あたりまえに笑って怒っての下書き用スペース

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※雑記メモは「はてなダイアリー」で運営中です。



2002年09月26日(木) (アイデア)説法など



呉智英氏の本によれば、イエスは
「地上に平和をもたらすためではなく、人と人との間に剣を投げ込むために現世に来た」らしい。


「説法」という行為は、いかにレトリック(表現技法)を駆使したところで、
本人が意識せぬうちに、
どこか「剣をふる」に似た部分を含んだ行為なのかもしれない。


むろん「諸刃の剣をふる行為」にてもたらされるのは、それ相応の結果以下でも以上でもない。



「刃物を意識せずとも用いる者」が、時にそれ以上を求めるならば、
知恵が、実用補助の品として扱われるケースもありえる、のか。




「とくばん」を見る。
新タンポポの「♪今夜は大好きが止まらない〜」という歌詞に興味を抱いたり。
(なんとなくですけど)




今日、ふと、かつてモー娘。に強い興味を抱いてない時期の自分を思い起こす瞬間があった。
SPEEDにも「萌え」てはなかったんだよな。僕の場合は。


2002年09月25日(水) (アイデア)(前日づけの記事 追記です)

(前日づけの記事 追記)



(サイト運営の上で)
「純粋なストレス解消目的」 と 「アクセス(閲覧)数の向上」は、
即、イコールで直結させられるものでは無いように思えたり。


プロのモノ書きさんの記事でも、
受け手の意識は千差万別で、
受け取られ方が多様になるのは必然なのでしょうが。



サイトの場合、 (受け手&送り手ともに) 対価が絡まないケースの方が多いゆえに、
なにかに気を付けつつやってかないと、
「歯止め」が、じょじょに効かなくなるようにも感じられたり。


2002年09月24日(火) (アイデア)複数方向からのアクセス 〜そこからのプレッシャー について

( 9・25(水)  記 )



テキストサイト大全にも
http://www.softmagic.ne.jp/text/

アクセス数と、そのプレッシャーについて述べられていましたが。



その手のプレッシャーを感じられて、どう対応するかによって、
己のサイトに対する心がまえが、浮き彫りになるのかもしれない。

(趣味なら、趣味の領域としてゆこう、とか)




いわゆる 「(悪意の漂う)名無しさん」 による、
ぞんざいなニュアンスの動きが続くと、
こっちも恥ずかしながら、いつの間にやら、そっちの方向に流れがちになりそうで。


名前なり人となりが、ある程度であれ、伝わる形でのこちらへのアクション(反応)ならば、
プレッシャーまじりであれ、プラスになるものは残ると思うし、
大変有りがたいです。





「名無しさん」での発言が基本形の、そんな種類の掲示板のありよう(需要)も、
人の世の何か、は表している、
のでしょうか。
(僕にとっては、他人事ではなくて)





でも「名無し」(あるいは、ハンドル名&閉じた形のネットスペース)の
気楽さ=無責任さ(趣味のプライベートな領域)が、
世の全てに通る、ことはまずありえない。

(表に開けた形の場面では、なおのこと)




どんな距離&形の関係でも、
そこには「相手」がいるわけで。


「萌え」が、どこまでも無制限に伸びてはマズいのかもしれないね。




当方のような人間が、表に何かをかざす価値も、そんな問いを発することにあるかもしれないな、


と今日のところは言ってみたいのです。


2002年09月23日(月) (アイデア)青春時代とは... (「東京フレンドパーク」を見つつ)

( 9・24(火)  記 )



「青春とは、その真っ只中にいる当事者には、対象化できない状態を指す」
とは誰の格言でしたっけ。


というか、実は、
たった今、「東京フレンドパーク」のVTRでモー娘。の活躍を見つつ、
フィシュマンズの2nd(キングマスタージョージ)を聴いてたら、
僕のアタマの中で思いついたフレーズなんですが。


思いつきなだけに、ほころび易そうなフレーズですな。




「夏休みは終わらない」のか、「終わらない思春期」なのか。


それはさておいて。




そんなこんなで、
昔読んだ、橋本治の桃尻娘の完結篇「雨の温州蜜柑姫」(講談社文庫)のラスト数頁(素で泣けた!)を思いだしてしまった。


そこでの、木川田くんと醒井さんのやりとりが、
青春ってか、人生はこれから感があって、物語の情感につつまれてしまうんですよ。




そういうきっかけで、
過去に読んだ小説 −橋本治やら小林信彦やら− から受けた感情を思い起こしてしまう今日この頃だったりする。





2002年09月19日(木) Yahooで見かけたニュース記事

(以下、コピペ)



幽体離脱!右脳の電気刺激、肉体の外に意識出た感じ

右脳のある部分に電気刺激を与えると、意識だけが肉体の外に出たように感じる「幽体離脱」を引き起こすことを、
スイスのジュネーブ、ローザンヌ両大学病院の研究チームが発見した。19日発行の英科学誌ネイチャーに発表した。

チームは、43歳の女性のてんかん患者の治療のため、発作の原因となっている部位を特定しようと
脳に電極を差し込み、電気刺激を与える実験をした。

右側頭葉にある聴覚野の後ろを刺激すると、
患者は「ベッドの中に沈んでいるような」感覚を訴えた。
刺激を強くすると、
「横たわっている自分の下半身を上から見ている」
「ベッドの上2メートルほどのところに浮かんでいるような感覚がする」と話した。

腕を伸ばしていた場合には、左腕だけが短くなったように感じたという。

こうした結果から、チームでは、
平衡感覚と自分の体の部位をイメージする感覚を脳でうまく処理できない時に、
「幽体離脱」を感じるようだとしている。  (読売新聞)
[9月19日14時40分更新]







の記事って、
被験者が「〜ように感じた」ってところがミソだと思う。

物理的な変化ではなく、
あくまで自分の内側の部分だけで、そう感じられているんだという。



2002年09月09日(月) (アイデア)萌えー を記す意義    小林信彦〜タンポポ


「萌え〜」のようなごくごく個人的感情を、わざわざ書いて晒したりする。

僕自身(長谷川)がそのようなことをする意義とは。
また、(それに限らず)何かについて触れる時の、オレなりの意義とは。

そんなことも考えております。




今日、仕事の休憩中、
手のとどく位置に小林信彦氏の横山やすしの評伝本があったので、
なにげに目を通していたら、引きこまれそうになった。

文の構成やリズム(流れ)の良さがなせる技だと感じられた。
楽曲の演奏でも、そういう部分はあると思える。





そういえば先週のタンポポのラジオ(OH−SO−RO!)の、現編成メンバーでの活動を総括
(今月末にはメンバー大幅改変)する内容のオンエアを聞いていたら、
なんとなく小林信彦さんの恋愛をテーマにした小説の、
幾つかの断片的な場面が浮かんだりしてしまったな...



その放送内での、矢口真里から飯田圭織(以上、敬称略)への
「(2年前に、石川や加護が新加入した時期に)  悩んでたでしょう、  ワタシは知ってるよ 」 
という発言。


このときの矢口のお姉さん口調に萌えた!!
(ちなみに飯田より矢口のほうが年下です)



オレも矢口さんに、こんな口調でこんなことを言われて(以下略)





と、こんな↑ 願望をわざわざ記す、動機や意義を考えもしてるという話でしたね。
そもそもは。
(やっぱ、矢口のあーゆーキャラは、イイ側面だとは思いますね。)





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