月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2005年09月27日(火) 新人議員

父さん不在3日目。
アプコがしきりに「お父さん、いつ帰るの?」と聞く。甘えん坊のアプコがやっぱり最初に寂しくなってくるらしい。私もそろそろ、一人で食べる昼ごはんにも飽きたし、こまごまと父さんの指示が必要な事柄も溜まってきて、「早く帰ってこないかな」の気分になってくる。
甘えん坊の末娘、依存心の強い妻・・・。

TVで話題の新人議員が記者会見していた。
棚ボタ当選後の軽率な言動を謝罪して、今後の所信表明をおこなうという。
右も左もわからないという新人議員一人に大げさな事と思いつつワイドショーの画面を眺める。
普通の若者が振って沸いた当選で舞い上がってしまっているのもよくわかるし、寄ってたかってそんなにいじめてやりなさんなという気持ちと、こんな素人の若者を公費を使って国会議員に育てていかなければならないという歯がゆさと・・・。

新人議員は26歳。
いまどきの若者としては、印象も悪くない好青年。
「金さえあれば何でも手に入る」「選挙なんか一度もいったことがない」と公言しながら、立候補するIT社長さんなんかよりはよほど正直で誠実な若者といっていいだろう。
26歳の青年を見るときに、自分の26歳の頃のことを思い浮かべるよりも、我が家の子ども達が26歳になったときの姿を重ねてしまうのは、私も年をとったということだなぁ。
少なくとも子ども達が大きくなったとき、自分がどんな生き方をしたいのか、どんな役割を果たそうとしているのか、たとえ付け焼刃の知識ででも、自分の言葉で語れる青年に育ってくれたらなぁと思う。
そういう意味では、高校の生徒会選挙並みに安易に国会議員になってしまった青年のこれからを、周りがあんまり面白がってつぶしてしまって欲しくないなぁという気もする。

「全国会議員の中で自分が誇れるのは、これまでやってきたアルバイトの職種の豊富さだ」と、お詫び会見の中で口にしていた。さぞかし、いろんな職業を経験されたのだろう。若者ならではの経験と感覚を政治の場に生かして行かれるといいと思う。
ただ、ああそうかと思ったのは、そういう豊富な職業経験をもってしても、その役職にふさわしい自重した態度とか、慎重な発言とか、そういうものを習得してくることが出来るとは限らないのだなという事。
「自分らしくやっていく」
「ありのままの気持ちを話す。」
「自分のやりたいことをやる。」
という若者の特権のようなこの言葉は、大人の社会でいつでも通用するわけではない。自分の気持ちをまげて外目を繕ったり、正直な本音は胸のうちに収めたりという、回り道も必要だ。
もしかしたら、「フリーター」とか「ニート」という人たちは、そういうい妥協を嫌って自分の気持ちだけに正直で、大人の社会に足を踏み入れるのをためらう人たちなのかもしれない。
そういう意味では、先輩議員やマスコミにもみくちゃにされた彼が、それでも自分自身を見失わずに政治の世界を泳ぎ渡るすべを身につけていったなら、それはそれで足踏みをしている多くの若者達のための何かのエネルギーになるのではないだろうか。
苦し紛れに、そんな期待を寄せてみたりする。


2005年09月26日(月) 産地直送

昨夜遅くに、アプコの友だちのKちゃんのお母さんからのメール。
「お米のお買い上げはいかが〜?20キロ五千円になります。明日届きます。」
Kちゃん母の実家は農家。
時々「田舎から送ってきたよー」と山盛りいっぱいのジャガイモやお茄子をおすそ分けしていただく。
新米の季節を前に、去年からのお米が古くなる前に一掃処分したいのだという。去年もちょうどこの時期にたくさんのお米を格安で分けていただいた。
「いつもわるいねぇ、迷惑だったら断ってね」と気を使ってくれるKちゃん母に、「とんでもない、美味しいお米を格安で分けていただいて、大助かり!」と二つ返事のメールを返す。

Kちゃん母は実家から定期的にお米が届くので、めったに市販の米を買うことがないという。その代わり、里帰りの折などには、「送料代わり」と弟嫁さんに金一封渡してくるのでどっちが安くつくかわからないなんて、笑うけれど、なんだかちょっとうらやましい。
経済的なことは別として、毎日食卓に欠かせない白米という形で、遠く離れた故郷の土や水といつもつながっているというぬくもりが、なんかいいなぁと思う。
だから、今年のお米もKちゃん母の生まれ故郷に匂いをお相伴するような気持ちで分けていただく。
「同じ釜の飯」ではないけれど、おんなじ田んぼのお米のぬくもりがちょっと楽しい。


2005年09月25日(日) 見逃す

今朝早く、父さん、韓国出張。4泊5日。
大阪工芸協会の親善事業で、現地で展示会を開くのだという。
オープニングセレモニーでお抹茶のお接待をするからと、スーツケースに羽織袴と抹茶茶わん、お手前の道具を詰め込んで、大荷物で出かけていった。
日韓国交正常化40周年という事で、民間でも色々な交流事業が行われているようだ。たまたま父さんは、それに引っかかって、来月には引き続いて再び視察旅行の予定が入っている。こちらは春に竹島問題で一時中止になった隣市の交流事業の一環だ。
我が家にもかなり遅れてやってきた「韓流」というところか・・・。

