世界お遍路 千夜一夜旅日記

2001年12月31日(月) 第八夜 カイロ博物館に行く 


 エジプト人は、カイロ考古学博物館を「エジプシャンミュージアム」といいます、少し誇らしげに。 カイロ、ではなくてエジプトの、エジプト人の、なんですね。
 ここでは何といっても、あの「ツタンカーメン」でありましょう。
 ほぼ開館と同時に入ったわたしは「ツタンカーメンの、ゴールドマスクの部屋はどこですか」と、ガイドのお人に聞きました。
「あそこ、階段を上って、まっすぐにいけばみつけることが出来るでしょう」
 エントランスから見える二階正面の黒っぽい部屋をさして、彼は言います。
 まず、見たいものを先に見る、がわたしの主義です。美味しいモノを食べるときも、一番好きなモノをお腹が空いているとき、つまり先に食っちゃう人なので、わたしは。だってそのほうがうまい、圧倒的にうまいし、で、もっとそれが好きなるというわけ。
 おっと話がそれちまった。
 館内の団体客は順番に見て回っています。つまり、あの部屋、ツタンカメーメンエリアにたどり着くのはまだ先です。
最初に行けば、混まないうちに見ることができるというわけです。

☆ ★ ★ ☆ ☆

博物館に入るのにかなりシビアのセキュリテイチェック受けるんですが、この部屋の入り口にはまたまたガードマンがいました。
薄暗い室内に入ったとたん、例のツタンカーメンのゴールドマスクがどーんと目に飛びこんでいます。
 おお、ほほっほ・・・
 それは数千年の昔にお墓に入れられた、そして出てきたという感じはしません。できたばかりのきらきらしさです。黄金のお棺、たくさんの装飾品。お宝がうなっていました.
ちなみに広い博物館の2階、三分の一が「ツタンカーメンのお墓出土品」であります。「黄金の玉座」が程よい大きさ、細工なかなかで、すきでした。
 ツタンカーメンは少年無名王で、副葬品は地味だったというのが定説で、だったら他の有名な王<たとえばラムせス2世とか>はどんはだったのか・・と想像すると改めて「ナイルの賜物、エジプトの富」の凄さにまたしてもムウウ・・・であります。

素朴な疑問:王様の装飾品、宝石やら金銀が何重にもかさなっているのですが、あんなのつけて首や肩が凝らなかったのかしらん。頚椎損傷しそうな重量感あるよねえ・・・

☆☆☆☆☆

博物館入場料金20エジプシャンポンド<600円>なのですが、ミイラ室入場は更に40ポンド<1200円>取られます。これって、そりゃないでしょう状態の料金ですが、何かと物価の安いエジプトで困りモノなのがこの「外国人設定の見学料金」です。この、評判の悪いシステムは、かつて中国にもありましたがしたが今は廃止されています・・・エジプトも止めろよ・・と言いたいですなあ。
ところで、ミイラ室。二階の隅っこ56号室。窓のない照明を落とした部屋に王さま・女王さまのミイラ11体。
セティ1世は普通のおじいさん顔。トトメス言い脇は少し禿げ上がり、髪の毛少々、ほねばった顔付きで胸前に腕を組んでいました。
わたしが見たかったのは、あの自己顕示欲系のラムセス2世でした。金髪に見える髪の毛が額の辺りに張りついて、鷲鼻、骨ばった顔はえらが張り、性格の強さがあり、あり。背は高く、多分180センチほどはあろうかと・・・生前、筋骨隆々であったろうなと思います。
今のエジプト人<白人で目のあたりに中東気配のお顔>であったことも解ります。
 みんな「同じミイラ」ではなくて、生前の顔つきや個性がわかるほどにリアル、ミイラつくりの職人達の腕の確かさに脱帽!
ほんと、「みんなちがって、みんなよくできてんじゃない」でしたよ。

☆☆☆☆☆

下の階では、よく世界史の教科書などに出てくる「書記坐像」や「村長の像」などがギッシ、ギッシ、所狭しと並びます。
 博物館というより「お宝倉庫」といった感じのカイロ博物館であります。
なによりそうかあ・・とビックリしたのは、あのサッカーラからの出土品に木製のものが多いという事でした。
あの影もミイラになってしまいそうな灼熱の砂漠にはかつて「木」が、「森」があったんですね。「重要遺跡」の意味がわかりました。あそこにもう一度立っても、緑の森をイメージするのは難しい気がします・・・。諸行無常。

