堀井On-Line
2018年01月31日(水)
* 「祈りの幕が下りる時」 ハリウッド映画の何かと、決心して評価を見たところ、3・4(5)。 そこで邦画で何か面白そうなのうと調べたところ、この『祈りの幕が下りる時』 の4・4で急遽、変更して決めたもの。シネマ観賞予定(金曜日)の翌日が初日 だったが、横殴りの雪もあり一昨日に変更、ジムを休んで行くことになった。 成るほど、4・4だけの内容である。早速、 私の評価も4・5。90点である。 最初から終わりまで、息をつかせない面白さ。最後には、製作者狙いのお涙が 流れ出ていた。涙を流すのは2年に一度位…。 前作のシリーズの東野圭吾原作 「新参者」シリーズが3本も出ているので、早速借りる予定。 〜HPの説明から〜 ≪2010年4月に連続ドラマとしてスタートした東野圭吾原作「新参者」シリーズ。 阿部寛演じる日本橋署に異動してきた刑事・加賀恭一郎が、 謎に包まれた殺人 事件の真犯人を探すというミステリー要素と、事件の裏に隠された人の心の謎を 解くというヒューマンドラマ要素がこれまでにない“泣けるミステリー”として 大きな話題に。 2本のスペシャルドラマ「赤い指」「眠りの森」『麒麟の翼 〜劇場版・新参者〜』を経て、遂にシリーズ完結作『祈りの幕が下りる時』が 映画化される。事件の鍵を握る美しき舞台演出家・浅居博美を演じるのは松嶋 菜々子。そして監督は「半沢直樹」、『私は貝になりたい』を手掛けた福澤克雄。 重厚かつ緻密な演出でシリーズに新たな風を吹かせる。 ―― 東京都葛飾区小菅のアパートで女性の絞殺死体が発見される。 被害者は滋賀県在住の押谷道子。 殺害現場となったアパートの住人・越川睦夫も行方不明になっていた。 やがて捜査線上に浮かびあがる美しき舞台演出家・浅居博美(松嶋菜々子)。 しかし彼女には確かなアリバイがあり、捜査は進展しない。 松宮脩平(溝端淳平)は捜査を進めるうちに、現場の遺留品に日本橋を 囲む12の橋の名が書き込まれていることを発見する。 その事実を知った加賀恭一郎(阿部寛)は激しく動揺する。 それは失踪した加賀の母に繋がっていた――。 加賀恭一郎“最大の謎”がついに明らかに。» ―― ▼ 昨日、SJにヨガの予約チップを取りの帰りすがら、蔦屋の検索機で調べよう としたが、作品名を失念したまま帰ってきた。 で、1日、時間をおいたところ、 如何でもよくなっていた。これがシリーズ最高傑作ということは、他は期待した分、 失望をするからだ。あとは成行き… 「フリーハンドは素晴らしきかな」である。 後記)下記の過去文を出来具合の順に並びかえるため、毎日、読返しているが、 我ながらシリアスな内容に驚いている。それも毎日。冬期間の早朝は寒さも あり、身が引き締まることもあるのか。自ら言うことでもないが、1年過ぎれば、 自分であっても、自分ではない赤の他人のような冷静な得体のしれない獣の臭いが? それも脳タリンの、腑抜けの("^ω^)・・・
・・・・・・ 2013年01月31日(木) 4338, 嘘と真実 * 嘘は真実の糸を織り込んである 最近、耳に残った言葉に「嘘には真実の糸を織り込んである」がある。 私も真実を伝えたいために少しオーバーにいう癖がある。嘘と穿った噂は、 その辺りから生じてくる。自分の思いもよらない噂話を聞いて驚いたことがある。 伝達の過程で脚色されたのだろうが・・ この一連の件で、面白おかしく脚色 したのが流れたはずだろうが、元より承知で、深入りをしなかった。 象(地球、宇宙)の皮膚(世界)の襞(国)に巣くう虱(会社などの社会)に、 更に寄生するダニ(個人)と割り切ればよい。もちろん自分も含まれるが、 それを常に忘れないで、一日一日を楽しむしかない。で、嘘の話に戻る。 何かの喩えで考えると、詐欺がある。相手を信用させ嘘で固めて金を騙し取る のが仕事。そのために真実を、丁度よい割合に混ぜ込む。噂も同じこと。 ーそこで、嘘と真実についての格言を調べてみた。 ・ いちばん嫌らしい嘘は、いちばん真実に近い嘘だ ージイド ・ 嘘とは何か、それは変装した真実に過ぎない ーバイロン ・ 嘘つきの受ける罰は、誰も信じなくなるというだけでなく、 誰も信じられなくなることである。 ーバーナードショウ ・ 嘘つきの名人でないならば、真実を語るのがつねに最良策だージェローム ・ 嘘とは、私がつくったものでなく、階級に分かれた社会に生れたものである。 だから私は生まれながらに嘘を相続している。 ーサルトル ・ 人生において最も難しいことは、嘘をつかずに生きること。 そして、自分自身の嘘を信じないことだ。 ードストエフスキー ・ 誰かが嘘をついていると思ったら、信じているふりをすればよい。 そうすれば、もっと嘘をついて正体を暴露する。 ーショウペンハウェル ・ 半分の真実は嘘より恐い ーフォイヒタースレーベン ・ 我われの肉体が衣服で包まれているように、精神は虚偽に包まれている。 ーショウペンハウェル それでは真実とは何か? 主観的な思い込みを真実と解釈しているだけでは ないか?という疑問が残る。 あるブログに、次のようにあった。 『自分が信じる事実、それがその当事者にとっての真実。しかし、それは その当事者にとっての真実であり、別の当事者にとっては別の真実があっても、 何の不思議もない。なぜなら、それぞれ違った自分勝手な思惑で物事は起こるから。 事実は一つでも、それぞれの当事者の勝手な思惑がそこに加われば、真実は一つ ではなく、いくつもの真実が発生してしまう。このような状況の中、人の世で、 真実を見極め、物事の本質を見極めるには、心で物事を見、心で聞き、感じる しかない。』 カントの「認識は対象に従うのでなく、主観に対象が従う」 ということか。深入りしないこと! ・・・・・・ 2014年01月31日(金) 4705,末期がん、その日のための予習を ー3 ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) がんをポジティブに捉える提言である。この「がん」を、『挫折』か『苦難』 に置き換えると、人生訓になる。その時から、残された貴重な時間をどのように 過ごすかは切実な問題。最期の大仕事、それは淡々と死ぬこと! * 第二章がんになって見えてくるもの がんとの闘い・自分自身との闘い ー自分と闘い、支えるのは、自分自身。それに気づくのは自分 がんは人を哲学者にする ー「人生とは何か」「より良い人生は何か」を考え直す機会にする ムダを捨てれば頭も心もクリアに ー死を前にして、虚飾、名誉も無駄 クリアになって人生を見つめ直すこと がんだからこそ手に入るものがある ーがんで疎外され、孤独、孤立をするが、それが自由に繋がる。 まず自由な時間が命よりたいせつなものを見つける ーこれは人によって違う。自分で探すもの。それが最後の仕事。何だろう? がんは生きる「WHY」を見つけるきっかけ ー「HOW」から「WHY]へ重心を移動する機会。それが哲学 ほんとうの自分を見つける旅 ー社会的役割が削ぎ落とされた時、自分の本質が見えてくる 使命感があれば充実した日々 ー自分が何か必要とされているといないとでは、大きく違ってくる 自分が「なすべきこと」は何か ー「やらなければならないこと」と「なすべきこと」は違う。 その見直しから暇を怖れず、暇を楽しむ ー「何もしない」時間の必要性に気づく機会。 暇を楽しむ、遊ぶ、心の切り替え時 自分を変えることは感動のドラマ ー外へのネガティブな反応を自分の内面へ切替えると、大きな変化がでる がんは「人間力」を高めるチャンス ー急激な石段を登った先には、全く違った視界が見えてくる。 辛いががんは親しい人たちを大きく育てる ー家族など集団は、困難になるほど結束するもの・・ がんになっても「与える喜び」はある ー感謝の念は、深いほど相手に伝わるもの。感謝、感謝、感謝 最高のプレゼントは笑顔 ー「笑顔」は、最大の言葉!ドキドキ((〃゚艸゚) 本との出会いで自分が変わる ー膨大な時間と不安の中で、良い出会いが あった本と、読みたかった本を手に取ること 許し許されることが最大の癒し ー「死ぬ前にしておきたいことは何」に、 「人に会うこと」と答える人が一番多い 「黄金の藁」に頼りすぎない ーほぼ効果のない「藁(健康食品等)」に すがりたい患者がいるが、あるわけがない? 死もまた「ありがたくいただく」ー死も生と同じく、自然からいただくもの。 なら有り難く頂けばよい|ョ゚Д゚ll))怖ァ・・ 死は敗北ではない ー死は万人の通る道、それが何ゆえ敗北だろうか? これは何故生きる?の問いと同じ 人生の目的は「品性の完成」 ー成功したか、より、如何に誠実に生きたかを自分に問うてみるほうが先決。 死というだいじな仕事が残っている ー人生の最後の大仕事!死を悟ってから、 それまでの一生分を生きることになる! 「ありがとう」のひとことを家族に ーたった、この一言で、残された人 の悲しみが、喜びに変わる。最期は感謝!になる。 ▼「より良い人生は何か?」 死を前にして、初めて考える人が多い。 その人によって様々だろうが・・ 今回、倒産という死の疑似体験に近い 体験をした。そして「事(自)業自得!これが自分。それでも面白かったから、 これで良し。」 これが、そのまま、その時の答え! 「本当に、これで良かったのだろうか?」の疑念の海での筏の言葉?((;◔ᴗ◔;)) ・・・・・・ 2016年01月31日(日) 5434,人生で最も大切な技術 ー 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール * エゴの対応 誰にでもエゴという野獣が潜んでいるが、それを飼い馴らすか、檻に閉じ込め ている。この管理が難しいのは当然だが、時には解き放さないと、暴れだす。 スポーツジムでも、自己中心の不在、いや、少ない人を見かける。世慣れている のである。 私もそうだが、『閑』を良しとして、独り黙々と自分のコースを こなしている人も多くいる。順番などの席は、全て相手に一歩譲るのがコツ。 創業準備15年を含めた45年の事業人生、ある意味、『エゴ』の塊でないと、 ことは進まない。 その道を選んだからには、それに集中するしかない。逆に、 目先のエゴを捨てていたことも確か。で、終わってしまえば、どちらも同じこと。 それでも、良かったのか、どうかは、自分次第になる。 少し事象が違っても、 内容は誰も同じような自問自答? 〜その辺りから〜 ≪ エゴという独裁者から、たとえ部分的であれ自らを解放したなら、自発的で 自由な発想と行動ができるようになる。実際の経験者がそのことを明示している。 対照的なのが勝ち誇ったセルフの赴くままに流されるタイプだが、彼らは常に 精神錯乱の状態にある。情動科学研究の先駆者の一人、ポール・エクマン教授は、 「卓越したヒューマン・クオリティ(HQ)」の研究に長年熱心に携わってきた。 教授は、「HQの高い人に共通して見られるのが、親切な印象を人に与える、他者 がそう感じかつ高く評価する存在、公と私の態度が完全に調和している等の特徴。 これらはカリスマ的なはったり屋には見られないものである。 彼等は善意そのもので、エゴのない状態を最大の特徴としている、と述べる。 これらの人たちは、自分の立場や地位や名声等、セルフの執着するものは、 まったくと言っていいほど意に介さない。そうした在り様が周りの人を勇気 づけるのだろう。自分の地位や重要性が社会で認められていようといまいと関係 ないのである。教授はさらに、「こうした自己中心性の不在は、心理学的見地 からは不可解としか言いようがない。周囲は本能的に、この人たちとの交わりを 希望したがる。うまく説明できないが、彼らと同席することで心が豊かになる」 と述べている。一言でいえば、彼らの善良さが強調されているのである。 ▼ 小林秀雄の『無私の精神』の中で、行動家の特質の中に、エゴの推進より、 『無私』を見出す。実践には、まずエゴをおさえることを経験上知っている。 純粋意識が、その元にあれば、ことの本質を掴むことができやすい。エゴの 対応は、純粋に何かに打ち込むことが基本となる。 一番難しいことだが。 で、不思議なことに、以下の内容に丁度良い脈絡につながっていく。 ・・・・・・ 2015年01月31日(土) 5070,閑話小題 〜夜明けのスキャット 以下は、もう一つのブログ 『バードウォッチ』に、昨日、書いた文章 ≪ 0〜4時までの半睡状態を楽しめるようになっている。 ヨガの最後の5分間、死体のポーズで、宇宙に漂う感じの音楽の中、 先生が『雑念を入れないため、光の球体の中に、自分を入れったイメージを 持って下さい!』といっていた。夜半に、早速、半睡状態の中で同じイメージ を試したら、その直後に、面白い夢をみた。「窓が明るいので、外をみると、 目の前に大きな球体が現れ、そこに宇宙船が周っている。その光り輝く球体の 光景は、この世のものと思えぬ位、神々しい・・ 「こんなことが現実にあるのだろうか?」と、疑問を持つと、その場面は、 実は大型スクリーンの映像。それなら納得と感じた瞬間、それが夢と気づく。 ところが、次の瞬間、廊下ごしの玄関に人の気配がしたため、襖を開けると、 私と同年代の背広を着た人品卑しからずの紳士が立っている。 誰だろう? というところで、完全に目が覚めた。二重構造の夢も面白いが、夜半の夢で、 光の球体の中に入った感覚が、不思議で奇妙であった。 ユング系の世界だ ろうが、明日にも再び試してみる。何か怖ろしい世界の深みに入り込んしまう 不安がある? 現在読んでいる横尾忠則の本の影響もあるのか・・ ところで、訪ねてきた紳士は、横尾というより、ユングのイメージ。 〜これ結構、引き込まれた内容でしょう?数時間前の夢で、ライブ風だから。 記録に残すため、明日の随想日記のテーマにする ≫ ▼ 先ほどの同じ試みの結果は・・ 半睡の中、淡い光の玉の中に、踏み込み、 横たわった。そこは絶対幸福感が満ちていて、踏み込んだこと自体、忘れていた。 その後、面白い夢を期待はしたが、何故か覚めていた。そこが、目的地だった。 面白そうな夢は、何度か試みているうちに、潜在意識が創作するのだろうが、 際どい、意味ある偶然の一致(シンクロニシティ)が、頻繁に起きるのでは? そういえば、後理屈付けだが、30年間の事業を断念かどうかの打ち合わせ 直後に、3・11が起きた。これも「止めろ!」という偶然の囁き、と受け 止めていた。世は面白いものである。続けるか否か、何か危なくなってきた? ところで、本当か? ですかって。 < 秘境ツアーやホテルの立上げなどで、 三桁の至高体験をしてきたからじゃないか。 この経験は沈殿して残っている。 その感覚は、少しのキッカケで、出し入れできるのです。> もしか痴呆症? ・・・・・・ 2017年01月31日(火 5800,ミネルバ大学という未来の大 * 未来の大学の構造とは 《世界中から集まったクラスメイトと一緒に4年間、世界の7つの国際都市に 住みながら、現地の企業、行政機関、NPO等でのインターンをする学生生活を 想像してみてください。授業は午前中の2コマだけ。午後は事前課題と自由時間 で、その国の暮らし、文化を体感し、多様性を身につけることができる学生生活。》 これだけで、グローバル化の基礎が充分に身についていくのが理解できる。 世界を股にかけたキャリアの養成カリキュラムである。それも20歳そこそこで、 その基礎を身につけるのだから… まだ、開校以来二年半で在校生が300人。 厳選された若者に、このカリキュラムである。 インターンとは、【専門職につく前に研修施設で実施修練を行う者をいう。 医師のインターンは、独立して診療できる医師になる前の課程としての実習生。】 ―― ▼20歳で創業を決意し以来、独りでカリキュラムをつくり、それに沿った実体験で 自分づくりをしてきた。まず、イオンの創業に参加、その後、産能大に編入後に、 再び体力づくりのため、金沢の新興衣料服チェーンに期限付きで入社をした。 その後、千葉市校外の5万人ほどのニュータウンの中央十字路にある新興商業地区 で郊外型飲食ビルを立上げた。 その後、実家の御家騒動で、急遽、Uターン。 実家の衣料量販店に4年半、従事し、その後、新潟駅前でビジネスホテルを立上げ、 30年。2001年の9・11テロ。2008年のリーマンショック、2011年の3・11大震災直後、 撤退を決意をした。 三匹の黒鳥(思いもよらない大変事)の到来も、振返れば、 「止めろ」というサインと思えば、諦めもつく。 金沢時代にドルショック、千葉の立上げ時に、石油ショック。そして、21世紀に 入ってからは3羽の黒鳥である。その発信源は一部のシンジケートの意思による。 この未来の大学は、その発信源を抑えるには、現地にネットを張って置け!も 理解できなくもない。現実社会からのアップスケールしていく人材に変容する? そこで解脱こそが、人間としての生きる目的に気づく? 所詮は娑婆は娑婆と。 〜で、偶然だが、以下の去年同月同日の文脈に続いていく。 一度、上記のコースで10〜20年、キャリアを積んだ上に、解脱するのが理想?
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2018年01月30日(火)
* 熊さん、寅さんを加えた対談 また、熊さん大家さんだが、何か4人が出てくると、話がスムースになり、 単純化するので… それと内なる友達と雑談しているようでホッとする。 そこで、「キツネとハリネズミ」と、熊さんたちと対談させたらと思い 立った。 が、案の定、やはり、不自然になったが、辛うじて物語になった。 ―― 大家さん: 私を司会に、キツネとハリネズミの対談の進行をあい至すことに。 これだけでは、話がギクシャクするのは目に見えているので、助っ人に 熊さん、寅さん、八つぁんに加わってもらう。 熊さん: 何で、俺なんだよ。今回だけ、実際の熊になったつもりで話すよ。 大家さん: そりゃ困るよ。あんたは呆けの熊だからこそいいんだよ。 ところで、コンさんよ。エライところに引合いに出されたね。 キツネ: 大たい、人間様はオイラに良いイメージを持ってないね。子狡いとか。 何でも餌にする雑食の奴とかね。 ハリネズミ: オイラなど、敵がくると丸まってさ… 食肉動物の子供がまず 私の針の犠牲になるのさ。この前など若いライオンが余程腹が減ったのか、 執拗に絡んできてさ。前足二本と、額に何本も刺さってさ。駄目なのを知ら ないでさ。 行動範囲の小ない専守防衛の代表格として引合いに出されてね。 実際に動くのは嫌いでね… それにしても神様は、何でこんな針を… メスには、何時も手こづっているよ。余程、機嫌がよくないと絶対無理。 寅さん: 分かるわかる。 熊さん: 若いうちは、気にいった女性が近くにくると緊張してさ、気持ちと 裏腹でハリネズミのように全身から針が立つような状態になってさ、困った ものだったよ。 ハリネズミ: 時々、キツネさんが羨ましくね。行動範囲が広くて、調子と愛想 が良くてさ。 キツネ: いや、餌探しだけでヤットなの。その上に、他の野獣の餌になる危険が あるし。特に猛禽類が何処から襲ってくるか分からないしさ… 両親と兄とも、 奴らに何処かに連れていかれ行方不明さ。 ハリさんのように、誰も見向きを しないで、日々を楽々生きているのを見るにつけ…羨ましい限りだよ。 自分がいま、生きているのが不思議なくらい。だから面白いのもあるけどね。 八つぁん: まあ、互いを羨やんでも仕方がないよ。そう生まれてきたことが、 宿命として早く受入れるんだね。 例えに使われただけさ。 大家さん: でもね、こと人間に関していうと、自分の武器の利点を知らなすぎ! もっと知っておくべきですよ。それを熟知すれば、それぞれの弱点をカバー 出来るしね。 寅さん: ハリさんは行動範囲が狭いことと、ノロマなことが欠点だね。 コンさんは、空の猛禽類の攻撃が命取りになる。そこで、岩場などで襲われ そうになった時に、岩を背にしてハリさんを盾にするとか。 猛禽類は、 よほどエライ目にあったのか、ハリさんを見ただけで近くにこないからね。 キツネは雑食だから、広いテリトリーの餌場を知っている。だから補完すれば いいんだよ。 八つぁん: 人間の成長とは、ハリネズミと、キツネの掛け合わせたように進化? していけば良いんだろう。人間は、10代、20歳代までは、ハリネズミ的で、 成年期に向かってキツネ的要素が強くなっていくんじゃないか。それを成長と 勘違いする間違いに気づかない。 大家さん: 確かに、その通り。小難しいことをいうと、実存主義と、構造主義 の違いということになる。 熊さん; なるほど、身体の構造が違うから、構造主義ですか? 大家さん: そう言われれば、その通りだ。 八つぁん: 顔かたち、容姿が整っているだけで、人間の評価が違ってくる。 熊さん: そうだよ、付いているのは同じなのに。 寅さん: その上に、親の貧富が、そのまま、運命というより、宿命になって しまう。運命は変えられても、宿命だけは、どうもこうも。 八つぁん: 確かに、神様(自然)は、人間を不自由に、不平等にして、憎しみ あうようにして、建前として、『自由、平等、博愛』を理想の旗に掲げた。 熊さん: 理想と現実は、えらく違うね。 寅さん: だから面白いことを俺だって分かるよ。そこが熊さんと違うんだよ。 大家さん: だから寅さんは、寅なんだよ。比べちゃいけないと何時も注意して るじゃないか。 <下をみれば底が無い、上をみれば果てがない、横をみれば情けない> ってね。 熊さん: 俺など、情けなくて情けなくて… まずは寅に馬鹿にされ続けてさ。 キツネ: まあ、生の危険に直面してないから、こんな生易しいことがいえるんだ。 ハリネズミ: ったく、その通り。俺なんて、滅多に餌に有り付けないし、餌にも ならないんだよ。そして、小さいテリトリーで、餌とメスの取り合いで齷齪し 生涯を終えるんだよ。 八つぁん: とすると、外交的な寅さんは、さしずめ、キツネタイプ。熊さんは、 ハリネズミタイプですか。 熊さん: そう言われると、思い当たる節があるね。いつもカカアが、ハリを オンたってさ。たまったもんじゃないね。 寅さん: 昨日だってさ、ダチがさ、猛禽類に目の前で浚われてさ。 「ハイさようなら!」の声を残して空の彼方に消えていったよ。 猛禽類は悪い奴の例えだよ。念のために… 大家さん: 司会が私だから、そろそろ、話を〆させてもらいます。 熊さんは、カミさんや、寅さんと仲良くし、愚痴を言わないで怒らない。 寅さんは、長屋の外で、いい気にならならないで、気を許さない。 八つぁんは、長屋の住人を馬鹿にしたり、気を許さないことだね。 エッ、私… そうさね、小さな長屋の大家の身分を自戒しないとね。 八つぁん: 寒む! 熊: 眠む! 寅: 腹減った! ―― ▼ で、偶然だが、以下の3年、2年、4年前の文脈に続いていく。
・・・・・・ 5069,あわいの力 ー� 2015年01月30日(金) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * 日本の「心(こころ)の三重構造」 ここで、「心」の三層構造がシンプルに説明されている。これまでは、 < 仏の心を、「こころ」、移りゆく感情などを中心にした西欧的解釈を、 「心」と解釈してきたが、この三層構造は面白い! 〜その辺りから〜 ≪ 「心」は、三層構造である。 ・一番上の表層が「心(こころ)」(=脳)があって、 ・その下に「おもひ」(=内臓感覚があり) ・深奥に「しん(心)」(=芯=神)がある。 ― 表層にある「こころ」の特徴をひとことでいえぱ「変化する」ことです。 たとえば、去年まではあの人のことを好きだと言っていたのに、今年はもう 違う人を好きになっている。そんな移ろいやすい感情が「こころ」です。 こころ変わりという言葉があるでしょう。 ― その「こころ」の下には、表層の「こころ」を生み出すもとになる動的な 心的作用、「おもひ」があります。「おもひ」のなかで重要なのが「こひ」 という言葉です。「こひ」は、ふつうは「恋」という漢字をあてて恋愛感情を いうことが多いのですが、本来は自分のなかに、なんらかの欠落感があって、 その欠落状態が埋まるまで、なんとも落ち着かない、そんな不安定な状態を さします。たとえば、さっきまで目の前にいた子どもがいなくなり、その子が 戻ってくるまでは安心できない、そんな状態のことです。漢字で表記するなら 「乞ひ」がいいでしょう。雨が降らないから「雨乞い」をし、お腹が空いて しかたがないから「物乞い」をする、そんな状態を「こひ」といいます。 ・・仏教にも以心伝心がある。世阿弥は、心より心に伝ふる花と言った。 言語以前である。能は、「おもひ」を圧縮した芸能である。演技により解凍 された「おもひ」は、観客の深奥に隠れている「おもひ」と同期して目覚め させる。「おもひ」の世界の言語は、歌(詩)である。 能というのは、この「おもひ」を圧縮した芸能で、そして能を演じるという ことは、その「おもひ」を解凍していく作業なのかもしれません。そこで解凍 された「おもひ」は客席にあふれていき、それがまた観客ひとりひとりの 「おもひ」と同期して、そこに何かを生み出す。それが能という芸能なのです。 ― 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心(しん)」です。それは「芯」にも 通じ、「神(しん)」にも通じる、ちょっと神秘的な心的作用です。以心伝心と いうときの「心(しん)」が、まさにそれです。言葉や文字を媒介とせずに、 一瞬にして相手に伝わる何か、それが「心」なのです。・・・ ≫ ▼ <お能は、「おもい」を圧縮した芸能> この一言にお能の本質が言い 表されている!「おもひ」は、「こひ(乞い)」も、解りやすい。人生は、 「おもひ」を求め流離う(さすらう)旅である。流離い流れついたのが、 現在の自分。「心・観・学・術・体」の、観が「おもひ」で、「学・術・体」が、 渡世(娑婆)で生きるということ。 この「心・観・学・術・体」は次回で! * また偶然だが、以下の内容が、丁度よい内容! お後がよろしいようで。 ・・・・・・ 5433,人生で最も大切な技術 ー 純粋意識 2016年01月30日(土) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 心の本質、純粋意識の経験 仏教の教えの真髄を、欧米人向きに説明するための、「純粋意識」が、明快 でよい「色即是空 空即是色」の心境が「純粋意識」であり、修行の一つが、 座禅になる。それにしても、明快な解釈である。 〜その辺りから〜 ≪ 心の中には、絶え間なく流れ続ける思考の流れがあるという、それまで 一度も気づかなかったことが見えてくるだろう。好むと好まざるとに関わらず、 感覚、記憶、想像から生まれる無数の思考が人間の心を永久に流れ続けている。 ところが、人間がどのような種類の考えを抱こうとも、心の中には、一つの 特質が存在している。それは、あらゆる思考の基礎をなす根源的な意識である。 それは心が安らかな稀な瞬間にしか現れず、ほとんど動かないが、心の知力が そのままそこに残っている状態でもそこに存在している。この単純に解放された 自由な存在は、「純粋意識」と呼ばれるものである。心を構成する内容が不在 でも、それだけは存在しているものだから、純粋意識と呼ばれるのである。 心が心を観察する作業を一段深めると、この純粋意識とその働きによって 生まれる思考を経験するだろう。純粋意識は必ずそこにある、としか説明の しようがない。この思考には生まれつき備わった性質があるのか。 特別に存在するのか。 答えは否である。 では、色や形はあるか。同じく否である。そこに見出すのは、知(無知の反対 の意味での)の本質だけであるが、それ自身には本質的な特徴はない。純粋意識 に突入すると、心に本来備わっている中身が空の状態を経験する。この思考 ゼロの考え方は疑いもなく、西欧心理学には馴染みのないものである。 「思考をゼロにする目的は何か」 「第一、怒りなどの強い感情や考えが生じたら、何が起こるのか」。 確かに、強い思考には誰でも簡単に屈しそうになる。なぜなら、人間を不安 や無分別にさせ、時には暴力的な発言や行為に走らせ、他者を苦しめ、やがて 後悔する結果を生じる、無数の新しい思考を増殖するのがこの強い思考だから。 このような雪崩現象が起こらないように、怒りのような激しい思考そのものを つぶさに点検すれば、それが最初から煙や鏡のような存在でしかなかったこと がわかるだろう。純粋意識から生まれる思考は、純粋意識に再び吸収される。 それは海から生まれた波が再び海に消えていくのと同じである。この原理が 理解できれば、心の平安に向かって大きく前進することができたといえる。 この瞬間以降は、思考が心の障害になる毒素が弱まり始める。この手法を習熟 するには、一つの思考が浮かんだ時、その考えがどこから来て、いつ消えるか、 どこに行ったか、を自問自答することである。取り留めのない散漫な思考に 妨げられない、この短い瞬間に、心の本質を熟視するのが良いだろう。 過去の考えが沈黙し、未来の考えが未だ起らないこの瞬間こそが、光り輝く 聡明・純粋な意識の存在を気づかせてくれる。その意識は、頭で組み立てた 概念的な構築にへつらうことがない。この純粋意識を実際に体験することで、 仏教がいう心の本質を次第に理解できるようになるのである。≫ ▼ 純粋意識で純粋意識を説明しているから、スッと理解できるのか。 般若心経を忘我の状態で唱えている状態が純粋意識。では、仕事に 没頭の状態は、どうだろう? 少し違うか。 以前、大きな決断をする直前の 眠れない夜の二時半が、純粋意識に近い状態になっていた。その時、さあ、 どうする?と。 それでも、多くの間違いがあったが、自分としては、 考え尽くして決めたことと諦めがつく。思考の果ての、思考ゼロもある。 これも純粋意識とチト違うか。 で、これも偶然、以下につづく。 ・・・・・・ 4704,「考える」と、「思う」の違い 2014年01月30日(木) *「考える」と、「思う」の違い ー『散文』谷川俊太郎著より 何気なく書いている文章に、「・・・と考える」と、「・・と思う」がある。 「思う」は、感覚的、無意識的というニュアンスがあり、これを受けて論理を 組み立てるのが「考える」。この読書日記で、同感したり、感激、感動、感謝 した内容を取上げ、自分の考えに論理だてるプロセスが「考える」ことになる。 ーその辺りから 《 思うという行為は、考えるという行為に比べて、より感情的であり、 より不正確である。物思いという言葉にも表われているように、それは時には 余りにも漠然としていて、まるで自分を甘やかしているようにとれることがある。 けれどまたそれ故にこそ、思うことは考えるという行為に比ぺて、いっそう 未分化であり、人間のより多く部分をその中にまきこむ。考えるのが主として 理性の働きであるとすれば、思うのはおそらくまず感ずることにその基礎を 置いている。考えることは時に現実を離れて抽象的な理性の遊びに堕するが、 思うことの堕落はもっと肉体的な自己陶酔に向かう。こういう風に、思うと 考えるとを分けてみても、実際にはこのふたつの心の働きは、つねに亙いに 補いあってひとつである。思ったことを考えることでより精密化し、考えた ことをもういちど思ってみることで、より全体的にすることを、無意識の うちに私たちはくり返している。 ・・・ 》 ヽ(゚ロ゚(-_-;)ゝ アッ! ▼ 上記の《 》が、同感、同調した部分になる。 それを受け「▼」部分が、 「思い」「考える」ことになる。◎「考える」は、「言語を用いて」 「意識的に」「論理的・合理的プロセスを踏んで」のに対し [(ーヘー;)え〜と ◎「思う」は、「言語を用いずに」「半無意識に」「思い浮かぶに任せ (必ずしも、論理的・合理的とは限らない)」「悔しいと思った。」 「悔しいと考えた。」と、すると、後の方が少し違和感がある?「思う」が どちらかと言えば受動的、「考える」が能動的な感覚のために、少し違った感覚。 英語では「考える」は「Think」。「思う」は「Feel」に近い。 何かを考えるキッカケは感謝、感動、感激など、感じ入った場合が多い。 だから一流の芸術作品を多く見たり、大自然の神秘に触れたり、書物を通したり して一流の人物に接して日々、新面目を見出すことが必要である。 「思う」を受けて「考える」ことは、受動から能動の切替ポイントになる。 積極一貫で人生に立ち向かう中で考えるしかない! /(@゚ペ@)ウーン
・・・・・ 4337, 閑話小題 ー「私には友人が一人もいません」 2013年01月30日(水) * 「私には友人が一人もいません」 ある政治ネタを中心にした関西系のバラエティー番組のゲストの一人が 何気なく発した一言が印象的であった。「私には友人が一人もいません。 だから、携帯電話には時おりくる仕事関係以外に電話は入りません!」一瞬、 その場が白けるほどのインパクトがあった。事業創業と独立独歩を人生の コンセプトにし、また専攻が社会学だったこともあり、あまり人に好かれる タイプでないと自認している。しかし、どの場面でも、気心が知れた人はいた。 大方が飲み友達だが・・ しかし、堂々とTVの前で「私には友人がいません!」 と言えるだけの強さは私にはない。 映画で、一匹狼の殺し屋が、独り部屋の 中で拳銃を弄っている場面が頭に残っているが、あの感覚なのだろう。 別に友人など求めず、単独に徹すれば、これほど自由なものは無いはず。 一人旅をたとえれば分かること。 知人に、一切、人を寄せ付けない人がいた。 仕事の能力はあるが、趣味は一切持たず、酒もタバコもやらず、奥さんと年に 数回、外食をする位とか。せいぜい家でTVを見るぐらい。情報化の時代に逆に、 こういうタイプが増えているのだろう。中学校の同級会で久々に会った旧友。 糖尿で片目が失明、仕事はリタイアし、ゴミ出し以外、外出をいないという。 ただ終日ボ〜っとテレビを見ているだけと涙目・・ 家内が先に亡くなれば、似たような状態になるのだろうが、どうも私が先。 時代の変り目もあるが、社会的・金銭的にも恵まれているのにウツっぽい のが目だってきた。 * アップル株が アップルの株価下落が止まらず、ここ数日で時価総額で6兆円以上下落。 時価総額世界一から転落、アメリカの石油大手のエクソンモービルが返り咲き。 「アップル」株の時価総額は、昨年9月には60兆円と世界一の時価総額になった が、週末には、38兆円に減少、昨年9月から現在までに22兆円、率で38%が減少。 カリスマ的創業者ジョブスが亡くなった影響が、ここで表面化したのだろうか。 問題はiMac,iPod,iPhone,iPadに次ぐ新商品が打ち出せるかどうか。 「あれは、ジョブスの強烈な個性が生み出したものだった」に終わる可能性が 出てきた。 彼が元気だったら次に何を打ち出したのだろう。やはり、居間の テレビになるのか。家内が言うに、「知人間で情報ギャップが大きくなった。 検索が出来ない上に、それ以前に無気力な人が目だってきた。」とか。 それも、iPhoneが解決する。
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2018年01月29日(月)
* モンゴル人対、日本チビッコ相撲 初場所はジョージア出身・栃ノ心の幕内優勝で終わった。14勝1敗である。 前評判は良かったが、誰も、この力士の優勝を予測する者はいなかった。 いつもは前日までに下書きをしたのを書き加えたり、修正をするが、今回は ライブの談義になる。 さて御立ち会い! ≪ 熊さん: いや大家さん、八つぁんの講釈を聞いて御蔭で面白かったよ。 大家さん: そりゃそうだ。まず白鵬の『横綱アドバンティジ』が場所前から 問題になって封じられ勝てなくなったな。左張り手と同時に右腕 の肘打ち。スプレーでガチガチに固めてあるキワモノ。上位の横綱は使え ても下位の者は、無礼になる。貴ノ岩の暴行事件は、これに従わない 貴乃岩に対するモンゴル力士の八百長仲間への勧誘で偶発的に起こった 事件。偶発とはいえ、白鵬主導だったのは状況からしてあきらか。 八つぁん: モンゴル対日本人の対決そのものとみると、これほど面白い 場所はなかったね。結果は、相討ちで、その間隙をぬって東欧人力士が 優勝をさらってしまった。鳶にアブラゲというところ。 寅: フロックだべ! フロック。純朴だから、直に阿波踊りを始めるよ。 それだけ、夜の巷は誘惑が強いからね。まず、4年前に幕下まで陥落した 古傷を稽古場で、さりげなく集中的に狙われるね。特に、モンゴルにね。 熊さん: 稀勢の里は、もう駄目なのは間違いないが、白鵬は? 八つぁん: 次の場所は必死に頑張るが、年内は無理だろうね。その前に、 貴乃花親方からの刑事告訴もあるかもしれない。 寅さん: 鶴竜、4場所も休んだあとの、11勝は合格じゃなの。 他の2人の横綱の御蔭で、助かった部分があるがね。 大家さん: 鶴竜、どうだろう? 白鵬、稀勢の里、なき後の繋ぎとして あと二年は頑張らないと。高安と、逸ノ城辺りが出てこないとね。 八つぁん: 白鵬を頂点にしたモンゴル人支配の構図は、ほぼ崩壊したね。 大家: まだ判断するのは早いよ。肉食系は、草食系とは違うよ。 骨格と筋肉の質が草食系とは違うからね。旭天鵬をみれば分かるだろう。 熊さん: 栃ノ心の活躍に刺激を受けて、大人しかった東欧系力士などに 火がつくんじゃないの? 寅さん: 先場所、今場所、高校相撲上がりの4人が入門してきたね。 早速、先場所入門した二人が、序の口の優勝決定戦に出てきたね。 来場所は大鵬の孫と、朝青龍の甥っ子がデビューするしね。 大家さん: この4人は強くなるよ。怪我さえなければね。 八つぁん: 今場所を総括すると、個々の相撲内容が真剣なのが多くて合格。 最近、相撲そのものと同時に、砂被りの観客の服装と、表情見物が面白いの。 それに地域性があってさ。 大家さん: あの辺に居るのは選ばれしもの達だもの。それなりの金額と。 長年の因縁が無いと、座れませんよ。 八つぁん: カメラ目線の要所に、洋装、和装の綺麗どこや有名人が目立つね。 当然、相撲協会も広告代理店を使って、国内外向けに、彩を考えているよ。 以前だったら、目立たないのが、今では大型TVで鮮明だからね。≫ ― ▼ というわけで、相撲の神様が存在をしていたら。こう結論するのでは? < あくまで、相撲は興行の世界。しかし私(神)に供える儀式。儀式で 悪いのが、格式だち過ぎること。それと白鵬の様に逆上せあがっちゃ いけません。品よく、明るく、楽しませてくれれば、充分。その点、 充分に合格ですよ。貴乃花親方、良いじゃございませんか、純朴で。 長い目で見て下さい。今回の事件も、彼の御蔭で浄化をしたじゃないですか。> まあ… 暇人の独り言。 ・・・・・・ 5068,あわいの力 ー 2015年01月29日(木) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * 「道具」を持たないワキ 〜身体が道具 身体そのものが「道具」というワキの存在が面白い。 これは何もワキに限ったことではなく、すべての人間に当てはまること。 アスリートは、肉体が道具!、いかに勝利につながる道具に身体をつくり 上げていくのが勤め。 人生を演劇に喩えると、役割が道具になる。 その役割としての道具には道が備わっている。 ーその辺りから抜粋ー ≪・「お道具」ということばですが、能の世界では鼓や笛を楽器といわずに 「お道具」といいます。「道具」というのは「道が具わっている」から 「道具」だといわれることがあります。語源としては間違っていますが、 しかし「お道具」の性格をよくあらわしています。お道具は、それ自体で既に 道が具わっている。しかし、それを演奏する自分の道が具わっていなければ、 いい音が出ない。何年もの修行によって自分の道が具わったときに、はじめて 「お道具」が本来の輝きを発し始める。つまり、シテ方や笛方、鼓方は、 「道具」を通じて能楽師としての道を歩んでいくことができる。 しかし、道具を持たないワキ方は、それができない。 ・こんなふうにして、ある程度自分の音を鳴らせるようになると、 その人の弟子にまた笛を譲り渡し、その弟子が何十年もかけて自分の音を 十分に鳴らせるようになると、また次の弟子に笛を受け継いでいきます。 そうやって、数百年にもわたって、「道具」を次につないでいくわけですが、 ワキはそのための「道具」が何もないじゃないか。そう、シテ方や笛方、 鼓方の人たちは言うのです。 が、じつはワキ方にも「道具」はあります。 それは、自分の身体です。自分の身体と「道具」として向き合い、いかに つきあっていくか、というのがワキとしての道の歩み方です。さらにいうと、 このことは何もワキにかぎったことではなく、すべての人間にとって当て はまること。どんな人間も、身体を持たずして生きることはできませんから。 ・能の笛というのは、わざと音が出づらいようにつくられているんじゃないか と思うような購造になっています。しかし、だからこそ、稽古を積み重ねた 結果いい音が鳴るようになります。同じことは身体という「道具」にも当て はまります。つまり、身体が完全でないからこそ、ワキとしての道、 人としての道を歩んでいけるということです。・・ ≫ ▼ 現代の「お道具」といえば、パソコン(スマートフォンを含む)とネット。 今ではウェアラブルPCという道具と身体が一体化したものが出始めた。 その道とは、アプリであり、予め完成されている。その意味からして、「お能」 の世界は時代の流れの真逆。だからこそ、そこに、「あわい」の必要性が出る。 文化度が高いフランスのレジャーで、長期休暇は、リゾート地で長閑に、 時間を過ごすこと。ただ、ただボーッとするのが贅沢という。で、痴呆症が 多いというが、それも「あわい」であろう。ただヒタスラ心も身体も休める。 それが御隠居の仕事である。それには、その暇を楽しめる知識と余裕が必要。 ・・・・・・ 4336, 自己とつきあうということ −4 2013年01月29日(火) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) ギリシャ哲学の初めのころから、己について考えていた哲学者がいた。 この文明の世でも、「自分」について考えようとしない人が多い中、 2500年前に、このやっかいな自分について考えていた。 そのギリシャは、現在、国家危機の崖っぷち。 * 古代の人間たちと自己の問題(ヘラクレイトスの驚きと戒め) ≪ 自己を問う試みは、ソクラテス以前の哲学者たちによってなされている。 なかでも、その試みを自覚的に遂行したと考えられる人物の一人は、初期 ギリシアの哲学者ヘラクレイトス(前五〇〇頃)である。彼が残したとされる、 「わたしはわたし自身を探究した」(断片一〇一)という言葉の背後には、 探究の視線を外部の自然から自己自身へと移し、自己の内に広大な探究の 次元を見いだしたヘラクレイトスの、自己への驚きが見てとれる。 彼にとって、自己は問われるべきものとなった。彼は次のようにも述べた。 「自己を認識すること、健全な思慮を持つことは、万人に許されている」。 (断片二六) その短い言葉を通じて、われわれが自己への関心、配慮を ばねにして自己への探究を開始する存在であることが端的に示されている。 しかし、それを裏返せば、われわれは通常、自己を問題として受けとめる ことは少ないし、思慮を健全に保つことからも遠い存在だ、ということである。 よきことを考えて生きることよりも欲情にかられよからぬ方向へひっぱられて いきやすいのが人間である。それゆえ、彼は自戒の言葉を口にしている。 「欲情と戦うのは困難である。なぜなら、それを欲する者を魂[命]をかけて 購うから。放漫を消すことは火災を消す以上に急務である」(断片四三) ヘラクレスは、人間がしばしば欲情の虜になり、とりかえしのつかぬことをしで かしたり、放漫、不遜になって、他人に不快感を与える存在であることを見抜いた。 人間は思わぬ仕方で壊れやすく、健全を失いやすいがゆえに、それに抗するため にも、よく認識し、思慮を健全なものに保つようにしなければならないと考えた ようにみえる。彼が認識したことは、自己を壊すものから、自己を防御し、 自己をよく整えるための自己認識であった。・・・≫ ▼ 古代に、「わたしはわたし自身を探求した」とは、驚き。 その頃から現在に至るまで、その問いが繰り返されてきた。まずは、他者と私、 そして、自己対話をする内なる私と、分裂した私。それより、今過ぎ去った ばかりの己と、現在の己。 欲望に支配されている私と、それを見ている私。 ギリシャ哲学を知るにつけて、人間は二千五百年も考え続けてきたわりに、 殆ど進歩していないというより、後退しているとも思える。いや、西洋的進歩 という言葉自体が疑問である。それが構造主義につながっている。大きな節目 には、それまでの自己が壊される。その中で、破壊されてはならない核心は 守らなければならない。そのために、この随想日記で、「節目どきに」 「自己をみつめる」「自分の居場所のみつけ方」とかをテーマに、していた。 このテーマも、その一連だが、哲学の具体的入り口は、「自分」と「死」と 「神」と「自然」についてである。「私の事業」が崩壊して、残ったのは 「自分」である。それも傷物としての自分。しかし、核心まで傷ついた訳でなし、 問題は自己認識だが、どうもこうも、考えるほど、滑稽な行蔵しか残ってない。 これも気づくかどうかの問題だが・・「欲する者を魂[命]をかけて購う」、 その自分も、それぞれの他己から、自分の核心を守ることは至難の技になる。 ・・・・・・ 4703,閑話小題 ー若年女性の貧困問題 2014年01月29日(水) * 若年女性”の貧困問題 一昨夜のNHKTVの「クローズアップ現代」で「あしたが見えない〜深刻化する “若年女性”の貧困〜」を放送していた。隠れた恐慌は、ジワジワと社会的弱者 より影響を与えてきた。成るほど、社会の仕組みは、強者のために作られている のを日々、実感する。 (まずは、NHKのHPの番組趣旨より) 《 貧困状態に苦しむ若い女性が増えている。親の生活苦の影響を受け、 早朝と夜間のバイトを掛け持ちしながら家計を支える10代の女性。困窮を 抜け出そうと苦学して専門学校に通ったものの、正社員になれない20代の女性。 中でも、先の見えない生活を強いられているのが若くして子どもを産んだ シングルマザー。国の成長戦略で「女性が輝く」ことがうたわれる中、深刻化 していく若い女性の貧困。 現場のルポから現代社会の新たな課題を浮き彫り にしていく。 ーあるプレビュー \(;$д$@)\ カ.金-\\\ 働く女性は全国で2770万人いるうち、不安定な非正規雇用で働く女性の割合は、 57.5%と男性の2倍以上。そして、単身女性の3分の1が、年収114万円未満と いわれており、深刻化しているのが、10代、20代の若年女性の貧困です。 朝から晩まで、アルバイトをいくつも掛け持ちする若い女性たち。 コンビニやファミレス、スナックなど、いずれも時給650円前後の仕事です。 別の女性は、周囲の男性も非正規で働く人が多く、結婚して出産することは 考えられないという。 さらに深刻な状況に陥っているのが、10代20代の シングルマザー。20代のシングルマザーのうち、およそ80%が年収114万円 未満の貧困状態に置かれているといいます。そんな中で、VTRで紹介されていた 風俗店の話が衝撃的でした。風俗店で働く女性の中には、店側が提供する 住まいや託児所などに惹かれて、やむなく風俗店で働くケースが多いという。 公的なセーフティネットではなく、風俗店が提供する住居や託児所に頼る というのは、皮肉な現実と言わざるを得ません。 ▼ ゴールデンタイムや、NHKのモーニングショーで、生活のため主婦が やむを得ず風俗で働いている実態を放映するまで、困窮者の数が増えている。 実際、新潟駅前で30年近くの事業で、風俗嬢の長期宿泊などから、その実態を 垣間見てきた。 地元??が営業する風俗店で、泣き叫ぶ赤ちゃんを客室に 置いて働く姿は、阿修羅そのもの。見て見ぬふりしか手立てはない。 それにしても単身女子の3分の1が10万以下というから、深刻。 20年前に 「3つ掛け持ちのパートで、子供三人を育てている人がいる」という話を 聞いて、驚いたが、今では話題にすらならない! 静かな恐慌が、現象として 現れてきている。「うどん一つを親子で、つゆを多めにして食べること、 しばしば」には・・ あと数年後は、更に深刻になるという! ・・・・・・ 5798,エドテック 〜技術革新で教育を変える 2017年01月29日(日) NHKTVで、<テクノロジーが教育を変える 世界の『エドテック』最前線> を放送していたが、何かしら不思議な感覚に捉われてしまった。現実社会とは 別にネット社会が世界を覆ってしまった現在、当然、情報機器とネットを駆使 した教育環境も比例して進化して然るべきである。ネット社会は、教育の根本 変革が求められて当然のこと。 〜番組HPの紹介には… 【世界をリードしてきたITの一流企業や大物たちが、熱い視線を注ぐ 新たな分野。それは…。 ビル・ゲイツ氏 は、「技術革命で教育を進化させる。」と。 今、最先端の技術を教育の現場に活用する動き「エドテック」が、アメリカや ヨーロッパなど世界で注目されているのです。バーチャルリアリティーや人工 知能の利用が進む中、教育現場にも大きな変化が起きようとしています。 テクノロジーで教育に革命を起こす「エドテック」。その最前線に迫ります。 佐藤 「『エドテック』という言葉。“初めて耳にする”という方も多いかも しれません。この言葉は“エデュケーション=教育”と“テクノロジー=技術” を組み合わせた造語です。」 田中 「インターネットやデジタル機器が職場や家庭のあらゆる場面に浸透 する中、教育にもテクノロジーの波が押し寄せています。」 佐藤 「こちら、ロンドンで始まった世界最大のエドテックの展示会です。 100か国以上の教育関係者と、900以上の企業が参加しています。 紹介されたのはバーチャルリアリティーなど、さまざまな装置を使った教材。 会場には学校の先生や子どもたちも訪れ、熱い視線を送っていました。 エドテック市場は、来年には、世界で6兆円規模になるとも言われています。」 参加企業の担当者: 「エドテックは、大きなビジネスチャンスです。」 田中 「さて、このエドテック。 教育現場でどのように活用され、何が変わり 始めているのか。 急速に導入が進んでいるアメリカを取材しました。」 :教育が変わる!“エドテック”最前線リポート:藤田享子記者(国際部)】 ―― ▼ 情報端末の進化には驚かされる。TV一つとっても、4k、8k画像のTVに、 ネットなどの多機能が付いた、アンドロイドTVである。白黒とカラーTVの段差 より遥かに大きな革新を始めている。大型家電店の担当が、「これは異次元のTV」 というのも大げさでもない世界に誘う。情報端末の進化と同時に、エドテック が世界を変えている。ここにも教育格差の問題が出るとしても、現実は現実。 幼児の頃からタブレットPCを玩具かわりに与えられ、バーチャル世界で、多くの 経験をする時代である。これは子供たちの教育素材だけでなく、全ての世代にも、 その一端を利用して、多くの知識を得ることが可能になる。 21世紀の入口 の風景の一つとすると、成るほど、これかと納得する。毎日が刺激的である。
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2018年01月28日(日)
『クラウド時代の思考術』パンウドストーン著 * キツネとハリネズミタイプの事例 まあ、シェークスピアとダンテを対極におくとは、解りやすい分析である。 その二つを兼ね備えているのがトルストイとバーリンはいう。トルストイ 自らはハリネズミ族に属していると信じていたようだ。 〜その辺りから抜粋〜 ≪ 政治哲学者アイザイア・バーリンは自身の著書『ハリネズミと狐』で、 トルストイの超大作『戦争と平和』の歴史哲学を真っ向から論じた。 バーリンは、ダンテは“ハリネズミ”であり、 シェイクスピアは“狐”と分析 ─では、トルストイは? ロシア文学者で東京大学名誉教授の川端香男里に 『ハリネズミと狐』で語られるトルストイの姿を聞いた。 【『戦争と平和』を真っ向から論じた本は日本では数少ないですが、外国では たくさんあります。あまたの文献の中で傑出しているのが、『戦争と平和』の 歴史哲学を論じた、ラトヴィア出身の政治哲学者アイザイア・バーリンの著書 『ハリネズミと狐』でしょう。 バーリンは、人間類型を二つに分け、 第一に、一つの基本的ヴィジョン・体系を中心にして、自分の作品を求心的に 構築して行く「一元的」タイプを置きます。 第二に、遠心的に拡散した「多様な」対象を、自分固有な心理的・生理的脈絡 の中にとらえようとするタイプを置きました。 そしてギリシアの詩人アルキロコスの詩の断片「狐はたくさんのことを知って いるが、ハリネズミはでかいことを一つだけ知っている」を、バーリンは上記の 二つのタイプにあてはめ、第一部類をハリネズミ族、第二部類を狐族と名付けた。 第一類の代表選手はダンテで、第二類の方はシェイクスピアです。 ・プラトン、パスカル、ヘーゲル、ドストエフスキイ、ニーチェ、イプセン、 プルーストはハリネズミであり、 ・ヘロドトス、アリストテレス、モンテーニュ、エラスムス、モリエール、 ゲーテ、プーシキン、バルザック、ジョイスは狐です。 ロシア文学はバーリンによれば、プーシキンとドストエフスキイという二つの 極の間で成り立っています。ところでトルストイはこの二つの部類のいずれに 属しているといえるのでしょうか。 バーリンの仮説では、 トルストイは本来は狐族であるのに、自分はハリネズミ族であると信じていた、 とされます。トルストイほど世界の多様性ともろもろの状況の多面性を明確に 把握していた作家はいません。しかもトルストイはこの多様な世界を普遍的に 説明してくれる統一原理を終生求めて止みませんでした。狐とハリネズミの共存 です。対象の多様性を明敏に知覚することのできたトルストイは、既存の統一的 原理のまやかしに反発し、それをロシア化され単純化された合理的教説で破壊 して行きました。このような破壊の背後には必ず、本物の統一的原理があるはず という「ハリネズミ」の信念がありました。 ですからトルストイの破壊・否定は、真理の探究と表裏一体だったのです。≫ ▼【 熊さん: 俺なんて、針ネズミじゃなくて、ドブネズミだね。 寅さん: じゃあ、俺はモグラですか。せめてリスかモモンガ? こうシリアスにタイプに選り分けられると嫌になるよ。ったく。 大家さん: とするとワシはムジナ辺りですか。 八つぁん: 一応、役割はキツネですがね… じゃあ私は何でしょうか。 ハリネズミに近いハツカネズミ? 私が、‘世間人’を子キツネというが、 他人様の家族の内情の覗き込みのネタを餌に渡り歩くのを性にする人たち。 とすると、子ネズミの方が適切な言葉になるね。 大家さん: 世間様の話は、御品が悪くなるから止めておきましょうや! 誰もが持っている悪い癖だもんね… 寅さん: 八つぁんが「世間」の話をすると、俺のことかと冷や冷やだよ。 俺はね、裏話に花を、いやゴミを添えて楽しむしかないのさ。悩がないから。 熊さんは、素朴だが、俺は少しマシな役割のようですか。 熊さん: 呆け役なんだろう。それも天然呆け役。でも、純粋な疑問ほど道理 を突くって言うじゃないか。しかし寅さんは、少し捻った性格なんだろう。 寅さん: 低俗の中の上が俺、下が御前だよ。 八つぁん: 呆け役の切口に彩をつけるには二人の呆けが必要だからさ。 何かさ、自分の言えないことを二人が代弁してくれて便利だね。 しかし、品格が下がったね。 大家さん: ワシの役割は、八っあんの中の知性というか、冷静さを持った 役割だろう。それにしては、自分で、それが全く感じられませんね。 熊さん: だいたい、これを書いている奴の程度が低いからね! 八つぁん: 『 … 』 寅さん: ここまで話を引っぱって、落ちがこれ? 俺らを呼び出すのも、 そろそろ止めたら。 …いや、大相撲の総括で言いたいことがあるか。】
・・・・・・ 4702,漂流者たち 2014年01月28日(火) * 漂流者たち ー若者には未来など無い! あるのは現在のみ ー『散文』谷川俊太郎著より ーこれは全文であるー 【若者を『私』、夢を『思い出』に置き換えると、現在の私(同年代) の心境に似ている?】 《 若者には未来がある、とはいいふるされたことばである。これは若者の ことばではなく、感傷的なおとなのことばであろう。 若者には現在がある。 むしろ、若者には現在しかない。そのことはだれよりも若者自身がよく 知っている。過去をふりかえるひまがないのと同じように、若者には未来を 考えるゆとりがない。彼らはいまの一瞬々々を、手づかみしようとする。 それはこっけいで、そのくせ悲劇的だ。 若者は、生活しようとはしない、 生きようとするのだ。「仕事?つまんないなあ」 深い吐息のように、 ある自動車工場の工員はいった。自分にも、いったい自動車のどの部分を 造っているのか、よくわからないのだそうである。昼休みの、日だまりで、 牛乳を飲みながら彼は、ほんとうは、新車のテスト・ドライバーになりたい んだと、はにかみながら話した。「いかすもん、なあ」活宇にすると、 こんなにも無力で、使いふるされたことばが、若者の口の上では、この上なく 生き生きとするのである。若者は夢見る。夢に夢中になる。恋の夢、金の夢、 正義の夢、純粋の夢。未来に向かう夢ではない。時のない夢、広漠とした情念 の世界にひろがる夢だ。だぷん夢が深ければ深いほど、彼らは現実に目ざめて いる。きのうもあすも、後らにとっては観念にすぎない。唯一の現実、それは 今日である。いまである。土曜日の晩のダンスホールの芋を洗うような混雑の 中で、若者はちっとも陶酔せずにツイストを踊っている。踊ることで、やっと あの若さのもつ、底ぬけの無為のひとときをつぶしている。 彼らはまるで漂流者のように見える。家庭という岸辺からも、仕事という港 からも遠く離れて、むなしく何かを求めている。おとなから見て、頼もしい 若者、すなわち余りに早くおとなの秩序の継承者たることを自らに課した若者に、 おとなは奇妙な不信をおぼえる。そんな若者は、どこか痛ましい、さらに いけないことにはどこか病的にすら思えるのである。若者の健康は、獣の健康 であっていい。エネルギーという、便利なことばがある。若者にも、しばしば このことばがむすびつけられる。だがこのことばのもっている危険の味わいに、 わざと目をつむっているのではあるまいか。エネルギーの源は、いのちである。 そしていのちそのものは、善にも向かうかわりに、悪にも両かう。 エネルギーはいのちを自己否定する可能性すらはらんでいる。若者はいつの世 にも、おとなにとっては、危険な存在なのだし、またそうあるべきなのだ。 いつかは君らにも金ができるさ、といったところで、若者はなっとくしない だろう。若者はいま、金が欲しい。若者はいま、楽しみがいる。若者は正義を 求める。なぜなら、若者はいまを、生きている。 労働の場で、時には恋愛 の場で、若者はおとなたちと時代をわかちあっている。だが、おとなの現在に、 若者が自分の未来を見るようになる時、ひとつの時代の成長はとまる。 おとなは若者に未来を用意してやるべきでない。現在をこそ与えるべきだ。》 ▼ 1970年に書かれた谷川俊太郎の『漂流者たち』である。当時、この文章を 読んでいたら、どれほど慰められたかと思うのは私だけでないはず。 仕事は辛く、金は無く、自信も、先の見通しも無い。あるのは、心の奥の野望と 他人からの視線の恐怖。そこに「果たして、私に何が出来るのだろうか」の絶望 がまとわりつき、心は焦りと虚無感が渦巻いていた。若い時は良かった! など、振り返ればこそ言えること。これは当時の心象風景そのもの。 そして、今は家の中の漂流者? (>_<)ゞ (ノ_<。)うっ ・・・・・・ 5067,閑話小題 ーアフォの修行したのは怖い 2015年01月28日(水) * つれづれに 〜雑念そのままに ― 何度も書くが、どうも老齢の心境にほど遠い。 これは不幸なことというが、なれない不幸の方が、私には向いている。 ― 現在のインコが家の一員になって、4年になるが、まあ可愛い。 直接的接点は家内と私だが、家内は気分次第で対応が違うが、私は、 餌をやり、話しかけるのため、少しでも居間のコタツの前から離れると、 ガラス戸こしベランダで鳴き叫ぶ。 振り向くと、たった一つの芸の、 枝の前方回転を必死に繰り返す。唯一の友が、枝につけた鳥の形をした 起き上がりコブシ。突っつくと一回転をするが、これで回転技を学習した。 枝の上で、それを移動させて何時も隣に寄添っている。と同時に、欲求 不満を攻撃することで解消している。その人形?の鳥、自分に見えている。 ―― 現在のTVを入換えて5年になるが、これが大当たり。 寝室のTVも同時に入れ替えたが、居間と寝室の値段の差が10倍近く あったが、その差が歴然としている。朝9時過ぎと、夕方4時過ぎに 30分から1時間、寝室で見ているが、ドラマなどは落着いて見れる。 今まで、居間のTVは、数回、問題が起きているが、それでも良いのは良い。 この世界、5年も経てば、4KTVなど進化しているのだろうが、店頭で 見る限り、飛躍的進化の兆しはない。 ―― 白鵬が、自分の勝負の審判に異議を申立て、物議を起きているが、 「そこまで、言える大横綱になった」と見るか、「逆上せ上がり」と見るか。 次の勝負が始まってから控えに入ったのは、時間審判の意図的嫌がらせ? 何が品格? ほっておけばよいことか。何番か、疑惑の審判があったが。 ―― どこかの呟きに、『ほんとに偉い先生は別だが、インテリの修行した のは怖くないけど、アフォの修行したのは怖い。インテリは世俗の習いに 従うけれど、アフォのは、宇宙の摂理に従うから、本当に怖い!』とあった。 もっと怖いのは、中途半端なインテリ風のアフォ! 修行した力で嫌味を 振りまわし、周囲を傷つけまわる。誰か知らないが、ったく! 恐いの意味あいがちょっと違うが! 〃゚д゚〃) *>ω<*) ・・・・・・ 3595, 閑話小題 2011年01月28日(金) * 危機感が無さ過ぎる日本 この商売をしていると、数ヶ月先の先行指数が数字に出てくる。 2001年の9・15テロでは、翌日から客数が三年に渡り右下がりが続いた。 その対策として政府は円安に誘導し、輸出を柱に景気対策を図り、関東・東海 地区では景気が一時的に持ち直し、不動産のミニバブルが東京の好立地で起きた。 そして2008年の9・15のリーマンショック。その翌週から急角度の右下り になり、現在も続いている。私の触覚からしたら、二月か三月の株の大暴落が あっても不思議でない事態。マスコミの情報コントロールのためか、政治的 思惑か、表面化をしない。コールドは去年で2割上がり、今年も、この情勢では 2割は上がるだろう。現在の体制では、この難局を乗り越えることは不可能。 ということは、やはり株暴落のプロセスからしかない? * 10人を11人の年金で賄う? 先日の新聞記事を見て、目を疑った。 「年金受給者5988万人、加入者6874万人」とあった。10人を11人の加入者が 背負う割合になる。10年か20年後なら分かるが、あと数年で、その数は逆転する だろう。二人で一人でも重いのに、一人が一人を背負うなど、考えられない。 去年で年金支給総額が50兆円。気が遠くなる数字。これで支給時期の延長も考え ないと国家が持たない。自民党と役人が組んで悪さをしてきた結果だが、さらに 悪いことに左翼が政権を乗取りやりたい放題。いつ爆発をするか秒読みに入った。 * チュニジアの政変について 地中海のアラブ圏のチュニジアで学生デモの拡大で、比較的安定していたと 見られていたチュニジアで政変がおきた。これは携帯電話やツイッターなどの 情報化が背景にある。その影響がアルジェリア・リビア・エジプトにも波及、 暴動が多発、この動きがサウジアラビア、クエート・カタール・アラブ首長国 連邦、更に欧州、中国にも波及する可能性もある。それだけ、この世界的金融 恐慌は直接・間接的に仕事にあぶれた人達に影響を与えている。大元は、情報化。 ・・・・・・ 5431,人生で最も大切な技術 ー 〜苦しみを最大限に利用する 2016年01月28日(木) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみを最大限に利用する 死の究極の姿勢、「苦しみを最大限に利用する」には驚いた。 父がガン最期の頃、苦痛で頭を掻き毟っていた姿が目に焼きついている。 ところが、精神医がその中にあって、苦痛を利用して、心の解放を図る試み をしていたとは、さすである・・ その時に、私に出来るだろうか? ≪ 次の文は、数カ月のあいだ激痛に苦しみ、死の床についていた カナダの精神科医、ガイ・コルノーの書き残した書の引用である。 【「もういい。行かせてくれ」と眩いた。まったく和らぐことのない激痛 との戦いを止めにして、誰にでも来る静寂に心を向けた。 心を解放させる効果は、その後数日から数週の間にはっきりしてきた。 私は、無上の幸福感に突き進んでいったのである。巨大な愛の炎が自分の中で 燃え盛った。目を閉じるだけでーそれは長く満ち足りた一呼吸だったが、幸福 を享受することができた。続いて、人間一人一人、事象一つ一つで成り立つ この宇宙に普遍的なアイデンティティがあり、それは愛そのものであることを 理解したのだった。愛の他なにもない…結局は、苦しみは外と内の間の区切り、 肉体と精神の区切り、自分と他者の区切りなどが、一切存在しないことを 発見させてくれるのである。】 苦しみの賢い利用の仕方で、人間は多くを学ぶことができる。 逆に、「仕方ないさ」という投げやりな考えに甘んじて過ごすのは、 心が大きく変化するチャンスと可能性を放棄するようなものである。 こうした変革の可能性は誰にでも備わっていて、苦しみが深刻な不幸に変わる のを来然に防いでくれる。病気、憎悪、批判、不運などの障害に単に挫けない だけで、事態に左右されない、とか、障害を永遠に乗り越えた、という意味に 受け取るのは間違い。それは、障害が精神の自由への道を塞がなくなった、 というレベルに過ぎない。苦しみに遭遇したくない、あるいは、苦しみの反応 を促進させるカタリスト(触媒)としておおいに利用したいと願うなら、恐れと 失望によって心を支配されるのを防がなければならない。八世紀の聖者、 シャーンティデーヴァは説いている。「治る道があるのに不満に思うことに 何の意味があるか。治らないとわかって不満に思うことに何の意味があるか」≫ ▼ 5年前の会社整理時に、無我夢中に目先の事象をこなしている時、 何とも奇妙な感覚になっていた。その苦しさの中に、痛気持ち良さが沸き 出ていた。30年間、月一回、月次監査にきていた会計事務所の担当が、 『社長、楽しんでますね? 自分の立場が解ってないのでは?』と、呆れ顔 で言われたが・・ 万一の対策を創業当初からしていなければ、そんな余裕? は無かったことも確かだが、一つずつ、押し寄せる二度とない経験をしている 日々が内側では輝いていた。あの卑しい視線の一つずつが、かつて自分が経験 したからこそ、その底が透けて見える快感もあった。この、心の内外、精神と 肉体、自分と他者の間が消えていた感覚である。 話しが少し軽くなった。 心の準備があれば、究極の苦痛は神の心に導いてくれるようだ。 娑婆は、それぞれが、それぞれの知識、経験しか見えないため成立っている。
・・・・・・ 4335, 閑話小題 − ドラマ メイドインジャパン 2013年01月28日(月) * ドラマ メイドインジャパン 一昨夜土曜21時、NHKのドラマ「メイドインジャパン(1)」が面白い。 三回シリーズの一回目。粗筋といえば ≪ タクミ電機営業部長・矢作(唐沢寿明)は、譲原会長(岸部一徳)の特命 で余命3か月の会社倒産の危機を回避するため再建戦略室を立ち上げる。 財務課長・柿沼(吉岡秀隆)、工場長・西山(國村隼)など7人の社員が秘密裏 に集められ、リチウムイオン電池市場で勝負をかけることに。だが中国企業が タクミの技術を盗用し、契約も奪われる。矢作は柿沼たちと中国に渡るが、 現れたのはかつての同僚の技術者・迫田(高橋克実)だった。≫ 戦後世界を制していた日本の家電メーカーのパナソニック、ソニー、 シャープなどが大赤字になり、その存続さえ危ぶまれている。 10年前、世界のテレビの日本メーカーのシェアが62%だったが、現在では 28%まで落ち込んでいる。そして、株価は暴落。パナソニックとシャープと サンヨーとソニーをプラスして四で割ったようなタクミ電機を題材に、倒産直前 の会社の建て直しを物語にしている。現在のメーカー全てに関わる問題だが、 時期が時期だけにリアルで深刻である。シャープは現在、その真っ只中。 それも土曜日のゴールデンタイムに、辛辣に日本の現状を集約した物語だから 恐れ入る。ところで、パナソニックは明らかに間違った戦略をうち出したのは 私でも分かる。スマートフォンと家電を結びつけた商品戦略。方向は正しいが、 付加価値をつけて値段を上げようというなら間違い。二割以上高くすれば、 ニーズから外れるが、5割も高そう。この間違いは数年後のパナソニックの破綻 を暗示している。中流の人たちの収入は、セキを切ったように減っているのに、 何が高付加価値か。 目指すべきなのは、ノートパソコンのカテゴリーキラーに なったタブレットPCやスマートフォンのような、商品開発。1〜2人用の電気 自動車とか、書斎型電気ワゴン車、ペットロボット、電子眼鏡情報機器、水上電気 スクーターとか、電気ボート、ミニ菜園、それも電子化でコンパクトで発育を 早めるものとか、傘型かテント型のワンタッチでミニシアターなどの別世界に なるものなど、発想の転換(カテゴリーキラー)が必要。 それにしても、 中国の広大な工場と工員の群れには驚いた。眠れる獅子が眼を覚まし暴れだした。 制御が利くうちはよいが、コントロール不能になったら、手がつけられないだろう。
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2018年01月27日(土)
* 世界を変えるドローンの進化 久々に、TVのアンドロイド機能を使ってYouTubeを見たのがドローン。 当初、軍事用につくられたが、今では一般の玩具や、実用に転嫁されてきた。 軍事用無人飛行機を小型化して爆弾の換わりにカメラ機能を充実させ、自撮り棒 カメラの空中版(水中版もある)として、この数年、飛躍的に進化している。 数m、10m、20m上空から、本人を撮影する。この機能が年々、進化しており、 値段も劇的に下がっている。 ・登山やハイキングなどで、山頂から、ゴーグル型ディスプレイを身につけて、 山頂にいる自分を3Dで見るドローン。 ・ドバイのドローン専用の780mのレースで、世界の32チームが参加するレース も紹介されていた。決勝戦は勝ち残った4チームによるもので、10代半ば の少年が優勝をして2800万の賞金を獲得した映像。 それも競技者が、 ゴーグル型ディスプレイで運転する映像のため迫力満点。 ・カヤックの激流下りを10m〜20m上空周辺から撮影したり、 ・邸宅プールの水中で撮影したドローンの映像も紹介されていた。 ・ドローンも、蚊型、蜂型、鳥型の小さなものから、自家用車のようなものや、 軍事用のミサイル発射可能のものや、小型軽量戦車などに応用した、さまざま なものがあった。これらの幾つかは既に普及しており、4Kカメラの映像が、 YouTube上で、各人のTV、PC、スマートフォンからの受発信が可能になっている。 21Cとは、こういうものかと… スマ―フォン・タブレットと、ドローンと、 各種ロボットが、果てしなく世界を激変しようとしている。 【 熊さん:オイラの時代は終わったということ? 寅さん:残念だが、そういうことさ。寂しいけどね。 大家さん:大丈夫だよ。この時代だからこそ、デジタル化して、あんた達にも 恩恵できるよ。ただ、絶対的格差が大きくなるよ。嫌なのは、それを鮮明に 自覚しなければならないことさ。 八つぁん:大家さんや、私の年齢なら達観出来るけど、熊さん、寅さんみたいの 一世代下の時代に取り残された人には辛いだろうね。でも、割切れば、 デジタル化の恩恵を受けられるのは、素晴らしいよ。 熊さん:この中で生きていくのは、そりゃ辛いよ。スーパーの夕方に行けば、 分かるよ。オイラみたいなのが多くいるよ。 寅さん:いいじゃないか、そんなことを気にしている分には。ゲームにすりゃ。 いいんだよ。今さらじゃないか。うちのカミさんなど、夕方になると行方 不明になるんだ。200m先のスーパーに自転車で行くんだ。それを楽しんで いるんだ。しかしね、レジでフッと後ろをみると、内幕情報屋の小母さんが、 ジッと籠を見ているらしいよ。 大家さん:私など、カカアに死なれてから宅配弁当さ。これが便利なのさ。 八っあん:不味くて食えないというじゃないですか。 大家さん:客の口も肥えているから。結構うまく作ってあるよ。スーパーの冷食 に美味いのがあるから、一品、付け加えるの。フリカケも真空パックの煮物も、 なかなかのものだよ。 寅さん:何時の間にか、エラク話がそれたね。それにしても便利な世の中だね。】 ― ▼ 一歩、浮世から離れてみて、社会の変化が面白く感じるのは、日常生活が 便利になった実感と、健康だから。これも、何年続くか… そう思って目先、 精一杯、面白おかしく生きているしかないが。
・・・・・・ 3959, 閑話小題 2012年01月27日(金) * マイウェイ マイウェイのHPの内容を見ると、韓国映画で、日本に対する偏見が強いが 面白そうだったので、ダメ元と見ることにした。それが面白い。 自分が、 あたかも戦場にいるような錯覚をしてしまうほど臨場感がある。その上、日中 戦線、独ソ戦線、ノルマンディ上陸の場面も圧倒的な戦闘場面の連続。 またシベリアの抑留の凄惨な実態をシニカルに表現していた。 この映画を本当に韓国がつくったのか、ハリウッド映画ではないかと調べたら、 やはり韓国産。ただ驚きである。ノルマンディのドイツ捕虜の中に一人の東洋人 がいた。その男は朝鮮人で、日本兵、ソ連兵、ドイツ兵として闘い、最後に 奇跡的に連合軍の捕虜として捕まった経過の設定である。 それにしても、 凄惨で、リアルで、目を背けたくなる物語だが、何故か奇跡的に助かる。 当時の日本兵の朝鮮人に対する蔑視は、彼らからみて現在でも忘れることが 出来ない屈辱感は、この映画から垣間見ることができる。戦場での人間の露な 動物的な生存に対する希求と友情が滲み出ていた。戦争は避けるべきである。 何時も思うが、シネマがデジタル技術で格段に面白くなった。 あれだけの場面を次々と壮大かつリアルに表現できるものと感心する。 そうこう考えると丁度良い時代に日本に生まれたと、ただ感謝。 * ペルシャ湾が危ない ーイスラエルにとって原子炉攻撃のチャンス この時期に、イランから欧州の原油禁止に対してペルシャ湾のホルムス海峡 閉鎖を警告していたが、もし実際に閉鎖の事態で一番、影響を受けるのが日本。 原油の輸入総量の82パーセントが、ストップするという。その場合、米英、 欧州が即座に攻撃を仕掛け一ヶ月で決着が目安。 国内には半年の備蓄がある ので大丈夫だろうという楽観論もあるが、短期間に決着しないで原油の不足と 高騰が続くと日本経済は大打撃を受けることになる。それも原発の大部分が 停止している現在、非常に際どい事態になる。とはいえ、アメリカも金融恐慌 のさなか、これ以上の出費は出来ない事情もある。しかしホルムズ海峡の閉鎖は 別次元である。イスラエルにとっては原子力施設の攻撃の絶好の機会。 逆に先手爆撃の絶好のチャンスである。 この数百年に一度の大断層の時期に 何が起きても不思議ではない。 アラブにとっても、吹き荒れている動乱の目を ペルシャ湾に向け、その間に、弾圧する機会になる。そうこう考えると、 ユーロ危機も重ね合わせて日々、際どくなっている。 それに対し、日本の政局は内輪もめで、低次元。 「日本人は、ワールドサッカーとオリンピックの差がわかってないのでは?」 と、塩野七生。オリンピックは建前としても、素人の戦い。それに対して ワールドサッカーは、選ばれし金稼ぎのプロが国の名誉と、自分の商品価値を 上げるために死力を尽す。勝ち上がらなければ、何の価値もない。この辺の ところが日本人には分かってないので、マスコミの報道に首を傾げるという。 見ている方は、それを肴に盛り上がりゲームを楽しむ。しかし日本のマスコミ も国民もオリンピックの延長上で論じていているから、奇妙なことになる。 勝てば官軍、負ければ敗軍になって当然である。オリンピックも銀銅をなくし 金一個にしたら盛り上がりは違ってくる。それが出来ないところが、ワールド カップとの差。 今夜は日韓戦があるが、何?は覚悟が違う。 * ところ変われば、意味が違う (字数制限のためカット 2012年1月25日)
