どうも身体がダリい・・です。 仕事が・・進まぬ。
カレーをしようと思ったら、台所の流しの下で、オジャガの芽がすくすくと伸びていた。春だあ、北海道のyくんにいただいたイモ、元気だねえ。
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| 2002年02月25日(月) |
第62夜 ミーバートン(蚊の湖)のほとりにて |
7/24日<月 曇りのち晴れ> ヴォウゲル<VOGAR>キャンプサイト泊
今日の予定 *7時30分 バスターミナルから、ミーバートン湖周辺ツアーのバスに乗る。 * 夕方、アークレイリへ帰るバスに途中のヴォウゲル<Vogar>にあるキャンプ サイトにおろしてもらう。
今日もまあまあの天気だ。YHで、鍵を返すついでに日本語とその簡単な英訳付きで「このYHはいいYHだと思う。あなたの親切に感謝する。しかしあなたのミスを認め、すぐにごめんなさいがいえない態度にがっかりした、とにかく、人がいないときにその人の荷物にさわるのは野蛮だ、非常識だ。人をバカにしてはいけない」ときついお手紙を残してきた。 やっぱり腹立ったんだもんね。 しつこいかもしれんけど・・・さ。
バスは、来た、けれど7時30分に荷物をバスのヨコハラに入れ始めて、出たのは45分過ぎ。相変わらずのアバウトさ。 しかし、渋滞がないし、終点につく頃、ちゃんと辻褄が合う。
アークレイリ空港で、レイキャビクから飛んできたお客を乗せた。その中に男性と女性各一人の日本人客。<二人とも日本人とわかったのは、しばらくたってからだが>女性は、ロンドンの友達のところから、男性は、フランクフルトから休暇ということだ。 ☆★〜ミーバートン観光レポート〜★☆ 最初にバスはアークレイリの町が一望できる地点に止まった。フィヨルド湾の反対から見ると、実にかわいくてちっこい町だ。
のどかで豊かな牧草地帯を横目で見ながら進む。この道を通るのは3回目だが、ほとんど北極圏下にこれほどの豊かさが見られるとはやはりすごいと改めて思う。 連日の晴天で草刈りは順調らしい。 白いビニールでおおわれた草のロールがごろごろと転がっている。
1時間ほど走ると、ゴーザフォス<Gooafoss>の滝だ。 氷河から溶けだしたどろどろの水、そばまで行くとしぶきが飛んでくるすごい水量だ。紀元1000年、それまで信仰していたバイキングの神様をこの滝へ投げ捨ててキリスト教に改宗したという話がある。 天気がよくなってきて、ミーバートン湖に写る空の青さ、水がきれいだ。 溶岩がラクスアゥ河をせき止めてできたというが、周囲の火山地域から、熱い蒸気や熱水がそそぎ込んでいるため、冬でも完全凍結しないらしい。 だからいろいろな種類のカモたちの生息地となっている。
道々ミーバートン名物「プセウド」<溶岩流の熱で地下水が熱湯となって爆発してクレーター化した跡>があちこちに見られた。
道は、ミーバートン湖畔の中心レイクフリーズ<Reykjhlio>を左に見てどんどんと悪路を進む。 あの、アークレイリに到着した日に見た煙の上がっている硫黄の臭いのする地帯にバスは突入していた。
ぼこぼこと開いた穴から灰色の熱湯がふきあがっているその間を回遊するように道はつけられている。 臭い、臭い。 チョーが付く硫黄臭さだ。 マア「箱根、大湧谷」というところ。 この辺がいまだ活発な火山活動をしているのがよくわかる。 あの灰色のお湯に卵を入れたら温泉卵ができることは確実だ、な。と考えていたら「卵、入れたら温泉卵ですね」と日本人の男性がいう。 同じこと考えるもんだね。 私も、もう一人の女性もうなずく。久しぶりの「同国人的発想」に、ほっ。
お次は「クラプラ」<Krafla>だ。この辺、アイスランドで2番目に若い火山帯とかで、最新の地熱発電所がある。「日本の技術協力でできました」、バスガイドのおじさんはそんなことをいった。 日本人が3人も乗っていたので、リップサービスしてくれたのかも知れない。
青い水をためた火口湖のそばに、煙を盛大に出した「発電所」がすごい音をさせながら稼働していた。 突然、火山性の地震や活動が始まったらどうなるんだろうと心配になるほどの勢いだ。
レイニフレーズのホテル前でお昼となった。ここしかレストランがない。 例のごとくサンドイッチをつくってきた私は、湖が見えるベンチで食べた。ミーバートン湖の青さが美しい。 しかし、いい天気過ぎて暑い。 ぼんやりしていたら、となりのベンチに座っていたアメリカ人の夫婦がどこから来たのかと声をかけてきた。 シベリアから・・とこれまでの旅を話したら、びっくりした後「アメリカにも来るのか」と訊く。 「秋になったら、ボストンとワシントンDCに行く予定」といったら「秋のボストンはきれいよ。だけど気をつけて。アメリカはアイスランドのように安全じゃないから」といわれてしまった。 ありがとうさんです。 わかっているつもりだけど、やっぱだよ、アメリカ人がいうんだもんね。彼らは、ミズーリからだという。
午後は、溶岩地帯の中どんどん進んでいく。岩の間に温泉?正確にいうとあたたかい湧水がたまっている小洞窟に行った。 「小」といっても、地下のお風呂、入ることもできる。
お次は小灌木と、真っ黒い溶岩が、たった今溶けだして固まったばかりという感じでニョキニョキ、グニャグニャと林立している自然公園的地域。 火山活動で形成された溶岩迷路だという。 それにしても、これでもかとばかりに火山と溶岩の景色ばかりを見せられていると感受性がマヒしてくる。 もう一つ感動できない。困ったことだ。 旅の日常化ということ関係しているとは思うのだが。
とにかくこれで「ミーバートン周辺ツアー」は完了した。二人の日本人に「お気をつけて」と別れを言いながら、今夜の宿に下車した。
ヴォウゲルは、溶岩台地の中にあるキャンプサイトだ。 入り口にある管理事務所に行くと、高校生みたいの女の子が二人いた。
キャビンの鍵を渡された。 私の入った棟には、4つの部屋と、トイレが一つある。 日が高いせいか、まだ誰も着いていない。 部屋には、二つベッドがあるが、シェアするとはいわれなかった。 予約なしでだれか飛び込んでくれば別だろうが、どうやら占有できるみたい。 隣の棟にシャワー室とキッチンがあった。 さっそくシャワーを浴びる。混む前に、シャワーを済ませ、ご飯をつくったり食べたりするのがこういうところの「コツ」だ。
シャワーの後、道路を挟んだ向こうに見えているミーバートン湖を眺めに散歩に出た。 何しろ、部屋にいると暑いのだ。 ミーバートンとは「蚊の湖」という意味らしいが「ブヨ」のような虫がけっこう飛び交っていた。もしかして「蚊」の種類なのかも?
このところずっといいお天気だ。アスキャへ行く明日は大丈夫かいな。 でも、輝く夕暮れ(ここももちろん白夜)を楽しんだ。
>>>>>>2月25日 本日のできごと >>>>>>>
ゴミ出し、新聞原稿の送信。手紙書きをしていたら、昼となった。ご飯を食べて、 出かける。駅前で、昔の教え子(十年以上前)のお母さん二人と会った。「お変わりありませんね」といわれて、うれしいやら照れるやら。アハ・・。
2時半、Mちゃんの法律相談につきそう。
夕暮れ、2人して居酒屋。いろいろと話す。 田酒(青森)の酒がとてもうまかった。高かったけど・・。ごちそうになった。 その後、ケーキとコーヒー。結局帰ったのは12時近かった。 メールが7通。うち、お遍路青年Aくんよりが4通もあった。足摺の私のお薦め宿でずいぶんお接待などを受けた様子が細かく書いてあった。読んでいるいる私もうれしかった。
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| 2002年02月24日(日) |
第61夜 アークレイリYHのオヤジと喧嘩する(=_=) |
7/23<日 メチャ晴れ> アークレイリYH5泊め
今日のスケジュール 洗濯 フリースエイ<Hrisey>島に行く 島から帰ってきたら、アークレイリの市内散策
アークレイリYHは洗濯室があって、乾燥機と洗濯機完備。今まで手洗いで簡単に済ませてきたものをいろいろと洗った。 使い方はキッチンでウロウロしていた男性に「私の国のものとシステムが違うからわからん」と頼んで教えてもらった。 いい天気だし島日和。 バスターミナルでダルビク<Dalvik>方面行き<バスNO10b>を待った。 しかしこない。 12時半に乗ったら、13時半のフェリーに乗れると教えてくれたのはツーリストインフォのおネエさんだ。 1時近くなって、窓口で「何でバスがこないの」と聞いてみた。 「バスは、月曜から金曜まで。今日はない」という返事。 初めて聞いた。唖然だ。 「でも、私にフリースエイ島へ行く情報をくれた人は、土曜と日曜はバスがないなんて教えくれなかった」というと窓口の彼女は、「あら、あなたは島へ行けるわよ、車で港まで行けばいい、何の問題もない」と平然と言い放った。 「私は、旅行者だし、車の運転はしない」といったら「タクシーに乗れ」と一言。ツーリストインフォが間違った情報を流したことをなーんとも思っていない。 「問題ない」という前に「我々のオフィスが間違えてごめんなさい」が欲しいところなんだけど。 ムッカ。 仕方がない。町中見物に予定変更だ。
暖かいというより「暑い!」の日和だ。 バックにつけた温度計を見ると30度近い。かわいらしい家の並ぶ住宅街を歩くとみんな半裸状態で庭の水撒きをしたり、デッキチェアで日光浴をしている。夏のお日様を心から楽しんでいる気配が伝わってくる。
とっこ、とっこと、町のメインストリートのはずれまで歩くと、目指すノンナフース<Nonnahus>に着く。 子どもの本の作家として有名なノンニを記念して開館された。 建物は1849年に建てられたアークレイリでもっとも古い建物を使用。 中にはいると1900年代の建物内部の様子がわかるようになっている。
1937年、80歳の頃、日本にも来ていて子どもに囲まれた写真があった。
日本で出版された彼の本を眺めていたら「これ、あなたの国でしょ、彼はたくさんの本を子どもたちのために書いたんだ」とアイスランド男性が写真を示して、誇らしげにいった。 ほとんど隣りといってもいい距離に、アークレイリ博物館がある。こじんまりとしているが、できたばかりの近代的な建物だ。かつての魚を捕ることを中心にした生活の様子がビジュアルに展示されている。 2館あわせて400クローネだった。
この後、「ヨーロッパ最北」のアークレイリ植物園へ行った。 うーん、どこか日本の田舎町にありそうな庭だ。 親子連れが、ランチを広げていたり、おばあちゃんが孫連れできていたりしていた。 ほのぼの、ですね。 数日前に行った美術館でも感じたのだが、 「館」とか「園」と名乗っていても小さくて素朴、がこの町のすべて。 まさに「最果て」だ。 でかいのは、フィヨルド湾、牧場、氷河をいただいた山だけだ。 つまり「自然」だけということ。
YHに帰ってひと騒動あった。 なんと、バイキング系のひげを蓄えたYHのオーナーが「部屋を代われ」というのだ。 見れば私の荷物がYHの受付においてある。勝手にいじくってくれたんだ。 バリバリに怒った。 「人のものを勝手にさわった。何で、代われと朝いわなかったのか」 「忘れていたんだ」 「忘れていた!信じられない!あなたは、野蛮なことをしたと思う。あなたは、私にごめんなさいと謝るべきだ」 おっサンは、少しむっとした顔をしたが「・・・ごめんなさい」と小さな声でいうと「私はあなたのものにさわっていない、彼女に頼んだ」と受付にいた女の子を顎でしゃくると、そそくさといなくなった。
シングルルームにはいるときに、4日は大丈夫といわれていたのに1日はやい。 何でなんだと、怒った顔のままで受付の20歳くらいの女の子に聞いた。 つまりどうやら「4日」というのは「3泊4日」のことだったらしい、のだ。それにしても、前日か朝、いえよな。 「私は、ミーバートンに2泊したら、またこの宿に帰って来るつもりだったがキャンセルする。こんな野蛮なYHはいやだ、ボルガネスに行く、すぐにボルガネスのYHを予約して欲しい」 大きな声ではっきりといったら、女の子はおろおろして「すぐするから」と電話を入れた。 OKだった。
昼間、植物園のベンチでバスの時間表をじっくりと検討した。ミーバートンから朝出るバスはアークレイリでレイキャビク行きに接続しているのだ。 この町で泊まる必要はない、26日のYHをキャンセルしようと思っていた。 マア、不愉快なことがあってちょうどよかった、このYHは、設備完備なので名残惜しかったから・・・ あのおっサンは、郵便局に行きたいといったら車で送ってくれたし、わからないことは聞いてと声もかけてくれた。悪い人じゃない。でも「ごめん」がいえないお方であった。 ツーリストインフォのおネエサンもそうだ。 もしかしてアイスランド人て、謝る、という発想がないのか?苦手なのか?などと考えていたら夜が更けていった。
アメリカ、北欧、ドイツからの若い女の子たち5人と同室。
>>>>2月24日(日曜 晴れ) 本日のできごと >>>>>>
またまた朝っぱらから、カラスが散らしたゴミの始末。決められた日に出せよ、ッたく。 怒りにまかせて、日本語と英語の注意書きを書いてはる。ついでに入力して、各戸のポストに入れた。そんなことをしていたら昼になった。あたしってば、忙しいのにお節介おばさんの極みだわさ。
洗濯をして、図書館に本を返して「田舎暮らしの本」を読む。いいよなあ。 いくらローンの支払いが家賃より安いから、買えばといわれても、このコンクリートの街で老いたくない気がする。 森や海、川があるところ・・土佐みたいなとこ?にすみたい・・・。北よりヤッパリ南志向。 仕事もせずに一日がくれた。でも、するよ、するよ。これからさ・・まだ、7時になんないもん。
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| 2002年02月23日(土) |
第60夜 えっ、ラトビア人なの? |
7/22日<土 晴れ 風強し> アークレイリYH4泊め
昨日見た交通事故のことが頭から離れない。
私が長い旅に出ようと決めた理由の一つに97年秋に遭遇した大事故がある。 旅先で右を歩いていたのに、つっこんできた車にとばされた。頭を打って死んでいてもおかしくなかったと警察官にいわれた。 入院、手術、リハビリ、示談交渉と、すべてが終わるのに2年以上かかった。よく頑張った自分へのご褒美と、長い旅から無事に帰ることで「不安」<事故のPTSD>から解放されたいという思いもあった。 旅をしながらたくさんの新しい体験を重ねることで、「目の前に車が迫って死ぬと思ったその瞬間」をひんぱんに思い出すことはなくなりつつあった。 いいことだ、「心のリハビリ成功」と思っていた矢先だった。 どこかに意地の悪いカミさんがいて「忘れたらアカンぜよ」といっているみたいで気持ち悪かった。 こういう発想をすること自体がPTSDでと以前精神科医にいわれたが・・・
ぼんやり、くよくよしていたら、10時近かった。「ノン二・トラベル」へ出かけないと、である。午前中しかやっていないのだ。
昨日の事故現場をいやでも通らないと行けない。反対側を歩いた。風が強いが日差しも強い。 現場では、日の光に割れた窓ガラスの破片がきらきら光っていた。
ノンニトラベルでは、昨日会った女の子が一人でカウンターにいた。 「こんにちは、私にこと覚えている?グリーンランド行きのチケットを取りに来たんだけど」 「OK、できているわよ、」 彼女が出したチケットを確認してカードで支払う。 私のヴィザカード、マグネットが壊れたんだけど、この国では番号を入れてくれるので「マグネットがダメだから」と断られなくて助かる。 飛行機代込み3泊4日、日本円にして10数万円、こんな大きな「買い物」はこの旅で初めてだ。高い。 でも3食付きだから、グリーンランドにいる間は食べる心配をしなくていい。 これは少しうれしい。
私が確認をしている間に電話が何本かなった。 「Could you Speaek in English?」 彼女はそう応対する。 不思議だった。 「どうしてあなたは英語で話して、と言うの」 「だって、この国の言葉、話せないもの、わからないのよ」 「え、どうして?」 「私、ラトビアから来ているのよ」 「ラトビア? あのバルト海のそばの・・・」 そう、あなた私の国を知っているの、ととてもうれしそうな顔。 聞けば、クリスチーナというその女性は、夏の6,7,8月だけアイスランドに働きに来ているのだという。 「別に珍しくないわ、たくさんの人が夏だけ働きに来ている、私の友達はツーリストインフォメーションで働いているもの」 考えてみれば夏の間だけでこの国の人口ほどの観光客が来るのだから、他の国からの助っ人も必要でしょうな。 「ラトビアってどんな国?」と聞いたら「私の国のこと話してあげる」とクリスチーナは2回へ駆け上がると、とラトビアのパンフレットを持ってきた。 「小さい国よ、でも歴史が古くて美しい町がたくさんある、景色はアイスランドに似ているけど、もっと暖かいし物価も安い、ぜひ来てみて、いい国よ、私は自分の国に誇りを持っている」 クリスチーナはそう胸を張った。
「ロシア人は英語が話せないのにあなたはうまい、どうして」と聞いてみた。 「みんな、私の国とロシアを一緒にするけど全然違うのよ、もっと近代的だし西欧的。教育システムだって違うの、一緒にしないで」と抗議された。
その後、日本に興味があるという彼女から「日本の若者は休みの日はどんなことをして過ごすのか」 「東京はどんなところか」 「日本の結婚式はどういう風にするのか」 という質問を受けた。
そんなことを話していたら、あっという間に昼となった。クリスチーナは気だてのいい子だった。 彼女と別れて、町中のお店をのぞく。アークレイリはアイスランド第二の都市とはいいながら、小さい町。メインストリートは1本だ。あっという間に尽きる。 結局YHに帰って昼寝をした。こんな日があっていい。
>>>>>>2月23日<土 晴れ曇り> 本日のできごと >>>
寝坊したので、すっ飛んで出かける。「一眼レフ入門」という講座を申し込んでおいたのだ。 ためになった。
帰り、昼ご飯にお寿司をかったら、バイトの店員さんが私の前の人の料金を間違えて、半分でもらっていた。 私はその女の人がすっ飛んで消えたのであれ?と思って、すぐにああ!と気がついたのだが。 黒のカシミアコートを着た、髪をマリーアントワネットを描いていたころの池田理代子みたいにしたきれいな女性だったのに、高々340円をゴマかしたんだわよ。ダハー。 バイトの男の子、不機嫌そうなオバカそうな子で、気がつきもしない。女性があっという間にいなくなったので、私も言わなかった。ぼやぼやしていたら、教えたけどね、それにしてもあの女、すばしこかったわ。姿はきれいだけど、心は灰色だね、真っ黒とは言わないにしても、何で「あなたお金ちがうんじゃない?」と言わないんじゃ。おおやだ。これも不景気のせい? 違うわな、心の問題だわな。
午後から、昼寝、と思ったら愛媛から伊予柑がきた、プレゼント、ありがたや。 ネットショッピングで買った「百観音霊場」の掛け軸のモトもきた。
お遍路青年Aから、メール。今夜は野宿らしい、高知も冬だからな、大変だ、がんばっている。その先の野宿ポイントや格安宿情報を流した。
PC原稿、あと2本未完成のままだけど、今日は休日としよう。
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| 2002年02月22日(金) |
