2001年もいよいよ大詰め。
本来なら年賀状の用意で大忙しのはずだけど、今年はそうなってない。何せキビシイもんだから。何がキビシイって、経済的にキビシイのよ。
というわけで、お金をかけない代わりに"心を込めて"クリスマス・カードをデザインしてみました。これをメールで送らせてもらうとしよう。「メールで済ましてる」って感じで心苦しいのだが、そこは何とぞ御勘弁(涙)。
今年もおかげさまで無事過ごしてまいりました。これもひとえに僕を支えてくれた家族、友、先輩諸氏をはじめとする周囲の皆さんのおかげに他なりません。みなさまが素敵なクリスマスと素晴らしい年を迎えられますよう……。 Dear my friends...,
2001年12月20日(木)
ホームステイ先のホストファミリーの方に会った。
えっ、なんで? カナダにいるんちゃうの? そう思われるだろうが、実はこれにはワケがあるのだ。
先日もお話したとおり(12/7と12/8参照)、バンクーバーでお世話になるホストファミリーさんは、マユゲが通っていた矯正歯科医さんのお知り合い。そしてそのご家族はバンクーバーに住む日本人なのである。さらにそのご家族の旦那さんは最近日本でのビジネスを始められたとのことで、現在「来日中」なのである。そしてなんと彼はクリスマスには家族の待つバンクーバーに帰り、年明け再来日するという。ちょうどマユゲがバンクーバーのお宅にお邪魔するときには、ご主人は日本にいることになるそうだ。これは言ってみれば、お留守中にご厄介になるということ。
先方にしてみればマユゲは、知り合いの歯医者さんの患者とは言うものの、齢(よわい)三十を前にして無職という、どこの馬の骨かも分からない男。これでは先方もご心配なのではないか?
これはいかん。不肖マユゲ、これでも礼節をわきまえたるニッポン男児。会えるチャンスがあるのならば、ここは是非とも実際に会ってご挨拶をせねば。
というワケで、まずは直接この間抜け面を見てもらうべく、カナダへの帰国前の忙しい時間を無理を言って割いていただいたのである。
待ち合わせは、都内某駅改札を出たところのベーカリー前。気持ち良く晴れた日曜日の午前中。年の瀬とはいえ、どちらかといえばのんびりとした雰囲気だ。少し早く着いたので近くのコンビニを探す。一応用意してきたレジュメ(英語版履歴書)をコピーしておこう。まずはこちらがどんな人間かを分かってもらうのが今日の主旨である。
約束の時間の少し前になって公衆電話から携帯に電話を入れると、先方はもう既にベーカリーの前に来ているという。その場所を見てみると何人かの人がいたのだが、そこは雰囲気で何となく分かるもの。それらしき人に声をかけると、やっぱりビンゴ! ホストファミリー氏は、笑顔の爽やかな若い男性であった。若いといってもそれは醸し出す雰囲気のことであって、実際は三十代後半(?)といったところだろうか。電話の声からするともっと年上の人のイメージであったが……いい意味で年齢不詳な人である。
さっそく連れ立って駅ビル内の喫茶店へ。実はこの後、コーヒーを飲みケーキを食べながらなんと結局三時間近くも話し込んでしまったのであった。つまり彼はとても「話をしやすい人」なのである。「聴く耳」をお持ちであると同時に、言うべきことはしっかりと言ってくれる。初めてお会いしたというのに、マユゲ的には勝手ながら「意気投合」させてもらった。
マユゲのやってきた仕事のこと、さかのぼって学生時代のアメフトのこと、バンド活動のこと。そして旅行のことも。もちろんこのサイトのことも話した。