―――― 2854, 格差世襲 −2 2009年01月27日(火) リッチ層・貧乏層アンケートの質問と、結果がシビアである。 ・特に教育方針に違いが表れている。 「教育費に関しては負担を惜しむつもりはない」と高いレベルの教育を望む リッチ層に対して貧乏父さんは「人に迷惑をかけない子なら成績は二の次でよい」 「進路は本人の希望を優先したい」という。 自分の5年先も見えないのに、 子どもに十年先のため、勉強しろといえないから、こういう答えになる。 (字数制限のためカット 2012年1月27日) ―― 2853, 格差世襲 −1 2009年01月26日(月) ー 貧困とは溜めのない状態 ー 格差について、一昨年の今時分に(2007年01月25日(木) 階級社会ー不平等社会を考える)で取り上げたことがある。 他にも読書日記で幾つかの本を取り上げた。 ところが先日、図書館で、 半年前の08年8月30日号の「週間ダイヤモンド」を見つけた。 ー「下流」の子は下流? 格差世襲 ー の特集である。 (字数制限のためカット 2016年1月27日) ・・・・・・ 4334, 自殺者増加の意外な要因 2013年01月27日(日) 昨日の朝日新聞に「自殺者増加の意外な要因」のレポートがあった。 去年11月に高校の同級会メンバーが自殺の知らせが入った。何か身につまされる 思いであった。自殺については何度か、ここで書いてきた。これから年々、歳を 重ねるに従い身も心も弱り、重くなっていき、眠るように消滅したいという 隠れた願望が膨らむのだろう。世界保健機構によると、日本の自殺率は先進国で、 ロシア、韓国についで、世界三位という。豊かさからいっても多すぎる。 自殺者の9割が該当するうつ病、アルコール依存症、統合失調症などの精神疾患、 身体的障害、過去のトラウマ、失業や経済的損失、親しい人の死亡などへの 介入が、その防止につながる。 ーこの記事をまとめるとー ○ 女性より男性、既婚者より未婚・離別者、有職者より無職者が自殺が高い。 ○ 中高年で離別した無職男性と、同年代の既婚有職者とでは、約100倍の差。 ○ 男性より女性の方が、自殺者が低いのは、世界共通。 ○ 男女とも自殺手段で多いのは首つり。だが女性は、薬物や自傷行為などが多く、 首つりは男性の三分の一。自殺未遂は女性の方が多く、躊躇がみられる。 ○ 都道府県別にみると、ワースト1位が秋田、2位が岩手、3位が新潟と宮崎、 5位が沖縄。少ないのが1位が奈良、2位が福井、3位が徳島。これらの 共通点は大都会でないことと、飲酒量も関係。飲むと衝動が高くなる。 また県民性もある。 ○ 意外なのは、急傾斜地の地区の自殺率が高いこと。これは、上り下りの労力と 不安定な立地が関係している? ここで、5つの自殺予防因子をあげている。 ゆるやかな繋がりをもった、▽排他傾向が小さい、▽援助を求めることに 抵抗の少ない、▽「どうせ自分なんて」と思わないですむ、▽本質を見て人を 評価するー住民気質が、必要。 ▼ 私の身近でも自殺者が何人かいた。私も青年期に、スーッと梁に紐をかけて 首を吊りそうになったことがあった。さほど死にたいとは思ってではない。 目の前の挫折が、そうさせたというより、死神に数秒、頭が占領された感である。 後にも先にも、こんな経験は無かった。人生は生きていればこそ、こんなに 多くの面白い体験が出来るのである。5つの自殺予防因子といえば、この5つを 兼ね備えている人が8割に思えるのは、どうしてだろう。 ≪ 目先の現象に全てのエネルギーを奪われ、生きる本質を忘れ、同類の排他 傾向の小さな階級社会で、「どうせ自分なんて」と思い悩んで、その世界から 一歩外れた世界に出て交流の出来ない人 ≫ といえば・・ 全ての人? 要は、 自立の問題!こんなに地球は面白いところなのに、何もしている、この人たち! まて、自分も? なら、「一日一生」で生きるしかない。 ・・・・・・ 5430,閑話小題 〜腰痛をおしての除雪作業2時間! 2016年01月27日(水) * 甘利経済相の汚職問題、これ、おかしくないか? 明らかにアメリカとのTPP交渉で宗主国の尾っぽを踏んだ見返りの 謀略? たまたま、日曜の夜に放映された冷戦時代のCIAとKGBの謀略の 秘密映像の録画を、昨日、見たが、時もぴったり。見せしめのたの計画? 甘利というだけ、‘あまり’にも無防備。 * 腰痛をおしての除雪作業2時間! 積雪が1mあり、一昨日、スポーツジムに出かけようとしたが、 駐車場の出入口は除雪をしないと、外出は無理。そこで、ジムのトレーニング 替わりの除雪と割切ることにした。 除雪も結構、面白いが、しかし腰痛には 要注意い! 仕方がない、痛むなら痛めと、恐々始めた。道路の除雪した雪が、 幅7〜8mはある駐車場の出入り口に1m以上もあるため、除雪に2時間を 要した。その後、出入りに余裕をもたせるため、あと1時間は、要すると判明。 腰痛もあり、かって2時間の除雪経験は初めて。昨日あたりに腰痛が出る のでは、と不安だったが、今のところ大丈夫。 ヨガと、エアロビの効果が あったのか。 元もと腰痛は、昭和38年の「長岡三八豪雪」で、長岡高校の 校舎の除雪で痛めたもの。 雪道をジムへの道すがらユックリと運転したが、 雪道は凸凹で、後でみたら、後部は擦った傷跡がシッカリとついていた。 気をつけても、つくのはつく。 * 70からは、診療負担が2割に減額 新しい健康保険証が送られてきた。70歳からの診療負担が3割から 2割負担に減額と、あった。ただ、それだけの話だが、切替日が今月末、 「週末の歯科の予約、来週に変更すれば一割御得!」と、家内が睨む。 ・・・・・・ 5796,「自分」から自由になる沈黙入門 −4 2017年01月27日(金) <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * お嬢さまことばのすすめ 『お嬢さま系学校』出身の家内の御言葉に、結婚以来、何か威厳のような 威圧を受けてきた。 『畜生!』というと、『あらお下品な!』に、まず唖然。 (お下品言葉は実姉達も言わないが)。著者は、男でも、お嬢言葉は参考に なるという。 学生時代の手形が「品性ある言葉使い」。 早大理事の自宅庭先にある25室の、今でいう「シェアハウス」のような寮は、 全国各地の様々な職の実家を持つ学生たちとの共同生活。片方通行の土間の 廊下に、木ドア一枚の仕切り。鍵はかかるが、誰かがドアを叩けば、入室を 断れない不文律があった。何れの実家も裕福そうだが、仕送りはカツカツ?で、 誰も金欠状態。私生活は、自炊・洗濯などの心配で精一杯だったが、二年半ば 頃から、それにも慣れ、学生時代の自由の面白さが出てくる。その頃、軽井沢 山荘のヘルパー仲間や、コンパ、合コンの日帰りバスツアーなどでの女子大生 との出会いの場があった。実践女子、共立女子、聖心女子大などの学生が身近 にいた。そこで吃驚したのが、それぞれの子女の言葉使いの上品さ。 何代か 続いた家系の子女の言葉使いは、それはそれは… まさに以下のお嬢さまことば の羅列。「ごめん遊ばせ」「ご機嫌よう、さようなら」などお嬢言葉が日常会話に 出る世界。「お兄様」「お父様」と「お」付である。他人の評価、悪口、実家の話、 個人の自慢は絶対タブー。卒業と同時に入った流通業の生現場の、カジュアル で、清潔感ある艶っぽさに、優しい女性たちだったが、言葉使いの段差があまり にも…。 言葉と意識の大きな段差に慣れるまでの一時期、奇妙な感覚になって しまった。 カジッタラ?駄目よ、とはいえ… TPOSが整えすぎている。 姉4人の基準があったため、そこで抱え込む?ことはなかった。 〜「お嬢さまことば」をネット検索すると〜 《 ・わたくし =私。 ・〜遊ばす =「ごめん遊ばせ」 ・あら =驚きの言葉。「あらあら、こんなに服を汚しちまつて」 ・いいこと =いいですか。「今度あなたのお家に遊びに行つてもいいこと?」 ・お〜 =「おズボン」「おりぼん」「お花」「おつもり」「およしなさい」 ・〜さま =「お母様」「ごもつともさま」 ・〜さん =「人参さん」「おばかさん」「お茶目さん」 ・随分ねえ=ひどい事を表す表現。「わたくしを点取り虫だなんて、随分ねえ」 ・〜ちやま =親愛感を込めた叮嚀語。「伯母ちやま」 ・なくって? =ないですか?(疑問形) なくってよ =ないのよ ・まあ = 「〜嫌だわ」 ・まし =「ませ」のなまり。叮嚀な依頼。 ・モチ =「もちろん」を縮めた語。女学生の流行り言葉。 「一緒に行きませう」「モチ(もちろん)よ」 ・よくつてよ、よろしくつてよ いいですよ ・〜わ = 〜です。〜だ。決意や主張、驚き等を表す。 「私待つわ」「まあ嫌だわ」 》 ―― ▼ 言葉使いに関して、社会人になるまで厳しく躾けられていた。 しかし、実社会に出たころから流通関係などのサービス業の現場にいた こともあってか、かなり痛んでしまった。それでも標準並み? 出所が城下町で、『おれ』『お前』を普段使うが、都会の学生間ではタブー。 ギョッとした顔で、厳重注意をされた。『男はつらいよ』の主人公が、美人の お嬢さま好み。その言葉使いの段差を巧みに利用し笑いを誘うが、成るほど、 言葉から滲み出る魅力は大きい。 『御免あそばせ、お腹がゆるいので、御不浄に行きますか』 人は時には、誰も知らないところに行きたがるもの。 『あらら、良くってよ』だってさ。<朱に交われば赤くなる>というが。 『それではご機嫌よろしく!』 何かホノボノとしてきた。
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2018年01月26日(金)
『クラウド時代の思考術』パンウドストーン著 * キツネとハリネズミの生き方 経験から知っているのが、スペシャリストか、ジェネラリストでいくかの選択。 これは古代詩人が看破していたこと。学生時代の友人でハッキリしていたのが、 一人の異性とジックリ付き合うタイプと、浅く広く適度に付き合うタイプである。 仕事も、人間関係も然り。「キツネは多くのことを知っているが、ハリネズミ は大事なことをひとつだけ知っている。(アルキロコス)> ‘古代ギリシャの詩人アルキロコスは、人生にはキツネとハリネズミという 2つの生き方があり成功者はしっかりとそれを決めている’と言う。 世界を一つの概念からなるメガネから見るのか? あるいは様々な視点から眺めるか?を決めた人たちが、結果を残してきた。 そして、キツネ型とハリネズミ型の才能が、結びつくと最強なチームが生まれる。 Appleはキツネ(ジョブズ)とハリネズミ(ウォズニアック)の強みの組み合せ で、成功をした。個々の知識と経験を生かせる、さまざまな分野のスペシャリスト たちとコラボの能力が必要となる。自分の強みと他者の強みを組み合わせができる 新種になることが未来の成功のためには、欠かせません。 〜ここで… < 教えるのがいちばん難しいのは、問うべき大事な問題を特定する直感です。 知的好奇心と言ってもよいでしょう… …教育を受けるなら、さまざまな筋肉を たくさん動かせるように、できるだけ多様な科目を学ぶべきです… …専門的な技能はいつでも学べる、そういうことは解決すべき問題に直面したり、 現実的な必要性に迫られたりしたときのほうが学ぶ意欲が高まるものです。専門 を、あまり早い時期に絞り込むのは問題。 あまりに早いタイミングで自分の専門分野を決めるのではなく多様性を重視した ほうが、面白い結果が得られるというのです。 多くの体験や様々な知識があった ほうが、人生を面白くできるのです。シンガポール国立大学学長のタン・チョー ・チュアンも同じように考えています。 私がますます強く感じるのは、幅広い知性の重要性です。理由は2つ。 一つには、私たちが仕事や生活のなかで直面する課題の多くが複雑化している ことがあります。課題がさまざまな分野や領域に関連するようになっている。 幅広い知的基般皿がなければ、複数の分野にまたがる潜在的な関連性を見抜く ことはできないでしょう。 もう一つには、かつては私たちが生涯に手掛ける仕事は3つか4つくらいだと 考えられていましたが、今では平均的な卒業生は10とか12といった種類の 仕事をこなす可能性があります。それらの仕事がいくつもの異なる分野にまた がることも想定されるので、軽快に頭を切り替えられるような知的基盤を持た なくてはいけないのです。≫ ー――― ▼ この例えからすると、私は明らかに「キツネの生き方」の要素が強かった。 しかし準備期間15年を含めた45年の仕事人生は、ハリネズミである。 この随想日記も17年間、続いたのだからハリネズミだが、内容はキツネ? それともハリネズミ? 私のライフワークの、『地球景観・観光ツアー』。 行先は、ハリネズミというより、キツネ。地球を碁盤目に見たて、外側から 埋めていく。少し贅沢であったが、コストの10倍の価値が充分にあった。 殆どが観光シーズン終了際のキワモノ狙い。その情報探しから、楽しむ。 51回の内容を振返って、深さをもっと実感するには、半分をケニア・ タンザニアか、スペインに集中する選択もあった。しかし、8割の全てがベスト と思えるため、これで間違いはなかった。 さて今、「キツネとハリネズミの対話」を思いついた! 面白そう。 司会を大家さん、対談仲間に、熊さん、寅さんを入れて… 近々に?
・・・・・・ 3593, 誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 −1 2011年01月26日(水) 「誰も書かなかったアメリカ人の深層心理 」 加藤 諦三 (著) 普段、マスコミなどから受けるアメリカと、著者が、ここで述べている 内容とは大きな隔たりがある。度々、アメリカに滞在した普通の目線で 平均的なアメリカ人を描写し、合せ鏡で日本人を見ている。 日本人が誤解しているアメリカ像が、現在の日本社会を疲弊させている という論には納得する。 ーアマゾンの内容紹介よりー ≪ なぜリーマンショック後、平気で多額の報酬を受け取ろうとするのか? アメリカ人は、本当は何かを考えているのか。 経済格差の国・アメリカと、 幸福格差の国・日本。世界一楽観主義の国・アメリカと、悲観主義の国・日本… 長年、アメリカ・ハーバード大学で准研究員として活動を行ってきた心理学の 第一人者の著者が、そのベースにある彼らの宗教観や家庭観などから紐解いて、 初めて綴った目からうろこのアメリカ人論。 〈レビュー1〉 この本ではマスコミなどで流布されている米国像とは異なる、 米国の一般の人々の社会における価値観、その元になる宗教、特にプロテス タンティズムについての考察を通じて、日米社会の違い、さらには現代の日本が 抱える最重要課題、日本における人々の社会への不信感について論じている。 そうした不信感が人々のきずなを失わせ、米国とは大きく違う日本社会に 米国流の競争システムを導入する問題を指摘している。実際、この10年で 大きく日本社会は壊れてしまったのではないか。 では日本における心の問題を 社会レベルでどのように解決していけばいいのだろうか。著者は宗教の重要性に ついて述べているが、日本では宗教は儀式化しており、生きる知恵を授ける 存在になっていない〉 ▼ 著者は、ここで哲学者のアドラーの言葉を借りて、アメリカの金融資本 主義者の殆どが深刻なノイローゼ患者という。そのほんの少しの患者を、 一般のアメリカ人と解釈するのは間違っていると。 彼等は子供のときから スポイルされ、幼児の頃から他人のなしとげたものを如何に搾取するかの訓練が 出来ている。そして、そのノイローゼ患者は、大衆に影響を与える。 この人たちが、心の基準のない日本人に与えた影響は深刻である。 日本人が経済的豊かさにあるに係わらず、幸福と感じないのは「心の基準」 を見失っているからでないかと指摘する。人が社会性を生み出すのは、 カレン・ホルティのいう「積極的感情」である。それが日本になくなって いるのが、現在の日本である。日本の少子化と高齢化もあるが。 ーつづく ・・・・・・ 5429,人生で最も大切な技術 ー 苦悩と不幸の違い 2016年01月26日(火) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 苦しみと不幸の違い ことにあたった時、〔幸福の状態とは、ポジティブ3に、ネガティブ1〕 と、自問自答すると、嫌な気分が早々に消えていく。良いことが続いたら、 〔今に、マイナスが起こるだろうが、敢えて受けとめる〕と、有頂天に ならないよう気をつけてはいたが、これが難しい! で、この様。人生を 俯瞰すると、どん底の時節に素晴らしいことが集中していた。 苦しみ、 不幸には、安楽がソッと傍に控えて支えてくれている。当人は、それに 気づく心の余裕がないためだが、辛いときは心底、辛い!〜その辺りから〜 ≪ 幸福と快楽の違いを考えたところで、心身の苦痛や苦難と不幸を区別 する必要がある。 苦難は外から被るもので、不幸は自らが作りだす。 サンスクリット語にドウッカという言葉がある。これはスカの反語で、 定義は、「不快な感覚だけに留まらず、究極的に厭世観にながる苦しみ、 痛みに対する基本的な脆さ、生きることが無意味で価値がない状態」と なっている。 サルトルは著書『嘔吐』の主人公にこう言わせている。 【 もしも存在とはなんであるかと問われたならば、私は誠意をもって、 まったく無意味なもの、空虚な入れ物である、と答えたであろう。 私たちは自分自身に当惑し気詰まりな存在の群れであって、誰も彼も、 そこにいることの理由を少しも持たなかった。それぞれ存在するものは、 当惑し、なんとなく不安で、互いに他のものとの関係において余計なもの である、ということを感じていた… ところでこの私もまた余計なもの だった …これら余計な存在の少なくともひとつを消滅させるために、 自分を抹殺することを漠然と思い描いてみた。 】 自分がこの世から居なくなった方がいい、と信じることが自殺者に共通する 動機である。苦しみ(苦難)は、無数の原因によって生じる。中には自分の力で 何とかできるものもあれば、まったく無力のこともある。身体障害者として 生れたり、病に侵されたり、愛する者を失ったり、戦争や天災に巻き込まれる、 等の苦しみは不可抗力である。それに引きかえ不幸はまったく違う。 なぜなら、不幸は、外的な条件によって生じる身体的、道徳的な苦痛と 関連するとはいえ、本質的な関係はない。 四肢麻痺に関する研究によると、麻痺が生じた直後に大半の障害者が 自殺を考えるそうだが、一年後には10%だけが惨めな人生と考えているという。 残りの90%は、生きることの素晴らしさを考えているのである。苦しみを不幸 と解釈するのが心の在り方であるのと同様、それをどう理解するかを支配する のも心である。世界観を管理、知覚、解釈する流儀をわずかに変化させるだけ で、私たちの在り様が大きく変わるのである。移ろいやすい感情を経験する 仕方を変化させることが、気分と在り様を永久に変えることにつながる。 人間を悩まし続ける苦しみを消滅させることになるこの「治療法」は、 人間として生きるに最適な生気溢れる状態をもたらしてくれる。≫ ▼ ネットで四肢麻痺を検索すると、 【いずれの場合にせよ,対麻痺では,上肢は健全なので,車椅子の使用により 日常生活を営むことがかなりの程度まで可能である。しかし,脊髄損傷が頸髄 に生じたり,末梢神経や筋肉の病気が下肢だけでなく上肢にも生ずるような ことがあれば,上肢も下肢も運動麻痺を生じ,四肢麻痺となってしまう。 四肢麻痺は左右の上下肢がすべて運動麻痺に陥った状態であり,頸髄損傷による ものでは,下肢の痙性対麻痺に上肢の弛緩性麻痺が加わって生ずるものである…】 とあった。この状態で、90%の人が生きることの素晴らしさを感じているとは! 四肢麻痺は、動物から植物(人間)へ移行するようなもの。その状態を瞑想と 内的変化で割切らざるを得ない結果、生きることの幸せに気づくののか? 急に盲目になったり、四肢麻痺になったとしたら、死にたって当然だが、 一年で90%の人が、これ以上ない絶望の淵から逆照射した諦めの心境が、 その事態を受入れる、強烈な力が湧き出るためである。 〜〜 4700,閑話小題 ーシネマの観客は、私一人! 2014年01月26日(日) * 映画館貸切?の念願成就! 映画館を、一人貸切ってみたいと思っていたところ、奇しくも、 その思いが成就。一度、上映の直前まで一人だったが、数分前に5〜6人が 入って来てガッカリしたことがあったが・・ 一昨日は、4〜5百人の会場に 私が一人だけ。 その感想は、映画に集中できるのがベスト。 内容は、宇宙もの『エンダーのゲーム』で、期待してない分だけ、面白かった。 若者のゲームの物語に参加して、手軽に自分の枠を超えて宇宙に開放される 感覚がよい。一晩、飲みに出歩いたと同じぐらい? とすると、一割以下のコストは価値がある! * 近所の喫茶店 二度目になるが、一昨日の午前中、近くのチェーン店の喫茶店 『米田コーヒー』に行く。一〇時過ぎから一時間半いたが、11時までは トーストと卵がサービスでつくためか、広い店内は満席。何か落ち着くのは 何だろう? ほぼ老夫婦か、中年女性づれ。それが昼飯かわりになって 夕方まで腹持ちがした。100席+別席で150席。値段は400円なら、 価値がある。コーヒー・パンレストランという風。 * ウィリアム・ブレイク の詩が良い!ー『無垢の予示』より 人の定めとしての喜びと傷心、希望と絶望、幸と不幸・・ まさしく、 これらを「正しく知ったとき」、私たちはこの世を無事に進んでいける。 ―― 一粒の砂に世界を見/ 一輪の花に天国を見る/ 手のひらに無限を/ ひとときに永遠をつかむ ・・・・・・ 5065,あわいの力 ー 2015年01月26日(月) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * お能の世界とは この本を読んで、長岡高校の講堂で『能』を観た時、その幽玄の世界に 魅入ったことを思い出した。以来、TVで何度か観たことがあったが、知って いることは、シテと、ワキの存在ぐらい。 ネット辞書によると、 <芸能としての起源は、飛鳥〜奈良時代に遡る。観阿弥・世阿弥・金春禅竹 から現代まで約7百年。江戸幕府の終焉とともに衰退したが、明治中期に、 その状況を憂える文化人や資産家の尽力によって復興へ向かい始めた。 猿楽に代わる「能楽」という用語も広まった。 現在、ユネスコの 「人類の口承および無形遺産の傑作宣言」を受け、2001年「世界無形文化遺産」 として登録されて、少し演能が盛んになり、神社やお寺での薪能なども増えた ように見受けられる。>とある。登場人物の役割を序文に簡潔に説明してある ≪・能には、シテとワキという二人の主要な登場人物がいます。 シテは面をつけ舞台で華やかに舞い、ダイナミックに飛んだり跳ねたりする。 能といわれて普通の人が思い浮かべるのは、このシテでしょう。 ・ワキは、面をつけることもなければ、派手に立ち回ることもない。 装束も地味で、目立った活躍をすることもありません。 ほとんどの時間、舞台上でじっと座っている。 ・シテを演じる役割の人をシテ方、ワキをの役割の人をワキ方といいます。 能の世界は、シテ方の人は一生シテを演じ、ワキ方の人生ワキを演じます。 能楽師の家に生まれた人は、生まれたときから決まりますが、私のように外の 世界から入ってきた者の場合は、その道が決まるのは、能の世界に入るとき。 シテの師匠に弟子入りしたら一生シテ方だし、ワキ方の師匠に弟子入りしたら 一生ワキ方です。ワキ方が、「今日はちょっと面をつけてみたいな」とたまに シテ方を演じるようなことはありません。 ・私は、高校教師をしていた25才の時、ワキを演じる師匠の姿に魅せられたのが きっかけで弟子入りをして、ワキ方になりました。ですが、どうもこの 「ワキをわざわざ選ぶ」というのは、一般の人たちだけでなく、能の世界に いる人たちからもときどき不思議がられます。「なぜワキ方なんか選んだのか」 などと聞かれたりします。「ワキなんか」か、とは失礼ですが、シテ方には面、 笛方には笛、鼓方には鼓という「お道具」がある。しかし、ワキ方は何もない じゃないか、そう言うのです。・・・ ≫ ▼ 小中学校の同級生の一歳年上の兄が能楽のシテで、地元紙に、『続けている 内に、シテの役割の人か、現実の自分が混同するようになった』と、その幽玄 の世界の魅力を書いていたが、談志の『芝浜』に似ている。最近、若い女優が インタビューで、一年間、地方で、あるヒロインを撮影した感想を述べていた。 『自分と、演じている役割との間にある皮膜を如何に薄くするか、に苦心した!』 ・・・・・ 4333, 自己とつきあうということ −3 2013年01月26日(土) 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) * 自己の主題化とは、変化する自分を距離を置いてみる自分を見つめること! ≪ われわれは万年筆や鉛筆といった事物と異なり、不断に生成し続ける存在 であり、同時にその途上にあって、しばしば自己へのかかわりを課せられる ような存在である。われわれは、事物や植物や多くの動物のように自己の存在を 意識することなく生きることはできず、自己や自己の生にかかわりをもちつつ 存在することを余儀なくさせられるのである。年齢的な変化とそれに伴う生成の 途上で、自己に関連することで言えば、自分がどのように変化しているのかを 問うこと、自分がどのような位置にいるのかを確認すること、自分がどのような 方向に進めぱよいのかを探ることなどは、誰にも避けられないであろう。 自己が自己を問うということは、自己をひとつの問題として意識することであり、 自己のなかに問うに値するものを見いだすということである。それはまた、自己 といった課せられた問いとして積極的にひき受けることでもある。 そして、その問いを実りあるものにするためには、自己のおかれている状況や 変化に対して注意深く見つめていなければならない。 自己の主題化とは、 状況のなかで変化した、あるいは変化しつつある自己の姿を一定の距離を置いて 何度も眺め変す試みである。しかし、それにとどまらず自己の変化を観察する 自分自身をも距離をおいて捉えなおす試みでもある。自己が生成の途上にある かぎり、この試みは何度もくりかえされ、そのつど異なった自己の姿が あらわれてくるであろう。・・・ ≫ ▼ この随想日記の楽しみは露悪的、自虐的に自分を曝け出すことである。 それは、自分を上から目線で見つめることになる。それを続けていると、 書いた数年後に、上から目線の自分を、さらに上から見ることが出来るようになる。 だから、自虐をしている自分を見下している己もまた、自動的に見ている自分が 出来ている。毎年の同月同日に、10数年分の、これを毎朝、読み返している。 その時々の視線と視点が、デズニーのキャラを見ているようで、それがまた面白い。 それは自分自身だけでなく、その対象にした人、出来事をも上から目線でみる ことが出来る。だから、極限の喜怒哀楽の現象も、冷静に再体験することが出来る。 晩年に、多くの人が自分史を書くのは、自分の人生を主題とした物語として、 書き残すため。他からみたら大したことでないが、本人からしたら人生は自分が ヒーローである。 変化する自分を予め物語としての粗筋と、生きる指標を 決めておくとおかないで大きく違ってくる。最期は、‘面白かった!’ と実感できるかだ。
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6161,5年前の『ブラック・スワン』の読書日記・再読 |
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2018年01月25日(木)
‘ブラック・スワン’のキーワードを目にして、以前、テーマにしたことを 思いだしHP内検索をしたところ、5年前の文章が出てきた。当時は、北朝鮮問題 は今ほど深刻化でなかった。 一年数ヶ月前の2011年11月に父親の金正日が死去。 権力継承から日が浅く、ここまで緊迫した事態になろうとは思いもよらなかった。 このテーマを書いてから5年、開戦前夜の緊迫感が漂い、ブラック・スワン( 「第二次朝鮮戦争」)の鳴声がチラホラ生生しく…。鳴声は幻聴か?と耳を疑い 聞こえぬ素振り。『まさか朝鮮半島と、日本と合わせて数百万人単位の犠牲者が 出る核戦争が起きるわけがない』が、本心だろう。しかし、72年前に、広島、 長崎に原爆が投下され数十万の市民が爆殺された。太平洋戦争では市民を含め 300万人が犠牲になった。 悪いことに、去年、ロシアの?で、白人第一主義の トランプ大統領が就任。そこに北朝鮮が核開発とミサイルの実験で挑発。 ダメ押しで第三国が開戦のキッカケの謀略でも仕掛ければ!凄惨な核戦争勃発も 充分に有り得る話。正月に首都圏から帰省した次男に、『万一の場合は、疎開先 として迷わず、ここに向かいなさい。』と進言。50年近く前は、ドルショックと、 石油ショックが起き。20数年前にはバブルと、その崩壊で日米経済戦争に敗れた。 そして2001年の9:11テロと、報復のアフガンとイラク戦争。2008年のリーマン ショックと、東北大震と福島第二原発事故が起こった。そして全国各地で地震と 火山噴火が相次いでいる。その流れからして、朝鮮有事があっても不思議でない。 こうなると、‘ブラック・スワン’と呼べないかも。 ここで、 < 毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は、 「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く>と。 ある朝、起きて開戦勃発を知った数日後に、それまでの世界が一変する。 去年の一年間で、北朝鮮の難破船、いや魚舟が100数舟も死体とともに漂着した。 ミサイルを日本上空を超えて何度も打込み、「東京を火の海にする!」と恫喝。 5年前とは全く違った状況に。一年後の正月明けの今日、どんな状況で、この 文章を読むことになるのだろう。 「その前に、病死の心配しろ!」ですか。 ――――― 4381, ブラック・スワン −1 2013年03月15日(金) 「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」 ナシーム・ニコラス・タレブ著 衝撃的で、世界の見方は一変しなくとも大きく変わるはず。近くに数羽、 来ているが、何の化身か分からない。とてつも恐ろしそうなのは分かるが… 人間など儚いもの。 ーまずは、アマゾンのないよう説明からー ■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か? むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者 など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地 には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、この新しい 発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」は、この逸話に由来する。 ほとんどありえない事象、誰も予想しなかった事象の意味である。 タレブによれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。 一つは予測できないこと。 二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。 三つ目は、いったん起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際 よりも偶然には見えなくなったり、最初からわかっていたような気にさせられ たりする。 ■ 世界の見方を変える書 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、とタレブ は言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。私たちはどうでもよくて取るに 足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に虚を つかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、私たち にはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。 「ブラック・スワン」に立向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示。 ーまずは、レビューよりー ≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。 サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態 は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し聞き かじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。 しかし、そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測 できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な 不確実性の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は 一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴。 一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する。 しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、講釈 になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果をもたらす にも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な七面鳥は 「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。ただし、 その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。限定された経験 から安易に結論を導き出すことへの警鐘。たしかに、今回の金融危機で沢山の 七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫ ▼ 9・11、リーマンショック、3・11は、ブラック・スワンそのもの。 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。これは、このような 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。 だから、 人生は面白く、刺激に満ちている。 ――――― 2013/03/16 ブラック・スワン ー2 「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」 ナシーム・ニコラス・タレブ著 書店で数年前から何度か手に取ったが買わなかった。 が、衝撃的で、 世界の見方は一変しなくとも変わるはず。どうも、近くに数羽、来ているよう だが、「何の化身」か今のところ分からない。人間など儚いものである。 ーまずは、アマゾンのないよう説明からー ■「ブラック・スワン(黒い白鳥)」とは何か? むかし西洋では、白鳥と言えば白いものと決まっていた。そのことを疑う者 など一人もいなかった。ところがオーストラリア大陸の発見によって、かの地 には黒い白鳥がいることがわかった。 白鳥は白いという常識は、この新しい 発見によって覆ってしまった。「ブラック・スワン」とは、この逸話に由来する。 ほとんどありえない事象、 誰も予想しなかった事象の意味である。タレブに よれば、「ブラック・スワン」には三つの特徴がある。一つは予測できないこと。 二つ目は非常に強いインパクトをもたらすこと。そして三つ目は、いったん 起きてしまうと、いかにもそれらしい説明がなされ、実際よりも偶然には見え なくなったり、最初からわかっていたような気にさせられたりする。 ■ 世界の見方を変える書 私たちは自分で思っているほど実際には物事をよくわかっていない、と著者 は言う。彼はそんな現象を長年研究してきた。 私たちはどうでもよくて取る に足らないことにばかり気をとられてしまう。そして相変わらず重大な事件に 虚をつかれ、そんな事件が私たちの世界を形づくっていく。本書でタレブは、 私たちにはわかっていないとわかっていることのすべてを語る。 「ブラック・スワン」に立向かい、それを利用できる驚くほど簡単な方法を提示。 ーまずは、レビューよりー ≪ ブラック・スワンが象徴するのは、理論というものを「検証」することは 非常に難しく、「反証」することは非常にたやすい、ということ。我々は常に ブラック・スワンを発見してからしか、ブラック・スワンを含む理論を作れない。 サブプライム問題に代表されるような、ファイナンス理論が想定していない事態 は、そもそも理論で管理することが不可能なこと!金融論や投資理論を少し 聞きかじると、リスク、期待値、確率、変動率などわかった気になる。 しかし、そうした業界で議論されているリスクとはカジノゲームと同じで計測 できるリスクに過ぎず、私たちが現実に直面する現実は、計測自体不可能な 不確実性の方が圧倒的に多い。そしてちょっと判った気になった程度が、実は 一番危険だと本書は教えてくれる。「黒い白鳥」とは極めて稀な出来事の象徴。 <一羽の黒い白鳥が舞い降りただけで、それまですべてのことが崩壊する> しかも、世間は判りやすい講釈のついた黒い白鳥には過剰反応する一方で、 講釈になじまない黒い白鳥の存在可能性は無視される。それが重大な結果を もたらすにも関わらずだ。毎日たんまり餌をもらって暮らしていた経験主義的な 七面鳥は「世界は気前よく餌をくれる人間でいっぱいだ」という世界観を抱く。 ただし、その経験主義的な七面鳥の世界観は感謝祭の前日に崩壊する。 限定された経験から安易に結論を導き出すことへの警鐘。たしかに、今回の 金融危機で沢山の七面鳥が悲鳴を上げたことは間違いない。≫ ▼ 9・11、リーマンショック、東北地震3・11は、ブラック・スワンそのもの。 「まさか」の出来事で、起こって初めて気づくこと。 これは、このような 歴史的大事件だけでなく、日常の中の出来事で多く見られる。だから、人生は 面白く、刺激に満ちている。 ――――― ブラック・スワン ー3 2013/03/24 「ブラック・スワン ―不確実性とリスクの本質」 ナシーム・ニコラス・タレブ著 * 2023年までに予測されるブラック・スワンは? これから10年後の2023年までに予測されるブラック・スワンは、何だろう。 大雑把でいえば世界恐慌と大戦。今世紀に入って13年になるが、9・11テロ、 リーマンショック、3・11に代表される多くの黒鳥が、舞い降りてきた。 さらに、その黒鳥の仲間が近くに来ているが、いつ舞い降りるのか分からない。 地震などの天変地異、経済動乱、戦争が何かのキッカケで突然起ことになる。 しかし、恐れていては何も出来はしなし、あとは備えをするしかない。 ブラック・スワンは、歴史的大事件だけでなく、身辺の出来事にも起こっている。 人生はマサカという形で、ある日、突然に、我われに襲いかかる。特に断絶の 境目には起きやすい。情報機器の進化は、とどまることなく進化し、情報や知識 は大量に私たちに押し寄せ、それがブラック・スワンを呼び寄せる(天変地異 を除くが)。これだけは、来てみて初めて分かること。 1〜2年スパンでは、イランの核施設へのイスラエル攻撃。それと欧州危機と 破綻か、分裂か、朝鮮戦争の勃発あたりか。地震か富士山噴火も考えられる。 「まさか」だから、こう書いていること以上のことが起こるはず。10年前に、 現在まで舞い降りてきた黒鳥を想像できようはずがない。昨日、シネマで「相棒」 の劇場版をみてきた。《殺人事件の背後に、官僚と政治家による銀行閉鎖の 「X−day」のネット上での暴露が隠されていた…》というリアルな脚本。 数日前にキプロスで銀行閉鎖があったこともあり、現実味がある切実な問題。 明日にでも、ここで書くが、アベノミクスの批判とも受け取れる内容。 意図的にハイパーインフレを起こし、銀行閉鎖を? ウソでないから恐ろしい。 ある日を境に、黒鳥が一定の間隔を保ちながら、次々と舞い降りてくる。 今世紀に入って現在に至るまで、舞い降りてきた黒鳥ように。
・・・・・・・ 3957, 他人を責める「新型うつ」について ー3 2012年01月25日(水) * うつ病患者と自殺の異常増加の原因とは ー日本の論点2012ー 他人を責める「新型うつ」片田珠美 このレポートで「増加の一途のうつ病患者」について、次のようにある。 ≪ 国内のうつ病の患者数は、1996年には43万人程度だったのが、2008年には 100万人を超え、いまや15人に1人が、生涯に一度はうつ病を経験するという。 うつ病の増加は、日本だけでなく世界的な傾向である。1970〜80年にかけて おこなわれたコロンビア大学による世界各地の疫学調査では、北米.西欧州、 中東、アジアなどの各国すべてで、うつ病が増えているとの結果がでている。 アメリカでは年間2000万人がうつ病にかかり、全米保健統計センターの調査で、 1994年には2万人程度だった子どものうつ病が、03年には80万人と、なんと 40倍に増加したと報告されている。 ・・・≫ ▼この異常の増加には、製薬会社の陰謀?があるようだ。DSMという米国流診断 基準が大きく影響しているという。「うつ病とは何か」を考えることをいったん 止めて、「うつ病とは、これこれといういうもののこと」と勝手に定義をして、 その基準にあわせて、それまで病気でないものを、どんどん、「うつ病」に 仕立て上げていった。要するに、うつ病の基準を広げ裾野が広まったための増加。 それと時を同じくしてSSRIという抗鬱剤の新薬が販売された。ちょっとした 落ち込みでも「うつ」でないかと、直ぐに受診する人が増え、この薬を飲む人 が急増していった。「うつは心の風邪」というキャッチフレーズは、この新薬の 発売にあわせて広められたもの。しかし、この薬が普及するにつれ、自殺者の 数が爆発的に増えていった。実は、この薬は自殺念慮を惹起させる副作用 があるという。また、イライラや攻撃性が強くなる作用があるという。 ある温和な人が突然、狂ったように人の陰口をいっている現場を見たことが あるが、あれは薬の作用だった?とすると、納得する。ハッピードラッグの 副作用も、一つ間違うと大きな挫折を伴うことになる。私も何人もの身近の人に、 気楽に通院を勧めていたが、ハッピードラッグの副作用までは知らなかった。 合法的とはいえ、ドラッグはドラッグ。 考えてみれば酒も一種の麻薬の類。 これもハッピーウォーターになる。疲れや心を癒すが、一つ間違えればアル中。 うつを和らげるが、身体に蓄積していく。 ・・・・・・ 5064,あわいの力 ー 2015年01月25日(日) ーあわいの力 「心の時代」の次を生きるー安田登(著) * シテの「あわい」の役割 夜八時に就寝し、午前一時には目が覚め、四時に起床するまでは朦朧とした 半睡状態。そこは無意識という異界と、現実の間を漂う「あわい」の世界。 そして起床、この随想日記の書上げをしている。 まずは〜アマゾンの案内〜 《 古代人には「心」がなかった―― 「心」が生まれて3000年。 「心の時代」と言われる現代、自殺や精神疾患の増加が象徴的に示すように、 人類は自らがつくり出した「心」の副作用に押し潰されようとしている。 そろそろ、「心」に代わる何かが生まれてくるのではないか? シュメール語、甲骨文字、聖書、短歌、俳句・・・。 古今東西の「身体知」を知りつくす能楽師・安田登氏が 「心」の文字の起源から次の時代のヒントを探る。 あっちとこっちをつなぐ不思議な力! 異界と現実の間(あわい)の存在(能におけるワキ方)であり、 古代文字の研究も重ねる著者が、まったく新しい時代の姿を求め、 「あわい」の世界に飛び込んだ・・・! 可能性は、「日本人の身体」にあり!? ≫ ▼ 先日書いた『中の人・外の人』で(一年の間、縫いぐるみを着て外出した 経験を持つ筆者が、縫いぐるみの「うち」「そと」の『あわい』について 書いいた。 また彼が現在、住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」 の使い方が絶妙であると指摘。それは内面と外面が違うという単純なことでなく、 「うち」「そと」のあわい、中間領域を共有しながら京都の暮らしは営まれて いることを指摘する。宇宙に漂う人間の心の背景の「間」にヒントが? この時間も、毎日書いている、この文章も、「あわい」になる。 とすると、現実と思っている日々そのものも、「あわい」。 ・・・・・・ 5794,閑話小題 〜つれづれに大相撲 〜 2017年01月25日(水) * つれづれに大相撲 〜 何を間違えたか、稀勢の里が優勝をして横綱になった。「実力だけでは なれないのが横綱。その一番大切な何かが稀勢の里には欠けている」と横綱・ 白鵬に言わせた何かが、今場所には付いたのか。それとも実力が備わったのか。 二人の横綱が途中休場をしたことも、プラスに働いた。 父親が、「息子が横綱 になるのが気の毒だ」と言わせしめた気の弱さ優しさ。 もう直ぐ31歳の遅咲き、 3年以上は綱を張りたいのだろうが、無理? 名大関で終わる典型的な力士に見え たが。 そろそろ不祥事が起きる時期に入った。丁髷姿で大柄で、目立つため、公共の 場で、派手に遊べない。「谷町」も、以前のように祝儀も貰えない時節、結局、 巧妙に近づいてくるヤクザや、芸能世界の玩具にされる状況は変わらない。 * 名前の由来 以前、書いたことがあるが、父方の法事の隣席に、「家老」という名の風格の ある人がいた。市会議員に、その名の人がいたようだったが… 名前が名前だけ に印象が残っていたが、当人?。 選挙のための源氏名としては非常に有効。 酒を酌み交すうちに、「立派な名前ですね。元は何処のご家老様ですか?」と 話を向けると、慣れたもの。 <いや、そんな大それた由来ではなく、元もとは 「螻」で、オケラと馬鹿にされるので、改名を考えた時、せっかくなら「家老」 と思い立っただけ>とのこと。 小学校の4年時に「けら写真館」の娘さんが隣席 になったことがあったが、「オケラ」などの揶揄いはなかったようだ… 学生時代に大恋愛をして結婚をしたが、早々にガンで亡くなったと聞いていた。 大学生時代に「小作」「渥美清」という名がいたし… 確率からして、27人 集まると一組は同じ名がいるという。名前は、ミニ物語というが。
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6160,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −5 |
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2018年01月24日(水)
熊さん: まだネタ切れが続いていますか。ったく。 八つぁん: そういう日が二日も続くのは珍しいよ。こうなれば頼れるのは 熊さん、寅さんだけだよ。 寅さん: まあ、いいけど。今日は大相撲のことで、口を濁せばいいんだろう。 熊さん: 白鵬が、早々に休んだね。張り手と肘打ちを禁じらると、この様さ。 来場所、優勝すれば、充分と思っているのだろう。相撲協会も、次の横綱 候補が出てくるまでは何とか鶴竜と2人で持たせたいのさ。 白鵬の両足の 親指の骨折もあるが… 八つぁん: 男色行司のセクハラが加わった上に、今度はエジプト人の大砂嵐の 「無免許運転事故事件」が発覚。早速、休場じゃあ。 防犯カメラに映って いるのに、言い逃れとは!下手すると追放だよ。協会も、親方も、これだけ は防ぎようがないよ。 寅さん: しかし相撲内容は、ガチンコ(八百長無しの真剣勝負)で面白いね。 立合いの一瞬の勝負というところも面白いね。 大家さん: こと相撲なら、ワシが出てこないと… 第二群に、阿炎、朝の山、 豊山、モンゴルの水戸龍とかが控えているし、その後には、今場所デビュー した大鵬の孫と、朝青龍の甥っ子もいる。その前に、逸ノ城の再生もあるね。 熊さん: 日馬富士、どうするのだろうね。国に帰ってもつまらないし。 唯一、鶴竜が伸び伸びと頑張ってるね。 寅さん: 白鵬と日馬富士の重しが取れたからさ。稀勢の里は、どう? 大家さん: 下半身が細って踏ん張りがきかないのは、引退前の力士の特徴。 復活など夢のまた夢。絶望的さ。前の朝潮の引退時とそっくり。 八つぁん: 来場所、白鵬の復活が無かったら、引退しかないね。八百長も、 張手も、肘打ちも無理ならね。40回の優勝って何だったのだろうね。 昇進と優勝実績に、人間的成長がついていけなかっただけですか。 大家さん: 基礎教育もない、モンゴル人に品格を求めるのは土台無理。 要するに、「国技の最高の座に相応しい品格があるフリをしろ」という ことでしょう。どのみち、神前の余興でしかないもの。 熊さん: それにしては、次の横綱候補が見当たらないね。 八つぁん: あと二年を白鶴コンビで持たせて… 白鵬が引退をすることで、 全体が活性化するんじゃないですか。それと、国技とかいっての無税の 特権を放棄すべきと思うが… 海外に門戸を開いてしまったのだから… 寅さん: 毎回、引っ張り出され、話しているけど、内容は殆ど同じじゃない? これじゃ、詰まらないよ。私らを引っ張り出したせいか、品格が落ちたよ。 自分でいうのも何だがね。 八つぁん: 池田晶子女史じゃないが、ソクラテスを出したり、大川隆法の 有名人の降臨をさせ対話じゃないがね… 八つぁん: 最近、土俵周り客の観察が面白いよ。 大家さん: 私も、アンタに言われて見ているけど。面白いよ。 東京場所だと、有名人をカメラ目線の先に芸者とか、水商売の思われる 人を置いてるね。砂かぶりは、一般人の入手は難しいというがね。 寅さん: 携帯電話に知人らしき人から、頻繁に電話が入っているようだし、 スマホで撮った写真を送っているようだしね。砂かぶり席から直接生中継 映像の配信も、既にあるかもしれない。 熊さん: 野球の審判の帽子にカメラをつけた映像を時々みるが、行司の冠に つけても良いんじゃない。どうでもいいことか。 八つぁん: それにしても、10年、20年前に比べて段違いに面白くなっている。 ガチンコが多くなったからですよ。大家さん、熊さん、寅さんのファンは? 私は、実は見当たらない。宇良、炎鵬と、豊山、遠藤あたり。 そして、突いて引くしかない千代大龍と千代丸。 大家さん: 御嶽海、幕下の炎鵬あたり。 熊さん: 日馬富士だったが、辞めさせらたので、今では宇良。それと逸ノ城。 寅さん: 阿炎と遠藤。強いのか弱いのか分からないのがよい。
・・・・・・ 4698, シニアの人生設計は三年の中期計画を 2014年01月24日(金) * シニアは「何事も予防に勝る良薬なし」でいく ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) シニアは3年の中期計画で、年ごとに、一年をプラスする方式は納得できる。 ーその辺りを抜粋 《 現在、自分が65歳と仮にすると、乎均寿命へ男79・5歳ー65歳=14・5歳、 女86.3歳ー65歳=21.3歳)が人生の残り時間の目安となります(この男女間の 6年間余の時間差は夫婦の人生設計図を描くうえで重要な意味を持ちます)。 さらに健康寿命で考えると、男70・4歳ー65歳=5.4歳、女73.6歳ー65歳=8.6歳 となります。平均寿命-健康寿命"不健康期間と考えると、男性は9.1年、女性は 12・7年という長い時間になります。これらの基礎的な数字を踏まえたうえで 人生設計図を描くとしても、10年以上にわたる長期プランは、不確定要素の 大きさからみて現実的とは思えません。そこで3年間の中期計画でローリングで (1年目が終わったら4年目を入れて)常にこれからの3年間を計画対象とするのは 如何か。10先を見通すのは困難でも、これから3年間だけを視野に入れて計画を 毎年修正していくのならある程度・具体的な数字を書き込むことができるはず。》 ▼ 二年前のOECD加盟各国の平均寿命は、日本が82.6歳で34ヵ国中トップ だったが、死ぬまでの不健康期間が、その分、増えたことになる。 で、私は平均健康寿命年齢まで2年半しかない? とすると元気な現在、 何をすべきかを、より真摯に考えなければならない。しかし50代までに 個人として、やりたい事を終え、65歳で会社関係が・・ さほど焦りはない。 男70・4歳の平均不健康年齢からみて、寝たきりや入院などの介護を受けている 人が、身辺の3分1は存在している筈だが、知人にさほど見当たらない。 元気な人しか会などに出てこないため? シニアは、病気に関して予防が第一。 お金に関しては、まず手堅く、専守防衛が基本。3年の中期計画として、身辺 の物理的整理(処分)ぐらいだが、こうなると、私個人の資産が何も無いのが プラスに感じる。言い残したいことは、この随想日記に、13年近くかけて、 ほぼ書き出してある。 で、振り返ってみて、この詩を思い出した! * 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だぞ 馬鹿者共 生きてゐる事は滑稽な事だ 「滑稽」 高橋新吉 *「何もないのだ/わかったか/わかるということもないのだ」 高橋新吉 ・・・・・ 4331, 自己とつきあうということ ー1 2013年01月24日(木) * 自己への思考の旅 「自己の探究―自己とつきあうということ」和田 渡 (著) 哲学者のソクラテス、モンテーニュ、パスカルなどを取り上げながら 「自己とつきあうということ」を考える書である。アマゾンの紹介には、 【 悩む人も、悩まない人にも。モンテーニュら偉大な思想家たちの思索を たどりながら、他者や世界と繋がる自己発見への旅。そして、誰もがそこから 逃れられない厄介な「自己」とのよりよい関係の構築を模索する。】とある。 6年前に買って目を通したが、熟読はしてなかった。しかし、節目時に改めて 読んでみると、思わない発見がある。バイアスが薄れ、ゆとりを持って過去を 振り返ると、前だけを見ていた時には気づかなかった自分が見えてくる。 一昨年の節目時には「自己を見つめる 」渡邊二郎 (著) を読んでいた。 そこでは、「自己」「仕事」「孤独」「世間」「運命」「不幸」など15章の テーマの人生の真髄を、傷ついた心に語りかけてくれた。そして現在、 今度は古今東西の哲学者の引用で、自己の行蔵に対し語りかけてくれる。 ー プロローグの「自己の旅」の、次の言葉が良い!ー 《 終わりなき旅 = そこから自己への旅が始まる。その旅は、いまだ 知られていない自己をめざす思考の冒険である。はっきりしたルートも 道しるべもなければ、方向指示器もない。目的地がどこにあるか分からないし、 目的地がどこか定かでない。その旅の途上では、われわれひとりひとりが、 手さぐりで一歩一歩進まなければならない。 しかしその歩みを通じて、 自己がどのような存在であり、自己として生きることがいかなることか 少しずつ見えてくるであろう。自己の旅は、われわれが自己の多様な側面を 説き明かしていく思考の経験であり、自分との対話や反省や試みを介して 自己を掘り下げていく経験である。しかし、その経験は自己に収束して閉じて しまうものではない。それとは逆に、自己への旅は、自己の生を可能にしている 他者や、世界へとつながるものである。自己への旅には、あらかじめ定められた 出発の時があるわけでも、終わりの時があるわけでもない。それはどこに行き つくか分からない。その旅の途中で、自分が、他者が、世界が、どのように 違って見えてくるのかも分からない。それを身をもって知ること、それこそが 自己への旅の醍醐味であろう。》 ▼ 自分の立居位置で、確かに物事は違って見えてくる。特に人の滅多にない 経験?後なので私の自己の旅路は複雑である。事業を目指すと決心してからの 45年間の自分の行蔵を省みるだけで、自分を身を持って知ることになる。 非力な、無知な、しかし理想だけは高い自分がいる。その時々に全力を出して いたので、その時々の自分に後悔は一切無い。出来ない人ほど、辛辣に、 実践するものを非難する。同じ後悔なら、実践者の方が良いことを一番 知っているためだ。この経験で実感したことは、「人生はハッピーエンドより、 後悔の無いアンハッピーエンドの方が良いのでは?」ということ。 後悔の無いアンハッピーなどあるのかどうかの疑問もあるが、実際に私の 経験が、そうである。実際にアンハッピーではない、といえば、その通り。 要は、これも自分との付き合い方。どっちにしても大方はアンハッピー の悶絶の死が待っている。 この内なる旅、面白くなる。 ・・・・・・ 5793,「自分」から自由になる沈黙入門 −2 2017年01月24日(火) <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * スローパンク フローパンクという聞きなれない言葉があった。〜ネット検索をすると〜 《スローパンク:ゆっくりと空気が抜けていくパンクのこと。 「走っていて、気がついたら空気圧が減っていた」という現象がこれに当たる。 いったん空気圧が低くなっても、空気を入れるとある程度走れるときもある。 原因は、タイヤに異物が刺り、中のチューブに微細な穴が開いていることが多い。 この場合、異物を取り除くと一気に空気が抜けることがある。そのほか、バルブ 不良、バルブ根元部分の亀裂、チューブの劣化などが原因のことも。》 ▼ 人生、老いる頃からスローパンクをして、最期は、走行不能になり、 消えていくのが定め。ここで、「話し言葉も、行動もスローパンクに従い、 生きなさい。天皇のお言葉も、行為もスロー。意味も中身もありはしない。 天皇それ自体が象徴。それで良い」と勧める。それをパンクの状態と類推する ところが面白い。この随想日記自体が、面白い知識・情報を探し、ダイジェスト にして書いているスローバンクと真逆の習慣。面白いのは、「お嬢さん言葉」を 有効に使って間をおいて「沈黙」を保つことを勧めている。露骨な嫌な視線と 言葉に、ただ沈黙をするしかないが、その場決済の、あるイメージを持つ。 内面エネルギーは人一倍強いので… 結果、内面から抹消したことになる。 まさか、こんな内面処理の技術を身につけるとは。処理後は、目の前にいても、 いないと同じ。まさか、自分が??… 想像もできないだろう。 スローパンクは、その逆。天皇のように、お嬢様のように、ユッタリと空気が 抜けるように、日々過ごせば良い。 空気の抜けたタイヤと車輪の痛みは激しい。 ちゃっかり、ポイントだけは抑えているため、周りは大変! ったく。 私のタイヤの空気は? 時々、パンク防止剤を入れ替えているが、どうも悪路で 振動がきつい。 あの男、空気の抜けた自転車で、ガタガタ音をたてて走っている。 自分も同じ姿だろうに。 ・・・・・・ 5063,河合隼雄 ー私が語り伝えたかったこと 〜 2015年01月24日(土) ー「私が語り伝えたかったこと」河合隼雄著ー * 日本人と宗教 以下の内容は、巷の日本人の宗教観をズバリ言い当てている。 これに世間論(世間=神様)を混ぜれば日本人論にもなる。人間は、地勢と、 人種と、貧富などの社会的立場で細かく差別されている。更に最期は死という 避けることが出来ない最大の不幸?が待っている。で、神という共同幻想を つくり上げ、その幻覚で今を生きようとする。しかし、日本では、互い監視の 世間様が神の役割を果たしている。 ーその辺りを抜粋ー ≪ 人間が生きてゆく上で、何らかの宗教が必要であり、それは経典や儀礼など を通じて教えこまれると世界の多くの人が信じているなかで、日本人はよほど 特異なのである。このことを知らずに、終戦後に渡米した日本のインテリたちが、 「宗教」という欄に「無し」と書いて、コミュニストと断定されるようなことが よくあった。 「無宗教」などと公言するのは、欧米では大変なことである。 そこで、日本人の宗教について欧米人に尋ねられたとき、筆者は次のように 答えることにしていた。日本人は宗教が日常生活と著しく混っていて、本人も 意識していないのに、宗教的な言動をしているのだ。たとえば、最初にあげた 「もったいない」にしても、これを「宗教教育」と思っていた親は少ないが、 結果的にはそれは大切な宗教教育になっているのだ。食事のとき「いただきます」 と言うのもそうであろう。一神教のように明確な超越者の存在を意識しないが、 あいまいな形で、自分を超えたものに対する感謝の念を表現する。 日本人の場合、自分確かな存在としての神、というよりは、自分を包む存在 としての自然ということが、宗教の中核にあるように思う。自然のうつろいに 対してきわめて敏感である。それに美的感覚が結びついて、日常生活のなかでも それに呼応するかずかずの行事をもっている。そのような体験のなかで、仏教の 言う「無常」は感じとられるし、人生を支える「循環」のイメージが体感される。 これはおそらく輪廻という思想に結びつくことだろう。日本では、茶道、華道 などという考え方がある。さらに、お茶を飲むとか花をアレンジするとか、欧米 であれば日常生活に属することが、「道」という超越的な考えと結びつく。 このようなことを習慣にしているので、家庭内における諸生活が、知らず知らず のうちに広い意味の宗教につながっていくのである。≫ ▼ 7割が森林に覆われ、海に囲まれた島国では、自然が人間と一体化をして、 直接間接的に自然の摂理が人を支配する。それが日常生活では「道」として 我々を支配する。
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6159,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −4 |
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2018年01月23日(火)
* 節目時に… 1,2ヶ月に一度は全くネタがなく茫然とするが、今日が、その日。 そこで、「熊さん、寅さん」に縋ることになる。 ≪ 八つぁん: 相撲の話は、もういいから、トランプ大統領でも… 熊さん: こんなバカな話はないよ。白人第一主義の泡沫候補が、ロシアの 支援を受けて当選して一年。政治的混乱は当然のことだが、酷いもんだね。 大家: 一番危惧するのは、中間選挙の前に、朝鮮戦争を仕掛けること。 私なら、やるね。そりゃ、結果の惨状は、そりゃ酷いと思うよ。 八つぁん: 私も、同意見。あそこまで、挑発されれば、攻撃しますよ。 ロシア疑惑隠しになるからね。しかし日韓とも、深く傷つくね。 北も開戦になれば、一瞬で消滅するため… それは巧妙になるよ。 寅さん: 冬季オリンピックまでは、大丈夫だろうがね。その後は、いかん ともし難いね。沖縄で事故が頻繁に起きているが、これは開戦前の 実戦訓練が多くなったからさ。 大家さん: あと2年数ヶ月後に、東京オリンピックと騒いでいるが。 何だろう、これは。 世界は戦争に備えて、体制を作りかえている 最中に。憲法改正と核ミサイル保持は当然のこと。 熊さん: 天皇陛下の退位。 タイミング的に、丁度よいね。 そうこう考えると、今年は、日ごとに緊迫感が異様に強くなるね。 八つぁん: 太平洋戦争の終戦の半年後に生まれたため、両親の日常会話で 「疎開」の話を聞いていたが、そう遠くない先に、現実に首都圏からの 疎開が有得るかもしれない。 熊さん: 大家さん、八つぁんの世代は、右上がり真っ只中だったが、 俺らの時代は、その恩恵が無かったのが悔やまれるさ。 大家: そりゃもう、面白かったさ。悪いけど… 八つぁん: 20,30歳代と、40歳半ばまでの30年近くも味わったのだから! その経験の行蔵は、魂に刻み込まれているし、これほどの財産はないよ。 寅さん: 行蔵は、あの世に持っていけるから羨ましいよ。こちとら、 そんな経験は少ないよ。 …でも、ネット社会の恩恵は大きいよ。 それと、アナログ時代と、デジタルの時代の交代期を経験できたしね。 八つぁん: 180万年前にホモ ・エレクトスが、アフリカを出てアジアや ヨーロッパへ出て行ったが、それ以来の人類の節目が現在とみる説がある。 現生人類はエチオピアで出土した20万年前の化石がこれまで最古…。 1万年前の農業革命以来の節目とも… 熊さん: あんたは、直に壮大な話になるから… 俺のレベルにしてよ。 大家: それほど、この情報化社会の到来は、大きなインパクトを与えて いると、言いたいんだよ。でも、AI化とか、グローバル化が進んでいる 現状は、何かしら不気味だよ。 寅さん: 今回は、俺が〆るけど。 不気味な感覚になってきたねl
―――― 5792,閑話小題 〜トランプを大統領にしたアメリカの民度 2017年01月23日(月) * トランプを大統領にしたアメリカの民度 去年の『新潮45・4月号』に<トランプを大統領候補にするアメリカの民度> の、レポートがあった。 共和党本流の複雑な事情のレポートだが、それだけ アメリカが痛んでしまった焦りがある。結果からみると、一度、アメリカを 閉じて建直す時期に来ているとも解釈可能。団塊の世代の二人の元首相が、 首相と、副首相に返りざきアベノミックスの経済成長を計っているのと比べ、 よほど健全? 日本にとって太平洋戦争以来、最大の危機。ブラックスワン というより、ブルースワン? オバマが8年かけた社会保険制度も一瞬で消えた。 大地震は起こってしまった。問題は、大津波の襲来。結果として、アメリカ 国内の不満が、公共の場でのテロを誘発することになる。パンドラの箱は開いて しまった。ただ、キッシンジャーが隠れブレーン?の説がある。これでフランス の極右のルペンが政権でも取ったとしたら… こうなると、20、30歳代の高度成長期の恩恵を受け、充実した青・壮年期を 過ごせたことに感謝している。 このテーマを日本に置換えると、 <安倍首相をトップに頂き、今だ経済成長を妄想している日本の民度>になる。 3年後に東京オリンピック? 災害対策で東京一極の政治経済の機能を国家 一丸となって分散に集中するのが正道のはず… しかし、これが日本の民度。 そのおり、タイミング的に適切なTV番組「ザ・リアル・ボイス」があった。 ≪いよいよ1月20日、ドナルド・トランプが合衆国第45代大統領に就任。 “不法移民の強制送還”“女性蔑視”など、過激な発言を繰り返してきた トランプ氏。今でも全米各地で「反トランプ」のデモが発生しています。 アメリカ国民は、トランプに何を期待し、どう受け止めているのでしょうか? 22日(日)の「ザ・リアル・ボイス」では、「ダイナーからアメリカの本音が 聞こえる供廚搬蠅掘▲▲瓮螢国民の生の声を紹介します。訪れたのは選挙 期間中に注目を集めた、ロサンゼルス、ウェーコ、ランシング、フェニックス の4都市の大衆食堂「ダイナー」。「なぜ今トランプなのか?」という質問に 対し、住民たちからはどんな声が出てくるのでしょうか? 取材時の様子など、番組を担当している日置一太プロデューサーに話を伺った! 人々の本音が聞ける大衆食堂“ダイナー” ─―番組ではニュースでも報じることがない、その場所でしか聞けない本音= “リアル・ボイス”がたくさん聞けたようですね! そうなんです。“ダイナー”はさまざまな人が集まり、本音がもっとも聞ける 場所なんですよ。そこでアメリカ国民が思っていることを素直に聞くという、 とてもシンプルな構造の番組です。 昨年放送した「“ダイナー”からアメリカ の本音が聞こえる」に続く、アメリカ編第2弾なのですが、前回の放送後、 「現地で暮らす人の体温が伝わってくる番組だった」「何を感じて、どのように 暮しているのか──その空気感が伝わってきた」「ニュースで語られている背景 がわかり、深く理解することができた」などの反響をたくさんいただきました。 今回も、再び各地の“ダイナー”と呼ばれる大衆食堂を訪ね、「トランプ時代 にどう向き合おうとしているのか」という質問をぶつけ、本音を聞いてきました。≫ ▼ 思いのほか、冷静な国民の反応で、これが本音の結果という感を受けた。 あれだけ戦争で傷ついた割には、恩恵を受けてない長年の苛立ちの蓄積が あればこそ。こういう反動があって然るべきと… ・・・・・・ 5062,貧・病・争と宗教 ー楽しく生きる一日一話 〜 2015年01月23日(金) < 本日「いいかげん」日和 一日一話 >ひろさちや(著) * 貧・病・争と宗教 「解決するのではなく、そのままで幸せに生きることが宗教の功徳」と、 優しい言葉で、仏教の本質をズバリついた道理。それに気づくのが老年と いうのが、私も含めて大方?。まず幸せであること。そのまま自然であれば、 何ごとも良い方向に運ぶということ。 ≪一昔前まで、新興宗教への入信の動機は、― 貧、病・争の三本柱 ― と言われていた。貧しい人が金儲けのために、病気の人は病気治しを求めて、 そして人間関係トラブルの解決を期待して、多くの信者が新興宗教の門をたたく のだそうだ。しかし、信者になったら金儲けができるとか、入信すれば病気が 治るというのは、どうもインチキくさい。本物の宗教は、貧しい人は貧しい まま、病人は病気のまま、幸福に生きる道を教えてくれるものであろう。 わたしは、宗教とはそういうものだと思っている。 ところで、貧と病につづく第三の争であるが、仏教やキリスト教といった 本物の宗教は、この人間関係のトラブルを解決してくれるのではないか…と いった期待が大きい。つまり、簡単に言えば、仏教のまじめな信者であれば、 嫁と姑のあいだがうまくいくと思っている人が多いが、これは誤解である。 宗教は、人間関係のトラブルを解決するためにあるのではない。 嫁と姑が対立していても、対立したままの二人が幸せに生きることが できれば、それでいい。宗教はそのような幸せを教えてくれるものだ。≫ ▼ 「貧・病・争、そのまま結構!」が、宗教の本質? どの道、これらを 避けて通ることが出来ないのだから。逆の「富・健・和」も、現象の捉え方 でしかない。やはり宗教心は当然だが必要条件である。南無ぅ( ̄人 ̄)ちーん 即説咒曰 羯諦羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶 般若心経 ーノー)o/"Ω ・・・・・・ 3955, 他人を責める「新型うつ」について 2012年01月23日(月) * 生存適応戦略だった「ユウウツ」 「新型うつ」についてNHKのクローズアップ現代や、新聞や、週刊誌で 何度か見て、ここでも書いてきた。ある本に、次のような記述があったが、 なかなか面白い。 まずは、その内容から・・・ 【 うつ病は現代病の代表のようにいわれるが、もちろん太古の昔から存在 していた。うつ病の歴史について詳述された、防衛医大・野村総一郎教授の 著書『うつ病の真実』によると、進化生物学的には、うつ病の主症状である 「ユウウツ」はもともと、ぽ乳類以上の高等動物が、生存に適応するために 獲得した感情だという。たとえばサル社会では、ボスの座を追われたサルは、 うつ病のように元気がなくなる。このユウウツは、新ボスに反抗しないという 無意識の屈従信号であり、これにより攻撃されないという利点があると。 また一〇〇万年前の人類が、仲間同士でマンモス狩りをしていたとする。 ある人が果敢に正面からアタックしたが、簡単にマンモスにつぶされる。 その死を悲しんだ仲間たちは、ふたたびマンモス狩りをする気力もなくなるが、 あまり悲しまなかった仲間はまた同じ方法でアタックして死んでしまう。 生き残った悲しみの人たちは、もっと安全なマンモス狩りの方法を考える…。 このように、本来は生存適応してきたユウウツが、人類の発達とともに、 かえって不利に働く場面がでてくる。たとえば、人類に言語が発達すると、 マンモス狩りの方法は行動より言葉で伝達したほうが効率的であり、 悲しみによって行動が停止してしまうデメリットのほうが大きくなる。 人間社会が複雑になると、ボスザルの世代交代のように円滑にいかなくなり、 ボスの座を追われてもウツ状態になってはいられず、巻き返しをはからざるを 得ないケースもでてくる。このようにして、遺伝子に囲い込まれユウウツに 関する内部的なルールと外部環境がかならずしも適合せず行働に無理が生じる。 野村教授それがうつ病に発症につながるかもしれないと述べる。】 ー日本の論点2012ー他人を責める「新型うつ」片田珠美 より ▼ 「ユウウツ」は本来、ぽ乳類以上の高等動物が生存に適応するために獲得 した感情で、適者生存のため必要な病とは、面白い見方である。人生の節目は、 大方が挫折、絶望のカタチで、表立った心の病としてウツが押し寄せてくる。 それは、本人にとって内面の切り替えどきであり、竹の分厚い節と同じで、 独りで耐えるか、病院通いになるか、自死に至るかの瀬戸際になる。 しかし断崖絶壁の危機を独り耐えないと、それまでとの切替えは不可能である。 これは、ボスの座を追われたボスザルの屈従信号のサインと同じ。 それは当事者としても、ギアの切替えになる。現在の日本が、その立場にある。 「一億二千数百総うつ病」状態である。その怒りの攻撃対象が、首相と政府に 集中するため、一年で引きずり下ろされる。その背後にいるアメリカも間接攻 撃をする。そのため、奪略対象として冷静に操作が出来る。 振り返れば節目時は鬱だった!
