月の輪通信 日々の想い
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2006年08月30日(水) 散らし寿司

朝から小学校の草引き奉仕。
アプコとゲンを連れて行き、小一時間運動場の草抜きをしてきた。
アプコ、久しぶりに会う先生、久しぶりに会う友達が照れくさくて、うじうじ引っ込んで一人で草を抜いていたりする。
もうすぐ新学期。
また楽しく学校にいけるね。

帰りにゲンは散髪に。その間アプコとスーパーで買い物。
今日の夕飯は散らし寿司。アプコの自由研究用メニュー。
材料の買出しから調理、盛り付けまでをアプコにまかせてやってみることにした。

おばあちゃんちから大きな飯切を借りてきて、炊飯器をセットしてからアプコの調理開始。
高野豆腐や椎茸人参筍蓮根、キュウリ、ちくわ、カニカマなどの具材をみじん切り。「アプコの思うように切ってご覧」と包丁を任せると、まぁ、みごとな乱切り。硬いキュウリの薄切りはまだアプコには無理だったようで、途中からコロコロキュウリに作戦変更。
扇風機の前で、熱々ご飯にお酢をあわせて。

錦糸卵の指導は、卵名人のアユコの担当。
コンロの点火の仕方から、あらかじめ出来た薄焼き卵を取り出すためのまな板を準備しておく段取りまで、アユコは懇切丁寧にアプコに教える。
最初の一枚を焼いて見せて、「さぁ、次はアプコの番」と手出しをせずにやらせてみる教え方は、これまた私にそっくり。
「初めてにしては結構やるじゃん」と微妙にくすぐりを入れて、アプコの発奮を促すあたり、指導者としては母より一枚上手かも。
焼きあがった薄焼き卵を、錦糸ならぬ短冊に切ってほぼ調理完了。

悪戦苦闘で仕上がったお寿司をお弁当箱にきれいに詰めて、まず、おばあちゃんちへもおすそ分け。
実際にはもちろん、かなり周囲の手が入ってはいるのだけれど、当人はまるで自分ひとりで作ったかのように得意満面。
「あたし一人で作ったよ!」と吹聴して回る。
散々、褒め称えてもらってご機嫌だ。
従業員のNさんにまでお配りする気前のよさ。
(Nさん、アプコを嬉しがらせてくださってありがとう!)

明日、おすしの製作過程を模造紙にまとめて自由研究めでたく終了の予定。

うちではアユコが小学校時代、毎年お料理系の自由研究を作品展に発表してきた。ちょうどアプコの年には、アユコはほぼ毎日朝食に玉子焼きを作って、それはそれはきれいな出し巻き卵が焼けるようになり、その経過や乾燥を母娘でまとめて自由研究にして提出した。
アユコが卒業すると、今度は入れ替わりに入学したアプコのほうに、先生方やよそのおかあさんたちから「今年はアプコちゃん、何に挑戦するの?」なんて声がかかったりして、実を言うと結構プレッシャーかかっていたのだ(親のほうにね。)

アプコは、同じ年のころのアユコほど根気強くはないし、手先もアユコのほどの器用さはない。
上の3人のときと違って、私自身も夏休みにアプコ一人に関わって、纏まったことを学ばせる意気込みがなかなか持続しなくなっている。
だから、正直アユ姉と同レベルの課題はアプコには難しいと思っていた。

けれども、実際にやってみると、結構アプコだからこそ出来たことも多い。
まず、アプコは同じ年のころのアユコに比べると、社交的で人をもてなすのが好き。だから出来たおすしをさも自分ひとりの手柄のようにおすそ分けしておばあちゃんたちを喜ばせてくるのも上手。多分アユコなら、もじもじ後ずさりして、Nさんにまでおすそ分けする人懐っこさはもてなかっただろう。
それから、困ったときにはゲンやアユコなど、母以外の手を上手に借りる要領のよさも明らかにアプコに軍配。
一人で考え込んで泥沼に陥るアユコとはちょっと違う。これはこれで、能力のひとつだなぁと思う。
同じように育てているようでも、やはり子どもというのは一人一人伸び方は違うのだなぁということだろう。


2006年08月25日(金) 父不在

今朝早く、父さんが旅行に出た。
毎年恒例の取材旅行。今年は3泊4日の屋久島。
もののけ姫の森を見てくるのだという。
登山用のリュックにカメラや画材を詰め込んで、ごつい登山靴で電車に乗った。背負うと後ろに倒れそうなくらい重いリュック。あれで、ちゃんと山道を歩けるんだろうか。
出発ぎりぎりまで留守中の仕事の段取りや地蔵盆のあれこれで休むまもなく働いていた父さん。無理せず、ゆっくりと一人旅を楽しんできてもらいたい。
実り多い旅になりますように・・・。