これからの話としては、今不安に思っているアルバイト探しや語学学校選びといった話題に始まり、その後の人生について考えていることまでも熱く語ってしまった。そのなかで、「手に職」をつけることができる専門学校に通いながら英語を勉強する手もあるというアドバイスをもらい、鼻息を荒くする。
英語の上達法で手っ取り早いのは、ネイティブスピーカーの彼女をつくるというのが一番、なんていうアドバイスもあってさらに鼻息が乱れる。帰国後会った友人の多くから「青い瞳のカノジョできた?」と言われ続けてきたが、世界をあちこち歩いてみた今も、やっぱり日本人の女の子が好きだということには変わりはない。でもな、この際変な決め事はやめて、こちらの面でもフラットな気持ちでかまえてみるとするか……。
一方、先方の仕事、ご家族の様子、街の様子についても伺った。聞けばなんと家から車で十五分のところにゲレンデがあるというではないか。メチャメチャ近い。娘さんたちもよくそこに滑りに行くそうだ。せっかくカナダに行くのだから一回ぐらいはスノボーしよ、なんて考えていたのだが、これなら毎週なんてことも有り得るぞ。夢は膨らむ。
改めて費用や生活ルールなど、条件面の話についても聞かせてもらった。ステイさせてもらう期間については最終的には現地にいらっしゃる奥さんと話し合って決めることになるのだが、聞けば聞くほど一週間だけの滞在ではもったいない気がしてきてしまう。それほど魅力的な環境なのだ。まぁ、先方のご都合もあるだろうし、マユゲ的にもネイティブ・スピーカーとアパートをシェアして住むという計画があるしで、どう転ぶかは現時点では分からないのだが……。
時間はあっという間に過ぎた。ホストファミリー氏にお礼を言って別れ、気持ちのいい午後の歩道を駅に向かいながら歩く。仕事探しなど苦労しそうな要素もあるにはあるが、何といっても「楽しみ」だ。この先どうなるか分からない俺の人生。まったくお気楽な話だが、今はそれが「楽しみ」でしようがない。
また、新しい生活が始まる。
2001年12月16日(日)
いよいよ年末。
航空会社のマイレージカードを持っていると、この12月末日で失効してしまうマイレージポイントについて通知するステートメントが送られてきたりする。マユゲは会社員時代につくったJALカードとANAカードを持っているのだが、年明けの出発を控え、ここでそれぞれのポイントを確認しておくことにした。
まずはJALカード。何年か前、一年に四、五回札幌出張したときのポイントの端数がとうとう今年で切れるようだ。JALではすでに台湾往復の特典航空券に代えたことがあるのだが、気づいてみればまた韓国に二回行けるくらいまで貯まってきている。今年で失効する半端分を考えると、ここでチケットにしてしまったほうがよさそうだ。来年はできればワールドカップを観に一時帰国したいと思っているので、今から予約してしまおう。ちょうど試合の組合せと日程が決まったところだし。帰って来れなかったらそれはそれで仕方ない。どうせ「おまけ」だしね。
一方のANAカード。こちらはスターアライアンス加盟なので、さらに積算チャンスが多い。今年あちこち行った旅のうち九回のフライトでポイントを貯めることができているはず……と思ったものの、よくよく調べてみると、二回分のポイントが登録されていないではないか。
これはいかん。
というわけでそのときのチケットの原券と搭乗券の半券を探してみたところ、これがまたすぐに見つかった。さすが俺。保管と整理が行き届いてるねぇ。
「事後登録」の手紙を書き終え、余裕綽々でふぅーっと一服。
でも待てよ。
こんなふうに、日本にいる今のうちにやっておかなければいけないことが、まだまだあるんじゃないか?
