思い出に変わるまで
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2006年04月30日(日) 立場

通夜・葬儀から数日経過し、段々色んな事を落ち着いて考えるようになった。
長男のあまりの非常識さと非情さに怒りが多かったのだけど
叔父は病院に祖母が入院した時も元気な時も同居し、ずっと面倒をみてきました。
別居で近すぎず遠からずの距離に居た私達には計り知る事も出来ない位の日々を過ごしてきたんだから悲しい訳ない。
そりゃ毎日一緒に居た人だし、イチバン近くに居たのですから多少のケンカもイザコザもあったでしょうが自分の実母ですもの。
死んで嬉しいワケない。

父が思う以上に伯父さんにも思う事はあるだろう。
それは私には理解する事は出来ないけど・・・。
伯父さんは職もなく今はパートに出てる奥さんに生活を支えてもらってる。奥さんを悪く言うつもりは無いが、葬儀の時も奥さんが前に出て色々意見する姿も多かった。
伯父さんは伯父さんの立場であんな風に出るしかなかったのだろうか?
嫁姑の険悪さは最後の最後まですごかったし、奥さんは祖母に病院に行く事はなかったらしいからここで何を思ってるかはだいたい察しはつくもん。
それぞれの立場があればそれぞれの立ち振る舞いがある。
それが善なのか悪なのかは分からないし、何が正しくて何が誤ってるのかはコレも人それぞれ。

さとしクンは通夜・葬儀と仕事の都合で参列する事はなかったが、帰ってきてから報告はした。
これから先、必ずさとしクンの両親を送りだす日はやってくるから。
私の両親も送りだす日も来る。
長男一人っ子であるさとしクンがどう自分の両親の式を取り仕切るかは
まだまだ先の事なので分からないけど、知り過ぎなくてもいい。
ごくごく一般的でいい。
送りだす者として心のある送り出しができる様に。
私は身内としての立ち振る舞いが少しでも失礼の無いようにできるように。
少しづつでも他人の振り見て我が振りを直そう。

冠婚葬祭って難しい。


2006年04月28日(金) 葬儀

昨日の通夜の席でも不備は所々目立った。
仕出屋の弁当が大量に余る。
一般参列者に対してお饅頭とお茶が振舞われるのだが、誰もお茶だしする人がいない。
長男が近隣の方が手伝うと申し出てくれたのに断わったからだ。
見かねて私や弟の嫁がお茶を出したのですが、とにかく手際が悪い。

明方に一時帰宅した両親が仮眠を取り、たまたまタメに早く起こされて台所に立った私とハチあわせした。
そこで初めて父が声を上げて泣く姿を見た。

情けない
あんなやり方でしか祖母を見送ってあげられないのが情けない
女手一つで苦労しながら育て上げてくれたかぁちゃんを目標にオレも今まで頑張ってきた。
恩を考えると豪華じゃなくても心のこもった式をしてあげたかった。
長男を差し置いてでも自分が指揮をとりたかった。
長男をぶんなぐってやりたかったけどみんなが居る場では出来なかった。
悔しくて悔しくてたまらない。

母が傍らで父の肩を抱きながら慰めてた。
泊まってた父の妹も起きてきて一緒に泣いてた。

ここに心から祖母を悼んでる子供が居る。
父の姿を見て、まともな考えを持つ父で良かった。

昨日見た祖母の顔はキレイでした。
安らかな顔でした。
だけど、こんなにドロドロと今まで溜まってた膿を出し切った位感情が交差し、イチバン可愛がってた長男に自分の葬式をこんな風に取り仕切られるとは祖母も想像しなかったでしょう。
長男は今まで祖母の貯金もギャンブルに使いこんでいたのですから。

極めつけのパンチはこれでした。
火葬場での出来事。
骨を拾うまでの一時間半
私達は家が近い為帰りました。
祖母のイトコ、縁者は待合室で待つのですが、その時長男はこう言ったそうです。
正確には喉頭がんで声帯を失ったので筆談だったのですが

今まで看病で大変だった。
これからは婆さんを見送ったら自由な時間が出来る。
旅行も行けるし、遊びも出来る。
好きな競艇、競輪・・・。
でもお金が無いから質素な生活をしなくては・・・。

最低ですね。
人間的に最低です。
血も涙もありませんね。

まだ祖母はすぐそこで焼かれているんですよ?
こんな言葉出ますか?

父はこの筆談を黙って見てたそうです。
殴りかかる直前だったそうです。
でも、場所が場所だった為にガマンする事が辛かったと。

家に帰ってきてからダムが決壊するがごとく再び声をあげて泣いていました。
こんな葬式ってありますか?
切れる事なら兄弟の縁を切りたい。
でも、母親の仏壇がある家だから・・・
何度も縁を切ってでもいいから殴りたいと思いながら留まった父が不憫でした。

母は全て祖母が残した悪因縁。
そんな風に長男を育てた祖母も悪い。
祖母が生きてきた人生そのもの、非礼、無礼をそのまま式にまで染み出て来た。
そう言っていました。
私の知らない祖母の人生は色んな人を裏切り、縁を切り、好きな様に生きてきたと昔聞いた事があります。
母も病気で寝たきりになった際、まだ小さかった弟と私ら子供の世話を祖母に頼んだそうだ。
その時、母の枕元で
「どうしてワシがお前の面倒を見なければいけない。お前がワシの面倒をみるんだ」と言い放ち翌日には帰った過去がある。
母は長野県に住む自分の母を呼び面倒をみてもらった。
ひどい祖母の言葉は母の心に大きな傷を残した。
だからこそ、家族全員で力を合わせて苦しい時代を乗り切ったから私の家族は絆が深いのかもしれない。
今でこそ母は祖母のひどい言葉があったからこそ絆が深い家族になれた。
だから感謝できる。と祖母の亡骸に語ったらしい。
祖母自身そんな人生で幸せだったのか疑問ですが、最期の最期がこんな幕の閉じ方なんて・・・。
幸せとは言えない。
祖母の姿を見て、こんな人生を送りたくない。
強く、強く思った。


