2001年12月27日(木) |
今年の仕事。フィニッシュはいつだ?! |
明日で今年の出勤日は終わり。の予定。 あくまでも予定。 終わるのか?明日一日で終わるのか?本当に終わらせる事が出来るのか?!
仕事納めの秒読みなんて、凄くイヤだ〜〜。 私はニッポンジンだから、年末に休日出勤なんて絶対にイヤだ。 年末年始の休日出勤なんて、日本には存在しない!年末年始は「休日」じゃない!「年末」と「正月」なんだ!・・・などと自分でも訳の解らない事を叫びつつ、今年の分の仕事が未だに終わらない。
・・・そして本日も午前様なのだった。 あと一日。
西洋にはちゃんと、クリスマスの後にはお片付けの日があるらしい。 ボクシングデイというらしい。 わりと最近まで知らなかった。いや言葉は知っていたけれど、何だか解らなかった。 BOXING DAY、と字を当てられて初めて、ああ、そうか、と腑に落ちた。 箱詰めの日。 あんなにクリスマスを待ちわびるのに、夜が明けた途端にさあ片付け日!というのも何か随分割り切った感じが漂うなあ。 余韻を味わうとかしないのだろうか。 もう全力で待ちわびて全力で準備をするから、当日が過ぎてしまったらもう脱力してしまうから、だからこれでいいんだろうか。 何となく不思議。
特別な日・・・。例えば誕生日とか付き合いだした日とか、今日のようにクリスマスイブとか。 「特別」であるらしい日は沢山あるけれど、実は私はそういう「特別な日」に対する思い入れが全くない。 一応”今のところは”ない、と言っておこう。今後もない、と断定するのはあまりに寂しいから。 でもオトコに「今日くらい逢おうよ」とか「付き合って何年経つね」みたいな事を言われてもいま一つ共鳴するものがない。「ふ〜ん」と流すと「冷たい」なんて事を言い出される時もある。でも自分の空想の通りに動かないからって冷たい呼ばわりは迷惑だ。 夜になってから態々出歩くのも好きじゃない。なのに強引に引きずり出されたり。 大きくなってからのクリスマスイブはあまりいい思い出がない。 昔、小さい頃のクリスマスは、家でツリーを飾り家族でケーキを食べて団欒する楽しいものだった気がする。 少し大きくなってからのクリスマスは礼拝に出てハレルヤを唱って厳かな気分に浸れる落ち着いた儀式だった気がする。 軽佻浮薄なクリスマスは贋ものめいていて落ち着かない。
両親のクリスマスプレゼントを購入した。 父には寝巻きの上から羽織れる保温効果の高い絹の上着、母にはハンドバッグ。
父へのプレゼントを見て母。 「家の中用にこんな上等なもの要らないのに」 母にあげた訳ではないのだけれど。そういつつ母は、父への上着が羨ましいらしい。 「この上着、私の方が似合うみたい」 父より先に腕を通し言う。
母へのハンドバッグは、いつも私の冠婚葬祭用ハンドバッグ(セールで安く購入!)を借りにくるので、一つ用意してあげようか、と思って選んだ。 「こんな黒革のハンドバッグなんて要らないのよねえ。私が欲しいのはゴルフの時にちょっと持って歩けるような小さいバッグなんだけど」
少しだけ疲れを覚える。
次の日の日付けになってから前日の日付けの日記を書く。 最近連続してそんな感じ。 ・・・。潤いって何だろう・・・。それってオイシイの?
