即興詩置き場。

2005年05月31日(火) 50.葡萄の葉



神様がやってきて
恥ずかしくて
無花果がないので
代わりに葡萄の

神様は通り過ぎて
そのまま
もう会えなくなった
股の下から
赤いものが垂れた日




2005年05月25日(水) すくらっく、すくらっく。



くもり。非常階段へ続くベランダからは大き
な白いビルが見える。本当は白ではなく薄く
濁っているそのビルの外壁には大きなヒビが
いくつか、ひとつ、ふたつ、崩れ落ちるよう
な気配。ジェニファーの俊足。サルラウンド
の宴。日照りは起きない。あの、艶めく農作
物たち。植えられるもの、上回るもの。頭を
垂れて。動き回るのうさく

ブラインドはガラス窓に無数の横線を引く。
それはヒビではない。赤と白のタワー。無数
に分割されて、そしてそれは事実ではない。
それはあずかり知らぬ預言のように空を突き
刺そうするいくつかの、ヒビ、矮小な
                 嘔吐。
吐瀉物。内臓の中に何かいる気配がする。そ
れは私より長い。渦を巻いて、嘔吐。そして
嘔吐。シュルツワインダー。スクラックワイ
ウープ。しゅるつ・わいんだー。すくらっく、
すくらっく。

私が私であるという約束もなしに私でいるこ
とができることの奇蹟。それは奇跡ですか?
いいえそれは疑問です。それは疑問という形
をした奇蹟と呼ばれるものですか? いいえ
それは不安と呼ばれるものかもしれません。
すくらっく、すく
        らっく。すくらっく。とり
むゆっく。りと煙草を吸う。いくつかのヒビ、
崩れ落ちるビルをゆっくりと崩れるビルのヒ
ビを吸って管。パイプ。給水塔。横線で区切
られる梯子は金属でできている。

屋上の給水塔からゆっくりと管が流れる。ヒ
ビに染み込んで無数の亀裂を生む。生まれる
管。屋上の亀裂が無数の管を給水塔に染み込
ませて伝い流れるヒビを踏み潰す横線のブラ
インド。タワー。赤。白。分水領のタワーに
生える農作物は横柄に動き回りたむろするビ
ルの屋上のヒビに無数のタワーといくつかの、
嘔吐。渦。亀裂から噴き出すあれは、すくら
っく。赤。白。私とは言えないものがある。






2005年05月23日(月) さいとういんこさんのお腹が大きい5月22日



さいとういんこさんのお腹は大きい
大きく膨らんでいる
さいとういんこさんの子供が大人になる頃
僕はもう59歳だ
それまで生きているかどうかわからない
生きているつもりもないし
自信もない

夜の虹を思う。
月の輪を慕う。

魂と魂はいつもどこかでつながってわかれて
形として目に見えるものも見えないものもあって
いつか見えてくるものもあるのだろう
それまでは
僕たちは
あえて僕たちという言葉を使うならば
僕たちは
見えない場所でこそ絡まりあっているんじゃないだろうか
複雑に
とても複雑に
複雑というのは
理解できない場所にあるという意味で
あるいは
理解しようとしない場所にあるという意味で

ときどき魂の形について考える
形とは目に見える形だけではなく
匂いとか
手触りとか
空気とか
そういう形について
魂、という言葉についても考える
安易に使い過ぎてるんじゃないかということも考える
ここにある
僕の魂について

さいとういんこさんの子供はたぶん女の子だそうだ
名前はまだ決めていないらしい
エコー写真も見せてもらった
一昨日撮った写真
指をしゃぶっていた

とても良い詩のステージを観た
三人のステージだ
彼らは清らかにそこにあって輝いている
それはたとえば
何かのエネルギーが指向性を獲得して
存在として産まれ形として表出するような
そういう輝きで
それは一般にはおそらく「わたし」と呼ばれるものだ
「わたし」は
「わたし」であることは
とても特殊で貴重なのだ
彼らはどういう仕組みで「わたし」を獲得したのだろう
どういう魂が「わたし」でいられるのだろう
もし彼らがポジなら僕は
(その先は言わない)

さいとういんこさんのお腹を
僕は怖くて触れなかった
何か
汚してしまいそうな気がして

在るということはときにそれだけで平然と何かを傷つける
そんなことは幾度も体験している
傷ついたことも
傷つけたことも
数えることすら忘れてしまうほど
そうやってつながってわかれて
大きな音でちぎれていく