父さんのいない数日間。
すっかり気を抜いて、主婦業を半ば放棄する母を横目に、オニイはにわかに父さん化し、アユコは口うるさい小姑化する。
夏休み後半戦。
珍しく早々に宿題を終えてすっきりと夏の終わりを迎えるオニイは、父さんの留守中、いつまでも終わらない宿題を抱えて悶々と過ごす弟妹たちにお説教を垂れる。
それから、アユコがにわかに口うるさくなって、「お母さん、クーラーつけたまんま寝ちゃダメだよー!」とか、「今日のご飯、野菜すくないよー」とか、だらけた母を叱りに来る。
どこまでも長男長女気質だなぁ。

それとは逆に、下の二人はなんとなく普段より甘えんぼになる。
ゲンは、妙に母にべたべたくっついてきて、息つくまもなくくだらないおしゃべりをする。
アプコは、いつもより数倍甘えん坊になって、「一人でお風呂に入れない!」と駄々をこねて、オニイやアユコに叱られてべそをかく。
どこまでも末っ子気質。

父さんモードのオニイのお説教は、よく聞いていると私や父さんの口調にそっくり。脅したり賺したりのタイミングまで計ったようにおんなじだ。
そして母のぐうたらをさらっと指摘するアユコの物言いはアタシそっくり。面と向かって糾弾するわけではないけれど、ピリッと嫌味のエッセンスは効いているのね。

親の後姿をみながら子は育つというけれど、叱り方、諭し方までこんなに似るものかと冷や汗が出る。
小さい頃から、自分自身が叱られたこと、お説教されたこと、教えられたことなどが、本人の好む好まざるを問わず、こんなふうに知らず知らずのうちに身に染み付いていて、自分が叱る立場になったとき、自分が言われたのとそっくり同じの口調となって出てくるのだろう。
今、私たちが子どもたちを叱る言葉は、そのまま将来子どもたちが自分たちの子どもを叱る言葉になっていくのだということの怖さをちょっと思い知った。

ところで、この夏、私と父さんは久々に夫婦二人して人に叱られるという経験をした。
子の親となり、一人前の大人の顔をして生活していると、「叱る」ということは日常茶飯事になっているが、「叱られる」経験をする機会は滅多にない。
それだけに親身に叱ってくださる人の言葉は胸に痛いが、一方でまだ自分を叱ってくれる人がいるという有難さに心は暖かくなる。
「叱る」立場に安穏として胡坐をかいていてはいけない。
まだまだ、人に叱られて凹んで変わる事のできる年代を生きているのだということを、改めて思う夏だった。


2006年08月23日(水) 地蔵盆

夏休みも終盤。
この夏、男の子たちは早々に夏休みの宿題をほぼ終えたらしい。
意外なことに、この時期になって残った宿題の山にため息をついているのは、いつもなら生真面目に早めにコツコツ片付けているはずのアユコとアプコ。アプコは毎日熱心に遊びすぎて、アユコは貧血やら熱中症やら体調不良の日が多くて、ついつい集中して宿題を済ませる時間が取れなかったのだろう。
ま、そんな夏もある。

今日は工房の地蔵盆。
昨日のうちにお供えのお菓子の袋詰めも済んだ。
子どもたちの名前を刻んだ紅白の提灯も灯した。
古くなったお地蔵さんの前掛けも、大慌てで新調した。
大きなスイカとご近所から頂いたお供えのお菓子を供え、お寺さんのお勤めを頂くための椅子も並べた。
今年は部活に忙しいオニイに代わって、ゲンが買い物やら掃除やらずいぶんマメに動き回ってくれて、助かった。提灯吊りの助手を務めたり、木魚やりん(鈴)を手配したりする要領もよくなって、「使えるようになったな」という感じ。
世代交代の時期だなぁ。