第59夜 フッサビク クジラウオッチだい!! |
7/21日<金 晴れ> アークレリYH3泊め
風もなく暖かい日だ。まさにクジラ日和。6時45分起床。朝食、昼食のサンドウィッチをつくって出発した。 今日の予定 8時15分 バスターミナルよりフッサビク行きバス<�癸隠横癲笋望茲襦� 9時30分 フッサビク着 10時 ホエールウオッチングボート乗船、出発 17時 フッサビク発のバスに乗る 18時10分 アークレイリ着
☆★☆ フッサビク ホエールウオッチレポート ☆★☆
時間通りの出発だ。天気は、まさに上々。深く切れ込んだフィヨルド湾の奥からの出航、波も静かである。 1960年代建造という年代ものの木造船、長所はクジラを驚かす大きな音を立てないことだという説明をお兄さんガイドがした。 船の客は40人あまり。 パリ在住、休暇でアイスランドをレンタカーで回っているという若い日本人夫婦と一緒になった。 「車でどのくらいのご予定なんですか」 「10日、ですね、車にホテルもだいたい食事付きセットされているんですよ」 「へー。失礼ですが、おいくらくらいですか」 「日本円で、20万というところです」 「ガソリン代は別でしょ。10日でそれは、高いですよね」 「ええ、でも、この国は何でも高いですから、仕方ないでしょう」 「そうですね、道はどうですか。バスで走っていてもあんまりよくなさそうですが」 「そうなんです。リングロードからはずれると舗装してないところ、結構ありますよ」 なんて話を、日溜まりのベンチに座ってのんびりしていたら、放送が入った。
「10時の方向にイルカ発見」 確かに、船の左10時の角度に3頭のイルカが見えている。
ちなみにホエールウオッチでは、方角を時計の文字盤に見立てる。正面を12時として、「00時の方向に000」といった言い方をする。これは、日本、ノルウェー、アメリカなど私が体験したクジラ見物に共通している。
それにしても出航して30分経ってない。町の影も見えている。はやい。湾の奥から沖に出るまで、それなりの時間がかかると思ったのだが。 放送が入ったとたん、2時や3時にいた客たちが、カメラを構えてドドドッと左移動する。船が傾くほどの勢いで少し怖い。
しばらくすると「12時の方向にクジラ」 今度は、前に民族移動。 さして大きくない船に40人もいると、こういう時は大混乱だ。 「ミンククジラです」 確かに人の頭の向こうにクジラらしき黒い背中が見えるが、小さい。 ザトウクジラや、マッコウクジラといった大型ものに比べると迫力不足だ。 なによりブロー<潮吹き>がささやかなのが、イマイチ。 ワタシ的にいえば「ぶぶおおうぉぉー」というクジラの熱い息使いがズシーンと欲しい。それが快感なのだから。 なんて思いながら、次々に「発見」されるミンククジラを少ししらけた気分で眺めていた。 しかし、突然すごいことが起きた。 イルカの大群と出会ったのだ。 種類は、多分「ホワイト ブレークト ドルフィン」<ハナジロカマイルカ>。 船が群れのそばまで行くと、イルカたちが近寄ってきた。 笑ったような独特の愛嬌フェイスで、すごいジャンプをする。そして船が走り出すとイルカたちも競争のように付いてくる。 ぶつかってけがをするんじゃないかと思うほどぎりぎりのところを伴走する。すごいスピード。船縁から眺めていると、体の線も、泳ぎも「美しい」の一言。 お客はみんな興奮状態、イルカたちに拍手喝采だ。結局イルカたちは私たちの船と5分以上一緒に泳いでくれた。
「今日はとてもラッキーでした」 そんなガイドくんのアナウンスとともに港に向かった。着くまでの間、温かい飲み物とささやかなお菓子が出た。 いくら風がないといっても北極圏近い海だ。冷える。 ホットドリンクがおいしかった。
「すごかったですね、イルカ」、そんな話をしながらの帰港となった。 2時間あまりで、5頭のミンククジラと、イルカの群。 まあいいところでしょうな。 イルカの大サービスはあったし。 でも、欲をいえば、やっぱりザトウとか、ナガスとかの大型系を見たかったよね。
ロンリープラネットには「いる」と書いてあるんだけど・・・でも、こればかりは運、不運、クジラのご機嫌だからなー。 ☆....☆.....★......☆......★
船から下りて、日本人夫婦と別れた。 そして、ホエールウオッチセンターに向かった。 それは港のすぐそばのさえない建物の中にあった。
展示は、この近辺のクジラの骨格標本と説明、捕鯨の歴史の紹介だった。アイスランドもほんの少し前まで捕鯨国だった。 かの過激環境保護団体グリーンピースに「口撃」されてやめたのだ。
クジラの骨格標本は、何年も砂に埋めてクジラの肉や油を浄化してから作る。それでも、独特の油臭さが残る。建物の中はそんな臭いが漂っていた。
「捕鯨」のコーナーに「冷凍くじら」と日本語で書かれた箱があった。こんな遠くの国からも「クジラ」を輸入していたんだ。びっくり。 私は「シシャモ」くらいかと思っていたよ。このコーナーで流していた「クジラ捕りビデオ」がなかなかだった。 北の海で操業する漁師たちの気合いが伝わってくる内容だ。 印象的に、このセンターは「ホエールウオッチ」というより「捕鯨センター」という感じだ。 高知県室戸市にある「鯨館」が、中身的には室戸のクジラ捕りの歴史を展示する、室戸捕鯨館」的なのと似ている。
フッサビクは、きれいな教会と、小さな家が建ち並ぶかわいい町だった。
帰りのバスは5時。窓から見える景色はむしろ南アイスランドより豊かだ。 牧草地には刈り取られた草を白いビニールで梱包した大きなロールがごろごろしている。 晴れたら草刈りが忙しいといっていた酪農農家のルーベさんを思いだした。
YHへの帰り、交通事故を見た。出会い頭の衝突。見通しのいいところなのに・・。ショックだった。
>>>>>>2月22日<金> 本日のできごと >>>>>>>
前夜から、3/9日の仕事の夢でうなされた。当日の進行概要がまだ未作成というのが重くのしかかっているからだ。
もう、やるしかない。 朝食も摂らずに仕事にかかった。 途中で、PCの原稿3月分1本だけでも、の要請があり、そうか2月って、28日までなんだ、と自覚した次第。2本は完成していたのでそれを急遽、メール添付で送付。あと2本は未完成なので週明けに、ということになった。 それでも、3時半過ぎに進行案の概要の完成。やればできるんだ・・・もっとも1ヶ月前から、考え続けていたことだからなあ。
FAXで担当のY氏にお送りし、夕方電話で検討して、OKの後にそれぞれの方に郵送。ホッ。
3/9日の招待券が10枚があるので、興味がありそな方に電話してお送りした。 これもホッ。 おかしかったのは、お寺のご住職さんのNさんの「3/9日は友引ですね、大丈夫だな行けます、行きます」「ああ、お葬式がない、ということですか」「そうですよ」(笑)
kさんとTELで話す。ゆうパックとクロネコ、どっちが安いか。ゆうパックの方が利用のしかたによってはぐっとお得になる。ナニより、10回利用で一回ただのゆうパックカードがいい。 Mさん、ぎっくり腰でおうちで療養。お見舞いメールを書く。
焼き鳥を買ってきて、ビールで乾杯。
・・・・・・・ yさんのお母さんが1/26日急逝を聞く。昨夜、お悔やみに。 Aさんにお父さんのお悔やみにとお花クーポンを気持ちばかりお送り。
このところ、お祝いモードはないなあ・・・。これも、年のせいだねえ。
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| 2002年02月21日(木) |
第58夜 北アイスランドの中心アークレイリ 静かな白夜の町 |
7/20<木 晴れのち曇り> アークレイリYH泊 このYHは広い。キッチンが、3つ、シャワー、トイレは4ヶ所。洗濯機と乾燥機も2台ずつある。なかなかの充実ぶりだ。
朝食の後、市の中心まで歩く。きのうバスで来た道をひきかえせばいいわけ。15分というところか。 この町も、レイキャビク同様、徒歩サイズの町である。バスターミナルのとなりにツーリストインフォがある。いろいろなパンフレットがあって、すでに情報が欲しい観光客がたくさん来ていた。
「私は、リクエストが2つと、質問が1つあるのだが、」とカウンターで頼む。 「フン、フン。それで、リクエストは、なに?」 「まず、フッサビクでホエールウオッチしたい、2つめはレイキャビクのツーリストインフォで、アークレイリから、アスキャツアーが出ていると聞いたので、申し込みたい」 「OK。ホエールウオッチは明日行けるわ、天気も明日は大丈夫よ。だけど、アスキャの日帰りツアーは無理、だって、遠いのよ、レイキャビクの情報は間違っている」 エー。 「でも、私はアスキャに行きたいわ」 「ミーバートンから出ているからそこから参加しないと」
日本だったらこういうとき、とりあえず「お客様、申し訳ありません、」の後に遠慮がちに「ミーバートンからなら」とか、なんとかいうだろな。 「ツーリストインフォがまちがっている」・・・と堂々とはいわんわな。
「でも、ミーバートンは、混んでいて宿が取れなかった。どうしたらいいの」 彼女はうなずくと、電話をかけて、まずホエールウオッチの手配をしてくれた。それから「ミーバートンから、少し離れていてもいいわよね、アスキャツアーのバスは、宿まで、あなたを、ピックアップに行くはずだから」 「もちろん」 彼女は、いくつか宿を当たってくれた。 あった。 VOGARというキャンプサイトのキャビンで、スリーピングバックアコモデーション<寝袋持ちの泊まり>1泊1550クローネ。 YHの料金より少し高いくらいだ。 ここに2泊してアスキャに行くことになった。 宿にピックアップに来てくれる時間は朝7時30分、ツアーの料金は6000クローネ。参加したときに払う。 彼女は、すべてを紙に丁寧に書いてくれた。
「質問というのはなに?」 「この町から、グリーンランドに飛行機が飛んでいると日本のガイドに書いてあったけど、ホント?どこに行ったら申し込める? それから、この町の見所は?」 「グリーンランドには飛んでいないわよ、だけどグリーランドツアーのことだったら、ノンニトラベル<NONNI TRAVEL>に行くといい」 「ノンニトラベル?」 「そう、ここから、5分よ、行ってみて」 さらに、この町の名所として「植物園、ノンナフース、博物館、プール、フリースエイ島」などを教えてくれた。 そして「そうだ、今晩、9時30分からジャズコンサートがある、無料だから行ってみたら」と場所を地図に書き入れてくれた。
いちおう窓口の観察をして、一番親切そうな応対をしている人のところに並んだのだが、大当たりだった。 「注意観察と選択」は読めない、聞けない、話せないの三重苦人間の知恵である。
ツーリストインフォを出た後、「ノンニトラベル」に行ってみた。 町のメインストリートを北に上がった広場の前にあった。 ガラス張りの店内をのぞくと、若い女の子が一人カウンターに座っている。 「8月の1日頃にグリーンランドに行きたい、予定は4,5日、でもグループツアーはいやだ、個人で行きたい、そして私の旅のモットーは、安全で安く、楽しくだから、安いチケットと、宿を希望する」 私は、「こんにちは」と言った後、そう頼んだ。 窓口にいた女の子は、にっこ、にっこと聞いている。
「あなたは、日本人でしょ、この国は小さい、あなたの国のように会社同士の競争がない、だから安いチケットというのは、ないんだ、グリーンランドに行くのは高いんだよ」 奥のデスクで仕事をしていた背の高い鼻の下にお髭を蓄えたおじさんが出てきて、苦笑いしながら言った。 聞けば、東グリーンランドのクルスク往復の飛行機代約6万円、3泊の宿代も含めると1000USドルー10万円以上になる。
「高い、ちょっとまって、考える」 「いいよ、ゆっくり考えて」 と言いつつおじさんは、私がリクエストした飛行機のチエックを始めた。 1日はない、2日に出て、5日に帰ってくるようにすればある」 「宿は、YHでもいいんだけど。それか、この安いホテルでも」 さっきからすすめられているのは、何しろ高級ホテル、「チープ」をあきらめきれずに「ロンリープラネット」に出ていた安宿へ連絡を付けてくれと頼み込んでみた。 グリーンランドに学校の寄宿舎をを利用したYHまであるというのをこのガイドブックで知ってびっくりしたんだけど・・・ネ。 YHは、少し冒険かも、だ。 何しろあの植村直巳サマ<彼のファンです>が探検したグリーンランドだもんね。
「ここは、うちとは契約していないんだけど・・」 しかし粘ったかいあって、おじさんは渋々ながらもグリーンランドまで電話を入れてくれた。しかしつながらない。番号がもう使われていないようなのだ。 「これ、古いわ、1997年。最新版じゃない」 ニコニコしていた女の子が、ロンリープラネットの出版日をチエックしていった。 あちこち電話して丸善でやっと見つけた、3300円もした本なのにだ、そりゃないよ。 確かに宿の値段とか、少し古いなとは感じていたんだけど・・・。 結局、さんざん考えた末に「えいや!!」と3泊4日の豪華旅行<1000USドル>を決断した。 おじさんの親切と、にっこにっこ笑顔の女の子が気に入ったこともある。
チケットとバウチャーは明日、と言われたのだが、明日はホエールウオッチに行くと言ったら、じゃ、あさって土曜の午前中なら開いているからそのときに、となった。
帰りにYH近くのスーパーに寄って買い物。この国特産のサーモンのハーブ漬けを買った。 部屋をシングルルームに代えてもらったので、今日はプライバシーがある。少しほっ。500クローネほど高いが、いいだろう、だ。 野菜入りラーメンの昼食の後、昼寝をした。 そして夜、サーモンの夕食の後ジャズコンサート。
教えられた場所に行ってみると、カフェの中にある小さなホールだ。開演10分前、もうかなりの人が階段状になった座席やろうそくのともったテ−ブル に着いている。さっそく飲み物のオーダー取りのお兄さんがやってきたので、コーヒーを頼んだ。 ジャズといえばタバコの煙とお酒の香りの中で聞くというのが私の今までの体験だが、ここはタバコを吸う人も少なくとても健康的だ。 静かに聞き入る人たちの姿もまるでクラシックのコンサ−トだ。短い夏の白夜を楽しむ町の人たちの生活の一部を見た気がする。
夜11時近く、YHへ帰った。 もちろん明るい。 広場では、どう見ても小学生か中学生の少年たちがスケボーに興じていた。 夏の白夜を惜しんで遊ぶ・・子どもたちの姿だった。
>>>>>>> 2月21日 本日のできごと >>>>>>>
パソコンの原稿を1本書いて、はがきや手紙やらの処理。3月のシンポジウムの素案を固めないといけないのだが、ウンウンうなるばかりで進まない。困った。 うなりすぎて、ストーブの前で寝ころんでいたら、寝てしまっていた、我ながら脳天気。 午後、ゴミの日ではないのに出してあったゴミをネコが食いちぎって散乱。腹を立てながら後始末。トイレの水の弁の修理を頼むついでに不動産屋のおじさんに怒りのチラシを管理者である不動産屋の名前ではっていいか、と聞いたら「お願いします」とのこと。やるぞ、日本語と英語で、ったく。
このところ、ほのぼのと春めいている。 やっぱり春が来るっていい感じ。
お遍路一緒にしたkさんから、野田名物「醤油羊羹」をいただいた。
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| 2002年02月20日(水) |
第57夜 北アイスランドの町 アークレイリへ |
☆★☆ 旅は 第3STARGEへと入った・・・☆★☆
アークレイリ<Akureyri>を拠点にクジラウオッチングやミーバートン湖見物。 月にもっとも似ているというアスキャツアー。 月面着陸したアームストロング船長たちがトレーニングした場所である。
以上が第3ステージでの目的だ。
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7/19<水 曇りのち晴れ > アークレイリYH泊
今日のスケジュール 8時30分 ヘーフン発<バス�癸隠検� 13時45分 エイイルスタジール<Egilsstoir>着 15時 エイイルスタジール発<バス��11C> 19時30分 アークレイリ着
北アイスランドの中心でアイスランド第2の町アークレイリへの移動日だ。YHからバスターミナルへ歩いて10分あまり。昨日スーパーに行った帰りに下見した。バスターミナルの近くにもキャンプサイトがある。 多分この国の一番お安い宿泊はキャンプだ。
バスは、定刻通り出発。これは珍しい。 手を挙げれば止まり、降ろしてといえばOKする。時々リクエストに応えてタクシーのように乗客の宿まで送り・・・なんてことが当たり前のアイスランドのバスに「きっちり定刻」はない。 はやく出ることはない、たいてい5分から10分遅れる。 連絡のバスを待っていて出られないということもある。 でも渋滞なんかない国なので、最後に辻褄は合うようだ。
人家がなくなると道は未舗装。右は海と絶壁、左は草木の生えない岩山となる。ドライバーは慣れた調子で走っているが、いつもの通り一番前の席に陣どった私はハラ、ドキ。 東は、レイキャビク周辺に比べるとずいぶん、未開という印象だ。 時々現れるのは、牧場だ。 ファームステイの旗が立っていたり、YH、サマーゲストハウスになっていたりする。 バスの車窓から見る限り夏のアイスランドは「国中総宿屋化」している。だから、不便だとか、ゴージャスがいいとかいわなかったら、何日か前に予約すればねぐらは確保できそうではある。 観光客の少ない東アイスランドのはしっこや、交通の便が悪い北西アイスランドのイーサフィヨルズル<Isafjordur>辺りだったら、予約なしの飛び込みでも宿はありそうだ。 昼近くブレイズダルズビィーク<Breiodalsvik> で、ランチタイム。三十分ほど停車となった。ここで「子どもの石売り」を目撃した。
☆★☆ ガキンチョたちの石売りウオッチング ☆★☆
晴れ上がった空からお日様の光がさんさんとふり注いでいる。小さな港町の景色はのどかで美しい。空気は透明でうまい。
そんな町のカフェテリアの前。 子どもが四、五人、石を並べて売っていた。見れば、クオーツやメノウ系の貴石である。 小さな値段札がついている。 しゃがんで確かめると、小さいものが1つ100クローネくらいからだ。緑色の縞が入っている大きな石は、500クローネから、800クローネもする。 そばには、石は売っていないけれど、弟の子守をしている子も並んでニコニコしている。 どの子も、のどやかな顔だ。 「年はいくつ? この石は自分でとってくるの、山にあるの、それとも海?」 女の子が手の指で8を出す。「八歳」ということなのだろう。 男の子は「山」を指した。これは「山で採った」だ。 「あなたが?」 とさしたら、彼、大きくうなずいた。 私の使う英語は中学生レベルだし、意味は分かってくれたみたい。ただ、いえないのだ、ね。 そこへ、お母さんの車で、もう一人男の子がやってきた。日本のママは、塾へ子どもを送り迎えするが、アイスランドの母親は、夏休みの小遣い稼ぎのために観光客の乗ったバスが停車するお店の前に子どもを送迎するようだ。 子どもの自立のためには、こっちの方が健全な気がする。 だって、テストの点でしのぎを削るより自分の採ってきた石を売ってお金を得る方が達成感と満足感はあるもんね。 知らず知らずにいろいろな人<外国人>にも会えるし。日本でも、成田空港の出発ロビーに「子ども売店」かなんかつくって子どもに店番させたら、生きた国際理解教育になるんじゃないの。 おっと、話がそれた。
