月の輪通信 日々の想い
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2004年05月26日(水) 小さな胸に

買い物に出た。
この日曜日のお茶会用に、子どもたちの「ましな服」を買う。
アユコには以前に用意してあったコットンのワンピースがあるので、服を買わずに新しいブラを買った。
ショーツとセットになったブルーの水玉模様のブラのサイズはA65。
ジュニア用のスクールブラの中では一番小さいサイズ。それより小さいサイズになるとカップやホックのないスポーツタイプのブラが主流になる。
ほんとなら、やせっぽちのアユコにはまだまだそちらの方がいいのだけれど、デザインの選択の巾はぐんと狭くなる。ストラップとホックのついたおねえさんタイプの方が断然可愛いのだ。
「そのうち成長するんだし,大きすぎても、ま、いいか。」
母の好みでちょっと背伸びをしたお姉さんタイプのセットを買った。
「こんな小さなブラで、間に合っていた少女の頃が懐かしいわぁ。」
帰り道に出会った友人に買い物袋の口を開け、買ったばかりのアユコのブラを見せる。
「ホンマになぁ、はるか昔のことで忘れてしもたわ。」
と二人で笑う。

アユコがブラを付け始めたのは去年の秋。
まだふくらみはないけれど、白いTシャツなどを着ると可愛いさくらんぼのようなぽっちりがちょっと目立つ。
ホントはアユコの初ブラジャーはもっと以前に買ってあったのだけれど、「見てみて、こんな可愛いブラを買ったよ」と見せたとたん、なぜだかぽろぽろと泣かれてしまい、「いいよいいよ、無理してつけなくったって・・・」と引き出しの奥にしまいこんでいたのだった。
秋になり、トレーナーやセーターを着るようになって、下着の線が外からわからなくなると、アユコは自分でブラジャーを引っ張り出してつけてみるようになった。
少女の心は誠に繊細で複雑だ。
大人の入り口に立つ嬉しさと、「あの子,つけてるんだって。」とうわさの的にされたくない恥ずかしさで,少女の心は揺れ動く。

「Aちゃんは、私よりずっと胸も大きいのに、おうちの人はブラジャーをつけなさいって言わないんだって。」
まるで「いいなぁ、門限がゆるくって・・・」とでも言うような、うらやましそうな口調で言うアユコ。
確かに私の目から見ても、仲良しのAちゃんはアユコよりずっとナイスバディで、そろそろノーブラではハラハラと危なっかしく見える女の子。
はじめてのブラを着けるタイミングは難しくて、いつまでも子どものように見える娘に「異性の視線」を意識させるのにも抵抗はある.
でも、これからの薄着の季節、やっぱり女の子は自分の身を守ることもおしえておかなくっちゃなぁ。

「ねぇ、ブラジャーを着けるのって,そんなに抵抗があることなの?」
思春期のデリケートな心情など太古の昔のことになってしまった母は、改めてアユコに訊く。
「母さんは、はじめてのブラを着けた時、とても嬉しかった気がするんだけれど、アユコはそんなに嫌々着けてるの?」
「う〜ん、そうでもないんだけどね。」
やはり友達の目や、日々変わっていく自分の体が気になって仕方がない様子。
「そっか、確かに面倒臭いものね。
でもねぇ、お母さんにとっては娘のはじめてのブラジャーを選んでくることや娘のTシャツの背中にブラの線が見えるようになることって、なんだかとっても嬉しいことなのよ。」
素直にうなずくアユコの視線がたまらなく愛しくなる.
「お母さんは、アユコに可愛いブラジャーを買えて、わくわくしてとっても嬉しかった。
Aちゃんのお母さんだって、ホントはAちゃんと一緒にはじめてのブラを選ぶ日を楽しみにしているのかもしれないね。」

幼い娘が成長し、自分と同じ「女」としての門をくぐる。
その時の晴れやかで暖かい母の幸せを、少女の頃の私は理解していたのだろうか。
「おかあさん、新しいの、買ってくれてありがとう。」
お風呂の前に、微妙に大き目のブラを身につけて、こっそり見せてくれたアユコは確かに今のわたしの喜びを充分に汲んでくれている。
アユコは賢い娘になった。 


2004年05月25日(火) 41才の5月

晴れやかな初夏の1日,
私はまた一つ年齢を重ねた。
父さんがいつものように,こそこそっと仕事の合間にこしらえた手製の陶のバレッタを贈ってくれた。
子ども達は数日前に,駅前の出店で買ってきた鉢植えの草花を贈ってくれた。
この前、実家の母が「今年はピンクのマーガレットを植えてみたよ。」といっているのをきいて、「あ、いいな、うちにも一株欲しいな。」と洩らしたのを誰かが聞いていたのだろうか。たくさんつぼみをつけたマーガレットは、これから幾日も可憐な花を楽しませてくれるだろう。
「もう、みんなで祝ってもらうほどおめでたい年齢ではなくなったよ。」
といいながらも、今年も晴れやかな青空のまぶしい日に,新しい年齢を重ねられることが、なんとなく嬉しい。
私は自分の誕生日のある、緑あふれるさわやかな5月が大好きだ。

「誕生日、おめでとう。」
珍しく朝から、実家の母が電話をくれた。
「ありがとう、私を産んでくれて・・・。お父さんにも『つくってくれてありがとう』と言っておいてね。」
母からの「おめでとう」への答えは「ありがとう」と決っている。
毎日毎日、一人前に育った顔をして、母として妻として、そして女としての日常を過ごしているけれど、あの人達の暖かいはぐくみがあってこその今の私。
子どもたちの親となって、はじめて気付いた親の想い。
「誕生日、ありがとう。」
この言葉を照れずに口にすることができるようになったのは、ほんの数年前のことだ。

41歳になった。
去年の5月、「ついに私も40代か」となんだか憂鬱に思うことが多かった。
今年5月、私の身の回りの状況は去年の5月よりもずっと厳しい。
子どもたちのこと、父さんのこと、仕事のこと、そして、自分自身の生き方のこと。
あれやこれやと思い悩んで、うっと胸が詰まるようなことや、「やーめた」と投げ出してしまいたくなることをいくつもいくつも抱えている。
それでもなお、41歳は40歳よりも生き易いのではないかと言う気がしている。
40代の自分がようやく自分のものになり、悪あがきをせずにすんなりと今の自分を受け入れる。
そんな安心感が41歳の誕生日の晴天をこれほど愛しく感じさせてくれるのではないだろうか。
「大丈夫、それでもお日様は今日も私を照らしてくれる。」
新緑あふれる5月の陽光は、四十女のうじうじと続く憂鬱をカラリと照らして、パンパンと埃を払う。
うるわしき5月。
私を5月に産んでくれてありがとう。

