プレーオフ第2ステージ第2戦目、試合が決し、そして福岡ソフトバンクホークスの2006年度シーズンが終わった瞬間、マウンド上でがっくりと膝を付いたまま動けなくなった斉藤和巳を見て、「ああ、どこかでこれと似た光景を見たな」と思った。近年、日本のプロ野球で、これほどまでに残酷で悲痛で、それ故に見るもの全ての胸を締め付けて離さないような人間ドラマを見たことは久しくなかったような気がする。特定の選手個人がクローズアップされるようなケースなら、それは尚更だ。 これを言っていいのかどうかは分からないが、敢えて書いてしまうと、マウンド上で崩れ落ち、ホルベルト・カブレラとフリオ・ズレータに抱えられながらベンチに戻り、そこで人目も憚らず泣きじゃくった斉藤を見ていて、それはなんと美しい人間の姿だろうと思った。感動した訳ではない。この光景を忘れることはできない、単純にそう思ったのだ。 そこまで思った時、「似た光景」の正体が、自分の中でおぼろげに甦ってきた。1998年の夏、甲子園球場で行われた高校野球選手権準決勝の横浜高vs明徳義塾高の試合。松坂大輔を擁する横浜高が、6点差を終盤2イニングで引っ繰り返す大逆転劇を演じたあの試合。 最後の場面、マウンド上には先発から一度はファーストに回り、再びピッチャーに戻っていた寺本四郎がいた。渾身のストレートを柴武志に弾かれ、その打球がセカンドの頭上を越して芝の上にポトリと弾んだ時、明徳義塾高98年の夏は終わりを告げた。中盤まではほぼ勝利を手中に収めていた明徳義塾高にとって、劇的と言うにはあまりにも残酷な幕切れだった。 寺本はマウンド上で突っ伏したまま、立ち上がることができなかった。その他の選手も、ある者は寺本同様自分のポジションで泣きじゃくり、ある者は受け入れがたい敗戦の事実に呆然と立ち尽くしていた。大逆転勝利に沸く横浜高のナイン。その傍らでマウンド上に突っ伏している寺本の痛々しいまでの姿。その光景が、斉藤の姿に重なった。 あの日の甲子園、目の前に起きてしまった現実を自分で必死に飲み込み、そして気の済むまで消化しようとして泣きじゃくった男が寺本だったように思う。斉藤の心中を察することは、一介の野球好き風情には過ぎた下衆なことだとは思う。それでも寺本の姿を一生忘れることができないと思ったのと同様、斉藤の姿もまた忘れることのできない光景として脳裏に刻み付けられてしまった身としては、斉藤もまたエースとして許せない自分自身を必死に消化しようとして泣きじゃくったのではないか、と想像してしまうのだ。 全ての学生ランナーにとってそうだとは思わないが、箱根駅伝は多くの学生ランナーにとって人生のハイライトと言っていいものだとは思う。実業団があり、近年はいまひとつとは言ってもオリンピックや世界陸上では一定の結果を出してきた陸上長距離界にとって、箱根駅伝はランナーの最終到達地点ではない。ましてや箱根駅伝は、関東学生陸連に所属している大学のみ参加資格を有する、言ってしまえばローカル大会である。それでも箱根駅伝が学生ランナーにとって人生のハイライトたる意味を持ち得る要因は、伝統に裏打ちされた格式の高さと、オリンピックのマラソンにも引けをとらない国内での注目度の高さにあると思う。 箱根駅伝を最大目標に置いている学生ランナーにとっては、文字通り全てを賭ける価値があると思える大会なのだろう。それを思い知らされたのは、今日立川で行われた箱根駅伝の予選会を見ていてだった。 箱根駅伝の予選会から本戦に進めるのは9校。しかしそのうちの多くは箱根常連校と呼ばれる学校が、前回の本戦でシード権を失った結果予選会に回り、順当に出場枠を占めていく。つまり、箱根常連校以外の大学にとって、本戦に進める枠というのは9つではなく、限りなく1つに近い。その枠を巡って、毎年多くの残酷なドラマが演出される。しかし、これほどまでに残酷だと思われる展開は今回まで目にしたことがなかった。 箱根駅伝予選会のタイムというのは少々複雑な方法で算出されている。基本的には各大学12名が参加し、そのうちの上位10名の予選会走破タイムの合算がその大学の成績となるのだが、予選会7位以下の大学は予選会の走破タイムから関東インカレの結果によるタイムを減算したものが予選会の結果タイムとなる。