堀井On-Line



4886,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー44

2014年07月31日(木)

   * つれづれに 〜赤いカップ制度(仕事のゲーム化)    
 話は実家の量販店時代に戻る。 まずチェーンストアの統一伝票を導入して部門別管理を
採り入れた経緯を以前に書いたが、その後日談になる。 その「仕事のゲーム化」とは・・・
【 本店ビルを建てかえ、部門別管理をゲーム化した『赤いカップ制度』を始めた。
 そして劇画のような?日々になっていった。まず部門責任者と、それぞれ年次売上予算と
利益予算を決め、それを月次、日次予算に落とす。そして各部門単位のレコードの曲を決め、
予算達成をすると総務に連絡、店内に、その曲流す。それで社員の誰もが、どの部門が達成したかを
知る。早い部門だと、日祭日などでは、二時間もしないうちに流れることもある。逆に、流れない
部門は、一週間、二週間経っても流れない。
その上、車座に並んだ朝礼で、成績順に並ぶ。 更に月次で一番営業成績の悪いところが、
一ヶ月間、15分の早出で店頭掃除をする。 早出代として毎日千円、月3万円を割り出し、ベストの
部門全員に近くの趣味の店のコーヒーカップ・シリーズを、景品として贈呈。 逆にワースト部門は、
真っ赤に塗ったカップを、売場の何処かに置いておく。(これを現金にするとリアルな競争になるため、
若い人が楽しめて仕事が出来るように配慮をした。) 結果、担当の能力が明確に現出するため、
不振の責任者は追込まれる。これに利益率を換算した結果が明示されるため、責任者は
堪ったものでない。その上、週初めのチーフ会議も成績順に並ぶ・・ 仕入が当てればよいが、
外れると、パートまで・・ 担当者には仕入れ権限も大幅に与えられているため、
それぞれが商店主のようなもの・・ 】
 ▼ 必死さが生み出した仕組みである。都会のファッション専門街ビルは、活性化のため、
不振店を自動的に排除をするシステムで競わせているが、同じようなものだろう。 私が辞めた後に、
反動でピンク一色になったのも当然。桃色は同時に赤色(赤字)も?伴うから始末が・・・ 
35年前、こんなこともありました! 
ーー
2013年07月31日(水)
4519, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー5
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 日本エッセストクラブ編の‘11年版ベストエッセイ集’の「老いた人、瀕死の人にも希望を」が、
二人の説を裏付ける内容。医師も若い時には、その不条理に思い悩むが、何時の間に、
その世界に染まってしまう恐ろしい世界でもある。  ーまずは、冒頭の一部を抜粋してみるー
《 * 老いた人、瀕死の人にも希望を  ー榊睦子
 この春、研修医になって独立した息子が忙しい勤務の間を縫って帰って来た。元気がない。
就職したての頃の笑顔が消えている。「仕事はどう?」と水を向けてみる。「愚者さんの最期を
看取ったよ」と息子。「薬が殺したようなもんだ。」 どきりとする。息子の話によると、その六十代の
終末期の癌患者は、一%の成功例しかない治療薬を処方された直後に亡くなったという。
もちろん主治医は患者を救う努力を続けて来たし、患者と家族との間でインフォームド・コンセンも
なされている。主治医には何の落ち度もないのだが、息子は、善意の陰に見え隠れするもの
 ーその治療薬の臨床例を増やしたい、百に一つの成功の快感を味わいたいーを見落としては
いなかった。彼は立場上、主治医に対して異を唱えることのできなかった自分を責めているのである。
「希望」はすべての人にある。余命幾許もない人にもあるはず。この患者は、もしかしたら、
それを奪われてしまったかも知れない。それから数ヶ月経って息子から衝撃的な話を聞いた。
同僚の研修医が自死を遂げたという。原因は不明。大変、優秀であったその研修医は、
「笑顔しか思い出せない」と息子が言うほど、明るく穏やかな人。彼に一体何が起きたのだろうか。
 次は看護師をしていた娘から聞いた話。白血病の末期であったその少女は、亡くたる数日前に、
窓の外に自分がいると言って怯えはじめたが、次第に落ち着きをとり戻し「お母さん、がっかり
しないでね。泣かないでね」と母に言った後、昏睡状態に陥り、眠るように亡くなったという。
少女はその生涯で一番大事な仕事ー母を慰め励ますことーをやりとげて逝ったのである。
死に行く人にも希望はある。それは前途洋々たる人の場合、桁遠いに重く大きい悲願と
言っても良いのでなかろうか。・・・ ≫
▼ 一%の成功事例しかない治療薬を提示すること自体問題だが、同じ死ぬなら、
それに挑戦するかの判断は本人次第。当事者になってみなければ分からないことだが、
私ならどうだろう?早く逝けるなら前倒し?・・ 医師も難しい職業である。人間は全て、死んでしまう。
結局は延命の手助け。これも必要だが必ず限界がある。その上、ビジネスの要素も関わってくる。 
現状の医師と病院システムで中では、自分が判断するしかない。
・・・・・・
2012-07-31
もうこれは世界大恐慌 ー
               「もうこれは世界大恐慌」朝倉慶著
   * あの債権は、何処にいったのか?
  不思議でたまらないのが、リーマンショックの原因となった不良債権の行方である。
バージン、ケイマン諸島は、世界の金持ちが金融口座をつくって脱税をするものと思っていたが、
不良債権を塩漬けにする基地でもあった。そこに飛ばしておけば、鉄の塊に金粉を塗装して置いて
おくようなもので、実際の金か鉄の塊かの調査権が及ばない。 永久に隠しておけば良いが、
そうはいかない。もしかして永久に抹殺して封印して置くことも可能なのだろうか。どうだろう?? 
そうすると、6京円の不良債権は大変だと不安がっている私たちの方が無知ということになる。
どうなっているのか金融の世界は?
 ーその辺の記載をコピーしてみるー
≪20年前のバブル期に大損した損失は今だ表に出てこない。このオリンパスの粉飾はたった
一社特有のことなのだろうか?  オリンパスが使ったタックスヘイブン、バージン諸島、
ケイマン諸島には大金持ちの資金だけでなく、隠れ借金が膨大に隠されている。
日本のバブル崩壊の100倍のスケールといわれたリーマンショック後、巧みに封印され
隠されてきた欧米金融機関の膨大な不良債権も、やはりこれらタックスヘイブンに眠っている? 
ジェットコースターのように激しく上下したオリンパス株は、なぜあれほど上下に動いたのでしょうか?、
裏に何かあるのでしょうか? すべての矛盾が複合的に絡み合っています。
様々な点が線に結ばれる時、いよいよ資本主義という世界の屋台骨が怒濤のごとく崩れ去るのです。
恐ろしくも激しい、驚愕するような大変化のドラマが始まろうとしています。一体昔の損失はどこに
消えたのでしょうか? リーマンショックの後、欧州では大々的に会計制度を変更しました。
当時レベル3と呼ばれた証券化商品でしたが、このレベル3の商品に関しては時価評価をする
必要がない、と欧州当局はお墨付きを与えたのです。通常サブブライムローンを含んだ証券商品は
当時ではほとんど無価値と判定されていたのですが、いわゆる金融破綻を避けるための当局の
緊急措置として時価評価したら欧州のほとんどの金融機関は実は債務超過となるからです。≫
▼ 世界中の政府が口裏を合わせて、地下深く隠して表に出さないと合意していたら、
 短・中期的は表に出ないで済む。要は、金メッキをした金と分かっていても、それを本物の金として
認め、金庫を開けない約束を国家単位で決めれば、それで通ってしまうのが金融の世界ということ
なのか。1千兆円の日本の国債も永久国債にして塩漬けにする手がある。金利が上がったら、
その分の永久国債を刷ればよい。何せ永久に返済無用。何時か破綻が来るというが、そんなのは
知ったことはない、というのがその時点時点の権力者である。日本のバブル崩壊は、大部分の
都銀と、幾つかの証券会社と、多くの会社が倒産、吸収合併で消えて無くなった。
やはり何時までも隠し通せる訳がないのが現実である。 私も既に世界は恐慌に入っている
という論である。
・・・・
3779, ユング ー13
2011年07月31日(日)
     * 箱庭療法 ー2
  ☆ ゲニウス・ロキ <その場所や土地に宿る「精霊」>
 どの村、国にも聖地があるが、殆どの家に仏間と祭壇がある。家だけでなく、守護霊が、それぞれの人間の魂に
いるという説がある。それを箱庭の中に表出させるのだから、興味がわいてくる。人間の脳は、20億年以上の
生物の進化が創り出した得体の知れない機能の塊。 箱庭の作品の写真をネットで見ると、底知れぬ人間の
潜在意識の奥行きの深さの一端を見ることができる。
≪ ーつづきー 「箱庭療法」では、「ゲニウス・ロキ」を重要視する。 古代ローマの思想では「ゲニウス」は
「精霊」、「ロキ」は「土地」を表していた。「ゲニウス・ロキ」で、<その場所や土地に宿る「精霊」>という意味。
その時その場に宿った力(精霊)が、無意識の深層心理の神話的な力と結びつき、それが創造力となり箱庭」に表現される。
この「ゲニウス・ロキ」を実現することが、治療者の「見守る」行為。実際になにもしないが、大きな精神力が必要になる。
「見守る」とは言っても、治療者ではない一般の人が「見守る」のとは、異なる。「箱庭」になにも表現されないセッション
でも、治療者が作り出した「ゲニウス・ロキ」のなかで、患者の内面では変化が起きてくる。それが、二回以降のセッション
で現われてきます。初めの数回のセッションでは落ち着きがない被験者も、その数を重ねることで、徐々にまとまりのある
箱庭を作るようになる。箱庭という守られた空間に自分の気持ちを繰り返し表現することで、その課題が浮かび上がる。
それは、あくまで遊びの中で行われる。遊びの中には、成長をするための要素が多く含まれている。≫
▼ その箱庭が、玩具の配列で、精霊が浮かび上がってくる。 箱庭の解釈は、大ざっぱにいうと、左半分が内面を、
 右半分は外面を、手前から上に向かって現在から未来へと向かう。ところで、聖地は典型的なゲニウス・ロキが在る
ところに存在している。その周辺には必ずといってよいほど、岩場が存在している。ピラミッド、中南米の古代の聖地、
ギリシャの神殿、エルサレムなどは、その典型である。 もう一つは立地上、民族の存続上に大きな戦略的拠点でもあるが。
箱庭療法、一度は、やってみたいものだが。
 ・・・・・・・
2010年07月31日(土)
3414, 「憎国心のすすめ」
 18年の海外生活から帰国した著者が大分の山中に居を構えて5年、変わり果てた祖国・日本を憂えている。 
ここで、ひとりの地元青年とのやり取りを通して、日本再生には愛国心ではなく憎むという感情、いわば「憎国心」
が必須と説く。最近は著者の見方にかなり感化されてしまったが、老化からくるマイナーの見方でもある。
しかし「憎国心のすすめ」は極論になるが、それで日本人にアメリカの間接統治を知らせたいのである。
それを前提にしないと国家改革など不可能である。 日本は、いまだ長年にわたった洗脳で思考停止状態にある。
その実態に憎悪心を滾らせないと、真の己の姿が見えないというのは至極当然のこと。
  ―印象的な部分をランダムに書き出してみた―
《 愛ではない。この日本を救うのはむしろ、憎むという感情、いわば憎国心だ!・・・ 愛するために憎む。
 想うために考える。この日本を。「俺の仕事の動機はいつも怒りと愛だ」と私は無理に続ける。
「悶死したくなるような怒りの先に愛が見える。そのとき、仕事をする情熱が生まれ、行動の意味が完結する」
「ははぁ・・・」「日本に帰ってきてから、怒りはほとんど極限に達している。でも、その先の愛は見えない。
 だから、もっと、徹底的に憎国心を高ぶらせる」「ゾー・コ・ク・シ・ン・・・ですか」「無論そんな日本語はない。
いま、とっさに考えついた。愛国心の相対だ」「ははぁ・・・」「憎国心さえもっと鍛えれば、もしかすると、
死ぬ前に、もう一度この国を愛することができるかもしれない」》
《 日本人を一言で要約すれば<考えない>ということであり、―ジャップ(日本人の蔑称)は考えないという
 特殊能力を持っている、ということになる。人間が考えないでいられるというのは、ムズカシイ以上に実に
ありえない不思議な才能であり、特殊の才能である、特異能力とも呼べるものであり、貴重な力となりうるからである。
<考える>という根本は、まず疑問が無くてはならない、それからしてジャップには無い。次に推理、次に分析、
最後は統合。この4段階、どれもない。疑問がないのは、比較感覚がないからということになる。
比較がないから、考えない。・・・・ 》
《 中村元「日本人の思惟方法」の引用からー
 (日本人は)西洋人の目には、シナ人などよりはるかに浅薄な印象を与える。日本人自身は世界の文化を
 総合したつもりでいるが、じつは単なる便宜主義的な無反省な折衷混合状態に陥っているおそれが少なくない。》
更に著者は日本人を嘆く。
《 「一言で言えば日本人は他律的な民族だということである。それは縄文から続くわれわれの本性だったのだ。
 他律とは、(自分の意志によるのではなく、他からの命令や束縛によって行動すること)であり、カントの用語
 によれば、意志が理性の命令でなく、感性の自然的欲望(傾向性)によって規定されること、である。」
「すべて。そして誰かが操作している。このにほんじんの本性を、骨の髄まで他律的であることを知っている誰かが、
どこかの国が、どこかの民族が、その欠点をたくみにつき、利用し、一層助長させ、推進させ、摂取し、操っている。
 そして、これほど歴然としている数々の証拠実例を、なぜ人々は気づかないのか?」》
  ー著者の視点で人生を振り返ってみると、アメリカの属国としての価値観を疑いもせず、
あくせく生きてきただけ?になる。
・・・・・・・・
2009年07月31日(金)
 3039,「自信を与えてくれた人」
 何気なく見ていたブログに紹介してあった一文。世の中には心を打つ色いろな出会いがあるもの。
本人にとって何にも替えがたい自信になったろうし、前向きにさせてくれる出会いである。ネットで調べたら、
この人の漫画は何度も目にしたことがあったが、軽妙な暖かい人物像を描いている。その「元気を与えてくれた人」は、
数寄屋橋の絵の中の何かに共振をしたのだろう。その絵に感動し十五年後に買い求めた人と、その絵を見てみたいもの。
《 あれは今から二十年も前、私が二十二歳のときです。私は数寄屋橋で風景画を描いていました。
 ええ、まだ数寄屋橋の下にはチャンと川が流れていたころです。 私の描いた油絵を、大勢の人が見て通るんですが
一人だけ、三十分も一時間もそばで見ている人がありました。そして最後に私の住所と氏名をきいたんです。
そのときはそれっきりでしたが、五年前にその人から手紙をもらいました。「あなたは忘れているかもしれないが、
私はあのとき住所をたずねたものです。あのときとてもあなたの絵がほしかったのだが買えなかった。
こんどようやく家を新築したので、ぜひあのときの絵を売っていただきたい」そういう内容でした。その頃の
ぼくの絵なんか売れっこありません。その絵はチャンとぼくの手もとにあったんです。しかも、何度もぼくは
住所を変わったんで、その人は苦労して見つけてくれたに違いない。ぼくは感激しましたね。さっそくその人と
いっしょに〃ガクプチ〃を買いにいったりしました。》 ー鈴木義司
《鈴木義司=読売新聞の夕刊の4コママンガを描いている漫画家、2004年7月17日午後2時45分に死去。享年75歳。
   むかしテレビ番組「四コママンガ道場 お笑いマンガ道場」に出ていた》
▼ 享年が75歳で、この文章は42歳の時の文章とすると、亡くなる33年前の1971年頃の文章になる。
 絵を描いていたのが、その20年前というから1951年ということになる。岸恵子の『君の名は』が1953〜54年、
その二年前に数寄屋橋で絵を描いていたのである。 新築の家の絵に欲しいというところが良い。
この逸話の中から、それぞれの人生が浮き上がって見えてくる。
 ・・・・・・・・・
2008年07月31日(木)
 iPoneについて
いずれにしても、これは凄い。少しオーバーに言えば1〜2ヶ月で、私の中の何かが変化するだろう。
 情報機器を幾つか持っている。 そのお陰で
・インターネットを楽しみ、「勉強」もしている。・デジタルカメラを常時、鞄に入れている、散歩にも持っていく。
・2千曲入力してあるiPodも持ち歩いている。     ・携帯電話を身につけている。
・会社の机の前と、自宅の居間の机にもiMac(机上型のパソコン)が置いてある。
 それが全て、携帯電話を少し大きくした、このマシーンに入っているである。「それなら、携帯電話があるじゃないか」
というが、これはパソコンを基点としている。超小型パソコンに、多くのデジタル機器の機能が入っているのが凄いのである。
更に、GPSナビゲーションまで入っている。新聞や、マックのHPで、このデモンストレーションの映像を見たり、モーニング
ショーでキャスターが操作をしているのを見たが、自分の手にとって腹を据えてみると、その凄さと深さが見えてくる。 
半年前にiPodを実際に使ってみて驚いた。 手持ちの200枚のCD(2000曲)が、マッチ箱位の薄いマシーンに、全て
入ってしまった。パソコンに一度入力をしてしまえば、何時でもマッチ箱に出し入れ自由である。ところが、それさえも、
このマシーンは機能の一部として入っている。 いま一つ、タッチパネル+ワイヤレス+超小型の総合効果が、パソコンの
ストレスを大幅に減らしている。このストレス・フリーが最大のネックである。携帯電話が、固定電話から我々を
解き放ってくれた。それと同じことが、今度はパソコンでも起きている。大型コンピューターがパソコンになり、
ノートパソコンになり、モバイルパソコンになり今度はこれである。 これには母機のパソコンに対する子機という位置づけは
殆どない。(iPodなどの機能を使う時はあるが)これも三年もしないうちに、古くさい原始的なマシーンになっている?
まずは、これを使いこなすことから始めないと。何かSFの世界を垣間見ているよう。 
 若者が、モバイルパソコンに、如何反応するか楽しみである。


4885,閑話小題 ーこの20年間最大の変化とは? 〜2

2014年07月30日(水)

* 20年後には、どうなっている?  ー『スマホの次に流行るものは』岡田斗司夫ーより
 20年前は、Windows95の発売直前であり、まだパソコンも、ネットも、携帯電話も普及したての頃。
スマートフォンも、タブレットPCもなく、ノートPCが普及を始めて5年ほど経った頃である。
それが今ではスマートフォンとタブレットPC。 これは未来学者も想像すら出来なかった優れもの。
それからして20年後の予測など、考えられないはずがない。
  ー以下の箇所は、既に現在進行のものが多いー 
≪・二十年後は検索がさらに滑らかになり、何かを思い出したとき、それが本当に自分の記億なのか、
ネット上のデータなのか、区別がつかなくなる。SF的にいうと「脳の外部化」だ。これからスマホは、
腕時計やメガネのようにウエアラブルで身に着けるようになる。さらに小型化すれば、肉体の一部に
埋め込まれるかもしれない。情報は画面で見るのでなく、プロジェクターで外部に映し出される。
会議で紙の資料を配らなくても、視線と連動して目の前のテーブル上に文字や絵が投影される。
そうなると現実の光景と、ヴァーチャルな画像とが共存するのが当たり前になる。
・二十年後の地球は、人口が増えすぎて資源が底をつき、経済は低迷して、あらゆる人が貧乏になっている。
資源とエネルギーは最小限にし、情報だけはありあまるほど使うのがカッコイイ平均した生き方になる。
その次には、限りある時間をいかに大切に使うかもかっこよくなる。その時代は、実際に活動するのでなく、
やった気になることで満たされる。自分でエベレストに登るのでなく、そのヴァーチャル映像を自宅で眺め、
疑似体験するのが楽しみになる。数万人に1人ぐらいは、手間と時間と金をかけて実体験するが、
ヴァーチャル映像の感動に比ぺてせいぜい五割増しが限度という具合。それなら、ほとんどコストを
かけずに疑似体験したほうがいいことになる ・・・(略) ≫
▼ 年金生活と年齢もあるが、以前ほど海外旅行に行きたいと思わなくなったのは、これまで行った先の
写真と 映像をネットで手軽に見ることで擬似体験が出来ることがある。実際に現地に行った上、ネットで
検索したベストのブログの写真や映像を見ると、その何割かを追体験をした錯覚が起き、記憶そのものが
書き換えられる。二度目、三度目の繰り返しで、擬似旅行体験が、よりリアルになる。
 またシネマではヴァーチャル世界が年々迫力を大幅に増し、実体験より遥かに刺激的になっている!
またスマホとタブレットのネット情報を、大型TVにも映し出すことが可能になった。物価は上っても、
ヴァーチャル情報の値段は下がり続けるため、疑似体験の価値が限りなく高くなる。 
 インスタントラーメンを食べながら、高級レストランの食事場面を見て、満足するしかない時代。
缶ビールとツマミをスーパーで買って、居間で「酒場放浪記」で日本各地の居酒屋で、レポーターと供に、
店内の客と一緒に飲んでいる気になっている視聴者(私)と同じようなもの。これは未来でなく、現在、
既に起こっている現象。目を凝らしてみれば未来は既に起こっている。気がつくかつかないかである。
・・・・・・
4518, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー8
2013年07月30日(火)             
   * 「断食往生」の具体的工程   『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 人生など考えてみれば、日々、緩慢なる自殺行為の積み重ね、それが病となって死に至る。とはいえ、
それが中途半端のため、直接、自殺するのも問題を残す。そこで断食で餓死という方法=「断食往生」もある。
  ー まずはその部分を抜粋して、考えてみようー
《 まず、基本的には、現在の、死に際に医療が濃厚に介入する「医療死」ではなく、子どもの頃に接した
 年寄りの死に方、何百万年と続いていたご先祖様の死に方、「自然死」が希望です。ぼけたり、寝たきりが
年余にわたれば、わが家は家庭崩壊してしまいます。 そこで、タイミングがむずかしいのですが、
完全にぼけ切る前に、山折哲雄さんの提唱する「断食往生」ができないかを考えています。具体的な工程は、
山折さんは教えてないので、中村流に考え、まとめた「事前指示」が表5。西行さんのように「死に時」が
察知できれば、非常に楽だと思います。できるだけ体内サインに敏感になれるよう、できるだけ自然に
任せて様子をみるというトレーニングを積むようにしています。
○ 中村流「断食往生」の具体的工程
  一、五穀絶ち 7日間                   二、十穀絶ち 7日間
  三、木食   7日間(木食は木の実だけを食べること)   四、水断ち  7日間
これを見ると、すぐ顔色を変えて、医者ともあろうものが自殺を勧めるとは何事かと、威丈高になる
建前論者がいますが、大丈夫です。日本人の自殺願望というのは、いっそひと思いにとか、注射一本で
というせっかちなものです。このようにほぼ一ヵ月もかけてというのには、よほど強靭な精神力が必要です。
そんな日本人は、極めて稀でしょう。なぜ7日間にしたかには理由があります。比叡山延暦寺の修行の中に、
千日回峰行がありますが、その7百日目位の時に、断眠、断食、断水の「籠山行」があります。
そして、水断ちは9日間以上やると危ないという言い伝えがあるということを聞いたのと、老人ホームで、
一滴の水も身体に入らなくなって亡くなるまで、7日から10日が多いという事実を重ねた結果です。
 延命治療に間しては、日本尊厳死協会の「いっさいの」ではなく、個別に「心肺蘇生」「人工呼吸器」
「人工透析」「人工栄養」「輸液」に関して指示しています。 心臓は、もう70年以上も生きているんです。
原因のいかんを問わず、ひとたび停止すれば、そのままでいいのです。》 
▼ 30年の間のホテル営業で、様々な自殺があった。警察からは泊めた方も当事者として自殺者の動機とか
 事情が知らされる。自殺者にとって、この世は苦海で、死ぬだけの理由はそれぞれに十分にある。
誰も自殺などしたくない、死ぬしかない理由が、あるから死ぬのである。 数日後、体調が悪くなって、
「あと三ヶ月です!」と言われれば、死ぬまでの間は地獄。そうこう考えると、断食往生などの自死も
真剣に想定しなければ。 大往生など諦め、もがきながら逝くのも自然だが。
・・・・・・
3778, ユング ー12
2011年07月30日(土)
  * 箱庭療法 ー1
 ユングといえば(日本では)河合隼雄で、砂遊び療法を箱庭療法に発展させた人。
彼の著書で、その概要は知ることになった。一種の創造療法だろう。幼児の頃、砂場で山を作ったり、
幼稚園で初めて手にしたクレヨンで我を忘れて家や動物の絵を描いた、あの頃に立ち返り、用意された
オモチャの植物や動物で、思いのまま自分の内的世界を表現することで、自分の中の何かにつながる方法。 
その辺のことを、あるHPに分かりやすくマトメテあった。まずは、その部分をコピーしてみた。
≪「箱庭療法」は、1929年、イギリスの小児科医ローエンフェルトが、子供のための心理療法として
 考え出したもの。ユング派の心理療法家ドラ・カルフが「砂遊び療法」として発展させた。 後に、
日本の心理療法の第一人者であり、ユング派の心理療法家でもある河合隼雄氏が日本に持ち込み「箱庭療法」
と名づけた。 その方法はいたって簡単。52cm×72cm、高さ7cmの長方形の箱に砂を入れます。
さらに、動物や植物、建物などの様々なおもちゃ、人形などを用意し、適当な場所においておきます。
患者は、箱庭のなかに、先ほど説明したおもちゃや人形を自由に使って、遊びながら自分の内的世界を
 表現していきます。ここでは、治療者は、特になにもしません。患者(クライエント)を見守る役に徹します。
この「見守る」ことには、深い意味が込められています。治療者は「見守る」という行為を通して、患者の
状態を深く理解していきます。また、患者は治療者に見守られていることで、安心して自分自身の内面を
表現することができます。1回の治療単位をセッションといいますが、患者が箱庭を見つめるだけで、
なにも表現しないセッションもあります。ただ砂にさわって砂遊びをしているだけのセッションもあります。 
 こんなセッションのときでも、治療者は特に指示をしないで、見守り続けます。   ーつづく ≫
▼ 人生を俯瞰すれば、箱庭みたいなもの。色々なオモチャを掻き集めて、自分の庭に配置する。
 それを、小さな箱内でやるのだから、面白いといえば面白い。言語というと、その限界で真の気持ちが
表現できないが、玩具を箱庭に気ままに配置すると、自分の中の精霊が知らないうちに心の底から湧き出て
きても何ら不思議ではない。私は家庭菜園は知らないが、そこには、箱庭的な面白さがあるはず。
 他に遊戯療法というのがある。これは遊びを通して悩みや問題を表現し、子供の心理的な問題に取り組み、
課題を乗り越える。この場合、次から次へと玩具を変えて落ち着きのないケースが多くなる。
言葉や絵となると、その表現に限界ができるが、玩具の組み合わせは、それを取り除き具体的な
モノを組み合わせることで自分の心が表現される。 この随想日記は、言葉の箱庭?になるのか?
  ・・・・・・・・
3413, 中学校同期会 −65歳
2010年07月30日(金)
 まだ65歳まで半年あるが、先日、長岡郊外にある蓬平温泉で中学校・同期の会が開催された。出席者が
67人で約2割が出席をした。この年齢では2割弱が亡くなってので、亡くなった人が、逆に出席している
「あの世の会」と思うと一人ひとりが際立って見えてくる。把握された亡くなった一割近くの27名の名が
呼び上げられ、黙祷をした。5年前に還暦の会が開かれたが、このときは、三分の一の110名の出席者。
4割減ったことになる。60歳を過ぎると年々、老化が目立つようになる。 事故、糖尿、脳梗塞などで、
何らかの問題が肉体に出てくる時期にはいった。今回の同級生に卒業以来初めての出席の女性が2人いたが、
どのような感慨があったのだろう。 前回の還暦の会の時には懐かしさのあまり泣いていた人がいた。
私のいたクラスに面倒みの良い女性が二人いて卒業以来、頻繁にクラス会を開かれていた。
20歳代を除くと、高校時代を含めて、ほぼ毎年開かれていた。 しかし年々、参加者が亡くなったり、
転居をしたために、還暦を機会に、他のクラスに呼びかけ同期会になってしまった。地方だから可能なのだろう。
男80歳弱、女86歳強の平均年齢と先日、発表されたが、まあ全体活き活きしており、その位は生きそうだ。
それにしても、65歳は長く生きたものである。この年齢になると分かってくることは、人生は生きること、
そのことが目的である。それで充分。 しかし、恵まれている人は何処までも恵まれており、そうでない人は、
そこから抜け出せないのが人生。九州など県外からの出席者が三分の一位だったが、一回ごとが一期一会になる。
子供の頃の想い出は魂の故郷というが、昔話に花咲くとき、なるほど合点がいく。通ってきた道で出会うことは、
奇跡的なこと。一人ひとりには、それぞれの宇宙がある。その宇宙同士が触れ合うのは素晴らしいと、歳を
重ねるごと実感する。それにしても、幹事は大変である。とりつかれたように役をこなしていたが頭が下がる!
・・・・・・・・
3038,明日になれば何とかなる!
 2009年07月30日(木)
 これは菊田一夫の言葉である。 誰もそうであるように、若いときは心配性の傾向が強い。
そして長い人生で色いろ経験して分かったことは「先の心配事は、その時になってから当たるしかない。
で、今は問題の中心から目を外さないこと。明日は、明日の風が吹く。今心配しても、今心配している
範囲のことしか考えられないのだから、それ以上のことは考ても同じこと」である。
「明日になれば何とかなる」の菊池の土壇場での悟りのような言葉は、心に迫ってくる。
創業時の不安感は、底知れない海の上を小さなボートで漂っているようであった。 
そういえば一休の逸話があった。 一休禅師が亡くなる直前に、三巻の巻物を弟子たちに遺した。そして・・・
「この先、私が亡くなった後本当に困り果てた時にだけ、これを開けなさい。それまでは絶対に開けてはならない」
と遺言し、遷化されました。何年か後に、寺に大問題が持ち上がり、寺の存亡の一大事になりました。
弟子たちは、知恵の限りを尽くしましたが、妙案を思いつかず、どうしようもなくなってしまった。そのとき、
一休禅師が遺してくれた巻物のことを思い出して、恐る恐る紐解いてみると、そこにはこう書かれていた。
 一巻目・・大丈夫  二巻目・・心配するな  三巻目・・なんとかなる!
それを見た弟子たちは、あっけにとられ、笑い出した。そして、そのときに素晴らしい解決策を思い浮かべた。
「なんとかなる」と信じていたら、本当に「なんとかなる」もの。「なんとかなる」だけではなく、
人生は思いようで、本当は「なんとでもなる」ということである。19才でライ病発生以来深刻な体験を
もとにリアルな小説「いのちの初夜」などを書いた北条民雄に次の言葉がある。
《 私にとって最も不快なものは、あきらめである。 あきらめ切れぬ、という言葉は、あきらめを肯定して
 それに到達しえぬ場合にのみ用うべきものである。が、私はあきらめを敵とする。私の日々の努力は実に
このあきらめと戦うことである。あきらめるくらいなら自殺した方がよほどましである。 というよりも、
あきらめと戦うためには私は決して自殺をも否定しない。死んで勝ということは絶対にないが、しかし死んで
敗北から逃れるということはあるのである。》 (北条民雄(頃日雑記より)
 絶望の果てに行き着いた言葉だから、鬼気迫ってくるのである。 明日になれば何とかなると、
何もしないで生涯を過ごした人を多く見てきたが・・ 大部分の人は似たようなもの?
 ・・・・・・・・
2673, iPhoneは、超小型パソコンだった!
 2008年07月30日(水)                 (っ´Ι`)っ { おはよう
一昨日iPhoeを購入した。新潟市郊外の赤道の山田デンキで買ったが、説明やら、手続きに二時間もかかった。 
購入の手助けをしてくれた知人と、購入直後に居酒屋で操作をしながら「これは何だ?」と丁度よい酒の肴になった。
携帯電話や、情報だけの端末ではないし、パソコンの括りにも入らないし、何だろうかと? 私が玩具ではないか?
というと、そんな軽いものじゃないと反論された。そりゃそうだ。 私の現時点の判断は、「ポケットサイズの
タッチ式超小型パソコン」である。超小型のため、身体に密着できて、タッチで情報を瞬時に呼び寄せることが
出来るところがミソ。それに音楽が数千曲も入力でき、電話が出来て、インターネットもできる。カメラや、
携帯電話機能は、多くの機能の一つでしかない。現行の日本の携帯電話は、各メーカーが競って色々の機能を
付加していったもの。そのため、その多くは使われない。平均5?の機能しか使ってないという。
ボタン・キーは他に無いので慣らされ使っているだけのこと。この中の機能で驚いたのが、みたい部分を二回、
指で叩くと拡大する。これで小さい画面のデメリットをカバーしてくれる。よく考えたものだ。
ただ、文字入力が慣れないせいか、躊躇している。キーワードは、・ワイヤレス通信 ・マルチタッチ
インターフェイス ・超小型(ポケットサイズ)。
 常にポケットに入れておけるところが良い。脳のサイボーグ化?ともいえる。次ぎのポイントは
低価格化が可能かどうかだろう。 私自身、7年前にこのHPを開設してから感覚が変わってしまった。
開設してから数年後に、ブログという個人のHPが爆発的普及した。更に携帯電話が爆発的に普及をし、
機能も良くなった。そして、これからは「ワイヤレス超小型携帯パソコン」である。 
これは世界を、更に根こそぎ変えるだろう。携帯電話はタッチ式に大きく舵を切るだろうし、あと十年後から
振り返ったら、これは大きな折り返しの歴史的マシーンの位置づけになるだろう。パソコン?に、携帯電話と、
カメラとiPodを付けてポケットに入れたという意味で!そんなものが果たして必要か?皆が持ち始めれば
必要になるのでは?お宅という言葉も、これで死語になるのでは? 部屋に居る必要もないからだ。  
いや、閉じこもりは別か! ヾ(^ω^*) あと、数日経ったら、その後の感想を書きます。 
まだ、焦って買うこともないようだ。
・・・・・・・・・・
2007年07月30日(月)
2309, 自民党が惨敗!              ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]
参院が予測どおり自民党の惨敗に終わった。 当然だろう。
自民党のパフォーマンスには、国民はうんざりである。これで本来あるべき二大政党の枠が出来上がった。
小泉が党内の保守派=悪との対立軸を作り、旧来の自民党をそのまま存続させたのが、安部政権である。
岸信介の孫、安部晋三の息子というだけで、憲法改正の騎士として期待されてなった首相である。
だから、あれだけ甘い組閣をしたのである。最後は赤城農林大臣だが、その前の防衛大臣がタレント上がりの
女性はいただけいない。   (字数の関係でカット 10年07月30日)


4884,閑話小題  ー「Line」殺人の深層とはー

2014年07月29日(火)

