月の輪通信 日々の想い
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ここ数日、バタバタと工房の間を行き来し、年末仕事をやっつけて過ごした。従業員の人たちが揃って年末休みに入ったあと、工房での梱包発送や大掃除は家族だけでの作業になる。 今年も年末ぎりぎりまでもつれ込んだ干支作品の制作はとうとう、大晦日の窯詰めにもつれ込み、最後の一窯は年を越して元旦の窯だしの羽目になった。義兄や義父は、今年も近隣のお世話になったおうちに干支の置物や香合などを手に、ご挨拶に出かけていく。 私と義母もまた、最後の包装作業にいそしむ。包む。結ぶ。包む。結ぶ。 例年通りの気ぜわしい年末の風景。
今年初めて、釉薬がけの作業の手伝いに入ったオニイ。 自宅の窓拭きや工房の庭の落ち葉かきに超人的な働きをしたアユコ。 洗濯干しや買い物の荷物持ちなど、オニイやアユコと張り合うように家事を手伝ってくれたゲン。 尻尾のようにアユコの後ろをついてまわり、お掃除の助手をけなげに務めたアプコ。 今年の年末、我が家の子ども達は実によく働いた。 ただの子どものお手伝いではなく、ちゃんと一人の働き手として、役に立つ場面が少しずつ増えていく。 子ども達の成長振りが嬉しい。
大晦日の今日は、最後までやり残した自宅の障子の張替えを頼もうか。 それとも総動員で、工房の玄関や教室の大掃除をしてもらおうか。 その日の作業を思い浮かべながら雨戸を開けたら、雨だった。 あちゃー、予定が狂ったなと思っていたら、雨は見る見るうちに雪になった。 あれよあれよという間に雪は本降り。 びしゃびしゃと水っぽい雪ながら、しっかり数センチ積もって、工房の周りは一面の雪景色になった。 雪やこんこんの犬のごとく、ぴゅーっと外へ駆け出していくアプコとゲン。 「窓拭きとか拭き掃除とかしてもらおうかと思ってたけど、ダメだなぁ。雪には勝てんわ。」 数年ぶりにちゃんと降り積もった雪に狂喜して、キャアキャアと駆け回る子ども達。荷造りの合間に窓の外を見ると、ゲンとアプコが二人してエッサホイサと大きな雪の玉を拵えている。年齢が近いだけに普段しょっちゅう小さな摩擦の多い二人が、本当に仲良くそそくさと土木作業に取り組んでいる様がかわいらしくて、笑ってしまう。 忙中閑あり・・・。
忙しい、忙しい。 今年は冬休みが長いのだから、前半の年末はしっかりおうちの仕事や工房の手伝いにこき使うからね。 母の勝手な命令にけなげに答えて、頑張ってくれた子ども達。 最終日に突然降って沸いた雪景色は、「よく頑張りました」の小休止。 「冷たいねぇ。」 真っ赤になった小さなアプコの手をそっと握って暖める。 いろいろあったけど、今年も何とか暮れていく。 明日の朝はまた新しい一年のまっさらな一日目。
朝からアユコと習字の出かける。 いつもくっついていくアプコに加え、冬休みの宿題の書初めを抱えたゲンが合流。いつもはお稽古に通っていないゲンも年に一度、書初めの宿題のときだけ先生のTさんがご好意で一日講習で面倒を見て下さるのだ。 学校の授業の数時間の書写の時間でしか書道の基本を学んだ事のないゲンに、いきなり短時間で筆の持ち方から美しい右はらいの書き方まで指導してくださるのは大変な事だ。 お休みで他の生徒さん達が来ていなかったお蔭で、Tさんとゲンのほぼマンツーマンでの熱烈指導。 お蔭さまで早々に、立派な宿題が仕上がってゲンも大満足。 Tさん、ありがとう。
同じ書道の勉強でも、中学に入ってから突然「習いたい!」と自分から稽古に通い始めたオニイとゲンでは取り組み方がずいぶん違う。 筆の運びや文字の変化を教えてもらった理屈を噛み砕いてちゃんと理解してから自分の筆の動きに置き換えるオニイと、見たまんまのお手本の字を絵を書くように素直にまねようとするゲン。 その違いをほんの数分で読み取って、上手に指導してくれるTさん。 さすがにしっかり勉強して来た人というのは、それを学ぼうとする初心者の気質や指導の方針をちゃんと理解したうえで、それぞれにあった教え方を見つけ出す事が出来るものだなぁと感心する。 傍らで見ていた母も、一つまた、よい勉強をさせていただきました。
ゲンの書初めの課題は「美しい心」 言葉の内容はともかく、画数も多く難しい右払いも含む「美」に、なんともバランスのとりにくい「心」という文字。 大の大人の私がお稽古のとき、いつも「あ、やだな」と思うその漢字を、ゲンは見慣れた漫画のキャラクターをさらりとまねて描くように、特に苦にするでもなくそこそこバランスの取れた文字に書いた。 一画一画の長さやつながり具合を図柄を写すような感覚でそのまま筆先に移す事が得意なのだろう。 そのくせいつも書きなれているはずの自分の名前の小筆の文字が、かな釘流で見劣りするのが情けない。 書きなじんで自分の文字が出来上がる前に、上手なお手本を見せて自分の名前を書かせる練習を怠った母の怠慢の故か・・・。 うう、面目ない。
一年生の時からこつこつと稽古に通ってきたアユコは、特待生まであと一歩。ひらめきや独創ではなく、地道な努力の積み重ねで上達してきたアユコの筆文字は流麗で生真面目だ。 来春の中学入学を機に、一緒に学んできた同級生の女の子達はほとんどが習字をやめてしまうという。 行書体やかな文字など、これからどんどん新しいことが学べる年齢に達したというのに、せっかく続けてきた書道から離れて入ってしまうのは惜しいとTさんは嘆く。 「あたしはやめないよ。」と宣言するアユコに、Tさんは少しづつかな文字の基本を教えはじめた。 生真面目だが曲のないアユコの文字に、流れるようなかな文字のしなやかさが加われば、遊びの余裕を含んだおおらかな作品に変わっていくだろう。 我が家の女の子達の名前をひらがな3文字の名前にしたのは、さらさらと筆文字にしたときに字面の美しい名前にしたかったから。 今はまだ、丸文字の名残の残るアユコの筆文字の署名も、今に艶っぽい、魅力溢れる文字になるだろうか。
