月の輪通信 日々の想い
目次過去未来


2003年09月30日(火) 単純作業

秋晴れのさわやかな一日。

いつも日陰を求めて坂道を下っていくアプコが、今日は「さむい!」と、日なたをめがけて急ぎ
足。

明日からは10月。

近いうちに子ども達と山のふとっちょどんぐりを探しにいかなくては・・・。



久しぶりに工房での仕事。

10月に立て続けに3つの展示会。

その案内状のダイレクトメールの荷物が、印刷を終えて届けられた。

1000通を越える案内状にPCのプリンターで宛名を印刷し、案内状をいれて封をし、切手を貼
って発送する。

毎度毎度の事だけれど、けっこうな仕事量。宛名印刷がおわると、あとの作業はおばあちゃん
やひいばあちゃんの内職仕事。発送の期日もあるので、一家総出のお仕事になる。



今朝届いたのは渋谷東急のダイレクトメール。

さっそく封筒に宛名印刷を・・・と思ったら、ご丁寧に封筒一枚づつに案内状がすでに挿入済み
だった。

こちらの手間を省いてやろうという先方さんの心遣いだろうが、申し訳ない、封筒を空にしてお
かないとPCのプリンターにかからない。

「げ、これ、全部出すのか・・・」

1500通のダイレクトメールの内容物を出して封筒と別々にするだけで、半日かかった。



「陶芸の窯元にお嫁に行く」と決めたとき、私は陶芸の世界の事は何も知らなかった。

土のこと、釉薬のことはもちろん、窯元の生活がどんなものか、どんな風に作品を売るのかも
知らず、TVのドラマや小説の世界で見る「陶芸家」のイメージすら曖昧な物だった。

だから、窯元の仕事の中に、包装紙や梱包材を手配したり、採寸して桐箱を注文したり、作品
の金箔張りをしたり、ダイレクトメールの手配をしたりという、いわば周辺のお仕事が山ほどあ
るということも知らなかった。

今でも、「陶芸家の妻です。」というと、知らない人は必ず「あなたも作陶なさるの?」と言われる
けれど、窯元のお仕事にも「土を触らない」お仕事がたくさんあるのだという事が意外と知られ
ていないのかもしれない。



真新しい封筒から内容物を抜き出す。

それだけの単純作業を半日。

寝ていても出来そうな作業が続くと、脳細胞が勝手に休憩状態に入ってしまい、単純作業用の
機械になったみたい。

実は、私はこういう物を考えなくていい単純作業が結構好き。

どうでもいいことを、考えるでもなく考えて、手だけが勝手に作業を続ける。

そういえば、今私が解体しているダイレクトメール、一通づつ封入する作業をして下さったのは
どんな人なのだろう。

 

いつも我が家の郵便受けにも、よそからの案内状やダイレクトメール。

もちろん、今時のことだから、宛名書きや内容物の封入の多くは機械で行われているのだろう
けれど、それでもどこかの誰かの単純作業や内職仕事を経て、発送されているものもまだま
だ、あるはずなのだ。

配達されたダイレクトメールの封を切るとき、その内容には心が動くけれど、それを封入した人
の手のことには、誰も気付かない。

そんな誰の目にも留まらない、地味な単純作業の成果がわたしたちの身の回りには山ほどあ
る。



「やりがいのある仕事」とか「自分らしさが表現できる仕事」とか、誰かにその成果がきちんと評
価される仕事が重んじられている。

確かに、封筒の内容物を抜き出すと言う作業に費やされた半日は、誰にも評価されない。毎
日毎日、何年も続けてやれる仕事とは言えないかもしれない。

けれども、作業を終えた封筒を束にして、とんとんとそろえて箱詰めを終えたとき、ふーっと沸
いてくるほのかな充実感。

誰かに評価される仕事ではないけれど、こういう地味な、一見無意味な作業の中にも「労働」と
いう輝きは必ずあるのだ。



毎日毎日、子ども達の洗濯物を取り込む。

やかんいっぱいにお茶をわかして、冷やしておく。

すぐに綿埃のたまる階段の拭き掃除。

できてて当たり前。忘れてるとすぐにどこかからブーイングが出る主婦の仕事は、どこかダイレ
クトメールの単純作業にも似ている。

秋晴れの太陽を吸ったお布団は、ふんわりと暖かい。

作業の終わった封筒をとんとんと揃える時の充実感にも、そんな暖かさがある。




2003年09月27日(土) お赤飯

オニイ、中学での初めての運動会。

小学校とは違い、親子でお弁当と言うこともないのでちょっと気を抜いて観戦。

小学校の時はだんとつちびっ子の男の子を捜せばオニイが見つかったが、今日はオニイの出
番をついつい見失いがち。少し背が伸びて、「普通サイズ」にまぎれこんだ為らしい。そういえ
ば徒競走も、ダントツびりではなく、2位と競り合う、3位だった(4人中)。



ところで、お赤飯を炊いた。

先日、レギュラー入りした一升炊きの炊飯器で思いの外うまく炊けたので、蒸し器を使うおこわ
より手軽で良いかもしれない。

玄関の南天を切ってきて、折り箱に添えておばあちゃんちへお裾分け。

「難を転ずる」の意味をアユコに教えながら・・・。



昨日、アユコが女の子になった。

「おかあさん、ちょっと話があるんだけど・・・」

まだまだ、胸もぺったんこ。小枝のようにやせっぽちのアユコにこんなに早くその日が来るとは
思っていなかったので、「え?」と間抜けな返事をしてしまった母であった。

前もって準備はしてあったので、処理の仕方やら体調の事やら、男の子たちに聞こえないよう
にひそひそと教える。

「めんどくさいけど、大事なことだからね。これからおばあさんになるまで、上手におつきあいし
ていこうね。」



男の子達にも、さらりと性教育はしてあるので、オニイもゲンも女の子の体の変化については
知っているはず。

だからひそひそ話す必要はないのだけれど、ついつい人払いをしてから話をする私。

「性の知識は男の子にもオープンに・・・」と言いながら、この秘やかさは何だろう。

女の生理を「恥ずかしいこと」「穢れたこと」と思う気持ちはかけらもないが、なんとなく「生理」と
いう言葉そのものを口にすることにすら、憚りを感じて「アレ」とか、「お客さん」とか隠語を使っ
てしまう。

