てらさき雄介の日記
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2024年08月31日(土) 北朝鮮の案内員の記憶

もう四半世紀くらい前のこと。北朝鮮に旅行に行った。当時は「普通に」行くことが出来た。旅行代理店で手配してもらい、名古屋空港から高麗航空のチャーター便だ。

写真は多く残っていない。今ならアイフォンでパシパシと撮るところだが、その時は「写ルンです」を持っていった。仮に没収になっても損失が少ないと思ったからだ。

先方が付けた案内員のエピソードをよく思い出す。もう大分前のことなのでいい気もするが、その人たちに不利益があってはシャレにならない。以後ずっと公開で語ったことはない。しかし私の記憶にはしっかり残っている。

●今日一日

終日所用


2024年08月30日(金) 台風で飛ばないという初めての経験

初めて飛行に乗ったのは、19歳の時だった。タイに向かうべく成田から乗ったエジプト航空だ。それから数百回の飛行回数となるのだろうか。

大きな変更は3回ある。マニラからの帰りに強風で成田に降りられず、羽田となったことが1回。グアムに向かう際に、5、6時間ほど遅延したことが1回。バンコクへ行くときに便が欠航なのを知らずに、空港でその振り返便にギリギリ乗れたことが1回。

そして今回初めての経験をした。台風で予定された便が欠航になった。ほんの数分前まで乗れるはずだったのに、予定された飛行機が降りられずにキャンセルになったのだ。まあ無理に飛んでも危険。ゆったりと再開を待とう。

●今日一日

終日所用


2024年08月29日(木) 祖父母の出会いは確認のしようもない

幼少期のお盆と年末は鹿沼へ行った。母方の祖父母がいた。ともに私が成人まで元気で、齢90歳を超えて鬼籍に入った。

一方で父方の祖父母は、ともに私の生前に亡くなっている。故に会ったことはない。父からもほとんど話を聞いたことがない。祖父は佐賀県の出身で、祖母は大分県だ。あちらで出会って結婚したのか、神奈川に出てきてからなのか、今では確認のしようもない。

墓は近くにある。上溝の自宅から車で15分ほどの、愛川町のメモリアルパークだ。父と、その両親である私の祖父母、そして少しだけ父の兄が入っている。

●今日一日

終日所用


2024年08月28日(水) 日本の面積は広大だ

初めて世界地図や地球儀を見て、「日本はこんなに小さいのか!」と驚くシーンが、幕末物などによく出てくる。

しかし実は面積という意味でも日本は大きい。東京から与那国までは、北京までと変わらない。札幌から那覇までは、飛行機で4時間もかかる。陸地でもこれだから、周辺の海域を含めるとまさに広大である。

地域性も様々。東北や沖縄の方言は、関東の言葉と大分違う。料理もかなり幅がある。明治から中央集権が進んだが、今でも地域の個性は生き続けている。

●今日一日

終日所用


2024年08月27日(火) 軟骨の味噌づけ

昨晩のこと。良い店に入った。事前にネットで調べたが、ほぼぶっつけ本番で入ってみた。カウンターに一人で座ると、目の前に短冊のメニューが張ってある。鳥のもも焼きとサラダを頼んだ。お通しはもずくである。

いずれも美味しかった。そして一番驚いたのは、最後の一品だ。迷った末に「軟骨の味噌づけ」にした。どうも料理のイメージが頭にわかない。だから頼んでみた。すぐに目の前に出てきた。

ここは鳥料理の店なのに、何と豚さんの軟骨だった。すっと嚙み切れるくらい、しっかり煮込んである。後から聞くと、これが女将さんお勧めのメニューらしい。この方は沖縄のご出身かな。