「みんなで祝ってもらうようなおめでたい年齢じゃなくなったよ。」
でも、私は自分自身の41才の5月を祝う。
誕生日、ありがとう。


2004年05月24日(月) 外から見ると

オニイ、快復中。
先週いっぱい,中間テストをはさんで,「少し,遅刻」とか、「少し早退」しながらも何とかかんとか学校へ通える様になったオニイ。
相変わらず,腹痛は残っていて,日に何回かは長〜いトイレタイムがあるようだが,気持ちの方はずいぶん晴れやかになり、表情もよくなってきた。
過敏性腸症候群と言うやつは,結構長期間症状が続くことが多いという。原因となったストレスがある程度解消しても、体の症状は後に残るものなのだろうか。
どちらにしても、オニイはまた一山超えたようである。
今朝は定時に出かけていって、部活まで済ませて帰ってきた。
また休む日もあるだろうし,それはそれでよし。
長いトイレに入るときには「来た来た来た,誰かトイレ行くやつおらんか?入るぞ」と兄弟達に呼びかけ、急ぎの人を先に入れてやる知恵がついた。
おなかにガスがたまってっかいおならをするときも、「ごめんよ。」と笑っている。
何時までも残る症状との付き合い方を彼なりに学習してきたようだ。

今度のことで,オニイのストレスの原因についていろんな人の考えを聞いた。
誰かのいじめ?
新しいクラスの中での疎外感?
「赤信号を渡らない」生真面目さ?
自分にも他人にも「正しい」を要求する思春期の厳格さ?
4人兄弟の長兄としての、責任感?
窯元の後継ぎとしてのプレッシャー?
いろんな人が日頃のオニイが見せる言動や、家庭環境からいろんなストレスの原因を推測してくれた。
トイレから出てこない青い顔のオニイをおろおろと見守るだけのよわよわの母にとっては、他人から指摘されるオニイの弱点は「それぞれごもっとも」で、私達のこれまでの子育てのどこかが間違っていたのではないかと疑心暗鬼の穴に落ちた。
長男であるオニイに期待もしている。
心優しきオニイいは母の思惑を何時も推し量って,期待に応えてくれようとする。
少々のいじめにあっても、心の根っこはつぶされない。
そんなオニイへの信頼が、却って彼のプレッシャーになったのではないかといわれるとぐうの音も出ない。

スクールカウンセラーと言うおばさんにも会った。
初対面の私から、彼女はまず家庭環境を訊いた。
4人兄弟の第1子であること。生真面目で,これまでいじめの被害に遭ったことがあること。自分にも他人にも,正しいことを期待する正義感が強くなってきたこと。
ちょこちょことメモしながら私の話をうんぬんとうなづいて聴くカウンセラーの態度に「ああ、カウンセラーの定石にはまったな。」と感じた。
彼女は、後から連れて入った色白でひょろりと痩せためがねのオニイをみて、理屈っぽい物言いや、美術や読書、パソコンが好きと言う話を聴いて,担任の先生から「窯元の跡取息子」と言う情報を得ると,嬉しそうな顔をした。
「両親の過大な期待を受けて,まじめなよい子を続けてきたナイーブな少年。
将来の進路や長子として期待されているものへのストレスが、思春期の少年の心と体のバランスを崩させた。」
まさにこの年代の少年のカウンセリングでは、教科書どおりの素材とうつったにちがいない。
若い時に少しカウンセリングの勉強をかじった私には,「あ、この話題にはきっと食いつくぞ。」とカウンセラー先生の次の一手がよく見えてきた。
凹んだ気持ちの私には,彼女が指摘するオニイの葛藤には一つ一つ思い当たるフシもあるのだけれど、それでもなんだか彼女が教科書どおりの型にはめてオニイの事を診断しようとしているのが感じられる。
それと同時に,外見や日頃の言動,生育した家庭環境や周囲の状況から見ると,オニイと人物はそういう少年にみえていたのだなぁとよくわかった。

「お仕事のことで、彼と弟さんを競わせるようなことをしませんでしたか。」
と訊く人もあった。弟と将来、どちらが家業を継ぐかと言うことが、オニイのストレスの原因ではないかと疑っている様だった。
そんな馬鹿なこと,するわけがないじゃないの。
「『お兄ちゃんだから』と我慢させることが多かったんじゃないですか。」と言う人もあった。とんでもない。幼い頃から、どんなに気をつけて私がその言葉を使わない子育てをしようと気を配ってきたことか。
「まじめで几帳面ないい子を演じるのにくたびれたんじゃないですか。」
何が几帳面なもんかい。机もかばんの中もいまだにぐっしゃぐしゃ。だらだらと気を抜きまくっているオニイに,「いい子」を演じようと言う自覚なんてあるもんか。

少し元気が出てきた今だからこそ,こうして一つ一つ、ばさばさと斬り返すこともできるのだけれど,弱気の時にはそんな指摘にいちいち胸を突かれた。
「お母さんの育て方になにか問題があったのかしらん。」
何度も何度も、オニイ本人に訊いてみたい衝動にかられた。
「いったい君のストレスの原因って何なんだろう。」
実際,何度も何度もオニイに訊いてみた。
「カウンセラーの先生の言うことも,他の先生達が言ってることも,あんまりあたっている様には思えないよ。」
弱気の母を思い遣ってか,本当に見当がつかないのか、オニイ自身は他人が勝手に推測してくれた自分のストレスの原因をすんなり、「その通りです。」とはいわなかった。多分,自分自身の本当の気持ちは、担任の先生や友達や,ましてや初対面のカウンセラーのおばさんにあっさり、解釈がつけられるものではないということがよくわかっているのだろう。
かえって、よその誰かさんに指摘されたことでいちいち心を震わせている母の弱気を叱咤しているようなオニイの発言。
この頑固な強さがある限り,私はっともっとオニイ自身の力を信じてもいいのではないかと思えるようになった。

一人の人間をそのプロフィールや,外見からある種の型にはめて推し量ってしまうのは日々の生活の中でありがちなことではある。
「子沢山の母は、子ども好きに違いない」とか、「バリバリキャリアウーマンの母を持つ子は,夕飯にレトルトカレーを一人で食べていそう」とか、「父親不在の家庭に育った子はうんと年上の男性に惹かれやすい」とか、いかにもありそうで実際には「余計なお世話よ。」って思ってしまいそうな思いこみって確かにあるある。
でも人間と言うのは型(パターン)ではなくて,やっぱり一人一人なんだ。
母である私は,せめてオニイはオニイとして,「丸ごと一人」を見てやらなければならないのだなと言うことが、改めて心に浮かぶ。
誰かの憶測に右往左往することはない。
私が見ているのは、ずぼらだけど生真面目、心優しくおっとりのんびり屋のこの少年。大事な大事な我が息子。
そう思えたとき,私はオニイのストレスの原因探しをするのをやめた。
オニイがオニイ自身で心の整理をつけていくのを、カラッと笑って見ていてやっても大丈夫だと思えるようになった。
それだけの力はきっと彼の中に育っているはずだ。

