すみません・・・ |
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2003年10月27日(月) | |
同居生活が始まって1週間以上経とうとしてる。 私が不器用で役立たずなために相方は苦労してそうだ・・・。 ニコニコしてるけど、なんとなく。( ̄▽ ̄;A 腰が痛い時は踏ませて頂きます故、ご勘弁を。 |
婚姻届 |
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2003年10月22日(水) | |
婚姻届なるものを出そうと相方と市役所へ赴く。 うーむ・・・。 こうゆう感じになってるのかあ。 イロイロ面倒な事になり、書類不備のために断念。 よく芸能人が「書類不備のため婚姻届を出せなかった。」 とTVのワイドショーで言ってたが、その意味をようやく理解。 1回じゃ終わらないわ。こりゃあ。 これから届けを出す予定の人は、 出したい日の前にちゃんと書き方と必要書類を聞いてから、挑む事をお薦めする。 ひとつハプニングもあった。 市役所の女性が書き方を教えてくれる際に、出してきた書類が 「離婚届」 だった・・・。 私もビックリしたが相方大激怒。 まあ、縁起でもないもんね。 女性には今後、気をつけて頂きたいものである。 (しかしこの後、この女性に何度もお世話になったのだが。) |
新生活スタート |
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2003年10月19日(日) | |
昨夜からやっと新居での生活がスタートする。 と言っても、まだ部屋はあんまり片付いてない。 私の整理能力が劣っているせいだが・・・。 これからボチボチ整理していこうと、 こんなとこでもノホホン根性は抜けない。 |
退院 |
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2003年10月18日(土) | |
退院が決まった。 1週間で帰れるなんて思ってなかったから、嬉しかった。 ほんまは明日退院と言われたが、 相方が看護婦に食い下がって(笑)なんとか今日になった。 今まで落ち着かなかった自分の存在が、やっと戻って来る。 あなたがここに居る。 だから私もここに居たいんだ。 |
病院と新居と行ったり来たり・・・ |
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2003年10月15日(水) | |
入院生活を「ヒマだー!」と満喫する相方。 私はココで彼の寝顔を思いきり満喫。(笑) 一回だけ一人で新居に戻る時は、またまたドキドキ。 この時私を勇気づけてくれた歌は「すきま風」 眠らないように大声で何度も歌って帰った。 しかし、高速は二車線にして欲しいなり・・・。 対面はかなりビビルものである。 家に帰ったら、自分の荷物を少しづつ片付ける。 久しぶりに会ったゴロウは私を不審者だとは思いつつも、 エサは貰わなきゃああかんから少しだけ近づけるようになった。 |
四国入り、そして相方入院 |
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2003年10月11日(土) | |
朝、東予港に着く。 相方の母上様が住んでいる●条と言う町へ急ぐ。 母上様のウチの隣りが病院だという事で、早速診てもらうためだ。 母上様とご対面。 しかし挨拶もそこそこに病院へと雪崩れ込む。 診察の後、肺に穴が空いている(気胸)との事で もっと大きい病院へ行くように薦められる。 「救急車で行きましょうか?」と言われたが辞退して、 病院の車で運んでもらう。 と言っても相方の車があるので、私はその車を追って運転。 隣りに母上様を乗せてるので大緊張!!! 大病院では直ぐに手術(肺が縮小して回りに空気がたまっているので、 それを抜く為にチューブを入れる)して入院と言われる。 2人ともビックリ! なんせ私は新居へ帰る道すらも分からないし、ココから新居まで約150Km。 高速を使って2時間半だと言う。 どうしようと頭の中をグルグルと駆け巡る。 しかしそんな私の横で相方はキッパリと 「胸に穴を空けた状態で一回家に帰らせて下さい!」 と医者に聞いていた。 ギョギョッ!!Σ( ̄ロ ̄lllと思ったが、医者も「う〜ん!?」とか言いながらも、 「まあ、いいでしょう・・・。」 ヽ(`Д´)ノ いいんかい!大丈夫なんかい!! 心配山盛りだったが、そんな相方を助手席に乗せて、私は初めて高速へ。 怖かった。(必死であんまり憶えてない) 2時間半かけて家に戻り、必要なモノを持ってトンボがえり。 相方は入院。私は相方の母上様のもとで厄介になった。 思いがけず、彼の病気のおかげ(?)で母上様といろんな話が出来た。 |
尼崎よサラバ |
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2003年10月10日(金) | |