そんな立ち入った失礼な質問はしないで、美味しい美味しいとすぐに平らげてしまった。場所が遠いので再訪できるかはわからない。しかし忘れ得ぬ店になったと思う。

●今日一日

終日所用


2024年08月26日(月) ご先祖様を大切にすること

今日から約1週間休みをとる。やらねばならぬことがあり、以前からタイミングを見計らっていた。

私は政治的に革新の部類に入るのだろうが、一方で保守の思想に好きな部分もある。それはご先祖様を大切にすること。父が亡くなってからは、特に思うようになった。

父母やその父母、そしてその前の皆様。その出会いが少しでも違っていたら、今の私は存在しない。偶然と必然の積み重ねによる奇跡と言える。

●今日一日

終日所用


2024年08月25日(日) 相模原出身の講師からハマスの話を聴く

さがみ9条の会主催のの講演会に参加。講師は相模原出身で、レバノンの学校に通い、現在は日本で中東和平を推進する活動をしている。

中東とハマスに関する貴重なお話を聞くことが出来た。どこの国も社会は複雑。右か左か、上か下かで図れない。市民の生活が多様なのだから、そこから発する問題が単純な訳はない。

外国の今を参考にする時も、見えているのは一面でしかないことを認識しないと。改めて気が付かされた機会だった。

●今日一日

【午前】
資料作成/事務所

【午後】
さがみ9条の会講演会/相模原市中央区中央
月例ミニ県政報告会/同

【夜】
会合/同


2024年08月24日(土) 花火大会の現地と2軒のお宅へ

田名の花火大会。昨年は早い時間に現地を訪れ、セレモニーは出席出来なかった。すると「寺崎、来なかったな」と言われたので、今日は時間を合わせての原着。ちょうど暗くなった時間に、主催者等の挨拶があり、私も来賓として名前だけご紹介頂いた。

その後は同じ田名の上段でお宅訪問。この日に合わせて宴会やバーベキューをする「伝統」は以前からあり、今日はそのうちの2件を訪問した。それぞれにお酒をたくさんいただき、酔っ払いながらも様々なご意見を聞くことが出来た。今後に活かしていく。

●今日一日

【午前】
行政相談対応(教育)/相模原市緑区青野原

【午後】
地域まわり/相模原市中央区内

【夜】
田名納涼花火大会/相模原市中央区水郷田名
会合/相模原市中央区田名
会合/同


2024年08月23日(金) 厚生部会長としての役目

会派の厚生部会で部会長をつとめている。その役目で、ある政策資料を作成するため、県庁に赴いた。机に向かってパソコンをいじるのは長時間は無理。だからという訳ではないが、約2時間で案を完成させた。

議員は頭の体操ではいけない。一つ一つの項目に市民の声や、過去の経験が無くてはならない。その視点を大切に打ち込んでいった。今後は会派の同僚議員によって、より高度な内容にアップしていく。楽しみだ。

●今日一日

【午前】
政策資料作成/県庁

【午後】
政策資料作成/同


2024年08月22日(木) ライオンズと私の事務所は同じビル

相模原シティライオンズクラブの理事会。本年度初めて理事になり、今日で二回目の参加。メンバーから預かった会費の有効な使い道について、真剣かつ厳しい議論が行われた。

さてクラブの事務局は中央区中央3−6−6トーエイビルの3階にある。私の事務所はその2階だ。私はもう四半世紀この場所なので、クラブが後から入ってきたのだが、結果上と下で便利である。

ひと昔前のライオンズクラブは、イメージ通り「お金持ち」の集団だった。しかし今はそうでもない。9割方が中小企業の経営者で、自ら現場に立っている人も多い。私も出来る貢献はしたい。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
所用

【夜】
相模原シティライオンズクラブ理事会/中央区中央


2024年08月21日(水) 鳥取県西部聴覚障がい者センターを訪問

鳥取県は聴覚障がい者施策が進んでいる。手話言語条例を全国で初めて制定し、その結果として県の予算も拡大している。また今日の調査でも県庁の担当部署と聴覚障がい者協会の幹部が同席。日頃からの連携が見てとれた。

聴障がい者用の福祉機器についてもレクを受けた。常の移動から非常時まで、音が聞こえないことによる不利益は大きい。それを視覚など別の手段によってカバーする試みだ。まさに厚生常任委員会の所管事項。議論を深めたい。