ママに送られてきた小太り気味のボクちゃん、カフェテリアのどまん前に、バケツの石をじゃらじゃらあけると座った。 行ってみると、値札も付いてない。これじゃ、売っているのか、遊んでいるのかわからん。 しかし関心を示した私に、彼は「あんた英語はなせるの?」と生意気な口をきく。「話せるよ、あんたくらいにはね」と言い返したら「ふーん、じゃ、この石買わない、1つ100クローネ」。 彼の石は、白っぽいクオーツ系がほとんど、色のきれいなものはない。妥当なお値段だろう。 私は、「いらないよ、だけど彼らを見てきたら。値札をつけるといいよ」と思わずお節介。 ボクちゃんは、ん?という顔で、先発グループを見に行った。そして戻ってくると「ボク紙を持っていないから、だめだ」と言う。 「じゃ、あの子たちのそばに行って並べると、君も石を売っているとわかってもらえるよ」とまたまたお節介2。こういうの、イヤミな「元先<モトセンとよむ。元教師の意味>根性」というのかも。
しかしボクちゃんは私のいわんとすることを理解したようで、素直に石をまたバケツの戻すと彼らのそばに移動した。 よーし、いい子だ。 時々カフェテリアからでてきたバスの客が冷やかす。しかし結局なにも売れなかった。バスが出るとき窓から手をふると彼らも応えてくれた。 1日に何回ここにバスが止まるのか知らんが、売れるのかな。石は好きだが、やっぱり「持ち出し禁止」のこの国の法律が気になる。 それと、どうせなら買うより採るの方がおもしろそう、宝探しだもの。
うん、アイスランドの子は、いい夏休みしている。
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石売りの子どもを眺めていたのでお昼を食べ損ねた。バスの中でサンドウィッチを食べる。 やがてバスは、終点のエイイルスタジールに着いた。 アークレイリ行きの時間まで2時間もある。乗り換え待ちの人たちは、芝生にひっくり返ったりご飯を食べたりのんびりと待っている。 天気がいいので最高だ。 このバスターミナルは、周辺に、キャンプサイト、ツーリストインフォ、スーパー、銀行、ちょっと歩くと郵便局と何でもある。 便利である。 東部アイスランドの拠点となる町だ。 あちこちウロウロしていたら、あっというまに時間がたった。アークレイリ行きの時間だ。 ここからの道は、リングロード1でも一番の悪路だという。 さてさて、どんなもんであるか。
人家がなくなるとまたまた未舗装。さらにアップダウン。 びっくりしたのは、山岳地域の景観だ。草も木もない。今火山活動が終わったばかりという感じの山と平原が続く。 地球じゃないほかの惑星みたい、はたまた、創世が終わったばかりの原始へタイムスリップしてしまったと言ったらいいのか。 とにかく私がまだ見たことのないケッタイな景色だ。草がないので羊もいない。不毛。こんなとこで迷子になったら死ぬだろうな。
やがて、ミーバートン湖が見えてきた。大きい。空の色が湖面に映ってきれいだ。ホントはこの周辺に泊まりたかったんだけど、宿がどうしても取れなかった。
ここも、人気の観光地なのだ。アークレイリにいる間にまた来よう。 ほぼ時間通りにアークレイリのバスターミナルへ着いた。 「YHの場所は?」とドライバーに聞いたら、歩くと20分くらいかかる、そちらに行くし送ってやるという。 それを聞いて喜んだのは、ドイツ人らしい若い女の子ふたり組だ。聞けば、彼女たちもYHへ泊まるという。
バスは、ほかの客を降ろすと、町のメインストレートをとばす。けっこうはずれにYHのマークが見えてきた。
着いた。やれ、やれだ。疲れているし、夕食は、近くにあったドミノピザを買ってきて済ませた。 直径18センチくらいのSサイズが800クローネやっぱり高い。 明日はスーパーで買い物して、また自炊するぞ。
同じ部屋の、一人旅しているドイツ人の女の子が「ストライキ」が3日前に終わったことを教えてくれた。 よかった。 このままフルサークルチケットで旅行が続けられる。
>>>>>>> 2月20日 本日のできごと >>>>>>>>
郵便局だの銀行、本を返しに・・とかやっていたら夕方になった。 やろう、と考えていた半分もやっていない。 婦人公論とか、旅とか、月刊へんろとか・・雑誌を読んで時間が過ぎた。 へんろが今月で休刊だ。いい雑誌だったのに残念なことだ。
今日もやたらにキムチご飯が食べたくて、キムチを買ってきてしまった。体がキムチを欲しているんだよなあ・・なんなんだろうか。
兵庫のお遍路でご縁ができて文通させていただいているNさんより来信。ゴーヤマンをいただいた。かわゆい。
心に秘めたものがあり、ちょっととんでもないものをネットショッピングで買ってしまった。まだ秘密・・・。
今日やり残したものは難易度の高いモノだ。めげずにこれから少しでも片づけたい。と、一日の終わりにまじめになってしまった私でありました。
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| 2002年02月19日(火) |
第56夜 アイスランドの東はじの町、ヘーフンへ・・ |
7/18日<曇りのち雨> ヘーフンYH泊
ヴァククストアYHからヘーフンまでは、約1時間。 バスは夕方までない。
そこで、だいぶ後戻りしてスカフタフェル国立公園へ行くことにした。フルサークルパスポートは、一方方向への移動、戻りはバス代がかかる。ちょっともったいないが、ナショナルパークを見ておくのもいいかと・・・。
近辺で宿が取れていればこんな無駄をしなくてもよかったのだが、自転車の彼もここでいくら探しても宿がなくて野宿したと言っていたし、仕方がない。
なにしろ夏の3ヶ月間に20万人以上の観光客がこの国を来訪、一番人気が南アイスランドのこのあたりなのだから。
今日の予定 9時出発 昨日のレイキャビク行きのバスに乗る。<バス�癸隠�a> 11時10分 スカフタフェル着 14時35分 バス�癸隠欧妊悄璽侫鵑惴�かう 16時45分 ヘーフン着 YHへ スカフタフェルに着いたとたん、どんよりしていた空から雨が落ちてきた。 ここには公園インフォメーションセンターがある。そこでどこを見物するか「研究」することにした。 中には、情報提供カウンター、1996年の氷河の下の火山爆発ドキュメントを上映する部屋、この地域の石や自然史の展示、土産物ショップ、カフェテリア、トイレなどがある。隣にあるキャンプサイト利用者のためのちょっとした食品や燃料もおいてあった。
カウンターに行って、ヘーフン行きのバス時間を話し、それまでこのあたりを散策したい、適当なところを紹介して、と頼んだ。
係りの女性はこの付近の簡単な地図が載っているパンフレットを出して、せり出している氷河の近くまで行くことをすすめてくれた。 「山の上の方にある滝がきれいなんだけど、お天気がよくないから、やめたほうがいい」とも。 荷物を預かってくれないかと言ったら、ついたての後ろを無造作に示す。 なんと旅行者のザックの山。まあ、治安のいい国だからこのおおらかさでいいのかもしれないが・・・。 それにしても、彼女は、にこりともせず、無表情状態で話す。無愛想、でも不親切というわけでもなく。 このとっつきの悪さは、この国の人の特徴?
傘をさして、教えられた方へ出発。寒いし、黒々した溶岩の小道は寂しい。少しばかり木や草が植えられていた。 木は、私の背丈より大きいくらい。幹は細い。貧弱な茂みだが、厳しい自然の中、ここまで大きくするのは大変だったろう。 茂みの中にはいると強い花の香りがした。短い夏に何とか虫を引き寄せて、と考えている木や草のサバイバル戦略を感じてしまう。
氷河の先は、泥にまみれていた。いろいろな氷が地層のように重なっているのを絵はがきで見たが、とんでもない。何にも見えない。 よく確かめないと石か氷河かもわからない。真っ黒氷河の下に川がある。雪解け最盛期の信濃川のような勢いでどろどろの流れが吹き出している。ああ・・地球温暖化・・・。 氷河間近の岩にへばりつくように咲く黄色い花がけなげだ。 ホワイトグリーンのモレーン<氷堆石>の小石をひろった。この国には、旅行者が動植物、鉱物を持ち出すことを禁じる法律があるらしいが、この小指の先ほどのいくつかは勘弁してもらおう。
カフェテリアのベンチでつくってきたサンドウィッチで昼食をとっていたら、空が明るくなってきた。 まだ1時になっていない。バスの時間まで滝見物に行ってみようと決めた。だって、つえをついたご老体までそちらへ歩いていくのだから、私にだっていけそう。 スバルテェフォスの滝<Svrtifoss>まで、インフォでもらったパンフレットによれば往復1時間から、1時間半。何とかするぞ。
キャンプ場を抜けて山へ向かう。丈の低いダケカンバのような茂みの中に道はある。 冷たい風が下から上がってきて吹きつけるが、登りなので体はだんだん温かくなって、汗まで出てきた。 早足で進むこと、30分あまり。滝の姿が見えてきた。流れ落ちる高さや水量は大したことはないが、ユニークなのは、周囲の岩だ。 パイプオルガンみたい。「玄武岩の柱状節理」と地学的にはいうのだろうが。石や鉱物は好きなので、きてよかった。
予定通りにバスに乗り、ヘーフンへ。途中にも何カ所か氷河がリングロード間近までせりだしている景色が見られた。 ヘーフンは、人口1900人弱の町。東アイスランドの商業の中心というが、静かな田舎町だった。 YHは、港近くのかわいい建物。 バスはYHヘ横付けしてくれた。6人の女性が下車。なぜか、女のみ? そしてみんな2階の同じ部屋。 ドイツ人らしい若い子たちは、さっそく水着を持って温泉プールに行った。<近くにある>私は、スーパーに買い出し。
明日も自家製サンドウィッチを持って、出発だ。
>>>>>>2月19日 本日のできごと >>>>>>>>>>>
7時半起き。掃除、便座カバーをつける。 8時過ぎに、Oさんから、義母さんがおにしめとかも持っていくっていっているから、なんにも用意しなくていいよとのTEL。ご飯はうちにあるし。ありがたや、Oさんとこのお煮しめはうまいから。 9時過ぎ、kさんくる。9時半過ぎにはOさんと義母さん来訪。
Oさんの義母さんはお祝いを下さった、ありがたくいただく。
さっそく4人で、お雛様を折り、きれいなはがきに簡単な文を書き、穴を開けてかけられるようにヒモをつけて、お雛様に目鼻をつけたり、扇子などを持たせて、ハガキに貼り付けた。ひとつ、ひとつ封筒にいれて、完成。神戸の支援者のほうへ、切手のカンパをつけてお送りするようにして封。
4人でしゃべりながらたのしく作業。させていただく幸せ。このお雛さまで被災独居老人の方が少しでもなぐさめられるんだったら、こちらも幸せ、うれしい。
1時近くなって4人で昼ご飯。お煮しめと、おいしい漬け物、わかめと豆腐のみそ汁、kさんの手づくりの小豆あんでのお汁粉がデザート。満足でした。
kさんは車で帰宅。Oさんたちを送りながら外に出て、早速に神戸に発送。
夕方、3月の仕事のことでY氏から電話。いつも元気の明るいお人だ。さすが関西人、です。
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| 2002年02月18日(月) |
第55夜 ついに氷河に立つ (^^)/~~~ |
7/17<日 快晴> ヴァバグストアYH4泊め 朝、窓から見える氷河は少しガスっていたが雨は降っていない。 やったね。いよいよ今日は氷河フルコースだ。 YHのママに教えてもらいながらたてたスケジュールは以下。
9時出発 ヘーフンからくるレイキャビク行きのバス<バス�癸隠�a>をリングロード1で待つ。バスが見えたら、手をふって止め、乗車する。 9時50分 氷河湖ヨールクスアゥロゥン着。 11時30分 バス�癸隠気妊凜.肇壁慌呂泙如�13時着 15時30分 スカフタフェットルの方へ戻るバス<バス�癸隠機笋婆瓩蝓�YHの前で降ろしてもらう。
★☆★ 氷河一日体験レポート ★☆★ バスはだいたい9時過ぎには来るだろうというので、食料として、手づくりサンドイッチ、リンゴ、キットカット、ペットボトルに入れた水を持って8時55分にYHを出た。 もちろん何しろ「氷河」だ。 オズボンの下にタイツと長ズロース。コート、ノルウェーで買ったハンドメイドセーター<暖かい>、フェローアイランズ産のこれ又ハンドメイドの毛糸の帽子をしっかり着用。おばさんは冷えない用心、風邪用心。 リングロードは、いってみればアイスランドの国道一号線、しかし車が連なってくるなんてことはめったにない。 時々15分以上深閑、羊のたわむれ場所になったりする。てなわけで、ワインレッド色のバスがタッタカと走ってきたのはすぐに確認できた。 手を挙げる。 大きく振る。 お、スピードを落とした。 止まったバスから降りてきたのは、あのセクハラ気味のドライバー氏だ。 「オー、ジャパニーズガール、どこ行くの、又会ったね」 なんて抱きしめられてしまった。 ガール?ったくよー。 でも覚えていてくれたのが、ちっとばかりはうれしい。なつかしい。(^_^) 3日前に通った道を戻っている訳なのだが、改めての荒々しい自然に目を奪われた。
氷河湖では、1500クローネ、<1クローネ、1.3円位 1時間足らずなのに高い!!>を払って、ボートに乗って湖上観光することにした。 この湖は、ヨーロッパ最大のヴァトナ氷河が溶けだして湖ができ海へそそぎ込んでいるところ。 湖上に浮かぶ氷山や水は不思議で美しい色をしている。あわい空の色、トルコ石の色、ベビイブルー・・・水色の変幻だ。深いところは100メートル以上あるという。 ボートは車輪付きの奇怪モデル。 浅いところでは車のように走るみたいだ。
乗り込むと、ライフジャケットが渡される。 学生アルバイト、という感じの男の子がガイドとして乗り込んでいる。彼によれば、最近は氷河が年に15メートル以上も溶けて後退し、どんどん形が変わっているとか。地球温暖化の影響が如実に現れているのだ。
途中でガイドくんが、「約2000年前の氷です」と湖から拾い上げた氷の固まりを小さく砕いて手渡してくれた。数千年前の固まりを口に含んでみる。クリアな固まりに味はなかった。 「足し算、引き算してあっていいからウイスキー、くれ。ロックにして飲みた」 10年くらい前まで禁酒法があったらしいアイスランド、そんなことを言うとにらまれそうだ。 でも、アメリカ人らしきおっさんが奥さんに「ウイスキィー」といって笑われていた、な。 それにしても湖は奥が深くてでっかかった。みんな氷河が溶けだしたものと思うと複雑な気持ちー。
バスの出発を待つ間、岸辺に立っていると「かしゃ かしゃ」とかすかな音がする。音の発信地を探す。湖に浮かんでいる小さな氷山が溶けて崩れているのだ。
その絶え間ない音を聞きながら、人類は地球が長い間かけて貯金した「氷河」という財産を放蕩しているんだ、大変なことになるだろう、でも、もうとりかえしがつかない、と思った。 そんなふうに水色の神秘な湖は、見つめていると不安になる。
湖辺には小さな売店が一つあるだけ。後はなにもない。お手洗いで、YHで同室だったスイスの女の子2人組にあった。 彼らはボートに乗ろうかやめようか迷っていた。 チケット代を話すとびっくりして「そんなに高くても、乗る価値はあるか」と訊かれた。 「私の国はとても遠いから、もう来られないだろう。だから、乗った。きれいだった」と言ったら「OK、わかった」と金髪の子がうなずく。 「でもスイスも氷河、あるでしょ?」と私が言ったら、アイスランドみたいに大きくないという返事。 なーるほどね。
バスドライバーのおっさんが、レイキャビクに出発する前「次はあのバスに乗るとヴァトナ氷河に行くよ」と教えてくれていた。 濃グリーンのマイクロバスサイズのやつだ。ずいぶんと小さい。大丈夫なの、と思ったのだがやがて納得。リングロードをはずれて山に向かったとたん道は狭くなって砂利道。高度を増すにつれて、上にはごつごつした岩山、下には緑の草原ときらきら光る海と景色はよくなる。 しかしドンドン悪路となる。 雨の日なんかに来たら、恐ろしいことになりそうだ。 ドライバーは、夏休み中の息子<小1か2くらい>を助手席に乗せている。<こういうのあり?お父さんの仕事を見学しょうという課題だった訳じゃないよね> 問題は運転しながら、子どもにバナナやジュースを渡すことだ。そのたびによそ見をして、手を離す。見ていると怖くてしょうがない。
途中、氷河が舌状にせり出しているところで写真休憩となったとき、ブレーキがよく効いていなくて、車が「ズリリ」と谷へ向かいそうになった。 もう悲鳴、アーアア。 ドライバ−はニヤニヤしている。 きみね、もしもってこと考えてよ、「慣れと油断は事故のもと」だぜ。
1時間ほどで氷河のはしっこにある山小屋に到着。<Skalafellsjokll> ほかの5,6人の客たちは続いてスノーモビルでさらに上を目指す。 しかし私は断った。 7400クローネ、たかい。 それと、なにより自分の足で氷河のお山を歩いてみたかったのだ。
ジャリジャリと靴の下で氷河が鳴る。 氷河ウォークは、硬くなった雪の上を歩いているような感触。 故郷の新潟で、子どもの頃、カチンカチンになった雪の上を「凍み渡り」して遊んだことを思い出す。しかし、手に取ると雪ではない。 小さな氷の粒だ。掘ってみるとあの神秘の水色。やっぱり確かに氷河だ。 バスの駐車場のある山小屋を見失わないように歩き回る。 ガスがかかるとたちまち周囲は「ホワイトアウト」する。 ジャリ、シャリという自分の足音しか聞こえない世界は少し怖い。時折クレーターがあらわれる。何本もの大きなひび割れが氷河を切り裂いているのだ。 数十メートル、数百メートルの厚さの氷が割れてずり落ちようとしている。これも温暖化のせいー。 思わず「ごめんなさい、地球さん」と言いたくなった。 4時半過ぎ、YHに帰った。お日様はまだ高いところでキラキラと笑っている。 ホントに今日は「ファインデイ」。 この天気がうれしい。うきうきする。 シャワーを浴びて夕食を食べても眠る気分ではない。外にいたい。散歩に出た。 ママさんも二人の娘と外にいる。 やっぱりこういう日は外、だ。 ここのYHは、夏しかやっていない。 どうやらYHの建物が彼らのホントの自宅みたい。 観光シーズンだけ狭いトレーラーハウスのようなところに家族全員が住んでYHを営業しているというわけだ。 物価高のこの国では、こうしないとやっていけないのだろう。 通り過ぎてきた、フィンランドでも、ノルウェーでもセカンドジョブを持っている人に出会った。 高福祉、しかし高税金の北欧のしんどさだ。
今晩は、スペイン人のおばさんと同室。氷河を堪能した一日だった。
>>>>>>>>>>2月18日 本日のできごと>>>>>
なんか、いつの間にか一日が終わった。 写真取りにいって、来月の秩父行きの宿を取って<薬草風呂と鉱泉がウリの宿> わけのワカランことをして、ぼんやり考え事<考えねばならないこと、たくさんある・・・>をしていたら一日が過ぎた。
ママからいただいたノッペイ、美味しかった。
そうそう、ドコモから、ドコモへのご要求をお聞きしたい・・なんていう電話が突如かかってきた、あれってなんの?それも、うかがってなんて???来なくていいです、もっと安く、おかしなメールを防ぐように、とだけ言った。 ホントにドコモなのかねえ? あやしい、おかしな電話だったなあ。
明日は、kさん、Oさん、Oさんの義母さんとともに「お雛様カードつくり」をする。神戸の被災したお年寄りに配るものだ。今年で、6年目かな。