朝、サンタさんのプレゼントを期待して一番に目覚めたのは、アプコだった。自分では屋根裏収納の階段を下ろす事の出来ないアプコ、お寝坊のオニイ、オネエを起こしてサンタの到着を確認しに行く。 オニイ、アユコには、図書券と本。 アプコには、リクエストどおりのおもちゃ。 そして、今年はてっきりサンタさんに見放されていると思っていたゲンには、紙飛行機やブーメランの実験キットとグライダーの詰め合わせ。 パジャマのままコタツにもぐりこんで、プレゼントの包みを開ける子ども達の笑顔はやはりまだまだ愛らしい。 さっそく工作に取り掛かるゲンを、オニイが妙に兄貴ぶって、笑ってみている。実はオニイはここ数日、ゲンのプレゼントのリクエストがどんどんもつれていくのをずっと心配していてくれたのだ。 「ああいう手があったか、考えたね。」 「うん、とっても苦労したよ、サンタがね。」 「そだね、サンタがね。」 事実上、今年がサンタ卒業の年となったオニイが、それでも「サンタがね」と付け加えて、いたずらっぽく笑う。 いいおにいちゃんになった。
ここ数日、オニイが年末仕事で忙しい父さんの仕事場に手伝いに入った。 いつも私が任命されていた干支の置物の釉薬がけの下仕事を、オニイに譲る。 夕方ある程度の仕事がたまった所でくるくるっと巻いた美術部用のマイエプロンを片手にオニイが出勤していく。父さんのすぐ後ろの小さなテーブルを臨時の仕事場にして、父さんが仕上げをした生の置物のとさかの部分に赤の化粧土を慎重に塗り分ける。 一日の仕事量は、置物4つか5つ分。時間にすればほんの2,3時間の作業だけれど、父さんの仕事の一端を任されているということが誇らしい。 こつこつと仕上げ仕事をしている父さんの背中を見ながら、慎重に筆を動かすオニイの顔は真剣だ。 それはこの仕事が「体験学習」や子どものお手伝いではなくて、ちゃんとした窯元の仕事の一端であることを知っているからだ。
代々家族で仕事を受けついで来た窯元に生まれて、我が家の子ども達は毎日のように土と向かい合う父の仕事の姿を見て育った。 長男、次男であるオニイやゲンは父の仕事をなんとなく未来の自分の仕事として、傍からの期待も感じて育ってきた事だろう。 迷いもなく美術部に入ったオニイも工作や模型つくりに熱中するゲンも二人ともどこかで「窯元を継ぐ」という事を意識して成長しているらしい。 生真面目に論理で考え、家族や仕事に関して厳しい責任感を感じて育つ長男気質のオニイ。 いつも気ままでふらふらしているくせに、一つの事に魅力を感じると一人でぐっとのめり込んでいく熱中型のゲン。 どちらが窯元仕事には向くのだろうと、父さんと話をする事が多くなった。
同じ男兄弟二人の父さんと義兄。 数年前に義兄が八世を襲名し、数年先には父さんの九世襲名が決まっている。作陶だけでなく営業や経営全般の仕事をこなすプロデューサー的な役目を果たす義兄と、終始工房での作陶に専念する父さん。 どちらも大事な両輪ともいえる大仕事で、どちらが欠けても窯元としての仕事は成り立っていかない。 全くタイプの違う我が家の二人の息子達も、いつかは一つの仕事を上手に振り分けあって、仕事を継いで行くのだろうか。
オニイが釉薬で汚れたエプロンを手に胸を張って工房から帰ってくると、それまでPCで遊んでいたゲンが妙に張り切ってお手伝いモードになったりする。風呂洗いやら夕食の配膳の準備やら、急にパタパタと働き出し、読書三昧のアユコやいつまでもお遊びモードのアプコにハッパをかける。明らかに一仕事終えてきた兄を意識しての行動のようだ。 「僕は大きくなったらね・・・」とさりげなく窯元への進路を宣言したりするゲンとしても、オニイと同じくらい自分も「使える男」としてのアピールをしておきたい所なのだろう。 二人が将来の職業をめぐって静かにお互いを牽制しあっている微妙な空気が、父や母には面白くもあり、未来への気がかりの種であったりもする。
本当の所を言えば、窯元の仕事は見得や体面や誰かへの牽制だけではとても勤まらない。 物を作るのが本当に好きで時には周りの事も忘れてしまうほど制作にのめりこんでしまう芸術家の熱中と、決められた量の仕事をこつこつと積み上げてきちんと時間内に仕上げていく職人の勤勉さが、どちらも同じくらいの重さで必要なのだ。 父さんの普段の仕事振りを見ていて、そう思う。 我が家の息子達に、そんな力がちゃんと育っていくのだろうか。 そこのところを育てるのは、まだまだ母である私の役割でもあるのだろう。 「ものを作る仕事をしたい」といい、代々受け継いだ窯元の伝統を誇りに感じてくれる素直な子どもらの感性を、変に捻じ曲げることなくのびのびと育んでやりたいという想いが、近頃とみに強くなった。
例年のことながら、今年も父さんは年末仕事に追われている。 年末から年明けにかけての干支の作品作り。 来春の干支をあしらった抹茶茶碗や置き物、香合など、たくさんの数物の作品を次から次へと拵えていく。 昼間は工房で窯の番をしながら、置物や茶碗の仕上げの仕事。 夜は夜で、うちに帰って、小さな香合の仕上げ仕事。 自分で自分にノルマを課して、ぎりぎりいっぱい仕事をする。 ドリンク剤や、眠気覚ましのコーヒーに頼りながら、どんどん自分を追い詰めていく仕事振りは、年も押し迫るにつれ、だんだん鬼気迫るものになってくる。 背中を丸め、眠気でまぶたが落ちそうになりながらも、こつこつと作品に取り組む恐るべき忍耐力。自分が頑張らなければ、工房の仕事が止まってしまうという意地が父さんの年末仕事へのエネルギーを支えているのだろう。 こういう差し迫った全力投球の徹夜仕事を、この人はこの先何年続けていくことができるのだろう。
年末態勢に入ると、日頃土に触れることがほとんど無い私も、香合や置物の小さな部品の型抜き仕事や簡単な釉薬がけの仕事の手伝いに入る。 今年は3つの部品に分かれた香合の型抜きと置物の釉薬がけの一端に手を出した。 何個も何個も同じものを抜く単純作業は、子どもが寝静まった後の夜なべ仕事。父さんと二人、放送の終わったTVの映像番組を流しながら、コタツでごそごそと内職仕事に励む。 一日にたった数時間の作業でも、肩がこり、土に脂分をとられて手指が荒れる。一日中、食事と短い仮眠時間のほかはほとんど全ての時間を仕事に費やす父さんのタフな仕事振りに感嘆する。