●今日一日

【午前】
鳥取県の聴覚障がい者施策について調査/米子市内
鳥取県西部聴覚障がい者センターでその取組について調査/同

【午後】
米子市から神奈川へ移動


2024年08月20日(火) 地域の為にという声を多く聞いた

本日は民間企業を2つ訪問。それぞれの先進的な取り組みを、直接の担当者から聞いた。昨日を含めて皆さん言われるのが「地域の為に」ということ。島根県という場所柄もあるのだろう。神奈川のそれよりも強い意志を感じた。

地方は人口減少によって疲弊している。その場所で暮らす人も大変だ。しかし何か悪いことをした訳ではない。一方の首都圏は良いことをした訳でもないのに「得」をしている。全うとは言えない状況だ。是正する必要がある。

●今日一日

【午前】
中村ブレイス株式会社で義肢装具開発の調査/大田市内

【午後】
和光産業株式会社で障がい者雇用の調査/松江市


2024年08月19日(月) 厚生常任委員会の県外調査で邑南町へ

厚生常任委員会の県外調査。公立邑智病院を訪問。経営状況と院長が専門のマススクリーニング検査について詳細な話を聞いた。

神奈川県病院機構とは規模が大分違う。一方で公立病院としての理念や理想は同じはず。「産科と小児科は無くさない」とのこと。“不採算”部門にこだわる姿勢に感銘を受けた。

また効率化という名のサービスカットではなく、建屋の改修や先進機器の購入等の設備投資によって、利益を上げていく取り組みも参考になった。

●今日一日

【午前】
相模原から邑南町へ移動

【午後】
邑南町の子育て支援施策の調査/邑南町役場
公立邑智病院で経営状況等の調査/邑南町内


2024年08月18日(日) リベラルをはき違えている議員も多い

私の思想は左派。地元の皆様はよくご存じのこと。今後も多分変わらない。しかし同志であるはずの人たちから、酷い攻撃や嫌な対応を多く受けてきた。

最近は「リベラル」という言葉をはき違えている議員もいる。リベラルとは自由であり、その為に多様性を尊重すること。その基礎は他人に対する思いやりだ。他人を攻撃することで自己アピールするのは、風上にもおけない。

そういう人が一時の風によって、影響力のある地位に立つことは全力で阻止する決意。スターリンや毛沢東を生み出しては、それこそ市民に申し訳がない。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
相模原シティライオンズクラブ例会/横浜市内


2024年08月17日(土) 明大中野八王子高校のプチ同窓会

明大中野八王子高校の同級生と少人数だが楽しい会。当時は通学とバスケット、そして進学のための勉強で一杯いっぱいだった。友人と真剣に付き合うということが、今更ながらどこまで出来ていたかわからない。

それでも卒業後30年以上が経っても、同じ場所で色々と話が出来るのは嬉しい。「根を切らない」ということを信条にしているので、今後も続けていけるよう努力したいと思う。

ちなみに明大中野八王子高校は、本年度からその名称を変更した。「明大八王子高校」と、「中野」の文字を満を持して抜くことになった。さて名刺やホームページ等の記載はどうしようかな。要検討だ。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
所用

【夜】
高校有志同窓会/新宿区


2024年08月16日(金) 立憲代表選挙投票の前提はこの2つかな

立憲民主党の代表選挙。誰がいいとか悪いとか、属人的な評価は特にない。いずれの方もそれ程親しく話したことはないし、仕事も当然ながら一緒にやってことはない。故に人を選ぶ前にその前提を決めて、合った人に私は1票を投じたいと思う。

まずもって立憲はリベラル政党だ。「中道」という概念は誤りだ。より本来の姿を明確にする人を選びたい。また時計の針を昔に戻してはいけない。「昔の名前で出ている」はダメだ。常に新しい人を出し続けることによって、組織は活性化していく。他については、また述べたい。