「信じて待つ」と言うことの意味がようやく少し、わかってきたような気がする。


2004年05月23日(日) 至れり尽せり

男の子達の剣道の親睦会。
近くのレクリエーション施設でのバーベキュー大会。
レクリエーション係のSさんとYさんがこつこつと準備してくださって,30人あまりの親子と先生方が集う。
今年は準備の手伝いの都合などもあって,私が男の子二人と共に参加。
留守宅ではアユコがサンドイッチを作ってくれて,父さんとアプコのお昼ご飯にしてくれた。
何かの行事と言えば取りあえず,4人の子供は総動員、全員を引きつれて参加せざるを得なかった数年前が思い出される。
洗濯干しや,電話番などの些細な用事も含めて,安心して任せて外出できるようになってきたことが有難い。
バーベキューに参加したオニイも、時々友達との遊びの輪を離れて「何か手伝うこと、ない?」と声をかけてくれたり,私より重い荷物を「大丈夫大丈夫」と運んでくれたり,何かと母を手助けしてくれるようになった。
「いいよいいよ、今日は,みんなと充分遊んで来な。
それから時々小さい子達の様子を見てやって。」
ほんの少し前まで、ゲンと同じように全身ずぶぬれで川遊びを楽しんでいたオニイが、ずいぶん一人前の男ぶったことを言うようになったなぁとまぶしく見送る。
お天気も上々で,久し振りに1日戸外で過ごすには、最適だった。

今回のレクリエーションを企画、運営してくださったのはSさん。
ワゴン車いっぱいの食材や調理用具を準備し,あちこち下見を重ねて買い物をし、おまけに手作りの浅漬けやデザートまで,しっかり下ごしらえをして、誠に至れりつくせりの親睦会だった。
Sさんは普段から家族でバーベキューやキャンプを楽しむアウトドア派。
持ち込んでこられる装備も念が入っている。取りあえず100均とホームセンターのシーズンセールで数だけは買い揃えた我が家のアウトドア用品とは格が違う。
2口のハイカロリーのカセットコンロやら軽くてしっかりしたレジャーチェアやら,密封容器や折畳式の小奇麗なまな板包丁セットまで,「お、普段からやってるな」という感じが実にかっこいい。
我が家が供出した10年選手のバーベキューコンロや、固いものは切れない見掛け倒しの100均包丁が申し訳ない気がしてくる。
宴席が始まってもSさんはくるくると走り回り、子供達に取り皿や飲み物を配り,先生方にビールを勧めて、大忙し。
「Sさん、きっと昨日は寝ないで準備してたんだよね。」
「まだ一口も食べてないんじゃないの。」
と言いつつ,空腹の子どもたちのおなかがおさまるまでは,取りあえず忙しく肉を配り、おにぎりを配る。

我が家でも毎年、5月の大人数のバーベキュー大会をやるので,ホスト側のの準備のしんどさはよくわかる。道具の手配、出欠の確認、収支のやりくり、材料の買出し。あれもこれもとやたらと忙しくて,でもだからと言って,誰かに仕事の一部を分担してもらったり,手を抜いたりすることもやりにくくって、「全部自分でやっちゃった方が早いわ。」とついつい頑張りすぎてしまう。
後から,「ああしんど、そう言えばあたし,ウインナーの一本も食べられなかったわ。」なんて思うこともしょっちゅうである。それでも,結局「皆楽しそうだったし,ま、いいか。」と満足して終わるのだから,それはそれでいいのだけれど・・・。
いつもホスト側でアタフタと走り回っていた様が、ちょうどSさんの忙しい背中に見え隠れして,なんだかちょっと苦しかった。
「手伝えることがあったら言ってね。」
「あたし,何を手伝えばいいかしら?」
と、ゲスト側の人達が声をかけるのは、決してホスト側の不備を補ってやろうというつもりでもなくて,単純に「面白そうだからあたしにもやらせて。」だったりするときもある。
「さあ、私も食べるぞ!たくさん焼いてね。」とホスト役が仕事の手を止めてどっかりと腰を落ちつけて、食べる側に回ってくれた方が気持ちいいこともある。
ホストの「至れり尽くせり」のサービスは、どこか,ゲストの側に息苦しい思いを残すこともあるのだということも勉強になった。

実家では両親が人を呼んでよく庭でバーベキューをした。
子供の友人関係や,親類,ご近所の知り合いなど,ワンシーズンに何度も人を招いた。
メニューの選択、食器や器具の選択,食材の買出しに,父や母はとても熱心だった。
そのくせ,「『何のもてなしもしていません』という風に思わせるのが最大のもてなし」というのが父の口癖だった。
「充分もてなしになってるよ」と思いつつ,毎回,宴席の準備に付き合い,夜遅くまで後片付けに奔走した子供時代。
それでもやはり、人をもてなすということが「しんどいけど面白い」と思えるのは、あの時代にご機嫌よくホスト役を楽しむ父や母の姿を見ていたせいだろうか。

願わくば,孤軍奮闘の1日を終えたSさんが、「しんどかったけど,面白かった」と持ち帰った洗い物の山を片付けながら、うふふと笑ってくれています様に。
お疲れ様,Sさん。
お陰でとても楽しかった。


2004年05月21日(金) 妹になる

ここ数日、PCの調子が最悪で,全く起動しなくなってしまった。義兄が毎日うちに往診に来て,ああでもないこうでもないといろいろ復帰を試みてくれたが,ついに今朝,瀕死のPCくんは救急車で緊急入院してしまった。
代わりにつないでもらっていた骨董品のノートパソコンではさぞかし不便だろうと、義兄が別のPCをつなぎなおしてくれ,ようやく普通にメールやネットが出来るようになった。
来週のお茶会を前に超多忙なはずの義兄の貴重な時間を、我が家のPC如きのために何時間も裂いてもらうのは本当に心苦しい。
でも、メールチェックが出来ない,日記の更新ができない、なじみの日記書きさんにお会いできない日が3日も続くと、何とはなしにいらいらも募る。
「忙しいのに済みません。」何度も何度も頭を下げつつ,「いいよいいよ」と根気良くキーボードを叩きモニターを見つめる義兄の親切に甘える。

実家では私は第1子で、すぐ下の弟とは5つ、その下の弟とは7つ離れている。
当然、呼び名は「お姉ちゃん」
3人兄弟というよりは、どこか親寄りの中間管理職のような姉であった。
10歳年上の夫と結婚して,11歳年上の義兄と9歳年上の義妹が出来た。
「お兄さんがほしいなぁ」と淡い妄想の世界で逞しく頼りになる兄の存在を夢見ていた私にとって、義兄はまさしく「お兄さん」。
40過ぎのおばちゃんになった私を「Nちゃん」と名前で呼び,困ったときにはひょろりとやってきて気持ち良く助けてくれたりする。まさしく「長子気質」である兄にとっては年の離れた弟の嫁は、「しゃあないなぁ」と手を貸さなければならない手のかかる妹の一人なのだろう。
一方,結婚によってはじめて年長の兄弟をもつことになった私にとっては、「お兄さん」という呼称一つ取っても、どこかぎこちなくいつまでもくすぐったい。義兄同様「長子気質」のきわめて強い私にとって,「いいよいいよ」と気持ち良く助け舟を出してくれる義兄の寛大さが,とても有難いくせにしっくりと甘えてしまうことが今だに出来ない。
「申し訳ないなぁ,こんなに時間を取ってもらって・・・」
と居ても立っても居られない気持ちになる。自分一人で問題を処理できないことが情けなくなる。
中途半端な長子気質だなぁとつくづく思う。