・・・・・・ 4697,末期がん、その日のための予習を ー1 2014年01月23日(木) ー「末期がん、その不安と怖れがなくなる日」樋野 興夫 (著) 怖しい本だが、いつ何時、「余命?ヶ月」を宣言される可能性のある年齢。 父の余命一年間の精神的、肉体的苦痛を目の当たりにしたが、この世から消え 去る恐怖と、生への渇望は、砂漠の中の彷徨い人のよう。いずれは通る道。 その時、父に聞きかじりの哲学の『死についての一考察』を話したことは、 何度か、ここで書いてきた。 【 本人にとって死は存在しない、あるのは自分以外の死だけ。何故なら、 死んだ瞬間、自分は無くなる。その当人が考えている死は、他人の死の イメージで、亡くなった人にとって、死んだ瞬間、その自分は、消滅している。 だから、全て死は、それぞれの当人に存在をしていない云々』と話したところ、 ハッとして急に顔が輝いたことがあった。 死は何か? 死の恐怖の克服を如何に すべきか?何故、自分が死ななくてはならないか?等の問いは、哲学の究極的問い。 いざ余命を告げられ、絶望に陥ってから、この類の本を探し当てるのは至難のこと。 哲学として死について考えること、身近な人を見送った手記や、医師と末期患者 との哲学問答などの本を読むことが出来るのは、今のうち。 『死ぬための生きかた』と『生きるための死にかた』という具体例に 取上げた本を読んだことがあるが・・それは生々しい! まずは ーアマゾン〜内容紹介ー 《 一人の病理医師が‘期間限定’で開いた「がん哲学外来」。 評判が評判を呼び、全国に広がった。人は「死」を前にしたとき、「生」 の意味を考え始める。ここに生きるヒントがある。日本人の2人に1人はがんで 死ぬ時代、一人の病理医師が開設した「がん哲学外来」。医療が手放した末期の 患者に対し、生きる意味、死ぬ意味などを問うこの外来が大きな評判を呼んだ。 余命を宣言されたとき、あなたは何を思うだろうか、何をしたいのだろうか… 多くの患者が抱える悩みは、人間関係にあるという。それらを克服し、どう死ぬか に至るための道筋がこの本にある。いま、がんで苦しむ本人はもとより、その家族 ばかりではなく、現在、健康な人へも「なぜ生きる」「死をどう迎える」という 命題をつきつける。 ●人生いばらの道、にもかかわらず宴会●八方ふさがりでも天は開いている ●命より大切なものはないと思っている人ほど、悩みは深い ●死ぬという大事な仕事が残っている ●がん細胞は人間社会と同じ ●勇ましく高尚なる生涯〜死んだあとに何を残すか ●がんになっても天寿は全うできる●愛しているなら、心配するな ●「する」ことより「いる」ことがやさしさ●暇げな風貌と偉大なるお節介・・》 ▼ まずプロローグをまとめてみる。《「がん哲学外来」の言葉は著者が、 初めてつくった造語。 2008年に3ヶ月にわたり、5回、特別外来を開いた。 宣伝をしたわけでないので不安だったが、何と80組の予約。 予測を遥かに超えてしまった。患者は、不安を少しでも解消したいと思っていた。 これだけでなく、この「がん哲学」の動きは全国的に広がり、講演やシンポジウム に呼ばれるという。2001年の学術雑誌に『がん哲学への道』というテーマで寄稿。 末期がん患者の悩みに医師や最新医療が何も答えることが出来ない。 がん医療は、患者の「心」を支える部分で不十分。著者が患者に語りかけた内容は、 それまでの患者から教わったこと。》次回から、章ごとにおって、テーマにする。 ・・・・・・ 5426,閑話小題 〜シネマ、『白鯨との闘い』が面白い! 2016年01月23日(土) * シネマ、『白鯨との闘い』が面白い! 全然期待してなかったが、これが面白い。ネットの評論より、 【 出て来るのは白鯨でなくて、大きなマッコウクジラ。マッコウクジラ の群れの中のリーダーのような存在で、多少、寄生虫とかで皮膚が 白っぽく見える部位がある程度。原題では「白鯨」と書かれていない。 一等航海士チェイスとの対決も割と単純で、銛を一発かまし、親分クジラが 反撃してエセックス号に体当たり、呆気なく沈没するという話。世襲船長 ポラードとの確執も、特段ストーリーに影響与えず、ポラードが経験に 鍛えられてチェイス化するというだけ。むしろ、太平洋のど真ん中で救命 ボートで漂流し、いよいよカニバリズムが始まるということの方が本作の キモ。辿り着いた孤島も「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」 に出て来る食虫島とよく似ている。カニバリズムで最終的に全員餓死するか、 食虫というメタファーにするかという話。やっぱりキリスト教世界の話で 「しょうがねえだろう」では済まされないんだ。】 ▼ 特撮の進化のためか、画面の迫力があり、その世界にアッという間に 引き込まれてしまった。荒れ狂う嵐の中での船内の男たちの葛藤とか、漂流 する太平洋のど真ん中でのカニバリズムの生なましさは圧倒的。数年前にみた、 「トラと漂流した227日」に匹敵するレベルで、評価は久々の95点!お勧め。 * 4日間乗り放題の新幹線で 一昨日から、この時節の恒例の<4日間、JR東内、15000円で 乗り放題>の切符で、家内は妹と連日、東京へ日帰りの御のぼり。 当人は40回近い海外ツアーで鍛えられているため、「4日間ツアー」と思えば 東京通いなど軽いもの。 毎年、恒例で、往復、一日「3500円」なら仕方ない。 このサービス期間は、新幹線の列車内と東京の名所には、女性の二人連れ が目立つという。 腰痛でへたっている私とは気合が違う。 今週の御在宅が一昨日だけで、スポーツジム、美容院などへ、お出かけ! 幸せなことだ。「良いこと?が次々と起こるから幸せではなく、幸せだから、 良いことを引き込む」を、地で生きている。馬鹿な蛙(私)に抱きついて養分 を吸い取って、一生を終えるタガメに徹して一生を終えるなら、これも人生! 『私の事業清算で、友達に肩身が狭くないか?』と聞くと、 『ぜんぜん、私にはまったく関係ないし、そんな素振りの人は誰もいない』 私が平然としている日々が、本人にも影響しているのか。本人が全く気に しないので、周囲も何も言わないのか? で、私の夕飯は、回転寿司の 持帰りか、コンビニのオデンを肴に、録りだめの録画の映画やドラマで、 独り満喫。「上さんリッチで わたしはプアー」 最後は、楽しんだもの勝ち?
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6158,閑話小題 〜「子連れ同士の再婚家族」の問題 |
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2018年01月22日(月)
* ステップファミリー 先週末の報道特集で、「子連れ同士の再婚家族」のステップファミリー の特集のシリアスな内容に見入ってしまった。二組の子連れが同じ屋根の 下に住む秘訣は、シャアハウスのように、それぞれの子供部屋を別にする のがベストのようだ。 〜ケースの一つが、 <夫婦ともに子連れで結婚して、旦那の子供と奥さんの子供は部屋が別、 夫は自分の子供の朝食、宿題なども見て、妻は自分の子供の世話をするが、 子供は何か気の毒。継子に嫉妬する継父。6年かかった、この到達例では 「親の違う連れ子は、別の部屋、実子以外の部屋には入らず、世話、食事、 教育も別」 もし、これから再婚される方がおられたら「それほど厳しい ものなのだ!」と認識して幸せになってほしいと訴える。> 3組に1組が離婚し、4組に1組が再婚するといわれ、子連れ再婚も増えている。 血のつながりの親子であった時代から、再婚による血縁のない親と子が家族に なる“ ステップファミリー”の時代へ。「子どもがいても再婚したい」 「しかし、子どもにとって幸せ なのか」「それで、皆が幸せになれるのか」 ― 『今のお母さんの事はどう思う?』 子供『…こわい …でも、優しい…』 『今のお父さんの事はどう思う?』 子供『…こわい。笑ってくれないから悲しい…』 何気ない母親の一言、「差別は悪いけど、区別は必要」も肯ける。 ・相手の連れ子を愛せない。 ・注意すると、再婚相手に子育て非難されていると思われる。 ・連れ子の中に元の結婚相手を見てしまう。 ・子連れ再婚数の国統計もない 虐待の加害者の3〜4割は養父や内縁。里親になるには、研修があるのに、 子連れ再婚には「研修がない」のが問題。理解をせずに躾に走ると、虐待に。 母が3歳の時に、祖父が、3人の子供を残し亡くなった。八百屋だったことも あり、祖母は男後家を後添えに入れた。その間に4人が生まれたため、3人は、 徹底的に虐められて育った苦労話を聞いて育ったこともあり、それぞれ個々人 の立場を生々しく思い浮べてみていた。特に、母親と、その継子が不憫に… これを見ると、『人生の半分はトラブルで、あとの半分は、それを乗越えるため にある。』の道理も肯ける… 「親の因果が子に祟り」 運命は親の出来次第! これは、宿命? 地球に遊びに来ているだけでなく、学びに来ていることを、 改めて教えられる。親には当ったが、フヤケテしまったか。残ったのは親の愛。 後記:既に亡くなったが、哲学者で教育者の森信三氏が、母親の苦労話を 聞き及び、是非とも、主催する会で話をして欲しいと依頼されたことがあった。 痴呆症になりかけた母親を人前に出せるわけもなし、断ったが。 それでも、話をさせなかったのが後悔として残っている。 母親の温もりを知らずに育ったが故に、長男、次男を若くして死なせ重度の ノイローゼになり、死後に判明したのが三分の二の心臓が壊死をしていた。 そこから立ち直って40年を生きた生涯も壮絶。 ・・・・・・ 4696, 悲観のプロセス12の段階 2014年01月22日(水) * 悲観のプロセス12の段階 『心を癒やす言葉の花束』デーケン著 ここで、死を覚悟するまでの悲観のプロセスを紹介している。 挫折を一つの小さな死とすれば、この3年近くで、ほぼ同じ悲観のプロセスを 経験したため、以前読んだ時より深い実感がある。本物の死への予習? ーまずはその辺りからー 《 デーケンは「この辛い12の段階を誰かが代わることはできない、 自分の中で時間をかけ消化するより仕方がない 」と力説。この階段は個人差 があり、順番に経験することもあれば入れ替わることも同時に経験することも 順番を飛び越えることもある。 1段階:精神的打撃と麻痺状態: 愛する人の死という衝撃によって、 一時的に現実感覚が麻痺状態になる。心身のショックを少しでも 和らげようとする本能的な働き、 つまり、防衛規制。 2段階:否認 :感情、理性ともに相手の死という事実を否定する。 3段階:パニック :身近な死に直面した恐怖による極度のパニックを起こす。 4段階:怒りと不当感 :不当な苦しみを負わされたという感情から、強い怒り を感じる。「私だけがなぜ?」「神様はなぜ、ひどい運命を科すの?」 5段階:敵意とルサンチマン(妬み): 周囲の人々や個人に対して、 敵意という形で、やり場のない感情をぶつける 6段階:罪意識:悲嘆の行為を代表する反応で、過去の行いを悔やみ自分を責める 7段階:空想形成 :幻想ー空想の中で、故人がまだ生きているかのように思い 込み、実生活でもそのように振る舞う 8段階:孤独感と抑鬱 :健全な悲嘆のプロセスの一部分、 早く乗り越えようとする努力と周囲の援助が重要 9段階:精神的混乱とアパシー(無関心):日々の生活目標を見失った空虚 さから、どうしていいかわからなくなる 10段階:あきらめ 受容 :自分の置かれた状況を「明らか」にみつめ、 現実に勇気を持って直面しようとする 11段階:新しい希望 :ユーモアと笑いの再発見 :ユーモアと笑いは 健康的な生活に欠かせない要素で、その復活は、悲嘆プロセスを 乗り切りつつあるしるし 12段階:立ち直りの段階 :新しいアイデンティティの誕生: 以前の自分に戻るのではなく、苦悩に満ちた悲嘆のプロセスを経て、 より成熟した人格者として生まれ変わる 》 ▼ 以前にも、ここで死の受容のプロセスーキューブラー=ロスが 『死ぬ瞬間』の中で発表したものを取り扱った。 ・否認: 自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。 ・怒り: なぜ自分が死ななければならないかという怒りを周囲に向ける段階。 ・取引: なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。 何かにすがろうという心理状態である。 ・抑うつ:なにもできなくなる段階である。 ・受容: 最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。 これをベースに、書き加えたもののようだが、諦めから自分の状況を 「明らか」にして、受容することで心安らかになることが最終の段階。 その過程の心は暴風を突き抜けた中で、諦め、感謝に変わっていく。 それを果たして楽しめる? ・・・・・・ 5791,「自分」から自由になる沈黙入門 2017年01月22日(日) <「自分」から自由になる沈黙入門〜小池龍之介(著) > * 否定の魔力 〜帯にある<五つの手習い>にひかれて手にした本〜 現在の日常の態度のようでもある 【 その1.まったく何かにケチをつけずに1日を過ごしてみる その2.天皇陛下のようにスロウに、徹底的に自己を抑制して喋る その3.正義で相手を論破することをやめる その4.「買いたい」「食べたたい」欲望にかられたら、 「ドウデモイイ」と念じる その5.身近で大切に思う人に対してこそ、つねに幻滅しておく】 ★ この随想日記を書き始めて、もう直ぐに17年目に入る。こうして公開する ことで、言いたいこと、聞いてほしいことも書いているので、沈黙と、ほど 遠い生活といっていいだろう。どうだろう? けっこうケチをつけ、否定する ことで、間接的に自慢している自分がいるのでは? 御近所にも、知人にも、 「他人への否定の魔力」を売りにしている俗物が結構、存在をしている。 心の中の検事役が極端に勝っている人たち。「えっ、自分のこと?」と思う人 が多くいるはず。腐ったような女なら未だしも、大の男ときたら、笑って 済まされない。哲学は、問題の前提を疑うこと、否定することが、第一歩。 否定を否定したら、まず思考停止になる。 〜「否定の魔力」(p71)より ≪ 批判にしろ、悪口にしろ、つまるところ何かを「否定」することには、 怪しげなまりょくがあるのやもしれません。 すなわち、「否定」とは、 「私ってステキでしょうー! こんな私を見て」てふ呪文。 「あいつはダメだ」と否定すると、その「あいつ」と比べて自分が素晴ら しい人間になったかのような魔力がかかるのであります。 多くの人は、自分を語りをしたい、自慢をしたい。だけれど、自分を ストレートに自慢するのは恥ずかしい。それでも、人の心ってのはほって おくと無駄に気持ちが良くなりたくなるゆえに、ついつい、「じゃあ、 ちょっとバレにくいやり方で自慢してみようかー」と、否定トリックの 魔術にはまってしまう。否定が自慢と気づかなかったとしても、残念ながら、 否定ばかりする人の周りにいると、良い気持ちがしない、そのトリックが うすうす感じられるからこそ… ≫ ▼ 6年前に事業整理をして以来、家内と僅かな知人以外に、ますます心を 閉ざす 傾向にある。その分、ここで言いたい放題で、プラマイゼロだが。 ブログで書くことは、直接的、間接的に自慢話。16年間、自慢話をしてきた ことになる。普段でも無意識で自慢のタネを探して、とうとうと内語で自慢 話をしている馬鹿さ加減に、驚くことがある。偽善を超えて、露悪、偽悪、 虚悪を演じている己がいる。事業清算のプロセスで、否定トリック魔術の丁度 よい酒のツマミにされているのだろうが… 半径1〜2キロmが全世界の正義が あって然るべき。 サンフランシスコの中華街の正義というやつ。街を一歩 出れば何、これ… 否定の三倍の肯定の精神が必要になる。 これを意識しておかないと、悪臭が漂ってくる。だから、ひたすら「沈黙」 をするしかないということ? スポーツジムで、ひたすら沈黙を保っているが、 これが面白い。無言も、一つの独特の態度。 そこには様々な態度がある。 ・・・・・ 3954, ファイナル・クラッシュ ー6 2012年01月22日(日) * 日本経済の行方 「ファイナル・クラッシュ 世界経済は 大破局に向かっている!」 ≪ 著者ヒューゴはファイナル・クラッシの主因を大西洋両岸のイギリス、 アメリカの浪費型経済システムと見ている。まずアメリカ、そしてイギリス を含むヨーロヅパが完全な機能不全に陥って、日本を含むアジアも経済的な 破局に巻き込まれる見通し。しかし、日本経済を振り返れば、アメリカ以上に 借金頼みのいびつな形となっていることは疑いない。「アジアの成長が止まる ことも、あるいは崖っぷちで踏みとどまっているアメリカとヨーロッパの 経済が足を滑らせて恐慌状態に転がり落ちることも世界経済全体がファイナル・ クラッシュを迎える引き金となるだろう。そして世界にはもう一つ大きな危険 要因が存在する。日本である。私の予想では日本政府はもう一段階の格下げに あい、アメリカ政府に先駆けて財政破綻する。その後、日本に引きずられて アメリカとヨーロッパ諸国も同じ道をたどることになる。アメリカ先行ではなく、 日本がアメリカを引きずり下ろすのだ。この点が著者ヒューゴと私の見解の相違 である。もっとも違いといってもシナリオが違うだけ、最終的な結末は大差ない。 日本経済の抱える問題を、世界では「ジャパン・プロブレム」と呼んでいる。 懸念されているのは、日本政府の財政状況。日本政府の負債は、財務省の発表 によれば二〇一〇年度末で九二四兆円。 OECD(経済協力開発機構)の推計では、 二〇一一年にも国内総生産比で二〇〇%を突破し、さらに今回の震災の復興費用 により二三五%になると言われている。また、政府の歳出が税収の二倍を上回る。 そういう国は長くは続かない。しかも日本政府はこれから震災復興を理由として、 今以上に支出を増やそうとしているのだ。日本では報道されていないが、 海外では今や日本政府の財政破綻こそ、世界経済の最大の懸念事項なのである。 IMFの発表を見ていても、東日本大震災は世界経済の撹乱要因、危険要因と みなしている。ただでさえ弱っていた日本経済を震災が破錠させ、それがさらに 世界経済のメルトダウンの引き金を引くことを、欧米先進諸国は恐れている。 震災後に行われたG20の会合でも、その方向でミーティングが進行していた。 ジャパン・プロブレムの根本原因は、二〇年間にもわたる日本の民間経済の 不振を、政府が財政支出の増加でカパーしようとしたことだ。 これはコインの裏と表という両面がある。「失われ20年」と言いながら、 日本が生き残ってきたこと。それは政府の財政支出の拡大により支えられていた。 これがコインの表面である。コインの裏面は、その財政支出の拡大が日本経済を 破綻させ、世界経済のクラッシュの原因となりかねないという問題だ。 なぜ日本経済は二〇年にもわたる不振に陥ったのか。これについては世上、 金融システム問題、中国の工業化などさまざま理由があげられている、 私見では少子高齢化である。日本は人口が減少している。とくに労働人口が減り、 老齢者が急速に増加、ものづくり人力も喪失している。大震災、原発事故という のは想定外の問題なのだが、日本経済衰退の根本には少子高齢化があり、 これは変えられない。人口増を前提とした高度成長期型の経済モデルは、 もはや維持不可能なのだ。この根本的な問題がここ二〇年間、それほど表面化 せずにやってこれたのは、アジアの経済成長とアメリカの過剰消費という 外部要因のおかげである。だが、日本経済を支えていたこの二つのエンジンが 今、まさに止まろうとしている。 ≫ ▼ 東北大震災も、国家財政からみたら大きな問題になってくる。 前の事業を継続していたらと考えると背筋が寒くなる。それも電気料金の 値上げ、ボイラーの灯油の値上げ、客数の減少など、実際に成り立たない事態。 時流が先行して現れ出る仕事なので、沖合の津波の襲来が見えてしまうから、 毎日のように、ここで声高に喚いている。一年前の今時分になって、やっと 事の重大さを認識し、現実問題として事業の存続を考え出した。そして、 その僅か二ヶ月後に整理、倒産を決断をせざるを得なかった。 結局は、誰も助けてはくれない! 自分で見据え、判断し、決断するしかない。 この国とギリシャ、イタリアと、どこが違うのだろう。 ・・・・・・ 5061,閑話小題 〜何を慌てている? 2015年01月22日(木) * 何を今さら イスラム国の脅しに、国家をあげての危機管理とか。生首を落とされるのが 世界中にネットで流されるのが拙いらしい。あの二人の御仁、他国の人たちの 首落としの刑からして、自分の危険を覚悟をして現地に行ったはず。たまたま、 展開が斬首となっても、いた仕方がない。何を今さらである。 宗教戦争とは、そういうもの。 8千キロも離れた異教徒が戦争ビジネスを 画策して、そこに身を投じた結果でしかない。ツアーとはいえ、世界の秘境と 異郷で、危険な状況を体験したが、万一の場合、仕方がないと割切っていた。 ここで御出ましになるのが人道主義者。その論理の筋たては、聞かなくとも 分かる・・ 政府としては、一応、最大限の誠意を見せるが、裏取引での妥協は 許せない。 他国のケースの身代金の相場が200万ドルというが、どうだろう、 この辺りで手を打つかどうか。今回は、安部がイスラエルの訪問のタイミングを 狙った芝居がかった大金。 暴力団の恐喝の場合、初めは法外の値を要求する のが常套手段。部族長の仲介で、妥協するかどうか。 結果は、生首が落とされ、 映像が世界中を駆け巡り、平和な島国の危機意識の希薄さと、精神の甘さが 世界中に流される? これでは、エボラ出血熱などのリスクを考えると、中国、 東南アジア、韓国、アフリカ、中近東、欧州に、旅行する気が無くなってしまう。 旅行代理店は、先行き真っ暗だろう。ところで、検索に『イスラム国 斬首』 と入れたところ、様々な打首が出てきた。ズラーッと並んだ刎ねられた胴体に、 生首が置かれた写真や、柵に置かれた生首とか・・ 深層は、人種間差別と、 世界的貧富の拡大が情報化で露出され、グローバル化で、いずれの国にも、 直接、影響をする時代になってしまったことと、情報端末の普及で、世論操作 が難しくなったことである。 アラブ世界には、凶暴な独裁者が必要悪として 必要とさえ思えるのが、この「イスラム国」の存在である。 それにしても、アブラハムは、厄介な神ヤフーをおつくりになった。 ・・・・・・ 4329, 財政恐慌 −5 2013年01月22日(火) * 死に至る無限ループ 『財政恐慌』浜矩子著 以下の抜粋部分は近未来の財政破綻と恐慌を明確に分析している。 これは日本だけでなく、アメリカ、欧州も同じこと。最後のリンゲルをうち 終わった後の近未来の日本の惨状を考えると惨憺たる思いである。 ーまずは、その辺からー ≪ 恐慌とは何か。それは、要するに経済活動のシック死現象だ。 劇的な形で、あっという間に経済活動がマヒ状態に陥る。そうなれば、 人々は恐れ慌てる。だから、恐慌という。このとてつもなく怖い現象を、財政が 引き起こす。そのようなとんでもないことが起こる世の中になった。それは、 なぜか。グローバル時代においては、ヒト・モノ・カネが国境を越える。 ところが、財政は国境を越えられない。国境を越えられない財政が、 国境を越えたヒト・モノ・カネの動きが引き起こす様々な大問題に対処 しなければならない。そのことが、いまだかってなく重い負担になっている。 その重みに耐えられなくなった時、起こってはならない財政恐慌が発生する。 ご承知の通り、財政政策というものは、景気変動による経済活動の浮沈を ならす機能を果たす。財政にそのような役割を付与すべしと唱えたのが、 かのケインズ。 経済活動が大膨張と大縮小の間を行ったり来たりし、その度 ごとに人々の生活を痛めつける。この極端な循環現象から経済社会を解放しよう。 そこに、財政政策のそもそもの眼目がある。 その意味で、極めて雑駁に言えぱ、要するに財政政策というものは恐慌逃避 のために存在するということになる。恐慌は経済活動のショック死現象だが、 見方を変えれば洪水のようなもの。大河が溢れれば洪水になる。洪水はすべてを 流し、その過ぎ去りし後に新たな生命の循環が始まる。新たなスタートを切る のは結構だが、その前に、あまりに悲惨な大清算の場面をどうしても経なければ ならないのか。その衝撃をなんとか緩和できないものか。そのような発想の中から、 政策の関与によって経済的変動を微調整しようというケインズ的考え方が生まれた。 かくして、ケインズ後の経済の世界は、恐慌というショック死現象に陥ること を免れることになった。ただし、そのための代償として、常にインフレに陥り やすい体質が世界的に根づくことになった。それはそうだろう。 経済活動のショック死を防ぐべく、政策が早め早めにカンフル剤を打つ。 その状態が続けば、経済活動は常にとってもハイになりやすい。欝状態に陥る ことを避けるために、どうしても躁状態を慢性化する方向にバイアスがかかる。 要するに人類は慢性インフレという代償を払うことによって、繰り返し襲う 恐慌の洪水から解放された。それが従来型の基本認識だった。ところが、いまや その認識とはあまりにも違う構図が我々の目の前に出現している。いまや、 内と外との関係は実に曖昧だ。国内から外に出て行き、外から内に流れ込む。 数多くの工場が丸ごと国境を超えて移転する。それに伴って雇用機会もかつて ない勢いで内から外へ流れ出す。≫ ▼ 問題は、大清算の国民の痛み。ギリシャが、いざ予算削減で国民の痛みに 直面すると同時に拒否するパターンと同じことが、今までも、これからも 日本に起こる。目先の痛みを恐れ問題の先送りを続けてきたが、もう許されない。
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6157,読書日記 〜合理的無知とは誰のこと? −2 |
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2018年01月21日(日)
『クラウド時代の思考術ーGoogleが教えてくれないただひとつのことー』 ウィリアム・パウンドストーン著 * ある強盗の話 レモンジュースのシミは、一見、見えないが、よくみると見えてくる。 それを顔に塗れれば「見えないインク」として監視カメラに写らないと信じた 結果の犯行を引合いに出し、今回の白鵬の「横綱アドバンティジ維持のため の暴行事件」を考える。たまたま、日馬富士がカラオケの端末機器を使って 大怪我を負わせたため、大事件に発展した。白鵬の先場所の取口の8割以上が、 立合いの「張手」と「肘打ち」。9通りの勝ちに至るコースに7つに、この二つ が組みこまれていた。 で勝てなくなり、古傷の両足の親指の骨折を理由に、 早々に休場に至ることに。 暴行事件の起こる数場所前に、白鵬が暴行被害者の貴乃岩に負けて優勝を逃した。 この数日前に白鵬から執拗に携帯電話が入ったという。TPOSからして、何の電話か は明らか。その伏線があって貴乃花親方は警察に直接、訴え出たのは当然の事。 このブログも似たようなもの。見ている方からしたら、この間抜けな強盗を 見ているようで面白いだろう。 死んで三日も経てば、全てが消滅。 瀬戸内晴美が、「作家とは、大道に素っ裸で大の字で寝ているようなもの」 と述べているが、それからすれば、露悪、露馬鹿も、まだまだ。 合せ鏡の知恵を持っていればよいが、それが… だから世間とかいうのに 惑わわされる。厄介なのは無知。タチが悪いのは、その自覚がないこと。 生半可なコメンテーターの、煽動な話を鵜呑みにし… 私のことですか? ― ≪ 1995年4月19日、身長168センチ、体重122キロのマッカーサー・ウィラーは、 自分は監視カメラに映らないと信じ、真昼間に2つの銀行を襲った。ウィラー は、レモンジュースが「見えないインク」として使われているというのを知って いて、自分の顔にレモンジュースを塗って顔を監視カメラにさらして犯行に及ん でいた。(塗っていれば見えないと信じ) これがコーネル大学のデビッド・ ダニングの目にとまり、<知識や技術に欠けた者は、自分が知識や技術を知ら ないことに全く自覚がない>ことを同僚のジャスティン・クルーガーとともに、 「ダニング・クールガー効果」と名付けた。 ネットの時代。ネット検索で、何でも瞬時に知ることができる。 そんな時代に自分の頭に知識を持つことにどれほどの意味があるのか。 そのことに対して、著者のパウンドストーンは、無知がどれほど正確な判断や 決断に影響を与えているか、デモクラシーがどれほど脆弱な大衆の知恵と判断に 基礎を置いているか、そして、知識の多寡が個人の豊かさとどれほど相関して いるかをこれでもかというほどの事例を示し、無知の危険を読むものに迫る。≫ ▼ 他人事だと分かるが、こと自分については、理解できない人間の滑稽さ。 だから、人間は生きていける。暗い顔をした老人が多いのは、「生老病死」の 問題だけでなく、その姿に気づくためだろうか… 全く気づかないふりもある? ――― 2015/10/05 不平等を歴史に学ぶ 〜 【『21世紀の資本』トマ・ピケティ を私はこう読んだ 特集】 〜‘不平等を歴史に学ぶ’柴山桂太著 新潮45・2015年3月号 * 上位1%や上位10%への富の集中 中流社会の、三分の二のサラリーマン対、残り下位の構図が崩れた現在、 この本では、“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。 ネット社会の到来が、世界をグローバル化を促進させ、一部だけが勝ち組に、 残りは負け組の社会になっていく。この著書で、ピケティは、その点を クローズアップして我々に問題提示をしている。 〜ここで筆者は 「過去の不平等は戦争や革命により暴力的に解消された、しかし著者の 目論見は、この失敗のスリリングな回避にある」とある。さらに・・ ≪ 格差社会という言葉はすっかり日常に定着した感がある。“1億総中流” と言われたのも今は昔、最近では社会の二極化が懸念されるようになった。 日本だけではない。不平等の拡大は世界的な傾向である。特に顕著なのが アメリカ。 “1%vs99%”とも言われるように、人口の1%の富裕層の富が 増加する一方で、大多数の国民の所得は伸びていない。最近では上位1% どころか0.1%、或いは0.01%の超富裕層の富が急激に増加している事実が 明らかになっている。なぜこれほどの富の集中が起きるのか。 この問題を考える上で目下大変な注目を集めているのが、 ピケティ氏の『21世紀の資本』である。・・(略) 本の内容は至極真っ当だ。不平等のデータを過去200年以上に亘って 収集・整理した上で自説を展開するピケティ氏の理論は、類書には無いわかり やすさと説得力がある。日本の格差論争はこれまで、非正規やワーキングプア の増加が問題視されてきた。非正規の割合はこの20年で増え続け、現在では 労働人口の35%を超えている。年収が200万円を超えないワーキングプア (働く貧困層)も、若年層を中心に増加の一途を辿っている。 平均的なサラリーマン(中位層)とそこに入れない貧困層(下位層)の格差が、 従来の格差論争であった。 それに対して『21世紀の資本』が扱うのは、 「上位1%や上位10%の富裕層への富の集中がなぜ生じるのか」という問題。 これまでの格差論争が“65%vs35%”の格差を問題にしてきたとすれば、 こちらは“10%vs90%”又は“1%vs99%”の不平等に焦点を当てている。 この本がアメリカでベストセラーになった理由もここにある。 ・・ ≫ ▼ アマゾンのビュアーの『21世紀の資本』を要約によると 《本書の主たる主張はごく簡単に言い表すことができ、何度も繰り返されている。 - 人類の歴史のほとんどの期間において、資本収益率は成長率を上回っている。 (つまりr>g)であると、富は賃金所得や産出を上回って成長し、持てるもの と持たざるものの格差はどんどん拡大。事実、20世紀以前には一握りの金持ち と大多数の生活に困窮する庶民で社会が構成されていた。 - 20世紀後半に比較的格差が縮小し、そこそこ裕福な中間層が出現して穏健な 市民社会が実現したのは、2度の世界大戦による富のリセット、インフレ、 各国の格差縮小的な税政策、歴史的に見て例外的な高度成長の継続、などの 要因が重なったためであったが、今や成長の時代は終わりを告げ再び格差拡大 の時代に戻ろうとしている。 - 格差拡大を防ぐためには、高度な国際協力と資本に関する情報開示を基礎と した累進資本税の導入が最適な解決策である。》と、要約を、まとめている。 ・・・・・・ 5424,閑話小題 〜世界の貧富 2016年01月21日(木) * 世界の貧富 欧米の貧富の格差は「上層が3%、中流・30%、その他」という。 日本も、バブル崩壊以降、これに近づきつつある、日本は3分の2が下流? 先日のTVニュースで、<世界の金持の62人の資産総額が206兆円で、 世界の下位半数の36億人の総額と同じ>と報じていた。金持の一人当りは、 3・3兆円で、下位の36億人の平均は5万7千円。6年前は、388人が下位 半数と同額というから、更に少数に絞られた。 『世界がもし100人の村だったら』に < すべての富のうち、100人のうち、6人が59%をもっていて、 みんなアメリカ人で、74人が39%を、20人が、たったの2%を 分けあっています >とある。この本の出版から大分、前なので、より 格差が広がって、そこにはロシア、中東などが多く入っているだろう。 先進国の一員だった日本も、冷戦終了以降、地政学的有利性が小さく なった上に、グローバル化もあって、国内格差が更に大きくなっている。 TPP問題も中長期的にみて、日本にとっては大問題。アメリカの経済的、 軍事的支配力は、ますます強くなるのは自然の成り行き。 * 終末医療 先日の‘「クローズアップ現代」の終末医療の“最期のとき”をどう決める’ で、末期患者が苦痛で頭を掻き毟っている場面が映像で流されていた。 これが死に際の現実である。それもNHKのゴールデンタイムに。その現場に、 5〜6歳の子供が涙を流しながら立合っていたが、身近の人の死に際の苦闘は、 幼児教育として一番の教えになる。その人は、撮影当時71歳、私より2歳上。 3〜7年?以内に、自分にも起こる死に際でもある。〜NHK・HPの内容紹介〜 ≪クローズアップ現代“最期のとき”をどう決める“終末期鎮静”をめぐる葛藤! いま、在宅で療養する末期のがん患者に、「終末期鎮静」という新たな医療が 静かに広がっている。耐えがたい苦痛を取り除くために鎮静剤で意識を落とし、 眠ったまま最期を迎えるというものだ。最新の調査では、在宅で亡くなった がん患者の7人に1人に行われていたことがわかった。 自分の意志で、眠ったまま苦しむことなく死を迎える患者。その一方で、 遺族の中には、「“終末期鎮静”に同意したことで、患者の人生を終わらせて しまったのではないか」と悩んだり、罪悪感にさいなまれたりする人もいる。 自宅で最期を迎えるがん患者が増る中、終末期医療はどうあるべきか考える。≫ ▼ 父親が苦痛で頭を掻き毟っている姿が目に焼きついている。 最期は、医師が近親者の同意の上に、呼吸を止めることが多い。 壮絶な死に際が現実だからこそ、「ピンピンコロリ!」が理想になる。 だからこそ、「いま」「ここ」の「わたし」を慈しむしかない。 で、以下につづく! ・・・・・・ 4695, 霊気(スピリット)には、3種類ある 2014年01月21日(火) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 企業家と経営者との違い! 企業家は「真性不確実性」の中に「利潤の源泉」をリスクを持って主観的 判断をしなくてはならない。そのために自分自身に絶対的な信念を持った楽観的 アニマルスピリットが必要となる。ここで、「スピリット(霊気)」には3種類 あると記されている。 ーその辺りを抜粋して考えてみる 《 ●心臓から生まれるとされる生命精気、 ●肝臓から生まれる自然精気、 ●脳から発する動物精気です。 哲学者ジョージ・サンタヤナは「動物信念」 の中心性をもとに哲学体系を構築したが、彼のいう動物信念とは「純粋で絶対的 な精気、知覚不能な認知エネルギーであり、その本質は直感である」と記されて おり、ここまで説明されると、私たちにもナイトやケインズの主張も理解 しやすくなります。たとえばナイトはアントレプレヌアー(企業家)と マネージャー(経営者)を明確に区別し、後者はナイトの唱える数値計算が 可能な不確実性、すなわちリスクを保険付保するなどして、分散しながら 通常的に経営者としての業務を行い、報酬を受け取る立場にあります。 しかし想定外の数値的な表現が不可能な不確実な事象(真性不確実性)が発生 すると、それに対応すべく経営機能も質的な変化をとげなければならないし、 その時にはマネージャーはアントレプレヌアーに変身して、きわめて重要な予測 とか判断を主観的に行うチャレンジングな役割を果たすということになります。 一方、ケインズも、限られた知識に基づいて、不確実な将来に向かって、例えば 設備投資のような長期的なコミットをしていくためには、自分自身に対して 絶対的な信念を持ち、楽観的なアニマルスピリットを持つ人材が必要であると 説明しています。そして投資.投機に関して、最も重要なナイトの指摘は、 「利潤の源泉」は保険付保が可能な(彼の言葉では)リスクの中には、それに よってリスクがコスト化されるということですから、利潤の源泉とは言えません。 彼の言う「真性不確実性」の中にこそ発見されるものだ、という点にあります。 これは、まだ海のものとも山のものともわからないベンチャー企業に敢えて 投資する態度につながります。・・・ 》 ▼ 3年前の決断と、その後の対処が本能に根ざして淡々と、後処理が 出来たのは、歴史的テロによる断層と、数百年に一度の経済的震災 (リーマンショック)と、二万人の死者を出した東北大震災と津波のため。 これらの現象で、アニマルスピリッツが目覚め、思いきった決断と、 行動が出来たことになる。そこに悪い霊気が向うと、返り矢になるのは当然? 創業者を気取って、10年で転身をしないで経営者に甘んじたのが、 この結果の真の理由になる。 上手くいった創業来の10年分の蓄積を、 20年かけて食べ尽くしてしまった! 微温湯で動物的直感が茹で上がって しまったのである。企業家の状態でリタイアが、良かったか、茹で蛙が 良かったか? もちろん、前者だが、その辺りの自覚が足りなすぎる! のは、ご覧の通り。 「ご覧のとおり、そのまま、結構」である。 「�心臓から生まれる生命精気、 �肝臓から生まれる自然精気、 �脳から発する動物精気です。 �ドキドキ胸がときめき、�酒を飲むと 開放される、あの霊気、�何かを直感する認知エネルギーこそ、人生の礎。 ・・・・・・ 5060,閑話小題 ー樹海のふたり 2015年01月21日(水) * 映画「樹海のふたり」 録画をしていた映画の「樹海のふたり」を先日観たが、何とも味わい深い。 富士山麓の樹海で、自殺者のTVレポート番組を何回かみていたこともあり、 WoWoWを録画をしていたもの。 重い内容を軽いタッチで飽きさせない内容。 〜ネット検索の内容より〜 ≪フリーのテレビディレクターとして活躍する竹内と阿部。二人は富士の樹海の 近辺をさまよう自殺志願者たちにインタビューしては、その経緯や心情を聞き 出しつつ、自殺を思いとどまらせるドキュメンタリー番組を制作する。番組は 高視聴率をたたき出し、テレビ局や彼らが所属する制作会社は続編の撮影を持ち 掛けてくる。しかし、自殺志願者たちのさまざまな人生に触れてきた二人は、 そうした番組の制作で生計を立ることに良心の呵責を覚えるようになっていく≫ ▼ 自殺のため樹海に足を踏み入れようとする人々の姿を追うドキュメンタリー 番組のディレクターの二人が、おのおのの事情を抱えた自殺願望の人たちと 接する中で、二人の問題を抱えた人生を見つめ直していく筋たてがよい。 この中で、「何故、富士山麓の樹海を死に場所にするか?」の疑問に対し、 「自殺は、自宅内の首吊り、ガス自殺、服毒死、そして自宅近くが殆ど・・」 ところが、自殺を決意できないため、「樹海に行けば人知れず決行できる」と、 思いたって来るという。そういえば、以前、ここで、『実録・ゴールデン・ ブリッジからの身投げ』を取り上げたが、こんな映画は国内の製作は無理! 私のブログのビュアーに、『最近、いやに死を扱った読書録が多いですね。 (陰の声として、何か危ないのですか)』と、怪訝な顔で言われた。 そこで、『その時になってからでは予習効果は少なく、死の問題は、まだ先 と高をくくっていられるうち、これは長年の蓄積が必要。』と答えていたが。 「正中心・一点・無」の最たる難問が死の問題。これも、突き詰め、凝視を 続けると、慣れが出てくる。ところで方法の三分の二が首吊り自殺で、 9割の人が、その瞬間、止めておけばと後悔する、という。世間様とやらと、 妄想に充分に気をつけ、何があっても苦海を面白おかしく生きなければ! ―― 503, 実録・ゴールデン・ブリッジからの身投げ 2013年07月15日(月) 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに「今なら、シニア様 なら無料でDVDが借りられます」という。そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。 軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、 初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコの ゴールデン・ブリッジから身投げをしていくのが映し出され、遺族や友人が、 インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』 や『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書を書いているので、 死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。橋の手前で、死のうか迷って考え込み、 決断する悲痛な姿が痛ましくバンジージャンプのように飛び込んでいく姿が 痛ましい。その後の身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。 生きているのが辛く、死にたいのである。 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが 迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が 水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台に なり、押し上げられたという。普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、 このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して 浮かび上がってくる。 ーウィキペディアによるとー ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカの ドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている『自殺』をテーマにしている。 観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子を カメラに収めた。後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の 様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの高さから海面に 向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、 映画の宣伝効果で自殺者が増加しないように極秘に行っていた。また、 橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、 遺族や友人、目撃者へのインタビュー、遺書などから構成されている。 中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか 語られない。自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることが その中で分かる。≫ ▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、 全員撮ったことになる。次から次へとブリッジから飛び降りるが、躊躇している うちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、 それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチック な気持ちを駆り立て、志願者が国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が 河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず消えている人 がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、 シリアスすぎて、実感がわかない為? 死ぬには死ぬ理由があるはず!
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2018年01月20日(土)
* 枯れないために CQ(好奇心指数)たる言葉に引き付けられた。何ごとにも興味を持ち、仲間を 集い、チャレンジするのは比較的、女性に多い。男は仕事本位でなければ、 荒波の中で生抜いていけないため、好奇心があっても、集中を維持できない。 第二の人生には、妻たちの好奇心との圧倒的な格差を知り、愕然とする。 そこで、ネット検索すると… ≪IQ(知能指数)やEQ(心の知能指数)と並びCQ(好奇心指数)が注目される ・IQとは 知能指数のこと。高いほど知能が高いことを、低いほど知能が低いこと をあらわす。 ・EQとは、(心の知能指数、「自己や他者の感情を知覚し、自分の感情をコント ロールする知能」。 ・IQにちなんだ新しい知的な精神活動の指数Curiosity Quotient (好奇心指数)を 指す。 好奇心が学習や仕事などの精神活動にとって重要で あろうこと は、多くの人が経験上、なんとなく気づいている。 目新しいものに興奮しやすい一方で、決まったルーチンにすぐ飽きてしまう。 独創的なアイデアを思いつくが、反体制的になりやすい。 もちろん賢いことは重要だ。でも知的好奇心のほうがもっと重要だ。 グーグルで成功する人は、すぐに行動を起こしたがる傾向がある。 グーグルが従業員に贅沢なまでの快適なオフィス空間を提供するのは、オフィス 空間が従業員の創造性に大きく影響を与えることを熟知しているからだ。 一つのことを最短で答える能力であるIQから、一つのことからたくさんの ことを連想する創造力であるCQの養成へ、教育もシフトしていくべきだ。 CQは自分自身の努力で高めることができる。IQは生涯かけても変わらないかも しれないのに対して、感情や好奇心は発達させることができる 出典:<IQの高さより大切なのは「ICE」 ライフハッカー[日本版]> ≫ ― ▼ この随想日記で一日一テーマを17年間、続けてきたが、問題はテーマ探し。 これは常日頃から好奇心を持ってネタ探しをしなければならない状況になる。 備忘録、アイデアノートとしても、第三者に公開するため、面白く、何か しらプラス!に… というサービス精神が働く。とすると、当り前の内容 では、自分の心に残らないし、価値がない。常に何か新奇なテーマの影に追い かけられることを良しとするかどうかの問題になる。その緊張感も慣れると、 中毒になる。常に、頭を空にして網を張っておかないと、好奇心を煽るテーマ は出てこない。その為には、「快適な空間」と、「快適な心的状況」が必要。 一応、知的な精神活動の継続が、IQを高めているのか! 成るほど、毎日が 面白く、刺激的なのは… また手前味噌の話で終わる? 逆に、この結果、EQ指数が減退していたような。 そういうこと!