ここ数日、父さんはさまざまな荷物の梱包と不在中の仕事の段取りで大忙しだった。最後の最後まで窯出しをし、こまごましたお手前の道具をそろえ、ここより気温の低い現地にあわせた衣類をかばんに詰める。
さあ、これで準備万端ととのったといいたいところだが、唯一後ろ髪引かれる思いを残していったものがある。
それは、月下美人の開花。
夜のほんの数時間しか咲かないという一日花。
去年、父さんが教室の人から大きな鉢植えで頂いてきた。
なかなか開花の兆しがなくてやきもきしていたのが、最近になってようやく小さなゴマ粒のようなつぼみをつけ、大きく膨らんできた。
そして、もう今日明日にも開花という所で、韓国行きの日を迎えてしまった。
「帰ってくるまでには、きっと咲き終わってるねぇ。」
ライオンの尻尾のような形に育ったつぼみを惜しそうに眺めて父さんは笑う。
「絶対、写真撮っておいて。」と、父さんはアユコに一眼レフの使い方を教えて、カメラアングルまで決めていった。

それがなんとまぁ、忘れてしまいましたよ。
私も、アユコも・・・。
昨夜はアユコとゲンが笛の稽古やら、父さんのいない「お子様ご飯」やら何となくせわしなくて、早くにベランダの雨戸も閉めてしまったので、ころっと忘れてしまいました。
あぁあ、あんなに楽しみにして待っていたのに、なんとまぁ、おバカなこと。

そういえば、先日は中秋の名月も見損ねた。
いつもなら、ささやかながらお月見ダンゴにススキの真似事ぐらいは忘れず用意していたというのに、今年に限ってはそれすら、ころっと忘れていた。
かねてから、四季のおりふしを忘れない生活をしたいと心がけていたいと思っていたのに、2度にわたるこの失態。
なんだか心に余裕のない生活をしているのかな。
反省反省。


2005年09月22日(木) 逆襲

工房の前の桜が落葉し始めた。
昨日、竹箒で掃き集めたばかりなのに、今朝はもう、赤く色づいた落ち葉がアスファルトの上にたくさん散っている。梢にはまだ青々した葉っぱもいっぱいついているのに、もう散っていくんだな。
また、毎日落ち葉掻きに追われる季節が来る。

アプコを迎えにあわてて玄関を出た。すぐ前をハイキング帰りのご夫婦が歩いておられた。ご主人のほうはは足がお悪いようで、杖を突いて右足を引きずっておられる。奥さんはその少し後ろを控えめに寄り添うように歩いていかれる。ご主人は手ぶらなのに、奥さんは赤いリュックに日傘、大きな水筒を肩から下げて、大荷物だ。
二人のすぐ後ろを歩き始めて、聞くともなく聞いていると、なんだかご主人の方が随分怒っているようで、ずんずん先を歩きながら、半歩後ろの奥さんに向かってコンコンとお説教している。奥さんの方が、「そうですかぁ?でもねぇ・・・」とおっとりと受け答えをしているのに対して、ご主人のほうはえらく高飛車な物言いで、三回に一回は最後に「バカ!」が入る。
「そんなわけないだろう、バカ!」
「くだらない、バカ!」
「うるさい、黙ってろ、バカ!」
いまどき珍しい亭主関白だなぁ。

私はちょっと急いでいたので、ご夫婦を追い越して先へ行きたかったのだけれど、このご主人、歩きながら時々、小学生のように自分の杖を振り回して道端の石ころをはじいたり、突き出た木の枝を振り払ったりなさるので、なかなかその横をすり抜けることができなかった。
そのうち、後ろを歩いている私に奥さんの方が気がついて、ご主人の服の袖をちょっと引いて、道の脇に避けてくださった。ついでに傍らの岩に腰掛けて、一休みする事になさったらしい。
肩から提げた水筒を下ろし、ご主人に先にコップのお茶を渡しながら、追い越して先へ行く私に、「すみませんねぇ」というように奥さんがちょっと会釈してくださった。

駅の近くまで大急ぎで降りて、いつもの角でアプコをしばらく待っていたら、上のほうから下って来る人がある。
随分早足だなぁと思ったら、さっきのご夫婦の奥さんの方が一人でずんずん、坂道を下ってくる。立っている私に、「どうも」というようにちらっと視線を移して、でも、少しもスピードを緩めることなく歩いていく。
あらら、大人しい奥さんもとうとうご主人の高飛車にキレちゃったのかなと、見ていたら、しばらくして先ほどのご主人がテコテコとせわしなく杖を突いて、奥さんの後を追うように歩いていく。随分慌てた様子だ。

大きな荷物は奥さんが全部持っていて、ご主人のほうは手ぶらの軽装だったから、もしかしたら、奥さんが怒って先に帰ってしまったら、ご主人は切符の一枚も買えないのかも知れない。
いつも半歩後ろを歩いていて、決して口答えをしない大人しい奥さんの突然の逆襲に、慌てふためいているご主人の様子が、まるで母親においていかれた小さい子どものようで、思わずくすっと笑ってしまった。

実を言うと午前中、私は父さんと買い物に出かけて、くだらないことで軽い言い争いをした。
待ち合わせの場所が違った、違ってないという程度のつまらない諍いで、すぐに解決はしたけれど、色々言い合っても結局の所、お互い心の中では「自分の方が正しかったのに・・・」と心底納得していないのはよくわかっている。
だから、大慌てで奥さんの後を追うご主人の醜態ににやりと笑って、奥さんの突然の逆襲に拍手を送りたくなった今日の私。
意地が悪いなぁと思いつつ、なんだかすっきり気分よくなって、口笛でも拭きたい気持ちになった。


2005年09月19日(月) 112歳の気持ち

敬老の日が9月15日ではなくなったのは、いつからだったっけ。
思わずフライングしそうになって、父さんに笑われた。
去年に引き続いて、こちらの義父母とひいばあちゃんにはアユコと一緒に「敬老弁当」を拵えた。
小さな3段のお重に、豆ご飯や焼き魚、サトイモのコロッケやしし唐のジャコ炒め、アユコ作の玉子焼きなどをぎゅうぎゅう詰めて、夕餉の時間にアプコが配達。ひいばあちゃんが喜んで、「是非、写真を撮っておいて」といってくださったそうだ。
お粗末さまでございました。

