DOTFAMILYの平和な日々
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とある雑誌(しょうもないゴシップ誌です。何故私がそのようなものを読んでいたか?ちゃんと理由はあるのだが・・・追求しないで下さい。)にヨーロッパで犬の毛皮製品を売っているという話が載っていた。中国の工場で作られているという。犬の毛皮で作ったコート(あまり美しくない)、何百匹もの犬の毛皮を日に当てて乾燥させている写真(凄い!)、檻にぎゅうぎゅう詰めにされている犬達の写真(こういうの見たくないよなぁ)も載っていた。
うん、これは確かに酷い。可哀相である。可哀相だな、とは思うのだが、これがキツネであれ牛であれ、私は同じように「酷い」「可哀相」だと思ったであろう。毛皮のコートの工場ってきっとこういうんだろうなぁ。
子供の頃、キツネの襟巻きというのがあった。(今でもある?)キツネの身体をそのまんま襟巻きにして、一方にはちゃんと顔がついている。足も4本ある。いくら暖かいとはいえ「おいおい、動物の死骸を首に巻いて平気なのかよ?」と不思議だったのを覚えている。あれ以来(というか生まれてこのかた)私は毛皮製品には縁がない。残酷だとか道徳的にどうのこうのとかの主張があるわけではなく、ただ嫌いなだけ。というか、気持ち悪くありません?死骸だよ、死骸!
で、雑誌の記事だが、これはもうボロクソに書いてあった。「絶対許せん!」「人間とは思えない!」という口調(文調?)。・・・ふ〜ん。
犬や猫は「家畜や野生の動物と違って、人間にとって特別な存在である」らしいのだが・・・実は私、そういう区別がつかない人なのである。犬や猫は私にとって特別な存在ではない。牛や熊が可愛いとは思わないが、犬や猫だって可愛いとは思わないのだよ。犬や猫は食いたいとは思わないが、もし「犬や猫は食い物」という環境で育ったならば抵抗はなかったのではないかと思う。(鯨、好きだし)
つまり何が言いたいかというと・・・犬猫だけでなく、毛皮のコートなんか作るの止めたら?と考えた次第。でも、「毛皮のコートなしじゃ凍え死ぬ。」とか「ミンクのコートじゃなきゃヤダ!」と主張する人に歯向かう気は全くない。私だって毛皮のコートなしじゃ凍え死ぬという情況になれば真っ先に着るだろうし、革製品が無くなったら・・・これは多分特に困りはしないな。
でもなぁ・・・「人間にとって」という言い方は気にくわんぞ!「私にとって」と言え!世界中の人たちを一括りにして自分の考えと違う人を「人間のやることじゃない」と決めつけるのが私は大嫌いだ。
突然だが、愚息は猿が飼いたいそうだ。
さて、かなり以前のことになるが、テレビで兎の散歩の仕方について説明していた。ちゃんと首輪をつけて一緒に歩くそうだ。画面に写っていた兎達が迷惑そうな顔をしているように見えたのは気のせいだろうか?
隣で見ていた愚息は「良いな良いな。僕もやりたいな。」と言う。(飼ってもいない兎の事を考えるより、我家の庭に住みついている犬を散歩に連れて行け!)
愚母「何故に兎の散歩なんてしたいわけ?」 愚息「だって格好良いじゃない。」 愚母「格好良いか?」 愚息「うん、百匹くらい兎を連れて散歩するのね。で、敵が来たら・・・」
おいおい、散歩中にどっから敵が来るんだよ!だいたい敵って誰だ?
しかし、兎も散歩が必要なのだろうか?
夏休みが始まった。が、愚息はサマースクールに行くと言う。事前に申し込んであった科目は3年生にならないと取れないと断られたそうだ。他の科目も単位を落とした人優先なので(おいおい、君は落としてないのかね?)、残っている科目にろくなのはない。じゃ、行かなきゃ良いのに、「当日朝一番に学校に来れば空いてるクラスに入れます。」とガイダンス・オフィスの人に言われたそうで、朝一番に行ってみると言う。ふ〜ん、行ってみるねぇ・・・一体誰が連れて行くと思っとるんじゃ!
