DEAD OR BASEBALL!

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Vol.148 「日本代表」を読む
2003年09月30日(火)

 9月29日、野球の日本代表編成委員会はアテネ五輪地区予選を兼ねたアジア選手権(10月31日〜11月7日・札幌)の日本代表22人を発表した。選出された選手は以下の通り(成績は9月29日現在)。



◎投手(9名)
 ・上原浩治(巨人・28) 26試合 15勝5敗 3.18
 ・木佐貫洋(巨人・23) 24試合 10勝6敗 3.19
 ・石井弘寿(ヤクルト・26) 30試合 5勝1敗1S 2.45
 ・岩瀬仁紀(中日・28) 56試合 5勝2敗4S 1.03
 ・安藤優也(阪神・25) 50試合 5勝2敗5S 1.65
 ・黒田博樹(広島・28) 25試合 11勝8敗 3.24
 ・松坂大輔(西武・23) 28試合 16勝7敗 2.80
 ・和田毅(ダイエー・22) 22試合 13勝5敗 3.51
 ・小林雅英(ロッテ・29) 42試合 0勝2敗31S 3.00

◎捕手(2名)
 ・谷繁元信(中日・32) 105試合 .249 14本 60打点 3盗塁
 ・城島健司(ダイエー・27) 136試合 .335 32本 117打点 8盗塁

◎内野手(5名)
 ・二岡智宏(巨人・27) 137試合 .301 28本 66打点 14盗塁
 ・宮本慎也(ヤクルト・32歳) 130試合 .289 6本 38打点 11盗塁
 ・井端弘和(中日・28) 105試合 .267 5本 27打点 5盗塁
 ・松井稼頭央(西武・27) 136試合 .303 31本 80打点 13盗塁
 ・小笠原道大(日本ハム・29) 124試合 .361 30本 98打点 8盗塁

◎外野手(6名)
 ・高橋由伸(巨人・28) 115試合 .325 26本 68打点 3盗塁
 ・福留孝介(中日・26) 132試合 .319 32本 91打点 9盗塁
 ・赤星憲広(阪神・27) 135試合 .311 1本 34打点 57盗塁
 ・木村拓也(広島・31) 119試合 .289 13本 37打点 14盗塁
 ・和田一浩(西武・31) 122試合 .344 29本 87打点 8盗塁
 ・谷佳知(オリックス・30) 130試合 .342 18本 85打点 8盗塁



 長嶋茂雄監督の言うように、基本的には20代の若いメンバーを中心に選ばれた。チーム最年長の谷繁は32歳、この構成は恐らく韓国や台湾よりも若くなったと思われる。

 このメンバーでチーム編成を考えてみた。報道などを加味して考えた上で、投手編成とスターティングオーダーを予想してみよう。



先発……上原、黒田、和田毅
右中継ぎ……木佐貫、安藤、松坂
左中継ぎ……石井、岩瀬
クローザー……小林

1(一)小笠原
2(遊)松井
3(右)福留
4(捕)城島
5(左)高橋
6(指)和田一
7(三)二岡
8(二)木村
9(中)赤星

控え
捕手……谷繁
内野手……宮本、井端
外野手……谷



 投手から見てみる。先発は過去の例に加え、計3試合という事情から3人で回転させることができるので、上原、黒田、それに和田毅の三本柱。和田毅は実際には中継ぎで起用されそうだが、ある程度長いイニングを投げることで持ち味が出るタイプなので、先発で期待してみた。

 松坂をリリーフに回したのは暴挙かもしれないが、先発が崩れたときのロングリリーフとしてフル回転できるのは松坂しかいない。と言うのも、和田毅はともかく上原や黒田は典型的な先発完投型。こういう投手が短期決戦でリリーフに回るのは、正直言ってリスクの方が大きく感じる。長年染みついた先発用の調整とリリーフの肩の作り方は決定的に違う。松坂をリリーフに回したい、と言うよりも、こういう投手陣を選んだ以上、上原と黒田には先発以外任せにくいというのが本音。

 先発がゲームを作れれば、松坂は今年不安定さが目立つ小林と並んでダブルクローザーに据えることもできる。使い方さえ間違えなければオールマイティーに活躍できるのが、松坂のスタミナとセンス。ジョーカーという意味で松坂をベンチに置いてみたいのだが、どうだろう。