つい数日前、今年日本で最高齢となった112歳のおばあさんの様子がテレビに出ていた。ニコニコとお元気そうな様子で、おだやかないいお顔をしていらした。
「日本最高齢になりましたよ。」といわれて、「そげんになるかね。ありがたいこと」とはっきり返事なさったという。
もうこのくらいの年令になると、正確な自分のお年は意識なさらないものなのなのだろうか。昔の人は実年令の他に、数え年などというややこしいものもあったりするので、周りのものにもなかなか本当の年令がわかりにくかったりする。父さんが水墨画をお習いしていた南画の大家の先生は、確か今年で102歳になられるのだが、100歳になる数年前から自分で「百歳翁」と署名しておられたし、90代後半からは「半年に一つくらいお年を取られる」というぐらい、自分の年令を多めにサバを読んでいらっしゃったのがなかなかチャーミングだった。
さすがに1世紀も生きてこられると、1歳2歳の違いなんてあってないようなものなのかもしれない。
それはそれでおめでたいことだ。

日本人の平均寿命は男性78.6歳、女性は85.6歳だそうだ。
私はこの春42歳になったので、平均寿命の半分を生きた事になる。ちょうど人生の折り返し点というところか。これまで生きてきた時間よりも、残りの時間の方がどんどん短くなっていくのだという事に愕然とする。
「お母さんは120歳まで生きて、意地悪ばあさんになって威張るからよろしくね。」と子ども達には宣言している私だけれど、体や心の変化は間違いなく「成長」ではなく「老い」の方向に下っていくのだろうなぁということを近頃実感する事が多くなった。
決して今日明日すぐに老け込んでしまうという訳ではないけれど、登りきった山には必ずくだりの坂道がある。そのことが平均年齢85歳という数字にはっきりと思い知らされる。

112歳。
どういう心持で毎朝、新しい朝を迎えられるのだろう。
もしかしたら今日、目覚めぬまま、逝ってしまっても不思議ではない。
明日、お迎えが来ても、「大往生」と称えられる。
そんな奇跡のような112年目の朝を、当たり前のように淡々と迎えるお年寄りの表情がおんなに穏やかで楽しそうなのは何でだろう。
誰でもが迎える事が出来るわけではない112歳のお年寄りの気持ちをのぞいてみたい気持ちになる。

「ありがとう」「サンキュ」が口癖なのだそうだ。
長寿を誇るお年寄りの話になると、よく「口癖は『ありがとう』」とか、「長寿の秘訣は感謝の心を忘れない事」とか言われる事がある。
あれはどうなんだろう。
何事にも「ありがとう」という気持ちでいれば長生きできるということなのだろうか。
それともたまたま「ありがとう」を口癖とするような気のいい人が長生きするという事だろうか。
あるいは、年令を重ねて体も衰え、誰かに世話してもらったり手伝ってもらったりする回数が増えるから、必然的に「ありがとう」の言葉が増えるのか。
もしかしたら、年老いてなお、周りの者に感謝の心を忘れない完成した人格としての老人を理想とする、人のささやかな願望が、長寿の人の「ありがとう」という言葉をことさらに拾って「口癖」にさせているのかもしれない。
どちらにしても、「大往生」と呼ばれる年令になってなお、「ありがとう」といえる朗らかな気持ちと、周囲の心遣いを認知できる理性を持ち合わせたまま、年老いて行きたいと心から思う。

男性の長寿日本一は110歳のおじいちゃんだという。
90歳代になってから始めたカメラが趣味で、老人ホームのお友だちや職員の方の写真を撮ってはは現像に出すのを楽しみにしておられるという。
110歳になってもおおらかに遊んでおられる無邪気さがいい。


2005年09月17日(土) 八百屋さんの教え

朝、いつものスーパーに出かけて、福引をひいたら、3等2000円の買い物券が当たった。
「あららー。おめでとうございます!」とカランカランと鐘を鳴らしてもらった。鐘が鳴るほどのあたりを引き当てるのはひさしぶりだったので気をよくしていたら、隣でくじを引いたおばさんが、2等5000円の買い物券を引き当てた。
「まあ、続きで大当たり!」と、係りの人がもう一回、さっきより派手に鐘を鳴らした。
せっかく、3等賞をあてたのに、なんだかちょっと損をしたような気分になった。
なんでかな。
買い物券でいつもよりちょっと上等の牛肉を2000円分、バンと奮発して気を取り直して帰ってきた。

いつも大盛り野菜が大安売りの八百屋さんのレジに並んだ。
朝、まだ早い時間なのに随分レジが混んでるなぁと思っていたら、新人のアルバイトの女の子がモタモタとレジを打っている。
レジ待ちの列が長くなったのを見かねて、品出しをしていたベテランのおばさんが隣のレジに立った。
「さぁ!隣のレジがなんやら元気ないから、こっちは大きい声だしていこか!」と、お客さんに大きな声で話しかけながらテキパキと商品をさばき始めた。
「ちゃんと、声、出していかなあかんで!若いんやから!」とレジを打ちながら隣の新人さんに小言を言う。生真面目そうな女の子がきゅっと小さくなって、振り絞るような声で返事をした。
「若いから恥ずかしいんやねぇ」といらぬ助け舟を出したら、
「恥ずかしい言うてたら、仕事にならへんがな。遊びに来てるンちゃうネンから」と、今度は私がおばさんに叱られてしまった。