という訳で、朝一番で、つまり朝6時に愚息を学校へ連れていった。サマースクールが終わるのは12時頃だろうから、その頃迎えに来るね、と言って家に帰った。8時過ぎに電話があって、何も取れなかったから迎えに来てくれと言う・・・迎えに行った。
11時に学校から電話があって、空いたクラスがあるからすぐ手続きに来いと言う・・・連れて行った。もう行ったり来たりしたくない。どのくらい待ってれば良いか聞くと「15分くらい」と言うから、学校の前で待っていた・・・来ない。1時過ぎにやっと出てきた。50分を15分と聞き間違えたそうである。君はそれでもアメリカンか!
で、買い物をして帰ってきて、やれやれと思っていると・・・「母さん、僕、5時からフットボールの練習。」・・・4時半に再び学校に連れて行って、7時に迎えに行く。
1日で学校まで5往復。混んでる時間じゃないから片道20分ほどですけどね、それでも合計3時間20分も運転していたことになるじゃないか!
さて、愚息が取ったのは「メディカル・アシスタント」というなんか良くわけがわからん科目(わかるけど・・・高校で取る単位か?)、どうも愚息が興味がありそうな科目じゃないなぁ、と思っていたら、案の定、夜になって「やっぱ、あの科目取るの止めた。サマースクールは止めにしよう。」・・・って、今日の私は一体何だったんだ?!
今日は父の日。愚息は父を完璧に無視して友人宅のパーティへ行ってしまった。普通、カジュアルなパーティに呼ばれたら、飲み物とか食べ物を持って行く。で、昨日の会話。
愚母「何か持っていくの?」 愚息「うん、飲み物か食べ物持って行く。」 愚母「準備しなくっちゃいけないからもっと具体的に言いなさい。」 愚息「食べ物は、チップス買ってけばいいよ。」 愚母「飲み物は?」 愚息「う〜ん・・・牛乳」(彼はミルクとは言わず牛乳と言う。) 愚母「そういう冷蔵庫に入れてないとすぐ腐るものは止めた方が良いと思うよ。」 愚息「う〜ん・・・じゃ、アップルジュース」
君は幼稚園児のお誕生会に行くんか?!
「ウィンドウズを起動して最初に表示される画面が『デスクトップ』と呼ばれるものです。」だそうだ。で、デスクトップの表面の色や模様は『背景』と呼ぶ・・・と思っていたのだが、あれって『壁紙』っつうの?机の上に壁紙は何だか変だなぁと思うのは私だけ?考えてみれば『背景』だって変かもしれないが、どちらかというとこちらの呼び方の方が馴染める。好みの問題でしょうな。
で、愚息がデスクトップの背景を「僕の写真にしてくれ!」と言い出した。なんて自意識過剰なヤツなんだろう、と思わないでもないが、他人が使うコンピュータではないので、まぁ良かろうと思って愚息が選んだ写真を背景に設定・・・しようと思って間違ってDOTMANの写真を設定してしまった。
ど〜んと出ました、DOTMAN!
えらく見難い。で、愚息が選んだ写真に変えてみた・・・もっと醜い・・・いえ、見難い。
2日ほどそのままにしておいたが、余りの見にくさに、元の設定に戻してしまった。元の設定・・・背景は「なし」である。シンプルなのが一番良い。(それとも私の写真を背景にするかな?)