☆ ☆ ☆ ☆

ミュージアムショップで買い物をしたらおつり間違い、カフェテリアでお茶したら料金間違い.故意なのか、ケアレスミスなのか・・両方とも、指摘したら、目をむいて怒り、自分のミスとわかっても「ソーリー」はありませんでしたね。ミスを指摘されるのが嫌いな人たちなんだな、と思いました。
 ちなみに博物館のカフェテリアは市中価格の三倍でまずい、サービス悪い、クラーなしと最悪。多分、世界の有名博物館のカフェではサイテーレベルですね。



2001年12月30日(日) 第七夜 ピラミッドざんまい5 サッカーラ、そしてギザ

サッカーラ入り口に着いた時、時間は午後2時前。暑さのさかり、くらくらしそうです。
チケットを買い窓口に行くと、中にいた男たちが切符を売る代わりに「一人か」といいます。うなずくと、「入れ、入れ」と呼びます。
「お茶、飲んでけ」
 はあー、これってナンパかい。
「車がまっている」「いいから、入れ」
 んもう・・ノウサンクス!!!もちろん、私だってせめて5日間くらいカイロにいるんだったら、きみたちと遊んでやってもいいだけんどなあ・・・日本でナンパされるなんてもう絶えてないしさあ。でも明日の夜行でアスワンに向かう身としては、そんな時間はインポッセボル・・でありあんす。
 アブドラ氏が車でいらついて待っているのがわかります。
 彼、このスケジュールはハード過ぎる、2日のコースだ、オレは頭が痛い、とさっきごねたばかりなのです。
「きみがよい働きをしたら私はチップを上げるでありましょう」
 と、私はいい、彼を黙らせたばっかりなので、ほんなもん、茶どころじゃないのです、はい。
 とにかくチケットをゲットして向かうは重要遺跡サッカーラです。

★ ☆ ★ ☆ ★

 ずんずん近づくと、階段ピラミッドが見えてきます。
 高さ60メートルといえば大変なモンなのに砂漠の中にあると大きいとは感じません。むしろ、からからに乾ききったピラミッドのミイラ・・階段があるせいで廃墟感が強く印象づけられるせいかもしれません。
 陰も遠慮してしまうような日差しの強さ。お湯となってしまった水をしょっちゅう飲まないと「日本人おばさんミイラ」一体完成になりそうです。
 もう、溶けるなんてモンじゃなくて、即ミイラ化です、ね。
 はっきり言って見学どころではりません。
 でも、しかし、と意地になってまわりました。
 遺跡にはいると、例のごとく案内するというエジプト人、土産はどうかとついてくる人・・いろいろ登場しました。きっちりと「イラン」というといなくなるのが、そうか、でありました。

 いや、サッカーラはまた行きたいです、こんどは朝イチで、アタマがしゃんと動く時間帯に。でも、私がこの遺跡の本当すごさを認識するのは、次の日「カイロ博物館」へ行ってからなのです。