・・・・・・ 4694, 知恵と、教養と、知性の違い 2014年01月20日(月) ー人生は65歳からがおもしろいー河村 幹夫 (著) * 知恵と、教養と、知性の違い この本には、なかなか含蓄ある内容がある。ーその幾つか書き出してみるー ・ シニアこそ、教養と教育が必要! 教養とは「今日、用がある」 教育とは「今日行くところがある」 【 これは、面白い。40年少し前になるが、勤めていた会社の人事課長を揶揄 して「今日行くか」が来たぞと誰かが言った言葉を思い出した。「教養が無い」 は「今日用が無い」と、学問を疎かにすること」と定義づけていた。「シニア は特に、自分から何かを探して実行をしなくてはならない!」ということ。 ・ ー知恵と、教養と、知性の違いとはー 知恵とはー「(知識・情報+経験)×思考 =知恵」 教養とはー「人間の生き方のもっとも深い部分に存在し、人間の原点になり、 人間性を律する基本となるべきもので、すぐれて個別的なもの」 知性とはー「教養を感性でくるんだもので、教養×感性=知性と表現できる、 なお一層個別的なものであり、何人も簡単に到達できない高次元の精神性」 ▼ 著者は、この3つをを意識的に区別して自分のレベルを知ろうと 努めている、という。 ☆ 知恵は、自らを土壇場に置かないと出てこない、ある意味、 神の領域から出てくる偶然、霊感的要素がある。 ☆ 教養は、「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的 活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・ 芸術・宗教などの精神活動」とある(ネット辞書)。これは長年かけて 積み上げた結果の精神状態。良い文学を読み、より美術品に触れ、崇高な 音楽を聞き、大自然に触れて精神を高める結果にある。 ☆ 知性は、「(1)物事を考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力。 「豊かな―の 持ち主」「現代を代表する―」 (2)感覚によって得られた 素材を整理・統一して、新しい 認識を形成する精神のはたらき」とある。 これらは、人間の深い精神レベルの核の部分のもの。その点、これらは 年齢とともに熟成していくため、人生を楽しむに、必要条件の大きな ベースになる。だから、ライフワークを若い時から持っておくべきである。 ライフワークは、それらを具体的に求める趣味である。この3つの区分は、 自分の程度を図るに明確にしておくべき『知識』になる。 ・・・・・・・・ 5423,人生で最も大切な技術 ーА/瓦瞭眤Δ鮟六襪垢 2016年01月20日(水) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福に関する名言 〜心の内側を熟視する ここで、無知からの脱出の方法として内観がある、という。その方法は 「分析」と「瞑想」。とすると、私の夜半の半睡の4時間が「瞑想」に近く、 この随想日記の完成のプロセスが「分析」に近いから、夜半から早朝にかけて 毎朝、内観をしていることになる。 幸・不幸は、現実に対する光の当て方、 内側の問題になる。心の熟視は、熟年の楽しみの一つ。 〜その辺りから〜 ≪ どのような探求の仕方であろうと、それを喜び、義務、情熱、満足の うちの何と呼ぼうと、幸福こそが人間の目指す最大の目標ではないだろうか。 アリストテレスいわく、 「幸福は人間の唯一の目標である。人間は常に幸福そのもののため幸福を選択 するのであって、何か別のもののための手段として、それを選択したりしない。」 それに異論を唱える人は、自分が何を望んでいるかを実際にわからないだけで、 幸福という言葉を使わずにそれを求めているに過ぎない。数々の障害を乗り越え、 最終的に価値ある目標を達成するときの満足感は、疑いもなく本当の幸福 「スカ(安楽)の一つの側面が反映された状態といえる。 それは、自分が内面的に調和していると感じさせてくれる。 苦悩や苦難は「自己鍛錬」に繋がる、と信じこんでいる人が、自分の「義務」を 立派に果たす場合でも、自分または人類全体の不幸を培養しようとは望まない。 こうした至福感を手に入れる方法を誤認するのは悲劇的である。 無知は、向上心を歪める。 チベット密教の高僧トゥルンバは、無知についてこう説明している。 「無知は愚鈍とは関係がない。無知とは、ある意味で非常に知性が高い、 ただ、その知性が、あるがままの現実の姿を単純に捉えずに、専ら自分の 固定観念に反応する方向に向いているとき、それは無知と呼ばれる」。 仏教辞典で、無知は、あるがままの現実を認識することができず、幸福と 苦悩を左右する因果の法則があることも理解していない状態、と定義される。 例えば、最善の世界を築きたいだけ、と主張して民族浄化を支持する人たちは、 自分たちの憎悪が正当化できると確信している。利己的な衝動を満足させる ためなら、死や破壊の種をばらまくことも躊躇しない、という連中は、それが まったく理屈に合わず、不健全な考え方であっても、自分たちの行為が一定の 満足感をもたらしてくれると期待している。 悪意、妄想、侮辱、傲慢などは、純粋な幸福を手に入れる手段にならない。 にもかかわらず、残酷で、妄想に取りつかれ、独善的で、思い上がりの激しい人 は、物事の本質をまったく気づかないまま、突然に向きを変えてみたりしながら、 ただ闇雲に幸福を追求しようとする。耐え難い心身の苦痛にけりをつけようと して自殺する人は、ただ幸福を求めて破れかぶれの行為に及んだだけである。 こうした根本的な無知からどうしたら抜け出せるだろうか。 唯一の方法は、誠実に真剣に心の内側を熟視することである。 この内観には、分析と瞑想の二つの方法がある。分析とは、自分の苦しみと 自分が他者にもたらした苦しみを、あらゆる角度から明確かつ整然と評価する ことであり、どの考え、言葉、行為によって痛みが生じたか、反対に精神的 健全性がもたらされたか、を理解する作業を伴う。手始めとして、自分の在り様 と自分の行為に何らかの問題がないか、ということを探求し、続いて、自己変革 への燃えるような願望を抱くことが望ましい。 瞑想的アプローチでは、混乱した思考に飲み込まれない状態をほんの少しの間 保ち、心の奥底にある願望の正体を見つけるために、心の内側にひろがる景色を 静かに眺める、という作業をする。人によって瞑想は、快楽の醍醐味を一つ一つ 味わいながら、一瞬一瞬を激しく生きる生き方に繋がることがある。 あるいは、家族、社会的成功、レジャー、またはささやかながら苦しみない 人生、等の目標達成の手段にする場合もある。残念ながら、こうした願望達成 の瞑想はどれも未完成に終る。≫ ▼ 行蔵を取り出し、支点を変え眺め直すと、その時点では思いもよらない 気づきがある。それぞれの場面で、知っている範囲でしか、理解できない のである。そう、それは現時点の私にも、他者にもいえる。独りになりきり、 分析と瞑想こそ、最も重要になる。〜また偶然だが、以下の内容が丁度良い! この年齢になって、何にも分かってない自分に、毎朝、気づくのも辛いもの! ・・・・・ 4327, 10年日記も最終年 2013年01月20日(日) 十年日記を書き始めて10年目。1ページに上から4行分に仕切られて、 10年分書けるようになっている。10年分が一目で俯瞰できるので、 なかなか面白い。具体的な内容を書き込んでいるので、その時々が分かる。 2004年1月20日(火) 万代のダイエーと紀伊国屋とソフマップに、第三の長期 滞在用の部屋の備品探しにいく。第三の二つを一つにした 部屋の一つの出来上がりが不満。 2005年1月20日(木) 昨夜半に、独り布団の中で、一日の出来事をイメージで 再現してみる。意外と憶えていないもの。その後眠って しまったが、多くの夢をみる。 脳は複雑で繊細である。 2006年1月20日(金) 昨夜、長男から、お返しの贈り物と相手の私に関する感想 の電話報告が入った・・ 学生時代の合気道の師範の生活 救済の以来の10万円を振り込む。私らしくないが必要なこと。 2007年1月20日(土) 昨夜は午前二時まで飲む。朝は8時過ぎまで寝てしまった。 騒ぎすぎた為、まだ疲れが残っているが、随想日記に気持ち を集中する。 外は天気だが、一歩も外出はなかった。 2008年1月20日(日) 昨夜、パソコンが不調。しかし朝になると元に戻る。 積雪のため昼、長岡駅セゾンの一周ウォーキング。 2009年1月20日(火) 昨夜は新潟駅前の大橋で「一六会」。8名出席。その後、 駅南6Fのスナックと沼垂のスナック街へ。新館に泊まる。 今週の宿泊予約を見ると、良くない。 オバマが新大統領に。 2010年1月20日(水) 家内は義妹と東京へ。8時過ぎに家を出る。通勤途中の 長岡駅で文芸春秋を買う。学生時代の友人の鈴木さんから電話。 合気道の黒岩先生が亡くなった。21日に通夜、22日に本葬。 私は、欠席にする。 2011年1月20日(木) 9時半に免許証書換え。眼の検査、辛じて合格。 山田電器に立ち寄り12時半〜16時半、防火管理者講習。 2012年1月20日(金) 回転寿司で昼食後、シネマ「マイウェイ」 (12時5分〜14時半)をみる。これが大当たり。 その後、サンライフのジムで50分運動後、帰宅。 ▼ 書き写していて、全ての日が浮かび上がってくる。書いた範囲だけだが、 具体的に書き残しておく価値を実感する。全く書き残してなかった空白の 時期が、あまりに勿体ない。千葉・千城ビルの立ち上げの日々とか、実家の店を 死に物狂いで立ち向かっていた日常を書いていたら・・ 忘れることも大事だが。 2011年までは事務所にこれを置いていた。土日分は月曜日に事務所で書いたもの。 今日も家内が毎年恒例の割引セールの新幹線で義妹と東京へ。三年前と同じだ。 9年前の2004年には売上減対策で、第三・シングルインを長期滞在用ホテル にする様子が窺われる。記録は記憶!である。 ・・・・・・ ・・・・ 5789,閑話小題 米国新大統領就任 2017年01月20日(金) * さて見もの 今日、トランプが新大統領に就任の予定だが、見もの。アメリカの白人層に とって移民に対し食傷気味なのは解らないでもない。今日のデモがどうなるか? マスコミはスキャンダルを掘り起こすだろうし、ロシアの犯罪モドキ?陰謀説を 書き立てる。それに加え、暗殺の危険もある。移民の国で、自分の両親も移民 なのに、それを露骨に否定するとは… 要するに「ゲルマン系白人を優位を、 前提にしよう」という単純な発想。で、彼らの不満を煽り建てたキャンペーンの 裏に、アメリカ分断を狙うロシアのプーチンの策謀が加わった結果が、これ。 アメリカの民度は、これ程低いと! 70歳のトランプも今さら、性格は変える ことが出来ない。「過去を忘れても、過去は忘れない」の格言が、そのまま、 問題として現れ出てくることになる。70歳ともなれば誰にも当てはまる道理? それが、大統領となれば、ことは穏やかでは済まされない。 この中にあって、経営者にとって毎日がスリルとサスペンスの日々になる。 世界のトップが、「?」とくれば、ある日、目が醒めたらブラックスワンが数羽 舞っている? イギリスの前首相が、自ら保身のため、「EU存続か、離脱」の 国民投票に打って出たため、長年かけたEUが、今では存続の危機に立っている。 このレベルの決断は、有識者が議会で充分討論をして結果を出すべきで、ズブの 素人の判断に委ねるべきでない事案。直接、国民に判断してよい問題と、悪い 問題がある。その最悪の事態がトランプの選出。それも、KJB出身のプーチン に手を突っ込まれた劣悪の選出となれば、国家は真っ二つに割れて然るべし。 クリントン一家と、ブッシュ一家の権力のパスに辟易としていた国民が、根本 から国家戦略の大転換を求めるのは解らないでもないが、それが経済恐慌、勃発 的世界戦争に至らなければよいが。オバマも「何を自分は今までしてきた?}と、 思い悩んでいるのだろう。「白の心、黒知らず」いや、「黒の心、白知らず」か。 よく見れば、こんなものだろう。 有色、中でも黄色の時代が、今後の趨勢か。 今の黄色は中は真っ白とくるから、何が何だか分かりません。 ・・・・・・ 5059,花嫁への3つの母の教え 〜 2015年01月20日(火) 【本日「いいかげん」日和 〜楽しく生きる一日一話】 ひろさちや(著) これまた面白い本である。 ーまずは、アマゾンの内容紹介よりー < 幸せは、血眼になって探したって見つかるはずありませんよ。 幸せになろうと頑張りすぎて、逆に不幸になっていませんか?年がら年中、 笑顔でゆったり人生を楽しむための知恵を、一日一話でやさしく紹介。 わたしは、日本人の民族性は、季節の移ろいと無関係ではないと思います。 ものすごい暑さのあとにやってくる秋を喜び、厳しい寒さのあとにくる春を 楽しむ。それが、「いいかげん」だと思います。ゆったりとじっくりと 「ほどほど」を楽しむ。そういう民族性が日本人の血の中に流れているのでは ないでしょうか。そして、その「いいかげん」は、仏教の「中道(ちゅうどう)」 につながるものです。中道というのは、決して中途半端ではありません。 極端を避けて、ほどよいところ、いいかげんをゆったりと楽しんで生きる。 それが仏教の教える中道の精神です。もう一度、「いいかげん」精神に もとづくゆったりとした生き方を取り戻しましょう。(「はじめに」より)> * 花嫁への3つの母の教え 一日一話の、楽しく生きる寓話などの話題をランダムに抜粋してみる。 まずは、『賢愚経』というインド仏教経典にある話。お少し堅い話だが・・ ≪ 結婚式の前夜、花嫁に教えた母親の三つの心得。 一つ、いつでも美しい着物を着ているように。 二つ、毎日、おいしい物を食べなさい。 三つ、絶えず鏡を見なさい。 これを立ち聞きをしていた大臣の花婿の父親はびっくした。 こんな贅沢な嫁は心配だが、もう取り消しがきかないため、翌日、 結婚式が行われた。 ところが嫁は、いっこうに贅沢をしない。 着物は質素、食事はつつましく、鏡もあまりみない。そこで大臣は嫁に聞くと、 美しい着物は、いつも洗濯をした綺麗な着物の意味。美味しい食事は、働いた後 の食事は「おいしい」の意味。鏡を観なさいは自己反省という意味だった。≫ ▼ 現代では、低価格のユニクロの服を選び、外食はサイゼリアで、観劇は テレビで抑えなさいというところ?考えてみたら、3つの教えは戒老でもある。 ところで母親の3つの教えは何だったろう? 『 常に新しいことに挑みなさい。 許しなさい。今日一日楽しみなさい。』・・ それと、卑しい人を避けなさい。
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6155,読書日記 〜合理的無知とは誰のこと? −1 |
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2018年01月19日(金)
『クラウド時代の思考術ーGoogleが教えてくれないただひとつのことー』 ウィリアム・パウンドストーン著 * 人は自らの知らないことを知ろうともしない 「知れば知るほど、知った領域の周辺の知らない知識が多いことに気づく。」 これは知識の質量の拡大、向上の継続の必要性を一言で解らしめる言葉である。 このブログを開設して17年近くになるが、‘対自分’的には効果的であり、 面白いが、‘対他人’的には、マイナス効果の比重が大きいのは自覚している? エゴイストの本音の丸出し、経験と知識の未消化そのままを露出し続けてきた。 露悪、偽悪、そのものである。 直ぐ上の姉に、青年期の頃から、 「あんたの欠点は悪ぶること」と、キツク言われ、他の姉からも、 「露悪というより偽悪。まだ偽善なら良い…」とも。 「まず偽善を演じな。演じれば自ずに善人になれる。偽悪も続けていれば 悪人になってしまうよ」とも。 偽悪と偽善の問題?… 露悪よりマシ? 姉に頭が上がらないのを長女である家内に詰られ続けられ、末っ子は大変。 品が無い? だって男だよ幾つになっても。わざわざ言うことでもない? 〜クルーガー効果という研究結果がある。 ≪ 優越の錯覚を生み出す心理学的現象は研究によって、自らの能力の低さを 認識することの困難さが過剰な自己評価につながる、認知バイアスの一形態で あると認識された。なぜ人間は自身の不得意を認識できないのか(2003年)と いった認知的不協和に関する調査は、与えられた活動の評価基準の無知に由来 する自己評価の誤りの多さを示している。自身の能力に対する過大評価の傾向は、 読解や診療、自動車の運転、チェスやテニスの試合など様々な場面で見られた。 また、この効果を策定したダニングとクルーガーによって2012年に行われた 「なぜ能力の低い人間は自身を素晴らしいと思い込むのか」の調査によれば、 能力の低い人間は以下のような特徴が分かった。 ・自身の能力が不足していることを認識できない ・自身の能力の不十分さの程度を認識できない ・それ故に、他者の能力を正確に推定できない その能力について実際に訓練の後であれば、自身の能力不足を認識できる。 2005年に執筆された自身の著書「Self-insight」の中で、ダニングは自己認識 欠損の類推を「日常生活の病態失認」に適用し、身体障害者が自身の身体能力 の不全を否定、或いは認識しないといった認知バイアスが存在することを発見。 「あなたが無能なら、あなたは自分が無能であることを知ることはできない。 正しい答えを生み出すために必要なスキルは、正解が何であるかを認識するため に必要なスキルと同じである。」 2000年、この効果を策定したダニングとクルーガーは、優越の錯覚を生み出す 認知バイアスについて1999年の論文で、イグノーベル賞の心理学賞を受賞。≫ ― ▼「・無知がどれほど正確な判断や決断に影響を与えているか、 ・デモクラシーがどれほど脆弱な大衆の知恵と判断に基礎を置いているか、 ・知識の多寡が個人の豊かさとどれほど相関しているかを、繰返し述べている。 青年期の挫折経験の必要性は、如何に己が無知かを骨身にしるための必要条件。 「破壊からの創造」の言葉が示すように、一度、それまで植えつけられた常識を 粉々にし、棚卸をし直し、再出発する機会になる。 20歳半ばの金沢時代に学んだことが、「自己能力の限界の設定」。闇雲の プラス思考や、ポジティブ思考だけでなく、冷徹な自己能力の在庫管理が必要 ということ。…とはいえ、選ばれやってきた、大よそ『80年滞在の地球旅行』。 可能な限り、広く、深く知って、味合わないと生れてきた意味(価値)がない。 <アポロンの託宣を通じてもっとも知恵のある者とされたソクラテスは、 これを、【自分だけが「自分は何も知らない」ということを自覚しており、 その自覚のために他の無自覚な人々に比べて優れているのだ】と考えたとされた 「無知の知」。「賢い者ほど、無知であることを自覚しよう」を伝えたかった。 学生時代の総括が<私は全くの無知!>の自覚。ならば生涯、独学を自らに 課すことを誓い… で、17年前から、この習慣化に至る。で、以下の間抜けな 泥棒のように「見えないレモンジュース」を顔に塗ったつもりのように、毎日 ネットに… 成るほど、馬鹿は死ななきゃ治らない。
・・・・・・ 5058,閑話小題 〜中の人・外の人 2015年01月19日(月) ーベストエッセイ〜「中の人・外の人}いしいしんじ著〜 * 着ぐるみの「中と、外」 黒いベール(ヒジャブ)で全身を覆ったイスラム教徒の女性。 異教徒が、あれを全身に覆って街中を歩くと、何か透明人間になったような 不思議な感覚になるという。それが動物の着ぐるみなら、尚のことだろう。 ファッションも一種の着ぐるみ。著者が一年間、外出に、これを着ていた感想が 何とも新鮮! 城下町は、家紋の縫ぐるみを街ぐるみ着ているようなもの。 常に、縫ぐるみの外と内を盗み見て、他人と自分を比べ、神経を尖らせている。 〜その辺りから〜 ≪ 三十になりたてのころ、外出するとき必ず着ぐるみをかぶっていた。 着ぐるみには目がくりくりで表情がデフォルメされた「ファンシー」タイプ と、わりとじっさいの動物に近い「リアル」タイプの2種類がある。 僕が着ていたのはすべて「リアル」のほうである。クマ、犬、ウサギほか。 テレビ局の衣装部につてがあって、使わなくなった中古を安値で譲り受けた。 真夏以外、Tシャツ一枚の上に玄関で胴体をつけ、両足をはめ、すっぽり頭部を かぶる。ふつうに地下鉄に乗り、書店で本をえらび、頭部をずらしてストロー で水筒の水をのむ。外見は動物で、めちゃめちゃ目立っているわけだが、誰も いない穴蔵にじっとひそみ、覗き穴から外界を盗み見ている、という感覚だった。 着ぐるみのうちにこもって外を覗いているはずなのに、ときどき、巨大な外部 にハジキだされ、世界の外から内側を覗きこんでいるという感覚にとらわれる こともあった。交差点を渡っているとき、酔ったサラリーマンに「ウサギちゃん」 と頬を殴られ、路上でネクタイをひっつかんだら、むこうは恐怖そのものの 真っ白な表情で、それこそ脱兎のごとく逃げていった。僕の内側と外側は 「からっぽ」ということで一致していた。だからこその着ぐるみだった。 翌年に心身のバランスを壊し、実家に戻され、そこで、四才半の「いしい しんじ」が三十年前に書いた原稿を発見した。その驚きをもとに小説を書いて いくことになる。物語を書く身ということで考えれば、着ぐるみにこもっていた 一年間、僕は「胎児」だったという見方もできるかもしれない。 いま住んでいる京都のひとは、「うち」と「そと」の使い方が絶妙である。 内面と外面と違うとう単純なことでなく、「うち」「そと」のあわい、中間領域 を共有しながら京都の暮らしが営まれていく。子どもにはみなが目配りするし、 お地蔵さんの掃除、水まき・おみやげにおすそわけ、すべてこの、流動する中間 領域でやりとりがなされる。路上で自転車をとめ、立ち話しているひとがやたら 目立つ。互い量なりあったあわいで、京都のひとはみな、惜しみなく「うち」と 「そと」の光を交換しあう。胎児だった僕が、マンションの部屋にとじこもる ことをせず、着ぐるみを着ながら毎日に出ていたのは、やはり「うち」「そと」の 循環を、からだで、こころで、希求していたからだろう。そこから物語ははじまる。 「そと」から見える「うち」、「うち」から見える「そと」の世界。 そのあわいに、目にうつらない、ふくよかな世界がある。 (略)・・ ≫ ▼ プロの作家のエッセイは、「成るほど」と唸らせる。子供のころ、両親の 会話の中で度々、『旅の人』という言葉が印象に残っていた。『旅の人』は、 『よそ者』のことで、自分、家族、一族、従業員、近所、近隣、そして外部の人 =よそ者と、ハッキリ色分けをしていた。 それは現在でも地方では同じである。 そして、紋付袴のコスプレを、コスプレの自覚無しで、その中と、外を覗き込む。 城下町は、ある意味、紋付袴のコスプレ世界。だから、旅の人の視線でみると、 これが縫いぐるみに見えてくる。その「あわい」が、気の毒か、幸せかは紙一重? ・・・・・・ 4693, 閑話小題 ーがん哲学外来 2014年01月19日(日) * がん哲学外来科なるもの 病気の死因が95%、自殺が3%、その他が2%という。 その他の2%は交通事故、転倒事故、災害、犯罪の被害など。自殺の3%で、 その2倍の予備軍が存在するので、人生は苦海を四苦八苦で泳いでいることが 見てとれる。私も、あと一年で古希になる。父が亡くなった歳まで、あと3年。 亡くなる父親の姿から多くを学ぶことができた。「所詮、人生は夢幻、何事も その時どきを精一杯生き、楽しむしかない。それも正道で・・」というところ。 で、先日、図書館で『末期がん、その不安と怖れがなくなる日ー樋野興夫著』 なる本を見つけ、借りてきた。副題はーがん哲学外来から見えてきたものー。 がん患者の苦悩を真正面から取り組むもので、なかなかの内容。近日中の随想 日記で取り上げるつちもり?だが、心は重い!もし、余命半年と宣言されたら、 何も考えずに生きてきた多くは大混乱になるはず。従容と死に立ち向かうなど 土台無理。そこで「がん哲学外来」が出来たのだろう。 哲学の一番の問題は、知識を持ってしまった人間が、限られた生と、 その終りを予め知ってしまった。 そこで苦悶をし、考えるしかない。 それが哲学の大問題になる。それを具体的に受け止めようというから、凄い! といえば凄いが、あって当然の専門部門。そこは極限の生々しい哲学的問答の場。 100%の解決でなくとも、70%にすることが出来るが、その差は、当人にとって 膨大である。生への希求の砂漠の中での水を与えるという喩えが言い得て妙になる。 死んでしまえばゴミ?死ななくともゴミ? * パソコン売り場にて iPadを購入して2年半近く、今では身体の一部のようになっている。 しかし、ネットで、この文章を書いたり、検索したりするのはディスクトップ パソコン。それも以前の会社の事務所にあった6年以上も使ったもので、 iMacにWindowsのVISTAを乗せたもの。それが書斎と、居間にあり、これに iPadがあればPCとネット環境としては十分。それも6年もたてば、 この世界は激変している(はず)。それとVISTAのサポートも三月で終了もあり 入替え時期。そこで暇をみては家電のパソコン・コーナーで見ると、面白い! 春先の新機種の発売が始まるので待つか、昨年の秋の型落ちにするか? あと一年、現状のまま? その世界に詳しいSEの知人は「机上型も、ノート型 でもタッチ方式が良い」という。しかしiPadがあるため迷いが出る。 次がディスクトップか、ノート型。 現在使っているパソコンをWindowsから iMacの方に切り替え使うとするとノート型が良いが、iPadに重なり迷いが出る。 やはりギリギリまで待つのがベストのようだ。もしかして最後?のパソコンの 可能性がある。また、現役と違い、年金暮しも躊躇の要因になる。 消費税前の狂乱騒ぎの後の4月末が買い時だが・・それまで待つのが理になる。 これを機会にiMacの画面にするのがベスト? まずは、画面切り替えか! ・・・・・・ 5788,閑話小題 〜つれづれに大相撲 2017年01月19日(木) * つれづれに大相撲 〜 20年、NHK大相撲の解説をしている「北の富士」が、心臓病の手術で今場所 は休んでいる。スキャンダル塗れの現役時代だったが、解説者としてははまり役。 以前、「神風」という元力士の解説は、歯切れが切れて、相撲ファンを楽しま せてくれていた。途中から「玉ノ海」と交互に出ていたが、何時の間にか消えて しまった。相撲解説としては、「神風」の右に出る人はいない。 ラジオ放送を含めて65年以上も相撲を趣味としていた者にとって、半端な解説 は耳障りである。 横綱をはった「大乃国」や「北の富士」と「舞の海」とでは 一言一言の滲み出る実感の重みが違う。 その中で、舞の海が堂々と持論を披露 するには、余程の苦労をしているのだろう。解説者は、まず自分が好角家で、 その楽しみを、視聴者に伝えるのが第一歩。論理力のない人の解説は、聞く 方も大変。 中でも「高見盛」の解説が劣悪。愚直が売りの力士だったが… 白鵬最盛時代が終り、 ・これまで目立たなかった地味なモンゴル人が台頭を始め、 ・怪我などで出遅れた「逸ノ城」「照ノ富士」のグループと、 ・学生相撲出身の「遠藤」「正代」「御嶽海」「北勝富士」「小柳」の若いが 相撲センスがある新興グループ。新鮮なチビッ子力士は、あくまでアナザー。 地元出身の「小柳」は、あと1年後の力士。目先の期待はしない方が良い。 ・そして、潜在能力が燻っている元期待された力士たち。 大相撲、のめり込まないで適当に観ている分には面白い。 ・・・・・・ 4326, つれづれに ー歯医者 2013年01月19日(土) * 歯医者 歯医者通いも終わった。7〜8年間行かなかったためか4本が傷んでいた。 通院は15回位だろうか。今度からは年に二回は歯垢をとりに行くことにする。 現在のところ無傷は7〜8割。 虫歯は60歳なら6割、80歳なら8割は、 やられているとか。ところで読書歯磨きというのがあるそうな。少し歯磨き粉 をつけて、一日、2〜3回、20分ぐらい、読書をしながらするのがよいとか。 それでも去年の秋口に二本目の電波歯ブラシを交換してから、歯のクスミが 無くなってきた。 * 血圧計 ホリデイという近くのスポーツジムと、日祭日と休館の金曜日に市営の小さな ジムに通っている。ほぼ皆勤もあり、私営の方は一回につき300円、市営は 100円の計算になる。ところで、この二つのスポーツジムの血圧計の結果が、 えらく違う。受付に言っても「うちは狂ってません」と両者。135がライン というがホリデイでは、完全に高血圧の135〜165。市営は120〜130 の間でクリアー。今もどちらが正しいか分からない。もちろん左右でも同じ。 運動をする前と、したあとでは20は下る・・ 食事と運動量は注意しているが、 晩酌が血圧を高くしているのだろうか。 * 大相撲ーつれづれに 大相撲が面白くなっている。阿吽の呼吸の手抜き?が出来なくなったため。 そのため怪我が増えている。賭博問題で多くの力士が角界ら追放されことも あって、若手に個性的力士が出てきた。 ところで一昨日、大関4人が二日に わたって6連敗をした。7人目に、やっと勝ったが「場内は大関が勝ったことに 逆に驚いている始末」(解説/北の富士)というほど、だらしがない。 横綱と、その他の差は歴然とついているが、大関との差が無くなっている。 10勝が最低ラインだが、8〜9勝を最後の二日でとるのに苦労している。 ということは、今でも暗黙で勝負を配分している? どんどん大関にして、 どんどん落とせば、これまた面白いか? ・・・・・・ 3951, 閑話小題 2012年01月19日(木) * 熱川温泉の惨状は、全国の温泉地の象徴 あれから10ヶ月が経つが、その後の大きな流れはTVや新聞で分かるが、 細部の情報は限られ少ない。特にホテル・飲食業業などは一歩離れてみていても、 本当に大変だろうが、悲鳴すらも聞こえてこない。首都圏から新幹線で二時間 以内の駅前ホテルと、全国のリゾート・ホテル、旅館は3・11以降は倒産 ラッシュのはずだが、どういう訳か静まり返っている。ところが先の日曜日に 伊豆の熱川温泉街の苦境についてのリポートがあった。温泉街の殆どの商店の シャッターが閉まっていて、「最盛期の人通りの100分の1」と商店主が嘆く。 バブル期に完成したホテルも客数がピーク時の40%。その上に割引セール。 殆どのホテルが倒産か、倒産直前。リゾート・マンションも入り手がなく・・ 残っているのが老人ばかりで、町長がインタビューで「予算の多くが、 老人福祉費に費やされ、他に予算が回せない。リゾート・マンションに老人 が移転してくると、町が破綻してしまう」と嘆く。長岡の奥座敷と言われる 「蓬平温泉」には、昔から三軒の老舗のホテルがあり、何度か同級会を泊り 込みで開かれた。料理も美味いし、施設も素晴らしいが、その三軒とも今では 銀行管理か、何処かの資本の管理下。そこに詳しい人が言うに、「去年の大雪で 客が皆無だった上に、3・11災害で大打撃。どうして潰れないのか不思議」 全国の有名旅館街は、どこも似た状態である。不況で個々人の収入は激減 すれば、温泉街でのんびりと温泉に浸かる気分になれない。 おまけに超円高となれば、海外に行きたくなるのは当然である。農業も、 公共事業も、観光も、輸出もダメとしたら・・・ * 日本に再び大地震があるか? 去年になるが、週刊誌が東海・東南海・南海連動型地震の可能性について 仰々しく報じていた。 震災直後で神経質になっている国民感情を刺激する 内容だろうと思い殆ど気に留めなかった。しかし考えてみると、中越地震が あった直後、「この地区が全国で一番安全な地区で当分は安心していられる」 と実しやかに語られていた。 ところが三年後に柏崎沖地震である。 それから考えると、震度7、マグネチュード9の三連動型地震の後に、 その並びにある東海・東南海・南海連動型地震の可能性が充分に有りうる ことで、それ想定するのは当然である。それに連動したのか、富士山の近くで 起きた地震。これも噴火の可能性もある。東北大地震の三年、六年、八年前に 東北地区に地震続いていた。そうこう考えると、これからは東北大震災クラス の規模の地震を現実として想定しなければならない。この10年間に世界中に 巨大地震が立て続けに起きおり、世界の地震の活動期に入ったようだ。 ため。
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2018年01月18日(木)
* これまた面白く深い展開に 熊さん: 白鵬と稀勢の里が連敗したね。結構、稀勢の里も張り手を使って いたしね。白鵬など、初日から全く精彩がないね。八つぁんの言う通り、 この一連の事件を引き起こした「横綱アドバンティジ」を無くした 大横綱の正体が、このザマさ。 寅: 貴乃花親方の含み笑いが聞こえそう。白鵬も、「アドバンティジ」の 有効利用無しで優勝したかっただろうがね… あれじゃ、この一連の事件、 『横綱アドバンティジ暴行事件』と命名されるよ。勝てないのが何より証拠さ。 熊さん: 俺たちの、会話を相撲関係者が聞いているのでは? 何か変? 八つぁん: 大丈夫だよ。誰の目にも明らかな内容だからね。それにしても、 ライブで事件の謎解きを見れるのだから。こんなに面白いことはないね。 大家さん: 私も、黙っていられなので、参加するよ。一番、震えているのが、 理事長と取巻きだね。日本の祭りごとの根本にあるのが、御賽銭。これって 神様への小さな賄賂だよね。神社仏閣の行事の根本が、賄賂と談合がある。 その強要が、これさ。 熊: とすると、土俵周りの親方の役割は、勝負の審査だけでなく… 他に。 でも、そこまで言っちゃあ、お終いよ。でも、毎日毎日、あの不甲斐ない 負けを続ける横綱の姿は… 大家: 『横綱アドバンティジ』疑惑など根幹に関わる問題だね。やはり、 八角親方には引退をしてもらい、貴乃花を押すべきだね。 八つぁん: でも、あの自閉症的性格では無理だね。 大家: おや、初め、そう言ったのは八つぁんが言い出したんじゃないか。 他に居ないのは解るけどね。 ハつぁん: 理事長、理事会も、性格上、自助能力、自浄能力が持てないん じゃないの。だったら、国技とかいう、法律上は何もない協会を一度、 解散し、税金免除のない普通の営利団体にすべきだが… まあ無理だね。 ・・・・・・ 6028,閑話小題 〜大相撲・炎上 2017年09月15日(金) * 横綱・大関の権威失落 大相撲が大変な事態になっている。私の相撲ファン歴からして、これほどの 大関・横綱の権威失落の事態は初めてで、理事長自らが辞任しても然るべきほど である。初日から4人横綱のうち3人が休場。残る一人の横綱が前半で2勝3敗とは、 これいかに。上位に上がったばかりの阿武咲が横綱初挑戦で金星を挙げ5連勝。 日馬富士の負け方が空中に1回転して裏返し。その上に、大関の照の富士が負傷、 3人の大関も2人が休場ともなれば。 面白といえば面白いが、この惨状では、 首を傾げざるをえない。その背後には若手に実力があるのが何人か台頭してきた ことがある。もしかして、半年、1年後の番付が、これかとも… ファンが、相撲協会の心配をする必要がない。横綱・大関の権威の崩壊を 見ながら、誰が優勝をするかを楽しめば、「また白鵬!」よりも遥かに刺激的。 「何で今の若手が強いのかって?」というと、勝つために頭(情報機器)を活用、 稽古土俵から考えているため。それも親がかりで。 将棋の新生人と同じ。 白鵬が、それ。素材が良いだけでは難しい。一月前に、高校横綱のトーナメント を見たが、その中で、強そうなのが数多く見かけた。底辺の育成が出来ていると いうことか。
・・・・・・ 6139,閑話小題 〜今年の正月は 2018年01月03日(水) 閑話小題 〜今年の正月は 番外篇; 熊さん:年末年始のTV特集で、政治経済向きモノがいやに少なかったね。 寅さん:不安を掻立てないよう国からの御達しがあったのでは? 社会情勢、 世界経済を取上げれば、第二次朝鮮戦争の可能性云々に行きつくからね。 八つぁん:それだけ、状況は追い詰められているんだよ。としても、黙って 過ごせない問題である。今日明日にも再び、ミサイルか、核実験をする 可能性が大。とにかく、日中韓米と、ロシア首脳の顔ぶれが悪すぎるよ。 私など、元旦に帰省した次男に、『危ないと思ったら、三人で着の身着の ままに、ここに帰ってきなさい』と、真剣に勧めたよ。 大家:「そんなことあるわけない」という空気が、まだまだある。 北朝鮮の漂流漁船の数が異常に増えている。異常太りの金様の脳卒中待ち のところもあるようだが。一とき、痛風を思わせぶりの脚をひいていたが。 あれじゃ怖くて減量などの進言を誰も言えないよ。 熊さん:でも、数が月内に攻撃をしないと、もう手遅れになるから、日米韓は、 迷うよ。中国も、他山の石・騒ぎじゃなくなってきたよ。 大家:開戦ともなれば最も被害を受けるのは韓国と日本。手始めの脅しで、 東京湾沖に一発、ミサイルを打ち込めば、日本中が震えあがるよ。勿論、 アメリカと密約の上で… 動転させて不良在庫?の処分品の押しこみさ。 寅さん:何か物騒な話だが、有得ない話じゃないから… でも開戦ともなれば数百万 の死者が出るというじゃないか。首都圏に核ミサイルが… など、考え られないよ。でも、現実は現実、直視しておかないと。 大家:何せトランプは「アメリカファースト」言い換えれば「白人ファースト」 を標榜して大統領になっただよ。黄色の百万、二百万が如何なっても、 いいんだよ。アメリカ、オーストラリアで、現地民を数百万?を虐殺した 白人を先祖に持つ国。あそこまで、悪し様に口撃をされれば、虐殺も したくなるよ。既存武器の入替え時でもあるし。 八つぁん:あのボロ漁船で日本海の航海も限界がある、せいぜい数万人。 計画案は出来ているのだろうが。日本には離島が数知れずある。 熊さん:故・青島都知事に勝新が言ったというジョーク、「嫌な都政に なりやしたね〜」を、今度は、女パンダの口上にならなければね! 「‘どせい’ばいい」じゃなくて…」 <オチが悪い? 失礼しました> ・・・・・・ 6135,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び 2017年12月30日(土) * 熊さん、寅さん、大家に、八っつあん 熊さん: 貴乃花の処分、こりゃ何じゃい!あの理事連中の面構え、暴力団面 じゃないかい。頭の中は、?学校一年程度。俯瞰して考える元がないのに、 まともな判断など出来ようがない。これだけは公然と言えないことだが。 大家: あの横審というのも胡散臭いね。肩書は御りっぱだが、前例主義の 役人上がり。知恵とか、個人的理念が全く見えてこないね。 八つぁん: 初めから言っていたとおり、朝青龍、白鵬に舐められる訳だ。 必死に戦っているのに… お人形そのもの。奴らを間接恫喝で若手力士を 怒鳴り上げたら、震えあがっていたよ。主犯が白鵬、実行犯が日馬富士、 なだめ役が鶴竜。まあ、暴力団の脅しじゃないか。左からの張り手と、右腕 のカチ上げ風肘打ち。これが、朝青龍からモンゴル横綱に引継がれてきた 「横綱アドバンテージ」。逆をすると、稽古場に押しかけ『可愛がり稽古』。 寅さん: 何故、実行役だけが告発をされ、他の2人が大した御沙汰がないの? 貴乃花は、何はともあれ、この二人を刑事告発すべきさ。 大家: それと八角理事長は、先場所と、先々場所の横綱・大関の多数の休場 責任と、今回の事件を受け退任をするのが筋だろう。現役時代の「保志」と いう力士は良かったが、あれは理事長の器じゃございません。 寅さん: 白鵬も真摯で良い相撲取りだったが、何ですか、あれは。 大相撲はあくまでも日本の神事が建前がある。それを…逆上せ上りも いいところ。実際、間垣を除いた他の理事たちの心の底は拍手喝采さ。 熊さん: 貴乃花も、かなり変だよ。ありゃガキだね。もし報告していたら、 百%、有耶無耶にされて表沙汰にならなかったね。 若い時分に、教育係 が必要だったのさ。でも、横綱になる確証がなければ、それも依怙贔屓になる から無理ですか。でも、今回の処分に貴乃花は不満だろう。彼も一時代を築き、 一代横綱部屋の権利を貰ったが、引退すれば日陰の人。 八つぁん: この事件を受けて白鵬への、この権利が怪しくなったね。 40回優勝の権勢で、貴乃花親方の一番弟子の酒宴に三人して殴り込みとは… 怒るのは当然だ。あとの二人を告訴すべきだね。来場所には引退に追込まれる 可能性の高い?鶴竜が、力士会の会長を辞退しないで受けたのも、少しでも 有利の立場にいたいための浅知恵さ。 大家: ところで熊さん、白鵬のことになると、いやに生き生きするね。 熊さん: だって、あの万歳はないだろう。舐めるのも好い加減しろだ。 八つぁん: そもそも論になるが、こうなると、国技と称して税金逃れをして きた仇が、ここにきて跳ね返ってきたのさ。「相撲取り、引退すればただ のバカ」。何で検察が動かなかったか? 何を特別委員会の会長にしていた お陰だろう。でも、貴乃花は、本気になってモンゴル横綱を追い出すべきさ。 大家: それにしても、朝青龍の不祥事後の大相撲を、しっかり、横綱の役割を 務めてくれたし、一概には言えないよ。彼も人の子だよ。 寅さん: 幼稚でバカなら、せめて利口な振りをさせる必要があるよ。そのことに 周囲がもう少し気を使ってよ。 八つぁん: 私の中学校の同級の友人に、大手レコード会社の重役をしてた後に、 レコード協会の専務理事をしていたのがいたが、彼が入社の仕立ての頃には、 森進一や、山口百恵の教育係の専属をしていたとか言っていたよ… アイドル や歌手には基礎教養を意図的に加味させていたようだ。三役にもなれば、大物 としての教養のベースをつけてやらないと… 白鵬を見ていると、気の毒だよ。 でも焼き直さないと無理だろうね。 大家: こんな与太郎レベルの会話の中に私を呼び出す必要などないよ。何故だい。 八つぁん: 大家さんが出てこないと、こんな話を大声?で話せますか。 総括として、<貴乃花よ、よくやった。それが好角家の総意であります。> 大家: ついでに告訴をして、一歩踏む込んだ問題の解決が必要。 「張り手、肘打ちの禁止」の規定をすべきだが、あの面々からして無理ですか。 寅さん: このままでは終わらない禍根が深まっていく根深い事件だよ、これは。
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6153,閑話小題 〜ネガティブな感情が成功を呼ぶ |
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2018年01月17日(水)
『ネガティブな感情が成功を呼ぶ』 ロバート・ビスワス=ディーナー (著), 〜Amazonの内容紹介〜 ー100%ポジティブをめざす人よりも、20%のネガティブ時間を有益に使える人 のほうが、仕事でも学問でも成功し、幸福な人生を歩める!ー 怒りは想像力の燃料となる、罪は改善を促す、自己暗示こそがパフォーマンスを 向上する、我ままは勇気の源だ、非情(マインドレス)がよりよい決断につながる。 ポジティブ心理学の若手精鋭研究者による(心の暗い部分)がもたらす効用に 関するユニークな論考。どのような状況にも素早く対処できるように、あえて いろんな感情に目を向ける力を持つこと、ありのままの自分と付き合うことの 大切さをわかりやすく説く。ー ― ▼ リタイア―以降から現在に至る私の実感である。 表向きは「落ちた人」 の立場。イメージとしては、「遠くの火事場を楽しみにしている人達が大挙 してやってきて、特に金融系の何?にとって、経済犯罪者そのものの欠席裁判。 これほど楽しい検事たちの酒のツマミの罪状つくりにあいなる。 ところが、 これが見え透いているため、そのネガティブな感情そのままが合せ鏡で見える のが、実に面白い。それを感じるほど、その数倍のポジティブの心理状態に 自らを置きざるを得なくなる。これが、新たな旅立のための習慣化を促す。 特に、自分自身と、岩場に閉じこめられた山椒魚に… 怒りと侮蔑感が湧出る。 これがエネルギーとして、世界を改めて再構成して見ることになる。それが 面白い。「喜怒哀楽」の感情で最も重要な役割は「怒り」である。エネルギー の源であるため。これを知ったのは、20代半ばの頃。 ナチスの大衆煽動に、 使ったのが、「怒り」。今では、北朝鮮の金王朝の一連のドン様の権力維持の ための手法である。白鵬の自作自演の暴行事件もしかり。脇役の若頭の横綱が 思わず、モノを使っため追放になったが、誰が何の為かは、自明である。 ・熊さん: 白鵬の『横綱アドバンティジ』の左手の張り手と、一瞬遅れの カチ風「肘打ち」を封じられて、連日苦労していたが、昨日は負けたね。 ・寅: プライドの高い白鵬、それがバレて今まで通りに勝てない上に、 八百長強要の疑惑が明らかになれば… 40回の優勝記録も何の価値もなし。 まあ、あの酷かった朝青龍並みに落ちてしまったな。相撲に取り組む 姿勢は好きだったがね。 … ネ、大家さん。 ・大家さん: 私が話に参加するより、二人のレベルだろう。これは。 ・熊: モンゴル人の子供たちのドリームの選択肢は、大相撲の横綱 ぐらいしかないしね。次から次への強そうな出ているね。 ・八つぁん: チビッコ相撲上がりの力士にも、有望そうなのもいるしね。 これまでも、これからも、こういう事件を抱え込んでいくしかないし、 そのネガティブを抱え込むから、進歩があるんだよ。 要するに、 「正・反・合」あればこそということ。 大家: あら、あんたも出てきたの。なら私にも話をさせて… 21世紀の大相撲は、かくあらんで、内向きの日本人だけよりも遥かに 面白いよ。『横綱アドバンティジ』つくりと、八百長疑惑もあってさ。 八つぁん: まさに、『ネガティブ』を孕んで乗越えてこそですか… 熊さん: 何か一連の事件を通して、話し合っている内に、利口になった ような。こういうのを知っているかいないかで大いに違うね。 寅さん: これが21世紀ということね。ところで、稀勢の里が、前評判とおり、 引退の危機だね。弱いのを強引に祭上げたせいさ。気の毒なのは本人さ。
・・・・・・ 2844, 「ほめる」言葉 −1 2009年01月17日(土) 《精神対話士》の「ほめる」言葉 ーメンタルケア協会偏 読書日記 図書館で何気なく手に取った本。人間関係を円滑にするための褒めるノウハウ書 と思ったが、《精神対話士》の、という部分が気になり借りてきた。ところが、 なるほど口先で褒める言葉ではなく、心の底から褒める言葉が並んでいる本。 基本は、「相手の存在を認めることから、すべてが始る」である。この本を編集 した財団法人メンタルケア協会とは何か?がHPにあったのでコピーする。 < 慶応大学医学部出身の医師達が中心となって設立された協会。 「人間は病気など、さまざまな障害によって心に不安を抱え、人生をマットウ するための根幹となる「生きがい」を見失いがちになることに着目。それらの 人々を真心の対話によって励まし、「生きることの尊さ」を共感できる 「メンタルケア・スペシャリスト養成講座」を開催。一般に普及させるため 精神対話士の育成、認定、派遣を行っている。この本は、精神対話士の効用の 一端を「ほめる言葉」にまとめたもの。「温かいひと言」を相手に投げかける ことで、親密な人間関係を築けることを教えている。> 借りて少し読んだ後に、直ぐにアマゾンで注文をして取り寄せた。 こういう場合、アマゾンは有り難い!私が人を褒めると、知人や同級生に 驚かれることが何度かあった。「おい、どうした?お前が人を褒めるなんて 殆どないのに!」である。ということは、「けなしても、褒めてない」のである。 私はけっこう褒めているつもりだが、違うのである。「営業用の褒め言葉」を 聞きなれているため?言えないのである。全て知った上で「嫌味」を言うより、 営業用でも褒めた方が良いのだが、しかし、しかし、言えないのである。 (字数制限のためカット 2012年1月17日) ・・・・・・・ 3584,閑話小題 2011年01月17日(月) * 日めくりの格言 「仕事に雑用はない!」 そうか! そうだ! これ 「人生」にも「普段の生活」にも当てはまる。 * セレンディピティとは − ウィキペディアによると、 <セレンディピティは、何かを探しているときに、探しているものとは 別の価値あるものを見つける能力・才能を指す言葉である。何かを発見した という「現象」ではなく、何かを発見をする「能力」を指す。平たく言えば、 ふとした偶然をきっかけに閃きを得、幸運を掴み取る能力のことである。 例えば、諺の『犬も歩けば棒に当たる』や、北原白秋作詞の童謡 『待ちぼうけ』の一節「ころりころげた きのねっこ」の状況にちかい。> ー「運」が良い人は、突き詰めると、この能力が研ぎ澄まされている。 それには心根が真直ぐに伸びてないと、土壌もあるが? * 「あげぽよ」「うけぴー」「わや」「ちゃいちゃい」 これが女子中高生ケータイ流行語大賞の候補と!ニュースにあった。 まったく理解できないが、感覚的には面白い。 ーそこで早速ネットで調べてみたー その内容といえば、 【 流行語大賞の候補に、「あげぽよ」「アラシック」「ちゃいちゃい」 「うけぴー」「うぇーい」「わや」「もふもふ」「やっふぃ」「もいきー」 「ちゃんねー」「ポイポイポイポポイポイポピー」「やびゃあ」など20が あるとか。それぞれの言葉の意味や出所だが、 ・「あげぽよ」は「テンションアゲアゲな状態」を意味するギャル語。 『ぽよ』は、可愛いので語尾に付けるが特に意味はない。 ・「ちゃいちゃい」は『ばいばい』『またね』を意味する」 ・「アラシック」は「アイドルグループ『嵐』のファンを指す。 病気になってしまうほど、嵐が好きという意味。」 ・「やびゃあ」は、「『やばい』が変化した言葉で意味は同じ。 ・「ポイポイポイポポイポイポピー」は、素人女性宴会芸集団 『あやまんJAPAN』が『LOVE&JOY』という曲に乗せ歌い踊る中で 使用される掛け声」などである。… ー流行語は、その時代に反映するが、女子中高生の間だけなら 良いとも言ってられない。 普段使う言葉こそ重要だが、 「今どきの若い者は!」のレベルダウンになる。何処かの女子大生の 別れ際の言葉「皆様、御機嫌よう、さようなら」もある。 ・・・・・・ 5056,閑話小題 〜つれづれに 2015年01月17日(土) * つれづれに ☆ 一昨日の新潟駅周辺で、後ろから連れのオバサンの話が聞こえてきた。 その話題の内容とは、「年金は、とにかく前倒しに貰った方が良いみたい。 ところで〇〇さんの主人、定年で一日中、家にゴロゴロしていて、何処にも 出かけないというけど、小遣いを一万しか与えてないのなら、出かけようが ないわよね・・プライドが高いので、財布が空なら人とも会えないしね〜」 と、何か深刻の内容。そして物価値上がりの愚痴が続いていった。 ☆ 地元のカラオケスナックでは、60歳位のチイママのところに電話が何度も 入って真剣な顔。聞くと、「アパート持っているが、その住人が気分が悪くなり 救急車を呼んだが、親戚が分からないので、大家の私に連絡があった。 本人は生活保護を受けていて・・ でも、どうしようもないしね」とか。 何か、切ない話ばかり。 ☆ 最近、人に会うたびに、顔色がツヤツヤしているといわれる。自分でも鏡を みると、そう思うが・・ スポーツジムの効果があるのだろう。朝、4時起床 からのスケジュールを真面目にこなしているので、当然だが・・ ☆ どうも冬期間(12〜3月)は、チャリが雪道のため乗れない。 早朝のポタリングはストレス解消というより、エネルギーの充電になる。 それでも週3〜4回のスポーツジムでのエアロヨガがあるからまだ良いが。 ☆ 人から聞いた夫妻の話が凄い。「旦那の職場からも、一人娘と親も含め、 夫婦して年賀葉書が一通こない」という。ただ、それだけの話だが・・ 夫婦自閉症ということ? 老いる度に、最後は、誰もが津軽海峡冬景色? ・・・・・・ 5786,閑話小題 〜つれづれに大相撲 2017年01月17日(火) * つれづれに大相撲 初場所が始まって、はや後半になる。いつもの場所と同様、 <全勝の稀勢の里が、最後は残念ながら優勝を逸しました>の物語の様相に なってきた。前の親方が、他の部屋への稽古を禁止したのが、いざとなると、 負けてしまう脆弱な性格をつくりあげたようだ。白鵬も、やはり相撲年齢も あってか最盛期の力はない。だから面白いのだが。一連の八百長相撲の問題で ヤリニクイだろうが、阿吽の呼吸で??でもしないと… この男には! * 張り手の禁止が必要では ☆ 白鵬と、朝青龍の時代から張り手が多くなったが、これは変だと常日頃から 思っていた。上下関係の厳しい大相撲の世界で横綱の顔を張るなど、とんでも ない思いこみを利用した卑劣な行為。張る方も、脇が甘くなり、差されてしまう 危険が大。先場所、張られて脳震盪をおこした力士がいた。今場所も、その恐怖 が残っていてか、初日はオドオドしていた。 やられたらやり返すのが、プロ。 必ず2倍は張り返せばよいが。そこを逆に狙われる? 相撲は立合いから数秒で 勝負がつくため、立合いの駆け引きが面白いが、張り手の瞬間、何か白ける。 * チビッ子相撲上りの中に? ☆ 最近、チビッ子相撲上りの相撲取りの方が、野性味は少ないが、子供の頃 からの基本があるため、強そうなのが出てきた。指導者も方針を変えたようだ。 だから、年末に全日本相撲選手権、学生相撲選手権で、逸材を見抜くのを楽む ようになっている。もう5年前になるが、中村大輝が二年生の時に、東日本学生 相撲選手権で優勝をしたとき、これは強くなると思ったことを憶えている。 来場所入門組の中にも有力なのがいるが、現在の2年3年にも多くいるようだ。 相撲は年寄りの楽しみということか? そうこうみると、外国に開放したのも、 正解だったのかもしれない。ただしアジア系に限り… ・・・・・ 4324, 財政恐慌 −2 2013年01月17日(木) ー まずは具体的な内容を抜粋してみる ー 『財政恐慌』浜矩子著 ≪ ー 今回の質問の内容 − ● 我々は今どこにいるのか ● いかにしてここにきたのか ● なぜ、ここにきたのか ● 我々はどこに行きたいのか ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか ◎ まずは、「我々は今どこにいるのか」「いかにここにきたか」「なぜきたか」 □ 今、我々は閉塞感のさなかにいる。 いかにしてここにきたのか・高度成長期 が終わり、ニクソン・ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、 失われた一〇年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を 味わい、格差の深化におののき、衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。 なぜ、ここにきたのか。ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、 時流に身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。 ◎ 我々はどこに行きたいのか □ 我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や年金 問題や通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。 そのような安らぎの天地を求めている ◎ 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか □ 政府は、「新成長戦略」をもってそこに到達するのだと言っている。 だが成長神話は古い。それに、この間を通じて日本経済はそれなりに成長 してきた。ところが、それによって人々が安心することができるように なっているわけでない。今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。 大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。 そのための新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。 ≫ ▼ アメリカが日本に強いたプラザ合意。国内需要の喚起のため、ばら撒いた 金が不動産投資などバブルを引き起こした。そして5年後のバブル崩壊。 その後は歴代首相が経済成長という幻想を目指すばら撒きの繰り返し。 その結果の膨大の借金。偶発的?に権力を握った二人の元首相がすることは 決まっている。更なる膨大の国債発行。 これが最期のトドメとなる。 ・・・・・・・・ 3209, 年金支払い総額 1400万 2010年01月17日(日) 「年金定期便」とかいう大型の封書が日本年金機構から送付されてきた。 41年間で総額1388万円である。(以前の年金通知の中にもあった かもしれないが、記憶に残ってなかった>)その間の金利や貨幣価値の変動 などからみて3倍が妥当。実質の支払額は 1400×3=4200万は 積み立ててきたことになる。それも半強制的にである。 私の年齢は63歳の去年の7月から21万円が死ぬまで年金として支払われ。 21×12ヶ月×(平均余命80−63歳=)17年 −>4284万になる。 成るほど、こんなものになる。但し、自民党と官僚が、これを過去に食い散ら してなければである。ところが、田中角栄様が、その年金を食い散らす算段? をしていたのである。その掛け金の支配金は、我われに年金が支払われる 時点の掛け金で賄われるシステムに換えていたのである。未来のために 積み上げた年金を現政府が自由に使えるようにしていたのである。 酷いものである。腹がたつ以上に、情けない。 当時の政府も、少子化とか、 国家のダウンサイジングが現実のものになるとは思ってもいなかったのだろう。 数年前から団塊世代が年金組になって、大問題になってきた。こういう事態 をみて、今の若い世代の人たちは年金を支払いに疑問を持つのは当然である。 いずれにしろ我われは大きな問題に直面していることだけは確かである。 年金税も現実問題として有りえる。 ・・・・・・ 3949, 国債暴落、円安、超インフレは何故? ー1 2012年01月17日(火) * ユーロとドル安が続いているが、 欧州各国の国債の格下げでユーロ安が続いている。まだ株式の暴落が起きて ないが、一日一日、その緊迫度が伝わってくる。地震(リーマン・ショック) より、津波(世界恐慌)の方が遥かに破壊度が大きくなる。ニュースで近じか 仏大統領が大きな決断を下すという。ドルは50円、ユーロは60円、株価は 6000円?もありえる事態。 ただし段階を踏むだろう。日銀の白川総裁が、 「欧州危機は、最大のリスク要因になっている」と述べたが、日本経済も体力 が弱っているため大打撃になる。 分かっていたことだが。 問題は、三月あたり・・・ 「日本の論点 2012」ー円の落日ー「国債暴落、円安、超インフレは来る?」 が、この辺を分かりやすく書いている。 《 デフレであるかぎり、円高は続く「歴史的な円高水準」が続いて久しい。 直接的な要因として挙げられるのが、米国のFRBによる積極果敢な量的金融緩和 政策だ。二〇〇八年九月のリーマンショックを受け、FRBは合計二兆三千億ドルに およぶ国債などの買い入れをおこない、金融機関に流動性を供給した。 これで、FRBのバランスシートはいっきに三倍に膨らんだ。成果については賛否 両論あるが、これだけ大量のドルが市場に出回れば、その価値は相対的に下落 すると考えるのがふつうだろう。しかし、円が高い理由はそれだけではない。 日本のデフレの影響も大きい。 長期的な為替レートを決める要因の一つに 「購買力評価」がある。同じモノは世界中どこでも同じ価格で売られるはず であり、それを調整するのが為替レートであるという考え方。 つまり、為替 レートはインフレ率の差を相殺するように動くということである。たとえ 二〇〇〇年から今日までの十一年間で、米国の消費者物価指数は約三〇%上昇。 いっぽう、デフレの日本の伸びは、ほぼゼロだ。また、二〇〇〇年の為替レート の水準は一ドル一〇七円前後の日米のインフレ率の差である三〇%が為替レート によって調整されたとすると、現在は一ドル約八二円の水準である。 とすれば、今日の為替レートは、けっして「異常な円高」とはいえない。 つまり、インフレ率の高い国の通貨は安くなりやすく、デフレの国の通賀は高く なりやすい ーおよそ二〇年にわたってデフレから脱却できない日本の円が高く なるのは、必然であるといえるだろう。さらに円高は、デフレの要因にもなる。 海外から商品を安く仕入れて売れば、競合している国内の商品も価格を 下げざるを得なくなるからだ。それは、工場の海外移転や人員または給与の 制限といった国内産業の合理化を促す。さらにそれは生活基盤を失わせる 雇用不安につながるから、また消費が控えられ、デフレが深まり、ますます 円高が進行する。こうしたスパイラルから抜け出さないかぎり為替介入などの 円高対策も実効性は薄い。》 ▼ ビッグマックの各国の為替換算の値段は、日米が同じ、中国は半額、 スイスが二倍という。以前、欧州でビッグマックが日本の三倍近いのに驚いた ことがある。 欧州危機をキッカケとした世界恐慌が近づいているようだ。 それも想像を絶したものになるはず。 これから数年間は、銀行閉鎖? ハイパーインフレ? 株価が半値? 何でもありか。
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2018年01月16日(火)
* つれづれに、独り言 ☆ 少し積雪があったようだが、8〜100僂阿蕕い。一月半ばはこんなもの。 例年は1・5m位は積もる。地元の道路は大方、消雪パイプのため乗車に問題ない。 要は今週の積雪が如何なるか。居間と寝室にエヤコンがあるが、冷暖房費を 考えて、殆どつけない。家では、古くなったダウンジャケット、ダウンベスト、 フリースに、アンダーベストの重ね着をして過ごす。 姿見をみると、恰も エスキモーか、ホームレスのよう。夜間も、電気アンカを抱いて寝ている。 それでも、電気代は普段月の2倍以上になる。 これを書上げる為に冬期間は3 0分遅れの4時半に起床して、まず風邪予防に生姜湯と、ヨーグルトを飲み、 仏間の一角のパソコン前に鎮座する。で、常に鼻風邪気味状態。
☆ 昨日から大相撲が始まった。土日は15時から、平日は16時〜18時までTVの 相撲観戦になるため、日常の生活が少し変わる。今場所は「暴行事件の不祥事 の最中、モンゴル人対日本人若手力士の対立構造が浮上がり、それに加え、 最高格行司の式守伊之助が男色で、泥酔の上、セクハラ行為の結果、業界から 実質追放の結果、天覧も中止に相成った。初日、横審のメンバー御揃いの前で、 白鵬が御得意の「横綱アドバンティジ」(左手張手、右肘打ちの立合い)を 披露するかどうか?が注目されたが、流石に無理!マトモな立ち合いの結果、 初日は、土俵際で一本足で残し辛うじて勝を拾い。昨日も、張り手が使えず、 苦労の勝利。「幽霊の正体見たり枯れ尾花…」。40回優勝の威厳が地に落ちた。 その結果、張りつめていた気力も萎えて引退も近づいてきた。 …としても、 大横綱であることは間違いない。
☆ 冬と季節の変り目には、40年来、腰痛予防も含めてホッカイロと腰ベルト を装着するが、今では5月と11月に一週間位になっている。スポーツジム通いと、 そこのヨガ効果である。ヨガそのものも良いが、普段の生活の中で、無意識で ストレッチをするようになったこと。布団の中で、背筋を延ばしたり、足の裏 を合わせたり、パソコン前で、顔面と耳と頭をマッサージする。リタイアから 7年になり、現在の生活に馴染んで、楽しんでいる。「独りリズム」で心を浮か せる「独楽」は、昔とった杵柄。この随想日記もそうだが… この生活も何時 まで続くことやら。 幸せな人は、何があっても、何をしても幸せになる。 「独りのリズム」を作れるため。基本は己の居場所を見つけ、そこで転々と すること。 傍からみれば、気味が悪いのだろうが…
・・・・・・ 5055,生と死をめぐる断想 ー6 2015年01月16日(金) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 時代という背景 それぞれの時代背景に相応しい、医療からはみ出た民間の癒しが出てくる。 著者が、それをシンプルにまとめているが、これは大衆の生活の知恵でもある。 癒しは、心奥で誰知れず独り納得するもの。長年かけた信仰を持たない人たち にとって、手近な癒しに縋るしかない。 〜その辺りを抜粋〜 ≪「癒しを生きた人々〜近代知のオルタナティブ』(田邊信太郎.島薗進編) という本は、そうした煩悶の中でひかれた本だ。タイトルに多くのメッセージ が含まれている。「癒し」は医療からはみ出た広汎な領域を、考察の対象として いることを示す。そしてそれをオルタナティブ(代替)な知と位置づけている。 「生きた」は「実践」であろう。実践した当人による主観的な記述でなく、 第三者たる研究者が客観的に論じているのも、読みたい気持ちを起こさせた。 取り上げている、それぞれのキーワードを一文字で、著者らは示している。 坐 岡田虎二郎と岡田式静坐法 霊 大本と鎮魂帰神 心 森田療法の心と癒し 食 マイクロビデオテックの世界観 気 野口晴哉と「全生」思想 ・岡田式静坐法は岡田虎二郎が創始した、呼吸と姿勢を重んじる静坐法。 ・大本は出口なおを開祖とし出口王三郎が礎を築いた神道系の新宗教で、 ・御魂帰神という技法を特色とした。人についた霊にはたらきかけ、 その人の口を通じて霊に語らせ、病気その他の問題の原因を突き止めて、 霊を祓い鎮めることにより解決を図る技法である。 ・森田療法は精神科医の森田藤慰が考案した、神経症に対する独自の精神療法。 ・マクロビオティックは医師で薬剤師でもある石塚左玄の提唱を、桜沢如一 が発展させた、狭義には食事療法だ。 ・野口晴哉は野ロ整体の創始者である。現代にも活動が引き継がれ、健康法 として修養として今なお多くの人を集め、海外まで広まっているものもある。 ・森田療法は一章でふれたサイコオンコンコロジーの医師が、欧米の研究者 から禅に次いで質問を受けるものだと言っていた。 ・野ロ整体はカルチャーセンターの講座でみかけ、現在も読まれ続けている。 ・マククロビオティックは毎外の著名人が実践していることで知られ、 レストランや物販の展開、料理本の相次ぐ出版と、商業的にも 一定の 成功をおさめている。 ≫ ▼ どれも東洋的土着の癒し。他に、天理教、お光様など様々ある。 どの時代も、ストン!と暗黒の穴に嵌まり込み、独り、思い悩んでいる人が、 多く存在する。現に、様々の落ち込んでしまった人を多く見てきたが、確かに 人生は厳しいことの連続。逆に、この暗黒の穴に落ち込んで、独り這い上がった 経験がない人に、恐ろしい未来が待っている。四苦八苦を乗越えてこそ人生だが。 ・・・・・・ 5785,閑話小題 〜アンドロイドTV 三週間後 2017年01月16日(月) * アンドロイドTV 三週間後 昨年暮れに寝室のTVを入替えたが、これがアンドロイドTV。 グーグルとソニーの共同開発のソフトのアンドロイドが組み込まれたTVで、 コントローラに声認識が付いて、キーワードの声認識で、YouTubeなどの番組、 映像を呼び込んでくる。今までは20インチのパソコン画面だったが、今度は 大型TV。それが見たことがないようなクリアーの画面となれば、オーバーに いえば、毎日が異次元の日々に様変っている。 タブレットと同じ位に驚かされたPC。特に、秘境の大自然の光景に惹れたが、 過去の蓄積がさせているため。 「ゴッフのヒマワリ」と声認識で入力すると、 美術館で、現物をみるより繊細に加工された、より綺麗な絵画が現れたとした ら… それが大自然の光景なら、更に素晴らしい。白川義員のヒマラヤ上空を 見たことがあるが、これも人間の裸眼で見るよりも遥かに美しい光景を映し 出していた。 数年後には4k、8k画質の画像が、配信されるというが、これでは映像世界 が様変るだろう。世界各地の名所で自撮棒で撮った4k映像を編集し投稿した 映像が幾つか投稿されているが、どれもこれも息を呑む異次元の世界。 私の数十回の秘異境ツアーそのままを撮影し編集したとしたら、これらに決して 劣らないと思う。が、当時は、デジカメさえない時代。 当初、アンドロイドTVはPC機能が入っているものと勘違いしたが、これは オプション。パソコン機能の端末を購入すればよい。 6年半前のTVとは、 機能性能からみて一桁違うアップしている。 〜AndroidTVをネット検索より… 【 AndroidTVでできることは ※「テレビ画面で、インターネット配信映像を見られる」 ※「スマートフォンやタブレットをリモコンにして、配信動画をテレビで表示できる Chromecast互換機能『Google Cast』が使える」 ※「Android TV向けのアプリが実行できる。ゲームやさまざまなアプリを実行できる」 という3つが挙げられます。 ・1つ目は、スマートテレビとしては当たり前の機能ですが、YouTubeだけでなく、 Google PlayムービーやHuluといったビデオオンデマンド配信サイトの映像も購入し、 テレビでそのまま鑑賞することができます。ちなみにGoogle Playムービーなど Google Play関連からコンテンツをダウンロード・購入する場合、Googleアカウント が必要となりますが、既にAndroidスマートフォンで使っていたGoogleアカウントを AndroidTVでも共有できます。GoogleアカウントのAndroidTVへの登録は、Android スマートフォンで指定にURLにアクセスし、画面に表示されるパスコードを、 AndroidTVに入力するという簡単なオペレーションで行うことができます。 ・「Google Cast」は、「Chromecast」互換とも言える機能です。 Androidスマートフォン・タブレット、およびiPhone、iPadといったiOS搭載機器 から映像をキャストできます。キャストとは、Androidスマートフォンなどの端末 からURLを指定し、そのURLの動画を写すという機能のことです。 ・そして「アプリ実行」は、AndroidTV搭載のテレビであれば、テレビ単体でAndroid 向けのアプリを実行することが可能という機能を指します。 Androidスマート フォン・タブレット用には多くのアプリケーションがGoogle Play から提供されて いますが、Android TVでも同様にGoogle Playからアプリをインストールし、実行 することが可能です。テレビのGoogle Play画面からインストールすることも 可能ですし、PCのGooglePlayからリモートでインストールさせることも可能です。 ・ちなみに、Android TV用のアプリケーションは、Androidスマートフォン・タブレット 用に開発されたアプリケーションに、多少の改修(Android TV用ライブラリのリンク、 Android TV向けUIに対応した操作の追加)が必要となりますが、ほぼ共通のソースを 使うことが可能で、モジュールもAndroid TV・スマートフォン両方対応のものと なります。 ―― ▼ 去年の秋口に地元の従兄の葬式に、東京下町に住むカメラマニアの従兄が来た時、 「84歳で進行ガン。あと10年遅れて生まれたかった!4kテレビと、4kカメラを 4台持っているが、これが素晴らしい。ドローンにカメラをつけた空中写真を撮るのが 夢だったが!」と語っていた。彼の年齢は85歳だが、このテレビに切替える切っ掛け になった。そこで、考えたのが、これまで行った秘異境と、遺跡、美術館などを、 アンドロイドTVで映像を通して訪ねること。白黒TVとカラーTVでシネマを見るのと、 違うように。情報、音量、迫力はシネマに及ばないが、画面は、この方が良い? パナソニックとソニーのTVは、これに絞った付随した機器グループの戦になるとか。 ――― 5764,パソコン融合TVの時代に 2016年12月26日(月) * 再びYouTube 以前、ÝouTubeが面白くて、別のブログ『バートウォッチ』に、面白そうな 映像を紹介していたが、今では各TV局がチョイスをして放映している。 一月ほど前、家電チェーンの売場を暇に任せ彷徨っていると、売場担当者に 『アンドロメダTVが最近売れてますよ』と声を掛けられた。ソニーがグーグル と共同開発したアンドロメダを基本にしたパソコンとTVを融合した、一言で いえば『画面検索付パソコンテレビ』。グーグルの検索機能をコントローラに 付けて、音声入力をすれば、目的の映像を呼寄せる機能。 選択したÝouTubeに、 「4k画面 築地 マグロ」と発声すると、4K画面のマグロの解体シーンが 映しだされた。ミソは「4k画面」のキーワード。一般放送で、まだ4k放送は 少ないが、YouTobeには4k録画の映像が投稿されている。それは、これまでの 映像とは違った鮮明な画面。担当がいうに『売れているのが、アンドロTV』。 そこで家でチラシを改めて見ると、ÝouTube付が有るのと無いのがある。 新しい方のソニーのPCで、その画面をみると4kで入力された画面があった。 生々しい現場で撮影され投稿された映像、例えば、『シナイ山の初日の出』 『北欧のクリスマスイブの光景』『聖地の祈り』『ナイル川クルーズ』とか、 『サントリニー島の日没』等々、何でもござれ。これらを大画面TVの音声検索 で瞬時に茶の間で見れるのだから驚いてしまう。18ケ月〜24ヶ月で、情報機器 が半額に下り続けているというが、商品としての機能が、それ分アップする。 パソコンTVが、既に売れ筋の主流になっていたとはね。グローバルになるわ! ・・・・・・ 4690, 身近な貧困 ー4 2014年01月16日(木) * 最も貧困なのは、自分の脳! と、人生の貧困 貧困といえば、その最たるものが己の脳、いや各々方の脳。「無知の知」 ではないが、まずは、その自覚が第一歩。脳は暗黒大陸といわれたアフリカと 同じように、未開の分野。何故か一生の間に脳の2〜3%しか使わない。 あっても使えないのは、無くて使えないことより遥かに問題。自分で知恵を 絞って使うしかない。脳活動を邪魔をするのが「自分は他人とは違う」という 逆上せ上がりと、逆に「自分は、この程度」という枠の設定。 まずは知らずに洗脳されたまま、脳を使いこなせてない自覚が第一歩。 ソクラテスの自分は何も知らないという、「無知の知」から出発するしかない。 ところが、それが難しい。最近、スマートフォンやタブレットPCという脳補佐 マシーンが出現し、これまで使いこなせなかった高年齢者や、女・子ども気楽に 使えるようになってきた。これで世界が一変してきている。何せ、キーワード で各々の脳が繋がり、それぞれ蓄積してきた知識・情報・知恵の公開を始めた。 そのアクセスも、記憶補佐マシーンの普及で一瞬で可能になっている。 問題は、その消化。そのためには基礎知識がベースに必要である。 しかし目標を定めれば、情報と知識はネットから誰でも簡単に手に入る。 チャンスはスマート機種開発に中にある。今年から数年にかけて奇想天外な 面白い端末が出てくる。既にあるが、コスト面で表立ってないが、量産に目処 が立てば大幅ダウンで普及する可能を含んだものがある。「脳の貧困と何を もっていうか?」の疑問が立つ。 もう一つの貧困といえば、人生の達成感、 充実感。死を恐れる原因の最大の心理要因が、この貧困感。私の嫌う「C」 さん、に多いが、これも脳の貧困が起因している。何度も書いてきたが、 秘境ツアーに来ている初老に差し掛かった人が、けっこう正直に、 『 人生、あまり深く考えずに親の価値観を信じて、ここまで生きてきた。 ところが、残された人生も後僅かと気づいた。このままでは死にきれない! 世界の果てで独りになって考えるため、ここまで答えを求めてきた。 帰ったら、直ぐに直面する問題が待っている!』と。それでも、 そのことに気づいただけ良い。人間という無限のエネルギーが、小さな 肉体と生活習慣と運命・宿命に閉じ込められ窒息しそうな一生を終える。 これが人生だが、このことに気づくか?気づかないまま、一生を終えるか? 気づかないのも、人生。亡くなったが、中学の担任の定年時の悩みを直接、 聞いたが、それは深刻だった。「90歳を過ぎた両親に言いなりの人生。 一歩も外に出れないほど苦しいことはない!」 人生の貧困感である。 決して、それが貧困ではないが、初老性ウツである。これも偶然だが、 以下の去年の「我々がみずからに投げかけるべき質問群」に継っていく。
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6151,閑話小題 〜誕生日の早朝、20歳の私との対話! |
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2018年01月15日(月)
* 20歳の私とですか! 今日は「72歳の誕生日」。「目出度くもあり目出度くもなし」である。 「自分が、この年齢になるとは!72歳の私って誰のこと?」が実感。 面白いので即興で、20歳の私を呼び出し、現在の私と対話させてみる。
― 20歳の私: 72歳の自分と出会うなんて何か奇妙な心持がする。 私: 私でも、そう思うよ。自分で自分じゃないみたいな… 老いるとは、 こんなことかと、毎日、新しい老いの発見の連続だよ。 20歳の私: 精神年齢は正直のところ幾つぐらいに思えますか。 私: そうね〜 20歳から60歳の間を、彷徨っている感じかな〜 とにかく、ネットと、TVの御蔭で、キーワード探しをして、面白い 情報と知識に次々と出あえるからね。それは、アンタには解らないよ。 想像しろと言っても無理だろうがね。 20歳の私: 1966年と、2018年じゃ、想像も出来ないよ。でも、ソ連が崩壊。 中国が自由経済社会に変身。日本もアメリカによって骨抜きが進み、属国 状態。それと現実社会をネット社会が覆ったというが、どうだった、 この半世紀の実感は? 私: あの頃はバブル経済の二段階辺りで、何もかもが夢のようだった。 あなたは、翌年に一ヶ月間の欧州旅行をすることになるよ。 20歳の私: 本当ですか。 私: そうだよ翌年のゴールデンウィーク時に、ヘルパーとして手伝いに 行っていた軽井沢の『友愛山荘』で、他のヘルパーに感化されて… 欧州一周旅行。それで小さい、固い殻が木っ端微塵に叩きこわれ、新たな 真我が顔を出すことになるんだ。 20歳の私: そこで、人生が変わりそうだね。 私: 今考えると、あれが良かったか、悪かったか? それでも、以来、 51回も、地球を広く深く見て歩けるんだよ。そりゃ面白いことは確約する。 大変だとしても、これは絶対に良いよ。デズニィのキャラクターのように、 今は頭でっかちで良いんだ。とにかく、毎日をフル回転すべきだよ。 私は、当時のアナタに感謝しているんだよ。 「キリスト教倫理」の教授が、夏休みの宿題に、「生涯展望の見取り図」 を、一夏かけて必死に書いたよね。 それに対し、教授が丁寧な返事がきたよね。 あれが良かった。 20歳の私: 軽井沢の山荘で、早朝、近くの「離れ山」を散策しながら、 必死に考えたさ。毎日が若い女性の旅人たちと歌い踊ってね。 今が人生の春ど思っていたが、もっともっと面白いことが連なり待って いるなんて。 ところで、激変の中で、生きてきた実感は? 私: 当時、『全機』という禅語に出会ったね。あの言葉を貫いてきたのが ポイントだったようだ。 正法限蔵全機の巻に、「それそのものが何もの とも相対せずに存在していることを全機という。」と。「人が持つ全ての 機能を現し、発揮する」事をよしとする意。 これだったんだよ。 20歳の私: かなりズッシときたが、成るほど。 私: でも、こうして話せるのは、この年齢まで生きているからさ。 「純真な心の芯が魂」ということさ。 最後の最後は、そこだよ。 20歳の私: 行蔵を覗くと、そうでもないようですが… 何か偽悪と、 露悪を楽しんでいたような。こんな筈ではなかったんじゃないですか。 何か、勝手に自分を卑小化していませんか。 私: いや、こんなものさ。 20歳の私: 面白いから、また呼び戻して下さい。 ― ▼ あたかも、別の存在に憑依され支配されている自動書記のような感覚の時間 が過ぎていたような。対話は、あたかも「己の人生の使用前と、使用後の内面 の自己対話のような。インナーチルドの青年期の私との対話とも。 煉獄内の独り言?