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| 2002年02月17日(日) |
第54夜 う、馬に乗ってしまった!! |
7/16<日 雨> ヴァグストアYH3泊め
朝7時、YHのほかの客よりも早く食事を済ませて、近くの農場へ出発だ。昨夕、ママさんに肉の焼き方を習いながら、明日も雨だったら、近くの農場を見学したい。 日本の子どもたちにアイスランドの農場生活をレポートしたい、なんとかならないかと頼んだのだ。
晴れそうにもないし、1日うちにはいたくないし、2度目の草原大冒険も出たくない。靴をボイラー室でやっと乾かしてもらった。汚れてもいいけどぬらしたくない。 彼女は私の頼みを「いいわよ」と、いとたやすく引き受けて近くの牧場にアポを取ってくれた。
約束は8時。車も、人も通らないリングロードを歩いていると、だんなが追っかけてきて送ってくれた。 そして牛舎まで連れていって「頼む」らしきことを牧場主に言って、帰っていった。多分、ママに「ちゃんとあの日本人を牛舎まで連れて行って、よろしくと挨拶してこい」と言われたんだと思う。 だんなの知恵とは思われぬ。
牧場では、乳搾りや乗馬をさせてもらい、お茶とお菓子までごちそうになって、昼過ぎに帰ってきた。 牧場の奥さんのルーベさんも、ママも明日は天気がよくなる、という。 彼女は、バスの時刻表を持ってきて、このバスに乗って、ここへ行ってと私の氷河ツアーの予定まで立ててくれた。期待しょう。 ★ ☆ ★ ☆ ★ ☆
◎ アイスランドのファマーズライフレポート ◎
ドアを開けると「ウンチ、オシッコ、ムアーッとするあたたかさ」ー牛のにおいが押し寄せてくる。
「おはようございます。私は、日本から来ました。アイスランドの農家の生活を日本の子どもたちに紹介したいので見学させてください」 [OK、いいわよ」 笑顔で返事をしてくれたのはルーベさん。 だんなさんのグローラ氏は、にこりとシャイな笑顔を見せる。彼は英語を話すのが苦手らしい。もっぱら活発そうなルーベさんと話すこととなる。
作業場は真ん中がくぼんでいて、高くなった両側に5頭ずつ牛が入場する。すぐに動かないよう固定して少し手しぼりしてミルクの乳成分チェック。 OKとなったら乳首の周囲を消毒して四つ又に分かれたミルクしぼり器をつける。オッパイからミルクを垂らして早くしぼってくれといわんばかりの牛くんもいるし、怠けて座り込んでしまうやつもいる。 びっくりしたのはしぼり器をつけたまま、すさまじい勢いでオシッコをたれ始めたのがいたことだ。 「ジャー」という音がすごくて、私は思わず飛び退いた。ルーベさんは、時々背中にかけられることもある笑う・・・。 ミルクしぼりの完了は1頭5分から10分。すごくはやい。
「あなたも、しぼり器やってみる?」 「え、私にできるかな?」 「大丈夫、この牛は気だてがいいから、け飛ばしたりしないわ」
そういわれて、おそるおそる四つ又しぼり器を、乳首に持っていく。 機械は意外と重たくて、オッパイは、ふにゅふにゅで、5センチほどのしぼり器の穴にはまらないしで結構むずかしかった。 でも牛くんは、いやがりもせずに待っていてくれる。確かに性格穏やかだ。 「あなたは簡単そうにやっているけどむずかしいのね」と言ったら、 「そう、でも慣れたら簡単よ」 「大変な仕事でしょ」 「朝6時から始めて、10時過ぎまで働くわ、でも私はこの仕事がすきなの。牛も人間と同じように一頭ずつ性格が違ってかわいいしね」
ミルクのたくさん出る冬場はもっと時間がかかるという。 10時過ぎ「私たち一休みしてコーヒータイムにするけど、あなたもどう?」 お言葉に甘えることにした。 アイスランドでは、入り口で靴を脱ぐ。りっぱな玄関こそないが、日本と似ている。 真新しいおうちは、清潔で明るく暖かかった。 キッチンのテーブルにはルーベさんとグローラ氏、それと二人の子どもたちがそろった。ヤークックくん<14歳>とティンナちゃん<9歳>だ。 「ヤークックは、夫の、ティンナは私の最初の結婚でできた子どもなの。ヤークックはふだんはレイキャビクで中学生なんだけど今は夏休みだから」 とは、ルーベさんの説明だ。 30代後半か40代初めに見える二人はそれぞれ再婚者同士。こういうことは、アイスランドではよくあることらしい。
ルーベさん手作りのケーキとコーヒー、しぼりたての濃厚ミルクをいただきながら、日本の学校のこと、気候のこと、歴史のことなどを話した。 おもしろかったのはアイスランドでは、「水泳」が体育とは別に正規の教科としてあることだ。 英語は、中学からだというが、周囲が使ったり、テレビからの影響<アイスランドのテレビは、アメリカの番組や映画が多い>で自然と覚えてしまうらしい。 ヤークックはとても恥ずかしがり屋だが、ティンナは、甘えん坊だ。私が持っていったおみやげの切手をあげると、とても喜んでおねえさんがコレクションしているアイスランドの切手を持ってきてくれた。 二人とも、日本の同年代に比べて素朴でおおらかな印象を受けた。
来たときから外にいる馬が気になっていた。「乗ってみたい」と言ったら「晴れていたら干し草刈りで忙しいんだけど今日は天気がよくないから、時間もあるし」と、なんと乗せてもらえることになった。 ドヒャー。言ってみるものである。 さっそくルーベさん、「彼女が馬に乗りたいというから手伝って」と、ほかの仕事をしていたグローラ氏まで巻き込んでの大仕事。 そう、乗るには、放し飼いにしてある馬を捕まえて、鞍をつけなければならないのである。 鞍や手綱をつけるのを嫌って逃げ回っていた馬を二人は見事に捕まえて、おとなしくさせた。 どうやら馬も犬と似ていて「わしが主人だ、命令を聞け」的扱いをするとおとなしくなるみたいだ。馬小屋の壁にはたくさんの馬具や金具がかけてあった。どれも使い込んだもので、車が普及する前のアイスランドの移動手段は馬だったんだと実感させられた。 ちなみにアイスランデックホースは、道産子と同じくふつうより少し小型だ。 二人がまず乗って見せてくれた。 早足から、駆け足へー。 とても美しい姿だ。 聞けば、二人とも8歳くらいから乗っていたという。なーるほど。 「ティンナもヤークックも、それぞれ自分の馬を持っているのよ」 ルーベさんは牧場の馬を指した。 子どもが馬を持っているなんてパソコンもってまーすなんていうよりカッコいいぜ。 でも、私も子どもの頃、弟と共有で山羊の飼い主だったけどね。 さて、いよいよ私の番だ。 「夫が馬をひくから暴れないわ、大丈夫」 というルーベさんの言葉に勇気を得て、エイヤーと決心して馬によじ登る。 獣のような、油のような馬のにおいがプーンとする。なんとか座ったものの、馬もへんなやつが乗ったぞとわかるのだろう。暴れる、暴れる。振り落とされないようにしがみついて、思わず「きゃー、怖い!!」と大声。
「だめ、大きな声を出したら馬がびっくりするでしょ」 ルーベさんのきつい一言。
それでもグローラ氏がぐっと手綱をひくと馬はおとなしくなった。さすが、である。 ゆっくりと動き出した馬に意識して体を柔らかくリラックスして身をあずける。タイで象に乗ったときのことを思い出したが、あのときより地面は近いところに見えている・・・ダイジョウビ、だ・・。
馬小屋まで往復数百メートルの冒険。なかなかだった。 それより、なにより、突然やってきた東洋人の図々しい頼みを受け入れてくれた二人に感謝。 「日本とオーストラリア、グリーンランドに行きたい」というルーベさんに「日本に来たら案内するから」と約束して、抱き合って別れた。 心が通いあった時間だった。
>>>>> 2月17日 本日のできごと>>>>>>>>>>
昨日やり残しの掃除をして何とか見た目はきれいになったが・・・。11時に、親戚のmちゃんが来る、その時間までにはきれいになったが・・・。実はあちこちまだ汚い。しばらくどこにも行かないんだし、ポイント掃除をしよう。
mちゃん、シリアスな相談事。そのわりには二人して、ピザの36センチとビール、美味しいケーキ屋さんのプリンなどなどで、なにやら宴会ふう。 おみやげにママがつくったノッペイをもらった。新潟の郷土料理。今晩のおかずだ。うれしい。
4時ころ、mちゃんが帰って少し眠ってから<昼ビールは効く>、直木賞「肩ごしの恋人」を読んだ。 面白かった。こういう女の友情・・が成立すること、ありそう。しかし、それだけ魅力的な男の子がいなくなったチュウ、嘆かわしい現実もあるってことだ。昨日読んだ田口ランディのものと、話は違うけど、気配と手触りは似ている。
雨だ。高知も降ったらしい。お遍路で行き会った青年Aくんから昨日から何度かメール。すっかりとメル友化してしてしまった。 昨日は暴走族がこわくて不眠。今日は宿に泊まるらしい。
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| 2002年02月16日(土) |
第53夜 アイスランドの美しき草原は魔の野原!! |
7/15<土 雨、ガス> ヴァグストアYH2泊め 自転車野郎くんの彼は朝早く「天気がましなうちに」ということで出発した。 10人以上のグループだったドイツ人も、スペイン人も出発した。彼らは、車の後ろに食料車のようなものをつけている。<昔、物売りの人が引いていたリヤカーのようなもの> 着くと、それをキッチンに運び込む。中には、食材から、お鍋、食器までいろいろ。 旅の時は荷物を軽く、食事はどこかの食堂か宿で食べる日本人の旅行とは対照的な重厚かつ経済的な旅の形だ。もっともアイスランドは、都市を出ると、ドライブインどころか人家もまばらとなるので食料携帯は大正解だ。
ところで私の食料、ラーメン2個と野菜<キュウリとトマト>と果物少し。ほかにマーガリンと紅茶、キットカット二つ。飢え死に寸前である。YHがあるのだから、近くにスーパーかガソリンスタンド<北欧では、ここに日本のセブンイレブンのようなお店が付属していることが多い>はあるだろうと考えたのが大間違い。
レイキャビクを出るとき少し固くなったパンを捨ててしまったのが今は恋しい。食べ物を粗末にして罰があったというやつだ・・・トホホ
「私は、食べ物がない、ここに4日もいるのに死んでしまう、スーパーに連れていって、何とかして」と到着早々だんなに訴えた。 彼、「うちの奥さんに相談しろ」というのみ。そりゃあんたより頼もしそうだけど、彼女は仕事があるでしょ。 ところが彼女は「私が帰りにあなたの買い物をしてくるからなにが欲しいか書いて」と昨夜言いに来てくれた。 もしなーんにもないんだったら、今晩はうちのパスタを分けるけど」とも。ありがとうさん! 早速、辞書を見ながら「パン、ヨーグルト、ミルク、肉、トマト、etc」を書いて渡した。
みんな出発してがらんとなった宿で、窓から見える氷河を眺めたり、手紙、毎日小学生新聞の原稿<送る約束をしていた>を書いたり。もちろん天気がよかったら氷河観光なんだけど、こんな日はなにも見えない。お日様待ちだ。
昼から、少し小降りになったので、外へ出た。YHの紹介に「海まで1500メートル、アザラシや、時々クジラまで見えることがある」と書いてあった。クジラ好きとしては行きたい!ラーメンを食べた後の腹ごなしだ。と、よかったのはここまでだ。
緑の草原を海の方へ歩けばいい、平らだし1.5メートルなんて30分でお釣りが来る、「Too easy」と考えたのが大間違い。羊が草をはむ平和的大草原の陰には、氷河から流れ出した無数の川が流れていたのだ。草におおわれてわからないので突如足を取られてはまる、幅数メートルもある流れが現れて行く手を阻む。 さらに怖いのは時々でおおきな鳥が上を旋回することだ。 見上げると、おそってきそうな凶暴系の声を出す。ヒッチコックの世界か・・。 平らに見えたのだが、それなりにアップダウンがあって、少しあがると今まで見えなかった馬の大群がいたりして、ビビる。
近いところに見えていた海はいつまでたってもかすみのかなた、ちっとも姿を見せない。そしてついに幅十メートルはありそうな川にぶつかった。橋なんてもちろんない。海の近くで河口が広がるのは自然の道理だ。戻るしかない。
草原の小川で何度もはまった足はずぶぬれ、馬のにおいまでする。また激しくなってきた雨でコートもビショ濡れ。中まで沁みている。ホント悲惨。朝、だんなに聞いたら「え、クジラ、ね・・、いつもいるわけじゃない・・・ホントに歩いていくのか」と言った。 「だって、ハイキングができると書いてあるでしょ、YHの本に」といったら、「うむ」とむずかしそうな顔をしたわけがわかったよ。 慣れていないと無理だよ、くらい言えよな。ったく。 実は、私、彼の英語の発音がよく聞き取れない。 何度も聞き返すと「うちのに訊け」とくる。どうも彼、私に苦手意識があるみたいだ。ママさんの英語はよくわかるのだが。
さて、私は足から馬のにおいを立ち上らせながら考えた。同じ方向へ帰ればまたはまる。深いところに落ちたりしたらやばい。この寒さで、人の気配は全くないのだからまずは死ぬだろう。ということで、川に沿って氷河の山の方へ向かうことにした。結果は正解。リングロード1にぶつかった。道路を歩いて帰った。ズタボロ。(^^;)
シャワーを浴び、濡れた衣類を取り替えて、靴を洗っていたらママさんが私の食べ物を持って帰ってきた。ほかの客も到着し始めた。彼女は、アイスランド特産のラム肉のハーブ漬けを買って来て、焼き方も丁寧に教えてくれた。日本では、ラムの苦手な私だがこれはクセがなくてうまかった。
「アイスランドの一見平凡な草原もあなどれない」の教訓を馬や羊のウンチのにおいとともに実感した昼下がりであった。
>>>>>2月16日 本日のできごと?>>>>>>>>>>>>>
快晴。よく寝たので実にさわやかな朝。 溜まっていたメールに返信してから部屋の改造に入った。 早々、お遍路であった青年Aくんからメールが入っていた。野宿もこなしながら元気にやっているようだ、よかった。
板や小型コンテナ、カーテンなどを買いにいっていたら、アッという間に夕方。 終わっていない、が、やる、だって、マジに足の踏み場がない状態で夜がきてしまったんだモン。
母から電話。ケガの具合は大分いいらしい。これも良かった。
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| 2002年02月15日(金) |
第52夜 野っぱらのまん中にユースホステル・・ |
7/14<金・晴れ> 移動日 ヴァグストアYH泊
快晴だ。レイキャビク市内から見えるエーシャ山<MT.Esja>が頂上まで見えている。いつもガスっていたのに、初めてのことだ。この山には13人のサンタクロースが住んでいて12月12日になると順番におりてきて、子どもたちにプレゼントをおいていくのだとか。 バスはターミナルより、八時三十分「リングロード1でヘーフン<Hofn>行き」だ。リングロードというのはアイスランドの国道1号線。 バスのヨコの荷物入れには、お客の荷物のほかにいろいろな箱が入った。どうやら、バスが宅急便もかねているようだ。フィンランドやノルウェーでも見た。人口の少ない国の工夫だろう。あっ、高知の室戸当たりでもバスが荷物運びしているの、見たなー。なんて「里心」がついてしまった。
走り出して一時間、周囲の景色が変化した。草も生えていない濃い茶の溶岩台地と山が続く。時々白い煙があがっている。温泉だ。地熱発電所もあった。バスはほぼ満席、ヨーロッパの、火山にはエンなしの国からの旅行者には「神秘の景観」だろう。火山と地震の日本からの私でさえ荒々しい景色に釘付けになるのだから。 10時半過ぎ、隣のドイツ人らしき人たちが「あれ、ヘックラ<MT.Hekla>?」と運転手に聞いている。おっ。富士山型のかっこいい山が大地から、すくとそびえ立っている。標高一四九二メートル、去年爆発した山だ。
セリャランスの滝<Seljalandsfoss>で一休み、というか写真タイム。すごい水量、だがすんでいる。一口飲んだ。うまい。何しろこの水は、ずっとてっぺんにあるミールダス氷河<Myrdalsjokull>が溶けてしみこんでいるはずだからね。やがて見えてきた。雪をかぶった白い山並み。氷河だー。
書けない、読めない、話せないの三重苦状態にある私はバスドライバーの真後ろの席に座って、私のこと忘れないでねをアピールしている。ドライバー氏も心得たもので「心配するな、おまえさんのYHの前でバスを止めておろしてやるよ」という。しかし、このバイキングの親戚みたいなひげを蓄えたお人、馴れ馴れしくて、肩に手なんか回してきて「なんか聞きたいことないかい」とのたまう。セクハラだっつーの。手をパッパと払いのけて「なーいよ」。ったくなあ、日本のおばさんアマクみるんじゃねーのよ。(>_<)
ヴイーク<Vik>を過ぎてしばらくすると真っ黒い砂と岩の大平原が続く。その間を無数の川。あっちにごろごろ、こっちにごろりといた羊の数も少なくなったような・・・すごい景色だ。そんな中、バスが止まった。前にレイキャビクへ帰るバス。 今まで車掌だった女の子が降りていく。あちらのバスからも女の子が一人こちらにやってくる。こんななーんにもないとこで車掌交代、で、それぞれの町に帰るということらしい。
私がYHもゲストハウスもとれなかったスカフタフェルでかなりの乗客が降りた。
途中、ヨールクスアゥロゥン<Jokulsrlon>という水色の氷河の切れはしが浮かんだ幻想的な湖を通過して「私のYH、ヴァグストア<Vagnsstdir>到着。「ほれ、ここだ」とおろされたものの、はっきりいって、途方に暮れた。だって、野原の真ん中。YHの旗が立っているからわかるという感じなんだもんね。あせったのは、レストランどころか、スーパーも近くにないみたいだってこと。食べ物どないしょう。
YHは、リングロードから、溶岩を砕いて固めたほこりっぽい小道を数百メートル 歩く。木造二階建ての建物はさして大きくない。留守と見えたが男が一人出てきた。ここの主人らしい。初めから宿泊代でもめてしまった。彼は「一泊1250」といい、私は「1200だと聞いている<ツーリストインフォの予約用紙にもそう書いてある>」。結局、彼がインフォへ電話をして私が昨日書いてくれた女の子と話して、落着となった。100円ほどといってもぼられるのはやだもんね。
ここだと案内された2階の部屋は2段ベッドが二つあって、窓辺には作りつけ机がある。まだ誰も着いてない。そもそも、こんな野中の一軒家に泊まるお客なんかあるのか。という私の考えは、甘かったことがわかった。6時近くなって、くるわ、くるわ、たちまち6部屋30人くらい泊まれるこのYHはいっぱいとなった。
窓からみていると、予約なしの客をあのだんな、断っているではないか・・・・そしてな、なんと、その中に日本人らしき姿。マウンテンバイクを引きずって「疲れた果てた」の風情。 私は2階から飛んで降りていって「もしかして日本人ですか」と声をかけてみた。「そうです、何とかここに泊めてくれませんかね、雨と霧でもう前に進めません」。 私が着いた4時過ぎから、天気は崩れて小雨模様。 窓から見える氷河から大量のガスが降りてきていた。そうすると、道路もたちまち白くけむる。視界がきかなくなる。 車は走行中24時間ライトつけ放しというルールが納得できる状況だ。
私は、できない英語で「彼はとても疲れている、車ではないし天気も悪い。泊めてやって」とだんなに頼んでみた。 だんなは「わかっている、もう少しまて」。どうやらキャンセル待ちをせよということらしい。 しかし、みんなきたらどうするの?