世代交代といえば、今日はいつもお参りに来てくださるおっさん(おしょうさん)がお留守で、代わりのお坊さんがやって来られると聞いていた。
おっさんと同じ寺の旧式のバイクで来られたのは、時々月参りにも来てくださる若い修行中のお坊さん。そういえば、去年の地蔵盆もこの若いお坊さんがいらしてくださったんだった。
「本日、和尚は葬儀のお勤めがございまして、代参で参りました。」とまだ初々しいご挨拶。子どもたちにも、「地蔵盆は子どもさんたちのお祭ですからね、よくおつとめくださいね。」と声をかけていただいた。
いつもおっさんが持ってこられるのとよく似た黒い大きなカバンから出してこられたのは分厚いクリアファイル。中には様々な経文の書かれた書類がたくさん入っている様子。きっとお寺で予習してこられた地蔵盆用のおつとめの資料なのだろう。
お経の順番やお焼香の手順が書かれているらしい手書きのメモに一渡り目を通して、コホンコホンと咳払いをして席につかれた。新米の教育実習生のような緊張ぶりが伝わってきて微笑ましい。
お坊さんというお仕事も、最初はこんな風に自ら勉強しながらの実践から始まるのだろう。

若いすがすがしい読経の声はよどみなく続き、子どもたちも揃って手を合わせた。
お坊さんは今年初めて参加した幼いKちゃんに、丁寧にお焼香の作法を教えてくださり、「ようお参り下さいました。」と、おっさんと同じ口調で締めくくり手を合わせて頭を下げられた。
子どもたちのお祭、地蔵盆にふさわしい初々しいおつとめだった。

お参りのあと、小袋に分けたお供えのお下がりをご近所に配る。
本当なら地蔵盆のお下がりは近所の子どもに配るのだけれど、我が家のご近所には子どものいる家は少ない。20個用意したお下がりの半分は大人ばかりのおうちに配る。
いつもお届けするMさんもいわゆる独居老人。
「一人じゃお菓子も何ぼも食べへんようになったからなぁ。」
と、今年はゲンが持っていったお下がりをお断りになった。
その代わり、今年は春に同居の息子さん夫婦に待望のお孫さんが生まれたFさんのお宅にチョコボールやラムネ菓子の入ったお子様向きのお下がりの袋を届けた。お誕生前の赤ちゃんには、今年はまだまだ食べられないお菓子だけれど、来年の地蔵盆の頃にはいっしょにお地蔵さんに手を合わすことが出来るようになっているだろう。
これもまた、世代交代。


2006年08月17日(木) 都会の子、田舎の子

お盆休みが終わって、ようやくオニイの部活も通常モード。
工房の仕事も今日から本格始動。
子どもたち、そろそろ宿題のことも考えなさいよ。

午前中、東京の弟家族が、我が家へ立ち寄ってくれた。
今年は我が家は実家の両親と旅行をしたので帰省はなし。車で帰省してきた弟家族は帰宅途中にわざわざお土産を届けにうちへきてくれたのだ。
今回は愛犬のクロエちゃんも後部座席にケージを積み込んで同伴のドライブ帰省だったという。
ほほう、幼児連れの3人家族なら、普通車でも愛犬スペースを確保できるのかと毎回引越し荷物のようなギュウギュウ詰めワゴン車で帰省する6人家族の主は笑う。

姪っ子Aちゃんは都会の子。我が家へ来る途中の山道で、カーナビの画面から道路の表示がなくなったのを見て、「絶対間違ってるよ、戻ろうよ」と不安そうに訴えたという。
そう、我が家に通じる道路は途中から最新のナビでも道路の表示がなくなってしまうマイナーな道なのだよ。
そういえば、街のきれいに舗装された地面に慣れたクロエちゃんも、雑草石ころだらけの田舎の地道の感触に戸惑って、心なしかうろたえている様子。それとなく腰が引けてるようで愛らしい。

「ちょっと川でも行ってみようか。」とゲンやアプコがAちゃんをいつもの遊び場の水場へ誘った。いつもゲンが魚をすくったり、アプコが笹舟を作って流したりする場所。
川に着くと、すぐにゴム草履のままでジャブジャブ水に入って喜ぶうちの子たち。
でもAちゃんは尻込みしてなかなか水に足を入れられない。ほんの足首くらいの深さの小さな川なのに、ちょっと尻込みしているようだ。自然の川で遊ぶ経験はあまりないのだという。とってもおしゃれなゴム草履はいてるのにね。あ、ちがった、街の子が履いてるのはミュールって言うのかな。
ゲンは知らぬ間にどんどん川を下って行って、秘密の穴場で大きな川魚や沢蟹を捕まえてきては、Aちゃんたちに得意げに披露する。アプコは川底の砂を両手で掬って、お団子を作るのをAちゃんに教えた。
小さい頃にはザリガニ取りもたっぷり楽しんで育った弟が、ざぶざぶ水に入ってAちゃんを川の中に誘った。はじめはパパの腰にしがみついてこわごわ水に入ったAちゃんも少しずつ慣れ、ゲンが捕まえてきた川魚のお腹を指でつついたり、岩場渡りにちょっと挑戦してみたり、ようやく楽しくなってきたところで、残念、時間終了となった。

