オフィス街のコンビニで、トイレットペーパーが売られているのを見た。それも、目に付きにくい生活用品棚ではなく、一番良いレジ近くの棚を占領している。値段も平常時と同じだ。
こういうのって、嬉しい。そうだよね。一人暮らしで誰も買出しをしてくれない人は、仕事帰りの何も無いスーパーでぼんやり佇むしかないもんね。 売るだけなら、別に郊外の住宅街の店舗で山積みにすれば売れると思う。でも場所単価の高いオフィス街で、こんな単価が安くて嵩張るものを置いてくれたなんて。 置けば売れる!という打算ではなく、働く人応援!みたいな配慮を感じて凄く嬉しかったよ。ありがとう、ローソン!
トイレットペーパーもインスタント麺もマスクも、段々街に戻ってきた。 この復元力。 まあ、メーカーは限られているし、棚が満杯、という訳ではないけれど、ここまで物が供給される後ろに、物流を止めないために働く人の姿が透けて見える。通常ルート以外にも色々な方策を探りながら、代替品を探しながら、物を店まで届けてくれているのだろう。 励みになるなあ。
牛乳はまだほとんど見掛けない。代わりに豆乳が並んでいる。が、ジュースやお茶なら、種類こそ限定されているけれど、量はそこそこ復活している。 お米は、さてどうだろう?今週はスーパーが開いている時間に帰れなかったので、明日偵察に行こうっと。
水は、しばらく品薄のままだろうなあ。 私は乳児を抱えている訳ではないので、水は、被災地と、あとはママさん達になるべく譲って、必要な時に必要なだけを、もし売っていたら買う方向で。
水が無いこの機会。せっかくだから、ほかの水分で出来る料理のバリエーションを増やそうかな。 ポンジュースご飯はとってもハイカロリーぽいので、ちょっと保留。 ビール煮は、先日やったばかりだし。 あ、そうだ。鬼平犯科帳にも出てくる「茶飯」。これ、ほうじ茶や緑茶と塩で炊くご飯らしい。・・・食べてみたいかも。
2011年03月23日(水) |
マリー・アントワネット気分で。 |
今度は水か・・・。 いや、予測していた事ではあるけれど、長期化するのは確実と思われるだけに、流石に今後が厳しい。うーん。
地震の日に会社で配布された500mLペットボトルなども、飲みもせず後生大事に持って帰っているような、典型的な溜め込み体質。 この以前からの溜め込み体質が幸いして、明日からすぐに困る、というほど備蓄が枯渇している訳ではないけれど、来週あたりから困るかもしれないなあ。 いつもあと2本位かな、という頃に6本1箱12キロを引き摺って帰り、ストックしていた。地震発生後はまだ、追加購入はしていない。
水が無ければジュースを飲めば?と(マリー・アントワネット的に)自分に言い聞かせ中。 ご飯だって、ポンジュースで炊く地域もあるじゃないか。聞くところによると酢飯っぽくて美味しいそうだから、この際チャレンジしてみるのもいいかも。 あ。ポンジュースのストックは無いのだった。コーラ、じゃ、駄目かな、やっぱり・・・。
パンが戻ってきた! 一時はアンパンしか並んでいなかった陳列棚。きっとアンパン工場しか稼動していないのだろうな・・・などと思いつつ眺めていた陳列棚が、今日は食パンその他、バラエティに(比較的)富んだ品揃え。 こんな事が嬉しい。どこを見ても薄暗い節電モード品薄緊急事態の非日常の毎日の中で、パンの棚に日常が感じられるから、かな。
おにぎり工場が被災したそうで、ローソンのおにぎり棚は空っぽだけれど。きっと数少ない被災しなかった工場のおにぎりはみんな被災地に届けられているのだろう。と信じよう。
トイレットペーパーの棚は今も空っぽだけれど。パンと同じで、きっともう少しで戻るに違いない。と思う。
しないよ、買い溜めなんて。正直なところ、欠品続きの生活用品が入荷していると、1個だけ余分に、と手を出したくなるけれど。 私が買わなくてもほかの誰かが買ってしまうだけ、なんて思わない。そんなの嘘だから。みんながそう思っていたら、もう既に東電管区は大停電を起こしているハズ。それが起こっていないのは、みんな少しずつ小さな我慢をして省エネに努めているから。私が(うちの会社が)使わなくても誰かが使うだけ、なんて、そんな風には思っていないから、大停電にならないでいる。