いつもここの八百屋さんでは、店員さんが皆元気のいい声でお客さんと冗談を飛ばしたり、レジの値段を読み上げたりして、商売をしている。いつもよく見かける茶髪の若いアルバイトのお姉さんは、さっき小言を言ったベテランのおばさんとも掛け合い漫才のような軽快なお喋りでお客を笑わせたりして、にぎやかに立ち働いている。
確かにそういうお店の雰囲気の中では、いっぱいいっぱいの緊張で生真面目に手元ばかりを見つめてレジを打つ新人さんはやっぱり思いっきり浮いている。
多分、教室でならきちんとノートを取り、急に先生に指されてもソツのない回答ができ、決して校則違反もしそうにない生真面目なお嬢さん。その分、なれぬ仕事に恥ずかしさが先にたって、「いらっしゃい!」の声が上げられないのだろう。
自然な振る舞いのままでベテランおばさんと丁々発止のやり取りの出来る茶髪のお姉さんと違って、普段の自分の殻を破って大きな声を出すには、随分エネルギーが必要なのだろう。

「恥ずかしいゆうてたら、仕事にならへんがな。」
ベテランおばさんのお説教は、乱暴なようだが金の教え。
仕事というものの基本的な厳しさを端的に突いている。
ちょっとおしゃれなアルバイトや、「やりがい」とか「自分の能力を生かせる仕事」とかなんとなくかっこいい感じのする職業では、なかなか面と向かってこういう基本的な仕事のルールを教えてもらうことはできない。
こういう厳しさを苦もなく克服して楽しげに立ち働く茶髪のお姉さんと、振り絞るような声で「いらっしゃい!」を練習する新人さん。
学校や塾では優等生であるはずの女の子も、八百屋さんの店先では厳しいダメ出しを喰らう。
面白いなぁと思う。
人間が豊かに生きていくための力としては、どちらの優等生が必要なんだろうかなぁ。

「ほんとにねぇ。そのとおり。」
新人さんに厳しいお説教をするおばさんに媚びるように、相槌を打ちながら小銭を払う。
「いつもありがとね!」
威勢のよい声で、送り出してくれるおばさんのレジは確かに活気があって気持ちがいい。
ペシャンコに凹んで、泣きそうな顔でレジうちを続ける新人さん。
果てさて、このバイト、長続きするのかな。


2005年09月15日(木) 幼なじみ

アプコのお友だちのKちゃんが遊びに来たので、ナイロン袋とおやつをもって、周辺の山でどんぐり拾い。
毎年、大きな太っちょどんぐりが取れるクヌギの木を見に行ったが、まだ時期が早いのか、先日の風で飛ばされた硬い帽子のなかで丸まっている未熟などんぐりや折れた小枝にくっついたままの青いどんぐりばかり。
いつもの秋ならおもちゃのバケツに山盛りいっぱい、大きなどんぐりが拾えるのにね。今年はどんぐりの「生り年」ではないのかもしれない。アプコはちょっとがっかり。
それでも、初めてここへ来たKちゃんは、青いどんぐりや子どもの小指の爪の先ほどの小さいどんぐりをたくさんビニル袋に入れてご満悦。あちこちにニョキッと生えたきのこを見つけたり、水路に木の葉を流して競争させたりして小一時間、秋を探す。

Kちゃんは、アプコより一つ年下の幼稚園生。
同じ通園バスで通った仲良しのご近所さんだ。
年の離れたお姉ちゃん達がいるのでお母さん同士の年齢も近い。さばさばと「男前」の気持ちのいいお母さんだ。
アプコもKちゃんも同じ学年の他のお友だちの家へはあまり遊びに行く事がなく、いつでもお母さん同士がメールでお約束して、お互いの家へ代わりばんこに遊びに行く。
アプコが学校で私の知らないお友達と遊びの約束をしてきて、送り迎えやらお土産の心配をするよりも、勝手の分かったKちゃんと遊んでいてくれるほうが何かと都合がいい。
先週は、アプコはKちゃんちで「みたらしダンゴ」を作らせて貰ったと喜んで帰ってきた。Kちゃんは、うちへ来ると絵の具で絵を描いたり、草花を摘んだり、おばあちゃんちへもぐりこんでおやつをせしめたりするのを面白がっている。
なかなかのコンビネーションだ。

アプコと同じ年令の頃、私にもKちゃんと同じような毎日一緒に遊ぶお友達のAちゃんがいた。
赤い大きなリカちゃんバッグをぶら下げて、代わりばんこにお互いの家を行き来したものだった。どんな遊び方をしていたのか、どんなお喋りをしていたのか、ほとんど覚えてはいないのだけれど、Aちゃんのお母さんが広島の人で、時々出る聞きなれない広島弁が面白かったのを思い出す。
そういえば、Kちゃんのお母さんも関西の人ではなく、関東、それも栃木の訛りが時々出る。
「ちょっと変なの」といいながら、ときどきアプコのお喋りの中にKちゃんのお母さんのお国の言葉が混じる。
こういう些細なことを、大人になってからアプコもふいと思い出したりするんだろうか。


2005年09月14日(水) 入門

夏休みから、アプコが本格的に習字を習う事になった。
真新しい朱筆のお手本をもらい、大筆にたっぷりと墨汁を吸わせて、白い半紙に大きなひらがなを書く。
筆遣いも、半紙の裏表さえも習わぬアプコが初めて書いた「うみ」という文字。モタモタとぎこちない手つきながらも、おおらかに半紙を埋める大きな文字にアプコのあっけらかんとした素直な気性がそのまま映し出されているようで、なんだか見ているほうまでほんわか嬉しい気持ちになってくる。
いい字だな、と思う。
「こういう文字は、子どもにしか書けないねぇ。大人が真似しようと思っても決して書けない」と、先生のTさんも言う。
褒め上手なTさんにおだてられて、アプコは何枚も何枚も得意げに「うみ」の二文字を書く。きゅっと唇を結んで、小首をかしげるように半紙をにらんで、はみ出さんばかりの大きな文字を書く。そして、小筆でサラサラと自分の名前を書きおえるとようやく緊張した表情が解けて、ニコニコと楽しげな笑顔が戻る。
子どもの、こういう集中した表情っていいなぁと思う。