えらそうに煙草をふかしている場合ではない。何か急かされているような気分になる。そんな年の瀬……。
2001年12月15日(土)
ワーキングホリデー保険の資料が二件仲良く届いた。
AIU保険会社代理店 株式会社 エルエスアイと、東京海上代理店 有限会社ジーシーアール(日本ワーキング・ホリデー協会指定代理店)からである。
さっそく内容の検討。それらをざっと見てみると、このワーキングホリデー用の保険というのは、一般に売られている海外旅行保険の保険金額(保険会社が補償する金額)を低く設定して、その代わりに保険料(契約者が支払う金額)を安くなるようにしたものだということが何となく分かってくる。
例えば、一般的な保険だと傷害によって死亡した場合の保険金額は五千万円程度(高いものだと一億円など)に設定されているところを一千万円に、といった具合だ。
長丁場を念頭に置く我々WHメイカー候補生としては、これから何かと入り用なとき。それだけに、この保険料というのは実に切実な問題になってくる。「安く上げる」には、リスクをどこで負い、どこで捨てるかという点で、ある程度を腹を括らねばなるまい。
では具体的にいくつかの項目についてマユゲの場合に当てはめて考えてみよう。
まずは【疾病・死亡】、つまり病気で死んでしまった場合。事故でサックリ死んでしまう可能性に比べれば、病気を患ってジリジリ死ぬ可能性は低そうだ。ここは一千万円も要らないだろう。五百万でよし。もう、割り切り。炭素菌発症したら諦めるしかないな。
次にポイントとなるのは【賠償責任】、つまり何か「しでかして」しまった場合の相手への損害補償。こればっかりは文化の違いもあるし、思わぬところでとんでもない迷惑をかけてしまう恐れがある。相手と自分のその後の人生を考えれば、これは多いほうがいいだろう。というわけで五千万円ではなくて一億円!
もうひとつのポイントは【携行品】、つまり何か持ち物が盗難、破損に遭った場合。これはかなり「ありそう」。だから十万円では怖い、三十万円だ。
といった具合に大枠を決め、両者に電話をかけ諸処の条件を聞いてみた。それらを、バックグラウンドやサービスなどの側面を一度はずして、金額面だけで乱暴に比較してみると、こちらの表のようになる。
保険料の金額的にはAIUの圧勝。その差は実に41,510円也。サービス面については両者とも大企業だけに、緊急時の対応(24h日本語受付など)や海外での拠点(提携先含む)といった面でも決定的な差はなさそうだ。
バックグラウンドについては知名度という物差しがひとつあるだろう。何かあったときの話の進み方のスムースさを考えれば、この知名度というのはあながち馬鹿にできないものだ。カナダでの東京海上の知名度は分からないが、予想するに「世界的保険・金融サービスグループ、AIGのメンバーカンパニー」を謳うAIUに及ぶとは思えない。ここでもAIUに軍配か。
てなわけでこっちにしよっと。さて申込書を書くとするか。あとは銀行で振込、と。せっかくまとまった金額の買い物をするのに、JALカードのマイレージが貯められないのがちょっと残念……。
2001年12月13日(木)
そろそろ保険の加入手続きをということで、先週の金曜(12/7)、インターネットであれこれと調べてみた。
まずはYahoo! で検索ワードを「ワーキングホリデー(スペース)保険」として、ダブル単語で引っ掛ってくるものを見てみると、出てきたのは一件。
AIU保険会社代理店 株式会社 エルエスアイという会社だ。こちらは「留学生保険、旅行保険、駐在員保険、ワーキングホリデー保険専門のAIU保険代理店」とのことで、「AIU保険.com」というサイトからオンラインで資料請求ができる。
でもこれだけ?と思ったマユゲは、次に検索ワードを「ワーキング・ホリデー保険」と入れてみた。すると三件ヒット。この「・(ナカグロ)」がポイントなのね。
ここで出てきたうちの二件が日本ワーキング・ホリデー協会のサイト関連であった。もうひとつは個人のサイト。そしてそのどれもが"日本ワーキング・ホリデー協会指定代理店" 有限会社ジーシーアールについて書かれたページであった。
ここで脇道にそれて個人サイトのリンク集からさらにサーフィンしていくと、今までカナダ・ワーホリに参加した人たちのサイトが出るわ出るわ。自分では、「これからカナダに行くなんて、俺ってすごいことしてんじゃん!」なんて舞い上がっていたのだが、やはりもっとすごい先達はいるものだ。
