DEAD OR BASEBALL!

oz【MAIL

Vol.184 40歳の悲喜に思う
2004年05月22日(土)

 確かに主役ではなかったかもしれない。名選手でもなかったかもしれない。しかし、彼は確かにそこにいたのだということを、いなくなってからしみじみと感じる、そんな選手だった。“名優”であったことは、間違いない。

 近鉄の鈴木貴久2軍打撃コーチの訃報には、本当に大きなショックを受けた。17日朝、急性気管支肺炎で亡くなったという。享年40歳。一報を知ったときは、ただただ唖然呆然とするしかなかった。

 鈴木氏と言えば、いまでも多くの人が思い出すであろうシーンが、私の中にもフラッシュバックしている。あの伝説の「10.19決戦」、ロッテとのダブルヘッダー第1試合。正念場の9回表に逆転のホームを踏んだ鈴木が、コーチとグラウンドを転げながら抱き合っていたシーンはいまでも鮮明に覚えている。逆転打を打ったのは、現監督の梨田昌考だった。

 享年40歳という若さに驚いていながら、海の向こうから飛び込んできたのはアリゾナ・ダイヤモンドバックスの超人サウスポー、ランディ・ジョンソンが完全試合を達成したという一報。アトランタ・ブレーブスを相手に達成した偉大なる記録は、完全試合の最年長記録を100年ぶりに塗り替える偉業でもあったという。御年40歳8ヶ月、ビッグユニットは不沈艦なのだろうか。

 さらに飛び込んできたのは、元プロレスラーのサンボ浅子こと浅子文晴氏の訃報。大仁田厚が旗揚げしたFMWに参加し、全盛期160kgの巨体に似合わぬ華麗な空中戦とサンボ選手権でメダルを獲得したレスリングテクニックで、FMWにはなくてはならないレスラーだった。引退後に糖尿病による壊疽で右足を切断し、右目も緑内障でほとんど失明状態だったという。彼もまた、享年40歳。

 昨日完投で無傷の5連勝を飾った巨人の工藤公康も40歳。こうも同じタイミングで同じ世代の悲喜が重なると、「40にして不惑」という言葉の意味までつい考えてしまう。それにしても、形の上ではその“きっかけ”となってしまったかのような鈴木氏の訃報には、いまでも信じられないような気持ちが残っている。

 あの「10.19決戦」の頃、近鉄の打線にはオグリビーや大石第二朗がいて、翌年に悲願の優勝を果たしたときには4打席連続本塁打で王者西武に引導を渡したブライアントがいた。その後の4番には石井浩郎が座り、それらの面々によって豪快な猛牛打線のイメージは作られていた。しかし、そのイメージを本当に確かな形にしていたのは、新井宏昌、村上隆行、金村義明といった、如何にも泥臭く無骨で、それ故に近鉄カラーという個性にマッチした面々の活躍だったと思う。鈴木貴久も、そんな中で息長く活躍していた打者の一人だった。

 ブライアントのように本塁打数が特別多いわけでもなく、石井のように卓越した巧打がある訳でもない。それでも鈴木は長年の間猛牛打線の5番ないしは6番という座を担ってきた。どんな投手に対しても真っ向勝負のフルスイングで応じるその姿は、現在のいてまえ打線を引っ張る中村紀洋に重なる部分もあった。しかし、中村のそれのようにジャストミート時に見せる華やかさとは対照的に、鈴木のフルスイングには、相手のどんな球にも食らい付き、叩き潰し、強引にでもボールを野手のいないところにねじ込んでくる、そんな泥臭さと無骨さ、そして猛々しさがあった。

 キャリアの中で打率.300を超えたことはないが、87年から4年連続20本塁打以上を記録したパワーは、長打力というよりも、どんな難しい球も外野までは運ばれる、そんな奇妙な怖さに繋がる勝負強さになっていた気がする。否、それは鈴木だけの怖さではなく、村上や金村らが併せて持っていた猛牛打線そのものの怖さだった。

 決して主役ではないが、彼らがいなければ猛牛打線は猛牛打線たりえなかった。その意味では、村上や金村こそ猛牛打線の象徴であり、その中で近鉄一筋の野球人生を歩んできた鈴木こそ、象徴の中の象徴だったように思う。そんな鈴木は、チームが本拠地を移転したときに大阪ドーム第一号の本塁打を放ったが、藤井寺球場のあの独特の雰囲気こそ猛牛打線の雰囲気であり、鈴木貴久という選手によくマッチしていたようにも感じる。

