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2007年05月26日(土) 富山(小矢部市)・金沢(長町・武家屋敷・茶屋町)の旅

昨日の雨が嘘のように出張先の富山は快晴。

気温は29度にまであがる見込みとの朝の天気予報どおり。

車に乗って出張先の富山県は砺波をでて帰路へ着くことに。

帰りも行きと同じようにのんびり休み休み、金沢や近県を見物しながら帰ることにした。

先ずは砺波から小矢部市へと移動。

小矢部市(おやべし)は、富山県の市。国内外の代表的な洋風建築物をモデルにしたメルヘン建築物が数多く建てられていることで有名。

故 松本 前市長が「これから育つ子らに夢を」と保育所や小学校、中学校などを中心に公共の建物をヨーロッパの有名建造物に似せて作るなど、次々とメルヘンチックな建物に建て替えた。

当初は、「こんな田舎に不似合いな建物を」と反対の声もありましたが、その数が増えるに連れて市民自慢の「メルヘンの街」が出来上がり、訪れる人が年々増えている。


   東蟹谷保育所
本体は、金沢旧制第四高等学校、玄関、塔屋は、東大安田講堂、塔上部はドイツのハイデンベルグの古城の塔を模して造られたもの。

      蟹谷小学校

校舎と時計台は、東大教養学部、体育館は
一橋大学の兼松講堂を模して造られている。

こんな風に「子どもたちに夢を」と言う言葉だけでなく実践してしまった前市長はたいした人だ。
そして今や名物になって観光にもしてしまったのだからすごい。
夢がある人だったのだなあと感心。


小矢部は田んぼの風景が美しいところだ。


小矢部を後にして一路車は金沢へ




尾山神社(おやまじんじゃ)は、石川県金沢市に所在する神社。
主祭神は、加賀藩の藩祖前田利家で、創建は1873年。


       
    神門(国の重要文化財)
最上部の窓はステンドグラス
津田吉之助によって建てられたもので、重要文化財に指定されている。

ここを出てから車は金沢市内にある長町へ。
金沢の中心商店街香林坊から裏道へ入っていくとタイムスリップした空間に迷い込んでしまったように思える長町の武家屋敷へ出た。



近代的なビルの並んでいる目と鼻の先に江戸時代の武家屋敷の様子が残る長町武家屋敷がありま時代劇の劇中にいるような錯覚が。

長町は前田八家の1つ長氏の屋敷があったことから名付けられた。廃藩置県により、金沢県ができ、その県庁が長氏の屋敷に置かれた。現在の長町武家屋敷一体は長氏、村井氏をはじめ上級武士から中級、下級武士などが住んでいた。
現在では、当時の武家屋敷は殆ど残っていないけれど、中級武士だった野村家邸は当時の武士の邸宅の様子を伺うことができる。


この武家屋敷とはがらりとかわって今度はお茶屋町へと移動。



東山ひがし(ひがしやまひがし)は、石川県金沢市にある伝統的建造物群保存地区の名称で、 南北約130m、東西約180m、約1.8haの地区のこと。 保存地区内の建築物140のうち約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された茶屋様式の町家が多く残る。


美しい格子戸がはまっている茶屋様式の町屋は日本家屋の粋で洗練されていて独特の美しさがある。



金沢の名菓「森八」の店。

この「森八」の裏手に泉鏡花の生家があったとのこと。



粋な風情のお風呂屋さん


裏手の路地に入るとこんな風景も




美容院などと野暮なことはいいっこなしよ!
言うなら「髪結いどころ」

よく使いこなされあめ色になったつげ櫛が飾ってあった。



これがお米屋さんだというのだからなんと粋ですてきなんざんしょねえ!


2007年05月25日(金) 富山・五箇山・世界遺産菅沼合掌集落

大雨の中、いよいよ出張先の富山へ車は進むことができた。

先ずは小さな世界遺産の村、五箇山へ



国指定の重要文化財で、最も大きな合掌造り家屋として有名なのが「岩瀬家」。

岩瀬家は「塩硝役宅」とされ、五箇山で作った塩硝を上納する役目を果たしていました。加賀の役人の宿舎にもなっていたので、居間は書院造りとなっており、材質にはけやきを使用することを許されていました。囲炉裏では合掌造りについてのお話が聞け、天井裏へ登ることもできます。

普通の合掌造りの家は三階建て。
この岩瀬家は五階建て。

三階以上の部屋はお蚕を飼っていた。
これはお蚕の部屋

さて車はさらに北上し、世界遺産菅沼合掌集落へ





ここから先は出張先であり会議があるホテルへと急ぐことにした。
4時から会議があり、以後懇親会、そして就寝と長い一日は終了したのだった。


2007年05月24日(木) 世界遺産岐阜県白川郷

雨の中さらに車を北上させ、世界遺産白川郷へ。


合掌造りの民家がみえてきた。



合掌造りの民家はみやげものやに。藤の花が軒先を伝っていて美しい。


茅葺きの古い合掌家屋が113棟並んだ姿は、昔の日本の風景そのまま。


いよいよ出張先の富山へと車を急がせることにした。
(続く)


2007年05月23日(水) 岐阜県郡上八幡・ひるがの高原

朝4時起床。

富山へ出張のため早起きする。
自宅から富山まで車で出かけることにした。

朝4時ごろから雨が降り出して五時半に家をでるころには土砂降りとなった。

富山では夕方の会議と懇親会に間に合うように行けばよいのでのんびりと郡上八幡、白川の合掌村、五箇山の平家の落人の集落などを見ながら行く予定にしていた。

車で名古屋から富山までというのはかなりの距離だけれど、のんびり行こうと思ったので気持ちは楽だったけれど、いかんせん雨が土砂降りでは興ざめだ。

先ずは大雨の中岐阜県郡上八幡に。

郡上八幡は長良川の上流に位置し、奥美濃の山々から流れ出た吉田川、小駄良川など三つの川が合流するところにある。

この恵まれた地形と、長い歴史の中で郡上びとによってはぐくまれた清流の文化は郡上八幡の貴重な遺産。

環境省が選定した「日本名水百選」の第1号に指定されたことで有名になった湧水が「宗祇水」



文明3年(1471)連歌の宗匠・飯尾宗祇が郡上の領主である東常縁から古今伝授を受けて京へ戻るとき、当時の2大歌人であるふたりが、この泉のほとりで歌を詠み交わしました。

「もみじ葉の 流るるたつた白雲の 花のみよし野思ひ忘るな 常縁」

「三年ごし 心をつくす思ひ川 春立つ沢に湧き出づるかな 宗祇」

惜しむ別れを清泉に託した2首の和歌が残されている。

雨がどんどんふりしきるので先を急ぐことにした。
車のワイパーがせわしなく左右に首を振るなかひるがの高原へ。


長良川源流に位置するひるがの高原は日本海側と太平洋側の嶺
にあたる分水嶺がある。小さなせせらぎが流れる分水嶺から、左
が太平洋、右が日本海へと分かれる。

ここではほんの小さな流れだがやがて長良川と庄川の大きな流れ
となり、また海で1つになる。そんな小さなドラマがここにある。

雨はやむ様子もなく、次は世界遺産に認定された岐阜県白川郷へと車を進めることにした。


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