☆ ★ ☆ ★ ☆

 ギザ、ギザ・・ピラミッドのメッカ。エジプト観光のメッカ。
 ドン、デン、バーンと3つのオピラがあるという点ではやはり「オピラの王道」を行くポイントでありましょう。でもね、すぐ近くにホテルは立っているわ、ボリボリしそうな土産物屋、ラクダひき、その他諸々の観光客からむしり取るぜ、とてぐすねひいている人たちが集まっているとこでもあるのです。
 アブドラ氏にまず、「ラクダに乗るか」ときかれました。彼とつながっているラクダ引きがいるのでしょう。
「私はタイランドに行った時ゾウに乗った、とても怖かった、アイスランドでは馬に乗った、やっぱりこわいと感じた、大きな動物には乗りたくない、そして、ラクダにはノミが生息すると聞いている、しばしば乗った人について刺すとも聞いている、だから必要ない。私は私の足で回る」
 乗りたくないわけを話さないとまたしてもごねられそう、と思ったのでちゃんと説明しました。エジプト人は、「話せばわかる」系みたいなんで・・。
「じゃ、アンタ車が一番好きなのかい。わかった」
 アブドラ氏は、笑いながらうなずきました。
 ノミが刺されたくないというのは本当です。高所恐怖症なので、動物の背も苦手、なんです。彼に話したことは「ウソは方便、ではなくてすべて本当、マジに乗りたくない」だったんです。
 チケット売場でラクダ引きが近づいて来たら、アブドラ氏は「そいつ、のらんよ」みたいな感じで追い払ってくれました。
 「歩き方」によれば、ここでボられた、だまされた、という人が圧倒的なのですが、私の場合「おかげサン」でした。
 ここで、またしても「カフラー王のオピラの中」に入ったのですが、足は完全に壊れました。エジプトにいる間中、筋肉痛が残りました。
 クフ王のオピラの裏で、若い男の絵はがき売りにつかまりました。<つかまったふり、実はほしかった>10枚セットが、初めは5ドル。んなもんいらんわい、高すぎる、と怒って彼をけ飛ばして去ろうとすると「んじゃ、いくらで買う?」
「2エジプシャンポンド」
「ダメだ」「じゃ、要らない」
「6エジプシャンポンドじゃどう」「いらん」・・とまあ、こんなやりとりを、お互いにけりを入れるマネをしながら繰り返した結果、「2セット、6エジプシャンポンド」で落ち着きました。
 彼はニッカニッカしてお金を受け取りましたから、そこそこに儲かっているのでしょう。
 いいじゃないですか、私もホテルのショップで買えば3枚しか買えないお値段で20枚も買えたのですから。
 これが、ギザで一番おもしろかったです。
 わたし、値切りでモノを買うのけっこう好きなんです、はい。
 スフィンクスの前には、小学生くらいの物売りたちが手にパピルスのしおりだのカレンダーだのを持って観光客を追い回していました。
 おい、エジプトの文部省、この子たち学校に入れろよ。とりあえず、字と計算教えてやれよ。人生が少し変わる子が出てくるかも知れないから・・・さあ。    



2001年12月29日(土) 第六夜 ピラミッドざんまい 4 パピルス屋で教育談義

メンフィスにはピラミッドはありません。
 で、パス、と思ったのですが、出発前、私がガイドブックを見ていたら、友人ミセス三枝子のだんなさんであるテクラブ氏が、「メンフィスにも行くんでしょ」というもんだから、「あら、行った方がいいの?」と聞いたら「あそこは重要な遺跡だよ」というのです。彼は考古学をお勉強した人ですから、素直で場当たり主義な私は「そうか、ンじゃ行くわ」となったわけでした。

★ ☆ ★ ☆ ★

ところでカイロの市街を出ると、一気に風景は農村化します。牛で畑を耕していたり、ラクダの背になにやら積んでひっぱているオッサンが歩いていたりで・・。
 そんな景色のまっただ中にメンフィスはあるのです。
 古代エジプト時代には首都として栄えたといいますが、今やラムセス2世のでかい像がごろんと転がっているだけです。
 ラムセス2世については、またどこかで説明しますが、私にいわせりゃ「自己顕示欲の固まりのような御仁」で、どこにでも巨像があります。奥方のネフィルタリは絶世の美人で・・と、話題に事欠かない王様です。
 私には、この像よりもりりしいお顔のスフィンクスのほうがよろしゆうございました。
 ギザにあるスフィンクスは顔が崩れていて、ただ巨大だけの存在感という感じもするのですが、これはサイズはMSというところですが、きれいです。鑑賞に耐えます、ね。
 