お店は時短営業が多いけれど、それでも、「営業している」ということは即ち「そこで働いている人がいる」、ということ。雨で放射能が気になろうが余震が怖かろうが、それを後回しにして働いている。そんな事が小さな励みになる。
「頑張ろう」「頑張ろう」というコメントがあちこちにある。でも、「何を」は無い。 漠然と「復興」とか「日本を元どおりに」とか、これって個人の目標とは思えない。こんなスローガンは「頑張ろう」と同値。
「これを」頑張ろう、という達成可能で明確で具体的な頑張りポイントが無いと、人って頑張れないものではないかなあ。 何か、何かと気ばかり焦って何を頑張ればいいのか分からなくて、それが続くとストレスになって、気分が落ち込む。 そんなものじゃないかな。 というか、私はそうだ。
大きすぎる頑張り目標は気が萎えるので、目先の頑張りポイントを設定してクリアしていく、地道な作業をしよう。 ・・・といいつつ、何を頑張ればいいのか、まだ全然浮かばないのだけれど。
とりあえず、海外の同僚達から舞い込んで来る大丈夫かメールに、その同僚達の国が助けてくれている事を知っているよ、ありがとう、と伝え続けるところから。・・・これって「頑張り」じゃないけど。
うーん、まあ、そのうちにふと目標が思い浮かぶ事も、あるだろう・・・。
2011年03月21日(月) |
小さな努力と小さな謎。 |
買い占めをしているせいで被災地に物資が届かない。東京の人たちの身勝手さに憤りを感じる。 ニュースで流れたコメント。
・・・連日の、東京では買い占めをしている人が大多数であるかのような報道に、被災地ではこんな感情を抱いているのか。 毎日空き棚だらけのスーパーやコンビニの映像が流れていたので、これも仕方の無いことだと思う。
私の周囲はみんな、経済活動を止めないよう、省エネで薄暗くて薄ら寒いオフィスで、ちょっとくらい寒くてもこんなの夏の冷房と同じようなものさ!とか言いながら厚着して働き、帰りの棚がガラガラのスーパーでほそぼそとその日の食料を調達して、震災前の日常で普通にストックしていたトイレットペーパーを融通しあって、実家からお米を分けて貰って。自分に出来る、ささやかな努力を積み重ねて買い溜めに走らず踏みとどまっている人達。
そんな地味な人たちの地味な努力は当然で、ニュースとして絵にならないからスルー、なのだろうな。
買い溜め、と言われている現象だって、きっと、いつも店頭に無いから、見付けた時に一つだけ余分に買っておこう、という人が何割かいて、それが人口過密地帯で起こるため余計に品薄に、という悪循環で起こっているのだと思う。
山のように物資を買い占めて、なんて、少数の身勝手な人がしていることが、でも、絵になるし、「東京ではどこでも」と括れば話題性があるから。
周囲に被災者の親族もいる。友人もいる。同僚もいる。遠い出来事なんて、まったく思わない。 被災地を思って、地味に、ささやかに、自分に出来ることで、努力している。 塵も積もれば山になると信じて、ホントささやかだけれども。
ところで今、スーパーに、苺が山のように並んでいるのは、何故だろう・・・?野菜スペース、お米スペースにまで苺が。ビタミンCを摂って風邪予防?? 苺ジャムを作りたくなってきた。食パンが見当たらないけど。
小学生の甥っ子が、テレビで放送されている原子炉への放水作業を見ながら、もっと空から水を掛ければいいのに、と言い出した。私と弟は即座に、破壊する気か?と問い返した。壊れたらアウトなんだと。
子供なりに「いい方法無いものか」と頭を捻った結果の言葉だろうに、子供相手でも容赦のないところが、そっくり瓜二つな姉弟である。
何十メートルも上から水に飛び込んだら、鋼鉄にぶつかるのと同じ衝撃がある、というのは常識として流布していることだけれど、では、それが逆だったら? 水の塊が何十メートルも上から落ちてきたら、やっぱり鋼鉄を投げ下ろすようなものではないのか?と想像する。もちろん、ある程度は拡散されるから、拡散しない人間の体よりも柔軟に着地するとは思うけれど、滝の水圧を引き合いに考えると、下にある物への衝撃は相当だと類推。
高さ、速度の調節、水の量。放射線量。本当に難しい決断だっただろうと思う。 この計算で本当に正しいのか。実害が出たら。そんな不安とのせめぎあいだったに違いない。 要求された枠の中で、最善の選択をしようと現場で苦闘している人たちの姿を。 想像する。