私やアユコが習っている小さな書道教室。
実を言えばアプコはここへは私のおなかの中にいるときから、くっついて一緒に通っている。大きい子達が習字をしている間、隅っこで絵を書いたり、我流のひらがなをなぐり書きをしたりして、帰りにはアユコと一緒にご褒美の飴玉を貰ってくる。そういう「プレ書道教室」状態がもう何年も続いていたから、アプコがここで習字を習い始めるのはごくごく自然な成り行きだった。
アプコがひらがなを書けるようになったのは幼稚園の年長さんの頃。
幼稚園の女の子達の間に「お手紙ごっこ」が流行りだして、アプコも見よう見まねでひらがなを覚え始めた。けれども「正式に文字を習うのは、小学校一年生の教室で・・・」という親の勝手な教育方針で、私はアプコに積極的に文字を教えるという事はしなかった。鏡文字や意味不明のカナ釘文字も満載のままアプコは小学一年生になった。
「今日は、『あ』を習ったよ。」
「今日は、『さ』の字を習ったよ」
一学期のアプコは、先生が黒板に一文字ずつ書いて教えてくださるひらがなを、いかにも嬉しそうに毎日母に報告してくれた。
そうして学校で、ひらがなの50音を全部習い終わるのを待って、ようやく秋からの書道入門の運びとなった。長い間、稽古に通うアユコの傍らで、「アタシも早くお習字習いたいな。」というのを、たっぷり待たせてからの入門である。

これがオニイやアユコの時だったら、「就学までにせめてひらがなの50音は教えておかなければ。」とか「簡単なたし算くらいはくらいは出来るようにしておかなければ。」と、前もってあれこれ教え込んでいた所だけれど、さすがに4人目ともなると、「そんなにいろいろ先走って教え込まなくても・・・」という余裕も出てくる。
いつまでも続く鏡文字や手指を使ってのたし算にも、「そのうち、わかるよ」と笑ってみていられるようになった。
そんな事よりも、息を詰めるようにエンピツを握り締めてワークブックに取り組む姿や、はじめてもらった花丸に嬉しさを隠せないでピョンピョン飛び回る姿になんともいえない愛しさを感じる事がある。
子どもがはじめて読み書きを習うという事は、本当はこんなふうに喜びに満ちた楽しい経験なのだなぁということに改めて気がついた。

アプコが学校のノートに書いてくる文字は、割合筆圧も強く、大きくおおらかな素直な文字だ。小さい時からこつこつと几帳面な文字を書いたアユコと違って、間違いや「ちゃら書き」の文字も目立つが、アプコの文字はいつものびのびと背伸びをしている。
字を書く事、それ自体が楽しくてたまらない。
そういう楽しい季節をアプコは今、生きているのだと嬉しく思う。


2005年09月09日(金) 参観日

小学校参観日。
本当は火曜日の予定が台風のせいで今日に延期になっていた。

5年生、国語の詩の授業。
黒板に、T先生が丸や四角の空欄をたくさんまじえた一編の詩を書いて、子ども達がグループごとに話し合って、その空欄を埋めていく授業。
子どもらはああでもない、こうでもないと、まるでクイズにでも答えるように虫食いだらけの詩を組み立てていく。畳み掛けるようなスピード感のある問いかけと子どもの好奇心を微妙にくすぐるヒントで、知らず知らずのうちに知的な遊びの楽しみに引き込まれていく魅力的な授業だった。
一つの作品をこうしてたくさんの子どもが一緒に読み解いていく、ゲームのような楽しさは、一人で本を読んで理解するのとはまた違った醍醐味があるなぁと思う。
その昔、私が中学の時に教えていただいた国語の先生も、こういう活気のある読解の授業がとてもお上手な先生だった。
この先生の鮮やかな授業に魅せられて教職を私は志したが、結局たった数年、養護学校の常勤講師として務めただけで結婚退職したので、一度も「国語の授業」らしい授業は経験できなかった。
教職を辞めて家庭の主婦になったことを悔いた事はないけれど、子どもの参観などで充実した上質な国語の授業を見せていただいたりする機会があると、「ああ、国語の先生になりたかったなぁ。」と思ったりすることがある。
今日もそういう授業。

一年生は、生活科でシャボン玉の授業。
炎天下の運動場にぱっと散っていった一年生が、思い思いにシャボン玉を飛ばす。一年生というのはまだまだシャボン玉遊びがよく似合う年齢なんだなぁと思う。
担任のM先生が、子ども達の前で団扇の骨組みを使って一度にたくさんのシャボン玉を作って見せた。
いつもしっかりした生真面目な授業で厳しい先生という印象のM先生が、くるりと小走りに輪を描いてふわりと小さなシャボン玉をたくさん宙にとばすと、子ども達がわぁっと声を上げて先生の周りに駆け寄っていった。
ああ、いいなぁ。
先生っていう職業の美味しい美味しい蜜の時間。


2005年09月08日(木) 感動的なネギ

夏休みに家族で私の実家に里帰りしたときの事。
お昼ごはんに「ぶっ掛けうどん」をと、母が用意してくれた。
湯がいて冷水で冷やしたうどんに、温泉卵と天カスをのせ、ジャブジャブとお出汁を直接注いで、ネギやショウガの薬味を載せていただく。
簡単な一皿だけれど、、我が家ではあまり食卓に上らない温泉卵が子ども達には珍しくて、「うまかったなぁ」と大好評。
「おかあさん、おかあさん、おばあちゃんちで食べたトロッとした卵、近くで売ってる?」とアプコにせがまれて、スーパーの店頭で3個パック120円也の温泉卵を買い込んでくる羽目になった。