7時過ぎ、自転車野郎の彼は、私の上のベッド、もう一つの2段ベッドは50代くらいのドイツ人夫婦となった。 仕切ったのは、だんなの奥さんだ。 「待て」というのは「うちの奥さんが帰ってくるまで待て」ということだった・・・のだ。 だんなは、氷河ガイドをしているらしいが、彼女は50キロ以上先にある銀行勤めらしい。てきぱきしたかんじのいいママだ。京塚昌子さん<知っている人は、中高年?>みたい。
{自転車野郎の清水優さんと話す} どちらからですか。
埼玉です。パリから乗り換えてきました。
どうしてまた、アイスランドへ?
以前、商社の人からいいところだと聞いたものですから。
ずっと自転車ですか。天気は変わりやすいし、寒いし、大変でしょ。
ええ、それと、道路もちょっと幹線を離れると未舗装だらけで大変なんです。
宿は?うまくとれますか。
ケフラビック空港について、一日目はYHにうまく泊まれたんですが、二日目は、幹線道路からはずれたら全然なくて、ふつうの農家に頼んで泊めてもらいました。ご飯まで食べさせてもらって、お金は、受け取ってもらえなくて。 でも昨日は、本当になくて、頼んでもだめで、作業小屋のようなところで野宿でした。
野宿は寒いでしょ?
ええ。とても熟睡なんてできません。つらいですよ。
いつまで?
17日には帰ります。
失礼ですが、お仕事は?
酪農やっています。こちらの牛乳は脂肪が多くて濃いと思いますよ。
いつも自転車で旅をするんですか。
ええ。いいですよ、自転車は。風や光、土地のにおいとか、みんな肌で感じること ができますから。旅は自転車以外に考えられません。今回も、氷河の真下を走るなんて贅沢です、いいですよ。
>>>>>>>2月15日 本日のできごと >>>>>>>>>>
ただいま、夜9時近く。 よっぱっらていますね。友人たち、Mさん、Kさん、Tさん、Oさんがお祝いをしてくれました。近所の美味しい居酒屋サン。お酒もお料理も美味しかったです。ありがとうさんでした、持つべきものは優しき友です。 酒がうまかった。いただいたお花が優しく香っています。今日も私の大事な人生の一日。忘れられない一日、感謝。
昼はスヌちゃんとあってランチ。れいの渋谷のみちのく。アコウダイの焼き魚定食がおいしかったです。 その後出版社の担当の方と最終校正の打ち合わせ。 これを終えると少しほっとする感じ。
終わって、おいしいコーヒーをごちそうになり、谷師という沢釣りの話を聞いた。 面白かった。
夕方、いったん家に帰るとお遍路であったFくんのおうちの方からの留守電。かけ直してお母さんとお話しする。 私がたくさんの経験を積んで逞しくなって帰ってきますよ、といったら、無事に帰ってきてくれたら・・という言葉。親心だ。
寒い日だったが、空も夕焼けの美しい日だった。
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| 2002年02月14日(木) |
第51夜 アイスランド一周に出発しよう・・ |
7/13<木・晴れ> サルベーションアーミー泊
何しろここサルベーション・アーミーも2泊のみ。3泊目は満員だと断られた。14日にはスタートしないとまた宿探しが待っている。 そんなわけで 昨夜、美しく明るい夜空を見ながら「予定」をたてた。今日は実行あるのみだ。
今日の予定 ☆ツーリストインフォで、YHの予約を入れてもらう。 有料だが仕方がない。<レイキャビクYHは、結局忙しくてやってくれなかった>ここサルベーションでも、予約なしで夕方に来たお客はみんな満員だと断られていた。 いつも行き当たりばったりの私だが、どうも危ない。野宿してもいい感じの治安のよさだが、寒さを考えるとちょっと、だ。私もそんなに若くないもんね。
☆長距離バスターミナル<BSI>に行って「アイスランド一周バスパスポート」を手に入れる。
☆行きたいところを検討して予定を立てたら、どうやら一ヶ月はいらないようなので、出国を早める。 オランダ、アムステルダム行きの飛行機のチケットをもっと早いものに変更できるかをアイスランドエアで訊く。
ツーリストインフォはホテル探しの旅行者が現れない朝のうちが空いている。 旅の予定メモを見せて「私は英語が話せないからYHや、ゲストハウスに予約を入れてほしいの」と頼んだ。 「今しゃべっているじゃない。自分で電話した方がいいわよ、情報はあげるから。ここを通して頼むとお金がかかるけど」
昨日の女の子たちもそうだが、アイスランド人の経済観念はなかなかとみた。 「今はあなたの顔を見て話しているからいいけど、電話は自信がないの。お金のことならOKよ。一人旅だし、ベッドがなくてアウトドアスリーピングはしたくないから」 彼女は了解してアイスランド一回りの宿探しを手伝ってくれた。
1つ紹介ごとに400クローネは、北欧のどの国よりも高い。しかし「安全料」だと思えばである。どうしてもとれなかったのは、ヴァトナ氷河<Vatnajokull>の直下にあるスカフタフェル<Skaftafell>と、北アイスランドのミーバートン<Myvatn>湖畔である。どちらもアイスランドでは、チョー有名観光地だ。
「今アークレイリ<Akureyri>から、ファルマヒルズ<Varmahlio>の間がストライキで不通なの。アークレイリから先は、今、予約しない方がいい」 「ストライキ!」 「そうよ、知らない?」 「知っているけど・・・」 アイスランドの観光シーズンは6・7・8月である。それなのにどうして「ストライキ」なのさ。労働者が権利を主張するのは全然かまわんが、その辺がわからん。 「ストライキが早く解決すればあなたはアイスランドを一回りできるわ」 OK、神様にお願いする、といったら彼女もそれがいいわとニヤリ。てなわけで北部アイスランドのアークレイリまでのYHの予約はGET。しめて1200クローネだ。
アイスランド・エアは、バスセンターから112番バスで行って、クリングラン<Krinnglan>ショッピングセンターの中にあるとインフォのオネエさんは教えてくれた。 このショッピイングセンターはでかいし、おしゃれなお店もある。まあアイスランドの人口の半分以上が首都の近辺に集まっているというから、こういうものもアリなのだろう。しかしせっかく行ったのに変更はだめだった。 ディスカウントチケットだからというのだが、それでも九州を正規料金で往復するくらいの金額を払ったのに・・・なんてこったい。
最後はBSIバスターミナルでバス一周チケット購入だ。やっぱりストライキのことを知っていても買うのか、と聞かれた。 「おうさ!」である。これですべて完了だ、やれやれ。 帰ろうとしたら日本人らしき女性三人に出会った。 めずらしい。
{日本人女性三人と話す} どちらからですか。 親子三人で旅なんです。予定は10日。母は、日本、千葉からなんです が、姉はアメリカから、妹はイギリスから。 失礼ですが、お父さんは? 日本です こちらへ直行ですか。 ロンドンから。安かったんです、チケットが。 空港近くのブルーラグーンのホテルにいたんですが、こんな寂しいとこ に何日もいたくないということで、レイキャビク早めに来たんです。
>>>>>>>>2月14日 本日のできごと >>>>>>>>>
まじめに仕事。本の最終校正と、うしろにつけた情報の電話の確認とチェック。 一回だけコピーで外に出る。風はつめたいがいい天気。しばらくはどこにも行かない。とは決めているものの、やっぱり旅の空が好きな自分を再確認。 親戚のマミちゃんにお祝いにもらった百合が芳香を放っている。
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| 2002年02月13日(水) |
第50夜 バス代、要らないの? レイキャビク市内にて |
7/12<水 雨のち曇り 夕方晴れ ゲストハウスサルーベーションアーミー泊 朝の込んでいない時を見計らってレセプションにいた女性に「私はこの国に約一ヶ月滞在するのだが、旅の宿や交通機関の情報がない。どうしたらいいのか」と訊いたら「あなたの予定を聞かせて。そうしたら、YHの予約をしよう」
問題は、ここを今日は追い出されることだ。そのことを話したら「たいていキャンセルが出るから、大丈夫。あなたはここにいられる」と笑った。 オーシ、だ。 外は相変わらずの雨。仕方ないので、お便り書きだ。 日本まで、エアメール75クローネ。これは他の北欧諸国に比べても高い。
昼近くなって天気は回復してきた。レイキャビク市内へ繰り出すことにした。めでたくキャンセルが出て今晩のベッドが配分されるまで荷物はロッカールームに預ける。 YH前のバス停で待つこと約十五分、SVR�癸気�来た。 「昨夜この国に着いた、コインがない、回数券がほしい」 こう、バスのドライバーに話すと「OK。オレも今回数券を持っていない、お釣りもない、いいから乗れ、今回は無料だ」
ええ・・・思わず「フリー?リアリ?」と聞き返してしまった。 「ヤー!」と軽い運転手。 結局市内まで150クローネはお言葉に甘えさせていただきましたわい。 アイスランドの印象はこれでぐんとよくなったというのは現金か(^_^) バスは、プールの前、住宅地らしいところを抜けて市内にはいった。 かわいらしい家が続く。都市というより 「町」という言葉が似合う。 バスセンターでおりるときにドライバーは「あそこで回数券を買えるよ」と待合室の売店を指した。 その後、歩いて数分のツーリストインフォにいって「アチャー!」だった。「両替所」があったのだ。閉店は夕方7時、ということは・・・昨日はここへ直行すればよかったのだ。 地図を見れば、空港から歩いたっていいくらいの感じ。いやはや、だ。
無料ガイドBOOK「AROUND ICELAND2000」の英語版があった。<YHにはドイツ語版しかなかった>それとYHのリストをGETして、そのほか役立そうなパンフレットを集める。日本にはないアイスランドの情報がうじゃうじゃある。
真ん中のカウンターには、若い女性の係員が何人もいて観光客の質問や、ツアー、宿の申し込みに答えていた。眺めていると、なかなかに親切だ。 いざとなったらここで相談に乗ってもらってもいいが、し・か・し、彼女たちのあまりにすばらしい英語にめげてしまいそうだ。 ここに来るまで、フィンランド、ノルウエイ−、フェローと旅したが、どこでもみんな英語をコミュニケーションツールとしてうまく使いこなしていた。アイスランドもまたしかり。日本人ももっとやらにゃやな、なんてどっかの国のソーリダイジンみたいな・・・。
ツーリストインフォを出て、坂道をあがる。何という通りか知らないが、アイスランド航空で手に入れた日本語のガイド「アイスランド・ナウ」によればこの辺がレイキャビクの銀座らしい。というにしては素朴だ。
にぎやかなスーパーの前に小学5,6年くらいのかわいい顔した女の子が二人フリーマーケットをしていた。 箱の上に指輪、香りろうそく、ネックレス、ビデオなどを並べている。毎日小学生新聞に世界の子どもの様子を寄稿する私としては黙って行き過ぎることはできない。早速近づいて「夏休みでしょ、どうしてお店しているの」と訊いてみた。 「私たち、お金がほしいの」 私といい勝負のたどたどしい英語で、決まっているじゃないのという答えが返ってくる。 なるほど。ためしに「これはいくら?」と香りろうそくの値段を聞いてみた。 「ワンハンドレット・フィフテイ・クローネ!」 これは、いままでのたどたどしさからうって変わったお見事な英語。お金の力はすごい。
町中で一番目だつ建物、白い巨大なパイプオルガンのような「ハルトグリムスキルキャ教会」と、市民の憩いの場「チョルトニン<Tjornin>湖」を回ってYHに帰った。 しかし、な、なんと「キャンセル」はなかった。 ということで私は夕七時をすぎてYHの受付の子が見つけてくれた町の中心にあるゲストハウス「サルベーション・アーミー」へ荷物をズリズリひっぱって移動することになった。 夕方になると、レイキャビク市内の宿はどこも満員御礼だ。空室があったのがラッキーらしいが、高 いんだよな。
夜中、天気は完全に回復した。明るい深夜、近くのライブハウスから、ロックの大音量がいつまでも響いていた。 それを聞きながら晴れ渡った空を見ていると、私までうきうきだ。夜のない日々、晴れると夏、降ると冬 の北欧エリアに突入して1ヶ月。 北の人々がお日様と晴れをこよなく求める気分が少しわかるようになった。
>>>2月13日 本日のできごと >>>>>>>>>
なんか仕事に身が入らない。 本屋に行ったり、買い物をしたり・・。 で、一日が終わってしまった。 ヨーカ堂のバーゲンで、カシミアのセーターを2枚買った。二枚あわせても一枚のお値段、お得ではあるが、これ衝動買いだよね。反省。
キムチと、ケーキ、甘栗が異様に食べたくて、まったくおかしな組み合わせだが、本能のままに欲求を満たした。私にはワカラン我が体の事情があるんだろう。
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| 2002年02月12日(火) |
第49夜 2000年夏、アイスランドって知っている? |
ハーイ、今日から、2000年夏に訪れて1ヶ月近く滞在したアイスランド旅日記をお送りします。
<ここで唐突に、アイスランド講座>
*位置 イギリスの北東を地図で探す、そうするとデブな恐竜が吠えているよう な形の島があるはず、そこです。 一応ヨーロッパ。しかし、オランダのスキポール空港まで飛行機で3時間あまり。ヨーロッパで3時間の移動って、実はアフリカにも行けるくらいの距離。遠い国です。
*人口や首都 人口 国民総人口約27万人 首都 レイキャビク
*産業 漁業・牧畜業<羊や牛・アイスランデック馬> *自然 火山と温泉の国 *その他 物価が異様に高い。バイキングがつくった国。 アイスランド語は、古代北欧語で、いまだにバイキング語がここに残っているというわけ。 ひとり旅用日本語ガイドはない。アイスランド航空が出している観光案内的ガイドがあるっきり。あとは英語のロンリープラネットがある。
★ ☆ ☆ ★ ☆ ★
アイスランド旅日記
第一STAGE ツーリストインフォメーショーンで一人で歩くために必要な情報の収集 行きたいところややりたいことを決めてだいたいの予定を決める 移動手段と宿などの予約 7/11<火曜 雨> レイキャビク着 レイキャビクYH泊
デンマーク領フェロー諸島から、飛行機で約一時間二十分。アイスランドの首都レイキャビク<Reykjavik>のシティエアポートに着いた。二十人ほどの乗客のうち、パスポートの提示を求められたのは、ドイツ人らしきひげのおっさんとわたしだ。彼は、すんなり入国のはんこをもらっていた。しかしわたしは、日本人が一人でフェローなんぞから来たので珍しかったのか「泊まるとこは?」とか、「目的は?」「どのくらいいるのか」と荷物受け取りカウンターの脇で、立ち話風に聞かれた。
無事に入国させてもらったものの困った。両替所がない。ATMはあるのだが、使えるのはヴィザのみ。 わたしの持っているパルス印のついた東京三菱のバンクカードは使えない。人口約28万人の国の国内便発着空港、ちっこいのはわかる。 が、銀行くらいはあると思っていたのだが。ツーリスト・インフォもない。ホンマ情報がないというのはこれだから困りますねん。仕方なく、チェックインカウンターにいたおネエさんに聞いたら「もうバンクはしまっている」 という返事。
エーと絶句したら「ちょっと待って」と他の人のところまでいって現在開いていて両替可能な銀行を聞いてくれた。それを紙に書いて「タクシーで行け」の指示。
外に出ると雨。寒い。我がふるさと新潟の初冬の空気だ。七月というのが信じられない。紙を見せたら、腕に錨の入れ墨をしたマッチョなタクシードライバー氏は、うなずいてばんばん走る。 外の景色はすぐに「郊外」的になる。なんか変だぞ。 こんなとこにホントに「両替」できる銀行があるのか・・・おそるおそる「わたしは、今のこの国に着いたばかりだ、お金を替えたいのだが、ホントに両替のできる銀行へ行くのか」と運転手に話しかけた。 「?・・・両替?・・・」彼はそういうと、会社に携帯電話でなにやら連絡を入れた。そして方向を変えて走り出した。 戻っている。 メーターは、またまたどんどんあがる。フー。 「あんた、たくさんお金払わんとならんね」と、マッチョドライバーはメーターを顎でしゃくってニヤリとした。ったく、あんたの勝手な思いこみのせいだろ。
何とか両替を済ませて、今夜の宿「レイキャビクYH<ユースホステル>」についたのは六時近かった。物価の高いこの国では、高級ホテルやゲストハウスに泊まっていたら財布はどんどん軽くなる。
YHが一番お得な宿だ。そんなわけでユースはぐちゃごみ。2Fの8人部屋、二段ベッドの上しか空いていない。ここだって明日は、ふさがる。五日前にフェローから予約を入れたら一日目はOKだが、二日目、三日目は、ウェーティグリストにはいっているという返事だった。明日からどないなるんじゃろ・・・・
それにしても今わたしはずっと来たかったアイスランドの点になっている、のだ、確かに。ここからどう歩くのかは私次第なのだ。 でもかの「地球の歩き方」がないって、こんなにも心細いもんなのね。もう「地球の迷い方」なんて悪口いうのやめよう。
で、YHのラウンジでレイキャビクの地図を手に入れて眺めていたら「日本人ですか」と声をかけられた。 「僕この町で働いているんですけどね、時々日本人を探しにここへ来るんですよ、でもなかなか会えません」 彼は、某新興宗教の信者で、勧誘もかねて声をかけたらしい。 「明日はここも追い出されるかもしれないので途方に暮れている」といったら「いよいよ困ったら」と電話番号を教えてくれた。 歩いて五、六分のところにスーパーマーケットがあるらしいが、雨の中、出たくない。手持ちのノルウェー産のラーメンで夕食を済ませた。キッチンの装備はいい。 夜中、といっても「白夜」なので明るい。<北極圏ほど真っ昼間状態ではないが>八つのベッドの住人がすべて帰ってきた。 若そうな子が多い。みんな洋服を脱いで、ほとんどすっぽんぽん状態で寝袋にもぐり込んでいる。ふーん・・・やっぱり若い子じゃのう。知らないもの同士だが、「お休みなさい」の挨拶が交わされて電気が消えた。
