ある友だちの女の子がかつて進路に迷ったときに、父親に相談をしたらしい。すると普段はあまり言葉を交わさないお父さんが、彼女の目を見てこういったそうだ。
「道が二つあったら、難しいほうを選びなさい」
むむむむむ。僕は感動で言葉に詰まった。こんなことをいえるのは、このお父さんと金八先生ぐらいなんじゃないか。
いいですかぁ、皆さーん。あなた方がこれから生きていく人生というのは、たいへん険しい道です。そこで大いに、もがき、苦しんでください。困難にぶつかっても、自分の境遇を嘆くんじゃなあい! 克服するために自分自身で闘うんですっ(絶叫調)。そうして自分を高めていってほしいと、先生思います。いいですかぁ、人という字は……(以下省略)。
無口なお父さんはそこまで口に出せなかったにせよ、思いはヒシヒシと伝わってくる。生きることの価値を「挑戦」に見出したお父さんの、人生観がにじみ出ているような言葉だ。カッコええなー、おっさん。
その話をしてくれた友だちは、「難しいほう」を選んで磨かれたらしく、そのとき確かに素敵な人になっていた。ちょっと化粧は濃かったけど。
大切な人が苦しい思いをするのは、近くにいる者にも辛いこと。快適な道を歩いていつも笑っていてくれたほうが、こっちだって楽しいに決まってる。でもそれって、自分サイドの単なる身勝手なのかもしれないな、とも思う。その人の本当の幸せを願うのなら。
ただ側にいて、付かず離れずとなりを歩く。これって実は相当難しいんだよなあ。でも、そうなれたらいい。つまりこれもまた、「難しいほう」を選べ、ということか。
2004年02月26日(木)
僕の苗字は「あ」で始まる。だから僕は昔から、出席番号が若かった。だいたい「2番」か「3番」。一学期の席は、毎年ほとんど同じだ。黒板に向かって左側、窓に面した明るい席で、前のほう。それが当たり前だった。
注射のときだけはそれを恨んだが、出席番号が若いということは、得をすることが多かった気がする。点呼でもなんでも人より早く済んでしまうのだ。待たなくていい。ただ頭文字が「あ」というだけで、人より優先されていたわけだ。もちろん、当時はそんなことは考えもしなかったけど。
努力なしに利益だけを享受する自分に気がついたのは、大人になって歯医者に行ったときのことだった。虫歯の治療をしてもらいながら思った。自分は今、診療台に寝そべっているだけで何ひとつ努力をしていないのに、確実に「改善」されている、と。麻酔があるから痛くもない。金さえ払えば、それだけで自分がより良い状態になるなんて、夢のような話だ。なんだか怖くなった。
それからは、自ら努力をして成果を掴み取る人が目についてしかたない。当時シドニー五輪や映画『ルディ』を観て痛く感動したのは、そういう心理だったのだろう。努力するやつは美しい。努力しているやつこそ勝者になるべきだ。
一学期の教室、右後ろのあたり。廊下から近くてゴミ箱が置いてある、あのちょっと暗い一帯。そこで「山本」や「渡辺」たちは、コツコツと研鑽を積んでいたのかもしれない。「秋山」や「安西」の後ろ姿を、遠くに見ながら。彼らは今、その積み重ねで「席順」を逆転していることだろう。
では、キリギリスのような「あ行の男」が再逆転するには、どうすればいいのか。
答えは一つだ。 (できんのかな……)
2004年02月24日(火)
突然、春が来た。
街の色が変わった。冬の景色にかかっていた緊張感ともいうべきフィルターが、一枚剥がされたようだ。自転車を漕いで駅に向かう僕の首には、もうマフラーはない。青信号を待っていると、首筋が汗ばむ。そういえば、日本は多湿の国だったな。生暖かい風の感触なんて、すっかり忘れていた。
髪をかき乱す風に悩まされた日曜は、あっけなく夜になった。時が過ぎるスピードは、冬と変わらない。春というものになんとなくかけはじめていた期待が、裏切られたような気分になる。春だからといって、トクがあるわけではないのだ。
日曜の午後八時。京王線新宿駅三番ホームには、明日に縛られた顔が並ぶ。そのなかに混じって急行列車のシートに納まる。僕はなぜだか居たたまれなくなって、本に逃げ込む。
なんの前触れもなく、隣に座っている男が笑った。二、三度、鼻を鳴らして。思い出し笑いというやつだろう。
なにが楽しいというのだ。
春だから、か。
2004年02月22日(日)