今日はクリスマスイブ。 例年どおりチキンを焼き、ゲンのご所望のシャンメリーも用意した。 何度も暖めなおしてすっかり整った食卓に、なかなか父さんが帰ってこない。「あと十分で帰るよ」といいながら、なかなか手元の仕事にキリがつかなくて、帰ってくることが出来ないのだ。 いつもは「おなかすいた〜ぁ」とうるさい子ども達も、今日は父さんの遅刻を辛抱強く待っている。 「お父さん、呼んでこようか?」と、いらだつ母に気遣ってアユコが訊く。 「あかん、あかん、父さんは仕事中や。」とオニイがアユコを止める。 暖かい食事をそろって食べさせたい母と、目の前の仕事を中途で止める事の出来ない父。 両方を気遣って、右往左往する子どもらがいる。 大きくなったなぁ、子ども達。 父の苦労も母の思いも両方ちゃんと汲み取ってくれる年齢になった。
学校帰りのアユコをひっさらって、神戸へ向かう。 加古川のおばあちゃんとのデート第二弾。 神戸、ルミナリエを見に出かける。
少し早めに三ノ宮駅でおばあちゃんと合流。懐かしいさんちかやセンター街から元町の商店街まで、ぶらぶらとウィンドウショッピングしながら三人で歩く。ちょうどアユコぐらいの年のころ、よく母と一緒に歩いた街を娘を交えて歩く楽しさ。 「この店で、よくブラウスを買ったねぇ。」「ここ、前は何のお店だったっけ。」と話題は尽きない。 私の頭の中にあるのは、高校、大学時代に遊びに出かけた震災前の神戸。 両親と買い物に出かけたり、祖母とお墓参りの後で立ち寄ってお昼ごはんを食べたり、友達と日がな一日遊びに出かけた楽しい街。 さすがに20年近くたって、震災を越えて、街の様子は大きく変わったけれどそれでも古くからある老舗の靴屋さんやパン屋さん、寄るのが楽しみだった服地屋さんなど、「ああ懐かしい」と若い頃のワクワクを思い出させてくれる店がたくさん生き残っている。
一方、普段、あまり街歩きの経験の無いアユコ。 もちろん、クリスマスの飾り付けで浮き立つ町を歩く事も、夜の街のにぎわいも初めての経験だ。ちょっと前まで人ごみは苦手と言っていたカントリーガールのアユコも、キラキラした都会のざわめきやさまざまなモノが溢れるショーウィンドウにうきうきと気持ちが弾む。 小さなアクセサリーや新しい靴を熱心に選ぶ楽しげな表情に、この子もこんな事を楽しむ若いお嬢さんになっていくのだなと思う。
南京町で夕食を食べて、いよいよルミナリエへ。 長い迂回順路に沿って、人ごみの中をのろのろと歩く。 片田舎の我が家の近隣に比べれば、その辺の商店のクリスマスイルミネーションだけでも十分ルミナリエだねぇと軽口を叩いていたけれど、最後の角を曲がって光溢れる最初の門を目前にするとわぁっとため息交じりの声が漏れる。綺麗ね、すごいねとアユコの表情もぱっと明るくなった。 出掛けに父さんが念のためにと持たせてくれたデジカメを渡すと、熱心にぱちぱちと写真を撮るアユコ。「写真撮影に熱心なのは、アンタじゃなくてお父さん譲りだねぇ。」と母が笑う。面倒臭がりの私は1,2枚撮ったら面倒がってカメラをしまってしまうのだけれど、しゃがんだり広場の一段高くなった縁石によじ登ったりしてベストアングルを探すアユコの様子は本当に父さんそっくりで笑ってしまう。 最後の広場の大きな円形のイルミネーションの中で、ただただ上を見上げて、「大きすぎて撮れない!」と笑うアユコは本当に嬉しそうで、なんだか胸が熱くなった。
興奮覚めやらぬまま、町の雑踏に戻り、大急ぎで家族へのお土産を選んで、駅へ向かう。ここから母とは分かれて反対方向の電車に乗る。 「快速電車が来たから、乗るね。」と名残を惜しむでもなくあっさりと反対のホームに上がっていく母に手を振る。。 「よかったねぇ、アユコ。おばあちゃんが呼んでくれて・・・。」 「うん、楽しかったねぇ。」 ウルウルとした目で吊り広告のルミナリエの写真を眺め、余韻に浸るアユコ。すっかり煌びやかな街の楽しさに魅了されてしまったようだ。 行きには参っていた満員電車の人ごみすら、都会の魅力のさえ感じているらしいアユコの初々しい興奮が可愛い。
電車を乗り換え最寄り駅に近づくと、街のネオンや民家の明かりもぐっと減る。 「暗いね。」 「うん、山だからね。」 大阪の片田舎、私たちの住む町には華やかなネオンも大掛かりなイルミネーションもない。そして我が家はその中でもひときわ暗い山のふもとにある。 ここで生まれ育ったアユコにとって、はじめてみた夜の神戸の街は華やかな光の都として強い印象を残してくれるだろう。 震災の記憶を持たない若いアユコの中で、明るい煌びやかな憧れの街としての神戸が育ち始める。 これも一つの復興というものだろうか。
PTAの広報紙。印刷所から配達されたものを各クラスごと部数に分けて配布準備完了。ようやくホントにお役御免だ。よく頑張ったね、ワタシ。
午後、アプコの園バスを迎えに出る。 朝は徒歩で駅前まで歩いて行くが、帰りは買い物のついでなどがあったりして、いつもはたいてい車で迎えに行く事になっている。ところが今朝、アプコが「今日は歩いてお迎えに来て」という。 どうやら来春から、小学校の登下校で同じ道のりを一人で歩いて行く事を意識しての事らしい。 いつも母の手にぶら下がるようにして歩いていたアプコが、急に手を離して一人で歩きたがったり、横断歩道を一人で歩きたがったりするのも、一年生になった自分を見越しての事なんだなぁ。 ぴかぴかの一年生への憧れの気持ちで、うんと胸を膨らませているアプコの成長振りが可愛い。
園バスから降りてきたアプコとともに、ちょっとした雑用で少し遠回りで帰路に付く。アプコ、見慣れた坂道に来ると 「あ、この道、知ってるー! 坂道ってね、ぴゅーっと速く走れるからすきーっ」と本当にぴゅーっと短い急な坂道を全力疾走で駆け下りていく。 「アプコ、ストップ!ストップ!」とよぶ声も聞かずにどんどん走って角を曲がっていってしまう。 そこからは、長いダラダラ上り坂だというのに、少しもスピードを落とさずに駆けていく。運動不足の母にはもう追いかける気力もなくて、ずっと先を見え隠れしながら走っていくアプコの背中をやっと目で追う。 母の手を離れて、すっかり落葉して明るくなった山道を一人でどんどん駆けていく楽しさに、アプコの足は弾んでいる。ちょうど思いがけなくクサリをとかれた飼い犬が狂喜して駆け回るのと同じように、アプコのスピードは思いがけなく速い。 何度か母を振り返りながら走るアプコの姿が、終いにはカーブを越えて見えなくなって、私は追いかけるのをあきらめてとぼとぼと一人で歩いた。
