闇鍋雑記帳
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2009年03月17日(火)

先日の胎内記憶に引き続き、プニプニがまたも語ってくれました。
どんどん具体的になってきております。

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お母さんはどんな人か分かっていた。
自分でどのお母さんのところに行くのか決める。
そして、行きたいところに星になって飛んでいく。
流れ星のような星の光の中に卵がいて、それが自分。
卵の時には道しるべを持っていて、それで自分の行くべき方向を見ている。
綺麗な水に満たされた所があり、そこにはトンネルがある。そのトンネルを通ると濡れないで安全に道を通る事が出来る。
通り抜ける時にトンネルが優しく優しく撫でてくれる。それがとても気持ちが良かった。
そして、トンネルをくぐると道しるべがある道に出る。
こちらに来る時には赤い道を通ってきた。
そこはふわふわしていて、とても気持ちが良かった。
道は十字路になっていて、真ん中に道しるべがあり、そのお陰で何処に行くかが分かった。
その道しるべは、時計の針のように矢印があり、長いもの、短いものがある。
そして自分の好きな道を選ぶ事が出来る。
その道しるべに進む方向をお願いすると、行くべき道を指してくれる。
自分の来た方から見て、真っ直ぐ(12時の方向)に行かないと産まれる事が出来ない。
プニプニは12時の方向(真っ直ぐ)にして下さいとお願いしたら、道しるべが動いて12時の方向にしてくれた。
その道を進む時には、他の方向の道はロボットみたい(新幹線のゲートみたいなもの?)に塞がれ、通り過ぎると元に戻る。
道しるべには、赤いボタンがあり、どの方向から来てもそのボタンを必ず押さないといけない。
ただし、間違った方向に行っても通してはくれるけれど、間違っていても「間違っている」とは教えてくれない。
産まれたかったら真っ直ぐに行って良い。産まれたくなかったら9時、或いは3時の方向に行く。そこに赤ちゃんが行くと、ぱちんとはじける(子宮外妊娠?)し、ちゃんと産まれる事が出来ない。
産まれたい、産まれたくないというのは自分で決められる。

お腹の中ではお母さんの足音は大きく聞こえる。
お父さんの大きな声も聞こえる。
言葉が分からないから、何を話しているのかは分からない。
でも、自分に話しかけていたのは分かる。
お腹の中にずっといたかった。温かくてとても気持ちが良かったから。
でも、早くお母さんと抱っこしたい、おっぱいを飲んでみたいと思っていた。
おっぱいは美味しいけれどちょっと飲みにくくて、ミルクの方が飲みやすかった。

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今回はここまで。

プニプニが図解してくれましたので、ちょっと絵を起こしてみました。


        

夫にこの胎内記憶を話してみると「作ってないか?」と言います。
ですが、捏造である部分もあるかもしれませんが、概ね正しいと思うのです。
例えば、「トンネルが優しく優しく撫でてくれた。」
多分、"トンネル"は卵管采。排卵された卵が卵巣から卵管に拾い上げられる所です。
"ふわふわな道"は、卵子が卵管を通る時に、繊毛運動で子宮内に運ばれて行く時の事だと思います。
道しるべで9時や3時の方向に行くと、卵管で留まってしまうという事でしょうか。子宮外妊娠を指すならば、狭い卵管で胎児が育つ事になりますから、卵管は勿論破裂しますし、産まれる事は不可能です。
残念ながら、胎内で胎児が死亡する繋留流産などについては、符合する部分が見当たらないので分かりません。
ただ、9時の方向、3時の方向に行くと「産まれない」というのは確かなようです。

子供が親を選ぶ、産まれるか産まれないかの意志決定をするという話はよく耳にしますし、本なども出ております。
ですが、それぞれ様々な表現なのですが、プニプニはこんな風に意志決定をしていたのかと思うと、興味深いです。

また、産まれてからの記憶も符合します。
プニプニは3ヶ月半で母乳を飲まなくなりました。
おっぱいを口に当てても、嫌がって飲まないのです。
やはり哺乳瓶は子供にとっては楽に沢山飲めますし、吸うのに力の要る母乳よりは断然楽なのでしょう。
でも、栄養価は母乳の方が高いですし、消化も良いはずでございます。
母乳を飲んで貰えずにパンパンに張ってしまい、石のように固くなった乳房から、母乳を無理矢理絞り出して痛みに耐えていたあの時分の事を思うと、ちょっと涙が出そうになってしまいました。飲めー!!