★☆★☆★
追記 アイスランドのインターナショナルな空港はケフラビックだ。 私がついたシティエアポートは、国内空港。市内から近い。 あとでわかったことでが、荷物を引きずって20分ほど歩いて、街中心のツーリストインフォまでいったら、両替も簡単にできたのだ。 日本円にして数千円、無駄にタクシー代として払わなくてよかったのだ・トホ。
>>>>> 2月12日 本日のできごと >>>>>>>>
いい天気。手紙の処理。仕事の電話が何本か、かかる。明日掲載のクジラウオッチの校正など。 家族にバレンタインを送る。 夕方、先月にいただいた賞の表彰式なので出る。川崎のママと共に。式のあと、懇親会でのワイン、フランス料理が美味しかった。 ハッピーな夜でした。
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| 2002年02月11日(月) |
第48夜 ★ リアルタイム日記 お遍路を振り返る ★ |
2月11日 お四国を振り返って ★ 道しるべがよくなった。地元の人がつけて下さっているものが増えたので、初めての人でもそう迷わない、と思う。しかし、あまりシルシが充実すると、お遍路が地元の人に道を訊いてそこで、触れあうという歩きの醍醐味が少なくなるような・・・・。むずかしいもんだ。
★ お寺のトイレがきれいになった。水洗で、紙も備え付けているところが多くなった。 お遍路の荷物に芯をぬいたトイレットペーパーを入れなくてもいい日も近い。 また、焼山寺の下、鍋岩の公衆トイレ。玉ガ峠越えの林道のトイレどっちも新し くてきれい。
★ 新しい道、橋がいろいろとできていた。特に15番国分寺から、16番観音寺までの道は新しい。訊いたところでは、徳島の環状線になるんだという。
★ offシーズンなのに、歩いている人が異様に多い。特に若者が目立った。
★ 天気に恵まれた。Tシャツ下着、カシミアのセーター、白衣、白い雨具兼用のウインドブレーカー上下、で、必ず暑くなり、午前中にウインドブレカーの上を脱ぎ、午後にはセーターをぬいだ。 足は、レッグウオーマーで冷たい風が足下からはいるのを防いだのだが、これはよかった。手袋は昼からは不要だった。 寒さが心配で朝、お腹辺にホッカイロを貼り付けたのだが、昼からは暑くて困った。 ★ 今回は初めて車お接待をいただいたのだが、あまり楽をすると、私のような怠け者はダメだと思った。歩くのがばからしくなる・・・。修行がたりん。でも、遍路石ニイさんに出会えたのはお接待を受けたおかげだし、次回も自然な流れに逆らわずに、ありがたくお受けしよう、とは思う。。
★ 今回のテーマはゆっくり歩く、お寺にできるだけ長くいる、今まで見なかったものを見る、と決めていたのだが、それができた。弁慶の力石・切幡寺の両面観音さん・焼 山寺の奥の院の在処・お京さんの黒髪堂等々、見ました。知ってはいたけど、みてなかったもの、見ました。一日20キロから30キロの間で歩くのはいい感じ。
★ 年のせいと、右足の側副靱帯は半分切れているせいだろう。上りがきつかった。少し意識してふだんの生活でも登り訓練をせんといかんなあ。
★ 柳水庵のおばあちゃん、大鶴のおばあちゃん。二人はさしずめ遍路道のスーパーグランママ。こんな風に年取りたいの見本。
★ kさんとの歩きはおかげさまでした。感謝。
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朝8時半起き。久しぶりに寝坊した。 手紙や留守電、FAXやメールの処理、洗濯などをして、遍路中ずっとうるさかった った髪を切りに美容院、食料の買い出し、をしていたら夕方だった。 足は痛い。 kさんから、昼近くにお電話をいただく。
| 2002年02月10日(日) |
第47夜 ★ リアルタイム お遍路日記 ★ |
2月10日 <曇りのち風花 晴れ> 歩行距離 14キロ
6時半、温かい朝食をいただいて、スーパーおばあちゃんがつくって下さった焼きおにぎり3個や大きなあめ玉をお接待でいただく。 7時10分、出ようとしたら、今度は若奥さんが美味しいお芋をチンして持たせて下さった。玄関で、お二人しておくって下さる。ふりかえると、寒い中、まだ2人して立っておられた。角を曲がるまで、つまりわたしたちの姿が見えなくなるまで見送って下さった。こちらの宿のお遍路さんへの手厚いもてなしはきいてはいたが、なるほどであった。 名古屋のお遍路仲間であるM氏の「大鶴のばあさんはお大師信仰のかたまりだあ」というにこにこ顔が思い出される。でも、M氏は大鶴のスーパーおばあさんが大好きらしくて2回とも泊まっている。 歩き遍路さんには「般若心経布団」をかけて下さるときいていたが、今回はそのお布団が長期の滞在者の荷物がっている押入れで、開けることができなくて残念であった。 そういえば昨夜、95年にまわったおりにあちこちで一緒になった、千葉は袖ヶ浦のhさん姉妹の噂を聞いた。あの時はお母様も一緒だったが、今は姉妹二人で春になるとまわっていらっしゃるとか。もう7年目だという。つまり、彼女たちも「お大師病」にかかっているということなんだ、ね。何だかなつかしい。 今日は昨日の快晴とうって変わった曇り空。今にも降ってきそうである。冷え方からいって、降るんだったら雪だろうとkさんと歩きながら話す。 「いよいよ寒修行になりそうですね」 といったら、そうだねえとkさん。 町中は連休の静けさが漂う。自転車で通り過ぎる人はみなマスクや耳あてをしている。 18番恩山寺までは、県道か国道の平坦道。楽ではあるが、退屈な道だ。大鶴さんでも話したのだが、いくらのらくら歩いても、昼前にはつく。昼には19番立江寺まで。そこで、今回は打ち止めだ。夕方7時の飛行機までかなり時間があるが、ここで止めておくと次回、始めるのに何かと便利だ。 歩きながら二人の話題はなぜか夏遍路。 「お父さんがやりたがっていたから、私も行きたいんだよね」 とkさん。 kさんのご主人は、1996年7月の暑い盛りにひとりで出られて焼山越えあたりで足を痛められて戻られたのだった。 「いいですけどねえ、私は夏にはまけるなあ、高知あたりを歩いたときは尋常の暑さではりませんでしたよ、ウーン・・・・」 体中がアセモだらけになった夏遍路、日中は日陰で昼寝した夏遍路、いいけどねえ、あたしは冬遍路の方が好きだなあ。 とにかく次回は、防寒着が要らなくなったら出ましょう、ということになった。今年は、春には父母を連れて午年ご開帳の秩父参りに行くつもりだし、巡礼年となりそうだ。
今までは、kさんも私も国道に出ていたのだが、県道を行ってみることにした。 冷田橋あたりで、コインランドリー発見。野宿の人の洗濯に便利そうだ。 しかし、県道ルート、歩道がない。それがこわい。安全性からいって、やはり恩山寺まではうるさくても国道がいいように思う。 途中で、自転車に乗って前から来られた女性が「お遍路さんにおうたらあげよう、思うていたんよ」とkさんと私にそれぞれ500円玉をお接待下さった。 南無大師遍照金剛を3回しっかりとお唱えしてご健康をお祈りしますと、お礼の言葉と共に申し上げた。
ついに山が白くなり、雪が舞ってきた。 kさんとひどくならないうちに「保険」をかけましょう、とザックにカバーをつける。体はすでに防寒具兼雨具で固めているし。 やがて国道合流。もうすこしだ。 それにしても国道はうるさい。以前は野原状態だったところに老人ホームなどがドデンとできていて景色も少し変わっていた。 遍路ジルシの指示で、右に入り10時過ぎに恩山寺着。 山門前のビランジュの大木はお元気さんだったが、坂の上に大きな「修行大師像」ができていた。見上げるとまだお顔に白い布の覆面状態「開眼式」がすんでいないらしい。 大きな威風堂々とした大師像だが、本来の遍路道?に背中を向けているのは気になる。車お遍路が登ってくる方をむいておられるのだ。 どっちにも平等な建立のしかたがなかったのかしら。 数の少ない歩きお遍路より、車お遍路が・・・ってことは、まさか、ないよね。
恩山寺はお遍路さんでにぎわっていた。 境内のベンチにいた若者遍路と話す。 鶴林寺のふもと、金子屋さんに断られたのでもう一軒の宿に行くという。 「あなただったら、21番の麓まで行けるんじやない?」 「いあや、初めから無理したくないし」 オオ堅実。まじめそうな男の子である。 「そうや、無理じゃろ、やめといた方がいい」 となりにいたおっちゃんが言う。 「でも、若い子は馬力あるしねえ」 「わし、この前歩いた、きついで、無理せんとき」 きけば、このおじさん、近くの人。春先に歩こうと思って練習をしてるという。自信がない、室戸までの道は長いやろ、という。 「2泊3日あれば行きます、四国の人はどのくらい遠いかわかるから初めから挫折しているけど、遠くから来るモンは実感がもう一つないし、行けるみたい、大丈夫、歩けばつくから」 そうか、とおじさんはうなずく。 ここで、あと二人、男の子のお遍路に出会った。
お参りをすませて、境内に出ていたお菓子屋さんのお接待のお饅頭とお茶をいただく。ものすごくおいしい饅頭だった。餡はあさりとしたさらしこしあん、皮にはヤマノイモをすり込んだ「ジョウヨマンジュウ」という上品なヤツだ。 なさっているのは、若ご夫婦とおばあちゃん、二人の小さなお孫さんもいる。 「今日が初めてのお接待なんですよ」 とにこやかにおっしゃる。 お礼と共に、ご宝号を唱えて商売繁盛をご祈念する。
立江寺まで4キロ近く。これもまた、ヘイタン道。 恩山寺から立江寺への道しるべに中司茂兵衛の遍路石があった。新居浜の遍路石探しのおにいさん、これは見つけただろうか。 「探すのに苦労するンは、庭先や屋敷の中に移されてしもうたやつなんや」 といっていたし、これは彼の目に触れただろう、とkさんと話す。 お京塚の手前で「22番平等寺までお迎えにあがります 民宿みゆき荘 0884− 34−2144」という手作り看板を見つけた。 22番近辺は宿がなくて困るところだ。 でも、もしかして、これ、私が95年に泊めてもらった宿?ではないか。22番から、確か2時間歩いた。途中で腹が立ってきたもんだ。お迎えがあるんだったら、いいかも、だ。あのときは、確か鶴林寺のご住職さんが教えて下さったンだっけかな。 空は晴れ上がってきた。 風や空気は寒いが、もう雪や雨の心配はない。
12時過ぎに立江寺着。 行き違いで、恩山寺さんであった若者クンにであう。杖で方向を示して、こっちでいいのかときくから、いいよと返事をした。 しばらくしてなぜか彼、戻ってくる。 「どうしたん?」 「納経、忘れた」 っは?? なんと、彼、お参りはしたものの、寺務所に行かないできたらしい。 かわゆい、おドジなヤツじゃ。 「アンタ いくつ」 「高校終わったとこ」 「若い、もっと上にみえるね」 「いわんとってな」 「何でお遍路しているん」 「ワカラン、お母ちゃんに行って来い、いわれんや」 ワカラン、には笑ったが彼は兵庫の子。働きに出る前にと、お母ちゃんが郵便通帳にお金を入れてくれたらしい。 「じゃ、お母ちゃんには毎日電話しているんだ、スポンサーだし」 大きくうなずく。なりは大きいし、老けた顔をしているがこの辺は幼い。 「いいおカアさんだねえ、ホント若いときにお遍路したら財産になるよ、がんばるんだよ」 彼、大きくうなずいて出発していった。
立江寺の本堂前には日溜まりができていた。 ここも休みとあってお遍路さんでにぎわっていた。 お遍路でお寺がにぎわうというのは、まあ平和ということ。昨今の不景気、あやしい事件はいろいろとあるが、とりあえずは戦争ではないということに、ありがたく感謝すべきことだろう。 以前、戦争の時はお遍路さんがまったくおらんようになった、と32番さんできいたことがある。 お寺の寺務所で納経をしたら、歩いているですか、今日は金子屋さんは休み・・といわれた。いいえ、ここでうち止めて帰ります、バス停はどこになりますか、時間は?ときいたら、JRの方がいい、1時半のに乗れるしという。いいです、2時過ぎくらいにあるバスに乗ります、できるだけ長く境内にいたいんです、こちらでおにぎりをいただいてから、2時のに乗りますから正確な時間を・・というも、長くいたい・・がよく理解してもらえなかったらしい。とにかく教えてもらってヤレヤレ、と本堂前の日溜まりで大鶴さんでいただいたおにぎりを開く。 そばには、あとから到着した2人の若者遍路。 「私ちのおにぎり1つあげようか、3つあるけど2個は自分で食べる、1ヶだけあげる、食べる?」 2人、大きくうなずく。 食べながら話す。 22歳の子はなんと新潟から。おじいさんが真言宗のお坊さんで最近なくなったから、供養をしたいんだという。彼は、かなりうまくお経を読んでいたが、そういうことだったんだ。最後に「先祖供養」といっていたから、こんなに若いのに、と思っていたのだがそういうことだったんだ。就職の前に来たのだという。 もう一人は千葉柏の子。大学生だという。 「どうしてお遍路に」というと「何となく」という。彼は杖はもってるが白衣は着ていない。 二人は、歩き用の地図をもっていないし、善根宿などを教えて、お接待でいただいたアメやお菓子を上げた。 「2人ともまじめそうな子だよねえ」 kさんの一言。 賛成である。
二人を見送り、お遍路着をぬいで杖を洗い、お杖袋に納めて、バスに乗った。 小松島のバスセンター近くに「金長タヌキ郵便局」とういのがあって笑った。 徳島駅ビルでインド料理専門店をみつけて入る。kさんとビールで乾杯。お遍路着を来ているときは我慢、と決めているが。極楽だった。 ビールを飲みながら、携帯とシグマリオンをつないでメールチェック。青年Aに出したメールがリターン。なんでだ? 返信で出したのにはじかれている・・・。 困ったね。あちらから情報SOSメールが来ても返信できんないじゃん。
ほぼ満席のJAS、19時05分発。 羽田でkさんに共に歩いて下さったお礼をいってお別れして、9時半過ぎに帰宅。 無事をお大師さんに感謝。 出費 宿代 5000円 納経代 600円 バス2回 430円×2 食事1630円 おみやげ 2300円+1102円 バス1100円
| 2002年02月09日(土) |
第46夜 ★ リアルタイムお遍路日記 ★ |
2月9日<土曜 晴れ 風強し> 歩行距離 28キロ内 車お接待12キロ
夕べは車がうるさくて時々目が覚めた。それでも疲れでまた寝つくのだが。6時半朝食。朝からサンマの焼き物や厚焼き卵などのごちそうが並ぶ。どちらもうまい。夕食の時「お遍路さんやし、魚にしたわ、肉はよけた」といわれたが、朝食もそうらしい。
食べ始めたら、大将<昨日はおっさんで登場>が「迎えがきとるで」。思わず、はあ?? 「昨日、送ってきてくれたにいちゃんが、またきとる、あんたらを童学寺まで送っていくいうとるで」 「エー、私たち、なにも頼んでいませんよ」 「そんでも、まっとる」 ありがたいことというか、びっくりというか。 食事を終わって、kさんのエネルギー源であるコーヒーを頼む。久しぶりに本格コーヒーを楽しんだ。 私たちが食べて飲む間、大将は「ゴルフ客を当て込んで作ったペンションだけどバブルがはじけて、瀬戸大橋ができて当てがはずれた」などといろいろと話していた。「お四国さん」にはサービスをするし、ほかの客よりやすくするから来てほしい、らしい。 宿代を払い、支度を終えて外に出たのは、7寺すぎ、遍路石リサーチャーのニイさんは外で待っていてくれた。 外の空気は昨日よりずっと暖かい。最高気温は昨日より低いらしいが、朝の冷え込みは和らいだ。 「童学寺まで送りますよ」 ありがとうございます。 お言葉に甘えることにした。 走ること5分あまり、あっという間に別格霊場2番童学寺に到着。
「この辺な、狭い地域にものすごいお寺や神社が多いんじゃ、どないなっとんやろと思うで」 茂兵衛さんの遍路石探しにこの辺もすでにいろいろ踏査したようだ。 童学寺の寺内で毎朝お参りに来ている方にお会いした。 お寺の境内には隠れキリシタン灯籠や、見事な藤棚があった。でも、別格はお参りの人が少ないのと朝早いので、落ち着いた雰囲気が漂っている。 一頭の白い犬が、ついてまわる。納経所の人が「団体のお遍路さんが来ると、えさをくれよるからな、またもらえると思うとるんじゃろ」 私たちがお参りする間、遍路石のにいさんは、せかしもせずに待っていてくれた。 次は13番大日寺へ。 「恩山寺まで行くし、乗せていこうか」 といってくれたが「ありがとうございます、でも大日寺からは歩かせてください、徳島市内の大鶴旅館を取っているし、そこまで歩きます、あんまり楽したらいかんと思うし」 またまたあっという間についてしまった。 にいさんにお礼のお札を差し上げて「これからはまわるときに遍路石に気をつける、もし見つけたら連絡をする」と約束して別れた。ありがとうさんでした。
「プチペンションやすらぎ」から、童学寺往復8キロ、さらに大日寺まで4キロと少し。半日仕事だと思っていたのに9時前についてしまった。車という文明の利器の便利さ、早さを改めて感じた。 でも、人間のできていない私には、この楽さが怖い。 「やっぱり、苦労してこその遍路道、私はまだ人間ができていないから楽になれると、どんどん乗りたくなる、楽したくなる、乗せてもらうのは難しいですね」 kさんもうなずいた。
大日寺、次の常楽寺、国分寺、観音寺、17番井戸寺7,8キロ。ゆっくりと歩いた。 へんろみち保存協力会の札が見えなくなっているのを手持ちのマジックで濃くしたり、道しるべの「南無大師遍照金剛」と書いた布きれをわかりにくいところに結んだり、と、いろいろと道草をしつつなので時間がかかる。 これをできるのも、車お接待を遍路石ニイさんからいただいたおかげと感謝した。 途中、常楽寺で、腰の曲がった小柄なおばあちゃんと一緒になって、そのおばあちゃんも歩いて16番観音寺さんまでいくという。後になり先になりして進む。
