全ての物事は、後になってから歴史がその正しさを証明するという。ならば、この激動に次ぐ激動に見舞われた2004年という年は、プロ野球界にとって後にどのような年として評価されることになるのだろうか。 “球界再編”というキーワードで括られた一連の大騒動は、今年急に降って湧いたような話ではない。ただ、これまでに積もりに積もったものが、2月に持ち上がった近鉄球団のネーミングライツ問題を発端に、一つの設計図に従って急速に動き出した。これは間違いないと思う。 6月に発表された近鉄とオリックスの合併問題以降の流れを、今回改めて取り上げる気はない。ただ、いまからして思えば、プロ野球に寄り添う全ての人間にとって、「プロ野球とは何か」という命題をあらゆる角度から考える契機としては、ある意味で最も刺激的だったのではないか、とも思うのだ。 そのことに正解はない、というのが持論ではあるのだが、ファンや選手がプロ野球という砦を守る為に考え、声を上げ、動いた事実は、一ファンの自分からしても衝撃的だった。 結局近鉄はオリックスに吸収された形になり、楽天という新規球団が参入することになった。近鉄の合併消滅を阻止するという流れが途中から12球団制維持に摩り替わり、セ・パ6球団が維持されたことでハッピーエンドのような雰囲気も流れたが、選手会と経営者側の合意会見で見せた礒部公一の涙の意味は、水に流していいものではない。 今年1年は、あらゆる意味でプロ野球にとって大手術が施されようとした年だった。肝心なのは、「大手術を施した年」ではないということだ。オリックスと近鉄の合併、楽天球団誕生、ダイエーからソフトバンクへの経営母体移動、これで球界再編騒動が一段落ついた訳ではない。 今年はまだ、手術への計画書がある程度出揃ったという段階だろう。問題点はかなりのところまで表に出されたと思う。それについて、どのように処置すればいいかというカンファレンスも進められた。しかし、肝心のメスはまだ入っていない。 「ストライキが起きれば責任を取って辞める」と言った根来泰周コミッショナーは、後任不在の事情から来年以降の続投が決まったという。あれだけの騒動の中、イニシアチブを放棄し、「我関せず」の姿勢で他人事を決め込んでいたコミッショナーの続投決定。言い方はきついが、これは一連の騒動でまだ膿すら出し切っていないことの証明だろう。 一つのきっかけとしては、間違いなく大きかったと思う。ファンの支持を見ても、多くの人が選手会の指針に賛同し、期待しているだろう。反面、一連の騒動でプロ野球から離れていった人もいると思う。いい意味でも悪い意味でも、いまのプロ野球は多くの人の視線を集めている。それは結局、「プロ野球ってこの先どうなるのよ?」というものでしかない。 試合を観ることから離れていったファンも、「どうなるのよ?」という視線まではまだ捨てていないだろう。プロ野球にまつわる様々な汚さに嫌気が差したファンなら、「プロ野球はこんなにすっきりしました。だからもっと面白くなりました」ということを示せば、いずれ必ず帰ってくる。 その逆をいくこと、即ち「結局何も変わってないじゃん」と思われることが、プロ野球にとって最大の致命傷になる気がする。その意味でも、今年の騒動は今年で終わりではない。終わりにしてはならない。今年がはじまりなのだ。 今年を終わりにしない為に、我々ができることは何だろうか。 巨人の渡邊前オーナーの「たかが選手が」発言に、選手だけでなくファンも反発した。選手を応援しているのはファンである。つまり、「たかが選手が」の向こう側には「たかがファンが」という本音が経営者側にあることを、多くのファンが無意識に感じた。 そこで上がったファンの怒りを、恐らく経営者側は予測していなかっただろう。