覚えているだろうか。80年代のアイドルのコンサート。客席には必ずお揃いのハッピを着たお兄さんたちがいた。そう、キミドリやピンクがまぶしい、テカテカのハッピ。もちろんハチマキもコーディネイトだ。お兄さんたちは手を口の横に当て、前かがみなりながら、声を揃えて「エル・オー・ブイ・イー、ア・キ・ナー!」と絶叫していた。アツい。僕はテレビでそれを見て、ムズ痒い思いがしたのを覚えている。
夕べのサッカー日本代表の試合で、僕は彼らの亡霊を見た。やはりここでも客席の中だ。色こそブルーになっていたけれど、お揃いのテカテカ服は変わらない。2004年のお兄さんは、サッカーを愛しニッポンを愛するあまり、感極まって目に涙を溜めていた。おいおいキャンディーズの解散かよ。アツいな。テレビの前の僕は、やっぱりまたムズ痒かった。
そうそう、サッカーにおけるムズムズにはもう一つある。Jリーグの試合でよく見られるのだけれど、応援するチームが負け、選手を罵倒しているサポーターのなかに、必ずといっていいほど半裸の男がいるのだ(ちなみに、だらしない体であることが多い)。アツすぎ。ムズッ。
どうして僕はそれらにムズムズしてしまうのか。気になってちょっと考えてみた。思い当たったのは、どのケースも「熱烈なファン」に成り切っていて、見ているほうがコッパズカシクなるほどだということ。それでも本人たちは自分が滑稽に映るなんてことは考えもしない。もちろん、楽しみ方は人それぞれだから僕がとやかくいう筋合いではない。いずれにしても、この「熱烈ファンのアツい盲目現象」は二十年の時を超え、今なおこの国に根付いているようなのだ。
80年代も今もアツい盲目。そう考えると、これは竹の子族とパラパラの関係にも少し似ている。竹の子族という名前を聞いただけで、もうすでにムズい。そしてパラパラ。あの滑稽な踊りを思い出す……。
ムズムズムズッ。
2004年02月19日(木)
ドラマやCMで描かれる男女の関係が、近頃また男性優位にシフトしてきている気がする。なんだか最近、世の女性に元気がない。男のほうがやけに強気なのだ。
「別れてくれ」
男のCMモデルがシレっと吐くそんなセリフに「へえー」なんて思ってしまう。ひと昔前の男は女王様たちに、「アッシー」だあ「メッシー」だあと奴隷のように扱われていたってのに。あの頃は、男の分際で「別れてくれ」なんて口が裂けてもいえない世の中だった。
ちまたの学生さんたちにもそんな雰囲気を感じる。近所の駅に青山学院が引っ越してきたので、電車に乗ると若い人たちの様子を垣間見られたりするのだが、こないだ少しショッキングな場面があった。
男子学生数人のグループに女の子が一人。けっこう美形でおしゃれな子である。なのに彼女は、イケメン青学生たちに終始「取り入って」いた。ボロクソに言われても尻尾を振って仲間に入ろうと頑張る。ありえない。こんなにカワイイのに、どうしてそうも卑屈になるんだ。犬の不幸は見過ごしがたい。
なぜそう感じたかというと、僕自身が「犬タイプ」だからなのだ。一方、僕の彼女は完全な「猫タイプ」。僕はいつも尻尾フリフリなのに、彼女は全く意に介さない。猫ってやつは理解しがたい。
とはいえ、これでもだいぶ慣れてはきた。つれない彼女にも、遊んでほしい時があることに気がついたのだ。普段はなかなか乗ってこないのに、そんな時は自分から電話をかけてきたりする。
でも僕が出掛けるのを渋ったりすると、イカる。女王様じきじきのお誘いなのにとでも思っているのだろうか。電話でも鼻の穴が膨らんでいるのが見える。僕はすごく悪いことをしている気分になる。
こうしていつも僕が追う。経験上、男が追う関係のほうが長持ちする気はするのだが、どうにも腹が立つ。この時代でも僕に限っては、女王様は健在なのである。
そういう意味で僕は、また世の中の流れに乗り遅れているといっていい。
2004年02月15日(日)
僕らはリポビタンDに「タウリン」が入っていることを知っている。しかもその量が1000ミリグラムだということも知っている。ただ、タウリンが僕らにどんなにいいことをしてくれるのかは、ほとんど知らない。
「塩化リゾチーム」や「塩酸プロムヘキシン」の名前は聞いたことがあっても、果たしてそれらは何に効くんだろうか。「トラネキサム酸」も耳に残ってはいるんだけど、あなたはドチラサマですか。「グリチルリチン酸ジカリウム」とカツゼツよく発音する中村雅俊を思い出す。アンタそれが何か知ってんのか!