オニイは野菜嫌いのくせに薬味にうるさい。
朝ごはんに好物の納豆を食べるにも、必須の二つの条件がある。
ご飯は、その朝炊き立てのご飯である事。
小口に細かく刻んだネギがあること。
どちらが欠けても、「今日は納豆やめとくわ。」と決して間に合わせの納豆は食べようとしない。おまけにわざわざ茶わんによそっておいたご飯を炊飯器に戻し、おもむろに納豆にネギやたれを入れて十分に混ぜ合わせてから、新たに熱々のご飯を自分で茶わんによそいに立つ。納豆をこねている間に茶わんのご飯が冷めるのが彼の厳しい嗜好にそぐわないのだという。
薬味のネギも刻んだものが用意していなければ、時には包丁を握ってわざわざ自分で刻んだりもする。
玉ねぎも白ネギも嫌いなはずのオニイなのに、青い細めの刻みネギには格別のこだわりがあるらしい。

加古川での「ぶっ掛けうどん」のとき、オニイは母が刻んだまな板の上の薬味のネギをみて感嘆した。
「うわっ。感動的なネギやなぁ。」
母が用意したのは、裏庭で育てたという細い細い青ネギ。
それを細かく丁寧に刻んであって、我が家でしょっちゅう見かける「お手手つないで」の切りそこないが一つも混じっていない刻みネギだった。
「何を大げさな・・・」といいながら、きれいな直径2ミリの輪っかの揃った刻みネギはそれだけで丁寧な「仕事」を感じることの出来る見事な出来ばえ。日頃、包丁やまな板のせいにして「お手手つないで」のネギをいい加減の食卓に乗せる我が家の刻みネギのぞんざいさを恥じる。

いつもは母の「お手手つないで」を特別文句を言うでもなく口に運ぶオニイにも、自分で育てた青ネギを丁寧に刻んで食卓に乗せるおばあちゃんの料理の細やかさを「感動的」と評する事が出来る美意識が育っている事に少なからず驚いた。
「食は大事」といいながら、雑事にまぎれて、食材に対する真摯な感謝や自分の作った料理を食べてくれる家族への細やかな想いを、ついついおざなりにしてしまいがちな主婦の怠慢をチクリと指摘されたようで胸が痛んだ。

八百屋の店先に並ぶたくさんのネギ。
細ネギ、あさつき、九条ネギ、やっこネギ、万能ネギ・・・・
いつもは特別注意もせず、一番お買い得の大束のネギに手が伸びるのだけれど、今日は一番細くて青々ときれいに束ねられた一束を選ぶ。
それでもあのときのネギのような満足のいく繊細な切り口には出会えない。
多分、母は庭に植えた、まだ育ちきらない幼いのネギを葉先だけ寄せ集めるように摘んできて、食卓に供したのだろう。
結局、八百屋の店先に満足の行く繊細さを見つけることができなくて、とうとう、ホームセンターの種苗売り場で細ネギの種を買い込んできた。
145円也の小袋の種から、我が家に「感動的なネギ」を導入する事が出来るだろうか。
とりあえず、今は家にある菜切り包丁を丁寧に研いで、買って来た細ネギをいつもより数倍丁寧に、つながらないように小口に刻む。
なるほど、心を砕いて刻んだネギは、確かに味が違うと自分では思うのだけれど、はてさて、薬味にうるさいオニイの舌は、母の刻みネギの変化に気がつくだろうか。


2005年09月07日(水) 泥だんご

暴風警報は出なかった。
「もしかして学校、お休みかも・・・」と不埒な期待をしていた子ども達も、がっぽがっぽと長靴を履いて登校していき、気まぐれに降るシャワーのような通り雨を浴びながらもこの夏最後のプールにも入り、蒸し暑い晴天の元、下校してきた。
風で落下して砕けた木の枝や青いまま吹き飛ばされた未熟な柿の実をピョンピョン避けながら、アプコが坂道を登ってくる。
プールバックと雨傘をうるさそうに肩に担いで、なんだかとっても楽しそうだ。
迎えに出た私の姿を遠くから見つけると、ランドセルをバクバク言わせながら走ってきて、「お母さん、みてみて!」と手にしたビニール袋をブンと突き出す。

「あのね、泥んこでね、泥だんご作ってん。
さらさらの砂で何べんもまあるくしたから、硬くって、つやつやして、こんなにきれい!」
見ると本当にきれいな球形に作られたピンポン玉大の泥だんご。
「あのね、泥んこのたまに乾いたさらさらの土をかけて転がしてね・・・」
と新しく聞き覚えた泥だんごの製造方法を熱心に母に語る。
「あたしのが一番まん丸にうまくできたよ。○○ちゃんのより△△ちゃんのよりアタシのが一番ツヤツヤにできたの・・・。ほらちょっとだけ、触ってみてもいいよ。」

ああ、いいなぁ。
泥だんごに熱中する年令の子どもがまだ身の回りにいつもいるという事。
ワクワクする楽しい気持ちを、一番に母に伝えずにはいられないアプコの幼さ。
「えーっとな、えーっとな。」といいながら、友だちから伝授された泥だんごの秘密の製法を教えたくて仕方がないアプコの素直さ。
オニイが受験生になり、アユコが思春期の気難しいお年頃になり、ゲンが母の知らない科学キットに夢中になる少年に育っても、まだまだ我が家には泥だんごと水遊びと棒つきキャンデーが似合う幼いアプコがいる。

泥だんごの楽しさは、泥んこの塊りが自分の手の中で転がし、磨き、また転がしているうちに、だんだん只の泥んことは思えない、硬くてつやつやした玉に育っていくその過程にある。
今、私の手の中でコロコロと甘えて転がってくれるアプコという泥んこは、どんな宝玉に育っていくのだろう。