DOTMANと愚息が選んだ写真は私のホームページのトップに掲載しているので、興味がある方はそちらでご覧下さい。
一般に普及していて他者を誹謗中傷しているわけでもないのに、どうしても好きになれない言葉がある。個人的に嫌いな言葉である。放送禁止用語ではない。
私は言葉使いに対して全然うるさくない。何しろ私が使っている言葉が滅茶苦茶なのだから、うるさくしたくても出来ない。言葉なんてしょせん道具、意味がきちんと伝われば良いのよ、などと(結構本気で)思っているのだが、正しく使わないと意味が通じないことも理解している。
で、嫌いな言葉。実はたくさんあるのだが、割と頻繁に耳にする言葉で聞く度に嫌な気分になる言葉が「あんた」と「あたし」である。私はこの二つの言葉にどうしても馴染めない。(文章になっている場合はそれ程不愉快でもない。)私は自分のことを「わたし」あるいは「わたくし」と言い、相手に呼びかける時は「あなた」と言う。(ダンナには「あなた」とは言わない。ダンナに使うと微妙に意味が違ってくるような気がする。じゃ、なんて言うんだって?もちろんYOUです。)で、愚息、あるいは愚息の友人に対しても「あなた」を使う。愚息と話す時でも「母さん」と言うことはほとんどない。普通に「わたし」と言う。何かの拍子に「あなた」が「あんた」になってしまうと、どっと自己嫌悪に陥る。「あたし」は生まれてこのかた、間違ってでも使ったことはない。
さて、ほとんど聞くことはないし、私は決して使わないが(当たり前じゃ)、耳障りな言葉に「俺」というのがある。「えっ、俺、いつも俺って言ってるよ。」という方は多いのかもしれないが、私はほとんど耳にすることがない。父は母と話す時、「俺」を使っていたような気もするのだが、私が加わった場合は「お父さん」になるので、私が聞く機会はほどんとなかった。兄は自分のことを「僕」と言う。以前はダンナが日本語をしゃべる時「俺」と言っていたのだが、これは「絶対変だ!」としつこく言って「僕」に変えさせた。(実際、片言の日本語をしゃべりながら自分の事を「俺」というのは変です。)愚息に対しては、「俺」と言う度に「目上の人と話す時『私』と言えとまでは言わないが、せめて『僕』と言いなさい。」しつこく言って来たので、今では使い分けているようである。私の前では「俺」は使わない。私以外の大人の前でも「僕」と言っている・・・と思う。
そして・・・私に対して「俺」を使うほど親しくしている男性は身近にいない。ここでちょっと言い訳・・・私、人様とお話する時には日記やHPで書いているような言葉は使っておりません。普通の話し方をしております。主人に対しても、乱暴な言葉は決して使いません。(まさか、私が日頃ああいう言葉使いをしていると思ってる方はいらっしゃらないでしょう?)
という訳で、日常生活で「俺」という言葉を聞くことはほとんどないのだが、今日、愚息が何を油断したのか私に対して「俺」という言葉を2回も使ったのである。やっぱり「俺」って言われると「誰に向って口をきいとるんじゃ!」とムカッと来る。
ちなみに「貴様」という言葉に対しては全然抵抗は無い。(使いませんけど)
愚息がラーメンを食べているのを見ていた。次々と噴き出る汗を紙ナプキンで拭きながら、一心に食べている。それにしても凄い汗である。
愚母「どうしてそんなに汗かいてるの?」 愚息「暑いから。」 愚母「どうしてそんなに暑いの?」 愚息「ラーメン食べてるから。」
ナントそっけのない会話であることよ。 しばらくして、愚息がポツンと言った。
「若い頃かかなかった汗は、大人になって涙になる。」
愚母「おいおい、突然何だよ、それ。」 愚息「母さんが言ったの。」 愚母「母さんって・・・私?」 愚息「そう。」 愚母「言わないよ、私、そんなこと。」 愚息「言った。絶対言った。僕はどういうシチュエーションで言われたかもはっきり覚えている。」
・・・言うか、私が?そんなクサいこと! 全く全然記憶に無い。が、まぁ良かろう。百歩譲って私が言ったとしよう。でもその「汗」はラーメン食べてかく「汗」とは違うと思うぞ!
そうか・・・私が泣かないのは、若い頃たくさん汗をかいたせいなのか。(全然心当たりありませんけど。)
えっ〜!8巻まで出てるのぉ!(←昨日の続き)
元気が沸く・・・「母さ〜ん、元気、沸いてるよぉ〜」「今手が離せないから、火、消しといて」・・・元気って沸くんかい?(間違いがわかってるなら訂正しろ!>私)
目が覚めて時計を見たら6時だった。2度寝する時間はない。取りあえず起き上がろう。あれ?服着てる・・・そうか、昨日学校から帰ってきて昼寝したらそのまま朝まで寝ちゃったんだ・・・誰も起してくれなかったんだ・・・「ご飯ですよ!」って呼んでくれなかったんだ・・・昨日の夕食、何だったんだろう・・・ちょっと悲しい。あっ、そうだ。今日は期末テストだから学校が9時からなんだ。んじゃ、シャワー浴びる時間があるな、と思って部屋から出たら・・・おっ、この明るさはいつもの朝の明るさじゃないぞ!時計、狂ってるのかな?いかんいかん、急がねば。夕食だけじゃなく、朝御飯まで食えなくなる!