☆ ★ ☆ ★ ☆

 我がタクシードライバーのアブドラ氏、「私は、アンタが見学している間あそこで休んでいるから終わったら来い」といいます。
「ハイよ」ということで行ったら、なんとそこはパピルス屋の店先でありました。
すすしげな木陰のテーブルで彼はお茶しています。
「オオーやってくれるやないかい、買わんぞい」と内心思いながら座ると、目の前で水タバコを吸っていた水色のガラペーヤをのオヤジサンから「何を飲みますか」と声がかかりります。「フリー<無料>だから。これが私の国のもてなしの習慣だから」とアブドラ氏が口を挟みます。
「それじゃ、シャーイ<エジプト紅茶>を」
「どうです、この国は好きですか」と水色ガラペーヤ。
 またきた。
「昨日ついたばかりですから、わかりません」
「ほう、日本からですか」
「いいえ、アムステルダムから。友人が住んでいます。あまりに気候がちがうので私は疲れています」
「そうでしょう、」でしばらく水タバコ、おもむろに「あなたはパピルスに興味はありませんか、私の店を見ませんか」
 おお、きた、きた。
「けっこうです。なぜなら昨日来たばかりで買う気もありませんし、今は疲れていますから。もし次に来ることがあったら、見せて下さい」
 水色ガラペーヤは「わかった」とうなずきました。それ以上進める様子はありません。
 多分、「土産物屋に行かない」という約束できていると、アブドラくんから聞いているのでしょう。
 例えば「行かないはずなのにパピルス屋に行ったと私が抗議したら「オレは薦めなかった、休んでいただけだ、店のオヤジにいわれて日本人の女が付いていった」ということになるわけで・・・お利口なやり方ですねえ、はい。でも「NO」がはっきり言える私には通じないやり方ですよん。

★ ☆ ★ ☆ ★

「私にはひとつの質問がある」
 水色ガラペーヤが、ムム、なんじゃという顔をしました。
「何で、あの子は学校に行っていないのですか。親はやらないのですか」
 今度はアブドラ氏を見ました。
 メンフィスに来る前の村で通りかかったラクダの写真が撮りたくて、一度車を止めてもらいました。通りには自動車部品のお店がありました。店番をしていたのは10歳くらいの男の子でした。
「学校はもう終わったの?」
 と訊いてみたのですが、通じません。アブドラ氏が通訳してくれました。
「行っていない」
「どうして」
「好きじゃないそうだ」
 そんな話をしたのでした。
 水色ガラペーヤは虚をつかれたような顔をして「わたしの子どもは行っているが。ああ、わたしたちは子どもを学校にやっているよ」とアブドラ氏を見ました。
 かれも「ああ、やっている」と大きくうなずきます。
「子どもを学校にやるのは親の義務でしょう。私の国では、働かせたりしたら罰せられる」
「彼は好きじゃなかったんだ、この国ではよくあることだ」
「学校が好きではない子はしばしばいるよ」
 水色ガラペーヤもいいます。
 それはそう。
 不登校10万人の国から来たわたしには、深く大きくうなずけます。しかし、あの子は学校のことを聞かれたときにすこし顔を曇らせた・・・。ホントはきらいで行ってないんじゃなきい気がしたんだけど・・。
「でも、教育は子どもを幸せにするし、その子の未来を開くのに、親はやるべきだ。仕事のヘルプをさせるのはよくないと思う」
 衣食足りた国から来た観光客のいい気な意見だとはわかっているのですが、澄んだ目をした子の顔が一瞬曇ったのはなんかせつない気がしたんです・・わ。
「あなたのいうとおりだ、でもこの国は貧しい」
 水色ガラペーヤがうなずきました。
 
☆ ★ ☆ ★ ☆

 「あなたがエジプトを好きになってくれることを期待します」
 水色ガラペーヤのそんな声に送られて私はサッカーラに向かったのでした。

 ところで エジプトの教育制度はどうなっているんでしょう。
 そのうちに調べてみるか。



2001年12月28日(金) 第五夜 ピラミッドざんまい 3 赤のピラミッドの中へ降りる

ピラミッド内部へおりる道は、は、人が一人やっと通れるくらいの幅です。おまけに急傾斜。まず腰をかがめて、ずんずんと下降します。明るい外から入ると暗くて、目が慣れるまで、地獄の入り口?って感じ。足元に明かりがついてますが、あやし暗い・・。
 やがて通路は平らになりますが、やっぱり腰をかがめて状態。欧米系の異常太りをした人と出会ったら、すれちがえるか? というくらいの狭さなのです。
 とにかく降りて歩いて、また上がりって感じで、いわゆる重力軽減室って感じのところは3ヶ所ほどありました。でも、やっとたどり着いた玄室はな〜〜〜んにもなし、のなしのつぶて。何だかフーシギな空間でした。
 わたしがホウホウと眺めている間、だれも来ませんでした。怖いような、でも4000年前の時間空間に一人でいるんだと思うと、ラッキー! イェーと叫びたいような・・・。ギザの一番でかいクフ王のピラミッドは、整理券を取らないと入れないらしいのですが、こんなに誰もいない時間を体験することはできないだろうと思います。赤のピラミッドは公開されたばかりといいますし、こういうことも起きるのでしょう。
 それにしても、出たときは腿の筋肉は痛い、膝は笑う、で、ヘロヘロでありました。
 オジジ、オババ、オバ、オジ、オニイ、ネエちゃん、エジプト行くんだったら、早いほうがエエですよ。年取るとピラミッドの中はきついでえ。