国分寺から観音寺までの道、新しい道路ができていた。 観音寺は工事中。 またお遍路石兄さんに再会。彼が、いろいろと情報をくれた。柳水庵で一緒だった青年Aは10時半頃には井戸寺を出ていったらしい。おお、迷わずに旅しているようだ。千葉からの65歳女性は旅館の人に大日寺まで車で送ってもらって乗り物で動いているようだ。あしをいためたのでは。。。。私たちと別れてから彼は二人と会ったらしい。
納経所の窓口にいくと、受付に出てきた女性が「窓口のガラスどんどんたたいて壊す人もおるしなあ、お遍路さんもいろいろじゃ」という感じで話し出して「さっきはびっくりしたで、納経料をごまかそうするんじゃ、観光バスのガイドしよる女の人じゃけどなあ、あんなんは初めてやわ」 大型バスなので納経帳がたくさんある。出されるままに書いて後からお金をもらう。その女性ガイドさんは、うけとった納経帳はどんどんしまってしまって袋のふたを閉めて、かたずけて、最後に一冊だして、納経所のおばさんが書くと、じゃこれの分です、と300円だけを渡していなくなろうとした、まだほかの分もらってない、というと謝りもせずに、しれっと黙ってお金を出した・・・。 つまりトリックプレーというわけ、あたかも前の大量のものはお金は先に払ったように見せて「これの分です」と一冊分だけ出しておしまいにしようとしたわけであります、子供だましみたいなトリックだが、ひっかる納経所もありそうな、、、気がする。
昼食、観音寺近くの神社境内にて。残っていたパンやミカンを食べたら荷が軽くなった。日溜まりは春先のようにあったか。風が吹かなかったら4月といっていい感じ。
観音寺で聞いた団体バスらしいのには、次の井戸寺で会った。「たぶん、あの人だねよねえ」 私とkさんは、その愛媛のお遍路バス会社のガイドの女性を眺めてしまった。 「罰、あたりだよね」 「お金をもうけたり、人をだましてももうけたいってんだったら、お遍路バスのガイドなんてしないで別の仕事がありそうなもんなのにね」
観音寺で帰るといっていたおばあさんとまた井戸寺で会った。 「また一緒だね、ご縁じゃったね」 「おばあちゃん、観音寺で帰るといっていませんでしたか」 「そうやけんど、常楽寺でお大師さんに無事に歩かせてください、とお願いしたしな、お礼わんとならんし、井戸寺までき てしまったわ」 おばあちゃんは、自宅に近い井戸寺のお大師さんにお礼参りに歩いてきたらしい。 バスの時間まで待つというおばあちゃんに、待つ合間になめてと、あめと小さなおかきの袋をお接待した。柳水庵でいただいたお接待袋に入っていたものだ。
徳島市内への道をてくてく歩く、国道沿いのつまらない道だ。しかしこの8キロを歩かないと旅館に着かない。風が強いので笠があおられて歩きにくいが、仕方ない。 途中、100円のお接待と、お茶のカンのお接待をいただく。 4時半大鶴旅館着。 おばあちゃんが、お杖を洗ってくださる。
夕食の時にkさんが自己紹介をするとあのkさん、、、、事故で亡くなったと聞いたときはホントにびっくりしたというかショックやったと奥さん共々におっしゃる。 kさんのご主人の「旅日記」を前に思い出話になった。 kさん、ご主人に供酒。私が供えたいっぱいをいただく。 おばあちゃん85歳。頭も口も切れるスーパーおばあちゃん。この春は徳島一刻をバイクでお遍路なさる予定だとか。脱帽。 二匹の黒猫を愛情たっぷりにかわいがっておられた。
食後に1時間はおしゃべりした。 いい宿だ。
明日は18番と19番を打って帰る。
出費 宿、洗濯の乾燥機代、コーヒー 7500円 納経 1500円
| 2002年02月08日(金) |
第45夜 ★ リアルタイムお遍路日記 ★ |
2月8日<金 晴れ> 歩行距離 22.2キロ 4キロ車お接待
6時半近くに、朝食。すごいごちそうだ。7時すぎに、柳水庵のおいしいお水をペットボトルにいっぱい詰めて出発だ。次にくるときまで元気でいてくださいと、ご挨拶してお別れする。 前回から6年すぎているがあのときもそういっておわかれした。今回もそう。きっと大丈夫だろう。台所からものを運ぶのがきつくなったようでが、それくらいだ。変わったのは。
ちょうど山から昇った朝日が金色の光を放って美しい。 静かで清らかな山の朝だ。 「やほー、うれしい!!!」 お日様に向かって、大声で叫んでしまった。 青年Aは、13番大日寺の門前まで行くので一足早く出た。65歳の千葉からの女性は植村旅館さん泊まりなので、植村さんが荷物を取りに来てくれるとかで軽装。焼山越えの後半、荷物がないのは楽だろう。ほんの少し先に出たばかりなのに姿が見えない。
後半は杉林の中を抜ける道が多い。ゆるゆるとした登りだが、続くのできつい。途中で千葉女性に追いつく。一緒にミカンを食べながら、休む。昔は一気に登った道なのに、それができない。 年、ですね。 やがて、一本杉庵<浄連庵>だ。長戸庵と同じく全く山中の庵だ。 大きなお大師さんの像が出迎えてくださる。 「このごろ、当庵の主だという人が時々いるようだが当庵は、無住で、信者たちがまもっている云々」の張り紙があった。住み着いてくれる人がいるんならそれの方がいいんじゃないかと思うんだが、それは素人考え?か。
左右内<そうち>の村落に出て休んでると、梅の木の世話仕事のおじさんに会う。 年を聞くと74歳、おじさんではなくておじいさんだった。でも若くて、とても70代には見えなかった。 山中のきれいな空気、お日様を浴びた生活などがいいんだろうな。 「梅もなあ、中国のやすいのが入ってきたんで、もうだめやなあ」 遙か向こうの山に雪が見える。暖かい徳島、いつ降ったんだろう。 「昨日じゃろ」とはおじいさんの言葉。昔は1メートルも降ることがあったようだ。 畑際に小さなお墓がある。 「お年路さんの?」ときくと、いや昔のご先祖のんやな。 みると、文化年間だったりして、すごくふるいものだということがわかる。 土葬の時代だから、死んで土にかえって梅の木の栄養になっているというわけだ。いいねえ。
いよいよ、垢取川を越えて、焼山越えの最後の山場だ。途中の道でもおばあさんや梅の世話をしている人にあう。 3回目にして初めてこの村でこんなに人にあった。やはりあったかいせだろう。 「この先50分の登り」の道しるべが出ていよいよ道は急坂へ。 途中で、あつくて仕方なくなり着ていたセーターを脱ぐ。あがらない右足君をいたわりつつ、進んでは休み、杖にすがりでなんとか50分で焼山寺着。駐車場や、手すりが新しくなり焼山寺さん、ずいぶんと近代的になっていた。変わった。 でも、山中の澄み切った空気や山寺独特のりりしさは失われてはいない。 kさんと私がお参りし終わったところに千葉女性到着。よかった、よかった。 境内の日溜まりでゆっくりと休んで、おやつまで食べる。 焼山寺の奥の院に登りたいと思い聞くと、往復で一時間10分。境内から見える三角形の山と教えられる。時間を聞いて次回、と決めた。今日はこの後まだ16キロあまり、少し無理だ。
焼山寺からの下り、kさんの亡きご主人が足を痛められたところ。気をつけてゆっくりと降りる。実際、下りは登りより膝によくない。 衛門三郎の一本杉庵近くでミカンのお接待をいただく。 一本杉庵には衛門三郎とお大師さん邂逅場面の彫像までできていてkさんと「新しいねえ、初めてだね」と話す。 この付近は梅が名物。梅林中の道しるべなどがすごく充実している。ここに限らず道しるべはあちこちにあって地元の方手作りの立て札が多くなった。ありがたいことだ。これで初遍路の人が途方に暮れることはほとんどない。加えて逆打ちようの道しるべも多くなったのにもびっくりだ。
鍋岩のところにも新しい美しいトイレができた。休憩。12時50分、玉が峠越え道に進む。これが思ったよりも厳しくて、また一汗ものだった。初遍路の時はさして厳しい、と思わなかったのだが、これも年かねえ、むなしい。平地は強い私だが、kさんは登りになると俄然スタミナ発揮、強い。さすがにフルマラソンをご主人と走ったお人だ。
てくてくと下り道を1時間あまり。梅がふくいくと香る。空は青く。 「今回は車のお接待で乗りなさい、といわれたら素直にありがたく乗せていただくつもりでいるのにちっとも声がかからないね」 「歩くぞ、と思っておると声がかかるもんなのよ、きっと」 とkさん。 そうなのかねえ。
鮎喰川沿いに出て、私もう疲れた、、、ぶちぶちといっていたら、軽トラックが止まり「今日宿はどこや?」 とおっさん。 「プチペンションやすらぎ」
「わしとこや、もう8キロはあるで」 はい、しってますよん。よくよく聞くと、おっさんはペンションの主であった。 近くになんか荷物を運んで仕事に来たようだ。 「この荷台に乗せてほしいわ」 半分冗談、少し本気で言ったらおっさん「あるく人はこだわっておるしなあ、やたらに乗せられんわ、この前なんか、あんまりこんし車で迎えに行ったら、懐中電灯をつけてがんばります、歩いていきますいうんや、まいったわ」 そのお人は乗ってはくれたものの次の日また焼山寺まで車で戻って乗せてもらったところから歩いたらしい。そんなこともあって、おっさんは車に歩きの人はやたらに乗せられん、声はかけんときめているらしい。 私らは3回目だしこだわらん、といったら「はじめての人がこだわるわなあ、ごっつい」 そうでしょう、そうでしょう。私もそうでしたし、はい。 「そうや、にもつ、のせていってやるわ」 オー、それだけでもありがたい、ぐっと楽になる。 喜んでお願いしてまた歩き出す。背中が楽になっただけでも極楽だ。
後4キロ地点休んでいたら、焼山越えの山中で昨日会ったお兄さんが車で通りかかって再会。ペンションまで乗せていただく、初めての車尾接待を受けた。ありがたかった、一時間の道のりがあっという間だった。 お兄さんは新居浜のお人で中司茂兵衛いの遍路石のあり場所を調べているんだそうな。240もあってまだ60しか調べとらん、とんでもないことひきうけた、と嘆いていた。 私たちが駐車場で話していたら、おっさん到着。
お風呂、ご飯、と毎度おなじみのお遍路の定番。私は仕事のfaxが来て少し仕事。昨日はさすがに山の中、携帯の入りがよくなかったので日記のアップができなかった、で、宿についたとたんにした。
おっさん、食事をしている私たちを相手にこのごろのお遍路さん、お寺のこと、商売のことなどをいろいろと話す。 この主人、いい人だと思う。部屋は新しくてきれい。
今日は疲れた。日記をかかずに7寺から2時間眠った。ただいま22寺すぎ。これをアップして寝る。 明日が最後5泊目だ。
今日の出費 宿代 5000円 納経代 300円
| 2002年02月07日(木) |
第44夜 ★ リアルタイムお遍路日記 ★ |
2月7日<木 晴れ 風強し> 歩行距離 22,8キロ 焼山越え半分
今日も晴れている。7時、たみや旅館出発。たみやさんの奥さんは丁寧に見送ってくださった。いいお宿だった。自家製の干し柿の味も絶品だったし。 法輪寺近くの西條のおばあちゃんのところに寄りたいとkさんに頼む。99年に、60年間善根宿をなさっているということでお話をお聞きしに行ったおばあちゃんなのだ。87,8歳のはずだし、お元気かどうか心配だったのでたみやさんでお聞きしたら、お元気のようだ、ということだった。 聞いたり探したりしながら探し当てる。 「ごめんください、おはようございます」 出てきた奥さんに自己紹介をしたら、ああと思い出してくださった。 「うちのおばあさん、足を骨折して自由にうごけんのよ」 ご主人もお体がご不自由なので大変で、今は善根宿を休止いているとのことだった。 「あんたにあいとうて、1週間前からお大師さんいお願いしとったんよ、お大師さん願い聞いてくれたわ、よかったわ」 ほとんど涙目で喜んでくれた。私もうれしくて目はうるうるした。 おばあちゃんの足を指すって、お大師さんとお仏壇にお参りしてお茶をいただいて辞した。kさんも一緒にお参りしてくださった。 おばあちゃんは、縁側をあけて、不自由な体を起こして「私の分もお参りしてや」と送ってくださった。 奥さんは羊羹をお接待でくださった。
9番さん、境内の茶店がなくなってきれいになっていた。 きれいにはなっていたけど、さみししい。 きけばもう2年ほどにもなるとか。
10番への道にはいる。お遍路印が充実している。 地元の方がいろいろとつけてくださってるので迷うことがない。ありがたいことだ。日の光が弱い。晴れているが、冬の日だ。十番さんのたもとに着いたら、地元の女性が一緒に登ろうと寄ってこられた。 一緒に行くと、なんと昨日迷って疲れました、という20歳の若者の姿。 「どうしたの?」 ときいたら「あの、上まで行ったら、ないし、また戻ってきました」 「ない??お寺がないって」 うなずく青年。 この上だよ。333段の石段があるんだよ。 でも、わかんないいんです。途方に暮れた青年A。 9番でも一緒になったんだけど、10番はわかりやすい、迷わないから自分でいってごらん、といったらここまではきたということなんだわね。 ほんじや一緒に行くか。 石段の途中に水かけお地蔵さんがるのだが「僕、ここで引き返したんです」 「あんた、上まであがらないかんわ、ここは途中よ」地もとの元気なおばちゃんがあきれたようにいう。 「そうなんですか」 かなり結構変わっている青年Aだぞう。
10番さんの境内は梅が咲いてぬくかった。2月なのにいいんだろうか。 ここは南面した観音さんと北面した観音さんと2体おられる。今回、初めて裏の観音さんをお参りした。青年Aは、私たちおばさん組とともにいくことになった。私たちは早くないけどみちは間違わないと思うよ、ということで。 大型バスの団体お遍路さんと一緒になった。歩く人も多いが、団体でまわる人も目立つ。ホントにお遍路にoffシーズンがなくなりつつある。
八幡の町中のスーパーでお昼を買いに寄り、お茶をごちそうになった。 風が強くて体が疲れる。吉野川上の沈下橋で、とばされそうな恐怖を覚えた。でも、天気はいい。お日さまは出ている。
12時50分12番藤井寺着。 門前の藤ノ木が冬の気配を漂わせている。それ以外は日溜まりで小春日和。門前で昨日の宿で一緒だった北海道の兄さんと途中であったおじさんに出会った。 お参りをし、境内でご飯を食べる。途中でいただいたおみかん、きょうも拾ってしまった甘夏がデザート。うまかった。 青年Aに甘夏やふかし芋を分けた。 青年A,おばさんになついた。素直な、おぼこい子である。
いよいよ最後の難所、焼山越えで柳水庵までいく。 きつい。厳しい。右足があがらない。事故でダメージを受けた右足の筋肉のなさを改めて思い知った。 途中、何人かの人に山道で会う。やはり快晴のせいだろう。 長戸庵、きれいになっていた。子育て地蔵山のお顔が何ともいえずかわいくてよかった。 最後の難所を越えて、何とか4時半近く柳水庵着。 まあ予定どうりだ。 庵主さんご夫婦、変わらずお元気で、kさんと私が自己紹介をしたら、なんと思い出してくださった。もう80歳近いはずなのにすごい記憶力だ。 五右衛門風呂も懐かしい。何しろ暖まるし、お湯が優しい。薪で精魂こめてたいてくださるおかげだろう。 夕御飯もすごいごちそうだった。 青年Aと先についておられた千葉からの65歳の女性と私たち二人の4人でおいしくいただく。 煮物、揚げ物、酢の物2品、鮭の焼き物、わさびずけ、茶碗蒸し・・・・とにかくテーブルに並べきれないくらいのごちそう。それのどれもおいしい。 みんなきれいに平らげた。
食後、お話をする。 このごろはホントにあるくひとが増えたこと、いろいろな方がおいでること、キャンセルの電話をしないでキャンセルをする人がいることなどを話された。6年前と変わらず、穏やかで快活なお話ぶりだった。
青年Aは通しで歩くというので、野宿の場所やら、善根宿のお宅などの情報をあげた。
今日の出費 宿6000円 納経代 3寺 900円 昼食 630円 洗濯 150円
| 2002年02月06日(水) |
第43夜 ★ リアルタイムお遍路日記 ★ |
2月6日 <水曜 晴れ> 8番熊谷寺門前 たみや旅館泊 歩行距離 22キロ
6時半に朝食ををいただき、7時出発。朝、阿波のおじちゃんがいうには、たみやさんも柳水庵さんも昨夜遅くに電話しした人は満員で断られたそうな。私たちはほんの少し早く予約を入れただけなのにこの違い。ラッキーだったというべきか。
昨日と変わったいい天気。2番さんの納経所で「今日は14度まで上がるらしいよ」 カシミヤのセーターと白の防寒着を上下着込んで、おなかにホッカイロまで張ってしまった私どうすりゃいいのさ。 2番さんは、朝日があったって美しい。なにより、長命杉が厳然とそびえ立っていたのがうれしかった。72番さんの松が半分枯れた状態だったのをこの秋にみたばかりだったので。 あちこちで歩きの人を見る。このじきになのに、、、やっぱり変だよ。
3番さんの弁慶の力石、あること走ってはいたけど、恥ずかしながら場所のチャックができていなかった。今回初めてちんまりとあるところを知った、よかった。なんか、石の前にお賽銭なんかが散らばっていて、お賽銭に節操がない、、?みたいな感じがしてしまった私は罰当たりな奴?か。
温度はどんどんと上がってくるのが背中を流れる汗でわかる。 水をのみたいが持っていない。 「蜜柑、木から落ちてないかな、蜜柑が食べたいな」 さすがに四国、あちこちに蜜柑がなってるのだ。ハッサク、伊予カン、甘夏。木についているものを取ったら「十善戒」に反するが落ちているのを拾って食べるのはいいだろうということで。 そうしたら、同行のkさんが「落ちている、拾ってくるわよ」とあっという間に道ばたの畑の草むらから2個の伊予カンを持ってきた。 すぐに近くに座り込んで皮をむいた。まあ落ちていたものだし正直あまり期待していなかった。少しでものどの渇きがい やせれば、と思っていただけなのだが、なんとうまい、うまい。感動のみずみずしさと甘さ。「おいしいねえ」をkさんと連発しながらぺろりと食べてしまった。1個を半分にすればと思っていたのだが、2こあってよかったという感じ。野良に座り込んで、気持ちもいい風とお日様を浴びながら食べる伊予カン。極楽。 元気百倍。
