月の輪通信 日々の想い
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父さんの個展3日目。 一日中、百貨店のギャラリーに缶詰。帰宅後、早朝に工房で仕事。 会期前よりさらにハードワークな毎日が続く。 頑張れ。
で、私は午後から和太鼓の練習日。 戻ってから早めの夕食をとらせて、夜剣道。 ゲンを道場に送って、その足で中学の学年懇談会。 途中で抜け出して、ゲンの迎え。 帰宅後、今度は父さんの迎え。 こちらも時計を睨みながらのハードスケジュール。 参った。
アユコの中学は、今年度に入ってから校内が荒れている。器物損壊や授業妨害、教室でのお菓子の飲食などなど、時にはパトカーだの消防車だのが出動するような事件も起こっている。 先生方もPTA役員たちも、本当に心を尽くして、一生懸命対策に走り回って下さっているのだけれど、一度転がり始めた玉を押し戻すのにはそれなりの時間と労力が必要なわけで、一朝一夕に学習環境の改善とまでは行かないようだ。
今日の学年懇談で学年委員さんたちが保護者に向けて提案されたのは3つのチェックポイント。 「携帯電話を学校へ持ち込ませない。飴やお菓子類を持ってこさせない。茶髪で学校に来させない。」 まともな中学生にとっては、馬鹿馬鹿しいようなルールなのだけれど、実はこんな単純なことが、格別不良というわけでもない普通の生徒たちの間でもなかなか守られなくなってきているのだという。
懇談では特に子どもの携帯電話についての話題が白熱した。 校則ではもちろん中学生の携帯電話の校内持ち込みは禁止。 けれども実際には、かなりの子どもが持ってきていて、校内で授業中のメールのやりとりをしたり、ゲーム、音楽を聴くなどの現場が見つかっているという。 また、女の子たちの間ではメールの返事が遅かったの、傷つく言葉を送られただの、些細な事でいざこざが起きる。 日に何時間もくだらないメールのやり取りで時間を費やす生徒もいる。 夜間や授業中にメールでの呼び出し。 悪質サイトへのアクセス。 携帯電話を介しての子どもたちへの悪影響は、大人たちの想像以上に深刻になってきているらしい。 塾や稽古事の行き帰りの連絡や防犯上に必要との名目で子どもに携帯電話を持つことを許している家庭も多いと聞く。 「子どもの安全のために」という大義名分で買い与えた携帯電話には、こんなに多くの弊害もまた付随しているのだというお話だった。
ある一人の先生が言われた。 「私たちが生徒たちの年齢の時には、携帯電話なんて代物は身近には存在しなかったし、それを中学生の子どもが持つようになるなんてことは想像すら出来なかった。 でも今の子達は、生まれたときから当たり前に身の回りに携帯電話があった。メールのルールも携帯電話の弊害もちゃんと教えられないうちから、便利さだけを与えられてきた子どもたちです。 私たちもまた、子どもたちに携帯電話を持たせたらどういうことが起こるかということをきちんと学ばないうちに、買い与えていませんか。 世の中は各人一個の携帯を所持するのが当たり前というような風潮になってきています。 『中学生は携帯電話禁止』というのは、ある意味、子どもたちとの戦いというよりは、時代との戦いだと思います。 本当に闘う気があるなら、『学校へ持っていくのはダメ、家においていきなさい』なんて甘いことでは駄目。さっさと子どもの携帯電話を解約してしまうことです。」 保護者の間からは初めて拍手が起こった。
大人が子どもたちを叱らなくなったという。 「駄目なものは駄目なんじゃい!」という、頭ごなしの叱り方のできる大人がいなくなった。 子どもたちの話は最優先で聞いてやりましょう。 子どもたちの希望は出来る限りかなえてやりましょう。 そんな理解ある大人ばかりが子どもたちの周りに取りまいている。 「みんなが持ってるから」といわれれば、わが子にも同じものを持たさないわけには行かないと揺らいでしまう保護者。 「言っても聞かないから、学校で厳しく指導して下さい。」と学校にお鉢を預ける弱腰な保護者。 みんながみんな子どものよき理解者になってしまいつつある現代の弊害が、今の中学校の荒れに繋がっているのだなぁと改めて思う。
