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2010年03月07日(日) |
イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅 |
名古屋発ソウル経由、ミラノ経由、ローマ着まで何と15時間もの乗り継ぎの旅が始まりローマはレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に着いた一日目が過ぎ翌日の二日目はローマからナポリま約200kmバスで移動。 ナポリからバスで約一時間半ほど北にあるカゼルタ宮殿の見学からはじまった。イタリア、カンパニア州カゼルタ県カゼルタにある宮殿はブルボン家のナポリ王が建てたもので、18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。1996年、UNESCO世界遺産に登録された。
カゼルタ宮殿 ブルボン家のナポリ王が建てたもので、18世紀にヨーロッパで建てられた中で最も巨大な宮殿といわれる。1996年、UNESCO世界遺産に登録された。
1200以上の部屋と120ヘクタールの大規模な建築はパリのベルサイユ宮殿をしのぐことを目的として建てられたもの。
中央の白い柱のように見えるものは山の真ん中から出るように設計された滝。
卵城(伝説が残るナポリ最古の城)
カゼルタからバスを走らせて太陽の愛される陽気な港町サンタル・チア港の突端に立つ卵城 を車中から見学。 卵城、 別名:カステル・デッローヴォ 城の基礎に埋め込まれた卵が壊れると同時に町も城も滅びるという伝説に由来するそうです .... ナポリ・サミットで村山首相が行ったところでしたが、場慣れしない村山首相は前日したたかお酒を飲んで二日酔いしサミットの宣言に出席できなかった。その言い訳に出された料理のオリーブ油にあたったといったから大騒ぎ。イタリア中から喧々囂々の非難が殺到。しかし、首脳陣のあいだでは出されれた料理は最高だったと絶賛された。村山さんは近くの病院に入院。情けない醜態を世界中にさらした。
はるかかなたにヴェスヴィオス火山が見える。サンタルチア港。
昼食に食べたミネストロ・スープ。
ピッツア・マルゲリータ
洗濯物が翻るナポリの風景
2010年03月06日(土) |
イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その3) |
南イタリアの旅三日目はナポリからマテーラへ約254km走行。 イタリア半島のかかとの部分の二つの世界遺産を終日かけて観光。
「世界遺産」マテーラの洞窟住居群
サッシと呼ばれる洞窟住居群はカルスト地形の谷間に重なる「洞窟住居群である。 マテーラは斜面上のの新市街とサッシ地区に分かれている。一帯は先史時代からの歴史があり、サッシも旧石器時代から時代を追って作られ現在も一部は住居として利用されている。1993年に世界遺産に登録された。
洞窟住居の中はロバや鶏などの家畜と同居。内部の様子が展示されていた。
昼食後、アルベロベッロへバス移動(約70km) アルベロベッロのトゥルッリ地区観光。
トゥルッロと呼ばれるとんがり屋根の白壁の家屋が続くブーリア州にある街がアルベルベッロ。現在住居としても使用され土産物屋としても利用されている。
トゥルッロとは、石を積み重ねて石灰を塗った壁に円錐形の屋根を乗せた家のこと。
桜の花のようだけれど、アーモンドの花。
観光に来た日本人のよう子さんはここで恋に落ちて結婚。みやげ物やを営んでいる。日本のテレビにも良く出ている人で内部を見せてくれたが、ほとんどはみやげ物商品が並んでいて格安で日本人相手に商売熱心に売っていた。
屋根の上の模様は呪い師の家だったり、単なる装飾だったりする。