   * 「Line」殺人の深層は
  「Line]による苛めが背景にあるのでは?が、ニュースを見たときに感じたこと。
 仲の良かった母親が、去年10月に死んだ後に、父親が結婚。時間からみて、愛人だった人? 
とすると、殺したかったのは、友人ではなくて、父親と、新しい母親。 その転嫁がネット上での
虐めの仲間外れ?
 【佐世保・高1女子殺害! 〜母の死後、少女の生活激変「頭よすぎ変わってる」産経7月28日(月)
 殺人容疑で逮捕された同級生の少女(16)は周囲から「文武両道で多才」と評価される一方「暗く、
変わった子」とも見られていた。昨年秋に母親が亡くなって以降、生活が激変していた。 
女子生徒の遺体は首などが切断されていただけでなく、胴体にも切断しようとした痕があった。
学校関係者によると、少女をめぐる環境は1年間で激変。仲が良かった母は昨年10月に他界。
冬季に父親とともに年代別の全国規模のスポーツ大会に出場した際は「母のためにもがんばる」
と話していた。事件現場となったマンションで1人暮らしを始めたのは今年4月。大通りに面し、
父親の職場に近く、学校へも徒歩圏。「アニメ好き」が共通点だった女子生徒の自宅とは徒歩で
10分ほどの距離だった。少女は9月から海外留学する予定で、自ら1人暮らしを希望。
父親は「留学の練習」ということで許可したという。進学校に通い、父親の影響で始めたスポーツ
だけでなく、芸術的な才能にも恵まれていた。父親は地元で顔が広く、「誰もがうらやむような
名士の一家」。 ただ、学校関係者によると、少女は小学生時代に同級生の給食に異物を混ぜる
問題行動を起こしていた。中学校では小動物の解剖に夢中になっているという噂が広まり、
「少し浮いた感じになっていた」という。】
 佐世保の高1女子殺害の内容が凄惨である。
直ぐに思いついたのが、昨日のブログで引用した内容である。
《 若い世代には、スマホが普及した別の理由がある。仲間はずれにされないためだ。
無料通話やメッセージのアプリ「LINE」が急速に普及したのは、メールやツイッターと違って、
簡単に仲間はずれができるからだ。例えば三人の仲よしグループがあるとしたら、LINEで
全員が同じ画面とメッセージをやりとりできる。その一方でAさんとBさんが陰でグループをつくり、
Cさんを仲間はずれにできるのだ。喫茶店などで若い人が集まっていると、みんな黙々とスマホを
いじっていることがある。お互いに話さないのは異様だが、実はあれが彼らの社交術で、
誰々とお茶を飲んでいるとその場にいない友人たちにLINEでしている。・・・》
 複雑な家庭環境の激変の中で、9月から海外留学もあり、ネット上の虐めが、この犯行になった
のだろう。3年前から現在に至るまで、数ヶ月に一度は、想像を絶する嫌味、嫌がらせがある。
その経験を重ねるうちに、「全身全霊を込めて、首を叩き落とすイメージ」を、相手の顔を見たとき、
想い出したとき、持つ。20回で相手は自分の中では死者・ゾンビに変身。 怒りは不思議と消える。
 わざわざ代表してくるのに、??回以上が数人いた?が、墓穴二つになると直感し中止。 
佐世保の少女、若いから、実行に移したのだろう! 小動物の解剖で、呪いがカタチを変えて
彼女に? 小動物を父親、愛人?に見立て拷問していたと仮説をすると! 
真の敵は両親の不和というより、父親? 父親、義母、娘の業火の日々が永遠に続く! 
ネットは、恐ろしい。
・・・・・・
4517,スポーツ自転車の勧め! ー4
2013年07月29日(月)
  * マウンテンバイク      「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 私が現在乗っているのがマウンテンバイク。 舗装されてない山道などを走るため、特徴は丈夫かつ軽快さである。
ただ値段の安さに惹かれ買ったが、私の毎朝のコースからみて、これがベスト。小さく軽いのがよい。
  ーそこで、ウィキペディアで調べると、以下のとおりー
《 1970年代後半にアメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ郊外のマリン郡で、ヒッピー達が
 ビーチクルーザーや実用車などに太いタイヤをつけ、急勾配の山を下りタイムを競った遊びが始まりと言われている。
 同時期に北カリフォルニアでも同じ遊びが発生していた。初めは手作りだったが、一つのジャンルの大量生産で
 一般に広がっていった。 マウンテンバイクの定義は、
【 荒野、山岳地帯等での高速走行、急坂登降、段差越えなどを含む広範囲の乗用に対応して、軽量化並びに
 耐衝撃性、走行性能および乗車姿勢の自由度等の向上を図った構造の自転車のこと。舗装路でも広く利用されており、
 用途によって様々な形態が存在する。】である。 
  マウンテンバイクは、クロスカントリーバイク、ダートジャンプバイク、ダウンヒルバイク、などの種類がある。
・クロスカントリーバイク=山道の長距離走行に特化したバイク。軽量なフレームに軽量なサスペンションフォークが
 組み合わされ
・ダートジャンプバイク= ジャンプスタントに特化した、BMXに近いバイク。小さめで取り回し易いフレームが、
 堅牢なクロモリか、十分な補強を施したアルミニウムで作られる
・ダウンヒルバイク= 山を下り降りる事に特化したバイク。
 数メートルの崖を飛び降りるなど過酷な環境に耐える強度が必要。
・プレイバイク= 2010年頃よりジャンルが定着し始めたMTBとBMXをミックスさせたバイク。・・・ 》
▼ 以上だが、MTBはポタリングに手軽な自転車で、軽快さが良い。それとママチャリと同じく、普段の生活の何にでも使える
 マルチのところがよい。親が、このタイプを少年用に買うことが多いこともあり、HCの自転車売場では、丈夫でない
見た目だけMTB風のチャリが並んでいる。そのため愛好家からは「モドキ」とか「ルック車」などと呼んで、良いイメージはない。
その見分けはデザインで直ぐ分かる。また「悪路走行禁止」と書いてあるのもある。私のようなスポーツ車初心者に向いている。
とにかく軽く小回りがきき、乗りこなしがスムース。次は、クロスバイクにするつもりだが、折畳み式も捨てがたい。
スポーツジムと、家でパソコンか、TVか、読書になりがちな生活の中で、これはソロで出来る手軽な趣味になる。
早朝に加えて午後からのポタリングの習性も悪くはない。それと現在、ジムや、図書館への移動に使うことも考えてよい。
趣味としてポタリングにするとなると、違った切り口が出来てくる。それより、まず事故に気をつけなくては。
これまで色々なマウンテンバイクを見て、デザインが違うとしか思ってなかったが、実は、使用目的が違っていたのである。
・・・・・・
3777, ポタリング
2011年07月29日(金)
  最近、面白い言葉ーポタリングを知った。 −ネット辞書によるとー
【 ポタリングとは、自転車でぶらつくことを意味する和製英語で、観光名所などに自転車を用いる
「散歩」的なサイクリングをいう。散走とも言う。サイクリングの一種で、散歩程度に軽く走ることをいう。】
中高年のオジサンが、行く当てない風にママチャリに乗っているのとは、チト違うようだ。毎朝、ウォーキング代わりに、
信濃川まで一時間、自転車で散走をしているが、サイクリングというには違和感があったが、適切なポタリングがあった。
「ちょっとポタリングしてくる!」なら、丁度よい。自転車は野球帽を少し深めに被っていれば目だたないし、人は気に留めない。
また電動アシストなら、エネルギーは普通の自転車の三分の一か、五分の一で済む。 近くのSCや図書館に気楽にいけるのも良い。
この御陰で生活が一変したと言ってよい位である。 イメージとして、サイクリングは、中・長距離の場合に使い、
目的は自転車に乗る方のニュアンスが強い。またツーリングは、長距離で、自転車で旅行をする場合につかう。
 東京など密度の濃い都会の二時間の散策なら、かなりの場所に行くことが出来る。現在、信濃川のポタリングが主だが、
今度は午後などに折りたたみ自転車を車に乗せて日本海沿岸をポタリングするのも面白そうだ。そうこう考えると、周囲に
面白いことは、山ほどある。ただ気づいていないだけである。 ベストの敵はベターというが、その通り。
それにしても「ポタリング」という語感がよい。 これから少し与太るで,「ヨタリング」という言葉も浮かんでくる。
 陰鬱の時、少し与太らないとやってられない。 でも、自重の時期である。 で、自転車でヨタルしかないか。
少し離れた場所のポタリング用に、もう一台、安い折りたたみでも買うか?でも、車で一時間で何処かあるのか考えると?
  ・・・・・・・
3412, マイナス思考法講座  ー3
2010年07月29日(木)
 著者はここで、「人間とは自分にとって都合のよいことを信じたがる」と指摘している。
 その結果、「信じる」というより「期待しすぎる」ことになってしまう弊害が出てくる。
 そして「期待に沿わなかった」結果に対し(自業自得でしかないのに)、「裏切られた」と思ってしまうことになる。
以下の絶望的、否定的な見方の多くは自分自身に対する本音。それを隠すために無理をして逆の自分をイメージしている。
他者から見れば、大したことがないのに、必死に「あるべき自分」を演じているのである。この構成は14の絶望ワークからなっている。
この本を読む前に自分の意見を入れてみた。書いた本人は哲学書を、ほぼ読んでないのではと思いざるを得なかったことも事実。
「しかし、くだらない、嫌われ、恨まれ、何をやっても失敗する、誰も理解してくれない存在」と自覚することこそ第一歩である。
 汝自身を知れ! のソクラテスの言葉を己に当てはめれば、下記のとおりである。
 ー14の絶望ワークー  ≪ ≫内は、私の意見。
第1講 あなたはくだらない存在です     ≪だから、指摘されたら怒るのである。あくまで相対でしかない、それは!≫   
第2講 あなたは嫌われています       ≪もちろんである。だいたい誰からも好かれている人など信頼できない≫
第3講 誰もあなたの話を聞いていません   ≪聞いて欲しい、ということ自体が、もう対他的になっている≫
第4講 あなたの話は面白くありません    ≪面白い話など、そうそうあるわけがない。だから、本を読むしかない?≫
第5講 あなたは恨まれ、攻撃されます    ≪今さら、いわれる筋合いじゃない。そういう人こそクズである。ったく!≫
第6講 あなたは空気が読めません      ≪空気の読めない人など、元もと傍に寄せないこと≫
第7講 人はわかりあうことができません   ≪当たり前じゃないか、そんなこと! 名を出版社名にした理由が、この辺で分かる≫
第8講 あなたは成長できません       ≪要らぬお世話じゃ! これも上記の同じである≫
第9講 弱音を吐くことは許されていません  ≪泣き言も、やせ我慢も、それはそれでいいじゃないか≫
第10講 人はみな悪人です          ≪当たり前のこと、で、どうした。そう思っていれば裏切られることも無い≫
第11講 恋愛はすべて「脈なし」です    ≪逆に、脈がありすぎたら、どうする? うるさいだけか≫
第12講 あなたは何をやっても失敗します  ≪当たり前だろう、だから死に物狂いで練習を繰り返すのでは!≫
第13講 本当のあなたを知る人はいません  ≪本当のあなた、って何じゃ?自分で自分を知っているのかい≫
第14講 あなたの夢は叶いません      ≪夢は夢だけのこと。それを計画に落とすのが智慧だろうが・・・≫
 ーマイナス思考は人を不幸にするとされているが、逆に、その考え方が慎重にものごとを進め、確実に幸せになれる。
  要は、「慎重にいこう」こそ、人生の要諦。一つの失敗が、99の成功を破壊してしまうということ。
 ・・・・・・・・
3037,読書について
 2009年07月29日(水)
 読書については何度も書いてきたが、それでも何度も取りあげる価値は充分にある。手軽に時空を超えて多くの人や
現象に接することができる情報伝達の手段である。大学卒業間近に、色いろ重なって頭がグチャグチャになってしまった。 
そのグチャグチャになることが学生時代には最も重要な経験と、後で知ったが、そこで「もっともっと本を読んでおくべきだった」
という後悔の念が起きてしまった。そこで決心したことは「何があっても、毎日二時間の読書」であった。それを今でも守っている。 
私レベルとしては朝の散歩と、この随想日記と共に最高の習慣になっている。まずは読みこんでない人が直ぐに分かる。 
これは学歴とは違い、意志が大きく左右する学力の問題。 この詩は、読書の素晴らしさと効用を素直に表現している。 
また書物を旅に置き換えて読んでみると、ほぼ同じように感じることができる。 人生で時間だけはリッチであった。
  ー 「書」 ー         西條 八十 《少年詩集》より
1 雨が降るとき、−風引いて            
  すきな遊びが出来ぬとき、                                       
     こどもよ、書物をあそびなさい。      : (旅行紀を読んで遊びなさい)
     書物はあなたをつれていく、        : (空想はあなたをつれていく)
     海山こえていく千里
     知らない国や、とおい国。
  見たこともない人たちや、
  また、めづらしい動物が
  あなたと遊び、話する。
     書物を読めば、友だちは          :(旅行の空想に出れば)
     いつも出てくる、目のまえに。
2 どんなにだいじにしまっても、
  万年筆や、カメラなど
  なくしてしまうこともがある。
     かわいい鳩なき時計でも、
     電気じかけの機関車も、
     こわれてしまうことがある。
  書物は、いっぺん読んだらば           :(旅行は、一度旅先に行けば)
  あなたのこころの奥ふかく            
  じっとそのまま残ってる。
     書物がくれる財産は、           :(旅行が与えてくれる経験は)
     一生消えない、なくならない。
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2672, 雁行的進歩とは
 2008年07月29日(火)
「雁行的発展法則」というのがある。大空を渡る雁の群れは、先頭の鳥からしんがりの鳥まで、くさび型の隊形をなして飛んでいく。
これは長距離の飛行に一羽一羽の空気圧が最小になる。鶴翼と同じ形である。ー字型の群れと同じパターンで、アメリカ合衆国を
少し遅れながら日本や欧州が追いかける。アジアでは、先頭をきって工業化に成功したのが日本であり、次に台湾や韓国の経済発展が
これに続き、さらに中国の沿海部などが急速な経済成長を開始して、それを追うといった形である。このような「選手交代」の形で
経済発展が受け継がれていくのが、「雁行的発展法則」の考え方である。現在もそれにしたがい、動いているかといえば、
現実は違ってきたのである。グローバル化の進展に伴い、今までとは違った「世界システム」が出来、拡大している。
欧米中心の雁行発展法則は崩れはじめ、今後は中国、インドにその重心は移動していくプロセスに入った。
中国に隠れているが、インドも大きな変化のポイントになる。中国は製造、インドはサービス、の部分を担うであろう。
その背後には、ITなどの「情報化」がある。もう、時代は引き返せない。モダン主義社会から、ポスト・モダン主義社会へ
変化したということ。欧米が優れていて、未開発国が遅れているという考え方が、そもそもオカシイ?という
構造主義が出てきたこともあるが・・・ 先日、インドの発展について、NHKスペシャルで3回シリーズで放送していた。
20年後には、アメリカを追い越し、世界のトップを目指すとアメリカ在住の印僑が話していた。見ていて、それもありうると思われた。
先日、図書館で『東西逆転』という本を借りてきた。数日後に、その感想を書いてみよう。IT革命は確実に世界を変えている。
・・・・・・・・・
2007年07月29日(日)
2308, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙  ー2
                           |。っω-)..。oо○(゚+。ぉレ£∋ぅ゚+。)
 私の4つの質問の答えはどうだろか、(成功もしてないのに、
何を答える資格がないじゃないか!という内面の声を無視して書いてみる。)
*どうすれば人生で成功できますか? ー好きなことを早くみつけて、楽しみまで引き上げ、続けること。
*世界で一番大切なことはなんですか?   ーいま、ここ! そして今日一日
*愛とはなんですか?      ー温み、おもいやり
*幸せとはなんですか?     ー好きなことができること、好きな人と一緒に居ること。
                そして自分を好きになれること。感謝できること。
ーさらに、この本の面白そうなところを抜粋してみたー
*自分ができることに集中しろ
 すばらしいアドバイスというのは、すでに亡くなった人から受けついだものだ。
1948年、ぼくがルーキーだったとき、ドジャースのベテラン投手、ビュー・ケーシーにこう言われた。
「なあ、野球にはおまえが変えられないことがいくつかある 
一天気、自分が登板する日、登板する球場、本塁の後ろにいる審判だ。
自分の力で変えられないことについてくよくよするのはよせ。
自分がコントロールできることーストライクを投げること、カープを低めにすることに全力をそそげ。
自分ができることをコントロールしつづければ、かならず勝てる」
さて、ニック、きみはまだ大リーグのピッチャーになれるほど大きくないが、人生でなにをやるにしても、
きっとケーシーのアドバイスが役立つはずだ。カール・アースキン(元大リーグ選手.1950年にナショナルリーグ優勝 通算122勝。)
  ーー
 *あえて人と違うことをしよう
(以下字数の関係でカット09年07月28日)                  (*≧∇)ノ~サラハ゛シ゛ャ!


4883,閑話小題 ーこの20年間最大の変化とは? 〜1

2014年07月28日(月)

    * この20年間最大の変化と、今後は? 
 毎日、SF世界のような思いもよらない社会的変化が次々と垣間見ることができる。 
「これからどうなっていくのか?」が面白い ー『スマホの次に流行るものは』岡田斗司夫ー
≪・この20年先を読むには、過去二十年間を振り返るとよい。1994年以降の大きな流れは、
ネットが身近になったこと、携帯電話が普及したこと、クレジットカードを持つ人が増えたこと。 
現在、これらの機能はスマートフォンに入っているのだからたしかに便利。
しかし若い世代には、スマホが普及した別の理由がある。仲間はずれにされないためだ。
無料通話やメッセージのアプリ「LINE」が急速に普及したのは、メールやツイッターと違って、
簡単に仲間外れができるからだ。 例えば三人の仲よしグループがあるとしたら、LINEで
全員が同じ画面とメッセージをやりとりできる。その一方でAさんとBさんが陰でグループを
つくり、Cさんを仲間はずれにできるのだ。 喫茶店などで若い人が集まっていると、みんな
黙々とスマホをいじっていることがある。 お互いに話さないのは異様だが、実はあれが
彼らの社交術で、誰々とお茶を飲んでいるとその場にいない友人たちにLINEでしている。
・この二十年間で我々に起きた最大の変化は、考えるよりも先に検索する癖がついたことだ。
検索することは、考えることとほぼイコールになっている。例えば、選挙でどの党に投票するか
決める場合、かっては自分で考えた。今はまず検索し、自分が納得できる意見を探そうとする≫
▼ 13年以上、欠かすことなく、この文章を書き続けることが出来たのは、検索機能があったため。
 テーマが決まれば、キーワードの検索で絶対量の情報をとり、その過程で、考えをまとめていく。
それが私にとって考えることである。後は、図書館でのネタ探しと、ネットサーフィンもある。
このお陰で、「脳の外部化」が、間違いなく行われた。一度ネットに上げれば、何時何処でも、
それにアクセスし、内部検索にキーワードを入れると、過去に書いた、調べた情報のベースから
考えることが可能になる。私にとって、この13年間は、そのベースづくりの期間でもあった。
しかし、その底の無さに呆然とする。
・・・・・・
4516, スポーツ自転車の勧め! ー3
2013年07月28日(日)                 
   * ポタリング ーつれづれに     「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
  4年近くで、一日12キロ、年に200日として(冬期間を除き)、9千キロは走ったことになる。
 当然、自転車はボロボロに近い。 この本を読むまでは「月に一度の空気入れ」の鉄則を
知らなかったが、息子に「時どき、空気を入れたほうが良いよ」と言われ、三月に一度の割に
入れていた。それとスプレー式の錆止めを2年前から挿し始めた。 それとHCでパンク修理
グッズを見つけたので、次のパンクから挑戦するつもり。
  ここでママチャリについて、【日本独自の車種で、通勤、通学、買い物などあらゆる場面で
使えるが、スポーツとしては使いづらい。日本の道路事情で、歩道に乗ることを認めていることもあり、
スピードが出しづらいようになっている。 現在、都市部で大きな問題の歩道上の自転車事故は、
スポーツ自転車とのスピードの出しすぎによる接触が多く、道路事情に自転車の仕組みも絡んでいる。
 値段も安く、メンテナンスも手軽で、丈夫で、使用頻度も高く、何処にも置ける気安さがある。
やはり値段が安いのが特徴で2〜3年も乗れば、盗まれても諦めがつく。 スポーツ車では、
 クロスバイクとマウンテンバイクがママチャリに近い。 軽さでマウンテンが、次にクロスバイクが
適している。  現在、節約も含めて自転車通勤が都心で多く見られるようになった。 
また運動として著者のように、ライダーや、(私のような)ウォーキングからの乗り換えも増加している。 
イオンも自転車専門チェーンを道路沿いに出店を始めた。 日本は自然に恵まれ自転車での
スポーツ環境が整っている。スポーツや遊びの場面を考えると、日本に適している。
 団塊世代が定年をむかえた昨今、自転車は最適である。もう一歩踏み込みこむかどうか?
鎌倉とか京都に自転車を持ち込み、散策するのも面白そうだが、東京都内も良さそうだが・・ 
その前に県内のポタリングか。 
・・・・・・
2012年07月28日(土)
4142, 究極の五木メソッド55 ー�
         『きょう一日。〜非常時を生き抜く究極の五木メソッド55 』五木寛之著より
   * <五木メソッド38手順のまとめ、より> 朝、布団の中でやるメソッド
 なかなか良い本である。毎朝これを実行したら良いだろう。朝風呂の中で数年来、この半分近いマッサージをしてきたので分かる。
それと現在、週二回のヨガ教室での色いろなポーズが、この中に取り込んである。 ーまずは、そのへんの要点をコピーしてみる。
≪ 1.寝たまま、両手をこすりあわせる   2.両手の指を軽く組んで上下に動かす  3.指の組合せを変えて同じ動作をする
 4.指の組み方を逆にして手首を上下に   5.指と指の間を手刀でたたく      6.指を一本ずつ親指の腹でこすりあげる
 7.親指と人さし指を合わせて反らす    8.指を手の甲の側に一本ずつ反らす   9.親指を除く四本の指をそろえて反らす
 10.爪の付け根を親指と人さし指でもむ  11.中指、薬指、小指を曲げ伸ばしする  12.親指で手のひろを万遍なく押す
 13.足の爪もみ。足裏も押す       14.再び、両手をこすりあわせる     15.その両手を丸めて、顔に近づける
 16.手のひらを目、鼻、口元、耳へ    17.頭皮を指で押さえて前後左右に    18.親指でこめかみのくぼみを押す
 19.同じように、眉の付け根を押す    20.眼高にそって目の上の骨を押す    21.同じ要領で、目の下の骨を押す
 22.小鼻のわきを人さし指で押す     23.口の上から歯ぐきを押さえ左右に   24.下あごの両側のくぼみを親指で押す
 25.ほほ骨の下にあるくびみを押す    26.耳の付け根をはさんで上下にさする  27.耳のはしをつまんで引っ張る
 28.手のひらで両耳をふさぎ、離す    29.片膝を胸に寄せ、反対の足を伸ばす  30.同じ動作を、もう一方の足でやる
 31.両ひざを抱き込み足首を前後左右に  32.両端の足裏を合わせてひざを開き深呼吸 33.足首を反対の足ひざに乗せ倒す
 34.同じ動作を、足を組み替えてやる   35.寝たまま、両手をバタバタさせる   36.両足をのばし、両手を下腹部に置く
 37.深呼吸。好きな言葉を口に出して言う 38.「きょうも元気だ」と言って起きる 
 人はさまざまです。百万人いれば百万通りの人間がいる。体質がちがうだけはありません。その人の環境がちがう。
 年齢がちがう。気質がちがう。経歴がちがう。ですから、自分ひとりのための方法、というのが最も大事なのです。(中略)≫
▼ この時代に生き抜くために、このぐらいのことは習慣にしておいた方がよい。習慣は第二の己であるからだ。どれもこれも、
 三大成人病対策にもなる。これらは手足のマッサージと、顔と耳と頭のマッサージ、足と腰の関節の伸ばし、そして呼吸法に
 分けられる。三年前から本気になって腰痛対策のため、メソッドを取り入れ、更に一年前からスポーツジムに通いだした。
 そしてヨガ。しかし腰痛は直ったわけでなし、少し椅子に座り続ければ軽い痛みが出てくる。しかし、直ぐに収まるが。
・・・・・・
3776, 閑話小題
2011年07月28日(木)
   * 世界が誇る中国高速鉄道の話
 中国で当初から問題になっていた高速鉄道で事故が起こってしまった。 高速列車にしては死傷者が少なかったのは不幸中の幸い。
・まずネットで、「これで中国が日本のシステムを盗んでないことが証明された」と、痛烈な批判が出た。
 日本はマグネチウド9で一人の死者も出なかったのに、中国は大雨と落雷だけで、これだけの死者が出たとの批判も。
・“国産”と自負していた新幹線の実態は、日本や欧州、カナダから導入した車両や地上設備、運行管理システムの寄せ集めで、
 系統だった運用の可否が懸念されていた。その問題の列車の衝突車両を、世界のマスコミが見ている目前で埋めたのはお笑い以下。
 ソ連が崩壊したのはチェルノブイリ原発事故当時の、あまりにズサンな国家体制が露呈してしまったからである。 
 一党独裁の良否が、そろそろ中国国内でクローズアップされる時期にきている一現象である。
 ▼ 以上が、今回の事故から露呈した高速鉄道の危険性の問題。 「当事者の一人は、自分は絶対に乗らない述べていた」と、
  マスコミが報じている問題点が本当なら、これから数年間で大事故が頻繁に起こることになる。ということは、
  恐ろしい大問題を中国は自らの手で作り上げてしまった。
   * アメリカが国債のデフォルト?
 何か物騒な話になってきた。共和党がアメリカの借金総額の上限の金額の上のせ条例に反対し揉めていて、もし通らないと
 アメリカ国債の債務不履行になる危機にあるという。そのため、ドル安がジワジワ進行してきた。 共和党との対立でドルと
 国債の価値を下がると誰が一番得をするか、それはアメリカ自身である。 一番損をするのは日本。それは、初めからの
 アメリカの意図としていたこと。現在の日本の震災と荒廃した政治混乱の、この時期に借金棒引きは願っても叶ったりである。
 9・11、9・15、3・11の経済・自然災害の三連発後で弱体した日本の最後の拠りどころの預貯金の多くが、アメリカ国債に
 とって替わっている。それが不払いとなれば・・・ 考えただけでも恐ろしいである。まずは隷属国家から借金棒引きは当然か!
  ・・・・・・・
3411, マイナス思考法講座  ー2
2010年07月28日(水)
「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 著 
   ーまずは、「はじめに」よりー
 この本の主旨は、「マイナス思考はプラス思考より優れている」、これに尽きます。物事を前向きにとらえるプラス思考、
 一見いいように思えますよね。「物事を後ろ向きにとらえるよりも前向きにとらえた方がいいに決まってる」
 と思うかもしれませんが、こと思考においては、必ずしもプラスがよいとはいえないのです。なぜかというと、
「プラス思考こそが、現実逃避の温床に他ならない」からです。プラス思考こそが究極のマイナス思考といってもいいでしょう。
 プラス思考そのものより、プラス思考で行動することで、人間のマイナス面が助長されてしまうといった方が正しいかもしれません。
 プラス思考の根本的な考え方「何事もプラスに考えよう」は、「耳が痛くなる情報を耳にしたくない」という人間誰もが
 持つ気持ちと合わさると、「物事のマイナス要因を忘れよう」に、ついつい翻訳されてしまうからです。
  【 プラス思考の問題点を4項目にまとめてみます。】
 1.プラス思考を身につけても、不幸に耐えられる忍耐力、不幸を幸福と読みかえる超解釈力が身につくだけ。
「不平不満を言うのではなく、現状の自分が幸せである、と思いましょう」という考え方がありますが、自分が幸せだと思ったら、
現状に対して何も手を打たなくなってしまいます。本当に幸せならそれを噛みしめていればいいのですが、そうでもないのに無理に
自分は幸せであると思いこみ、現状に対して何もしないのであれば、いずれ、幸せと思いこむこともままならないほど、不幸になって
しまうことでしょう。プラス思考は耳触りがよいので、つい現実を見誤ってしまう。現実を直視しないことには現実をよくしようがない。
 2.プラス思考は、他人にとってはマイナス思考です
「プラスにとらえる」とは、「自分にとってプラスにとらえる」ことで、つまりは、他人を無意識にマイナスにとらえることになる。
プラス思考とは、自分を軸にしている限りはなかなか見えてきませんが、どこかでプラスをすると、どこかがマイナスになり、
その結果、自分1人の中でプラスでも、周囲と合わせて見ると、誰かから幸せを引いて誰かの幸せがマイナスになっているのです。
 3.プラス思考だと、ありのままの自分を肯定するばかりで成長の機会がありません。
ありのままの自分をひたすら肯定するプラス思考のままでは、ありのままのあなたは、いつまでたってもありのままで、
成長することがないでしょう。ありのままの自分を乗り越えていくことが、成長には不可欠なのです。
 4.プラス思考は、必ず裏切られる運命にあります
「人を信じよう」と言いますが、信頼して仕事を発注した相手がスケジュールを守ってくれなかったり、彼氏が友だちと旅行と
言っていたのに実は女の人と2人で旅行だったり……  一言、事前に釘をさしておけば、裏切られることはなかったのに、
「信じよう」などと思って策を打たないから、ひどい裏切りにあってしまうのです。
▼ プラス思考は、マイナスを乗り越えた上での考え方であり、その背後にはマイナスを考えた上でのプラスを
元もというのであって、ここで書かれている上っ面の思考法ではない。 それより、言葉を額面どおり捉え、現実逃避に
知らないうちになっているケースが多いはず、それを諌めているのである。肯定は意志であり、否定は感情である。
人間は意志の動物であると同時に感情の動物。両者の混合が必要だろう。
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3036,閑話小題
2009年07月28日(火)
 * 新潟駅前の貸金女子事務員殺害事件の犯人が逮捕
 * 加山雄三の『私の履歴書」が面白い
(字数制限のためカット 2010年7月28日) 
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2671, 幸福の4階建て -3
 2008年07月28日(月)
*不幸の4階建て」を考えてみる
「幸福の4階は、克服できない苦難や悲しみの中にある」というが、逆の「不幸の4階建て」とすると、
 どうなるか考えてみた。 前回の「おばさん、の話」を書いていて、おばさんの特徴に弛緩というキーワードが出た。
 その反対の言葉が幸福の4階の「克服できない苦難や悲しみ」になるのではと・・・。
 不幸の建物の4Fは弛緩とすると、これから1〜3Fが導き出される。
 3Fは、やる気も目標も無く、同じことの繰り返し。
 2は、不満で悶々とする日々
 1は、当面の問題から逃げて、上手くいかないと他者に責任転嫁
不幸の4階建というテーマが、不幸なおばさんの姿から成立するとして、弛緩しているおばさんは果たして不幸なのか?との疑問も出る。
しかし、幸福の4Fの逆の意味で、不幸とは弛緩そのものが大きな要素と考えてよい。誰もが、幸福と不幸の4Fの建物の要素がある。
自分の趣味を持たないで日々に流されると「こてこてのおばさん」になる。それも不幸な・・というとこだ。ただ自分で気づかないだけ。
それは「おじさん」にも、言えることだが。 現在の日本が、この不幸の4Fに近いのでは、いや自分自身が、そうではないか?
と感じたのではないか。 いや、自分は違うと自己説得しているのではないか。「日々、戦場」を己に課すことが、果たして幸福?
「日々、私は何て幸せ!」と何となく思っているのが不幸?なんだろうか。 あまり考えてこなかった中年女性が、不幸なんだろか?  
そう勝手に、他者を思い込んでいるだけじゃあないか? 幸福など考えるから、訳が解らなくなるのである。まあ、弛緩もいいものだが! 
 幸・不幸の裏表ががあるからいいのでは、人生は。 てなところか!


4882,閑話小題 〜草食系男子のつくられかた!

2014年07月27日(日)