川から上がっても、ちょろちょろ走る尻尾の青いトカゲを見つけたり、大粒の黒アリを指差して目を丸くしたり、都会の子には珍しいものがたくさんあるらしい。
水路に浮かべた笹舟を追いかけていく子どもらの背を追いながら
「こんな短い時間じゃもったいないな。」と弟が言った。
うちの子供たちが、小さい頃から当たり前にながめている川の流れ、山の景色、小さな虫や植物が、都会の子にとっては珍しく楽しい驚きなのだなと言うことにいまさらながら改めて気がついた。

ところで、私たちの住む田舎町では、先日、本屋さんが閉店した。
子どもたちが立ち読みに寄ったり、新刊の文庫本を物色したりできる手ごろな規模の本屋が、私たちの町にはもう一軒もなくなってしまったのだ。
子どもたちが自力で行くことのできる本屋がない街って、文化のかけらもない感じがするよなぁと寂しい思いに駆られてしまう。
そういえば、こういう田舎に生まれ育ち、人ごみの雑踏が苦手な家族で成長する我が家の子どもたちは、いまだにディズニーランドやUSJの賑わいを知らない。
休日に大きなショッピングモールに遊びにでかけ、おしゃれなジェラートを食べながら歩く楽しみも知らない。
見知らぬ本の海に溺れそうになる都会の大型書店のワクワクする混雑も知らない。
いわゆる街遊びの楽しみをあまり経験することなく大きくなる子どもたちに、ちょっぴり申し訳ない気がすることもたびたびあった。

けれどもどうなんだろう。
気軽に街遊びを経験できる環境に育つことも、徒歩1分で沢蟹取りのできる山の中に住むことも、子どもたちにとってはおんなじくらい楽しいことなのかもしれないなぁ。
6年生にもなって川遊びに興じているうちに相変わらず半ズボンのお尻を濡らしてくるゲン。
太っちょどんぐりのなる木、触るとカイカイになるウルシの木を見分けることのできるアプコ。
少なくともこの子らは、街遊びにはない楽しい遊びのネタを身の回りに豊富に与えられて育っている。
それはそれでありがたいことなのだと改めて思う。


2006年08月15日(火) 訃報

朝、飛び込んできた訃報。
子どもたちの小学校の2代前の校長先生Y先生。
ちょうど父さんがPTAの会長を務めていたときの校長先生で、親子ともどもでお世話になった方。子どもたちをとても穏やかに見守ってくださる素晴らしい先生だった。
いろいろな行事や参観懇談などの折には、子どもたちばかりでなく私たち保護者にも、子育ての知恵や親としての心得をユーモアたっぷりに語ってくださる人格者だった。

在職中に癌が発見されて、定年まで数年を残して校長の職を辞された。その後数年、教育関係のお仕事をなさりながら闘病しておられた。
ご退職になられたあとも、父さんは会長OB会などで何度かY先生にお会いしていて、この5月にも自宅で療養生活をおられるY先生から、「一度おしゃべりにいらっしゃい。」とのお葉書を頂いたばかりだった。

すでに病気の悪化は伺っていただけに、なぜすぐに会いに伺わなかったかと父さんはとても悔やんでいる。
「その時」を逃せば、2度とお会いできなくなってしまう人もある。
そのことを今までなんどか経験して激しく悔やんだこともあったのに、また、心残りを残したままお別れしてしまった。

故人の生前の希望で、「葬儀は身内だけで」と誰にも葬儀の行われる教会の所在地を誰にもお知らせにならなかった。
数日後、そのY先生のお名前で今日、天国からのお手紙が届いた。
病状が窮ってきた頃、ご自身が書かれて、死後の投函をご家族依頼しておられたのだという。
ご自身の生い立ちから、お仕事、家族への想い、病を得てからの心境の変化など、A4紙4枚にぎっしり綴られていた。

お見事。
自分のいなくなった後のことをしっかりプロデュースして、残されたものに深い感銘を残して逝かれたY先生。
見事すぎ。
手紙を読んだ父さんも、しばらく言葉が出なかった。
「すごいなぁ」「見事だなぁ。」
父さんは何度も何度もつぶやいた。