2006年04月27日(木) 通夜

三時に実家に着いた。
既に両親と叔母は長男の家に行ってた。
弟の嫁が実家で留守を守ってたので昨日からの話を色々してた。
相当モメてるそうだ。
父は三人兄弟の次男。
喪主は長男
あと、末に長女。
昨日の夜に既に兄弟が揃い、病院から一旦帰って来た祖母を迎え、葬儀の段取りを話し合ったそうだ。
事前に聞いた話とこれからの段取りがあまりにも常識とかけ離れ、礼儀を欠けてたので大いにモメたみたい。

数週間前、祖母を見舞い、その足で長男の家に行った際には一ヶ月生きられないと知った上で葬式の事を話し合ってた。
私もその席にいた。

年も年だし豪勢な葬儀もせず、祖母が残したお金で通夜・葬儀が出来るので身内葬にしたい。
香典はナシ、孫は7人で花代を割って出して欲しい。

そんな感じだった。
その場では父も一応了承したが、三重に住む妹にも相談した上で取り決めよう。

当日ふたを開けてみたらこうだった。
式場は町のコミュニティセンター。
長男は病院から直接火葬場に祖母の亡骸を持って行き、骨になった状態で通夜・葬儀をしようとしてた。
これには長男の嫁が祖母を家に入れたくない、と言う意思の表れ。
たまたま日柄のせいで火葬場で焼けなくて、家に入れる事になったのだが、先に焼こうとしてた事に父と妹は誰も祖母の顔を見れずに葬儀をするのか!!と怒りまくり!!
そしてお経を読みに来た坊さんは四人。

どこが質素なんですか??

亡くなった知らせも祖母のイトコには連絡をしなくてよいと言う長男。
これにも父と叔母は猛攻撃。
来る、来ないに関わらずゆかりのある人には全員教えなくてはいけない。
それでも一部の人には長男は首を縦にふらなかった。

香典はもらわない。
これは身内にだけだと思ってた。
そしたら一般の参列者もでした。
これには「花代」「お供え代」でも一切拒否。
頑なに拒否する姿には縁の濃い人や一部の親戚には縁を切るとまで言い立腹された方もみえたそうです。
祖母に対して、せめてものお線香代です
なぜそこまで拒否するのでしょう?
後に聞いたのですが、香典返しなどの処理が面倒くさいと言い放ったらしいです。

こんな葬儀ってありますか?
故人を偲ぶ気持ちなんてこれっぽっちも感じない。
あまりにも非常識だ、祖母が可哀そう。

そんな情報を事前に聞いたうえで参列した通夜は白々しく感じた。
もちろん、本気で祖母を偲ぶ人はいただろう。
長男も実母を亡くしたんだもん。
多少は気持ちがあるのでは??と信じたかった。
だけど、長男の嫁のすがすがしそうな顔を私は忘れる事が出来ない。


2006年04月26日(水) 祖母の死

午前中に小用で実家に電話した際、祖母が危篤状態だと知らされた。
89歳の父の母である。
数年前から痴呆が進み、養老施設に入っており、癌が発見されてからは入退院の繰り返しだった。
1週間前から危ないとは聞いてたので大阪行きも少し危ぶまれた。
大阪から帰り、実家に寄った際にはさとしクンとタメを連れて病院にお見舞いに行った。
痴呆の為誰が誰なのかはもう認識できない状態で元々細かった体が一段と細くなりチューブに繋がれた体が痛々しかった。

私の中の祖母は80歳近くまで働いており、しっかりとして女で一つで三人の子供を育てただけあって芯があった。
我が強いと言うか、わがままと言うか正確がキツいだけあって周りからの風当たりも強く、お世辞にも周りから好かれるタイプではない。
当然、嫁、姑関係もメチャ悪くて家庭内別居、いや、無視に近い状態だった。
中学生の正月は忘れられない。
お年玉の袋を犬のエサを与えるようにポィッと投げた時には子供ながらに
「こんなお年玉いらない」
って言った覚えがある。

お金ですよ?
お金を投げてはいけないって小さい時教わらなかった??

平気でやってのけた婆さんです。
それでも周りから嫌われる婆さんが逆に哀れに思ったもんです。

姉は性格がストレートな分衝突も多かった。
姉と同じ年のいとこ(父の妹の娘)と一緒に婆さんと対立してたから姉は10年以上会ってないコトになる。

痴呆が進んで来た3、4年前。
一時的に祖母を実家で預かる事になり、一人暮らししてた私は祖母の姿を見る事は出来なかったけど母から様子は聞いてた。
平常な状態と痴呆の状態が交差してた時期でプライドの高い婆さんは
母に何かと世話になる事が嫌だったらしいが、自分ではどうする事も出来ない事を面倒見る母の姿に平常に戻った婆さんは何度も礼を言い、涙を流したそうだ。
対立してた長男の嫁は当然世話も嫌がりデイサービスに任せっきりだそうで
我が屋の家族の団欒、人との触れあい、孫、ひ孫との生活は嬉しかったそうだ。

意地とわがままだけで通した人生。
孫からも寄り付かれ無いお婆さん。
初めて「大ばあちゃん」と呼ばれ、ひ孫から遊ぼうと言われ
ささやかな幸せを味わう。
哀れだと思った。
寂しい人生だと思った。
80歳を過ぎて自分の生き方を後悔しちゃいけない。
老いては子に従う
かわいいお婆ちゃんになりたい。

子供の頃から祖母の発言、態度を見てて
こうあってはいけない
こうしちゃいけない
大人になりきれてなかった私でも実感した。

祖母の最期は祖母自身どうおもったのだろうか?
悔いは無かったのかな?