・・・・・・
夕方6時過ぎ、お昼寝から覚めて下へ降りてきた愚息は、台所で夕食の準備をしている私に以上のように説明して・・・ 愚息「朝御飯下さい。」 愚母「イヤ」 愚息「なんで?」 愚母「今、夕食作ってるから、朝御飯作る時間ない。」 しばらくぼっーっと台所に突っ立っていた後、私が切っているのが大根だというのに気づいた愚息は叫んだ。
「あ〜っ!首領パッチの大根ソードがぁ〜!」
私は残酷なゲームや映画を見ると残酷な人間になるとは思っていない。現実と仮想の境目がどこにあるのかは個人によって違うのだろうが、愚息には現実と仮想の境目をしっかりと持った人になって欲しいと思っている。仮想がいけないとは思わない。しかし、人間、仮想世界の中だけでは生きていけない。(残念なことではある。)という訳で、愚息に戦いゲームをやってはいけない、とかホラー映画を見てはいけない、などということは私は一切言わない。愚息がどんなゲームをやっているか、どんな映画を見ているか、どんな漫画を読んでいるのか、(又はどんな友人と付き合っているのかetc.)は出来るだけチェックし、「これはちょっと」と思う物に関しては話し合いをすることにしているが、スクリーニングは一切しない。
でもなぁ・・・君、あの漫画だけは止めた方が良い気がするよ、私は。
ベッドに入って寝る前に本を読む。この15分から30分、止められなくなったら1時間から3時間、この一時があるからこそ「明日も頑張ろう!」という元気が沸いてくる。(嘘です。全然沸いてきません。)
夜、ベッドに入ったら、背中に固い物があたった。N?と思って手探りで固い物を引っ張り出してみると、漫画の本だった。『ボボボーボ・ボーボボ3』(澤井啓夫著、集英社ジャンプ・コミックス、ISBNは・・・いらんわな)、最近の愚息のお気に入りである。
何故私のベッドに入っていたのか?愚息が入れたのである。ここに入れておけば、私が絶対に手に取るということがわかっているからである。(私は必ず1日1回ベッドに入る。)つまり・・・私に読めという意味である。愚息は自分が面白いと思った漫画をいつも私に読ませようとする。理由は・・・わからない。自分が言ったギャグを理解して欲しいからかもしれない。でも、知っている人だけに受けるギャグというのはレベルが低すぎるぞ!
愚息のお勧めの漫画は取りあえず読んでみることにしている。今までベッドの中に入っていた本(中に入れないで枕もとに置かんかい!)は全部読んだ。「これはいくらなんでも読めんぞ!」と思った本は『ラッキーマン』だけである。が、これも読めんぞ!これって元ネタ知らないと面白くないのでは?イヤ、知ってても多分・・・面白くない。もちろん、面白い、面白くないは個人の好みによるものなので、愚息に「くだらないから読むな」などという気は全くない。彼にとって面白ければ、彼が読めば良いのである。でも、嫌がる人に無理やり読ませるというのはどうなもんだろう?まるで・・・夏休みの課題図書ではないか!
と思いつつ、つい『ボボボーボ・ボーボボ3』を読んでしまった。しかも真剣に・・・不覚!一体これ何巻まであるの?(主な登場人物にクマさん達が入ってないのが悲しい。)
ところで、プルコギって何だろう?