 木佐貫も本当は先発完投型だが、東都リーグで連投やリリーフの経験は揉まれている筈。大学卒1年目、何とか対応してほしい。似たタイプだった安藤が今年リリーフに回って、阪神優勝の陰のMVPとして大車輪の活躍をした。二人とも狙って三振が取れる上、エンジンのかかりも割と早いタイプ。木佐貫にもリリーフの適性はありそうな気がする。

 左でスタンバイの石井と岩瀬に、クローザーを任される小林は、リリーフのスペシャリスト。岩瀬は中日リリーフ陣で入団以来ずっとジョーカー的な役割を全うしてきた、文字通りの切り札。三振も内野ゴロも狙えるタイプで、接戦になれば「困ったときの岩瀬頼み」という場面がありそう。投入のタイミングが最大の問題になる。

 考えようによってはバランスを何とか取れる投手陣に比べ、野手はバランスの悪さが気になる構成となった感がある。内野手5人中、小笠原を除いた4人は所属チームでショートを任せられている選手。名手揃いであることは間違いないが、ショートのポジションは一つだけ。どうやって選手を割り振るのだろう。

 今岡誠(阪神)、井口資仁、松中信彦(ダイエー)らの辞退、中村紀洋(近鉄)の絶不調が大きく響いた格好だが、チームと言うよりも選手の寄せ集めという印象になったのは確か。広島でセカンド経験の豊富な木村を内野に回して考えたが、本来木村は内外野兼用のユーティリティープレイヤーとしての選出の筈。

 報道では二岡をサード、宮本をセカンドに回すと伝えられている。横よりも前の動きに強さのある二岡はサードの適性も確かにありそうだが、急場凌ぎの感が拭えないのも事実で不安は残る。宮本も確かにショートの職人だが、逆の動きが多くなるセカンドで本来の守備力を発揮できるかどうか、これも不安はあるコンバートだ。

 そもそも守備固めがいないのも気になる。井端も内外野こなせるが、サードというとイメージが沸きにくいタイプ。ファーストには数年前に公式戦で守備経験のある谷か和田が入り、サードには今年ファーストからコンバートされるも無難な守備を見せた小笠原を入れる、というのも一案かもしれない。

 その小笠原を敢えて切り込み隊長にもってきたのは、その驚異的な対応型バッティングに裏打ちされた圧倒的な打率も当然あるが、今年阪神で猛威を奮った2番赤星→3番金本のラインを再現してみたかった為。塁上の赤星が金本の打撃で盗塁を助けられ、金本が得点圏に進んだ赤星をきっちり返すという抜群の相乗効果は、今年の阪神を象徴する驚異的な繋がりと流れを生んだ。

 このコンビがセ・リーグ5球団のバッテリーをとことん悩ませ苦しめたのは、周知の事実。赤星の圧倒的な盗塁数は、金本とのコンビがなければここまでの数字になっていた保証はない。金本は読みで打つタイプだが、小笠原の対応力なら赤星の盗塁を最大限に生かす驚異の流れが生み出せる可能性があると見る。

 捕手は結局、古田敦也(ヤクルト)が選ばれなかった。今年38歳の年齢と慢性的なヒザの故障は確かに気になるだろうが、正捕手を予定されている城島は4番の打棒も求められる状況の上、10月末まで日本シリーズが入っている為、対戦国の研究はどうしても遅れる筈。そういう意味でも、配球の研究とアドバイスができる古田をベンチに入れておくことはプラスが大きかった気がする。

 短期決戦における打者の洞察力に抜群の冴えがあり、強烈なキャプテンシーも持っている古田が代表に選ばれなかったのは、メンバーの確定したいまでも不可解である。韓国、台湾チームとの戦い方を過去の国際大会で経験し、よく知っているのも強みの一つ。

 捕手2人体制では控え捕手がいなくなることもあり、城島を指名打者などで併用できなくなる恐れも確かにある。しかし、松中や中村が選ばれていない以上、城島をファーストで起用し、古田にもしものことがあれば城島をファーストから持ってくるという方法もあった(指名打者で出場の選手は試合途中から守備につくことが不可)。捕手経験のある和田一や木村の選出は、もしかしたら捕手2人体制における保険を兼ねているのかもしれない。