約3週間前、
両親、甥、タメを連れて病院を訪れた時
枕元で
「婆ちゃん、みんながきたよ、タメだよ」
みんなが枕元で色々語りかけた。
痴呆で分からないかもしれないけど、分かった上で数十分話し続けた。
眠ってた祖母は目を覚まし、うつろな目でしっかりと私達の方へ視線を移し、じっと見つめられた。

分かってるのかな?
分かるのかな?
耳はきちんと聞こえているよね?

色々語りかけたら祖母の右目から一粒の涙がつたったのが忘れられない。
単なる目の乾きから出た涙なのかもしれないけど
もし、何か感じるものがあって出た涙なのか・・・
それは今も分からないけど
89年の人生を終えた祖母に
お疲れさまと伝えたくて、明日、実家に向かい通夜、葬儀に参列したいと思う。

葬式には行かないと言ってた姉も母と私と話し、両日来るそうだ。
久しぶりに姉にも会う。



2006年04月25日(火) ブレーキって大切

ついに出来ました!!

ひとり駐車!!

やはりポイントはブレーキでした。
右手を握り前輪ブレーキ、右足で後輪ブレーキをかけながらエンジンを止め、右手を緩める事なく左足を地面にしっかりつけ、体重移動。
右足をよいこらせっ!と持ち上げてようやく両足揃えて地面に着く事が出来るのです。
いつもこの時右手でブレーキを緩めるものだからバイクがバランス崩してコケてしまうんだ。
納得、納得。
やってみてカラダで実感。

たったコレだけでもめちゃ嬉しかったっす!!

今までの実施、4、5回?
全て最後の最後の駐車でコカしてたからね。

クランク加えたコースを一通り走ったけどクラッチを握る左手がバカになってる(汗)
痛い・・・。
タメを抱っこしようとすると「カクッ」ってヘンな音がするよ。
やばいなぁ〜。
明日はシュミレーターだから少しは手を休める事が出来るだろう。



最近タメはますます活発。
ホフク前進、ズリバイ状態でどこまでもどこまでも冒険に行く。
眠たくなったり甘えたくなった時には私の膝元まで来るのですが
これがまた笑えるんです。
いつもテーブルに地べた座りなんですが、必ずと言ってテーブルの下をはって膝元までやってくるの。
テーブルはおコタにもなるテーブルなので当然ヒーター部に頭をこすったりぶつけたりするんだけど、そんな事おかまい無し。
ひたすら私の膝元に向かってやってきます。
そしてモモあたりから顔を出し
「あー、あー」

プッ!かわえぇ♪

無視すると手でトントンと叩く

まだまだ・・・

声高らかに再び
「あぁぁー、あぁぁー」

溜めて溜めて視線を向けるとニカッ!!

この瞬間がもーたまらんっ!!


最近気付いたんですがタメはさとしクンも同じ事やってた。
さとしクンに反応は私とほぼ一緒(驚)
・・・やっぱ似た者夫婦なんでしょうか??

あと、離乳食を与える直前
「タメ、マンマよ、マンマ」
とホッペに手を当てて教える様にしてるのですが
明らかに認識してる様に
「マーンマ、マンマンマ」
とつぶやきます。

さすが食い意地の張った娘、アッパレです。
かぁちゃんに似て食べ物に対する執着は見事。
餓死という文字はこの子には無縁だね!


2006年04月24日(月) 駐車の道は険しい

今日は頑張って二時間教習を取りました。
午後の部最後と午前の最初。
託児所でゴハンを食べて少し休憩も出来るのでちょうど良いし。

午前は急制動とスラローム。
時速30キロを保ち急ブレーキをかけるのですが
これが・・・・。
最初からオーバーラン。
二回目は早すぎ。
何度もトライをしてようやく4、5回目でマスター。
昔、専門学校時代に足として原付を運転してたにも関わらず30キロが早く感じたのは年のせいかな・・・???

スラロームはスムーズにOK。

午後からはS字と一本橋。
一本橋はさとしクン、以前からくどい位ポイントを伝授してたので
ある程度難関だとは意識してた。
とにかく膝でタンクをはさみ目線は前。
分かってはいても、しょっぱなから落ち、教官から
「オレいい忘れたけど、走るトコはこの鉄板だからな?」
なんて突っ込まれた・・・・。
分かっちゃいるけどなかなかコツが掴めない。
成功率は50%
まだタイムを気にするまで余裕がないから取りあえずは落ちない努力。

二時間連続の教習は辛いと思ってたけど案外耐えられた。
あとは明日の筋肉痛がどう出るか。
随分慣れてきたから、しょっぱなみたいに全身筋肉痛は避けられたけど
まだまだ筋肉疲労は続く。
特に腕と肩ですな。
まだまだ力が入ってるし。

それに・・・
教習が終ってバイクを駐車するのにまともに停めれた事が無い。
必ずコカしてしまって倒れたバイクを起して教習終了。
なんとかならないのかな・・・。
ブレーキが甘いからと教官からアドバイスをもらったので明日には
シッカリ駐車したい。


うーん。
復習しなきゃ。


2006年04月22日(土) じいちゃんとばぁちゃん

大阪に来た理由。
それは

「デジカメプリント100枚無料券」
が4月いっぱいの期限でお母さんが持ってたから。

はい、単純な理由なんです。

GWは道が混むから大阪に行く予定はしていなかった。
数週間ズラして行くつもりだったけど、無料券もあるし、タメもハイハイし始めた姿を見せたいと思ったし。
ちょうど日曜にさとしクンの予定してた事もキャンセルになったので急遽行く事を決めたんです。