   * 秘仏開帳 〜エロ本の効用が無くなった現在
 「近年、草食系男子が多いのは、ネットで簡単にエロ写真や動画がみれるため」という説がある。
47年前の欧州旅行の御土産は、北欧の道路の売店で売られている無修正のエロ本が通り相場!
まず初めの買物は北欧美人の? 到着をした翌日、早速、各自が数冊買って部屋で互いに
見合っていた。 今では・・ そんなものはネットで幾らでも。 何ごとも「秘すれば花」。
世阿弥「風姿花伝」の『秘すれば花』の正しい意味は…
 ①本当に重要なものは、他人から隠しておかなければならない。
 ②他人に隠しているものは、本当は大したものではない。
イラストレーター‘みうらじゅん’の以下の説が面白い! ーエロ本は、隠れて見てこそ良いもの
≪ いまは小学生でも、PCのアクセス制限をすり抜ければ、いとも簡単に女性器の鮮明な画像が
ゲットできる。 無修正の動画だって苦もなく観られる。私が子どもの頃は、エロ本を手に入れる
のもひと苦労で、それも墨などの修正入りが当たり前。大人が隠すことで「いいもんだぞ、
いいもんだぞ」と思い込まされてきたようなものだ。実際はそんなにいいものでなくても、隠されると
見たくなるし、手に入れたくなる。アソコを「観音さま」と呼ぶほどの有り難みがあった。
ネット時代になると、その有り難みはすっかり失われてしまった。セックスレス、草食系男子、
少子化の原因これだと思う。
 「秘仏開帳」は日本独特の文化で、神道の神様も目に見えないように、日本人は隠されると
有り難みを感じる。だから女性器はもっと「秘仏」として扱うぺきであろう。見慣れてしまえば
有難みは消え、あの形状が単にキモいと感じるようになり、その次には飽きてしまう。
女性を口説こうとしない草食系男子になるのも無理はない。
 昔のエロ本は表紙だけ美人で、買って開くと中身はブサイクな女の子ということが多々あった。
最近のエロ画像、エロ動画に出ているのは若くて美人ばかり。「こんな美人には一生出会えない」
と思う女の子が、映像の中でものすごくサービスしてくれる。身近な女性に興味が持てなくなるのも
当然だ。 政府が本気で少子化対策に取り組むなら、いますぐパソコンとインターネットの使用を
禁止するしかない。≫
▼ 少子化対策も、意外と、こんなところにあるのかも? 姉4人の中の環境にあり裸体などを
普段の生活で見ていたこともあり、自分から見たいとかいうのは無かった。姉が読んでいた
「週刊実話」とかいうエロ雑誌を胸ときめかし隠れて読むくらい。父親が男女間のことに関しては
特に厳格で、父親っ子だったこともあり、シモネタなどもっての外。  学生時代の悪友に
『お前は竹のような奴だ。何があっても、最後は何事もなく収まっている』と言われていた。
「真面目な路線の上を面白おかしく生きる」は、家系、血筋。 それでも25人の学生寮で
生活していたこともあり、エロテープ、エロ写真を誰かが持込むと、部屋に集まって?・・・
 当時も現在も、草食系と肉食系がいたが、2割が8割を独占する法則が、当然、存在していた。
逆に、2割の肉食系は、どういう訳か就職先には恵まれなかった。その辺は、ハッキリしている。
・・・・・・
4515, スポーツ自転車の勧め! ー2
2013年07月27日(土)          
  * 4年間のポタリングからのギアアップの時節 ?  「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
4年近く前に、「電動アシスト自転車が5万9800円の破格値でスポーツ用品チェーンのヒマラヤが
売り出す」という記事をみて思い切って購入した。当時は電動アシスト自転車の殆どが10万円以上。
そして、まず信濃川まで試乗してみて驚いた。それまで遥か遠く感じた長岡大橋まで僅か15分。
それも全然、疲れが残らない。 それまでママチャリしか乗ったことがないのが、マウンテンバイクの
ため軽快で、6段切替で、電動アシストとくれば、その段差に驚いて当然。 
それと大手大橋からみる信濃川のパノラマの美しさに感動。  そこで30年近く続けてきた
早朝の一時間ウォーキングを、ミニサイクリングに切替え、現在まで続いている。
ウォーキングを30年近く続けていたこともあってか、電動アシストもあってか、体重変動はゼロ。
 電動アシストでなくとも、ギアチェンジのスポーツ車で、このコース試乗をしていたら、この方に
切替えていたはず。この5月のゴールデン・ウィーク明けからは、週に一度は午後から
一時間以上を走り始めている。
 服装は、スポーツセンターで着ているトレーニングウエア。ズボンは時どき、登山用ズボンにする。 
それに網目のベストを羽織る。帽子は網目の野球帽。これも、そろそろヘルメットに切替える時期。
靴はランニングシューズか、ウォーキングシューズ。中途半端だが、中途半端の入門者なら、
仕方がない。 4年近く乗ってきたマウンテンバイクも、ボロボロ。一日、百円換算からしても
十二分に元をとった感がある。そろそろ電動アシストのクロスバイクか、折畳み式を考えている。 
 折畳み式なら、「途中までジテツウ」をもじった「途中からポタリング」が出来る。
近くの観光地などに車で行き、トランクから出して、ポタルとか・・ しかし、クロスバイクの前輪を
ワンタッチで外せトランクに簡単に乗せることができるものがある。どちらを選ぶかだ。 
著者の本格的「純競技用のマシン」は、私の年齢では無理?
 地元が雪国のため12月〜3月が走行が出来ないハンデがある。とすると来年春まで待つか? 
先が多く残されてない?ので、すぐか? 迷うところ。他にオートバイ、スポーツカー、カヌーなど
考えられるが・・ 健康と年齢からして、これか。 
・・・・・・
4141, 閑話小題 ーユーロ安など
2012年07月27日(金)
  * ユーロ安が止まらない!
 ユーロが、ついに95円を割ってきた。4年前までは160円代だったのが、
4割以上も下落したことになる。これはスペイン10年債利回りが7.59%にまで急上昇し、
更にイタリアの地方都市が破綻危機に瀕しているなど、ヨーロッパ金融危機がスペイン・
イタリアの地方政府・都市に出始めてきたため。日本だけでなく、欧州に輸出している
中国などが直接影響を受けている。もしユーロ圏内の国でデフォルトでも宣言されたら、
更に国債や株式・為替市場が暴落する負の連鎖が始まる。 やはりロンドン・オリンピックが
終わる頃から荒れた経済が表立ってくる。既に会社経営から退いたので、以前ほどの
心配はないが、それでも日常生活に直撃してくることになる。
このオリンピックが白々しく思えるほど世界の経済は逼迫しているということ。
   * いじめ
 小学校、中学校時の虐めは誰もが何らかのカタチで経験している。色いろ見てきたが、
それぞれが酷いもの。人間に格差と、差別がある限り、自然発生的に起こるのは避けられない。
虐め側の人は家庭に問題があり、成績が下位にあるか、性格が捩れていて、自分より
下位の人の弱点を見つけ徹底的に攻撃をする。彼らの特徴に徒党を組む習性が強く陰湿な
集団リンチ的要素が強くなり、強者にヘツライ、弱者に強持てになる。中学校の虐めグループの、
その後は、当然?修羅の人生の人が多い。今回、問題になっている大津市の虐めによる自殺は
タチの悪い虐めのようだが、今日明日にも自殺に追い込まれる直前の小・中学生が数百、
数千人が存在していると考えられる。しかし小・中学校時代の虐め経験は必要悪の側面がある。
特に会社組織は弱肉強食社会。そこには表立たない筆舌に言い表せない虐めが存在している。
そのための免疫を子供時代につくっておく必要性がある。虐める方も虐められる方も家庭問題に
よる歪みの起因の要素が大きい。般若の面は差別による虐めの怒りの表出というが。
・・・・・・・
3775, ユング ー11
2011年07月27日(水)
  * ユングの能動的想像とは? ー2   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
 コリン・ウィルソンは、ここで能動的想像の実例を幾つか取り上げている。
この内容からみると共同意識の世界まで入り込んでいるようで、夢の世界の奥行きの
深さを感じさせられる。私も夢で数知れないほど、奥の深い内容のものをみてきた。
【ーP/242ー もう一人のユソグ派の分析家J・マーヴィン。スピーゲルマソは、母親と娘と
老賢人に出会った洞窟での「空想」で、24歳のときに能動的想像の技法を獲得し始めた。
ある日騎士があらわれ、母親と娘をさらって行った。その騎士は、自分は話すべきいくつかの
話があり、また話を口述させたい「数人の他の人が自分の国」にいると説明した。 
それからスピーゲルマソは数年を費やして、騎士、尼僧、色情狂の女性、老いた中国人、
その他の人々が口述したいろいろな話を書き留めた。これらは、四巻の本になって出版された。 
あきらかにスピーゲルマソはブラッド・と同じ技法 ーつまり「別の自己」が内気を克服して
自分を表現するがままに任せる方法を用いた。そしてその結果は、多くの点で似ていた。 
このシリーズの第四巻『騎士』(「一九八二年)のなかで」スピーゲルマンはきわめて重要な
ことを観察している。すなわち、能動的想像を実行するのに成功すると、「共時的な事件が
規則的に起こり、きわめて神秘的な方法で世界とかかわりあえる」ことを観察した。
起こることは、内部的な仕事によって世界との関係がともかく変わることだと、
スピーゲルマンは言っている。それから彼は、雨ごい師の重要な話 ーもともとは
リヒアルト・ヴィルヘルムによってユソグに告げられた話を述べている。
< ヴィルへルムは、旱害に苦しんでいる遠い中国の村にいた。雨ごい師が遠い村から招かれた。
彼は村はずれにある一軒の小屋を所望し、三日間そこから外に出なかった。 その後土砂ぶりの
雨になり、ついで雪が降った。これは一年のその時季には前例のないことだった。
 ・・ヴィルヘルムは老人に、「あなたはどういうふうにして雨を降らしたのか」と聞いた。 
老人は、自分がそれをしたのではないと答えた。「私はあらゆることがきちんとしている国から
やって来ました。雨が降るぺきときには雨が降り、晴れが必要になれば晴れます。
人々自身がきちんとしています。ところが、この村の人々はみな、道からはずれていますし、
自分自身からもはずれています。 私はこの村に到着してすぐに、それにうつり(感染し)ました。
それで、私は一人になれるように、村はずれの一軒の小屋を所望したのです。私がもう一度道に
かなうようになったとき、雨が降りました」と。「道と自分自身にかなう」と老人が言っていることは、
ユングが個性化と言っているもの。脳の二つの半分の間に適切な交通があった。> 
雨が降らない村の人々は、左脳の自我で支配されていた。左脳の自我は、もろもろの問題に
過剰に反応する傾向にある。・・アメリカのハワード・ミラーは、人間には既に、ある形の能動的
想像を持っているとミラーがいっているのは実際には、右脳は オーケストラ、左脳が指揮者だ
ということ。】
▼ 連続シリーズの夢は一種の能動的想像になるのだろうか。人は夢日記をつけると、
つけないとでは、大きな違いが出る。 夢は、潜在意識を覗く手立て。それを記録にして書き残す
習慣は、考えてみれば自分を知る一番の方法である。父親の初七日に、父のベッドでみた夢
(以前にも書いたことがあったが)。父親の魂が私に入れ替わってしまった夢である。 
父がガン末期で、死の恐怖と闘っていた時に、傍にいて、それが直に伝わってきていた。
そして初七日に、その恐怖心が、そのまま夢で、体感したのである。問題は、それから。
ハッとして目覚めたとき、父親の自分が、私として存在している奇妙な実感である。
それから、私に10年以上、変な感覚が身についてしまったのである。
今から思うと、その感覚を使って、もっと見るべき世界を見てきた方が良かったが、
それは今だから言えること。自分の内なる沼には、底知れぬ深さがある。
・・・・・・・
3410, この国の終わり −6
2010年07月27日(火)
 * 日本の余命はあと僅かである  (P・107)
 どの時代でも、彼らの邪悪な発想(考える能力)は私たちの発想をはるかに超えていた。
彼らの悪辣さの度合いは、日本人の常識ではとてもついていけない。そのため私たちは、
世界を覆っている真実に対し、考えることを放棄し信じることをやめる。 福沢諭吉は彼の
『文明論之概略』の中で、開国を迫る列強の真意を次のように要約している。
≪ 即ち彼ら毛唐(=「外国人」の蔑称)の本音は、要するに「自分たちと商売をせよ、
さもなくば殺す、 と言っているのだ」と看破。その性温厚にして軟弱な江戸時代までの
日本人にとって、この考え方は常識をはるかにはずれた奇想天外の暴言であり、だからこそ
福沢もわざわざその事実を本の中でコメントしているのだ。 しかし彼らにとっては常識も常識、
至極まっとうな言い分であり、数万年の歴史をそれのみ集中して生きてきたといっても
過言ではない。そのような「彼ら」が、いままでは局地的な侵略と征服のみで過ごしてきたのは、
ただ単に地球を一極支配するだけの能力が、いま少し足りなかっただけのことである。
あるいはIT革命、情報革命といった、新しい最終的な手段が出そろっていなかったためでもある。
彼らはそれらが出そろうまで辛抱強く臥薪嘗胆してきた。虎視眈々と、いまに見ていろと
舌なめずりをしながら、それでもその時々にできうる最高の手段で、一極支配の地ならしを
してきたのである。そしていますべてを手中にし、すべての条件が整ったというわけだ。
福沢は彼らの言い分を「商売をせよ」と、当時の日本人がやっとフォローできる表現を
使って解説したが、本当はそんな生易しいものではない。 彼らが歴史で実証していることは、
「自分たちの奴隷になれ、さもなくば殺す」ということなのだ。 商売は、金儲けは、とっくに済んでいる。 金儲けの最終段階は、いまも昔も奴隷制度の貫徹である。さらに、究極の奴隷化とは、
頭脳の奴隷化なのだ。つまり、マインドコントロールのこと。いまこそ彼らは堂々と宣言する。
「我々の家畜になれ、奴隷になれ、ロボットになれ、さもなくば殺す」 それが最後の「お触れ」。 ≫
▼ それが30数年前から始めたアメリカの金融戦争である。 ドル一極支配下に入れ、
さもなくば叩き壊す。その際たるものが、この金融恐慌。 これで欧州連合のユーロは風前の灯。
たしかにドルも傷ついたが、胴元の被害は、早々に元に戻る。 更には中国もドルを1兆ドルも
持たされた。そして、数年後には、それらをアメロとかいう新ドル?でチャラにする。
それで日本は、その最大の被害者になる。家畜の運命は、そんなものか。
 ・・・・・・・
3035,「顔」を哲学すると
 2009年07月27日(月)
 「顔」について哲学をしている文章に殆ど出くわしたことがない。 特に女性の場合、
その造作で人生を変えてしまうほど大きな要素になるのにである。そこでネットで調べてみたが、
これはというのが、やはりない。それでは自分で考えてみることにした。古代よりクレオパトラや
小野の小町など、美人は特別に扱われてきた。考えてみれば顔の部分のバランスと、
全身のバランスが整っているだけで、何で?と誰も疑問を持たない。そこで考えられるのが、
顔が露出した全身の凝縮した表出であるからだ。また眼は内臓が身体の外に、そのまま出ている
唯一の部分である。「眼は口ほどに、モノをいい」というほど、内面が現出しやすい。
さらに顔は何代もかかって作られる。更に、年齢を重ねると苦労とか、感動、感激の蓄積した
内面が、そのまま現われ出てくるから、人間は顔に興味を抱く。どんな人間も顔には
ドラマが書いてあると大作家が語っていたが、その通り。男の顔は履歴書で、女の顔は請求書とは、
よくいったものだ。徳岡球子が歴史上の人物の顔をモチーフにした「面構え」シリーズで多くの
作品を残している。漫画的の描き方で、その人間の内面の味を炙り出している。 
晩年の顔ほど、その人の人柄が出るからだろう。その意味で写楽の絵が、その典型である。
 一月前にWoWoWで「写楽」を映画でみたが、これが面白い。 ところで若い女性にとっては、
美人かどうかが一大問題。  (字数制限のためカット 2012年7月27日)
・・・・・・・・・・
2670, おばさん、の話
 2008年07月27日(日)
「おばさん」という言葉が、既に「何とかハラスメント」という圧力があるという。
 ーおばさんとは、
「女という演技を止めた女性」「男と同じ部分をみつけて、同化を始めた女性」「老化のバランスの崩れに対して
抵抗しなくなった女性」「世間という世界にドップリ漬かった中年女」等々、書けば幾らでも要素が出てくる。
女という演技を止めた女というのが、言いえて妙。 女性が一番美しいのは、40歳前後という。 
  (字数制限のためカット 2010年7月27日)
・・・・・・・・・・
2007年07月27日(金)
2306, 1歳の息子に届いた成功者100人からの手紙 ー1 
  祥伝社 チャールズ・J・アクイスト      ー読書日記
 このようなプレゼントを、かって聞いたこともなかった。そのユニークな依頼に誠実に答えてくれるアメリカ人が素晴らしい。
成功者は、何かの共通した言葉を持っている。過って一歳だった自分の子供へのプレゼント!という、思いもあるのだろう。
彼らのシンプルだが真髄をついた言葉には感動するものが多い。米国の弁護士の著者が、息子の1歳の誕生日のプレゼントとして
「世の中で成功している偉人から、人生で成功するための助言をもらう」というアイデアを思いつき、1年近くかけて実行。
依頼をした「成功者」のジャンルは、政治、経済、芸能界、スポーツなど。大統領、大リーガーなどの著名人からの素晴らしい
アドバイスが届けられた。本書はそもそも、極めてプライベートなものとして依頼されたもので、「本にする」というアイデアは、
依頼者の一人のリチャード・ブランソンが、出版のための依頼だと勘違いして手紙に書いてきたところから思いついたもの。
その為に出版にあたっては、返信してきた全員に再度依頼して承諾書をもらった。その結果、95%の人は快諾し出版に至ったという。
この本の利益は全て寄付をするという言葉も書き添えたところが良い。  著者が送った質問は次の通りである。
*どうすれば人生で成功できますか?  *世界で一番大切なことはなんですか?
*愛とはなんですか?         *幸せとはなんですか?
(次回、私のこの答えを書いてみようか?)
これに対する答えが、回答者の価値観を浮かび上がらせている。上記質問に対して、空欄に答えを書いて返信してきた人、
書ききれず別途に長文を書く人もいた。 著名人だけあって、自分専用のレターパッドを使っている人もいた。
レターパッドにタイプ打ちして、自筆のサインを見ると、この人はこんなレターパッドなのか!とか、サインはこんななのか!とか、
普段あまり目にすることのできない、側面を見ることができる。
  読んでみると、なかなか心のこもった座右の銘が多い。 次のことは、その中で多く見られた言葉である。
一番のベースとして、大事なことばかりだ。「ベストをつくせ」「家族と友人を大事にしなさい」
「愛とは、見返りをもとめないこと」「決してあきらめない」「誠実であれ」「好きなことを極める」
「親のいうことをきけ」等々ある。   以下、印象的な人の言葉を抜粋してみる。
●良い判断を下すには情報が必要だ。
●すべての善人に過去があり、すべての罪人に未来がある。
●自分の性格判断の簡単な方法は、何もしてくれない人にどう接しているかを知ることだ。
  (字数制限のためカット 2014年7月27日)


4881,閑話小題 ーエコ葬〜フリーズドライ葬

2014年07月26日(土)

   * エコ葬儀、フリーズドライ葬
日本では大方が火葬だが、遺体を凍らせる「フリーズドライ葬」が、エコ葬儀として注目を集めている。
そこでネット検索をしたところ、以下のような内容が出てきた。
≪ これを開発したのは、スウェーデン生物学者のSusanne Wiigh-Masak氏。
科学教室などでも良く使われる液体窒素は、いろいろなものを瞬時に凍らせることで知られています。
例えば凍らせたバラの花を手で砕いた映像をなどを見たことがあるが、あのようにフリーズドライ葬は、
この液体窒素を使用し遺体をマイナス18℃で乾燥凍結した後に砕いて細かくする。
そして水銀などの重金属を取り除いてから、でんぷんを主原料にする生分解性の容器にいれて
埋葬するもの。原理としてはフリーズドライの食品を作るのと同じ。 埋葬した遺体は時間をかけて
土の中で分解し、植物などに栄養を与えてくれることにもつながる。死んだら皆土に還る…
が本当の意味で実現できそうです。まだ、いくつかクリアしないといけない課題はあるが、
この方法を「プロメッション(promession)」と呼び、費用は約290ユーロ。
大よそ4万円。韓国でも本格導入を計画。≫ 
 ▼ 重油で焼かれるイメージは、何か良くないが、乾燥冷凍後に砕かれ土の中で分解されるなら?
 これなら庭の木の下に埋めることも可能? 特に、災害時に手軽にトラクターにコンパクトな乾燥
冷凍機を持ち込めば、処理がスムースにいく? どちらと問われれば、私はフリーズドライを選ぶが、
所詮は死んでしまえばゴミ。 先日、スーパーで果物を乾燥させたチップスを買ってサクサク食べた・・ あれ。
  ところで以前、イタリアのドキュメントで、マフィアが殺した遺体を処理する「硫酸入りプール」
の存在をレポート。何か、寒々とした後味の悪い内容だった。 やはり重油で1時間かけ、焼いて
もらう火葬が良い? そういえば中国で、遺体捨場に着の身着のままで捨てられた遺体を映し出す
TVレポートを見たことがあった。 それも前にレポートされていた本人の映像が映し出された後に、
凍りついた遺体である。 ところで、フリーズドライをセメンに混ぜた墓は? 生々しい?
 位牌程度なら? ・・お後が宜しいようで! 
・・・・・・
4514,スポーツ自転車の勧め! ー1
2013年07月26日(金)
   * スポーツ自転車入門    「自転車で痩せた人」高千穂 遙 (著)
 私のは、電動のマウンテンバイク。値段は5万9800だが、これが大当たり!それまで
30年近くのウォーキングの習慣があった為、それを自転車に切替えたのでスンナリいった。
早朝の一時間が、自分へのプレゼントと思えるほど。
   まず ー内容(アマゾンより)ー
50歳の春、肥満体型と高脂血症、高血圧を改善するために手にしたのは、スポーツ自転車だった。
わずか2年で24キロの減量を成し遂げ、体脂肪率は24%から10%以下に。 明るく楽しく、そして
激しく愛車に乗りまくる日々を活写するとともに、ダイエット成功の秘訣をすべて公開する。
  〜入門書としても最適な本である。主観をもって、まとめると、こういうことになる。
≪ 自転車には、ママチャリとスポーツタイプに、まず分けられる。そして、スポーツタイプには、
ロードバイク、マウンテンバイクがあり、最近では、この二つをミックス(=クロス)したクロスバイクが
現れてきた。これに折畳みが出来るフォルディングバイクと、車輪の小さなミニベロがある。
それと色々な競技を楽しむBMXがある。 著者は健康不足を医師に指摘され、考えあぐねた上に
スポーツ自転車を思いつき、クロスバイクを2002年2月から乗り始めた。 しかし暫くして、
物足りなさを感じて特別仕様のスポルティーフの自転車をつくる。 その後、気がついたのが、
ツールドフランスなどで見る「純競技用のマシンのTREK5500」。これを買ったのが正解で、
人生のパートナーになってしまった。これを買って決めたことが、「毎日乗ること」。 
値段が高いため、一度乗ると、自転車から離れることが出来ない。公衆トイレなら中に持ち込む。
盗まれる危険が高いからだ。 そして2年で、20キロ、体重の10%以上の減量に成功した。
そして一年後、更に10%、58キロまで体重が減った。定例走行距離が64キロになっていた。
「自転車はすごい。自転車はいい。自転車は楽しい。」と、断言する。 定年退職をむかえ、
体力に自信のない人、健康に不安な人、無趣味の人、時間を持て余している人、一日中ボッと
している人にお勧め。 型はスポーツ車、出来ればロードタイプがいい。 自転車と思うと目が
飛び出るほど高いが、自動車、オートバイからすれば安い。その価格で、F1クラスのスーパー
レーシングマシンが手に入るのである。こんなことは自転車以外、絶対にありえない。
〈暇を持て余し、不健康この上ない諸君。 スポーツ自転車を買おう。買って、毎日数十キロ
(20〜50キロ)走ろう。 そうすれば体重脂肪率10%以下は、決して夢でない・・・〉 ≫ 
 ▼ これは自転車入門書である。著者にとっての効用の一つが肥満と血圧の改善。
ここには書いてないが、自転車で自然の中を汗をかきながら走って見える景色と爽快感は
何もの代え難い。 実際に4年近く信濃川にかかる二つの大橋と両側の土手を自転車で一周
しているので、よく分かる。 年齢が年齢なので電動アシストだが・・ 著者のように毎日60kmの
走行ができれば25kg痩せることが出来るかもしれないが、普通の人では無理。 
とにもかくにも、走りまくること。一度走り出せば、必ず病みつきになる、これは!
これを読んだ御陰で、早朝に行き交う自転車の種類とマニアのレベルが少し見えてきた。 
そして自分のレベルもである。ママチャリでノンビリと走っている人からレーシングマシーンに
乗っている人まで、何組も出会う。そこに電動アシストのマウンテンバイク。ママチャリレベルである。
一昨日、昼間、20万以上もする折畳み自転車を乗っているのを見かけた。
それも、この本を読んでなければ分からないこと。
・・・・・・
4140, スポーツジムの景色 ー2
2012年07月26日(木)
 去年の同月同日にスポーツジムについて書いていたので、その一年後の感想を書いてみる。
所用で市外に出てた以外に、気が進まないとかで休んだことは一度も無い。露骨な卑しい?視線を感じて、何度も止めようと
思ったことがあったが、「とにかく一年」と思っているうちに何とも感じなくなっていた。その後、各種のエアロビックスの
プログラム全てに参加してみたが、三月からのスローヨガに週二回だけに参加している。(勘違いで一回休んだ以外は全勤)
それと円座に置かれた6台のマシーンと、交互に置かれたステップ台を、インストラクターの掛け声で12人が参加する
イージーライン(30分)を連続二回と、ウォーキングマシーン(20〜30分)が私の日課。滞在時間は平均二時間である。
 16ヶ月になるが、40年、50年以上の足腰の関節の硬化が徐々に解れてきた実感がする。しかし、「養生に預金無し」で、
続けるからこそ価値がある。とにかく雰囲気が明るいのが気に入っている。 早朝4時過ぎから13時過ぎまでが午前の部で、
午後の部は13時過ぎのスポーツジムから21時に就寝するまで。 その意味で、日課として大きな位置を占めている。
顔見知りになっても軽く会釈するだけで、個人的会話はゼロ。ただ独り黙々とコースをこなして帰ってくる。この一年で変化した
ことは、午前中から午後になったこと。 会員は老若男女、幅広い。それらの人が毎日、同じプログラムに参加する。
 4〜11月までは一日三時間の運動量は健康にとって、このうえない。金・日曜・祭日は、休日と契約規定で参加出来ないため、
近くの市営のスポーツジムに参加をしているが、これも相変わらず通っている。値段は三ヶ月、1800円で、これも慣れると
丁度良い使いかってになる。 今のところ新しい生活環境の中、何とか肉体も精神も正常を保っている。人間は働きの中で
社会に組み込まれていると思っていたが、そうじゃないことが分かってきた。全て一人一人の思い込みで生きているだけ! 
「一日一日を面白可笑しく生きること」ただ、それだけ。ところで時どき会うスナックのママさん、「毎日、風呂とサウナだけで、
他は気が向かないと行かない」といいう。 私の場合、スローヨガだけ参加という使い方もある。そういえば一言二言話す
同じ年代の男性がいるが、ヨガだけで帰っていくが、六回参加して一回千円としても十分に価値がある。
 一週間の日程の中で、他に二回の図書館通いがあるが、他に新しい世界を探す時期にきているが・・・ 
毎日をフワフワ浮いたように気ままにいるのが、こんなに充実感があるとは思わなかった。母親も家内も、これをやっていたのだ。
これが「日々是悠々」なら、私は数十年も「日々是恐々」だった。家内からみて、「私は生活を楽しむ人、貴方は働く人」だったか?
・・・・・・・
3774, スポーツジムの景色
2011年07月26日(火)
 スポーツジムに通い始めて4ヶ月足らずになる。そこには中年女性を中心に、あとは年代は30歳から80歳半ばまで様々で、
平均40歳半ばというところか。 65歳の私が場違いという感は全くなく、中年女性の二人連れが目立つ。夫婦は数組である。
男女は一対三の割合だが、私の選んだコースが平日中心の10〜17時までコースで、主婦が中心ということもある。
スタッフに客の集中する時間帯を聞いたところ、夜と、土・日曜日という。それでも私の行っている午前中でも満杯だった会員が、
5月の連休明けから、急減した。ここでも東北大震災が直撃しているようだ。(二ヶ月先払いのため、その影響は2ヶ月先に出る)
 そこで、顔見知りが二人いたが、地元だから当然のこと。 場所は自宅から車で1〜2分(500メートル先)のところにあり、
まだオープンして半年も経ってない。 ここのオープンは私にとって渡りに舟だが、イメージと実際に通った実感は大きく違う。
一年以上、通ったと通わないとでは、これでは大きな差が出て当然である。これは是非とも勧めである。
私の場合、オープンの10時に行って、イージーラインの予約札をとって、30分近くはマッサージ・ルームで過ごす。
そして10時半からの25分間のイージーラインに参加する。これは6台のマシーン(腰、肩、脚など)で、バランス良く配置され、
一人のインストラクターが指導するシステムになっている。それが終わると再び、マッサージ・ルームか、ランニング・マシーンで
30分過ごす。その後、エアロビックスか、再びイージーラインに参加し、大よそ二時間で終了する。
 週に一度は外出をして、近くで昼飯をとって午後のエアロビに一部に参加する。 早朝の、この随想日記の書き上げ、
信濃川の川辺のサイクリング、そして、このジムが、昼までの生活習慣の三本柱になっている。午後からは、本を読んだり、
録画を見たり、昼寝をしたり気ままに時間を過ごす。 頭も身体もフル回転で健康そのもの。昼飯が非常に美味いこと、このうえない。
 成るほど、この日々は、平凡で、刺激が少ないが、それでも良い。 ギアチェンジをしてみて、リタイアをした人は、実際に何をして
過ごしているのか不思議だったが、成るほど合点してきた。 誰とも殆ど口をきかないとしても、そこにいるだけで孤独感は少なくなる。
レオタードなどを着た女性たちのエネルギーに溢れた場所は、そこに居るだけで充電になる。特にブラで補填した? 胸の膨らみには!
 ・・・・・・・
3409, この国の終わり ー5
2010年07月26日(月)
  終始一貫、日本の現状と先行きに悲観的である。欧米人を知り尽くしているからである。一神教は他の宗教に対して、
 奴隷か、死の二者択一ということをである。共産主義圏の崩壊後は、それほど日本の位置づけは大きくなくなった。
 後は、日本からの借財をチャラにする、いつものコースである。それが、911であり、915である。
 これは、仕掛けられた事件と見れば、以下の著者の論が理解できる。
  * 日本人なぶり殺しの条件は整った 
≪(P−107) この章では、考えることのできない日本民族の明日の運命が問題だ。その運命は‥、喩えれば、10メートル先の線路は
 切断されていて、目前の千尋の谷に渡した鉄橋は影形もなくなっているのに、時速5百キロほどの速度で突っ走る無人列車に
 乗っているような状態が日本民族の現実なのである。 しかもそれは自然とそうなっているのではなく、完全に「彼ら」によって
 仕組まれている。それに気づき、かつ確認する方法は2つしかない。
・ひとつは私がここで紹介する何冊もの本を読み、その内容をまず最初に疑った後で、自分の努力で検討し、真偽を探り、試行錯誤を
 繰り返しながら深刻に悩み、時には身の危険を冒した個人的なリサーチを試み、また世界各地を自分の足で回り、最低1、2年の期間
 その場所に滞在し、実地に自らの経験を積み、見聞を広め、再び文献を洗い直して真贋を探るといった努力をすることである。
 だが、これはほとんど、というより確実に不可能だろう。 問題は、私の時代と違って、それだけの時間的余裕がまだ残っているか
 どうかであり、それに関して私は百パーセント悲観的である。 日本滅亡の必然を学び取り、納得したときに、もうこの国はない。
・もうひとつの、より安易だが、さりとてしないよりはずっとましな方法は、この私の文章を最後まで読み、内容を信じ、
 私と一緒に立ち上がり、行動することだ。 しかし(そうするとしても)、最初からもう一度はっきり断っておこう。
 まず九分九厘すべては手遅れである――と。 この国は終わる。 仮に私たちがその無人暴走列車に乗っていることを確認
 できたからといって、それを止める方法は何ひとつないのだから。何しろブレーキが「彼ら」によって破壊されているのだから。
 これは一種の完全犯罪なのだ。となれば、またしても奇跡が必要である。 昭和では吹かなかった神風が、平成で吹くだろうか?
 私たちは新しい『立正安国論』が生まれるのを祈るしかない。しかし―、時代が違う。21世紀の安国の実用にはならない。
  ・・・イルミナティの確信犯的犯罪などに対しては、もはや、いかんともしがたいのである。・・・
  ロスチャイルドやロックフェラーといった世界の超・大財閥から流れる彼らの資金は潤沢・膨大にある。
 見返りはそれ以上に膨大なのだから、彼らの出資を躊躇させるものは何もない。  後は世界の他の部分の征服との兼ね合い、
 つまり一極支配へのスケジュール的なタイミングに過ぎない。 即ち彼らの言う「アジェンダ(実行予定順位)」だ。 ≫
 ▼ この文章が4年以上前に書かれている。 2008年9月15日のリーマン・ブラザーの倒産から始った金融恐慌と、2012年末から
   起こる?大恐慌と新ドルなどの通貨切り替えが、日本人、そして世界の弱者への「なぶり殺し」ということになる。
   そこで著者の林秀彦は、99パーは、既に手遅れという。この国は終わっているのか? 気がついても、どうにもならない!
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3034, バブル時と現在の比較は
2009年07月26日(日)
 大よそ20年前と現在を比較した年表があった。 (日経新聞記事内)
比べてみると、なるほど面白い。如何に金融政策に我われが踊らされているかが理解できる。
 当時は、それだけ豊かというと、その実感はない。(反対に、当時と比べて現在は貧しいかというと、それも感じない)
           ー1990年ー           ー2009年ー
日経平均株価    3万8915円(89年年末)     9287円(07年7月10日)
日本の土地資産   2477兆円 (90年末)      1253兆円(08年末)
平均マンション価格  6123万円 (90年、首都圏)  4775万円(08年、同)
新設住宅着工数     170万戸             109万戸(08年)
ゴルフ会員権価格   4388万円            325万円
サラリーマンの小遣い  76000円           45600円
大卒求人倍率       2・86倍            1・62倍
▼ 土地資産は半分だが、今回の暴落を考えると、三〜五分の一。   株価は四分の一だが、買い支えを考えると、五分の一。
 サラリーマンの小遣いは6割は厳しい。             ゴルフ会員権が十三分の一は、喜ぶべきか悲しむべきか。
バブルが異常過ぎたとすれば、健全な数字。いや、まだ高い。   株・土地・マンションなどは、まだまだ下がってよい。
20年前でなく、私が大学を卒業をした40年前からみたら、現在の半分以下の豊かさ。
半分以下になっても、情報化で自由と個人がより尊重されれば心は豊かになる?
 ただ、現在は、世代間ギャップがあまりに大きいので、マイナー世代が荒んでいるが、
荒みが荒みで無くなっていく。 人生は、その時々でやるべきことをこなしておけば後悔はない。 いや、あるか!
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2669, 日本経済の崩壊と資産防衛 ー2
 2008年07月26日(土)
ドルが暴落をしたところで、アメリカは何の損失も受けることはない。 金本位制度に戻せばよいからだ。 
無制限に刷ったドルで金を買い占めておいて、権威の失墜したところで金本位制度に戻せばドルの価値は戻る。 
その時点でアメリカはドル本位制度に戻す選択肢を持っている。ところが落ち込んだ日本円は、元に戻ることは無い。 
金そのものがアメリカの40分の1しかないのである。もちろん、アメリカは、金本位制度のドルと、それまでのドルは
交換できない仕組みにする。そう考えると、国家戦略としての奪略である。日本を属国にしておく為に金の備蓄に異常なくらい
圧力をかけたという。 日本など、使い捨てで最後は全てを剥奪する手はずになっている。残酷なものだ。 アメリカ本土には
穀物だけは充分に生産能力がある。更にアラスカには資源が充分に埋まっている。日本がアメリカの国債を500兆円近く
持たされている事実をマスコミは騒がないが、既成の事実である。これらも価値として半分、いや三分の一になる可能性も出てくる。
地方は実感として、既に恐慌一歩手前になっている。これにガソリンの異常高とくれば、一人一台という所有が当たり前の地方では、
深刻な家計の問題が生じる。農業・漁業、公共事業で景気維持をしていた地方は、この一連の経済崩壊の中で更に悲惨な事態になる。
その上に年寄りの多い地方は、年金破綻が大問題にもなる。実際には第二次大戦と、明治維新の時代より、大きな時代の変化に
晒されているのである。日本のバブルが弾けたときに株価が6分の一になったが、それからするとアメリカは3千ドル代になる。
ドルも60円を割ることになるだろう。 これから10年スパンで考えると、こと日本は最悪の道を辿るしかない。
   (字数制限のためカット、2014年、7月26日)


4880,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー43

2014年07月25日(金)

   * チェーンストアの組織論の特徴
 チェーンストア組織論の特徴は「3階層」「5職能」 で表現される。(少し専門的な内容になるが)
★ 「3階層」 とは<トップ>  <スペシャリスト> <ワーカー> の階層。
 階層を増やさず、可能な限りフラットにし、ミドル・マネジメントを増やさないシンプルな組織が特徴。 
 ○ スペシャリストは、それぞれの専門で、店舗なら多くの店の運営を、バイヤーなら、各部門の
  仕入れ経験をこなし、それぞれの商品の専門キャリアを多く持っている人をいう。
  売場では、多くの店と売場を経験した店長、次長がスペシャリストに入る。
 ○ ワーカーは、マニュアルに従って作業をする職階の人で、ノンキャリア社員、パート、アルバイト。 
  ところが、情報機器の進化で、現場段階のワーカーと、スペシャリストの区分が曖昧になっている。
  スペシャリストの技能が情報機器で簡単に使えるようになっているため。
★ 「5職能」 とは横割りを5つに増やし トップの下で
 <スタッフ> ※トップのためのスタッフ
 <サービス>
 <ライン・スタッフ>    
 <クリエイティブ・ライン> (商品部) 〜仕入れ担当で、一般的にいうバイヤー
 <オペレーション・ライン> (店舗、加工、物流施設の運営)
  の機能で分担する組織である。
▼ 旧来型の組織論のライン、スタッフ、サービスの3職能を、3階層、5職能で理論付けが特徴!
 ここで目新のが <ライン・スタッフ> =ラインのためのスタッフ。 クリエイティブ・ラインや
オペレション・ライン(マネジャー)に付くスタッフのこと。ラインの業務プロセス作り、カイゼン、
有益な情報・データの提供などでサポートするスペシャリスト。
 これらは、チェーンストア統一伝票システムから成立した部門別管理と、それぞれのマニュアルが、
ベースになる。それぞれの教育計画は、社員と幹部の登用試験制度と、配転計画のキャリアから成立する。
トップ育成計画と、スペシャリスト育成教育、正社員教育システムに則って、それぞれ行われる。
特にトップ教育は、本人以外には知らされずに行われるメニューがある。職能として、
スタッフとして、新規出店の開発部門、経営計画作成、サービスの財務などの配転の中で育てられる!
官僚のキャリアの育成計画は、この計画にそって出世競争の中で勝ち残った者が選択されるのと同じ。
 右上がりの時代ならよいが、右下がりになると、配転計画段階で、多くが排除されていくしかない。
私自身は、自ら10年目に行うべき配転計画の判断ミスをしてしまった。それも、自分の限界と
割りきるしかないが・・ 高度経済成長時代の鬼っ子ということか。
・・・・・・
4513, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー7
2013年07月25日(木)
              『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者そのままを私の事前指示書にしたいぐらいだ。そこで早速、図書館から借りていたこの本を、
アマゾンで注文をした。その本に、自分の希望を書いたポストイットを貼り付け、仏壇の引き出しに
入れておけば、それがそのまま指示書になる。そして気が向いたらまとめてブログの分類コーナーを
作り、張り付けておけば良い。 実際のところ、気がすすまないのか、面白いのか。 
死際を考えると、すべきこと。ーまずは、その指示書からー
≪   ー 事前指示書(その1)ー     2006年9月17日2 中村仁
 「医療死」より「自然死」が好みのため、意識不明や正常な判断力が失われた場合、下記を希望する
  (ぼけた時は、ぼける直前に「断食死」を敢行するつもりだが、タイミングを外す場合も考慮して)。
1 できる限り救急車を呼ばない
1 脳の実質に損傷ありと予想される場合は、開頭手術は辞退する
1 原因のいかんを問わず一度心臓が停止すれば蘇生術は施さない
1 人工透析はしない
1 経口摂取が不能になれば寿命が尽きたと考え、中心静脈栄養、末梢静脈輸液は行わない
1 不幸にも人工呼吸器が装着された場合、改善の見込みがなければその時点で取外して差し支えない
   ー 事前指示(その2)ー
1 使い古しの臓器は提供しない
1 葬儀式は簡素に家族だけで、遠方の者には連絡せずとも良し、葬儀会館使用も可
1 読経、死後戒名は不要
1 告別式不要、供花、香典は辞退すること
1 死体処理は完全に灰にするか、凍結乾燥粉砕で肥料にせよ
  (もし、偲ぶよすがが欲しければ、髪の毛か下の毛を刈り取るべし)
1 年忌法要、墓石詣リは不要(但し、死体処理が希望通りにならず、骨が残れば、死後戒名、
  年忌法要行うも苦しからず、墓石詣リも勝手たるべし)                ≫
 ▼【一切の延命処置を拒否し、葬式は密葬。坊様の読経も墓も必要としない。骨は、先祖の墓に読経なしで、
  家族の手だけで入れて欲しい。】これが私に似合っている。父の口癖が「死んでしまえば、それまでよ」。
  死ななくても、「いつ何時、何ごとも、一期一会、瞬時過ぎれば、それまでよ」である。
・・・・・・
4139, 元始、ママは太陽であった ー2
2012年07月25日(水)
   * スナックは「未知なる異空間の社交場」
 著者の言葉そのままに、何処の店も似たかよったりである。この長期不況のため、客足は激減、スナックの数も同様である。
何とか存続しているのは、昔からの店で固定客を掴んでいる店だが、話は不景気の話ばかり。やはり還暦過ぎると、以前のような
元気は減退、それにつれて回数も減っている。それでも月に平均二回は通っているが一晩3〜4軒のハシゴが2〜3軒で帰ってくる。
高度成長期の一時期を除くと、スナックは儲かる仕事ではなくなった。 まあ、よく維持していると感心する。 一部をコピーする。
≪ 日本全国にスナックはたぶん15万軒ぐらいある。15万軒の扉の中で、毎晩『つぐない』や『銀恋』や『麦畑』や
『津軽海峡冬景色』が何万回も歌われて、何十万人もの家族が、何十万人もの家長のママを囲んで和気藹々夜を楽しんでいる。
家に帰れば別の家族が待っているママもいるし、ひとり暮らしのマスターもいる。 店の中では一緒に遊べる家庭があって、
飲んだり歌ったり、お腹すいたら焼きウドン作ってみんなで食べたり、「今度はどこの温泉に行こうかなど盛り上がったりしている。
 この数年でやたぶん200軒以上のスナックに足を運んできたけれど、裕福なママやマスターなんて一人もいなかった。
「儲けを考えたら、こんなことやってませんよ」というのは、僕がいままでインタビューで、一番よく聞いた言葉のひとつ。
でも、そこには別の「幸せ」と呼ぶのは大げさかもしれないけれど、こころのコリをほぐしてくれる温いなにかが、確かにあった。
有名スポーツ選手を射止あたり、年収、何億という女社長になったり、名家の女家長どして君臨したりオンナ道の「勝ぢ方」にも
いろいろあるのだろう。でも、もし僕がいい年したオバサンだったとしたら、気の良い常連たちに恵まれた、場末の小さな
スナックのママでいる以上の幸せは、なかなか思いつかない。 ところで一説によると、日本で一番多いスナック名は「来夢来人」
(ライムライト)という。ネットによると、その名前のママが四人揃ってライムライト・サミットが開かれたといか。不景気話が
中心だったと思うが?・・ スナックを「未知の異空間の社交場に人生の酸いも甘いも知り尽くしたママが待っていると考えるか、
酔っ払い相手の怪しげな空間として捉えるか」でスナックの価値(意味)も変ってくる。 カフェやバー、こじゃれたレストランが
ない町は日本中にたくさんあるけれど、スナックのない町は殆んどない。共通の異空間を人を求めているのだ。≫
 ▼ そういえば、タンザニアの年越しに行ったスナックが印象的だった。タクシードライバーを中心にした小さな村の中に
  10坪位の掘っ立て小屋だが、カウンターがあり、テーブルと椅子が5〜6あるスナック。そこに30歳位のグラマーの
  現地人ママがいて、年末の年越しのため10人位が焼肉パーティーをしていた。私たち日本人5人が、そこに加わり大騒ぎ、
  しかし、10メートル先にはハイエナが数匹、唸り声をあげていた。タンザニアの片田舎にも日本と同じようなスナックが
  存在していること自体が奇妙な気持ちだった。スナック、そこは漆黒の異次元の寂しさを紛らわす共同空間でもある。
 ・・・・・・・・
3773, 閑話小題 ー今場所は面白い大相撲
2011年07月25日(月)
   * 今場所は面白い!
 大相撲、今場所は、いやに面白い!相撲はプロレスと同じでないとしても「現在も談合の臭い強い○○業界?」と酷似した世界。
いずれにしても数年内に、これまでの延長上の事件が発覚、「現在の相撲協会は解体、根本的出直しの事態になる」こと必定。
「税金免除の談合社会も終わりをつげる」可能性を孕んでいる。 しかし、少なくとも今場所は八百長はやりつらい。
 で、まず「あの方」が引退に追い込まれた。 この場所全体を俯瞰すると三十代半ばの力士達の、勝率が極端に良くない。
興行上、大関以上に日本人は一人は必要。そこで来場所から、何の引退の替わりに日本力士が大関になる筋書きになってはいたが、
今場所は難しい。で、・・ 全体が阿吽の呼吸で場所全体の筋書きを創作するといえば、恰好がよいが、阿吽の談合が大相撲の
本来の伝統?「それを今さら何をいっているか!」が、彼ら役者(親方を含め)の言い分である。それをいっては御終いだが、
事実は事実。現在の協会が解体されれば、国技?を前提にした税金免除だけでなく、これまでの備蓄金も没収される。 
せっかく日本的伝統を長年かけ、つくり上げてきた親方制度の蜜が吸えなくなるため、親方衆が保守的になるのは当然。 
で、今場所は、どうも、こうも、「僕らは、そうすれば良いの?」が、露出しているから、これほど面白い場所はなかった。
今場所は、優勝は大関の日馬富士。大関に一歩及ばなかった一人を含めた関脇の三人が、大関に向けて一線に並んだ。 
また、八百長で20数名の力士が追放された効果で、若手が一挙に十両・幕内になった。 地位は人を作るで、数場所で、
それなりの実力が備わってくるはず。その怪我の功名で、相撲が俄然面白くなってきた。 この傾向は数年は続くだろう。
有望な力士も、古参に苛められ若いうちに、その力が発揮しないうちに枯れてしまうのが、これまでのパターン。
その上に、貸し借り、金銭のやり取りで昇進が決まってくるから関取になったと同時に変になってしまう。 
その意味で当面は大相撲は復活するだろう。 若手有望力士の台頭がテーマでキャンペーンをはれば良い。
ということは古参力士の大量の引退劇が始り、相撲自体が新鮮になる。 何処の世界も同じ。老兵は消え去るのみか!
 ・・・・・・・
3408, この国の終わり −4
2010年07月25日(日)
  * 「取り繕い」国家の「その日暮らし」民族
 ー(P・53) 原爆を落とされる直前まで、私たちはせっせと竹槍を作っていたのはつい最近の出来事である。
 いくら資源不足の国とはいえ、なんとも象徴的な風景ではないか! それが何になったか。この大悲劇の教訓は、その後も
 全く生かされなかった。現在、足音高らかに近づいた究極の世界的大陰謀という「目」に対し、私たちの「目」は老眼にかすみ、
 日本民族総家畜化という「歯」に対しては、私たちの「歯」は全部抜け落ち、入れ歯さえもちあわせていないのである。
 この世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。 いったい世界で昨日今日何が起きているのかが、わかっていない。
 新聞に書いてある程度は読んでいるかもしれないが、その記事を疑う段階までは決していかない。ブッシュの言動と小泉の
 言動の間にある因果関係を考察する意欲もない。ということは、即、明日の自分の命には無関心だということである。
 なぜか?考えるということができないからである。 目にはカラオケ、歯にはパチンコで毎日を過ごしているのである。 
 明治国家がインスタント国家であり、急場しのぎ国家、間に合わせ国家、一夜漬け国家、ツギハギ国家だったことは確かなことだ。 
 世界のあらゆる事情に応急対応を迫られ、いずれかゆっくり腰をすえ・・と一時しのぎのつもりが、ずるずるここまで生き延びた。
▼ 現在の民主党の沖縄軍事基地の対応も、まさに著者のいう「取り繕い」そのものに終始している。
 この本が書かれて4年経ち、その二年後にリーマンショックがあり、世界に先駆けて国家存亡の危機に立たされている現在でも、
 ただ「その日暮らし」の政策しかたてることが出来ない。 4年前には、この著は「過激」に受け止められたが、現在ではご覧の通り。
 自民党と民主党という二大政党の看板はあれど、旧態以前の体質は変わってない。軍事も、金融も米国に支配され、身動きが
 とれないで、ただ目先を「取り繕い」、「その日暮らし」をするしかない。ほぼ完全占拠されている現実が直視できないのである。
 軍事ひとつとっても、ほぼ全て米国製。部品補給をストップされれば裸同然になる。中国、北朝鮮の防衛の一環のための米軍基地の
 配置というが、実際は日本の軍事占領。金融も、アメリカ国債に500兆円も買わされている。で、変動為替で、ある時期に
 来るとドルの価値を下げてチャラにさせられてきた。それを知って知らないふり。
 政治家も官僚も、むしろ尻尾を振って従わざっているとしか思えないのである。彼らは日本がアメリカの支配下にあることを
 知り尽くしているからである。 北とか中国の脅威より、この見えざる搾取の方が遥かに深刻である。これが現状である。
 ・・・・・・・・・
3033,刑事が家にやってきた
 2009年07月25日(土)
 先日、家に帰ると家内が
「今朝、あなたが出かけて直ぐに刑事がきて『御主人がいますか』というので、普段は8時15分に出るのですが、
病院に一度行った後、そう20分ほど前の11時前に出かけた」といったという。そこで刑事が「先ほど真ん前のアパート2Fの
一番奥の部屋の窓が割られ、泥棒が入りそうになったが、部屋には住人が居て、通報をしたため逃げた。
    (字数制限のためカット 2012年7月25日)
・・・・・・・・・
2668, 日本経済の崩壊と資産防衛
 2008年07月25日(金)
二年と三年前に二回受けたセミナーのシリーズが、再び開講するというので一昨日、受講してきた。
講師の清水洋氏は《平成20年からマーケットの大転換》があると言い続けてきたが、いよいよ現実化をしてきた。
《日本経済はかってない構造変化を体験するので、早めに手をうって事業と財産を守れ》というのが、彼が一貫して言い続けている
ことである。今年になって、サブ・プライム問題がアメリカで表面化をして、一挙に世界の景気の陰りが出てきた。
数年前に出席したときに、言っていたことが、まさにそのとおりになってきた。今年になって読んだ本にも同じようなことが
書いてあったが・・ 講師は予告どおりになっているので上機嫌だったが、聞いている方は、その激しさに震撼とした空気であった。 
  その内容を印象に強かった順に大筋書いてみる。
・金利の高騰は、既に始っており6〜7?になっている。 出来たら固定金利に換えておくこと。
・とにかく破産者が多い。生活保護世帯も二年間で130万から150万世帯に増えた。
 零細・中小企業の倒産、廃業が信じられないぐらい多い。
・ガソリンスタンドが現在4万あるが、60パーが淘汰される。
 (一例をとると、ガソリンは赤ランプがついてから入れにくる車が増え、その上に千円しか入れない)
・地方は老人と子供が増えて、商売が成り立たない職種が増えてきている。
・問題は国債だが、それより年金の未払いの数字が膨大にあるのを、国民は知らされてない。800兆円あるという。
・生産者優先の社会から、消費者優先の社会への大転換が雪崩をうって進みはじめた。
・金は現在、Kgあたり350万だが600万はいくだろう。
・アメリカのドルは近々には暴落をするが、その後に金か農作物本位制度で復活する。しかし日本は暴落はするが金を
 持つことをアメリカから間接的圧力で持たされなかった。アメリカの金の在庫量が7500万トンだが、
 日本は170万トン、ドイツは350万トンしかない。
・郵政民営化は、郵貯の資金が外国に逃げることを意味している。
・国家破綻の結果として、ハイパーインフレが生じ、国債が暴落。国民の資金の価値が暴落。それで国の借金をチャラ?
 国家破綻は政府の破綻。それを外国メディアが正確に報じる。(外国メディアに敏感であれ)国民は、
 消費意欲が極端に落ち、さらなるデフレへ。
・スイスフラン、ユーロダラーや、金の現物にリスクヘッジをしておくこと。
・2〜3年後には、ドルと円の破綻は間違いない。
・人口減少社会は、300年に一度の社会的大変化の時代に突入。それは、明治維新、第二次大戦の終戦に匹敵する
  ー以上だが、次回は私なりの意見を書く。  - 2008年07月23日 13時〜17時 会場 御茶ノ水 山の上ホテル −


