思い出に変わるまで
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2006年11月22日(水) 転職先は・・・

暖冬とはいえ、最近冷え込んできましたねぇ。
もうすぐ12月。
早いもんです。

最近さとしクンも転職に向けて2社面接に行きました。
まず1社目。
面接の時点でやめたらしい。
というのも最初から残業が相当ある。
仕事内容が相当キツイ。
という事をしっかり言われたらしい。
彼曰く
「それなりに名の通った会社ならキツい仕事でもそれなりにペイはあるし、休日もある。それに定年後の保障もデカい。でも、中小企業で働き蜂のように働いて休みも無く残業代もカットで使い捨てされたくないからやめた」

なるほどね。
それなりに名の通った会社は中部地方は沢山ある。
仕事仕事で休みの日には寝てるなんて事嫌だし。

もう1社は、某有名製鉄会社の100%子会社。
一時面接をパスし、二次面接の日程連絡待ち状態。

でも、再就職の最有力候補がしっかりとあるんですよ。
それは・・・
私が元働いてた職場。
私たちを引き合わせてくれた上司(課長)が彼を思いっきりスカウトしてるんです。
おまけに名古屋営業所所長はじめ東京本社の取締役にも既に話しを通しており、いつでも入社できる状態を整えていてくれてる。

ありがたい話なんですけどね・・・・。
チトやらしいかも・・・。

いやね、会社自体はいい会社なんですけど勝手知ったる元勤めてた会社ですから。
私のダンナだという事当然知ってるし・・・。
夫婦そろって同じ会社に勤める事になると・・・

結構複雑。

さとしクンもノリ気ではいるんだよね・・・。
アノ人ちょっと人と感覚ズレてるから私の手前なんて事気にしてないもん。

二次面接を控えてる会社がどうなるかによるけど。


私のパート状況は
最近やる事も慣れてきて毎日楽しくやっております。
もしかすると今度車の買い付けに中古車オークションに行くかもしれません。
なかなか足を突っ込むことの無い世界ですからね。
ワクワクします。


タメの様子は・・・。
だんだん言葉を覚えてきました。
「ウンウンが出たら出た、って教えてね」
って言ったらオウム返しに
「でたぁ〜、でたぁ〜」
と呪文のようにつぶやいていました。
意味も分からずになんとなく繰り返し大人の言う事を覚えてつぶやいています。
こんな姿、大阪のお母さんに見せたいな、って思う。

来月久しぶりに大阪に行く予定。
タメの成長ぶりを見せるのが楽しみ♪


2006年11月15日(水) タメ、成長したよ

さて、引越しして、就職先も見つけ、結構忙しい毎日を送っています。
一日置きの勤労でも毎日がギュッと凝縮してるみたいで、楽しい。
一日中家の中でじっとしてる事が苦手なんだもん。働く事がこんなに楽しいとは思ってもみなかった。
さとしクンも
「ま、働く事はいいことだからがんばれ」
と応援してくれてるし。

タメを実家に安心して預けられる事に感謝。
弟の嫁、ありがとね!!

実家に預けるようになってタメの脳の中は一気に活性化したみたいだ。

お兄ちゃんが二人、お姉ちゃんが一人いれば色んな刺激をもらえるんだよね。
特に同じ女の子だと遊びが違うでしょ?
それをタメが顕著に受け継いでるのよ。

とある夜、お古でもらったままごとセットで何やらモソモソと遊ぶタメ。
「なぁにしてんの?タメちゃん♪」
するとおもちゃのピーマンを片手に親指と人差し指でピーマンをひとかけらつまむ真似をして私の口に運ぶんですよっ!!

こ・・・これは・・・・。

タメ!!ママにピーマン食わせてくれるの?!

ニッコリ「うっ」と笑いながら口に運ぶ真似をしてくれたらこれは食べる真似をするしかない!!!

モグモグ・・・。
「おいしぃぃぃぃぃ!!ありがとね!」

感動もんですよ、胸がキュッ〜ンとなる瞬間っす!!

日々の生活の中で私のする事も見てるし、実家の幼稚園に通う姪っ子との遊びの中で覚えていったんだよね。
しっかり成長してるんだなぁ。

感動してさとしクンの前でリフレイン。
しつこい程にやりましたよ、ええ。
うっとおしい程さとしクンに「すごいよね、成長したよね」押し売りみたく言いまくっていました。

ちょっとうっとおしそうに「そうだね、すごいね」
と言ってましたが・・・。

9本目の新しい歯も左上に生え始めたし。

絶好調な成長期です。

最近のタメの様子でした。


2006年11月10日(金) パートデビュー

子作りもしばらく休止という事で・・・・

私、パートに出ることにしました!!