●今日一日

終日所用


2024年08月15日(木) 憲法9条を守りたい

私は原理主義者ではない。軍事的な抑止力は一定理解している。また日本の防衛は日米同盟に頼らざるを得ない。今や世界中の国が緊張状態にあるのだから。

しかしその上で、憲法9条を守りたい。近いうちに改正の議論が俎上に上ってくる。そこに至る前に阻止することが基本だが、仮に国民投票にかけられれば否決しかない。

政治家として全力を尽くしたい。仮に政界再編というものがあるのならば、その是非が規準になるのかもしれない。多くの同志に期待する。

●今日一日

終日所用


2024年08月14日(水) 座してその日を迎えることなかれ

岸田総理が自民党総裁選挙の不出馬を表明した。一昨年に参議院選挙に挑戦して、岸田総理と「対決」した割には、この方に深い感想を持てない。多くの国民も同様ではないかと思う。

しかしそれでも3年が経った。総理がコロコロと変わる日本では、歴史上短い任期でもない。また不具合による途中の退陣でもない。今後に一定の影響力は残るかもしれない。

さて9月末までは次の総理が誰かに焦点が及ぶ。そして決定後は早々に衆議院選挙だろう。このスケジュールがわかっているのだから、野党も出来る準備はあるはずだ。座して迎えれば前回と同じ結果になる。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
事務作業/事務所


2024年08月13日(火) 立憲と私、��「そして参議院選挙」

このシリーズの最終日は、参議院選挙について書きたいと思う。

旧国民との合流によって、立憲は別の政党になった。それでも私が候補者になることが出来たのは、「立憲と私」の歴史を、多くの同僚たちが見ていたくれたからだろう。

参議院選挙の準備と期間中の3か月間は、一生忘れることのない経験と感動を得ることが出来た。「寺崎は立憲を恨んでいる」と、一部から心配する声も聞く。しかし断言する。全くない。選挙の経過と結果は自己責任。そして何より主権者の判断である。

私が恋した立憲をつくった枝野幸男さんは、旧国民との合流の際に「政治とは時間の関数」と言った。台湾の李登輝総統の言を引用したと思われる。時の経過によって、何が正しいかの価値が変わるということか。

私はこの意見に反対だ。選挙を得て権力を持つ民主主義社会の政治家は、変わることよりも変わらないことが求められる。

●今日一日

終日所用


2024年08月12日(月) 立憲と私、�─崕圧脹仝�補予定者に」

衆議院選挙に出るために、立憲に入ったと、今でも言われる。しかしそれは違う。私が立憲を指向した段階で、本村さんは市長選挙の表明をしていなかった。その後、枠が空いたので、活動を始めただけだ。衆議院候補予定者になる段取りも、かなりの時間がかかった。約半年がかかった。

多くの地元市民と新しく出会ったスタッフの協力を得たが、私は結果として候補者になれなかった。まさに力不足である。

立憲は旧国民との合流を決断した。その時点で別の政党になった。時計に張りを戻ることにしたのだ。過去を上書きして生きてきたので、その感覚が理解出来なかった。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
所用

【夜】
会合/町田市


2024年08月11日(日) 立憲と私、�А崚淦�は拡大した」

党の県連では、役員兼選挙対策委員になった。役員の方はまだしも、選対は嫌だった。候補者を立てるのが役目だから、旧民進党の同僚の選挙区も対象になる。

1人でもいいと思って入党した。勢力拡大は正直どうでも良かった。しかしこれも自分が起こした騒動の責任と受け入れた。

今でも、この一年間のことをよく覚えている。誰が何を言って、その場でどうしたのか。修羅場こそ人間性が出る。政治家は人間性が問われる仕事だ。「敵味方」に限らず信頼できる人はいたし、その逆もまた。

その後に迎えた県議選は勝てる確信があった。しかし結果として無投票になった。自分が起こした騒動で、自分が評価を受けられないことが残念だった。

一方で立憲県議は、全県で27名が当選した。投票日の夜はテレビに見入った。一人ひとりが当選するたびに、声をあげて喜んだ。良い会派にしたいと意欲に溢れた。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
団体イベント/町田市


2024年08月10日(土) 立憲と私、�Α峺�議会会派分裂」

1人で立憲の会派をつくるつもりだった。それでしょうがないと割り切っていた。しかし「かながわ民進党」をどうするかの協議になった。立憲に行く議員、行きたいが当面見送る議員、民進党に残る議員、それぞれだった。