 使い古された言葉だが、記録ではなく記憶に残る選手。近鉄だけでなく、阪急、南海、当時のパ・リーグには随分と泥臭く、激しく、それでいてどこか牧歌的な薫りが漂っていたように思う。それが当時本拠を置いていた関西圏の気質なのかどうかはわからないが、関西の電鉄会社系球団が軒を連ねていたあの時代、それぞれに違う色合いが同じ文化で溶け合い、それが一種の味わい深さを演出していたのは紛れもない事実だったのではないだろうか。

 洗練されたスマートさも、それはそれでいい。ただ、あの頃の味を懐かしむような気分も少なからずある。そんな空気を持っていた名優が、40歳の若さでこの世を去るという無情さには言葉もない。

 伝説の「10.19決戦」は88年、既に16年も昔の話になる。時の流れの移ろいやすさというものを感じずにはいられない。

 野茂英雄が日米通算200勝に近付き、イチローは日米通算2000本安打にあと2本。また一つ、時代が流れようとしている。だからこそ、泥臭く激しい一人の元選手の早逝は、自分の中でそう簡単に飲み込むことができそうにない。本当に味わい深いものは、いつも失ってからやっとその大きさに気付く。合掌。 


Vol.183 10年目の感情
2004年05月03日(月)

 背番号55だから「赤ゴジラ」とは少々安直過ぎるきらいはある。しかし、ここまで打率.391・9本塁打・20打点と大当たりしている嶋重宣(広島)の大ブレークを見ていると、そう言いたくなる気持ちもよくわかる。評論家のシーズン前予想ではことごとくBクラスと言われていた広島に、貯金1という現状以上の勢いと活気を与えているのは、投手ならチームの為にとセットアッパーに自ら回った佐々岡真司、そして野手ならこの「赤ゴジラ」嶋だろう。

 東北高からドラフト2位で入団の10年目。投手として入団しながら99年に野手に転向し小ブレークするも、その後は故障もあって鳴かず飛ばず。そして今年、内田順三コーチとの特訓の成果が実りオープン戦から絶好調、「赤ゴジラ」として大ブレーク……ここまでは様々なメディアが紹介している。推定年俸わずか700万円の窓際選手が、シーズンからチームを牽引しているという事実。まったく、これだからプロ野球は面白い。

 嶋という打者、小ブレークした99年の打席を見て、「これは広島の主軸打者になるな」ということを瞬間的に感じた記憶がある。懐が深くリストワークの柔らかい打撃は、打席の中で強打者特有のオーラを微かにだが発散していた。チームには野村謙二郎、前田智徳というタイプ的に似た左の大打者もいて、嶋はいいタイミングで出てきたなと思った。10年目の大ブレークと言われても、時間がかかり過ぎたというのがあの時の印象からした本音だ。

 故障続きで1軍が遠のき、シーズンオフには毎年解雇の恐怖と戦わなくてはならなかったかもしれない。しかしその素質は多くの選手が認めいていたという話もある。今年は開幕から4番に座っているアンディ・シーツは、昨年2軍調整中の嶋を見て「彼は広島で一番いいバッターだ。いまに出てくるよ」と話していたという。700万円の安年俸故にクビにならずに済んできた、という話も一理あるが、チームの嶋に対する期待の裏返しが「赤ゴジラ」を生んだ土壌であることも真実の一端であろう。

 開幕からフルスロットルで1軍の試合に出続け、尚且つバットマンレースで首位を走っている。その現状はもちろん初めてのこと。嶋は10年目とは言え、野球に対する老け込みは一切感じられない。本人も「いまは野球をやっていて楽しくて仕方ない」と話しているように、モチベーションの高さは相当なものだ。その高いモチベーションがチームを引っ張っているので、ケガさえなければ嶋自身もチームのモチベーションに引っ張られていくという好循環を生む可能性が高い。

 ヒットゾーンが広く、重心と軸がしっかりしているだけに、極度の不振に喘ぐことも考えにくいタイプに見える。正統派の強打者というムードを持つ嶋は、広島のスター選手として台頭する可能性を存分に感じさせてくれる。

 過去、このように窓際族からいきなり二階級特進を果たした選手を探したら、これが結構いた。近年のみから挙げても、投手なら00年に同じくプロ10年目にして最優秀防御率のタイトルを獲得した戎信行(当時オリックス、現近鉄)が記憶に新しい。打者なら「左殺しのワンちゃん」として02年のリーグ優勝に貢献した犬伏稔昌(西武)が12年目、99年に規定打席未到達ながら115安打、打率.341を記録した佐藤真一(ヤクルト)が27歳という遅いプロ入りから7年目でブレーク。この辺りの選手が“突然変異組”と言える。