話を戻して、有限会社ジーシーアールの連絡先を紹介しておこう。
〒105-0011 東京都港区芝公園1−7−6 退職金機構ビル別館4F 営業時間:9:30〜17:00(土・日・祝祭日 休み)
電話番号については、サイトによって 03-5913-6705 (FAX:03-5913-6706)と 03-3435-0905 の二通りが出てきたが、今日前者に電話をかけてみたところ、後者は古い番号とのことであった。そこでさっそくこちらにも資料請求。
で。その検討結果はまた今度。
2001年12月10日(月)
というわけで(12月7日分参照)、バンクーバーでお世話になるホストファミリーの方に昨日コンタクトをとった。
これからお世話になるからにはせめてご挨拶だけでもと思い、無礼を顧みず電話をかける。挨拶に始まり、マユゲ自身の計画などについても簡単にお話し。ホストファミリー氏はその話し振りから、僭越ながら申し上げるに「信頼できそうな人」だと感じられ、まずはひと安心。さらに少々お話をした結果、先方のご都合もあるので、取り敢えずは渡航後の一週間ご厄介になり、その後についてはお互い相談をさせてもらって決めましょうということとなった。
自分自身、学校や住まい探しのこともあるので、最初の一週間の拠点提供を約束してもらえたのも安心材料である。その間に並行して仕事探しにも励もう。忙しくなりそうだな。でもなんか嬉しいものがある。なんだかんだ言って、忙しいのが性に合っているらしい。
しかし安心だけしていられるわけでもない。ホストファミリー氏はマユゲを気遣いとても丁寧な対応をしてくれながらも、現在のバンクーバーの「厳しい現実」に目を向けさせることを忘れなかった。
マユゲが潤沢な資金をもとに旅行を中心にして暮らすつもりではなく、ある程度腰を据えて現地での仕事を経験しながら生活したいということを告げると、その「厳しい現実」についての話をしてくれたのだ。
もともと一月というシーズンは、バンクーバーにおけるワキングホリデー・メーカーたちの雇用を生み出す主な産業となる「観光」が下火の時季だという。ウィスラーなどでの冬季の観光業に関する求人も、たいてい10月頃で埋まってしまうそうだ。しかもこのところ続く不景気に加えて先のテロ事件。現在のバンクーバー界隈はかなり「冷えきって」いるそうである。最低賃金だろうが何でもやるという覚悟をしてこないと、なかなか仕事は見つからないだろうとのことであった。カナダ人でさえ職探しが難しいというなか、英語もさほどできないマユゲのような者は相当苦労することになるのが予想される……。
こういった厳しい現状についてはいろいろな情報源から得て知っていたつもりでも、実際に現地で、その「厳しい現実」のなかで暮らす人の肉声を聞くと、ずっしりと重いものがある。
「俺はそこらの学生上がりとは違って、"生き馬の目を抜く"広告の世界で五年間働いてきたんだぜぃ」という"自信"が、いつしか"思い上がり"になっていたように感じられてくる。俺はそもそも手に職さえないのだ。もう一度ゼロからのスタートのつもりで行こう。
いくら休暇を過ごすことがワーキング・ホリデー制度の本来の目的で、渡航前に仕事を決めることができないという現実があるにしても、「学校も仕事も、行ってから決めればいいや」的な甘い考えは禁物。しかし歯がゆいのは、苦労を覚悟しておくことくらいしかできない今、やっていることがその「甘い考え」と大差ないということ。
せめて日本にいる間は、英語の勉強をできるだけ進めて、学校くらいはリストアップしておくとしようか。「比較的見つかりやすいかもしれない」というファームステイなども視野に入れて、選択肢を広くしておく余裕もあったほうがいいかもしれない。
またまた力が甦ってくる。
2001年12月08日(土)
マユゲは「何かの縁」というものを信じる。
ときに意の赴くままに、ときに何かを見つめながら、ただ自分が思った道を進んでいくと、思いがけない「出会い」に遭遇することがある。学生時代、社会人になってから、旅暮らしのなかで……数々の、思いがけなくも幸運な「出会い」に手を差し伸べてもらった経験は枚挙に暇がない。
今回の「出会い」もそうだ。