「はい、これで当座はネットもメールも出来るようになったよ。また修理に出たPCが戻ってきたらつなぎ直してあげるから・・・」
いつもの如くさらりと言って,仕事場に戻っていく義兄の後姿はまさしく月光仮面だった。
義兄が修理に費やしてくれた長い長い時間を申し訳ないと思いつつ、「やれ,うれしや、メールもネットも出来る!」とそそくさとPCの前に座る。
結婚して15年。
ようやくだれかの妹として「お兄さん」に甘えることの嬉しさに気付きつつある私。
そのことを父さんに伝えようとしたけれど,生まれついたときから誰かの弟だった父さんには微妙なニュアンスが伝わりにくい。
そのくせ,10歳も年上でどこか兄のような気持ちで私を見ている夫にとっては、義兄に甘える嬉しさを語る妻は面白くないに違いない。
「そういうことじゃ、ないんだけどな・・・」と思いつつ,早々に話題を切り上げる私はやはり長子気質である。


2004年05月19日(水) 壊れる 壊す

先々週の日曜日、冷蔵庫が壊れた。冷凍は稼動しているものの、冷蔵はまったくだめ。修理にきてもらったら、基盤の一部が壊れて、霜がいっぱいついていたのが、原因とか。修理費13.000円也。
PTAの用事で慌てて出かけようとしたら、車のエンジンがかからなかった。
プスンプスンと間の抜けた音がする。バッテリーらしい。その前にほんの数十分、スモールランプを点けっぱなしにしていたのが原因らしい。愛車のトッポは年代物なので、バッテリーの容量も少なくなっているのだろう。とぼとぼと歩いて出かけた。
そして、PCが壊れた。ある日突然起動しなくなった。
連日、うちのPC顧問の義兄にきてもらって、ついには初期化、再インストールを試みるが、まだまだ復帰不可能。知らないうちに紛れ込んだウイルスの仕業だろうか。ノートンもしっかり入れて更新していたし、ウインドウズも常に最新だったはずなのに・・。
応急手段として、お蔵入りしていた、古いノートパソコンをつないでもらってメールとネットは何とか再開したが、何せ、骨董品の95である。おまけにモニター画面の真ん中に帯状に何も表示されない部分がある。マウスがないので、なれない操作にいらいらする。速度もめちゃくちゃ遅い。
いつになったらmyPCは復活するのだろう。そもそも、復活するのだろうか。

壊れ物続きで、気分もへこむ。
階段の電球がきれたぐらいでは驚かなくなった。
きっと、私の背後に何か悪い霊でも憑いているのだろう。
父さんもお茶会前、展覧会前に、要らぬ用事が増えていらいらする。
オニイの体調もいまいちで、まだまだ、遅刻や早退が続き、なんとなくうっとおしい。
月曜日、雨で流れたアプコの遠足、「昼から降水確率60パーセント」の中、本日強行。傘をさしてのお弁当、雨の合間を縫っての乗り物は、涙が出るほど楽しかった。
昨日、お茶会準備の買い物に出る件で、父さんと微妙な言い争い。結果、月に2回の七宝焼きの教室に行き損ねた。次回もPTAの用事で行けないというのに・・・。ぷんぷん起こっていたら、父さんが甘い甘い大福とおやつ用の菓子パンをおごってくれた。よしよし・・・。

昨日、ゲンが悔し涙で歯をぎりぎり食いしばりながら帰ってきた。
友達とのふざけあいっこが昂じて、傘で突かれたという。見ると、上の歯茎に小さな傷を作っている。傷は些細なものだったが、傘で顔面を突かれたというのは穏当ではない。少しでも外れて歯にあたっていなかったら、喉を突かれていたかもと思うと、冷や汗が出る。
とりあえず、相手の子どものうちに電話するが、あちらではそれほど危機感は感じておられない様子。子どもには直接「ごめんなさい」を言わせておられたが、微妙な温度差に、いらいらが増す。
ま、大事にいたらなかったのが儲け物。
凹み続きの母はこれしきのことではめげないぞ。

ところで、びっくりしたのはゲンの怪我よりその後の一言。
「あのな、あんまり腹が立つから、僕、自分の傘にあたって壊しちゃってん。」
どれどれ、どうせ、300円の安物の傘だ、母さんが直してやろうと見てみたら、なんとゲンの雨傘は、分解バラバラ。柄も捻じ曲げて、3つくらいに分断されている。もはや傘の形態をとどめていない。
「う、うそ。これ、ゲンが自分でやったの?」
どこに、そんな馬鹿力が・・・?
いつもニコニコ穏やかなゲンの内に秘めた怒りのエネルギーの膨大さ。その激しさのままに、相手に「やり返す」とか「仕返しをする」方に力を向けなくて、本当によかった。きっと傘一本ではすまないおお事になっていただろう。多分そのことはゲン自身、自覚していて、やり場のない怒りを物にあたることで発散しているのだろう。
「物にあたるのは、よくない。ちゃんと言葉で相手に抗議しなさい」と諭すのは簡単だが、やり切れぬ怒りのエネルギーの捨て場所をゲンなりに考えているのだと思うと、叱りかたも慎重になる。

「あのなぁ、ゲン。君の悔しい気持ちはよく分かる。
その気持ちをぶつけるのに「相手にやり返す」ではなくて、「傘を壊す」事に置き換えたのはちょっとだけ偉い。
でもなぁ、ゲン、この傘、ちょっとかわいそうやんか。
どこかの誰かがこしらえてくれた傘じゃないの。
物を作る人になりたいという君が、誰かの作ったものをこんな風に八つ当たりで壊すのはよくないよ。」
少し怒りの熱がさめたゲンに静かに諭す。
うるうると濡れたまつげのままでうなづくゲンはまだまだ幼い。
本当は傘ではなく、私がこの子の怒りを真正面で受け止めてやらなくてはならなかったのだ。
トラブル続きで、イライラと日常の家事をやっつけ、愚痴を言い、子供たちを急き立てていたここ数日の私。
本当に傘をへし折ってしまいたい気持ちだったのは、私自身だったのかもしれない。

それにしても、ゲンがへし折った傘は面白いほど、バラバラだった。
良くぞここまで破壊したなと、笑ってしまう。
3分割されて、見る影もなく捻じ曲げられた傘のありさまは、日ごろめったに物を壊すことのない他の子供たちにとっても、「衝撃の映像」だったようだ。
「この、エネルギーをどこか、他に生かせんか?」
呆れ顔のオニイが、つぶやいた。
本当にねぇ、こんな風に物にあたって爆発することができたら、あんたも楽になるだろうにねぇ・・・。
本当に世の中はうまく行かない。



2004年05月14日(金) 委員長、超多忙

朝、子ども達を送り出してゴミだし。
昨日の豪雨でびしょぬれの傘や運動靴を干して、洗濯を終える。
今日のPTAの委員会の資料をそろえ、父さんと本日の日程を確認後、小学校へ。
今日は第2回広報委員会、授業参観、学級懇談、PTA総会、帰宅後大急ぎで夕食をとり、剣道送迎。
広報委員長初出動、怒涛の一日。

