自殺未遂。 - 2005年01月25日(火) その頃毎日、母親のすすり泣く声で目を醒ましていた。 母は病気のせいで(正しくは薬の副作用のせいで)自分の身体が思うように 動かないことに対して毎日「死んでしまいたい」と悲観的になり 毎朝毎朝泣いていた。 私はその声で目を醒まし、母のいる台所へ向い、時には母を宥め 時には好きなだけ泣かせて落ち着くまで傍にいた。それから出社していた。 母の精神状態がギリギリなのと同様に私の精神状態もギリギリだった。 母の具合が悪くなれば私の具合も悪くなる。まるで一心同体のようだった。 鬱病の私には「お母さんが1番苦しいんだから私がしっかりしなきゃ」 という思いが日に日に疲労感とともに薄れ、私の中の自殺願望も反比例するように 増えていった。 そして1月25日の朝。またいつものように母のすすり泣く声で目を醒ました。 その日の母は私が何を言っても聞き入れてくれることなく ただ首を横に振り「死にたい。死にたい」と言っていた。 そして私の中の自殺願望が一気にはじけた。 私も死んでしまいたい。 そう思い自室に帰り、処方してもらったばかりの睡眠薬と抗鬱剤、計約80錠を 一気に飲みこんだ。そして意識があるうちに私はたっちゃんに遺書めいた メールを送った。そしてメールを送信した直後に意識が朦朧となり ベッドに横になった。その後のことは一切考えていなかった。 覚えていないのだけど、その日私はたっちゃんと電話やメールで 薄れていく意識の中連絡をとっていたようだった。 しかしそれも午前中だけの話で午後は私の身体がいうことを聞かず たっちゃんからの夥しい数の着信履歴だけが残っていた。 夜7時。深い眠りについていた私は家に駆けつけたたっちゃんに揺れ起こされた。 それでも呂律は回っておらず、目に見えるたっちゃんも2重3重に見えた。 たっちゃんは空になった薬入れを見つけ、すぐに救急車を呼んだようだった。 母はただ自室で寝ているだけだと思った私がそんなことなっていたことに 錯乱し、パニック状態になっていたようだった。 救急車が来ると同時くらいに父が帰宅し、母を宥めながらも父も錯乱し、 泣きじゃくっていたことを覚えている。 パニックを起こしている母をおいてはいけないと父はたっちゃんに付き添いを 任せたようだった。たっちゃんはずっと私の傍にいてくれた。 けたたましい救急隊員の声が耳をつき、私は開けていても瞑っていても 何かを見ることはできなくなっていたので固く目を閉じていた。 周囲で何が起きているかも把握できないまま私は救急車で病院に搬送された。 搬送先の病院が決まるまで何度も何度も父が救急車のところへ来ては 泣きながら 「娘を助けてください。娘を助けてください」 と訴え続けていた。それを聞いていた私は自然に涙が零れた。 搬送先の病院で私は点滴を受けた。 固いベッドに薄い毛布を1枚だけかけられ、私は寒かった。 点滴が終わる頃には意識も取り戻してきており、寒さだけが異常なほどに 私を苦しめていた。 そんな中、私の右手だけとても暖かかった。そしてなぜか湿り気があった。 顔だけを右に向け、自分の右手を見るとたっちゃんが泣きながら握り締めていた。 たっちゃんは私の右手を顔に付け、まるで祈るように泣きながら 両手でそれを握り締めていた。 私は声を振り絞りたっちゃんに声をかけた。たっちゃんはそれにはっとなって 私を見つめながら私の頬を撫でた。 「もうバカなことはしないでくれ」 「もう離れたくない」 「俺の傍にずっといてくれ」 「むつみがいないと生きていけない」 それらの単語を断片的に覚えている。そしてそれを聞いて私も涙を零したんだ。 家に帰り、父と母の安堵した顔を見て自室でまた眠りについた。 父と母はたっちゃんにしきりに礼を言っていたようだった。 自殺未遂を図ったことで両親は今まで以上に私の病気への理解を示してくれ それまでの私の苦しみを強く痛感したようだった。 