月の輪通信 日々の想い
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午後から、陶芸教室の新年会。 義兄と父さんがそろって出かけていった。 朝から、焼きあがったばかりの生徒さんの作品を包装し、福引用の作品を箱に詰め、箱待ちだった香合の発送を手配したら、午後いっぱい、ぽっかりと時間が空いてしまった。 しゃあないなぁ。 年末から荷造り仕事の多忙を言い訳に見て見ぬ振りを決め込んでいた作業場前の落ち葉掻きにノロノロと取り掛かる。
年末年始、お人が頻繁に通る玄関前やお茶のお稽古に使うお茶室周りの落ち葉は毎日義母が体調のいい時間を見計らってほそぼそとお掃除してくださっていた。近年、すっかり荷造り仕事から手を引いてしまわれた義母にとって、庭の落ち葉掻きは残り少ない工房仕事の役割の一つなのだろう。 「わたしは掃除が好きだから」と、時には日が暮れるまで依怙地のように降り積む落ち葉をかき集めておられることもある。 落ち葉っぱい集めた箕に長いひもを結びつけ、アスファルトの地面を引きずって谷まで運ぶ。10年前ならひょいと持ち上げてさっさと谷まで運んでおられた軽い軽い箕をズルズルと引きずって歩くその様は、まるで幼い子の拙いお砂場遊びのようだ。年をとってしまわれたのだなぁと胸が痛む。
数年前までは、休日に子ども達を総動員して、ワイワイと賑やかに取り掛かっていた落ち葉掻き。 オニイが巣立ち、アユコやゲンも部活や図書館通いで休日には家にいないことが増えた。今はまだ、かろうじて家に残ったアプコが気まぐれに手伝ってはくれるものの、すぐに彼女も出払ってしまう年齢になるだろう。 義父母が老い、子ども達は成長して、やがて巣立っていく。
5年先、そして10年先には、あいも変わらず庭の落ち葉を、私は一人で細々と掻き集め続けているのだろうか。 降り積む落ち葉の量は、10年前も20年前も大して変わってはいない。 変わっていくのは人の営み。 ただそれだけのことだ。
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