 判官びいきという日本人気質とも相俟って、彼らのブレイクには当時多くのメディアが群がった。地方競馬出身のハイセイコーやオグリキャップが中央のエリートホースをバッタバッタと撫で斬っていくシーンに、競馬ファンだけでなく多くの日本人が歓喜したように。今年の皐月賞が盛り上がったのも、ホッカイドウ競馬所属のコスモバルクが中央で3連勝し、堂々の1番人気に推されたからだ。

 名もなく貧しい選手が、堂々たる強さでエリート選手に対峙する。年俸700万円の嶋が、総計ン十億円というスターチームを相手にホームランをかっ飛ばす。日本人は潜在的にそういうシーンが好きだからこそ、まだ1ヶ月しか活躍していない嶋に「赤ゴジラ」というニックネームが付く。嶋の注目のされ方は、いかにも日本人的な薫りがするものである。

 万年窓際族だった嶋が、突如としてその才能を開花させ、スターダムに駆け上がろうとしている。10年間我慢し続け、クサりきることなく、現状「野球が楽しくて仕方ない」と話すその泥臭さに、多くのファンが華やかさにはない味わい深さを感じているのかもしれない。

 なぜこういう選手がファンの支持を得るのか。感情移入しやすいからである。完全無欠のスター選手、スター軍団には、確かに他には発することのできない独特の華やかさがある。だが、華やかさが共存する優秀さには、わびさびの文化で育った日本人には共感しにくい面があるのも確かだろう。嶋や戎らは、その対極の枯れた味を同時に持っている。だからこそファンが感情移入しやすい。

 ハイセイコーやオグリキャップが日本競馬史で3本の指に入る人気を誇っているのは、単に地方競馬出身という境遇面のストーリーに惹かれているからではない。もちろんハイセイコーもオグリキャップも強かった。強かったが、常に完璧なレースをするだけでなく、時には考えられないような凡走に終わることもあった。絶対的なアイドルとして無敗のまま皐月賞を制したハイセイコーは、その後ダービー、菊花賞とタケホープに煮え湯を飲まされ続けた。天皇賞(秋)とジャパンカップを続けて惨敗して「もう終わった」と囁かれながら、有馬記念勝利でラストランを飾ったオグリキャップも、境遇や出自も含めて完璧ではなかったからこそファンに愛された馬だったと言える。

 スポーツとファンを繋ぎ止める唯一のものは、結局のところ感情以外にはないのである。イチローのように完璧で居続けようとし、事実完璧という言葉を否応なく投影せざるをえないような選手は、ファンの支持が熱狂的というほどに熱を帯びない。“皇帝”と呼ばれた7冠馬シンボリルドルフがそうであったように、凄さは認めても、感情を投入しにくいのである。

 嶋に注がれている感情は、現状恐らく多種多様である。「これからも活躍してほしいね」と思っているファンもいるだろうし、「俺達が応援して活躍させるんだ」と意気込んでいるファンもいるだろう。「俺が嶋のグッズを買ったから今日ホームランを打った」なんて言い出す輩も出てくるかもしれない。嶋には、それだけ感情移入をする余地がある。今後も活躍すれば、という条件は当然つくが、嶋には極めて日本人的な正統派スター選手としての薫りを感じるのだ。

 今年1軍のマウンドに帰ってきた黒木知宏(ロッテ)も、今年でプロ10年目を迎える。ジョニーが995日ぶりに1軍マウンドに帰ってきた4月17日の東京ドーム、ジョニーに注がれる歓声の大きさには正直言って鳥肌が立った。

 98年7月7日、プロ野球記録のチーム17連敗がかかっていたオリックス戦で土壇場9回、ハービー・プリアムにまさかの同点2ランを浴びてマウンドにへたり込んでしまったジョニー。パ・リーグのエースだったジョニーが歩んできた995日の苦闘。ジョニーもまた、完全無欠の完璧なエースではなかった。不完全で極めて人間臭い、そして誠実な1人のアスリートに過ぎなかった。だからこそチームの垣根を越えてジョニーの愛称が定着した。そう思う。

 10年目。突然変異。そういう言葉を抜きにしても、また1人、感情移入したい選手が登場した。また1人、感情移入してきた選手が帰ってきた。スポーツは人間の縮図である。感情の縮図である。だからこそスポーツは面白い。プロ野球は面白い。



BACK   NEXT
目次ページ