初めてまわった95年と一番変わったのは、4番さんへの道、すごくよくなった。4番さんも納経所の位置が変わってきれいになった。 「ワシ、鳴門から自転車で走ってきたんじゃ、82歳じゃ」というじいさんと門前であった。宿では、88歳で歩くというじいさんにあったし、なんかその元気さと根性に脱帽だ。 4番では「今日来たんだけど、お接待だし持っていってください」とかわいいキーホルダーをいただいた。私がいただいたのには、本物そっくりなビスケット。「おなかが空いたら、かじってください」なんてジョークを納経所でいわれた。
5番さんを打って「加寿」で昼食。kさんは豚カツ定食。わたしはおこのみやき。おいしかった。コーヒーはお接待。 水曜で、もう一軒「水源」がお休みだったので、あいていてよかった。 昼から、の本格的にあつくなってきた。水を自販機で買う。
6番さんへは2時半ちかくに到着。だいたい予定どうり。 この近く、別格の1番大山寺は山腹。雪でだめだろうと踏んで、今回は見送りとしたのだが、雪なんてない。おまけのこの天気、行けたよな、と残念だった。 6番さんの美しいトイレに入ってから出発。門を出たら「こんにちは」と声をかけられた。なんと今朝2番で会った、同じ宿だった青年。 「どうしたの?」 私とkさん、もうとっくに10番くらいまでいってんじゃないの、と話していたのだ。訳を聞くと2番を出たとたんに道を間違ったらしい。その後も間違えつづけてあちこちで地元の人に教えてもらって何とかここまで来たらしい。 どちらかというと口が重そうに見えたのだが、半日でずいぶん明るくなった。 「ご修行させられたわね」 というと素直にうなずく。 変われば変わるもんだ、やっぱり若い子は歩きお遍路、すべきだね。 「7番さん、あのあたりね、表の道へ出たら、右にはいるのよ」とよく教えてわかれる。宿も私たちと同じだというし、ほってはおけないおばさん根性で。
7番さんに私たちがついてお参りを終えてもこない。えーまたま違った?と心配していたら現れてほっと一安心。
残すは8番さん。4キロあまりの道のり。3時半過ぎだし、まあ5時までには楽勝のはず。 2回目に歩いた高速道路沿いのルートを行く。まともに西日を受ける形になってまぶしいやらやけるやら。何という天気でしょう。あちこちで梅、避寒ざくらの花盛り。5番さん奥の院ではタンポポまで咲いていたもんな。徳島は暖かい。
4時20分、8番着。途中、イチゴやトマトの直売所で「お接待しますから寄っていって」といわれるも、納経時間に間に合いたい一心で丁寧におことわりする。ミカン、イチゴ、トマト、みんな好きなので悲しかったが、心がのこったが。 8番さんはさすがにもう人気がなかった。 本堂と大師堂は山際にあるので、かなり冷え込んできていて、やっぱり冬なんだと思ったことだ。 この寺の雰囲気、好きだ。
5時近く、たみやさん着。 kさんが97年春にまだお元気だったご主人とまわられたおり、ここでご主人が発熱されて3日間も寝込まれた印象ぶかいお宿だ。 たみやさんの奥さんも覚えておられた。 奥さんはお杖を洗ってくださった。 お風呂、洗濯。名古屋のm氏と室蘭のy氏にはがきを書いた。 そのごお茶。お茶請けに出ていた干し柿、うまし、もう芸術的うまさ。
食事時、あの青年、北海道からの40代男性、私たち二人。 青年の道迷いの話や、カンカンラリーの話、いろいろともりあがる。 彼は今日一日で3キロもやせたそうな。道に迷っていて昼御飯を食べる暇もなかったとか。いやはや。私たちとは偉い違いだわい。 たみやさんの奥さんお話だと、今の時期にこんなに歩きの人が来るんんておかしい、とか。 「どうなっているんでしょ」 らしい。 青年にどうしてお遍路にこようと思ったの?ときいてみた。 「友だちが去年の夏に40番くらいまでしてよかったから、おまえも学生のうちに日本一周か四国遍路に行って来い、といわれたから。じゃということで」らしい。20歳のフットワークの軽さよ。
干し柿は自家製らしい、すごい。
明日も昼は14度まで出るらしい。ホントか?すごいなあ。
いい一日でした。
出費 宿代 6500円 納経料 8カ寺 2400円 お昼 500円 水 130円
| 2002年02月05日(火) |
第42夜 ★リアルタイムお遍路日記 一番さん門前にて ★ |
お遍路日記 2月5日<火曜 雨> 羽田12時45分JAS2時着。徳島は雨だった。おやまあである。まあ、今日雨ということは、明日は晴れる、ということにしよう。 高徳線15時24分発の板野行き。なんと、お遍路装束系の人が5人もいた。同行のKさんと「すごいね」とびっくりした。私たちの席の前には、お髭のじい様。風格お遍路さんがいた。途中から、女性が一人で乗ってきた。なんと寝袋を背負っている。またまた二人で顔を合わせてすごいね。 降りる間際、お髭お遍路様に会釈をしたら、笑顔で返してくださった。これがいいんだよね、ご同行だもん。 板東の町は初めてこの駅に降り立った95年と同じ空気を漂わせている。無性に懐かしい。kさんも「うちのお父さんはあの床屋さんにいったんだよ」 kさんのご主人は97年、2回目のお遍路をご夫婦で満願されてから2週間もたたないうちに事故でなくなった。
4時半近く、1番さんを打つ。2月というのに一番さんは団体お遍路さんでにぎわっていた、これにもびっくり。 お参りを済まして不足だった笠、さんや袋、納め札などを購入。 kさんはご主人分の笠をお大師堂のお納めなさった。一番さんの大師堂はそんな人のためにかけるところがついているのだ。 「歩く人、多いですよ、10人今日は出ていきましたよ」 とは一番さんの納経所のお話。 本道で尼さんから、お参りの心得という冊子をいただいた。 「雨はいいですよ、しっとりと落ち着いてお参りできますよ、お手洗いなどでわげさをはずすということなど知っていますね」
宿は阿波さん。私もkさんも泊めていただいている。 おばちゃんとおじちゃんでやっていたのに、若いひとが出てきた。どうやら阿波さんの跡取りらしい。 食事の時に、男性4人と一緒。 「わかい人が四国におかえしをしたいから、缶ひろいはどうか、と言い出したので、暇なわしらが地元の役所に話をしにきたんだ、だから今回はお寺はまわらない。。。」なかなかいい話、と聞いていたのだが。その後がいけなかった。 お寺の悪口が始まった。 でも、これから回ろうとする人2人<私とkさん以外の男性二人、おひとりは若かった>に聞かせることじゃないんじゃないの?いいお寺だってたくさんあるのに。もう聞きたくなかったので席を2人して席を立った。
お風呂の時間を7時にしてもらいにいっておばちゃんと話した。 「おばちゃん、元気ですね、私たち前も泊めてもらったんですよ」 「去年の9月に油でやけどして、入院して手術したんよ。宿、やすんどったんよ、今は孫がしてくれているから助かっている、太ったし、入院して」 わきだったらいいが、前だったら死んでいたかもしれんとおばちゃん。今も痛いという。 早く元気になってほしい。 「おばちゃん、歩くとやせるよ、明日、私らと歩く?」 「そうやな、あるくとやせるやろなあ、でもあかんなあ」
雨はどうやら上がったようだ。 明日の宿はたみやさんを予約。次の宿に柳水庵に電話を入れた。 その日ではなんか危ない感じだったので、、、。まさか、お遍路offの時期にこんなとになろうとは、である。 でも、また歩かせていただけるることに感謝。
出費 羽田までバス 1100円 徳島駅までバス 430円 昼食820円 電車 260円 笠 納め札 袋 4410円
| 2002年02月04日(月) |
第41夜 ★ハワイ マウイクジラ日記 atリアルタイム ★ |
ハワイ時間2月3日<日本時間 2/4>
帰国だ。 お名残おしやである。 また来たい。 帰りの空港までのタクシーから気をつけていたら、ブローが見えた。これで、マウイ滞在のすべての日々、クジラに出会えたわけである。
タクシーの運転手君は、なんとメキシコからの出稼ぎ者だった。 「ハワイアンの女性と結婚するんだ」なんていったら、「日本の子いい、云々」・・お口上手でした。
8時間あまりのフライトで成田着。 ものすごくうまい着陸、感動。 帰り際にホテルでMさんがタクシー代を両替したら、あまりの円安に愕然。 そのワリにホノルルは日本人の行列。いいのかねえ。 政府の無策が円安を招いていて、これは周辺のアジアの国にもよくないってこと。 何とかしてくれよ、もう海外に行けなくなるよ、このままだと。 「福祉政策を充実して、金を使っても大丈夫という安心感を国民にもたせんとみんな財布の紐はゆるめん」<これ、私の意見> 迎えに来て下さったMさんのご主人と車の中で話す。
明日からはお遍路。四国だ。 したくをせねば・・。 「マウイクジラの総括」は帰ってきたら、このページにて改めてしたい・・お楽しみに。 明日からはお四国リアルタイム日記が始まります。
| 2002年02月03日(日) |
第40夜 ★ハワイ マウイクジラ日記 at リアルタイム ★ |
ハワイ時間 2月2日<日本時間 2/3>
今日もいい天気だ。朝のホエールウオッチの船に乗ろうと7時20分過ぎにでるもバスこず。戻る。
Mさんは8時5分のお迎えの潜水艦アトランチスにいった。昨日は、浜辺で散歩して優雅な休日を過ごした彼女であったが、今日は念願の潜水艦で美しいハワイの改訂散歩である。
私は、昨日予約したエコアドベンチャーのウオッチング船の時間まではがきと読書。すずしいくてさわやか、気持ちがいい。 9時半過ぎにでて、ラハイナでうろうろしていると潜水艦から帰ってきたMさんに出会った。しゃべっていると、昨日乗ったクラブラナイの受付のおばさんが「オウ、ユー」とかって声をかけてきて、今日の2時半のツアーは20ドルでデスカウントだから行かないかと誘う。行くことにした。 今日もウオッチング三昧、で、Mさんも自由行動としてもらう、すまぬです。
11時半、エコアドベンチャー出発。 20分走らぬうちにクジラでる。 三頭の親子ずれ、スパイホップをしたり三頭並んだブローは迫力があった。ハイドロホンをおろしたら、ソングも少し聞こえていた。
バーガーキングでランチ。2時半2回目。波が立って海がやや荒れ気味。こういうときは飛ぶ可能性が高い。 クジラはでるが、遠い。船がでかいせいもあり小回りが利かない。それが困るよ。ブローの呼吸音も聞こえないところにいるんじゃあしょうがない。
しかし、案の定飛んだ。遙か西、次に北。写真はとれんもんだわ。飛ばれると、おお!と見ほれて固まってしまう。 帰り際、ぼっこりと、船のすぐわきにでた。びっくり。
Mさんは、ラハイナの町を見物してあるいたという。ラハイナはハワイ王朝発祥の地だし、サボ区ではあるが見るものはある。
最後の夕食、やっと味がましなものにありついた。マヒマヒというハワイの魚はうまかった。
今日の出費 クジラ船 26ドル、20ドル<クレジットカード> バーガーキング5ドル バス・チップ 3ドル CD 2枚40ドル 食事70ドル<2人 あとで精算> Tシャツ 40ドル 土産 45ドル
| 2002年02月02日(土) |
第39夜 ★ハワイ マウイクジラ日記 atリアルタイム ★ |
ハワイ時間 2月1日M<日本時間 2/2>
いい天気だ。たぶん、天気は回復してきている。 今日は私、クジラウオッチ、Mさんは近所をぶらぶらで、別行動することになった。 9時30分過ぎにホテルをでる。 港に行っていろいろと聞いて、11時の船に乗った。二層になった水中翼船機の大型船。二階からみるのもいいかもと思ったのだ。 今日も2,30分も走らないうちに三頭発見。マウイの場合、庭先にクジラがいるという感じだね。ビーチが近いテーブルで食事をしていたらクジラのブローをみながら飯が食えるというものだわい。 上から見る海もいいものだ。今日は昨日に比べると波が穏やかだ。べた凪に近い。 あちこちでブローがあがっている。うじゃうじゃいるという感じがする。
ハワイ州のクジラリサーチ船がずっとついているクジラを追いかけ始める。そのグループはメス争いバトルだったらしくて、結構激しく動く、上半身を出してばしゃん。おいでおいでをするようなペックスラップ、見せてくれた。 なにより近い位置につけると「ぶほおおー」というブロー、呼吸音が聞こえるのがいい。今日は昨日に比べるとクジラ日和という感じ。
遙か遠くに続けざまにブリーチングを3回もする奴がいて、みた。しっかりとみた。しかし、遠くすぎて写真が撮れないない。それが悔しい。
それにハワイはwwのルール、クジラの100mいないに近づかない、を守っているのでカメラの望遠が300mmは足りない。その上がほしい。 2時間があっという間にすぎた。
船を下りて1時45分からの船に乗ろうと思ったら、満席。インフォメーションに行って2時か3時発の小さい船に乗りたいといって探してもらう。あった。
時間まで、サブウエイでサンドイッチを食べてトイレに行って乗り込む。今度はさっきとだいぶ違う。客は15人ほどの小型船。ばんばんとばす。ガイドはキャプテンだ。
午前に比べるとクジラの数は少ない感じがする。見えているブローが少ないもんな。午前のツアーではあちこちに見えたのに。またまた遙かににブーチングが見えた。ああ、目の前で飛んでほしいよ。 なんとはじめに出会ったクジラはパイロットホエールだった。 ゴンドウ系の小型歯クジラ。まさに船のわきを泳いでいった。澄んだ水の中で流線型の体が美しかった。
いよいよクジラ現わる、だ。 3頭、ザトウのグループをみたあとは4頭ほどの群?子どもが一頭いるようだから、それにメス、そのメスをあらそうオス二頭とこか。 ペックスラップ、テールスラップ、フパイホップといろいろ技がでてくる。 見応えがあった。アメリカ人の家族が乗っていたのだが、子どもたち3人、舳先にしがみついてみていた。 何度もスパイホッピピングをしたので飛ぶかと期待したのだがだめ。またしても残念でした。 船長はクジラがでるのを待ちながら、ラハイナの捕鯨の歴史、近代捕鯨の母船方式、今クジラを捕っているのはノルウエーだとか、日本は調査捕鯨をしているとかいろいろと解説をしていた。 4時、港に帰る。 疲れた。
夕方、涼しくなった。Tシャツではさむいくらいだ。
今日の出費 ww二回 30.21ドル 37,10ドル<クレジットカード> 昼食 5ドル バスとチップ 7ドル 夕食 20ドル 土産12ドル ビールと朝食の買いのもの 7,5ドル
メモ ww船はデスカウントがある。朝早くとか、夕方はそうなるらしい。ゆとりがある時はそういうのを利用するのも手、だと思った。
| 2002年02月01日(金) |
第38夜 ★ハワイ マウイクジラ日記 at リアルタイム★ |
ハワイ時間 1月31日<日本時間 2/1>
目が覚めたら、9時過ぎだった。よく寝た。 「夕べ何時頃にトイレいった?」とMさん。「わからん、突如目が覚めていきたくなった」 でも、よく考えれば夜中の3時近く。日本時間でいえば、朝だ。いい加減な私の生活だが、体は朝を覚えてるんだ。偉いもんだ。 バナナとヨーグルトで朝食。 10時半お迎えのクジラウオッチのお迎えを待つ。 時間きっちりにきた。待つ時間に飲んだコーヒーはアーモンドコーヒーだった。私の好きなアメリカのコーヒー・・・Mさん、はじめ戸惑っていたが。
ラハイナハーバーから11時過ぎに出航。 オアフからの団体客、15、6人と、マウイから参加した千葉の親子連れ(お嬢さんがくじらが好き)と私たち2人、現地のアメリカ人と結婚しているクジラ好きの女性がガイドとしてつく。 「このキャプテンは、見つけるのがうまいからいいよ」と彼女。 例のごとく、船の舳先、大型のクルーズ船。ほんの2,30分で、港からあまり遠くないあたりにブロー発見。本当に目と鼻の先状態のところに、いるんだわ。4、5頭いる。たぶん、メス争いのバトルだよね。ハワイのウオッチングルールは100メートル以内に入らないという厳しいものなので望遠を使っても遠い。 ちびクジラ、たぶん生まれたばかりだ、がスパイホッピングをしきりにする。頭もおっぽも小さくて、といっても5,6メートルはあるが、かわいい。 しかしまあ、私がみたいブリーチングをする気配はない。おとなしく泳いでいるふつうのクジラだ。一緒にブローしていたクジラたち、やがて二手に分かれた。子供、母、エスコートといわれる雄だろう。 二回ほど、かなり近いところにでたので「ブオオオー」というあの呼吸音を聞くことができた。この呼吸音に惚れてます。 マウイの内海としては揺れた方みたいで、団体客の半分ほどは「死んでる」状態。「薬は出さないの?」と聞くとガイドの彼女は「この国はすぐに訴えられるからねえ」。んだね。日本も遠からずそんな時代がくると思う。 「今日のクジラはおとなし気味で、ふつうよね」といったら、そうね、と彼女。 ブリーチングがみたいよー。 彼女は鹿児島で座礁したクジラのことを心配していた。
もう一本乗ろうかと思ったのだが、Mさんとともにシュガーコーントレイン。 トレインからクジラのブローが見えた。ラハイナにかえって、またまたパイオニアインでビールとサンドイッチ。ぐーたらしてハーバーからの日没をみた。 サンドイッチを二人で食べておなかいっぱい。夕食代わりにしてしまった。
ホエラーズビレッジのクジラ博物館に行く。日本語ガイドがあるので聞いた。お姉さん親切。 この前もここで思ったのだが、捕鯨時代のアメリカ人の積極かかんことよ。日本の網捕り法もすごいが彼らのもりうち法も命がけだ。 太地の網捕り法はアメリカ捕鯨船団の乱獲と、不漁に焦って「子持ちクジラは追うな、捕るな」の掟を破ったために嵐に出会い壊滅してしまったのだが、アメリカ捕鯨の終焉も、北極での船団の遭難など悲劇的要素はにている。
帰ってきてまたビール。やっぱり、ビールだわさ。
出費 コーヒーとチップ 3ドル クレジットカード クジラ60ドル(これは高い、日本人が英語を話せないのにつけ込んでぼりぼりだ) Tシャツ22ドル ビールサンドイッチ9ドル バス、など4ドル シュガーコーントレイン16ドル しおり 6ドル ABCストア 7ドル
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