来春からは、アプコもこの道をこうやって一人で走って下校するのだ。 オニイもアユコもゲンも、みんなそうやって登下校してきたのだ。 一年生の最初こそ、下校時間を見計らって迎えに出たりもするのだが、それこそいつまでも母のお迎えで下校するわけにも行かない。 帰りの道には、お友達のうちこそないものの、小さいときから顔なじみのおばあちゃんやおじさんおばさん達のお家がある。 季節によってはハイキングの団体さんなどもたくさん通っていて、昼間は結構人通りもある。 それでも、いつも手をつないで母と一緒に歩いてきたアプコがたった一人でこの道を登下校するのだと思うと、なんだかぐっと不安になる。 小学校では先日、全校児童にお揃いの防犯ベルの配布が決まった。奈良の痛ましい事件の後、近隣でもいくつか不審者の情報が流れたりして、地域の人のボランティアによるパトロールも始まったという。 憧れの赤いランドセルに胸膨らませて駆けていく小さな娘の手を、「行っておいで!」と晴れやかに離してやることが出来ない世情への不安にはやはり胸が痛む。
最後のカーブを曲がってもアプコの姿は見えなかった。 のろのろと遅い母に苛立って、はぁはぁと息を切らしたまま、うちまで走りとおしたのだろう。 玄関を開けると、駆け足のまま脱ぎ散らかしたアプコの通園靴。 階段の上から、「速かったでしょ!」とアプコの顔がのぞく。 「速すぎて、お母さん、とっても追いつけなかったよ。」と言ってみる。 本当は「誰かに連れて行かれちゃったら怖いから、一人で走って帰っちゃダメじゃない!」と小言の一つも言いたい所だけれど、得意げなアプコの笑顔を見ているとその得意げな声に水を注すのも憚られる。「世の中には悪い人がいっぱいいるんだよ」と人間不信をあおるのにも忍びない。 「せっかくアプコと歩いて帰ろうと思ったのに、お母さん一人で置いてきぼりでつまらな〜い。」とわざと拗ねたようにアプコをなじる振りをして、もやもやとした思いを晴らす。 「ごめんごめん、明日は一緒に歩こうね。」 すりすりと体を寄せてくるアプコの口調は、世話好きでしっかり者のアユコにそっくりだ。 アプコにはおいおい、自分の身を守る術を教えていくことにしよう。 そして、お姉ちゃん譲りの生真面目な賢さと、全力疾走の脚力と、お守り代わりの防犯ベルに期待して、祈りながらこの子の駆けて行く背中を見送るしかないのだろう。
朝、子ども達が出て行った後、大急ぎで家事を済ませて、今年2度目のサンタのお使いに出かける。
さすがに大きい子達はもうサンタの正体を知っているはずだけれども、我が家にはまだ幼いアプコがいるので、クリスマスのファンタジーはまだまだ形をとどめている。いつも空からやってくるサンタのために屋根裏収納の小窓を開け、この日ばかりはとさっさと寝間に入るアプコ。 「そろそろ、サンタさんに電話しとかないと、クリスマスに間に合わないよ」と今年のプレゼントのリクエストを聞きだし、「ありゃりゃ、ちゃんとお片づけしないとサンタさんが、いいものくれないかも・・・。」と脅し言葉を使う。毎年、12月の楽しい会話。 オニイやアユコも、「そんな高いもの、頼んでもダメだよ。」とアプコの欲張りをたしなめるときにも、「・・・って、サンタは言うと思うよ。」と用心深く付け加える。 「ホントはサンタはお父さんお母さんなんでしょ。」とは決して言葉にしないで、幼い頃父や母が苦心惨憺してはぐくんだクリスマスの演出の楽しさを末っ子アプコにも同じように味合わせてや牢と気遣ってくれるオニイ、オネエの優しさが嬉しい。
という訳で、今年のクリスマスのプレゼント。 オニイ、アユコはサンタの懐具合と買い物の手間を配慮して、早々に「僕は図書券」「あたしは『ハウル』の原作本」と手ごろなリクエストを申告してくれた。 問題はアプコとゲンだ。 コマーシャルを見ても新聞のチラシを見ても、次から次へと欲しいおもちゃが変わり、結局一本に絞れないアプコと、これといって格別欲しいものはないらしいゲン。 「おかあさん、何を頼んだらいいと思う?」 「クリスマスまで、あと○日かぁ・・・。」 と目が合えば、何かとクリスマスの話題につなげようとするゲンに、最初のうちは欲しいものを聞き出そうといちいち付き合ってはいたけれど、だんだんそれも面倒になってくる。 「欲しい欲しい」のアプコと違って、とりあえず「欲しいものゲット」の機会を逃したくなくて、無理やりあれこれカタログを物色しているゲンにだんだん腹も立ってくる。 「いっそ、今年は『サンタにお任せ』で行くかな・・・」とも言うのだが、横からオニイが、「じゃ、地球儀とか問題集とかそういうのが来ても文句言わないんだな。」と茶々を入れる。 そして、ついにはどこかのデパートのカタログの中から、今まで欲しがった事もないラジコンカーを指差して、「これでいいわ。」という始末。
「これでいいわ」 には、さすがにカチンときた。 「あ、そう。でもね、その話題、もうお母さん飽きたわ。もう聞かないから。」 あ、しまったという顔をしてすごすごと引き下がるゲン。 それからは、ゲンが控えめに、「あのー、クリスマスなんだけど・・・」と切り出しても知らん振り。サンタの正体をホントはちゃんと知っているゲン、誰を怒らせたらまずいかもちゃんと判っているのだ。 事情を察したオニイ、オネエが「残念だったね。」とゲンをからかう。
みんな本当に小さな幼児だった頃、父さんと母さんはまだ自分の欲しいものがいえない子ども達にあれこれクリスマスのプレゼントを選ぶのは大変だった。 機関車トーマスの好きなゲンにプラレールのおもちゃを、戦隊物のヒーローに憧れるオニイには合体式のロボットを、夢見るお姫様のアユコにはおもちゃのピアノを・・・。 包みを開けて、思いがけないプレゼントにわぁっと歓声をあげる子どもらの笑顔が嬉しかった。 サンタクロースの正体がばれてからも、小さいアプコのためにあの嬉しさを残しておいてやりたいとは思うのだけれど、正直な所プレゼントを選ぶ親の気持ちも、手ごろなプレゼントをリクエストする子ども達の気持ちも、子どもらの成長に従って大きく変わってしまっている。 ちょうどそのハザマにいる中間子のゲンが、いみじくも今の我が家のクリスマスプレゼントに矛盾のわなに落ちた。 そろそろ今年あたり、屋根裏部屋のまどを開けて朝を待つクリスマスの習慣は終わりにするかなぁ。
