DEAD OR BASEBALL!

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Vol.132 桧山進次郎、12年目の闘い
2003年03月21日(金)

 桧山進次郎の左手は、恐らく彼なりの迷いと反骨心の現われなのだと思う。

 今期34歳。世間ではベテランと呼ばれる年齢に差しかかってきたが、安定感と勝負強さを漂わせる打撃は老け込みどころか円熟味を感じさせ、その風貌からはベテランという風情は感じさせない。今期も選手会長という重責を担い、チームメイトからの信頼感も厚い選手と聞く。

 そんな桧山にとって、今置かれている状況というのは甚だ微妙なものであるように思えてならない。

 今期、阪神の外野レギュラー争いは熾烈の一言だ。若き4番の期待がかかる濱中おさむ、2年連続盗塁王の赤星憲広、そして桧山。今年はここに広島からFAで獲得した金本知憲が加わり、トレードで獲得した中村豊が好調をアピール。俊足と鋭い打撃が持ち味の平下晃司も、潜在能力では決して劣っていない。

 チームリーダーとしての意地が桧山にはあった筈だ。伊達にプロ入り以来11年間もこの球団でメシを食っていないという意地。2年連続で打率.290以上を打ってきた打力は、以前のような「三振かホームランか」という脆さが完全に払拭され、本人も完全に手応えを掴んでいるだろう。

 結果から言えば、桧山は外野レギュラー争いから外された。敢えて敗れたとは言わない。どう考えても外されたようにしか見えないのだ。キャンプからオープン戦、桧山は一貫して一塁のポジションに立ち続けている。

 使いたい外野手が揃っているのはわかる。FA移籍の金本を外す訳にはいかない。2年連続ゴールデングラブの赤星はセンターから動かしたくない。濱中は若さと天賦の才を見せる打力はあるものの、守備力を考えれば左翼か右翼からは外しにくい。この3人を併用しつつ桧山の打力とキャプテンシーを生かす術……星野仙一の結論は、桧山の一塁コンバートだった。

 桧山は東洋大から92年ドラフト4位で阪神に入団。クリーンナップ候補としての入団だったが、レギュラーを掴むまでには時間がかかった。4年目の95年に115試合出場、打率.249で8本塁打という実績をきっかけに、翌96年には130試合全てに出場し、打率.263で22本塁打という成績を築き4番定着。新庄剛志(現メッツ)とのクリーンナップコンビは、新たなミスタータイガース候補として脚光を集めた。

 さらに翌97年も136試合全てに出場し23本塁打82打点という成績を残すも、打率.227は.226の新庄に続くリーグブービー。積み重ねた三振の数は150で、152三振の清原和博(巨人)と共に、池山隆寛(元ヤクルト)の148三振というセ・リーグのシーズン三振記録を塗り替えた。

 本来は中距離ヒッターだった打者が、チーム事情で4番を任された途端に自分の打撃を崩す。外野の間を抜く打球が持ち味だった桧山にとっても、突然負わされた阪神の4番という重過ぎる看板は、桧山の中で何かを狂わせたのかもしれない。

 その後の長い回り道を経て、01年に自身初の打率.300到達。本塁打こそ12本と大人しくなったが、勝負強く強烈なライナーを飛ばす桧山は、主軸打者として、チームリーダーとして、また選手会長として阪神の中で確固たる地位を築いてきた。その打棒は02年も変わらず発揮されている。

 その俺がなぜ!

 地位のことを言っているのではない。桧山はキャンプからずっと一塁のノックを受けてきた。つまり、星野の頭の中には、始めから外野戦争の中に桧山を入れる気はなかったのだ。そのことが悔しくない筈がない。

 一塁という本職ではないポジションでレギュラーを任された方が幸せなのか、例え敗れる可能性があっても熾烈な競争に加わることを許された方が幸せなのか。それはわからない。

 しかし、桧山は一塁のノック中も、そしてオープン戦で一塁を守っている時も、ファーストミットではなく、使い慣れた外野手用のグラブを左手にはめて守備についている。もちろん、使い込まれず固いままのファーストミットを使うよりは、使い込んだ外野手用グラブの方が守りやすいからかもしれない。しかしそれは、桧山なりの意地と言うか、意思表明なのではないかとも思えてくる。

 もちろん星野も、消去法でいたずらに桧山をコンバートした訳ではあるまい。桧山は平安高時代は遊撃手、東洋大時代は三塁手として内野の経験を積んでいる。一塁というポジションはどうかわからないが、少なくとも内野手としてまるっきりの初心者という訳ではない。

 実際に桧山は、野村克也が監督を務めていた間にも何回か一塁手として起用されている。緊急避難的な起用であったことは間違いないが、内野へのコンバートが持ち上がる度に、桧山は決していい顔をしていない。もちろんその時も、左手にはファーストミットではなく外野手用グラブがはめられていた。

 俺は外野手だ、便利屋じゃない!