4879,閑話小題 ー最近、またカラスが・・

2014年07月24日(木)

   * 最近、またカラスが・・
 このところ、若いカラス数羽が自宅の庭周辺のテリトリー争いで、威嚇の鳴声が鳴響いている。 
一年ほど前に以下の文章を書いていたが、現在も、その延長戦が続いている。ポタリングを毎日
2時間していて見かける動物は、ほとんどが鳥。その中でカラスが目立って多い。
その上、庭に雀の群れ、小さな地鳥、渡り鳥が次々とやってくる。 ー去年に書いた内容といえばー
≪ 4440, 閑話小題 ーカラスの糞かけ <2013年05月13日(月)>
 数年前になるが、自宅近くを自転車で走っていると、カラスが低空できて、二m先に糞を落として
いった。「これは果たして私を狙ったか、偶然か?毎朝近くを通る度に考えていた。 ところが
一昨日の朝日新聞のコラムで、四コマ漫画「ののチャン」が、専門家に質問する形式で、
「カラスの糞かけは、意図したかどうか」を取り扱っていた。よくあるので、取り上げたのだろう。 
答え手は「あくまで偶然で、カラスにとって何ら利益にならない」と、ゲーム説、カラカイ説には否定的。
専門家とはいえ、私のように30年以上、毎朝、散歩やミニサイクリングでカラス観察をしていた
訳でない。 で、私はゲーム説。 (中略)そういえば、散歩中の小型犬を、カラスが至近距離で
威嚇し遊んでいるのを見たことがある。犬の飼主も、そのやり取りを面白がって見ていたが、
明らかにカラスが小犬をバカにし遊んでいた。 
 ところで昨日の午後、帰宅をすると、隣の空地で4羽のカラスが入り乱れての空中戦。
よく見かけることだが昨日は違っていた。二組の激しい乱闘。初めは車内で見ていたが、
決着がつかないので、一度、車庫に車を入れて門の陰からみたが、その間7〜8分。 
鳴声を聞きつけた他のカラス数羽が駆けつけ、騒然とした中の乱闘は、見もの。上下に体勢を
入替わり互いの身体をワシヅカミの突つきあい。
4羽が無事に飛びたったのが不思議なほど。 最近、来ているのが、その一羽? ≫
▼ 今回は、他の小さな渡り鳥や、モズも入乱れて、カラスと牽制しあっていたが、どうも、
我家のインコが野鳥の興味を惹くようだ。で、「カラス除けグッズ」をネット?と思ったが、他の野鳥も
来なくなる上、無粋。 そういえば近所の土手も、信濃川河川敷も、野鳥の絶対数が年々
減っているのが気がかり。 至近距離の田畑20反も住宅地に変わってしまったがこれも小さな
緑地の我家の庭のテリトリー争いの激化の理由?仕事から離れ、自然と向合う機会が多くなると、
今まで見ても見えなかった自然に触れあうことが多くなる。地方の良さは、軽井沢、那須などに
行かなくとも触れ合える! ますます御隠居生活に慣れてきている。
・・・・・
4512, 閑話小題 ーつれづれなるまま
2013年07月24日(水)
   ―つれづれに―
 人生も、あと二年もしないうちに古希。杜甫の詩、「人生70 古来 希なり」の年齢になる。
後悔も、満足感もさしてない。人生の終わり間近には必ず後悔の念に支配されるという。 
実際に、こんな時代の断層を経験をするとは思いもよらなかった。それと地球の絶景をこれほど
多く見ることが出来るとは・・ 日進月歩の情報端末の進化が、日常生活を変えるとは・・ 
 終戦直後に生を受け右上がりの時代を40歳半ばまで経験し、その恩恵を受けた。 
そしてバブル崩壊と、9・11テロ、リーマンショック、2011年の東北大震災、の三つの経済・自然
震災で、世界が更に変わった。それがあっても良い時代であった。 団塊世代の一年前に産まれ、
時代の恩恵を十分に受けてきた。 バブル崩壊と、新世紀21世紀の時代変動の中で、何とか
ソフトランディング?が出来た。「時代のめぐり合わせが良い世代は、最後までハッピー」
という説がある。現に同年代の人たちは、大方が恵まれていた。 2〜10数歳年上の兄姉達は
戦前・戦中時代派。 時代の価値観に大きく影響されているのが見て取れる。 両親が明治生まれ、
叔父叔母は明治・大正時代に、兄姉は、昭和1桁生まれから10年代。それぞれの時代に大きく影響
されている。それからすると、私は「終戦生まれで、高度成長期育ち、最後は、その崩壊で御終いの
人生」。そして、日本の本格的衰弱を目の当たりにして最期を迎える。 長生きをするほど、辛くなる。
   ーいま、ドラッグストアが面白いー
 最近の中小のSCには、スーパーの横に、必ずドラッグストアが並んでいる。
スーパーは生鮮三品を周囲のメイン通路に配置、挟むように日用品と、袋物食品などを配置している。
酒とツマミの買出しに週一、SMと、ドラッグストアに通って二年になる。 そこでは地元スーパーと、
全国チェーンのドラッグストアとの非生鮮食品と日用品をめぐる激しい戦いが見て取れる。
更にSCの入口近くに、コンビニが出店、両者の隙間をつく構図になっている。ドラッグストアも、
ここで色いろ模索をしている。 近くにある3つのチェーンが同時に、食品コーナーを二倍ほど拡張、
98円均一の小パックの単身者向け?コーナーをつくった。 企業規模と、小回りをきかせた、
それぞれの特徴を備えた本格的な戦いになっている。 酒あり、生鮮あり、缶物食品あり、
パンコーナーあり、冷凍コーナーあり、である。 消費者も商品と値段に敏感になっている。 
県内最大の「コダマ」も、いつの間にか、全国チェーンの傘下になっていた。
これに消費税のアップが控え、小売の最前線は更に熾烈な戦いになる。
・・・・・・
4138, 元始、ママは太陽であった ー1
2012年07月24日(火)
 ある雑誌の「元始、ママは太陽であった」都築響一、のスナック・ママのレポートが面白い。 
  ーまず、その一部を抜粋するー
≪ 「スナックの良い店の見分け方がありますか?」と聞かれるが、そんなのがあったら
苦労してないです。スナックのドアがああなっているのは、そこが家庭だからだ。「家庭的」
じゃなくて「家庭」。あのドアは店のドアというより、ママなりマスターなりと、常連さんたちがつくる
「家」のドアなのだ。ドアがガラス張りで、中の暮らしが丸見え、なんて家はあんまりないでしょう。 
ママやマスターという「家長」がいて、常連さんという「家族」がいる。僕みたいな一見の客は、
知らない家にお邪魔する人間としてドアを開け、奥のほうで和んでる一家に「僕も混ぜてもらっても
いいですか」とお願い、「まあ上がって飲んできなよ」とか言われて上がりこむ。
ちゃぶ台やコタツのかわりのカウンターで肩を並べて飲んで歌って、そういうのを2、3回も
繰りかえせば、知らないうちに家族の一員になっている、スナックとはそういう場所なのだ。
だから長いこと営業しているスナックでは、ママやマスターと常連たちが、やたらとバーベキュー
だのボウリング大会だの栗拾いだの一泊温泉旅行だのに行ったりする。
どんなに歴史があるところだって、レストランやショットバーがそんなことをするだろうか。
飲食業にもいろいろあるが、スナックという業種は、開業するのがいちばん簡単な飲食業でもある。
飲み物と乾きもの出すぐらいだから、調理師免許もいらないので、一日講習を受けて食品衛生
責任者の資格を取って(よくカウンターの隅とかに青い板が貼ってある、あれ)、保健所に
食品営業許可、警察に酒類販売のための風俗営業の申請をすればいいだけ。
あとは毎月の家賃と、お酒とつまみと氷代と、カラオケのりース代を払えればやっていける。
バーやキャバクラみたいに女の子を何人も雇うのでなければ、人件費もかからない。
料理店とちがって食材の心配をする必要もないから、商売としてリスクは、他の飲食業と較べて
ずいぶん少ない。そのかわり、儲らない。スナックでお客さんが払う金額というのはふつう、
キープポトルを飲んで3000円から5000円ほどだ。最近では、それくらいで飲み代、歌い放題という
店もたくさんある。ドリンク代を考えれば、カラオケボックスより安上がり、なんてこともある。
それで一晩に5人か10人、常連が出来れば上等という店がほとんどだから、お金儲けのために
スナックをやってるママやマスターなんて、日本全国にひとりもいないのではなかろうか。≫
▼ 20歳頃から現在まで46年間、スナック、居酒屋で酒を飲んできた。20代後半から30代半ば
までは、仕事に没頭していた為、スナック通いは少なめだったが、それ以外は、月に二回は通って
いた。だから、上記に書かれているのは全国津々浦々、殆ど同じということがよく分かる。
男は傷ついて誰かに慰めてほしいが、連れ添いは「ツレナイ」ため、外のママ様にお上手を言って
欲しいのである。女の子を置いている店は、クラブの要素を入れて、疑似恋愛空間をつくって
お客を呼び寄せる。アルバイトや、酒好き、男好きの女性を客に如何に集めるのもママさんの腕。
それもこれも、采配一つで店の盛衰が決まってくる。ただ一つ絶対的基本がある。
 店は綺麗に磨きあげておくこと。愚痴を言わないこと。客の悪口を言わないこと。
プロ筋の店が少なくなってきた。客もだが! ーつづく
 ・・・・・・
3772, 閑話小題
2011年07月24日(日)
  * タレントは日本特有の職業人
 NHKのBS番組「クール・ジャパン」で、各国の外国人が日本のテレビ番組に特殊性を語っていた。
日本のTV番組は、それぞれの国からみると、過剰なぐらいサービスが徹底していて、特にバラエティー番組に、
その傾向が見られるという。そこにはタレントと称する職業があり、何でもこなすマルチ的才能の職業がある。
  ーそこで、タレントをウェブ辞書で調べてみるとー
【 俳優や歌手以外で、その才能・個性をセールスポイントにTVやラジオに出演して活躍する人を一般に「タレント」
 といいます。 バラエティーやクイズ番組に出演している司会者、リポーター、コメディアンなどをさすことが多い。
プロダクションに所属してチャンスをつかむほか、街を歩いていてスカウトされることなどもある。いずれにしても、
きっかけをつかむ運と、魅力あるキャラクターを持っているという、生まれついての素養が重要となります。】とあった。
このような職業は外国では存在しておらず、日本固有のものという。また、日本のようなバラエティーも特殊であり、
そのテーマに教養を取り上げることなど外国では考えられない。その意味では、日本は遥かに外国を凌いでいるとか。
もし、それぞれの専門家が、それ以外の番組に多く出演しただけで、仲間内で馬鹿にされる土壌がある。
教養番組に出演する時は、背広を着て、厳しい雰囲気が常識。 ゴールデンタイムに、教養的知識を面白おかしく
番組が構成されるなど有得ないといか。お笑いなら徹底的にお笑いに徹するのが習い。 タレントという存在、
そう言われてみれば不思議である。タレント教授、お笑いタレント、元プロ野球タレント、タレント代議士、マスコミ
出身タレント、など不思議といえば不思議な存在である。専門職で名をなした人が、そのキャラでバラエティーに出て、
その場を盛り上げる一員である。そういえば、公道で通行人がインタビューをされた時、多くの人が堂々と受け応えする。
一億総タレント化の様相でもある。 しかも今度は携帯電話がパソコン化されてきた昨今、ミニブログなどのツイッターで、
誰もが情報を発信できるようになってきた。その中で、色々な方面の多種のタレントも出現始めてきた。面白いといえば
面白い時代、総白痴化と否定だけはしてはいられない。 それにしても、TVの露出度が高い低いで、その人気度が
はかられる時代、変といえば変である。    バカタレ!
 ▼ NHK[クールジャパン」HPより
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
 ・・・・・・・
3407, 人みな骨になるならば ー15
2010年07月24日(土)
 * 心理学が自虐 
(−P199) もしフロイトの「発見」のうち、後世によって葬られず引き継がれるべきものがあるとすれば、
それは人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、しかもそのことに自分自身で気がついていないという、
つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。われわれの無意識はわれわれに信じたいように信じさせる
傾向があり、しかも、その操作をわれわれに気づかせない。ということは、われわれが信じていることが、信じざるを得ないことか、
単に信じたいことか、わわわれには判別できないのである。 いったんこの思想に感染してしまうと、以後、人間は自分の判断を
無邪気に信じ込むことが出来なくなる。 それまで気づかれなかった自分の暗黒面を知り、受け入れ、引き受けることで
初めて精神的な健全さが回復されるとするフロイト以後の治療論仮説は十分実証されているわけではない。
なぜなら、そうした「無意識」の洞察なしでも治療効果が得られる心理療法や薬物療法がいくつも知られてしまったからである。
とはいえ、われわれの「無意識」が、まるで別の生き物のように、意識的な感情や記憶や判断を本人の知らないうちに歪ませるのを
勘定にいれておくことは、いくばくか愚行を防止するのに有用なはずである。目常生活において、おいしい儲け話に飛びつくことが
危険であるのと同様に、世界や人生に関する認識においても、自分たちに好都合すぎる筋書きには眉に唾しなければならない。
願望充足をたくらむわれわれの無意識が、そのように誘導しているのかもしれないからだ。
 フロイト以後、いやしくも十分知的な教養人は、何らかのムシのよさを備えた世界観や欺瞞の人生観を受け入れがたくなった。
・話がうますぎるような信念は自己欺隔であり、
・自民族や人類だけを特別視する思想は単なる願望思考の産物でしかない。
・輪廻転生は「死んでも命のあるように」という見苦しい未練の現れで、
・極楽往生は現世の不如意を慰める童話である。
・文明をもった宇宙人の存在を信じたがるのは人類の孤独をごまかしたいためであろうし、
・超能力への期待も味気ない現実から目をそらし繍時の夢を見たいがためなのだ。
▼ 上記の中にも、多くの示唆がある。フロイトの「人間が認識において都合の悪い現実よりも快い虚偽を愛し、
しかもそのことに自分自身で気がついていないという、つまりわれわれは自らの「無意識」を信用できないのである。
 (字数制限のためカット 2012年7月24日)
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3032,青年と成年の境目
 2009年07月24日(金)
 青年と成年の境目とは何だろうか、何度か考えたことがあった。
「就職をし、結婚をして家庭を持って落ち着き先を見出した時」とは思っていた。
 開高健は以下の文章は、そのあたりを明快に書いている。
  ーまずは、その部分より
【「青春」という言葉があります。私なりに定義をすると、「自分の気に入った、自分の適した職業を見つけるまで、どんどん職業を
 変えていける条件と心のある時期」を「青春」というんじゃないか。 職業を選んでしまうと、それはもう青春ではなくて「青」が
「成」という字になる。職業を選んだときからアダルトになるじゃないですか。  (佐治敬三氏との対談より)】
 成るほど、その通りである。そうすると、私は34歳までは青年だったということだ。考えてみると、そうかもしれない。 
 青春は、理想を求め彷徨い漂っている時期をいうのである。それでは、中学校を卒業して就職し、一途に仕事をしてきた人には
 青年期は無かったというのか? その辺の判断は非常に難しいが、如何だろうか? そのファジーな部分からみると、人生に希望を
 持って具体的に行動をしている人が青年期というのだろう。 一生、足元を踏み固めずに、夢見るオノコがいるが、彼を万年青年とは
 いわない。万年青年という言葉には、深い教養の上で理想を追い求める人をいう。人にとって、その職業の占める位置は大きい。 
 連れ添いと同じぐらいといって良い。力=仕事、愛=家庭、知=教養とすると、青年期は、それぞれのカタチを模索し
 吸収している時期をいう。 見っともなく、ボロボロで、大きく変化をしている時、だから光輝いているのである。 
 成年期は、その光を失った時というと、そうでもない。仕事や、家庭つくりに全身をぶつけている違う輝きが出る時である。 
 そうこう考えると、就職と、結婚が大きな境目といってよい。 自立した時が成年にアップスケールした時である。
 心は何時も青年だが、身体は老年になっていく。諦念するしかないか! ところで、青年期も、成年期もない人がいる。ドッキ!
・・・・・・・・・
2667, 結論で読む人生論 ー3
 2008年07月24日(木)
 今東光の毒舌が、この本に次から次へと出てくる。今度、図書館に行って今の本を借りてくるつもりだが、これを読んでおけば充分?か。 
 とにかく、面白い。何で面白いか? 悩みなど言っていられるのは可愛いいだけ。自分を、くそ坊主と割り切れば、
「所詮は悩みなど欲と嘘の織り成す妄想」と割り切って、好き放題いえる。自分を、くそ坊主と自覚できるかどうかが分かれ目になるが。
  −ー
「眠れないんだったら、眠らなけりゃあいいじゃねえか」「別のブスを探しな、おめえの顔に合ったよ」
「手のつけられねえほど愚鈍であるよ、てめえという男は!」「てめえがみじめそのものなんだよ」
「生意気なこと言いやがって。親のスネ齧りのくせして、チンポだけ発達してやがる」
「バーカ。そんなこと、医者に聞けばいいじゃねえか。オレがわかるわけねえだろうが」「ぶっ殺してやりたいよ」
「何とぼけてんだよ、こん畜生は!? 何のために兄貴に生まれたんだ!?」「けったくそ悪いガキだぜ、てめえも」
「バカか、てめえは」「張り倒すぞ、この野郎!」「人生で一番大事なものは、あくまでも正直であり、誠実であり愛情であるんだ」
「愛のないような人間は人間のクズでな」「ひとりの女を不幸にするよりは、てめえが不幸になる方がいい」。
極めつけは、これ。
・「おめえは一人のいい女を見つけたら、それにひれ伏すような謙虚な気持ちになれ!そこから出発するんだ。恋だの愛だの言う前に、
 まず己を空しゅうして、謙虚になってひれ伏す。愛する人の前にひれ伏すという気持ちにならなければ、女を愛することもできないし、
 女にも愛されない」。 「自分(人間)はどうして生きなければならないのだろうか?」という二十一歳の学生の質問。利いた風な
 ことをいう者には東光は容赦ない。「バカとちがうか、こん畜生は? 生きているのに“生きる義務”もねえもんだ。 いやならとっとと
 死にゃあいいだろう。 そんなこっていっぱし物を考えていると思ってるのはバカだよ。生きるのは何も義務でもないし、運命でもない。
 オレたちは命のあるだけ生きるだけのことだ。努力によって生きてるわけでもありゃあしねえ。それでどうせ死ぬんだとか、あとには
 何も残らねえとか、そんなくだらねえことを若い身空で考えてよう。たしかに残らねえよ、おめえみたいなバカ者は! 
 その生きる義務とやらをさっさと放棄して死んじまえ! ──『極道辻説法』
おなじように、「人生ってちっとも面白いと感じたことがない」「つまらなかったらさっさと自殺していいんだと思う」十九歳の学生に。
「自殺より、最初に人生についていうと、全部の人間に聞いてみな、『おまえの人生、つまってるか?』って。
(2014年7月24日 −字数制限のためカット)


4878,閑話小題 ーインコのプライド?

2014年07月23日(水)

   * インコのプライド?
 ストレスで、週に一度は狂ったように籠内を飛び回る。ヒステリックである。
二日前のこと、ヒステリックに飛び回っていた時、水飲み場に身体全体が落ちて
しまい全身びしょ濡れ! その姿を家内と笑って見たところ、怒って拗ねたのか、
駕篭の一番奥の物陰で睨みつけ、半日、何度も呼びかけても出てこない。 
プライドが高く、少し叱ると、少しの間、無視などで怒りを現すが、今回は半日も
拗ねていた。鳥にも三分?を改めて確認した。ラクダも失敗で叱られた場合は
納得するが、理不尽の怒りには、根に持って何か機会に攻撃するとか。
 懐いたペットは、飼主の露出した魂そのもの。下手な?家族より親しみを持つ。 
  ーネットのペット川柳よりー 特に1、7、12、14、19は? 家庭内で・・
 < 1、 挫折して ペットに学ぶ 処世術 (ひまわりさん)>   〜よしよし(,^^)/(-_-;)〜
 < 2、 散歩中 愛犬モテキ 俺ボヤキ  (婚活男子さん)>
 < 3、 似てますね 嬉しいけれど ブルドック (ゆずママさん)>
 < 4、 家出した 猫が太って 帰って来た (あきちゃんさん)>
 < 5、 犬だけど おやつの時は 猫かぶり  (蘭璃さん)>
 < 6、 まだ残る ローンの柱 かじる犬  (らくちゃんさん)>
 < 7、 飼ってます 犬・猫・鳥と 虫・夫 (りのんぱさん)>   
 < 8、 パパの背を 見たからできる お手と待て (良馬さん)>
 < 9、 まっしぐら 犬も子供も 妻の膝 (伊那のザザムシさん)>
 < 10、 鎖より 絆でつなぐ うちの犬 (おたふくまめさん)> 
 < 11、 ほれ投げろ!遊ばれてるのは我が主人 (醜いカラスの子さん)>
 < 12、 ご飯まだ? ペットにエサやる 妻に聞く(まつながともふみさん)>
 < 13、 もの言えぬ 君は夫婦の 司会役 (犬猫主夫さん)>
 < 14、 妻娘 俺はタローと 連立し (びわこ鯰さん)>   
 < 15、 会釈され 連れてる犬で 思い出す (多国籍さん)>
 < 16、 愛犬に 脛を齧られ 親想う (多国籍さん)>
 < 17、 ペットだけ 動かす妻の 重い腰 (さごじょうさん)>
 < 18、 元彼の 名前と知らぬ 旦那様 (まささまさん)>
 < 19、 ペットより 先に逝ってと 妻が言う (クジラさん)>   
 < 20、 プラズィオン ペットのそばより 俺の横 (はるやすさん)>
▼ どれもこれも切実な問題? 7の< 飼ってます 犬・猫・鳥と 虫・夫 >の、
「犬・猫・鳥と」を「ペットのピーコと」に置換えると、まさに家庭内の私の立場!
・・・・・・
4511, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー6
2013年07月23日(火)
              『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 著者は「・・・延命措置をお断りします」の宣言だけでは不十分と、自分の事前指示書を作成している。
まず事前指示として、以下の項目をあげている。内容は医師であればこその内容で、そのまま雛形に
すればよい。これを機会に、ブログに書き残しておくつもり。ほぼ著者の指示書を咀嚼するだけだが・・
 ーまず、その部分から抜粋
≪   ー延命措置事前項目ー より
(1) 心肺蘇生(心臓マッサージ、電気ショック、気管内挿管など)  (2) 気管切開
(3) 人工呼吸器 (4) 強制人工栄養(鼻チューブ栄養、胃瘻による栄養、中心静脈栄養)
(5) 水分の補給(末梢静脈輸液、大量皮下注射) (6) 人工透析  (7) 輸血
(8) 強力な抗生物質の使用  (9) その他
  次に事前指示の項目(表4参照)とは何かについてお話ししていきます。
 � 心肺蘇生(心臓マッサージ、電気ショック、気管内拝管など) 心臓や呼吸が止まった時に
行う治療手技です。  両手で強く胸の真ん中あたりを圧迫して心臓を動かそうとするため、
肋骨骨折は、当然起こります。 また、心臓が細かく震えた状態(心室細動)で有効な血液を
送り出せない場合、これを改善する目的で電気ショック (AEDはこれです)を行います。
口対口で肺に空気を送り込んだり、手動のバッグを使う場合もあります。
 さらに、気管内に管を入れ、アンビューバッグで空気を送り込んだり、人工呼吸器に
連結したりします。 ひとたび心臓が止まったり、有効な血液量が送り出されないと、酸素不足に
極端に弱い、脳の神経細胞がやられてしまい、再び心臓が動き出したとしても、その杜絶した
時間の長さによって、脳死や植物状態になって蘇ることになります。
 私は、一度心臓が止まれば、原因の如何を問わず寿命と考えていますので、AEDなどは、
平にご容赦というところ。溺れた子どもなどには、有効な場合もあるが、生きものとしての賞味期限の
切れた年寄は、考えてみるべきでしょう。
 � 気管切開  痰が多く詰まって窒息しそうな場面や脳死の場合に、のど元に穴を開けます。  ・・以下略 ≫
 ▼ 生々しいが、それでも、元気のうちに意思を示しておいた方が良い。特に(1)などは絶対にして欲しくない。
  (2)の気管切開、(3)の人工呼吸もである。(4)(8)も一時的ならまだしも!生かしておくだけの延命は、
  お断りである。死亡解剖も一切、お断り。臓器移植も駄目。今まで、家族とこういう内容の話をしたことがないが、
  ブログの分類のコーナーに項目をつくって書き残し、正月で集まった折などに話うつもりである。下手に5年、10年、
  生かされたくはない。次回は、著者の事前指示書を考えてみる。 まだ、早いと思うが、本来は還暦までにすべきこと。
・・・・・
4137, 大方は40歳で右下がり
2012年07月23日(月)
   * 男は40歳でポンコツ化の曲り角!
 少し前の週刊SPA! になるが ≪40代会社員のポンコツ化が尋常ではない【証言集】≫があった。
  ー それは、「40代会社員の劣化メカニズムを徹底解明」特集で、劣化事例を紹介していた ー  
・「バブルの頃は良かった。友達の付き添いで行った面接で受かったりしたもん」と自慢話を連発
・「係長(男・45歳)という役職なのに、部下のミスは部下のミス、絶対に尻拭いをしてくれません。
 ランチに誘われても必ず割り勘。なぜこいつが係長になれたのか、我社の七不思議」(代理店・28歳)
・「IT関係の職業なのにも関わらず、僕の上司(男・46歳)はファイルの圧縮さえできない。
 Excelの関数はおろか操作もままならない」(SE・25歳)
 ポンコツ40代を見ていると、「自分はこうにはなりたくない」と誰もが強く思うはず。
しかし心理学者の和田秀樹氏は「人は40代になると必ず劣化します」と断言する。
▼ 現場の一線に立っている人も、管理職としての能力も、30歳代までで成長は終わると、いわれている。
 私の事業人生を振り返っても、右上がりが40歳まで、後は下降?、その後の判断した結果は、右下がりの起因をしたものばかり。
 40歳の頃、富士銀行に勤めていた高校の同級生が支店長への出世コースから外れ出向になったっと聞いて驚いたことがある。
 激しい競争社会では、その辺がピークということ。結局、先が見えエネルギーも出し切ったところで、外に出さないと、
 組織そのものが弱体化する。その頃が厄年として男も女も大病や人生を揺るがす事故や失敗が起きてくる。 逆に、その辺に
 予定挫折として前向きに自分から転職・転業などの節目をつくる方法もある。その意味でも、男の一生は大変だ。
 への字の右上がりから、下りのテッペンが40歳。下がりきったところで少し右に流れたところが65歳以降。 少し長い?
 とすると、最近は80歳以降か。40歳右下がり説からすると、ピークを維持するため何かを学び続けなけばならないことになる。
 戦後日本を一人の人間と喩えてみると、1985年のプラザ合意が明らかに右下がりの決定事項。そして、現在66歳とすると、
 自分そのもの。4年前のリーマンショックが、次の大きは節目で、その大津波が今年末、日本と世界を覆い尽くす可能性が高い。
 ・・・・・・・
3771, ユング ー10
2011年07月23日(土)
   * ユングのいう、能動的想像とは? 
  ーあるブログに、能動的想像法の要約があったー
 { 能動的想像法は、睡眠と覚醒の中間の状態で、一種の夢想状態に近い。 眠りと覚醒の中間、眠りに落ちるすんでで留まり、
  意識を持ちながら夢の中を観察するような、そういった状態。ただし、そこでは、あくまで観察するだけで、干渉はしない。
  願望を叶えるために夢を操作するような、そんなことはしません。魂ともいえるものが自由にしている状態を、ただ眺め、観察する。
  この時重要になるのが、記録。これは、単に書き留めるだけに留まらず、それは一種の表現になる。書き留めたり、絵に描いたり、
  粘土で作ったり、踊ったり、歌ったり、演じたり、また信頼できる人に話したり、そうすることで、無意識の闇にあったものが
  命を持ったまま、現世に顕現するのです。そうすることで、こちら側に生きる我々が、こちら側に生きながらあちら側に参加する、
  そんな感じになってきます。それが魂の体現の一部となる。 人間を豊かにし、特に現実問題と十分に向き合ってきた中年期・
  老年期の人たちに対しては、今までになかったものを与えてくれたり、今まで見逃していたものに、気づかせてくれたりします。}
 ▼ なるほど、面白い。 この実例が〈ユングー地下の大王 ーコリン・ウィルソンー 〉にあった。その幾つかを、次回に
  コピーし考えてみるが、あちら側は、あくまで能動的想像をしている本人の潜在意識の世界である。いや、更に深い共同意識の世界か。
  意識を持ちながら夢の中を観察する状態で、魂を眺めているのが能動的想像ということ。子供時代の頃の夢を見ている時の
  マドロミ状態が、こんなものかもしれない。ユングは自分に、この能動的想像力があることに気づく。フロイトとの仲たがいなどで、
  自分の精神が崩壊の寸前に至り、精神病者が苦しんでいる妄想を垣間見ることができた。その一つに「血のなかに溺れかけた
  欧州の幻覚が、翌年の1914年に現実になり、その幻想は間違ってなかった認識をえたのは幸運だった。
  作家の創作も似ているが、あくまで、これは潜在意識の観察であり、本人の魂の開放である。重なっている部分は、主人公の
  魂の開放を通して、読み手を満足させようとするところ。 (全ての小説が、そうとは限らない。)
   ところで、過って行ったことのある世界の旅先を、毎日のようにTVで放送している。実際に見てきた以外の所も映し出す。
  そうすると、当時に立ち返り、そこに自分が行っているような奇妙な感覚になる。これも、能動的想像法の一つになるのか?
  老人が過去の思い出に浸っている時、心は能動的想像の世界に入っている? だから、勝手に孤独な老人と決め付けるのは間違い。
   この年齢になって分かったことは、行蔵にあまりに多くの経験があることだ。
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3406, この国の終わり ー3
2010年07月23日(金)
 * 「転ばぬ先の杖」こそが知性の原点
 恐怖と不安は鋭敏な自衛感覚を育て、それによって人間である限り永遠に尽きることのない敵に対処することこそ、人間の知の原点。
その典型的な形が、外交をはじめとし、最後の原爆投下にいたるまでのすべての闘争における攻撃と防御のストラットジーである。 
恐怖は考えの母であり、不安は考えの教師である。考えた結果を個人的な知性に転じるという能力もまた、疑うという能力をも
持っていなければ達成できない。疑いの度合いが深ければ深いほど、そしてその疑いの解答が明晰であればあるほど、人は賢くなる。
「何故」があり、「何故なら」がある。 西洋哲学は恐怖と不安への疑いが原点であり、西洋宗教も同じである。
それが日本人以外の人間たちが持つ知性である。 一神教的知性なのだ。 賢い人、とは、知性があるということを
古風に言った言葉である。ただの「物知り」とは違う。知恵者とも言った。知恵は智慧とも書く。・・・・
▼ー感想  知性とは、モノゴトを知っているということでなく、恐怖と不安を感じ取り敵に対処する人間の原点を
 わきまえ知ることである。 持っている知識を、それに対処する智慧を知性という。言われてみれば、当たり前のこと。
(字数の関係でカット2012年7月23日)
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3031,卒業40年周年か〜 −3
 2009年07月23日(木)
* 奥野君への手紙          (今日、本人の手元に届く)
 学卒40周年記念に参加をしてクラスの名簿に貴君の名前をみて懐かしく、手紙を書いています。 
卒業前の半年間(S43・9〜44・2)日記をつけており、それを20数年前に倉庫の隅から見つけ出しました。 
書いたことすら忘れていたので、タイムマシーンで当時に戻ったような気持ちで読み返しました。 
8年前に始めた私のHPの中央の下にある分類のブログに書き写してあります。ブログに同月同日に毎日載せたものです。 
従って、毎年半年は、当時の日記を毎日読み返しています。その時に、貴君が、あの馬小屋のような寮に卒業間近かに
訪ねてきて、これから社会に出るにあたって多くを語ったことや、佐渡に広瀬君などとご一緒したことを思い出しています。 
 先日の会では石川譲治君や、服部学園の園長の染谷(服部)、川村、福田君などの顔が見受けられました。 
その前日に銀座に合気道の面々が集まり、一杯やりました。 三崎、木矢、伴、鈴木(加藤)、高杉です。 
三崎さんは10年前まで、新潟に16年近く転勤できていて、2〜3ヶ月に一度のわりで古町などで酒を飲んでいました。 
 ところで私は、その後    
・ジャスコに一年在社後に、 ・産業能率大学に途中編入をし、・その後金沢の「いとはん」(ジャスコに吸収)に一年半在社、
・千葉の郊外に貸しビルをつくり、その中に居酒屋の養老の滝のFC店と、やはりFC店の焼きたてのベーカーリーを
 二年間従事(その当時に結婚) ・家の事情で実家の事業(衣料量販店と衣料専門店)を5年間従事をし、
・34歳から新潟駅前でビジネスホテルを30年近く経営をしています。
 2001年の9・11のテロと、去年の9・15の金融恐慌以来、苦戦をしていますが、何とかやっています。どちらかというと、
創業屋的な人生だったと思います。30歳前半までに問題を吐き出し、後半は、それまでの勢いで何とか辿り着いたというところ。
 ところで、貴君の住所をグーグルアースに入れてみたら、仙台空港の南10キロほどの漁港のようなところで驚いています。
資生堂に入社して、都会にドップリと浸かっているかと思いきや、その正反対の場所で。 
実際のところ、東京のアスファルトジャングルなどより、遥かに良いことは、新潟飛行場の周辺をみれば分かります。 
それだけでも良い人生を過ごしてきた貴君の姿が目に浮かびます。(それぞれに価値観があるでしょうが) 
何かチャンスがあったら、会うのも面白いでしょうね。 それでは、お元気で。 
あの日語り合った、延長の気持ちで思いのまま書いてみました。   2009年07月22日     堀井八郎  
 追文)8年前より、ブログを開いています。 暇のおり覗いてください。検索に堀井八郎を入れると出てきます。
   当時の写真や、先日のクラブや、同級の二次会の写真があります。 
   分類には当時の私の日記があります。  〜 22・23・24歳の日記のコーナー〜
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2666, 結論で読む人生論 ー2
 2008年07月23日(水)
 ー三十年ぶりの、今東光の毒舌ー
順不順でなるが {第6章 人生の価値、人生の意味ー なにはなくともこの糞坊主ー今東光}
が面白い。 久しぶりに今東光の毒舌にお目にかかった。亡くなって30年近くも経つだろう。
  ーまずは、その部分ー
 人生なんて、そんなにむずかしいものか。じつにさまざまな考えがあって少々、食傷気味である。もしかしたら、
人生論が人生をむずかしくしているのではないか。たしかに人生には山があり谷がある。悲喜こもごもである。
だが結局、生まれて、生きて、ただ死ぬだけのことではないか。どう生きるかは、それぞれの計らいでいいではないか。
ここまで見てきた人生論はあまりにも近寄りがたいし、荒唐無稽すぎるし、立派すぎる。もっとスカッとしたものはないか、
とお嘆きのあなた、これがあるのだ。 その男が生存中は、なんだこの濁声の坊主は、と多少の反感を持っていた。
が、わたしはいまでは今東光を尊敬している。 そう、今東光和尚である。 聞いていただこう。
 *「正しい人生」とか「何とかの人生」なんてものはないよ。本人にとっての人生しかないんでね。
自分にとっての人生しかないんだ。おめえが十八なら、「十八の人生」というものしかないよ。
それしか、オレは言いようがないね。(略)だから、自分にとっての人生で、自分が、これが正しいと思って闘って、
勝つか負けるか、これだけだよ、人生なんて。         ──『毒舌身の上相談』集英社文庫
 *「バカ正直だと損をする。もっとずるく悪賢く立ち回れ」なんてよく人が言うけど、その言っている野郎が、
ずるく悪賢く立ち回って成功しているかっていうと、絶対にそうじゃねえんだな。そんなのはダメなんで、真実火の玉に
なって人生を渡っていって、社会にぶつかっていくんじゃなけりゃあダメだよ。人がよすぎて結構じゃねえか。
そんなタワ言ぬかすような野郎なんぞ相手にするな!─同書
 *「人生始めたばかりでスランプに落ちたら、死ぬまでスランプだぜ、この馬鹿野郎!」「おめえみてえな
 野郎は一生、女を本当に愛することができねえよ。女を捨てて自慢してるような野郎は、人間の屑もいいところだ」
「そんな夢みたいなこと考えてねえで、てめえのキンタマのフクロのシワでものばしてた方がよっぽどましだ、この野郎!」。
  ー                                     ──『極道辻説法』集英社
 *二十三歳の学生が近所の中三の女学生の家に半年間、毎日毎日いたずら電話をかけた。
 どうしても彼女に自分が好きだということを知ってもらいたい。おれはどうしたらいい?
 自首すべきだろうか、という質問に対する傑作回答
「 自首するより死んだ方がいい。悪いことは言わん。死にな。二十三歳にもなってそんな電話かけたりするバカなら、
 自首するより死んだ方がいい。自首すりゃあ、恥をかくからね。恥かくより死んだ方がいいよ。切に自殺をお勧め
 いたします。  (字数の関係でカット2012年7月23日)


4877,閑話小題 〜大相撲の立ちあいに、肘打ち!