逆ギレしてもしかたがない。CMだ。すべてはCMから耳に入ってきた言葉なのだ。知らない間に刷り込まれた言葉。何度となく聞いているうちに違和感は消えた。
僕らはカタカナに弱い。しかも僕は文系人間。化学にもうとい。いまだに「水兵リーベ、僕の船」の後が思い出せず、「我が世誰ぞ常ならむ」と続いてしまう。それはまあいい。つまり、知識がないから、カタカナ系の化学物質が出てくれば聞こえがよく、「なんだかよさげ」と思ってしまうのだ。
それに「配合」と聞くとオトクな感じがする。頭のいい人たちが日夜研究してつくったものを、知らない間に入れてくれているわけだから。しかもそれが「1000ミリグラム」も入っているというから、「もうすいません、そんなにたくさん」という気分にもなる。よくよく考えれば「1グラム」だけど、そんなことはどうでもいいのだ。誰も気になんかしない。
うーん。
「頭がいいとされている人」の「聞こえのいい言葉」を「繰り返し刷り込まれている」と、「知識のない人たち」は「疑問を感じなくなる」のか。
ふと思い浮かんだのは、ヒットラーと純ちゃんだった。
2004年02月12日(木)
ホームに電車が入ってきた。ドアが開き、中から人が降りてくる。すると僕の後ろから、ズイズイと分け入ってきて駆け足で空席を求めるご婦人。
本が読める好スポットを見つけ、つり革を握る。僕の背後の優先席には、三人掛けの幅をいっぱいに使って二人で座る女子高生。足を投げ出し、大声で馬鹿話をしている。
電車を降りる。ごった返す。エスカレーターの乗り口では無言のバトルが繰り広げられている。ゆっくり運び上げて欲しい人と急いで駆け上がりたい人とが二つのレーンに整理されるには、ストレスがつきまとう。
結局階段を選んで自動改札口へ向かう。すると今度は並行して歩いていたサラリーマンが、加速してギュギュっと僕の前に入る。まるで残り一つの獲物を争っているかのように。
どれもよくあることだ。こんなことでいちいち腹を立てていたら神経がもたない。そんなとき僕は、努めてこう考えるようにしている。
人間には二種類いる。人は、他人を嫌な気分にさせる「不快さん」とハッピーにさせる「好感さん」に大きく分けられるのだ。そう考えれば、不思議といろいろなものが許せる。ああ、この人は「不快さん」なんだな。そう思えば、しかたないか、とも思えるのだ。
「不快さん」は後天的な要素によって出来上がる。家庭環境、生活環境なんかが影響して「不快さん」になってしまったのだ。だからその「不快さん」自身には罪はない。
もちろん已むに已まれぬ事情の場合もある。体の具合が悪かったり、ひどく酒に酔っていたり、ボロボロに疲れていたりして、他人にまで気が回らないこともあるだろう。
もともと「不快さん」であっても、のちに「好感さん」になる人もいる。昔は爆音を響かせてバイクを乗り回し、周囲の人に眉をひそめさせたヤンキーだって、「母校に帰」れば「好感さん」になったりもするわけだ。
ここまで到達すれば、対人関係のストレスはかなりなくなる。ホトケの境地とでもいおうか。
この状態で、前の事象を振り返ってみる。横入りのオバちゃんは、風邪を引いてフラフラだったんじゃないか。あの女子高生は、公衆マナーを誰からも教わったことがないんだろう。急ぎ足のサラリーマンは、せめてあの「競争」に勝ちたかったのかもしれないし、先を見越してぶつからないように気を利かせたのかもしれない。
しかしこの思考方法、実は自分を他者より上位において他を許そうとする、とてもいやらしいやり方だということは認識しておく必要がある。あまりに許しまくっていると、それはそれで尊大で、「不快」だからだ。ただ外からはその独善的な思考が見えはしないので万事丸く収まることが多く、ある意味有効なガス抜き方法なのである。僕はこの思考方法をもう少し極めようと思っている。
帰りの電車。手に持った荷物をぶつけても、何も言わずに歩き去る人。
「そうはいってもムカツクときはムカツクんじゃー、ゴルァ」
僕の修行は続く。
2004年02月08日(日)
お堂のまん中にすわったのっぴきは、とくいになっていいました。
「おいらは村で一番の力もちなんだ。とくでんさんのとこの大きな石だってもちあげられるんだよ。だからおいらが一番つよいのさ」
おしょうさんは、湯のみのお茶をごくりとのんでからいいました。
「いいかい、のっぴき。よくおきき。たしかに男の子はつよくなきゃいけない。でもつよいってのは、大きな石をもちあげることだけじゃないのさ。 ぬきさしをごらん。おしょうさんはね、あの子のほうがおまえよりもつよいとおもう」