 桧山のそんな声が聞こえてきそうな気がする。しかし、今のチーム状況で桧山がゲームに出るには、今の形でいくしか方法が見えにくくなっているのも事実。星野も開幕には一塁桧山でいくことを公言してはばからない。

 桧山は『やっぱりライトからホームやピッチャーを見るのと、ファーストからホームやピッチャーを見るのでは、ゲームに入っていくリズムが全然違う』と言っていた。慣れない守備位置にコンバートされ、その影響でゲームにうまく入っていくことができず、調子を落としたり本来の自分を見失ってしまう。そんな選手を、私は過去何人も見てきた。

 オープン戦の桧山は、目立った活躍こそしていないが決して調子を崩しているようには見えない。広角に鋭い打球を飛ばし、不安視されていた一塁守備も、決して上手いとは言えないがまあまあ無難にこなしている。

 星野は桧山を必要不可欠な戦力と位置付けている。しかし、少なくとも今シーズン開幕にあたっては、“外野手・桧山”という考えはなかった。桧山を真っ先に競争から下ろしたのか、それとも本当に桧山の打力が欠けては困るから一塁にコンバートしたのか、それは当の本人ではないので何とも断言はできない。

 しかし、桧山にとってそんなことはどちらでも関係ない。プロ入り以前は内野手だった桧山の、外野に対する並々ならぬこだわり。それは野村との一連のやりとりを振り返ってもはっきりしている。それだけに、桧山にとって今年は間違いなくプロ野球生活の岐路、勝負の年だ。

 守備からリズムを崩して下り坂を転げ落ちていくのか、それとも飄々と安定飛行を続けるのか、或いはひょんなきっかけでジャンプアップしていくのか。

 難しいが、少なくとも今はやるしかない。プレーで全てを示すしかない。

 桧山の打撃は美しい。大きなフォロースルーも、引っ張った時の糸を引くようなライナーも、左中間に高々と舞い上がる彼独特の本塁打も、全てが美しい。その美しさが色褪せないことだけを、切に祈る。

 桧山進次郎、12年目。左手に外野手用グラブをはめたまま、彼の新たな闘いが、もうじき幕を開ける。


Vol.131 トルネードの革命
2003年03月07日(金)

 ドジャースの野茂英雄が、大阪堺市に社会人野球のクラブチーム「NOMOベースボールクラブ」を創設した。このニュースは、明るい話題のことさら少ない社会人野球にとって、近年珍しい程に明るい話題であるように思う。

 練習場所は野茂が社会人時代を過ごした新日鉄堺の施設を使い、監督は新日鉄堺の先輩でもある清水信英氏が勤め、近鉄時代のチームメイトにも協力を求めていく方針のようだ。

 運営費は野茂が当面全額負担だが、既に5件ほどのスポンサー申し込みもあり、内外から大きな注目を集めていることは間違いない。

 日本野球連盟へのチーム加盟手続きなどの事情から、今年は練習やオープン戦を組みながら準備期間にあて、来年4月から大会参加や公式戦といった本格的な活動に入る予定。既に元プロ野球選手などからの連絡もあり、選手の集まりもかなりの数になりそうだ。

 日本経済を覆う不況下で、社会人野球のチームが相次いで廃部・休部に追いやられていることは周知の事実。10年前は144あった社会人チームが、現在は僅か90。今後もこの数字は減少していくことが予想される。そんな危機的状況に対して、社会人から大リーガーまで上り詰めた野茂は何とかしたいという想いがあったのだろう。

 社会人野球の衰退は、ただ社会人野球だけの問題にとどまらない。社会人野球が衰退するということは、プロ野球を筆頭とした日本球界の構造そのものの足腰を弱くする。

 高校・大学を卒業した選手たちのプレーの場が少なくなることは当然大問題なのだが、社会人野球が遅咲きの選手達の受け皿になれないということもまた大問題なのだ。

 社会人野球の今後が極めて不透明な以上、高校・大学の選手が社会人で野球をやろうとする意識が希薄になってしまう。社会人野球に人が集まりにくくなっている以上、高校・大学で芽が出なかった選手の受け皿は、極めて小さくなってしまっている。台湾球界や米独立リーグでプレーすることも1つの選択肢だが、都落ちという印象は付いてまわってしまうだろう。