自分の命の限界を知らされたとき、
あれもこれもやりたい仕事や生活を道半ばであきらめなければならないと知らされたとき、
そんなに整然と自分の人生の仕舞いをつけて、逝く事が出来るものなのだろうか。
Y先生の逝きかたは、穏やかで誠実な教育者であったY先生の生き方そのもの。見送る者に、たくさんの教えと静かな感動を遺して旅立っていかれた。

・・・・・・・・・・

だけど、だけど・・・。
こんなに潔く、美しく散ってくれなくてもいい。
最後の最後まで執着して、オロオロして、ジタバタして、しっちゃかめっちゃかで逝ってくれてもいいと私は思う。
大切な人を見送るとき、あまりに整然と潔く逝ってしまわれたら、それはそれで遺されたものには寂しいような・・・。


2006年08月07日(月) ドライバー

早朝から工房での一仕事終えて、4人のお寝坊さんたちを朝食に起こす。
サマースクールだのプールだの合宿だの、夏休み突入直後から怒涛のごとく続いていた用事がようやくひと段落。たまには夏休みらしいお寝坊をたのしませてやろうかと放置しておいたけれど、もう限界。早く朝ごはんを食べちゃってくれないといつまでも片付かないわ。
「もう、おはようの時間じゃないよー」
「んじゃー、おそよー」
なんて言ってたら、オニイがくしゃくしゃの寝癖頭のまんまで駆け下りてきた。
あ、やばっ。
今日はまだ部活、休みじゃなかったっけ。
オニイ、竜巻のようにふりかけご飯を頬張り、財布がない、制服のシャツがないと大騒ぎし、「自転車だからズボンは落ちないから」とベルトをカバンに突っ込んだまま、自転車でフラフラと出かけていった。

午後、オニイの帰宅は遅かった。
お弁当は持っていかなかったから、いつものようにちょっと遅めの昼ごはんには帰ってくるだろうと思っていたのに、2時を過ぎても帰ってこない。
またどこかで寄り道でもランチしてるのかなぁと気になりながら私は出かけたのだけれど、買い物を終えて帰ってきたら車の音を聞きつけて、オニイが荷物運びに出てきてくれた。

「あのな、帰りにまた自転車が壊れてな・・・。」
オニイがやけにさわやかな顔で、勢い込んでしゃべる。
「走ってたらチェーンが外れてしもて・・・。」
ありゃりゃ、オニイの自転車、つい先週もチェーンが外れたばかり。調子悪いのね。
オニイの自転車はチェーンカバーのついたママチャリだから、チェーンがはずれてもちょいちょいっと直すという訳にも行かないのだ。

で、自転車押して歩いていたら、通りがかりのおじさんが見かねて声をかけてくれたらしい。 自動車関係のお仕事中の人らしくて、自分の工具を出してきてチェーンカバーを開け、前後とも外れてしまったチェーンをかけなおしてくださったのだそうだ。
オニイは月光仮面のようにさわやかに立ち去ったその人のことをうれしそうに話してくれた。

ありがたいねぇ、オニイ。
この炎天下、しょぼくれた顔をしてこわれた自転車を引きずって歩く高校生の姿はきっと哀れみを誘ったのだろう。
10キロの自転車通学生活が始まって数ヶ月。すでに自転車のパンクもチェーン外れも雨の日の転倒も経験した。最寄の自転車屋さんに駆け込んで助けてもらう知恵もついたけれど、時にはこんな風に通りすがりの人から差し伸べられる暖かい手のうれしさにも気がついた。
いい勉強をさせてもらってるなぁとしみじみ思う。

「でもさ、万が一のことを考えたら、これからはドライバーの一本くらい持っておいてもいいよね。カバーさえ開けられればチェーンぐらい自分で直せるんだから。」
「うん、僕もそう思う。そのおじさんにもそういわれた。」
うれしい顔のままで、オニイは珍しく素直に赤い百均ドライバーを通学カバンのポケットに入れた。
「ちゃんとお礼をしなくちゃと思って、何度もその人の連絡先を聞こうとしたんだけど、教えてくれなくってさ。」と、オニイはいう。
ま、そうだろうね。
月光仮面なら、こんなことくらいで見知らぬ少年に素性を明かしたりはしないからかっこいいんだよ
でも、高校生になったオニイには、とっさのときに、親切にしていただいた人の連絡先を聞くという知恵がちゃんと身についてきているのだなぁと言うことが知れて、それが母にはちょっとうれしかった。