予測されていなかった怒りは、ストライキという選手会側にとって禁断のジョーカーがファンの支持を集めるという、半ば異常と言ってもいい状況にも現れた。 選手の頑張りに歓声を送るとき、私達は間違いなく嬉しい表情をしている筈だ。なぜなら、私達は野球が好きで、最高のパフォーマンスを示してくれる選手たちが好きだからだろう。 再編騒動の渦中で主役に“押し上げられた”形の古田敦也は、スポーツナビのインタビューで「野球をやっていて、最高の瞬間というのはいつですか」と訪ねられた時、「やっぱり、最高の瞬間っていうのは、スタンドにいるファンが沸いたときかな。だってプロ野球はファンがあってのプロ野球じゃない」と答えたと言う。選手にとっても、ファンの声援というのは大きな力なのだろう。 ファンは野球を必要とし、選手を愛している。選手は野球を必要とし、ファンを愛している。青臭いかもしれないが、そんな当たり前の関係をファンと選手が改めて見直し、新たに築いていければ、それはプロ野球そのものにとって幸せなことではないだろうか。 報道を見る限り、一部の経営者は、まだ縮小路線への野望を捨て去っていないようなフシがある。単純にプロ野球という場を狭めようとするその意思は、私達からプロ野球を取り上げようとすることとイコールだと思う。経営者側にも思惑や事情はあるだろうが、一介の野球好きとしては単純に「それは嫌だよ」と思う。 結局のところ私達ができることというのは、単純に野球を好きでいるということだけなのかもしれない。素晴らしいプレーを見せてくれた選手には惜しみない歓声を送り、しょっぱいプレーをした選手には「なんだよ」と思う。プロスポーツを盛り上げているのはファンの存在が極めて大きいのだろうが、裏を返せば、盛り上げることしか私達にはできないのかもしれない。 ならば、できるだけ多くの試合を観て、できるだけ多くの歓声を上げたいと思う。 様々な場所で起きた古田コールは、本来はグラウンドで注がれるべきものである筈だ。グラウンド以外で、グラウンドの外の活動に対してそのような歓声が上がることは、果たしてプロ野球にとって本当に幸せなことだったのか。 それもまた、後に歴史が証明してくれることかもしれない。だが、歴史が証明する前にプロ野球が消滅していれば、元も子もない。そしてその危機を回避する為の長い長い大手術は、まだ始まってすらいない。 何が起きたのか。何が起ころうとしているのか。それに目を配りつつ、それでもプロ野球を愛し、選手に声援を送り続けることが、自分なりの2004年のプロ野球界に対する結論であり、2005年の目標である。 まだ何も終わってはいない。はじまりは今、なのだ。
それもまた、清原和博という生き方なのかもしれない。 本音を言えば、契約期間が1年残っている選手がわざわざ“残留会見”なるものを開くことには、はっきり言えば何の意味もないと思う。契約破棄で他球団移籍なら確かに事だが、そうではなく従来の契約通りの残留という結論に落ち着いたことは、本来会見に価することではないというのが正直なところだ。 清原の去就を巡る報道が過熱し過ぎた、と言うよりは、それこそが清原の存在感であると言うことしかできない。どこまでもドラマチックな男。どこまでもドラマチックになってしまう男。 成績にムラが色濃く現れ、故障で満足に出場を続けることのできない選手が、ファンからあれだけの絶対的な支持を集め、打席に立てば長渕剛の「とんぼ」が球場中に響き渡る。こんな選手は、過去に遡ってもちょっと記憶にない。 PL学園高時代の甲子園での活躍は、いまさら言うまでもない。甲子園通算13本塁打は、今昔の同僚である桑田真澄、上宮高時代は高校最強スラッガーの呼び声高かった元木大介の6本を大きく突き放す歴代トップ。3年夏には5本塁打を放ち、朝日放送の植草貞夫アナウンサーによる「甲子園は清原の為にあるのか!」という名言も生まれた。 