我が家の子どもたちはみな、校則違反もしないし、真面目でいい子。 荒れた中学校の問題も、どこか一歩引いたところで眺めてきた私。 「時代と闘う」という言葉を糸口に、親と子の関係を自分と家庭の中だけではなく社会全体の問題としての認識を迫られた気がして、目からうろこの落ちる思いがした。
BBS
オニイ、朝から剣道の試合。団体戦。 初戦の対戦相手は私立の強豪校。
あまりの強敵に、先輩たちは 「おれ、先鋒」「俺、次峰」と、てんでに自分の対戦順位を決めた。 遅れてやってきたオニイに残されていたポジションはなんと「大将」 ありゃあ、一年生のオニイが強豪校相手に「大将」ですか。
「こてんぱんにやられる?」 とオニイに訊いたら、 「『こてん』にもならない。」 なのだそうで。 「一矢報いるっていうのかなぁ、そういうのも無理?かすりもしない?」 「多分無理。」 という相手なんだそうだ。 「そんなすごい相手と対戦するの、怖くない?」 と訊いたら、 「怖いさぁ。」 と、むすっと答えた。 がんばってるんだなぁ、オニイ。
朝、まだ真っ暗な中、オニイを車で駅まで送る。 「負けと決まってる試合に臨むのは、しんどいね。」といったら、 しばらく考えて、一句。 「寒い朝 母を走らせ 負けいくさ」 いいよいいよ。 駅までの送迎ぐらい、走ってやるよ、気にするな。 君なりに頑張っているもんね。 爽やかに負けてこい。
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BBS
先週からようやくオニイが携帯電話デビュー。 高校入学当初から、「そろそろ要る?」「うん、でも、まだいいよ。」と携帯無しで頑張ってきたオニイ。そろそろ部活の仲間との連絡や中学時代の友人たちとのメール交換に、欲しくなってきたらしい。 あれこれ、迷ってようやく手に入れた高校生必須アイテム。さっそく友人たちのアドレスを登録したり、着信音をあれこれ変えてみたりして楽しそう。 「さぁ、これで彼女にも心置きなくメールが出来るね?」とからかっていたら、諸事情によりオニイの携帯初メールは母のPCアドレスへのテストメール。 あらら、初メールが母親宛なんて、気の毒なことで・・・。
オニイ、高校で剣道部に入ってから、毎日お弁当のほかにあんぱんを一個持参する。 お昼にはがっつりお弁当を食べても、部活を終える頃には腹ペコでへろへろ。自転車をこぎながらあんぱんを食べて帰って来る。 「おにぎりとか、惣菜パンとかのほうがいいんじゃないの?」と訊いても、「稽古のあとは、とりあえず糖分が欲しいんだ。」 というので、来る日も来る日も私は買い物に行くたび、オニイのためにあんぱんを買っていた。
「かあさん、いつも買ってくれてるあんぱんって、いくらするの?」 と昨日オニイが訊いた。 「さあ、安売りのを買うことが多いけど、まあ、100円前後でしょうね。」 「んじゃね、ちょっと提案があるんだけど。」 いつも腹ペコだからあんぱんを持たせてもらってるのはとても助かる。でも最近は帰りが遅くて寒いから、あんぱんは冷たくてちょっときつい。 出来たらパン代を半分でもいいからお金で貰って、コンビニの暖かい肉まんを買って食べちゃいけないだろうか。 そういうことだった。
まあね、お腹もすくだろうしね、冷たい風の中自転車をすっ飛ばしていたらホカホカ湯気の上がるコンビニの肉まんの誘惑にはついついクラクラしちゃうだろう。仲間たちとのお付き合いもあるのかもしれないしね。 生真面目なオニイにも部活帰りの買い食いの楽しみを味わってもいいかなぁと思ってOKを出した。 ホントのことを言うと、買い物に行くたび、翌日のオニイのためにあんぱんを選ぶ習慣がなくなるのはちょっと寂しいような気もするのだけれど。