そして私も自分の犯した事実とたっちゃんに対しての自分の気持ちを 改めて痛感した。 それ以来、母は死にたいと泣かなくなった。 私も無理をしなくなった。 たっちゃんへの自分の中の想いにも嘘をつかなくなった。 - たっちゃんからの告白。 - 2005年01月17日(月) 誕生日が1月15日だった私のためにたっちゃんは ディズニー2daysに連れてってくれました。 浦安にあるホテルを予約してくれて。 ディズニーはとっても楽しかった。シンデレラブレーションも 中央鑑賞エリアで見れたし、誕生日ではないけどバースデーシールをもらって いろんなキャラやキャストの方にお祝いの言葉をかけてもらえてうれしかった。 たっちゃんはどこに行ってもだけど私の行きたいことやりたいことを優先して くれるのでかなりわがままな回り方をしていた(゚ー゚;A それでもそれを一緒に楽しんでくれるのでわがままな私も救われる。 ※夏にディズニーで会ったAちゃん。覚えてますか? あなたに「むーちゃんお姫様扱いされてるねぇ」と言われ 激しくこっぱずかしかったです(゚ー゚;Aでもいつもあんな感じなのw そんなこんなでディズニー初日がおわって(冬なのでおわりが7時くらいだった) イクスピアリでバースデーケーキを買ってもらって浦安に移動。 出来たばかりのホテルらしく、シンプルだけど綺麗な作りをしていた。 私はてっきりツインの部屋を予約したのだと思っていたけれど 着いた部屋はダブルの部屋で多少の緊張をした。 まぁ、でも私もオトナなのでディズニー2daysお泊り付きといえば 多少の覚悟はしないわけでもないが、相手が人畜無害なたっちゃんだったので ついつい何も考えていなかった(爆) 部屋の明かりを落としてバースデーケーキにキャンドルを灯して たっちゃんはケータイの着メロで「ハッピーバスデートゥーユー」の オルゴールバージョン(私がオルゴールが好きなため)をかけてくれた。 私がキャンドルを吹き消すとたっちゃんは小さな箱が入った白い紙袋をくれた。 開けてみてと言われてリボンを紐解いて箱を開けると銀色の卵が入っていた。 それを開けると天使の卵の指輪が。。。 たっちゃんはそれを手に取り、黙っていた私の左の薬指につけた。 そして手を握ったまま 「俺と付き合ってください」 そう言った。私はたっちゃんからいつも好きだとは言われていたけれども 私の心情を察してか付き合うという言葉はたっちゃんの口から一切聞いたことが なかった。なのでとても驚いてとてもドキドキした。 私はこの時たっちゃんしかいないと思っていた。 たっちゃんのことが好きだという実感も日々感じていた。 YESと答えることは簡単だった。 でもひでくんのことがいまだに頭に過る。自分の病気とも戦えきれてない。 たっちゃんはそれを承知で私を彼女にしたいって思ってくれていることも わかっていたけれども甘えてしまう自分がどうしても許せなくて 自分の気持ちを一つ一つ丁寧に話しながらその場で出した答えはNoだった。 でも本当はYESと答えたかった。たっちゃんの彼女になりたかった。 素直になりきれない、やけに冷静な自分が憎らしかった。 こんなに愛してくれる人は他には絶対いないのに。。 その夜、たっちゃんは私を抱きたいと言った。 私はたっちゃんに抱かれたかった。その時彼女ではなくても。 だから抱かれた。たっちゃんはとても優しく私を抱いてくれた。 たっちゃんの大きな愛を感じてとても幸せに思えた一時だった。 たっちゃんの腕の中はとても暖かく、この腕に抱かれながら眠れるのなら 睡眠薬なしで眠れる日がやってくるのではないかと思った。 それでも私は自分を許すことができなくてたっちゃんの彼女になることは できなかった。 -
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