2005年09月05日(月) 台風中継

大型の台風が近づいている。
学校からは、「台風接近時の対応について」とのプリントが配られた。
午前7時段階で暴風警報が出ていたら、自宅待機。
午前10時段階で解除されていたら、登校。解除になっていなければ、休校となる。また、登校後に警報が出たときは集団下校。時間によって、給食は時間によって、食べないで下校する。
あ〜らら、これじゃ、どっちにしても明日の久しぶりの七宝教室はキャンセルして母も自宅待機だわ。
小学校では明日予定されていた参観日も早々に金曜日への延期が決まった。
新学期早々、番狂わせだなぁ。
取り合えず明日、給食だけは食べて帰ってきてくれるといいのだけど。

つけっぱなしのTVの台風情報を見ていたら、ニュースキャスターの木村太郎さんが台風中継をしていた。
暴風吹き荒れる街頭でレインコートに身を包み、叩きつける雨にさらされながら、小型の風力計を曝して、「あ、いま、風速40メートルに達しました!」とか、中継している。あまりの強風に飛ばされそうになり、ふわりと後ずさったりたりしているのが、いかにも危なっかしくて、「もういいよ、わかったよ。やめておうちの中に入んなよ。」と言いたくなった。
本来こういう体当たりの台風レポートは、駆け出しの新人アナウンサーとかがっしり体力勝負の若手記者が請け負うのが普通だと思っていたのだが、ここの局では最近古株の須田 哲夫アナウンサーもどこやらの台風中継に出ておられたから、重鎮クラスの人に雨風の中でレポートしてもらうのが流行りなのだろうか。

我が身の危険を顧みず、必死の形相で風雨の強さを突撃レポートする台風中継。そんなことしなくても、安全な場所からの的確な取材報告だけだって台風の猛威を視聴者に知らせる事はできそうなものなのにと思いつつ、ついついその中継画面に見入ってしまう野次馬根性。
確かに、迫力ある風雨の中継になると視聴率という奴はぐんと上がるらしい。
高波の押し寄せる海を見にわざわざ危険な防波堤まで出かけて行く若者や、水かさの増した水路に棒っ切れを差し込んで濁流の勢いを測って遊ぶ子どものように、普段と違った顔を見せる自然の猛威とその圧倒的な破壊力をこの目で見たいという欲求は老若を問わず共通のものらしい。
そういうい視聴者の心理をつくという点では、あの体当たり台風中継も報道番組には必須の要素なのだろう。

若いペーペーのアナウンサーが雨風の中で、拭きちぎられたぺーパーを片手に泣きそうな形相でレポートしている姿には、「おお、新人さん、頑張ってるなぁ。こういうきつい体力勝負の仕事をいくつも経験して、偉くなっていくんだろうなぁ。」と半ば応援するような気持ちで見ていたりすることもある。
けれども、重鎮といわれる年齢に達し、政治や厳しい社会情勢について重々しく発言しておられるこのクラスのキャスターが、わざわざ新人君たちの修練の場とも言える体力勝負の現場にしゃしゃり出て、その翻弄される様を衆目に曝すというのはどうなんだろう。
「若い人の仕事の場を取ってやるなよ。」とか、「いい年して台風ではしゃぐなよ」とか、「若いモンも、こんなおじいちゃんにこんなきつい仕事させるなよ。」とか、なんだか消化の悪い嫌な感じがいつまでも残る。

年齢を重ねても、厳しい現場に立つことを厭わないジャーナリスト魂。
それはそれでご立派な事だけれど、人にはその役割相応、年齢相応の職域というものがある。
自然の猛威のすさまじさや台風被害の深刻さを語りながら、どこか、はじけちゃった老人の浅はかさが曝されているようで気持ちが悪い。
それとも、あの二人の台風中継は、舞台裏での何かの罰ゲームかなんかだったんだろうか。


2005年09月02日(金) ステテコに腹巻

いつもより早起きして、ランドセルを持って降りてきたアプコがそっと耳打ちする。
「今日は加古川のおじいちゃん、学校へくるのかな」
はぁ、何のこと?と意味がわからないでいたら、アプコがもどかしげに説明してくれた。
「あのね、加古川のおじいちゃん、夏休みに『新学期になったらアプコちゃんの小学校へ挨拶に行こうかな』って言ってたでしょ。昨日は忙しくてこられなかったから、今日は来るのかなぁと思って・・・」

私が子どものころ、実家の父が運動会や参観などの行事のたびに吹き込むほら話。
「明日は、お父さんがステテコに腹巻まいて見に行くぞ。担任の先生に大きな声で『いやぁ、どうもどうも。いつも娘がお世話になってます』と挨拶してこよう。ええか?」
子どもたちが困った顔をしていると、どんどん話はエスカレートして、
「足にはゴム草履はいてな、おなかをぼりぼり掻きながら行くぞ。ほんとに行ってもいいか?」
ととんでもない話になってくる。
またいつものほら話だと思いつつ、「もし、ほんとにそんな格好でお父さんが来ちゃったらどうしよう?」とほんのちょっぴり心配になったりして、行事のたびにちょっとどきどきしたものだった。
我が家の子どもたちが大きくなって、幼稚園や学校に通うようになると、今度は父は孫たちを相手にあの日と同じほら話をする。
オニイにもアユコにもゲンにも、そして今度はアプコにも。

「絶対来ちゃ駄目!」と父のほら話をさえぎったあの日の私たち兄弟と、孫である我が家の子どもたちの反応はちょっと違う。
「う〜ん、来てもいいけど・・・」
「いいよ、いいよ、いつ来るの?」
「ほんとに来てくれる?」
普段離れて暮らしている祖父への親しみの気持ちや、ちょっとした遠慮の気持ちもあって、「絶対来ちゃ駄目!!」という反応にはなかなかならない。
また、核家族、企業戦士だった父は年に一度、運動会の時くらいしか学校に足を運ぶことがなかったのに対して、今の我が家では、父さんがしょっちゅう小学校へ出かけて行くし、運動会には祖父母やひいばあちゃんまで一緒に観戦することもある。父親や祖父母が学校へ顔を出すこと自体に対する抵抗感があまりない。
さすがに「ステテコ、腹巻着用」はちょっと困るけれど、おじいちゃんが学校へやってきて「担任の先生にご挨拶」するのは、それほど困った事態ではないのかもしれない。
「おまえんとこの子どもたちは育ちがええから、ほら話が通用せんわ。」といつも父は笑う。