前置きが長くなるがその話をしよう。マユゲが2000年という節目の年に「自己改造化計画」を進めていたなかで、長年コンプレックスとなっていた「歯の矯正」に踏み出すという出来事があった。背中を押すきっかけとなったのは本当に情けないエピソードだったのだが……。
学生時代、アメフトの練習中に折れてしまった前歯のひとつを差歯にしていたのだが、2000年の春先、これまた週末のタッチフットの練習中にその差歯がポロッととれてしまった。そのとれた歯をなくならないように煙草の箱に入れ、再び多摩川河川敷の原っぱでの練習に励む。そしてひと通りの練習を終え荷物のところに戻ってみると、どうしたことか煙草の箱がない(汗)。河原に無造作に置いておいた荷物なので、通りがかった人が煙草を見つけて持っていってしまったのだろうか。
しかしその箱はただの箱ではない。大事なサシバ様が入っているのだ。もうひと箱煙草を買えばいいという問題ではない。あせった。すると近くで黒い影が飛び立つのに気づく。見れば白い小さな箱を咥えたカラスが一羽、今まさに飛び立とうとするところであった。
!!!
あれだ。待てコラー、てめぇー。必死で小動物を追いかける二十六歳(当時)の飛べない男。しかしカラスはそれを嘲笑うかのように空高く舞い上がり、やがて姿をくらました……。
前歯が一本ないというのは文字どおり何とも「間抜け」なものであって、一刻も早くこの「悪いことをしなそうな顔(タッチフットの仲間談)」から脱け出すべく、週末でも開業している歯科医を探す。こういうものというのは普段は全く気がつかないのにいざ意識してみると実はあるもの。帰り道の電柱に「土日診療あり」という歯医者の看板を発見。
BINGO!
さっそく薄汚れた練習着のままでその歯科医の門をたたく。かくして数年ぶりに歯医者さんにお世話になることとなった。
いざ口の中を診てもらうと差歯以外にも問題は次々に出てくる。仮歯を入れてもらった後は、虫歯の治療で引き続きそちらに通う生活が始まった。それまでは忙しさにかまをかけ、多少気になる部分があってもなかなか足が遠のいていた歯医者だが、これも何かの契機と思って通いだすとこれが何とか通えるものだということに驚いた。ちょうど仕事は入社以来最高に忙しいときを切り抜け、逆にかつてない「落ち着いた」状態になりかけていた頃であった。「歯医者に行くから」というプライベートな理由でも、自分の仕事のスケジュールをコントロールできるようになってきていたという面でも幸運が重なった。
そしてひと通りの虫歯治療を終えた頃、いよいよ仮歯をどうするかという問題になる。マユゲのケースだと乱杭歯がたたって通常の差歯治療が施しにくい。ここで前々から頭の隅にあった「矯正」を決意するに及んだわけだ。通っていた歯医者には矯正の先生が月に一度やってきて治療を行っているという事実もその決断を後押しした。
と、本当に長い前置きになったが、その矯正の先生こそが意外なお知り合いの持ち主だったのである。矯正の治療に通いはじめて約一年半。月に一度、しかも「マスク越し」とはいえ、マユゲの旅の話題などをきっかけに毎回ちょっとしたお話をするようになっていたのだが、前回の治療時、今後の治療計画の絡みもあるのでこの度のカナダ行きについて口にすると、
「えっ! カナダ? カナダのどちらに行かれるの?」 「最初はバンクーバーへ、と思ってるんです」 「えっ! バンクーバー? 私、バンクーバーに知り合いいるんですよー!」 「ほんとスか!?」
という具合に話が進むではないか。聞けば先生は年に何度か仕事の都合でバンクーバーに行っているらしく、そのときいつもお世話になっている現地の日本人の方がいるとのことで、紹介を買って出てくれるというのだ。その方は今までにもワーキングホリデー・メーカーをホームステイさせたこともあるという。
こういうものは信頼できる人の紹介に勝るものはない。これは渡りに船とばかりにご厚意に甘えさせてもらうことになり、これから紹介された番号に電話をかけるというわけだ。
ワーキング・ホリデー協会編のガイドブックにも書いてあったが、ワーホリに行くと決めたらそのことをなるべく多くの知人に伝えるというということは、まさに大切なことなんだなと実感される。
それにしても……、土日診療の歯医者さん、そこで発見された虫歯たち、矯正の先生、そして巡り巡ってホストファミリーさん……、さらに元を辿れば、あのカラスまでも……。
果たしてこれらの「出会い」は偶然と言い切れるだろうか?