・・・・・・ 1月15日 1969年 今日は学生時代最後の誕生日だ。 毎年この日にNHK「青年の主張」を必ず見ることにしている。 このよう見るのは最後だろう。 内容と評価を、メモをしながらみた。 ・北海道代表の武田(女)さんの主張 あまりハッキリした意志が感じられないー65点 ・東北代表の清水さん 働きながら夜間にいっている。自分をしっかり把握して真正面から 自分を見つめられる人間になりたい −70点 ・四国代表の中西さん(女)ー実習教官 自分を温かく包んでくれる深い何かに感謝−80点 ・東海代表の須田さん(女) 女である自分の農業の立場 75点 ・東京代表の守屋さん 青春の喜びー無限と思われる未来の夢に対する生き方 若さの代名詞は可能性 75点 ・沖縄代表の宮城さん(女) 沖縄県民の心情ー85点 ・近畿 林さん 精薄施設の女指導員 園児の美しい心の素晴らしさについてー75点 ・関東代表の関谷さん 自分1人で生きていく心構え 70点 ・九州 河嶋(女) 生活の為働かなくてはならない姉妹について 老人対策など 90点 ・中国代表の吉原さん 非行少年の観察員の主張 心が病んでいる少年達ー80点
〜以上が私のつけた評価の点数である。 現実にドップリ使っているのだから、仕方がないがもっと 広い視野で自分を見下ろす目が必要ではないか。 可能性の追求をもっと見つめることが大事ではなかろうか。 この目で自分を見つめ直すと、どうであろうか。 流通で生きると決めたのだ。そこで何を可能性として求めるべきだろうか。 そこで自分の基盤を深いものにしなくてはなるまい。 そこで自己建設をしていくことになる。 ここで忘れてはならないのは、他人もそれをおこなっているということだ。 何故、そんなことをしなくてはならないか? 人間として生まれ、最後は死ぬ中で自分の生きた証を残す為である。 それが義務といってよいからだ。 その立場によって、それぞれが違って当然である。 私は今、そのスタートラインに立っている。 誕生日に毎年この番組を見るのが私にとってベストになった。 ・・・・・・ 5784,閑話小題 〜今度は71歳ですか 2017年01月15日(日) * 今度は71回目ですか 昨日は誕生日の前日だったが、地元ステーキチェーン店で、細やかな誕生日 祝いをしてきた。 昼間の千円ランチでの誕生祝いの品は、皿にアイスとか、 ケーキがついた、飾りには小さな閃光花火がチリチリと光っていた。 隔年ぐらいは、その線香花火に癒されている。 この年齢になると、祝いというより、あの世への一里塚の感が強くなる。 還暦か、その一年後の70歳代になったら、自分への贈物をと考えた挙句、 アンドロイドTVの買替えを思いついた。家内に察知されれば、即、潰される。 とはいえ、年金生活者には重負担。家内の罵声覚悟の上だったが… それが 何とも、老いの身に堪える。で、何とか乗り越えた。一番喜ぶのは家内。 この5年半はタブレットPCに夢中だったが、今度は、これに気持ちが移行する。 で、結果として、思い通りに大正解。 これが思いのほか極上の機能。 白黒からカラーTVへのアップスケールした以上の画期的代物。一時、3Dテレビ が話題になったが、この立体的に見える画面であれば、その必要性は薄れる。 例とえば、大相撲の力士が土俵下で映し出されるが、同時に観客席の観客の 姿かたちと表情が力士と同じ位に鮮明に見える。 相撲も面白いが、様々な コーデネイトや、長年かけて出来上がった、様々な仕草を見ているだけで、 現場の臨場感がある。何か異次元世界に足を踏みこんだ感がする。17時〜20時 までは居間で晩酌をしながらTVを見ていたのが、今では1時間もしないうちに、 奥の院の寝室に行く。居間のTVでは頭が痛くなるため。 明日は、このアンドロイドTVをテーマにする。
・・・・・・ 5419,閑話小題 ー今日で満70歳ですか 2016年01月15日(金 * 世界的不況が更に深刻のようだ ☆ 庭の木々の積雪は15センチほどか。これでは冬物衣料は、大打撃だろう。 世界的不景気もあり、原油が一時的にしろ30ドルを割った。一年ほど前は、 120ドルだったから、4分の1。これは世界的デフレと産油量の供給過剰が 背景にある。世界の広がりあるテロと地球温暖化による、作物の不作もあり、 株式からも目が離せない。現役の立場だったら、かなり厳しいはず。 ☆ 去年の暮れに、大学時代の同級会で隣席の有名な夏はゴルフ場、 冬はスキー場で某リゾートホテルを経営している人に、 『万一の備えを、たとえば、夫婦して厚生年金に入っているとか、 奥さんの通帳を別立てにしているとかの万一の対策をしている?』 と聞くと、『妻は長い間入院して働いておらず、二人とも国民年金。備え などしている余裕などない。それより目先のスキー場の積雪が心配だ! まだ、中国、オーストラリアなどの外国人の来客があるからよいが・・』 と、弱気な顔。それぞれ事情があり、無神経な質問をしたと反省。 地方経済は、いずこも厳しい経済環境。 ☆ 最近、太平洋側のゴルフ場が次々と閉鎖され、芝生の上には、太陽光 発電のパネルが立ち始めているとか。こんな話をきくと、バブルの時代を 知っているため、隔世の感が強い。ここで、阿部首相が、リーマンショック 規模の経済変動が無い限り、10%の消費税を実行すると述べたが、その クラスの経済事変の可能性がないとはいえない事態である。 年初来、 株価が連日、下げて、昨日は何とか反発。 不況の影響は、まず年金生活者 など弱者を直撃するから、たまったものじゃない。 * 今日で満70歳 今日から70歳の大だいに入る。50,60歳の大だいという点で、 一番、心理的にショック。この数年、いやに気持ちが老け込んできた。 そう遠くない、ある日、末期ガンと宣告され、七転八倒のうえ死んでいく。 そして、3日もすれば、忘却の彼方に消えていく。元気なうち、一日一日を 噛み締めていくしかない。いや、かみ締めてきたから今さらか。 70代は、還暦時の感慨より、年齢の重みを実感する。 60歳代の10年間で、気持ちも、身体も、日々衰えが身に沁みていたが、 これから10年、いや5年は、更に衰えを実感する日々になるのか。 とはいえ、老いへの不安とか、死に対する恐れは、何故か少ない。 <楽しむだけ楽しみ、やりたい事をやった> 実感があるためだ。 なるほど、日々の気持ちを書残し、改めて読返すと、昨日、確信した <「永遠の命」が実相で、「わたし」と思っている、「これ」は妄想で しかない>と思い知らされる。過去も、いま、ここの、わたしも夢幻! これを、その時点時点で、見ているのが、「永遠の命」の片割れの実相。 まあ、我ながら、本当に真面目、いや馬鹿真面目なことだ。 喩えでいうと、「精神的な腰痛もちが、日々を生きていくための杖代わり に、書き続けている」が、よくも15年も毎日、飽きもせず。
・・・・・・ 5054,閑話小題 ー古希ですか! ー2 2015年01月15日(木) * 古稀ですか ー2 過去分の、1月15日分を読み返すと、それぞれの年ごとに、現在と同じ 気持ちになって感想を書いている。どの年齢の感慨も、少し文章を変換するば、 同じような内容になる。自分が老人など、どうしても信じ難いが現実は現実。 年末年始の三週間以内に、クリスマス、晦日も、元旦、誕生日と、収まる。 当日ごとに、同じような共同幻想を何とも不思議がらず、受け止め、こんな 文章を書いている。果たして、古希まで生きたのが目出度いのか? いや逆? どうだろう。同期の大よそ4分の1が亡くなった。あと10年で、更に4分の1が 亡くなる。私の想定余命を、あと6年、と数年前にした。 私の父親が71歳で、 母親は88歳で亡くなった。その平均が79歳。このところ幸福論などの本が 面白くて、ここで書評を書いている。人生の先が、決定的、絶対的挫折? の『私の死』がやってくる。そこで、ささやかな、幸せがほしくなる。 目先、『一対三の法則』(ネガティブ・1対ポジティブ・3)で、 己をコントロールするしかない。何か、今日を区切りとして、 「一年一区切り」と想定して、生きることが出来そうだが・・ この程度としても、恵まれていたし、面白かった! 現在も続けている、この早朝の学習習慣のお陰である。 それにしても、過去の、自分の誕生日の感慨がメルクマールとして、 面白いが、ひと様からみたら、これほどツマラナイものは無い? ・・・・・・ 4689, 閑話小題 ー68歳に、つれづれに〜 2014年01月15日(水) * 68歳に、つれづれに〜 今日は68歳の誕生日、毎年同じような感慨を書いている。早生れなので、 同期生は古希になる。スポーツジムに通っているためか何とか肉体は元気だが、 それでも日々、老いていくのが自覚できる。ただ知的好奇心と、頭の方は マスマス冴え渡っている。情報機器の進化もあって、何もかもが新鮮に思える。 日々、固定観念が壊れていくこともある。それにしても、もっと早く、隠居 になっておくべきと後悔が残る。としても、まだまだ分厚いバイアスに囲まれて いる自分が、ここにいる。地方の良さは、のんびり出来ることだが、反面、 情報が薄れていること。これも人生だが・・ 以前なら、飲みに出るが、 もう面倒の方が先に立つ。過去分の誕生日の感想を読み返すと、面白い。 他人にとって些細なことでも本人にとって一年で一番、感慨深いことが、 この日を振返ると見てとれる。その時どきの誕生日の感慨を真剣に考えている 自分の心(文)を振返ると、真剣に向き合っている、この人は何だろう? 誰だろう? と不思議な感覚になる。来年の、この日には読み返す自分が いないかもしれない。しかし誰かが読んでいるかもしれない。その人が、 自分の一部を蘇らせてくれるかもしれない。もし、2020年まで生きていて、 「75歳に、つれづれに〜」を書いていたら、どんな文章になるのだろう? そのイメージで書くと・・ 〈まさか、この年まで生きていようとは思ってなかった。 今年の東京オリンピックを見ることが出来ようとは、感謝である。 そして、あの日から10年になる。良きに悪きに、この7〜8年で激変した ・・ それにしても、ここまで生きてきたもの!万歳である。〉 こんなふうか・・ なるほど、「今日は、残されて人生の最初の日」 であるのが分る。「余命半年!」と宣言され、覚悟が固まれば、 この言葉の通り一日一日を過ごすことになる。何か年寄りくさい話 になったが、とにもかくにも自分が滑稽で面白かった! ・・・・・・ 4322, 閑話小題 ―住宅ローン破綻と、立ち退き 2013年01月15日(火) * ネットカフェ難民から、マック難民へ * 住宅ローンの破綻と立ち退き * 命を投げ打ち憲法改正をやる覚悟があるのか? (略) * 67歳か〜 65歳過ぎてから特に、誕生日が冥土の一里塚という感が強まっている。 最近になって「長く生きてきた」と思うようになった。先が見えてきたため。 父の死の歳まであと4年少し。これだけ大きな時代の裂け目にいることに、 自分でも驚いている。 それと、タブレットPCと、スマートフォンの存在。 これだけの機能が手の平に収まってしまったのだから。この金融恐慌と、 欧米と日本の経済惨状。世の中変わった! ・・・・・ 3947, つれづれに ー66歳か 2012年01月15日(日) * 66歳の誕生日に 還暦を過ぎてから年々、老いを感じるようになっている。 特に昨年春先の 大きな区切りから緊張から解き放され、成る程、リタイアとは、こういうものか と思い知った。しかし人間とは不思議なもので、直ぐに次の生活に慣れてしまう。 それと、これまでより腰を据えて本を読めるようになった。 また日常の平凡 を味わえる余裕が出てきたようだ。 私の場合、40年近い事業人生、丁度、 去年が引き時だった。 挫折感とか後悔は、自分で驚くほど少ない。 振り返ると、事業を始めた頃は日本が高度成長の真っ只中で右上がりの 風の中で最も恵まれた環境であった。そして20年前にバブルの崩壊。 10年前の9・11、3年前のリーマンショック、去年の3・11震災の三連打 で終了。丁度よい区切りでもある。そして今年からはリーマン・ショックを 大地震とすると、大津波(世界恐慌)の襲来である。本来、去年の後半のはず だったが、何とか今年に延命させたが、所詮は時間稼ぎ。 そのキッカケは 欧州発になりそうな雲行きである。そうこう考えると、去年が店しまいの時期。 66歳というと、精神的にも肉体的にも70歳に一歩近づた感がする。 仏間に祖父の写真があるが、私より10歳近く若い時写真だが、80歳以上に 思えるほど年老いている。「この人より私が10歳も上か」と見るたびに感じるが、 若い人から見たら、66歳は66歳である。 最近、TVなどで15,20歳ぐらい の人を見ると、私の年齢まで40〜50年もあり、私が死後も生き続けるのかと、 考えるようになった。その年齢のとき、両親も同じような気持ちで私のことを 見ていたのだろう。「私にとって、年寄りは15歳、年上の人である」という。 とすると50歳以下の人から見たら立派な年寄り。「まさか、自分が年寄りに なってしまうとは、思いもよらなった」と家内の言葉。一年一年、来年は存在 しないと仮定して、年内に出来ること、やりたいことは、可能な限りやって しまう気構えで淡々と実行していくしかない。実際に去年は、そうしてきたが・・ もともと独立独歩の人生、これからは、それが生きてくる。それぞれに年齢の 経験は、初めてになる。 それを味わうことだ。例年、それぞれの実感が書き 連ねているが書き残すのも悪くはない。今年は会社のケーキのプレゼントはない! ・・・・・・・ 3582, 65歳か〜! 2011年01月15日(土) 今日で、目出度く?65歳である。法的にも立派な前期高齢者である。 二年前に厚生年金の支給を受けているし、今更だが、今日から60歳後半に入る ことになる。死んでも「お早いのに、残念ですね!」とは、言われなくなる。 60歳までは、10年スパンを大きな目安にしていたが、還暦を過ぎてからは5年 を目途に切かえた。で、この5年は何をテーマにしてきたかというと、50歳代 に目指した「10年間で、人生の余白分を全て埋める」のフォローをすること にしてきた。それと、一年一年を確実に埋めること、哲学を深めることである。 リーマンショックの不意打ちで、5年間の後半の2年半は混乱をしたが、それでも 深まる波の中で、数百年、数十万年の人類にとっての断層の現象化を日々、 見届けている幸運を経験もしている。 45歳から誰もが訪れる肉体的老化が、 還暦を過ぎる頃から角度が一段下がってきている。また同年代の知人が、定年で 一線から身を引き始め、大病になったり、生老病死の問題に直面しつつある。 とはいえ、死ぬまでは生きていかなければならないのが人生である。 父は38年前に71歳で亡くなった。それからすると、やはり「とりあえず5年」 として、一年一年を生きていくしかない。これは前半5年と同じである。 私の伯母が、90歳過ぎに「歳をとることは無念なこと」と、話していた というが・・ まさか、自分が65歳になるとは、自分でも驚き。 それぞれの峠を通るのは、その都度、初めての経験。面白いといえば面白い。 特に、この断層の時代である。「魂に更に何を満たしたらよいか?」 この問いが答えの手がかり? 「で、何だろう?」 それにしても、毎年、ほぼ似たようなことを書いている自分が滑稽である。
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2018年01月14日(日)
* あの電話は、「オレオレ詐欺? 去年末の話になるが、家内の留守に自宅電話に不通知表示の電話が入った。 「こちらは警察署ですが、オレオレ詐欺についての調査で協力をお願いします。 それらしき電話はありませんか?」と。非通知のため、警察を名乗ったオレオレ 詐欺かもと警戒しながら応答をした。口調は警察そのもの。 最後に「充分、 気をつけて下さい!」と。オレオレ詐欺の探りか、仕込みなら、これほど巧妙な 方法はない。逆に、用心深くなるため、逆効果もある。…その後の展開を楽しみ に待っていたが、今のところなし。考えすぎか?。10年数前になるが、自宅に、 『御主人が、市内の○○で交通事故にあいました。』との警察署からの電話。 家内が『あら、家に車はあるし、主人の勤め先は新潟で市内にはいないはず!』 と、答えると、即座にプッツン… 。 ―― * 実際の降雪量は例年に比べ… 長岡から普通列車で30分ほどの三条駅から新潟寄りで積雪のために列車に 一晩、閉じこめられた全国版のニュースになった。他県の人がニュースで見ると、 よほどの豪雪かと思うが、私の住む長岡市は、数年来の小雪で60僂△襪どうか。 ニュースからすれば中越地区は豪雪のイメージがあるが、大きな格差がある。 新潟の下越より中越地区の辺りが一時的豪雪で、地元の市内は例年に比べて小雪。 こんなものである。以前、ギリシャ・ツアーに行く10日ほど前に森林火災が発生、 中止も考えたが、恐らく、九州の阿蘇山辺りの森林火災が、大々的に報じられて いるはず」と… …で現地では、思った通り。マスコミの過剰報道そのもの。 冬期間では、列車の立ち往生もあって当然。全国版にすることもなし。 地元民も、過剰報道に応じたカメラ目線で受けごたえするため、何が何やら。 情報化は、その辺のインテリジェンスがないと、害悪になる。早速、解説者が 真剣な顔をして対策の問題点を上げていたのが、それがはや何とも滑稽。 中越地震の際、医師をしていた同級生を褒めたたえるニュースを全国版で報じて いた。 中越地震の報道の「味付け」に使っただけだが、早速、「励ます会」を やろうじゃないかと電話が入った。それはそれで、いいじゃないかと思いつつ、 提灯行列じゃないかと心底の判断で都合をつけて断った… 田舎には狐も狸も 徘徊している。都心にもだが… TVディレクターは面白だろうに! 滑稽だが!
・・・・・・ 3581, 閑話小題 2011年01月14日(金) * 人は知っている範囲しか、理解しようとしない! 最近、つくづく思うことは、「人は知っている範囲でしか、ものごとが理解 しようとしない」ということである。そんなことさえ知らなかったのである。 恐らく、9割、いや9分9厘の人が、そのことに気づいていないのでは? 10年間これを書き続け、かつ哲学書を読み続けてきたため、論理的に捉える力 が以前に比べついていた。毎日、過去10年分の同月同日の文章を読み返して いると、自分の能力の範囲がみえてくる。そこで、その範囲でしか理解して ない自分を振り返ることになる。人間は可能な限り経験し、知識を深めて おかないと、歳を重ね己の人生を鳥瞰した時に、その浅瀬の中で苦悶すること。 どんなに深耕したと思っていても、振り返ると、その浅さに唖然とする。 特にネット社会では、キーワードを検索に打ち込めば、それに見合った情報、 知識が無限に入手可能になる。今年からタブレット式パソコンが普及、進化 を始めると更に、何処からでも、情報が入手、かつ見ることが出来る。 知っていることが財産でなくなり、即座に、知識を入手出来て、自分の頭で 消化する能力が必要とされる。しかし、それも知識の蓄積があればこそ、 無ければ、情報のまま消え去ってしまう。 * 辺野古の移設先は「原子力空母」 産経新聞のコラムで加地伸行が、辺野古の移設先を「原子力空母」にという案 を真面目にか、ふざけてか、提案をしていた。毎年、一隻ずつ、三隻つくり、 沖縄の沖に浮べておく。世界有数の造船技術があるのだから、可能なはず。 一隻一兆円で、三年間で三隻で三兆円。沖縄南に一隻、日本海に一隻、尖閣列島 に一隻。 これなら沖縄の外で、県民からも文句は出まい。考えてみれば日本は 広大な海洋国家。こと何かがあれば、三隻が船団を組んで対処できる。 今迄の中で一番、良い案に思えるが。韓国が別に二隻をつくり、同盟でも結べば、 中国に対して大きな抑止力になる。その前に中国の圧力と国内の反対で潰される! ・・・・・・ 5053,閑話小題 ー古希ですか! 2015年01月14日(水) * 古希ですか! 〜ちろりちろり、浮世は風波の一葉よ 明日で古稀。還暦ほどではないが大きな目安である。よくぞ無事?に到達した もの。身近の人をみていると、酒量の多い人は大方が70歳前半までに亡くなる。 それでも生きているの人は、刃物が入っている人? 60歳を超える頃から、滑り台を下りるように、姿形と、内面の衰えが目立つ。 仏壇に祖父母の50歳代半ばの晩年の遺影があるが、私より一回りも下とは! 気持ちは実際、50歳後半で止まったまま。気持ちがより老化をすると思っていた。 ところで、古希は、70歳のこと。 唐の詩人杜甫の詩 「酒債は尋常行く処に有り 人生七十古来稀なり」 (酒代のつけは私が普通行く所には、どこにでもある。 (しかし)七十年生きる人は古くから稀である)に由来する。 還暦は数えの61歳(満60歳)だが、古希は数えの70歳(満69歳)。 1939年に双葉山が安藝ノ海に負けて連勝が69で止ると、当時の大相撲 ラジオ中継のアナウンサーがこれを引用し「やはり七十古来稀なり」 との名言が全国に放送されたという。父親の行年が満71歳。それまで、 あと2年になった。人生の元は、還暦までに充分にとった実感がある。 9年間で余白も埋めた感もある。「それでも何か侘しい」 という思いは意外と少ない。 ところで、古稀といえば、以前、ここでテーマにした 『閑吟集 四九〜五五』を思い出した。 世間(よのなか)はちろりに過ぐる ちろりちろり (49) 何ともなやなう 何ともなやなう 浮世は風波の一葉よ(50) 何ともなやなう 何ともなやなう 人生七十古来稀なり(51) ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や (52) 夢幻や 南無三宝(53) くすむ人は見られぬ 夢の夢の夢の世を うつつ顔して(54) 何せうぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂へ (55) 現在の私の心境は、まさに、このまま。 一期の夢と思いつつ、 うつつ顔して狂えなかった自分が、冷たく笑っている。まさに、 『 ただ何事もかごとも 夢幻や水の泡 笹の葉に置く露の間に あぢきなの世や 夢幻や 南無三宝 』である。ちんちろりん! ・・・・・・ 5418,人生で最も大切な技術 ー 2016年01月14日(木) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ・リカール著 *「いのち」が存在の実相、「わたし」はフィクション! 昨日、「人生でもっとも大切な技術ー◆廚鬟董璽泙暴颪い拭 ところが、去年の同月同日の{ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) の内容の一節が、リカールの 幸福論につながる丁度よい答えであった。 < 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。「いのち」が 「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。> 何気ない言葉だが、幸福とは、この「いのち」に気づき、一体化した状態で はないか!と。・・> ある作家が、末期ガンを宣告され、呆然として2Fにある喫茶店の窓から、 帰路を急ぐ多くの群衆を見ていて、「私ひとりだけ消え去る」恐怖を 書いていた。群集にみえた、「いのち」と、消え去っていく「じぶん」の 対比が死の恐怖を鮮明に表現されていた。幸福感とは、未来のある群集の中に 感じた「いのち」を体現している感覚。至福に至った感覚、「至高体験」の 経験が蓄積され、何時でも、その感覚を引出せることこそ、幸せの理想。 秘境旅行の大自然との邂逅や、本を通した作家との融合で、感動した至福感 などの蓄積は、目先の現象などでは壊れたりしない。しかし、それさえも、 余命3ヶ月の宣告で、バラバラに破壊される?それほど、自己の死の確信は 恐ろしい? ガンで怯える岸本嬢が、玄侑氏と往復書簡をするうちに、 <「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、「わたし」<「いのち」という 発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた 何かもっと全体的な何かがあるらしいことを感じるようになってきた。> リカールは、幸せの獲得の妖術?に、瞑想を勧めているが、これは、 後でテーマとして取り上げる。毎日、夜半、4時間の爆睡の後、4時間の 半睡を瞑想の一つ?として味わっているが、これは時々「魔の時間」に なることがあるが、大部分は「至福の時間」になっている。 それにしても、同月同日に「意味ある偶然の一致」が、あまりに多い! ・・・・・・ 5783,福田恆存の「私の幸福論」〜 2017年01月14日(土) 「私の幸福論」福田恆存著 * 快楽と幸福 ーB 快楽に近い言葉に、「快適」がある。 ネット辞書によると、 「快適」は「心地よい」、 「快楽」は「楽しく過ごしている時に感じる喜び」とあった。 これからして『幸福』とは「快適な状況」で、「喜びを感じる楽しい感覚 ということになるが、それほど簡単に幸せには決めつけられない。これは、 生物だけが実感できる感覚といえば、その極めの体験が『至高体験』。 大自然の壮大な景色などや、偉大な芸術作品に出会った時の感動で、対象の 波長と一体化した状態をいう。感激は心の振動、感動は魂の振動である。 〜その辺りを抜粋〜 ≪ 快楽や快適を目指すところには、その底に利己主義がひそんでおります。 刹那的な快楽主義の場合、誰の眼にもそれは明かです。 が、エピキュリアニズムのような個人主義になると、外界にわずらわされぬ 「不動の心」というような精神的美徳を表看板にしているので、私たちは その底にある利己主義に気づきにくいのです。 さらに、社会主義、共産主義、福祉国家となると、貧しい人々の利害を考え、 「最大多数の最大幸福」というような合言葉が出てくるので、そこに利己主義 があるというようなことに、誰も気がつかないのであります。
人間は人間の道具にはならない。にもかかわらず、快楽というものをつきつめて いくと、どうしてもその極限には、相手を自己の欲望充足手段としか見なさぬ 生きかたに辿りつくのです。だから、私は快楽というものを、おのれ一人に しかかかわらぬ孤独な迷妄だというのです。
快楽の思想にはなにかが欠けている。私たちはそのことを反省すべきです。 皮肉なことに、私たちに欠けているものの一切を埋めようとする快楽思想に、 わたしたちにとってもっとも大切ななにかが欠けているのです。 それは幸福の観念であります。
「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、 「快楽」でないということにすぎない。
私たちは自分の欲するものを得るために戦わなければならない。 その戦いにおいて勇敢でなければなりません。が、今日、「正義」の戦い を称道する人たちの大部分が、ただ勝利のためだけしか考えていない。 そうなると、敗北すれば、すべては犬死にであります。
将来のことを考えたら、誰も自信がもてないのが当然であります。 思うに、私たちはなにか行動を起すばあい、「将来」ということに、 そして「幸福」ということに、あまりにこだわりすぎているようです。 将来、幸福になるかどうかわからない、また「よりよき生活」が訪れるか どうかわからない、が、自分はこうしたいし、こういう流儀で生きてきた のだから、この道を採る」そういう生きかたがあるはずです。いわば自分 の生活や行動に筋道をたてようとし、そのために過ちを犯しても、「不幸」 になっても、それはやむをえぬということです。
「将来の幸福」などということばかり考えていたのでは、いたずらにうろうろ するだけで、どうしていいかわからなくなるでしょう。たまたま、そうして 得られた「幸福」では、心の底にひそむ不安の念に、たえずおびやかされ つづけねばなりますまい。それは「幸福」ではなく、「快楽」にすぎません。≫ ―― ▼<「不幸」というのは、ただ「快楽」が欠けているということであり、 「快楽」でないということにすぎない。> 幸・不幸は、あくまで 受止め方でしかないが、「恒産あって恒心あり」が前提にある。快楽を 満たすためには、満たすだけの力量が必要。私たちは、利己主義と個人主義を 混同してしまいがちになる。公共、公正を守った上に、自分優先に考えるのが 個人主義である。しかし、公共・公正の解釈は各自違うため、誤解が生じる。 考えてみれば、不幸も、幸福も一時的妄想に過ぎない。 【笑っても、泣いても同じ空】なら、笑える状況を自らつくっておいた方が 良いが、どうだろう。隣人を卑下した笑いではなく! 互いに楽しむ笑いでさ。 追文) これも全くの偶然で、以下の文章に文脈として続いていく… ・・・・・・ 3946, 終わりなき危機 君はグローバリゼーションの真実を見たか ー3 2012年01月14日(土) * 陸と海のたたかい 「終わりなき危機」 水野和夫著 「ヴァスコ・ダ・ガマとコロンブスによって海洋に進出し、近代化を始まった。 これは、要するに、「欧州における北アメリカの開発に伴う超長期のブーム」 の出発と捉えることができるとウォルター・ウェップが述べたが、19〜20 世紀初頭になって、近代化は米英によるアジアの開拓史へと受け継がれ、 「地理的・物的空間」を広げていった。さらに、1970年代半ばから、 米国は「電子・金融空間」を高レバレッジで無限に膨張させようと試みた。 そのブームが終わったのはベトナム戦争とドル危機が、その象徴であった。 膨張を前提にする「近代史」は本来、そこで終わっていた。 その後、 「大きな物語」を「電子・金融空間」をつくることで近代は延命したが、 リーマン・ショックでどうやら先進国におけるバブルの宴は終わったようだ。 「海の時代」の構造を前提としているポンド・ドルの基軸通貨体制が成り立って いるのだから、膨張が止まれば、その危機が起きて当然である。・・その中で、 第一次石油ショックと第二次石油ショックを乗り越えた日本も、バブル崩壊 の後、原油の暴騰から日本の「実物投資空間」が輝きを失う一方で、 「電子・金融空間」を築いた米国は一見輝いてみえ、「金融帝国」化してゆき、 日本も、それを見習えと主流をなした。しかし、本当に深刻なのは、日本がいま 一度、近代化の輝きを取り戻しさえすれば何とかなると思っていることにある。 その象徴が「成長戦略」であり、デフレが景気回復の妨げになっている考え方。 ▼ 9・11のテロは、陸と海のたたかいの構図そのものである。 資源を紙切れ=ドルで持っていかれて、民のほとんどは貧しいまま。 その反撃があのテロと想定すると合点がいく。海と空を制圧したアメリカが、 その上に「電子・金融空間」を更に付け加え世界を制圧し続けていた。 その新たな空間の象徴が、あの二つのビルであった。そこに飛行機をミサイル として攻撃したのだから、アラブの連中からしたら「してやったり」である。 それを口実に、原油や鉱物資源の宝庫の、アフガン、イラクに的を絞って 攻撃をしたのだから、著者の、この戦いの縮図とみることができる。 ・・・・・・ 4688, 閑話小題 ー高校サッカー決勝戦の劇的結末! 2014年01月14日(火) * 奇跡的逆転勝ち 今年の高校サッカーの準決勝、準決勝、決勝が面白かった! 特にに昨日の決勝は劇的。 2対0で負けていた富山が、最後の数分で 追いつき、更に延長で逆転勝ち。滅多にみられない試合である。 ーまずは、ネットの記事よりー 【 [全国高校選手権決勝 富山一3-2(延長)星稜 国立] 富山一が「国立最終章」で頂点に立つ!! 第92回全国高校サッカー選手権は13日、国立競技場で決勝で、ともに初優勝 を懸けた富山一(富山)と星稜(石川)が激突。2点を先取した星稜に対し、富山一 は後半42分から2点を奪い返して同点に追いつく。2−2で延長戦へもつれ込んだ 一戦は、延長後半9分に交代出場のMF村井和樹(3年)が決めた決勝ゴールによって 富山一が3−2で勝ち、初優勝を飾った。・・2大会ぶりとなる決勝での延長決着。 延長戦では富山一・竹澤の左足ミドルがゴールを襲い、星稜・藤田の左足ミドルが クロスバーを叩く。再び突き放す1点を狙う星稜は延長後半6分に長谷川に代えて MF川森直威(3年)を送り出した。延長決着か、PK戦突入か。緊張感高まる中で死闘 に決着をつけたのは村井の左足。延長残り1分でこの試合初めて勝ち越した富山一 は、最後は大塚に代えてMF平寛治(3年)を投入して守り切り、初の日本一に輝いた】 ▼ 高校サッカーは、最後の数分の2対0に何かが起こる可能性があると、 アナウンサーが何度か言っていたが、この大会の失点がゼロの星稜が、このまま 勝つと判断、一度、書斎に行きかけたが、優勝の瞬間を見てからと居間に戻った。 ところが、その直後に二点差を撥ね返し、延長で奇跡的逆転勝ち。高校選手権決勝 として歴史に残る名勝負になった。それに監督の息子が終了間近の反則のPK戦で 同点に追いついた、ドラマ仕立て。サッカーは、さほど好きでないが、全国大会 の準々決勝からは毎年、見ている。そこではドラマのような試合が次々と生じる。 金沢に在住していたこともあるが、やはり無名の富山一を応援したいのが人情。 この大会で、全て失点ゼロの星稜が、最後の数分で2失点で同点とは、驚き。 下手な映画より遥かに面白いのが、ライブの真剣勝負である。 あのような場面では、何かが乗り移るのだろう!
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6149,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −3 |
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2018年01月13日(土)
* 書きネタが無いと、御呼びですか! 大家さん: 書きネタが無くなると、御呼びですか。仕方がないがね。 熊さん: 北朝鮮が、オリンピックに参加だってさ。有得ないと思ってたがね。 寅さん: 精一杯の虚勢さ。まあ、物資不足は明らかだこそ、ここが土壇場。 国そのものが張りぼて。よくぞ、やってるよ。そろそろボロが出るさ。 大家* 中国が、本気になってきたからね。そこに、韓国が抜け駆けをして、 オリンピック参加の勧めの尻尾振りをしたから、アメリカと中国は動転? 韓国も開戦ともなれば、百万、二百万の死者も出るから、解るがね。 八っあん: この時節に冬季オリンピックとは、何でまた?の疑問が残るね。 ここまでは、手を出せまいという思惑のためですか。 熊さん: これほど辛辣な挑発を繰返したのだから済やしないよ。 寅さん: 何かマンジリしなかったが、数ヶ月の猶予期間を稼げただけでも 良しじゃないかい。ただ間延びをしただけだと思うけどね。 八つぁん: どうも私たちの心の底には、最悪の事態を期待する悪魔が存在 しているところがあるね。アメリカ人なら、まさか大陸間核ミサイル が飛んでくるとは思わないから、今のうちにヤッチマエと。 熊さん: どうも朝鮮半島問題は暗くなるから、大相撲の話題にしましょうや。 といっても、これはモンゴル人問題になるか。 …でも気が晴れるね。 大家さん: 朝青龍と白鵬が長年かけてつくり上げた「横綱アドバンティジ・ システム」が、露わになり、使えなくなったから、今までとは違うよ。 これは八つぁんが創った造語だけど、ズバリ言当てているね。 八つぁん: それでもやってくる可能性があるね。貴乃花の母親に手紙でも 出して、バラエティで10回、このキーワードを繰返せば、ポチとはいえ、 立合いの張り手を禁止条項にせざるを得なくなるね。 熊さん: 「横綱アドバンティジ」の実情を聞いて、白鵬と遠藤の立合いを 見てから、白鵬への見方が全く変わったよ。 大陸と島国の考え方、 体質の問題になるよ。開放したのだから…云々か、日本の国技だから、 島国用に合わせなければならないとか…。確かに難しいのは解るけど。 大家さん: 白鵬への大横綱とかいう特別視が無くなったのは大きいね。 新弟子からして誰も偉大な力士と思わなくなってしまったのは、本人に とって衝撃さ。でも、その孤独こそ、最も大事なことだが、その自覚は、 逆上せガエルになった当人には、土台、無理だろうね。 八つぁん: 今場所は、色いろな面で面白いだろうね。大鵬の孫もデビュー するしね。ところで、先日、元・琴欧州が開いた小部屋のブルガリア人 の新弟子のドキュメントを見たけど、一人の新弟子の稽古の激しさが 直接、伝わってきたね。土俵の中でのド突きあい、殴りあいだね。 あれじゃあ、強くなるわけだ。 大家さん: 私も見ていたが… 他の部屋の幕下力士が「御前は気が弱い!」と 注意していたのが、本人には堪えたようだね。「自分は東欧から遠来して いるだけでも気が強いはず。何で気が弱いと言わなければならないのか!」 と…。 幕下力士は、「気が弱い」と、「気が優しい」の言い違いを していただけ。気が優しいのは、気が弱いとは、違うのさ。 熊さん: こういう問題があるからこそ、面白いんだよ。白人、赤、茶色の 人種が肌の色を超えて戦うからさ。俺も、哲学的になってきたね。
・・・・・・ 5052,生と死をめぐる断想 ー5 2015年01月13日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本葉子(著) *「いのち」に「わたし」がいっとき宿る 〜玄侑宗久 「而今」とは、今のつらなり。あるのは「今」「今」「今」だけである。 禅とは、この「而今」を繰返づことで、「わたし」の輪郭を薄くする行。 成るほどである。今、この瞬間が永遠のときの一端がある。 瞑想は「わたし」という「閉じた系」から「いのち」を開放するものだと。 ーその辺りから抜粋ー 〜P90 ≪ 暗唱をしているとき意識は「而今」にあると、玄侑氏は言う。 「而今」とは目的論も因果律も届かないような、三昧にある時だそうだ。 たしかに、すでに口から出て過ぎ去った音を意識が追いかけたり、 次に出す音を頭の中で先取りしたりすると、とたんにつかえる。あるのは 常に「今」「今」「今」。音の連なりは、すなわち「今」の連なりである。 暗唱をするとき、その間だけでも「而今」を体験している。(略)・・ 玄侑氏も認めている。人間である限り「わたし」を完全に「なくす」こと などあり得ない。であるからこそ禅は「而今」を繰り返すことで「わたし」 の輪郭を少しでも薄くしたいと願うのだという。 玄侑氏が再三書いているのが、「わたし」と「いのち」の関係だ。 「いのち」は「わたし」の生れる前からある。 「いのち」に「わたし」がいっとき宿るのだと。 「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション。 はじめにそう読んだとき、逆ではないかと私は思った。 「いのち」が「わたし」に宿っている、「いのち」が「わたし」の一部だろうと。 なぜって私の体の諸器官が停止すれば命は終わる。たしかに、私の体が土に還り、 その土から芽が出て、その草を虫が食べて、虫を鳥が食べてといった意味での命 の連続はあるだろう。が、それは灰を収めた骨壼も壊れて形をなくした後という、 相当に長い年月のことだ。頭では理解できても、実感からはかけ離れている。 植物も動物もひとつの生態系をなし人間もそれに属するもの、といった類の知識、 それこそ知性によってとらえられるものだろうと。 自分の命があと数年単位なのか数十年の単位なのかと気を張っている、 そんな長いスパンの命のことを考えられない、という反発もあった。 が、往復書簡をするうちいつの間にか、「わたし」が「いのち」にいっとき宿る、 「わたし」<「いのち」という発想が自然なものになってきた。・・ それとは別に、「わたし」を超えた何かもっと全体的な何かがあるらしい ことを感じるようになってきた。・・ ≫ ▼ {「いのち」が存在の実相で、「わたし」は頭で作り上げたフィクション でしかない}という玄侑宗久の言葉に近い{大自然が元もと存在していて、 自分の姿を見いため人間をつくった}を、何かの宗教書で読んだことがある。 地球上に生まれた生命が延々と時間をかけて、この「わたし」が存在する。 その全てを経たものを「いのち」というなら、その「いのち」にいっとき 宿るのが「わたし」というのは当然である。死ぬのは、それから離れるだけ。 ・・・・・・ 5417,人生で最も大切な技術 ー 2016年01月13日(水) 『幸福の探求―人生で最も大切な技術』マチウ リカール著 * 幸福の探求 図書館でみつけた非常に面白い本。当分、細部の知識化のため、 24の各章をテーマとして取上げる予定だが、それだけの響きがある。 フランスの知的環境の整った家庭で育ったエリートが、チベット仏教に ひかれ、それまでの業績をすべて捨て、ネパールの僧院で30年以上の修行を 行なった後、現在はダライラマ法王のフランス語通訳やインタビュアーの役を 任せられ法王の協力で行なわれている「心と生命会議」なども参加している。 この経歴で、「世俗的な精神性」の幸福について書いているため、いずれの 言葉も心に響く。 新年早々、現在の私には得難い指導書になる予感がする。 〜まずは、アマゾンの内容紹介〜 ≪ リカール,マチウ: 1946年フランス生まれ。チベット仏教僧。 パストゥール研究所のノーベル医学賞受賞者フランソワ・ジャコブ教授の 指導の下、分子生物学の国家博士号を取得後、チベット語を学び、仏教修行の 道に入る。チベット仏教の文献を欧米に翻訳・紹介、ダライ・ラマ14世の フランス語通訳も務める。フランスにおいて細胞遺伝子の分野で将来を嘱望 された研究者の経歴を放棄し、ヒマラヤ山間で仏教僧として35年間修行に専心。 現在は著述家、翻訳家、写真家としても活躍するほか、瞑想の脳に及ぼす効果 に関して展開中の科学研究にも参加。チベットとネパールを生活の拠点として 人道的プロジェクトに従事する。 ≫ 〜リチャード ギアの内容紹介より〜 ≪ マチウ・リカールは、深い思いやりとシャープな論理性と、思わず笑い 出してしまうユーモアも交えて、人間の可能性に関する偽りを暴き出し、 これまでの仮定に反駁してくれた。‘本物かつ永続的な幸福が可能であるのみ ならず、幸福は人間の生得権である’ことを明確に示した。我々の中で最も 叡智に富み、最も信頼に値する友人による類い稀なる書である。≫ ▼「はじめに」で、《 本書がフランスで出版されるやいなや、喧々轟々の 議論が全国で沸き起こった。インテリ層は幸福には関心がない、という意見 を明らかにして、技術として習得することが可能である、という私の議論に 一切耳を傾けようとしなかった。ある作家は、「幸福を逆手に取って人心を 惑わせるのもいい加減にしてほしい」と詰問するような記事を書いている。 挙句の果てに、「幸福の妖術師」と題する雑誌の特集記事まで出る騒ぎに。 パリでの議論やマスコミとの応酬で散々な目にあい、ばらばらに崩された ジグソーパズルのひとかけらのような自分を見る思いがした。ネパールの山に 戻り、元の生活を始めたことが無常の喜びとなった。以前よりは確かに多忙に なったとはいえ、ネパールのシェチェン僧院を本拠地として、ヒマラヤを 見上げる隠遁生活を年2ヵ月程度することにしている。》と、あった。 一冊の世俗的な『幸福本』に、フランスのインテリ層が、ごうごうたる 議論を起きたのは、35年のチベット仏教修行の裏づけのある内容なら、 インテリ総掛りでも論破できないはず。「幸福の妖術師」良いじゃないか! 素晴らしい魂との出会った思いである。 〜で、以下につながっていく。 ・・・・・・ 4687, エッセイ力は人生力 ー2 2014年01月13日(月) 「60代からのエッセイ教室」木村治美著 * エッセイを書く目的と、日記との違い ーまずは、その辺りの抜粋より 《 あるエッセイ教室の作品集を読んでいたら、はからずも、エッセイを書く 目的を端的にいい当てた文章に巡りあった。その文章は創刊号であるためか、 おのおの、自分の作品のあとに、小さなコラムで、なぜこの教室に入って エッセイを書くようになったかの動機を綴っている。ひざ思わず膝を打ちたく なったのは、つぎの一文であった。「エッセイを書こうと思うようになったのは 十年前のこと。それまでは、日記に思いを記していた。心の重荷をおろすように 書いていたが、後日、読み返すと、もっと心が重くなった。物事の見方、人の心 の動きを観察することで、誰が読んでも傷つかない文章を書きたくなった。 きれいごとのとらえ方ではない。考えることで、自分を成長させたい」 ここにはエッセイが日記と異なる点が、自分自身の体験から、明確に意識 されている。感動的ともいいたい鋭い「気づき」である。エッセイには自分自身 がどこかに登場していなくてはならない。しかし難しいのは、書いている自分と、 書かれている自分との間に、距離をおくことである。自分を他人のように 客観視すること、といい直してもよいだろう。日記ではこの客観化がなされ にくい。恨みも痛みもドロドロのまま流しこむ。恥も外聞もなく。どうせ自分 以外に読むひとなんていないのだから……。しかし、「後日、読み返すと、 もっと心が重くな」るのはなぜだろうか。日時がたったことで、やや他人に なった自分が読むからである。おそらく、書いたのが自分であるだけに、 ヘドが出そうになったであろう。自己嫌悪である。そこで、「だれが読んでも (つまりあとから自分が読んでも)傷つかない文章を書きたくなった」のである。 それには、教室という読者のいる環境で、「物事の見方、人の心の勤きを観察」 しようと思い立った。それが自分を成長させる。そう、日記は記録とはなり えても、以上に述べたような効能は期待できない。・・・ 》 ▼ この随想日記の「閑話小題」は、エッセイそのもの。だから読書日記の メモ的のものより面白い。これを書くときは、ネタ切れのケースが比較的多い ため、苦し紛れで日常の身近なことを書くしかない。それが面白みを出すようだ。 だから、何気ない日常の現象と気持ちを書いている「バードウォッチ」の内容 こそエッセイになっている。そのため、時どき、切り取って、「閑話小題」 に転用する。何気なく思っていることを書き出すと、ハッとすることがある。 人はそれぞれの心の中で様ざまな思いを数限りなく繰り返しているが、 そこにこそ砂金が混ざっている。それを取り出し、書き出すのがエッセイの目的 であり、日記との違いになる。日記は他の砂も含まれるし、それも必要とする。 ・・・・・・ 5782,多国籍タウンで夢を追う 2017年01月13日(金) < にっぽん紀行:オオクボ・ドリーム 〜東京大久保 多国籍タウンで夢を追う〜> 2017年1月9日放送(18:10〜18:45NHK総合) * Tokyo Okubo 外国人の夢 行き交う街で 大久保が今では町全体が外国人街の様相を示していると、以前から聞いていた。 その実情を外国人の目線からレポートした内容で、非常に興味を持ってみた。 世界各国、特にアジア各国から重い事情をもって来日して必死に働く彼らの姿は、 アジアの縮図を見ているよう。一つ間違えると、不法労働者として、国外追放に なる立場。貧しい母国には仕事も希望もない。ネット検索に「大久保ドリーム NHK」と入れると、以下の通り要約した紹介があった。舟板一枚下は奈落の底。 ≪ よく大久保を訪れるというレポーターが大久保を案内。ホットク、ケバブ など世界の食にありつけると紹介。この街の住民の3割が外国人、彼らは夢を 求めてやってくる。バブル景気を境に大久保には外国人が増え始めた。商店街 では、インドネシア語や中国語、ロシア語など様々な言葉で放送が流れる。 外国人が経営する店も軒を連ねる。一方で移り変わるも激しい。 ★パキスタンからやってきたシャヒーンさんは、大久保では名のしれた実業家で アリババと呼ばれ、タイ料理店を10店舗展開している。 アリババはつねに 新しいビジネスを探している。この日も不動産業者と交渉していた。 アリババは、この街には面白さがいっぱいあると話した。 ★インド出身の料理人、モハメド・ユースフさんは、一旗あげたいと日本に やってきた。得意料理のニハリや、ビリヤニを紹介した。給料は手取り16万円、 5万は家族へ仕送り、3万円は小遣いで、のこりは貯金している。自分の店を持つ のが夢だと話した。ユースフさんは店の近くのアパートで、同僚と一緒に暮らす。 彼にはインドに妻と3人の子どもがいる。いつか家族を日本に呼びたいと話した。 メインストリートから一歩入った住宅街には多くの外国人が住んでいる。 ユースフさんが働くインド料理店の2階にはモスクが作られた。また、キリスト 教教会には以前からの韓国の人に混じって、フィリピンやベトナムなど7カ国の 人たちがやってくる。 ユースフさんは、ランチタイムの客の入りが悪いことが 気になっていた。2日後、ユースフさんは道でチラシを配っていた。チラシを 見て、店を女性が訪れ、おいしいと話した。仕事の間、ユースフさんはインドの 妻に電話をしていた。今年中に日本に家族を呼び寄せるつもりだという。 ★ミャンマーからやってきたチッピョンさんは娘のパンズンさんと8畳一間で暮ら している。ミャンマーの地方の町で家族5人で暮らしていたが、軍事政権で身の 危険を感じてチッピョンさんが日本に、その後、娘を呼び寄せた。娘は日本語を 勉強している。午前4時半、チッピョンさんは仕事にでかけた。夜は居酒屋で アルバイトをしている。娘の学費70万円を稼がなければならないのだ。時給千円 前後のアルバイトで生活を繋いでいる。そのころ娘は昼ごはんを作っていた。 チッピョンさんが戻り、2人で昼食を食べた。食事の後、チッピョンさんは仮眠を。 ★大久保の路地裏にある仏堂は、中国や台湾の人たちが多く訪れる。12月上旬、 中国出身の高さんが訪れ、写経をしていた。100ページ近い写経をやりとげる。 高さんは、10年前に来日。沖縄や大分のホテルで働き、10日ほど前に契約が切れ 仕事を失った。仏堂の管理人、游人樺さんは、高さんを気にかけていた。いつも は6時に仏堂を閉めるが、高さんのために空けていた。翌朝7時、写経が完成し、 仏様にお供えした。高さんはこの仏堂の近くに住んでいたという。車に家財道具 が詰め込まれていた。しばらく友達の家を転々とするという。大家さんの好意で 車だけ置かせてもらっていた。高さんは「ありがとう」という曲が好きと聞かせた。 高さんは、故郷に錦を飾れるようになってから帰りたいと話した。≫ ――― ▼ シリアスな内容で、身近にアジアの底辺の窮状を見せつけられる。彼らは 隠れ経済難民で、これでも故郷の生活からしたら恵まれているのだろう。 難民受入れに厳しいと言われても、観光ピザで数知れず流入している実情がある。 自宅の目前にアパートがあり、東南アジア系の若者が住んでいるが、騒いでも、 何ら気にならない空気のような存在。<アメリカの中・下層白人が、トランプを 支持するのが分かる>と思う日々が遠くない将来、やってくるのだろうか。 アメリカの大部分の被支配階層の人たち、いつか当ててやろうと信じている から絶対格差に耐えられるという。
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2018年01月12日(金)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著) * 輪廻転生を考える 輪廻転生は如何だろう?『遺伝子学の論からすれば遺伝子が自ら生延びる為に 生物の身体を乗換えるという。 己の身体の中は、数知れない遺伝子から成り 立っており、己が消滅しても遺伝子は子供を通して次世代に受継がれる。 この身体は両親の結合で生まれ出てきた。宇宙開闢以来のたった一つの生命。 しかし、アナザーワンの一つ。輪廻転生は疑問だが、似た存在と、己と何が違う というのか?」 しかし、父親の死をまじかにし、思いもしない霊体質を10数年、 持った経験がある。幽体離脱とか、幽霊らしき存在の実感とか… それもあって、 著者の『輪廻転生論』に共鳴するのだろう。面白いところでは、アフリカからの 帰路の飛行機内で似たような経験がある。疲れ切った中の夢で、自分の身体が 地面から浮遊していく。ハッとして地面に戻ろうとするが、機内の足元も消え、 空中をタダ独り、ふっ飛んでいる。その恐怖感は極限を超えていた。 私より霊体質が遥かに大きい人の体験談、実感は、説得力がある。 これも、夢、霊感の言葉を切口にした‘内観’になる。 <内観ばかりしてないで、外観? をしてみたら> ていう貴方へ。 <外観しかできないアンタ、内観をしたら!> 野暮ですか? 〜その辺りから〜 ≪ 肉体で、現生にいることは確かに苦痛である。因果のサイクルから解脱 しない限りわれわれはいつまでもこの世に生れてこなければならない。 この世は、神の国に入るための修行の場である。この修業の場で修行を怠れば、 永遠に神の国に入ることが許されず、魂までもこの世から消滅しかけない。 これ以上の不幸はどこにあろうか。肉体であろうと、魂であろうと、この宇宙 の何処かにあることは素晴らしいことである。肉体でいることがたとえ苦痛でも、 あの霊界に閉じこめられているよりましだ。果たしてどれくらの時間、霊界に いたのだろう。… 神の国にいた者も選ばれたものでなければならないが、転生してくる者も 霊界の試験のパスをしてもう一度修行するためにこの世に、選ばれた者ばかり。 このように考えると、この現象界は魂を向上させるための場所であるともいえる。 われわれは過去世から因果を背負ってこの世に転生してきている。一日でも早く、 因果を帳消しにして神の国に入るべきである。その為に、神は善を与えている。 しかし、一方に善を試すために悪を与えている。 輪廻転生のない唯物的な一回こっきりの人生なら神はわざわざ人間に善を 与えなかったはずだ。一回こっきりの人生なら好き勝手にしてエゴイステック に生きればそれでいいはずだ。人間に理性があるのは人生が一回性でない証拠 である。たった一回で、人間は悟れないことを神は御存じだから、数多くの転生 を繰返す中で、善悪の何かを悟って、最終の人生で因果から解脱をして神の国 の住人になるのである。まことに気の遠くなる話だ。自分のことを考えると 怖ろしくなる。一体あと何度転生を迎えればぼくは因果のサイクルから抜出せる のだろう。あの恐ろしい霊界に再び戻らなくてはならないのかと思うとぞっと する。なぜぼくが霊界を恐ろしいかと思うかというと、現在の自分の本性を よく知っているからである。なんともいやな自分である。こんな粗雑な罪深い 自我が霊魂になった時、霊界で体験するビジョンを想像しただけで、身の毛が よだつ。『チベットの死者の書』では、「汝は肉体を持っていないのだから、 たとえ身を切られようと恐れることはない」と諭している。 しかし、たとえ肉体がなくとも肉体感覚だけは残っているはずだ。よく夢の中で 体験する恐怖がある。あれに似た様なものだろう。いや、あれ以上に増幅されて いるはずだ。人間は死ぬと天国か地獄に行くといわれる。天国も地獄も、その 人間の因果次第であり、全て想像が作るビジョンである。これはあくまで幻覚で あるが、霊の世界ではすざましいリアリティを持っているはずだ。夢が幻想で あるにもかかわらず強いリアリティを持っているように。… ≫ ― ▼ 前準備を含めて50年以上の実務を終えて第二か、第三の人生を踏み出して 7年間、心の底では輪廻転生を繰返していたような。因果応報のカエリ矢が、 次々と… これでも、後味の悪くなることは、極力、避けてきたが。 恐ろしい自分の言葉の刃が、自己被虐、自己嫌悪として向けられる。成るほど、 現生だけでは解決できないはずだ。 ヒトラー、スターリン、毛沢東を考え合わ せると分かるだろう。殺した数だけ、転生が必要である。生臭い彼らの魂が、今 でも漂っているとすると…。心に疚しいことは最小のはずだったが 娑婆娑婆! ・・・・・・ 2001/12/19 [70] 夢についてー2 「何か欲しい!とか、どこかに行きたい」といかいう夢と、夜見る夢との 共通点が非常に多い。トイレを探している夢は目を覚ますと殆どトイレにいき たい状況である。 次の夢は不思議な不思議な夢だ。‘母とか父が死んだ後も 自分のなかに生きている!’というが、私にとって、夢の中で、実際生きている。 痴呆症になり幼児に退行した幼児に変身した母が出てくる。それは正しく母が 私の中で事実生きているのだ。 ↓に以前書いた文章をコピーしてきます;。 ―― 2001/12/19 [69] 夢について−1 夢分析も非常に奥行きの深いテーマだ。 年に一〜二回熊に追われている夢を見る。熊に追われて二階‐三階の部屋に 逃げるが、どこまでも追いかけてくる。そこで目がさめるという内容である。 熊は現実の問題の変形、逃げているのは恐怖心・不安である。誰も?経験する 夢のようだが。 一度凄い夢を見た。 以下、10年以上前に社内報に書いた文章をコピー。 ーー 霊的体験‐ 平成4年 7月 二十年近く前になるが、父の死後の四九日まで何度か不思議な体験をした。 死後一週間後位か妙な夢。私自身が父の気持になり “死にたくない。もっと 生きたい、生きたい”という“念”になってしまった夢。 夢の“念”は父そのものであるし、父と一年身近で苦しんだ為に“念”が 自身で、実感できたのである。 父が‘なんだ自分はこうして生きているでは ないか’という内的実感。夢よりさめた自分の魂が“父の魂”と一緒になった という不思議な実感。恐らく経験した人間ではないとわからない。 その二〜三日後の夢も強烈な夢(?)。何やしら強烈な恐怖感が覆ってきた。 その時、父のベットで寝ていたが、思わず“おやじ助けて!”と言った瞬間、 廊下の向こうにある仏間より強烈な“引力”が足をひっぱられた瞬間、ベットに しがみついた。 その時、隣に寝ていた母がスクッと立ちあがりトイレに行った。 全身汗びっしょりであった。まだまだ不思議な事が多くある…。 あれ以来最近は少なくなったが幽体離脱とか、妙な霊的体験が多くなった。 2001/06/30 ーー 2003/04/25 不思議-シンクロニシテー ・以前にもシンクロニシティーについて書いたが、また書く。親戚の葬式で 不思議なことがおこることが多い。不思議な現象で特に多いのが虹だ。5~6回 はある。先日も葬式から帰った後に散歩にでると、過去15年以上を散歩をして いるコースで初めて大きな虹を見た。 ああまた出たという感覚である。 その中で一番凄かったのは、7~8年前に義父が亡くなった時のこと。 葬式が終わり柏崎から車で帰ってくる曾地峠で虹が7回も次々に出て、その下 を通ってきたのだ。曾地峠は過去に数百回は車で通っているが虹が出たのは勿論 はじめてである。 ・前にも書いたが、ゾクッとしたのは8年前、近くの分家にあたる従兄が自死 した時のある現象である。納棺の時に、突風が自宅に吹き込み桜の花吹雪が 舞い込んだのだ。写真を撮っていたが、汗びっしょりになっていた。 そして納棺が終わると同時に、その突風が止んでしまった。 天気予報で午後の三時過ぎに突風が吹くといっていたが、納棺の時間が偶然に 一致したのだが。死ぬ前日に桜の花をいっぱい撮っていた。 こういう現象を、ユングが「意味ある偶然の一致」といっている。 ・涙雨というのは昔からある。晴天でも葬式の時だけ雨が降る現象だ。 それなら大都会では毎日降っていなくてはならない。自然に囲まれた地方に おきやすいのだろう。人知のはかれない何かがあることは間違いない! ―― H0511妙な夢―(機 ・ある夜半、自宅のどこかで音が聞こえた。泥棒ではないかと起きようとする が半睡眠状態で身体が動かない! 起きよう起きようとしているうちにスーッと 身体が起きて廊下に出て、居間に行き、台所を通り、寝ていた部屋へ一周しても どってきて布団に入る。ところがである。自分の肉体は反対側の向きでねている。 まずいと思い反対側にねがいって自身の肉体と一緒になるという夢(?)。 これが単なる夢か幽体離脱七日まだわからない。 ・また、こんな夢(?)もみた、明け方、自分の身体が1.8m位浮いて (そのまま水平にいて)下をみると自分の肉体が下にみえる!直観的にまずい と思い下にもどろうとするがもどれない。かなりうなされていたと思うが? 何年か後に誰かにきいたが、霊現象の一つで、よくある事だそうだ。 ・こんな事もあった。これは夢ではないが屁の天井や床の下四ケ所で次々と音が。 はじめは気のせいか夢かと思い、じっくりと観察を数夜してみたが、夢ではない。 当社の税務事務所の応接間でも同じ現象があるそうです。 ―― H0511妙な夢―(供 ・秋葉原のワシントンホテルに泊まった時の事、夜半、何かの気配に横を見ると 女の人の顔が浮いている。夢だろうと腕を抓ったが痛い。 これは面白いと、 じっくりとみた。 全体が白光色の黒髪の27-8才位の、のっぺらした美人。別に 恐ろしいという事もなかったが顔ははっきりと憶えている。ところが何年か後に、 会社の人にその話をしたところ、“それってみんな同じ顔をしているんだよね!” といわれ、はじめてゾーッと。 ・またこんな夢もある。夜半目がさめて寝むれないので、般若心経をとなえて、 ウトウトした頃、急に別空間にひきずりこまれそうな感覚になり、まずいと中断。 あの別空間は“別宇宙”“ブラックホール”的イメージであった。 ・その前後の夜半に夢で宇宙船みたいなものが近くおり、乗れという。 これも乗ったら危険と直観し去けた夢。あれに乗ったらどんな景色がみえた のだろうか?単なる夢とかたずけられない妙な実感があった。