ちょうどこの時期に高校時代からの深い友人が亡くなったこともあり、具合が悪くなってしまった。肩と首がしびれて、気持ち悪くなるという症状だ。昨日まで机を並べていた同僚と、まさに真剣にケンカをするのは辛かった。

「かながわ民進党県議団」は分裂し、その名称を変更して「立憲民主党・民権クラブ県議団」が誕生した。17名の所属議員だ。立憲ではなく、無所属や民進党、その後の国民民主党の議員もいたことを、ここに残しておきたい。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
明大八王子高校校友会会議/八王子市

【夜】
星が丘連合盆踊り大会/中央区星が丘
夏祭り/中央区内
支援者訪問/中央区上溝


2024年08月09日(金) 立憲と私、�ァ峺�連結成大会」

地元の理解は得られたので、残る問題は2つだった。県議会会派「かながわ民進党」と、お世話になっていた自動車総連だ。後者は先方のこともあるので、墓場まで持っていくことにする。

さて会派の方。私が立憲指向であることは、信頼する同僚議員は気付いていた。陰ながらサポートして頂いた。一方で、初期の段階から具体的な協力を得ることは困難だし、私自身もそれは望んでいなかった。

立憲県連の結成集会が設定された。私は1人で行くつもりだった。その後をどこまでしシュミレーションしていたのか、今思えば反省もある。しかしその時点では強い決意だった。

当日会場に、複数の相模原市議がいた。また県議会からも、「浦道健一」「中村武人」の両氏が参加していた。とても嬉しかった。私よりも軋轢は強かったのかもしれない。

1人ではなく3人いたことが、その後の拡大に繋がった。

●今日一日

【午前】
地域まわり/中央区内

【午後】
事務作業/事務所


2024年08月08日(木) 立憲と私、�ぁ崙�党」

立憲の入党には、少しだけ時間を要した。何よりも地元相模原の皆様がどう思うかだ。民主党が既に無くなったとはいえ、前回の選挙はその公認候補である。党を移るということは、市民に対する裏切りになりかねない。

そこで年末年始に、それとなく話を聞いた。真面目に聞くと「寺崎は立憲に行く」と風評が広がるので、適当な感じで、市民が私をどのようにイメージしているかとを聞いた。

結果として、コアな支援者から自民党や共産党の支持者まで、ほぼ全員が「寺崎さんは立憲だよね」と言った。これが地元における自分の存在価値と確信した。地元の心配はクリアした。

年明けに、当時の立憲県連幹部を訪ねた。そして入党したいと申し述べた。私は周りに言わなかったが、政治の世界は、まさに筒抜けだ。翌日にはそのことが広まってしまった。

●今日一日

【午前】
地域まわり/南区内

【午後】
地域まわり/中央区内

【夜】
相模原シティラインズクラブ例会/中央区中央


2024年08月07日(水) 立憲と私、��「選んだ理由」

何故私が立憲を選んだのか。枝野氏の姿勢に感銘したことは、確かにある。一方で特定の個人を崇拝するようなことはしない。

安保法制に関連する立憲主義の確立、多様性を尊重するリベラル思想。そして日本人としての思いやりを「堂々と」掲げたからだ。

民主党はその勢力を拡大する過程で、色々な要素を加え過ぎて、結果として軸を失ってしまった。

自分たちが何物なのか語ることが出来ない、情けない状況が続いていた。それは民進党になってより酷くなった。欧米の左派政党を模索していた私はかなり失望していた。

●今日一日

終日所用


2024年08月06日(火) 立憲と私、�◆崚�時の状況」

立憲に恋した私だったが、直面する衆議院選挙では本村さんを応援していた。色々な経緯があり、希望の党からの立候補だった。私は希望の党をつくった小池百合子氏を支持できなかったので、ここは小選挙区は本村さん、比例は立憲と決めた。

かつ本村さんのマイナスにならないよう、この時点では自分の中に秘めていた。本村さんの選挙事務所は古淵にあった。一度だけ立憲の街宣車が目の前を通過したことがあった。周りの目を気にしながら、大きく手を振ったのを覚えている。