オニイ、
本当にそのおじさんの親切がうれしかったのなら、
そしてその親切にお礼がしたいと思うなら、
いつの日かその赤い百均ドライバーで、
今日の君と同じように困っている誰かのチェーンを直してあげられるような男になりなさい。
きっとなれると、母は思うよ。

・・・・で、もしかして、
その壊れた自転車の持ち主がちょっと可愛い女子高生だったりしたらいいね。
るん♪


2006年08月04日(金) 減塩

先月、心臓の急な発作で入院した義母が今日退院して来た。
まだまだ本調子ではないようだけれど、とりあえず一安心。
何より義父のほうが、連れ合いの帰宅にほっとしているよう。
夫婦ってもんは、年をとってもやっぱりそばにいないと寂しいものなのだろうなぁと微笑ましく思う。

義母には従来から高血圧のきらいがあって、病院での食事も減塩食バージョンだったらしい。入院中は「病院の食事は味がなくてまずい。」という愚痴をよく聞いた。義母の訴えを聞いてか、食事には小さな減塩しょうゆが添えられていたそうだが、義母はそのおしょうゆを何にでもつけて食べた。
たまたまうちの父さんが義母の食事に立ち会ったとき、「どれどれ、そんなに味がないの?」と病院食を試食してみたのだけれど、確かに薄味だけど食べられないほど無味ではなく、まあまあ美味しく感じられたのだという。

義母は元来京都の人で、薄味のおばんざいを上手に拵える料理上手な人だ。
胡麻和えやらお膾やら、ちょっと甘口の小鉢のお料理は絶品で、新婚の頃には義母の料理の味を盗もうと、よく義母の台所に出入りしたものだった。
その頃は、義兄やうちの家族も義父母宅で一緒に食事を取ることも多くて、大人数用のたっぷりしたお惣菜でも、薄味でちゃんとおだしの利いた京風の美味しい仕上がりだった。
最近、義父母宅は、ひいばあちゃんを含めて年寄り3人家族。
歳を取って3人とも食がほそくなり、一度に調理する量も減った。買い物もほとんどが生協で配達されるものに頼るようになって、冷凍食品やレトルト食品の利用も増えた。一度調理して食卓に上った煮物の残りを、何度か煮返して次の食事のときに食べることも増えた。
そんなこんなで、年寄り家族の日々の食事はだんだん濃い目の味付けに変化していったのかもしれない。
時々、多めに炊いたからとおすそ分けに頂いた煮物があれっと思うくらい辛かったり、薄味に仕上げたお料理にわざわざお醤油を添えておられる場面に遭遇したりすることも増えた。

何よりも問題なのは、高齢になると味覚そのものも鈍くなりがちなのか、当人たち3人ともが自分たちの日々の食事の味の変化に気がついていないようだ。
退院に当たっての説明でも、塩分制限の食事の指導がされたというが、義父などは「もともとうちの料理はどちらかといえば薄味ですから・・・」などと人に説明したりしておられる。「最近は結構濃い味なんだけどなぁ・・・」と思いつつ、実際義父の舌にとっては若い頃から何十年も変わらぬ薄味の家庭料理の味なのだろうなぁとあきらめ半分で聞いていたりする。

もともと義父母は、健康のために食べたいものを制限したり、嫌いなものを無理して食べたりすることを嫌う人たちだ。専門書のレシピどおりに拵えた減塩料理を差し入れたとしても、「ちょっと味が薄いね」とお醤油をさしてしまわれるだろう。
誰かが母に代わって毎食あの家の食事を調理することにしても、調子のいいときには元気に台所に立たれる義母から家族の食事を賄う楽しみを奪ってしまうことになるだろう。
とどのつまり、あのくらいの年齢になれば少々からだのためには悪くても、美味しいと思うもの、食べたいと思うものを十分楽しんで食べておられればそれはそれでいいのかなぁなんて思って見たりもする。
それもその人たちの人生の選択。
そう言い切ってしまうのは酷だろうか。

今日、取り合えず気休めに「退院祝に」といって減塩しょうゆの小瓶を一本、義父母宅の食卓の上に置いてきた。
減塩しょうゆは塩分が通常のしょうゆの2分の一。いくら減塩といっても倍量使えば元の木阿弥。それもよく分かってはいるのだけれど。


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