今日、サンタのお使いに町へ出た私はアプコには希望通りのおもちゃと、ゲンには彼の希望ではない地味なプレゼントを用意した。 そして、毎年、決して選んだプレゼントに文句を言う事のない、亡くなった次女のためには、例年通り、ガラス細工のサンタやトナカイを買う。毎年一つ二つと買い揃えた儚いガラス細工は、もういくつになったのだろう。赤ちゃんのまま、成長する事のない娘に選ぶプレゼントは悲しい。 ぶうぶう文句を言いながらも、毎年成長していく子ども達にプレゼントを選ぶ喜びを忘れてしまっているのは母の方なのかもしれない。
午後、オニイと二人で1日遅れのバースデイケーキを買いに出かけた。 オニイの希望で今回はホールのケーキではなく、一人一個ずつのカットケーキ。お誕生日の華やかさにはかけるが、それぞれが好みのケーキを選ぶ楽しさもまた、良い。 オニイと二人で買い物に出かけるのは久しぶりのこと。帰りに「悪いけど、ちょっと寄ってくれる?」と請われて、オニイのなじみの古本屋、ゲームショップ等に立ち寄る。片田舎のこの町でのオニイの数少ない娯楽の場だ。 注意深く、母とは微妙に距離を置いて店に入るオニイ。 「オカンと一緒」がかっこ悪くて恥ずかしい年頃なのだ。それでもまだ、家族と一緒にバースデイケーキを「ふーっ」する習慣に付き合ってくれるだけ、まだまだお子さまということか。 行きの車の中で、「僕も14歳。父さん母さん達とケーキを囲む誕生日もあと何回くらいあるかなぁ。」なんて、ませた事を言うので、 「そだね、『誕生日は彼女と過ごすから』って、家族を置いて出かけて行っちゃう日も近いかもね。」とからかってみたら、それは、ないないとぶんぶん首を振っている。 やっぱり、まだまだかわいい。
「かあさん、いろいろつき合わせちゃって悪いんだけど、もう一軒、コンビニに寄ってくれる?」 何か目当てのものがあるらしい。しばし、店内をうろちょろしたあとで、「かあさん、50円貸して」という。始終金欠のオニイ、なんだかおねだりもしょぼいなぁ。やはり欲しいものは金315円也のトレーディングカード。 ま、誕生日だしいいかと菓子パンと一緒に精算すると、オニイ、ピョコリと頭を下げて「ありがとな、これ、一生分のわがままにする。」という。 「おいおい、一生分のわがままをたった300円のカードで使い切ってしまってええんかい?」とツッコミをいれると、う〜んとうなっている。
「たとえばさ、公立の学校落ちかたら私学へ行かせてとかさ、『自分探し』の旅に出ますとかさ、そういうわがままってこれからまだまだありうるよ。 『結婚します』と連れてきた彼女が、バツいち子持ちチョー年上でおまけに『ニホンゴ ワカリマシェ〜ン』とかさ。」 畳み掛けるように訊くと、オニイますますうなって考え込んでいる。 「う〜ん、そやな。ありうるな。」 ・・・って、どれが?まじめに考え込むオニイに新たにツッコむのも怖い。 まだまだ、君の一生分のわがままはこれからだね。 「じゃあさ、母さんの一生分のわがままってなんだった?」 オニイ、しばらくして改めて訊く。 「そうねぇ、一浪までして4年制の大学に行かせて貰った事とか、そんなに苦労してなった教職をたった3年ほどであっさり辞めて結婚しちゃった事とか・・・」 そうだなぁ、私だって若い頃には、父や母には結構好きなことさせてもらったけれど、その割にはそれに見合うような立派な生き方はしていないよなぁ。 結婚してから後だって、「もう一人」「あともう一回だけ」と5回の妊娠出産を経て4人の子の母となる事が出来たのも、父さんが私のわがままを「しようがないなぁ」と心優しく受け入れてくれたからかもしれない。 我が家の子ども達がぐうたら放題の母の行き当たりばったりの育児に愚痴るでもなく、大きな非行にも走らずすんなりと育ってくれてくれているのも、もしかしたら彼らが私のわがままを「しょうがないなぁ」と不承不承受け入れてくれているからかもしれない。 人が自分のやりたいと思うことを押し通すという事は、他の誰かにとってはその人のわがままを「しようがないなぁ」と笑って見逃してもらっているという事なのかも知れないなぁと思う。
何だか自分で仕掛けた網に自分で引っかかるような、ばかげた思考がいつまでも付きまとう。 私がこれまで生きてきた中でずいぶん頑張って自分で勝ち取ったと思ってきた事柄の多くは、誰かが「しょうがないなぁ」とハラハラしながら受け入れてくださったたくさんのわがままの賜物でもある。 そして今、果たして私は、それに見合うだけの何かを「わがまま」の代償として誰かにお返しするだけの度量を持ち合わせているのだろうか。 子ども達の、夫の、そして他の誰かの「こんな事がしたい!」「こんな風に生きたい!」という強い想いを、「しょうがないなぁ、頑張ってやってみ」と笑って見守っている強さを持つ事が出来るのだろうか。
オニイ。 道しるべのない真っ白な地図の上を生きていく君の未来には、これから先「一生分のわがまま」を使う機会は無数に転がっているんだよ。 たった300円のカードのおねだりを「一生分」と表現する遠慮深い君にも、近い将来本物の「一生分のわがまま」を主張しなければならない日がやってくる。 そのときまで「一生分の」なんて言葉は大事にとっておきなよ。 母もその日が来るまでに、君のわがままを全力で支える度量と体力とそしてなけなしの財力を蓄えておく事にする。 14歳。 これからの君の「一生分のわがまま」が楽しみだ。
昨日のアユコ、ゲンの個人懇談に引き続いて、今日はオニイの三者懇談。 先生との和やかな世間話で笑うことの出来る懇談やら、けんか覚悟でひそかに拳を固めていく懇談やら。 毎年の恒例ながら、そこそこ母もくたびれる。