2014年07月22日(火)

   * 昨日は、初孫の顔を見に東川口に!
 生まれたばかりの孫の顔を見に川口に行ってきた。私が8人兄姉の末っ子もあって、
実子の生れた時も、子供の扱いが苦手で、戸惑った。 昔から孫自慢を聞くが、いま一つ
ピンとこなかった。中・高校の同級生で、離婚や死別を切っ掛けに県外の嫁ぎ先の近所に
引越していった人が知っているだけで三人もいる。
それだけ孫が可愛いという。 で、昨日の感想は、「成るほど!」である。
 名前がスケートの浅田真央からとって、愛央(まお)。その顔が真央そっくり! 
彼女、金メダルを取れなったため、暗いイメージがついたが、愛嬌があり美人。 女の子は、
美しいか、そうでもない? では雲泥の差。半分?は決まってしまう。 これで、一つをクリアー
したことになる。 ご対面の時、家内が「今の子供は、みんな可愛いらしいね」と息子に言うと、
「実は、そうでもないんだよ!」・・
 話が変わるが、その後、大宮駅まで見送りに来た息子と三人、居酒屋で晩餐をすることになった。
その時に、息子が歩きながらスマホで電話予約。「知っている店?」と聞くと「知らない!」と、
歩いていく。そこで「検索のキーワードは何?」と聞くと「大宮駅、居酒屋、個室、予約」。
スマホのGPSが、道筋を誘導し、遊歩道を2〜3分歩いた飲食ビルの9Fへ。
その間、僅か5分!探したり、迷う余地ゼロ。丁度良い店であった。 
それにしても時代は変わったものである。
   * 大相撲の立ちあいに、肘打ち!
 エジプト人の若い力士が、ここで二日続けて金星をとった。よく見ると、立合いの出あいがしら、
肘打ちを相手の顎に全身で叩きつけている。これは、厳禁の握り拳で殴るより危ない打撃系格闘技。 
連続して負けた二人の横綱、それを恐れ自滅した相撲内容。 近々、禁止?これは一種のカテゴリー
キラー! モンゴル人の横綱が、その地位を利用して格下力士に張り手をしているが、これも
打撃系の軽いもの。最近では平気で、横綱に張り手をするツワモノもいる。 
格闘技のカテゴリーキラーといえば、柔道がある。ロシアのサンボや、レスリングの技を柔道の
持込んで、柔術から生まれた「柔道」に対し、 レスリングの「倒して背中を付ければよい」
という考えを取り入れた「JUDO」になっている。このため本来の柔道の姿が変わってきた。
大相撲も、時代の流れをふまえ、規則も変えるべき時? いや、何でも有りが面白い?
・・・・・
4510, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー4
2013年07月22日(月)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 今まで大半の日本人には「命の長さが絶対」という思い込みがあった。医師も最大限生かそうとし、
家族に示そうとした。また日本人には死に目に立会うべきという通念があり、家族が集まり、
最期を看取るのが価値あることと信じていた。でも、それは本人にとっての幸不幸でなく、一種の
儀式のためで、家族はモニターの波をみていて死にゆく人をみていない。当人にとって延命は
苦痛そのもので、「孤独死」でしかない。 以下の項目も、辛辣な医師と家族への批判だが、
こんなもの。
    * 第三章 日本人と死
・死に目に立ち合う症候群              ・臨終のすったもんだ
・胃ろうと「生かすことはいいことだ」        ・1時間かけて食べさせるのは愛情? 拷問?
・生死も「長いものに巻かれろ」           ・自然に死ねる「野垂れ死に」「孤独死」
・90歳過ぎるとだれも遣骨を取りに来ない       ・死後の始末を他人に頼むには、金がかかる
・「香典医療」で死ぬ前の数ヶ月に大金を使わせる   ・余命6カ月エクササイズ
・日本人は自分で決められない            ・無言の「若さ圧力」「健廉圧力」がすごい
・「平穏死」と「胃ろう」              ・がんの治療やーめた
・がんを放っておくと家族がうるさい         ・薬師もにわか軍医も医者に昇格
・放射線科で一生懸命になった理由…         ・昔の「自然死」「老衰死」は大部分、がんだった
・モルヒネは太古からの痛み止め剤          ・「在宅での看取り」への動き
・男が長生きしたら、老害でまわりが困る       ・カロリー制限しても寿命は延びない
・死にゆく姿を見せるのは最高の遺産         ・あなたは立派な患者だった
 ▼「野垂れ死に」「孤独死」が理想の死に方とは思いもよらなかった。一番恐れている死に方が、
 実は理想とは。 数年前に独り住まいの孤独死が問題になり、そのTVドキュメントを放映していた。
そこで、誰かが 「孤独死が悲劇というのは周囲の思い込みでしかないのでは?」と疑問視する
見方があった。家族に囲まれても、死に逝く者は孤独である。死に目の立会も、孤独死への恐怖も、
残されたものの思い込み。生き残るものは立場からして違うのである。哀しみの感情を満たすため、
当人の真の辛さが二の次。 で、逝く者は地獄になる。  やはり自分の延命に対する
「事前指示書」を示しておくべき。そうこう死に準備を考えると、65歳が引け時だったか。
・・・・・・・
4136, 閑話小題 ー日記は翌日の午前中に
2012年07月22日(日)
  * 日記は翌日の午前中につける
 ある本に、「日記文学は、平安期に栄え今も古典として残る名作が多くある。当時の貴族たちの多くは、
日記は翌日の午前中に書いた。つまり前の日の出来事を思い出して書いた」とあった。これを知ったのは最近のこと。
前日とはいえ、時間をおいて思い出すのは脳にとって良い上に、起きたことを冷静に見つめることができる。私は日記的
メモとして陰山手帳、10年三行メモ帳、フリー落書帳を、三冊持っており、数日以内に2〜3日分をまとめて書いている。
しかし翌日午前中に書く習慣化しておくのがベスト。改めて考えると手帳お宅、そのものである。内省的性格からして、
これほど自分を落ち着かせる習慣は他には見当たらない。朝4時過ぎに起きて、この随想日記の校正をしてブログに
アップし、ポタリングに出て、食事をしながらモーニングショーをみた後、風呂に入り、自室のパソコンの前に座って、
翌日分の随想日記内容の下書きを書いたり、読書をして午前中を過ごすのが日課。その中の空き時間にiPadで
週刊誌や、世界遺産などの写真集などを見たりしている。今までは、ポタリングの出発前の10分間ほどだったが、
9時過ぎに時間を移行することにする。それほどして書いたものを読み返すのは、ネットに上げた、これぐらいだが。
  * 父親のこと ー2
 父は太平洋戦争前までは、実家の老舗の古道具屋の二代目で、母親が嫁に来たときに父に聞いたそうな。
「家って金持ちなの?」、それに対して父は「資産が7万円位で、金持ちの目安が10万だから、金持ちではない」と。
そして10数年後に戦争が始まり、それから数倍にした財産の殆んどを無くしたという。しかし、その財産の一つが、
空襲で焼けた後の繁華街の四角のあり、そこで始めた商売が当たり一時的だが、全国にも知られた繁盛店になっていた。
父は戦前、道具屋をしていた頃に、その商売柄、津上退助、野本恭八郎( 野本互尊翁)など戦前・戦中の財界人に
フリーパスで会うことが出来て、年に数点の骨董品を買ってもらうだけで商売が成り立っていたという。
そのため世の動きに対する知識や教養が必要ということを肌身で感じていた。コンプレックスだけでなく、
子供には学問を身につける必要性は分かっていた。早寝、早起きがベースにあり、20時半には就寝、5時前に起床し、
新聞を読んでいた。綺麗ずきで、チリ一つ落ちていない家であった。晩年の趣味は骨董品の収集、旅行、株式、旅行。 
怒鳴ることは無かったが、その代わり強烈な皮肉が飛んできた。自分だけでなく家族に従業員に非常に厳しい人だった。
要する地味にして目立たないこと、自己主張をしないことが大家族の掟。兄姉達は、常に父親の顔色を窺って、
側には近寄らないようにしていた。その父親が亡くなったのは満70歳。 私も3年半後に、その歳になる。
ファザーコン、マザーコンは、人間の心の底に誰も抱えているが、その人の原点である。幼児体験は強烈な経験だった。
・・・・・・
3770, 閑話小題
2011年07月22日(金)
  * 時間でみる施設の使用料金
 スポーツセンターや、シネマを一時間あたりの使用料でみると面白い。
スポーツセンターは、月5980円。20日は通っているので、一日300円である。私の実感は三十分500円で、
二時間平均は滞在しているので2千円の価値は感じる。2千×20日=4万円なら行かないが1万2千円なら行く。
それにしても安い。知人が、「スポーツジムは一人当たり一回2千円の計算がベース。これに会員数と稼働率をかける」
と言っていた。私の選んだコースの場合、日・祭日を除いたコースで、特別参加の日払いだと一日2400円。
風呂、サウナ、プール、マッサージ・ルーム(マシーン)、ロビー、もちろんトレーニング・ルームありで、
10時から17時まで使い放題で300円は価値がある。 月に一度は行っているシネマは二時間で千円、一時間あたり
五百円なら充分に価値がある。最近のシネマはデジタル化のため圧倒的に画面も音響も迫力があり、別次元の世界に
我々を引き込んでくれる。年齢もあるのだろうが、スナックや居酒屋は、酒・肴などの飲み食いも入れてとしても
一時間あたり千五百、二千円からみると、圧倒的に映画の方が価値がある。 現在の不景気、ネット化、デジタル化で
情報量が日ごと飛躍的に増えていることにある。大相撲や、プロ野球、行楽地は現地まで行かなくても、家でパソコンや
TVで、情報や、現場感覚が実感できる。それも無料に近い値段で、である。スポーツ・センターも、よく見ると、
殆どマシーンである。映画も、現在では殆どデジタルでつくられている。 
考える時は考え、休む時は休む。その時に道具としてマシーンを使えばよい。 
・・・・・・・・
3405, この国の終わり ー2
2010年07月22日(木)
   * 考える遺伝子の不在 
 日本の現状に対して、殆んど誰も考えてない国家に絶望をしながらも、何とかしたいという著者の気持ちが伝わってくる。
これでも考えて生きてきたつもりだったが、この数年来、何を考えて生きてきたのか反省しきりである。
10年来の哲学等の学習効果が少し考えに厚みが出てきたが、そうすると人生全体に疑問を持つようになる。
こと日本人全体をみれば、ほぼ99パーセントは考えてないように見かけられる。「考えて何になるの?」という質問が帰って
くるのが落ちになる。 欧米、特に欧州では中学校の段階で哲学の授業があるという。考えるとは、陸続きの他民族の侵略の
恐怖や不安がああるからだ。 それを真剣に考える時に、それが立ち現われる。海に囲まれて当面の攻撃が考えられない
日本民族にとって、考える必要がそれほどないから、考えられないのである。
  ー 以下の、箇所は辛辣だが、的を得た内容である。ー  −P34 
 要するに「脳が足りん」のだ。 考えるー、という脳の機能が、少なくとも他の民族と比べ極端に欠乏している。
猫でももう少しましに考えて行動しているのではあるまいか。 それは一方において、日本人があまりにも鋭敏で潤沢な「感じる」
という機能を持っているために、考える機能のほうが圧倒され、脳の土俵から押し出されてしまったせいなのかもしれない。
つまり右脳と左脳、ロゴスとパトスの千秋楽の結果である。この事実への感慨は、母国の中の異郷、身寄りが一人もいない九州の
山中に住み着いたこの六ヶ月、日々ショックを新たにし、今日も変わらず、修正できず、ますます強まる一方である。 
 国家は芯の芯まで腐り果て、民族は脳死状態で、植物人間化している、ということを、ほとんど誰も考えていないのである。
いや、考えることができないでいるのだ。うすうすは感じてはいるらしい。そもそも思考力よりも直観力の鋭かった民族である。
なにやら日本の全体がおかしく、どこかが狂っていて、怖ろしい結果が近づいている、といった漠然とした恐怖は、なんとなく
感じてはいるらしい。何しろかつてこの国には起きようもなかった異常な犯罪は、それこそ日常茶飯といった感じで起こり続けている。
帰国してからのこの半年間でも、すでに数え切れない。 あまりの立て続けさに、私も忘れるし、人々も覚えきれず、次々に忘れて
いくようだ。確かに世界中で犯罪は起きている。ニューヨークだって、パリだって、私が十八年暮らしたオーストラリアだって、
犯罪は起きる。しかし、これほどの異常な内容の犯罪は聞いたこともない。どこであろうと、起きているのは「並みの犯罪」だ。
並みの犯罪とは、犯人は、それがどんな種類の犯罪であろうと、何かは考えている。
どんなにバカな考えでも、異常な考えでも、愚かな考えでも、邪悪な考えでも、要するに、ナニカは考えている。
≪恐慌以来の日本国家の存亡の危機に対し、国民の危機感の希少さに驚き唖然としている。それが考える遺伝子の不在としたら≫
・・・・・・・・
3030、卒業40年周年か〜 −2
2009年07月22日(水) 
  * 卒業40周年記念に参加してみた人間模様。
 1〜2年次の教養課程の同級生では、TVでよく見かける服部学園の服部幸應と、大阪学院大学の白井総長が面白い存在。
・服部幸應は実名が染谷で、当時は存在感が殆どなかったが、常に財布に10万円を入れているという話はあった。 
 一年留年をしてアメリカに行っていたのか、留年をしたためアメリカに行っていたのかはファジーである。 
 二次会のクラス会が彼のために開かれているかどうかは定かではない。 
・私が学生時代で一番親しくして、卒業まじかで大喧嘩をした○○譲○。ハッタリ屋だったが20年前のバブルの崩壊で倒産。
 借入金が280億で、ビルが17棟だったという。 前回は身を隠している状態で不参加だった。三次会の最後は彼と飲んだが、
 二棟だけビルを隠して持っていて現在は、それが生活のベースになっているとか。更に、この恐慌で、経験を買われて
 コンサルタントもしているという。 バブル時の倒産劇は、人生の大きく覆いかぶさっているというが、そうだろう。
・クラブ関係では、神田周辺の菓子問屋に養子に行った男が土産として、仰々しい包みのお菓子をくれたが、家内が言うに、
「これって、前週に買おうと東京駅の地下の店のカリントウ。すごく有名だけど、わざわざ並んで買ってくれたのかしら」
 と言っていた。「まさか、そこの社長じゃないと思うけど、少しは有りえるかも」と答えていた。お返しで、新潟の酒を送った
 ところ、自宅に電話があり家内が出て「そこの社長なんですか」と聞いたら、そうだという。「先週、買おうと店まで行ったら
 行列で買えなかった。奇遇です・・・」家内は、本当か嘘か?その辺は調子が良いが、相手も悪い気がしないだろう。
・卒業してから数年後に、先ほどの石○譲○と、私の自宅に遊びに来た伊香保温泉の「村松屋」に婿養子に入った友人の根岸君。
 十数年前に脳溢血になって、九死に一生を得たとかで、半身不随になっていた。それでも朝一の高速バスで來京し、
 最終のバスで帰ると言う。以前に一族の「いとこの会」を、その旅館で開いたことがあった。
・亡くなっている人はクラスの約一割である。還暦を越えると、社会的に如何こうは、三番目か四番目。10年後には出席できる?
・・・・・・・・・
2665, 人生は儚いのか?
 2008年07月22日(火)
 知人の墓に、亡くなってから隔月にお参りをしている。たまたま散歩をする土手の折り返しの近くに墓がある因縁のためだが。
習慣とは面白いものである。両親の墓には年に三度ほどしか参らないのに。その都度思うことだが、「人生は儚い」ということだ。
必ず、心の中で話しをするが、故人が語りかけてくる言葉は「生きているうち、こっち(あの世)は、ただ空」そしてダメ押しに
「もっと墓参りに来てくれ!」勝手に沸いてくる言葉でしかないが、それでも何かがあるのだろう。故人と話しをしながら、
思うことが、娑婆のことなど全て儚い夢でしかないということ。そこで「儚いとは、如何いうことか?」を考えてみよう。
それは生まれる前の無限の時間と、死んだ後にも続く無限の時間を、死ぬと覚悟をした時に「あまりに小さな時間」を思い浮かんだ
実感である。だから、「幸福の4Fは克服できない苦難と悲しみ」というのも、言い得ている。故人から学ぶことは、そのことである。 
達成した幸福の喜びなど、酒を飲んで盛り上がれば、出来ること。そこには、生きているうちに感じる儚さしかない。
しかし、それを言えるのは達成をした経験のある人間しかない。それも、これも、如何でもいいことだが!儚さと感じるのは、
4Fの克服できない苦難と悲しみの意味を知らないからだ。儚いというのは「わたしの儚さ」である。「わたし」という有限の自分の、
小ささをシミジミ知ることである。その小ささの一番の意味は時間の小ささである。それも、他人と比べるのではなく、生前、
生後にある何処までも広がる時間に対してである。自分を取り巻く永遠の広がりの時間である。そう感じる「わたし」は、
実は過ぎ去った時間を振り返った時に「これ」から「わたし」になった言葉。そうすると、「わたしの人生は儚い」は、
その言葉に縛られた感情でしかないということになる。人生を振りかえって長かったような、一瞬だったような気がするが、
それは現在、そう思っている「わたし」の言葉ということだ。  
 (字数制限のためカット 2011年7月22日)
・・・・・・・・・
2007年07月22日(日)
2301, また地震!どうなっている?まったく! ー5
 まず今回は原発に絞って、これまでの問題をまとめてみる。
・世界最大規模の刈羽原発の真下に、実は活断層が直下に走っていて震度6強、
 マグネチュード6・8の地震が発生した。それは、日本の国家として最も恐れていた非常事態である。
・海岸線のため、それは普通の地震とは違い、一般住宅が1000世帯、半壊はその倍の2000?
 被害家屋が10000世帯にのぼった。それは直下型地震の上、地盤が弱いことが原因である。
 それからみて、原発の施設は想像を遥かに超える損傷を負ったと考えるのは妥当である。
・原発は最大マグネチュード6・5を想定して設計されており、6・8とすると2,5倍の衝撃が
 かかっている。もし、中越地震並みに震度7だったら、マグネチュード7,2だったら、と想定すると、日本はチェルノブイユの
 ような事故になっていた、と考えられる。 日本壊滅?は、決して小説・映画の世界ではない!ということになる。
・マスコミで「この事件の結果、過去に原発反対運動の住民が言っていたことが、ほぼ正しかったことが改めて検証できた」と報じた。 
 ということは、利権で推進した連中は、国家をあわや滅ぼそうとした輩として断罪に値する、ということになる。 
 想定外でしたとは、言いのがれはできない! そのトップだったのは誰かは周知の事実である。その利権に屯したマフィアは誰か!
  (字数制限のためカット 2011年7月22日)


4876,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー42

2014年07月21日(月)

   * 31年の新潟~長岡間の通勤
 老いた母親をおいたまま新潟に引越すわけにもいかず、31年間も新潟~長岡を通勤になった。
しかし、高速の乗物空間の往復一時間は読書の最適環境。私の性格からみて地方の閉鎖性に
同化されない為に、職住分離は必要であった。新幹線車内は一度、県外に出たような感覚になる。
だから、30年も続いたのだろう。 それと、機内や高速鉄道の車内は「ぼんやり時間」として
ベスト空間でもある。
長岡住民の7〜8割が地元出身者だが、新潟は流入組7〜8割。 僅か30分で世界がまるで違う。
それも慣れだが流動が少ないのは良くない。それは、この三年間で、さらに実感している。
 排他的で、プライドが高く、烏合で、常に人の目を伺う比較世界の傾向が強い。
それも、外部からみれば越後・新潟の差異の範囲。 ところで、30年の新幹線交通費の総額は、
マンションが一つ買えるほど。全線開通直後、長距離通勤のための税制が変わり、経費で
落すことが可能になった。 何処も所属しないで済んだ代金とみればよい。
酩酊しての乗り過ごしは8回。そのうち3回は湯沢などに宿泊、スナックへ。
今から考えると、冷汗もの。そうこう振り返ると、やはり70歳前半が寿命? 今さら生き急ぐことも、
死に急ぐこともない。今や職住分離の職が無くなり、自宅中心の生活。 新幹線の代りが
「ハリウッド映画」と、ポタリング。これで一度、生活圏から出たような錯覚が、
ストレスを最小にしてくれる。
   * スラスラと、思ったことを文章化出来る?
 知人に「思ったままを毎日、書けるのが羨ましい!」と言われたことがある。 
読む方は、2〜3分だが、書き上げる方は、この程度の拙文でも、テーマのネタ探しを含めたら
2〜3時間は軽く掛かっている。 これでである。しかし、書き上げた達成感と、プレッシャーが
丁度良い刺激になっている。その後、読返し、書いている自分は何者?と、ドキッとすることもある。 
時間が過ぎると、書いた時点の自分は、別人のような人。 吐いてしまった、書いてしまった言葉は、
二度と戻らない! 言葉は恐ろしいし、それを文章化して責任を持って公表するのは、更に恐ろしい。
そのままの自分の本音が、そのまま出てしまうからである。そのため、早朝、何度も何度も書き直す。
それが考える訓練と、思考そのものになる。「日々、是、口実」が、分かっていても?自嘲しながら
続けている得体の知れない自分は「何者だろう?」
・・・・・・
4509, 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 ー7
2013年07月21日(日)
            『 一日5分「簡単ヨーガ」健康法 』ー番場浩之著
 スポーツジムののヨガに週二回、百回以上も続けると、一寸とした動作もヨガ的になる。
ポタリングの車上の姿勢と呼吸とか、起床の前の屈伸とか、夜半に目が覚めた時の姿勢と呼吸とか、
居間でTVを見ている合間の姿勢とかを、意識するようになった。これが続けてきた一番の収穫。 
また早朝の30分の瞑想も良い。この結果、夜半の半睡の状態も、瞑想のイメージを持つと、
心穏やかに不眠状況を受け入れることが出来るようになる。
    * 3日目ーA 正座から四つんばいになって・・
1、まず正座になって(踵を重ねない)、両手を膝の上に自然に置いた自然体から、
  軽く御尻を浮かすようにして爪先を立てて、膝の前で床に手のひらをつく。
  短距離のスタートの姿勢だが、手のひらは地面にベッタリつける姿勢。
2、「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
  狼が吠えているように、顎を上げ、胸を開き、背骨をそらす。
3、そこから腰を入れ、手をつけたまま立ち膝になり、踵をつけたまま背中を丸める。
  額を膝につけて息を出し切る。
4、緩めて、元の正座に戻る。そこで軽く一呼吸をする。
5、もう一度、1,2の動作をした後、軽い呼吸をしながら、膝裏を伸ばしながら
  尻を持ち上げる。横からみたら、三角形に見える姿勢である。
6、息を出しながら、かかとに体重をかけ、肘と膝を伸ばした状態で腰を入れ、眉間を
  見あがるようにして顎を上げる。犬や猫が、四つん這いで、背筋を伸ばしている姿である。
7、「軽く一息」を入れて緩めたら、ゆっくり息を出しながら、膝をつき、「基本単位」に戻す。
 ▼ 犬や猫が寝起きに、これをやっている。背中を丸めたり、反らしたりしているポーズである。
  動物が誰に教わることなく本能的に行う運動には、それなりの良さがある。
    * 3日目ーB 手の指を開く体位
1、正座に座り、親指と人差し指で朱印を結び、肘を直角に曲げて前腕は床と水平に手の平を
 上向きにする。 「静かな一呼吸」−>「軽い一呼吸」−>「深い一呼吸」を入れながら、
 手指が反るぐらいに開き、息を止めて、少し、その状態を保つ。
2、ゆっくり息を出しながら、最初の基本体位に戻って、軽く一息をしたら、もう一度1,2を繰り返す。
3、1を行った後、手指を開いたまま息を止めて少し静止。息を止めたまま、ゆっくり親指から
  順に小指まで折り込んでいく。 最後に、親指を握りこむように「グー」でしっかり握る。
4、さらに、息を止めたまま、小指から親指まで順に指関節を伸ばした状態で開いていく。
  最後にしっかり開ききった上に、ゆっくり息を出しながら「基本体位」の朱印に戻って軽く一息。
5、再度、1、3,4を行う。  ポイントは、どの姿勢の場合でも背筋をピンと伸ばすこと。
 ▼ ヨガ教室では、正座をして、深呼吸をしながら上に向け延ばした手を、逆の手で反らすことを
 毎回している。あとは、投げ出したフクラハギをバタバタ地面に叩くのも居間などで手軽に出来る。
 常に、小まめにマッサージと屈伸をする習慣をつければ良いということ。
・・・・・・
4135, 閑話小題 ー父親のこと、など
2012年07月21日(土)
   * おもいのままに 
 緑の原野からサバンナへの移行をした、とか分かったようなことを言っている割に、
話題の中心は現在の世界情勢、特に、世界恐慌という大津波襲来の内容が多い。
百年、5百年、千年スパンの大変動の大波が襲来するのを、外海?の地平線に目を凝らして
見つめるのは人情として当然だが、どうも期待半分のようでもある。 
現に到来した時の惨状は、10年〜20年以上にわたる長期的になり想像を絶したものだろう。 
現に私が、その前波で一年前に事業継続を断念したこともある。しかし裏山に避難して海原を
みると地平線の本体の大波は近づいているのがよく分かる。眼下をみると、これまで通り人々は
何も変わることない生活を送る人と、海辺で浸水が始まり慌てている人もいる。
鈍い人は現実に大波が来ないと分からないのだ。ただ、それぞれの立ち位置で、問題の大きさが
違うから難しい。5階以上のビルの人にとって、それほど慌てることもないが、目先の生命は
助かっても生活圏が根こそぎ破壊されてしまう。 時どき週刊誌に、大津波の襲来と対応策が
見出しに掲載されるが、売らんがための大げさな見出しとして、狼少年の騒ぎとして見ている。
しかし、NHKが特番で危機の深刻さを報じているので、分かっているはずだが。
また私の知人の子弟が外国に留学やビジネスで滞在している人が多い。彼等も二分していて、
対策をとる人、とらない人がいる。どっちにしても、この年齢になれば何があっても先が知れている。
初めは、戦争勃発による株式の暴落から始まり、ハイパーインフレ、そして銀行閉鎖か? 
それもなく、延々と現状が続くのか?そうあって欲しいが、有り得ないこと。
   * 父親のこと
 父については何度か書いたが、年齢を重ねるごとに父親のことを思い出すことが多くなっている。
年齢が父の晩年に近づいているためだが、どうしも自分と対比してしまう。 私が父親の42歳時の
子供だったこともあり、私を特別視をしてくれていた。その影響はプラスマイナスにも、現在も強くある。
父親の死は最大の子供へのプレゼントという話を聞いたことがある。自立をするためだ。
その意味で26歳の時に亡くなったことは丁度良いタイミング。 その頃から創業を始め、
結婚も重なり決断は自分独りでするしかない。経験不足の身にとって一つ間違えると地獄のそれは、
結果が直接、跳ね返ってくるため厳しい。それも、自信が無くとも、分った振りをして決めるしかない。 
事業人生の40年間は、特に、その場で瞬時に判断しなければならない世界。去年の節目から
16ヶ月になるが、今だ解放感で空中を浮いているように気持ちが軽くなっている。 
現役の方が良かったなど懐かしむ気持ちは今だになれないが、後悔とか、未練は全くない。
父は42歳で終戦を向かえ、10数軒あったという貸家は長岡の空襲で全て燃えてしまい
一財産の殆んどを失い、そこから裸一貫から第二の人生が始まった。その頃に私が生まれたが、
当時の記憶は生まれた数ヶ月後からハッキリと憶えている。変化変化の刺激的な日々だった
からだろう。その中で必死に働いていた両親の姿が子供心に輝いて見えていた。
 ・・・・・・
3769, 下流の宴 ー2
2011年07月21日(木)
 昨日、7回シリーズの「下流の宴」−最終回のビデオをみた。これでシリーズの録画、
3、4、6、7をみたことになる。内容は団塊世代の現状の起承転結の転結そのもの。 
遅かれ早かれ人生は、こんなものであると・・。下流と見下された少女と、上流?家族の
母親との対比の中で、下流、上流とかいう世間体の虚実を浮かび上がらせている。 
この隠れテーマは、「総中流だった団塊世代の崩壊と現代の若者」で、上流とかいう
虚妄の実態を面白可笑しく表現している。下流と蔑まされた痛いげない少女の必死な姿を通して、
人間の品格とは何かを問おうとしている。あの夫婦の姿は多かれ少なかれ、定年をむかえている
団塊世代の家庭内に見られる実情。 そこで、問われるのは、「考える」ということ、定年までの
準備の有無、そして、これまでの人生を如何に生きてきたかである。 あの家族の父親が自分、
医者の娘というだけが誇りの母親が家内、そして二人の息子を、あの二人の子供に重ねると、
他人事でない? で、どうした!である。 家族には、それぞれの結末が待っている。 
最後は永遠の果てに散っていくのである。それが早いか遅いかの差でしかない。 
医者を偉そうに取り扱っているが、現在の医師の8割は技術者でしかない。
そのことを当人たちは熟知している(はずである?)。何かに向かい一心不乱で努力する姿勢、
それに対し全く無頓着の生様、それぞれの人間の姿を作家の林真理子は表現したかったのだろう。
蔑まされていた娘が独りで、医科大学に入って、医者の道を歩くところで、終わっている。 
それをバカバカしいと断念する方が面白いのでは?と、思った。が、これはこれで良い。
「世の中の人が総下流なら、それは中流ではないのでは?」と、常々思っていた。
娑婆では下流は平均値の半分以下の収入を言うらしい。国民年金で生活する人たちが
下流?というのだろうか? 鳩山一族が上流? こうなってくると、漫談になってくる。
ところで、私が学生時代に入っていた馬小屋のような寮の住人。 その人たちの実家は
玉石混合だったが、学生時代の寮生活は、こんなものと、誰もが着るもの、食べるものに
無頓着であった。 親が自営業だった?から、仕送りは実家が裕福かどうかに関わらず、
ギリギリだった。 むしろ、それを全員が楽しんでいるようだった。誰も実家の裕福さなど
問題にしてなかった。 日本は、アメリカの属国だったこともあり、経済大国といわれ、
アメリカに次ぐ豊かさを一時的に謳歌した。それが、この20年間で・・・ 
最後は東北大震災がトドメ。下流とは言わないが、中の下。団塊世代と同じである。
米国が国債のデフォルトを臭わせてきた・・ 500兆以上は買わされているというが・・・ 
待っているのは、下流の宴か、やはり。 ーたまたま去年のテーマが、それであった。
 ・・・・・・・                               
3404, この国の終わり
2010年07月21日(水)
         「この国の終わり ー日本民族怪死の謎を解く」 林 秀彦 (著)
 18年間の海外生活から帰国した著者の目に映った日本は、いまにも滅亡しようとしている
無惨な姿だった。この本で三冊目になるが、時系列でいうと遡って読んでいることになる。
帰国後の早い段階で書かれたためか、日本の惨状の驚きと、怒りが新鮮である。 
アメリカが60年間かけて作りあげた被植民地国家の悲惨な姿に唖然とし、そして怒りの言葉が続く。
私自身に著者が罵倒していると思いながら読むと、一言一言が胸に刺さる。日本人には、そもそも
「考える」という総合的な頭脳的現象が存在していなかった、という著者の見方が一貫している。
世界は常に修羅場であり、「決闘の場」なのである。相手が選ぶ武器は、
こちらの武器でなければならない。剣には剣、銃には銃である。何より必要なのは悪だくみには
悪だくみ、最低でも同等同質の武器を持たないで生存が不可能というが・・。
グローバル化、ネット社会に入ってしまった現在、これまでの島国の国民性の改造が必要になる。
  ーまず、印象に残った箇所から
 * 恐怖不感症もしくは不安鈍感症 −P63
日本人は、世界一信じやすい民族なのだ。「疑っちゃ相手に悪い」という心情が働く。
何でもかんでも「信ずるものよ、幸いなり」で貫く。疑うことは不道徳、といった観念まである。
恐るぺきノータリン、ノータリンここに極まれりである。疑うという心情作用は一種の恐怖であり、
不安によって触発される。簡単に言えば、人は恐怖と不安という触媒によって進歩する。
ところが日本人は恐怖不感症である。不安鈍感症である。あるいは逆に、あまりにも臆病で
卑怯だから恐怖や不安を先回りして回避する。目をつむり、恐怖の実体を無視する。
そしてその場限りの「逃げ」だけで片付ける。だかち戦争をはじめとするすぺての防災対策は
後手後手になる。治にあって乱を忘るるなかれ、などという段階ではない。乱の真っ最中でも、
その乱を感じ取れずボケている。呆けているほうが楽なのだ。そしていままでそれで何とか
やってこられた。幸いなことにこの列島は資源がほとんどない、だから助かった。
 〜〜
 この国家的危機の中でも、国民の危機感が感じられない。そして頭を(首相を)取り替えることで、
目先の不安解消にしている。もう絶望の事態だろう、これでは。65年かけたアメリカによる日本国民
への植民地化計画の完成が、現在の日本人である。自分を見れば分かることだが、
家内や親戚など身近な人を見ても、その完成体?に近いのでは、と新鮮に驚いている。
・・・・・・・
3029,本屋に行くと何故トイレに行きたくなるのか?
 2009年07月21日(火)
 学生時代に新宿の紀伊国屋に行くと高い確率でトイレに行きたくなり不思議に思ったことがあった。そして、新潟に帰ってきた後も、
新潟の万代シティの紀伊国屋に行くとトイレに行きたくなった。ところが歳を重ねるにつれて、全くなくなったのは何だろうか。 
若いときは、このことが独自のことではなく、一般的傾向など知らなかったし、そういうことを話題にすることもなかった。
最近になって、私だけの傾向ではないと知った。本屋だけでなく、図書館も同じような傾向があるが、本屋の方が傾向が強い。 
私の知人は便秘気味になると図書館に行くという。あのかび臭いが効果があるという。インク、のり、紙などの複合した臭いが、
脳のどこかを刺激するものと言われている。私自身も、その臭いが条件反射的に生理反応が起きるのか、一冊一冊を手に取るときの
何か異様な緊張感が、そうさせるか半々だろうと思っていた。 いま一つは著者の凝縮したエネルギーが、その本を手に取り、
中を覗きみることで、脳に強い刺激を与えることも考えられる。大腸は脳の刺激を一番刺激を受けるというから、その要素が
重なるのだろう。また作家の霊(思い)が本屋や図書館に漂っていて、更に大腸を刺激するのである。 
 作家の山田風太郎は霊感が強く、全国の神社・仏閣に行くと、必ずトイレに行きたくなるという。私は外国のお城の牢獄に行くと、
必ずといってよいほど変になる。何か寒気を感じた後の15分ほどでアッきた、という感覚である。それも急性とくるから、大変。 
石牢の冷たさと自己暗示もあるのだろうが。イスラエルの城で、スイスのレマン湖の岸辺の城で、オーストリアの城で、
書けばきりがない。 ツアーといえども、外国は非日常である。 トラブルの全てが出る。秘境ほど。だから行くのである。
 ・・・・・・・・
2664, インドの女盗賊プーラン
2008年07月21日(月)
 図書館で見つけた、「インド盗賊の女王・プラン・デヴィの真実」に、一人の女性の壮絶な人生があった。
彼女の語った世界には尋常ならざる悲惨な現実が次から次へと出てくる。NHKスペシャルで昨夜もインドをシリーズで取り上げていた。
グローバル化とは、こういう異質な国とも垣根が無くなるということだ。
  ーあるブログに、この本の簡約した内容があったので、まずはそれをコピーしてみるー
プーランは、1994年、仮釈放となりこの自伝の口述を行った時には、読み書きができない状態、彼女の手記は口述であった。
  (字数の関係でカット2011年07月21日)