おそらく私は男性の上司に「生理休暇を下さい」とは面と向かって言えないタイプだろう。



「おかあさんも5年生で始まったよ。学生の時は生理痛がひどくて、大変だった。子どもを何人
も産んだら、嘘みたいに治っちゃったけどね。」

お台所で、アユコと秘やかな会話を交わしているとき、ほのかに沸いてくるこの暖かい感情は
何だろう。

新しく「女」という領域に踏み込んで来た後輩への親愛だろうか。

「親と子」ではなく、「女同士」の会話が出来るようになった娘の成長の喜びだろうか。

ためらいながらも自分の体の変化を受け入れていこうとしているアユコへのエールだろうか。

どちらにしても、人払いして話をするのは、「オンナ」と言う秘密を共有する同志愛であって、タ
ブーとか恥じらいとかネガティブな動機によるものではない気がする。



気になって、今日、オニイにアユコのことをちょっと耳打ちしておいた。

「君はもう知識としては知っていると思うけど、実は昨日アユコが女の子になった。まだアユコ
は幼いから慣れるまで、具合が悪かったり失敗したりするかもしれない。でも兄として君は気付
かない振りをしながら、見守ってやって欲しい。」

「うん、わかったよ。」

力強く頷くオニイは、すっかり頼もしいオトコの顔。

「気分的にもうっとうしいものだから、気をつけてやってね。」

さっき、アユコとささやかな事で口げんかしかかっていたオニイ。

「あ、そっか。イライラしてるのもそのせいか。」

・・・・ちょっとまて。

その言い方は一つ間違えたらセクハラものだ。もちろん今のオニイには全く悪意はないのだけ
れど。

その辺のところは、これから男の子達にもゆっくり教えていかなければ・・・と思いつつ、今日の
ところは、

「初めてのことでデリケートになってるからね。」

とお茶を濁しておいた。



「・・・で、ゲンに説明するのは面倒なので、今日のお赤飯は、オニイの運動会祝いということ
で・・・。」

とオニイに深く追求しないように釘を差しておく。



乳歯が抜ける子。

生えてきた子。

始まった子。

上下の年齢差8才の4人兄弟は、日々、成長中。

本当は毎日がお赤飯。

明日はどんなビックリがころがりこんでくるのだろう。

・・・と、近頃では体重以外はちっとも成長しなくなった母は、また赤飯をつまむ。


2003年09月23日(火) 怖いもの見たさ

パラパラとウィルスメールらしきものが入る。

送信者名や件名に思い当たらないもの、不審な添付ファイルのついた物は速攻で削除する。

削除済みファイルも空にする。



「support」とか「info」とかもっともらしい送信者名のものもある。

「How are you」とか、「Hi!」とか親しげな件名のものもある。

怪しいと判っていながら、どなたかHPを見て下さった初めての方からのメールかも・・・とか、何
か貴重なインフォメーションかも・・・とか、気になってしばし削除する手が止まることがある。

セキュリティーソフトはまめに更新してある。

だから、仮に好奇心に負けて私がそんな怪しいメールを開いたところで、セキュリティーソフト
のおどろおどろしい警告画面がでて肝を冷やすだけで、ウィルスの方は勝手に処理されて、P
Cに害を及ぼすことはないだろうとは思っている。

「あ、またきた。」とクリップ付きの怪メールは「悪さをするメール」と即座に判断するくせに、「で
も、開けてみたら何がかいてあるんだろ・・・」とパンドラの箱の誘惑にしばし揺れる。

「あほやなぁ。」と削除したものの、やはり気になるので、削除済みファイルも空にする。

私は怖いもの見たさの誘惑には弱いのだ。



少し前、いつも読みにいっている日記書きさんのサイトのトップに、見慣れぬバナーが張ってあ
った。

「肝試し」

(何が起こっても知りませんよ、ドキドキしたい人だけクリックして下さい。なにがおこっても責任
は持てませんよ。)

そんな脅し文句がついている。

ふだん、その人のサイトに立ち寄っていて、悪意のある人とは思えなかったので、しばし迷った
後、クリックしてみた。

(ホントにいいんですね、何があっても知りませんよ)

また脅し文句。

「注文の多い料理店」のように、幾枚かの扉を開けたら、突然、

「このボタンをクリックするとPC内の全てのファイルが消滅します。」とウィンドウズの見慣れた
エラーメッセージの青いダイアログボックス。

「え!やられた!」

ブラウザのいろいろな所をクリックして後戻りを試みたが、動けない。冷や汗のでる思いで、意
を決して、ぶちっと電源を落としてしまった。



しばらくして、こわごわ起動してみたら、何のことはない、いつものデスクトップが何事もなく開い
た。

悪いいたずらに引っかかったものである。

PCに詳しい人なら、「おしゃれないたずら」でふんふんと笑って済ませる肝試しなのだろうが、
プログラミングもセキュリティも理解しない万年初心者ユーザーにとっては文字通り肝を冷やす
いたずらであった。

いやぁな思いだけが残り、私はそのサイトを「お気に入り」や「マイ日記」から外してしまった。

抗議のメッセージを送ろうかとも思ったが大人げないので無視することにした。



しばらくして、肝試しの正体が気になってそのサイトを尋ねてみると「肝試し」のバナーは取り外
され、管理人さんのコメントが載せてあった。

実は「肝試し」はどこかのサイトへの手の込んだリンクバナーだったようだ。

「面白いサイトだから紹介したいと思って載せたのだが、クレームが多かったので、削除した。
趣旨はちゃんとのせておいたし、ちゃんと読めば悪意がないことは判ったはず。不本意だ」