 潮崎哲也(松下電器→89年西武D1位)、与田剛(NTT東京→89年中日D1位)、高橋建(トヨタ自動車→95年広島D4位)ら、社会人に進んでから大ブレイクした選手にとって、もし社会人野球がなかったら芽を出す前に野球生命を絶たれていた可能性もある。もしそうなっていれば、プロ野球だけでなく日本球界そのものにとっての大きなダメージだった筈だ。

 プロ野球には1球団70人という選手枠があり、加えて一部球団を除いてファーム組織の充実にほとんど力を入れていない現状を考えれば、社会人野球がこれまで日本球界に担ってきた役割というものは極めて大きい。少なくとも、プロ野球が社会人野球によって支えられてきた部分というものは決して少なくない。

 一部の球団のオーナーは『カネにならないファームは不要』と言ったことがあるが、トップを目指す人材の受け皿が小さくなればなるほど、将来的にはトップの首を絞めることになる。さらに言えば、これまで日本のファーム組織はカネにならなかったのではなく、球団がカネにする努力をしてこなかっただけなのだ。

 アメリカのように、ファームをAAAやAAなどのようにそのまま独立採算のチームにして、フランチャイズ展開していくのも1つの策。

 日本には、青森、秋田、仙台、長野、金沢、岡山、松山、熊本など、プロ野球チームを置く体力を持ち得る都市がほぼ未開のまま放置されている。そのような都市にファームチームを“おらが町のチーム”として置き、その土地のスポンサーを募りながら独立採算の道を模索していくというのも悪くはない。Jリーグと同じ発想が、プロ野球にできないとは思えない。

 Jリーグと同じ発想ついでに、仙台などのようにJリーグのチームを抱えている都市にプロ野球チームを置くのなら、そのJリーグチームと何らかの形で提携していくのも面白い。プロ野球のチケットとJリーグのチケットを割引価格でセット販売したり、お互いの試合の途中経過を球場で流し合ったりすれば、ファン層の相互拡大に繋がる可能性だってある。

 ちなみに、この異なるスポーツ間の提携というものは、サンフレッチェ広島(サッカー)、湧永製薬、イズミ(ハンドボール)、JT(バレーボール)、広島銀行(バスケットボール)の4競技、5チームによる広島トップスポーツネットワーク(トップス広島)という形で実現しているところもある。

 資金面の問題などから、「ファームを独立分化して置くことなんてできない」という批判も当然あるだろう。ならば、広い育成の場としての教育リーグという形で、プロ野球と分化した組織を形成するのもいいかもしれない。最低限の給料だけ与えながら、次のステージに向けて野球をするクラブチームのようなものだ。

 実は、NOMOベースボールクラブの発展形として密かに期待しているのが、このクラブチーム形式での育成型独立リーグだ。感覚としてはJFLのような形に近い。その中で力を伸ばしていければ、プロ野球からドラフト指名されたり、MLBに移籍する選手も出てくるかもしれない。

 もちろん、柳川事件のような問題がこじれないように、NPBやMLBと明文化した協約を設置することも重要だろう。

 大事なのは、少しでも多くの経験を積む場があることだ。MLBにどんどんスター選手が流出し、それでも社会人野球の衰退が止まらなかったりファーム組織の改革が進まないようなら、別の形でのステージを用意するしかない。

 今回のNOMOベースボールクラブは、そのような新しい波の第一歩になるのではないか。私はそのように期待している。

 野茂は昨年3月、当時レンジャースの伊良部秀輝、当時ロイヤルズの鈴木誠と共に、独立リーグのエルマイラ・パイオニアーズを買収しオーナーになっている。日本人選手がMLB入りを目指しやすくするのが主な目的で、3投手の代理人を務める団野村氏は『日本の野球が衰退しているので、規模は小さいが、こうしたことでチャンスを与えられれば……』と話している。

 野茂は選手として日米で成功した。そして今、現役でありながら日米双方で選手達を支える存在であろうとしている。日本野球をいい方向に導いていくのは、野茂のようにフロンティアスピリットを持った野球人なのだろう。

 日本球界が1つの転換期にきていることは間違いない。そして積極的にその舵を切ろうとする野茂英雄という選手を、私は1人の人間として心から尊敬するのだ。これからもきっとトルネードの革命は続いていく。



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