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2018年01月11日(木)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』横尾忠則 (著) * 寿命は70〜80年で丁度よい それそろ寿命の尽きる御年頃に入ってきたが、この辺りが消え時だろう。 80歳後半ばまでとは思わないのは、長年の不摂生のため、そこまでは到底無理 と直感している心の保険かも…。<古希を過ぎれば皆、同じ>が、現在の心境! 〜80歳適正寿命説を著者が理路整然と説明する。 ≪ …人間は死を迎えてやっと一段落するのである。もし人間の一生がが5百年 もあれば、今のボクなら、その途中で狂人になってしまう。人間がもっと進化 していれば別だが。進化していない状態で、こんなに生かされてもどうにもかな わない。第一、5百年の間、毎日毎日他人と競争し、妻と憎しみあい、金儲けを 考え、―ああ、考えただけで気が狂うじゃないか。5百年の間に作った因果の 重みを一体どのように処理すればいいかというのだ。 今の人間の進化状態からいえば7、80歳の寿命が限度であろう。 死ぬことによって一旦ひと休みをして、前世の記憶を一切合切、きれいさっぱり 忘れて、別の顔と別の名を持って、新たな環境に生れてくるのが一番いいこと。 前世を忘れると同時に人間は死後の世界で経験してきた様々な出来ごとも忘れて 転生してくる。もし、憶えていたら、彼の一生は大混乱を起こすだろう。… …人間の想念というのは波動だと思う。幽霊は波動の塊であろう。言い方を かえれば想念の塊ということになる。強い想いを持ったまま死んだ人間はその 時の想念がそのまま霊魂の中に残され、それがしばしば形となって三次元世界に 物体現象を起こすようだ。… ≫ ― ▼ 17年近く連載してきた随想日記のHP。今生の想いの墓場として、全霊を入れ 書き続けてきた。『私には生霊の墓参りをして貰った方が向いている』と… これで。 その時々の想いは死んだ後でも残るが、「生前に御参りをして貰って いるのだから残す必要もない」ともいえる。 数年は残すが、5年後以降は 息子の判断で消去してもらう…。 その間は、魂は生き続ける? 毎日、自分 の17年分の‘生霊’を成仏させている、現生霊。 明日になれば、ただの笹音。
・・・・・・ 3578, 10年一昔というが ー2 2011年01月11日(火) この10年で、デジタル機器が飛躍的に進化し、パソコンや携帯電話などで ネット社会が出現。地球上の人たちのあり方を根底から変えてしまった。この間に ブログが世界的に普及、誰もが個人サイトの発信基地を気楽に開けるようになった。 更に携帯電話機能が飛躍的に性能アップ、そこにインターネットが接続され、 ミニ・ブログのツイッターが受発信と、Youtubeで世界中の動画の受発信が可能に。 これらがグローバル化を押しすすめる結果となった。 この10年の潮流を知るために、大きな出来事を重要順に選んでみた。 ー2001年〜2010年、世界10大ニュースー 1、2008年のリーマン・ショック 2、2001年の9・15テロ、アフガン、イラク戦争 3、ネット社会の出現 4、デジタル機器の飛躍的進化 5、3,4の結果、世界のグローバル化、フラット化が進む 6、インド洋、中国・四川、ハイチ大地震などの大災害が相次ぐ 7、アメリカで初の黒人大統領が選出 8、中国・インド・ブラジルなど飛躍的経済発展 9、電気自動車がクローズアップ、今後の重要産業に目される 10、環境問題が待ったなしに!その一つとして原発開発の機運が世界中に高まる この主な出来事をみても、10年前では想像を絶する現象が、 たて続きに起きている。今後10年は、これより激変が起こるとみると、それは 想像を絶することになる! 分かっていることは、「この現象は百年単位の変化 の現象でなく、数千年、数十万年単位の変化の入り口に入った」ということ。 それからすると、この変化は恒常的に続木、その結末として人類の歴史は、 それほど長く続かないと見るべき? ・・・・・・ 4318, 幸せはいつうもちょっと先にある −6 2013年01月11日(金) 「幸せはいつもちょっと先にある」ーダニエル・ギルバード著 * 意外と知られてない事実ーすべての人は自分を特別存在と思い込んでいる 心の奥を覗いてみれば、「みんなが大将」である。 但し皆が、それを隠して いるので、そう思っているのが自分だけと思っているから始末が悪い。 人より優れてないと思わないまでも、自分は他人とは違った世界を持っている と自負している。 −その辺りの心理がリアルに書かれてある ≪ あなたがほとんどの人と同じなら、ほとんどの人と同じように、自分が ほとんどの人と同じだということが分らない。科学は平均的な人について、 たくさんの事実を明らかにしてきた。なかでもとくに信頼できるのが、 「平均的な人は自分自身を平均的だと思っていない」という事実だ。 ほとんどの学生が自分は平均的学生より頭が良いとおもっているし、 殆どの営業部長は、自分は平均的営業部長より能力があるとおもっているし、 殆どのフットボールの選手は、チームの他の選手より上と思っている。 ・・皮肉なことに、自分を平均以上だと考える偏見は、自分を平均より偏見の 少ない人間だと考える原因にもなる。 ある研究機関は、こう結論づけた。 ‘ われわれはたいてい、自分が平均的な人より運動ができ、頭がよく、 几帳面で、道徳的で、論理的で、面白くて、公正で、健康で、(もちろん) 魅力的だと思っているようだ’ 自分を他人に勝るものと考える傾向は、 自分を他者と違うもの(ー勝るものも多いが、劣るものもあるー)と捉える傾向 の一例かもしれない。人は寛大さについては、他の人より数多く寛大な行為を していると主張する。ところが、身勝手について尋ねられると、他の人より 数多くのしていると答える。車や自転車の運転といった簡単な課題に対し、 その能力は優れていると答えるが、ジャグリングやチェスといった難しい 課題をこなす能力は、劣っていると評価する。 ≫ ▼ 勝っている部分が少ないと、自分は他者と違った特別の存在と思い 込もうとする。そのために特別な方法をとりたがる。この随想日記からして、 まずは、そう。「12年間近く、これを休むことなく書き続けた。凄いだろう!」 という気持ちが何処かにある。「48回も世界中を旅をし、それぞれの地域から 見れば、私の生活圏も同じように変わったところでしかないことを体感してきた。 それが私の大きな財産!」とか、まあ、心の奥の馬鹿くさ! 所詮は石ころは 石ころとして、自分で自分を慰めるしかない私が、ここにいる。大津波か何か 知らないが、挫折を、「外海に大津波がきているのが見えて、その本体の巨大 津波で浚われる前に、事業整理をした」とか何とかを、恥ずかしげもなく ブログに書いている有様。まあ、読んでいる分には面白いだろう。 ただ、面白がっている方も大して変わらないのを知ればこそ書いている・・ ある人が面と向かって、「私は特別な存在!」と確信を持ち言われたことがある。 純粋か無知なのか、本当にその通りかマジマジと、半ば呆然と顔を見た。 これからすると、その人は、心の内を正直に述べただけ。 どう見ても、 そうには思えなかったが! 考えてみるに素直なだけ。その人、誰も、そう 思っていると知っていたら、言わなかっただろうに。そこで、これからは 魂を込めて一人ずつ誉めることにした。心の奥の魂には、魂を込めないと。 独身時代、美人が大好きで、タイミングをみて、「あんた美人だね。私は、 実は美人大好き!」と軽くいっていた。ポイントは一回だけ、こっそりと。 この感覚で人を誉めろ、ということ。人生を振り返り、もっと誉めれば 良かった!ったく。 ところで私がやたら誉めると私らしくないのが問題。 どういう人生を生きてきたのか、この男。 母親が還暦のとき、「子供たちは、 みんな感謝している。ただ誰も口に出さないだけ」と、言ったら、 「生きてきて良かった!」と。歳をとるにつけ、それがだんだん言えなくなる。 そうそう言ってはならないが・・ 言わなければならない時もある。 ・・・・・・ 5050,生と死をめぐる断想 ー4 2015年01月11日(日) * 免疫学者・多田富雄の受苦 7〜8年前、『「生と死をめぐる断想』でふれた「多田富雄の生死の淵」を 取り上げたNHKドキュメントを見ていた。そこで、自分の中の「新しい自分」を 「鈍重な巨人」と名づけていた。全身全霊だからこそ、内なる巨人が現れ出る。 「受苦は魂を成長させるが、人格まで破壊するから頑張っている!」が良い。 ーその辺りを抜粋するー ≪「にもかかわらず」の哲学を実践したと思える、免疫学者の多田富雄がいる。 1934年生まれ。医学の道に進みながら若いころから専門の研究のかたわら文章を 著し、さらには能を創作し自らも小鼓を打つなど、旺盛な表現活動をしていた。 2001年、脳梗塞に倒れ、一命はとりとめたものの、右半身の完全麻痺と嚥下障害、 言語障害という重度の後遺症が残った。多田にとって右手は利き手であり、 字を書く手だ。その自由と声とを失ったのは、表現とコミュニケーションを 奪われたに等しい。どうにか自由になる左手でパソコンを覚えようとする。 利き手ではない上、それまでパソコンを使ったことがなく、わからないところを 口で訊くこともできないから、習得は困難を極めた。それでも少しずつ文字が 打てるようになり、執筆を再開。その頃のことをうった文章では、もどかしく 遅々とした歩みを「鈍重な巨人」に喩えている。「私の中に、何か不思議な 生き物が生まれつつあることに気づいたのは、いつごろからだろうか。 初めは異物のように蠢めいているだけだったが、だんだんそいつは姿を現した。 まず初めて自分の足で一歩を踏み出したとき、まるで巨人のように不器用な そいつに気づいた」。「私はこの新しく生まれたものに賭けることにした。 自分の体は回復しない巨人はいま形のあるものになりつつある」(略)・・ 自分の中に「新しい人が生まれる」のだ。緩慢で寡黙で、そしてときどき 転んで多田の体に痣を作るなどして、彼を裏切るその人を、いとおしさも込め て「鈍重な巨人」と彼は呼んだ。 やがて多田は音声合成装置を用いて発話も できるようになった。文章の執筆の他、能の創作も再開、車椅子での出かけも はじめた。その多田に、さらなる試練が降りかかる。2005年に前立腺がんが 見つかって、手術をするも少しずつ進行し、転移による胸膜炎で2010年死亡。 ・・リハビリの中で、努力を続けるわけを彼は次のように述べる。 【 受苦ということは魂を成長させるが、気をゆるすと人格まで破壊される。 私はそれを本能的に逃れるため頑張っているのである。】 ・・≫ ▼ 4年前からの御隠居生活の環境で、新しい自分が動き出した実感がある。 それは、風によって、行き先が変わる「羽毛のような天使」のように宙に 浮いたよう。一歩間違えると、人格まで破壊されるマイナーのエネルギーの風 でもある。私も愛情を込め、内なるこれを、『羽毛の天使』と、呼ぶことに。 コヤツ晴れた日は良いが、雨風にねっぽう弱いが、過去未来に平気で飛んでいく。 そして、私と娑婆には、いやに冷淡?である。 ・・・・・・ 4685, 10年日記 2014年01月11日(土) 去年の暮れに10年日記が終了した。一昨日、この文章を見つけ驚いたが、 これも続けるとなると根気がいる。ただ何気ない平凡な日々も、書いてあれば、 その時どきの記憶が舞い戻ってくる。折々に、その内容を書き写してみる。 そこで蔦屋で10年、5年、3年日記か迷った結果、『5年日記』を買った。 「果たして10年先、生きているか?」を、店先で考えるのも奇妙である。 《 2004年01月09日(金) ー10年日記帳 ー 昨日「10年日記帳」を買ってきた。通勤途中の書店に、3年日記、 5年日記、その横に10年日記帳があった。数日前から迷っていたが思い 切って買うことにした。10年といえば途中で途切れる(死ぬ)可能性もあるが。 10年前にこの日記帳を書きつづけていたら、毎日が面白いだろう。日記御宅 になってしまうかもしれない。 買ってみて「10年先を白紙で毎日意識して みることが出来る」のではないかと気がついた。現在はホームページの随想 日記に、35年前と2年前と一年前の日記をコピーして貼り付けている。 この為、後ろ向きになってしまうが、10年分の白紙を毎日見ることで、 10年スパンで鳥瞰する目が知らないうちに身に付くのではないか。 更に他にも深い意味が出てくる可能性もある。『ポストイットで未来の日記を 仮定で書き貼っておくとか』『理想の姿を現在進行形で書いてみるとか』 年をとっていく自分を見る視線が憂鬱になる可能性もある。9年、10年 経ったとき後ろ向きになってしまう可能性もある。その時は、その時。 今日から門出の日記の開始。随想日記に、過去の当月当日を貼り続けているが、 結果、毎日過去の日記を見ることになる。そうすると、ほぼ同じことをしている ことになるが、白紙を毎日見ることが決定的に違う。こう公表してしまえば、 書きざるを得ないだろう。習慣化は第二の天性というから。 これも加えたいが・・・ 》 ▼ 改めて、ジックリ同月同日の10年分を俯瞰すると、やはり書き続けている 価値はあった。それぞれの日々が懐かしい。「遠き日は年とるごとに近くなり」 であり、この習慣を数十年続けていたら、心の豊かさが全く違っていただろうに。 忘れることも大事だが、メモだけでも、行き先(5、10年先)を決めて 「ここまで生きているぞ!」と書き込んば張り合いにもなる。それにしても、 よく続けられたもの。これも早朝起床の御蔭! 次も10年日記でも良かった? ・・・・・・ 5780,中国で急増するネットショップ村に密着 2017年01月11日(水) <中国で急増するネットショップ村に密着 ……NHKスペシャル> * 中国社会がネットで結ばれると 8日のNHKスペシャル『中国14億の消費革命〜ネット通販 若者の夢と挫折〜』と、 9日の、にっぽん紀行『オオクボ・ドリーム〜大久保 多国籍タウンで夢を追う〜 (18:10〜18:45NHK総合)がシリアスな内容。 ネット社会が別だてに形成された現代を、そのまま、現れ出したテーマである。 ネットでハッとすることが何度かあった。Windows10を追加入力をしようと、 家電で買ったソフトを入力しようとするが、私には難しい。そこで、ネットで、 マイクロソフトに質問を入れたと同時に、顔写真が出てきて、「その問題を 3500円で請け負います」と顔写真入の画面が出てきた。しかし数日後に、次男が 正月休みに帰ってくるので、それから考えようと応じなかった。(で、息子が、 アッサリと解決をしてくれた)それより、マイクロソフトへメールにヒットして、 即座に解決の見積もりをしてくる情報ネット世界に驚かされた。ヤフーのブログ に、パキスタンのフンザ村の写真を載せたところ、何時の間にか、ネット上に 乗っていた。(検索に フンザ 写真と入れたところ、その中に何枚かが、何と 私の撮ったもの)。 〜まずは『『中国14億の消費革命〜ネット通販』より〜 ≪ 経済成長の鈍化で、「世界の工場」から構造変換を迫られる中国。 いま新たな成長の起爆剤と期待されているのが、ネット通販(EC)である。 2015年の販売額は約60兆円余り。アメリカを抜き、世界一の通販大国に 急成長した中国が考えているのが、ネット通販を通して、今まで豊かさから取り 残されてきた「6億人の農村人口」の購買力を目覚めさせること。いま政府は “14億人の消費欲”を1つのテーブルにのせようと大号令をかけている。 番組では、急増する“ネットショップ村(淘宝村)”の現場に密着。 そこは村全体がネット通販のプラットフォームになっており、年間の売上は 約670億円にも達する。全国からやって来た若者が次々とネットショップを 起業し“現代のチャイナドリーム”を目指して、激しい競争を繰り返している。 さらに、中国政府は、民間企業と協力して、広大な国土の隅々に4万ものネット 通販のサービス拠点の設立を計画。高齢者や農民に、肥料や日常品、農具までも ネットで購入させることで、新たな消費革命を起こそうとしている。14億の 消費革命で、農村は、中国は、どう変わるのか? 新たな夢を抱きあがく若者 や、政府の戦略を通して、中国のダイナミックな変化をみつめていく。≫ ――― ▼ 中国人の特徴に、「流砂の民」という言葉がある。大陸的個人主義の性格が 強すぎて、まとまりがなく、掬い取っても指の間から落ちていく。半面、友人、 親戚間の繋がりは強い。 そこにネットが持ち込まれれば、中国の強さと弱点が 出てくる。それが農村部の消費拡大に繋がれば、それは膨大なエネルギーになる。 中国は歴史の深い国、ソ連解体の試練を乗越えた?ロシアのように、強靭な国に なっていくだろう。そして、あの大統領を選択したアメリカの衰弱は更に進む! ・・・・・・ 5415,だれもわかってくれない ー 2016年01月11日(月) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * パワーレンズ パワーを有効に引上げるには、よりパワーを持った人やグループに認められる 必要がある。そのためには、対象のパワーアップの手助けが可能と、アピール する必要がある。企業採用も、昇進が、これである。 社会も、結婚生活も、 パワーバランスで成立している限り、パワーを持つこと、それをデスプレーし、 アピールすることが必要である。 ーパワーレンズー項目の要約よりー ≪ ★ パワーレンズレは、誰でもつけたり外したりするのです. ★ パワーを持つ人は、あなたのことをきちんと認識してくれません。 その理由は多くの場合、相手が自分の目標達成に集中していて、ほかの人 の問題や考えにまで気がまわらないからです。ショートカットを駆使して 大まかに理解するので、他者の複雑で微妙な点までは目に入りません。 ★ パワーは状況によって変わります。ある時点であなたよりパワーを持って いた人が、別の状況ではパワーが低下することもあります。パワーは動的で常に 変化しているので、「パワーレンズ」は、誰でもつけたり外したりするのです。 ★ パワーを持つと、ステレオタイプや先入観により強く依存するようになる。 パワーのある人に自分を特別な個人として認めてもらうことは至難の業。 ★ 大きなパワーを持つ人が他者について的確に理解しようとするのは、それが 自分の目標達成のために必要なときです。だからこちらが有用な存在、つまり 相手の目標達成を助ける人になることが大事です。そうすれば相手は、時間と 精神的エネルギーを使ってあなたを正しく見極めることに意味があると思って くれます。 ≫ ――― ▼ パワーは集中と、その維持の中から生まれ出てくるため、アップ続ける には、長年かけること。生きていく必要条件である。そのパワーも、所詮は、 直ぐに消え去る一現象。特に女性の伴侶選びは、一生を左右するため、シビア なレンズになっている。で、一生かけてパワーを吸取られる浮世の無限地獄。 結果、自律神経失調症など精神がやられる。その対策として、独りを楽しめる ライフワークが必要となる。一番、手っとり早いのが、読書だが・・
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2018年01月10日(水)
『坐禅は心の安楽死 〜ぼくの坐禅修行記』 横尾忠則 (著) * 悟りに至るとは 図書館の返却コーナーで見つけた本。指導を受けた禅師が、座禅やヨガの 目的の「悟り」について、『人間は、元もと悟った状態だったが、成長するに従い、 次第に分別くさいモノの考え方をするようになり、悟りの状態から遠のいていく。 それを座禅で赤子のような心に戻していく』のが根本と… 夜半の布団の中でする、ヨガの死者のポーズの時の心持と同じような。 〜その辺りから ≪ 座禅は、ある意味で去来する雑念との戦いのみたいなところがある。 現在抱えている問題に限らず、すでに記憶の壁の向こう側に去ってしまった ような大昔の事柄が再び壁を乗越えて、こちら側の現在の自分の心に迫って きたりする。つまり潜在意識に溜まっていた想念が座禅をすることで顕在化を したのだ。座禅は潜在意識の顕在化を必ずしも否定をしない。むしろ、これで、 心の奥の毒素が吐き出すことができる。心の奥の不透明な種子を「安楽死」 させることが出来るのではないか。… 心の底にじっと閉じ込められている想い や考えが、何か問題が生じた時に一気に駆け上がってきて、我々の表面意識を ゴチャゴチャにして問題を悪化させてしまう。だからそのような問題に振り 回されないようにするため座禅をしなさい、と禅僧はいう。 …雑念は底なし沼のように、ボコボコと泥の泡のように潜在意識から昇ってくる。 それをとことん吐き出せば、煩悩はなくなるはず。そして純粋無垢な赤子の ように… 座禅をすることで、悪想念を消して、気が付いたら悟っていた状態に 持っていくのが禅の学習らしい。≫ ― ▼ 毎日の行(業)の一つが、午前中の、この随想日記の準備と、仕上げ。 心の奥のネタ(毒素)が中心になるためか、同月同日分の過去文を読返しも 含め、瞑想と悟りのような心持が、内観そのもの。2〜3時間は、あっという間。 毒素そのままを言葉にして公開しているのだから… 今さらだが。 〜で、以下につづく ハワイ流 瞑想法である。 ―――― 2017年12月28日 ウニヒピリ(潜在意識) 『ウニヒピリ〜 ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」』 イハレアカラ・ヒューレン (著), * ハワイの3つの意識 ハワイ版「潜在意識と、その治療(洗濯)法の癒し本」というところか。 「本来の自分」であるインナーチルドに出会い、ケアする。そして宇宙に 開放してやる。「ハワイの地で、心、魂の洗濯」とイメージするだけでも、 開放される心持になる。ハワイに身を置くだけでも、本来の自分に戻れる。 <最後の部分の要約が「肝心」。最後の方だけでもご覧のほど!> 〜Amazon 内容紹介〜 ≪・ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」。 これを、ハワイ伝統医療のスペシャリストであり「ハワイの人間州宝」の 故モーナ女史が、現代社会で活用できるようアレンジしたのが 「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」です。 そんなホ・オポノポノのなかでも、最も大切な「ウニヒピリ」(潜在意識) について、初めてきちんとまとめられたのが本書。ホ・オポノポノを正しく 実践するためにも、必ず知っておきたい究極の真理です。クリーニングを通して 自分のウニヒピリと出会い、そしてケアしていくことで、ホ・オポノポノの目的 のひとつでもある本来の自分すなわち「セルフ・アイデンティティー」と出会う ことができるはず。あなたが今までその存在すら気づかなかった「ウニヒピリ」、 その子は今でもあなたからのケアを必ず待っています。 ・「ウニヒピリのケアをすることは、自分をほんとうの意味で解放し、全宇宙が 真の自由を得るために欠かせないプロセスです。ウニヒピリがクリーニングに 参加しなければ、記憶は再生されつづけるばかりで、過去の問題や傷を繰り返し 人生のなかで体験する状態から、決して自由になることはありません」 (ヒューレン博士「あとがき」より)≫ 〜ビュアー評〜 ・【 ハワイに伝わるシンプルな癒しの秘法「ホ・オポノポノ」では、 「自分」というものを3つのものから出来ていると考えます。 1つ目は表面意識である「ウハネ」、 2つ目は超意識である「アウマクア」、 3つ目は潜在意識である「ウニヒピリ」です。 ウニヒピリは心理学で言うところの「インナーチャイルド」に似ていますが、 個人的な記憶のみならず地球の誕生から現在に至るまでの全ての生物や無機物 が体験した記憶が保管されているところを指します。ホ・オポノポノによる 癒しはウニヒピリと繋がり記憶を徹底的にクリーニングしていくことによって もたらされます。】 〜ネット上の批評より〜 ・【ウニヒピリの協力がなくては、インスピレーションを受け取ることができ ません。私たちの中にある3つのセルフ、表面意識(ウハネ※)、潜在意識 (ウニヒピリ)、超意識(アウマクア※)がちゃんと存在し、それぞれの役割 を果たす。そうすることで、初めてすべての存在の源である“神聖なる存在” とつながります。表面意識から“神聖なる存在”につながろうとする人が多い のですが、流れとしては、表面意識が潜在意識に降りて、そして初めて超意識に 上がって、上の“神聖なる存在”につながっていきます。その順番が大事。 ウニヒピリのケアがあって、初めて上とつながれるわけです。 ※ウハネ…表面意識。私たちが日常で認識している意識。クリーニングを スタートさせる部分。ウニヒピリにとっては母親のような存在。 ※アウマクア…超意識。ウニヒピリから届いたクリーニングの働きを、 唯一“神聖なる存在”に届けることができる。】 ― ▼ 要約すると、<自らの記憶に向けて、「どの記憶が問題を引き起こして いるのだろう」と問いかけた後に、「ありがとう」「ごめんなさい」 「許して下さい」「愛しています」の言葉を繰り返すことで実践される。 大切なのは、ウニヒピリの存在を認めること> 毎日、20〜21時に就寝、0〜1時から半睡眠状態に入る。それが「ウニヒピリ」。 そして4時に起床をして、前日に書いた、この文章が「ウハネ…表面意識」。 その修正が、「アウマクア…超意識」になる。クリーニングは、そのプロセス で考える?ことで、衆人の視線を意識し修正することが、これになる。 過去の同月同日の文章数年分を読返している自分は超意識になる。 世間人とは、超意識が欠落している存在。 超意識の欠落は、表面意識も、 潜在意識も、狭く、浅いまま、群れたままで終世を向かえる。他人事でない、 自分のことでもある。それなら納得…? 神聖なる存在への意識ですか。 その存在に向けて、「正・中心・一点・無」ですか。5円玉を神聖なる存在と すると、真中の穴(一点)が無? 本体の外側が… お後が宜しいようで。 ・・・・・・ 4684, 偶然からチャンスを見つけだす能力 ー2 2014年01月10日(金) 〈ー偶然からモノを見つけだす能力ー沢泉 重一 (著) 〉 * 私の体験例より・・ 偶然からチャンスを見出した経験は人生を長く生きてくれば、誰もが 多かれ少なかれ持っている。その偶然に出会うのは、節目の極限状況が多い。 新潟の駅前から150Mほど離れている角地の更地70坪で、さて何か事業を 始めようかと考えた。その直前まで実家の衣料品ディスカウントの本店を 任されていて、二ヶ月に一度の割で東京、高崎、名古屋、岐阜、大阪、広島 などの産地に仕入れに行ってビジネスホテルに4年半ほど宿泊をしていた。 その顧客経験から、新潟駅前の格安ホテルなら必ず成功すると思い至った。 おりしも上越新幹線が部分開通が始っていた。34年も前のことである。 以前より、何かに捨身で無我夢中にエネルギーを集中すると、そのプロセスで 他の何かをつかみ取れる経験をしていた。卒業後、ジャスコに一年勤務。 考えるところがあって産能大に編入した時も同じである。その時、千葉郊外の 姉の家に居候をして自由が丘に通っていたが、姉が家から車で20分離れた 新興住宅地の一角を将来の貸家のために買っていた。千葉県住宅供給公社が 開発、販売のため、一般の半値近い。そのため何倍かの希望者があるため、 公開の会場で抽選会が行われ、その場で次々と当選が決まる。それには 条件があって、二年半以内に建物を立てないと公社に強制的買戻し条件がある。 それもあって、地区ごとに、団地が住宅建設が見られる。ある朝、何気なく 新聞広告をみると、その五万人ほどの住宅地のド真ん中の商業地の販売広告が 載っていた。そこで、姉に「これは買いだと思う!申し込みをして当たれば 儲けもの、どうだろう?」と話すと、「当たってからの物種。当たったら、 父親に借金をすればよい。とにかく申し込んでみたら」と言う。 時は、高度成長期の真っ只中。団地の一等地である商業地の「角地と、隣」 二箇所を、早速、申し込んだ。物件の倍率は、角地が十五倍、その隣は三倍。 抽選当日、会場の抽選会に行ったが、何となく角地の隣は抽選に当たる! 予感がしていた。そして、当選。 外れても当選者の辞退が出た場合、 次点の人に権利がある方式。「これで余裕があれば、応募しない手はない」 と思ったのを憶えている。 それも隣接する二万人の隣の住宅地加えると 七万人の十字路の角地の隣接地からみて、五年で数倍になるのは誰でも分る。 そこで、私に甘い父に「せっかく、当選したのだから、私の物件でなくても よいから」と、三日間、つききりで、その価値を説き続け、その結果、 実家の会社名義で買うことになった。これも、当時の合併した直後の ジャスコを思い切り辞め、大学に入り直して必死に学んでいたおかげ。 その二年後に貸ビルを建設し、その一角で「養老の滝1122号店」と、 焼きたてのパン屋「センチュリー・ベーカリー」を立ち上げ、無我夢中で 取り組んでいるうちに、実家でお家騒動が勃発、その二つを経営委託をして、 長岡に帰ることになった。 これも私にとって大きはチャンスになった。 千葉は5千万の総投資だったが、一億で売却。 それが新潟駅前シリーズ の事業資金。 まず、時流に乗った何かを見つけ、全身全霊を込めると、 思いもよらないチャンスが舞い降りてくる。 この随想日記も、そうである。第三者からすれば「毎日、飽きもせず、 この程度の文章を書き続けて!」と思うだろう。他人を傷つけ、銀行の担当 から疑われ5百万も脅し取られ、この一連の中で「これは、計画倒産そのもの じゃないか?」と詰なれても、割り切ってしまえば、それまで。 10年、50年先に残るのは、その時どきに残した言葉=魂(全身全霊の エネルギー)だけ。言葉とは、それだけの力があると実感するからである。 事業40年、人生68年の総括での「遇察」は何だったか? 般若心教の悟りに近い、色即是空、空即是色の透視? 因縁、感謝、感動!の中にある一連の現象。 人生に後悔が無い、といえば嘘だが、諦め(明め)はついてきた。 ・・・・・・ 5414,閑話小題 = 寒い朝〜つれづれなるままに 2016年01月10日(日) * 寒い朝〜つれづれなるままに ☆ 北朝鮮が、再び核実験をおこなったが、水爆ではなさそうだ。 今のところ不明だが、年明け早々、イラン、アラブの国交断絶や、 世界的の株式の暴落などを含めて世界は更に混沌としてきた。 米国大統領の最後の年もあって世界の混乱に拍車がかかる年になる。 ☆ ロシア、中国、欧州、米国の、どこから発火しても、その火の手 は一瞬に世界を駈け回る。原油も暴落、30ドルを割りそうな気配。 ロシア、中東など資源で潤ってきた国々も、これで資金が不足すると、 それが戦争やテロの火種になって難民を輩出する。 ☆ 積雪、多ければ多いで大変だが、無ければ無いで、水の循環に 狂いが出る。オゾン層の破壊による地球温暖化は深刻だ。 ☆ 年賀葉書が例年どおり、毎年、差出した人から、そのまま届いた。 現役時代は個人宛てが70通位だったが、今では50数通に減った。 ☆ 小学校時代の恩師から、『自分史』が送られてきた。 30年前に頂いた個人史は18pの小冊子だが、これは、一冊の本。 先生の信条は、「話すより、手紙を書く」で、筆や、ペンでスラスラと 書かれた手紙は、それだけで、一つの作品のようである。 私は、 この随想日記を墓場と見立てて、個人史的なことも書いている。 分類が項目が、目次にして、駄文を切取って、構成すれば、本になる。 まず母親の残した『自分史』を送ろうかどうか? 思案中! ☆ 今日から大相撲が始まる。一時、熱が冷めていたが、不祥事後は、 ガチンコ勝負の徹底で人気を回復させている。 人気回復に、若い女性の取り込みを戦略にしたこともあるが、観客席に、 その姿が少なく、中年女性が目に付く。 ・・・・・・ 5779,閑話小題 〜年初に、つれづれに 2017年01月10日(火) * 何? アメリカ 世も末かい! 日本国の事実的宗主国の当主が、隠れ極右の泡沫男に変ったら、どうなる? 気違いに刃物とは、このこと。これでは 今年は去年よりも大荒れになる。 去年が英国のEUからの離脱と、米国の泡沫候補トランプの大統領の選出。 その裏に、ロシアのプーチンの策謀があったというから…お粗末もいいとこ。 オバマが80点なら、20~30点程度の泡沫を大統領に選ばせたのだから 米国も地に落ちたもの。 ちなみに、小ブッシュは40点。 支持をした中・下層の白人が一番、圧迫されるというのに…これは歴史的惨事。 まずトランプが不動産屋ということ。長期ビジョンが少しはあるが、実業家の 本能で、目先の実績を優先する習性が染みついている。その上に平気で嘘をつく。 世界政治を大きく左右するアメリカ大統領には最も向いてない人物。それさえ 理解できないのが中・下層の白人の程度。低劣なハリウッド映画並の物語の 様相である。まず年末まで重大な隠された問題が出てくる? それもプーチン の仕掛けで…? 来年の夏までは持たない? 二流俳優上りのレーガンは、 レーガノミクスで対応したが、後始末が、それは大変だった事実がある。 * 大相撲が始まった 大相撲が始まったが、この数年、腕白相撲上りの個性的な力士が出てきた。 「正代」が関脇に、「遠藤」に加えた「北勝湖」と「御嶽海」が上位に顔を並べ、 新潟出身の「小柳」が十両上位に上がってきた。これに小兵力士の数人が加わる。 昨年末の全日本相撲選手権、全日本学生相撲選手権を見ると、モンゴル人、腕白 上りの将来性のあるのが何人かいる。 腕白相撲上りは、子供頃から基本が叩き 込まれている。しかし、大陸系のモンゴル人と骨格が違う。 ところで、目先の今場所はどうなる? 白鵬が本命?。相撲に対する姿勢が 他とは圧倒的に違う。ただ強いだけでなく、強靭の精神力・人間力があるが、 土俵年齢が賞味期限を超えている。それにつけても、女子供のファンが多い。 ・・・・・・ 4317, 幸せはいつうもちょっと先にある −5 2013年01月10日(木) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? −� お金の効用こそが、価値を決定する。今さらのことだが、その辺が曖昧に なってしまう。私自身、末っ子のため、両親の傍で、いつも金銭哲学を聞いて 育った。そして、最期の死様から多くの教訓を得た。その一つが、時節ごとに 使うべき金は使うべし、残しても、後でみると不安を具現化した残物でしか ないということ。人生(特に事業)は何時何が起こるか分からない。 財産を残しても、一瞬で消え去る恐ろしさを見聞きしていた。 で、給料範囲で全てを使い切ることにしてきた。 振り返ると、それが正解。 満足した行蔵が人生の晩年の宝として残っている。本を読んでも、TVを見ても、 それがベースになっている。 ーその辺りを抜粋するー ≪「ものの価値、その値段ではなく、そのものが与える効用をもとに 決定しなければならない。ものの値段は、そのもの自体に左右されるだけで、 誰にとっても同じだ。しかし効用は、予測をしている人の個別の状況に 左右される。そのため1000ドルの利益は、たとえ額は同じでも、金持ち より貧乏人にとっての方が間違いなく価値が大きい」 富そのものは幸せに 関係ない。大事なのは「効用」。お金や昇進やビーチでの休暇そのものには 興味ない。あるのは、こうした形態の富がもたらす、満足や喜びである。 賢い選択とは、喜びを最大にする選択であり、お金を最大にする選択ではない。 お金が増えていく場合、一ドルが与える喜びは常に前回よりわずかに少ない。 人は絶対量でなく、相対量に敏感である。しかし効用を推定することは難しい。 それをするには、そう想像だ。我われの脳は独自の構造を持っていて、 心の中で自分を未来の状況に移動させ、そこでどんな気持ちがするか自分に 尋ねることができる。 効用を数学的な正確さで計算しなくとも、明日に一歩 足を踏み入れて、その感触を確かめればよい。自分を時間軸の前方に投影し、 出来事が起こる前にそれを経験できる能力のおかげで、我われは誤りをおかす ことなく学ぶことができ、行動することなくそれを評価できる。 それでも未来の自分と未来の状況をシュミレーションする能力は、完璧から ほど遠い。未来の状況を想像するとき、我われは、実現しない細部を穴埋めを し、実現する細部を放棄する。未来の状況を想像するとき、今感じていること を無視できず、あとで起こる物事について、どう考えるようになるか気づかない。 しかし、先見はもろい能力だ。そのためには、目を細め必死に目を凝らして みたりしなければならない。幸せを見つける公式はない。しかし、偉大なる 脳は、ちょっと先にあるように見える幸せに、かならずしも導いてくれない としても、なぜ辿りつけないかを教えてくれる。≫ ▼ 秘境ツアーは、その最たるもの。大体、価格の5〜10倍の価値を実感 してきた。その効用(価値)は、経験と情報でほぼ予測可能である。 その上、行った先をTVの旅行番組で映し出してくれる。その時の見れなかった 細部をプラスして見せてくれる。とはいえ、それも時間と金銭と気持ちに 余裕があってこそ。 亡くなった姉が派手な浪費家と思っていたが、 振り返ると、浪費家というより‘良’費家に思えてきた。その時々を最大限、 楽しんでいた。 人生は、それでよいと、この歳になる身に沁みて思える。 ただ、面子を捨てることが出来るかどうか。面子は面子で、それも可愛い。
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6145,閑話小題 〜あと9日で72歳ですか! 先は少ない |
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2018年01月09日(火)
* 元気でいられる数年を如何に! 老化の問題を突詰めると、「最後の10年を如何に生きるか!」になる。 「長生きはしたいが、寝たきりや呆けでは…さて如何に?」になる。 ・健康寿命が男性:71歳。女性が74歳(4年前の統計)。 ・寿命は30年前に比べ、男性が6歳延び81歳、女が7歳延び87歳に(去年)。 とすると、男は9〜10年間、女は13年の介護生活の末、亡くなることになる。 その平均介護年齢を超えて一年、老化現象が年々、如実に出てきている。 前期・後期高齢者の折返しの75歳を境に「どんな努力も水の泡」(渡辺淳一) と宣う。 これからすると、いいとこ3年。 一休の歌 「正月や冥途の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」そのままが、前方 から迫りくる時節にある。青・壮年期に共に闘った取引先の担当も、過剰飲酒 が祟ったためか過半数は故人に。私は、有難いことに、毎日が充実し、面白く、 可笑しい日々が続いているが、常時、充実状態にしてないと、深淵の闇に飲み 込まれてしまう。 いつも悲観的?文章を書いているが、実は、そうでもない。 「余命、あと半年!」と宣言された瞬間、灼熱の砂漠でただ独り‘生への渇望’ で七転八倒することに。どのみち通る、避けれない道。後期高齢者年齢まで僅か 千日の娑婆!になった現実があるが、10年以上も生き延びる可能性もある。 思い残すことを最小にと、17年近く、連日、行蔵を書き残してきた。 世界の名残りと地球の果てを、数多く見てきた…。そこで実相を見てきたか? というと疑問が果てなく残る。これまでは、身近で見えていた両親の後姿に 先導されていた。 「最後の10年を如何に生きるか!」の視点からして、7年前の会社清算に、 3年を加えると、10年になる。碁盤の白石が黒石に反転した目線で、人生の プロセスでの行蔵を見つめ直して、「この結果も悪くはない」との諦念 も出来つつある… あと少しで72歳! 来年も健康体で、 <ああ既に73歳ですか!>をテーマに書きたいもの。…お後が宜しいようで!
・・・・・・ 5048,修羅場の極意 −2 2015年01月09日(金) 『修羅場の極意』佐藤優著 *「夫のアル中」と「カネがない」のが最大の修羅場 西原理恵子との対談の表題にある『修羅場の極意は、「最悪」の シュミレーションをすればよい』だが、修羅場はいつ来るか、どういう 状況の下にくるかもわからない。準備のしようがないように思えるが、 長期的な体質づくりは可能である。そこで、自分が何をしたくて生きて いるのか、を明確にして、優先順位を決め「最悪」状態になっても「やる」 と決めれば、何とかなるもの。 ーその辺りからー ≪ 佐藤 西原さんの最大の修羅場はいつですか? 西原 戦場カメラマンだった夫がアルコ孟依存症で、家の中で暴れていたとき ですねアルコール依存症って大変な病気で、理性が吹飛んで、野生の生き物 みたいになっちゃう。だから強い者にはペコペコして、弱い者は徹底的に いじめる、という動物のような人格になってしまう。二十四時間、私のことを 罵倒していました。私はアルコール依存症という病気の知識がなくて、この人 は著しく性格の悪い人だと思い込んで、二人の子どもを守るために離婚した。、 佐藤 酒は怖いですよ。僕もロシアで山ほどアルコール依存症の人を見ました。 あの国は男の平均寿命がものすごく短い。64歳くらいです。そして、死因に ウオッカが関係しているケ支が多い。アルマル依存症による内臓疾患だけで なく、酔っ払って交通事故や機械に巻き込まれる事故も少なくない。 またはアルコール依存症に関係があると思われる自殺も多い。 西原 アルコール依存症患者の生還率は二、三割とされています。 佐藤 でも旦那さんは帰ってきた。 西原 そうなんです。治療を終えて、「ただいま」って帰ってきた。 最初は怖くて目も合わ軸せられなくて。でも二日目くらいで結婚する前の優し かった頃に戻っていることに気づいた。 西原 夫が病気になって思ったことですが、人間は必ず病気になる。病気に ならない夫も、潰れない会社に勤めている夫も、浮気しない夫も、この世の中 には存在しません。そのとき専業主婦だったら家の中は滅茶苦茶になる。 夫が倒れて、自分に子どもを養う力がなければ、家庭は修羅場になります。 専業主婦は極めて危険なお仕事です。夫を治すために莫大なおカネがかかり、 半年後にちゃんと死なせるためにも莫大なお金がかかりました。 最大の修羅場はおカネがないこと。おカネがないと、たいていの人は獣に なってしまいます。おカネがないと男の子は泥棒に、女の子は売春婦になる 危険性が高くなる。 佐藤 西原さんの修羅場の対処法を整理すると、まず、最悪の状況を シミュレーションしておくと。それで、原因を理性的に分析して、その危険が ある芽を潰していくということですね。これはすべてのことに応用できる。 西原 子どもを東大に行かせようなどと高望みしない。いい子に育てようといった 漠然とした理想も描かない。最悪の危機管理から逆算するのであって、上は 想定していません。 西原 人に好かれる、何か言われてもはね返せる強さが身につけば いいなと思っています。人に好かれるって一番の財産ですよね。それと、 女の子は他人の中傷とかにすぐへこんだりしがちですが、それさえ気に しないで生きていける強度があればいいと思っています。 ≫ ▼ 事業計画をつくる時、事業構想の背後には、最悪の思わぬ事態を想定し、 自宅ならシェルター、船なら救命ボートを事業設計段階から 組み込んで おいた。 父親からの教えがあったが、ドルショックと、石油ショックを 創業準備期に経験し、その恐ろしさを知っていたため。 事業は恐ろしい! だから命がけで面白いが、舟板一枚下は地獄。 今は何とかシェルター? 暮らしだが、なかなか濃口の妙な味がする! 小さな修羅場は、最悪の事態 を想定して逆算すればよい。悲観と楽観の枠を広げ冷静になる思考法。 ・・・・・・ 4316, 幸せはいつもちょっと先にある −4 2013年01月09日(水) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * お金の果てない追求は、なぜおこるのか? ー� 私たちは、極貧から中産階級に移動した時の喜びが、中産階級から上流階級に 移動した時にも正比例すると思っている。しかし実際は少しだけ上がるだけ?だが、 あまり変わりはしないことに気づかない。 ーまずは、その辺を書き出し考えてみる。 ≪ …何かを売ろうとしたことがあるなら、あなたはできるだけ高く売ろう とし、相手はできるだけ安く買おうとしただろう… 売買の当事者はみんな、最後に残るお金が少ないより多いほうが幸せだと 思いこんでいる。この思いこみが経済行動の根本原理だ。だが、これを立証する 科学的な事実は、あなたが思うほど多くない。経済学者や心理学者は、何十年 にもわたって富と幸せの関係を研究している。富が人間の幸せを強めるのは、 赤貧から抜けだし中産階級になる場合だけで、それ以上はほとんど幸せを強め ないという説が一般的だ。アメリカ人の場合、年収五万ドルの人は年収一万ドル の人よりずっと幸せだが、年収五〇〇万ドルの人は年収一〇万ドルの人より ずっと幸せというわけじゃない。貧しい国の人びとにくらべると、ある程度豊かな 国の人びとはずっと幸せだが、ある程度豊かな国の人々にくらべて、非常に豊かな 国の人びとがずっと幸せかというとそうじゃない。経済学者は、富に「限界効用 逓減」があると説明するが、これは、空腹、寒さ、病気、疲労、恐怖の状態に あるのはつらいが、その苦しみから抜けだしさえすれば、それ以上のお金は 増えるだけで意味のない紙の山でしかない、ということを言っているにすぎない。 ならば自分が使いきれるだけのお金を稼いだら、あとは仕事をやめて楽しむだけだ。 でしょ? いいや、はずれ。豊かな国の人びとは、たいてい、長時聞まじめに 働いて、これ以上お金が増えても喜びを引きだ芸いという限界以上に稼ごうとする。 われわれはこの事実をもっと不思議がるべきだ。なにしろ、ゴールに安物チーズ をおくだけで迷路を走り抜けるラットさえ、いったん満腹になれば、最高級の チーズを使っても動こうとしないのだ。我われ自身、パンケーキをたっぷり 食べたら、それ以上のパンケーキはもう食べがいがないため、調達や消費の努力 をやめる。だが、お金については違うらしい。近代経済学の父、アダムスミスが 一七七六年に書いたように、食べ物への欲求は、人間の胃袋の容量が小さいせいで、 どの人でもかぎられている。しかし住宅、、衣服、馬車、家具などの便利品や 装飾品への欲求は、何の限界も、はっきりした境界もないようだ。食べ物もお金も、 いったん十分になるとそれ以上の喜びを与えてくれなくなるなら、なぜわれわれ は、食べ物を腹に詰め込むのをやめるのに、ポケットには際限なく詰め込み続ける のだろう。それは金銭の多さに比例して満足が増えると思い込んでいるためだ。≫ ▼ 世界も、日本も上流階級が存在している。金銭で表現すると、1〜2億以上の 純資産が上の下、10〜20億クラスが上の中、最上が100億以上という。 それに見合って幸せかというと、そうでないようだ。純資産がゼロというと、 常にお金の残高を意識する生活になるため、ある程度の収入と預金が必要である。 だから、極貧から脱出した時の喜びは、大きくなる。では中流と上流との幸福感は、 どうだろう? それほど変わらないようだ。しかし中流の上流に対する希求は 思いのほか大きい。中流は欲しい物が買えないので少し不幸で、上流は何でも 買えるので少し不幸ということ。でも、これだけは、多い方が良い。 一万円と百万円を懐に持って一万円の買い物をするとき、気持ちが全く違う。 心理学者のお金に対する切口は特別に面白い。 ・・・・・・ 5413,だれもわかってくれない ー 2016年01月09日(土) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 * 信用レンズ まず、この3つのレンズを簡潔に要約すると・・ ・信用レンズ: 初対面の相手を評価する際に働く、温かみと、 それを伝える能力が大事。誠実でウソをつかないこと。 話しをしている間、目を逸らさないことがポイント。 ・パワーレンズ: 会社における上司など権力者が持っている認知の特徴。 例えば、「私にとって役に立つことを示せ。さもなくば消えろ」 「自分を守ってくれるパワーがあるか」 ・エゴレンズ: 自分の過去の意思決定や立場を守るための認知の特徴。 このレンズの目的は、ただ一つ、自己肯定感を守ったり、 高めることが可能かどうか。このお陰で、私たちの殆どが、 自分が平均より賢く、魅力的で、道徳的に優れていると 思っている。したがって、何かうまくいけば自らの実力と思い、 うまくいかないと、状況や誰かのせいだと考える ー他に ・予防レンズ: 失敗を回避することに重きをおく特徴。 慎重でリスクや問題がよく見える。 ・促進レンズ: チャレンジして成功することに重きをおく のが特徴。リスクが見えづらく、楽観視しがち。 誰でも、今より良い暮らしを手に入れることと、今あるものを守る ことの両方を同時に望むが、どちらかに偏るもの。 一番大事なことは、ある人にとって「向上すること」だが、 ある人にとって「安全であること」。 ーー まずは、「安全で、安心できる相手かどうか?」の「信用レンズ」より。 そのポイントを、以下のように上げる。−P130− ☆「信用レンズ」= 初対面の相手があなたを見極めようとするときに 最初に考えるのは、「信用できる人間かどうか」ということです。 早く言ってしまえば、「敵か味方か」ということです。 ☆ 人を信用するかどうかの判断は、ほぼ完全に無意識のうちに行なわれ、 それは「人間的温かみ」と「能力」の印象に基づきます。「温かみ」は、 相手の味方になろうとしていることの表れで、「能力」はそういう意図を 実践できることを意味します。 ☆「温かみ」を伝えるには、相手に注意を払います。話している間は目を 合わせること、微笑むこと、うなずいて理解を示すことなどです。 またそれが適切なら、共感を示したり相手を気遣つたりします。 一番大事なのは、誠実でウソがないこと。こちらが先に相手を信用して 安心させることも、場合によっては効果的です。 ☆ 目を合わせるというのは、「能力」を示すことにも有効です。そして、 背筋を伸ばして座りましょう。個人的な心配事などをやたら話しては いけません。あまり卑下するのも、自慢もよくありません。少々謙虚な くらいにすると、相手は感心してくれます。自分をあまり有能だと 思えないという人は、「パワーポーズ」を試してみてください。 ☆ リーダーとして部下から信頼と忠誠を得たいと思うなら、 「能力」よりも「温かみ」のイメージを優先的に発信することです。 ーー ▼「だれもわかってくれない」のは当然のこと。少しはわかってくれて、 友人で、わかってくれなくとも、一緒にいるだけでホッとするのが親友? この3つのレンズは、大方、直感で判断するが、この選定の結果、過半数 以上が、間違いだったことに気づき、『男(女)運が悪かった!』と嘆く。 運が悪いのでなく、頭が悪いだけだが、その自覚がないから始末が悪い。 その鬱積を周辺の噂話の創作に向けるため、ガスが湧くヘドロのドブとなる。 挑戦、変化、戦い続け、脱皮しないと、肥大し歪んだ、あの世間人に陥る。 ・・・・・・ 5778,閑話小題 〜瞬間瞑想の方法 2017年01月09日(月) * 瞬間瞑想の方法 ヨーガでは、いろいろな場面を思い起こし呼吸に集中する瞑想がある。 たとえば、「寄せては返す波の音」「山の向こう側に昇る朝日」「澄んだ空を 飛んでいる白い鳥」「海を照らす大きな満月」など。これらを、私たちは 自分の経験に伴ったイメージを持って忘我の状況に入る。 私には、「寄せては返す波」のイメージが良く、一瞬で瞑想状況に瞬間に導く。 呼吸から入る瞑想で、寄せる波が「呼」で息を吐出し、返す波が「吸」。 これをイメージして呼吸すると心が休まる。4〜11月の8ヶ月間、自転車で信濃川 の土手架かる二つの大橋を一周して帰ってくる。その時に、対岸にあるベンチで、 数分、川を挟んだ岸辺をボーッとして眺めているが、これも瞑想の一種? それと、大橋を1k、ヒキチャリウォークをするが、これも似たような状況。 更に、ベッドでTVを見疲れた時に、�・outubeで「瞑想音楽」を楽しむのも瞑想? 夜半の0〜4時までの「死者のポーズ」も、瞑想タイム。 瞑想のキーワードから、様々の思い当たることが出てくる。般若心経もしかり。 これを唱えている忘我も、瞑想タイムになる。瞑想も妄想も、現在の私にとって 同じようである。で、これが日常になると耄碌してきたと評される。 耄碌とは瞑想状態が平常となると、これも悪くない? 阿保違いまんねんパーの 世界ですか。これは… 世間、世界からの解放。生からの開放、因縁からの開放! としても、確かな自分が、世界があればこそ、言えること。パーでは無理か。 ・・・・・・ 4683, スマート革命 ー4 2014年01月09日(木) 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) * ミクシィ、グリーはもう・・全く目立ちません あれだけ騒がれていたミクシィ、グリーが、もう落ち目?とは、この本を 読むまでは知らなかった。半年ぐらい前に「LINE」なるものが若者中心に流行 を始めたとニュースで見てメモに書き写したが、そのままだった。今では 中高生や女性には、「LINE」に人気が移動しているようだ。ーその辺りから 《 既存SNSのミクシィ、既存SNS+ソーシャルゲームのグリーが没落を開始。 ミクシィは2013年4−6月期が赤字となっただけではなく、通期の赤字見通しを 発表しています。グリーも海外拠点の閉鎖だけではなく、大阪オフィスの閉鎖、 200人のリストラを発表。その原因はパソコン+ブラウザー重視の時代から、 スマート革命(スマートフォンなど+アプリ)への対応が後手に回ったという 指摘がもっぱら。 日経新聞などはグリーの3年天下などと書いています。 一方で各種の「メッセージ型対話アプリ」の台頭と言うソーシャルメディアの 新旧交代が進む中、日本ではLINEが台頭し、中国では微信、韓国はカカオトーク、 米国ではインスタグラム、スナップチャット、ホワッツアップなどが台頭。 筆者は電車の中で時々女性のスマートフォンの使い方を観察していますが、 多くの場合、まずパズドラを楽しみ、次にLINEに移って高速で指を動かして 入力し、それからフェースブックに移って眺めるだけ・・そしてLINEに移って 高速で指を動かすと言うパタンが典型です。ミクシィ、グリーはもう・・ 全く目立ちません「LINE型の対話アプリとスマートフォンゲームの組み合わせ」 が「ミクシィ、グリーの得意なパソコン(ガラケー)+ブラウザー時代の課金型 ソーシャルゲーム」を滅す原因となるのでしょう。さてパソコンとブラウザーに 基礎をおく既存SNS離れが始まっている中、フェースブックはどうでしょうか? 筆者も「ミクシィ、フェースブックが消える日―ソーシャルメディアの新旧交代」 (仮題)の書籍を書いていて驚いたのですが、国内のフェースブックとLINEの 企業ファンの数の対比です。企業マーケティングで見る限り以下のような数字 になっています。調査時点と少し変わっているかもしれませんが・・ ローソン フェースブック(いいね数) 約48万人 LINE 約1050万人 Au フェースブック(いいね数) 約100万人 LINE 約1000万人 ソフトバンク フェースブック(いいね数)約100万人 LINE 約1000万人 LINEが優位であり、1桁違いますね。大手企業はマーケティング、広告投資を フェースブックでこれからも続けるでしょうか? また初のインターネット 選挙であった参院選挙の政党別のファン数を見てもLINEの優位は明らかです。 この状況は米国の企業マーケティングでは未だ始まっておらず、これからです。 明らかに日本のLINEが先行しています。米国で対話アプリが本格的に広告を含む 企業マーケティングに乗りだしたらフェースブック収益は足元を揺さぶられる。》 ▼ 去年の暮れに「広島LINE殺人事件」で逮捕された少女と友人の会話で注目 されたが、その内容はリアルそのもの。先日、一年ぶりに新潟のSEをしている 知人にPCとネット環境の変化を電話で聞いたところ、「中高年がフェースブック、 若者と女子どもはLINEへと流れは変わった」と教えてくれた。この背後には スマートフォンとタブレットPCの変化がある。更にメガネ型PCなどの装着式PCが 普及をすれば違ったネットワークが台頭するのだろう。 動きは激しい!