というようなコメントだった。

はぁはぁ、確かにね。

怖い思いをしたくないなら、近寄らなければよかったのよね。

その通りだけれど、やっぱり後味は悪い。

もっと言えば、品の悪いいたずらであった。

私はそのサイトを訪れることをやめた。



「出会い系サイト」というやつがある。

「お金のない子、○○円でどう?」

というようなメッセージをどこやらに掲示する。それを見た女の子が、応答して「出会い」が成立
する。

よく言われる何かの調査では、中高生のかなりの割合の女の子達が、興味本位で、そういっ
たものとコンタクトを取ったことがあるという。

これだけ、イヤな事件が報道されている昨今だ。女の子達だってそうしたメッセージに関わるこ
とがどんな危険をはらんでいるかを知らない訳でもあるまい。

それでも、遊びのノリで、ついつい引っかかってしまう子たちがいるのは、「怖いもの見たさ」と
いうパンドラ以来の人間の困った性によるものかもしれない。

近頃では、そうした売春行為を依頼するようなメッセージを掲げた者は、それだけで(交渉が成
立しなくても)罪を問われることになったという。



「イヤなら見なけりゃ、いいじゃないか」

「危ないと知ってて、手を出すヤツは、危険な目に遭っても当然。」

その通り。

君子危うきに近寄らず。

されど、君子にあらざる愚かな我が身。

怖いもの見たさの誘惑に負けて、ウィルスメールの一つも開けてしまいたくなるではないか。

そんな弱みにつけ込んだいたずらは、たとえ無害なものであっても、いつまでも不快なままであ
る。










2003年09月21日(日) 言ったもの勝ち

子供会の仕事で地区の子ども達40人あまりを引率して、ソフトドッジボールの大会に出掛け
る。

うちの地区からは、低学年2チーム、高学年1チームが出場することになっている。アユコも高
学年チームの一員として出場させてもらった。

戦績。

低学年チームは、惜しくも一回戦、2回戦で、それぞれ惜敗。

高学年チームは決勝戦まで残り、僅差で準優勝となった。



たかが小学生のドッジボールとは思っていた。しかも低学年が怪我をしないよう、少し大きめの
ボールを使うソフトドッジボール。

でもこれが結構燃えるんだな。

ひたすら「勝ちたい!」と一生懸命の子ども達。自分の失敗で点を取られて悔し泣きする少年
の健気さ。変な駆け引きやズルを許さない小学生の一途さが、何とも観客の心をつかむ。

「がんばれー!!」

と、普段、出さない金切り声をあげて、喉を枯らしてしまうのも、仕方がない。



「試合中、審判の判定や競技方法への抗議は受け付けない」

開会式の時に、そう明言された筈だった。

それなのに、やたらと親たちがしゃしゃり出ていちいち口を挟むチームがある。新興のマンショ
ンの子供会のチームだった。

初っぱなの低学年の試合から、審判の判定についての抗議が入り、試合が30分近くのびた。

審判といっても、プロでも専門家でもない。

激しい抗議を受けるとついには言い負かされて、抗議した方の言い分が通ってしまう。

ボールが当たったと判定されたのに、「当たってない」とか、相手チームの当たった子を見過ご
したとか、外野のヤジまで動員しての猛抗議。

いつの間にかスタッフしか入れないはずのコートの中にまでどんどん親たちが入り込んでいく。

その徹底ぶりに、他のチームもすっかり辟易してしまい、眉をひそめていた。



高学年の決勝戦。

予想通り、うちのチームがそのマンションチームと対戦することになった。

「審判がおかしいと思ったら、大きな声で、抗議しなさいよ。言ったもの勝ちなんだからね。」

「黙ってたら、むこうにいいように判定されちゃうからね。Mくん、アンタは6年だし、違うと思った
ら、しっかり審判にいってやりなさい。」

大人達は口々に子供らに相手チームへのクレーム対策を吹き込んで、送り出す。

白熱した試合が始まり、果たして、相手チームの抗議やヤジも始まった。



小学生の球技とはいえ、体格もしっかりした子が増え、アユコの様なやせっぽちでも、その俊
敏さやしなやかさには目を見張る物がある。

剛速球を真正面に受け止め、間を置かずばしっと相手めがけて投げ返すその無駄のない少
年の動き。

舞踏家のように背を剃らし、小さく体を丸めて軽やかにボールを避ける少女の動き。

「美しいなぁ」と、ぼんやり眺めている場合じゃない。



2セット目の終了間近、また、試合の流れが止まる。

全権委任されたMくんが、主審に向かい、相手チームを指さして抗議している。

距離の離れたギャラリーからは、その発言の内容までは聞こえてこないが、相手チームから
は、親もでてきて試合は完全に中断してしまった。

Mくんの周りに、チームの子ども達が寄り添い、主審に詰め寄っている。

しばし、言い合いが続き、最後に主審がMくんたちにぷいぷいと手を振って、試合終了の笛を
吹いた。



「主審は相手チームの言うことばかりを聞いて、僕らの話を聞こうとしない。」

準優勝の賞状を持って帰ってきた子ども達は、憤懣やるかたない様子だった。

事の顛末はよく分からないが、主審の最後の仕草には、相手チームの抗議に負け、子ども達
の主張を封じた観があった。

「あんないい加減な審判で、子ども達を傷つけるのは許せない。」

「言ったもの勝ちを通すなんて!!」

引率の親たちも、怒り爆発。

後味の悪い記念撮影となった。



「『正しい』から『強い』とは限らない。」

「ルールを破っても『言ったもの勝ち』」

そんな処世術を子供らに学ばせるのは苦しい。

「何で、うちの地区のお母ちゃん達は抗議にでてきてくれへんかったんや」

と、なじられるのも辛い。

無心にボールを追う子供らの姿は、あんなにもしなやかで美しかった。

「大人の世の中って、結局こんな物よ。」

そんな愚かな諦念で、子ども達の怒りを静めざるを得ないのは、心苦しかった。



「ねえねえ、抗議してるときのMくん、むちゃくちゃかっこよかったね。」

うちに帰ってもまだ不満を口にするアユコに、ちょっとふざけて言ってみた。

「ドッジボールもうまいし、男気もあるし、女の子に人気あるんだろうね。ねえねえ、アユコ、ああ
いうタイプの子、好き?」

「かっこいいけどタイプじゃない。」

はんはん、君も王子様のようなヒーロータイプは苦手か。

オトコの好みも、似てきたねぇ。


2003年09月19日(金) 2003年9月19日(金) ゲンを忘れた!!

「かわれるものなら、かわってやりたい」

と、昨日、アプコの発熱にめずらしく「親心」をもらしたオニイが律儀に熱を出した。

風邪らしい。



オニイが剣道の稽古を休むことにしたので、私がゲンだけを道場へ送る。

その足で、私は子供会のお祭りの打ち合わせに・・・。

ゲンの帰りの迎えは父さんに頼んで来た・・・つもりだった。



打ち合わせを終え、9時過ぎに帰宅。

居間で、どれ〜んと寝ているオニイを起こし、パジャマでうろちょろしている女の子達に早く寝
間へ行くよう、追い立てる。

二階から、ぼ〜っと寝ぼけた顔の父さんがいれかわりに降りてくる。

「なんかお疲れさんの顔だねぇ。今日は仕事、はかどった?」

と話していると電話が鳴った。

また、お呼び出しかな・・・と電話を取る。

「あ、あのー、ぼく・・・。」

はぁ?

だ、だれ?

ゲンの声。

え?ゲンの声?

「むかえに・・・きてくれる?」

うぎゃぁ!!

父さん!ゲンを迎えてくれたんじゃなかったの??!