4875,意味としての心  ~意味の意味

2014年07月20日(日)

              ー『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーより  
   * 空虚の穴埋めと、意味の発見  〜意味の意味について、再び!
 4年前の随想日記で <「人みな骨になるならば」頼藤和寛著>の『意味の意味について』
について書いた。 【・・・ われわれの一生は無意味かもしれないし、意味のあるものかもしれない。
それを決めるのは、われわれ一人一人の思い込みにすぎない、と言わんばかりである。そして、
やはり「思い込みにすぎない」のである。 自分の人生には意味があるとするあつかましい人物と、
宇宙規模で考えれば無意味だとする謙虚な人物との、いずれが正しいか判断する根拠などない。
思いたい放題であり、思った者勝ちのようなところがある。… 】
 〜要は、「人生の意味など適当な意味付けでしかない!」ということ。価値観の価値に、
非常に似ていて、人生色いろ!の理屈付け。それでも、そのことを考えないより遥かによい。
  『意味としての心ー「私」の精神分析用語辞典』北山修著ーの中に、
「意味」について解りやすい解釈がある。『意味というミ』の小テーマで、
《 意味とは、意=気持、を充実させることである。 私たちの自己は広がりであり、空間で、
器、容器をイメージさせる。そして、たえず欠如や不足、欠乏を抱え込み、その内容が満たされて
豊かになることが、これらの充足願望に共通する目標であります。その逆の不満や不足を意味する
「満たされない」「足りない」「充実しない」は不幸で不快であり、これが重なると「虚ろ」「空っぽ」
「空虚」など、寒々した空洞体験を出現させる。その空虚の穴埋として、実のあるものを生み出すこと、
多く表現することなどで、充満することで満足する。その充満が得られ、その充満の限界をこえかけ
ギリギリのところに止まるならば「たまらない」という快感につながることもある。
そして記号というカラの器を充実させるのが読み取られて味わわれる意味内容であり、
この意味のミも、記号のミになのなのでしょう。 》
 現在、シリーズで書いている『事業人生を決心して45年、の語りなおし』は、3年前の結果を
踏まえた物語の書き直し! それぞれの節目の要素と、物語の根こそぎの『意味』の変更。
 『意味』に一番近い言葉は「価値」だが、その意味は「物がもっている、何らかの目的実現に
役立つ性質や程度。値打ち。有用性。」 目的により、それぞれ人により違っている。
「意味」の『意』は「気持」。『味』は、ミ。満るのミ、記号で言う、身、実、につながる。
その時々の節目で、何が満ち、何が実として、あったか? 逆に、何が足りなかったか、
の棚卸は、ある意味、内省になる。 〜「人間、生まれて、飯を食べ、糞をして、死ぬ、ただ、
それだけ( )」のカッコ内に「?」を入れるか、「!」か、大きく『意味』o^_^o) が違ってくる。
・・・・・・
4508, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー3
2013年07月20日(土)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
    第二章 医療に殺される
  現代医療の根源を問う問題である。現代医療の肯定派の医師との公開討論は直前に
ドタキャン。それだけ、根は深い。 裸の王様と同じで、誰かが現代医療の病巣を指摘しなければ
ならなかったこと。このような問題を今まで聞いたことがない。 としても、世界で一番の医療
システムであることは、認めてよい。延命医療の盲信が良くないのである。 数年前の
 「インフルエンザ・パンデミック騒ぎ」の時、世界のタミフルの7割が日本に流れたという。 
振り返ってみれば、普通のインフルエンザより、遥かに致死率が低かったのである。
これは薬品メーカーの陰謀?=販売戦略でしかなかったが、その総括は全くなされてない。
これと同じで、盲信していると、医療そのものに殺されるてしまう。 父親も、同級生も、
 治療で、苦しまないで死ねたのが、盲信したため、拷問のような苦痛?
の中で死んでいった?と思うと、すえ恐ろしい。
 ー第二章 医療に殺されるー 目次の小項目には、その恐ろしい現実が、そのまま書かれている
・「がんにかかるとすぐ死ぬ」イメージは医者が作った  ・99の死屍累々は隠して1の成功例だけを強調
・胸部CT検査2回で「避難」レベルの彼ばく      ・「免夜力とがん」と「笑うとがんにならない」のウソ
・病院に寄りつかない人は確実に長生き        ・検診は受けない、自分の血圧も知らない
・がんになったら太りなさい。コレステロールが低いほど早死に ・今までの日常を保ちながら、がんとつき合っていく
・高血圧のガイドライン操作で薬の売り上げが6倍に   ・教授が執刀? それは危なかった
・同窓会に行かない理由                   ・日本人の寿命が廷びた原因は医療ではない
・「予防医療」センターは「患者を呼ぼう」センター      ・医療検査に近づかないと人生終盤が有意義に
・余命3ヶ月がはやる理由                   ・「医者は治療をすすめる」これは永遠に変わらない
・財政難で検診が変わる                ・がんやインフルエンザを「めしのタネ」にする人々
・世界のタミフルの7割が日本に流れた…       ・ワクチンやってもインフルエンザにかかります
・医療で死にかけても「信仰」は消えない      ・医療は桐喝産業。不安をあおって患者を増やす
・ネズミの実験で成功しても人間の体は別もの   ・2つの薬を抱き合わせる「新薬」商法
・老化と言われたくない症候群             ・大学病院はいい「実験」を受けられる病院
・医療体制はもうじき崩壊する             ・日本人のスリムな体形が手術向きだった
 ▼ 誰も目先、死にたくない。老いてからのガンを老化現象とみるか、病とみるかで変わってくる。
 現代医療の信頼も共同幻想でしかない。スポーツセンターの血圧計で、測定したら
ギリギリ?の125〜140。子供の頃、両親から聞いていたのが、年齢+90が高血圧の目安だった。
ところが、そこには130と、説明書にある。 私の年齢からすれば2割も目安が下がったことになる。
とはいえ、現状の自分の数値を知っておく必要もある。
・・・・・・
4134, 「夏目漱石の自己本位」 ー3
2012年07月20日(金)
              『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
   * 他人志向型人間
 「自己本位」の対照に「他人志向型」人間がある。学生時代のゼミで読むよう指定された本に
リースマン著『孤独な群集』があった。 以前にも少し取り上げたことがある。  ー 大まかにいうと
《 都会の群衆は、それぞれが孤独であり、他人に対して無視を装っているが、実は非常に敏感で、その視線を気にしている
「他人志向型人間」が多い。これは都市という空間が、人工で創られているためで、各々は個々に分断されているため内情を
知りたいのである。要は内幕情報屋的傾向の強いのがが都会人。》が、私の記憶として残っている。
 そこでアマゾンで調べてみると、【 この本が書かれた1950年代アメリカというのは非常に興味深い10年間であります。
戦後の繁栄を謳歌し、今や万人の上にアメリカの夢が輝いている、そういう光がある反面、冷戦が社会にもたらす緊張、そして
勃興する消費主義、台頭する大企業、人々は次々と「長いものに巻かれ」て自己の表現よりも大樹への忠誠とへつらいという
軍門に降っておりました。そんな時代の空気を吸い込んで書かれたこの書の主人公は、やはり、他者の視線を例えば会社で
四六時中気にするような、「他人志向型」人間であり、仕事によって自己表現をするというかってのアーティストたちとは異なり、
仕事を家計の質を得るための手段にすぎぬと割り切って、自己表現の場を瑣末な消費主義に求める、そんな連中であります。】とある。
 都会の中にあって、誰もが、それは素振りも見せず、それぞれが自己本位で生きていかざるをえない。しかし、心は空虚の
孤独な群集と化してしまう。特に勤め人は、都会暮らしで日々の仕事に忙殺され、自己本位というより、組織という集団の中に
自己を見失いがちになる。そうであればこそ、その中に自己本位のライフワークを確立しておかなければ漱石のような鬱病に
陥ってしまう。そのような世界から、自己本位人間に定年後こそ移行すべしと著者は勧める。その変化が出来ないで、定年後も
仕事仲間と付き合うのが一般だが、「昔の首輪を付けたまま群れをつくり、街中をさ迷う犬」に喩えられる。一度、孤立をして、
孤独の世界をつくり、そこで新たな自分と対峙しないと、そう簡単に自分は変えることは出来ない。他人志向も達観すれば、
それはそれで良いのだろうが・・・いい歳をした老人が群れて、我を忘れて他人の噂をしている姿もいただけない。 特に男は!
 ・・・・・・
3768, 福島原発事故は実際、何処まで深刻なのか?
2011年07月20日(水)
  大震災と、それに伴なう福島原発事故が起こって4ヶ月以上になるのに、一番深刻と思われる原発事故の深刻度がハッキリしない。
先日、図書館から借りてきた「新潮45 〜6月号」にー特集・震災後をどう生きるかーがあった。実に、現在知りたいと思っていた、
哲学者や、学者、その道の評論家が、それぞれの視点で論評を書いていた。 現在、一般的に知られている事実を科学作家の竹内薫が
 次のように、書いていた。
【 マスコミも含めて、日本人の多くが原子力発電の基礎知識をほとんど持っていなかったことで、いまだに多くの誤解がまかり通っている。
  スリーマイル島とチェルノブイリの事故の違いも知られていないようだ。 
・スリーマイル島ではメルトダウンが起きたが、格納容器が破壊されず、環境への影響はほとんどなかった。
・チェルノブイリは、まともな格納容器すらない、旧東側の原発であり、原子炉が爆発して(核爆発ではない)、放射性物質が成層圏にまで
 吹き飛ばされた、未曾有の大事故だった。 旧ソ連は事故を当初から隠蔽し、海外で放射性物質が検出されて初めて大騒ぎになった。
・今回の福島事故は、深刻であることは間違いないが、スリーマイル島の事故を超え、チェルノブイリより被害が小さい事故、
 というのが世界中の科学者・原発エンジニアの共通する見解だ。
・最悪の事態を迎えたとしても、格納容器が内部の蒸気圧に耐えられずに爆発し、高度500メートル付近まで放射能物質が飛散し、
 周囲に拡散するにとどまるという。4月12日に事故の深刻さが「レペル7」と認定され、「ほれみろ、チェルノブイリと同じではないか」
 という論調のマスコミもあらわれたが、政府が「チェルノブイリではない」と主張しているのは、ある意味、正しい。・・・・ 】
▼ 世界の科学雑誌は、一般的に事態を冷静に見ており、原発事故を「1.未曾有の自然災害」×「2.40年前の技術水準の原子炉」
  とし、数十年かけて再生可能エネルギー技術をスケールアップするまでは、原子力発電を使い続けるべきとしている。
  日本のTVを見ていると、まるで世界中が原発反対で一致団結をしているように思われるが、それは正確でないという。
   また、「想定できたはずの人災」にすり替えようとした動きは、後だしジャンケンであり、原子炉の破壊が人災というなら、
  2万人以上の死者を出した大津波に対しての、10メートルの防波堤に対して、更に大きな人災論をマスコミは騒いで良いはず。
   これまでの過剰反応は収まってきたが、それでも大気にばら撒かれた放射性物質の影響は、次第に身近に来ている。
  問題は、若い人である。その中で、幼児が、10〜20年後に、ガンなどになる可能性が出てくること。
  私たちの年代には、どっちにしても、先は限られているので、騒ぐこともないので、国全体としては落ち着いているのである。
  とはいえ、この事態は健康面だけでなく、政治経済などの先行きに予断を許さないことは間違いない事実。
   それに気づいた人たちが、観光地、温泉などに徐々に戻りつつあるようだ。まずは、この夏の電気エネルギーの供給。
  ・・・・・・・
3403, マイナス思考講座
 2010年07月20日(火)
 「マイナス思考法講座 ープラス思考をやめれば人生はうまくいく」 ココロ社 (著)
  ーアマゾンの内容紹介より
 前向きなポジティブ思考で「その気」になっても実際には何も変われていない、ってことありませんか?
そんなあなたにこそオススメしたい最終兵器がマイナス思考! 落とし穴だらけのポジティブ思考を捨て、
仕事・人間関係・恋愛で本当に役に立つ“戦略的マイナス思考”を身につけよう。
本当の成長は、徹底的な絶望から始まるのです! 人気ブロガーによる究極の自己啓発書!
 ▼ この本はまだアマゾンの内容紹介と、読者の感想しか読んでない。なるほどと思う部分と、何も知らない何の経験のない人が
読んだら誤解を受けそうでもある。 プラス思考・肯定思考は意志そのものである。それに対しマイナス思考は感情面が強い。
したがって、二つをミックスしながら考えを進めてこそ、思考が高まる。 単純なマイナスも、プラス思考もない。
一般にいうプラス思考は、マイナス思考を乗りこえた上の積極的な働きをいうのであって、頭の軽い明るい人の軽薄思考とは違う。
ここで「絶望ワーク」という、14の講座が展開されているが、もちろん、それらを乗り越えた上の思考であることは当然である。
 先日の全国紙上で、アメリカの「肯定思考法」の行きすぎに疑問を呈している論があった。ただ、それだけで良いはずはないのは、
誰の目にも明らかだが。 格差という視点からみて、肯定思考は「一段上にアップスケールなど考えるより、現状を肯定し、
それを受け入れるべし」と捉えがちになる。 マイナス思考なら、「現状を絶対否定をして社会全体を破壊するか、現状に満足している
自分を否定する」ことになる。 そうすると、ヘーゲルの正・反・合の適応が考えられる。正=プラス思考、反=マイナス思考、それら
から導き出されたランクアップした思考こそ、練りこまれた結果となる。 マイナス思考で準備をして、プラス思考で実践を
することがより有効になる。 思いもよらない失敗をした時、我を取り戻すために必死になって、マイナスを取り繕うために、
プラス面を探し出し気持ちの動揺を最小にする作用として、プラス思考を使うケースが多い。 しかし徹底的に、そのマイナスの
中心点をみるためには、マイナス思考は重要である。 とはいえ、人生は「にっこり笑ってハンカチーフ!」でなければ、
生きられない局面が多い。 だいたい、「マイナス思考講座」という題名の本が出ること自体、世界が金融恐慌だからだ。
今後、10~20年は、いや50年スパンで歴史的大混乱は避けられない中で、「マイナス思考」を持つのが自然であり、
「プラス思考・肯定思考」そのものが、不自然になるのは当然である。明日にでも、この本が送付されてくる。
 ・・・・・・・・
3028, 『死ぬときに後悔すること25』+2
 2009年07月20日(月)
 『死ぬときに後悔すること25』 緩和医療医・大津秀一著
《人生の目標は、『死ぬ時に後悔しないこと』》と言ったのは、日蓮だが、この本は新聞の書評で知り、ネットで概要を
調べたもので、実際には読んではいない。しかし、それだけでも、その骨子をしることは出来たようだ。 その骨子とは
 〜〜
末期医療の現場で1000人の死を見届けた医師が書いた本で、「人は亡くなる時にどんなことを後悔しているのか」をまとめたもの。
人は生きている時に、「仕事で出世したい」「人生に成功したい」「お金持ちになりたい」とか思うのが常かもしれないが、
最期を迎える時に思うことは、どうも違うようだ。 ーその25のこととは?ー
健康を大切にしなかったこと          △       たばこをやめなかったこと        ○
生前の意思を示さなかったこと         ○       治療の意味を見失ってしまったこと    ?
自分のやりたいことをやらなかったこと     ◎       夢をかなえられなかったこと       ○
悪事に手を染めたこと             ○       感情に振り回された一生を過ごしたこと  ○
他人に優しくなれなかったこと         ○       自分が一番と信じて疑わなかったこと   ○
遺産をどうするかを決めなかったこと      △       自分の葬儀を考えなかったこと      ○
故郷に帰らなかったこと            ○       美味しいものを食べておかなかったこと  ◎
仕事ばかりで趣味に時間を割かなかったこと   ◎       行きたい場所に旅行しなかったこと    ◎
会いたい人に会っておかなかったこと      ◎       記憶に残る恋愛をしなかったこと    ???
結婚をしなかったこと             ○       子供を育てなかったこと         ○
子供を結婚させなかったこと          ○       自分の生きた証を残さなかったこと    ◎
生と死の問題を乗り越えられなかったこと    ○       神仏の教えをしらなかったこと      ○
愛する人に「ありがとう」と伝えなかったこと  ○
  (字数制限のためカット 2011年7月20日)
・・・・・・・・・
2663, 「哲学づくと、どうなるか」
2008年07月20日(日)
 この随想日記を7年以上毎日書き続けたためか、以下のように左から右へと変わってしまった。 但し重心だが。 
 ということは、過去の自己否定の辛い日々になっている? 
根本を突き詰めない日々  ー>   考える日々(考えざるを得ない日々))
日常に流される日々    ー>   新しい知識を求め続ける日々
役立つことを追求する日々 ー>   役に立つとか立たない外を求める日々
常識を加える日々     ー>   常識を根本的に疑う日々
実生活のプラスを加える日々ー>   真実とは何かを求める日々
マスコミに左右された日々 ー>   自分の道理を最優先にする日々  
群れを求める傾向     ー>   孤独の時間に重心を移動
 要するに自分の話す言葉、書く言葉を大事にするようになった。その反面、これまでの表層的な自分を思い出しながら赤面している。
そういえば、二十・三十歳代半までは右側の傾向が強かったようだが・・・ インターネットと、印刷の発明とドチラが人類にとって
大発明になるのかといえば(私自身の判断だが)数段、インターネットだと思う。その人類の大きな転機の大事件に立ちあっている。 
それぞれがブログを通して「語ること」を始めたのである。ブログで語り始めて、語りを継続をして、私の場合、哲学づいたのである。
自分の知識と経験の限界を知ることは、何か空しい気もする。 知っていることより、知らないことが膨大に広がっているのを知ると、
先ほど書いた右側の傾向になっていくのである。それにしても、面白い岐路を生きたものだ。
・・・・・・・・・
2007年07月20日(金)
 2299, また地震!どうなっている?まったく! ー3
  「柏崎原発直下に断層」 ー耐震設計の前提崩れるー
  これが昨日の地元紙の新潟日報一面のトップ記事である。
 更に一面の下にある「日報抄」というコラムに以下のようにあったが、これしか書けないのがマスコミの限界だろう。
   (字数制限のためカット 2010年7月20日)


4874,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー41

2014年07月19日(土)

* 創業時の取引先の営業関係者が、ほぼ亡くなった!
 毎年の忘年会の常連メンバーを思い浮かべると、ホテル創業時の営業担当の3分の2が、
亡くなっていた。30数年前からの営業関係者なら、さもありなんだが。大体が60歳前半のガン。
70歳過ぎが、二人。その中で、80歳過ぎまで10数年間、古町の老舗料理屋を毎月通っていた
近くの不動産屋の遊び人?がいた。 倒れた前日、飲みに誘われたが、先約があったため、
他の?かと飲んだ後、さらに自宅で酔いに任せウィスキーを、一本を空にした翌朝、脳溢血で
意識不明になっているのが発見され、一年後に意識回復することなく亡くなった。
 酒の壮絶死は、後先、身近で見たのは、初めて。私も一つ間違えれば? 営業担当もあって、
ガン死が殆どだが、建設関係は、酒によるガン悲話 <夫の意に反しての単身赴任の結果、
ガンで亡くなり、そのショックで奥さんが重いノイローゼに・・云々> 
<営業の酒席の過多でアル中で、離婚>などを多く聞く。営業担当は、飲み屋の付けを
抱えているため、競争関係者に、その支払いの代償に、自社の利益に反する情報を売ることもある?
  * つれづれに 〜語り直しは、内省!
 装置産業は、創業で当てれば天国だが、後は何もすることがない。
立上げで、勢いをつければ枝と幹が出来たようなもの。日常業務は、支配人、マネジャーの仕事。 
一棟目の一周の春夏秋冬を経験すれば、二棟目以降は一ヶ月も過ぎると、何もすることが無くなる。 
そこで事務所で本を読むか、年二回、海外旅行で刺激を得ることになる。あとは、お決まり小人
閑居して酒。しかし、お客の生命を守る危険な仕事。 火災、ヤクザの脅し、酔客などの苦情、
自殺など、いつ何時、何が起きても対応しなければならないため、常に緊張感が必要になる。
 リタイア後、その縛りと、45年間の刷りこみから解放感で、宙に浮いているよう。
『現役時代は良かった』の心持ちはゼロ。現在も、そのまま同じ。同年代の人の仕事の話を
聞いていると『   』。 
 振返ると、その持て余した時間が、人生にとって大きな贈物だったことが、見えてくる。
これは振返ってこそ見えてくること。そうと、当時、もっと意識をしていたら、味わい方も違っただろう。
過去は、変えられないが、見方、解釈は変えることが出来る。 それもこれも、どうでも良いことだが。
・・・・・・
4507, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー2
2013年07月19日(金)
             『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 対談ということもあり、目次の小項目がテーマが、ずばりキーワードになっている。 これを並べれば概要になる。
どれもこれも、今までの思い込みと真逆な内容。「ガンは悪性なら助からないし、良性なら助かる」それが分かってない。
それを延命させようとしただけ苦痛を与える。自然死こそ本人のため。私も20年にわたり毎年、胃腸や肺を胃カメラや
CTスキャンなど半日検診を欠かさず受けてきた。結果からすると、2~3年に一度でよかったのでは?必要がなかった?
 早朝ウォーキングを毎日一時間以上を続けてきたことと、ストレスを溜め込まないことが、私の健康法だった。
   一章 がんの誤解を解く 
・どうせ死ぬなら「がん」がいい           ・治療しなければ、がんはけっこうな病気
・がんが痛むのではない。治療で痛むむ        ・がんの9割に抗がん剤は無意味
・抗がん剤が「効く」とは、しこりが一時小さくなるだけ・「腫瘍内科医になるのは、おやめなさい」の意味
・ひとりも痛まない老人ホームの「がん放置患者」   ・胃がんも肝臓がんも放置すればラクに死ねる
・手遅れの幸せ。安らかな自然死           ・がんの9割は「末期発見・治療断念」「放置」がいちばん
・家族ががんだとわかったら             ・人間ドックを受けたために、がんで玉砕
・いくらでも見つかる「潜在がん」「がんもどき」   ・がんの集団検診をやめたら、がんが減った"
・この半世紀、日本人の融がん死亡率は変わっていない ・姉の乳がんが「乳房温存療法」「がん放置療法一のきつかけ
・150人以上の「がん放置患者」を謬て理論と事実が一致 ・本物のがんと「がんもどき」
・本物のがんは、見つかった時点で転移している    ・「早期がんを手術で取ったから助かった」の誤り
・手術は「人工的な大けが」。傷口が痛み、がんがはびこる ・スキルス胃がんも切らない方が余命が延びる 
・「抗がん剤が効いた」という論文のカラクリ      ・腹永も消える、安らかな自然死  
・「治僚しない」ことに耐えられない日本人       ・「やるからには徹底的に」が医者の性格
・手術で大きな後遺症を抱えて寿命が縮む        ・症状のない前立腺がんを放射線で虐殺
・放置すれば最後まで痛まない胃がん、肝臓がん、食道がん、子宮がん
・消えるのは「がんもどき」。末期がんからの生還例はない ・1%の可能性だけ見て99%を考えない"
・西行が桜の下で死ぬ夢を叶えるためにしたこと      ・治療を拒み、飲まず食わずでスーッと逝った"
・食べないから死ぬのではなく「死に時」が来たから食べない
 ▼ どれもこれも「ガンを老いの病と捉え、抵抗をしないで、従うしかない」ということ。
  西洋医学に限界と無理がある。目先、医療知識のない患者は、医師の方針に従うしかなく、恒例の手術か、
  抗がん治療に入っていく。誰もが自然死を選ぼうとしないのは自然の成り行き。で、管に巻かれて悶え死んでいく。
 「この論を信じるべきか?」 で、真逆の真逆の論?「がんで死なない生き方」中川恵一著を借りてきた。 
・・・・・・
4133, 「夏目漱石の自己本位」 ー2
2012年07月19日(木)
            『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
「自己本位」が無作法に行われたら人間社会は成り立たない。そこには当然、心得がある。
それを厳格に守るのが個人主義である。我々は社会の中に生きている。社会にはルールや心得がある。
それを知った上で自己本位で生きていかなければならない。
   * 当然、「自己本位」に心得がある!
≪「他人本位」から「自己本位」に生き方を転換するには、三ヵ条を心得ておかねばならないと漱石は言う。
第一に、自分の個性の発展を遂げようとするならば、他人の個性を尊重しなければならない。
第二に、自身が有する権力を行使しようとするならば、それに付随する義務を忘れないこと。
第三に、自己の金力を示したいのであれば、それに伴う責任を重んじなければならないことである。
 講演の最後に、漱石はこう言いきっている。《 ただもう一「つ御注意までに申し上げて置きたいのは、
国家的道徳というものは個人的道徳に比べると、ずっと段の低いもののように見える事です。元来国と国とは
辞令はいくらやかましくっても、徳義心はそんなにありゃしません。詐欺をやる、誤魔化しをやる。
ペテンに掛ける、滅茶苦茶なものであります。だから国家を標準とする以上、国家を一団と見る以上、
よほど低級な道徳に甘んじて平気でいなければならないのに、個人主義の基礎から考えると、
それが大変高くなって来るのですから考えなければなりません。》≫
▼ 漱石は「自己本位」という金鉱を見つけたことで、その後の進むべき道を見い出した。
聴衆に対して「もしどこかにコダワリがあるなら、何かを掘り当てるまで突き進むと、各人各様にもって生まれた
個性がそこにぶつかり、初めて腰がすわる。そこに腰を落ち着けて前進していくと、個性に磨きがかかり、発展し、
幸福感と安心がもたらされる」と、説く。このことは定年退職者にも、同じく当てはめることが出来る。
若さを失う要素の一つは周囲に流されやすくなり、他人本位になることがある。まだ江戸時代の滅私奉公の
気持ちが抜けきらない時代に、「自己本位」を言ってのけたのだから、驚いてしまう。単一民族で、島国では、
互いを大事にするあまり他人を意識過ぎて、自分を確立する機会が減ってしまう。特に勤め人は孤立に弱い。
・・・・・・・
3767,閑話小題 
2011年07月19日(火)
   * 女子ワールドカップ・サッカーで日本が優勝
 テレビで話題を盛り上げるため、日本が優勝すると笑いながら言っていた解説者はいたが、殆どの人は、
「日本が優勝するなど有得ない」と思っていた。ところが昨日、一般の予測に反し日本女子が優勝をしてしまった。
ドイツに買ったのだから、日本がアメリカに勝っても不思議ではないが、24戦して22敗、二引き分けの相手である。
もし勝つなら「何とか引き分けに持ち込んで、PK戦で勝ちを拾うしかない」と、思っていたのが、正夢になってしまった。
結果的には大震災と原発事故で瀕死の状態の日本に米国が勝ちをプレゼントしたことになる。 米国の一方的な攻撃の中で、
耐え抜いてPK戦に持ち込んで勝利したのだから、恐れ入る。 その中で、神憑り的な幸運が試合の随所でみられた。
明らかに弱者である日本は、一方的な攻撃に耐え抜く弱者の戦法が、最後に幸運を引きよせた結果を生んだ。
 最悪の事態の時に、最悪の出来事を呼び寄せることを「布置」と、先日、ここで書いたが、逆に、この時期に有得ない幸運?を
引き寄せることも「布置」というのだろうか? 
  * メタボの雀、再会
 昨日の朝、女子サッカーを見た後、何時もの信濃川の川辺のサイクリング・コースのベンチで、ストレッチをしていると、
前に書いたことがあったメタボの雀が、何時もの通り、50センチ位のところまでやってきた。このところ見かけなかったので、
餌が無かったが、ポケットに手を入れ撒いたふりをすると、そのあたりを必死に餌を探している。 信濃川の雀、その後、
何気なく自転車に乗りながら観察しているが、餌が豊富なのだろう、全体にメタボ気味のようだ。
  * そろそろ、軽い鬱になりそうな
 三月末を区切りに、自宅に中心の生活に変わり100日余りになる。だんだん慣れてはきたが、そろそろ軽い鬱がきそうか。
早朝、この随想日記の仕上げと、電動アシストのチャリで信濃川土手のサイクリング、そしてスポーツセンターと、午前中は過し、
午後は流しに入る。 映画館、SC、図書館に行ったり、読書をしたりで、時間がたっていく。しかし、今度は余裕が出来てくると、
周囲の人の視線が見えてくる。 事が事だけに獄門打ち首のサラシの身の上か、1〜2年は蟄居閉門である。
本人には、そんな意識は少ないが、あの視線は、やはり、そういうことか?という感がする。 元もとアウトサイダーを基本と
してきたので、「その辺の輩」への逆視線はある。 私も人間、環境の動物。今さらか・・ それ以前の初老性欝か、大震災の背景も?
 ・・・・・・・
3402, 「壊れ窓理論」の経営学
2010年07月19日(月)
「壊れ窓理論」の経営学  ー犯罪学が解き明かすビジネスの黄金律 ー M・レヴィン (著),
 ーアマゾンの内容説明からー
小さなことが大きな成功と失敗を生む! 「壊れ窓理論」とは、小さな犯罪(壊れ窓)を放置すると大きな犯罪を招く、
だから小さな犯罪を取り締まれ、というものだ。この犯罪学の理論をビジネスに当てはめたのが、本書である。
有名企業の豊富な事例をもとに、あなたの会社の「壊れ窓」を防ぐ方策を伝授。
  =まず、その要点をまとめてみると・・=
≪ 「ニューヨークの凶悪犯罪が減ったのは地下鉄の落書きを消したから」 「あなたの会社にも壊れ窓はないか?」という再三の
問いかけと、ささいなことを大事にするか疎かにするかで大きな差がつくという指摘にドキッとさせられる。
序文の一行目に「汚いトイレとは、壊れた窓である。・・・」とある。「一枚の割れた窓のようなチョットした綻びが、
毎日そこを通りかかる人々に向かって強いシグナルを発する。 壊れたまま修理されてなければ、建物の所有者はそれに
気づいてないか、目をつぶっているという意味だ。 ということは、近辺では窃盗や破壊行為や暴行など、もっと深刻な犯罪が
見逃されていたかもしえない。 少なくとも、誰も目を配っていないのは明らかだ。これが壊れ窓理論の核心である。」と・・・
 ここで、さらに鋭く「もし、あなたが経営者で、小さなことはどうでもよいと本気で思っていたら、本書を是非とも読んで欲しい。
あなたの会社を救えるかもしれない。ともかく、些細なことがビジネスの成否を大きく分けるというのは、どれだけ強調しても
足りない。・・・壊れ窓とは汚れたカウンターかもしれないし、見つけにくい場所に置かれたセール商品、適当に羅列された
メニュー、態度の悪い従業員かもしれない。≫
▼ 耳が痛い。あまり細部に口を出すのは管理・監督まで指示するから、と目を瞑ること自体が出発点から間違っているのである。
 忘れていたことである。 内部的にも、その辺を見られる。そういう目で色いろな店とかを見て合せ鏡にするのも良い。
 自分自身の壊れ窓、身近の人の壊れ窓、知人の壊れ窓、という視点で、その性格を見ると面白い。 私は?癖、 はたまた??か。
 ズット壊れたままか。何度も修理をしてきたが、何時の間にか・・ 誰か笑っているけど、壊れているのを自覚してない方が恐ろしい。
 ・・・・・・・・
3027,アキバ・オタク文化
 2009年07月19日(日)
 現在、秋葉原が注目を浴びているが、秋葉原は昔から時代の10年先を行っていたという。
現在は秋葉と、中野ブロードウェイは「お宅」だけでなく、外国観光客のスポットになっている。
引きこもりのオタク文化は、新自由主義の変化が引き起こした歪みの側面がある。
しかし電器商品や、萌えとか、コスプレなどのファッションは面白い独自の世界を形成している。
 ーウィキペディアによると
・まず戦後、闇市から出発。 ・1960年代に入り、家電の街になって、・70年代になってオーディオの街に、
・80年代がマイクロコンピューターの街になり、・90年代でマルチメディアの街に、・2000年代になってオタクの街になった。
  ≪字数制限のためカット 2011年7月19日≫
 ・・・・・・・・・
2662, 閑話小題
 2008年07月19日(土)
 *図書館の、ある光景
もう三月になるだろうか、昼休みに図書館の、あるコーナーに行くと、その二メートル先の立ち席の机に三十冊ほどの本を積み上げ、
腕まくりをしてノートに書き写している40歳位の男の人がいる。週に一度は、そのコーナーに行くので互いに意識?をする。 
座り机が幾らでもあるのに、立って調べている。その方が気持ちを集中出来るからである。 
研究者なのだろうが、ただ者ではない雰囲気を漂わせている。 何事かと、思うのは当然だろう。
 *地球儀
≪字数制限のためカット 2010年7月19日≫
・・・・・・・・
2007年07月19日(木)
2298, とどまりたまへ旅人よ
   わきめをふらで急ぎ行く  君の行衛(ゆくえ)はいづこぞや
   琴花酒(ことはなさけ)のあるものを  とどまりたまへ旅人よ
  ーー
 藤村の、この言葉を若いときの自分を振り返って、投げかけてやりたい言葉である。
「わきめをふらで」何を目指していたというのか?‘お前、何を焦っているのか、もっと今・そこをみたら!’と。
時は戻らない、しかし、しかし!・・である。 それが青春なのだろう。ただ、精一杯生きればよい!ということではない。
といって、精一杯生きなければならない時節もある。誠実に生きることだ、自分自身に。そして、その時、そのことに。
しかし、とどまっていては駄目な時もある。 わきめをふらないで歩む時も! まっすぐに、歩かなければならない時もある。 
とどまることも、必要ならとどまることだ、琴花酒とともに。 楽しんだら、酔いがさめたら、立ち去ることだ、それが人生だから。
  ーー
 島崎藤村 「若菜集」ー『酔歌』より
 
旅と旅との君や我     君と我とのなかなれば    
酔ふて袂の歌草を     醒めての君に見せばやな
  ≪字数制限のためカット 2012年7月19日≫             


4873,閑話小題 ー初孫が産まれた

2014年07月18日(金)