 チームバランスという点では、100点を与えることのできるチーム編成ではない。しかし、その要因は先にも述べたように相次ぐ辞退選手の存在にあるとも言える。出場辞退選手の中にはケガや故障を言い訳に、敢えて五輪を蹴ったかのような選手もいる。事実、その選手は調整さえすれば五輪予選には間に合うと言われているが、それだけの労力をはたくに見合う価値や名誉を、五輪代表からは感じなかったのかもしれない。

 “ドリームチーム”を掲げて出港した全日本チームだが、船出から躓きがあった感があるのは余計な心配だろうか。その原因が選手側の考え方に根差しているとしたら、“ドリームチーム”が看板倒れになるどころか、ファンの注目すら集められない可能性も出てくる。

 結果はやってみないとわからない。勝つことは可能なメンバーが集まったという見方はできるが、国際舞台軽視という病理が選手の側にも深く侵食しているとしたら、この国に住む一介の野球好きとしては少し寂しいものがあるというのも、漠然とした実感ではある。


Vol.147 消化試合は存在しない
2003年09月18日(木)

 常軌を逸していると言っても大袈裟には感じさせないほどの熱狂。その渦の中で、今年のセ・リーグの覇者が決まった。阪神タイガース18年ぶりの歓喜という結果の残ったこのシーズン、セ・リーグは俗に言う“消化試合”に突入している。

 「俗に言う」などともったいぶった言い方をしたのは、消化試合などプロ野球には存在しないからである。優勝を決めた阪神にも、優勝を逃した他の5球団にも、残りの試合の中でシビアな戦いはまだまだ残されている。

 敬遠合戦やタイトル争いに関わる主力の意図的な欠場など、勝負論を度外視した茶番劇を肯定する気は一切ないが、“消化試合”という目線で残された公式戦を貶める見方も、それは決して健全ではない。球団にも、そして選手にも、残された10数試合、譲れない戦いが待っている。

 18年ぶりの悲願に、何とも言えない複雑な感情が渦巻いた阪神のビールかけ。その中で、今年のMVP候補にも挙げられている金本知憲が、「秀太トレード」「藤本−鳥谷トレード」と書かれたハチマキを取り出していた。

 そうなのだ。今年の阪神のドラフトでは、東京六大学屈指の三拍子揃った内野手の逸材である早稲田大の鳥谷敬を、自由枠で獲得することがほぼ決定している。鳥谷のポジションはショートだが、鳥谷獲得の口説き文句として「開幕ショートスタメンを確約」したという新聞報道もある。

 繋ぎの打撃と抜群の守備範囲で8番ショートの座を不動にした藤本敦士は、間違いなく今年の阪神の功労者。今岡誠と組んだ二遊間は安定した守備力を見せ、前年.209から.300近くまで引き上げた打力は、7番の矢野輝弘と共に「恐怖の下位打線」とまで言われた。まだ今年26歳、これからさらにもう一皮剥けてもおかしくない選手だ。

 それがドラフトの超目玉を相手に、既に来期のレギュラーを剥奪されたかのような報道もある。首脳陣は当然、鳥谷を獲得すれば藤本とキャンプで競わせる筈だが、少なくとも前評判を天秤ばかりにかけると、決して藤本に分があるとは言いきれない状態だ。

 星野監督も、藤本に対して信頼感を持っていない訳ではないだろう。しかし、そこで手綱を緩めないのもまた星野流の選手操縦術か。

 今期の開幕前、阪神では激しい外野のレギュラー争いが繰り広げられていた。FA移籍の金本、若き主砲の濱中おさむ、勝負強さに定評ある選手会長の桧山進次郎、そしてルーキーイヤーから2年連続盗塁王のスピードスター赤星憲広。この中で最初に脱落しかけたのは、前年に足の故障で長期離脱した赤星だった。一時はショートコンバートという話も出たほどだった。

 足の速さに頼った当て逃げに近いバッティングだった赤星は、レギュラーが約束されない中で必死に打撃改造に取り組んだ。振り抜いて強い打球を飛ばすバッティングに取り組んだ赤星は、春季キャンプの紅白戦でホームランを含む長打を連発。首脳陣にニュー赤星を印象付けたことで、開幕センターの座を確保した。

