Food for Thought
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2005年06月16日(木) その扉を決して開けてはいけない

Strawberry Netでオーダーした化粧品が4日で届いた。国内の定価に比べ、平均3割引、物によっては半額近い。しかも送料無料。これから美容に励むとするか。ほとんどプラシーボ効果かもしれないが…

 ところでこの間思ったのだが、効果がないと知っていたらプラシーボは起こらないように、この世には「決して解明してはいけない」部分があるように感じる。人間が賢くなりすぎて、世の中のからくりが全てわかってしまったらゲームオーバーになってしまうとでもいうか。例えば、「自分達は本当はアンドロイドだったのか!」という感じか。

いろんな神話でも「誰にもしゃべってはいけない」、「決して見てはいけない」、「決して振り返ってはいけない」などは定番。
日本昔話でいえば「鶴の恩返し」や「雪女」、旧約聖書ならアダムとイブが知恵の実を食べてしまうところ。「原罪」と言うくらいだから、よっぽどいけないことなんだろう。
神道でも実はいろんなおどろおどろしい部分があるらしいが、そういう所は専門家(神主とか)に任せて、普通の人はあまり立ち入るべきではないとか。

養老孟司のいう「知ることの怖さ」である。一度知ってしまったら、知らなかったことにはできないから。

自分にとってはキリスト教の暴露本などが、避けるべき部類か。クリスチャンではないけれど、キリスト教的考えがバックボーンにあるので、土台が崩れてしまう恐れがある。『ダビンチ・コード』もやめておこう。


2005年06月07日(火) 脳関連本また入手

本屋でジュリアン・ジェインズ著『神々の沈黙』玄侑宗久・有田秀穂著『禅と脳―「禅的生活」が脳と身体にいい理由』を買う。『神々の沈黙』は3,200円とちょっと高めだったが、ビビビッときて買わずにはいられなかった。「古代人には現在のような意識はなかった」という、右脳と左脳の話である。どこかで聞いた話だと思っていたら、5月8日付の日経の書評で紹介されていたのを切抜いてあった。脳関連の本は買う一方でほとんど読めていないが、手元にあって適切な時に参照できればいいと最近では開き直っている。買ったまま放って置いた本がある時出番が来る、ということが今まで何度もあった。疑問に対する答えがそこに見つかるといった感じで、何で事前に買ってあったのかとても不思議なのだが。

 あることに関心を持つと、不思議と関連情報が「偶然」集まってくる。向こうからやってくる、といった感じで。今まで見過ごしていたものに自分の意識が向いただけ、ではちょと説明しきれない。作家など、いろんな人が同様の体験を語っているのを読んだことがある。

例えば今自分の日記を読み返していて、アルノ・グリュ―ン著『人はなぜ憎しみを抱くのか』が気になった、とある。そんなことはすっかり忘れていたのだが。そして、この本について検索しているうちにこんな書評にたどりついた。そのブログ内で『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』がお勧め本として紹介されている。アマゾンのレビューで「現代文明は、意識の勘違いをベースにしている。ずっと、自覚なしにやってきた。ギリシアまでは意識が無かった」と、『神々の沈黙』と同じようなことが書いてあるではないか。よく見ると、訳者が柴田裕之という同じ人であった。じゃあ、他にどんな本を訳しているの、と見ていくと、『禁断の知識』なんて題名があってまた気になる…

こんなイモヅル式で、節操の無い知的好奇心はどこまでも…






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