で、オニイの三者懇談。 約束の時間の少し前に教室前に付くと、まだ前の親子が懇談中の様子。 「早すぎたかねぇ。」とオニイと話していたら、教室の中から「うるさいわ!」と外まで聞こえてくる男の子の大きな声。 「なんか、長引きそうだねぇ。」と、オニイと顔を見合わせる。 果たして、私達の懇談はとても予定時間には始まりそうに無かった。 どうやら、懇談の主はちょっとだけ顔みしりのA君。 いかつい体格にも似合わず人懐っこく、ちょっと甘えたような物言いが可愛い子だなぁという印象を持っていたのだけれど、相手が自分の親だとああいう激しい物言いになったりもするんだな。 オニイの話ではAくん、最近、答案用紙にわざと見当違いの答えを書いて叱られたりしていたという。学校とか親とかいろんなものに突っかかったり、抗ったりしたくなったりするお年頃なのだろう。 予定時間30分ばかり過ぎて、ようやくA君親子が教室を出てきた。 にゅっと背の高いAくんとそれよりずっと小柄な人のよさそうなお父さん。 「お、悪いな」とオニイにでもなく私にでもなく、ニッと笑って手を上げるAくん。変に悪ぶった様子もなくて、どちらかといえばあどけない素直な笑顔。 なぁんだ、こんなに立派な体格になってもまだまだ子どもじゃん。中学生の男の子って、まだまだこういう宇佐なさが残っているもんなんだなぁ。 ちょっとホッとした思いで入れ替わりに教室へ入る。
最近の体調や生活態度、定期試験の成績、宿題や小テストの提出状況など、先生からいろいろと報告を受ける。 1学期よりずっと体調も落ち着いて、遅ればせながら試験勉強の習慣も身についてきたこのごろのオニイを、親としては結構頑張っている方だと思っていたし、先生からも「ま、この調子で来学期に期待」という感じ。 それこそ「うるさい、黙れ」と声を荒げるような事もなく、穏やかな懇談内容。予定された15分の間に、長期欠席している友達の話や先日の校外学習のことまでニコニコと雑談して、退席してきた。
突拍子もない非行に走るわけでもなく、反抗して声を荒げるわけでもなく、親や先生の言葉にはい、はいと素直と頷き、悪い所を指摘されるとしゅんと項垂れる。机上に置かれた定期試験の成績の一覧を、恥じ入るようにぺらりと裏返す。 なんだかなぁ。 こんなもんかなぁ。 直前に聞いたA君の怒声のせいか、今日は妙にオニイの素直ないい子ぶりや自信なげなうな垂れぶりが気にかかる。 日頃の言動や振る舞いから、今のオニイがこの年齢ならではの矛盾や葛藤をたくさん抱えているだろうという事はよくわかる。大人を批判したり世の中の矛盾に憤ったり、そういうわらわらと燃える強い感情が多分オニイの中にも芽生え始めているに違いない。 けれどもその感情は弟や妹達への小言とか、ちょっと斜に構えたような皮肉な口調で発散するくらいで、激しく大人にぶつけるというような事はない。まだまだA君のようになや先生に対する気まぐれな怒声やたわいない反抗の形で表和してもいい年頃なのにと、少々物足りなく思ったりする。
生真面目で心優しい息子を持って、「物足りない」というとバチが当たるかもしれないけれど、どこかでオニイが自分の感情を激しく大人達にぶつけ、強い自己主張をする日のことを期待している自分に気付く。 よくも悪くも、子ども達はなかなか親の希望する通りには育っていかない。 ないものねだりは親の身勝手と銘じつつ、オニイとともに校門を出る。 母と並んで歩くのを恥じて、さっさと数メートル先を早足で帰っていくオニイのひょろりと伸びた華奢な背中を追いかけて歩く。 しっかり一人で歩け、オニイ。 明日は君の14歳の誕生日だね。
アプコ、幼稚園の生活発表会。 「絶対絶対、みにきてね。」といいながら、「何に出るかは、内緒よ」と嬉しそうに待っていた本番の日。 我が家で最後の発表会ということで、年末仕事に追われる父さんも仕事を中断して駆けつけた。 先生方の苦心の作の可愛いお衣装を身につけて、ピョンピョンと楽しげに踊るアプコ。 最後まで緊張して表情の硬かった昨年と違い、終始ニコニコと笑って演じる様子に父さんと二人、思わず頬が緩む。 忙しい年末仕事のさなか、楽しい思いをさせてもらった。
「ねぇねぇ、おかあさん、空と空はつながっているし、道と道はつながっているけど、夢はつながらないよねぇ。おんなじ夢は見ないもんね。」 そういえばこの間、アプコがまた禅問答のような質問をした。 演目の最後は、年長クラスの合奏と合唱。年長さんの合唱には、いつも結構難しい「泣かせる」曲が用意されるのだが、今年は「君と僕のラララ」という曲が選ばれた。アプコはこの曲が痛く気に入ったらしく、家でもしょっちゅう調子っぱずれの鼻歌で歌っていたりする。 はじめ、その質問の意味がちっとも意味が分からなかったんだけれど、どうもこの歌の歌詞の事を言っていたらしい。
「夢っていうのはね、夜、寝てるときに見る夢だけじゃなくてね、『大きくなったらこんな人になりたいなぁ』とか『こんな事やって見たいなぁ』とか思い浮かべる事も夢っていうんだよ。」 噛み砕いた言葉で説明すると、アプコ、初めて聞くような「へぇー」という表情。おしゃべりも得意になって、毎日ひっきりなしに新しい言葉を覚えてくるアプコだけれど、結構はっきりした意味や使い方が判らないまま、聞き流したり類推したりしている言葉がある。大人からすれば当然知っているものとして使っている言葉が、意外と子どもにとっては未知の言葉なのだなぁと驚いた。 「この歌、なんか、いいねん」 園でお友達と何度も何度も練習し、鼻歌にまで出てくるようになったこの曲を、アプコはとても好きだという。 「夢」という言葉ももう一つの意味を知らなくても、アプコにはこの歌に流れる暖かい気持ちや希望の想いがなんとなく伝わっているのだろう。 友達と声を合わせて歌った歌を通して、「夢」という言葉を獲得するアプコを幸せに思う。
幼稚園の玄関脇には出入りの業者さんたちが宣伝のために並べた色とりどりのランドセル。 「この色のがいいの。赤いのにしてね。」と何度も念を押すアプコに、 「あらそうなの?おかあさんは黄色か青のがいいと思って探してるんだけど・・・。」とわざと意地悪を言ってからかってみる。 「あかん、あかん。黄色のなんてないよ。青は男の子色だし・・・」と切り返すアプコは大真面目。 うそだよ、うそだよ。 お母さんだって、アプコが真新しい赤いランドセルを背負って学校へ行く日をずっと夢見ていたんだよ。アプコが生まれるずっと前からね。 アプコの夢とお母さんの夢、ちゃんとつながっているんだね。