ドラフトでの因縁。巨人との日本シリーズで見せた涙。FA権を行使しての巨人入り。渡邊前オーナーの「邪魔をしなければいい」発言。通算2000本安打達成。堀内監督の起用法を巡る去就。 清原のドラマには、常に巨人の影が色濃く映る。西武に入団した86年には高校卒のルーキーとしては歴代1位タイの31本塁打を記録し、.304の打率に78打点の凄まじい成績を記録。モンスター振りを存分に発揮した西武時代の打棒は、巨人移籍以降の成績とインパクトを遥かに上回る。西武在籍の11年間で8度のリーグ優勝、6度の日本一を経験し、野茂英雄や伊良部秀輝との名勝負の中でも“王者西武の主砲”という存在感は不動のものだった。 高校時代から西武時代まで、記録を辿れば清原の野球人生は順風満帆だったように見える。西武での晩年はやや精彩を欠いた感があったが、その時期と重なって清原はFA権を取得。かねてからの念願だった巨人入団を果たすのだが、そこから始まる清原の第2のプロ野球人生は、非情とも取れる苛烈さと同時に、西武時代の面影をあらゆる面で吹っ飛ばすようなドラマを清原に植え付けていく。 話はドラフト当日に戻るのだが、当初は相思相愛と思われていた巨人が桑田を1位指名し、6球団による抽選で清原の交渉権が西武に決まった時、清原は唇を真一文字に結び、涙を目に浮かべながら何とも形容しがたい表情でモニターを見据えていた。巨人との“因縁”はそこから複雑な螺旋を描いて今に至る訳だが、その歴史はまさしく“愛憎”という一言に尽きる。 87年の巨人との日本シリーズ。前述したように清原は、日本一まであと1イニングという局面で、一塁ベース上に立って人目も憚らず涙を浮かべた。二塁手の辻発彦が『まだ終わりじゃないぞ。しっかり前を見ろ』となだめた場面は、テレビ中継でも大きく映された為、ひどく印象に残っている。 相思相愛だと思っていた巨人が、自分を裏切って同僚の桑田を指名した。KKコンビの愛称で親しまれた桑田と清原。だがマスコミの表記は常に「桑田・清原」の順。 プロ野球界には今後絶対に抜かれないだろうなという記録がある。金田正一の通算400勝、江夏豊のシーズン401奪三振、王貞治の通算868本塁打、福本豊のシーズン106盗塁&通算1065盗塁、稲尾和久とビクトル・スタルヒンのシーズン42勝……探せばまだあるかもしれないが、これらの記録は今後絶対に更新されないと断言できる。が、高校球界で今後絶対に抜かれないと断言できるのは、清原の甲子園通算13本塁打と桑田の甲子園通算20勝ぐらいのものだろう。この2つの記録はどちらが上という比較ができる類のものではなく、共に双璧、絶対不可侵と言える超絶ものの記録である。 その清原が常に桑田の後ろで呼ばれ、念願だった巨人は土壇場で清原をソデにして桑田を1位指名した。清原の心中は察するに余りある。87年の日本シリーズで見せた清原の涙には、やっとここまで来た、巨人を倒す為にここまで来た、という清原の感情が迸っていた。 二人の軌跡は96年オフの清原巨人入団と共に再び交わることになるのだが、清原と巨人の関係はそうではない。むしろ清原の巨人入団と相俟って、この二者の関係はさらに奇妙に、そして深くねじれていったように見える。 清原を半ば“放出”した格好に見える西武。なぜそう見えるかというと、清原を失った西武は、97・98年と2年連続してリーグ制覇を果たすからである。 97年200盗塁、98年145盗塁と圧倒的な機動力を駆使しての連覇は、結果的にはまさしく「逆清原効果」。奇しくも清原と同じPL学園出身の松井稼頭央が核弾頭で台頭し、投手陣では西口文也を中心とした若い戦力で覇権を握った新生ライオンズ。このタイミングは、清原の放出と決して無関係ではない。 巨人移籍後の清原は苦しんだ。移籍1年目には32本塁打、95打点と充分な数字を挙げたが、前半戦での大ブレーキが印象を悪くした感が強く、Bクラス転落の戦犯扱い。