25平米で3000万円もするトゥルッロ。別荘にする人もいるとか。 日本人のよう子さんにここでの生活ぶりを尋ねると「不便以外のなにものでもない」という返事があった。電気水道はあるが、プロパン利用とか。寒いときはマイナスとなり、夏は40度以上とか。住むのはなかなか大変そうだ。
※昼食はリコッタチーズのラビオリを食べたが美味。
2010年03月05日(金) |
イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その4) |
南イタリアの旅4日目はアルベロベッロを出発してソレントへ移動。約300kmの移動。
「帰れソレントへ」の歌でおなじみのソレントは海を挟んでナポリと向かい合うような位置にあるリゾート地。ヴェスヴィオス火山をはるか向こうに望む美しい街。
ソレントからアマルフィ海岸沿いの都市を巡るドライブを愉しむ。 美しい景色が広がるアマルフィは10〜11世紀にはヴェネツイア、ピサ、ジェノバと並ぶ海運共和国として君臨。14世紀はじめには羅針盤を実用化したフラヴィオ・ジョイアの故郷でもある。
絶壁にへばりつくように建つ美しい家。金持ちが多い。
ポジターノの丘から眺めた絶景スポット。
翌日に観光する予定だった「エメラルド洞窟観光」は天候により見ることができないかもしれないという。海岸線の洞窟そばまで来たついでに様子を聞いてみると今日は洞窟内があいていて観光できるという。明日の天気はわからないので洞窟が開いているときに見てしまおうと急遽予定変更してエメラルド洞窟観光となる。ボートに乗り洞窟内に入る。波もなく静か。
本当にエメラルドのような水の色。
光の屈折によりエメラルド色に見える。これが天候が荒れると洞窟に入れないばかりか、波により海岸に近寄ることも出来ないほどとなるとか。ラッキーな日となった。
ホテルの部屋から見た夜景。
2010年03月04日(木) |
イタリア美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その5) |
南イタリアの旅5日目は朝から猛烈な風と雨。昨日洞窟観光しておいて正解だった。 今日は船を借り切ってアマルフィ海岸クルーズの予定が激しい風と雨で岸壁まで船を寄せることも出来ずクルーズはなしとなった。
雨雲がたちこめて風が強くなってきた朝の風景。
岸壁に打ち寄せる波しぶき。
アマルフィクルーズがなしとなって急遽アマルフィ海岸の東の入り口にある歴史ある街サレルノに向かう。 災い転じて、イタリアに来て初めて街の人たちと触れ合うことができる町歩きとなった。 魚市場があり、パン屋がありと街の人たちが行きかう人間臭い場所にやってきて嬉しくなった。旅はこうでなくっちゃね。
魚市場にやってきた。魚をさばいている人、おばさんたちが魚を選んで声をかけてとにぎやかだ。
「ちょっと、もっとまけなさいよ」「なにいってんだよ、これいじょうまけられないよ」
海運王国の繁栄を物語る街の象徴としてこんなに素晴らしいドゥオーモが建っていた。創建は6世紀。入り口には11世紀にコンスタンチノープルで鋳造された青銅の扉が残る。
中も立派。
雨がこやみになってカフェにここの有名なお菓子を発見!!!
左のお菓子、女性の何かに似ていませんか?(笑)カプチーノと共においしく食べました。 外側は生クリームかアイスクリームのようなもので覆われていて中はスポンジとカスタードが入っていておいしかったです。
昼食はイカのサラダとボンゴレパスタを食べました。沖縄出身の姉妹と同席。最高に愉快な人たちで普天間基地の話題から結婚生活までお腹をかかえて笑いあって食事した最高においしい会話と昼食でした。
昼食後はポンペイへ移動。 古代ローマ時代、地方都市のひとつだったポンペイは紀元79年、ヴェスヴィオス火山の噴火により街全体が灰の下に埋まったが、18世紀初頭からはじまった発掘調査によ0ってその姿が徐々に現われた。
世界遺産ポンペイ遺跡観光。有名な「猛犬注意」のモザイク画。邸宅玄関前の遺跡。