「す、すぐ、いくよ。ご免ご免」

アタマの中真っ白のまま、とうさん、血相変えて飛び出していった。

な、なんと、父も母もゲンの存在をすっかり忘れていたのだ!!



ホームアローンという映画があった。

大家族の一員、いたずらっ子の坊やが、どうしたことか家族全員から存在を忘れられ、置き去
りにされちゃうお話。

いくら人数が多いからって、親があんなにすっぱり子どもの一人を置き忘れるなんてありえない
よねと思っていた。

置いてきぼりになっても妙にたくましく、しょげ返ったりしない主人公に「ちょっとかわいげないか
も・・・」と思ったりもした。

「子沢山」のおうちは人数確認もおおざっぱといわれているようで、ちょっとむっとした。

それなのに、それなのに・・・。



ゲンは自分の稽古が終わったのに、大人達の稽古が終わるまで、1時間、道場で待っていた
ようだ。大人も帰る時間になってようやくお友達のおうちから電話させてもらったらしい。

「ごめんよ、ゲン。悪かったね。」

ほんと、やんなっちゃうね。

さぞかししょげ返って、べそを掻いて帰ってくるかとおもったら、車から降りてきたゲンは意外
や、にこにこ笑っている。

帰りに「お詫びの印」にコンビニのチキンを一人ぶんだけ買ってもらったゲンは、汗まみれの剣
道着のまま、かぶりついて、満足そうだ。

「いやぁ、ホントに悪かった。おかあさんが迎えて帰ってきたと思ってたよ。」

皆からさんざんに責められて、しょげ返ってしまったのは父さんの方だった。



実のところ、父さんが、大事な息子の迎えを忘れて、ねむりこけてしまったのは、ここ数日、作
品の出来映えについて、考えることがいっぱいあるからだ。

やらなければならない仕事や、今ひとつ作品の出来に満足がいかないとき、父さんは心ここに
あらずという状況に陥る。

必ずしも仕事場にこもりっきりというのでもなくて、日常の雑事の合間にも頭の隅に作品のこと
が引っかかっている。

頼んでいた園バスのお迎えをすっぽかして、園から電話がかかってくるなんて事も何度かあっ
た。

あわてて園まで迎えに行くとベソをかいてしゅんとなった可哀想な我が子。

なんかこっちまで、胸がきゅんとなってしまったものだった。



さすがに3年生ともなると、迎えに来てもらえなかったくらいでベソをかくこともなくなったか・・・。

「アンタ、自分ちの電話番号もわかんなかったの?」

「えへへへ・・・・」

コンビニチキンを平らげたゲンはどこまでも明るい。

考えてみれば、紙飛行機だとか虫取りだとか夢中になるとご飯も忘れてしまう熱中型のゲン。

大事な息子の存在すらきれいに忘れてしまう芸術家の情熱を一番理解できるのは、ねちねち
うるさく問いつめる妻ではなく、「えへへ・・・」と笑って、あっさり許してくれるゲンカもしれない。



4人兄弟の3番目。

一人目ほどのドキドキハラハラも、4人目ほどのカワイイカワイイもなくて、もしかしたら一番、
割りを喰っている次男坊。

「放っておいても、大丈夫」と思わせながら、時々、でっかいビックリで、皆の注目を引く。

あっけらかんとしているのに、その実、ナイーブ。

面白いやつだなぁ。

ごめんな、ゲン。

アンタは大事な息子だよ。


2003年09月15日(月) 他流試合

朝から、男の子組は剣道の試合。

近隣の市の体育館で行われる試合なので、近頃あまり稽古も見てやる機会のなかった父さん
が、二人をつれていってくれることになった。

母は、女の子組とのんびりショッピングなど・・・・。



「子ども達にもっと試合経験を」と先生方が考えて下さった他流試合。

日頃、「勝つ」事にあまりこだわらない仲良し剣道を貫く子ども達に、先生方は「うちでは勝つ剣
道ではなく、きれいな剣道を教えるのだ」といつもあきらめ半分でおっしゃってくださる。

たしかに、勝敗にこだわらず、互いに励まし合い、悔しがる友の肩を抱くうるわしい友情は、う
ちの道場の誇りではある。

しかし、本来が球技のようにゲームに起源をもつスポーツと違って、「斬るか斬られるか」の文
字通り真剣勝負が本来の姿である剣道。パパーンと正面からの面が決まり、主審副審の旗が
一斉に揚がる気持ちの良い勝利の瞬間は格別のものがある。

のんびり門下生にはもったいないほど高段者揃いの先生方は、子ども達のおっとりした戦いぶ
りをさぞ物足りなく思っていらっしゃることだろう。

今回、個人戦だけではなく団体戦にも出場するという小学生組にとっては、ほぼ初めての他流
試合。子ども達以上に緊張しワクワクドキドキの大人達に勝利の女神は微笑むのだろうか。



戦績。

オニイもゲンも揃って2勝。

一回戦負けで涙を呑んで帰ってくるかと思っていたから、予想外の出来だと言っていいだろう。
一日蒸し暑い試合会場におつきあいして、くたびれ果てた父さんの表情も明るい。

「よかったね、父さんにいいところ見てもらえて。」

ふんふん、まあねと素っ気ないオニイ。

「おなかすいたぁー」と食卓をのぞき込むゲン。

「わ、汗臭っ。早くお風呂入っといで。」



ところで、実家の父は、どちらかというと、アルコールが強い方ではない。

家で飲むのは晩酌のビールを少々。仕事上、外で飲む機会は多かった筈だが、私は父が別
人のように酔っぱらってしまうのを見ることはほとんどなかった。

それでも、一度、ありゃりゃと言うほど、酔っぱらったのを見たことがある。

それはちょうど小学生だった弟が剣道の試合で好成績を上げた夜の事だった。

いつもと変わらぬ酒量にも関わらず、いつもより2割り増しのボリュームでしゃべりまくる父。

「息子が勝ったからといって、父親が人前でひゃあひゃあ喜べるかい、みっともない!」

父は何度も何度も、同じセリフを繰り返し、存分に酔っぱらった。

元気でやんちゃ、性格も悪くないけれど、お勉強はそこそこ伸び悩み。

「大器晩成」という言葉を何度も教えてきた息子の快進撃。

父はよほど嬉しかった事だろう。

「パンパンっと決まって、気持ちよかったなぁ。」

しゃべり疲れて眠るまで、父は何度も何度も繰り返した。

長女である私は、父には大事に育ててもらったとは思うけれど、「やっぱり男の子にはかなわ
んなぁ。」とつくづく思ったものだった。



「父さん、ビール、どう?」

「お、うれしいね。」

焼き上がったお好み焼きを肴に、発泡酒のグラスを空ける。

「二人ともなかなか頑張ってたよ。」

父とは違い、嬉しいことは嬉しいと素直に表情にでる父さん。

運動が苦手だった自分たちの子供時代を振り返り、「よく続いているよなぁ。」とストレートに感
心する。

自分で出来なかったことを、子どもがすこしづつ達成していくのを見守るのは、親にとっては至
上の喜び。



子ども達の頑張りが、こうして時々父母にご褒美をくれる。

今日のビール、もとい発泡酒は旨かった。


2003年09月12日(金) オンナの子でしょ!