しかし、考えてみると卵子の時以前からの記憶がある、或いは卵子として卵管を通って着床するまでの詳細な記憶があるというのは、ものすごい事だと思ってしまいました。


2009年03月15日(日)

プニプニが突然、思い出したように胎内記憶を話してくれました。

今まで聞いても「ん〜?わかんない...」「ずーっとお腹の中に居たかった」などとは言っていたのですが、本当に突然話し出したのです。

割と残っているという方もいらっしゃるようですが、我々は非常に貴重な証言だと思うので、ここに記録として留めておく事にします。

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お母さんのお腹の中にいたら、ダイヤモンドみたいなすごく明るくて綺麗な光があって、そちらに行ったら病院だった。
光に向かっていって明るくなったと思ったら、お母さんが寝ていた。
赤ちゃんの時は、そこがどこかわからなかったけれど、今考えたらそこは病院で、出たら嬉しくて楽しくて笑ってしまった。

お腹の中はお砂場みたいにふわふわで、クルクルまわったり、鉄棒をしたり、足を伸ばしたりして遊んでいた。

お母さんが歩いている音が聞こえた。
ゴンゴンと聞こえた。
お父さんがでっかい声で喋る声やお母さんの声は聞こえたけれど、音楽等の他の音は聞こえなかった。

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以上です。

幼児の妄想かと思われるかも知れませんが、我々にはこれが本当だと思える確証があるのでございます。

生まれてきた時には、プニプニは本当に楽しそうにニコニコと笑っていたのです。
乳児の「社会的な笑い」が出て来るのはもっと後なのですが、彼は生まれてきた時からニコニコしていたので、義母が「産神様が笑わせてくれたんだわ」と言っておりました。
でも、本当はそういうことだったのか・・・と、本人の話を聞いて妙に納得してしまったのでございます。
産まれてからも、常にニコニコしている子だったので、看護師さん達にはとても可愛がって戴いておりました。

鉄棒があったかどうかは分かりませんが、結構な月数になっても、子宮にスペースがあれば胎児は中で泳いでいるらしいですから、「クルクル回って遊んでいた」というのも頷けます。
鉄棒はもしかしたら臍の緒かもしれません。

嫌な経験をあまりしない子というのは、小さな頃の記憶も鮮明に残りやすいと聞きます。
逆に嫌な経験を多くすると、その嫌な記憶を忘れたくて、いろんな記憶を忘れて行くのだとも。
ワタクシは多分後者で、直近の記憶も危ういですが、彼の話を聞いて、プニプニがそういう思いをこれからしていかないよう、大事に育てて行かなくてはと、身が引き締まる思いを致しました。


2009年03月04日(水)

こんにちは。おかね坊でございます。

昨日はおひな祭りでしたが、ワタクシの豆雛を出さずに終わってしまいました。

そして、プニプニが園で作ってきた、可愛らしいニコニコお雛様を飾っております。

只今風邪引き真っ最中でございます。

プニプニは園で大流行しているA型インフル&溶連菌感染症を貰ってきて、高熱を出してヒーヒー言っております。

何ともはや・・・。

代われるものなら代わってやりたいですが、主婦が倒れるとろくな事はございません。

そんなわけで、頑張って耐性をつけてもらうしかありません。

そういえば彼はインフルも溶連菌もこの冬各2度目なんですよねぇ。

怖ロシア。

皆様どうぞ、残っているインフルの毒牙に罹らぬようお気を付け下さいませ〜。

石鹸での手洗い、うがいを励行なさって下さいね。

うがいはイソジンが良いようですよ。


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