☆ ★ ☆ ★ ☆
 
 屈折不格好型ピラミッドの中は公開されていません。一周して、そばに落ちていた石ころを拾ってきました。<写真が撮れてなかった今となっては、重要記念品です、ショボ> ツーリストポリスと、場所柄ミニタリーがウロウロとラクダに乗ってパトロールをしているのですが、ラクダにのらんか、バクシーシをくれたらオレと一緒に写真撮れるよ・・とついてきます。
「おいおい仕事中だろ、しつこいちゅうねん。ノウ・サンクス!!」
 しかめっ面をしてやると、笑いながら離れていきました。
 要するに平和なんだよね。一日中いい若いもんが砂漠でピラミッドの周りをぐるぐるなんて、力余んのじゃろううて。
 大昔インドに行ったときは「ノウ・サンキュウ」といってもしつこくついてきたけどエジプト人は、はっきりというとあっさりと離れていくのが特徴ですね。だから、ハッキハッキというのが「バクシーシ」<要するにおねだりです>撃退のコツです。ただ、案内してもらったり<断りきれずに>、手を貸してもらったりしたときは少々するのが「正しい」と思います。「I DONT NEED YOU」 と断れなかったとしたら、自分が悪いのですから、日本円にして数十円をケチらないこと、です。

 ホテルの旅行オフィスの男の薦めをきいて、ダシュフールを最初に訪れたのは大正解でした。砂漠のど真ん中にジャン、ジャン!!と存在するピラミッド。はるかにはギザも、メードームのモノもかすんで見えています。
 まさに古代エジプトのピラミッドの雰囲気、空気感が丸ごと味わえました。この印象が強烈すぎて、正真正銘の観光地ギザに行ったときはあんまり感動しなかった・・のでした。

★ ☆ ★ ☆ ★
 
 タクシーに乗る前に、赤のピラミッドの入り口前にいる砂漠同化色のおじさんに手をふりました。
 おじさんは、おいで、おいでをするようにゆっくりふり返してくれました。
 彼は、あそこで一日、一人でよう登り切らないおデブな見物人の手を取ってやったりして「バクシーシ」をいただき、日が沈むまで居るのでしょうか。
 日本の「56歳のオジ」と何とちがうことでしょう。何かその距離は、冥王星より遠いような・・・。どっちがいいかは・・さあ・・・。
 



2001年12月27日(木) 第四夜 ピラミッドざんまい 2 砂漠で溶ける・・・?

 あまりにも有名なカイロ近郊ギザのピラミッド。みんなが思い浮かべる「あのピラミッド形」の典型です。実はあれ以外にも「形」はあるんです。ゆがんでいるヤツとか、階段状とか、計算違いで崩れちまったかわいそうなヤツとか。 

☆ ★ ☆ ★ ☆

またしても唐突ですが 一夜漬け的 ユニーク型ピラミッド講座

DAHSHUR<ダシュフール>
 赤のピラミッド 赤ッぽい石で作られている。一面が二等辺三角形型の最古のモ  ノという。傾斜がゆるやかでドデンと安定した感じ。
 屈折不格好的ピラミッド まん中辺でプリズムを通過する光のように突然曲がる 優美とはいえないが、不均衡の、おもしろい存在感がある。

MEIDUM<メイドーム>  *時間がなくて行けんかった。次回の宿題か?・・。
 表装石が崩れたピラミッド 外側が崩れたことによって骨組みが露呈している。 ダシュフールから、砂漠の中に遠望した。要塞のような形をしていた。

SAQQARA<サッカーラ> 
 階段ピラミッド 高さ60メートル。6層の階段状になっている。
 この近辺には未完成ピラミッドとか、広大な墳墓群があり「ここはもっとも重要 な遺跡のひとつです」とホテルでタクシー手配をしてくれたオフィスの男がいっ ていた。「わたしはサッカーラで2年間遺跡を掘っていた」のだそうな。