残暑厳しい中、子ども達は毎日、それぞれの運動会の練習でぼろ雑巾のようにくたびれて帰っ
てくる。

完全週休二日制で、練習時間が取りにくくなった分、限られた時間内に集中して練習している
模様。

運動場も教室も例年にない暑さ。

毎日、水筒を空っぽにして帰ってくる子ども達ももちろん、うだる子どもたちを引っ張って動か
す先生方のエネルギーには脱帽。



「高学年の女の子達の言葉使いが汚い。」

最近、どの子だかの懇談で耳にした。

たしかに、我が家の子ども達の周囲でも、「わ、すごい言葉遣い。」

と眉をひそめるような事が多くなった。

自分の事を「オレ」、友達のことを「お前」「てめえ」。

大人のことを「オヤジ」「オバン」。

「キモイ!」「ムカツク!」「死ね、ボケ!」

暑さや疲れで、イライラする体。

稽古事や親の過干渉から来るストレス。

そして、思春期の体の変化による不安や悩み。

また、体力的にも精神的にも、成長の遅い男の子達への優越感も、女の子達の言葉の荒れ
にもつながっているのかもしれない。

どちらにしても、しなやかな若木のようにすらりと初々しい思春期の乙女達の口から発せられ
る口汚い言葉は、汗臭いオッサンの入り口にたった少年達の口から吐き出されるそれより、数
倍の毒気をふくみ、オトナの胸を突き刺す。



オニイやゲンとアユコが口げんかをする。

言葉の乱れに口うるさい親なので、子供らも親の前で汚い言葉を吐くのは御法度とは感じてい
るようだが、それでもケンカが激しくなってくると、抑制も利かなくなる。

「お前が悪いんじゃ、あっちへ、行け!」

日頃クールに「ちっちゃいかあさん」の役目を果たしているアユコですら、怒りモードに入ると
「お前」だの「死ね」だの、毒を含んだ言葉を口にする。

「ちょっと待った、今のことばづかいは何?」

普段兄弟ゲンカには介入しない私も止めに入る。

「それが女の子の使ってもいい言葉?いつもそんな言葉使ってるの?」

「ごめんなさい」

優等生のアユコはたいがい、不満そうなふくれっ面をみせながら、改める。

同じ言葉をオニイやゲンが使っても、アユコが使うほどには気にならない。

「ふんふん、生意気な口を利くようになったな。」と思うだけの事もある。

これって性差別かしらんとわずかな棘が胸に残る。

「何で私だけ・・・」

アユコの胸に残る棘は母のそれより痛いはずだ。



小学校では、男女の名前が入り交じった「混合名簿」を使い始めた。

中学へ行けば技術科も家庭科も男女一緒の授業。

「家事育児はオンナの仕事」と言ってはいけないそうだ。

スカートをはく女の子がぐんと減り、「家を継ぐ男の子」より、「気軽に老後を頼める女の子」の
誕生が望まれるようになった。

男女平等、機会均等と言いながら、それでも私はアユコが使う「お前」が耳に障る。

「オンナの子だから」と区別するのはどうかとも思うけど、それでも近頃私はあえて、「女の子で
しょ!」と叱る。

母として、同性として、女の子の雑言は聞きたくない。それが未成年の我が子である以上、「お
かあさんは、イヤなの」ともはや感覚的な嫌悪だけで娘を叱る。

生意気盛りのアユコには母の理不尽に対する怒りが沸々と沸いてくるであろう事は、察しもつく
けれど・・・。



つい最近、アユコと二人で、ちょうどおなじくらいの年齢の女の子達が、目上の人に向かって生
意気な口を利いたり汚い言葉を吐いたりしている場面に居合わせた。

「おかあさん、あれが自分ちの子だったら、人前でもガンガン叱るだろうね。」

同じ場面を第三者の目で眺めていたアユコも頷いた。

「アタシもそう思った。あの子達のおかあさんは、叱らないのかな。」

「友達同士の時と親に話す時は違うから、気付いてないのかもしれないね。」

それに思春期の女の子達はそれでなくても扱い難いものだから・・・。



でも、まだまだ親が感覚的な好き嫌いで「女の子でしょ!」と叱っても、心のどこかに「ごめんな
さい」がなんとか引っかかってくれる今の年頃。

「こんな風に育って欲しい」「こんな事はして欲しくない」という親の許容範囲を娘達にまっすぐ示
すことの出来る最後の時期かもしれない。

だから私はアユコに口うるさく叱る。

「友達同士でつかう言葉と親や先生に話す言葉は違う。

男の子が使っていい言葉と女の子が使って気持ちのよい言葉は違う。

古くさいと言われようと、性差別といわれようと、母がイヤな言葉は、娘に使って欲しくない。」



今はふんふんと殊勝な顔をしてうなずいているアユコ。

それでもごくごくたまに、気むずかしいふくれっ面や、不機嫌なため息が漏れるのを見かけるよ
うになった。

女の子の成長の微妙な第二段階は近いようだ。

スポーツタイプのブラジャーが気になりだしたアユコの小さな胸の中に、どんな激しい自我が萌
えだしてくるのだろう。

楽しみなような、こわいような・・・・。

育児の不安や心配の種はまだまだ尽きないのである。








2003年09月10日(水) どんぐり ころころ

暑い暑いと言いながら、我が家の周りにひたひたと秋の気配は、やってきている。
工房の玄関に、ハラリハラリと降ってくる桜の落ち葉。
毎朝、義母がきれいに掃き清めるけれど、翌朝になると、再びハラリハラリ。
日一日、少しづつ数を増やしつつ、落葉は着実に始まっている。