 その後の赤星は、一時.350近くまで上がった打撃と抜群の守備範囲を誇るセンターの守備、そして9月18日現在で55盗塁を数え3年連続盗塁王が確定的な走塁で、文字通りセ界一のスプリンターに駆け上った。金本の加入で激化した外野戦争の中から羽ばたいた存在と言っていい。星野は恐らく、同じことを鳥谷と藤本に仕掛けているのかもしれない。

 となれば、現時点で「開幕ショート」の切符を渡されようとしている鳥谷に対して、藤本は直接首脳陣にアピールしていくしかない。藤本にとって残りの試合は、決して“消化試合”という気の抜けたコーラのような甘ったるいものではない。来期の「ショート・藤本敦士」を少しでも近付ける為、1試合が非常に重い意味を持ってくる。

 星野はトレード上手な監督としても名高い。中日時代に獲得しリードオフマンとして99年の優勝に大きく貢献、ベストナインにも選ばれた関川浩一しかり、今年正妻の矢野の負担を減らしたスーパーサブ野口寿浩しかり。しかも星野のトレードは、ただ獲得上手なだけではない。日本ハムに移籍し完全に地力を発揮している坪井智哉、今年MVP候補にも挙げられている矢野など、相手球団にも実利をもたらすトレードが印象に残る。「選手を生かすトレード」が上手いのだ。

 実質的なゼネラルマネジャーとしての権限を、星野は阪神で手にした。もともと選手の配置や生かし方に定評のあった星野だが、それは時として選手をドラスティックに切る冷徹な一面にも繋がった。去年のシーズンオフ、星野はベテラン投手を中心にチームの1/3を超える27人の選手を解雇・トレードに踏み切った。

 星野仙一という監督は、勝ってるときも負けているときも、動くと決めたら妥協せずとことん動くタイプの監督である。数字上ではぶっちぎりの優勝を果たした今年のオフも、全体的に高齢化している選手層を考えれば、恐らく何かしらの発破は仕掛けられてもおかしくない。その第一歩が藤本の導火線への着火だとしたら、他の選手に対する妥協なき影響は小さくない筈だ。レギュラーを含めた大多数の選手にとって、消化試合などという生温い根性は一掃されてもいい。

 阪神だけではない。セ・リーグでダントツの最下位に沈んだ横浜では昨日、ルーキーの村田修一が新人歴代6位に並ぶ23号本塁打を放った。古木克明と共に明日の横浜の希望を象徴する村田にとって、ルーキーイヤーの本塁打記録をどこまで伸ばせるかというのは小さくない課題になる筈だ。苦境に立つチームが希望を胸に抱いて心中する覚悟があるか、その方向性も左右され、問われることになる。

 方や15日のオリックス×西武、こちらでは36歳のベテラン大島公一がファールフライをキャッチしようと観客席にダイブしたり、内野ゴロでファーストベースにヘッドスライディングをしたりと、ユニフォームを堂々と汚すハッスルプレーを見せていた。横浜と同様、こちらはパ・リーグのダントツ最下位を走るオリックスだが、ベテラン選手が絶望的な状況でも120%の力を発揮せんとプレーする姿からは、悲壮感にも似た、けれど決してネガティブでもない危機迫るモチベーションを感じた。

 確かにセ・リーグの優勝は決まった。それもぶっちぎりで決まった。恐らく、パ・リーグもこのままダイエーが決めるだろう。だが、それで試合に見所がなくなった訳でもない。ましてや“消化試合”などという甘ったれてふざけた言われ方をする試合など、どこにもない。そこにあるのはプロ野球だという事実は、優勝が決まろうが決まってなかろうが変わらないのだ。

 選手にもチームにも、それぞれに背負ったものがある。背負ったまま、試合はまだ行われる。ファンはそれを見届けて楽しむ権利を持つ。“消化試合”と言って見捨てるのは簡単で勝手だが、それは非常にもったいないことだと思う。

 日本シリーズを見据えるチームがある。来期を睨む選手もいる。試合のひとつひとつに渦巻く、それぞれの喜怒哀楽。140試合目の勝負まで、レギュラーシーズンは2つとないそれぞれの歯車で進んでいく。それは決して“消化試合”ではない。


Vol.146 一年越しの違和感
2003年09月05日(金)

 違和感を感じたのは一年前の夏だった。違和感と言うよりも、なんだかしっくりこないような気持ち悪さが、そこには常に渦巻いていたように感じる。そしてその奇妙な気持ち悪さは、一年の時を経て同じ場所、甲子園球場に持ち越された。