2001年12月07日(金)
先日の洗車話ついでにもうひとつ。
マユゲ家では、昔から洗車はマユゲの仕事であった。特に自分が運転免許をとってからはよく週末などに家の車を洗ったものだ。しかし一旦洗車を始めるとちょっと水洗いしただけでは気が済まなくなる。ワックスまで塗ってピカピカに仕上げないと落ち着かないのだ。マユゲにはけっこうそういうところがあって、普段は大してやらない家事をたまに頼まれるとやたらと張り切った覚えがある。そしてその仕事に対して家族から「お前はやればできるねぇ」などとお褒めの言葉をもらうと、まんざら悪い気がしないでもなかった。
この日も、自然と力が入る。自分が乗るわけではないのだが車はきれいにしておかないと落ち着かないのだ。車内に掃除機をかけて雑巾掛け。たっぷり泥と砂が持ち込まれたフロアマットもブラシを使って水洗い。外装はシャンプーの後、ポリマーコーティングを施す。タイヤにも専用のコーティング剤を塗布し、窓には水はじき加工。約三時間かけてコーティングの拭き取りまでを終えると、上腕三頭筋にぐったりとした疲れを覚えるほどだった。
今回もピカピカに洗いあがった車を見て、自分を「俺はやればできる」と能天気にかいかぶっていた頃を思い出した。あれから十年近く。その間に社会人となったマユゲは、この言葉を違った解釈でとらえるようになっていた。
「やればできる」という言葉は、子供に対して使うとポジティブな、いわゆる「誉め言葉」になるのだが、これを大人に使おうとするとちょっとニュアンスが変わってくる。「やればできる人」というのは、「いざというときになるとその実力を発揮する人」ということであって、すなわち「普段はあまりやらない人」ということだ。
マユゲが会社員として生活していたとき(「ちゃんとした社会人」であったとき)、この「普段はあまりやらない」というのは全く通用しなかった。日々、常に「やって」いなければ認められなかったのだ。周りにいた「できる人」たちは、毎日のひとつひとつのことに対して実に良く「やって」いたのを目にし、自分もこのままではいけない、と、「日々やっていくこと」を心がけた。それを何年か続けると「あいつはまだまだだが、なかなかよくやっている」なんて見てくれる人が現れ、それが少しずつ自信になったものだ。
今の自分はどうか。何か胸をはって「俺は、やっている」と言えることがあるか。内容がなんであれ仕事をしていたときはよかったのだが、それがなくなると自分の存在の拠り所がなくなって、精神衛生上、実によろしくない。こんなふうに車をピカピカにしても、何も満たされはしない。
人生における短期的な次の目標は定まった。来年一年間、カナダでのワーキングホリデー生活に挑戦するということだ。しかしもっと大きな部分、長期的な展望は未だに定めきれないでいる。今は、それを模索するためにリスクを犯すまでしてつくった時間だ。焦ってはいけない。そうは思っても、ジリジリと忍び寄る「焦燥感」にも似た思いが、最近のマユゲを苦しめている。
2001年12月01日(土)
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