  * 初孫が産まれた
 一昨日の夕刻、二番目の息子から予定日より半月早い、女児出産の電話が入った。
68歳の初孫である。家内が東京に出かけていて留守だったが・・ 嫁さんが、高齢出産?で、
万一を考えて、二ヶ月前から入院をして大事をとっていた。 出産前に男女の識別は分かっていた?
のだろうが、何も言わないことから、女児だろうと推測をしていた。 亡くなった一番上の
姉夫婦に孫がないので、もしかして私たちも?と諦めかけていたが、これで御祖父さんの仲間入り!
孫は可愛いというが、これだけは持ってみないと? 
  * つれづれに ー大相撲の若手人気力士『遠藤』の災難
 現在「遠藤効果」もあって大相撲人気が戻ってきた。一年前とは大きく違ってきた。
八百長が少なくなり?、モンゴル、ロシア、東欧、フィリピイナの混血、エジプト人などの真剣勝負が、
内容を面白くしている。そこに去年、学生横綱だった『遠藤』が数場所で、幕内に上がってきて
停滞していた大相撲人気に火をつけた。姿かたちと相撲内容に花がある力士で、見ていても面白い! 
早速、『永谷園』のコマーシャルに出演し、取組み前の懸賞金が連日、出るようになった。 
ところが今場所から、その数が横綱よりも多くなってしまい、最後の仕切りでは、館内では横綱を
超えた大声援。 そうすると何が起こるか。横綱に勝つのは至難の技だが、自分と同じ位の力量の
遠藤に勝てば、給料分の懸賞金が手に入る上に注目される。そのため、嫉妬とライバル心を加え、
目の色を変えて挑んでくる。遠藤にすれば堪ったものではない。その中で、最後は6〜7勝を
するのだから、やはり力量があることは確か。これに白鵬、朝青龍レベルの新人、二人(照の富士、
逸ノ城)が加わってきて、他の若手にも火がついてきた。しかし、遠藤以外に日本人の有望力士が
見あたらないのが気にかかる。 ところで、三役昇進のタイミングに遠藤の四股名が『清水川』
に決まったと数ヶ月前の朝日新聞にあった。清水川は1938年に追手風部屋を創設した、
追手風の生みの親であり、元大関の名前。遠藤をはじめ、勝っても、負けても面白い相撲をとる
力士が、このところ、多く見かけるようになった。数年前の、大相撲存亡の危機での取組みの成果が、
一挙に出てきたということ。
・・・・・・
4506, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー1
2013年07月18日(木)
            『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一と、『がん放置療法のすすめ』の近藤誠が
「がん」と「死」を語った内容。二人は20年以上前から、「がんは手出しをしなければ、痛まず
穏やかに死んでいける。治療せず放っておいた方が生存期間も長い、医者の常識に騙されるな」
と説いてきた。  まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
≪がん、そして医療の常識を覆す異色の医師対談。がんは放っておくと増殖・転移し、痛みに
のたうち回って死に至る…という悲惨なイメージは、医療界のでっちあげだった。20年来、
「『がん死』のお迎えは最高。ただし、治療しなければ」(中村)、「がんの9割に抗がん剤は効かない。
患者よ、がんと闘うな」(近藤)と言い続け、実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな臨終を
見届けてきた2人が、がんという病、医療の実態、そして人間の死について語り尽くす。≫
ー 印象に残った箇所を幾つか、書き出してみた。これ知っているか知らないかでは大きく違ってくるー
* 抗がん剤の有効判定が(⇒がんのしこりが一定程度小さくなるだけで)延命効果は実証されて
いないこと、逆に抗がん剤で 大きなダメージを受けるのは正常細胞、不必要な手術と抗がん剤の
副作用が苦しみ悲惨な最期を迎える要因でしかない、 日本人に多い固形がんは抗がん剤は
効果なしなら、やめるべきだ。
* 50歳を過ぎた男性の2人に1人は、死後解剖すれば前立腺がんが見つかる。
これは放っておいても大きくならない潜在がんで、何の害も及ぼさない。また、甲状腺がんも、
精密に検査できるなら、日本人の3人に1人はかかっている。
 しかし、実際に甲状腺がんで亡くなるのは、全ての死亡者の中のわずか0.1%。
つまり、1000人に1人のみである。* 現在の医学技術で「早期がん」として発見できるのは、
直径1センチ前後の大きさである。しかし、この程度の大きさは、 がんの一生の中では
30回くらい細胞分裂を繰り返した後の晩期の段階である。* 最近の研究では、
「がんは大きくなってから転移する」というのは間違いであることが明らかになってきて、
 「がん細胞はできるとすぐに転移する能力がある」の方が正しい。
* 著者の経験によれば、逸見政孝さんのようなスキルス性胃がんの場合、胃の全摘出手術を
受けずに放置した患者で1年以内に死亡した例は皆無で、ほとんどの人は3年以上生きていた。
* 世間でがんと診断される病気の中には、本物のがんと、がんもどきがある。がんもどきは治るが、
本物のがんは発見された時すでに他に転移を繰り返しているので治らない。がんもどきは
放置しておいても命に関わりがないので、手術をしてもしなくても 同じ。本物のがんは手術しても
すぐ再発するし、手術で体力が落ちることからかえって死期を早める。本物のがんを放置した患者の
多くは末期になってもほとんど痛まない。患者の多くは最後まで意識を持ちながら、苦しむことなく
枯れ死んでいく。 がん治療しようとすると、治療による痛みに苦しめられ、通常の人間らしい
暮らしを根こそぎ奪われてしまう。 というわけで、がんは治療せずに放置するに限る……。
*「予防医学は患者を呼ぼう医学」「大学病院は、いい実験を受けられる病院」など・・・
*「早期発見と早期治療でがんは治る」という世間の常識とは、現実はまったく逆である。
悪性は、関係ない?
 ▼ 「悪性のガンなら、遅かれ早かれ死んでしまう。それなら手術や抗がん剤などの治療など
すべきでない」という 二人の主張するのも道理で、身近の人のガン死をみていると同感である。
とはいえ、ガンで死なない注意をしているかどうかで大いに違ってくるのも確か。
タバコを吸い、酒をビールなら二本、日本酒なら2合以上を飲み続け、ストレスと運動不足などが
加わると、ガンリスクは大きくなるのは当然である。還暦まで生きたら、後は野となれ山となれ、か。
・・・・・・
4132, 脳の中の小さな存在
2012年07月18日(水)
 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、あれだけの回転が出来るのですか?」の問い
に対する答えが凄い。「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出している。終わってからでも
内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に
出来上がった「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。その小さな存在には科学的訓練のベースの
裏づけがある。擬人化した「セルフ」には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、直感的連
続動作を冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス
相手の攻撃に対した防御は、考えて対処するのでは無理、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練していないと防げないという。
世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」に、自分を委ねているのと同じである。
 親とか、小さな地域的価値観から一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、その辺の
下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、
冷静に現象の中の本質を直感して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、左脳の論理が
組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔があるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。
 少し話は変わるが、毎朝、過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返している自分が
別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も
変わっていくため、それぞれを含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、脳の奥の小さな存在は、
言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。
  真なる自己、真実の時は、感謝、感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
 ・・・・・・・
3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
   〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろうが・・夢にしては、あまりにリアルである。
 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた時に、
 幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、
 あるキッカケで、その外に出てしまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に
 死にそうになり、彼女自身が自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じになったと述べている。
 彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。
 彼女は自分の後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。それは「別の世界」への入口である
 ことを彼女は知っていた。彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれないことを知っていた。
 それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ましたとき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。
 看護婦は、この患者が医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な意向は明白である。
 一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。
 これは、死後の生活が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた「魂と死」という論文で、
 彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうになり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、
 世界の宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを慎重に選んで話しているので、だれも、
 死後の生命を信じていると、彼を非難することはできない)。このような「体外遊離経験」はー「意味のある偶然の一致」と
 一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合でないことを確実に示している。 ーP183 】
 ▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。人間の脳は、あまりに奥行きが深い。
  夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
・・・・・・・
3401, おテレビ様と日本人 ー5
 2010年07月18日(日)
 何か、この本を読んでいて他人事のようでありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り返ってみた。
 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して成績が落ちる一方であった。そして、
ある時にハッと気づき急遽、高校受験に熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。
高校時代はテレビなど見ている余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。 ある意味で健全?だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、これを読んで気づいていた次第。
私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食になっていた。
それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化を逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。
 私と比較ならないほど更に家内がTV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本のナンバー・ワンのものを見ている。
スポーツといえば、ゴルフ、テニス、サッカーなどの騒がれ中継されているもの。
教養?番組では絵画、クラシック、各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。 
ということは、有害になってブタ化していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう毒番組が過半数以上?。
 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分をさらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家としての能力より、タレントしてのパフォーマンスが 
要求される。 だから、あの宮崎県知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。世も末だ
 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治になっているのである。
TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役がインディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。
ハリウッド映画が全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳ものも多く含まれているのである。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
   【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長や殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たときに‘あっ’と思った。
  ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうにはよくある顔だったんですね。
  人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。 
  そういう顔が日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。
  ・・・そこで思い出したのが、黒澤明「七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃からと今とでは変わりました。
  それはバブルの影響が大きい。バブルは人をとにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていったと思います。 
  文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、
  自分を取り繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の土着の味が無くなりつつある。
 日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれて
 きているからである。 意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になってしまった。
 また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う場面が少ないということか。
 ・・・・・・・・・
2661, 読書の価値について
2008年07月18日(金)
 読書について、ある哲学書に、その意味=価値が丁寧に説明してあった。学生時代に、読書の必要性を感じ取った。
そして、卒業まじかになって、その絶対量の少なさに唖然とした。そこで社会に出てから毎日、最低二時間は読書をすると、
自分に誓ったことを憶えている。高等教育で一般教養を教える目的は、「学校教育が終わった後でも学び続ける人間をつくること」
というから、一応、その成果は少しはあった???ようだ。 考え、問いかけ、答えを自分で得る方向に努力する素養である。
 以下は、哲学講義書「考える快楽ーグレイリング先生の哲学講義」の《読書》についての中の一節である。
 ーP251
《読書》*一冊の本を読むことから、いったい何度、人は新たな人生を歩みはじめたことだろう・・・読者は多少経験をつめば、
読書を通じて、歴史、喜劇、悲劇といった多様な人間の経験を、あたかも飛翔するワシのように俯瞰することができる、偉大な国へと
進むようになる。 そして、読書に意識を集中できるようになれば、差しだされた豊潤な世界から多くを得ることができるのだ。
読書の鍵は、集中という言葉にある。 どんな教育であれ、後世に遺すことができる最善のものは、熟考と疑問をもつ習慣だ。 
読書は受け身の行為になりうるし、一時の気晴らしに過ぎない娯楽になる場合もある。たしかに多くの本は、読者がそれ以上の
ものを必要としないくらいにたっぷりと技巧をこらして書かれているし、べつにそのことが悪いわけではない。 
しかし、それ以上のものを求めようとすれば、読書は受け身ではなく、能動的な行動にならねばならない。 
(字数制限のためカット 2012年7月18日)


4872,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー40

2014年07月17日(木)

   * 類似ホテルが2年もしないうちに!
 2年もしないうちに、このコピーホテルが隣地にオープンしたのに驚いた。近くの居酒屋の主が
隣の旅館を買収をしたのを、全く同じレイアウトで建ててきた。 不意打ちだが仕方がない。
私の後を追うように、駅裏に二棟、合計350室まで・・ 更に、ある不動産会社の紹介で富山の
材木商が訪ねてきた。 その翌年から、全国に大量出店をした『αー1』の社長である。
 『百億の不動産があるが、その有効活用にビジネスホテルを考えているが、如何なものか?』
かの調査である。そして10年もしないうちに、至近距離に200室のホテルを建ててきた。
現在は?数千室もあるだけに引くに引けない? 簡単にコピー可能なこれ、何の価値がある?と、
深刻に考えてしまった!その時が、節目。 決断するまで考えられなかったのだから、私もしれたもの。
 当時、雑誌記事で『一時期、ビジネスホテルを成功させたが、嫌気がさし転業した』人の手記を読み、
方向を考えたが、350室から500室への拡大戦略を止めることはなかった。
長期の装置産業のホテル業を選択したことに問題があったが、10年間の期限を切らなかった方が
問題? 長期装置のため、暇を持て余し『ぼんやり時間』を充分満たすことができた収穫でもあったが・・
 「上手く転進して二桁のホテル展開をしていたより、豊潤な時間を充分に味わうことが出来た」
という見方も出来るが、どうだろう? 現在の、αー1、ルート・インの姿。 どの道、好きで選んだ道、
「毒を食わらば皿までも」か。 それでも万一の備えがあったので、最悪に至らず、こんなことを
書けるのだろうが。 20年目で気づいたことは、「この事業の営業指数が日本経済の先行指数として
現れ出ている!」ということ。装置産業だけに金利、原油価格、為替などが直接コストに跳ね返ってくる。
 今だバブル崩壊による深刻なデフレから立直れずにいる日本の近将来に悲観的なのは、
先行して大波に流された自分の裏づけがあるため。 どの道、遅いか早いかの差だが。
この時期の東京オリンピック開催は?それを覆い隠す目暗ましでしかない。阿部首相の隣に苦渋に
満ちた?副首相の顔を見るにつけ、それもヤムナシが、政冶? 隠れた‘世界恐慌!’ なぜ直視しない?   
・・・・・・
4505, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー5
2013年07月17日(水)
              『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 死んでいくにも準備が必要である。 それが具体的に分かりやすく書いてある。筆者の主催の「死を考える集い」から
生まれたのだろうが、分かりやすい。 私も年内には、幾つか選び、実施するつもりである。あまり気持ちが良くないが、
死に装束、骨壷、棺桶、位牌は通販で取り寄せることができるし、戒名は自らつくってあるので、書き込めばよい。
遺言も、このコーナーで書いたこと、そのものになるが。ブログをネット上の墓場と想定して書いているので、
別に必要がない。 問題は物の整理だが、「物」より「こと」を重視してきた事もあり、物は殆どない。
会社も消滅、自宅は家内名義。 一番、重要なのが、「事前指示書」である。
   * 「自分の死を考える」ための具体的な行動十五カ条
1.遺影を撮る                2.遺言を認(したた)める
3.別れの手紙、録音、録画を準備する     4.「余命6カ月」を想定して、したいことの優先順位を書き出す
5.死装束を誂える              6.骨壷を用意する
7.棺桶を手に入れる(入ってみる)      8.事前指示書を完成する
9.献体、臓器提供の手続きをする      10.墓地、霊園を手に入れる
11.戒名をもらう             12.散骨の手続きをする
13.人生の節目に“生前葬パーティー”を行う 14.事あるごとに家族や周囲と「死」について語る
15.物の整理をする
 ひとつひとつの項目に対して自分なりの答えを出して、具体的に行動すことで死がより身近なものになります。
 死がより身近になるということは、生がより身近になるということでもあります。
▼ 特別養護老人ホームの医師になって四百人近い老人の死に立ち会った体験から、著者は「自然死」の本当の姿を
 知らない現代医療の本質的問題点をついている。 同時に「私たちも患者のひとりになり得る」医療に対し、
“まともな”あるべき姿はどうあるべきか、死をどうとらえるべきか?を問うている。そして50〜60歳代になったら、
 近代医療と関わるな、まだ末期ガンを幸運と捉え死んだほうが良策という。 以下の去年の同月同日の内容が関連している。
・・・・・・
4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方
2012年07月17日(火)         
   ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」   〜『定年後 ー豊かに生きるための知恵』 加藤仁著
 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人を超えているという。
「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。
「定年後の人生こそ、自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己本位の生き方に大きなヒントがある、
という言葉が痛いほど分かる。定年後は自己本位への第一歩から始まる。ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪ *「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に
  閉じ込められた孤独の人間のように立ち竦んでしまったのです。・・
 そのころ、明治33年、33歳の時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。そして1年が過ぎ、苦悩が
 極まった時に、あることに気づきます。自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」や
 不安の根本原因だったのではないかということです。 (私の個人主義)
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらをでたらめにただよっていたから、駄目であったという
 ことにようやく気がついたのです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、後からその品評を聴いて、
 それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりと
 いいたいくらいごろごろしていました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識といってもよし、とうてい
 わが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしいものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
 またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
 ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで
「他人本位」が自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」から脱出する鍵を握っていると考える。
 つまり、外から無批判に「鵜呑み」で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、丁寧に吟味し咀嚼して
「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなりました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略)
 その時、私の不安はまったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」(同前)
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄(もや)のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を
払っても、ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、もし
この中にあるならば、どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで行ければ、ここに俺の尻を落ちつける
場所があったのだという事実をご発見になって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから申し上げるのです』(同前)≫
 ▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
  キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったのであって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・
3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
 フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑だったようだ。
ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。以下のフロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 一九〇九年三月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」
という有名な事件が起ぎた。「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。 一九〇九年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、通例は精神的な悩みのある思春期の人と
関連があることがあきらかになった。そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされるという説が生まれた。ユングはこの説を信じ、
ボルターガイスト活動を「外在化現象」とよんだ。フロイトとユングが超常の実在について論じていたとき、突然本棚から
大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明するために、しばらくすると、もう一度
音がすることを今予言します」。ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後ユングに出した
一通の手紙から判断すると、フロイトは半分以上納得したらしい。しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。
そこで彼は、なんらかの自然の原因があるという結論に達した。ユングはフロイトと議論すると横隔膜が熱くなるのを
感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の
木材から起こっただけのことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、今日では不可能である。】
 ▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身についていた時期があった。
 (偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が
  薄れてしまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議というのが哲学。実際に、そのとおりである。
 ・・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)
   * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 これまで何を考えてきたのか、
何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。
一人の日本人として考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って維持している健気さ!
 ーP196ー【 私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつかの例を挙げれば次のようなもの。
 虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、
追い詰められた野犬の群れ(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿(北朝鮮)、
昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)などである。
 それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。これ以上ぴったりのイメージは今のところない。
・・・食うている泥とは、無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかというと雑食系の日本人は
個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
 ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。 「ブー」である。・・・・】
 ーP211【 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に
頼ったからだ。 フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証するために911で立証し、完全に
他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、
とめどなくバカをし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。 知性の善用は、即、悪であり不幸の原因となる。
なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡が取れているだろう。現在の人間の知性は、
弓矢並みであり、それがフィットしているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜程度であれば、
これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、
解消できないにもかかわらず、核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。 それを知性化し、知性利用することは
不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。 唯一の「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。
残るのは、ほんの僅かな、知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。】
 ▼あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。
単純にアメリカ公共事業の戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロではないことは間違いない。
それらが入り乱れた複合的な結果だったとみるべきか。いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?
・・・・・・・・
3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分でわざわざ問題を作り出して
 おきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法を意味する
 和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
 色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 金銭・物品が絡めば犯罪である。
  そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)
 ・・・・・・・・
2660, 幸福の4階建て ー2
 2008年07月17日(木)
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で「神よ私を見捨て給うのか?」という
ギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか? 問題提起としては重く、深いが何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!
ということなのであろうか? 「どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?
人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。その水が自分を支えてくれていたのも解る。 
苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。
(その理屈は知っていた)それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。
もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。いや、現在の世界観も根本的に変わる。 
・・・・・・・
2007年07月17日(火)
 2296, また地震!どうなってる?まったく!      才ノヽ∋? (゚▽゚*)♪
 昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、地響きと同時に揺れが始まった。
アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが大きくなって、横揺れから縦て揺りになり茶箪笥の食器が飛び出してきた。
あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。慌てるとは、このことだろう。
破片で怪我をしなかったものだ。前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、
他の5つは大丈夫だった。前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、以前ほどではないという。
TVでは、六強というから前回より激しいことになる。午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように
整然と並んでいた。かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しのためか商品量は少なかったが、
他はチャンと元通りに並んでいた。地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう! まあ、合格というより、流石である!
  (字数制限のためカット 2012年7月17日)


4871,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー39

2014年07月16日(水)

   * 客室は一日限りの限定販売、在庫の翌日持越し不可品!
 色いろあったホテルの立上げも、学生ショップ共々、軌道に乗せることが出来た。 そこで、気づいたのが、<どんなにお客に支持されても、客室在庫以上は売れないこと。イベントなどで一万人が市内に溢れかえっても、 それ以上は、機会ロス。 逆に当日に売れ残った客室の在庫持ち越しが不可能であること> 
この辺が、この商売の限界で、物販やファッションのような面白みが全くない。
 ホテルの立上げは派手で面白いが、その後は、客室という単品を売る地道な商売。 
ハレと、ケ(質素)がハッキリしている。 まだ学生ショップを兼用をしている時は、面白味があったが、撤退すると、宿泊客の自殺や苦情以外は、変わりばえのない日が続く。 それも新築、増築が続いている内は、刺激があったが・・  そうこう振返ると、10年が節目時? それもあって、準備期間15年間は、書くネタは幾らでもあるが、ホテル開業後の15年目以降からは、あまりネタがない。 
この辺りから母の軽い痴呆症が始まり、その介護と、ストレス解消の秘境旅行に、暇に任せ行くようになっていた。そして、バブル崩壊の潮流の変化が、デフレと共に表立ってきていた。 20以上あった都銀が、3つに集約された時期である。 そして、母が亡くなった後の2001年の9・11テロから、地元を含めた地方経済は大きく落ち込んでいった。 それがそのまま、当方の業績に跳ね返えっていた。その3年後の中越地震、6年後の柏崎沖地震である。 さらに1995年にマイクロソフトがウィンドウ95を出してネット社会が本格的に普及を始めていた。 
そこに携帯電話など情報機器の進化で、根こそぎ、ビジネスのあり方を変ってきた。 
当初、付帯売り上げを含め6千円あった客単価が、最後は3分2以下まで落込み、これに客数が3分の2になって、会社整理段階で、売上高が3分の1になってしまった。 振返って考えるほど、10年目辺りが、郊外への転進か、撤退時であった。
この事業、有余った余剰資金と不動産を持ってする事業。私のような小資金しかない者は、期間限定で、転進する場合を除いてすべきではない!ということ。 実際に身に沁みた痛みを伴った言葉である。 そんなこと解っていた筈だったが、バブルは、見境をつかなくさせていた。 でも、心底、面白かった!
・・・・・
4504, 閑話小題 ー最近の大相撲が面白くなった
2013年07月16日(火)
  * 最近の大相撲が面白くなっている
 朝青龍の一連の不祥事も冷めやらぬ内に、「野球賭博」と「八百長」問題が続き、多くの力士が
追放され、体質も一新?以前のような馴合い相撲が出来なくなったこともあってか、勝負への気迫が
格段と増し、このところ面白くなっている。 TVで50年近く観戦してきたが、これだけ真剣で
引き締まっっているのも珍しい。大相撲の面白さは、わずか数秒の間に、多くの要素が詰まっている
ことにある。ところで、横綱が下位力士に張り手をするのを見る度に、怒りを感じていた。
逆に下位が横綱の顔を張るのは厳しい上下社会でタブー視され、殆どなかった。ところが、先日、
若手力士が横綱の顔を張ったのには驚いた。これは横綱を含めた一門の力士から出稽古などで、
報復されるだろう・・ また、今度はアフリカ出身の力士も出てきた。 外国人への開放は、
モンゴロイド系だけに絞るべきと思うが、今さら後には戻れない。神事の余興で神社で行われていた
力比べが、興行として発展したもの。 ムラ社会の中で、ある程度の八百長はあって然るべき。
 柔道の世界にレスリング選手が参入してくるのと同じで、大相撲の性格も変わっていく。
あの小さな円で、色々な人種が一瞬の技を競うのも面白い。やはり外国人に開放したのは
正解ということか。
   * 今さらだが、どうも世界経済が変である
 世界経済を引っぱってきた新興国が、ここにきて変のようだ。あれだけ元気の良かったブラジルが、
何と「来年のワールドカップの当地開催反対のデモ」が起こっている。経済効果も考えると、マイナス
よりプラスの要素が多いはず。経済的反動で、一般市民の経済的困窮が開催反対運動につながって
いる。あれだけサッカー好きの国民が反対するのは、よほどのことだろう。これまで元気だった
新興国が3重苦にあえいでおり、近い将来、世界的金融危機が近々に勃発しそうな様相である。 
数ヶ月前まで一オンス1800ドルまで高騰していた金の価格が1200ドル前後まで落ちている。 
積極的に買いに入っていた中国、インドなどが緊急に売りに出たため。 
20Gで世界の主だった首脳が集まり、持ちこたえていた世界経済に黄色の点灯である。
インド中央銀行がドル売り介入をしたと見られ、世界各国が微妙な空気になっている。 
エジプトは小麦在庫が50万トンを切ったと言われる。これは一ケ月で80万トン余り消費する中で、
半月しか備蓄がない中の政治混乱。これに食糧暴動が発生するリスクが高くなっており事態は
危機的状況。更にEUも、中国も、危ない。表立つまでは、今までの延長だが、一度起こってしまえば
一挙に燃え立つのが世界経済。グローバル化は弱肉強食を果てしなく強くするが、弱者はネットで
繋がり、強者を攻撃する構図の混乱は当分、続くことになる。壮年まで、敗戦から高度成長期を
生きてこられたことに感謝ということか!
・・・・・・
4130, マネー大動乱  −3
2012年07月16日(月)
    * ユーロの崩壊の可能性?     「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
  リーマンショックをキッカケに欧米が没落過程に入ったといってよい。世界は人種間、民族間、国家間、すべからく
 フラットになっていくプロセスに入った。それが良いか悪いかは解らないが、これまでとは全く違った激流が押し寄せてきている。
 本格的情報化社会のもたらした新時代の到来である。その中でユーロ圏という人工的な経済共同体が出来たが、壁にぶつかり
 右往左往している。南欧系を抱え込んだため、大きな価値観の差が大きく立ちふさがっている。もしユーロの崩壊ともなれば、
 数千年続いてきた白人主導社会の崩壊に繋がる可能性が強くなる。 ー 以下はそれを指摘している部分である。
≪ ユーロというあまりにも人工的にでっち上げられた共通通貨が採用されたことで、これらの加盟国の勤労倫理が改善するとか、
借りたカネは返さなければならないといった市民社会の倫理が浸透するとかの変化があったのだろうか。人間の働き方や生き方は、
制度が変更されたからといって5〜10年でガラッと変るものではない。むしろ、突然変わってしまったら、南欧ののんびりした
雰囲気を満喫きた観光客を失望させてしまうだろう。 ギリシャ、ポルトガル、アイルランドあたりでの危機対応策が公式に
債務不履行と認められるかどうかは別として、何らかの債務不履行なしでユーロ圏金融市場が再建できると考えるのは白昼夢に近い。
ここにきて格付けが大きく引き下げられたイタリアも、かなり危ない。このへんの金融市場の混乱は既定の事実で、あとは実際に
起きるのがいつになるかというタイミングが興味の焦点ということになる。 すぐにもやってくるヨーロッパ発の金融危機が打ち上げ
花火のように派手なものになろうと、比較的地味に抑えることができようと、これからのヨーロッパ経済が回復のない没落過程に
入っていくことだけはまちがいない。これは、決して世界にとって悪いことではない。大した働きもないくせに、夏は一〜二ヵ月の
バカンスをとり、「ヨーロッパはアジア、アフリカ、中南米の人間より生まれつきできがいいのだから、いい生活をして当然だ」と
思いこんでいる連中は没落して当然なのだ。 第二次世界大戦が終わるまで(フランスやベルギーの場合は、一九六〇年代まで)、
この手前勝手な思いこみが通用していた最大の理由は、アジア、アフリカ、中南米の植民地を収奪していたからだ。イギリスが
その典型だが、戦後のヨーロッパは、慢性的な経常赤字を垂れ流しながら、慢性インフレによる合法的な借金踏み倒しをすることで、
稼ぎよりいい生活をし、欧州諸民族の人種的優越性という虫のよい思い込みを維持してきた。 そういう連中が、やっと身の丈に
合った生活水準に引きずり下ろされるのだ。まじめに働ぎ、自分たちの稼ぎの範囲内で生活してきた人たちにとっては、
なに一つ悪いことはない。むしろ、そのタカリ屋たちが、没落すれば、自分たちの取り分が増える。アジア、アフリカ、
中南米の人たちには、間違いなく歓迎すべきことである。≫
 ▼ 白人主導のシステムとして、マネーを支配下に置くことがある。これまではドルだったが、それに対抗すべしと欧州が
 ユーロという共同通貨を作り上げた。しかし、それが崩壊の一歩手前に陥っている。恐らく、これから数十年かけて、新しい
 通貨システムが構築されるだろうが、その間は恐慌と戦争などの大混乱が生じる厳しい時代に入った。問題は何時、発火するか。
 ・・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験にとどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」と
アクセスする場合がある。この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や文化という
大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼ 時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識」
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している無意識層があり、ここに、時代、国家、
 地域、 民族、文化、さらにはすべての人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似たような人物を見出したりする。
 また時代や地域の異なる宗教に真理を見出すことが出来ある。
 時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で
「普遍的なイメージパターン」を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 厳格に教え導く
 父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分
 である「アニムス」、 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成する過程で
 発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー(影)」などがある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。 これは「完全なるもの」「最高なるもの」を意味し、この元型から
 生み出されるイメージパターンは、悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後にある光の輪、
 あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な(尊い、神聖な)意味などが挙げられる。
 「自己(セルフ)」の元型は、自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに感じられる時に、
 生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していくための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。その共通するものがあるからこそ、
我々は自分とも他人とも対話したり、つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識があるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?
  ・・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。
さらに「ゆとり教育」で植民地人間=ブタ化の完成である。
   (字数の関係でカット 12年07月16日)
≪ヤフーのブログ「バードウォッチ」に転載します!≫
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー  〜2
  【憂国の時代】 ー関川夏央ー
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の符号説というのがある。 
「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて21年になる。 大正という時代は、
明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。「大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。
第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、その5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、
その崩壊、平成不況と阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が敗戦したのだろうか? 
(字数の関係でカット 11年07月16日)
 ・・・・・・・・・
2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
・コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に「わたしはあなたよりもあなたのことを
 よく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」
 という意味である。詐欺師、占い師、霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに幅広く応用できるものであり、
 必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる技術である。
 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の反応を見計らいながら
 その反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
・コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を引き出そうとする。
「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私よりあなたの方が意味が分かるかもしれません。
 あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。
 そして分からないように相手をよく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるときなどです。
そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、より具体的にみえる内容
(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に対して、びっくりしたり
 思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。
 これを基礎に、リーディングを行う者はさらに質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への
 信頼をどんどん深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳をもって
 「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。
 コールド・リーディングには確立した技術がある。多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、
 ジョン・エドワードのように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露したりする。
 演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は使っておらず、心理学と
 コールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
 ▼ 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。
 スタッフに相手の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
(字数の関係でカット 11年07月16日)
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2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1           ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶりには読んでいて、
あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。かた方の変人の雄の池田と知り合いで、
その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリとした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に
戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てている
ところが、彼らしい。昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くないわけがない。
哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
 池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、私は翌三日の朝日新聞で知った。
昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、
末期ということはわかったが、こんなに阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、
その日大学にいても彼女のことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に
携わった彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。
  (字数の関係でカット 10年07月16日)


4870,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー38

2014年07月15日(火)