ヘリからの原子炉への放水。 急降下していた株価が、空中放水後、海外からの買いで急速にリバウンドしたのをニュースで読んだとき。
・・・。
蛇に睨まれた蛙の気分。
昨日に引き続き気分がマイナーなのは、おそらく睡眠不足に起因する。原因が分かっているのなら、解消も容易なはず。 寝ろ。
自分に言い聞かせ中。一人でいると、スパイラルに入ることがあるね。
富士宮市に友人がいる。
東北で避難している人は30万人以上と報道されている。 人口1億5千万人のうちの30万人。500人に1人。500人で1人を支えるのは、結構大変だ。
今、東海地震が起こったら、富士山が噴火したら、強毒性インフルエンザが流行したら、と思うと戦慄する。
今、近所では、ラジオ、懐中電灯、電池、携帯用充電器、ロウソク、水、トイレットペーパー、お米、冷凍食品、飲料などが、みんな品切れだ。スーパーは早く閉まるし、閉店間近のスーパーに駆け込んでも、物は無い。無いから閉まるのだろうけれど。 まあ、私は無駄に準備が良いので、ロウソクの備蓄はあるし、カイロもある。保存食料も飲料も、今さら慌てなくてもいい程度にはある。 大停電くらいは何とかしのげる。
でも、住居が崩れたら、燃えたら、そんな準備も無駄だ。あっという間に支える力の無い側の1人になるのだ。であれば、支える事が出来るうちに、その力を無くす前に、出来ることをしよう。 仕事をしながら、そんな事を考える。
東北の被災地の状況を報道で見ながら思い出す。 大学の先輩に、阪神の震災で家が全壊した人がいた。半壊した人はもっといた。逃げ出す時に持ち出せるものなんて、何があるだろう。
いくらイメージトレーニングをしてみても、持って逃げられる物はごく僅か、と結論。ああ、普段からもっと鍛えておくのだった。コートと携帯と財布だけは何としても!と思うけれど、どうかなあ。住まいから逃げるのならば何とかなるけれど、仕事中、机から離れている時だったら、取りには戻れないだろうな・・・。
現在の福島の実況を見ながら、北陸にいた時に起こった美浜の事故を思い出す。 友人には、電力会社に就職している人もいる。今、現場で巨大なものと奮闘している人たちを思うと、泣きたくなる。
こうして無駄に思考を巡らしても、何にもならないのだけれど。
最近また不整脈の頻度が上がっている。余震で目が覚めるから疲れているのかなあ。被災地で布団も明かりも暖房も食べ物も無く寒さの中で、ここよりも大きな余震で目覚める人たちは、さぞやしんどいだろう。 とりあえず、気力体力温存のために、眠ろう。
今日は宮城にいる友人の誕生日だった。
明日から計画停電。 でも停電するってはじめから分かっていれば大丈夫。
住まいは、重いものはすべて床に置いたまま、細かいものは大きなビニール袋に放り込んだままなので、とっても雑然としているけれど、「あーまあ、あるかもねー」くらいの空間に復旧。
余震が大きい(局地的に)ので眠りは浅い。今も何度も余震を感じている。 大きな揺り返しが絶対来るはず。でもプレートのどのエリアに来るのかなんて、地球に聞かなきゃ分からない。近くで起これば、本震よりも大きくなるかもしれない。 それに、今回の地震の東海、東南海への影響は低いと予測、と言われても。今回だって、三陸沖のプレートが連動型地震を起こす事も、内陸地震まで連動する事も、想定外だった。 緊急地震速報が入るかもと思うと、眠っている間もテレビの音を消せない。 でも眠れるから大丈夫。 テレビは、液晶が割れて画面の1/3は真っ黒だし映像は白黒ぽくなっているけれど、音がちゃんと出て良かった。わざわざ国産品を選んだから頑丈だった、と前向きに解釈。
お風呂に入っている間に大きい揺れが来たらどうしよう、と思うと入浴するのが結構怖い。ドアのすぐ横に着替えからコートとバッグまですべて並べて、でもちゃんとお湯が出て入浴出来るんだから、大丈夫。
片付け以外の時間は、ニュースを見る(というか、聞く?)。あまりの惨状。ニュースで流れる「200」、「300」、「1万」は、単なる数字ではない。一つ一つが、数年、数十年、日々の小さな生活を積み重ねてきた、ヒトなのだ。呆然としているうち、あっという間に週末が終わった。