ここ2週、剣道の対外試合が続く。 試合前の猛特訓で帰宅がさらに遅い。学校での部活を終えた後、よその道場への出稽古なんかもあったりするらしい。 帰りが遅くなると、家族の夕食には間に合わない。みんなが食べ終わった食卓で一人分だけ暖めなおして食べる日が増えた。
今夜の夕飯は肉じゃが。 「オニイの分は取ってあるからね」と大皿盛を取り分けてみんなで食べた。 遅くに帰宅したオニイ、着替えもそこそこに一人で夕食をとったのだけれど、あとで流し台を見ると一人だけレトルトカレーを食べた形跡がある。どうやら肉じゃがには、箸をつけなかったらしい。 肉じゃががお気に召さなかったのか、ガツガツとカレーを食べたい気分だったのか。 どちらにしても遅れて帰ってきて、用意してある献立に手をつけないで、一人だけレトルトカレーを暖める所業にカチンと来た。 よってお説教。 「何故みんなが食べたおんなじものを食べないで、自分だけちがうものを食べるの? 携帯電話も持って、帰りが遅くなっても少々寄り道をしても叱られなくなって、自由が認められてるような気がしてるかもしれないけれど、まだまだ君は子どもよ。うちの家族は、みんな一緒におんなじものを食べるの。それが我が家のルール。 自分の好きな時間に、自分の食べたいものを勝手に食べる自由なんて、君には十年早いよ。」
子どもたちが小さい頃から、夕食はたいてい家族全員がそろって一緒。そんなささやかなルールも、子どもたちが大きくなってそれぞれの世界が広がれば帰宅時間も揃わないし、一緒に食卓を囲める日も限られてくる。 遅ればせながら我が家にもそういう時期がきているのだなぁとそろそろ覚悟はしていたのだけれど。 家族が一人一人、好きな時間に自分の食べたいものを勝手に食べて平気でいる。自由で気楽で快適なようだけど、そんなのは家族じゃない。
朝、送り出したら、遅くまで帰ってこない。 ヘロヘロにくたびれて帰ってきて、ガツガツと夕飯を食べて、知らぬ間に寝てしまう。 そんな息子と母をつなぐのは、毎日買うあんぱん。 「オニイが好きだよね」とついつい買ってしまうスナック菓子。 「少しでも暖かいうちに」と用意する晩御飯。 「お袋、胃袋、堪忍袋」というのは結婚式の定番スピーチの題材だけれど、結局最後まで家族をつなぐのは胃袋のつながりなのだなぁと思う今日この頃。 だから、「あんぱんはもういいよ」といわれると寂しい。 「肉じゃがより、レトルトカレー」といわれるとカチンと来る。 ただただ、巣立ちの日の近い息子の成長が寂しい母の感傷に過ぎないのだけど。
と、ここまで書いたところでオニイからのメール、受信。 「今日は早く帰る おそらく普通に飯が食えそう」
で、すぐに返信。 「了解、鍋にしようか?」 ああ、あほらし。馬鹿な母親。
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BBS
先日、食品庫の整理をしていたら、中から何故かラップの芯が一本。 なんだか場所ふさぎだわとゴミ箱に棄てておいたら、しばらくしてアプコが「これ、貰っていい?」と嬉しそうに拾ってきた。 「いいよ、何に使うの?」と訊くと、「内緒、内緒。」と逃げていった。
昨日、夜剣道から帰ってきたら、居間のコタツの上に3センチくらいの輪切りになったラップの芯がコロコロしてる。 「はぁ、何か作り始めたな。」 コロコロのわっかの切り口の片方は、丸く切ったコピー用紙で丁寧に蓋がされていて、そのうち一個には短く切った割り箸が貼り付けられている。 ちょうど短くなったアイスキャンデーの有様。