秘儀荘 大小90の部屋のほか、ワイン製造所もあった邸宅。ディオニュソス信仰の入信儀式がモチーフとされる『ディオニュソス秘儀の図』。等身大で描かれた人物と、赤色の背景が特徴。
レモン農園
美しいラッパ水仙の群れ 左横に二匹の黒い犬がたわむれ、写真真ん中には両耳がひょっこりみえる一匹の黒い犬が可愛かった。黄色い水仙の群れの中に真っ黒な犬。
2010年03月03日(水) |
イタリ美の奇跡と世界遺産アマルフィの旅(その6) |
イタリアの旅6日目はローマ歴史地区の観光からはじまり、そして終了する。
朝早くおきてホテルのそばを散歩。先ずは地下鉄とバス乗り放題の一日券をテルミニ駅で購入(4ユーロ)。
観客用の馬車が駅前目指してご出勤。
コンスタンティヌス帝の凱旋門 コンスタンティヌス帝のミルヴォ橋での戦勝を祝い、315年に建造されたもの。3連アーチがあり、高さは28m。 古代から現代までの歴史を見守るローマ最大規模の凱旋門。
コロッセオ 古代人が熱狂た闘技場跡。猛獣と剣闘士がここで戦ったのかと思うと歓声まできこえてきそうだ。奴隷と猛獣がどちらか死ぬまで戦った場所。人間は娯楽の為に残虐なことをしたものだ。
サンタンジェロ城 ヴァチカン市国にあるサンタンジェロ城 ヴァチカンは世界最小の独立国家である。ここにある建造物と美術品は世界最高峰とも言われている。サンタンジェロはかつてはハドリアヌス帝の廟であったが、5世紀要塞に改築された。この城はオペラ『トスカ』の舞台となったところで、「歌に生き愛に生きた」歌姫トスカがこの城の屋上から身を投げた。
テヴェレ川左岸に見えるのはカトリックの最高聖域サン・ピエトロ大聖堂がみえる。
コンスタンティヌス帝はローマで壮絶な殉教を遂げた聖ペトロが没した場所に寺院を建てることを命令。4世紀半ばにサン・ピエトロ大聖堂が創建された。
小学生の遠足。みんなよい子にしていました。
観光客が一度は訪れるトレビの泉。 映画『ローマの休日』でオードリー・ヘップバーンが買ったジェラートをこのそばの店で買って食べた。おいちかった!
世界中からやってきた観光客でごったがえす通り。スリも稼ぎ時とばかりに横行しています。
地下鉄とバスの一日券を買って先ずはヴァチカン美術館へ行く。
この美しい螺旋階段をみてNYのグッゲンハイム美術館の螺旋階段をふと思い出した。
ヴァチカン美術館の無数の美はもう写真に写しきれないほど絢爛。まさに至宝。 ヴァチカン宮殿のほぼ全体が展示室となっていて総長距離は7kmにも及ぶ。16世紀のユリウス2世の時代の美術館としての母体からはじまり、18世紀に一般公開されるようになった。所蔵品のほとんどは歴代法王の美術コレクションである。
続いてヴァチカン美術館の最高峰システィーナ礼拝堂へと向かう。そこにはミケランジェロの最高傑作『最後の審判』と天井画が埋め尽くされている。静粛に、撮影厳禁と守衛が数人みはっていて厳重。世界最高の美術品とミケランジェロ最高傑作を堪能して外へ出た。 そとは激しい雨。 イタリア最後の日にとうとう激しい雨に降られた。雨の中バスに乗りミケランジェロの設計した広場へと向かう。今回の旅の目的の一つ。カンピドーリオの丘へ向かう。
ミケランジェロの設計した階段と広場。
2,500年栄光の歴史が今も残ることに感動する。ミケランジェロ偉大なり。
雨の中フォロ・ローマノの遺跡群をみに。
土砂降りの雨の中、バスに乗りバルベリーニ広場へと向かう。 「トリトーネの噴水」 1642年ウスバヌス8世の命によりベルニーニが完成した噴水である。台座にイルカ像と巨大な貝が配され、その上をトリトーネ像がほら貝から水を噴き上げている。
ローマにはお洒落なカフェがある。ここは映画にも良く出てくるし、マルチェロマストロヤンニがよくお茶しにきたところとか。
こうして私の「ローマの休日」は」春雨にけぶるなか静かに幕を下ろしたのだった。
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