西武での晩年時代を知らないファンが清原和博という名前に必要以上の幻想を抱き、数字上では次第点の成績を残しながら苛烈な反応を見せたというのも、清原の心に微妙なねじれを生じさせたように思えてならない。 その後、成績は下降線を辿り続ける。加えて、危機感から本格的に取り組んだ肉体改造により、かえって体の柔軟さを失い故障が増えるという悪循環に陥り、それは今も続いている。00年には渡邊前オーナーが故障で開幕を離脱した清原に対して『これで勝てる要因が増えた』とまで発言。この暴言は、清原の巨人に対するねじれを決定的にさせたように見える。 01年は134試合に出場し、打率.298、29本塁打。打点はシーズン最終盤までペタジーニと激しく打点王を争う121打点。惜しくも“無冠の帝王”返上はならなかったが、清原復活を印象付ける年として、長嶋茂雄監督のラストイヤーに華を添えた。同時に、この劇的と言うにはあまりに生々しい活躍は、かつて清原に野次を飛ばしていたファンの評価を逆転させるきっかけにもなる。 清原はこれまで、少なくとも2度、巨人に裏切られている。1つ目は言うまでもなくドラフト、2つ目は前述の渡邊前オーナーの発言である。最初の裏切りは、愛憎の裏返しという形で巨人への強烈な負けん気になり、日本シリーズやオールスターゲームでの超人的な勝負強さに転化された。 しかし、2度目の裏切りは、かえって清原の巨人に対する感情を、むしろ頑なにねじり、縛り付けたように見えて仕方ない。そして今回の去就騒動も、あの時に感じた匂いにどこかしら似ているように思うのだ。 清原の野球人生は、先ほど高校から西武までは順風満帆だったように見えると書いたが、節目節目では大きなうねりを経ている。巨人移籍後は、マスコミ体質もあって、それがさらに助長された。なぜなら、清原は存在するだけでドラマ性があるからである。 「番長」の名で親しまれるように、清原はファンとの密着感を感じさせてくれる選手だ。生え抜きでエリートの匂いがする高橋由伸よりも、遥かに距離感が近い。高橋とファンの距離が遠いと言っている訳ではない。それは、清原の持つドラマ性との差に尽きる。清原は特に巨人移籍後の波乱万丈な野球人生が、ファンの胸を打つ。そのキャラクター性もあり、ファンが感情移入するキャパシティが尋常ではない。 恐らくそのキャパシティは、清原が巨人に移籍しなければ生まれなかった産物である。その引き換えとして、清原は順風満帆な野球人生を失った。それでも故障や挫折と戦いながら劇的な一発を放つ清原に対して、ファンは「とんぼ」の大合唱で清原と一体になろうとする。 選手として考えた場合、今の巨人に恐らく、清原の居場所はない。堀内監督が清原を干す考えならば、清原にとって巨人残留はいい選択だったとはとても言えないだろう。それでも清原は、巨人残留の道を選んだ。ファンフェスタでのファンの声援を受けて気持ちが固まった、と伝えられている。 選手として活躍するなら、清原と巨人の相性は多分現時点で最悪だろう。それでも清原は来期も巨人のユニホームに袖を通す。清原がずっと巨人でプレーし続けたいと願えば、ファンも清原を応援し続けるだろう。だが、野球人としての、プレーヤーとしてのけじめは、バットで返すしかない。渡邊前オーナーの暴言に対するけじめは、誰にも文句を言わせない成績でつけるしかない。そしてその決着はまだついていない。 それもまた、清原和博という生き方なのかもしれない。清原和博という大河ドラマの一節に過ぎないのかもしれない。 清原和博という選手がいる。来年38歳。節目の20年目。彼は来年、どんなドラマを生み出すのだろう。
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