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6144,閑話小題 〜熊さん、八つぁん、珍問答、再び −2 新春談義 |
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2018年01月08日(月)
* 新春談義 ‘一触即発の恐ろしさ’ 八つぁん: 大家さん、今年も大変な年になりそうな雲行きですね。秋口に アメリカ下院選が行われるため、起死回生を狙った朝鮮戦争も考えられる 雲行き。100万単位の死者も覚悟の上に… 一触即発状態じゃないですか。 大家: 北朝鮮の金様の自爆覚悟の瀬戸際戦略も、これでは、一つ狂うと日韓 を巻き込んだ破滅に至るよ。 ますます開戦は避けられない雲行きだね。 一番利益を受けるのはプーチン、トランプ、習主席と、世界中の軍事産業。 八つぁん: 日本も非常な危険状態に置かれている。平和ボケした日本人には、 東北大震災の数倍、数十倍の戦災状態のイメージが出来ないんだよ。 戦争の経験者も数少なくなった。 大家: 政府は、既に情報コントロールをしているよ。冬季オリンピックを 無事終わらせて、選手と観客の帰国に紛らわせ、滞韓米人を帰国させた上… この年末年始にも可能性があったが…。 開戦ともなれば、思いもしない 国内でのテロ攻撃が考えられ、これまでの日常が一変する。ペットボトル と、トイレットペーパーの買置きぐらいはしておかないとね。 熊さん: あっしがトランプなら開戦に踏込むね。老い先も短いことだし。 あの言動は‘俺並み’じゃないか。オバマの綺麗ごと治世が懐かしいよ。 八つぁん: 何れも陰陽があるからね。でも、トランプには陰の部分が多すぎる。 クリントン女史に比べると、バカどうしは先が読めないため手ごわいのでは。 熊さん: そうさな〜、あっしがドン様だったら、クリントンの方が組み易いか。 大家: 最近、妹が幹部に抜擢されたが、ピンポイント爆撃か、脳卒中で急死を した場合の後継者を考えてのこと。この妹がプーチンと情報を共有して知恵 を借りているとみると、この一連の戦略が解るような。 熊さん: それにしても、韓国の現大統領というのは何じゃい!。国家同士が 合意し金までとっておいた決め事を反古にするとは。国家の態をなしてない じゃないか。「国 敗れて山河あり」というより、「惨禍あり」そのもの。 気の毒といえば、気の毒の国だよ。 八つぁん: 地勢上のリスクを甘く見ていると、日本も韓国の後追いだよ。 寅さん: 先ずは、改憲さ。 仲たがいした隣家が敷地内を二分し、爆弾と 鉈を振り上げた、一触即発の中で、平和ボケした腑抜けが、「争い事は いけません」と鼻声で声高らかに運動会の準備…。先はしれているよ。 大家さん: 「そのマサカが起こるのが娑婆世界」 日常は表象でしかなく、 百年、千年に一度のマサカが世界を動かし、変動させる。茹で上がった のは、脳も体が動けない。 八つぁん: 準備のしようがない?っていうけど、疎開先として地方のホテル に、万一の場合を考えて予約も可能だよ。笑われてもいいんだよ。予約金 の一万円も入れとけば、ほとぼりが冷めた後、解消すれば戻ってくるさ。 生まれた時節が太平洋戦の敗戦の半年後、そして、そろそろお別れに近づく 現在が…戦争前夜? 不思議な廻りあわせ。決まったわけじゃないが。 熊さん: あんたみたいに達観できないよ。まだ、やり残しが山ほどあるし、 食べるものから節約してきた小金がある。俺のダチ公は、その時々に面白 おかしく使ってスッカラカンさ。こうなると、奴の方が得をしたのさ。 「カネを持っちゃ、あの世に行けないし、楽しんだコトを持っていくんだ」 と薄笑いをしていたが、その通りじゃないか。 寅さん: 「あのダチ公」って、俺のことじゃないか。 実は親父から、 死際に教訓として教えて貰っていたんだ。だから、熊さんの慌てようが… 別に快楽主義じゃないよ。「良く働き、学び、遊ベ」の‘良いバランス’と、 常に大波の到来を予測し、心の行蔵に「楽しんだ充実感」を貯め込んで いただけだよ。それを知らないお前さんの自業自得さ。 八つぁん: それって、親父じゃなくて私が御前さんに教えたことだよ。 寅さん: あんたの代わりに、私が代弁してやったのさ。御蔭で良かったよ。 大家さん: でもね、私のようなノンビリして、ボ〜ッとした人生も、悪く ないよ。行蔵の中味は少ないが、代々引き継いできた「蔵」とお宝は、 それはそれで、自己満足が出来るのさ。引継ぎランナーは、それなりに。 寅さん: まず、比較しないことだね。ところで私が話に参加したと同時に、 何か、甘ったるい内向きな内容になったね。 熊さん:〈大家さんと俺様〉対、〈八つぁんと寅さん〉になってきたね。 でも、不安だろう、御前さんのような生き方では。 寅さん: 「死んで三日もすれば300年前に死んだと同じ!」って、他からも 教えて貰ったからさ。 そしてコツは、「他人さまと、比較しないこと。 同化しないこと。独善でも、独悪でも良し、独りだけの世界を持つこと」 大家さん: 寅さんも、良いことをいうじゃないか。 八つぁん: あの二人の掛合いの根本が、この対話の根にあるんだよ。 どうにもならない二人の、根本が。寅さん、熊さん以下が、核弾頭の ボタンを握ってしまったのが、大問題なのさ。 熊さん: あの二人と比較しないでよ。あんまりだよ。でも、現実だもんね。 大家さん: 第二次世界大戦を挟んで、スターリン、毛沢東、ヒトラーなどに 権力を与えたために、数千万、いや一億以上の死者を出していまった。 何か、プーチン、習主席を加えた4人の顔ぶれが悪すぎですよ。 八つぁん: これからして、百万、二百万の犠牲者も、あながち多過ぎで 躊躇することでもないように思える。 権力を持つと、猿は狂うのよ。
・・・・・・ 5412,だれもわかってくれない ー 2016年01月08日(金) 『だれもわかってくれない』ハイディ・グラント・ハルバーン著 *「信用レンズ」「パワーレンズ」「エゴレンズ」 世間とは、一般的に、個々の立場から延長する人間関係を言い、 本人、家族、近所、その知り合いと広がった人たちの繋がりを総称する。 人間は複雑で、この3つをベースにした歪んだレンズを通した世界に住む。 個々人にとって、それが現実で、全世界になるが、それを客観視できない ため、小さな世界から一歩も外に出ることが出来ない世間という名の牢獄で、 一生を終えることになる。 そのレンズを、著者は、「信用レンズ」 「パワーレンズ」「エゴレンズ」の3つに分けて、ここに前向きな 「促進レンズ」と、後ろ向きの「予防レンズ」を加える。のっけから、 そんなレンズの視線を気にしないで、自分のレンズを冷静にみて、 生きていくべきだが、これが難しい。 〜アマゾンの内容より〜 ≪ そんなつもりで言ったのじゃないのに、勝手にそうと決めつけられたり、 自分では笑顔でいるつもりでも、だれも話しかけてくれなかったり…。 こういった「誤解」は、オフィスでも、学校でも、家庭でも、老若男女関係 なく、つねに起こる問題です。ところが近年、その仕組みは科学的にかなり 解明され、予測することが可能になってきています。社会心理学の研究に よると、人は育った環境や性格によって、大きく3つのレンズ「信用レンズ」 「パワーレンズ」「エゴレンズ」をつけ世の中を見ていることがわかりました。 あなたがコミュニケーションしようとしている相手はどのレンズをつけて いるのか、あなた自身はどのレンズを通して相手を見ているのか、まずは それを理解することが、スムーズなコミュニケーションにつながる秘訣だと、 著者は言います。 本書は、モチベーションと目標達成分野の第一人者で、 コロンビア大学ビジネススクールで教鞭をとる社会心理学者が、誤解の原因と 解消法について具体的事例を挙げながらわかりやすく解説した実践的な1冊。≫ ▼ この3つのレンズで、世間の視線を分けると、その嫌らしい縄目が透けて 見えてくる。多くの人が、この歪んだレンズの共同幻想の飼殺しで終わる。 3つのレンズを、連れあい相手を探す時のレンズと例えると、解りやすい。 ・一生の伴侶として信用してよいか、温かみがあるか? 「信用レンズ」 ・自分の望む生活を維持できるパワーを持っているか? 「パワーレンズ」 ・我がままを許容してくれるか?のレンズで、相手を見定める。「エゴレンズ」 ライオンの群れが、ボスライオンが失踪したとき、メスグループが、新たな ボスを選定するプロセスを映しだしたTVドキュメントを見たことがあった。 メスにすれば、外部の強いオスにボスが群れから追い出されれば、子供は 皆殺しになるため、ボスの選定は当然、厳しくなる。これが人間社会だと、 一つ間違えると、一生をボウにふることになる。「貴方の事など誰も解って くれない!」 そこで、努力をするか、壁をつくるか? どうでもいいか? ・・・・・・ 5047,閑話小題 〜全人類と全アリンコの重さは同じ 2015年01月08日(木) * 全人類と全アリンコの重さは同じ どうでもよい話だが、全アリンコと全人類の体重は同じぐらいで、地球上に、 一京(一兆の一万倍)のアリが存在し、他の昆虫の総体重の10倍はあるそうだ。 ケニアの草原にはアリズカの山が延々とあり、それを餌にするアリクイという 動物までいる。 アリには奴隷アリもいて、他のアリに強制的に働かされている のもいる。地下に葉っぱを発酵させ、コケを栽培させているアリもいる。 ある意味、地下社会の支配者でもある。 * つれづれに 〜アベノミクスって大丈夫? 犬も歩けば保守にあたる、って感じになってきた。景気と国勢が右下がりも あって、20数年かけて総中流社会が総下流に下がっている。世界全体が 重苦しく停滞していく中、不安心理の裏返しなのだろう。アベノミクスの金融 緩和で、株高、円安、物価高に重心が動き出したが、地方には景気浮揚の実感は なく、どんよりとした黒い雲が、覆いかぶってきた。 隠居の身、40年以上の 緊張感から開放され、フワフワ浮いたような毎日。それが思いのほか良くもある。 そして原油が50ドル以下とは驚き!ロシアなど輸出の8割を占める資源大国は 一挙に変になってきた。ちなみに、最近、モノを買わなくなった。買わなくとも 済むからだ。税収の二倍の国家予算で、国の借金が国民一人当たり7百数十万と いえば、誰もが不安になろうというもの。目先を、6年後の東京オリンピックに 向けて何とか乗り切ろうというのだろうが。 ・・・・・・ 5777,福田恆存の「私の幸福論」〜 2017年01月08日(日) 「私の幸福論」福田恆存著 * 快楽と幸福 ーA 『面白かったから、まあ、いいや』 『折角、大よそ80年の地球ツアーに○○しに来たのだから、 深く広く味わい尽くさないと、勿体ないじゃないか』 の内語を呟いている自分がいる。これは快楽主義に影響されてのこと? 私のレベル?からみて、数ランク上のスケジュールをたて日々を過ごして いるが、これが慣れれば快適そのもの。 賢者の快楽主義の、「見とおしを きかし、よく計算する」ことを意識した構成ではないが、少し近い感がする? そうもしないと、老人性鬱病か、分裂症、痴呆症に陥る危機を実感するため 実践しているが、慣れてしまえば、快楽まではいかないが、快適である。。 その結果、更に徹底した唯我独尊の個人主義者になっている。 〜その辺りを抜粋 ≪・私たちは疲れないように歩かなければなりません。疲れるくらいなら、 歩かないほうがいい。しいて目的地を定めて、そこに到達するために、 肉体を酷使するなど、ばかげた話ですし、また悪でもあります。目的は先に あるのではない。歩くことそのことのうちに快楽が見いだせないくらいなら、 歩かないほうがいい。目的は未来の到達点にあるのではなく、現在の歩く行為 そのもののうちにあるということになります。得られるか得られぬかわからぬ 未来のために、現在を犠牲にしてはならぬわけです。
・私たちは、自分の欲望を真に知ってはおりません。ただ禁じられているがゆえ、 その枠を破ることにのみ、自分の欲望があると錯覚している。 (中略)… はてしもない欲望に、いいかえれば、つねに求めて得られぬ不満というものに 絶望してしまいかねません。そして、自暴自棄になり、いよいよ快楽からは 遠ざかるというわけです。
・どんな賢者なら「見とおしをきかし、よく計算する」ことができましょうか。 自然と人間との間の、他人と自分との間の、さらに自分のなかの無意識と意識 との間の、さまざまな欲望の衝突に直面して、誰がすべてを見とおし、これに 決定的な裁きをつけることができるでしょうか。一人の個人に、それだけの 大事業が可能であるとは考えられません。
・すべてを見とおし、よく計算することが、個人の力にあまるとしても、 自然科学や社会科学の助けを求めれば、それがなんとか可能になりはしないか ということであります。大ざっぱにいえば、それは正しい。 が、その科学的方法もまた、なにものかに笑われることがないのだろうか。 人生を、そして社会を快適なものにするということが、現代では最高の 「美徳」になっていはいないでしょうか。 ≫ ―― ▼ 何か、見透かれているような内容である。以前、「歩行とダンス」という テーマで書いたことがある。(以下、参照) 両親がことあるごとに、言って いた、「好きになるまで集中し続けなさい!」と同じ。「旅行」と「旅」の意味 あいに似ている。「旅」は、行くまでのプロセスに価値をおく。振返れば、長い 「旅」だった。エネルギーを入れた分だけ、そのまま返ってきた。踊りは快適で 快楽で、見通しも計算もないからこそ良いもの。泣いても笑っても同じ空である。 ――
2001/12/21 [164] 目的と手段
目的の達成の為の手段’がときとして逆転してしまうから面白い。 ‘手段の目的化’に転化してしまう。旅館やホテルの二代目にそういうのが多い。 営業の為のゴルフを始めたのが、いつの間にかゴルフが目的になり、 営業が反対に手段になってしまう。 何処でもある話と同時に,自身にも過去に数え切れないほど経験がある。 手段を楽しむ事は大事な事だ、そうでなくては目的は果たせないといっていい。 といって目的を忘れて手段に没頭してしまうのが、人間の人間たるゆえんである。 以前‘ダンスと歩行’という文章を書いたが(後記)まさしくその喩えがピッタシ。 目的は達成したと同時に次の目的の手段になる。 ドアについたら次の部屋のドアへの出発点になる。 至近の例で旅館の二代目が商工会議所の部会の長に選ばれ、 イベントにウツツをぬかし廃業に追いこまれた例。 どこかの街のことだが、やはり二代目が青年会議所理事長になり‘街の活性 とかを政治家やゼネコンに煽てあげられ、真にうけて社長業を放棄・・・・・、 いまや????とか。まあこれだから娑婆は面白い。 目的が何かも解ってないから、手段が出てこないのか。そう考えれば彼にとって 逆転も何もないのか!そのあたりが本当のところか? ーー他人のことをいえた事か!どこかの馬鹿(私のこと)、 自画自賛のホームページにウツツをぬかし、つまらん事を飽きもせず毎日書いて。 馬鹿の脳内をさらけ出し恥さらして!−カミサンには冷笑され・・・・。ーー ーー H0609歩行とダンス 丸山圭三郎と黒鉄ひろしの対談集で“歩行とダンス”という二人の対話が 面白かった。“ドアにむかって歩いていくのが歩行、これは手段である。 ダンスはドアに向かわないし、その行為そのものが目的である。それではドア に向かってダンスをおどって行く事はありうるか!?ありうる!”という。 非常に含蓄のある面白い内容で、人生、仕事、学問すべてにあてはまる内容。 今回の仕事(第二新館増築)の最中にこれをよみ、“よしこの仕事とチーク・ ダンスをして、ドアまでいってやれ”と一人笑った。 大手商社に勤めている友人と酒をのみながら右の話をしたら、本人いわく “私はさしずめ、ホーク・ダンスだな!。好きな奴もいやな奴も次々と仕事仲間 でまわってくる。それも楽しそうな顔をしながら手に手をとっておどる妙味!” 当意即妙であった。ドアに向かっての歩行なら誰でもできるが、それをダンス としてリズムをとりながらパターンをマスターし、かつ楽しみまで高めてドアに 向かう事となると誰にでもできない。ついついドアを忘れたり、ダンスを忘れて しまう。ダンスを忘れある年令に達して愚痴を言っている人が何と多い事か。 そしてその反対に逆の人も。 ・・・・・・ 4315, 考える力 2013年01月08日(火) 人生をふり返ると、数多の経験をしてきたが、行蔵は大したことはない。 毎日2〜3時間の読書を50年近く続けてきた割に、あまりの無知と軽さに 我ながら驚いている。 商家の家庭環境の中で教養としてのベースを積む 機会が少なかったということか。現在もTVやシネマで映画をみたい放題の上に、 タブレットでPCゲームを一日に1時間は遊んでいる。26歳からの事業人生、 何時も時代を読み、計画を立て、実行、フィードバックをしていた。 ということは、それなりに考えてきたことになるが、この有様。 点と点を結ぶ最短の方法をさぐるのが考えることだが。読書で心を集中し、 その意図を読みとり、判断に何か役立つアイデアを探す、それが考えることに 繋がっていたはず。それがマンネリとなると、考えも甘くなる。私の考える力が ついたのは、この随想日記を書くようになってから。常に何かテーマを探し出し、 小文として、起承転結にまとめる。そのこと自体、考える作業になる。 また、公開することで、書きざるを得ない、手抜きが出来ない状況をつくって しまうと、考えざるを得なくなる。それを習慣にしてしまえば、年月が経つに つれ進歩していたはずだが、そうでないようだ。 この頃から、哲学書が 面白くなっていた。哲学は考えることを考えること。そのため、考えるほど、 己の底の浅さに呆れている。 ある哲学者によると、《人間の脳は ‘先読みする装置’で、未来を作ることがもっとも重要な仕事》という。 でも、まさか9・11、9・15、3・11の一連の歴史的事件の先読みは出来なかった。 これに匹敵する震災レベルの大波は、これからも、次々と襲ってくる。 それは、20世紀前半に起きた第一次、第二次世界大戦と、世界恐慌の一連の カオスより遥かに大きいはず。 その中にあって、自分の脳に自信がなければ、 他人の先読み装置を利用すればよい。が、確たるベースが無ければ、他人の 先読み装置の利用など不可能。情報化と、厳しい環境は、考えるにベスト。 カオスの中では、考える力、知的筋力をつけることが最優先される。 手持ちの経験と知識で、瀬戸際で考えるとは、何と恐ろしく、面白いものと、 割り切っていた方がよい。 考えるとは、生易しいものでない!
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2018年01月07日(日)
『ウニヒピリ〜 ホ・オポノポノで出会った「ほんとうの自分」』 イハレアカラ・ヒューレン (著), * ハワイの3つの意識 ハワイ版「潜在意識と、その治療(洗濯)法の癒し本」というところか。 「本来の自分」であるインナーチルドに出会い、ケアする。そして宇宙に 開放してやる。「ハワイの地で、心、魂の洗濯」とイメージするだけでも、 開放される心持になる。ハワイに身を置くだけでも、本来の自分に戻れる。 <最後の部分の要約が「肝心」。最後の方だけでもご覧のほど!> 〜Amazon 内容紹介〜 ≪・ネイティブハワイアンの伝統的な問題解決法「ホ・オポノポノ」。 これを、ハワイ伝統医療のスペシャリストであり「ハワイの人間州宝」の 故モーナ女史が、現代社会で活用できるようアレンジしたのが 「セルフアイデンティティ スルー ホ・オポノポノ(SITH)」です。 そんなホ・オポノポノのなかでも、最も大切な「ウニヒピリ」(潜在意識) について、初めてきちんとまとめられたのが本書。ホ・オポノポノを正しく 実践するためにも、必ず知っておきたい究極の真理です。クリーニングを通して 自分のウニヒピリと出会い、そしてケアしていくことで、ホ・オポノポノの目的 のひとつでもある本来の自分すなわち「セルフ・アイデンティティー」と出会う ことができるはず。あなたが今までその存在すら気づかなかった「ウニヒピリ」、 その子は今でもあなたからのケアを必ず待っています。 ・「ウニヒピリのケアをすることは、自分をほんとうの意味で解放し、全宇宙が 真の自由を得るために欠かせないプロセスです。ウニヒピリがクリーニングに 参加しなければ、記憶は再生されつづけるばかりで、過去の問題や傷を繰り返し 人生のなかで体験する状態から、決して自由になることはありません」 (ヒューレン博士「あとがき」より)≫ 〜ビュアー評〜 ・【 ハワイに伝わるシンプルな癒しの秘法「ホ・オポノポノ」では、 「自分」というものを3つのものから出来ていると考えます。 1つ目は表面意識である「ウハネ」、 2つ目は超意識である「アウマクア」、 3つ目は潜在意識である「ウニヒピリ」です。 ウニヒピリは心理学で言うところの「インナーチャイルド」に似ていますが、 個人的な記憶のみならず地球の誕生から現在に至るまでの全ての生物や無機物 が体験した記憶が保管されているところを指します。ホ・オポノポノによる 癒しはウニヒピリと繋がり記憶を徹底的にクリーニングしていくことによって もたらされます。】 〜ネット上の批評より〜 ・【ウニヒピリの協力がなくては、インスピレーションを受け取ることができ ません。私たちの中にある3つのセルフ、表面意識(ウハネ※)、潜在意識 (ウニヒピリ)、超意識(アウマクア※)がちゃんと存在し、それぞれの役割 を果たす。そうすることで、初めてすべての存在の源である“神聖なる存在” とつながります。表面意識から“神聖なる存在”につながろうとする人が多い のですが、流れとしては、表面意識が潜在意識に降りて、そして初めて超意識に 上がって、上の“神聖なる存在”につながっていきます。その順番が大事。 ウニヒピリのケアがあって、初めて上とつながれるわけです。 ※ウハネ…表面意識。私たちが日常で認識している意識。クリーニングを スタートさせる部分。ウニヒピリにとっては母親のような存在。 ※アウマクア…超意識。ウニヒピリから届いたクリーニングの働きを、 唯一“神聖なる存在”に届けることができる。】 ― ▼ 要約すると、<自らの記憶に向けて、「どの記憶が問題を引き起こして いるのだろう」と問いかけた後に、「ありがとう」「ごめんなさい」 「許して下さい」「愛しています」の言葉を繰り返すことで実践される。 大切なのは、ウニヒピリの存在を認めること> 毎日、20〜21時に就寝、0〜1時から半睡眠状態に入る。それが「ウニヒピリ」。 そして4時に起床をして、前日に書いた、この文章が「ウハネ…表面意識」。 その修正が、「アウマクア…超意識」になる。クリーニングは、そのプロセス で考える?ことで、衆人の視線を意識し修正することが、これになる。 過去の同月同日の文章数年分を読返している自分は超意識になる。 世間人とは、超意識が欠落している存在。 超意識の欠落は、表面意識も、 潜在意識も、狭く、浅いまま、群れたままで終世を向かえる。他人事でない、 自分のことでもある。それなら納得…? 神聖なる存在への意識ですか。 その存在に向けて、「正・中心・一点・無」ですか。5円玉を神聖なる存在と すると、真中の穴(一点)が無? 本体の外側が… お後が宜しいようで。 ・・・・・・ 4681,閑話小題 ー何だろう?この現象は ー3 2014年01月07日(火) * この現象から考えさせられたこと ふと気づいた仮説、静かに激怒した相手が、事故とか病気になっている ケースが多いことから、これはユングの「意味ある偶然の一致」ではないかと 思い立った。その数週間前にシネマで『キャリー』という映画も見た事もある。 静かに激怒した相手が、事故とか病気になっているとすると、過去のトラブルで 多くの人が、事故や病気になっているはず? か?というと、そうでない! また、逆の立場のトラブルの相手が、静かな怒りのエネルギーを私に向けている ので、私は、今頃、とうの昔に死の病か、事故で亡くなっているはず。 事業の立ち上げを幾つか経験してくれば、その分、軋轢がある。それを避けての 創業など無理。この仮説から演繹法と帰納法が具体的ケースでみると解りやすい。 演繹法は、まず仮説を立て、その証明の要素を集める。帰納法は、節目時に 因縁のあった人との軋轢で激怒した相手が、その直後から3〜4年以内に事故か 病気が生じる現象。そこから、これユングのシンクロニシティでは?と行き着く。 これを書いていて、「バカくさ!」と思える部分と「偶然にしては出来すぎ!」 が交互して結論は出ないが、両方とも否定ができないところがある。 現に、自分が、ここに、生きていること自体が偶然の積み重ねの結果。 大気圏を持った惑星が、宇宙に存在すること自体が奇跡。さらに生物が存在し、 知識を持ったサルが、ここに存在いていること自体、奇跡も奇跡。このテーマ 自体が無知蒙昧丸出しの仮説である。自分に都合の良い要素を集めて、勝手に、 さも不思議そうに思い込んでいるだけ。それも、一時的にしろ、私自身が信じて いたのだから。 人間は自分の言葉を持ち、物語をつくって生きていく動物。 その思いを書き出すことで、如何に好い加減な考えで日常を過ごしている己に 気づかされる。それでも一応、経験も知識も、積み上げてきて、これ?? ここで、気づいたことは、静かな怒りの相手を改めて見つめると、怒りだけ でなく、むしろ感謝する対象である。怒りと感謝が相まっていることに気づく。 夫婦の関係と同じである。だから、犬も喰わない。まあ、未熟ということ! 以前から怒りなどマイナーの念に囚われた枠外に出る鍵として、10回、目を つぶり「ありがとう」の言葉を繰り返していた。そうすると、そこから一歩、 外に出ることが出来る。 感謝を間違いなく、互いに忘れている。 この人生の節目の意味を考えると・・ ひたすら、ひたすら祈るしかない!』 / _ノ \ | ( ●)(● <おっと、それ以上は言うなよ…ったく!> . | (__人__)____ | ` ⌒/ ─' 'ー\ | /( ○) (○)\ . ヽ / ⌒(n_人__)⌒ \ ヽ |、 ( ヨ)Ωチーンi~ / `ー─− 厂 / | 、 _ __,,/ \ ・・・・・・・ 3574, 10分ルールと、30、60、90秒ルール ー1 2011年01月07日(金) 時間ルールに、「10分ルール」「90分ルール」、そして30、60、90秒ルールがある。 * まず、「10分ルール」と「90分ルール」から ー10分ルールー 10分ルールは、理性的に配慮して安全な状態なら、10分じっと耐えると、 その環境や行動に脳が順応することをいう。弱点だと思い込んでいた性質が、 この10分ルールで変えることも可能になる。最近、テレビのバラエティーでよく あるのは、最初の10分間に一番面白そうな情報を流して引きとめてから、 オープニングが始る場面に多く行き当たる。 これは10分間、視聴者に予告を 含め馴染ませれば、チャネルを変えないという「10分ルール」を利用したもの。 このルールを知っているといないのとでは大きな違い。既に亡くなったが、 ある知人に「とにかく一晩寝てから、怒りなさい!一晩で、怒りの大部分は 消えてしまう。」と諭されたことを思い出した。これは半日だが。 これは突発的なことに直面した時に、まず90秒、そして10分間、ジッと耐える ことをルールと捉えた法則。これまで決断するまでに、計画が固まった後に 時間をおき、判断し、その後に決断をする。それは計画段階のことだが、 目先の思いもよらない事態に出くわした時に、90秒ルールと、10分ルールを 知っていると良い。考えて見ればヤクザの脅しは、逆の立場で、その辺の 人間の弱みを知っていて、即効がが勝負と知っていて脅しをかけてくる。 だから、ある時間耐えれば良い。 次は、ー90分ルールー 映画は、人間の生理的なサイクルが90分ということを知っており、 大よそ90分であった。最近は120分を越えるものが多いが、90分を過ぎると 実際に嫌になるが、その辺から飽きさせないようストーリーが組み立ててある。 ・・・・・・ 5046,修羅場の極意 −1 2015年01月07日(水) 『修羅場の極意』 〜まずはアマゾンの内容紹介〜 面白い本である。人生には、それぞれの人の修羅場がある。今では、 結婚し、甘いハネムーンの後、修羅場を経験した後、4割が離婚に至り、 その過半数以上が貧困に陥っていく。 何度か修羅場に出あい、乗越えて 生きていくのが人生。 地獄は彼岸にあるのではなく、現世にある。 −アマゾンの内容紹介と、目次であるー ≪ 敵を作り、嵐に巻き込まれた時、 うろたえるな! 「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ! 修羅場には独自のルールがあり、それに対応する作法と技法がある。 イエス、宇野弘蔵、西原理恵子ら多岐にわたる達人から、どんな極意を学べる? ヒトラーら反面教師の「悪知恵」とは? 外交と政治の修羅場を駆け抜け、 獄中で深い思索を重ねてきた著者が贈る、実践的アドバイス。 ○目次 ーはじめに――東京拘置所での谷底生活から I 偉人たちのサバイバル術 1章 助言者は絞り込め【マキアベリ】 2章 逆説的発想で事態を打開せよ【イエス・キリスト】 3章 「偽装」というテクニック【ドストエフスキー】 II 反面教師たちの失敗学 4章 破壊的影響力の秘密【ヒトラー】 5章 悪知恵にだまされるな【オットー・ケルロイター】 6章 “正義漢"の勘違い【スノーデン】 III 「獄中」の教訓は役に立つ 7章 独房で筆者の精神を救ってくれた教え【内村剛介】 8章 経済学と小説の力【宇野弘蔵】 IV ヴァーチャルな修羅場、リアルな修羅場 9章 人間関係に役立つ神学者の言葉【ディートリヒ・ボンヘッファー】 10章 ノマド的�処世術�【安藤美冬】 11章 不作為は悪【小説『インフェルノ』のラングドン】 対談 「最悪」のシミュレーションだけすればいい【西原理恵子】 おわりに――「時」を見極めるということ ≫ ▼ 人生は、いずれにしろ甘くはない! 修羅場の修羅は、阿修羅が語源。 辞書によると、【阿修羅のもともとはインド神話における「アスラ」 という名の魔神であり、インドラ神と戦いを繰り広げた鬼神であった。 一般的には戦いの神としてのイメージをもたれており、そのため激しい 争いの場を、その名をとって修羅場と呼んだりもする。】とある。 身近な修羅場といえば、夫婦間の争い。 夫側の酒癖、女癖の悪さや、 互いの粗探し、金が無いことからくる争いが、修羅場の起因となる。 そこで、〜うろたえるな!「時」を待て! 生き残りを懸命に考えよ!〜になる。
・・・・・・ 5411,新年に 〜情報と知識の違いについて 2016年01月07日(木) 〜『残酷人生論』池田昌子著 * 情報と知識の違いについて 以下の文章は、哲学者の故池田晶子が20年前、Windows95が 世に出てきた頃に書かれた文章である。その後の激変したネット情報化社会 の現在でも、そのまま通用する内容。 高度をコードと捻っているところが 面白い。知識とは違った有効な生情報も、情報社会に生きるものにとって 重要な要素である。情報と知識の違いを簡潔に説いている。〜その辺りから〜 ≪ 前に、情報は「しょせん」情報だと言いました。高度情報化時代なんて のは、要するにコード情報化時代、コードを引っこ抜いちゃえば、タダの箱。 タダの箱を前にして、人はやっぱりタダの人だと。とはいえ、そのタダの人が、 タダの人のままに広くコミュニケーション可能になるということは、やはり 画期的なことで、オンライン・ショッピングなんぞには私はもとから興味が ないが、この点に関してならば、さしものコード情報化時代にも希望の光は 射している、と思える。 ヒラ社員がわからず屋の部長の頭越しに、いきなり社長と交渉できるとか、 無名の新人が、阿呆な編集者をパスして、堂々作品を発表できるとか、地位と 肩書なきゆえに虐げられてきたタダの人々に、その実力を発揮できる機会が 平等に開かれるということは、文句なく素晴らしいことだ。これはほんとに よいことだ。 それがほんとに可能になれば。 普通に人は、とくに日本は、地位と肩書が偉ければ偉いと思っているが、 情報優先のネットの上では、そんなの何の意味もない。すると、旧態依然の 権力機構は、やがて軒並み崩壊するだろう。年功序列、性差別、情実、根回し、 御挨拶、地位と肩書ゆえに威張っていた無能な人々が、地位も肩書もないが しかし有能な人々に、おいおとされてゆくことになるのだ、なんて愉快! これは革命! ところで、地位も肩書もないが有能な人というのは、タダの人であっても、 やはりタダの人ではない。したがって、情報ネットによって実現する平等社会 とは、裏を返せば、これまで以上に実力本位の競争社会である。 実力がなければ、たとえネットの上であれ、やっぱり何の意味もない。 競争の現場がネットの上に移り、余分な障害物が減っただけのことであって、 何のための競争か、ということを考えずに競争している人間社会の在り方と しては、以前と何ひとつ変わっていない。 それだから私は、やはりこう感じざるを得ないのだ。 情報化時代 それが、どうした__と。 人がまず理解していないのは、情報は知識ではないということだ。 情報は外から受け取ることによって流通する。しかし知識は、或るAがなぜ Aなのか、と立ち止まり考えることによってのみ知られ得る。情報は流通するが、 知識は決して流通しない。流通する知識は知識ではない。すでに情報だ。 なぜなら、考えて知る、とは、自ら考えて知ることしか意味しないからである。 したがって、そこに在る同じAであっても、情報と知識とでは、知られる仕方が 正反対を向いているわけで、その差がまさしく、無知と知との差だ。 さて、人は多くの情報を知ることによって、いったい「何を」知っていること になるのか。我々は「何のために」競争しているのか、それを知っているのか、 どうか。 私は思うのだが、今後しばらく押し寄せてくる情報ネット化の大波は、 折にふれ人類を訪(おとな)う大掃除としてのあの大洪水のようなものと。 洪水の引いたあと残っているのは当然、地上に広く流通していたあれこれの 情報群ではなく、もとより流通することのあり得ない、星のように高く光る あれら普遍的な知識だけであるはずだ。(一九九六年四月号)≫ ▼ この随想日記も、押寄せる情報群の中から、選んだエキスをパックにし、 知識化する有効な手段になっている。一度、パックすれば、毎年の同月同日 に読み返し知識の再認識が可能になる。それにしても、絶対的知識量の不足に 今さら驚いているが、それを自覚出来ているだけ、少しは、まし? <情報と知識とでは、知られる仕方が正反対を向いているわけで、その差が まさしく、無知と知との差だ>は、これを書き続けて実感すること。 読みっぱなしで、忘却の彼方に消えていく内容の読書感の記録が無かったら、 「無知と知」の差ぐらいは軽く出来てしまう。無知の人間は、考えるしかない。 『世間』という、あの群れの特徴は、身近な情報を、考えないで横流しをして いる輩たちをいう。それが、彼らの現実だからである。 で、絡めとられ ゾンビの一員になった粗末な人生が、巷に溢れている。考えないのは罪である。
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6142,読書日記 〜「続・下流老人」 ー4 問題は、最期10年を如何に? |
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2018年01月06日(土)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来・2016/12> * 深刻な地域格差 20年近く前になるか、当時、経営していたビジネス・ホテルのフロントに フランス帰りの20歳後半の料理人が、「就職先が決まるまで」と準社員として 勤務していた。そこに片田舎の新卒女子が同僚として働いている内に親しくなり、 結婚。 『フランス帰り』に憧れた純朴な娘が一方的に惚れた結婚と聞いていた。 そして妊娠、退社をしたが… フランス帰り料理人は、務め先が見つからず、 そのまま勤務をしていた。が、生活が成りゆかず、離婚。嫁は子供をつれ出戻り のコース。ここまでは、どこにもある話。後で聞き知ったのが、その後、彼女は 元亭主に子供の引取りを依頼、第二の人生を歩みだしたが、その苦悩は如何ばかり。 「時間の経過とともに後悔が膨らむのは自明」だが、ここで見てとれるのが… 知識・経験不足と、貧困問題。今どきの日本人の3組に1組、アメリカで2組に1組、 西欧では3組に2組の割で離婚というが。当然、そこには苦悩と混乱が発生する。 大学時代の同級会で、嫁がルーマニア人という男の愚痴。さすが全国区の話題。 <金銭にシビアにも程がある。同じ欧州人でも、貧しい国の人間は、人間性まで 貧しい。とにかく卑しい。アジアならタイやベトナムは農業・漁業が盛んで 豊かだが、ラオス、フィリピンは違う。姿かたちは最初のうち>と息巻いていた。 <日本は太平洋ベルトラインなど大都市は比較的豊かだが、そこを外れた地方は… とりわけ過疎地域は…>。 淀みが水場を悪くするというが…。 参考になるのが自殺率。上位10県を高い順にみると、秋田、青森、岩手、島根、 新潟、宮崎、山形、高知、和歌山、佐賀。 最も高い 秋田県の10万人あたりの 自殺数42.1は世界第1位のリトアニアの44.7(2002年)より低いが、世界第2位 のロシアの38.7(2002年)を超えている。私の住む新潟県は5位になる。5年前に 女性がワーストになっていた。 下位5県を低い順に あげると、奈良、神奈川、 徳島、千葉、愛知。比較的、気候が穏やかで、大都会に近隣して豊かである。
・・・・・・ 5045,生と死をめぐる断想 ー2 2015年01月06日(火) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 頼藤和寛 〜にもかかわらず、生きる 『人みな骨になるならば』頼藤和寛著 の書評を数年前、ここで取上げた。 底しれないニヒリズムと、「にもかかわらず、真摯に生きる」頼藤の姿に 心が動かされた。ここで岸本は、「だから」「しかるがゆえに」の換わりに、 「にもかかわらず」の頼藤の生き様、言葉に励まされる。ーその辺りよりー ≪ 願望に基づく世界観の構築を、彼は拒む。自らの避けられない死際にしても その立場を徹底する。その姿は、認識の鬼とでも形容したくなるような、ある種 の凄みを持っている。医師を続けてきた頼藤は患者から「何も悪いことをして いないのにどうしてこんな病になったのか」という抗議を幾度も聞いてきた。 彼は述べる。科学的に研究をすれば、善人と悪人とで罹患率や平均余命などに 有劣の差はないと、証明されてしまう。心理学は善悪に関して死後の因果応報を 信じがちな人ほど願望充足的な推論や希望的観測を多用するという実験結果を つきつけてくるかもしれないと。「自然現象に人間的な道理は通用せず、 来世で辻褄を合わせようとする世界観は心理的な自慰にすぎないことを強く 示唆している」。(頼藤和寛『人みな骨になるならば』) ・おそらく世界の実相は、人間の都合とは無関係にある。 「このことを、実は、何千年もおんちょうのあいだ人類は怖れてきた。 われわれは幸福がなにかの恩寵によるもので、耐え難い災厄ですら なんらかの意味をもつと信じたがった」。 ・「世界には、ニヒリズムを突き崩せるような物証は何もない。なぜなら われわれは、自分が信じたいように世界を観たのではなく、人間に可能な かぎり禁欲的に宇宙のありのままを見据えてきたからである」 しかし、前向きに生きれば治癒につながる、「だから」前向きに生きるとする なら、その基盤は脆弱だ。「前向き」でいたのに亡くなっていった人は、周囲を 見渡しただけでもどれほどいることか。治癒を期待し前向きに自分を保つなら、 それでも再発進行した場合、「ならばどう生きても同じだ」と投げ出すことに なりかねない。「だから」「ならば」「しかるがゆえに」の論理の危うさを 感じていた私に、「にもかかわらず」の哲学は頼もしく思えた。世界には 説明のつかないことがたくさんある。説明不可能性に耐えよ。そう著者に 言われている気がした。「何千年ものあいだ人類は怖れてきた」と彼が言う 世界の実相。人間が受け入れやすいようその上をおおっていたべールを、 近代科学がはぎとって暴いてみせたところでなお、人々が怖れているならば、 世界の実相がやはり「怖れるに足る」ものだからだろう。何千年も怖れられ 続けてきたものに、たまたま近代以降に生れたからといって、人間がひとり 丸腰で対峙することが、果たしてできるものだろうか。自分がニヒリズムを どこまで貫けるだろうかという疑問もある。・・≫ ▼ 死の淵から生還した人にとって、「にもかかわらず、生きる」より、 「にもかかわらず、生きている」ことになる。死は、特に己の死は、 直視できない永遠の課題。だから、宗教が必要になる。神の御国に 帰っていくイメージである。生くさい恐ろしい死のイメージを、長年かけ、 優しい神様がいる天国のイメージへの転換が必要になる。死んでしまえば、 それまでよ。にも関わらず、彼岸には、あの世が待っているイメージ。 で、以下の三年前の内容に繋がっていく! 丁度、あの修羅場?の最中 ーー。 2011/03/18 3279, 人みな骨になるならば −1 「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。 初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の 後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、 本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され 亡くなった。そのプロセスを書きのこした本『わたし、ガンです ある精神科医 の耐病記』も出されている。「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、 この本のテーマである。そして次から次へと繰り返される虚無思想。 ・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ一人一人の 人生が一種の無駄である。」とか。 ・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」 ・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと、人は生きて いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。 ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。 【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に 不愉快な現実である。たぶん、宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の 松が生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるために 人間は実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、そのような酷薄な 現実に堪えられないようだ。それに堪えるため人間は自分の意味を膨らませる ため、自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、 に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、 「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを エゴ・トリップという。自分を膨張させようとする、あえない試みである。 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがきに 至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい という目論見が透けて見える。 】 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、 このエゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れ、感動した経験を多く 持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろうか。 特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが 良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップ でしかないのか? そう思うと気が楽になるが! ・・・・・・ 5775,閑話小題 〜あと10日で71歳 2017年01月06日(金) * あと10日で、71歳ですか! 50歳、60歳と峠を越えてきたが、70歳代の峠からの老化の日々は甘くない。 社会的には、65歳時の廃業?を境に背負っていた責任からの解放を実感している。 肉体的に日々、足腰が弱っていくのが分かる。50年以上の腰痛持ちの身に老いは 弱点をついてくる。それに加え、同世代の人たちが、次々と亡くなっていくのも、 この年齢の風景。「背後に感じていた死神の気配が、70歳を超えると、前面から 迫る感じになる」というが、成るほど! 何はともあれ「好奇心」は人一倍ある。 アンドロイドTVと、パソコン、タブレットPCが、その好奇心を満たせてくれる。 それにしても71歳の年齢の自分が信じられない。TVで、大病などで老け気味 の60歳過ぎの人を見て、この人より自分が10歳も年上?と、愕然とすること屡々。 スポーツジムは、様々の年代の人たちの陳列の場? 若い人から見れば、かなり の年齢である。生きていればこその喜びも哀しみもある。 それに加え、ネット などの情報端末の進化した機器と、そこから入る知識を得るだけでも面白い。 食欲も衰えてない。何を食べても美味しい。美食も、過分すぎるほど満足した。 そのためか、牛丼、回転ずしなどのB級グルメも飽きずに美味しいと思える。 あと4年で後期高齢者の仲間入りだが、その辺りが鬼門か。 非日常も良いが、 日常こそ味わいが隠れている。夕暮れ時のアカネ空の時節がベストということ… ・・・・・・ 4680, 偶然からチャンスを見つけだす能力 2014年01月06日(月) ー偶然からモノを見つけだす能力―「セレンディピティ」の活かし方 ー沢泉 重一(著) * 人生は偶然を織りこむ絨毯づくり! 人生を振返ると、出会った人、出会った出来事が果たして偶然だったか、 必然だったのか、考えさせられる。偶然に機会を見出すためには、目指す夢と 目的が必要になる。そこに機会を見出すには素養と準備が前提だから。 その偶然からチャンスを見出す能力「セレンディピティ」は、イスラムの寓話 「セレンディップの三人の王子」が語源。ドラゴンを退治する巻物を探すため、 自慢の王子が送り出される旅の途中で、多くの危険と苦労を味わうが、 そのつど判断力を働かせ、それぞれ理想的な姫と知りあい、幸せに暮らした という神話の原型が、そこにみてとれる。英和辞典には「当てにしなかった ものを偶然うまく発見する才能」とある。 ー内容紹介とレビューからー 【 偶然のチャンスをいかに生かすか、見出す秘訣がここにある。 世界的発見の多くは、"偶然の所産"であった。 古い寓話に由来する言葉 <セレンディピティ>は、偶然のチャンスを生かす力を指すキーワードとして、 科学者や先端的ビジネスマンの間で高い関心をよびつつある。】 ー読者プレビュー ●【「セレンディピティ」は、狭い意味では「探していたものを、他を探して いるときに偶然に見つける能力」。この本ではより広く「偶然を見逃さずに 成功につなげる能力」という意味で使っている。 著者が編み出した 「偶察力(偶然を察知する能力)」という言葉は、しっくりくる。 面白いのは、セレンディピティを高める方法論。世界的革命をもたらした 発見の共通点をあげたり、トマス・クーンの唱えるパラダイムシフトの関係や、 シンクロニシティとのちがいなどを述べている。さすがセレンディピティ研究 の先駆者が書いたものだけあり、これは発想に役立つと思うところが多かった。 とくに「7 セレンディピティの向上」の章では、意図的にセレンディピティを 高めるための一連のシステムを紹介している。偶然という現象について述べた本 はアーサー・ケストラーなどがあるが、この『偶然からものを見つけだす能力』 はその偶然を人間の力によってうまく引き出して利用しようというもの。 「自分にできるかも」という期待感をもたせてくれる。また、偶然がともなう ブレークスルーは、ともなわないよりも大きな成果をもたらしうるというから、 セレンディピティを高めたい気持ちは高まる。】 ●【「偶察力」という言葉に置き換えて、これを一種の「能力」とし、仕事に、 日常生活に、趣味に言葉遊びに、知的仕掛けとして使っていこう、という話。 驚嘆すべきは、著者の博覧強記ぶり。セレンディピティを巡って、起源、歴史、 古典、映画、科学論、科学史、書籍、新聞、雑誌、ネットなど、おおよそ あらゆる情報ソースを駆使し、ちょっとした日常の場面で、どんな場合にどう 適用していくのがおもしろいのか、を、わかりやすく書いた文章です。】 ▼ 必死に捨身で何かを目指していると、その何かより、プロセスでプラス・ マイナスの機会に出くわす。そこが、分かれ目で信念が試される。人生の節目 には思いもよらない機会が隠されている。 そこで、運命を恨むか、他者の 中傷に汚れるか、自分の信念を見つめ直し、新しい一歩にするか、その人次第。 その意味で、この言葉は人生を振り返るに、考える糸口になる。 節目は、 順境のアップスケール(脱皮)より、逆境の破壊の状態の方が多い。その時、 思いもよらない学び、チャンスが現れる。私にとって、現在の節目はベスト? それが「セレンディビティ」の一言に凝縮。遇察力が飛躍的に向上、御陰で 様々な見えてなかったことが鮮明に見えてきた。 人生は短し!より濃厚に日々を生きろ!ということ。 ・・・・・・ 5410,新年に 〜貧乏の性分 2016年01月06日(水) * 貧乏の性分 〜『貧乏の神様』柳美里著 芥川賞の売れっ子作家の柳美里の本を、図書館や書店でみかけていた ため、その印税たるや常識的にみて数千万は軽く超えていると思っていた。 ところが、預金ゼロ、電気光熱代の支払いも窮しているという内容である。 私を鑑みると、幼児の頃から商売で苦労していた両親をみていたことと、 その両親から子守唄のように「金の重要性」について、聞かされていた。 特に節約と、万一の備えとしての長期的預金の必要性が、人生の基本と インプットされてきた。その割りに、最後は、この様だが、総額の15%前後 を家内名義の給与として40年近く積立をしていた。(残りの85%は、使う ことにしてきた)。それが、5年前の節目時の命綱になったいた。 「貧乏の性分」の逆を考えると、「節約、長期預金、小銭を大事に扱う」 になる。金を敵のように扱えば、返り討は至極当然。 〜その辺りから〜 ≪ 2012年3月16日からは南相馬市役所内にある臨時災害放送局「南相馬 ひばりエフエム」で、毎週金曜日「ふたりとひとり」という番組の パーソナリティを務めています。3月6日現在で第143回まで放送されました。 この仕事は、無報酬です。これからは、交通費も宿泊費も食費も支給 されません。その経費が年間いくらに上るのかを計算したことはありません。 自宅に1万円だけ置いて、5万円を持って南相馬に1週間滞在する、という ような生活を続けているのです。 非常識だと思います。 けれども、 書くことを仕事に選んだ18歳の時から金銭的や時間的には無理はしても、 自分の性分や生き方には無理ない仕事をしようと決めたのです。・・(略) この15年間、貯金をしたことはありませんでした。 お金の使い方、金銭感覚は、両親から受け継ぐものの一つかもしれません。 わたしの父と母は、ほぼ年子で4人の子どもを拵えましたが、ただの一度も 貯金をしませんでした。父はパチンコ屋の釘師で高給取りでしたが、競馬や ポーカーや将棋などの博打で給料を摩って、家にはお金を入れませんでした。 生活費を稼ぐために母はキャバレーのホステスとして夜の勤めを始めた のですが、給料日前には困窮を極め、白飯に緑茶や麦茶をぶっかけただけの お茶漬けやパン屋からタダでもらってきたパンの耳などで食い繋ぎました。 わたしの父母の両親も貧乏人でした。それこそ親の敵のように父と母が 散財を繰り返していたのは、収入が支出を上回ることに罪悪感のような ものを抱いているのではないかと思わざるを得ないのです。 倹約や貯金は、お金持ちの習慣なのではないかという気すらします。 つまり、そういう家庭内の習慣を子孫や社員に文化として伝授したから、 お金持ちになったのではないか、とー。 父親に刺身の小皿に醤油が残っているのを見餐められて、「自分の使う分を 見越して醤油を出せないような奴はまともな経営者になれん!」と殴られた、 というある大会社の社長の幼少時のエピソードを思い出したりもします・・≫ ▼ ネット検索によると、柳美里は「無頼派の系譜の作家」と評されていて、 小説ネタには、この性分があればこそ。としても、これは、つらい性分。 在日朝鮮人の大陸的気質もあるのか? 三代続いた家族の金銭感覚は、 一般人とは少し違うようだ。病気、事故とか、寝たきりになった時に、 如何するのだろう。他人事ではないか? 事業を立ち上げる度に、 「もし、失敗したら、如何する?」の内語も一緒に立ち上がる。30年、40年 かけてきた万一の備えも、この不安、恐怖から出てきた知恵。一般的にいえば、 「消費社会は、収入の2割増しの欲望を掻き立てる。しかし、日本人は、 2割を預金か、投資にまわす性向がある」。 固定社会の島国の知恵だろう。
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6141,読書日記 〜「続・下流老人」 ー3 サイレントプア問題 |
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2018年01月05日(金)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来・2016/12> * サイレントプア 何事も皺寄せは弱者の方に行くが、多問題家族や、シングルマザーの貧困層 だけでなく、都会と地方格差の問題がある。青森や沖縄など地元大学関係者など の話に、「うちの地方など‘貧乏が普通の状態’がある。それ以前に、自分の 貧乏すら気づいていない。誰も声を上げない貧乏を‘サイレントプア’という。 過疎化など人口の50%以上が65歳以上の高齢者になって冠婚葬祭など社会的共同 生活の維持が困難になっている集落を「限界集落」という。跡継ぎもおらず、 高齢者が地方に一人だけ取残される現象は‘家族消滅’の象徴である。 私を含めた姉・兄の甥姪の地元在住は、私の長男の一人だけ。あとは首都圏。 高齢化にともない、年金補助金不足から、政府は、「一億総活躍社会」と囃し たてているが、女・老人も極限まで働け!ということ。誰が還暦過ぎても働い ものか。例外はいるが… お金が、あればこそ面白いが、金欠なら、話は別。 要するに‘高齢者の働かない自由’が奪われた社会になることを意味する。 生涯現役社会が、本当の豊かさの訳がない。 ― * 介護難民の増加 〜下流介護難民 それぞれの人生の格差が、そのまま上流老人と下流老人の格差が生じるため、 ことは深刻。グレードの高い老人ホームの一時金だけで4億のものもあるという。 逆の「下流老人」は、実に厳しい状況になる。それを改善する手立てのサービス は、現金ではなく、現物支給でなくてはと、著者は強調する〜 『 …つまり一律の現金給付では‘個々人の生活の必要’に即した弾力的な 制度運用ができない。簡単な話。『車椅子をあげます』という時に、障碍者の ふりをして車椅子を貰う人はいません。でも、『現金であげます』といったら、 障碍者のふりをして現金を貰おうとする人はたくさん出てくる。現金と現物は 違うのです。だから普遍的ニーズを満たすために現物支給をすべしと言っている のです。』 スペインやギリシャで生活困窮者への食事提供をTVで放映していた。 誰もが下流介護難民の可能性がある。死んでしまえば、それも解消される? 「長生きをしたくもあり、したくないもあり…」生きている故に言えることだが! 〜で、以下に続く ・・・・・・ 5044,生と死をめぐる断想 ー1 2015年01月05日(月) 『生と死をめぐる断想 』岸本 葉子(著) * 死をそばに感じて生きる 〜団十郎の辞世 ー 色は空 空は色との 時なき世へ ー 以下は、序文の冒頭の内容。日本人の2人に1人の割合でガンになり、 3人に1人の割合で亡くなるという。高齢化で、ガンになるまで、死ななく なった結果、死を意識する時間が長くなったこともある。今では死に関する 知識を、一般の人が、ネットなどから死生観を収集したり、表現できる機会が 増えている。 ー まずは序文の冒頭からー ≪ 2013年2月に亡くなった歌舞伎俳優の市川團十郎の辞世の句だ。 葬儀の場で長男の團十郎のパソコンに残されていたという。 詠まれたのは前年の十二月、亡くなる数ヶ月前である。 色は空(そら)、空は色(いろ)との 時なき世へ、と海老蔵は読んでいた。 この句に接し、『般若心経』の中のあの一節を思い浮かべる方は多いだろう。 色即是空 空即是色。それに寄せて読むならば、冒頭の句は、 色は色(しき)空 空(くう)色(しき) との時なき世へ、となる。 色はかたちあるものと、ひらたくは言われる。空は空っぽ、何もない、という ことか。空しい、ということか。かたちあるものは実は何もない、空しい、と 教えているのか。そうではない。(略)・・ このことは追々深めたい。 時なき世とは。時間のない世。時間を超えた世。超時間性は永遠と言換えられる。 それは、この世に対するあの世なのか。この「時なき世」が團十郎の句では 「色は空空は色」と「との」でつながる。「との」は、と言われる、とか、と 聞いている、の意だ。色即是空、空即是色とかねてより聞いている時なき世。 「へ」は方向を示す助詞である。色即是空、空即是色とかねてより聞いている ところの 時なき世へ、自分はこれから行くのである。團十郎の死生観を 表す句と言える。(略)・・ 團十郎が、死を前に遺した五七五が、芸についての 教えでなく死生観の表出だったのは、私には少し意外、けれどもすぐに理解できた。 團汁郎は長く血液のがんを患っている。治療の副作用による絶え間ないめまいと 吐き気を無間地獄と、あるインタビューでは曝えていた。何度も再発入院し、 骨髄移植をしていた。・・・≫ ▼ 色を「しき」と「いろ」、空を「くう」と「そら」と、息子が間違えて 言ってしまった可能性もあるが、真偽はわからない。栄華を極めたあと、 とたんの苦しみの死際の言葉であればこそ、心に響く。 即興の辞世! 《 色即是空 死んでしまえば それまでよ 空即是色 》 ・・・・・・ 5409,新年に ー「過去」は過ぎ去らることはない 2016年01月05日(火) *「過去」はわたしを忘れない 〜『貧乏の神様』柳美里著 芥川賞作家の柳美里の『貧乏の神様』の中にあった言葉。 現役時代の「森の生活」の時節は、過去は遠い彼方のように思っていたが、 還暦を過ぎる「サバンナの生活」に移行したころから、以下のように 過去への心象風景がチョイと変わってきた。 〜その一節より ≪ ・・「過去」とは、過ぎ去った時間や事柄を示す言葉ですが、 わたしは、「過去」は決して過ぎ去らない、と思うのです。 自分が2つの足を置いているその場所に、過去は地層のように堆積し、 精神が地震に遭ったように揺らぐと、足元に亀裂が走り、地層(過去) が露出する―― 放浪の最中に、わたしは何度も過去に待ち伏せされ、 過去の落とし穴に足をとられそうになりました。 わたしが過去を忘れても、過去はわたしを決して忘れない。 過去が更新されて「今」になるのではなく、過去は過去のまま 更新されるのです。未来は全て過去にある、という言葉の意味を、 40歳を過ぎて噛み締めています。≫ ▼ <過去を忘れても、過去はわたしを忘れない!> <未来は全て過去にある> の言葉が先の少ない時節の胸に刺さる。 秘・異郷を中心に50回のツアーに行った先のどこかが、TVの旅番組で、 毎日のように現地レポートされる。その度に、それぞれの記憶が露出し、 その体験した記憶に、新たな現地の映像が加わっていく。この随想日記も、 早朝に15年分を読み返していると、過去からの声が、それぞれの同月同日の 「いま、ここ、わたし」の声が、ざわめきのように「いま、ここ、わたし」 に語りかけてくる。 葬式で、故人の決して後味が良いだけでない思い出が、 心の足元を揺らがすことがある。サバンナ(御隠居)の生活では、有り余る 時間の中で、過去の堆積物から思いもよらないフラッシュが沸いて出る。 あの暗い老人は、その暗黒の堆積物の暗部に引き込まれた結果である。 「因果応報」「因縁」というが、隠れている過去は、何かをキッカケに 表立ってくる。それが現在か、近い将来になるかでしかない。 人生とは、過去という荷物を担いで、一歩一歩を独りいく道のりである。 ・・・・・・ 5774,閑話小題 〜シェルター内事情 2017年01月05日(木) * 居間から寝室へ重点移動 ★ 一昨年の11月に寝室のTVにWoWoWの二台目契約をした上で、ブルーレイ を入れて13ヶ月、経過した。 居間では外界の音が入ってくるが、寝室は、 ほぼ無音状態。この間の録画数が300本を超え、限界状況の表示が出てきた。 今では録画する都度、優先的に何かを見るか、消している。 『録りだめしても、二度と見ないのでは?』の対策がある。映画に飽きた気分 転換に、小まめに録画一覧を見て、頭部分だけを見る習慣付をするとよい。 習慣的に見ていると、これ自体が面白くなる。 また再び続きから見ると、 連続ものを見るようで抵抗がなくなる。 面白いものは、何があれ面白い。
★ 年末年始の一週間、面白そうな番組が目白押しのためベッドにクギ付け状態。 それに飽きると、廊下を挟んだ仏間の一角のパソコン前に移動するか、居間 まで出張をし、お茶を飲む生活。その寝正月も、昨日からはスポーツジム通い が始まり、TV漬け生活も終わった。とはいえ、それに図書館と、スーパーの酒 とツマミの買出し、スポーツジム通いが加わるだけ。 6年続けてきた、週一の シネマ通いは、今年から大よそ半分にする予定。ベッド内で映画を連日見れば、 二週に一度で充分?だが、実際はどうなるか。 『こんな生活、飽きない?』 という声が聞こえてきそうだが、そうでもないから困ったもの。雪国の冬場は、 「晴耕雨(雪)読」で、シェルターに閉じ籠りを楽しむしかない。 <還暦までの10年間に、30年分を圧縮して生きる>が、実際に、そこまで出来た かどうかは別としても、この年齢になると、気持ちを穏やかにさせてくれる。 老いの愚痴、怒りは、世間的制約で、出来なかったこと、実践できなかった、 不燃焼が起因している。で、攻撃は、弱者とか、社会そのものに向かう。 次々と立ちあらわれくるフラッシュに、独りごとを呟いている自分がいる。 ・・・・・・ 3197,つれづれに ー 閑話小題 2010年01月05日(火) * 人生味わえば、8割は良いことになる 1月3日のTV「熱中人生」で、藤岡琢也が対談した70歳後半の品の良い女性 が語った言葉が良い。「人生、生きてきて、良いこと2割。辛いこと8割だった。 しかし、辛いことを味わえば、8割は良いこと辛いことは2割になる」が、印象 に残った。「終戦直前に、近くの旅館に特攻隊員が数人、出撃の待機をしていた。 その話し相手に行っていたが、彼らが終戦の一月前に出撃していった。 彼らが死んでいっても、自分の中に生きているように感じる。そのお陰で、 疎かに生きなくてはならないと、生きてきた。 人生は辛いことが8割だが、 味わえば、良いことが8割に変わる!」と、しみじみと語っていた。 そう、辛さを味わうのである。 甘塩辛いが! * 面白いものである! 実際に、数ヶ月に一度は全く書くネタが無くなる。書いていると自己嫌悪に 陥るのである。自己嫌悪は今さらだが、書き尽くして如何もこうもテーマが なくなり、書いてきた内容に微妙な感情に押しつぶされ、どうもこうも、 ならなくなる。お手上げである。しかし、その時ほど、直後に何かが出てくる。 その何かとは、小さな井戸の水を掬いとった後に、何処から水が湧き出る感覚 である。だから続けることができる。これは人生と同じじゃないか? そう、挫折、その後に来る孤立と孤独の中から力が湧き出てきたのと同じ。 その時に、変化が生じる。そこ(底?)から知恵が出てくるのである。 その繰り返しから、知恵も、力も出てくる。 * 婚活ブームの後は、離活ブームだと! 現在、婚活ブームだが、次は「離婚ブーム」が来そうだと、昨日の産経新聞 の社会面トップで取上げていた。20〜30歳代前半の女性の多くが離婚相談所 にくるという。 女が出来たとか、借金が多いとかいうハードなことより、 呆れるほど些細な動機。 熟年のように熟慮を重ねた上の離婚とは違い、単純な 気分で嫌と決め付けるケースが多いとか。以前なら親が説得する程度のことを、 親まで一緒になって悪口をいうから・・。 今のユトリ教育で育った人種なら、 分からないでもないが。 「結婚など、嫌が上のハク」というのは、長年、 連れ添ったものなら分かっているはず。 後記)去年に、偶然に同じような テーマを取り上げていた。 それも、新年早々に! そんなものだろうが。
・・・・・・ 4679, スマート革命 ー2 2014年01月05日(日) * スマート革命とは? 「ゼロから学ぶスマート革命」山崎秀夫 (著) マックの各スマート機種は一通り使ってみたが、ただ驚きである。 これは「スマート革命」を象徴したもので、ジョブスは、まずは企業向けの 大型コンピューターを個人・家庭用の宅上型に作り変えたパソコンをiMac として世に出した。次のiPodは、音楽業界に革命的影響を与え、更にiPhone、 iPadと、次々とスマート機器を世に出し、そして現在、スマートTVを世に 出そうとしている。 アマゾンが書籍のネット販売を始めしばらく経つが、 今では書籍の枠を超えた商品を扱うようになった。その書籍も紙に印字する 形態から、パソコン画面へ印字するデジタル書籍の時代が始った。 私の命名だが、これスマートショップ。この動きは、スマート自動車、 スマート家電、スマートTVに広がっている。 現在、スマートフォンが 劇的に普及している。携帯電話にパソコンが融合したもの。そこに、会話式 のアプリが入ると、「手のひら音声ロボット」。テレビ操作、パソコン入力も、 電気製品の操作も、両手をハンドル操作に取られる自動車も、何もかも会話式 アプリ機能に従い入力をするようになる。それが「スマート革命」である。 ーアマゾンの読者レビューからー 《 ポストパソコン時代が進むと2015年には一人七台のスマート機器を 使い分けるようになると予測。 それに合わせて1)新しいイノベーション の形(事業モデル)と 2)新しい個人コンピューティングの形が出現します。 まず新しい個人コンピューティングの形を特徴つけるユーザーインターフェース 従来のパソコン+ブラウザー+Webサービス時代には、生活者は「テキスト入力で パソコンと会話」していた。しかしスマート革命時代には機器と生活者の インターフェースは、「スマート機器はユーザーの友達になる」と考えられる。 米国MITの社会心理学者シャリー・タークルは著書「Alone Together」の中で、 ユーザーインターフェースのあり方を「ソーシャルロボット」と呼びました。》 ・・・・・・ 3937, 閑話小題 2012年01月05日(木) * 年末年始 この年末年始も、例年のように過ぎていった。事業から離れて初めての正月 になるが気持ちは何も変りない。ただ以前ほど政治経済のニュースに敏感に 反応しなくなっている。こうなれば、良いも悪いもないが。 まだ事業を 続けていたとしたら、この激流の中で夜も眠れない日々が続いていたはず。 事業から一歩退いてみると、この断絶の大きさが更に鮮明に見えてくる。 TV番組も、派手な内容のものは少ないようだ。正月で特別なことと言えば、 蔦屋で数年ぶりにDVDを一本借りて見た位。 * 元旦の殿町で 元旦は、例年、東京から帰省してきた次男夫婦と、長男と、私たち夫婦、 合計5人で居酒屋での新年会が恒例になっている。次男夫婦は地元の同級生と 二次会とかで別行動。今年は長男と殿町に行った。駅前は、居酒屋チェーン店が 元旦でも営業をしているが、さすが殿町は殆どの店が閉まっていた。 その中で、一軒のスナックに入ったが、先客が二組み飲んでいたが、 危なそうな客。一時間ほど経った頃、50歳頃の革ジャンを着たテキ屋か、 ヤクザ風の客が私たちの隣に座った。隣なので何気なく話すと、奥さんと喧嘩を して飛び出してきたという。暫くして「マスター、一軒回ってまた来るね!」と 出ていこうとするので、酔った勢いもあり、「勘定を払わないで出ていくの?」 と言ってしまった。ところが、「何だ御前、俺を馬鹿にするのか。 御前に、そんなことを言われる筋合いはない!」と凄んでくる。そのへんは、 慣れたもので「別に馬鹿にしたわけじゃない。自然に出てきた言葉。 そう思うのは貴方の勝手」と答えると、凄い目で飛びかからんばかり。 長男が、その辺の呼吸を知らないようで、立ち上がり乱闘寸前。ようは、呼吸。 押しても引いてもダメで、「元旦そうそう、あまり怒るなよ!」とか 言っていれば良い。危ない奴ほど、簡単には手は出さないのは経験上知っている。 で、本人はプイと出ていったが、マスターに「あの客、馴染みなの?」と聞くと、 「一げんです」という。飲み逃げ、手馴れたもの。初めての店で、 「少し他の店を回って後でくるね」じゃ、飲み逃げそのもの。で、結果、 飲み逃げの手助けをしたことになる。 特に年始のスナックは泥棒が多いと聞く。 それにしても、危ない客。 そういう私も、それを楽しんでいる変な客。 ・・・・・・・ 3572, 人は何故、肯定思考に心がけなければならないか? 2011年01月05日(水) 肯定思考といえば、中村天風の「肯定肯定、絶対肯定」の言葉が思い出される。 また書店には肯定思考の本がところ狭しと並んでいる。考えてみれば新約聖書も 弱者肯定の見本のようなもの。ありのままに、ほっとけば人間の思考はマイナス 思考、否定思考に流れされる。電車やバスに乗り遅れたことは思い出しても、 ギリギリ間に合った記憶はホボ忘れている。その数倍もあるのに。 楽しいことを忘れ、辛いことを何時までも記憶する習性が人間にはあるようだ。 それは、我われの祖先がもたらしたもの。 大昔、毒のある食物で当たり、 野獣に襲われ食べられそうになったりすると、二度と同じ過ちを繰り返さない ように、その記憶を長く残した。逆に、美味しい食べ物に出会っても直ぐに 忘れることにした。それに捉われると、次の食べ物に有りつけなくなくからである。 その習性に気づいてないと、良くない記憶だけが残ってしまい、自分だけ悪い ことが起きてしまうと錯覚をしてしまう。 だいたい、良いこと悪いことが同量 が起こっていると考えればよい。しかし良いことを思い出す訓練をしていると、 どうも良いことが擦り寄ってくるようになっている。 私の場合は、三対一と 勝手に思っている。面白そうなことを探していれば、自然、その方に自分から 擦り寄っていく。例えとして私事になるが、47回の海外旅行、それも秘境ツアー の経験は、週末のTV生活を楽しませてくれる。BS/TVで旅先の何処かを 放送している。一度行ったところを違う目線の映像を見ると、再び訪ねている 感覚で見ることができる。自然に他の行き先に惹きつけられ、欲も出てくる。 マイナス思考は逆である。 嫌なことに捉われていると、それに類似した TVや小説の場面で嫌な追体験をしてしまう。その繰り返しの中から怒り、 憎しみが憎悪に変わっていく。「人を恨めば、穴二つ」の相打ち、である。 だから、嫌なことは、意識的に排除すべきである。 言葉=精神。 明るい言葉は、明るい精神と言い換えることが出切る。言葉を持ってしまった 人間は、二人称の身近な死から、一人称の「自分の死」を予感するようになった。 これが、マイナス思考を更に深めている。そのため神という共同幻想の仮身を つくるしかなかった。 人間は人間であるが故に、脆いのである。
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6140,読書日記 〜「続・下流老人」 ー2 家族原理主義 |
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2018年01月04日(木)
<続・下流老人 一億総疲弊社会の到来 2016/12> * 多問題家族 以前、それまで身近で具体的に聞いたことがなかった貧困問題に遭遇し、 驚いことを想いだした。(後でコピー) そのままが、Amazonのビュアーの 投稿にあった。多問題家族には2つの大きな特徴がある。一つは貧困問題。 二つ目は、問題家族同士の‘共依存’の関係にあること。フリーター同士の 結婚。水商売同士の出会いと結婚。 それを熟知しているキャリア?は、 そこから拾いだしてくれる白馬の王子様を探すが、王子様は、リスク負担を 考えて第一条件はバランスのとれた仲間内から… それはシビアに。 〜投稿も、シリアスな問題だけに説得力がある〜 <「30までには結婚して親を安心させてあげないと」、 「大晦日はやっぱりこたつで家族団らんしながら紅白歌合戦だよね」…なんて、 私たちが何の気なしに言ってしまうセリフ。こういった発言の裏に隠れている のは、日本を覆う“家族信仰”の呪縛かもしれません。
『家族という病』 (下重暁子/著、幻冬舎)は、そんな“家族信仰”について、長年第一線で 世の中を見つめてきたジャーナリストである著者が切り込んだエッセイです。
著者の下重は1936年生れ。早稲田大学卒業後、NHKを経てフリーのアナウンサー として活躍後、文筆活動に入りました。本書では、“家族”の実態をえぐり ながら、従来の思い込みを一刀両断していきます。> ―― <「結婚はしないの?えっ、子供ほしくないの?じゃあ老後はどうするの?」 結婚→出産→子育て→老後 そうやって未来が目論見どおりに運ぶと思っているお花畑思考故に、それ以外 のハッピーエンドルートは存在しないと無意識で一概に決め付けて、こんな煽り 文句が当たり前に出てくるのが世間一般ですから、信仰度合いに差があるにしろ 世間一般は家族信者であることは間違いありませんね。… …女は30で賞味期限が切れるから、出来るだけ若いうちに出来るだけ稼ぎの いい男をとっつかまえて結婚して、若い方が体力がある分育児に向いているから 若いうちにとっとと出産して、リスクヘッジのために子供は2人くらい作って、 50手前で大体の子育てを終えて後は老後を迎えるだけ… 世間ではこれが一番のハッピーエンドルートらしいですよ。> ― ▼ 結婚問題に突き当たると、まず頭に浮かんだのが、4人の姉との比較。 家柄、学歴、センス、清潔感と明るさのバランス。ついつい色気に比重が 偏りがちになるが… 相方は一生の伴侶。 職業選択と同レベルの決断…。 「当たるも八卦、外れも八卦」だが… 大方(9割)は「誤解で結婚、理解し 離婚(家庭内も含む)」に、あい至る。深刻なのは、シングルマザーと、子供 の貧困問題。日本のひとり親世帯の貧困率は54.6%で、相対的貧困率は16%で 世界で6番目に 高い。以下の問題は、如実に、この問題になる。 何人かに 声をかけたが「誰も全く反応しなかった」。これが現実。娑婆は厳しい。 そういう私が独身なら、多問題家族の人には、まずは距離を置く。 ―― 2006年10月18日(水) 2024, ある煉獄の中にて 才八∋ウ_〆(∀`●) これからの内容は本人の同意を得て書いている。 (もし本人の同意なくして書いたとしたら、本人を著しく傷つけことになる上に、 裏切り行為になる。本人曰く「母の苦労を多くの人に知ってもらえるから、書い てもよいです!」…)そこには誰も悪人はいない、存在するのは人類最大の問題 (嫁・小姑など家に存在する)不条理。Aさんの話を聞くうちに浮かび上がって きた奥行きの深い話。どこの家にも、このような問題はあるが、あまりに複雑な 構図である。 それを背景としてAさんの一人間としての素晴らしさが 浮かび上がってくる。 〔註〕煉獄とは、地獄と娑婆ー現世の中間にあるところ ー女性Aさん(25歳)の視点で書くー (以下、敬称は略す) ・Aの母親F(48歳)が夫と離婚、Aと弟を引き取り中越地区の実家に出戻った。 ・実家にはFの両親B・C(80歳前後)と、Bさんの未婚の姉のD(80歳代前半) が存在。 家は大きな家ではない。 ・Aの母親Fは、AとAの弟E(21歳)を育てるため身を粉にして働いた。 そしてAは女子短大を卒業、新潟の私の会社に就職して5年目になる。 弟Bはコンピューター専門学校を卒業、今年から首都圏のソフト会社に就職。 ・ところが母親は立ち仕事で人一倍働いたため、腰痛が悪化。去年から働きに 出れなくなり収入も途絶えた。 ・そのため元々折り合いが良くなかった同居の叔母Dとの人間関係のバランスが 崩れてしまった。 子供二人が家を出ていってしまったことと、母親Fが働け ないため収入が途絶えたことで、最も弱い立場の陥り、その結果として鬱病に なりかけている。 ・Aにとっては、そんな実家には帰りたくないが、そのままにしていたら母は 重度の鬱病になり廃人に…。A一人の収入では母親を引き取れない。そこが地獄 絵図の世界としても、その狭い家に帰らないと母は間違いなく潰れてしまう… いう内容。 露骨に言ってしまえば、 ☆ ・「行かず後家」と、・その実家に「出戻ってきた母」と、・嫁の立場の 「お祖母さん」と、・その間でシドロモドロする「お祖父さん」が、織り成す 小さな世界の蓄積された‘葛藤ドラマ’ということになる。 (以下、字数の関係でカット2009年10月18日) ・・・・・・ 5773,「イスラム世界との対話は可能か」〜塩野七生 2017年01月04日(水) IS問題、中近東と欧州のテロと戦争問題、数千年前のユダヤとアラブ の問題のため、その根は深い。今後、永劫に続いていく問題である。 一年前の<文藝春秋新年特別号>の塩野七生のコラム記事 「イスラム世界との対話は可能か」が、欧州と中東問題を考える参考になる。 〜このコラムを簡略にすると〜 ≪・「多神教と一神教のちがいは、多神と一神の数ではなく、 『自分は信じていないが、信じている他者の信仰は尊重するのが多神教』で、 反対に、『一神教は、自分が信じている宗教だけが真の宗教で、他はすべて 邪教』になる。邪教の徒であるからには、殺すのもOK、奴隷にするのもOK。」 筆者は、多神教の方が、一神教よりも自然への畏敬、他者との共生、思い やりなどの点で優れていると述べる。。 ・「この人々(穏健イスラム教徒)は、首切り集団を非難して言う。 彼らがやっていることは、「ジハード」(聖戦)ではない、と。 それでいながら聖戦自体は、否定しないのだ。」 ・「両宗教(イスラム教とキリスト教)の共生の証として、ヨーロッパにも より多くのモスクを建ててほしいと言う。これにキリスト教側は、口には 出さないが、心中では、「イスラム諸国の大都市に、ヨーロッパ並みに壮麗な キリスト教会を建てるのは認めていないのに、なぜ?」と思っている(P.92~93) ―― ▼ 島国の日本は砂漠の民の一神教にはそぐわない。世界は白、赤、黄、黒色 と、それらが混合した人種で成立っている。 白はユダヤ、キリスト教。 赤がイスラム教。キリスト教。黄色が仏教。インドは、それら混合した差別教 のヒンズー教。それらに国家、民族等が組合さって差別化されている。 イスラムとキリスト教の対話が可能か?と問われれば、アラブと欧州人の同居は、 所詮、無理の話。砂漠の民が、豊かな地の欧州人の考え方が全く違う。 人種混合国家のアメリカが、トランプを大統領に選出したのは、中産階級未満の 白人が起こした乱である。ということは、今後、人種差別と、殺戮が更に拡大 していくことになる。恐ろしいかなである。トランプは、プーチンが後ろ盾で つくられた傀儡とまではいわないが、彼のクリントンへの「メール問題」は、 明らかに… ? トランプは、最後には、オバマの影に押しつぶされ消滅 する運命にある。 問題は、副大統領が大統領に替わった時に、どうなるか!