のっぴきは、目をくるくるして、まっかになっていいました。
「一番つよいのはおいらさ。だってあの子は体が大きいくせに、いつもおいらにはかなわない。お祭りのときだって、おいらが一番にたわらをはこぶよ。だからおいらが一番つよいんだい」
おしょうさんは湯のみを床において、のっぴきの目をみていいました。
「ぬきさしは、のっぴきが頭をぶってもなにもいわないね。それはどうしてだかわかるかい?」
のっぴきは、口をとんがらせて、ぶるぶると首をふりました。
「ぬきさしはね、ぶったらいたいってことをしっているのさ。のっぴきは人をぶつばっかりで、人にぶたれたことがないね。だからおまえはぶたれたときにどれほどいたいかを知らない。 ほんとうにつよいのはね、ぶたれたいたみを知っていてぶちかえさないことさ。男の子はね、ぶちかえさないゆうきをもたなきゃいけない」
「ぶちかえさないゆうき……」
のっぴきにはなんのことかわかりません。ぬきさしのほうがつよいというおしょうさんがきらいだと思いました。
風がひゅうとふきこんできて、おせんこうのけむりがゆれました。のっぴきは、おせんこうのにおいもきらいだと思いました。
2004年02月05日(木)
いいかジュンイチロウ。
平和にはカネがかかるんだよ。一発百ウン十万ドルもするミサイルをたくさん買って、『敵』を退治するんだから。どこからそのカネを工面するかって? それはやっぱり国民だろう。『平和』や『正義』を守るんだから、それは国益ってもんだ。
大金を軍需産業にバラ撒けば、またまた特需だよ。不況の時は戦争に限る。平和で景気さえよければ国民も文句は言わないし、これで政権も安定、一石二鳥のバンバンザイだ。
冷戦は終わった? 確かにそれは困った。『敵』がいなくなっちゃったな。……と思ったらいたいた、イラク。そうだよな、『敵』は待ってちゃいけないよな。作るものだよな。自分たちアメリカがイラクを軍事大国化させた? あれは仕方がなかった。分かるだろ、当時の『敵』のソ連を牽制しなくちゃいけなかったんだから。大丈夫、今度は核戦争ではないし。
でも待てよ。『正義』だけだと国民を納得させるのには、ちと弱いかな。それなら『大量破壊兵器』。怖いだろ? これを持っている奴らは叩いたほうがいいだろ? でももうちょっと『敵』を憎ませるように仕向けたいところだな。ならば『悪の枢軸』。ううん、いい言葉。ホレボレするな。なんだかすごく悪い奴らの気がしてきた。もう一押し、できれば『敵』と勇敢に戦う兵士の物語なんかもあるといいね。そこで『ジェシカ・リンチ上等兵』。いいねえ、燃えるねえ。もうバンバン、ミサイル撃ち込んじゃえって感じだろ?
おい、ジュンイチロウ、分かってるな。何って? 後片付けに決まってるだろ。
2004年02月02日(月)
ヒトの知能をもった『鬼畜』! スーフリ和田被告の、『腹の内』を見た
◇
早大のイベントサークル「スーパーフリー」による集団レイプ事件の第8回公判が、先月21日東京地裁で行われた。この日は、昨年6月準強姦の罪で逮捕・起訴された同サークルの元代表和田真一郎(29)、元幹部・藤村翔(21)両被告に対する尋問が中心となった。
◇
和田被告は紺のスーツに白シャツ姿。かつて染色していた跡が残る長髪を、後頭部の高い位置で結んでいる。同事件で起訴され、この日出廷していた藤村以下四人の被告らには頭を丸めた形跡があるのに対し、和田の「ロン毛」姿はかつての「栄光」を捨てきれていないものがあるかのように映った。
「本当に申し訳なく思っており、もし可能なら(被害者に)直接お会いして土下座して誠心誠意謝りたい」
冒頭での和田の発言も、まるで用意された原稿を読み上げているかのようによどみなく、その声に反省の色は感じられない。
ただ、和田の弁護人による尋問には、徹底して情状酌量を狙う様子が見て取れた。質問には、スーパーフリー(以下スーフリ)が単にレイプ集団ではなかったことを印象付けたいという意図が透けて見える。
「イベント成功への努力のなかで人間的成長を目指していた」 「社会に出る上での実行力やコミュニケーション能力がつく気がした」
弁護人はそのような陳述を引き出すことで、スーフリの活動のポジティブな側面を浮かび上がらせようとする。
しかし和田は強気を通す。サークルとしての意義をアピールしようとするあまり、イベントのチケット代(女性三千円、男性四千円)は高額ではないのかという質問に対し「価値があれば高いとは限らず、(参加者は)満足していたと思っています」と自らの組織力への自信を伺わせる場面もあった。