首を長くして待ってたじいちゃんとばあちゃん。
駐車場でお母さんが待ってて、さっそくタメを抱っこ。
部屋に着くとじいちゃんがタメに寄って行き、あやすあやす・・・。
私とさとしクンは放っておかれっぱなし・・。

ええ、ええ
そんなモンですよ。
なんてったってタメがこの家のアイドルですから。
タメに会うのがじいちゃんとばあちゃんの楽しみと喜びですから。

デジカメプリントも
「欲しいの言ってくれれば余分に現像しますからね」
と言っておけばほとんど欲しいと・・・。
たーくさんタメの写真を手に取り嬉しそうでした。
タメの産まれた時からのアルバムを作ってるくらいですから。
嬉しい限りですね。
こんだけ愛されれば産んだ私も産んだかいがあったもんだ。

明日の昼には帰るのでそれまでの間、タメはばあちゃんに預けるつもり。
かぁちゃん、少し楽させてもらいます。

ふぅー。


2006年04月21日(金) なんとかサマに

朝一で教習を取りました。
腕がパンパンに張ってて痛い。
クラッチを力入れて握るからか手の握力が下がってるし、握ったり離したりする動作が辛い。
早く慣れなきゃなぁ。

今日はコースをグルグル回って流れを掴んで所々教官からのアドバイスをもらいながら流し運転。
ギアチェンジもほとんどスムーズに行えて嬉しい限り。
何度も何度も同じコースでまわり続けるからウィンカー操作、安全確認も慣れてきて頭がパニくる事が少なくなった。
まわりを見る余裕も出てきて、私以外の人が走る様子も確認できる。

いいぞぉ〜。

多分、ハタから見た目もなんとかサマになってきた感じだろう。
だけど今現在、何も無い交差点を渡ったり、直進、ゆるいカーブを走ってるのみ。
S字、クランク、スラローム、一本橋がこれから待ってるんだよな・・・。
「ただ走るだけなら誰でも出来る」
さとしクンが言う。
そうなんだよ・・・
問題はこれから。
時間制限がある課題はまだまだこれから。
今のうちからつまづいてはダメなんだよね。

今日のタメは昨日よりイイコちゃんでした。
泣きはしたけど最初の時みたいにギャン泣きはしなかったらしい。
赤ちゃんせんべいも少し食べてゴキゲンの時に迎えに行けたから少しホッ。
やっぱり慣れなんだなぁ。


夕方からはさとしクンの実家に行くんだ。
じいちゃんばあちゃんが首を長くしてタメをお待ちです。
ハイハイ(ホフク前進だけど)するようになってからは会ってないので
それはもう・・・。
電話口でもウキウキしてるのは分かる程。
気をつけていってきます。


2006年04月20日(木) 教習二日目

タメは初めての託児所です。
私は昨日の今日でドキドキ・・・。
コケやしないか・・・エンストするんじゃないか・・・。
本来ならコケるしエンストもするのが教習所で習ってるって事なんだけど
コケると200キロ弱あるバイクを起こさなくちゃいけない。
すんごい労力なので出来ればコケたくないんだ。
昨日の倒れたバイクを起こす練習で腕は筋肉痛だし肩もパンパン。
こんな体でもがんばる私。
えらいぞ!

託児所の保育士さんにタメを預けたとたん
「ギャーッ!!」と悲鳴に似た泣き声。

ゴメンよ・・タメ。
これがおまえの試練さ・・・
母ちゃんも試練に耐えてがんばるゼ・・・。

今日は口当たりが優しい教官。
内心ホッ、よかった。
昨日の教官と比べたら圧倒的に説明も丁寧だし、威圧感が無い。
比べてみると昨日の教官は口調がタラタラしてて聞きづらかった。
一緒に教習を受けるのは男の人二人。
ゼッケンの色が違うので私より遥か先の工程の方たち。
開始の挨拶をしたら各自、車体の点検をしてすぐにコースを走ってた。
一人アタフタしてる私。
何をしたらいいか分かってない。
教官がひとつひとつこうして、ああしてと教えてもらいながら何とかコースをクルクル走る事に。

昨日と違う事はウィンカーを出して右折、左折、一時停止を交えたって事。
減速する際のギアチャンジとか何度もする度になんとかサマに・・・。
大変だなぁって思ったのはウィンカー出しながらブレーキして同時にクラッチ切ってギアを下げ、曲がった途端にウィンカーを戻して加速する事。
ブレーキ、クラッチ、ウィンカーを慌しく操作するのには何が何だか・・・。
もう分からんっ!!
「プッ」とホーンを誤って鳴らすのも数回。
エンスト1回
バイクのみの転倒1回
慣れてきて気持ちいいと思う反面まだ自分に余裕が無くてたまに何してるのか分からなくなる時も・・・。

はぁ・・・
まだまだ前途多難。
でも昨日よりもまだマシかな?