・・・・・・ 5408,2016年 新年に ー 日本衰退は1985年から始まった ーB 2016年01月04日(月) 『グローバリズムという病』平川克美著 * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーB バブル崩壊は、第二次大戦以来の敗戦であり、以来、衰退が続いたまま。 アメリカのいうがまま、バブルを引起し、その結果のバブル崩壊である。 欧米系の金融機関は、これをチャンスに、株式などで大儲けをした。 経済支配下にある属国の手を捻っただけだが、日本にとって塗炭の 苦しみが待っていた。 ≪ アメリカ側は日本企業の競争力の原泉である、日本の銀行の融資力を殺ぎ, つぎに日本の産業全般に行きわたっている構造、とりわけ関税障壁をターゲット にした構造改革を日本側に迫った。「貿易の不均衡をなくし、日本が経済発展 するため」という表向きの形容とは違って、このときのアメリカにとっては 日本の産業力はまさに「死活的脅威」であり、この脅威を取り除くための 「経済戦争」を仕掛けようとしていた。 ルール変更であった。 日本は当時空前のバブルに沸いていた。銀行もまた多額の不動産を抱え込んで おり、それを資産計上していた。それゆえに前記の世界の銀行ベストテンに 六行も入るという状況がうまれていたわけである。 1988年、スイスのバーゼルにおいて、銀行の健全化に向けての国際基準が 策定されてた。それがBIS規制である。国際業務を行うためには、8%を超える 自己資本比率が必要であるということが定められた。 表向きは、金融システムの健全化ということであった。 1991年2月には、日本のバブルが崩壊する。そうなると、含み資産を自己資本 に計上していた日本の銀行は、時価会計の適用によって自己資本率を一気に 悪化させる。 日本の銀行が採りうる措置は二つしかない。 ひとつは、総資産を減ずること。 ひとつは、複数の銀行を合併・統合させることで自己資本比率を上げること。 実際に何が起きたのか。それを時系列に眺めてみよう。 盤石だった日本の銀行は、BIS規制と、それに続く金融ビッグバンによって合併 統合・倒産を繰り返し、さらには株式を持ち合っていた生保会社の大型倒産が 続いた。銀行、保険会社、政府が三位一体となって落伍者を出さない日本の金融 システム、つまり護送船団方式は、このとき完全に分断され、崩壊していった。 普通は、こんなことは起こらない。ましてや短期間のうちに、これほどの規模 で銀行システムが変容するなんていうことが、市場の原理だけで起きることは ありえない。 一九九六年四月、三菱銀行と東京銀行が合併 一九九九年四月、国民銀行破綻 六月、東京相和銀行破綻 八月、第一勧業銀行、富士銀行、日本興業銀行が、事業統合を発表 八月、なみはや銀行破綻 一〇月、新潟中央銀行破綻、 一〇月、住友銀行とさくら銀行が合併を発表 ≫ ーー ▼ 1991年のバブル崩壊より7〜8年後に証券会社の倒産、大手銀行の倒産、 大統合になった。とすると、リーマンショックを大地震に例えると、今年辺りが 津波が到達する時節になる。それが、世界株式市場の暴落として日本か、欧州、 中国発になるのか、津波と違い予測不能。私は、その二年半後に、自然災害の 東北大地震と共に沈んでしまった。ISのテロをカタチを変えた格差間の戦争と すると、既に始まってしまった? 戦争は、超保守で体制を固めないと、国の 維持が難しいためか、怪しげな風が先進国に吹き出してきた。
・・・・・・ 5043,読書脳 ぼくの深読み300冊の記録 ー6 2015年01月04日(日) 『読書脳 ーぼくの深読み300冊の記録 』立花 隆(著) * 捕食されてきた人間 人間は肉食や草食もする雑食だが、猛獣の餌として捕食されてきた。 そこには食うか食われるかの長年かけた弱肉強食の熾烈な闘いがあり、 仲間同士の知恵を駆使をして生抜くしかなかった。当然、人間どうしの肉食 もあった。ボルネオや、南米など未開の地では、ごく最近まであった習慣。 人は狩猟をするか、されるかの瀬戸際で、集団で知恵を身につけ、言葉と 道具を身につけ、生き延びてきた。 ーその辺りから抜粋ーエェー(◎-ω-)♪~ ≪ 有史以前、ヒトはみな食人をしていたというのもショックだが、同時に、 ヒトはヒトならぬ肉食獣にエサとして食われてきたという話もショックだ。 しかし、ドナ・ハート・ロバート・W・サスマン『ヒトは食べられて進化した』 は、ヒトは捕食される動物であったから、かくのごとく進化することができた。 「かくのごとく」というのは、ヒトが二足歩行で大きな脳を持ち、ことばを 使うことで複雑な内容を持つ情報伝達ができるようになったこと。 集団で社会生活を営むようになり、単体ではできない大きなプロジェクトを 力を合わせてやりとげるようになったということ、つまりヒトが文明を作る ことができた唯一の動物になったという意味である。 ヒトは肉体的には あまりにもひ弱な存在であった。捕食者の恐怖から逃れようとするなら、 そのような生き方(社会を作り文明集団として生きる)を選択せざるをえなかった ということなのだ。かつて、人類進化はヒトが狩りをすることを覚えたところ からはじまったとする、「マン・ザ・ハンター」説が一世を風靡した。 しかし、自然人類学者の著者は、その説は客観的証拠にてらして誤りだという。 多数の原始時代の人骨を調べていくと、原始人たちが野獣に噛み殺され、 食われていたということがはっきりわかる。噛み砕かれた頭蓋に残る歯型と、 野獣の牙がピッタリ一致するのだ。ヒトがどれほど捕食されてきたか、 疑う余地のない証拠が次から次に出てくる。・・・≫ (。・´ω`・。)オォ怖〜 ▼ 私たちが爬虫類や、蛇などに直感的嫌悪感を持つのは、原始的記憶が脳に インプットされているため。根強い悲観的傾向があるのは、捕食されてきた 生存危機の記憶がなせる業。だから、人間には本能に悲観的傾向がある。 しかし、悲観主義は、人間自身の行動範囲を狭める要素になる。それを カバーするのが知識と能力で、悲観1に対し、3倍の楽観主義が必要となる。 ・・・・・・ 4311, 幸せはいつうもちょっと先にある ー1 2013年01月04日(金) 「幸せはいつもちょっと先にあるー期待と妄想の心理学」 ーダニエル・ギルバード著 * 我われは何故、間違った未来の想像をするのか やりたいことが一杯あったのに、いざ定年になると楽しみにしていた暇の 時間をもてあそぶだけとか、結婚も現実は夢みた期待が妄想でしかなかった とかいう経験は多い。幸せは実現するちょっと手前の期待と妄想にあるようだ。 人間にとって想像する能力は最も重要だが、それと妄想が混濁してしまう。 この期待と妄想の心理を熟知しないと、親のバイアスから一歩も出ることが 出来ず、小さな岩場の中で一生を終えてしまう。前頭葉と鋏は使いようである。 ー その辺りの箇所から抜粋してみる。 ≪ 脳の業績はただ一つ、意識的な経験だ。大ピラミッドを見たり、ゴールデン ゲートを思い出したり、宇宙ステーションを想像したりするのは、そのどれを 建設するよりはるかにすごい行為だ。 「思い出す」「見る」「想像する」、 この三つの中でもひときわすごい行為が一つある。「見る」とは世界を今の姿で 経験することだし、「思い出す」とは世界を昔の姿で経験することだが、 「想像する」行為は、世界を今の姿でも昔の姿でもなく、こうだろうという 姿で経験することに他ならない。人間の脳の最大の業績は、現実の領域には 存在しない物事や出来事を想像する能力であり、この能力があるからこそ、 われわれは未来について考えることができる。哲学者のことばを借りると、 人聞の脳は‘先読みする装置’で‘未来を作る’ことがもっとも重要な仕事だ。 ところで‘未来を作る’とは具体的にどういう意味だろう。脳が未来を作ると 言える場合が少なくとも二つある。一つはほかの多くの動物にも共通し、 もう一つは人間に特有だ。あらゆる脳は、人間の脳も、チンパンジーの脳も、 餌を埋めるごくふつうのリスの脳でさえ、私的で身近なさしせまった未来を 予測できる。現在の出来事(「何かにおう」)と過去の出来事(「前にこの においがしたときは、大きなやつに食べられかけたんだ」)の情報をもとに、 つぎに起こる可能性がもっとも高い出来事(「あ、やっぱり大きなやつに 食べられる」)を予測する。しかし「予測」と呼ばれる行為に二つの要素が あることを忘れてはならない。一つは、他の動物にも共通し、もう一つは 人間だけの特有の予測。前者は意識的思考の必要ないもの。これを次見という。 それに対して人間の脳は、遠い将来の複雑な予見が可能なことである。 ≫ ▼ 人間は、この能力で飛躍的進歩を遂げてきた。人間は本来、将来のことを 考えるのが好き。旅行を例にすると、行き先を探し、決め、決まったら、 その資料や旅の準備をする。そこに不安や楽しみの感情がまとわりつき、 それも旅行の楽しみとなる。実際に行ってみると、この本と違うところがある。 その数倍も面白く楽しいことと、嫌なことがあるのが実際。そして嫌のことは 帰りの飛行機内に置いてくる。そうなるまで10数回の経験が必要だったが、 間違った予測が多いのは、経験の絶対量が少ないからである。女性遍歴は、 相手を獲得するまでが幸せで、その後は幻滅の繰り返し。それが楽しいか?
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2018年01月03日(水)
閑話小題 〜今年の正月は
☆ 元旦は新潟から長男が、首都圏から次男が帰省した恒例の飲み会。 この数年は長岡駅前のチェーン店『庄屋』…。長岡駅至近に三店舗あったが、 11月11日と、12月31日をもって二店が閉店していた。駅裏の店には、けっこう、 通った店だったが、二年前に行った時の料理の味が落ちていたのをキッカケに 一切行かなくなった。居酒屋の競争激化の中で、駅周辺だけは繁盛していたが… ☆ 大晦日の紅白で、踊っている一人が前のめりになった後に、仰向けになった のを、後ろの娘が抱えたところが映しだしていた。寝入っていた家内が、翌日、 そのことをネットで見つけ、「見ていたかどうか」尋ねられた。二人の息子に 宴席で聞くとネットで知ったという。 歌詞の間違いとか、歌いだしの間違い などのハプニングは何回かあったが… 生中継での気絶は初めて。 何気なく仲間が取り繕っている場面はミスをカバーするに充分。むしろ好印象 が残った。 こういう話題をむしろ喜ぶの情報社会の特徴。 〜ネットニュースによると、 【欅坂46と総合司会のウッチャンナンチャン・内村光良(53)の共演パフォー マンスの最後に、欅坂センターの平手友梨奈(16) 志田愛佳(19)鈴本美愉 (20)が軽い過呼吸のような状態になるハプニングが…】とあった。 番外篇; 熊さん:年末年始のTV特集で、政治経済向きモノがいやに少なかったね。 寅さん:不安を掻立てないよう国からの御達しがあったのでは? 社会情勢、 世界経済を取上げれば、第二次朝鮮戦争の可能性云々に行きつくからね。 八つぁん:それだけ、状況は追い詰められているんだよ。としても、黙って 過ごせない問題である。今日明日にも再び、ミサイルか、核実験をする 可能性が大。とにかく、日中韓米と、ロシア首脳の顔ぶれが悪すぎるよ。 私など、元旦に帰省した次男に、『危ないと思ったら、三人で着の身着の ままに、ここに帰ってきなさい』と、真剣に勧めたよ。 大家:「そんなことあるわけない」という空気が、まだまだある。 北朝鮮の漂流漁船の数が異常に増えている。異常太りの金様の脳卒中待ち のところもあるようだが。一とき、痛風を思わせぶりの脚をひいていたが。 あれじゃ怖くて減量などの進言を誰も言えないよ。 熊さん:でも、数が月内に攻撃をしないと、もう手遅れになるから、日米韓は、 迷うよ。中国も、他山の石・騒ぎじゃなくなってきたよ。 大家:開戦ともなれば最も被害を受けるのは韓国と日本。手始めの脅しで、 東京湾沖に一発、ミサイルを打ち込めば、日本中が震えあがるよ。勿論、 アメリカと密約の上で… 動転させて不良在庫?の処分品の押しこみさ。 寅さん:何か物騒な話だが、有得ない話じゃないから… でも開戦ともなれば数百万 の死者が出るというじゃないか。首都圏に核ミサイルが… など、考え られないよ。でも、現実は現実、直視しておかないと。 大家:何せトランプは「アメリカファースト」言い換えれば「白人ファースト」 を標榜して大統領になっただよ。黄色の百万、二百万が如何なっても、 いいんだよ。アメリカ、オーストラリアで、現地民を数百万?を虐殺した 白人を先祖に持つ国。あそこまで、悪し様に口撃をされれば、虐殺も したくなるよ。既存武器の入替え時でもあるし。 八つぁん:あのボロ漁船で日本海の航海も限界がある、せいぜい数万人。 計画案は出来ているのだろうが。日本には離島が数知れずある。 熊さん:故・青島都知事に勝新が言ったというジョーク、「嫌な都政に なりやしたね〜」を、今度は、女パンダの口上にならなければね! 「‘どせい’ばいい」じゃなくて…」 <オチが悪い? 失礼しました> ― ▼ 冗談のような、冗談にしては際どいところが問題。 ― 今朝方、奇妙な初夢? をみた。ところは10歳まで住んでいた大手通り 四つ角にあった小さなビル3階の自宅の部屋。母親が置いたと思われる 2m四方の敷物の周りを小さな人形の置物が幾つか置いてある。そこで、 何時の間にか、長女の姉が、何やら本を読みあげている。家訓のような、 人生訓のような、訓戒を… 亡くなって20年近くなるが、残した無念をを 取り返ししたいような!「世間を全世界と信じて、生きるしかなかった無念 を夢で伝えたかった?」 私も、そろそろ御向かいが。煉獄の世界ですか… もう一本、みたが、さほど面白くはないが、何か深い意味があるのかも…
・・・・・・ 5772,閑話小題 〜今年の初夢は 2017年01月03日(火) * 初夢は何と下ネタ 今朝がたの3時半に目が醒めたが、あと30分とそのまま眠った後に初夢をみた。 (二日の朝、みるのが初夢というから、これは当てなまらないか) 起きたのが結局5時である。内容が白昼夢のようなリアルな物語。言葉にするのを 躊躇ったが、いざ書いてみると面白いため、思いきって、公開(後悔?)する。 ≪ ところは新潟の郊外の温泉旅館内。そこに知人の数人とミニ宴会をしている。 知人Aは何か用があって帰ったが、そこにうら若き女性がいる。 それが、 Aの愛人らしい。 知人Bが手当を聞くと、素直にスラスラ応えた条件は、 「トランプなどの賭け事をして、Aがワザと負けてくれるの。それらを含めると 月に20万は下らない。会うのは月に数度だけれど私も楽しい」と宣う。 私は何故 か他の人が分からないよう、親指で女性の太腿を撫ぜていた。快感は…夢が故に?≫ ▼ フロイト流に夢分析をすれば、「これまで抑圧された性欲が昇華した歪んだ、 自分を正当化し、快楽を得ようとする心根を自分に見せようという夢」? 人間的、あまりも人間的な、しかし歪んだ物語(性格)。正月早々、下品もいい ところ! 夢の中のA、賭けに負けた上に手当を払うとは、なかなかの遊び人。 それに対し私は 変態か? いや人間は大同小異?。それにしても、これが 初夢とは、呆けの始まりですか。リアルに感じられるのは、直後に脚色なしで 書いたため。 それにしても、満たされていませんね、ったく。 どこから聞こえてくる誰かの声、「どういう人?」… 「こういう人」です。
・・・・・・ 5407,2016年 新年に ー� 2016年01月03日(日) * 日本衰退のすべては1985年から始まった ーA 昨日、とりあげた「すべては1979年から始まった」を、日本経済の20数年 にわたる長期凋落は、プラザ合意によるバブルと、崩壊の上に、BIS基準 の策定があった。それはアメリカの戦略的経済政策の結果であることは周知 の事実。『グローバリズムという病』に、その辺りを簡明に述べている。 「すべては1979年から始まった」を世界規模の視点なら、日本の視点と すると、「日本衰退のすべては1985年から始まった」ことになる。 バブルと、バブル崩壊はアメリカが仕組んだ経済戦争の結果であった。 〜その辺りから〜 ≪ 東西の争いの敵がソ連と中国なら、西の内側の脅威が日本と、 1981年に就任したレーガンが、戦略として打ちたてた。 1985年9月22日、G5(先進五か国蔵相・中央銀行総裁会議)がニューヨーク市 のプラザホテルで行われた。日本からこの会議に出席したのは竹下登(当時) 大蔵大臣だった。この会議により、それまで1ドル235円程度であった円ドル 為替レートは、一年後にはドル150円台にまで円高に誘導される結果になった。 ロナルド・レーガンは、それまでの民主党の政策を転換し、市場原理と民間 活力の重視、社会保障費と軍事費の拡大、減税という企業寄りの政策を打ち出し、 経済拡大戦略をとった。いわゆるレーガノミクスで、小さな政府、市場原理 主義・軍事的大国主義である。この結果、アメリカ経済は拡大し、アメリカ企業 は大いに潤ったが、貿易赤字と財政赤字の増大という双子の赤字がアメリカ 経済に重くのしかかっていった。この双子の赤字の一方である貿易赤字を解消 するためにアメリカへの最大の輸出国である日本が標的とされたのである。 そのひとつが戦略上のプラザ合意である。プラザム合意は、ドルの安定が 名目ではあったが、直接的には日本の経済力という脅威を取り除くための戦略的 な目的に沿って行われたわけである。しかし、トヨタをはじめとする日本企業は 驚異的な改善努力によって競争力を維持し続け、アメリカの貿易赤字は解消 には向かわなかった。・・ 〜つづく ≫ ▼ 改めて考えると、アメリカの植民地の締め付けになる、TPPは、上記の 流れに沿う経済戦略の一環になる。とはいえ、軍事的に、経済的に、従うしか ないのが日本の地政学的な運命である。東京オリンピックも、アメリカの 後押しがあればこそ、TPPの条約を推し進めるための、国民への目くらまし に丁度よいイベントである。なに故、この状況下で、オリンピック? というより、その後である。韓国か、中国の生活レベルになるだけだが。 としても、せめて心はポジティブであらねば! ・・・・・・ 5042,ポジティブ・サイコロジー ー� 2015年01月03日(土) 『 ポジティブ・サイコロジー』クリストファー・ピーターソン(著) * つれづれに ー危機に瀕したときこそ最高の状態が湧出る ・ 節目時(危機)の―危機を乗越えようとした時ーこそ「人生で何が本当に 大切なのか」という新たな認識と、これに従って行動する心構えが形成される。 その真っ暗闇の時が一番、良いときであった。最も辛く、苦悩の底にこそ、 ベストの何かが湧き出てくる。 母親が嫁いできた頃、重なる小姑の虐めに 耐え切れず、実家に帰った時のこと、実母に「一番辛いとき(いま現在) が、実は人生の一番良いときなのよ!」と諭された、と聞いていたが、人生を 振返ってみて、成るほどと実感する。凝視をすると、最も辛い中に、最も楽しい ことが、裏腹に張り付いていた。その辛さの中から、心構えのベースの変換が 進んでいた。反対に、一番面白く脂の乗っていた時に、重い状況、苦しいこと、 辛いことが背景にあった。勢いが、それを感じさせなかっただけ。 幸・不幸は裏腹!だから、面白いのである。 ・「必要なものはルックスとたくさんのお金だけ」という信念に、私たちは 深く取り込まれている? たしかに文化は良い人生の条件について熟知して いるのだろうが。その高低だけで決まるものでない。人生でネガティブな 出来事に出あい、それに順応する期間を経た後にこそ、人生の満足度が安定 することが多い。何ごとも、ポジティブ3に、ネガティブ1が必要である。 ポジティブな人が否定する唯一のものは絶望だが、一度、絶望まで陥った にもかかわらず、そこから立直ったポジティブこそ光輝く。ネガティブな世 にかかわらず、ポジティブに生きる!それも、危機に瀕すれば瀕した時こそ、 『それゆえに・・』でなく『にもかかわらず』、のベースが必要になる・・ ・・・・・・ 4675, 閑話小題 ー何だろう?この現象は ー2 2014年01月03日(金) * では、なぜ事故や大病になるのだろうか? ー私も、あなたも自業自得! 痛々しい包帯だったが「私も手伝うから」とタイヤも交換しながら本人確認。 80過ぎの好々爺の黄門様の勧善懲悪レベル! にぎやかな見送りを受けたの 飛行機で、心の内で静かに激怒をした結果「直ぐに病気か事故になる-人-;)! それまでのこと」と怒りを収めた。そして「復讐するは我(自然・神)にあり」 の骨折。除雪作業中の骨折直後に、私の自転車がパンクの修理で骨折の確認とは、 奇妙な偶然の巡り合わせ。で、その半年以上も経った現在になって、これは
シンクロ二シティ?「私の静かに充満した怒りは、対象者を重症の病気か、 交通事故、転倒事故で一生モノの深手になっている?」ことに気づいた。 そこで、次の筋書き『まずは骨折だったが、80過ぎの年齢から、あと 2〜3年で Ωチーンi~ 気の毒?だが・・』が思い立つ。こういう視点でみると、 この節目だけでも、あるある!更に40〜50年スパンでみた人生の節目なら 数知れず。逆の立場で「私も静かな怒りの対象になって、色いろ危ない目に あっている。が、自分では気づかなった?」とすると、これも山ほどある? 「この奇妙な現象は、その解釈、受けとめ方の一つでしかない!」が正論。 「静かな怒りで、対象を破壊する力?は、私だけでなく、エネルギーの特に 強い何割かに備わっていて、破壊された私が、ここにいる」という事にもなる。 『他人を恨めば穴二つ』この呪文を解くには周囲への感謝の念しかない? この偶然はシンクロニシティの「節目の怒りバージョン」か? 願ってなるのでなく、本人の因果応報。アフリカの市場で、呪いグッズだけの 市場があった。町が沈んでいくと、こうなるのか。仕事として自主独立の事業が 通せたのが私の人生の最大の幸運。こういう人たちと距離が置けたからである。 「当人が怒っているのは、本人自身の毒!それに、私の何かが反応した!」が、 私の解釈。私への毒が少ない?のは、それを経験と知識で最小にしているため? シンクロニシティに関する知識のない人は、それに遭遇しても自覚できない。 オカルトめいているが、自転車屋の主は発病か事故で +_@)!の時期が早まると 思えば怒りが消える。 人生の節目で、思い当たる人が10数人はいる。 3年前の節目からして・・ 40年以上も事業をすれば、トラブルや怒りが 山ほどあって当然。 その対象の人たちの不幸な事故や病を因果付ければ、 こんな筋書が幾らで出来る。対象者の共通点が幾つかあるが書くのは止めた! 万人が持っている? この現象は、以前から気づいていたが、同じようなことを聞いて、「偶然を、 自分勝手の思い込み、解釈じゃないか!」と感じ取り、その思いを打ち消した。 で、今回の節目の様々な現象。来年にかけ、私の目で危ない人が4〜5名いる! といえば、どうだろう? しかし、これまでの現象を凝視すると、それも当人の 自業自得。それを都合の良い解釈、物語にしているに過ぎない? 数ヶ月前に リメイク版の『キャリー』という映画をみた。苛め抜かれた少女が『超能力』 で、苛めた人たちを根こそぎ破壊する物語。 さて、この物語は、どうなる? それが、そのまま私自身へ向かう可能性もある。前回のオチ「こういう話題が 山ほどある私は何? ハ?σ・Д・)お前バカ?」がやはり結論! で、どうした? 正月から毒を吐き散らしただけ ⌒ ⌒) ぺこ<(_ _)>m(-_-)m コノトオリ それにしても我ながら酷い思い込み、内容である! ・・・・・・⌒ ⌒) 4310, 雑談ネタ、酒の肴ネタ ー14 2013年01月03日(木) * 正露丸はロシア征伐の征露から由来している ≪ 出征兵たちが水を飲んで赤痢や下痢を起こすのを防ぐために、陸軍省が 開発した薬が正露丸だったのである。戦争中は、陸海軍の御用薬として、 欠かせない薬となった。薬の名前も日露戦争当時らしく、ロシアを征伐する という意味で「征露丸」と名づけられた。ラッパのマークも進軍ラッパを イメージしたもので、まさに戦争色を前面に押し出した薬だった。 その効き目がよかったのか、征露丸は庶民のあいだにも広まった。 ただし第二次大戦後、ロシア征伐をもとにした名前は都合が悪いということ になり、「征」の字を「正」に改めた「正露丸」となって、現在に至っている。 開発から約一世紀たった現在、正露丸の勢いはとどまるところを知らず、 モンゴル、中国などのアジア地域を中心に11の国と地域に進出している。 それでも今のところ、ロシアには進出の予定はないようだ。 ≫ △ 日露戦争の余韻が下痢止薬の名前で残っているのが面白い。仁丹の名前の 由来も面白い。これは孔子の論語の中で最高の徳=仁の心を忘れないという ところから「仁」に想到し、丸薬を 意味する「丹」とを組み合わせた造語の 「仁丹」を合わせ商品名と社名にした。これも正露丸と同じ頃のもの。 * サラリーマンのサラリーは、塩のこと ≪ サラリーマンは、和製英語だが、そのサラリーの意味は、塩から由来。 古代ローマ時代の兵隊の支払いに塩が使われており、それが貨幣代わりに 流通していた。ラテン語で「サラリウム」がサラリーになり、交換手段として、 和製英語として、サラリーをもらう人という意味でサラリーマンになった。≫ △ オーストリアに、モーツァルトの生まれた町ザウスブルグがある。 これも、塩(サウス)の取引が行われた場所として、その名がつけられたと、 当地で聞いたことがある。日本では江戸時代に、米が貨幣として配られていた・・
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6138,読書日記 <55歳からの「一生モノ」入門> |
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2018年01月02日(火)
読書日記 <55歳からの「一生モノ」入門>
< 55歳からの「一生モノ」入門 まだまだ人生は変えられる、39のお楽しみ2013/> 朝日新聞 「55プラス」取材班 もし、私が50歳代前半なら、この本は、非常に参考になったはず。 平均余命からすると、今からでも何か新しいことを始めるに遅くはない。 5年半にわたる家族総掛かりで看た認知症の母親を看送った51歳時に、残り 30年を如何に充実させるかと考えて思いついたのが、秘異郷ツアーの難易度 アップと回数。そしてパソコン+ネット世界への移動の決心。そのトレードオ フとしての事業拡大からの転換。これで生き方が大きく変わった。 朝日新聞が、団塊世代に向けた連載を編集して4年前に出版されたもの。 〜アマゾンの内容紹介より〜 <長寿大国日本。今や、定年後の人生が圧倒的に長く、ありあまる時間と体力と お金をもてあます人が、どんどん増えています。本当に豊かな人生を送るため、 今の日本人に必要なのは、「夢中になれるほどハマる、運命の趣味や生きがい」 と出会うことー ー老後をもっともっと楽しく暮らせるように。未知の世界で、 新たな幸せを味わうために。中高年から始められる&中高年だからこそ楽しめる 「人生を変えるお楽しみ」を紹介! 2011年から朝日新聞で始まった好評連載、 待望の書籍化。初心者の体験談から費用や教室情報まで、朝日新聞ならではの 確かな取材力で実用情報も満載です> ―― ▼ 図書館の返却コーナーで見つけて借りてきたが。私が55歳の頃、自宅近くに 出来たソフトハウスの一角でパソコン教室を始めていた。そこで、糸井重里・ 主宰のウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』のように、「一日一文章の書き込み」 を目指した個人HPの作成をと、週に2回の割で通いだした。その頃にブログが チラホラと出始めていた。 以来16年8ヶ月、ほぼ、欠かすことなく書き続けて 6130数回に至った。一生モノの目安の10年をゆうに超えた。 毎日、休むことなく書き続けるのは並大抵ではないが、習慣化の力は思いの 外に強い上に、その蓄積が内的充実感を強くしてくれる実感がある。 内容は ともあれ、全エネルギーを投入した言葉は、数年後に読み返えすと、その時点 の自らの‘魂の痕跡’を確かに感じ取ることが出来るよう…。 図書館や書店や、 ネットのテーマ探しを含め、1テーマに「2時〜4時間」は要する。秘訣はない! あるのは全エネルギーの投入だけ。 「全エネルギー投入、1万時間」が、プロ の目安になるが、既に1万5〜6千時間を投入した割りには、あまりに貧弱である のは自明。年に数回は、何も思い浮かばないスランプに陥るが、そこを何とか 書上げたテーマと内容が、後で読むと、何故か出来が良いことが多い。 この頃、新潟駅前の事務所近くに、ビデオレンタルショップがオープン。 週末に数本の「映画モノ」を借りる習慣が出来ていた。その後、地元で「蔦屋」 のビデオレンタル店が開店。その数年後には、WOWOWが開局し、加入した。 本来の「読書お宅」に、「ブログお宅」、「TV映画お宅」が加わり、そこに、 ネットサーフィンをしているため、一日の大半が、TV、パソコン漬けの日々に なって現在に至っている。バカになるのは充分に承知。これに週一の居酒屋と スナック通いなら、身体と脳に良いわけがない。しかし、未知の探求と、知識 をパック化する楽しみは何ものに変え難い。人生、夕暮れ時が最高というが、 日没辺りの寝入りしなの団欒も、また楽しい。<260万年来のデジタル進化の 恩恵を受けない人生なんぞ、何が人生か>である。しかし、酒とドラック並み の虚構、妄想世界であることも事実。問題は、コントロール。それに失敗して 堕落したのが私ですか。結局、ここに至るが、確かに間口は広く、奥行きは深い。
・・・・・・ 5771,閑話小題 〜今年も多難な年 2017年01月02日(月) * 誰も分からない今年のブラックスワン 去年の初頭に、まさか英国のEUからの離脱と、アメリカ孤立主義のトランプが、 大統領に選出されるとは誰も予測できなかった。これは歴史的大変動を呼ぶ ブラックスワン? 日本にとっての歴史的節目は、蒙古襲来、黒船到来、太平洋 戦争と敗戦である。アメリカがアジア進出の足掛かりとして、強く開港を求めた 結果、鎖国によって曖昧であった体制を、『国家』としての日本を外向きにも 創りかえる機会になった。そして太平洋戦争による敗戦で、アメリカの隷属国家 になって現在に至っている。それが、アメリカの経済体制の弱体化でグローバル 政策を見直すと主張した泡沫候補が大統領に選ばれたというから、日本にとって、 国家存亡の問題になりかねない。トランプの孤立主義は、EUの解体に連鎖する 可能性がある。これを切欠に中国がアメリカにかわって世界に更に進出する。 終戦後、米中の狭間で、巧妙に生抜いてきた日本。それが今年から思いもよらぬ 因縁を露骨につけられ揺さぶりをかけられる。この時代に原爆を持たない国は、 揺さぶりの最も狙われやすい対象。天気晴朗なれど波高し。その先は… ? ――― * 年末の紅白歌合戦、20年ぶりに 年末の紅白歌合戦、この10年、いや20年間、終わりまでみることはなかった。 ところが寝室のTVを買換えたこともあって、臨場感に引っ張られて何と終わり まで見てしまった。これが久しぶりの為か、新鮮に思えた。知らないうちに、 頭が固くなっていた自分の姿が、紅白の番組を通して見えてきた。会場の背景は、 歌に合わせたデジタル映像が主で迫力がある。視聴者が大型液晶TVであることを 前提に進行。長年の間、見続けている人からすれば、私が浦島太郎だろうが。 踊り手などのアナザーに人たちが生き生きとしているのが、高画質の画面から リアルに映し出されていた。誰が主役ということでなく、端役を含めた全員が 主役の時代。恵まれた時代の中で、生きてこられたことを心から感謝している。
・・・・・・ 5406,新年に 〜「新潟県活性」について 2016年01月02日( * 新年に 〜「新潟県活性」について 去年の二日のテーマの内容を、改めて読み返してみて、 この実行は、今さら遅かった、「20年、30年前に、こうすべきだった!」 という「べき論」で、今さらの内容。乗換えの在来線を延長すら出来ない 政治家と住民に、現在進行中の新潟駅再開発の延長としての新幹線の 延長など出来ようはずがない。計画案作成で下りたのが、正解である。 せめて、廃線になった貨物線路跡に、モノレールをつけるべきだった、 これも「べき論」でしかない。「せっかくの新幹線も、宝の持ち腐れ」。 江戸時代の「天領」だった地勢上の有利さに市民が気づいていなかった。 それにしても、踊らされても、面白い経験だった。
多分にもれず、家族の新年会が元旦の行事になっている。 二人ともアラフォーで、わが身の高齢を実感する。そう遠くない先に、 私が欠け、そしてと・・と、家族が、消滅していき、中心が新しい 家族に移動していく。現在、グローバル化で、「国民経済」が、破壊され つつある。家族制度も、戦後、長子相続から、権利は皆、平等の時代に 変わっていった。その上に、パソコン、タブレット、スマートフォンの ネットの時代。ますます、家族制度が、根こそぎ変わろうとしている。 その中で、やはり、国家としての保護政策も必要である。 世界も、日本も、未踏の世界に入り込んだようだ。
・・・・・・ 5041,新年にあたり −2 2015年01月02日(金) * 8年前の「新潟県活性化の会」の案件 昨日の「新年にあたり」で取上げた「新潟県活性化案」を、再認識のため、 当時の随想日記をHP内検索をして、読み返してみた。 今からみると、 時すでに遅しであり、決して不可能ではないが、動き出せば地権者の利権など、 思惑が働いて、大きな難問が立ち塞がることになる。 さらにバブル崩壊後、 地方は、ますます弱体化。30〜40年前なら可能性があったが、今では無理? むしろ石川県の方が、関東、関西、中部地区をカバーできるため拠点基地として、 最適のようだ。 活性化案までなら良いが、これ以上は、一歩踏み込むと、 後にひけなくなる。それを前提と、そのキーマンに当初、釘をさしていたが、 本人は、私を見くびっていたようだ。 あとは、政治家に利用されて、ポイと されるのが落ち。で、計画案が出来上がったと同時に、一切の関与を止めた。 当然の判断だが、実行段階で誰も手をあげる人はいない。しかし一年近くの 壮大?な絵図の計画を想像し、練り上げている自分が、面白くなっていた。 あと、考えられるのが、整備場まである線路を可能な限り延長して、第二 ターミナル駅にして、廃線になっている線路あとを利用した専用バス道路か、 新交通システムで空港までアクセスすれがよい。しかし、それをするには、 新潟県の経済的体力が、あまりに消耗している。面白い、変な世界を、その間、 垣間見ただけでも、無駄ではなかった。で、どう活性化する? いずれ 関東大震災が起こるから、そのための受入れを予め宣言して、そのための 都市づくりに徹した方が良いのでは? 決して冗談でない。 新幹線は大動脈を充分に理解していれば、空港駅までの沿線に、 交通の便の悪い、サッカー場、野球場、そして、元もと近くにある、 競馬場などに県内外の観客を誘導可能になっていた! 地元にいると、 それが見えないのである。新幹線最終駅、飛行場、港、高速道路が絡まって いるのは東京と、新潟だけ。その表日本と裏?日本が直結していることを 開通以来30年近くも気づかない政治家と地元民。で、石川が、とって変わる。 〜以下は、それを過って書いた「活性化案」と、文章。 時、既に遅し? これでも、膨大の時間とエネルギーが入っている。何度か東京まで行ったり、 地元の社長や識者?を集め、議論をしたり、現地を見たり、レジャー感覚で 動いていたので、それなりに面白く、無駄足という後悔は一切なかった。 絶対無理と思えても、手をつけるのが政治家だが・・ それでも、無理? 一年弱でも、こんなことにエネルギーを取られるから、このザマ?*ノωノ)ゥッ
・・・・・ 第四回新潟県活性化の会 ー概要 2006年8月5日 ー 文責 堀井八郎 7月の28日に行われた 「新潟県活性化の会」の概要を、主観でマトメてみた。 ーー *「環日本海拠点都市宣言」をする。 ー冷戦終了後、中国とロシアが自由経済を取り入れ成長。 この十数年で、環日本海の重要度が全く変わってしまった。 これからは環日本海の時代である。 首都圏から新幹線2時間圏の新潟は非常に恵まれ有利な立地にある。 それを高らかに宣言し、全エネルギーを集中すべきである。 このままでは、北陸新幹線開通を機に、金沢、富山、福井 (北陸地区)が環日本海の拠点都市になる。
*日本海時代の象徴として、 首都東京から新幹線の 新潟空港への直接乗り入れを全県総力をあげて実現をする。
*新潟空港までの新幹線延長工事が、 55億?の投資で延長工事が可能かどうか? それを可能にする構想案を一般募集をする。 採用の際には、その案に対して500~1千万円の懸賞を出す。
*まず公共事業ありきではなく、 民間が主導をとって環日本海拠点都市としての機能 ー流通情報基地などーの充実をはかる。
*新幹線延長工事に合わせて、特区構想を、幾つか立ち上げる。 (高層ビル特区、流通特区、チャイナ特区、朝鮮特区・・・) 高層ビル特区は、あらかじめ土地を沿線に買っておき、 二倍〜三倍の値段で売りぬけ、工事代金に振り向ける。 *新潟駅再開発と合わせて2015年の完成を厳守すること。 ーーーー 以上であるが、一つの目標(新潟県活性化)に向かって 知恵を出し合って議論するのも、面白いものである。 それぞれの個性が意見として出てくるのと、 「模擬・県議会小委員会」の議論のようでもある。
・・・・・・・ 2006/10/06 2012, 裸の王様を、「裸!」と言った少年が私? (。^0^。)ノ オッ(*^○^*) ハ〜 ヨウ 去年の暮れに学生時代のゼミの後輩からの 「新潟を活性化するには、如何したらよいでしょうか?」という一本の電話 から始まった数回の「新潟県活性化の会」の効果?が、表立ってきたようだ? (私の一方的な解釈だが) 昨日の地元紙・新潟日報の二面のトップに、新潟商工会議所会頭の何某が 県知事に「新幹線の新潟空港への乗り入れの要望書」を手渡している写真と 記事が載っていた。「活性化の会」の議事録を県知事も見ていたようだから? 手順もあるのだろう。 しかし、「今頃、何をノンビリしたことを!」 「2015年までに、新潟駅再開発工事に便乗して、新幹線を空港まで 開通させなければならないの!!」というのが、みた率直の実感である。 「まずは、在来線を新潟空港まで通して、その様子見をしてから」 と、馬鹿も休み休みに言いなさい!である。でも、このノンビリした 茹で蛙の地方柄から見て、大いなる進歩ともいえようが・・ 私のHPを見続けている人は解るだろうが、表面化した瞬間に私たちの 「新潟県活性化の会」の存在は消されてしまうのは、娑婆経験から 当初から解っている。「裸の王様」に対して「裸だ!」と言って誰もが 認めれば、それで少年の役は終わりである。当たり前のことに誰も 声を出さなかっただけだから・・
「新潟空港への新幹線の乗り入れ」は、「真っ当な人」なら誰も解っている。 その真っ当な人間が、政治家や地元の商工業者には皆無であった!! という事実は現状からみれば解ること。 裸の王様は誰だ?そう、 目先のことしか見えない県会議員と市会議員と、地元の代議士と、 新潟財界人である。金と票にならなかったのだろうか!!?? だから私が呼びかけた地元商工業者の人たちは、新潟空港への 新幹線乗り入れを当たり前のことと受けとめ、諸手をあげ賛同してくれた。 「政治家も、大物?商工業者も、目先のことしか見えなかった」と、 さすがに言ってはいないが、しかし・・ 環日本海時代の到来に無頓着で あった!のは間違いのない事実である。北越新幹線の開通を目前にして、 新潟県の置かれている危機の重大さに気づいた。 * 何ゆえに、冷静にみることが出来るのか?といえば ・新潟駅前でホテル業を25年間、営業していることと、 ・全国を渡り歩いていること、 ・25年間にわたり長岡〜新潟間を新幹線通勤していること、 ・私が地元財界からみれば「アウトサイダー」で利害関係がないこと、 ・20年間以上、成田と羽田を年二回通い続け、 飛行場と駅(特に首都)へののアクセスの重要性を実感していること、 もあり「新幹線の飛行場駅の乗り入れ」を客観視できたこと、などである。 25年前に、新幹線を飛行場まで通していたら、新潟は今や「環日本海都市」 として、全く違う都市になっていた!飛行場周辺にサッカー場・野球場や、 佐渡汽船の乗り場を移動するとか・・ 新潟駅周辺の商業集積の機能と 結びつき、「独特の面白い都市」になったはずである。 何もしなくとも、それが特区になっていたのだ。 一本、新潟島への橋かトンネルの投資を新幹線に向ければ良かったのだ。 ただ大手ゼネコンの利益にならなかっただけだ。 改めて新潟県をみると、環日本海時代に本当に恵まれた立地にある。 「あと僅かの投資で、東京駅から飛行場の登場口まで直結でき、 それが首都圏からみたら、非常に魅力があるに決まっている!」 ということが何故解らないのでしょうか ?? 「地元住民にとって、本当にプラスでしょうか?」だと? 「ボケ!」と言ってしまえばお終いだが・・ 「新潟経済が発展して、初めて地元住民もプラスになるの!」
・・・・・・・ 今日は「新潟活性化の会」 2006年7月28日 ー文責 堀井八郎 これで4回目になる。 あと一回で私の役割は終了。 地域活性のデザインつくりに加わってみて、 なるほどプロセスに筋が通っているのが理解できる。 本来は代議士と市議会がすべきことだが、当事者は目が曇るのだろう。 転がっている球は自分では方向転換できないのと同じだろう。
アウトサイダーの生き方・視線が少しは役に立っているようだ。 ただ、アウトサイダーとしては、のめり込まないことだが・・
このプロセスの中で気づいたことは新潟県は危ない!本当に危ない! 日本が危ない!ということと同じだが。
金沢は富山と福井を従え、その後背に関西を控えていて、 これに関東が直結する。金沢が環日本海の玄関として拠点都市 になって至極当然である。森元首相も、まだ当分隠然たる政治力 もあるし、それに引き換え真紀ちゃん、 あまりにも・・・?ここでは、まあいいや。
手をこまねいているのか新潟よ!という感があるが・・ でも材料が無い!いや、本当に無いのだろうか? よく目を凝らしてみたら、過去のインフラが膨大にあるじゃないか。 高速道路、 新幹線、 飛行場、 港・・・
無いのは戦略構想が無いというから・・・ 頭の足りない巨人と同じである。
・絵図・絵図!!環日本海都市としてのデザイン描いて、 知事と市長が馬鹿みたいに言い続けなくてはならないの! そして東港とか西港の空き地に何を持ってくるか考えるの! ・そして特区とかを造るの。東京都新潟区という隠れコンセプトを作るの! ・飛行場に乗り入れるの、それも新潟駅再開発の完成に合せて!
これをゼロからやれ!といっているじゃないの!ホボあるんじゃないか。 無いのはグランドデザインでしょう!
・あと数パーセントの投資で拠点都市のイメージと明確な位置づけが出来るの! ・20数年前に飛行場まで開通させておけば、新潟は変わったでしょ! ・飛行場周辺に、中国・韓国・ロシアの物流と情報基地が出来ていたでしょ! ・サッカー場も、イベント場も、佐渡観光も行きやすくなったでしょ! ・北関東圏の人は北海道、九州、沖縄、韓国、中国の飛行ルートも 新潟になっていたでしょ! ・新潟競馬場も至近距離にあるので、もっとお客を呼べたでしょう! ・中国特区とか、ロシア特区もできていたかもしれない?でしょ!
新潟は東京の天領だったの! それを生かさなくては! 北海道に向けて、飛行場の近くから船が出ているでしょ! これだって飛行場至近に貨客船乗り場を造ってやれば?
お客、お客、お客の立場で見てみたら・・ いくらでもネタはあるじゃない? 小手先のイベントを持ってくるとか、 野球場とか、サッカー場だってどうだか?
要は新幹線なの!もう一度言う! 「かなめ」は、新幹線なの!
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2018年01月01日(月)
閑話小題 〜2018年: 新年にあたり 数年分の大晦日の総括を読んで思ったのが、政治家でも、もの書きでも、学者 でもないのに、我ながら真面目くさって書いているものよと驚いている。第三者 からすれば、この感がより強いはず。何のためというより、自分自身のための 新しい知識と、情報と、節目の気持ちを垂直にたてた?備忘録にもなっている。 内的生活の公開にもなるため、言動の自己調整の役割もある。 これを続けていると、心が落ち着き、脳内を真空に近い状態に保つ効用もある。 去年後半に思いついたのが対立軸を持った複数の視点を持った対話形式。自らを 「珍獣」と卑下?し、具体的に書けない対象を「珍ころ」とした対話形式で、 問題を浮かび上がらせた。「珍獣」は野良犬か、野良猫。「珍ころ」は座卓犬 などのペット。アメリカの動画投稿に出てくる、屋敷内に闖入した、穴熊、狐、 時には鹿。「珍ころ」は飼犬との争いになる。「珍獣」は人間社会のルールを 知らないためか、早々に駆除される運命にある。これも、人間が命名しただけ。 人生を俯瞰すると、どうしても、この対立軸の壁に直面する。特に節目に。 また「珍獣」の北朝鮮。「珍ころ」を韓国、日本。飼主は中国と、アメリカ。 但し北朝鮮は中国の「珍ころ」が野犬化して「珍獣」化し、あとは、薬殺か、 射殺か、兵糧攻めの餓死の一歩手前状態。 その隣国の日本は、その恐怖から 目を逸らすため「東京オリンピック」に精を出すしかない。時を同じくして、 あと一年数ヵ月で「平成」に年号が変わる。 今年は、更に緊張が高まり、開戦一歩手前事態に。いや、既になっている。
熊さん: 何か、ドエライ話なっているが、本当に戦争が起こるのかい。 大家:「気違いに刃物」が北朝鮮の核弾頭なら、アメリカは必ず攻撃するよ。 八つぁん: まずは今月前半が2割の確率とみるが、絶対にない!と祈りたいよ。 大家: そりゃ開戦ともなれば、数百、一千万単位の死傷者が出るよ。 八つぁん: 悪いことに、日韓の殆どの人がスマートフォンをもって、殺戮現場 の写真が、こと細かく世界に受・発信される。でも開戦しかないだろうね。 熊さん: 東京か、稼働している原発に打込まれると、日本は壊滅じゃないかい。 既に、かなりのスパイが潜入しているから、どうとでもなるよ、この国は。 大家: 私の推測だが、2〜3年内なら9割の開戦確率? になる。ということは、 東京オリンピックの開催は、9割はない? その前の冬季オリンピックは? 八つぁん: 心構えの糸だけは張りつめておいた方がよいということ。有得ない ことが起こるのだ娑婆。人生を俯瞰すると、大方がそれで決まっていたよ! 熊さん: そういわれると、これが常日頃いわれる「ブラックスワン」ですか。 これじゃ夢も希望もありゃしない。紅白で、女子高生達が、バブル期の 服装で、バブリーダンスをしていたが、分かるよ、それ! 同じ阿呆なら…
・・・・・・ 5770,閑話小題 〜新年にあたり 2017年01月01日(日) * 新年は何か哲学的になるような 毎年、『新年にあたり』の内容を読み返すたび、新鮮な気持ちのためか、 世界の潮流や、哲学的な内容に我ながら驚いている。少し大げさな感がするが… しかし、地球環境の大変動期に入り、政治経済も、情報機器の果てしない進化が 根こそぎ、私たちの現実生活のパターンを変えていることも事実。 1ヶ月前から量販家電のTV売場の散策をしているが、TV売場のメインステージ には、55、60、65、75インチのアンドロイドTVが展示されている。売場全体の 3分2が40インチ以上。 ソニーとパナソニックの殆どがYoutubeなどが見れる 検索機能付コントローラが主流。画面も格段と鮮明になっているが、数割高い ので、リタイア後の身にとって躊躇する。 これは、白黒からカラーTVや、 ブラウン管TVと液晶TVの段差より大きなインパクトがあるようだ?。7年近く前 の我家のTVとは雲泥の差がある。これはTVというより超大型情報端末。 テレビと、タブレットPCを購入して6年前後も経っている。パソコンは8年モノ が二台、今でも現役で使っている。 地球外からの視線を仮想して、「お前は地球に何しにきた?」と言われれば、 「手付かずの大自然の創造物と、進化した猿の人間が、文化と文明を広く深く 見るため、政治経済、芸術などに順応、手助けに来ました」と答えるだろう。 ならば、TVとネットが融合した情報端末で、まだ見ぬ大自然と、芸術作品を、 これをフルに使えば良いことになる。 家電売り場のTVの前のベンチに座り、 茫然と見たが、その世界は異次元世界であった。 パソコンでみたムササビスーツの滑空映像が、これで見てみると、臨場感が 更に高くなり、たまらなく面白い。今年は、360度視界のバーチャルリアリティ の眼鏡が本格化しそうだが… ÝouTubeで4kカメラで撮った映像を、4kTVで みる時代である。裸眼で見る世界より、遥かに鮮明とは、これ如何に! 半面、 科学は人間を滅亡に… 数年しか残された人生は無い?と、自己設定をすると、 世界は銀色に輝き光る。 やはり、<死んでしまえば、それまでよ!> 生きていればこそ、甘じょっぱい。 2017年元旦 AM5時半 少し寒い。
・・・・・・ 5405,2016年 新年に 〜すべては1979年から始まった 2016年01月01日(金) :『21世紀を方向づけた反逆者たち 』クリスチャン・カリル(著) 新年明けましておめでとうございます 今年もよろしく! * アラブ人の欧州への民族大移動 「21世紀は、重苦しい世紀になるだろう」という予測どうりに、テロと 恐慌前夜の黒闇が世界を覆ってきた。ここで、「現在おかれている問題の全て が1979年を基点としている」と説いていう。グローバル化と、オゾン層破壊に よる天候不順などによる不安定な状況下で、狂信的イスラム教のISなどの テロと内戦から逃れてきたシリア難民問題。100万規模の欧州への流入問題は、 イスラム教徒のキリスト教徒圏への民族大移動の様相になっている。 この起因のすべては、1979年から始ったという説。一考に値する内容である。 第一次・第二次大戦、冷戦下で、数百万、数千万人が虐殺されたが、 情報化社会では、それが白日に曝されるため、不可能。 〜その辺りから〜 ★ すべては1979年から始まった ≪ 21世紀に入って、世界は年をおうごとに混乱をしてきた。第一次・第二次 大戦と、東西冷戦の後の20世紀から、新たな世界の移行期の混乱である。 現在の世界の混乱は、『すべては1979年から始まった』という切り口が良い。 イスラム対キリスト教の対立は7Cから始っていたし、自由主義と社会主義 の対立は20世紀早々に始っていた。しかし二つの大戦後からみれば、1979年を 基点とするのもよい。 〜まずは、アマゾンの内容紹介〜 【 なぜ、イスラム主義者や中国、市場原理主義は、ここまで台頭したのか? 「市場」と「宗教」が支配する21 世紀を運命づけた時代の転換点と主役たち を丹念にたどったリアルで刺激的な実録・現代史! 1979 年は、サッチャーが首相に就任、�眷小平が経済改革を開始、 ホメイニーがイラン・イスラム共和国を樹立、ヨハネ・パウロ二世が 祖国ポーランドを訪問、ソ連の軍事侵攻によってアフガン紛争が始まった年。 本書ではこれらの出来事とその背景が詳細に描かれ、市場と宗教が社会主義 に替わって社会を再び動かし始めた1979年が歴史の転換点であり21 世紀の命運 を決めたと論じる。一見、無関係に見えるそれぞれが、実は「社会主義」が 大きな影響力を持った60年代にピリオドを打つ点で共通していたことが浮き 彫りになり、現代史に深く切り込んだドキュメンタリー映画のような作品。】 ーネットビューアー の評論よりー 《 21世紀の世界に大きな影響を与えた人物たちが登場したのは1979年である という著者の考えを、数多くの証拠ともいえる事例を通して明らかにして いく著作。こうして本書を通読してみると、この時代の出来事がお互いに 絡み合いながら、現代に繋がっていることがよくわかる。 ・ホメイニによるイスラム革命が隣国アフガニスタンへ共産主義勢力への反乱 を引き起こし、これがソ連を弱体化につながるアフガニスタン侵攻になる。 ・また、共産主義体制のポーランド出身のヨハネパウロ2世という教皇の 誕生も、東欧の共産主義体制崩壊への道筋を開くものとなった。 ・中国では、�眷小平が実権を掌握し、79年に中国の急激な経済発展の きっかけとなる改革が始まった。 ・イギリスではサッチャーが登場。新自由主義を標榜し停滞していた イギリス経済を見事に復活させる。 ――― ☆ 印象に残った文章は次の通り。 :「ホメイニはマルクス主義のレトリックを盗用し植民地支配主義や 不平等を非難するイスラム過激派のブランドを作り出した。」 :「ヨハネパウロ2世がいなければ、連帯運動はなかっただろう。 連帯がなければゴルバチョフもいなかっただろう。ゴルバチョフが いなければ1989年はなかった。」 :「サッチャーと�眷小平の二人とも業績を上げるための適切なインセン ティブの重要性を強調し、一定の不平等は許容されるべきと考えた。」 ◎イスラム過激派によるテロの脅威。市場経済を導入した一党独裁国家 ◎中国の経済的台頭。新自由主義による格差の拡大。などなど現代の 世界の多くがこの時期に形作られて行ったというのは実に興味深い。 それにしても、これらの反逆者たちが登場しなかったら世界はどのような 姿となっていたのだろうか。少なくとも、本書で描かれているアフガンの 賑わいは続いていたのかもしれない。 ――― ▼ 第一次、第二次大戦、冷戦は、国対国、あるいは世界を二分にした 戦いだった。しかし、現在のテロを戦法にした戦いは、数人で、いや 一人でも実行できるため、防ぎようがない。ネットで、情報網が隅々まで 張リめぐらされている。そこには当然、狂信的思想も自由にいきかう。 その上に、ドローンというミニヘリで爆弾の宅配便が可能ときている。 人類は21世紀で終わってしまう可能性があるという。これが徐々に現実味 をおびてきた。「世界は既に恐慌とテロ戦争に入っている!」は、大袈裟? ・・・・・・ 5040,2015年の新年にあたり ー1 2015年01月01日(木) 新年明けましておめでとうございます 今年もよろしく!○┓ まずは身近な話題から。 北陸新幹線が3月にオープン予定だが、この開業 が新潟にどのように影響するか。 金沢の衣料チェーンに20歳代半ばに、 一年半ほど修行を兼ねて勤めていたこともあり、その辺りの土地感が少しある。 観光資源が非常に恵まれており、名古屋など中部圏、京都、大阪などの関西圏 からも近いことや、加賀百万石の歴史があり、能登半島、白山連邦、若狭湾など、 観光資源の雲泥の差がある。そのため、新潟県には、マイナス効果が甚大になる 心配がある。オープンすれば、日本海側の拠点基地としての本幹が北陸新幹線に なってしまい、上越新幹線は袋小路の枝になる。現在の日本と中国との関係に 似てる。10年スパンで一度の割りで、車で遊びに行くが、数年前に行って驚い たのが、着々と進んでいるオープンに合わせた道路網などの整備。 北陸三県に とって、この開通は、大きなインパクトを持つことになるが、新潟にとって? 8年ほど前に、新潟県の活性化対策案を学生時代の友人に頼まれて、 知人の経営者を集めて知恵を借り、共同で半年がかりで作成したが、その対策を ほぼ実行してないのが実状。次回に、当時の活性化案について、取り上げるが、 要は、新幹線を新潟駅の先にある整備線路を延長した新潟新空港駅をつくって、 日本で始めての飛行場・新幹線乗り入れをし、新駅までの沿線に、アジア大陸に 向けた拠点にすべきという案である。としても、時すでに遅しだったかも? この時点から、新潟県の中越地区の地震が立て続けに起き、リーマンショックに 至り、トドメが、東北大震災となり、あっ気なく事業がダウン。活性化案の作成で、 私たちの役割は終了したが、今から考えてみて、もう新潟県には、それを推進する 力が無くなっていた。実感したことは、角栄が残した高速道路、新幹線などの インフラの遺産に対し、その価値が全く見えてなかったことである。 新潟市は、江戸時代の天領で、幕府直轄の飛地の意味が庶民には分からなかった ということ。新潟にとって、いやアジア大陸からみたら、世界地図は、ひっくり 返してみれば、この飛地の価値が分かるはず。しかし、その価値は石川が遥かに あることも事実である。 としても、飛行場、港湾基地、新幹線終着駅、高速道 などが、重なっている日本海に向けた天領という要素を含め、政治家があまりに 小物しか出てこなかったということになる。私の学生時代の交通アクセスの 専門家の友人が曰く、「何をしてきたのでしょうかね!」という言葉が残った。 達磨つくって、目玉入れず! ということ。この数年、ここで書いたことが 大問題となる?いや「見て見ぬふり、見ても見えず」。あの首長のア??二人! 実は、これ少なくとも30,40年スパンの政治課題、あの二人様に関係ない? ・・・・・・ 4673,2050年の世界 ー24 2014年01月01日(水) * 人口の配当を受ける成長地区 「2050年の世界 ー英『エコノミスト』」 第一章のまとめ 人口の配当を受ける成長地区はここだー の要点から ・人口動態はある程度確実に未来が予測ができる指標であり、すべての予測の基礎。 世界的趨勢として高齢化が進み、世界の平均年齢は、二〇一〇年から二〇五〇年 までに九歳上がって三八歳となる。富裕国では、百歳まで生きることが普通になる。 ・その中でアフリカは人口が増大化し、労働年齢人口も増え続けるという入口の配当 を受ける可能性が高い。二〇五〇年までに予想される人口増加分二三億人の半分は アフリカで増える分だ。 ・中国の人口は、二〇二五年に一四億人でピークを迎え、その後減少に転じる。 ・人口の都市化も大きく進む。二〇一〇年には、世界人ロの半数が都市部に 居住していたが、二〇五〇年には七〇パーセントに近づくと予想される。 ・人ロ増大にともなう、地域紛争の激化はない。 ・今後四十年間、世界人口の増加のほとんどは、温室効果ガスの排出が最小水準 の国々で生じると予想されるため、二酸化炭素や化学物質が激増する結果には 必ずしもつながらない。しかし、増えた人々がどう生活するかで結果は変わる。 ・出生率は世界的に低下し、二〇五〇年には二・一になると予測される。 その結果・世界の人口増のスピードは減速し、やがて人口増加はとまる。 ・出生率の低下は、ある世代のみが突出して多いという現象を生み出し、 その世代が年齢層のどこにいるかで、その国の経済が変わってくる。 この出っ張り世代が子供から労働年齢に達したとき、その国は急成長する。 これを「人口の配当」という。さらにその世代がリタイヤし、 被扶養世代になると、その配当は負に変わる。 ・これから人口の配当を受ける地域は、インドとアフリカと中東である。 しかし、若年層の膨らみは政治的な不安定要因になる。 ・これから人口の負の配当を受けるのは、日本と欧州、中国である。 ほかとは比較にならないほど人口動態の負の配当を受けるのは中国だ。 安い労働力による世界の製造工場の役割を中国は終える。 日本は世界史上未踏の高齢社会になる。 ▼ 日本と欧州は大きく衰退、中国は、当分の間「人口の配当」を受けた後、 衰退する。その間に、日、米、韓国と、中国との戦争も充分に有り得る。 「地球上の繁栄の重心地域は地球を左手回りに移動する」という説がある。 中国からモンゴル、欧州、そして現在はアメリカである。これから中国・ インドに当分の間(30年)、重心が移動。その後、インド、アフリカに移動 していく。消費人口の増大が、年月をかけて質に転化していく、ということ。 情報化による知識の均質化が、その後押しになる。「37年先の2050年の逆、 1977年に遡り、現在を予測できたか?」というと、遥かに想像を絶した世界 になっている。情報機器や、科学技術の進化の加速からみて、予測不能。 その証明の目安として、この予測が使われるとしたら、少し物足りない内容。 ・・・・・ 4308, 新年明けましておめでとうございます! 2013年01月01日(火) * 新年、つれづれに 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします! 新年の文章を書くにあたって、これまで書いた元旦の文章を読み返してみた。 それぞれの時代背景にした紛れのない自分と出会っているようで懐かしいが、 この感覚こそ書き残す秘儀(意味)がある。読み返してみると年々、時代背景 が厳しくなっているのが分かる。一昨年から一線を退いたため、どうであれ、 直接的リスクは無いが、その厳しさは尋常でない。 悪い悪いと騒いでも、 一線に立っていればこその問題。恐慌という名の大津波が来ようが来まいが、 今のところ今日明日の生活に変わりはしない。不安も期待も妄想でしかないが、 現実の大津波(恐慌)は現に足元に浸水してきているようだ。 去年は数年来の中で比較的安定?した年だった分、今年に持ち越された。 恐慌で直接的に影響を受けるのは、年金生活者と零細・個人事業者の弱者。 その辺りの悲鳴が聞こえ始めているが、実際のところ、本格的恐慌は起こって みないと、具体的事態か分からない。やたら狼少年みたいに「大変だ大変だ」 と、ことさら騒ぐこともない。 騒いでいるのは、最初に直撃を受けた私ぐらい? 頭が切り替わってない以前の感覚で、この事態をみているため、新年早々から、 こうして書いているだけか。暗い話は、そのぐらいとして、昨日、談志の 「芝浜」を再放送でみた。今まで5〜6回はみているが、何度みても良い。 行商をしている、魚屋の主人公に談志が乗り移った演技が鬼気迫る。 本人が何かの座談で、「魚屋のオヤジが、自分を支配し話をさせている」と言った のを思い出しながら聞いていた。形相は、芝浜世界の魚屋行商の勝そのもの。 TVの罪悪について、ことさら言うが、こういう名人芸を茶の間で横になって 聞くことができる良さもある。独り、部屋で、本を通し芝浜世界の落語を読む のも良いが、魂の全てを投げ打った名人芸を居間で聞くのも悪くない。 ということで、今年も、さらに独り遊びを切り開いていきたい。 平日二時間、図書館での長編小説世界の沈殿?
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