重い資料をドンと抱え、小学校の階段を忙しく登ったり降りたり。
あちこちで役員さんや委員会の委員さんたち、先生方と細かい連絡事項を伝え合ったり、交渉したり。
まだまだその一つ一つは初めてのことばかりで、ごくごく初歩的な瑣末なことなのでだけれど、それでも「ああ、始まってるじゃん」という実感が湧く。
ああでもないこうでもない、こんなことは出来そうにないと、いじいじと考えていたことも、始まってしまえばジェットコースターの如く否応無しにことは運ぶ。    
気がつけば、いつもよりちょっとトーンの高い声で、一日中誰かとしゃべっていたような、少々ハイになっている自分がいる。夜になると心なしかのどの調子がおかしい。
専業主婦の日常にはなかった終日のおしゃべりとこれでもかと続く階段の上り下り。
いつもは面倒だなぁと思う剣道の送迎が、なじみの心休まるドライブに思えて、ああ、今日はいろいろ初体験でくたびれたんだなとようやく気づくことが出来た。

とてもとてもゆっくりだけれど、少しづつ自分が背負った身に合わぬ衣装を受け入れつつある私。
「だめだぁ、くたびれたよぉ」と帰り着いた我が家には、学校でのハイテンションのかけらを振りまく母をちょっと遠巻きに迎える子どもらがいる。
この子らが見てるんだなぁ。
身の丈に合わぬ大役を何とかかんとか受け入れる母。
「大丈夫、なんとかなるよ」と、勢いをつけて飛び込む母。
一年かけて、穏やかな専業主婦生活だけでは見せられなかった、いつもと違う母の背中を子ども達に感じてもらいたい。
「この子等がみている」と思うことが、不器用な母の後押しをしてくれるような気がする。
ありがたいと思う。


2004年05月13日(木) 手をつなぐ

この春から、幼稚園バスの時間がとても早くなって、7時35分には小学生のアユコやゲンと一緒にアプコも大急ぎで坂を駆け下りていくのが日課になった。
とりあえず朝ごはんをかきこみ、ばたばたと運動靴を突っかけて家を出る。
「早く追いついておいでよ!」
と我先に走り出す。
別に小学生組はさほど急がなくてもいい時間なのだけれど、アプコはバスの発車時間に遅れるわけにはいかないので、タッタカタッタカ早足で歩く。
私が早足だと、当然アプコは駆け足。
それでも、ゲンやアユコと一緒に登園できるのが嬉しくて、アプコの足も自然と速くなる。
去年は20分近くかかって下っていた道を、15分ちょっとで今は歩く。
しっかり歩けるようになったのだなぁ。
来年はアプコも一年生、ゲンと二人でこの道を登校していく事になっているのだ。

アプコはいつも私といるときは手をつないで歩く。
実を言うと私はウォーキングもかねて、両手をぶんぶん振りながらガンガン歩いてみたいのだけれど、私の片方の手はいつもいつもアプコの手につながれている。
「ちょっと待ってよ、手ぇつないでよぉ。」
アプコの甘えた声が背中から追ってくる。
「早くしないとバス行っちゃうよ。」
「でも、靴に石がはいっちゃったよぅ」
「う〜ん、早く早く。」
リレーのバトンタッチの如く背後で手をひらひらさせながら歩みを緩めない母。テコテコと追ってくる幼い足音がまだまだかわいくて、ぎゅっと握る手も小さくてあたたかい。

ここ数日、私の空いた方の手にすっと滑り込んでくるのは、ゲンの手。
ゲンは今年で4年生。
「お母さんとお手手つないで」なんてとうに卒業したはずなのに、朝のどたばたにまぎれてこっそりとつながる少年の手。
兄弟で唯一大柄なゲンの手は大きくて、もう「つないでやる」というよりはこちらが「つないでもらっている」というようなしっかりと握り甲斐のある感触に、つなぐたびごとに「あっ」と思う。
もう幼児の頼りなげな甘えるような柔らかさはない。
ごつごつと一人立ちした男の手の強さもない。
恥じらいと甘えと、そしてきっぱりと自分を主張する少年のエネルギーが、手の平のあたたかさを通じて母の胸を衝く。

「ね、なんでこのごろ手ぇつないでくれるの?」
と訊いたら、
「いいやんいいやん」と笑って答えなかった。
もしかしたら、近頃とみに心悩ます事の多い、少々凹み気味の母へのゲンのひそやかなエールだろうか。
「まさかね」と思いつつ、無意識にそういう心遣いを行動に移せるゲンの類稀なる特殊能力のすごさを私は確かに知っている。
「うれしいな、あと何年くらいゲンが手を繋いでくれるかな。」
ふざけて繋いだ手をぶんぶん振りながら、足早に坂を下る。

今、手を繋いでもらっているのは確かに私の方だ。
ゲンの手の暖かさに甘えながら、今日も一日が始まる。


2004年05月10日(月) 儲け物

PTA。お仕事本格始動の前に、副委員長に選ばれた(くじを引いた)人と我が家で集まり打ち合わせ。
若いOさんは、第一子が入学したかと思ったらいきなり副委員長の役を引き当てたという、私以上に不運な人。自営業でフルタイム働いていて、おまけに1歳の赤ちゃんもいるという。なんでこんな人にまで大役を引かせるのか。
「平等なくじ引き」というけれど、これって本当に平等なのかしらん。
でも当人も私同様、自分のくじ運の悪さを笑い飛ばして、前向きに仕事をしてくれそうな雰囲気なので、「とりあえず一年間よろしくね、来年の3月には笑おうね。」と握手。

先日の運営委員会の報告。
連絡網、委員会日程表、アンケート用紙など、この間からこつこつと作っておいた資料の原稿をチェック。
今後の活動方針やこまごました雑用など、限られた時間内に伝えておかなくてはならない内容がすでに山積み。
おまけにOさんは委員会の仕事内容はおろか、小学校での行事のことや我が子の担任以外の先生方の名前も職員室の場所すらも知らない。
とりあえず滔滔と私がしゃべる内容をせっせとメモしてうなづくOさん。
うわ、まだまだ先は長いぞ。

「名簿一つ、こしらえるのもあたしには大変なのよ。」
四苦八苦してこしらえた書類の原稿を手にOさんに愚痴る。
実際、PC歴数年というものの私は、Excel、Wordの基礎すらきちんと学んだことがない。簡単な表ぐらいなら我流でこしらえたこともあるが、やたらと時間がかかる。実際、これまではそれほど必要も感じなかったからそれでよかったのだけれど。