と言っても周に3,4日ですが。

さとしクンの扶養内に納めたいし、実家に(弟の嫁に)タメを預ける都合上毎日はチトきついしね。
もちろん弟嫁にはベビーシッター代とは名ばかりのささいなお小遣いは渡しますが。

職安で見つけたパート先ですが、時給1000円で週3,4日の出勤で良いとの好条件。
時給がいい分キツい仕事かな?
業種が怪しいのかな?
と疑いながら面接をしましたが、そんなに疑いも的中する事もなかった。
業種は 中古車輸出販売
オークションや廃車業者から車を買ってメンテナンスをして世界各国に売るという今まで触れることも無かった業種です。
社長も外国人(ロシア人)で日本人の奥さんの実家の敷地を借りて商売してる個人会社。
修理、メンテをする人もロシア系の人が多く、初めて面接に行った時には面くらいましたよ。
日本人スタッフも7人位いますが、なにせお客は外国人なので英語が頭の上で飛び交う職場でした。
ま、私としては働いてしっかり給料をもらえればいい話だけだし。
事務員&雑用係なので興味はあるので面白そうな職場だと思いました。

しょっぱなはデータ入力と陸運局の提出書類作成を作って終了。

それだけだけど結構疲れた。
スタッフの顔と名前も覚えれないし、精神的に気を張ってたからかな?
バタンキュー。

でも、久しぶりの労働だったから気分的には爽快だった。

やっぱ、働く事ってすきだな♪


2006年11月06日(月) 今度は私が・・・

タメの胃腸風邪も日々回復に向かい、下痢気味なのは相変わらずだけど
元気バリバリ!!!
元気があると気持ちもホッとするもので気が抜けたのか・・・
今度は私がもらってしまいました。

何を食べても胃がムカムカする・・・。

まるでつわりみたい(え??)
あり得ない話ですがね・・・一瞬、数週間前の本当のつわりの感覚がカムバックしました。
吐き気も重なってるから本当のつわりより辛かったケド(つわりの時吐き気は無かったから)

タメもこんなんだったのかしら?
子供を思いやる気持ちは一瞬で自分の辛さの方がデカく、死んでました。

「効いたよね?早めの○ブロン」
本当に効くのか??
疑いながらもひどくなるのが怖くて毎食後服用。
おかげで体調不良も一日で回復。
「本当に効いたよぉ・・・○ブロン・・・」

早く寝た翌日は気分スッキリ。

さすが体が丈夫な私。
長引かないのがス・テ・キ♪


体調が良くなったのを見計らったように地元友達のNORIが子供連れで遊びに来てくれました。
ケーキも持ってきてくれて。
風邪が良くなって良かったと心底思いました。
だって・・・美味かったんだも〜ん。
今までよりかなり地元に近いところに引っ越してきてNORIは喜んでくれていた。
だって車で10分だもんね。
何かあってもすぐ飛んで行ける近さ。
同じ年頃の子供も居るし、一緒に遊べる機会が増えるし。
地元の隣街だから細かい情報は知らなくても知り合いが居るから少しづつでも情報収集ができる。
便利と言えば便利。
心強いし。

さとしクンはここ数日言う言葉。
「やっぱmamiの地元近くに越してきて正解だったね。何かあってもすぐに誰かが助けてくれる。心強いよ」
私には都合いいよ、やっぱ。
でも、さとしクンはそれで良かったのか少し疑問??
「俺はどこでもいいんだよ」
って言うだろうけど・・・。
ま、本音は大阪ならイチバンなんだろうけどね。
大阪で家買うのは土地的、金銭的に無理だし。
一生住む場所がココで良かったのか・・・。
私に合わせて決めたんだろうな。
ちょっと気になる。


2006年11月05日(日) 胃腸風邪

インフルエンザの予防接種の為、タメ小児科へ連れて行ってそのまま拾ってきてしまったようです。
タメがですが・・・。
おとといの夜、遊びに来てくれたA子と一緒にお好み焼きを食べに行き、
モリモリ食べまくってたタメ。
夜中の1時半に軽く泣き、近くに引き寄せるとなんだか臭い・・・。
眠気に負けてウトウトしてるとタメが吐いてる音が!!
瞬間目が覚めて見てみると口から次々とお好み焼きが!!
(汚くてゴメンなさい!!)
体を横に向け喉が詰まらないようにして背中をさすり落ち着くまで待った。
お茶を飲ませたら飲ませた分だけ吐く。
一体どうしちゃった???
内心オロオロ・・・。
でも、しっかりしなきゃ!!