最近とても夜が冷え込む。こう寒くなると気になり始める事がある。 勤め先の近くに沢山いる路上生活の方々。彼等は表現が見つからないほど寒そうである。思わずそこらでホッカイロを買ってきて配りたくなる程寒そうである。俗に言う「見てる方が寒くなる」という状態なのである。 通りすがりの私の体感温度が下がってしまうというのも何だか理不尽な気がしなくもない。でもこれが現実なので難癖のつけようもないのだけれど。
路上生活をしている方々は一様に老けている。 環境が厳しいと老けるのが早いというのは本当なんだなあ。と納得する。 老化は栄養状態不良で促進されるのか。お風呂にあまり入らないのも一因か。太陽の下で暮らすと老化が早いのか? まあ太陽も酸素も元々生き物にとっては毒だったんだから当然か。 昔、人間の寿命が短かったのも当たり前なんだなあ。 ということは老けやすい異国の方々はもしかして環境が厳しい国にいるという事? 朝、電車の窓から外を眺める度に思う。スモッグの空って薄紫だ。 太陽の光もきっとスモッグのない地域の半分位(←根拠はない)だろう。 太陽光線だけに限って言えば、ここは老化スピードの遅くなる異世界なのかもしれない。
・・・人が多すぎるという生物学的ストレスで、お釣りがくるくらい老化できるだろうけど。
掲示板の不具合報告がレンタル掲示板HPに掲載されていた。 どおりで入れないはずである。 ・・・全く大した事書いていないけれど、アイコンが気に入って決めたのにいきなり不具合でちょっと悲しいかも。
2001年12月17日(月) |
土曜日昼下がりの電車の光景 |
・・・ということはつまり一昨日の出来事だったりする。 電車の中でお年寄りが立っていた。 小学生低学年と思しき少年とその母親が席に座っていた。
選択肢1:二人とも知らん顔 選択肢2:母親が席を譲る 選択肢3:少年が席を譲る 選択肢4:二人とも席を譲る 選択肢5:母親が息子に席を譲らせる
選択された答えは3。 小年が自発的にお年寄りに席を譲ったのだった。 「自発的に」←ここがミソである。 結局は2人とも席を立ったのだけど、気負いもなくとても気持の良い席の譲り方だった。 なんてきちんと躾けられた少年だろう。 あの母親の育て方もとてもいいのだろう。
・・・近年稀に見る心温まる光景だった。
人間以前の生物が、周囲を模倣し人間になっていく。 学習し損ねた生物がきっと人間以前のままの(セクハラ)おやじとかお局になっていくに違いない。
それはよ〜〜く解った。 君が今とっても周囲を模倣したくて、言葉を沢山覚えようとしている意欲的な時期だという事も、私はよ〜〜く解っている。よその家に遊びに来て、色々好奇心も刺激されたであろう。 でも頼むから休みの日は安らかに眠らせて下さい・・・。
隣に(つまり私に)倒れかかるようにして眠っているお姉さんがいた。 手に握りしめた携帯を、電車の床にゴトッ、ゴトッと何度も落としては拾いながら、また眠る。 少し隣に寄り掛かっちゃった・・・位の眠り方ならともかく、隣の人の膝近くまで倒れかかって眠るのは、ひたすら醜い。 しかも携帯を落とす度にちゃんと目を覚まして拾っているのにその後すぐにまた、倒れかかって眠る。 昨日朝の電車にもいた。 全く別のお姉さんだが、頭をぐるんぐるん回しながら寝ていた。 同じ女として一言言いたい。 いくら疲れているにしても、その寝穢い眠り方は如何なものか。 まっすぐの姿勢で眠れないのか君達は。 自分の膝に伏せて寝ていたハンカチ落としおじさんの方がずっとウツクシイと思った。
年末になって変な人が増えた。 比較的込み合った駅プラットホームの喫煙所で、ホームレスと思しきおじいさんがズボンを下ろして小用を足していた。 彼の足元に大きな尿の水たまりが出来た。彼はそのままズボンをはき直し、近くにしゃがみ込んだ。 彼は後から来た、その光景を目撃していない親子の、子供の方の頭を撫でた。そして母親に話し掛けていた。 後からホームに上がってきた、その光景を目撃していないサラリーマンさんたちがその水たまりを踏みにじりながら煙草を吸っていた。 ・・・目撃していないって、怖い。 ・・・自分の足元には気を付けよう。
以上2点を再確認。
会社帰りに友人と飲みに行った。 ちょっと心が和んだ。 一回休み。
帰りの電車の中、変わった格好で眠っているおじさんがいた。 座席に横になって寝ているとかそういうおじさんならよく見かけるけれど、今日のおじさんは普通に座っていた。 普通に座って、前屈みに自分の膝に伏せて眠っていた。 足元にはおじさんの物と思しきハンカチが落ちていた。 握っていたハンカチを、眠った途端に落としたのか・・・。