★ ☆ ★ ☆ ★

 わたしのピラミッド巡りは、一番遠いダシュフールから始まりました。
 やって来た車はクーラーなしの、まあボロではありましたが、例のごとく、ばんばん飛ばします。ドライバーは立派なお髭の強面ふう、名前はアブドラさんです。英語は出来るのですが、エジプト人英語で発音が独特です。
 PENがben、くらいだったらわかりますが、「キャメル」<ラクダ>を「ガメル」といわれたときには、ガメル、ガメラ?? エジプトにはガメラがおるんかい?でしたもんね。
 ダッシュフールは、カイロから一時間の砂漠のまん中の、ミニタリーエリア<軍の施設>のまっただ中にありました。カイロの喧騒から来るとまっさおな空とピラミッド、人気のない砂漠に「エジプトだなあ、来たんだなあ・・」という感じになります。 
 でも、暑い!! 
 強い日差しの下で溶けそうじゃん。
 内部が公開されている赤のピラミッドの開口部まで、28メートル登ると息が切れます。 
 入り口には、砂漠の色と同化したようなガラベーヤ<エジプトの長衣>を着た番人がいました。お金を要求されましたが、チケットはすでにこのエリアへの入り口で購入済みなので「NO」。
 でも、座り込んで彼と話をしました。ちょっくら休まないと。ピラミッドの中歩きはきついという話ですからねえ。

「どこからいかんだ? 日本人か?」
「はい」
「アンタひとりで来たのかい? 結婚しているのかい」
「そうよ、<ウソも方便。こういっておかないとめんどうなことが起きることもある>」
「だんなはどうして来ていないのだ? 子どもは? 」
「ダンナは仕事が忙しい、子どもはいない」
「子どもがいない、信じられないね、この国では。オレは四人いるよ」
 この後あちこちでエジプト男と話しましたが「結婚しているか」「子どもは」「ダンナの仕事は」は、質問の定番だとわかりました。
 中国では「給料は」「歳は」「仕事は」「テレビや車の所有台数」あたりが定番ですが、えらくちがいます。
 
 ものすごく老人に見えましたが、彼は56歳でした。墓守サンの子どものうち三人は、外国。うち二人はアメリカ、後の一人はコロンビアで結婚しているのだそうです。彼はうれしそうに話してくれました。アメリカ・・ねえ。このご時世に、アラブ系として大変な思いをしていないといいのですが・・ね。

「エジプトは好きかい?」
「わたしは、ずっとピラミッドに来たかった、好きかどうかはまだわからない、なぜなら、昨日来たばかりだから」
「そうか、昨日来たのか」
「この国を楽しむといい」
 おじさんは、立ち上がったわたしを見上げてのんびりといいました。
 そうそう、この、「エジプトは好きかい」と「何回めのエジプト?」という質問も定番でした。
 どうしてそんなこと訊くのよ?と初めは思っていましたが、やがてエジプト人独特のウエルカム精神<お四国でいえばお接待の心>だと悟った<大げさな・・>
                               のでした。
 この問いは、だから何か好きでしたね・・・。



2001年12月26日(水) 第三夜 ピラミッドざんまい 1 交渉

エジプトといえばとりあえずピラミッド、ですよね、やっぱり。
 朝食後、ホテルにある旅行オフィスに男が座っているのを見届けて入りました。
「わたしは、これらのピラミッドに行きたいのであるが、タクシーはいかほどなりや?」
 と、男にあらかじめ用意しておいたメモを見せました。

☆ ★ ☆ ★ ☆

「ギザ、サッカーラ、メンフィス、ダシュフール・・OK・・」
 男はしばらく考えた後に「150エジプシャンポンド<約4500円>では如何か?」
「高いと思うのである、もっと低価格にならずや?」
「ダシュフールは砂漠のまん中に位置する、遠い、適正な値段である、さらにはこのコースはハードである。二日のコースである」
「無理であるのか」
「いや、可能である、だが高くなるのは、当然である」 
 バックパッカーの友「地球の歩き方 エジプト」には一日チャーターしても100ポンドぐらいと書いてありました。あの本は、現地の人の儲けまでしぼりとってしまうような価格設定をする傾向があるし、150、という額は、少し高いがすごくボラれてはいない感じではあります。
「OK、その値段を受け入れます。しかし、わたしはいくつかの要請を持っています」 
 ここからが正念場。
「日本のガイドブックは、エジプト人男性は外国人女性に性的いやがらせ<セクシャルハラスメント>をすることがあると書いています、わたしは紳士のドライバーを必要とします。それから土産物屋に連れていくといいますが、わたしは土産屋に行くことを希望せず」

