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2006年02月26日(日) |
モロッコとサハラ砂漠の旅 |
2月25日〜3月4日までの「サハラ砂漠とモロッコ幻想紀行」の旅日記です。
中部国際空港からパリ乗り継ぎ便にてモロッコのカサブランカへの第一日目の旅がはじまりです。
※北西アフリカの三国、モロッコ、アルジェリア、チュニジアを総称してマグレブと呼びます。 マグレブとはアラビア語で「日の没する大地」。 モロッコは有史以来、ヨーロッパ、アフリカ、アラブをつなぐ交易の十字路として重要な役割を果たしてきた。その結果、ベルベル&アラブ文化をベースとし各国のエッセンスがまじった多彩なカルチャーが生まれた魅惑的な国です。 気候も風土も表情豊か。 国土は日本の1.9倍の広さ。緑豊かな地域もあれば、砂漠地帯、アトラス山脈の高地には雪がありと表情豊かな国です。
<モロッコの旅の第二日目> ●カサブランカ観光 カサブランカは人口257万人。最大の経済都市。国の経済を支えるリン鉱石(世界の75%を埋蔵)や、農産物の輸出港としても大切な役割を果たしている都市。 カサブランカはハンフリー・ボガードとイングリッド・バーグマンの映画「カサブランカ」で有名です。 着いたのは夜。 土砂降りの雨にがっかり。 なんときいてみれば、今は雨季だというじゃありませんか! なぬ!雨季?だまされた〜! 一週間ずっと雨なんだろうか?砂漠にも雨がふるの?とがっかり。 しかし、しかし、日ごろの行いがよい私。翌日から帰国するまでずっと晴天になりました。
ハッサン2世モスク
1986年から1993年まで8年がかりで完成したモロッコ最大のモスク。 昨夜の雨で足元の大理石がぬれて光っている。 ● マラケシュ観光 マラケシュの街は新市街と旧市街、史跡地区と大きく3つにわけられている。
クトウビアの塔
メデイナ(旧市街)の西にそびえ建つマラケシュのシンボル、クトウビアは高さ65mの美しい塔。4面それぞれ異なる装飾を持つムーア様式建築の傑作。
アグノウ門
スルタンが宮殿に行くために使われた門だが、死刑に処される罪人の首をさらす場所でもあった。 門の上にはコウノトリの巣があった。写真右側の上にコウノトリが見える。
バイア宮殿
アルハンブラ宮殿にも負けない宮殿。4人の妃と24人の側室たちの部屋がある。 ここは時々国王が宿泊するというだけあって輝く宮殿で豪華。
ジャマ・エル・フナ広場
死者の広場と呼ばれ、ムラ・ビト朝時代の公開処刑場。 大道芸人が集まり、多くの人があつまりにぎやか。
スーク
モロッコのスークでは値札がないのが普通。商品の値段は店主との交渉で決める。 荷車やろば、馬車が通る。
ねずみの男ような服装をした人がパンのようなナンをくれた。
タジン(三角形のふたが特徴の土鍋で煮た煮物料理)
炭火で煮炊きをしていてちょっとびっくり。
ケバブ(串焼き肉) <モロッコ紀行三日目> テイシュカ峠2260mを越え、アトラス山脈を越え、ワルザザードへ。1987年世界遺産になった要塞化された土の村アイト・ベン・ハッドウ観光。カスバ(要塞)と街並みを散策。
アトラス山脈
アトラス山脈はモロッコを大きく分ける二つの顔を持っている。 北側のマラケシュ、フェズ、メクネスといった「城壁とメデイナの世界」とすれば、南側はサハラ砂漠へと続く「カスバとオアシスの世界」。 「アトラス山脈を越える」ということは4000m級の山々の壁を越えていくことを意味するのでそれは大変なこと。 風景のあまりの変化に驚愕しないものはいないだろう。
