月の輪通信 日々の想い
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地元の小学校での陶芸教室の日。 5年生2クラスの子どもたちと一緒に抹茶茶碗を作る。 私も父さんの助手のおばちゃん先生として朝から出動。 毎年この時期の恒例になったこの教室、オニイが5年生だった年の数年前から始まったのでもう10年近くになるのだろうか。 今日とあさっての二日間で成型し、年が明けてから近くのレクレーション施設にある陶芸窯で素焼きと本焼きを行う。
父さんが見せる水引きロクロのデモンストレーションに、わぁっと歓声を上げる子どもたちの中に、見覚えのある苗字のゼッケンをつけた体操服の男の子を見つけた。一読では読めない変わった読みの苗字は、アユコの同級生Aさんとおんなじだった。 うちへ帰って、アユコに 「Aさんの下の子って、もう、5年生になったんだね。もっとちっちゃい子だと思ってたのに・・・。」 と言ったら、 「そだよ。だって、Aさんの弟はなるちゃんとおんなじ歳だもん。」 と答えが返ってきた。
アユコの口から、「なるちゃん」という名前がふっとこぼれて、一瞬ふっと不意打ちを喰らったように胸を衝かれた。 なるちゃんは、生まれて3ヶ月足らずで逝った私の次女の名。 10月半ばに生まれて、翌年のお正月明けには天に戻った。 生まれつき心臓に障害があり産院から専門の病院に転院し、ほかの兄弟たちとはほとんど手を触れ合うこともなく逝った、縁の薄い赤ちゃんだった。 あの子が亡くなった時、アユコは4歳。 小さな遺影にお花や水をあげる時ぐらいにしか家族の話題に上ることも少なくなった亡き妹の名を、アユコは友達の弟の年齢を数えるときに当たり前のように使った。 そのことが、毎日あわただしく走り回る私の胸に、ぐいと痛く突き刺さった。
たった3ヶ月しか生きられなかったあの子には、秋の終わりから冬、クリスマス大晦日、そしてお正月のたった10日あまりの日々の思い出しか残っていない。春の日差しの中のあの子、夏のきらめきの中のあの子の姿を私は思い描くことができない。 それどころか、何本もの点滴のチューブや最新の医療機器に傅かれ、お姫様のように病院の白い新生児用のコッドにちんまり横たわっていたあの子の顔立ちすら、記憶の中でおぼろげになって立ち消えそうになっている。 「わが子の顔を忘れるなんて」と母としての自分の記憶の儚さを責める気持ちが、「なるちゃん」という名を久々に耳にしたときの鋭い胸の痛みとしてかろうじてまだ残っているのだろう。
もしあの子が生きていたなら、もう5年生。 どんな女の子に成長していたのだろうか。 そんな夢想すらすることが無くなった今の私。 私の手の中には、元気に成長するオニイ、アユコ、ゲンがいて、あの子の生まれ変わりのように生まれてきたアプコがいる。 一年のうち、秋から冬へのたった3ヶ月の間だけ、あの子は今日のような鋭い胸の痛みとともに、私のところに戻ってくる。
ああ、今年も、帰ってきたのだな。 今年は、やさしいアユ姉ちゃんの言葉を借りて「わたしを思い出して」と降りてきたらしい。 さあ、今年もそろそろあの子の為のクリスマスプレゼントを探しに行こう。 脆く儚いガラス細工の天使やツリー。 暖かくも鋭い痛みを抱いて・・・。
アユコとアプコを車にのせて地域の文化祭へ。 アプコは小学校の合同制作の作品を、アユコはクラブの華道の先生の作品を見に。
華展の一角で、子どもたちにいけばな体験をさせてくれるコーナーがあって、アプコは毎年それを楽しみに出かけている。近所のいろんな流派の華道教室の先生方(ほとんどがかなり高齢)が、一人ずつついてフラワーアレンジの真似事をさせてくださる。
今日、最初にアプコについてくださった先生は、たまたまその中では一番偉い先生だったらしい。途中からそばにいた別のおばあさん先生を呼びつけて、「この子はあなたが見てあげなさい」と交代を命じられた。 おばあさん先生は恐縮して「私なんかより先生が見て差し上げたほうが・・・」と言われたのだけれど、偉い先生は「私は顧問ですから、やりません」と言い放って、どこかへ行ってしまわれた。 そのくせ、おばあさん先生がアプコに教え始めると戻ってきて、「茎は斜めに切っておいてあげなさい」とか、「あなたが活けるんじゃなくて、子どもさんにやらせてあげなければ」とか、横からいちいち茶々を入れる。 そのたび、おばあさん先生が縮み上がって謝っておられるのが痛々しかった。