落ち着いてきたら抱っこしながら着替え。
部屋の明かりをつけて布団を見て見たらタメの布団&私の布団は全滅・・・。

こんな時さとしクンが居てくれたら。

さとしクンは金曜から東京へ泊り出張。
さっさとさとしクンの布団を敷いてタメを置き、汚れたシーツを剥ぎ、汚物の処理。
泣き続けるタメをさとしクンの布団に寝かせた。
タメもダルイのかすぐ寝付く。

食べすぎかと思い様子を見てたら昼ゴハンも戻す。
昼には大量の下痢。
発熱。
病院に行ったら「胃腸風邪」と診断されました。
どうも流行ってるらしい。

胃に入る物は全て出してしまう。
食欲はあるのにね・・・。
戻してもいいから食べさせようとするとまるで食物キャッチ&リリース状態(汗)

見てて辛いわ。
しばらく養生です。


2006年11月01日(水) 親友もまた・・・

親友のM奈から電話があった。
彼女は高校時代からの友達。
私より一年前に結婚し、バリバリにキャリア。
社長秘書兼、企画会社のバイヤーとして働いてる。

時期を同じくして妊娠が判明し、共に喜んでいたけど今回私は流産した。
その事を彼女にメールで知らせたところ
ちょうど手術を終え、家で安静にしていた夜
彼女から涙声で電話がかかった。

私も今日病院に行ったら胎嚢がむくんでいて、流産するか、このまま育っても障害児を産んでしまう可能性が高いと先生から言われた。
来週の検査で胎児の様子を見て結果を出す事になるらしい。

結婚して3年目にして授かった初めての子供がこんな結果になるなんて。
彼女にかける言葉が見つからないまま言葉が詰まった。

産みたい
でも産めないかもしれない
自ら産まない選択をしなくてはいけないかもしれない

赤ちゃんが正常に成長してくれるのを祈るしかなかったこの一週間
電話の内容は検査の結果

やはり先週より状態は悪い。
お腹の中で留まって出産できる可能性もあるが、障害児である確立はますます高くなった。
現在11週
堕胎手術をするなら来週しなくてはいけない
12週を過ぎると死産という形での出産となる。
この一週間何度も話し合い、彼女のダンナさんは堕胎手術をしたほうがいい。
と言ったそうだ。
今の時点で障害児を産んでしまう可能性が高いと分かっててあえて産むか
障害の重度にもよるが今後彼女達の人生は子供を中心になってしまうだろう。
第二子を望む事も諦めなければいけないかもしれない。

でも
授かった命を自らの選択で葬ってしまう事の罪悪感。
その選択を人道的にしてしまっていいのだろうか
M奈は悩んで苦しんで電話かけてきた。

難しい問題だと思う。
姉の友人にも障害児を持つ母がいる。
筋ジストロフィ。
24時間子供に付き添ってる彼女の姿はハタから見ても相当な苦労を伴ってる。
その姿を知ってる私にはM奈に
「頑張って産んで欲しい」
なんて軽はずみな言葉は言えなかった。
もし、私が同じ立場だったら・・・。
悩みながらも今回は諦めるだろう。

「mamiちゃん、私、子供諦める道を選んでもいいのかな?
その選択をしてしまっていいのかな?」

多分彼女も心は決まっていても決断が出来ないのだろう。
M奈の体のダメージを考えれば危険な賭けで出産に挑んで欲しくなかった。
後押ししてはいけないと分かっていながらも
「今回諦める事は罪じゃないよ。私でも同じ選択する。早い時点で分かったならあえてイバラの道を選ぶ事ないよ
早期なら体の回復も早い。もし後期で流産や早産してしまったら体の回復も遅いし母子共にリスクがあるんだよ。
それなら今の時点で諦めて次授かる命に賭けてみてもいいんじゃないかな?」
言ってしまった。

避けては通れない道だけどM奈の心と体の回復を今はそっと見守る事しか私には出来ない。
がんばれ!M奈!!


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