PTAの広報紙の仕事がほぼ一段落。 案の定、原稿提出から校正、写真のチェック、印刷代交渉と最後の最後までバタバタと駆けずり回ったが、今日、ようやく最終稿を印刷所へ持ち込み。 後はゲラチェックが通れば、本印刷、配布の運びとなる。 まずはめでたしめでたし。
印刷所の帰り、晴れ晴れとした気分でいつもと違うスーパーに寄った。 「お買い得品」の山の中に、とてもきれいなイチゴが格安値段で並んでいたので、きっとアプコが喜ぶなと2パック、カゴに入れる。いつもなら、冬のイチゴなんてめったに買わないのに、やっぱり大仕事を終えて、気持ちが緩んでいるのだなと確かに自覚する。 夜を徹してのパソコン仕事や、昼食時間も惜しんでの編集作業。 ここ10日ほどは、広報紙のことが四六時中頭から抜けなくて、家事もずいぶん手抜き気味。買い物にも十分心を掛ける事が出来なかったので、冷蔵庫の食材も少々品薄だ。今夜こそはちゃんとした晩御飯を作るぞと野菜や魚を次々とカゴに入れていく。 レジの列に並んで長いレシートとともにジャラジャラとつり銭を受け取ろうとした時、レジの人の手からぱらりと数枚の硬貨がこぼれ落ちた。 「あ、ごめん」 とっさにこぼれ出た謝罪の言葉。 「いえ」 と、レジの人。 硬貨を取り落としたのはレジの人で、私は受け取る手すら出していないので、別に私が謝る理由はかけらも無いのに、なんで先に「ごめん」の言葉が出てしまったのだろう。反射的にかえってきた「いえ」の返事も考えてみれば変だ。「すみません」をいうのは、取り落とした彼女のほうだ。 なんだか「ごめん」を一回分、損した気分。 かといって、改めて正すほどの事でもないので、なにごともなくつり銭を受け取ってレジを出た。
ほんの些細な一こまだけれど、後からつらつら考えてみると、近頃私は何度も無駄に謝ってきたような気がする。 広報の仕事が押し迫ってきて、原稿の編集や校正をめぐって、「お手数かけて悪いけど、書き直してくださる?」「せっかくやってくれたのにごめんね。なおさせてね。」と各委員さんたちとのメールのやり取りが続いた。 「悪いけどアプコの迎えに間に合わないんだ。行ってくれる?」「急な用件が出来て買い物が出来なかったよ。ばんごはん、ショボくてごめんね。」と家族に言い訳する事も多かった。 「こうして欲しい」と面と向かって言う代わりに、「悪いけど・・・」「ごめんね・・・」を枕詞にして、やわらかくお願いしているつもりになっている自分に気付いてちょっとイヤになる。 その言葉の裏側には、「こんなに頑張っている私」とか「こんなに回りに気遣っている私」の意識があるようで、当然相手が「イエス」といってくれることを期待しているような気持ち悪さがある。 そこには、「ごめんね」の言葉が持つ本来の謝罪の気持ちや心遣いの気持ちが見えなくなっていたのではないだろうか。
たとえば「すみません」という言葉を、本来の謝罪の意味ではなく、「ちょっと、○○さん」というような呼びかけの意味で使うことがある。 時には「ごめんなさい」や「ありがとう」の代わりに使うこともある。 相手の名前や行為、自分の気持ち等に直接的に触れることなく思いを伝える便利な言葉としての「すみません」という語を使う。その曖昧さがなんとなくイヤになって、「すみません」という言葉を避けた事があった。 嬉しかったときには「ありがとう」と、申し訳ないと思ったら「ごめんなさい」と、はっきりと気持ちを表す言葉を選んで使うようにしたいと思ったのだ。 それなのに今、忙しさに甘え、人間関係のトラブルを慎重に避けるためだけに、必要以上に乱発して「いい人」になった気になって使う「ごめんね・・・」「悪いけど・・・」という枕詞のイヤラシさはどうだ。 自分では触れてすらいない硬貨の散乱に何のためらいも無く、習慣のようにとりあえず「ごめんね」という言葉を使っておく安直さが、ますます鼻について自分がいやになる。 本当に「ごめんね」といわなければならなくなった時、使い古されてぺらぺらになった「ごめんね」に本当に心を表す深い意味をこめる事が出来るだろうか。 大量生産でばら撒かれた「ごめんね」の中から、本当に心を込めた真実の「ごめんね」を誰かに見つけてもらうことは出来るだろうか。 そして何よりも、本当に「ごめんね」といわなければならないタイミングを、私自身が見失ったり取りそこなったりする事は無いだろうか。
「無駄に謝る」という変なフレーズが頭に浮かぶ。 それは時には円滑な人間関係を維持するために必要不可欠な処世術でもあるのだけれど、無意識のうちに「とりあえず謝っておく」という安直な逃げ道を選ぶ愚鈍さがイヤだ。 自戒を込めて、改めて心に決める。 意味の無い「ごめん」を乱用しない。 伝えるべき気持ちは、曖昧に濁さない言葉で述べる。 「ごめんね」に甘えない。
園バスから降りてきたアプコがプンプン怒る。 「今日、お弁当にお箸が入ってなかったよ!」 わぁ、ごめん、ごめん。 これはほんとにホントの「ごめん」 お買い得イチゴで御勘弁を・・・。
父さん、年末仕事が立込んできて家へも香合の仕事を持ち帰ってくるようになった。 コタツに入って背中を丸めて、細かい仕上げの仕事を続ける父さんにアプコが甘えてしなだれかかり、ちょっかいを出す。 「こら、アプコ、父さんは大事な仕事中や。邪魔したらあかんで。」 説教ジジイのオニイがアプコを叱る。 「人間にとって仕事っちゅうもんはな、『誇り』っていうかなぁ、人生の『目標』っちゅうかなぁ・・・・」 なんだか難しい言葉をいっぱい引っ張り出して、大真面目に説教を垂れはじめる。 「へぇ、オニイ。君にとっては仕事が人生の究極の目標なの?」 オニイのまじめをからかって、母、さっそく、ちゃちゃを入れる。 「うん。そうちゃうのん?このあいだ、『しごと館』の人がそう言ってたで。」 「ふうん、そんなもんかなぁ。」