愚息の高校は来週から(正確には今週の金曜日から)夏休みに入る。2ヶ月半の長〜い夏休みだ。というわけで、今週は学年末テスト。テストの範囲は後期に習ったことだけという科目もあれば、1年間で習ったこと全部という科目もあるそうである。教師がテストの準備をするためか、生徒がテストの勉強をするためか(どちらもだろうけど)、先週は宿題が全くなかった。それを良いことに愚息は遊びまくっていた。期末テスト直前に映画なんか見に行くか?友達の家に遊びに行くか?『ボボボーボ・ボーボボ』(←ご存知ない方は、ご存知ないままの方が良いかと・・・)をまとめ読みするか?なんて、聞くだけ無駄だな・・・愚息だもん。
愚息の人生である、愚息の学校である、愚息の勉強である。私がとやかく口を出すことではない。っつうてもねぇ・・・同じ家でゴロゴロされてると気になるでしょうが、やっぱり。で、「明日、世界史のテストでしょう。勉強しなさい!」と何故か愚息よりテストの日程に詳しい私はつい言ってしまった。愚息は「は〜い」と言って世界史のテキストを抱えて自分の部屋へ入って行った。
1時間後・・・コンピュタで遊んでいる愚息を発見! 愚母「勉強しなさい!」 愚息「もう終わった。」 愚母「もう・・・終わった?全部?」 愚息「うん」 愚母「そんなはずはない!」(ないよね?1時間で出来るわけないよね、ね!) 愚息「じゃ、世界の歴史についてお話してあげようか?」 愚母「・・・いや、話してくれなくても良いけど(聞きたくねぇ)、テスト、ちゃんと出来るの?」 愚息「うん、完璧だね。」 愚母「本当」 愚息「うん、多分・・・Cは取れると思う。」 ・・・はぁ(溜息)君の完璧はCか!
愚息「そんなに心配なら、質問してみたら?」 愚母「ロシア革命が起こったのは何年?」 愚息「年代は覚えなくて良いんだよ。起こった順番とか理由とか結果がわかっていれば良いんだ。」 愚母「じゃ・・・日露戦争と日清戦争はどっちが先?」 愚息「何それ?」
だろうなぁ・・・でも、世界史に関する質問なんて、わたしゃできません。何も知らんもん
2003年06月04日(水) |
No City Hood |
私の住んでいる町は市に取り囲まれて取り残された場所だという話を以前書いた・・・訂正。愚息が通っている高校がある隣町もまた市ではなかった。知らんかった。
その町は、過去2回市にしようという動きがあったが、2回とも失敗に終わっていた。で、最近また市にしようという運動が起こったのだが、今回も成功せず、当分の間我が町と同じく町でありつづけるらしい。
町から市になるとどうなるのか?市庁というものができるわけだから、政治家の数が増える。政治家が増えると経費が増える。う〜ん、余り良いこと無さそうだぞ!というのは素人考えである。きっと住人にとって良いこともたくさんあるのだろう。あるのだろうが、具体的にこうなります!と主張してくれないことには私のような者にはわからない。そして・・・きっと隣町は私のような者がたくさん住んでいるのだろう。
で、過去2回、そういう動きがあったというが、私はそんなこと全然知らなかった。では何故今回はわかったのか?今回は反対派の運動が激しかったからである。街中に”No City Hood”と書かれた看板が貼ってあった。週末には派手な宣伝カーまで走り回っていた。愚息の高校の社会の時間にも、討論会が行われたそうだ。何故か住民は必死になって市になるのを防ごうとしていたようである。で、結果反対:賛成=2:1で、町のままでいることになった。めでたしめでたし。(誰にとって?)
で、その運動にまつわるお話を・・・一月ほど前の話になるが、隣町を市にしようと頑張っている人達が説明会を開いた。その説明会が、ナント全て中国語のみで行われたというのである。これって・・・凄い!ちなみに、その町の住人に占めるアジア系の割合はおよそ1/4である。もちろんアジア系の中には韓国人、日本人、フィリピン人、ベトナム人なども含まれている。つまり中国人が占める割合は1/4以下。なのに中国語のみで説明会を行う・・・そりゃ、反発買いますぜ!まるで中国人が町を乗っ取ろうとしているみたいじゃないか!