夜の虹を思う。
月の輪を慕う。
それは僕にとって
何かの大切な象徴だ

さいとういんこさんの子供のことを思う
僕がもう生きていない時間と場所で生きる
ほんの少し、本当にほんの少しだけ
僕とつながっているのかもしれない
さいとういんこさんの子供の魂のことを思う
時代の連環、あるいは世代のバトンタッチ
そんなありふれた言葉でよく表現される思いについて
そしてもう何万年も前から言われ続けているこのありふれた思いについて

僕の詩について話そう
技術とかそういうことではなく
僕の詩がどこにどのように在るかについて話そう
僕の詩は見ている
見ているだけで関わらない
関わろうとしない関われない
僕の詩はそこにあって
そこで生きている
それは僕がどこにどのようにして在るかとつながっている

(もし彼らがポジなら)

魂の形について考える
魂の形について考える
見えるようなつながりがいっぱある
どの魂がどのようにつながっているのか
つながりたがっているのか
そして拒絶しているのか
戸惑っているのか
そういうのがわかる
見える
見えてしまう魂の輪について
それはもう酷くわかってしまうので
加わらない
加わろうとしない
加われない
僕の魂の形について考える
あるいは
僕の詩が生きている場所について考える
どことつながっていて、
どことつながっていないかについて考える

だからこんなの詩じゃないと思っている
詩と呼ばれなくたってかまわない
垂れ流しでけっこうだ

どこかで何かを
捨てたのか、落としたのか
最初から持っていなかったのか
それはよくわからないけれど
僕の魂の形について考えてみる
たぶん僕は今
とても恥ずかしいことをしている

魂の輪は消えない
消えるのではなくちぎれるのだ
ぶちっと
大きな音でちぎれて
その音は痛みとして感じることができる
誰もが
同様に

さいとういんこさんのお腹は大きい
大きく膨らんでいる
それは魂のつながりの証であり結実だ
さいとういんこさんの子供が大人になる頃
僕はもう59歳だ
それまで生きているかどうかわからない
生きているつもりもないし
自信もない
それどころか今
もう生きていないんじゃないかって
思うこともある
たぶんどこかで僕は
僕の知らないうちに
いなくなってしまったんだと思う






2005年05月16日(月) やみまつり



帰る場所のない人こそ一点に留まる
寂しさを解体して
目を瞑る
うつむかない
前を見ない
定まらないこれは
警鐘なのかもしれない

孤独とは
つながらないことではなく
むしろつながりの中に顕れる
かそやかに流れる電流の
一瞬の並列のようにこれは
痛みと名付けられる

さよならを知らない
別離は心の中で生まれる
だからさよならを知らない
地平の彼方で見えなくなる姿
あれは、わたしだ
わたしと呼ばれるものだ
だから知らない
知ることができない

留まる姿に似せて
ときどき嘘をついてみる
それこそが真実なのかもしれないと
肌が震えても
信じてはいけない
疑ってもいけない
そこには何もない





2005年05月09日(月) 武装放棄



武装放棄


言葉で武装してはならない
言葉を武器にしてはならない
争いは銃からではなく
言葉から始まることを知らなくてはならない

言葉で武装してはならない
言葉を武器にしてはならない
言葉の扱いが巧い者だけが生き残る世界にしてはならない
銃を持つように言葉を持ってはならない

傷つけやすいものをさらに尖らせてはならない
ただでさえ尖っているものを凶器になるまで尖らせてはならない
放っておいても人を傷つけるものを
傷つける意志をもって手に取ってはならない
言葉を武器にしてはならない
決して言葉を武器にしてはならない

身を守ることを正当化してはならない
身を守るために言葉を使ってはならない
身を守ることより
相手を慈しむことを選べ
身を守ることからすべての争いが始まる
居場所を求めることからすべての争いが生まれる

正しいことを証明するために言葉を使ってはならない
間違っていることを責めるために言葉を使ってはならない
すべての正義から争いが始まる
すべてが正義で
すべてが間違っていることを知らなければならない

言葉で武装してはならない
言葉を武器にしてはならない
そして
武器にしてしまう者を責めてはならない
傷つけられたことを叫ぶために言葉を使ってはならない
争いはそこから生まれる
言葉はそこにない


 < 過去  INDEX  未来 >


いとう [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加