アトラス山脈を越えると別世界が広がる。 4000m級の山の壁が地中海の温暖な空気を遮断し、南にはサハラ砂漠迫る。山と砂漠の狭間、この地域は北側とはまるで違う気候風土。乾燥大地には数本の川が流れ、そのほとりにオアシスが点在する。そこには日干しレンガつくりの村がある。 かつては要塞だった村。
アイト・ベン・ハッドウ村
ワルザザートの西33km。アイト・ベン・ハッドウ村は日干しレンガ造りの古い「要塞化された村」の一つである。 村の道が迷路となっていて難攻不落の要塞を思わせる。
幸運のおまじないの字
なんだか「おでん」を思い出してしまいました。
くずれかけた壁の穴から見える要塞
アーモンドの花 桜の花に良く似たアーモンドの花が綺麗だった。
チキンクスクス
<モロッコの旅四日目> トドラ渓谷を経てエルフードへ。
トドラ渓谷
トドラ渓谷はモロッコのグランドキャニオンといわれる峡谷。 ヨーロッパのロッククライマーたちがこの岸壁に張り付いてロッククライミングを楽しむ。 ここでフランス人の女性がころんで救急車が呼ばれた。 救急車は真っ赤な色だった。病院設備が整わないこの地で骨折してどうやって帰るのだろうか? 気の毒に。
渓谷を流れる川でろばに水をのませる現地人。
やぎ
トドラ渓谷の絶壁
ターバンの巻き方を教えてもらってにわかベルベル族。
ケアラムグナの村で取れた三葉虫の化石
アンモナイトの化石
キヨクテ(肉団子)のタジン(煮込み料理)
<モロッコとサハラ砂漠の旅(5日目)> 朝4時に四輪駆動車に乗って一路サハラ砂漠へ
がたがたと道なき道を四輪駆動車にのって頭を天井にぶつけながらサハラ砂漠へ向かう。 やっと着いたサハラ砂漠は暗闇の中で明かりもなくらくだの群れがあるだけ。
私はらくだに乗らず、歩いてサハラ砂漠の砂を踏みしめてみたかった。
砂丘はどこまでも続いていて方向感覚が分からなくなる。 ガイドの導きで歩くのだけれど、さらさらした砂漠の砂に足を取られ、歩きづらい。 休んでいると取り残されるので怖くて休めない。
砂丘は果てしなく続いて息が苦しくて登りながらハーハーと息の音がサハラ砂漠の闇のなか響く。
やっと暗闇の中、朝日を眺めるのに絶好の砂丘に到着。 もう苦しくてぜーぜー、ハーハー。 はるか砂丘の向こうにベルベル族(ベドウイン族)のテントが見える。 そこかららくだの隊を組んで砂丘をゆうゆうと歩いていくのが見えた。
これがサハラ砂漠を行くらくだの隊列
砂漠の真ん中にUFOのような雲がポッカリと浮かんでいた。
残念ながらサハラ砂漠から昇る朝日を拝むことはできなかった。
がっかりしてまた四輪駆動車にがたがたと揺られながらホテルへ帰って朝食。
朝食後、アトラス山脈を越えてザット峠(2178km)を越えることに。 ザット峠(2178km)は昨日まで深い雪のため、道が封鎖されているという。 今日も通れなかったら、迂回して別の道をバスでいかなければならない。 幸運なことに封鎖解除。
モロッコと云う国は驚く。 砂漠があるかと思うと緑濃きオアシスが突如現れ、峠を越える頃には雪が降っているという風で気候がまるで変わる。 風景もがらりと変わる。ザット峠(2178km)にはこんなに雪。ここには写真にあるように 世界遺産に指定されたアトラス杉の村がある。
<モロッコの旅(6日目)>
フェズ観光、旧市街の迷路のような道をぐるぐるとまわる。皮のなめし工場見学。
メデイナ(旧市街の狭い迷路のような通り) ろばで荷物を運んでいる。狭いのでロバにぶつかりそうになりながら歩く。 左側には肉やが肉をぶる下げて売っている。
小学校。 この国は一家族に子どもが5〜7人という子だくさん。子どもは労働力になるのでたくさんいる。
左側の紫色の服を着ている夫人は目だけだして全身を覆っている。
皮のなめし工場。