「あ、これだったらExcel使えば簡単にできますよ。」
そこまで、「はい、はい」とおとなしくうなずいていたOさんが、にっこりした。
「あ、パソコン、使えるの?」
「う〜ん、出来るというほどではないけど、Excelぐらいなら・・・」
よしよし、それではとさっそく我が家のPCを起動。あっという間に日程表の枠組みをこしらえてくれた。
「わ、そ、そんなことができるの?へぇ、Excelって偉いねぇ。」
知ってる人にとっては、多分、基礎の基礎の操作のはずだが、私にとっては目からウロコ。
「ふ〜ん、すごいね、かっこいいよ、Oさん。いいよいいよ、あとは自分でやってみるから。」
新しい技術を覚えてなんだかとっても嬉しくなっちゃう私。ちゃんと習得したら今後のお仕事にもきっとしっかり使えそう。
「これをメールで送ったら、お互いに書類の作成の途中で連絡取りやすいしねぇ。」
とはしゃいでいたら、
「あのー、うち、仕事場のPCなのでネットにはつながってないんです。それでもメールできます?」
あ、それは無理かも・・・・
excelやWordは出来てもPCのメールはよく判らないという。もちろん添付ファイルの送り方も・・・・。
PCなんて素人さんにとっては所詮こんなもの。
自分がふだんしょっちゅう扱っているものについては判るけど、専門外のことはちんぷんかんぷん。必要に迫られたときにガリガリ勉強して新しい使い方を覚えていくんだなぁ

「ようし、判ったよ。あなた、これから私にExcelの使い方を教えて頂戴。せっかく大役を引き当てたんだから、一年かけてExcel覚えるわ。一年間で何か儲け物もなくっちゃね。よかったら、私もメールやネットのこと、わかる限りで教えるよ。」
ちょっとうっとうしい思いで始動した委員長役だけれど、思いがけないところでちょっとした副産物がありそうだ。
Oさんも、先輩の話にはいはいとうなづくばかりでなく、自分の得意分野で おばさんに手ほどきできることを喜んでくれているみたい。
そのこともちょっと「儲けたな。」と思ったりして・・・
「よしよし、なんかいけそうだよ。ちょっと面白くなってきたよ。来年3月には一緒に笑おうね。」
帰り際にもう一度Oさんと握手。
まず手始めに若い、Excelができる友だちが出来た。
思わぬ儲け物になるはずだ


2004年05月09日(日) 友に会う

昨日、午後から毎年恒例のバーベキュー大会。
もともと父さんが独身時代、近くのいちご狩りに友人達が集まったのをはじまりに20年以上も続いた我が家の年中行事である。
友達の友達が加わり、友達の配偶者や子ども達が加わり、そして我が家の子ども達の友達やその家族が加わり、最大時には40人あまりの人が一堂に会したこともある。近くのレクリエーション施設のロッジを借りるようになってからは、宿泊可の大宴会に姿を変え、子ども達が合宿のノリでごちゃごちゃと雑魚寝して大騒ぎしたこともある。
いろんな職種の大人達、いろんな学校いろんな年齢の子ども達がわさわさと集まってきて同じ時間を一緒に楽しむ。
参加者は毎年次々に変遷したが、そのたびに楽しい出会いや発見があった。

昨年あたりから、子ども達の日程の調整や父さんの仕事の関係で少しずつ開催が難しくなってきた。
参加してくれる子ども達も、習い事の日程や試験や部活動などで「今年はちょっと・・・」と不参加が増えた。
「もう、来年こそはやめにしよう」といいつつ、とりあえずロッジを予約してあるからと、なんとかかんとか続けてきたが、今年はちょっと息切れした。
あまり積極的に召集をかけなかったら、今回の参加者は我が家を含めて、3家族とアユコの友達一組。それでも14人のこじんまりしたバーベキュー大会を開くことになった。

宝塚から子ども達の忙しい日程の合間を縫って参加してくれたのは、養護学校勤務時代の同僚だったHさんとその子ども達。
Hさんは今も養護学校で勤務を続けており、ご主人が長年の単身赴任中なのにも関わらず、3人の子ども達の育児にもパワフルに取り組んでいる。
バーベキュー大会には、これまでにも何度か参加してくれていて、子供同士もすっかりおなじみさん同士。川遊びしたり、ロッジでトランプをしたり、一年ぶりのあったとは思えぬ仲良しぶり。少人数ながら子どもだけの楽しい時間を過ごしてくれた。
そして私は久しぶりにHさんと長いおしゃべり。
仕事のこと、家族のこと、共通の友人のこと。
たのしかった。
「来年もまた来たいわぁ。無理かしらんねぇ。」
翌朝早く、子どもの野球の試合に間に合うようにとワゴン車でびゅんと帰っていくHさん。
すごいなぁ、フットワーク、いいよなぁ。
パワフルな日常と、その日常を時々びゅんと切り抜ける行動力。
年に一度、こういう人のこういう疾風に再会するのっていいよなぁ。

「来年、どうする?」
今年こそ、「これで最後にしよう」と話し合っていたバーベキュー大会。
終わってみると、今年もやっぱり未練たっぷりで考え込んでいる。


2004年05月06日(木) 連絡網

PTA,初めての運営委員会に出席。
「どうしよう、くじ、引いちゃったよ。」という、「相憐れむ」同志たちがぞろぞろと顔を合わせる。「右も左も判らなくて・・・」という人も多い。
「私だけではない」という安心感で、少し気が晴れる。

次回の集まりまでに、やっておかなくてはならない仕事に、自分の委員会の連絡網を作る仕事がある。
14人の委員の自宅の住所と電話番号は聞いてあるので、単に原稿を作るだけの単純な作業なのだけれど。
さて、学校やサークルで、当たり前に使われるこの連絡網、実際に機能し始めると結構不便が多い。
生活が多様化し、携帯電話が普及するようになって、自宅の電話にかけてもつながらないことが多い。
昼間には、自宅に電話してもまず相手は捕まらない
小さな子どものいる家庭でも結構夜遅くまで不在であったり、子どもだけでお留守番しているおうちがあったり。
留守電という便利な機能もあるが、仮にそこで用件は伝えられるにしても、次の人に連絡をまわしてもらうことまでは期待できないので、結局一人で2軒3軒、次の人にまで電話しなくてはならない羽目になる。
なんか不公平だなと腑に落ちない。

先日、配られた剣道の父母会の新しい連絡網は、数珠繋ぎ連絡をまわす「伝言ゲーム」形式をやめて、数件のリーダーの家からそれぞれ4,5人ずつまとめて連絡をつけるグループ形式に替わっていた。
これまでも留守宅が多くて、結局一人で何軒か電話していたので、先頭の人の実際の負担はあまり変わりないが、最初から「5軒、伝えてね」と決められている方が精神衛生上はいいようである。
とりあえず留守電にでも用件を入れておけば連絡係の責任は果たせるし、「なんで、私が3軒も掛けてるのよ!」とイライラすることもない。

そして我が委員会の連絡網。
とりあえず、自宅の固定電話の番号のみでオーソドックスな数珠繋ぎ方式を採用することにする。
中には携帯電話の番号でまわしたらとか、メールの方が便利かも・・・という声も上がっているが、人数分プリントして配るものだけに「個人情報流出」という障りもあって、一律OKと言うのも乱暴な気がする。
他の委員会の長の人に聞いたら、
「メアドや携帯ナンバーは一応、長の方には提出してもらうが、連絡網への記入は当事者同士のやり取りで訊きあってもらう。」
との事。
私自身、携帯電話は持たないので「携帯ナンバーを公表する」ということがどういう意味があることなのかよく判らないのだけれど、PCのメアドは知られたくない人もいるしなぁ。