「これ、なに?」 子どもたちが寝間へ上がったあと、父さんに訊いて見る。 「なんだと思う?」 硬いラップの芯は子どもの力ではどうにも切れなかったので、父さんが小型ののこぎりで輪切りにしてやったのだという。 「これ、ヒント。」 と父さんが紙くずの下から引っ張り出したのは、ちょうど子供用スリッパの底のような形に切ったボール紙。 ご丁寧に2枚張り合わせて補強したのが二つ。これはアプコが自分でギコギコ鋏で切ったようだ。
「もしかして、ローラースケート?」 「当たり!」 短い割り箸の両端に輪切りにしたラップの芯を貼り付けて車輪にし、それを二組づつ貼り付ければ確かにローラースケートっぽい形は出来る。 「でも、それじゃ、車輪は動かないでしょ?」 「うん、でも本人はまだ、そこんとこ、気がついてない。」 「車軸だって割り箸だし、第一、車軸を支えてるホイルキャップは コピー用紙よ。」 「ま、すぐ、壊れるだろうね。」 二人でお腹を抱えて笑う。
それにしても、ずいぶん細かい作業がしてあるぞ。 コピー用紙のホイルキャップは、丁寧に切り口の形を鉛筆で写し取ってから切り取ってあるし、糊代には細かい切込みを入れてある。 底板部分は、自分のスリッパの型を取って作ったのか。短く切ったセロテープで丁寧に2枚のボール紙を張り合わせてある。 こんな細かい作業が一人でちゃんとできるようになったんだなぁ。 一本のラップの芯から、びゅんびゅん疾走する手作りローラースケートをイメージして、そそくさと鋏を動かすアプコの愉快さ。 まだまだ、楽しい笑いを提供してくれそうだなぁ。
で、今朝のアプコ。 今度はコピー用紙を細く切って、また何か熱心に拵えている。 丸めた支柱、蛇腹に折った階段、なだらかなスロープ。台紙になる用紙は黄緑の色鉛筆で一面塗りつぶされている。 「なんだと思う?」 「滑り台?」 「当たり!」 コピー用紙で作ったものだから、強度には問題はありそうだけれど、その形は完全に公園にある滑り台そのもの。 なかなかの出来。
「で、さあ。昨日作ってたローラースケートはどうなったの?」 「ああ、あれ?もう作るのやめた。」 さては、根本的な問題点に気づいたらしい。 ダメだと思ったらさっさと放り出して、新しい課題に熱中するのもアプコの性格だ。 「あ、いいもの作れそう!」とひらめいて、あれこれ工夫して鋏を動かしているその過程こそが楽しくて、成果の良し悪しはそれほど問題ではないのだろう。 その屈託のなさがまだまだかわいい。
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朝、雨戸を開けたら、まだ明け切らぬ向かいの山の稜線近くに半月が出ていた。 薄く輪切りにし損ねた大根の一切れのような、半透明の儚げな月。 すっかり葉を落とした木々の小枝のシルエットに青白い月のワンポイント。
「父さん、父さん。 ほらほら、ここから見ると、まるで絵に描いたみたいだよ。」 と、父さんを起こす。 夜中の仕事を終えてくたびれて仮眠中の父さん。もう少し寝かせておいてあげたいところだけれど、残念、もうタイムアップ。 子どもたちも起きてくるし、朝の仕事の段取りもある。 「どれどれ。いやぁ、ほんと。きれいやな」 寝ぼけ眼でぼさぼさ頭のまんま、それでも父さんは起きてきて、寒いベランダから一緒に月を眺めた。
限界ぎりぎりの徹夜続きの朝にも、あわただしい仕事の移動の車中でも、美しい風景や面白い景色に出会うと父さんはしばし足をとめる。 時には、そそくさとカメラを出して、一瞬で移り行く空の色を何枚も写真に収めたりする。 「それも仕事のうち」といえばそれまでだけど、美しい風景に出会う瞬間のためにふと立ち止まる労をいとわないのが、この人の愛しいところだ。 「月がきれいよ。」という一言で、朝の忙しい3分間をともに空を見上げることに費やすことが出来る。 ささやかではあるけれど、この人と一緒に暮らせてよかったと思う理由の一つだ。