 甲子園に渦巻く“ガイコクジン”への視線は、今年も奇妙なベクトルと共に、少々過熱気味にも感じるほどの強さでグラウンドに注がれたような気がする。

 昨年の夏、日章学園の瀬間仲ノルベルト(現中日)が甲子園に描いた巨大なアーチは、一瞬で球場の視線を一人占めするだけの圧倒的な説得力を有していた。未完の大器という印象は拭えないものの、片山文男(現ヤクルト)の豪腕は将来性を存分に感じさせるものだったし、一学年下の小笠原ユキオも投打で輝く素質の片鱗を覗かせた。

 彼らは日系のブラジル出身選手としてマスコミに取り上げられ、瀬間仲は協約の関係上“外国人登録”としてプロの世界に飛び込まざるをえなかった。“ガイコクジン”に対する視線は、野球の上でもプライベートの上でも、普通ではない何かに彩られたものだったように思う。

 瀬間仲が放った特大ホームランには、判で押したかのように「日本人離れしたパワー」という枕詞がついた。確かに彼は日本国籍を持っていないが、それをことさら強調したかのような物言いには、正直言って反感めいた感情があった。「それがどうした、彼は類稀な素質を持ったスラッガーであって、それ以上でもそれ以下でもない」と。

 この国がスポーツ後進国たる由縁は、近代スポーツにおける物理的な経験が浅いだけでなく、いつまでも外国人選手を“ガイジン”として見つつ、“助っ人”というへりくだった扱いをし、彼らを特別なトピックスとして扱うその精神性にあるのではないか、と最近考えるようになった。

 今年の夏の甲子園で最も注目を浴びた選手は、準優勝した東北高の2年生エース・ダルビッシュ有だった。今年でもドラフト上位指名確実と言われる長身の本格派右腕は、イラン人とのハーフでイランと日本の両国籍を持った選手として、昨年からニュース番組などで特集が組まれることもあった。

 ダルビッシュは確かに稀有な素質を持った逸材である。一通りの変化球を操る指先感覚の鋭さはともかく、将来的には160kmを投げてもおかしくないその柔軟な肩甲骨など抜群の身体的素質に、すでにプロ数球団のスカウトが張り付いているという話も目にする。

 昨年に続く“ガイコクジン”という違和感が襲ってきたのは、彼が実際にイラン国籍を持っているという事実からではなく、決勝戦が終わった後の彼に対する各方面の評価からだった。

 マウンド上でイラつきを隠すこともなく、球審のきわどい判定には露骨に不機嫌そうな顔を見せる。準優勝に終わった直後の閉会式では、いかにもつまらなそうにあくびをしていたという報道もあった。普通の高校生とは一味違った振る舞いのダルビッシュは、東北高のエースとしてよりも、またプロ注目の豪腕としてよりも、それ以上に違う何かしらの見方で見られていたように感じた。

 正直言って、あの炎天下の開会式や閉会式で、大会役員や主催者の面白くない話を聞かされるのは苦痛だと思う。各代表が集まる開会式であくびをしていた選手は大勢いただろうし、死力を振り絞った後の閉会式で聞かされるダラダラした話など、選手にしてみれば眠たいだけのものでしかないかもしれない。

 あくびをしていた姿が取り上げられたのは、ダルビッシュが注目されていたからだ。そしてそれを叩く姿勢があるのは、ダルビッシュが“ガイコクジン”だからだと感じる。肝心なのは、仮にあくびをしていたのが試合に出られなかった控えの日本人選手なら、けしからんと物知り顔で叩かれていたのか、という点である。

 春のセンバツ大会でベスト4に進んだ東洋大姫路高の左腕グエン・トラン・フォク・アンも、あの大会当時から注目を浴びていた。彼の両親がボートピープルであるという事実も紹介されたが、はっきり言ってそういう報道の仕方には辟易した。彼はプロ顔負けの牽制技術を持ち、フォームのバランスやコントロールに優れた非常にいい高校生左腕であるが、そのことと両親がボートピープルであるという事実は何の関係もない。

 この夏に羽黒高の豪球右腕として甲子園に進んだカルデーラ・チアゴもブラジル人留学生。彼らに対する視線に普通のそれと違ったエッセンスが含まれていたことには、私の気分を重々しくするだけの何かが含まれていた。

