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■ 無常タル俗物ニスガル無常タル我ガ身
私の携帯は折りたたみ式の物である。わからない人にはわからないと 思うが、わかる人にはわかるので、どんな感じの折りたたみ式かは説明しない。
私の携帯には欠陥がある。
折りたたんでみてもガッチリ閉まらないのである。 いや、閉まるといえば閉まるのである。
でもね、閉めても閉まりが弱いため微妙に開くのである。 これはとんでもないことである。
だって折りたたみの意味がないではないか。 折りたたみというのは、たたんでいる状態のときに電力消費が 抑えられるからいいのである。それが折りたたみのいい所の1つ なのに、閉まらなければ意味が無いではないか。そういうことである。
なんか、ふと携帯を見るとチカチカ光っている。 「開けっ放しにしとくと意味ないよ、閉めな」 という合図である。普通ならば大変ありがたい機能なのだが、 私の携帯の場合、非常にしばしばチカチカしているのである。 これはもう迷惑である。
私の携帯はちゃんと閉まらないので、そういうことを 携帯自身で理解してくれればいいのだが、そうはいかない。 だって電話なのだから。
そういうわけで、私は毎日携帯を充電しなければならない。 充電し続けなければならない。 なぜならば、携帯電話は電池が切れると邪魔なだけなのだから。
昨日、この携帯を買った店に行き諸事情を話すと、 閉まりが悪いというのはよくあるケースらしく、迅速に 対応してもらった。
しかし私の予想では、こんなものは専用の奇妙なネジ巻き のようなものでちょっちょと閉めてハイどうぞという感じ なのだろうと思っていたのだが、実際は入院を要する大病だった。 閉めるのに3〜4日かかるということだ。
そういうわけで、いま私の手元には替わりの携帯がある。 一つ前の機種の携帯だ。そしてどういうわけだかボロボロだ。 おそらく私のような人のために用意され、使いまわされている 携帯なのだろう。そう思うとなんだかこの携帯がかわいそうに 思えてくる。
だって彼(彼女)は、主人のいない携帯なのだから。
しかし私も彼(彼女)の主人になることはもちろん出来ない。 もうすぐ私の携帯が退院するからである。そうなればもうこの 携帯は無用になる。また他の人のための、一時の代替品となるの であろう。そして、こりゃもうダメだという頃になったら捨てられる のだ。
すべては無に帰するのである。
2002年03月20日(水)
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