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BBS
乾いた洗濯物を畳んでいたら右手の親指の先がピリッと痛んだ。 あ、まただ。 つめの端のかどの部分のひび割れ。 この季節、工房で土の仕事や釉薬のポット洗いの日が続くと、必ず指先の爪の端っこがひび割れる。 小さな傷だけれど、何かするたびぴりりと痛んで、治りかけたかと思うとまた何かの拍子にぱっくりと口をあける。
私の何倍も土を扱い釉薬に触れる父さんは、いつも私より何日も早くひび割れを作る。 指先の繊細なタッチが必須の仕事柄、指先の傷は困りもの。 液体絆創膏という名のピリピリ沁みる接着剤のような塗り薬を重ねて塗って、急場をしのぐ。 「イタイ、イタイ」といいながら、ひび割れの指に沁みる薬を互いに塗りあう。バカダナァと二人で笑う。
無理やり閉じた傷が重なり、父さんの指先はますます硬くなる。 硬くなった指先が、手品のように丸く柔らかな曲線を造る。
最近スーパーに買い物に行って気がついたこと。 スーパーで貰うレジ袋の口が開き難くなった。 親指と人差し指で袋の口を何度も何度もひねるのだけれど、ぴったりと密着した袋はなかなか口をあけようとしない。 仕方がないので袋詰め台の隅においてある濡れ布巾でちょいと指先を湿して袋をひねると、袋はあっけなく口を開く。 ああ、いやだな、指先に潤いが足りないのだなと思う。 昔、少し年配の女性がレジ袋の口を開くのにぺろりと指先を舐めているのを見て、「いやだなぁ、おばさんって」と思ったことがある。あの頃の私はまだまだ若くて、年齢を重ねると指先の潤いがなくなると言うことが判らなかった。 今、あの人たちと同じような年齢になって、ようやくレジ袋の口がなかなか開かなくて、思わず指先をぺろりとやりそうになるじれったさが判るようになった。さすがにまだ、指先ぺロリには抵抗があって、手近に濡れ布巾を探す恥じらいはかろうじて残ってはいるけれど。
若いオニイやアユコの手は美しい。 いつもみずみずしい果実のような潤いを持って、これから初めて触れるもの、初めて掴むものへの期待が満ち満ちている。 幼いゲンやアプコの手は、ぷくぷくと柔らかく、触れるものを優しく包む。 子どもらの手に触れると、冬の風の中を自転車で走ってきた冷たさや、ホットミルクのマグカップを大事にくるむように抱えていたぬくもりが、ダイレクトにこちらに伝わってくる。 私にもこんな屈託のない潤いにみちた手をしていた時代があったのだろうなと、寂しく思う。
けれどまた、今年で100才になるひいばあちゃんの手も美しい。 節くれ立って青く血管が浮き、曲がった爪は黒く大きい。 それでも、長年コツコツと職人仕事に埋もれてきた100年の年輪が穏やかに刻まれている。 誰にも真似の出来ない、誇りにみちた美しい手だ。 階段や車の昇降に手を貸す、そんな時にふっと触れ合うひいばあちゃんの手は冷たくて小さいけれど、がっしりと力強く私の手を掴む。 私も将来、もっともっと年をとったら、こんな手の人になりたいとそのたびに思うのだ。
じっと手を見る。 今日もまた。
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BBS
自室でイヤホンで音楽を聞きながらハンバーガーを食べる青年。 その手元からポタリとケチャップが落ちた瞬間、背景が電車の中に変わって、ひとごみの中、青年は平然とハンバーガーを頬張り続ける。 そんなCMがTVで流れている。
電車の中でのヘッドホンステレオが何故いけないのか、長いこと判らなかった。 確かにシャカシャカ耳障りな音はするけど、普通の会話よりは小さな音だし、狭い座席に足を広げて座る人や大きく開いた新聞を読む人ほど物理的に邪魔になるわけでもない。なのに、なぜあのシャカシャカ音が妙に癇に障るのだろうか。