もともと連絡網というのは、どの家庭にもいつでも誰か(おそらくは主婦)がいて、次の人に連絡をつけるという「お互いさま」の役割を果たすことが出来るという、昔の「普通の家庭」を前提に作られた制度なんだなぁとつくづく思う。
「夕飯時なら主婦はうちにいるだろう」とか「休日だから、ご主人がご在宅だろう」とか、漠然と「当たり前」と思い込んでいることも、それぞれの家庭の事情によって、必ずしも常識とはいえなくなっている。
携帯電話とかメールとか、「個人」に連絡を取る方法は急速に普及しているが、「家庭」という単位で集団に属する意識はどんどん薄くなってしまっているのだなぁ。
「うちには留守電があるから、そこに用件を入れといてくれればOKよ。」
という人は、自分が「次の人に連絡をまわす」という役割を他の人に振り当ててしまっていることに無感覚になっている。

一方で、「お友達になろうよ」の代わりに「メールアドレス教えて」という言葉で友達を作る。
くだらない日常の雑事の報告のメールでさえ、途絶えたら一人ぼっちにされているような錯覚を起こす。
どこかから流出した個人のメールアドレスが、お金で売買される。
「個」の情報がこれほど重要視され、もてはやされる中で、「家庭の中での私」「集団の中での我が家」の役割はあまり重く感じられなくなってきているような危機感がある。

奇しくも、PTAの集まりでは「学校と家庭の連絡を密にして」とか、「保護者同士のコミュニケーションを重視して」と言う言葉が、たびたび使われる。
確かに子育ての間には、近所のお母さんとの無駄話や先生達への愚痴、地域の口コミ情報が貴重な情報源となることがとても多い。
家庭同士がいつでも連絡が取り合える環境、思っていることははっきり言い合える学校との関係の必要性を痛感することも多くなった。
個人情報の重要性、「個」と「集団」のあり方、そして社会の中でも家庭の役割まで、グダグダと考えるうちに、わが委員会の連絡網は結局オーソドックスな旧来の数珠繋ぎ方式となった。
それなら無駄なことは考えずに最初からチャッチャと作っておけばよいものを・・・。
こういう要領の悪さが、私の「リーダー不適格」の根拠でもある


2004年05月05日(水) 連休最終日の憂鬱

連休最終日。
お出かけ続きで家事がたまり、どよんとした朝を迎えた。
とりあえずお寝坊の男の子達をたたき起こし、剣道の朝稽古に送っていく。
家を出る直前になって、ゲンが竹刀の不備をちゃんと処理していなかった事がわかり、一発目のお目玉を喰らう。
GWということで、出席している子どもも少なめ。
オニイも、今日は後半の大人の稽古まで残るというので、ゲンはオニイの稽古が終わる頃に一緒に迎えることにする。
行きの車中で、今日は資源ごみの回収日であったことに気づき、子ども達を下ろしてから慌てて取って返したが、やはり収集車の到着には間に合わなかった。
「ゴミ出しを忘れる」のと「好天気にお布団が干せない」のは、些細なことだけれど、主婦失格というような苦い自己嫌悪を運んでくる。
ああ、今朝は出だし失敗。

ガツガツ空腹を訴えるワンコにドックフードをやろうとしていると、父さんが、
「剣道の迎え、みんなで出かけてビデオ屋へ行くから」
という。
予定外だなぁ、とちょっとうっとうしく感じた。
今日はたまった家事を片付けて、庭仕事や気がかりな内職仕事に取り掛かるつもりだった。
休み中、かけらも勉強していない子ども達にもそろそろはっぱをかけなければ・・・。
昼時にみんなで出かけたら、どこかで外食という羽目にもなりかねない。
数日前に買って食べる機会を失っている食パンを昼食にするつもりだったのに・・・
そんなばかばかしいことがいっぱい集まって、父さんの提案に「行こう行こう!」と賛成する気持ちになれなかった。そんな気持ちが表情にでたのか、父さんのご機嫌も悪くなった。
「せっかく子どもの日だから、子ども達にサービスしてやろうと思ったのに・・・」
子どもの日って・・・連休中、加古川へも行ったし、京都へも遊びに行ったじゃない。アユコとアプコは昨日もお出かけしていたし、男の子達は留守番で一日中PC、ゲームやり放題だったはず。
もうお子様サービスは十分よ。
それより、ホントは遊びに行きたいのは父さんじゃないの?

ホントにくだらない口争いだった。
なんだかなぁ。
ぷいと仕事場に戻っていった父さんが、しばらくして再び帰ってきた。
お互いに自分が考えていたことを、冷静に言い合う。
休みの最終日にもっとたっぷり遊ばせてやりたいと考える父さんと明日からの毎日に備えて気持ちを学校モードに切り替えてやりたい私。
その微妙なずれに、お互いが自分自身がやりたいと思っていることの違いが重なり、衝突する。
長いお休みの終わりに、夫婦に時々やってくる小さな嵐。
またやっちゃったなぁ。
本当にくだらない。

子どもの頃、実家の父は連休の最終日の夜、大概ご機嫌が悪かった。
一日楽しく遊んで、大河ドラマやらおバカなバラエティー番組を見ながら夕食を食べて・・・そんな時間にたいてい嵐が起こる。
お漬物の塩味が足りないとか、お皿を扱う音がガチャガチャうるさいとか、呼ばれた子どもの返事の仕方がまずいとか、些細な事を発端に父の延々と続くお説教が始まる。
時にはそれは夜中まで続き、子ども達が解放されたあとでも、夫婦の寝室からは、父の低い話し声が続いていたこともある。こんこんと続く父の雄弁に母はいつもしゅんとうなだれて頷いていた。
あとから考えると、なんであんなに叱られたかなぁと思う時もあって、母に不満を言うこともあったけれど、母は、笑って、
「あれはお父さんが、自分自身のお休みの気分を振り払って、明日からのお仕事に向けて、気持ちを切り替えるという意味もあるのよ。」
と舌を出した。
仕事のことをまったく家庭には持ち込まなかった父にとって、連休中のリラックスした気分を翌日からの仕事に混じらせないようにするためには、家族のゆるゆるしたお休み気分をチェックして叱ることが必要だったのかもしれない。
それにしてもかなわんなぁと、お休み最終日の夜はなんとなく憂鬱なものだった。

自営業の夫と結婚して、「毎日がお仕事」「毎日がお休み」というような家族の生活に入って、連休最後の日の憂鬱からは解放されたはずだった。
なのに、今度はなんとなくカリカリと連休最終日にイラつく自分がいる。
いやだなぁ。