☆ ★ ☆ ★ ☆

 男は真剣な顔つきで聞いていたが「エジプト人男性は、そんなことはしません・・」。
「いいえ、わたしのガイドブックには体験者の話がたくさん書いてあります」
 この頃の「地球の歩き方」は、昔はさして書いてなかった「旅のトラブル」・・金盗られた、痴漢にあった、だまされた系の話がウジャウジャ。行く前にそこを読むと人間不信、行くの止めよか、の気分になってしまいます。エジプト編も同様でした。
 旅行者なんてだまされる存在である、少しボラれんのはしょうがない、と考えているわたしにしてみれば、ッタクよ、と思うのですが・・。
 「歩き方」本はメジャーになりました。なりすぎました。いろんな人がこの本を携行するようなって、苦情も多く寄せられるようになったのでしょう。致し方ないことですね。
「あなたのお国の女性はひとりで旅はしません。しかし、私どもはします、文化はちがいますが、性的いやがらせが不愉快なのはわたし共も同様なり」
 まじめで堅物らしい人相の男は言いました。
「確かに信用のおけるドライバーを手配します、土産屋にも行かないように言いつけましょう、もし彼が約束を破ったら、あなたにはお金をお返しします、夕方、わたしはまたこのオフィスに在駐します、苦情があったらお聞きます」
 こうして、150エジプシャンポンドを払うのと引き替えに「イヤらしくないタクシー運転手、土産物屋に行かず」の交渉を成立させたのでした。



2001年12月25日(火) 第二夜 エジプト カイロへの道

 9月12日、テロ翌日、昨年の世界一周チケット残りでアムステルダムへ向かいました。  

☆ ★ ☆ ★ ☆
 そして、10月2日、いつ戦争が始まるのか、とニュースをにらみつつ、アムスから安チケット<アリタリア>で、カイロ入りすることにしたのですが、「アリタリア? 大丈夫か」の危惧がどんぴしゃり。直前になって突然、出発便の変更がはいりました。 テロで乗る人が少なくなったとはいえ、昼12時の出発が朝6時ってないんじゃない、そりゃ詐欺よ、アリタリアさん。っま、例のごとくのイタリア流ですな。予想はしていましたが・・
 でも、日本円にして3万5千円ほどのリターンチケットだからな・・・トホ。
 朝4時起きでスタンバリましたが、一番大変だったのは、そんなわたしを空港まで送ってくれた友人のミセス三枝子でした、はい。ありがとうでした。
 
☆ ★ ☆ ★ ☆
 いや、空港のセキュリティチェックの厳しかったこと。文房具として持っていたハサミをさんざん荷物をひっくり返されたあげくに見つけられ、目の前でゴミ箱に捨てられましたもんね。でも、これはわたしだけじゃなかった。あっちのこっちのカウンターでやられていましたね。
 ご時世だからしかたないとはいえ、以降、はさみがなくて少し不便しました。
 
 ミラノのマルペンサ空港で、カイロ行きに乗り継ぎ。
 日本人がエジプト入りする通常ルートではないので、もちろん日本人は飛行機には皆無でした。機内食のトレイに「これには豚肉は一切使用ていません」の紙がついてきたり、中東系顔の人に、別のトレイ<多分アッラーの名前を唱えて殺したお肉使用?> が出てきたりして「カイロは刻々と近づいている」の空気が濃厚となったのでありました。
 いつもだと知らない国・街に着く不安と期待がどっくん、どっくんと高まる時間なのですが、今回はノホホン、ホッホホです。だってお迎えつきですから。ホントは夜の9時過ぎに着く予定だったので、あまり治安がよくないカイロ空港の噂を聞いて、着いた早々ヤな思いをしたくない、とトランスファーを45ドルなりで頼んだのでした。あたしにしてはものすごい贅沢。しっかし、真ッ昼間着だったらいらんかったわよね。ったく、アリタリア!!