 箱根駅伝で山梨学院大が、ケニアからの留学生選手で旋風を巻き起こしたことがあった。ジョセフ・オツオリ、ステファン・マヤカらの快走で一時期黄金期を築いた山梨学院大だが、ケニア人留学生のあまりに強烈な記録に、「助っ人の力を借りてでも勝ちたいのか」「プロではない学生スポーツなのに卑怯」という、非難めいた批判が飛び交ったのも事実だった。

 その時には同時に、「駅伝は日本人のもの」という論調も少なからず大手を振っていた気がする。駅伝の精神を“ガイジン”にいいようにされてたまるか――という、偏狭なナショナリズムとも言うことができない論理には、単純な外国人選手排斥のキナ臭さが立ちこめていた。

 彼らは確かに外国人だが、レースの場に出れば、オツオリ選手でありマヤカ選手である。それ以上でもそれ以下でもない。確かに彼らの走りは凄まじかった。身体能力の差もあるだろう。しかし、同じコースを走れば誰だってかかる時計は違う。彼らはただ優れたランナーとしていい時計を出しただけだ。ただ速いということだけで、彼らを“ガイコクジン”という理由の下に吊るし上げることには、居心地の悪い嫌悪感を覚えた。

 ダルビッシュやアンの場合は、両親の事情で日本に生まれた。日本語を話し、日本で生活をする、いたって普通の高校生である。そして彼らは、野球を通じて注目されるに値するだけの実力を磨いている。ただそれだけのことなのだ。

 しかしそこに注がれる視線には、常に“ガイコクジン”という成分が含まれている。“助っ人”と見られ、“ガイコクジン”扱いされ、いいことも悪いことも全てそのフィルターを通される。

 高野連は今のところ、外国籍を持った選手の出場に関して規制を設ける動きは見せていない。時代の変化と共に、ダルビッシュやアンなどのように何らかの形で野球を始める外国人選手も多くなるかもしれないし、オツオリやマヤカのように留学生として日本でスポーツをする外国人選手も増えるだろう。それでも彼らは“ガイコクジン”扱いを受け続けるのだろうか。

 今治西高の三塁手・曽我健太に対する視線も同じである。義足という身体的ハンディを克服して甲子園の土を踏んだ曽我は、確かに素晴らしいと思う。だが、彼が過度に注目されたのは、“義足の選手”だからだ。彼を取り上げた多くのマスコミは、曽我健太という一人の選手を見ていない。彼らが見ていたのは、彼の義足だけだ。義足の上にある曽我健太という一人の選手は、義足に添えられた刺身のツマ程度の見方しかされていない。

 曽我にとって、義足のことばかり触れられるのは苦痛だったかもしれない。本人に話を聞かないとわからないが、恐らく面白くはなかったと思う。それは、マスコミが彼のプレーを見ている訳ではなくて、「義足の選手」という色眼鏡で彼を見ていることだからだ。義足というフィルターを通さずに彼を見たマスコミは、恐らくほとんどいなかった筈だろう。

 彼は、自分がエラーをしたり自分がチャンスで打てなかったときは、それを重く受け止めるかもしれない。もちろん自分が活躍してチームが勝てば、それはそれで喜ぶと思う。けれど、そのプレーに「義足だから」「義足だけど」という枕詞がつけば、彼はその枕詞を拒否すると思う。それは関係ない、と。

 ダルビッシュに感じた視線も同じだった。彼がもし普通の日本人で、しかも大して目立たない選手ならば、「閉会式の途中であくびをしてけしからん」などと叩かれただろうか。

 ダルビッシュはいい意味でも悪い意味でも特別な視線で見られていた。“ガイコクジン”でも義足でも、それを理由にして彼らを捻じ曲がった視線で扱うのは、はっきり言えば程度の低い差別的な扱いをしているということである。

 瀬間仲の周辺から感じた奇妙な気持ち悪さは、一年を経た今年も同じように私を支配した。今後も増えていくであろう“ガイコクジン”球児に、マスコミは変わらない差別的な視線を注ぐのだろうか。私たちファンも含めた観る側の視線に、決して軽くない倫理観が突き付けられた気がする。

 彼らは一人のスポーツ選手である。繰り返すが、それ以上でもそれ以下でもない。



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