今日もグッタリして終了。
タメ迎えに行かなきゃ。

教習原簿を返却して予約の確認してから託児所へ。
目がウルみながら保育士さんに抱かれたタメ。
どうやら、私が去ってほとんど泣いてたらしい。
教習が終る10分前あたりから子供向けの教育テレビが始まり
画面を見せた途端、機嫌が良くなったらしい・・・。

こりゃタメも前途多難だ・・・。

タメ、母ちゃんと一緒にがんばろうな?
将来タメとタンデムツーリングしたいから母ちゃん免許取るんだから。
それで父ちゃんと親子で家族ツーリングしようぜ。

明日は朝から教習予約をしてるので朝からバタバタしそう・・・。


2006年04月19日(水) 教習一日目

とうとう来ました、自動二輪MT初教習。
夕方からしか教習が取れなかったので託児所の時間も終了してる為、仕事を早く切り上げてタメの面倒を見てくれる予定だったさとしクンも「めんどくさいから」との理由で有給を取ってしまいました。

おい、そんな理由で有給・・・いいのか?
あっさりと休みを取る姿にビックリしながらも私にすれば有り難い事ですからスンナリお礼を言い、夕方までゆっくり過ごしました。
最近腰痛と肩凝りがひどくて見かねたさとしクンがカイロでも行って来い、タメ面倒みておくから。
と,またまた嬉しい事言ってくれたので午前中はカイロへ。
さすがです、カイロプラティック・・・・。
立ち座りがしんどかったのもすんなり出来る。
体も軽い軽い♪
夕方の教習も頑張れるぞ!!

さて、教習所までついてきたさとしクン。
大型二輪を持ってる為、先生風吹かせてアドバイスもしっかりもらいました(少々うっとうしかったけど)
開始チャイムが鳴る数分前に教習現場に向かったんですが・・・・
どこに行けばいいのか分からない!!
コンテナの倉庫みたいのがロッカーなのか??
ウロウロしてるうちにチャイムが鳴り、通りがかった自動車の教官に「表のほうだよ」と教えてもらったら既に私の担当教官が待っていました(汗)
あぁ・・・早速遅刻・・・。
普通自動車の免許証の提示を求められたけど、さとしクンに財布を預けてた為、また走って取りに行き・・・。
最悪(涙)
事前に言われてたけど一度受付で提示したからそれでクリアだと思ってた。
アタフタしながら戻って、プロテクターを取りに行き、グローブと共に身につけた時には緊張と不安でどっと疲れた。
チャイムが鳴って5分以上遅刻すると教習を受けられないんですよ。
初日からヤラかしてしまった・・・。

一旦取り扱いの説明を受け、バイクを押して移動させ、倒しては起しを一通りした後、エンジンをかけてギアチャンジしながら軽くコースを一周。
これが今日の講習内容。

思ったより車体が重くて結構な重労働でした。
センタースタンドを立てる時には車体が持ち上がらなくて何度もやり直してるうちに腱鞘炎の手が悲鳴を上げるし、汗は出てくるし・・・。
(後で分かったけど、手をかける場所が違ってて力が分散してたのが原因でした)
足が着かないかも・・・なんて心配してたけどなんとか片足での爪先立ちが出来ました。
150cmでもなんとかなるんですね♪

50分の教習時間はあっという間に過ぎて、終了。
バイクを降りた途端、教官の待機所の前にベンチがあるんですが、そこに腰掛けてるさとしクンを発見。
ニヤニヤ笑ってました。
・・・・・。
チッ・・・やっぱり見ていやがったか・・・・。
教官から印鑑をもらって教本を返却してもらい、解散した後
「足着いたねぇ〜、イケルやん。スタンドかけるとこは悪戦苦闘したみたいだけど、実際はセンタースタンドかける事あまり無いから。サイドスタンドばっかだからな。さぁぁ!これからいっぱいコケるで」

親切な親切なダンナさまは私の一つ一つの行動を完全にチェックしてたみたい。
家に着くまでの間、車の中では今日の復習とシュミレーションの話オンリーでしたよ。

教習中、緊張して頭がいっぱいいっぱいだった私。
ヘンな事も口走ってました。
「先生、ギアチェンの時半クラでいいんでしょうか?」
(いいわけないっしょ、しっかりクラッチきらないとチェンジできません)
「先生、今私何速入れてますか?」
(自分でチェンジしてるのにね)

えぇ、めいいっぱい頭フル回転しててショートしてました。
適正検査の結果も
「とっさの時の冷静な臨機応変さに欠ける」
と出ていましたがその通り・・・。
すごいぜ、適性検査。

腕、肩がパンパンに張ってめっちゃ疲れてグッタリ・・・・。
思った以上に一日目は疲れました。
明日も教習を取ってるので不安が少し残るけどがんばるぞ!!


2006年04月16日(日) 動物園デビュー

降水確率は60%→70%に代わった木曜日あたりから天気がイチバンの心配事だった。
しかーし!!
日頃の行いの良さなのか、起きてみたら日差しが差してる!!
こりゃ雨なんて降るはずが無い天気!!

さっそく実家に電話をし、既に起きて弁当を作ってる弟の嫁と待ち合わせ場所の打ち合わせ。
姉のダンナも子供を連れて前日から実家で泊まってるので、電話の後ろでは起きたばかりでバタバタと準備をしてる子供達の声が飛び交ってた。

さぁ、今日はタメの動物園デビューでもあるんですよっ!!
反応が楽しみで仕方ない♪

お弁当も頑張りましたよ。
卵焼き、牛巻きゴボウ、輪切りとうもろこし、エビフライ、レンコンのはさみ揚げ、ウィンナー、かぼちゃの煮物、ホウレン草のおひたし。
そしておにぎりはアンパンマンと食パンマンとおにぎりマンの形。
アンパンマンは丸くにぎって鼻、ほっぺは魚肉ソーセージの輪切り、目、まゆ。口は切り取った海苔。
にぎるおにぎりの形を変えただけでバージョンを替えればキャラクターも替えられるなんて・・・。
簡単すぎます!!
アンパンマン、ばんざい!!
アンパンマンクッキーもおやつに焼いてラッピングして子供に配るつもり。

イチバン力が入ってるのは私なんじゃない??
多分張り切ってるのは私だろうなぁ。
一人クルクル回って興奮してるのは自覚済みです(笑)