昔遊んだ「ハンカチ落とし」を思い出した。 このままだとおじさんがオニだな・・・なんて馬鹿な事を考えつつ、おじさんがオニになるのを見届けずに電車を降りた。
視力が落ちた。 数字で言うと、「半分」に落ちた。半分って言うのは何か変だけど。 半分の数字だけど、半分しか見えない訳じゃない。 半分の視力なのに、汚いものや醜いものは以前と同じようによく見える。 半分の視力なので、綺麗なものが以前よりもボヤケて見える。 硝子越しでないと綺麗な景色も見えない。 硝子越しでないと綺麗な言葉も読めない。 硝子を隔てて私の中に入ってくる綺麗なものは、何となくよそよそしい。 何かを一枚纏って入ってくる。そして私に同化しない。 私はそれらを無理に同化させようとするので、前より余分に草臥れる。 こうして綺麗なものは次第に私から離れ、異化作用を受けて私とは違う何かになっていく。 汚いものばかりを映す濁った眼になるために、今日も一日窓の外を眺める事も出来ずに仕事をした。 せめて窓の外が眺められればいいのだけれど。 窓の外にも、あるのはビルばかりなのだけど。
明け方魘された。 私は必死に何かを考えていた。 脳味噌を振り絞って寝惚けた頭で考えていた。 頭の芯がだるくて苛々するような感触。 完全に脳がオーバーヒートしていた。 眠って脳を休めていた筈なのに。 起きる筈の時刻よりずっと早く目を覚ました。 仕事の夢だった。 脳髄に鉛の塊を抱えたような一日だった。
今日は冷え込んだ。風が強かった。 息が出来ないような向かい風だった。 冷えて強風だったおかげで、今日のオリオンはいつもより綺麗に見えた。 夜中に外を歩いていた者の密かな特権だった。 ・・・ちょっと嬉しい。
2001年12月08日(土) |
自分を信じてはいけないらしい事。 |
今週少しばかり残業で午前様が多かった。 週末夜に友人と待ち合わせた。 寝過ごした。夜なのに、夜なのに。 もう絶対に自分を信じちゃいけないと思った。(-_-;)
目覚ましを発明した人は偉大だ。 発明者は朝(とは限らないか。まあとにかく時刻通りに)起きるのがとても苦手な人だった、という推測に1000点。
残業によって生活のリズムが狂ってきているみたいだ。 感情が平坦になっている気がして、そして多分それが事実だったりして、何か端金のために失っているものがとても多い。嫌だなあ。
2001年12月07日(金) |
マーフィーの法則な一日。 |
昔懐かしいマーフィーの法則。 其の一。 空いた電車に乗ると乗り換え後の電車は必ず超満員である。 其の二。 超満員の電車に乗ったからといって、乗り換え後の電車が空いているとは限らない。 其の三。 大きな傘を持って出ると帰りは大抵晴れる。 其の四。 今日は定時で帰れる!という確信が強い日ほど残業時間が長い。 其の五。 今日の予習はばっちり!という日に限ってスクールの授業は予習がいらない内容である。 其の六。 返事が早く来て欲しくない仕事メールほどさっさと返事を貰える。そして仕事が増える。 其の七。 上司に聞きたいことが多い時ほど上司は忙しい。聞きたい事がない時に限って上司は暇そうにしている。
今日は全てを踏襲した。
今日の帰りの満員電車で、とある60代半ばと思しき男性の話。 乗車率200%位の満員電車が駅に停まった。彼の降車駅だったのだろう。 「う"〜・・・ん"う"〜」と唸り声をあげ人を押し退け降りていった。 きっちりした格好をしているのに、しかもお金だけはかかってますような背広を着て「降ります」の一言も言えない60代。 なんて貧しい・・・。獣じゃあるまいに。
満員電車で「降りま〜す」とちゃんと声をかけることが出来る人は、実は20代〜30代半ば位までの人に多いのだった。
時間が過ぎるのはとても速いものだと最近あらためて気付いた。 以前はそんなこと知っていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまっていた自分に気付いた。
・・・日記を書いてみようと思い立った。 自分の何かを残したいとか、自分の何かを表現したいとか、そんなふうに思える程上手い文章が書けるわけでもないけれど。 ただ、怒濤の如く過ぎ去っていく毎日の中で、ほんの少しの時間だけ、立ち止まって漠然と漫然と思いを巡らす時が欲しい。 そんな時をここで過ごせたらいいなと思う。
・・・短気な私のことだから、すぐに雑然と、騒然と、時を過ごすことになりそうな気もするけれど、ね。
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