アプコとともに、園バスに向かって降りていく道筋。十分色づかないまま、枝を離れて落ちてきたどんぐりが目に付くようになってきた。
手をつないで、早足で歩いている途中に、アプコが唐突に「あ!」と、拾おうとするので、母は「おっとっと・・・」とつんのめりそうになる。
「まだ茶色くないね。」
「こっちのは、葉っぱつき!」
アプコは拾ったどんぐりを全部「プレゼント!」と私に渡す。バス停に着くまでに私のポケットには、からからとどんぐりコレクション。



「ねぇ、みどりのドングリにはドジョウはでてこないの?」
???
「ドジョウ?なんのこと?」
なんだかよく分からない。確かに「どんぐりころころ」の歌はよく歌っているけれど、「みどりのどんぐり」って・・・?
どうやら、いつも「どんぐりころころ」は歌っているものの、その意味がよく分かっていないらしいので、道々、お話ししながら行く。

「お山のドングリが、池に落っこちてね・・・」
アプコは「ドジョウ」がお魚の名前だということも理解していなかったらしい。
「やっぱりお山が恋しいと・・・♪」もよく聞いてみると「おいしい・・・♪」と歌っている。
紙芝居や絵本でも、よく出てくるお話なのに、アプコのアタマの中にはいったいどんなストーリーが展開していたのだろう。



念のため、重ねて聞いてみた。
「・・・で、アプコは『ドジョウ』ってなんの事だと思ってたの?」
「めぇー。」
「めぇー?」
???
「お目目?」
「ちがう、めえー!」



しばらく考えて、ホイと合点がいった。
「ドングリの芽!」
そういえば、ほら、「ドジョウがでてきて、こんにちは♪」って言うじゃありませんか。
毎年、子ども達が拾ってくるドングリは、日が経つとおままごとのバケツや庭の木の葉の下で、にょきにょきと根っこを生やす。

拾ってきたときには、つやつやと宝石のように輝いていたドングリの殻は、根っこが生える頃にはすっかり艶を失い、そのかわりにたくましい根がのび、いつか緑のつややかな双葉を持ち上げる。
そんな些細な驚きを、今年のアプコはちゃんと覚えている。



「どんぐりは、おうちに帰りたくって泣いちゃったの?」
思い出したようにアプコが聞き返す。
「そうねぇ。泣いちゃったねぇ。」
拾ったドングリをアプコがぽ〜いと雑木の茂みに投げ込んだ。
「どんぐり、おうちに帰るかな。」

うんうん、帰る帰る。
春には、きっと、芽も出るよ。




2003年09月08日(月) 家事の好み

毎日大量に出る我が家の洗濯物。
その中で布巾やタオル、そして6人分の下着をたたんで、所定の位置にしまうのは、数年前からアユコの仕事である。

「おかあさん、こんな布巾、うちにあったっけ?」
取り込んだ洗濯物の中からアユコがひっぱりだした一枚。郵便局の粗品でしょっちゅうもらう布巾で、引き出しに一杯たまっていたのを昨日下ろしたばかりだった。
ふわふわ柔らかくて、ふつうの布巾より吸収力のある素材の物。
「うん、昨日、出してみたよ。おばあちゃんちでは、よく使ってるでしょ。」
「・・・・でも、どっちかというと、あたし、この布巾あんまり好きじゃないな。」
あ、そう・・・。実はおかあさんもそうなんだな。



うちでは、食器にはフェイスタオルの半分の大きさのタオルを、台拭きには20センチ角くらいの使い古しのハンドタオルを2枚縫い合わせた布巾を使う。
一度使った布巾をすすぎなおしてもう一度使うのが好きじゃないので、一旦使った布巾はどんどん洗濯機に放り込んで、新しい布巾をペーパータオルのように次々使う。
だから、布巾の籠には洗いさらしてパリパリになったタオルがいつもぎゅうぎゅうに詰め込んである。
いわゆる「ぬれ布巾」というヤツを置いておく習慣がない。

一方、工房の2階にある義母の台所には、いつも必ず、食卓の隅や流し台の所に小さく畳んだぬれ布巾が慎ましやかに置いてある。
食卓でのちょっとした粗相や食べこぼしもこまめにササッと拭けて、これはこれで便利でもある。
この、常備用ぬれ布巾に、義母は郵便局粗品バージョンの白い布巾をよく使う。
実家の母もどちらかというとぬれ布巾常備派だった。



新婚の頃、初めて洗濯用の柔軟剤という物を使った。古タオルも柔軟剤を使うとふわふわと柔らかな肌触りになって感激したことがある。
実家では、常の洗濯に柔軟剤はあまり使わない。
母に、「柔軟剤使ったらタオルがふわふわで気持ちいいよ」と教えたら、
「そう?でも、タオルはパリッとしてるほうが気持ちよくない?」と不思議がられた。

そういえば柔軟剤を使ったタオルは肌触りはいいけれど、吸水性はいまいち。かさも高くなってきちんと畳めない。元来の無精も手伝って、ついに柔軟剤は使わなくなってしまった。



郵便局布巾の肌触りは、ちょうど柔軟剤を使ったタオルの柔らかさ。
吸水性もいいので、使い勝手は悪くはないのだけれど、なんだか洗いさらしたタオルのパリッとした緊張感がなくて物足りない。

たぶん、毎日取り込んだばかりの布巾を畳んでくれるアユコも、同じ物足りなさを感じているのだろう。

主婦の日常は毎日毎日、ささやかな用事の繰り返し。その中で、その家ごと、その主婦ごとのささやかな家事の好みが生み出される。

そしてそこで育っていく子ども達には、母の主婦感覚が、好む好まざるに関わらず、まさしく当
たり前の「家事の常識」として刷り込まれていく。

アユコの布巾の好みが私のそれとぴったり一致していることに気付いたとき、正直なところ「恐いなぁ」と思った。

私の整理下手のおおざっぱな家事も、多忙と大家族をいいわけにした手抜き料理も、これから主婦となるであろうアユコの主婦感覚のスタート地点になるのだなぁ。



この間から、惜しむように読んでいる幸田文のエッセイの中に、若い文さんが父の幸田露伴から厳しく掃除のやり方を伝授される場面が出てくる。

雑巾は刺した物より手ぬぐいの様な一枚ぎれがいい。バケツの水は6分目。雫で床をぬらさぬように注意して絞る。しぼった濡れ手の雫も落とさぬように気を配る。

現代のおざっぱなお掃除から見ると、いささかマニアックとすら見える露伴の家事に対する美意識と、それに答えてわが娘にも父の家事感覚を厳しく伝えていく文さん。

古くから、多くの主婦の中に、密やかに脈々と伝えられてきたつつましい主婦感覚は、実は日本的な細やかな美意識に通じていく物なのだと改めて認識させられる。



はてさて、かたや我が家のおおざっぱ、且つ、ずぼらな主婦感覚。
近頃、料理に興味を示して、しょっちゅう台所をうろちょろしているアユコに、私はどんな家事の好みを教え込んでいくのだろう。
幸いにして、私よりずっと几帳面で、整理整頓上手なアユコ。
母のずぼらを反面教師にして、優秀な主婦となってくれることを期待してもいいかもしれない。