さとしクンの会社が動物園から徒歩圏内なので会社近くで待ち合わせし、駐車場は会社の駐車場を拝借。
スキップして走り回る甥、姪。
いいねぇ、いいねぇ、嬉しくなるよ。

ライオン、ゾウ、キリン、カバ、コアラ、ゴリラ、サイ・・・・。
実際に自分の目で見ると改めて大きさとか質感とか驚かされる事がありますね。
サイの大きさにはビビリました。
タメの反応は動物よりも遊びに来てる人間を見て喜んでるし・・(涙)
ふれあい動物園でタメの顔の間近でヤギにエサを与えた時にはジッとヤギの顔を見つめてるだけでした。
アシカやペンギンには何となく反応してた気はするんだけど、もっと反応して欲しいな・・・と期待してた分だけ肩透かし。
1歳半の弟の次男を見てると言葉がまだ覚えてないにもかかわらず
「うっ!」
「んんぅ!」
「あーあー!!」
こんな感情表現でも十分興奮してる事が分かる。
柵にかぶりつきで見てるし、指差しながら驚いてる表情を見るとやはり1歳過ぎてからの動物園の方が反応の面白さがあるなぁ。


姉の子供達の満面の笑顔も久しぶりに見る事が出来、来て良かった。
本当なら姉も含めて、みんなで来る事が出来たら・・。
イチバン良かったのに。
もし姉が家庭に戻ってくるなら、また必ずココに来よう。
戻って来なくても姉、弟の家族と一緒にみんなで遊びに行く機会を作ろう。
心に決めた。


2006年04月15日(土) 入校

さぁ、今日は入校式。
新しい私の第一歩!!

え!?
大げさ??

でもこの一年半。
専業主婦してたワケですし、学校と言う場所に通うなんてこと
何年振りでしょう??
結構、興奮しております。
面白がってか、さとしクンも着いていくなんて言うし。
タメを見ててくれるだけでもありがたいので足にしてしまいました。

入校申込書に必要事項を記入し、申し込み金12万と共に提出。
12:20の入校式まで1時間ちょっと。
講習コースを見渡せる休憩所でコーヒーを飲みながら練習真っ最中のバイクエリアに目を移しながら観察してました。
大型二輪の免許を持ってるさとしクンは教師風を吹かせてあれこれウンチク語る語る・・・。
mamiに免許取れるかな?なんて半分バカにしながらね(怒)
足つかないだろう
倒れたバイク起こせるか?
車の運転でも荒いのにねぇ・・・バイクねぇ・・(ニヤニヤ)
絶対何度も落ちるから追加金用意しとき
とか。

去年からバイクはAT限定免許ってのもできました。
でもあえてAT車はイヤなのであえてマニュアルMT車を選んだ私。
だって・・・
さとしクンのバイク仲間からさんざん聞かされたもん。
ATは飽きるって。
何となく私の中の小さなプライドってやつですか?
ATってのがヤなんですよ。
車の免許も「AT限定」なんてもってのほか。
市場でもAT車の流通ががほとんどのこの世の中でしっかりMT免許です。
けど自家用車はAT。
車のMTの出番はあまりありません。

でもバイクだと違うもんね
ATだとスクーター限定になっちゃうし何となく物足りない。
いっちょ頑張ってみるか!
背が150センチでも大丈夫だい!!
ストレートに行かないかもしれないけどがんばるもんっ!
気合と根性さ!!
12万円はムダにしないもん!!


正直・・・何度も落ちるかもしれない。
でも
でも
必ず免許とって、そのあかつきには
さとしクンと一緒にバイクツーリングに行くんだ!
タメが大きくなって成人して親元を去った後に夫婦でツーリングしながら日本全国を回りたい。
その目標の為、免許とるんだもんね。

ガンバレ!!mami!


2006年04月14日(金) うひひ

昨日作ったアンパンマン弁当。
反応が気になって、気になって・・・。
さとしクンが帰ってくる前にメールで反応を確かめてしまいました。
12:30あたりまで待って
「お弁当どうだった?」
返信を待つ事数十分
「おいしかったよ
けど・・・開けた瞬間驚いた」

ふふふ
ふふふふふ
ぐっジョブ!!

小躍りしたくなりますよ
思った通りの反応だもん

イェェェェイッ♪

楽しいわぁ。
相手の驚く顔を思い浮かべながらイタズラしかけるのって。

今度は何を仕掛けようか
虎視眈々とタイミングを見計らって考えてる私。

さとしクンにしてみれば嫌がらせでしょうけど
最高に、最大に楽しんでおります。


そうそう
明日
わたくし
生徒になります


タメを妊娠してから半分諦めていた自動二輪の免許取得の為に
自動車学校に入校♪
すぐにバイクを買うワケではないのですが
第二子も計画してるので予定では今年末にはお腹にもう一人居て欲しい。
タメもハイハイし始めているので車校の託児所に預けられるし。
育児がひと段落してから行こうとしたらいつになるのか分からない。
少しでも若いうちに免許は取っておいたほうがいいし、今しかチャンスは無い!!
さぁ!今!!

てな感じで一念発起

がんばるぞ!


