月の輪通信 日々の想い
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2010年05月21日(金) 引き出し

この日曜日のお茶会に向けて、義父の担当分である水指(みずさし)の生地がようやく出来上がった。
素焼き前の生地に栗茶の化粧土で描いた山河の風景。
義父が若いころから得意としてきた、大和絵風のパノラマの技法だ。

ここ数年、義父は腰が急速に曲がり、歩行の速度や距離も著しく衰えてきた。
また帯状疱疹の後遺症による日常的な痛みに悩まされており、「痛い、痛い」が口癖になっている。
痛みのひどい時には、一日中ご機嫌が悪く、仕事場へ入られることもなく、横になっておられる時間ばかりが増える。
唯一、得意のおしゃべりをなさっている間だけは、気がまぎれるのか、痛みを訴えられることが少なくなる。家族や教室の生徒さん、来窯のお客様や通りすがりのハイカーに至るまで、おしゃべりのできる相手を見つけると長い時間昔語りに興じていらっしゃる。

義父のおしゃべり好きは、若いころからの事。
ニギハヤヒノミコトの話や、北河内地区のそこここに残る古墳のお話、出征していた頃の異国の風土の話。
義父十八番の昔語りは長年にわたり、何度も何度も繰り返され、家族にとってはそれこそ耳にタコができるほど聞き馴染んだ話題でもある。
しかし、最近になって、そのおしゃべりの中でも、重要な固有名詞が思い浮かばなくなったり、別の話題がいくつも交錯して脈絡がなくなったりしてしまうことが増えた。
義父自身もそのことがもどかしく、イラついたりぼやいたりして、またおしゃべりの時間が長くなる。

「なんで、こんな些細なことが思い出せなくなるんやろう。
これまで知っていたことや聞きためた知識は、このままどんどん消えてなくなっていくんやろうか。」
嘆きとも不安ともつかない呟きを洩らす義父。
いつもは義父の長すぎるおしゃべりにいくらか辟易しつつある私だが、「老い」という深い淵を見下ろし、立ちすくむ人の背中の小ささに胸の痛む思いも湧いてくる。
日一日と衰え、小さくしぼんでいこうとする人の生を、何と言って慰めればよいのだろう。

数年前、ひいばあちゃんが亡くなったときの事。
ひいばあちゃんの小さな亡骸を荼毘にふす時、
「ああ、この人が生前身につけた技術や知識、記憶や思い出、そのすべてが一緒に燃えてなくなってしまうのだ」
という思いが募り、心から惜しいと思った。
ひいばあちゃんの肉体という引き出しに、ぎっしり詰め込まれていたであろう知識や技術は、ひいばあちゃんの死とともに永遠に閉ざされ、無に帰してしまう。
それが、人が生きて死ぬということなのだと、初めて思い知らされた気がする。

義父という引き出しにおさめられた、数々の経験や知識。
その一つ一つを惜しみなく誰かに伝えようと、滔々とおしゃべりをやめない義父。
けれど、その出力量は老いとともにどんどん少なくなリ、先細っていく。

「大丈夫ですよ、お父さん。
お父さんの知識や経験は、ちゃんとお父さんという引き出しの中に残っていますよ。
ただ、その引き出しの開け方がちょっと難しくなってきただけなんじゃないですか。」

私は笑って、慰めにもならない軽口で義父の嘆きをかわすけれど、日に日に開きにくくなる義父という引き出しの中身を、どうして差し上げればよいのかが判らない。
「老い」という淵は、遠目に見ても、とてつもなく深い。




2010年05月20日(木) この人

今日、どうしてもやらなくてはいけない大仕事とか、
明日、どうしても会わなければならない嫌なヤツとか、
いくら考えてもすぐには答えの出ない、苦い難問とか、
考えれば考えるほど、ウッと息がつまりそうになる暗い不安とか、
パラパラと手の中から零れおちていくのをただ見送るしかない希望とか、
鍵のかかる箱に入れて、遠くに置き去りにしてしまいたい自己嫌悪とか
ワッと叫んで逃げ出してしまいたくなる、日々の限りないルーティンとか。

そんなものを、おそらくは私より数倍たくさん抱えているはずなのに、
なぜこの人は、逃げもせず、立ち続けることができるのだろう。
日に数時間の短い仮眠を貪るように眠る人の寝息を間近に聞きながら、
土と釉薬で荒れた手にマニキュアの剥げた指先を重ねる。
この人のこの手に、私は守られているのだ。
私のこの小さな手は、この人の何を支えていくことができるのだろう。

私たちはまた、この難所を越えていく。
きっとまた、越えて行ける。
だからお願い。
「大丈夫。」と言って。


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