殺したばかりの動物の皮をなめしたり、染めたりする工場。 右側の黄色いものは動物を裂いて干してある。 左側には染料の入った壷が数十も。 監督のような人が見張っていて、染める雇い人は染料の壷にすっぽり入って足で染めている。 染料が全身に染まって凄惨。女工哀史のような感じ。
石灰を鳩のふんで洗うので臭気は嘔吐しそう。 見学者にはミントの葉が配られ、それを鼻にあてがいながら見学しないとものすごい臭気で吐きそうになる。
きんぽげの花がじゅうたんを敷き詰めたよう
イカにご飯をつめたイカのタジン(煮物料理) 旅行中で一番口にあった食べ物。
<モロッコの旅をおえて> モロッコとサハラ砂漠幻想の旅はこうして8日間があっという間に過ぎていきました。
モロッコと云う国は北西アフリカに位置し、西に大西洋、東にアルジェリア、南に西サハラを挟んでモーリタニアと接している。一方、北側はジブラルタル海峡を挟んでヨーロッパ大陸とせっしているという地形。 スペインのアルヘシラスから高速船で1時間、わずか14kmという距離。 まさにヨーロッパからアフリカへのゲートウエイといえる。
大西洋岸や地中海岸にかけては肥沃な平野が広がり穀倉地帯となっている。 一方アトラス山脈のから東は砂漠とオアシスの世界。南下するにしたがって砂と岩のサハラ砂漠が広がってところどころにオアシスが点在する。
気候は地域によっては昼夜寒暑の差が20度Cもある。
治安は比較的良いけれど夜で歩くのはやはり危険。 民族は国民の6割がアラブ人、3割がベルベル人。民族の対立はほとんどない。
モロッコをざっと一周して日本の約2倍の広さには砂漠あり、平野あり、山岳地帯あり、日干しレンガつまり、泥だけで造られた家の要塞と言った異様な景観に圧倒された。
迷路のような要塞の村、狭い旧市街をいまだにロバで荷物を運搬し、その生活ぶりは日本のはるか昔、60〜70年前のような暮らしぶりであった。 またフェズの旧市街では9世紀初めモロッコ最初のイスラム王朝の都ができ、1000年を越えたいまなお市民の生活の場としていき続けている様子は壮観である。
無数にめぐらした網の目のような城壁の内側では壮麗なモスクがあり、スークとよばれる商店街がひしめいていて「カオス」の世界に迷い込む。
子どもは労働力になるのでみな子沢山。
ヨーロッパなどの西側諸国とはまったく異とする景観と異文化はまさに砂漠の迷宮といった面持ちの国の印象が濃い。 泥を乾かしてレンガにした要塞の村はそまつなのに修復しながらも100年は持ちこたえた。 いったい誰がどのようにしてこうした要塞を造ったのだろう。 休憩に立ち寄ったトイレの脇には小さな部屋があり、そこはお祈りの部屋だった。 一日5回メッカの方角に向かってお祈りするイスラム教徒。 これだけ多くのイスラム教徒を内包するアラブ、アフリカ諸国を敵にまわしてイラクを攻撃したアメリカは安々と統合統治できるものではないと実感。
今まで見たこともないような景観を有する異文化と砂漠とオアシスの国、モロッコは欧米の価値観からは計り知れないものを持つ国という印象だった。 アラブ、イスラム圏の国々を芯から理解するのは長い期間をゆうするのだろう。
異文化に触れて「カオス」の迷宮にさまよった一週間であった。
モロッコみやげです。
らくだの人形とスリッパ
ラクダの皮のスリッパ なめし皮屋で買ったもの。ラクダの皮は丈夫で品物は良質です。
ホテルのみやげ物やで買ったスリッパ。
ビーズ刺繍がしてあっておしゃれ
ラクダの人形と愛犬クッキー
らくだと愛犬は同じ大きさ。ちょっといじけている愛犬は人形より小さく見える。 ラクダのお目目が愛犬と似ていたので思わず買ってしまったものです。
私はついにサハラ砂漠でラクダを一頭買ってしまったというわけ!
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