2006年04月13日(木) 週末は動物園

今週末、日曜日
姉一家、弟一家と一緒に動物園に行く予定なんですが・・・・
雨っぽい(涙)
もちろん姉は居ません。
義兄と子供三人+弟夫婦、子供三人+私、さとしクン、タメ。
総勢12人。
大所帯です。

今まで両親合わせての旅行で一家が揃う事がなかったんだけど
今回の姉の離婚騒動で子供達が多少なりとも傷ついてたのが可哀そうで可哀そうで私の提案で決まりました。
市の動物園なので中学生以下は無料だし、最近何かと動物ニュースで
テレビを賑わしている動物もいるので。
それにウチから電車でも4区位だしね。

お弁当も数日前からみっちり計画練ってます。
子供が7人もいるものだから子供の好きそうなメニュー。
アンパンマンのキャラ弁なんぞ作ろうかな・・・なんて。

そうそう、試しに今日のさとしクンのお弁当。
ゴハンの部分をアンパンマンにしちゃいました(笑)
以前キャラ弁作ろうか?と言ったところ断固として断わった彼です。
トマトを薄くスライスして鼻にして、魚肉ソーゼージ輪切りにしてほっぺ。
海苔で眉と目を作って
「今日の弁当少し気合入ってるよ」
と笑顔で渡しておきました。
反応が楽しみで楽しみで・・・。
そういうギャグが通じる大阪人のダンナを持ってよかった♪
弁当広げた時、どういう顔するんだろ?
想像しただけでも
おもしろ〜い ^▽^

おやつにはアンパンマンの顔をかたどったクッキーを持って行こうと思います。
まず試作を今日作るぞ!!

どうか、どうか・・・・
60%の降水確率。
外れますように!!


2006年04月08日(土) 桜の下で

いつもより遅めに起きたからちょっと体が怠けてマス。
したがって朝ごはん、昼ごはんの用意がかなり面倒・・・。
どうしよっかなぁなんて思ってたら
「モス行く?」
の一言でテキパキ身支度を整えて近所のモスへ歩いて行きました。

私の住んでる街はちょっとした住宅地で、駅から我が家までの下り坂の道は桜並木。
満開の桜の下を歩いてモスに行く私らって・・・・。
ちょっと絵になる?
なんて勘違いな思い込みで気分良く店まで歩き、ゆったりとブランチをしていました。
家の前に流れている川べりも上流に歩いていけば見事な桜並木が数キロ延びているからお腹も一杯になったところでそのまま散歩にGO!!

10分程歩けば見事な桜のアーチが川沿いの左右の道に広がり、日も高くなって暖かくなってきたので人通りもチラホラ。
往復1時間くらいの川べりの散歩をしてきました。

風が少し強く吹いていたので見事な桜吹雪でしたよ♪
気分はもうほんわかあたたかくて肩からかけたスリングにタメを入れて右にはさとしクン。
腕を組んで散歩する自分に酔ってたりして最高の気分でしたよ。

去年は二人でこの道歩いて、今年は三人で歩いて・・・
来年は何人になってるだろうねぇ

なんて会話。
思いっきり酔ってる(笑)

いいんです、いいんですよ!!

年に数回、季節限定のロマンチストmamiの登場ですから・・・
よく知ってるさとしクンもこの幸せ酔いの奥さんに付き合ってくれて会話してくれました。

はぁ〜、しあわせ(笑)

酔ってる自分がとてもカワイイ♪

この桜も来週にはもう味わえないだろうしね。
幸せ酔いは出し惜しみをせず!!!
思いっきり出しましょう!!


2006年04月06日(木) え・・・転職?

昨日、とある会社の面接を受けてきたさとしクン。
帰ってくるなり
「多分あかんわ、希望部署聞かれて正直に答えたら反応曇ってた」
って。
転職を考えているんですよ。

たまたま私ら機械業界の某有名メーカーで中途採用の募集をしてるという情報を手に入れて履歴書を「通ったらめっけもん」って送ったのは知ってたんですよ。
連絡が無かったから書類で落ちたと思ってたら先週の土曜に面接の電話。
「へぇ〜、通ったんだ」
なんて本人は関心してたけど私は転職→引越し→え!!って少し困惑気味。
「面接で通る保障無いし、採用されてもココから通えばいいやん、どこの事務所に飛ばされるか分からないし」
そりゃそうだけど・・・・。
面接を受けた会社は私も以前勤めてた商社ではお客さんでもあり、全国的な認識度は有名メーカー。
業界では名前出せばすぐ「あぁ、あそこね」って言われるレベルです。
さとしクン曰く
「一生潰れる事ない会社と5年10年先の未来が見えない会社、勤めるとしたら前者でしょ」
男の人にとって仕事は生活や人生の大きな割合を占めるワケですから会社選びには一切何も言うつもりは有りません。
働くのは本人、さとしクンですし。
例え転勤になってもついてくだけだしね。

正直、ダメかも・・・って聞いた時はホッとしたかも・・・。
本社採用なら車通勤で30〜40分程度だけど、採用場所によっては転勤だし、引越ししなきゃいけない。
やっと一年して生活に慣れてきたのに、また生活環境を変えるのはしんどい・・・。
友達も徐々に増えてきたのに。
タメも同じ年の友達できたのに。
まだ正式に不採用の連絡をいただいたワケじゃないけど。

さぁ、結果はどう出る??



2006年04月03日(月) 祝☆ハイハイ

突然ですねぇ♪
8ケ月と4日目。
出来るようになったんですよ、ハイハイ。
ハイハイバックはまだ健在だけど、目標の物を見た時一生懸命来たい、来たいって仕草はしてたの。
腕立て伏せするみたいに腕の力で体重支えてお尻をふんっって持ち上げて
ゆっさゆっさしてたら顔面から落ちるみたいに前進成功。
泣くかな〜って見てたら・・・アレレレ・・・
とびっきりの笑顔で続行。
イグアナみたいにゆっくりと前に進む事を覚えたタメでした。

嬉しくて嬉しくて満面の笑顔でこっちを見るタメをぎゅーって抱きしめて笑顔で話しかけたらタメもニコニコ。
カワイイわぁ・・・。
うーん、いつもの様にお口、ほっぺにチュッチュッ!!
親バカじゃなくてバカ親??
帰って来たさとしクンの即報告。
反応は・・・
私と同じじゃん(笑)
私以上にタメをきゅーっっと抱きしめたから泣き出したタメ。
ビデオにもしっかり納め夫婦ふたりで小躍り。