今年、父のほら話のターゲットになったアプコは
「新学期になったら、おじいちゃん、アプコちゃんの学校へ行くぞ。ステテコに腹巻してな、アンタとこの担任のM先生にちょっと挨拶してくるわ。」
というおじいちゃんの言葉を真に受けて、始業式の日にはもしかしておじいちゃんが姿を見せるかもと密かに期待していたと思われる節がある。
先日、そのことを電話のついでに父に教えたら、「すまんすまん、9月1日の日は他に予定があるから行けないと伝えておいてくれ」と笑っていたが、それを聞いたアプコは「じゃぁ、2日の日には来てくれるのかな。」と思っていたのだろう。
アプコの単純な思い込みが可笑しくて、すぐにまた実家に電話して母と笑う。

そういえば、父のほら話の伝統を受け継いで、毎年私が吹くほら話。
「明日のマラソン大会、お母さんは横断幕持って応援に行くからね。短いチアガールのスカート履いて、ポンポン持って踊るけど、行ってもいい?」
これにはさすがに我が家の子どもたちも「絶対駄目!」と期待通りの反応を見せて笑わせてくれた。
さすがに、高学年になってくると「ほんとにやってみたら・・・?」とニヤニヤ笑って反撃するようになったので、ここ数年、このほら話は封印してきたけれど、今年はアプコが一年生。
久々に「明日チアガールの格好で応援に行くよ」とほら話を楽しむことができそうだ。
ただ、末っ子姫で一番単純なアプコのこと。
「ホント?どんな服着てくるの?ポンポン持ってるの?」
とあたまっから真に受けて、期待されてしまうかも知れない。
それもちょっと困っちゃうのよね。


2005年09月01日(木) 散歩係

新学期が始まった。
「宿題全部持った?上靴は?通知表、判押した?」
慌しい朝がまた始まる。
そして、子ども達が散って行った後のつかの間の静寂。
ようやく戻ってきた主婦の時間。
ああ、めでたい。

最近、ゲンの仕事が一つ増えた。
おじいちゃんちの愛犬コロの散歩。
普段はおじいちゃんが朝夕欠かさず散歩に連れて出ておられるのだけれど、実は先月の半ばから急な病気で一二週間の入院ということになり、コロの散歩係が必要になったのだ。
兄弟の中でも一番コロの扱いに慣れていて、日頃から工作や飛行機作りの知恵を借りたりしておじいちゃんに一番お世話になっているゲンを名誉あるコロの散歩係を任命する。
ちょっとだけ「参ったな」という顔をしながらも、むげに嫌とも言わず、「行ってくるわ。」と引き受けてくれたゲン。
夏休みの10日あまり、朝夕欠かさずコロの散歩と排泄物の始末、えさやりなどを続けてきた。

「悪いなぁ、よろしく頼むよ。」と懇願されて引き受けた仕事も、何日か続けると当たり前の役割のようになってしまって、嫌になってしまうことがある。
周囲の者も、初めは「ごめんな、悪いな。」と感謝していたのに、慣れてしまうとやってくれて当たり前というようなぞんざいな態度をとってしまう事もある。
散歩の時間が遅れると「今日はもう、散歩、行ったの?」とか、「まだ行ってないの?」とオニイやオネエに指摘される。
散歩が終わったはずなのにコロの鳴き声が聞こえたりすると、母が「散歩が足りなかったんじゃないの?」と注意する。
しまいには年下のアプコや従妹のHちゃんにまで「コロちゃんの散歩は?」と偉そうにいわれて、プリプリ怒り狂うこともあった。
「日頃お世話になっているおじいちゃんのために・・・」と快く散歩係を引き受けたゲンも時折嫌になってしまうこともあったようだ。

新学期になると、登校前に朝の散歩を済ませるためには、いつもより早起きが必要になる。夏休みのお寝坊に慣れた体に、皆より30分早い起床は厳しい。
それでもなんとか今朝は、新学期初日の朝の散歩を終わらせて、帰ってくるなり、「おかあさん、あのな、コロ連れて歩いていたら、知らない人に『えらいな』と褒めてもらったよ」とゲンが嬉しそうに教えてくれた。「早起きは三文の得だねぇ」と喜んでいたら、ちょうど朝の仕事から帰った父さんが「コロの散歩、どうした?」と不用意に訊いた。
せっかくの嬉しい気持ちに水を差されて、ゲン、悔しい顔をする。
あ〜あ、タイミングの悪いこと。

善意で引き受けた仕事なら、周りからどんな風に言われても最後までいやな顔をせずに機嫌よく役割を果たしてもらいたいとも思う。
けれどもその一方で、ほかの兄弟たちには、自分たちを代表して役割を受け持ってくれたものに対するねぎらいや感謝の気持ちを忘れないでいてほしいとも思う。
ぷいと拗ねた顔のまま、あわただしく登校して行ったゲンを見送ったあとで、のこったオニイとアユコにお説教。
「せっかくゲンが気持ちよく散歩係を引き受けてくれたのだから、ちゃんとそれに対する感謝の気持ちやねぎらいの言葉を忘れないようにしてやろうよ。ゲンは彼なりによく頑張ってるんだよ」
それは直ちに、「ゲン、コロちゃんの散歩、まだ?」と当たり前のように催促するようになってしまった私自身への戒めの言葉。


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