相方のお仕事に付いて回る。 にしてもまったく役に立たず、東灘区を回る時なんかは、得意になって先導して走り回り、結局エライ遠回りをさせて相方に貧血を起こさせてしまった。 疫病神である。 お仕事が一段落した後、 武庫之荘駅に着いた途端に相方が蹲って苦しみ始めた。 呼吸困難に陥っていた。 どうしたらいいか分からずオタオタするばかりの私は、ここでも役立たずであった。 しばらくしてマシになったとの事で家路につくのだが、 この苦しみが後の私達の波瀾生活を物語る大きな伏線となった。 相方は夜になってもなかなか苦しみが治まらないようで、 横になったり屈んだりしていた。 ほんまはゆっくり寝かせたいところなんだが、 なにせ出発が11日の午前3時ポーアイ出航のオレンジフェリー。 落ち着いて寝てもいられないのである。 姉にフェリー乗り場まで送ってもらい、 フェリーに乗り込む(オレンジフェリーは車が乗船する場所から人間も乗船)が、苦しみは続くばかり。 あまりに苦しむので物凄く不安になって、 彼が寝た後も鼻下に手を翳して寝息を確かめたりした。 そして何度も目が覚めてその行為を繰り返すのであった。 |
奏良の運動会(尼崎にて) |
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2003年10月09日(木) | |
お義母さんが尋ねてきて、そのまま一緒に行く。 蚊が多くて困ったが、奏良ぴんはめっちゃ可愛く太鼓を叩いたり踊ったりしてた。 姉と一緒の出し物は私がビデオ担当だったが、上手く撮れていたか未だに不安。 その際デジカメも預かってたのだが、 んが「一応、ビデオ頑張って撮ったよ!!( ̄‥ ̄)=3 」 たまな「え!?写真は???」 と言われた時は、正直ぶっとばしたかった。 一度に二つの事を私にさせるのは無理である。 反復横飛びをしながら皿を回せと言ってるようなものである。 夕方、相方を三宮まで迎えに行く。 少しお茶して姉の家へ。 今夜は4人で飲む。 |
のんびり |
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2003年10月07日(火) | |
姉のお仕事がある日は、頼まれた事だけしてボーッとしてる。 |
尼崎へ |
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2003年10月06日(月) | |
田舎に手を振りながら、姉のもと(尼崎)へ。 天気がぐずついてたが、梅田まで迎えに来てくれたのでラッキーだった。 初めて聞く「ダイアモンドシティ」と言うトコに連れてってもらったが、大型スーパーと専門店の融合といった感じだろうか。 今夜から毎日、夜は飲みに行く(または家で飲む)予定である。 愛する奏良ぴんはごっきげんで、何度も「待て待て」させられた。光栄である。 |
祖母の法事(田舎にて) |
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2003年10月05日(日) | |
手伝い要員としても動く。 と言っても、食事を並べたり、お酌をしたりするだけだったけど・・・。 いつもの如く酔っ払った父上を後部座席に押し込んで連れて帰る。 相変わらず酔っ払ってるわりには運転にウルサイ。 もう乗せてやんねーぞ。うりゃ! |
偶然バッタリ(田舎にて) |
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2003年10月04日(土) | |
友達のお墓参りのために若松へ。(北九州) 小月まで車で行ってそこから電車に乗るつもりが、 コインパーキングが無くなっていて、 しょうがないので初めて長府まで足をのばした。 しかし、やはり駅前付近に駐車場が無くて困っていたところ、 親切なタクシー運ちゃんの「駅前に無断でとめちゃえ!」 と心暖まるアドバイスに勇気づけられ無断駐車決行。 無事にお墓参りを終え、母上と待ち合わせている下関へ。 駅について驚いたのは、約束もしていなかった大分の叔母が一緒に居た事。 明日の祖母の法事に合わせて帰ってきたらしいが、 偶然すぎてビビリまくりだったなあ・・・。 一緒に昼ご飯を食べて叔母と別れたあとは、母と式場の下見。 |
荷物整理 |
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2003年10月02日(木) | |
田舎へ運んだ中で必要なモノを荷造りし直す。 今日だけでは終わらないようで、明日もこの作業・・・。 |
ぶーいんぐ |
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2003年10月01日(水) | |
昨夜、田舎へ帰っていたけど、職場のみんなへの餞別返しのために、 再び北九州へ。 思いのほか時間が無くて(何にしようか迷いすぎた)行くのが6時過ぎてしまい、 予め来訪を知っていた先輩たちから「来るのが遅い」とブーイングの嵐だった・・・。 |
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