結局、父さんが折れてくれてビデオ屋行きは延期になった。
私は疾風のような勢いで洗濯物を干し、掃除機をかけ、懸案の庭仕事を片付ける。男の子達を迎えに行き、帰りにスーパーでサラダとハムを買い、買い置きの食パンで昼食を済ませることにする。
「実はね、父さんが今日はビデオ屋へ連れてってやろうかって言ってくれてたんだけどね・・・」
帰りの車の中で、オニイに言いかけたら、
「わかってるって。さすがに今日は遊んでたらまずいなって、僕も思ってた。」
と、物分りのよい返事が返ってきた。
ううう、こいつには夫婦の行動パターンがすっかり読まれておるなぁ。
きっと「こんなあほな喧嘩は、オレはやらぬ」と考えているに違いない。
そして、きっと歴史は繰り返す。
連休最終日にイライラと、お説教するオニイの姿が目に浮かぶ。
13歳の現在ですらあれだけ説教魔のオニイのことだ。
さぞかしパワフルな頑固ジジイになることだろう。
ああ、くだらない。
本当にいやんなっちゃう。


2004年05月03日(月) この小さき者

ゴールデンウィーク、真っ只中。
例によって一家で車に乗り込み、加古川のおじいちゃんおばあちゃんのところへなだれ込む。
格別何をするというでもなくて、父さんはおじいちゃんと延々仕事のお話をして、子ども達はそれぞれに買い物に出たり、庭で砂遊びをしたり・・・。
私は母と久しぶりに庭に出て、新しく造り替えたガレージや花壇、家庭菜園の様子を見たりして、のんびりと過ごした。

「田舎へ帰る」というけれど私の実家は新興住宅地にあり、スーパーも大型店舗も病院も我が家と比べ物にならないほど近くにたくさんあり、正真正銘田舎者の我が家の子ども達はおじいちゃんおばあちゃんの自転車を借りて、あちこちうろついて、都会の生活を楽しんでいる。
ちょうど、実家の裏に大型のドラッグストアが最近開店し、裏口を出るとものの1分でティッシュやちょっとした食品が買える。
「あかあさん!ここだったら、一人でちょこちょこっと行って、お買い物ができるねぇ!」アユコがお昼のレトルトカレーを買出しに行って、感激して帰ってきた。
「ホントにねぇ。でも、うちだって徒歩1分でハイキングコースよ。めったにない環境なんだから・・・」
・・・て、誰もうらやましくないか・・・。
うちの近所に、このあたりの大型店舗を一軒か2軒、もらって帰りたいといつも思う。

私達の到着から1日遅れで、下の弟夫婦がようやく2ヶ月になったユキちゃんを連れてやってきた。
私は赤ちゃんが生まれてすぐ、病院で「はじめまして」は済んでいるのだけれど、父さんや子ども達は初めてのご対面。
大柄な弟にひょいと抱きかかえられてやってきた赤ちゃんは、本当に小さくて子ども達がわぁっと寄ってくる。
身の回りに小さな赤ちゃんを見る機会が減って、アプコなんかはちゃんと物心ついてからは初めて見る赤ちゃん。
「おかあさん、手、ちっちゃいねぇ。」
こそこそっと戻ってきては私の耳許でアプコが囁く。
アユコもどきどきしながら赤ちゃんを抱かせてもらって、しげしげと赤ちゃんの各パーツを「観察」して、微笑む。
ゲンはどこやらのTVで見た裏ワザを試したいといって、ぐずり始めたユキちゃんの耳元でスーパーのレジ袋をガシャガシャ言わせて、本当に泣き止むかどうかの実験を始める。
ふと気がつくと、ベッドメリーが回転する赤ちゃんのお布団の周りにアユコ、ゲン、アプコがおんなじ格好で腹這いになり、頬杖をついて赤ちゃんの寝顔を眺めていたりする。
「なんだか大騒ぎやなぁ。」
一緒になって周りに寄っていくのがちょっと恥ずかしいお年頃のオニイも含めて、思いがけなく小さくかわいい新しい従姉妹の到来が子ども達に新鮮な驚きと興奮を運んできた。
「新しい命」の持つエネルギーは、ちょっと前まで同じような赤ちゃんだった子ども達にも嬉しい感動を持ってくる。

「なんだかしょっちゅう指しゃぶりをするんですけど、ミルクがたりてないのかしら。」
「とっても長い時間寝てることがあって、こんなにミルクの時間があいちゃっていいのかしら。」
新米ママのTちゃんが赤ちゃんの世話の合間にポツリポツリと、「育児相談」。
その時代を通り過ぎた者から見ると、何のことはない健康な赤ちゃんの成長の一過程であることも、初めてのママにとっては心配事であったり、悩みの種であったり・・・。
ああ、私も始めての子育ての頃には、こんな風にいちいち判らない事だらけで赤ちゃんと向き合っていたのだなぁと思い出す。
おっぱいオムツねんね、おっぱいオムツねんねの毎日。
甘酸っぱい乳の匂いに四六時中包まれていた懐かしい日々を振り返る。

「ユキちゃん、かわいいね。」
アプコが何度も戻ってきては私の耳に囁いていく。
「ユキちゃんのおへそ見ちゃった。かわいい。」
「ユキちゃん、げっぷしたよ。ぐふーって」
末っ子姫のアプコにとって、赤ちゃんは子犬か電池入りのお人形のように興味津々の珍しい生き物。
そして、自分の母や姉が自分より小さい子を抱っこしたり、あやしたりして、ちやほやしている状況もアプコにとっては初体験。
はじめは一緒になってちやほやしていたものの、途中から「あたしが一番じゃないなんて、ちょっと許せないわ」という、お姫様根性も垣間見えるようになって来た。
「ユキちゃん、かわいいから2,3日借りて帰ろうか」
と聴いてみたら、「いや」と即答。
理由を聞いたら、「赤ちゃんはすぐ泣くし、しょっちゅう抱っこせなあかんで。」
はい、そのとおり。
ご安心ください。母にももう一から赤ちゃんを育てるエネルギーはございません。そうでなくても手のかかるお子さん達が4人もいるからね。

「片手で抱っこして片手でご飯。あんな時代も長かったよなぁ。」
帰りの車の中で、父さんも感慨しきり。
「すっかり堪能しちゃったねぇ。子育ての大変な時代をいくつも乗り越えてきたんだねぇ。今だって、まだまだ結構大変だけど・・・。」
オニイの初めて育児で不安な赤ちゃん時代。
心臓病を心配したアユコのガラス細工に触れるような赤ちゃん時代。
おおらかに乳を飲み、丸々と太っていったゲンの赤ちゃん時代。
そして、なるちゃんの死をこえて、家族みんなで迎えたアプコの赤ちゃん時代。
小さい命が運んでくれたたくさんの驚きや感動。
その結果として、今のガチャガチャうるさい、手のかかる子どもらがいる。

生まれたての小さいユキちゃんの握りこぶしが、何を握っているのか見るのを忘れた。
新生児のこぶしの中には綿ほこりだか手垢だか、なんだか得たいの知れないものがにぎられていることがある。
小さい子ども達がぐっと握り締めて離さない大事なもの。
そんなものの存在を何時までも忘れない親でありたいと、昔思ったことがある。


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