つまり、関東インカレによる“貯金”があれば、箱根予選会のタイムで通過圏外でも逆転ができる可能性があるのだ。 今日の予選会、予選通過最終順位である9位には国士舘大が入り、全てを分かつ10位には拓殖大が入った。予選走破タイムでは国士館大10位、拓殖大7位だったが、マイナス3分以上の関東インカレポイントがあった国士館大に対し、拓殖大の関東インカレポイントは僅かマイナス10秒。予選会のタイムのみならば拓殖大は大きく勝っていたが、ルールの壁に泣いた格好になった。そして、国士舘大と拓殖大の累計タイム差は、たったの1秒――。 予選会の結果発表の際、もっとも会場に響いた声が大きかった瞬間は、1位の早稲田大が発表された瞬間でも、9位の国士舘大が発表された瞬間でもなかった。10位拓殖大の累計タイムが発表された瞬間、会場には驚きともため息ともつかないどよめきが広がった。 拓殖大の選手達は、9位の順位発表までに自分達の大学の名前が読み上げられなかったという事実以上に、僅か1秒差の壁で箱根への道を閉ざされたことに打ちのめされていたように見えた。泣き崩れ、動けなくなっていた。全てのランナーが「自分があと1秒頑張っていたら……」と思っていることは想像に難くなかった。 その瞬間、「ついこの前見た光景と、やっぱり同じだ」と思っていた。そして、不謹慎を承知でそれもまた美しい光景だと思ってしまった。揶揄している訳ではない。やはりこの残酷な瞬間を忘れることはできないだろうなと思ったのだ。 4年生の中には、これから実業団で陸上生活を続ける選手もいるだろう。残る3年生以下にとって、今日受けた傷は大きな痛みを伴うだろうが、来年へのモチベーションとしてはこれ以上ない経験を手にした筈である。彼らの陸上生活は、まだ終わりではない。しかし彼らは、そこが人生の終着地点であるかのように打ちひしがれ、泣きじゃくった。 いまも昔も、日本では大人になってから人前で涙を流す選手がほとんどいなかった。斉藤の姿に新鮮な美しさを感じたように、プロ野球の世界にも涙を流せる選手は多くなかったと思う。涙を流せ、感情を露にしろと言っている訳ではない。仮にそう長くはないにしろ未来のある高校球児がその敗戦で全てが終わったかのように泣きじゃくる一方、プロという食うか食われるかの世界で感情を吐露する選手が少ないという現実。同じ野球の世界なのに、感情表現に明らかな差異があり、だからこそ斉藤の姿に崇高な美しさが宿っているように感じる状況は、どこかがおかしい気がする。 斉藤が投げ、そして負けたプレーオフ2試合。そのどちらも、絶対に負けられない試合だったという位置付けは理解しているつもりでいる。それ故に流した涙の重さは、そう簡単に流せるほど軽いものではないということも、充分に理解しているつもりでいる。 斉藤には来シーズンがある。投手4冠という栄光を手にし、日本球界不動のエースと言ってもいい位置付けを手にした斉藤には、来年以降も短くないプロ野球人生が待っているだろう。その斉藤が、マウンド上で動くこともできないほど打ちひしがれた。エースとして張り詰めていたものが、最後の最後で決壊した。そして涙が溢れた。それは、私が近年目にした中で、最も崇高で、強烈で、そして美しい人間の生き様だったように思う。 いまこの時を全力で戦えない人間は、明日も全力で戦うことはできない。いま自分を背負えない人間は、この先自分も他人も背負うことはできない。そう思う私は、このプレーオフが自身の終着地点ではないと知りながら、目の前に迎えた死闘を戦い抜き、そして敗れ、1点も援護を貰えなかった打線を責めるどころか「点を取られた自分が悪い」と己に憤り、涙した斉藤和巳という投手の生き様を、強く強く心に刻み付けておきたいと思う。 8年前、斉藤と同じように崇高で、強烈で、そして美しい人間の生き様を私に見せてくれた寺本が今オフ、プロ野球を引退した。投手として千葉ロッテに入団し、打者に転向し、そして芽を出すことなく引退していった寺本に、果たして涙はあったのだろうか。 崇高な涙の先に、笑顔で語れる思いと生き様を――あの日の寺本に強く強く心を揺さぶられた人間として、プロ野球から身を引いた寺本がそうあってほしいと願う。心から、そう願う。
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