それにしても、アユコのアタマのどこかに確実に刻まれていく私の「ええ加減主婦」の主婦感覚。

子どもを育てると言うことは、ほんとは恐いことだなぁと改めて、猛反省。


2003年09月06日(土) 2003年9月6日(土) 焼き損ない

久しぶりに、荷造り場で仕事をしていると、玄関の方で来客の声。
義兄が応対に出たようだ。

「ハイキングのお客さんかな。」
工房は、ハイキング道の入り口にあるので、休日には通りすがりの人がやってきて、展示してある作品を見ていかれる。

近くまで来たので寄ってみたのだけれど、自分は焼き物が好きなので、こちらで焼き損じのお茶わんがあったら分けてもらえないだろうか。

その女性客は、玄関先で展示してある作品を見るより先に、そうおっしゃった。

「あ、困ったな。」
思わず手を止めて、聞き耳を立てる。
義兄はどんな風にお答えするのだろうか。



展示してある作品ではなく、工房の隅に転がっているような「焼き損じ」の作品を分けて欲しいとおっしゃる方が時々おられる。
「ここの作品をぜひとも手元に置きたいけれど、高価でなかなか手に入れられないから」と、おっしゃるのだけれど、うちでは、何らかの不具合のある作品を安価でおわけするようなことは、していない。

確かに、多くの作品を作っていると、小さな瑕疵や不具合を持って窯から出てくる作品もいくつも出てくる。
うちうちでの使用にはなんの支障もないけれど、作品として高価な値札をつけて頂くには耐えないB品。
美しい色の焼き上がりながら、小さな不具合のために涙を呑んでお蔵入りとなる作品。
実を言うと、工房の裏には、そうした「焼き損じ」がたくさん転がっている。

窯元によっては、そうしたB品を値段を落としてお内使い用にと販売するところもあると聞く。
お茶碗として、お皿としての機能は十分に持ち合わせて窯から出た作品を、値段を落としてでもどこかの食卓で生かしてやりたいという作り手の作品に対する情も十分に理解できる。
しかし、長い年月、伝統の窯元としての看板を掲げている以上、窯元の印を押す作品に対する責任として、不満足な作品を安易に外へ出すことは出来ない。

「抹茶茶わんは高価で手が届かない」
とよく言われる。
確かに、値札についているゼロの数は一塊の土くれから生み出された物としては、とんでもなく法外な物かもしれない。
しかし一個のお茶わんが値札をつけて世に出されるとき、裏側にはその一個の茶わんの価値を保つために長年培われた技術に加えて、泣く泣く闇に葬られたいくつものお茶わんがある。



「もの(作品)は、あとに残りますから。」
義兄は、「内使いにして、外へは出さないから・・・」と食い下がる女性にやんわりとお断りしている。
確かに巷の骨董店やオークションなどでも、うちの窯の作品が周り回って顔を出していることもある。

その作品の裏の印を見れば、それがどの代の作品で、どのような状態で世に出たのか大まかな事は察することが出来る。

最初に購入なさった人の手元を離れても、作品は窯から出たときの品質と制作者の刻印を確かに持ち合わせたまま、流通していくのだ。

「もの(作品)は、あと(後世)に残る。」
主人や義兄や義父が作り、私たちが梱包して毎日送り出している作品は、もしかしたらわたしたちがいなくなった後までも、「吉向」の作として、お茶席に置かれ、評価される。
その厳しさを、義兄は誇りを持って「あとに残る」と表現したのだろうか。

「焼き損じ」をお分けしないのは、意地悪やら吝嗇ではなく、いま、どこかのお客様の手の中にある多くの過去の作品、そして、これから生み出される未来の作品への責任なのだ。

「・・・大変失礼な事を申しました。」
女性客は義兄のお断りに、納得してお帰りになった。

今、私が包装しているのは薄青地に流水の彫り込みのある小振りのお菓子皿。
茶道の先生が御祝いの席のお配り物になさるのだそうだ。

同じ土、同じ釉薬から生まれながら、微妙に表情の違う百枚あまりのお菓子皿は、窯元の刻印とともに見も知らぬ人の手へと散らばっていく。
その一つ一つのご縁を思いやりながら、再び、包装の仕事に立ち戻る。

今日、50組の菓子皿の包装を終えた。




2003年09月03日(水) 乗ってかない?

母に続き、今度は父さんが秋休み。

「取材」 という名目で、一人で車を走らせて、高知の海を見に行った。

うるさい日常を離れて、リフレッシュして帰ってきて欲しい。



数日前から、お隣の裏庭の擁壁の工事中。

コンクリートミキサーやら土砂を積んだダンプやらがハイキングコースの細い道を何度も行き
来する。

昨日も、アプコと手をつないで歩く道すがら、道路脇の茂みに潜り込むようにして大きなダンプ
カーをやり過ごした。



「アプコーっ!いそげーっ!幼稚園バス、いっちゃうよ。」

今朝も大慌てでスニーカーをつっかけ、鍵をかけて、飛び出していく。

今日も暑くなりそうだ。

お隣では、もう満載してきたバラスの荷下ろしを終えたダンプカーが、次の荷を取りに下ってい
こうとしているところだった。

道幅の広いところで、アプコを引き寄せ、ダンプを先に行かそうと振り返った。

「乗ってかない?」

すれ違っていくダンプの運転席から、思い掛けなく声がかかった。

突然のことに、ぽかんとしていると、

「下までいくんでしょ?」

見ると運転しているのは、隣の工事で毎日姿を見かける茶髪のオニイチャン。

「あ、いいです。いつも歩いてるから・・・」

ようやくお断りして、付け加える。

「ありがとう。」



何度も何度も、土砂を積んで行き来する現場への道のり。

太ったおばさんと幼稚園児が歩いて下って行くには、遠すぎると思ってくれたのかな。

アプコの足でも15分足らずの道のりも普段、車で通過していて歩いたことがない人にとって
は、結構距離があるように思われるらしい。

雑木にかこまれ、だらだらのぼっていく山道は、ちょっと見た目は実際の距離以上に遠く感じら
れるようなのだ。

空荷で、下っていくだけのダンプの助手席に、ふうふう汗を掻きながら早足で下っていくおばち
ゃんと小さい娘を拾ってやろうかと、気遣ってくれたのだろう。



別に、あなたの厚意を疑ってお断りしたわけではないのよと知らせたくて、私はジャンバースカ
ートの胸につけた赤い万歩計をカチャカチャ、振ってみせた。

「あ、なるほど・・・」

茶髪のオニイチャンはニッと笑って、ブルルンと下っていった。



この残暑厳しい中、屋外で肉体労働に従事する人たちのエネルギーには感心する。若い元気
なお兄さん達が、日に焼けた首筋に玉の汗を浮かばせて、重い土砂を運んだり、足場を組ん
で塗装をしたり・・・・。仕事の時間内は頑強なロボットのように、実によく動く。