最初の地震で階段を駆け下り、高層ビルや低層ビル(!)の上階がモビールのように揺れているのを見たのは、もう一昨日のこと。 誰かが、「あ。あれ・・・」と指差した先にモビール。周囲みんな、沈黙して注視した。目が離せなかった。
情報収集をしている時に見つけたサイト。 http://prayforjapan.jp/tweet.html
家もある。怪我もしていないし、家族も無事。怖い思いだって、震源地近くの人たちの恐怖を思えば、比べるのもおこがましい。交通機関が麻痺して歩くのなんて、大したことない。被害軽微だって、頭では理解していたけれど、やっぱりなんかちょっとショック状態のまま身体を動かしていたようだ。 けれど、ようやく初めて、泣けてきた。次が来ても、それが今回より大きかったとしても、大丈夫。と思えた。 このサイトを作ってくれた人たちに、感謝を。
さて、明日は出社。 とてもとてもとっても自宅勤務にしたいけれど、外部やセールスレップからの緊急の問い合わせがあったら困るしね。 あ。でも電車の本数が減るので、早めに家を出ないといけないのか。うう。それはツライかも。
私には雀の涙の募金をするくらいしか出来ませんが、今回の巨大地震及び津波の被害を受けた皆さまに、心より黙祷とエールを。
ささやかにハードな一日半だった。 職場で階段の駆け下り駆け上がりを8センチヒールのオフィスサンダルで1往復半。火事場の馬鹿力ってすごい。その後、歩き下り歩き上がりを1往復半。職場は低層階ではありませぬ。運動不足を実感。
職場エリアの震度は5弱であった。ということは、私の住居は。
いつでも震度が1〜2段階大きい、ちゃちな普請の建物なので、部屋がどうなっているかを見たくなかった。
見たくなかったが、余震が少しマシになってきたようなので、しぶしぶ歩いて帰宅。現実に直面。
部屋ごと掴んでシェイクした、ようになっていた。 開けたドアをそのまま一度閉めた。いや本当に。 開けたドアからナニカが倒れ掛かってきたので。 傘?足元に転がってきたのは花瓶。靴クリーム、シャチハタ、その他諸々が散乱している。
奥は、いつかテレビで見たゴミ屋敷のようだった。いや、ゴミ屋敷にはヒトの通路がちゃんとあるだけマシだ。 自分の住居が、半日後にはゴミ屋敷以下だなんて。
まあ、ある意味、スリリングと言えなくもないかも?あは、ははは・・・。 と自分を誤魔化そうと頑張ったけれど、ちょっと無理だった。いやこんな事でも結構ショックなものである。
生まれて初めて、部屋の中を物を踏みながら歩く、という経験をした。物がシェイクされて入れ子になっていると、ささっと掻き分けることは出来ないものだと知った。一番下にあったらしい化粧鏡をうっかり踏み割った。
食物棚の中身も書棚の中身も冷蔵庫の中身もカバン棚の中身も洗濯用品の棚も。トイレットペーパーの在庫も何もかも。 ほとんどが床にぶちまけられている。コンロにあったシチューの鍋は逆さに下に落ちている。勿論中身のシチューごと。姿見は倒れ、PCはテーブルから落ち、テレビは壊れ、棚もレンジも冷蔵庫も洗濯機も位置が変わっている。流しは洗剤ラップなど台所用品、食品棚から飛び出した缶詰その他で埋まっている。 水が出るかどうかなんて、確認出来る状態ではない。
棚の中身は「落ちて」はいない。移動後の位置からして、確実に「宙を飛んで」いる。
徹夜で床を出した。
午後には電池が切れて倒れ伏したが、地震センサー標準装備の素晴らしい部屋(震度が大きいからね!)なので、寝ていても余震をすぐ感知出来てしまう。熟睡は出来ない。やっと少しスペースが出来たのに、少し大きい揺れが来たら、あのゴミ屋敷再び!だ。ものが飛んできたら当たって死ぬかもしれない。
いつ揺り返しがあるか分からないので、緊急地震速報の度に、昨晩最も物が無かったベッドの上に移動する。作業中、財布と携帯とコートは身に着けたまま。寝る時もバッグと携帯とコートはすぐ手が届くところに。
ちなみに、ここからホンの1キロのところに住んでいる友人の住まいでは、壁表面に少しヒビが入って何かが落ちたけれど、シェイクはされなかったそうだ。 引越しモチベーション急速上昇中。
きっと大丈夫だとは思うが連絡の取れない東北在住親族の安否確認が、明日こそは出来るといいのだけれど。
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