工房で、いつも寡黙に自分の仕事をコツコツこなす従業員のHくん。 彼は仕事場に入るとまず自分用のCDラジカセのスイッチを入れる。流れてくるのはFMの音楽番組だったり、自分で持ち込んだCDの音楽だったり。 私自身受験生時代には、ラジオの深夜放送を聴きながら学んだ世代だから、音楽を聴きながら仕事をする習慣そのものはそれほど嫌いではないはずだ。父さんと私とHくん、3人が同じ仕事場でそれぞれに別々の作業に没頭し、一言も言葉を交わさない何時間か。その沈黙の気まずさを埋めるために、軽い音楽が流れているのも悪くない。 なのに、時々、H君が流す音楽が妙に癇に障ることがある。 特にそれが彼の好みの、そして私の好みではないレゲエの明るい音楽であるときには。
オニイが最近、ロックに目覚めたらしい。 借りてきたCDの音楽を居間の共用パソコンに落として、ネットをしながらイヤホンをつけて聴いている。気分の乗ったときには、イヤホンの音楽にあわせて小声でぼそぼそシャウトしている。 周りでTVを見ている家族には、イヤホンの中身は聞こえないので、アカペラでシャウトするオニイのぼそぼそだけが耳に入る。 最初は「ほほう、オニイもちょっと渋いのを聴くようになったんだな」と笑ってみていたんだけれど、だんだんそれも不快に感じることが多くなってきた。 大きな声でキャアキャアはしゃぐアプコや、肩までコタツにもぐりこんでのうのうとかさばるゲンに比べれば、オニイのぼそぼそシャウトなんて別に何の邪魔にもならないんだけど、それでもなんだか癇に障る。 何でだろう。
そんなことを考えていた。
実家からの帰りの車中。 後部座席からオニイがちょっと遠慮がちに差し出したCD。 「ナビ、使わないんだったら、CD聴いてもいいかな。」 かけてみると、中身はオニイが最近ヘビーローテーションで聴いているロックミュージック。 あ、嫌だなと思ってすぐにスイッチを切った。
電車の中で聞こえるヘッドホンのシャカシャカ音が嫌なのも、仕事場で聴くH君のレゲエミュージックが嫌なのも、オニイのぼそぼそシャウトが癇に障るのも、根っこおんなじなんだなぁと言うことにようやく気がついた。 自分の近くにいる人の好みや気分を推し量ることなく自分の周囲を好みの音楽で満たすことは、そこにいる他の人の存在を無視して勝手に自分の個室にこもること。 公共の場であろうが団欒の場であろうが、どこでもお構い無しに居心地のいい自分だけのシェルターを作る。 その身勝手さが癇に障るのだ。
そんなことをあれこれ説明して、オニイにCDを返した。 君の好きな音楽は、君一人で聴け。 みんなで一緒に聞くときには、みんながいいと思う音楽か、少なくとも誰もが不快だとは思わない曲を聴こう。 同じ空間にいる自分以外の人のことも、ちゃんと意識してすごそう。 これから大人になる君には、それもとても大事なこと。
そういえば、超小型のヘッドホンオーディオ、携帯電話、携帯ゲーム機。 若者たちが欲しがるのは、どこでも簡単に自分だけの空間に没頭することのできるお手軽な機械ばかり。 いつでもどこでも快適に過ごせる自分だけの個室を持ち運ぶことのできる自由。周囲からの干渉に耳をふさいで自分の世界にこもることを心地よいと感じる気質が、若者たちのコミュニケーション下手につながっているのかもしれない。
お正月、実家で過ごした数日間。 弟たち家族と一緒に、久々に父の厳しいお説教を喰らった。 4つの家族が久しぶりに集う食卓。 身内ばかりの水入らず空間ではあるけれど、周囲の人の状況を常に意識して、必要な気配りを忘れてはいけない。 子どもの頃から何度も何度も叱られて、叩き込まれた家族のルール。 それぞれに家族を持ち、子の親となって帰ってきた私たち兄弟に、父は久々に大きな雷を落として、忘れかけていたルールを思い出させてくれた。