休憩時間には埃まみれの作業着のママで道ばたに座り込み、大きなペットボトルのお茶をガブ
ガブと一気飲み。

作業に取り組む仲間内では、年かさの棟梁を頭に微妙な上下関係があって、作業の分担も休
憩の時の席順もそれとなく定位置があるらしいのも、好ましい。

「働く」ということの原点には、こうして額に汗して、体を使って、こつこつと一心に作業すると言
うことがあるのだなと改めて思う。



ところで、私をドライブに誘ってくれた茶髪のオニイチャンは、ひょろひょろと背が高く、肉体労
働者らしからぬ細面の優しげな青年だった。

彼らが昼休みを取る路肩の木陰に、昨日はコミックではない薄手の新書版の書籍が2冊、しお
りを乱雑に挟んだ状態で置いてあった。

学生のアルバイト君が仕事の合間に夏期休暇の課題でもやっつけているのだろうか。

なんとなくその本の持ち主は、あの「乗ってかない?」のオニイチャンではないかという気がして
いる。

ちょっとさわやかな、いい青年だった。


2003年09月01日(月) 秋休み

とりあえず宿題もやっつけた。

上靴も通知票も持った。

制服も名札も見つかった。

よぉし、行って来い!

始業式です。



始業式の日は、子ども達も早帰りなので、どうしようかなと迷ったのだけれど、一ヶ月ぶりの七
宝焼き教室。

父さんが、「行っておいで。」と言ってくれたので、主婦の秋休みのつもりで、朝から出掛けるこ
とにした。

「お昼はラーメンが買ってあるよ。アプコのお迎え忘れないでね。晩ご飯、子ども達の誰か、作
ってくれる人、ない?」

怒濤のように言い残して、とっととお出かけモード。

だって、子どもを連れずに一人でお出かけ、ほんと久しぶりなんだもの。



教室の前に天王寺へ出て、お仕事用にアクセサリーのパーツを何種類か仕入れ。

ついでに、本屋で探していた文庫のエッセイ集を数冊購入。

Mバーガーで、簡単ランチ。

ささやかな一人の時間。

そういえば大きな本屋で読みたい本を探すのも、ファーストフード店のテーブルで、買ってきた
ばかりの文庫本のページをパラパラとめくるのも、学生時代には当たり前の一コマだったの
に、田舎の専業主婦に収まった今の私には、日常から開放された至福の時間。

街には、忙しく往来するサラリーマンやOLさん。始業式を終えた高校生。

この雑踏を自分の領地のように闊歩していた青春時代が懐かしい。

後戻りしたいとは、思わないけれど・・・



学生としてこの街を歩いていた頃、もちろん私は自分が4児の母となることも、陶器屋の奥さん
になることも、空想さえしていなかった。

そのころ私が想像していた40才の私は、今の私と全く違う。教職を目指してはいたけれど、結
婚とか育児とか、体の衰えとか老人介護とか、現実に当たり前に降りかかってくる雑事はほと
んど視界の外だった。

喫茶店で一人で飲むコーヒーや、本屋で気の向くままつぶす時間の贅沢を、あのころの私は
気付いてはいなかったのだなぁ。



Mバーガーの小さなテーブルで、パラパラ開いた文庫本は、青木玉のエッセイ集。

幸田露伴の孫、幸田文の娘でもあるこの人のエッセイに最近、熱中している。

厳格な祖父と母から日本的な美意識を幼少から徹底して教え込まれた女史の品の良いユーモ
アを含んだ文章の数々についつい唸らされる。

日常の生活のひとこまに、鋭く、しかも暖かい視線を配って、色彩を加える。さすがに訓練され
た人の文章というのは、みごとだなぁと思う。



ところで、私が学割定期でこの町へ毎日通っていた頃、何冊も何冊も文庫本を読んだ。

その中には確かに、幸田文のエッセイ集も何冊か含まれていたはずである。

露伴の娘の細やかな感性も、美しい日本語の響きもきっと味わっていたはずなのに、あのころ
の私がこの女性のエッセイに強く引かれたという記憶がない。

すぐ目の前の楽しみと、華やかな街の匂いに惹かれる根無し草の小娘の目には、日常の隙間
にキラキラ輝く瞬間をすくい取るような、生活に根付いたエッセイの魅力を味わい尽くす事は出
来なかったという事だろう。



いま、日々の日常に負われ、子ども達とのドタバタに時間を食いつぶす毎日の中で、彼女らの
随筆に強く心惹かれるのは、何故だろう。

カフェで一人で飲むアイスコーヒーの味が贅沢と思えること。

子ども連れでなく、一人で気ままな買い物の出来る時間を至福と思えること。

どれも、今の私が家族とか仕事とか、圧倒的な重さを持った日常の中にしっかりと根っこを下
ろして踏ん張っているということの裏返し。

若い頃の私にとってそれは、束縛とか不自由としか思えなかったもの。

でも今の私にとっては何より大事な生の「土台」なのだということが、ようやく判るようになってき
た。



夕方、心地よい疲労とともに帰り着いた私を迎えたのは台所で奮戦しているオニイの姿。

今日の夕飯はオニイが一人でカレーを作るという。

指南役のアユコを遠ざけて奮闘するもあっという間に、ピーラーで指を傷つけてギブアップ。

ついでにピンチヒッターのゲンまで、指を切ったようだ。

流し台は、散らかったままのタマネギやジャガイモの皮。

「オカアチャンオカアチャン!おばあちゃんちの前で、転けちゃった。」

汗まみれのアプコが駆け寄ってくる。



頑張れ、これが今の私の確かな生活。

このにぎやかな生活が、十年後、二十年後の私の宝石になるのだ。


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