その衆議院選挙で立憲は野党第一党になった。しかし立憲の地方議員は神奈川でゼロ。それぞれが行く先について判断を求められていた。私はあえて早く立憲行きを早く表明した。

●今日一日

【午前】
地域まわり/緑区内

【午後】
地域イベント/中央区横山
行政相談対応(教育)/相模原市役所
行政相談対応(防災)/同

【夜】
会合/中央区矢部


2024年08月05日(月) 立憲と私、� 崕于颪ぁ�

今日から数日にわたり、シリーズで立憲と私について書きたいと思う。大分以前に藤井裕久先生が引退された際に、「藤井先生と私」について書いたことがある。一方で立憲も私も現役の中で、思い出話もどうかと思うが、直観でここで書いてみようと思った。可能な限り率直にいく。

立憲民主党との出会いは、夜のテレビニュースだった。枝野幸男氏が単独で記者会見を行い、党名のプレートを持っている映像だった。詳細な内容は定かではなかったが、瞬間に突き刺さった。「一瞬で恋に落ちる」とは、こういうことなのだと思う。その後数年にわたる立ち回りの始まりだ。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
会合/中央区相模原

【夜】
事務作業/事務所


2024年08月04日(日) 喉を治すために開き直ってお休みした

数日前から喉が腫れていた。奥の方なので痛くはないが、どことなく元気が出ない。いつまでもこのままではいけないので、今日一日は自宅に籠もって直してしまおう。開き直ってお休みにした。

冷蔵庫を開けると食材はギリギリある。昨日のまつりで買ったフランクフルトが3本。食パン1枚とチンご飯が少々。小さいレタスの半分。そしてベランダに大きくなったナスが成っている。

●今日一日

終日お休み


2024年08月03日(土) まつりの暑さは限界ではないか

議員は何故まつりに行くのか。そのことは別の機会に書いてみよう。しかし事実として、今日もたくさん訪問した。場所によって雰囲気は様々だ。飛び込みの議員に対する扱いや、また地域の参加者同士の交流もまた。

しかし暑い。限界ではないか。無理をしてその場にいる人も多いと推察する。「付き合い」で断れない場合もあるのだろう。まつりは日本的な風土によってしか成立しないが、それが問題になる場合もあると感じる。

●今日一日

【午前】
お休み

【午後】
大野北銀河まつり/中央区鹿沼台
地域まわり/中央区内
田名地区ふるさとまつり/中央区田名
夏まつり/中央区内

【夜】
夏まつり/中央区内


2024年08月02日(金) 自治体間競争と協調の狭間

障がい者福祉のご相談を受けた。「援護地」が相模原以外の自治体に設定されていて、そのことによって生じる不具合がテーマだ。この援護地という制度は、他の福祉政策でも存在している。限られた福祉資源を社会全体で共有するために生み出された側面もある。

一方でマイナスを防ぐための調整ではなく、プラスを抑制する結果となる場合は問題だ。そのお金を誰が出すかというやり取りは、自治体にとっては重要でも、サービスを受ける「市民」には余り関係のないこと。自治体間競争と協調の狭間に落ちないよう、全体としての制度改善が必要だ。

●今日一日

【午前】
行政相談対応(交通)/相模原警察署
支援者ご葬儀手伝い/南区古淵

【午後】
地域まわり/中央区内
行政相談対応(障がい者福祉)/中央区陽光台
橋本七夕まつり開会式/緑区橋本

【夜】
会合/中央区相模原
会合/同


2024年08月01日(木) 通夜と告別式のお手伝い

過日書いた支援者のお通夜である。明日の告別式と両日ともお手伝いに伺う。ご遺族は無論のこと、私たちにとっても急な別れなので、しっかりとその場に臨みたいと思った。

終了後は、親しいメンバーで献杯した。その後色々聞いてみると、亡くなった原因も何となくわかってきたが、今となってはどうしようもない。また急な悪化は防ぎようもない。明日は我が身だ。

死ぬ時のことを考えるのではなく、今をどう生きていくのか。無い頭を振り絞って、しっかり進んでいきたい。

●今日一日

【午前】
所用

【午後】
支援者ご葬儀手伝い/相模原市南区古淵


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