☆ ★ ☆ ★ ☆
 エジプトのビザは、銀行の窓口で買います。
 迎えの人にその代金25ドルを渡して下さい、メールにはあったのですが、ホントは、もっとお安いみたい。とにかく、一悶着起きそうな入国ゲートを迎えにきたエージェンシーのムスリムひげのおじさんとスタスタ・サッサとスムースに出てしまったのでした。
 かなりのスピードのホテルに向かっていた車は、旧市内に入ったとたんに喧騒の渦に巻き込まれました。ビービーブブブー。車のサイレンが鳴りっぱなし。それでも、神ワザのように前を横切る人、割り込む車で進まない。もう、ヒヤヒヤ。
「あなた達の国には、交通ルールはないの?」
 たまりかねて迎えにきてくれたおじさんにいいました。
「ルールがないのがルールさ」
 オッサン、ニヤヤリと笑って言い放ってくれました。
 なんてこったい。道路を横ぎるのが命がけとなりそうです。久しぶりのスルル!じゃない、スリルだぜ。


 
 
  



  



2001年12月23日(日) 第1夜 初めの方、ここを読んでから好きなとこへ飛んでね <(_ _)>

 今夜は、千夜一夜の第一夜。
 まずは、どうしてこの日記を書き綴ることにしたのか、からお話ししましょう。 唐突ですが、わたしめは歩いてお遍路することをライフワークとしております。いつしか、世界もお遍路旅のように巡ることができないだろうか、と考えるようになりました。 
 一気に話は飛躍しますが、そんなわけで今年も、わたしは9月11日のアメリカテロ事件、その後の戦争をモロともせずにエジプトやトルコへひとり、旅に出ました。いろいろな人たちと出会うために・・さまざまなものを見るために・・いろいろなことを考えるために・・。
 
 エジプト、トルコ、タイ、北京と一ヶ月あまり・・いい旅をしました。戦争中なのにいいのかと思いつつ・・でも旅しているのはわたしだけではなくて、アメリカ人にもイスラエル人にも会いました。人は、どんな時にも旅するのですね。

 ところが、です。出会った人たちや風景を撮ったはずのカメラ、リコーGR1が故障していたのです。帰国後、現像に出したら22本のフィルムの2本をのぞいてすべてダメでした、一見正常そうに動いていたのに。このカメラは、バックパッカーの間では評判のよいカメラで、ヨドバシカメラのおニイさんも「いいレンズを使っていますから、写真もいいのが撮れますよ」と保証してくれていたのですよ。事実去年は五ヶ月間、いい働きをしてくれていました。
 リコーのお客さま苦情係のおじさんはとても低姿勢で、サラリーマンの悲哀さえ漂わせていたので、とことんつっこむともできず・・わたしは寝込みました。

「クッソ!!、カメラにだまされた、シャッターは切れるし、フィルムは巻けるし、フラッシュはたけるし、故障のコの字も感じなかった・・ミイラの呪いか?」
 エジプトでピラミッド内部の写真を撮っているところで故障したようなのです。 ブツブツといいながら、三日間布団かぶってふて寝しました。

 そして、立ち上がったのです。
 「そうだ、旅の記録を書こう」

 そんなわけでエジプトやトルコ、タイ、中国の旅日記をカメラで撮るように?書きたいと思います。
 時々はリアルタイムで国内の旅日記、お遍路へ出たときはその記録も残したいと考えています。
 そのうちに、2000年にシベリアから始めた世界一周の話も致しましょう。
 
 千夜一夜がこの日記の旅の終わり。世界の果てです。さてさてわたしめは「旅の終わり」にたどり着くことができるでしょうか。
 
ほな、ぼちぼちといきましょか。


なお ★・・・★ でタイトルに入っているところは、リアルタイム日記です。
歩きながら、旅しながら、シグマリオンで書いてアップしたところです。

12月から1月・・・エジプト、トルコ、タイ、北京の一人旅レポート
1月末から2月・・・ハワイ・マウイ観鯨レポート
2月上旬・・・・・・歩きお遍路レポート
2月半ばから3月・・アイスランド旅日記(2000年 夏)
3月末から4月・・・西国徒歩巡礼
4月中旬・・・・・・歩きお遍路レポート
5月半ば・・・・・・熊野古道レポート
5月中・下旬から6月はじめ・・・西国徒歩巡礼完結編
7月はじめ・・・・・夏歩きお遍路  
 


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