ところで、我が町はアジア人が半数近くを占める。そしてそのほとんどが中国人である。(日本人の占める割合は・・・少なすぎてわかりません。)だが、我が町を市にしようという動きは全くない。
そう言えば、ハリウッドも随分前からLAカウンティから独立したがってたよなぁ。
ハリウッド映画過去100年におけるヒーローと悪役トップ100という番組をやっていた。2時間番組だと思って見ていたら、3時間だった。夜8時から11時までテレビを見ていた・・・えらい目にあった。つまり夜のお仕事が全然出来なかったのだ。夜のお仕事・・・皿洗いとか家計簿つけとか明日の朝御飯の下準備とかそういうお雑用のことです。おまけに「勉強しろ!」としつこく愚息に言うのも忘れていたため、愚息は一晩楽しくコンピュータで遊んでいた。番組を見終わって初めて気づいた愚母である。
で、悪役のNo1は予想通りレクター博士。ヒーローのNo1はというと、これが『誰がモッキンバードを殺したか?』(で良いのかな、邦題は?)の・・・えっと、誰だっけ?とにかくその映画のヒーローでした。これは以外だった。私がこの映画を見てないからそう思うのかもしれないけれど、この映画ってそんなにポピュラーだったの?
本は読んだ。愚息の中学の時の課題図書だったので、愚息のを勝手に借りて読んだ。で、課題図書になる位だから、アメリカ人はみんな読んでいるものだと思っていた。『アニマアル・ファーム』とか『アンネの日記』とか『ハツカネズミと人間』とか、アメリカの課題図書って昔からそれほど変わってないみたいなんですね。でも何故かダンナは読んでいなかった・・・不思議な人だ。彼は名作と言われる本を全く読んでいない。名作と言われない本も読んでいない。彼が学生だった頃は本は英語の時間に本を読む必要はなかったのだろうか?あの頃は読書感想文とかなかったのかなぁ?
ま、それはともかく・・・『怒りの葡萄』とか『12人の怒れる男達』とか、むか〜し名画座で見た映画がたくさん出て来て楽しかった。しかし楽しんだツケは必ず翌朝に帰ってくる。だからテレビは嫌いだ!
2003年06月02日(月) |
アクションヒーロー、宮本武蔵 |
愚息は小さな頃から勉強が嫌いだったが、それでも中学までは宿題だけはやっていた。が、高校に入ってからは宿題すらやらなくなったような気がする。気がするというのは・・・「宿題やんなさい」と言うと「は〜い」と言って自分の部屋に篭るのだが、用事があって部屋を覗くと、漫画を読んでたり、ベースを弾いてたり、眠っていたり、で宿題をやっている姿を見たことがないのだが、「宿題やった?」と聞くと「うん」と答えるので・・・要するに私には愚息が宿題をやっているのかどうかわからないのである。でも、成績から判断すると・・・やってねぇな。
英語の授業の宿題に学校から課題図書を配られて家で読むというのがあるのだが、その他にも自分で好きな本を読むというのがある。以前も書いたが、自分で選んだ本のレポートは口頭でやることになっている。愚息は後期は宮本武蔵を選んだのだが、最近は全然読んでいる気配がなかった。
愚母「宮本武蔵読み終わった?」 愚息「ううん。」 愚母「そろそろレポートしなきゃいけないんじゃない?」 愚息「もう終わった。」 愚母「やったの?」 愚息「うん」 愚母「どうやって!読まないでできるわけないじゃない!」 愚息「ちゃんとできたよ。」 愚母「ほう、じゃあ宮本武蔵は何をした人?」 愚息「武蔵はね、幻の剣を求めて日本中を旅をしながら悪いヤツをやっつけていったんだ。日本を代表するアクション・ファンタジーだね、あれは。」 愚母「宮本武蔵って・・・フィクションかい?」 愚息「えっ、宮本武蔵って本当にいたの?」
・・・読めよなぁ
2003年06月01日(日) |
どうでもよいけど・・・ |
信号待ちをしていたら、目の前を横切っていった車を運転していた女性が、運転しながら鼻をほじくっていた。後ろのチャイルドシートに乗っていた女の子も、母親(だと思う)と同じポーズで鼻をほじくっていた。親子で前と後ろで同時に鼻をほじくりながら車に乗っている・・・どうでも良いことだけど、ちょっとおかしかった。
あ、でも、車の中ってちゃんと見えるもんなんだな・・・気をつけなければ。
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