先日、オニイは校外学習で「わたしのしごと館」という施設に出かけ、簡単な職場体験実習をさせてもらってきた。オニイが参加した漆塗りなどの伝統工芸の他にも、精密機械の組み立てやTV番組の制作現場など多種多様な職業のさわりの部分を体験させてもらう事の出来る人気の施設だという。 フリーターやNEETと呼ばれる若者が増え、働くという事に対する意欲を小中学生の頃から職業教育として経験させておきたいという試みなのだろう。 近頃の職業教育は誠に至れり付くせりだなぁと感嘆するばかり。 オニイ、事前の職業適性検査では「芸術家向き」と判定されて、ひそかに心地よくなってかえってきたらしい。 多分そこでのレクチャーの中で、「人間にとって、働くという事は大事な事だ。」「自分でそれを誇りと思えるような職業を見つけなさい」というようなことをいわれてきたのだろう。生真面目なオニイは、真正面から受け取って感化されてかえってきたようだ。
「父さんにとって作品を作るということは、大事なことやろ。だから、仕事中はふざけたり、べたべたくっついたりしたら、あかんねんで。」 オニイ、今度はアプコにもわかるようにかんたんな言葉でアプコを諭しはじめる。その口調がなんとも真面目で、誰かさんの口調にそっくりなものだから、母もますます面白がって、更にツッコミをいれる。 「でもなぁ、オニイ。父さんは仕事も好きだけど、アプコとへらへら戯れるのも好きなんとちゃう?なぁ、おとうさん?」 父さん、母の意地悪を察してへらへら笑っている。 「仕事も大事だけどさ、家族だって大事じゃないのさ。君は仕事と家族とどっちを優先するの?」 オニイも母が面白がってわざと混乱させようとしているのに気付いて、ムキになってくる。 「だってさ、男にとって仕事ってのはさ、だってさ・・・」 男にとって・・・だってさ。
「仕事か家庭か」はさておいて、中2になったオニイの中になんだか生真面目な職業観が育ちつつあるという事が頼もしく思えた。 父さんの仕事の大変さも、働くという事の大切さもしっかり理解してくれるようのなってきたのだということが、父さんも母さんもホントはとっても嬉しいんだ。 そのこともきっと君は気付いているんだよね。
急遽、予定変更で朝から行うことになった焼き芋大会。 子ども14人、大人4人が三々五々集まってきて工房周りやお茶室の落ち葉かき。 かき集めた落ち葉を子ども達がえっさほっさと運んで大きな落ち葉の山を作る。傍らでは女の子達が洗ったお芋を新聞紙で包み、びしゃっと水に漬けてアルミホイルで包む。 火をつける前に、小学生の男の子達が出来上がった落ち葉の山にダイビングし、頭の先まで葉っぱにもぐりこんでひとしきり遊ぶ。
皆を集めて、落ち葉に点火。去年は全員にマッチで火をつけさせてみたが、今年は100円ライターでの点火をやらせてみた。 家庭の中で実際に火を扱う事が少なくなり、中学生のオニイたちですら慣れた手つきで一発点火と言うわけには行かなくて、父さんがライターの持ち方からレクチャーして、何度も火を点けさせてみる。 さすがにお父さんが愛煙家という女の子だけは何のためらいもなく点火する事が出来て、面白かった。
焚き火が始まってからは、小学生の男の子達は火の番を大人に任せて、裏山に登ったり、地べたの上に車座になってカードゲームをしたり、おやつを食べたり・・・。 残った中学生と女の子達は、「鍋奉行」ならぬ「焚き火奉行」の大人たちの指導の下、ああでもないこうでもないと突付いたり扇いだり、落ち葉を足したりして、焼き芋の火加減を見る。 子ども達のお付き合いと言いながら、大人たちにとっても年に一度の火遊びは楽しい。 毎年毎年、効率よくこんがりと芋を焼く手順を研究しながら火の番をするのだけれど、翌年集まったときには前回の研究成果はあまり生かされていなくて、「来年こそは・・・」と課題を残すのも面白い。 ちょこちょこと手慰みに焚き火の世話を焼きながら、おしゃべりに花を咲かせる穏やかな時間。 山の緑が最後に運んでくれる冬の楽しみ。 ありがたく味わう。
天気予報の言うとおり、ポツリポツリと最初の雨粒が落ちてきた頃、ホクホクのお芋でおなかいっぱいになった子ども達はめでたく散会。 洋服にしみこんだ煙の匂いと新聞紙に包んだ焼き芋をお土産にそれぞれのうちへとかえっていく。 後に残ったのは、ほんの小さな一山の灰。 あんなにたくさんの落ち葉を燃やしたというのに、結局いつも後に残るのはあっけないほど少量の灰の山。 夜、雨足が強くなった。 みんなできれいに掃き清めた歩道や庭にまたひとしきり木の葉が降る。 山の営みは休まず続き、本格的な冬への歩みをとどめる事はない。
気がかりな事をいくつも同時に抱えていて、心がざわざわ騒ぐ。 PTAのこと、広報紙の仕上がりのこと。 父さんの忙しい年末仕事の事。 やりたいのに滞っている家事のこと。 家族の健康の事。エトセトラエトセトラ・・・・。 一つ心が揺れ始めるとそれに連動して、気がかりや難儀な事が次々と頭に浮かぶ。 ざわざわは、勝手に自己増殖を繰り返すらしい。 そして目下のところ差し迫っているのは、明日の焼き芋大会。 子ども達がそれぞれの友達を呼んで、工房の庭の落ち葉をかき集め、焚き火で焼き芋をする。 天気予報は午後から雨。 当初、午後から集まってはじめるつもりだったが、急遽午前中に予定を変更。降り出すまえにちゃっちゃとはじめないと、いったん落ち葉が雨にぬれてしまうと厄介だ。 あちこちに予定変更の連絡を入れる。 あとはテルテル坊主に願をかけるのみ。 ざわざわ、ざわざわ・・・。
エンドレスで続く忙しさや、いつも心のどこかに引っかかっている気がかり、やらなくてはならないのに放置してある案件。 そんなものがいくつもいくつも重なってくると、時々ざわざわ心が騒いで苦しくなってくる事がある。 「次々にやらなければならない仕事があるってことは幸せな事よ。」 いつも、忙しさを愚痴る父さんをそういって慰めるけれど、ほんとに参ってくるとそういうポジティブな考え方を支えきれなくなって、凹んでしまいそうになる。 「あれもこれも投げ出して、いっそ無人島へでも逃げ出したい。」 私の場合、しょうもない愚痴の合間に「無人島」と言う言葉が出ると要注意らしい。「無人島」の赤ランプが点灯すると、いかんいかんと気持ちの切り替えをはかる。
とりあえず、今夜はテルテル坊主の効果に期待して、ふて寝を決め込む。 そして明日雨が降る前に、山積みの落ち葉と一緒に、ぱーっと騒いでもやもやざわざわも燃やしてしまおうと思う。 明日天気になぁれ。
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