結婚前には、そのあまりの窮屈さに「早く独立して抜け出したい」と思うこともしばしばあった父の言葉を、気がつけば今、自分の子どもたちに語っている不思議。 嫌だ嫌だと思っていた父のルールが、知らぬ間にわが血肉に深くついているということに気づく嬉しさ。 そして、ともすれば慣れ合って緊張感を失ってしまいがちになる日常を、「それでいいのか」と叱ってくれる人のいる有難さ。 そんなことを思う正月を過ごした。
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BBS
元旦。
・父さんはゲンとアプコをつれて、地域のご来迎登山へ。 集合場所まで車で送り、帰りにコンビニを5,6件はしごして、昨日買い忘れたお祝箸を探す。 年頭から、お間抜けな買い物。 昨晩、遅くまで工房の仕事をしていて、結局年越しのお仕事は何もしなかった。夕飯にバタバタと年越しのおそばを食べ、紅白を小耳に聞きながら「あ、お祝箸、買うの忘れた!」と、気がついた。 我が家のお祝箸は毎年年末に、義父が伏見稲荷にお参りした折に頂いて来たものをみんなで使う。最近義父は長時間の歩行が難しくなり、毎月の月参りにもいけなくなり、お箸を頂いていなかったのをすっかり忘れていた。
・おせち料理の準備もほとんど何も手をつけていなかったので、朝から鶏肉団子やらから揚げやらお子様向けのオードブルのようなものを拵えてお茶を濁す。 義母も、年が明けてからようやくお煮しめを何種か煮ただけで、あとは出来合いのおせちセットと蒲鉾やだし巻き卵をお重に詰める。 あとは、義姉が作ってきたおせち料理を一緒にテーブルに並べて。 重箱は、長年使い込んだ2組の陶器製。先代さん作。
・一日のお雑煮は、白味噌仕立て。 具は雑煮大根、金時人参、さといも、焼き豆腐。 お雑煮に入れる野菜は「円満に」と言う意味で丸く輪切り。 もう何十年もこの家のお雑煮を拵えてきた義母が 「大根はどう切るんだったっけねぇ、短冊でよかったのかしらん?」と私に訊く。 「せっかくお雑煮用の大根を買ってきたんだから、わっかに切りましょうよ。」と答えたけれど、義母はなんとなく納得がいかなかったようだ。 最後の味付けも、白味噌を解いて何度も味見しながら、 「甘すぎるかしらんねぇ」と首をかしげる。 「少し赤味噌を足して見ましょうか」 白味噌ベースで少し赤味噌を足すのも、義母から何度も伝え聞いた雑煮の味。忘れてしまわれたか。
・山から帰ってきた父さんがいつも箱書きに使う硯をきれいに洗って、新しい墨を磨り細筆をそろえ、義父を呼んでお祝箸の箸袋に家族の名前を書いてもらう。 3家族12人分。 余分の3膳は取り箸用、「海山」と書く。(海のもの、山のものを取り分けるという意味で) ついでにお年玉用のぽち袋にも孫たちの名前を書いて貰う。 最近、義父の箱書きの文字が少し小さくなったように思う。本人も、筆文字が億劫になってきたようなことを漏らしておられた。
・遅れて起きてこられたひいばあちゃん。 「おお、なにやらご馳走やなぁ。」と第一声。 「今日はお正月だからね。」と子どもたちがひいばあちゃんの耳元で大きな声で言う。 「ほほう、そうかいな。」 と初めて気がついたようなご様子。 昨日、お重箱が出してあるのを見かけて、「あした、ここへご馳走詰めるんやなぁ」と楽しみにしておられたのに、そのことも忘れていらしたらしい。 ひいばあちゃんは、今年のお誕生日で100歳。 このくらい長生きしたら、「気がついたら、今日がお正月だった」っていう朝を迎えるのも、悪くないね。
ひいばあちゃんや義父母も年を重ねて、子どもたちも大きくなって、我が家のお正月の朝も少しづつ変化しつつある。 来年のお正月はまた、今年とは違うもののなるだろう。 覚えのために、ここに書き留めておくことにする。
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