タメも自由に手に取りたい物が取れるのが嬉しいのか、ひざの上でじっとしてるのを嫌がり始め、放し飼い状態がゴキゲン。
これからますます目が離せなくなるんだと思うと少しゲンナリだけど
嬉しいっ♪♪


2006年04月02日(日) この人と一緒になってよかった

ココ最近、姉の件でさとしクンとマジメな話をする機会が増えた。
新しい情報が入ったら報告もしてるんだけど、その際にする会話の事ね。
もちろんイイ事ではあるけど、きっかけが身内の決して喜ばしい事でないのがちょっと悲しいケド。


結婚してまだ一年ちょっと。
付き合って二年。
お互いが手探りで始めた生活もタメが産まれて、子育てを二人で協力しながら八ヶ月。
自然にタメを間に置いてパパ、ママとお互いを呼び合う事にも慣れてきた。
一人っ子で子供の扱いに慣れていなかったさとしクンも本当にタメを可愛がってくれる。
食後は必ず遊んでくれるし、膝の上にタメを乗せてPCを触ってる。
一つ一つの子供の成長を一緒になって褒め、喜んでくれる。
くしゃくしゃになる笑顔で寝返りを成功させたタメの頭をなでて喜んでる姿を見た時は泣けそうな位幸せな気分になった。
夫婦として同じ方向を見ているのを感じると嬉しくなる。

家族になってよかった。
タメを産んでよかった。
さとしクンと出会えてよかった。

守りたいものが沢山できた。

これが幸せなんだ、って気負いなく素直にうなずける。

日々の生活に追われると次第にこういった感情も薄れていくのかな?
そうだったらこの日記に書きとめておこうと思った。
何の為に産まれてきたのか、何をするためにこの世に生を受けたのか。
そんな難しい事は分からないけど。
苦しかったり、悲しかったりを繰り返す人生の中でそれを乗り越える喜びや幸せ、楽しみをこの数年で一気にプレゼントしてもらった気分。

この人と一緒になってよかった。

昨日、この人生が終る時に感じる事ができればいいんじゃないかな?
そう書いた。
でも、今、私は強く感じるんだ。

この人と一緒になってよかった。

明日にはケンカで取消っって思っちゃうかもしれないけど、そう思う瞬間を大事にしていきたいと思う。


2006年04月01日(土) 祈り

姉はバカだ。
どうして気付かないんだろう。
いや
気付いていても気付かないフリをしているんだろう。
あえて何かを思って捻じ曲げようとしてる。
その何かが何なのか・・・
私には分からない。


最近姉からよくメールが来る。
相談で。
私からの回答は予想がついてるのにあえて聞いてくるんだ。

ダンナも私の実家の母と色々話をしてるし、私もその内容は母から聞いてる。
たまにダンナとも直接メールもする。

まだ離婚届は出していなくて、ダンナと姉は今何度も会って話してるそうだ。
何度か会ってるうちに姉の態度が和らいできているのを感じたダンナはやり直したいと言った。
「お母さんに会いたい」
泣く子供の様子もダンナから聞いて心を痛めてる。

姉は今迷ってる。
以前なら迷わずオトコを選んだのに今は迷ってる。
それには子供の事ももちろんあるだろうが、それだけじゃない。


こんな事があったみたい


持病がある姉は夜中に手が振るえ、止まらなかったみたい。
痛みもあり、苦痛に耐えてるとオトコは救急車を呼ぼうか?と聞いた。
断わった姉はダンナに助けの電話をかけようとしたが、ためらった。
翌日、一人で病院に向かい、途中でダンナに何かのついでだったのか、昨夜持病が出た事を告げた。
心配で仕事を置いて姉の元に駆けつけたダンナ。
その優しさに姉は泣いたそうだ。
一方オトコは何をしてたかと言うと、免許取消中だからという理由だからなのか仕事に行ってた。

どうして、どうして分からないんだろう。
自分がイチバン苦しい時に助けを求める人、頼りたい人が分かってるのに。
答えはそこに出てるのに。
戻ろうとしないのだろう。

自分を無条件で受け入れてくれたオトコ。
自分の為にと転職をして休み無しで働いてるオトコ。
棄てられないのか?

オトコからはゆくゆくは結婚をしたい考えらしい。
戻るにしても、オトコを選ぶにしても犠牲は出る。
無責任に家を出て、自分で行動を起こしたから自業自得。
自分で決めて自分で決断をしなければ姉自身が今後の自分の生活に責任取れないから私は今出来る限りの言葉をかけて決断は姉にゆだねた。

戻って欲しい。
ダンナとやりなおして欲しい。
子供達の笑顔を曇らせないで欲しい。
時間はかかるけど、またみんなで飲んで食べて何気ない団欒を味わいたい。
望みはこれだけ。

結婚ってなんだろう?
姉は私に聞いた。
私にも分からないよ。
結婚して、子供が産まれて、家族が出来て、悲しみを分かち合い、喜びを共に喜ぶ。
元々は他人だけど、
でも今は他人じゃなくて、恋人より近くて、自分を理解してくれる人。
愛しいと思ったり、カチンときて憎くなる時もある。
ひょっとして自分が気付かないトコも誰より気付いてくれる人かもしれない。
人生のパートナー。
きっと、この命が尽きる時「この人でよかった」と感謝の気持ちが持てる瞬間に結婚の意味、家族の意味が分かるのかもしれない。

どうか、積み重ねた日々を意味の無いものにしないように・・
姉の心に変化が訪れますように。


mamirin |MAIL

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