また、直後の二次会で「まわし(輪姦)」を行ったとされる平成15年4月27日のイベントについては、「私のイベント経験のなかでもかなり思い出深いもの」と述べるなど、道半ばで逮捕されたことへの悔しさをにじませた。
同イベント後の「まわし」については、姦淫の事実は認めたもののその計画性は否定、あくまで偶発的に起こったとの立場をとり、スタッフに「まわし」へ加わることを強要したとされる件についても、それぞれの「自由意志」であったとの主張を展開した。
酔わせる目的で女性の飲み物に混入させたとされるウォッカ『スピリタス』(アルコール度数96度)については、その発注を指示し、イベントの二次会で使用した事実を認めた。
◇
休廷を挟み、藤村被告への検察尋問が開始された。藤村はグレーのスーツで小柄な身を包み、裁判官に促されて中央の証言席に座る。丸坊主頭で、眼鏡をかけている。声は甲高くやや上ずっているが、言葉一つ一つはしっかりとしている。自らの罪を全面的に認めている模様で、返答も素直であるようだ。
藤村を尋問するのは少壮の検察官である。和田の弁護人とは打って変わって語り口には余裕が見える。よく通る大きな声で即座に鋭い追及を始めた。最初の争点は、和田による「まわし」への参加強要がなされていたかどうかという点だ。
藤村の証言によれば、自分がスーフリに加入した平成13年当時、「まわし」に反対する通称「和み班」と輪姦積極派の「鬼畜班」の間でもめごとがあり、その後「和み」の先輩スタッフはサークル内での発言権が下がったという。イベント参加者の女性に「二次会は危ないから行っちゃだめだよ」と忠告したスタッフが除籍されたこともあったそうだ。
和田が「連帯感」という言葉でスタッフへ圧力をかけていたという事実を示す会話も明らかにされる。
和田「(先日)まわしたあの女の子はよかったね」 藤村「どうして○○(スタッフの名)は参加しなかったのですか?」 和田「ホントだよな。連帯感が生まれないよな」
そうして和田は「まわしに参加しない者は一人前ではない」という意識をスタッフの間に植え付けていった。
二つめの争点として、和田がいかに「まわし」に執着していたかという点についても検察官のメスが入る。
和田は、四月という時期に並々ならぬ意欲を持っていたという。四月の新歓シーズンは、イベントにも二次会にも多くの女子学生を動員できる。お酒を飲みなれない者も多い。藤村は当時の和田の言葉を証言する。
「四月は撃ち頃。撃てる女が集まるんだ」 「俺は四月のために学生をやっている」 「撃つ」とは姦淫するという意味である。
スタッフミーティングでイベントへの動員数を増やす策を討議していた際、あるスタッフの「まわしをやめたらどうか」という提案を、和田は「ありえない。二次会は俺の生きがいだ」と切って捨てたこともあった。
またスーフリ内には「オールフォー和田」という言葉が存在した。すべては代表である和田のためにあるということである。飲み会の後、一人で女子学生を連れて帰る、いわゆる「お持ち帰り」をした者は後日和田に呼び出され、殴られるなどの「注意」を受けた。二次会に女性を誘導できなかったスタッフがホテルの一室で殴る蹴るの暴行を受けたこともあった。その様子を目撃した藤村は「死ぬのではないかと怖くなった」と証言する。
このように藤村尋問からは、代表・和田が「まわし」に対し異常なまでに執着し、「連帯感」を掲げた恐怖政治でスーフリを鬼畜集団化していったということが明らかになった。
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閉廷後、取材メモを読み返してみる。和田尋問の終盤、被告が自らの起こしたことについて振り返って述べた部分がある。
「入学当初はこのようなことをするとは、ゆめゆめ思っていませんでした。スーフリの活動をしていくうち、私の考え方も変わり、いつの間にか正常な感覚を失っていったのではないかと思います」
思い出されるのは、和田のその口調が、あくまでも冷静であったということだ。
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(付記) ◇傍聴日時:平成16年1月21日(水) ◇法廷: 東京地裁刑事第104号法廷 ◇裁判官名:中谷雄二郎(裁判長) 横山泰造 松永智史 ◇事件番号:平成15年合(わ)第275号 ◇被告人名:藤村翔 和田真一郎 小林潤一郎 沼崎敏行 岸本英之
2004年02月01日(日)
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