横で見ていたアユコ。 「あの先生、こわ。」とそっと耳打ち。 デモね、お茶やお花のお教室では、ああいう物言いをする人も結構居るよ。長幼の序とか、師弟関係の上下とか、そういうことをとても重要視する世界だからね。 」 「お茶やお花は好きだけど、そういうのは嫌だな」 というアユコ。
その後、ゲンを迎えに剣道の道場へ ちょうど稽古が終わって、ゲンは先生方に順番に挨拶に回っているところだった。 アユコはゲンの道場での稽古姿を見るのは久しぶり。 体格のいい大人の剣士たちに混じって、くるくると独楽鼠のように走り回っているゲンの姿を目で追う。
「見てごらん。剣道にも、段位の高い先生とか年長の先生とか、暗黙の序列があって、ご挨拶するにも手合わせを願い出るにも、ちゃんと決まりごとがあるんだよ。 ゲンは大人稽古では、入りたてのペーペーだから、あちこち雑用に走り回って、たくさんお辞儀をして大変だけど、でもある意味そういう上下関係を重んじることで道場内の秩序は守られていくんだろうねぇ。」 アユコにそんなことを話した。 「ふうん」と頷くアユコ。 あちこちにぺこぺこ頭を下げて回る剣道着姿のゲンを見て、何か思うところがあったようだ。
数日前、義母、入院。 骨粗しょう症による骨折。 工房仕事も立て込んでいて、父さんも義兄も不眠不休の毎日。 老人宅の家事や介護に、義母の入院先への面会の仕事も増え、毎日ギリギリいっぱいの日々。
朝、オニイやゲンはそれぞれ剣道の稽古。 車でゲンを道場まで送って、とんぼ返りでデイサービスに出るひいばあちゃんの身支度の手伝い。 たまたま地域の公園清掃の時間が重なっていて、そちらのほうはアユコとアプコが母に代わって出動してくれた。 頼りになる娘たち。
公園清掃のときにアユコが大人たちの話を小耳に挟んで帰ってきた。 数日前、同じ校区の古い神社で火災があったようだ。そういえば珍しく遠くでサイレンがなり続けていた夜があった。
この神社は校区のはずれの山の中にある古い神社で、ゲンが獅子舞を務める若宮神社もこの神社の宮司さんの管轄内。宮司さんちの長男はアユコと同級生だ。 宮司の奥さんは、子どもたちの小中学校への登下校を毎日車で送り迎えしておられる。「山奥住まい」同士のよしみで、しょっちゅう「私たち主婦は、誰かの送り迎えばかりで人生の時間を費やしていくのね」と愚痴を言い合って笑う仲。 舅姑を抱え、跡継ぎとなる息子たちを育て、伝統を継承する夫の仕事を支えて、町から離れた不便な生活環境を笑って楽しむ。そんな自分とよく境遇に、お互いなんとなく親密な気持ちをもってお付き合いしてきた。
火事は社務所を全焼したが、住まいやご神体などはなんとか無事だったとか。うちの子どもたちがお宮参りした本殿は、焼け残ったのだろうか。 うわさでは、いつも焚いていたお灯明のろうそくの火が原因らしいという。古くから代々お守りしてきた伝統ある社殿を、自分たちの不注意で焼失させてしまった宮司さんたち御家族やご高齢のお母様の心中の痛みはどれほどのものだろう。
そういえば我が家だって、工房の2階は3人の老人たちの生活の場として大方「養老院」状態だけれど、もしも何かの不注意で火災でも起こったとしたら、命の心配はもとより、住まいや仕事場とともに、窯元としての歴史や信用も一瞬に失ってしまうことになる。 昔から「陶器屋は、火事を出したら終わり」といわれるそうだ。多分花火職人や鍛冶屋など、火を扱う仕事場はどこでもそんなふうに言われてきているのだろう。 他人事ではない。気を引き締めてあたらなければと思う。
アユコと同級生の長男君は、小学校の卒業文集で「将来宮司の勉強をして、父の後を継ぐ」と立派に宣言したしっかり者。これから、お父さんと一緒に社殿の復興という大きな重責を担っていくのだろうか。 「おかあさん、大丈夫やろうか」と同級生を気遣うアユコに、応えてやるすべがない。 一日も早い御復興をお祈りする。
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