    * 設計と、建設と、ゼネコン・シンジケート
 ビル設計の私の方法は、各階の平面図を設計士と話合い何度か書換えながら穴があくほど凝視する。
その過程で他の戦術などを考える。そうこうしていると、夢の中で、その場に立つまでになる。今では3DやCGが
あるが・・ 問題は設計担当者と自分のレベル。それが、そのまま出る上に、後になって隠れた問題が出てくる。
 千葉の千城台と、実家の商業ビルの基本設計担当者が、事務所を辞め独立していた。 その担当者とは呼吸が合い、
創造(想像)力が引き出されていた。が、彼は私を全くの素人と見ていた。私の場合、創造工学などの本を何冊か
読み込んでいた。また学生時代のゼミなどで、ものを考え出したり、作り上げるに、何も捉われのないピエロ役
「X」を仮想し、暗黙のうちに誰かが演じ、飛躍した案を正・反・合を繰り返しながら練り上げていた。 千葉、
長岡の手掛けた二つのビル設計も、私がピエロ役(暗黙)をしていたが、それを未熟?にしか思えなかったのか、
一度会った後、居留守を使ってきた。それより、千葉と長岡の露わな姿を身近で見ていたこともあったか。
 この人物、一棟目のホテルの成功をみた後、改めて組みたいと言ってきたが、許せないのが私の限界。
既に故人だが、設計担当としては神がかり的であった。 長期投資は、時代の変遷を乗越えなければならないため、
長期的視点(神的視線)が必要になるが、ところが分かってないのが多い! 創業は、その都度、会計事務所も、
設計事務所も、何もかも変えるのが筋だが・・ その甘さが、贅肉として、付いていた。
 当初のビル建設から薄々気づいていたが、建設業界そのものがゼネコン・シンジケートの存在であること。 
当時のビル建設の99%は、その談合で決定されていた。あとの一%は、関係者の熟知した中で、何とか?・・ 
 その網の中で、私は小虫レベル。その都度、何とか努力をしたが、長年かけた膨大かつ緻密の網目で、雁字搦め。
10数年前に社会的大問題になって、大きく変わったというが? 今でも巧妙に、マフィア化し、巧妙に現存?
相手をパターン化し、シンジケートが談合で決めた粗筋どおりに、施主を躍らせる集団詐欺的要素が強い世界。
装置産業は、これと、税制のカラクリで、長期的に存続するのは至難の業である。軌道に乗ったころには、
時代遅れの産物になる。だから、長期の装置投資をする時に、当初からシェルターを組込んでおくしかない! 
創業は上手くいけば天国、失敗すれば地獄。その中間にあるのが煉獄。そこは <キリスト教の教義において、
小罪を犯し地獄に行くまでに至らないがすぐには天国へ行けない霊魂が、苦しみを受けながら浄化 され最後の
審判を待つ場所、その状態> 老後は、誰しも煉獄状態?  創業は、地獄、天国、煉獄が直に味わえる。
で、シェルター内は、煉獄? 建設業界は、生き馬の目を抜く修羅世界でもある。偶然だが、以下の文章に続く!
・・・・・・
4503, 実録・ゴールデンブリッジからの身投げ
2013年07月15日(月)
 先日、蔦屋で本を一冊買ったところ、レジの人がいうに、「今なら、シニア様なら無料でDVDが借りられます」という。
そこで借りてきたのが、『ブリッジ』。軽い気持ちで、身投げ自殺のドキュメントのタイトルにひかれ借りてきたが、
初めから終わりまでシリアスで見入ってしまった。次次とサンフランシスコのゴールデン・ブリッジから身投げをして
いくのが映し出され、遺族や友人が、インタビューに答えている。このところ『大往生したけりゃ医療とかかわるな』や
『どうせ死ぬなら「がん」がいい』の読書録と、その下書きを書いているので、死にゆく者の心模様がシリアスに伝わる。
橋の手前で、死のうか迷って考え込み、決断する悲痛な姿が痛ましく映し出されている。 バンジージャンプのように、
飛び込んでいく。身近の人の証言では、ほぼウツ病で、それが高じ自殺に到る。生きているのが辛く、死にたいのである。
 反面、誰かに助けて欲しい気持ちが迷いを生み出す。その中で、一人、助かった人がいた。足から落ち、上手く靴が
水面に突き刺さって衝撃を和らげた上に、水中でサメかアザラシ?が踏み台になり、押し上げられたという。
普段なら40Mの落差の衝撃で亡くなるが、このブリッジは66M。内容は暗く恐しいが、心の闇が、身投げを通して
浮かび上がってくる。  ーウィキペディアによるとー
 ≪『ブリッジ』(原題:The Bridge)は、2006年に公開されたアメリカのドキュメンタリー映画。社会の禁忌としている
『自殺』をテーマにしている。観光の名所のゴールデンブリッジに1年間カメラを設置し、自殺者の様子をカメラに収めた。
後に遺族にインタビューをし、そこから自殺を図る人々の様子を映しだそうとしている。映画では24人が、橋から66Mの
高さから海面に向かって飛び降りている。監督のエリック・スティールはこの映画を取る際、映画の宣伝効果で自殺者が
増加しないように極秘に行っていた。 また、橋の柵に足をかけたら管理局に通報することをルールとして定めていた。
 映画は主に橋とその周囲の日常を撮影した風景、自殺者の飛び降りるシーン、遺族や友人、目撃者へのインタビュー、
遺書などから構成されている。中でもインタビューの映像が多く、自殺者の情報はインタビューの情報でしか語られない。
自殺者の多くが精神的な病やトラブルを抱えていることがその中で分かる。≫
▼ 2006年の時点で、この橋からの自殺者は年に24人もいるというから、全員撮ったことになる。次から次へとブリッジ
 から飛び降りるが、躊躇しているうちに警官や近くの人に、取り押さえられた人が数人いた。 生死の問題もあり、
それぞれの人生が浮かび上がる。ゴールデンブリッジという名所が、ロマンチックな気持ちを駆り立て、志願者が
国内から集まってくる。県内なら新潟の万代橋が河口に近いため海に流され、死体が上がりにくいとか。人知れず
消えている人がいるのだろう?テーマがテーマだが、決して後味が悪くないのは、シリアスすぎて、実感がわかない為? 
死ぬには死ぬ理由があるはず!
・・・・・
2012年07月15日(日)
1129, マネー大動乱  ー2
        「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
 アメリカの金融業界と他の産業の格差は二倍。そして製造業が商業より三割り高い。日本もアメリカほどでないとして
同じ傾向にある。最近では公務員が民官に比べて2〜3割以上も高いことが問題になっている。強い立場を利用して
御手盛りをしているのである。情報化もあり、一強多弱の傾向が全ての産業で強くなってきた。日本の自動車業界も
日本資本はトヨタとホンダぐらいしか残っていない。家電にいたっては総崩れの様相になってきている。
グローバル化は世界各国の垣根を超えた戦いになり、一強しか生き残れない事態になる。
ー 第二章 アメリカの金権社会は、荒治療でしか直せない ー
   * 産業間格差と、一業界一社の時代
≪ 日本の金融業界の給与水準は、その他産業の20〜30パーセント増しくらいである。これがアメリカだと、その他全産業の倍。
20〜30パーセント増しではなく二倍なのだから驚いてしまう。製造業と商業の給料ベースを比べると、日本では製造業が商業の
15〜16パーセント多いだけだ。これがアメリカになると、製造業は商業よりも30パーセントは高くなっている。あらゆる職種に
ついて給与水準の差が大きいのがアメリカの特徴なのだ。当然、給与がいい産業には誰れもが殺到するから、どうしてもその
産業は慢性的に人員過剰になる。いくらでもスペアは利くからリストラもしやすい。逆に、低賃金のところは慢性的な人手不足に
なりがちだ。人手不足だから時給を上げて人を手当をしようとすると採算割れになるので、他ではどこにでも採用されそうも
ない低賃金労働者で久場を凌ぐしかない。移民には絶好の勤め口だが何時までも経っても生産性が低いままだ。
結局、会社ごと、産業ごと衰退してしまう。 アメリカに比べると、日本はどの産業を見渡しても収入に大きな格差がない。
人手不足も人員過剰も極端ではない。それでいながら採用する会社側は「人員過剰の人手不足時代だ」と愚痴をこぽし、
雇われる側は「天職に転職したい」と夢ばかり追いつづけている。どちらの陣営も自分たちがいかに恵まれた環境にあるか
ご存じないが、一般庶民が夢を追い、高い要求水準を主張しつづけられるのは文句なくよいことだ。
 参考までに、お隣の韓国は教育水準がますます高くなっている。だが、1997〜1998年の大不況でIMFが乗りこんできて、
大企業は一産業一社というアメリカンスタイルにつくり変えてしまった。おかげで、それまでの7〜8つの財閥が競争して
採用活動を展開していた時代は遠い昔、企業の求人活動はすっかり衰退している。 電機.電子ならサムスン、自動車なら現代に
採用してもらえるかどうかで、その後の人生が天と地ほどもちがってしまう。 同業で生き延びているのはクズ同然のその他
大勢企業だけだから、敗者復活戦もありえない。同じ電機業界でも、パナソニックもあればソニーも日立も東芝もあるという
構造はいま、世界中でも日本だけになりつつある。ドイツもかつては大きな産業ごとに代表的な企業が3〜4社ずつあって
しのぎを削っていた。これがドイツという国家の活力になっていた。いまはそんな状況ではないぜいぜいフォルクスマゲンと
ダイムラーペンツ、BMWを抱える自動車くらいしか、複数の企業が切磋琢磨して高い技術水準を維持できる産業は残っていない。 
こうして改めて見渡すと、いまや基幹産業ならどれを取っても少なくとも三〜四社の大企業同士の激しい競争が続いている
国というのは、日本だけなのだ。
あとはどこでも、基幹産業それぞれで国際競争に打って出て通用する企業は一社だけという「競争」環境になっている。≫
▼ 情報化によるグローバル化が産業間格差と、一業界一社の時代を作り上げたといってよい。但し、その周辺で、それにとって
  変わる群れがいることが前提になる。問題は個人レベルの格差に直接影響すること。日本の産業も大きな亀裂が出来たようだ。
 ・・・・・・・
3763, ユング ー6
2011年07月15日(金)
 * この東北大震災を、ユングの「布置」とし日本国家に置き換えてみると!
 10年前の9・11テロと、3年前の9・15のリーマンショックで大打撃を受け瀕死の事態に、今度の3・11の東北大震災と
福島原発事故が重なり襲った。 これを「二つの歴史的経済震災」に対する、この東北大震災は「めぐり合せ」(布置)と考えると、
この大地震の意味が見えてくる。 世界的経済震災が二つ日本に直撃した。それで経済基盤が弱い東北・北海・北陸など地方経済は、
これ以上ないほど疲弊をしていた上に、このめぐり合わせである。 ただ偶然が重なっただけでなく、そこに意味を見出すべきである。 
 また世界全体からみれば、地球温暖化の中で原子力の是認が流れになっていた矢先のこれ。「西洋的合理主義に対しする根底からの
見直しのサイン」と、この「布置」=めぐり合わせを見るべきではないか。
 日本もグローバル化の時代の中、西洋的合理主義の考え方を、根底から変える機会と見るべきである。 また同時に開放も図る
サイン?ではなかろうか。 外国人を入れるだけでなく、外国に日本人も出ていくべき時期にある。現在の政治体制では日本は
成り立たなくなっているが、現在の日本は自己修正能力が失われている。 この「布置」は、この震災が最後のダメ出しとして、
否応なく壊滅的状態まで個人から国家までの既存のシステムの破壊が進むことになる。 世界は日本を先駆けとして、その崩壊と
先行きを冷静に学習することになる。 これは取ってつけた民主主義と、隷属国家の末路として捉える。波乱の中で現状を変えるのは、
信長か、秀吉のような下克上で、成り上がってきた者である。 日本も世界も、思い切ったダウンサイズの時期に来ている。
 この10年間の、幾つかの自然災害の頻発は、地球規模の大転換へのサインである。まさに、その時に、9・11、9・15の
経済大震災である。やはり、来年後半にかけて、世界は政治的、経済的に大津波が荒れ狂うことになる。 その中で、全体が、
より合理的な、身丈にあった生活になっていくのでは? 現に、日本は、その一歩を踏み出している。 
 ・・・・・・・・
398, ゴリラは人間の隣人 ー1
2010年07月15日(木)
ビートたけしと、ゴリラ学者の京大大学院教授・山際寿一の「ゴリラは人間の隣人」をテーマにした対談が面白い。
山際寿一の「アフリカでのゴリラ研究の現地ドキュメント」を数年前にTVで見たことがあった。
  ーまずは、印象に残った部分からー
≪ゴリラと人間は97パーセント以上同じ遺伝子を共有しているとか。ならばゴリラが分かれば人間も分かる?・・・
遺伝子かみると、オラウータン、チンパージー、ゴリラは「ヒト科」に属しており、人間に非常に近い存在。
サルとの差の方が遥かに大きい。 では、「人間と類人猿と大きく違うところは何か」というと、人間は劇を作ること。
類人猿のゴリラやチンパンジーは、劇を見ていても意味が分からない。その中に入っていけない。
劇中で、AとBという人間がいたとして、それぞれの行動を見ながら、どういう思惑で、何をしようかと、劇中の人物に
共感しながらみるが、しかしチンパンジーやゴリラは、それが分からない。彼らは現実に起こって事実からあまり離れられない。
しかし我われは現実から離れて、空想の中でドラマを作ることができるわけ。≫
 ▼ ー以上だが、これは人間にもいえること。 本を読み込んでない人は現実の世界から離れることができない。
現実を形而下とすると、形而上の言葉の訓練がないので想像力や空想力が弱い。小説を読むとは、文字から作者の創りあげた
イメージの世界に入り込むことである。 本を多く読み込んでいる人と、ほぼ読まない人とはゴリラと人間の差ほどがある、
というと言い過ぎになるか? その位、本を読み、考えることは人間の人間たる所以である。 人生設計を前もって作っておいて、
それに従い生きることは自分の人生劇を作ることになる。 必死に生きてきた人は、形而上も形而下の質量が豊富になるので、
言葉とイメージは、それに比例して出来てくる。ゴリラと人間の差は考え、イメージする質量が圧倒的に違うということになる。
情報手段としての言葉がキーワードということ。 街に徘徊するヤクザは、ほぼゴリラの原型の世界とみれば分かるだろう。
時どき弱者を見つけてデモンストレーションをしたりするが、他者への迷惑は、あれほどかけない。   ーつづく
 ・・・・・・・・
3023,衝撃的な「ひらめきの話」
2009年07月15日(水)
  「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 
 養老孟司の対談集に、慶応大学教授で映像作家の佐藤雅彦の話が衝撃的であった。
  ー彼の語っている一部分を書き出してみるー
【 その日、家の窓から外を見ていたら、まだ見たことのない映像がガーんと出て、今までの中で一番大きかった。
 それが、三年後に、100万本ソフトになった『IQ〜インテリジェントキューブ』というゲームです。この世界観が突然出て、
 動けなくなってしまった。 暗い画面に、あるステージが浮いている。向こうから巨大な四角いキューブがガンガン来て、
 その前を七人とイヌ一匹が逃げ惑い、僕はその人たちに『右に行け』とか『危ない』とか、叫んでいるのです。しばらくして、
 これが僕がやったことがないコンピューターゲームなのかと思って、一週間後に、ソニー・コンピュータエンタティメントに
 のこのこ出かけていった。僕は一線級のディレクターの誰かに話を聞いてもらいたかったのですが、話を聞いてくれたのは
 ポロシャツ姿のおじさんでした。拍子抜けをしたのですが、気を取り直して「この人に望みを託そう」と決めて、
 頭の中の世界観を話したら、僕のことをジッと見て「その話は面白いよ、僕と契約しないか」「えっ」。
 そのポロシャツのおじさんは、何と幸運にも副社長だったのです。 】
【 甥にと東京駅でお土産に買ったルービック・キューブをいじっていたらバーンと構造が見えた。当時27歳の時です。それからです、
 わけもなく頭に映像がクルクル流れるとか、カタカタというか、とにかく勢いよく動くのが始った。 それまでは‘AならばB、
 BならばC,ゆえにAならばC」と理屈でやっていたのが、そんなことでは現実の問題は追いつけないのです。 20歳代前半は酒でも
 飲まないとやっていけなかったのが、あのルービック・キューブ以来、一滴も飲まなくなった。 飲みたくないのですよ。
 これ以来、わけがわからないけれど面白いというような映像がいっぱい見えるようになって、それでCMプランナーになったのです。
 そうしたらスポンサーから話がくると、♪《スコーンスコーン コイケヤスコーン》とか♪《バザールでござーる》
 みたいなのがどんどん頭に中に来て・・・・・・・。》】
▼ モーツワルトが似た状態で「作曲モードに入ると、完成した音楽が宇宙の彼方から聞こえてくるようだった」というが。 
 現実にこういう話を聞くと人間の脳の不思議さを感じる。特に天才脳の・・(天才は梅毒による脳のロックの開放説もある)  
 ・・・・・・・・・
2658, 幸福の4階建て
 2008年07月15日(火)      ヾ(●´∀`●)GOOD MORNING!!
京都大学の工学部の新宮教授が、古今東西の幸福論を読み漁った成果としての「幸福の4階建て論」説が面白い。
《「幸福ということ?エネルギー社会工学の視点から」 新宮秀夫著 》 
「新ストレス学説」の創始者・ハンス・セリエ(1907-82)は、そこで、《人間はあまり[[無事」だけでは、死ぬ時にガッカリする。
「ストレスは欠くことのできない人生のスパイス」こそが重要》と主張しているが、
 その部分から触発されて、幸福論を4つのステージに分類した。これが面白い。
  4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
  3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
  2階:獲得した「快」を永続させる。
  1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。
・幸福の1階は人間の本能的な「快」、つまり富、恋、名誉を得て、それを増やすことである。
・2階は獲得した富や名誉を永続させることである。 そこに時間的要素を入れ、いかに長続きさせること。
・3階は苦難や苦しみを経験し、これを克服することである。自己実現の要素が入ってくる。
・4階は克服できない苦しみや悲しみの中に究極の幸福があるのだという。これは解かりにくい。
 さすがに、教え子達に猛反発を受けたそうだ。
 1、2階の心の感動よりは、3階の苦悩や、難問を乗り越えた方が、より感動を得られることを経験的に知っている。
「感動することが幸福」なのだと看破している。確かに1、2階による心の感動よりは3階の自己実現のほうがはるかに
大きな感動を得られる。苦難を乗り越えた成功体験を知った人たちは自発的かつ前向きになる。
成功の対価としてのお金はもはや副次的なものとなってくる。 達成感が生きがいになるのである。
しかし新宮教授は、その上のランクとして、克服できない苦痛や悲しみの中に、幸福があるという。
この辺は、解るような解らないような。 三階までは、この世の幸せ。
4階は克服できない苦しみの中でこそ強まる天国の世界の願望と、その混濁した中の幸せ。
その苦しみの中で、己が融けてしまう状態が幸せということのようだ。
  (字数の関係でカット2009年7月15日)


4869,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー37

2014年07月14日(月)

   * 閑話小題 −なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?
『 なぜ、あなたはいつもお金が足りないのか?』小堺桂悦郎著ーに、45年間の事業で実感した真髄が、
そのまま書いてあった。《 ・・多くの経営者が、「儲けようとして損をしている」わけです。 誰しも、
自分から損をしようとする人はいません。ならば、まず徹底して、損をしないようにしましょうと、私は
アドバイスをします 》
 のぼせ上り、より儲けようと歯止めが利かなくなり、ミスに繋がっていく。ファッションなどの不良在庫の
発生原因の多くが、売れ筋商品の代替商品がヘドロ化したもの。 チョッとした違いに消費者は
敏感だが、売り手が気づかず仕入れをしてしまう。 売れ筋がベストとすると、その品切れを
ベター商品で補おうとして不良在庫になって、損失につながっていく。 これ事業も、人生も全く同じ。
10年、20年かけ積上げた利益の保留分が、創業時の周到に準備を重ねた構えを忘れ、目先の
ベターに妥協をした結果、損失に変えてしまう。新潟駅前では、それが駅から一番離れたのホテルと、
駐車場。これが、それまでの利益のみならず、本体の経営を揺るがすことになる。 
ちなみにベストは、関越自動車道からの東バイパス沿い立地。その判断ミスが致命的な戦略ミス。
それを戦術的リストラでカバーをしても、所詮は無理。 3年前の結果は、ベストでなく、ベターの選択の
結果である。 現在も同じことが言えるのでは? 決して、ベストではない? 流れで、自宅に、
そのまま住んでいる。ところで、私の場合、どうだろう? 3年まえも、そうだったが、今日明日の
資金繰りに追われたことは、人生に一度もなかった。それは、むしろベストでなく、ベターだったのか? 
「なぜ、人はいつもお金がたりないのか?」と、問われれば、「万一の備えと、その知識が足りないため!」になる。 ワーストは、ベターの服装を着て擦り寄ってくる。 で、このザマ! アベノミックスは、
決してベストではなく、ベターでしかない。ベストは何? 意図的なブラックスワンで、一度、現状を
清算をさせ、国家非常宣言をした上で、思い切った国家的リストラ。 当然のことだが! グローバル的
には秒読みに入っている。私、個人は、まさに、一歩先に・・ いや、そうせざるを得なかった!だけか。
・・・・・
4502, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー4
2013年07月14日(日)
               『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
    *(末期ガンで早々}逝くも地獄、残る(死に損なうの)も地獄
 『どうせ死ぬなら「がん」がいい』と『大往生したけりゃ医療とかかわるな』を読むと、老いることも、死にゆくことも、
決して甘くないことが分かる。そう遠くない未来を垣間見ているようで呆然とするが、これは目を背けることが出来ない。
子孫を遺す役目を終えた50歳から還暦辺りになったら、「がん死」がお勧めという。 余命6ヶ月と宣言され、幸運と私に
思えるだろうか? 何をしても少しでも長く生きたいと思うのが人情。 近代医学の成果で長生きをした結果、長生きをし
特老に入って死に逝く人を見送り、その悲劇を実感した著者の率直な実感だから説得力がある。 拷問ようなの苦痛を
味わった挙句、息を引き取るのが大半ならば、点滴、薬漬けを拒否し、自然死に近い状態で死んでいく方が良いのかも。
 胃瘻と鼻チューブなどで延命させるのが果たして本人にとって良いのだろうか。医療サイドは、出来ること全てを注ぎ、
延命させるのが基本であり、家族も見殺しに出来ないという罪の意識が、拷問に近い状態でも生かそうとする。
それは逆に拷問のため生かしておくことと変わらない、のが分からない。鼻チューブから栄養をとる違和感は半端でないため、
患者は隙あらば引き抜こうとする。そこで両手を縛り付けるが、それは拷問と同じこと。患者は食べないから死ぬのではない。
死に時が来たから食べないのである。それを無理に生かそうとするため、拷問状態になる。「できるだけ手を尽くす」は
「できるだけ苦しめて地獄を味あわせる」と同じ意味になる。そうこう考えると早々と死ぬのも、ひとつの選択になる。
末期ガンで早々逝くも地獄、医療で死に損なうのも地獄。 このところ、中学、高校の同級生がガンや自殺で亡くなったが、
著者の見方によれば、これは生、老、病、死の苦しみを最小で済ませた幸運の持主。老いて逝くのも大ごとということ。
 そうこう考えると自殺も選択肢の一つになる。そういえば、図書館で断食で自ら命を断つプロセスを事細かく記録した
文庫本があった。食を断つのは自死かどうかだが・・ 元気なうちに何?を用意しておくのも必要なことかも。
死ぬのは、生きてきたのだから仕方がないが、問題は死際の精神的、肉体的苦痛である。 
 やはり生きているうち今を充実させるしかない。「 今ヨリナキニ 」である。それと、
「今日という日は、残された日々の最初の一日」と、思い味あわなければならない。 地獄の瀬戸際で何をみるのだろうか? 
幸せだった日々に感謝しながら、両親に両側を挟まれ光の中、消えゆくイメージを瞑想で中で創れるかもしれない。
死際の準備も、この著書にシッカリ書いてある。 次回になるが、なかなか含蓄がある。 母親は痴呆症になる前に、
全て準備をして私に託していった。本当は還暦前にしておくべきことだが、今でも遅くはない・・ 何事も準備である。
・・・・・・
4128, ヨガとは何?という素朴な疑問
2012年07月14日(土)
 スポーツジムのヨガに参加して4ヶ月になる。‘スロー’ヨガというから初心者向けだが、腰痛持ちもあって少し厳しい。
定員50人に、平均40人位が参加している。男性参加者が10名位で、片隅で目立たないようにしている。 その中、時どき
先生がヨガの説明をする。先日の内容は、「ヨガは瞑想法の一つ。無念無想になるために呼吸法と、色いろなポーズを取ることで、
そこに気持ちを集中して、頭を空ッポにするためのもの。従って、ヨガが上達したとか、しないとかは気にすることはない」という。
なる程!いいことを言われる。週二回、4ヶ月経った印象は、「腰痛解消のために病院で集団治療をしている感覚。」腰には良いが、
少し痛みが残る。それでも合計33回、ヨガを続けてきた成果が出始めてきた体感はある。 数十年かけて固まった足腰が、
徐々に解けているのがポーズの積み重ねで実感する。  ー そこでヨガの意味をネットで調べてみた ー
 ≪  ◇ ヨーガの意味と起源 
 ヨーガの起源をたどると、紀元前二千五百年程のインダス河流域のハラッパやモヘンジョダロなどの遺跡から、ヨーガの坐像の
印形が出土していることから、その頃を起源としているようだが、実際に「ヨーガ」という言葉が宗教用語として確認されているのは
紀元前五百年前後のベーダンタ時代で「ヨーガ」とは「馬を車体につなぎ、その馬車をコントロールして、道をはずさず、人生の目的地へ
行くこと」を意味していた。 カタ・ウパニシャッドでは 「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。
賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に
「つなぐ」が語源であり、意味するところは「結ぶ」「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもってきました。
 又、少し遅れた同時代には釈迦族のゴータマ・シッタルダが悟りを開き、仏教がスタートしています。このお釈迦様も二十九歳の時、
王宮から出家して山野で六年間修行された後、ブッダガヤで瞑想し、悟りを開かれたのですが、その間、瞑想をしたり、断食をしたり、
野山で遊行した修行が、まさに当時のヨーガそのもの。その生きたお釈迦様の実際に語った言葉を、後に弟子が書き残したと云われる
「ダンマパダ(法句経)」の中にも、「ヨーガ」という言葉が語られています。「まさに智はヨーガより生じ、ヨーガなくして智は滅ぶ。
その道理を知りて、ヨーガを行じ、智を増大せしめよ。」「智」というのは、物事を分析するだけの知識(分別知)ではなく、知に日が
ついて光あふれた、命の智恵「英知」と云われています。それを人々に伝える人を、かつて、日知り「聖人」と云ったのです。
このように「ヨーガ」とは、「結びつける」「コントロールをする」「バランスをとる」という意味と、その「修行法」「技法」として
発達してきたのです。  それでは何と何とを「結びつけ」「バランスをとる」のでしょうか?
 それは、�身体と心をバランスよく結びつける。�内なる私(真我)と大いなる我(宇宙)とを結びつける。
�人と人をバランスよく結びつけることなのです。仏教では、それを三宝と云って、�身体と心をバランスよく結びつけ解放した
人間存在を「仏(ブッダ)」といい�宇宙や自然の法則と自己とを調和させる生き方を「法(ダルマ)」といい、�人と人とが調和し
助け合う平和な社会を「僧(サンガ)」といって尊んだのです。そしてヨーガでは、その方法を、具体的な生活法(ヤマ・ニヤマ)、
運動法(アーサナ)、呼吸法(プラーナヤーマ)、瞑想法の階梯(プラティヤハーラ、ダーラナー、ディヤーナ、サマーディ)
そして祈りの言葉・神の名(マントラ、ジャバ)等として、 私達に伝えてきているのです。 ≫
 ▼ ≪「真我(アートマン)を車主、肉体を車体、理性を御者、意志を手綱と心得よ。賢者たちはもろもろの感覚器官を馬と 呼び、
  感覚の対象を道と呼ん でいる」と述べています。このことから「ヨーガ」とは、馬を車に「つなぐ」が語源であり、意味は「結ぶ」
 「コントロールを する」「バランスをとる」との意味をもっていた。≫が、ヨガの本質。内なる真我と大宇宙を結ぶ修行ということ。
 10数年ほど前に、散歩で出会った地球の核の一点を擬人化して現在も話をしているXが、宇宙。向き合っているのが真我ということ。
・・・・・・・
3762, ユング ー5
2011年07月14日(木)
ー「共時性」の幾つかの事例を、<「タオ心理学―ユングの共時性と自己性」ジーン・シノダ・ボーレン著>から抜粋ー
例1 ある女性が、妹の家が燃えているハッキリした夢をみて、妹が安全かどうか電話でたたき起したところ。
  まさに、その通り火事になっていて、電話で目をさましたために命拾い。
例2 ある研究者が高度に技術的で分かりにくい問題にぶつかっていて、情報がえられず困っているとき、
  ある基金募集のパーティーに出席したところ、たまたま隣の席に座った人が必要な情報を提供してくれた。
例3 ある女性がある町にやってきて、昔の同級生に連絡をとろうとしたけれども住所がわからず、
  混雑したエレベーターに乗り込んだところ、たまたまそこに彼女がたっていた。
例4 ある人のことを考えているとき、電話が鳴る。 出てみると、私がちょうど考えていた相手だった。
例5 私はキッチンで夕食の支度をしながら、夫のジムに向かって、「テーブルに花が欲しいわ」と言いました。
  子供達はそのとき外で遊んでいて、私の声の届かない遠くにいました。しばらくすると、娘のメロディが家の中にまっすぐに
  入ってくると、手にピンク色の花束をかかえていて、「ママ、ここにあるわよ」、と言ったのです。
例6 人の死を知る能力のある人がいます。 ある人の場合、夢や白昼夢として、死ぬ人がスーツケースを持ってその人の前に
  現れるのを見ます。そしてしばらくすると、そのスーツケースを持って現れた人が、亡くなったという知らせが届く。
▼ 単なる偶然とは思えない、これらを、ユングは、共時性(シンクロ二シティ)と呼んだが、その人によって、
  その要素の強弱があるようだ。私は、Aーabc、bーabc、Cーabcの9段階の二番目のAのb辺りか。
  その人の持っている一つの感覚であり、それが物理的にあったり科学的に証明されるものではない。
  前回も書いたが、事業の立ち上げや、ホテル計画を実行段階に入ると、必ずといってよいほど、身辺に普段は
  起こらない事故とか、ごく身近な倒産、不幸が起こる。今回、それが共時性の前段階の「布置」ということを知ったが、
  今度の当方の倒産でも周辺でも、事故、大病があった。私の場合、負債債権処理など、あと二年は要するから、
  二年間は大病、大事故には心しなければならない。 ところで、今回の東北大震災。 国家を人間と喩えると、
  明らかに「布置」の思えてしまう。 次回に取り上げるが、そう考えると、今回の震災のユング的見方が見て取れる。
   ・・・・・・・
3397, おテレビ様と日本人 ー2
2010年07月14日(水)
   *「第五の壁」とは何か.
 テレビを第五の壁とみなすのは面白い。そうすると、今度は第六の壁というと、パソコンになる。
パソコンには第五の壁も取り込まれ、一方的な情報だけでなく自分サイドも発信できるところが、今までとは違う。
だから、著者の心配がより大きくなるのか、それとも多くが解消されるのかは判断は出来ない。
第四の壁は、それでも生身の観客がいて、役者が直接触れ合える。しかし第五は、まさに流し手の思いのままになる。
 ー以下の部分がTVの本質を言い当てている。決して、機械がプラスに働いてはいないことを自覚しないとー
≪ われわれの知る「第四の壁」とは、演劇舞台の部屋の装置が三方の壁に囲まれ、残る一方の壁が観客席に向けて
取り払われているそれをいうのである。「第五の壁」とは、もとより著者が火星人の口に託して名づけたテレピの異称である。
地球を襲撃して戻っていった火星人は、次のように帰国報告したという。
【人間と称する地球上の生物は、光線と空気と出入りのための大小若干の穴のある四つの壁に外界から遮断されて
暮らしているが、ほかにもう一つ、〈第五の壁〉とも称すべきものを所有している。それは四つの壁よりは小さく、
移動は自由で、どつしりしている不透明なガラスの壁だが、四つの壁の穴からはとうてい期待できないさまざまな風物や
生物がそこに現われ、かの人間なるものと同じように語り、むせび泣き、歌う。 それは四つの壁を征服する。
四つの壁を取り払ってしまうのではないが、四つの壁を止揚する不気味なカの持ち主である】
 ……われわれは、テレビにたいして〈検察官〉になろうと、〈弁護人〉になろうと、忘れてはならないことは、
その間にもわれわれは〈第五の壁〉の照射にさらされているという事実である。〈テレビ時代〉に産声をあげる赤子は、
〈第五の壁〉の人工の光の中で歩きはじめるのである。 ― この本が書かれてから四十年以上が経過した。
半世紀ぶりに地球を訪れた火醒人が今度はどんな報告をするだろうか。 それは壁ではなく、実は底なしの地獄に落ちる
ブラックホールの穴だったと綴告するだろう。テレビの発する光線は、結局突き詰めれば金銭の発する光だった。
それも巨大な額の金が絡む光である。人はそこでただ語り、むせび泣き、歌うだけではない。隣間的な音声でも映像でも、
そこには人間の醜い欲得が潜在する。ただ単に事実を伝達するだけに思えるニュースのコメントですら、一言、
「オバマ氏の当選は確実」と声を発したとたん、あらゆる場面での金が乱れ飛ぶ。テレビの扱う範囲にフィクション、
ノン・フィクションの区別はない。両者は調合され、統合され、まったく別種類の認識対象となる。
認識された潜在意図、である。 この別称こそ「陰謀」と呼ぷものだ。意図はあくまでも隠されている。
誰も意識していない。だが、番組制作には「洗脳」という潜在的な意図が常に基調を作っているのである。
こうした曖昧な感覚混合体が、結局は陰謀と呼ばれるものの正体、テレビの実態になるのだ。≫
 〜 今度は、TVにネットが組み込まれてくる。違った洗脳が始ろうとしていることになる。〜
 〜〜
3022,閑話小題
2009年07月14日(火)
 * 池袋の早朝でみた荒んだ世界 
 * 自民党の末期
 * 腰痛はつらい
 (字数の関係上カット12年07月14日)
 ・・・・・・・・・・
2657, いちゃつき ー2
 2008年07月14日(月)
前回に鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話を書いた。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
他人を迎え入れて他人で いっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。だから方法が違うんですよ。  
   (字数の関係上カット12年07月14日)


4868,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー36

2014年07月13日(日)

    * 暴力団事務所がホテル至近に二つ!
 開業前の一時期に、開設の事務所をゼネコンの現場事務所の背中合わせに、ベニヤ板一枚で仕切りを置いていた。
(その後、東跨線橋近くに移動したが・・) そのゼネコンの現場事務所に暴力団の二人が、恐喝に来て、一人は、
ドアの外で誰も入ってこないように見張りが立ってから、大声で、「何で挨拶の来ない!」「ここは、どこの縄張りか
分かっているのか!」とかの恐喝劇が始まった。修羅場を経験した私でも、ライブでベニヤ板一枚で聞くのは初体験。
その迫力は、自分でなくとも氷つくほどの恐怖である。現場事務所の主任が一人になるのを見届けて来たのだろう。
しかし現場主任は冷静沈着で、対応していた。その直後に聞くと『こんなのに金を出したら、市内の暴力団が次々と
来ますよ!」と平然としている。 その直後、近くの交番に電話をしても、「その程度では受付できません!」と
軽く受け流されてしまった。しかし、帰宅してから、その応対に腹が立ち、交番に激しく抗議の電話を強くした。
その結果、その暴力団事務所前にパトカーが数日間、見張ることになった。 それ以来、その後のホテル建設の
ゼネコン現場事務所には、一切に暴力団は顔を見せなくなった。開業してから分かったことが、ホテルは、ヤクザ、
チンピラの絶好の凌ぎの標的であること。しかし一度、出したら、その筋に直ぐ知れ渡ってしまう。 当然、
30年間、一度しか脅し取られることはなかった。当時の副支配人は包丁を突きつけられ脅されたが、そのチンピラ
二人は、その後、県外の検問逮捕された。 開業後、1〜2年に一度は巧妙な脅しが定期的?に続いていた。
現場責任者が対応するが、酔い客の絡みと、ヤクザ、チンピラの恐喝のストレスは、想像の域を超えるという。 
 ホテルマンの教育で一番初めに受けるのが、客からの罵声に備えた訓練。 お客に扮したトレーナーが、大声で
無理難題を言うのを、ひたすら受け流す訓練。暴力団は、弱みを見せないで迷わず警察に電話をするのが基本だが、
民事と刑事の境目を彼らは熟知し巧妙に仕掛けてくる。何があっても直ぐに連絡するが、刑事とて公務員、あてに
ならない! 前門の虎が、脅し客なら、後門の狼は私? 考えただけで、私でも怖ろしい! その後に、暴力団の
不当行為をなくす法律として、平成4年に「暴力団対策法」が施行されたのを境に、脅しが年々、減っていった。
それでも、手口は巧妙になって続いていた。今では、暴力団と知って宿泊をさせると、宿の方も罰せられる? 
事務所も、それを隠して契約をした暴力団が逮捕されたニュースが流れていた。暴力団にしたら、年々、凌ぎが
厳しい絶滅動物になっている。 30年間、ニアミスは一度も無かったが、相手も、自動的に交番と、暴力団対策課に
連絡する相手は、一番の難敵。犯罪捜査に積極的に協力するフロントは、私設交番でもある。 そこに恐喝など、
無知なチンピラ以外に仕掛けてこないが、それでも仕掛けてくるから・・ 警察は全ては解決をしてくれないが、
直ぐに相談する習慣こそ、大事。一番悪いのは泣き寝入り! そういえば、一晩に43人が宿泊したことがあった。
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4501, 閑話小題 ーバランスボール
2013年07月13日(土)
   * バランスボール
 腰痛の本は雑誌などの記事で読んだことがあったが、図書館から借りて読むのは初めてである。
母親が腰痛持ちだが、私もその体質を引き継いだようだ。腰痛は昭和38年の長岡豪雪で高校の屋根の雪下ろしでの
ギックリ腰から持病になり、現在も完治はしていない。借りた本に、腰痛にはバランスボールが良いとあった。
書斎の椅子にバランスボールを交互に使うことを勧めている。 さっそくHCに行ったがサイズは大・小のうち、
その小しかなかった。小でも大丈夫だろうと1500円で買ったが、やはり小さい。台を置いて辛うじて使っているが不安定。  
 スポーツセンターのエアロの一つに「バランスボール」がある。当初、数回、参加したことがあったが今は参加していない。
これは直径80センチぐらいのゴムの厚いもので、この上に座ってストレッチやエビ反りや、上下のバウンドをする。
机の横において腰が疲れると椅子から、これに乗り換える。まだ3日なので効果は分からないが、直感的にみて良いようだ。
ところが、何時の間に家内が、居間のTV前で椅子がわりに使い出した。
 この半世紀の間に、3年に一度位の割合で強い腰痛になっていた。軽いのは季節の変わり目で、年2〜3度の年中行事。
最後に重いのきたのが4年前の7月で、治るまで一月以上を要した。 
この時のキッカケが、「パッション」という腰叩き専用のマッサージ機を購入した時のこと。あまりに腰が気持ちが良くて、
使いすぎて逆に重症の腰痛になってしまった。 それ以来、本気になって腰痛対策を幾つか取り入れた。 
 まずベッドに低反発枕と低反発マッド。会社の椅子には低反発クッションを。居間のTVの前には低反発クッションを導入。
それ以来、大きな腰痛は4年間、一切ない。2年前からのスポーツジム通い運動と、16ヶ月間、週二回のヨガ・エアロの
効果もあって、今では腰の重さが五分の一以下の軽さになっている。 特にヨガは腰痛の自己治療と思えるほどで、足腰の
歪みを修正してくれる。 借りてきた本によると、椅子に座った状態で、体重の三分の一の重量が腰にかかるというから、
私なら20キロである。毎日、4時間近くパソコンの前の椅子に座るので、その負担が実感している。
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4127, 閑話小題 ーシネマ
2012年07月13日(金)
   * 相変わらずのシネマ通い
 今年になってから平均して月3回はシネマ通いをしている。少し通い過ぎ?だが値段の割に価値を感じるからだ。
エネルギーを持て余している現在、手軽なストレス解消になっている割りに毒は少ない。物語に意識してドップリ浸かるのがコツ。
最近のシネマはデジタル特撮効果で画面も映像も圧倒的迫力がある。家でもWOWOWなどで映画やシリーズのドラマを見ている。
頭には決して良くはないのだろうが、面白いこと、この上ない。今年に入って特に面白かったのは、韓国映画の「マイウェイ・
12000キロの真実」、邦画で「外事警察」、ハリウッド映画では「バトルシップ」というところ。千円のため、居酒屋一軒分で
月三回は価値がある。 最近では外れは殆んどないが、もし千五百円なら半分も行かないだろう。映画の開始前に予告が流されるが、
それに洗脳されてしまう。時代背景の家具や服飾を見るのが楽しみ、というのも年齢のため。 一つ酒を飲み交わす場面で、徳利は
江戸末期になって出まわるようになったもので、それまでは鉄瓶のようなもので温め、杯についでいた。19Cのロンドンを
背景にした映画は、時代考証を見るだけで面白い。 話は変わるが、先日、家電店で80インチのTVを見てきた。80万位だが、
ここまで大きいと迫力がある。月3回のシネマ通いは、たまたま面白いのが来ていたためで、1〜2回で充分である。
   * オスプレーの反対運動
 飛行機とヘリ兼用のオスプレーの反対運動、何故、あそこまで反対するのか不思議。沖縄に配備されると一番困るのは中国で、
都合が良いのは日本。飛行コースを決めておけば、別段、危険ということはない。ヘリコプターの役割もあるので、飛行機と違って、
滑走路を必要としないため何処からでも離発着が可能である。 反対理由は中国からの裏指示と疑うのは当然である。
沖縄の飛行場周辺の街は、基地のために後から出来たものが殆んどで、わざわざ基地を街の近くにつくった訳でない。何故か誰も、
このことを言わない。嫌な臭いがする反対運動である。 
 話は変わるが、原発に対するアンケートで、「全エネルギーの25パーセントを原発が担っているが、15パーセント位が良い」、
が一番多い調査結果が出た。現在の日本は、「原発は危険だが、存続が必要」なことぐらいは、分かっている。このままいけば、
周辺各国から、寄って集って領土など資産を毟りとられてしまう。原爆被爆国だからこそ、原爆を持つ権利が十分ある理屈もある。
もう敗戦国の負い目から脱皮すべきである。67年も経って何が保証である。表立った再軍備をすべきで、原爆を持つべきである。
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3761, ユング ー 4
2011年07月13日(水)
  共時性とはシンクロ二シティの訳語で、ユングは、「意味ある偶然の一致」と言っている。
 ユングのいう共時性(シンクロ二シティ)の定義を 「臨床ユング心理学入門」 山中 康裕著で、
  第一の定義  非因果的連関の原理
  第二の定義 「別々の出来事が、互いに因果関連はないが、時間的に一致してそのつながりに意味が感じられる事態を示すこと」
  第三の定義 「別々の出来事が、時空間的に互いに一致して、しかもそこに意味深い心理的関連が感じられる事態を示すこと」
  第四の定義 「心の世界と物質の世界をつなぐものとして考える場合」 等、定義している。
 ここで山中 康裕は、「そのような心の現象は実際に多く存在し、従来の確率論で予測される期待値よりはるかに高い確率で生じている」
*また、河合隼雄は、「希望する人にとっては、共時的現象がよく見えるようになる。共時的現象は、実のところよく生じるが、
  われわれがそれを把握していない、と考えられる。 「希望する」人は、心が広く開放されているので、共時的現象によく気づく」
*ジーン・シノダ・ボーレンは、「自然発生的な共時的出来事は、心の中の状況が活発に働き、強い情動を帯びるのに共鳴し、
  それにともなって起こるものです」「心が霊的に中心化されてくると、タオに触れることによって、積極的に共時的出来事が
  おこるようになってくる」「まず、霊的な価値を求めよ。何事であれ、必要な形あるものはやがてやってくる」
 「イエスは、人々をみちびくにあたって、神の国について教え、この最高の価値は人々の手元にあって到達できるものである
  ということを語りながら、それを求めるように説きました。私には、もしも人がまず神の国を求めさえすれば、
  現実の必要をみたすために共時性が与えられるであろう、と語っているように思われる」と述べている。
▼ 私も、この6番目の感覚を得るまでは、半信半疑より、ほぼ否定的であった。しかし、この感覚が内側から出てからは!一変。
 作家の佐藤愛子も、この感覚を身についてから、その経験の本を出している。しかしネットを始めた頃か、哲学書を読み始めた頃から
 その感覚は急激に薄れていった。共時性は、人間の持っている、ある情報器官がはたらいた結果だが、現在の情報端末は、それを
 はるかに超えている。特にモバイル携帯は、人間の6感を超えて我々の存在のあり方を根底から変えようとしている。 で、過去分の
同月同月をコピーして驚いたが、7年前の7月13日に偶然、ユングの共時性について書いていた。これも意味深い偶然の一致していた。
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3396,  蛸が、サッカーの結果を予測
2010年07月13日(火)
 蛸がサッカーの結果を8試合全部を当て話題になっている。面白そうなので少し考えたみた。
蛸からすればサッカーの勝負など関係がない。ただ、どっちに入るかでしかなく人間が騒いでるに過ぎない。
とはいえ偶然の一致?が、8回も続くことは有りえないから、何かがあるのか。 考えられることを挙げてみると
・蛸の予測に自信を持ったチームが勝ち進んだか、     ・誰かが予測をして蛸を人知れずに誘導しているのか、
・蛸が水槽の外の誰かの顔を見て左右を判断しているのか、 ・上記など全てを直感で判断する超能力がある、
・人間には知りえない何かの能力がある、等が考えられる。
 マスコミが注目をしてたには、それなりの実績があったはず。 諸説が出てくるのだろうが、夢があり面白い。 
何かトリック?を見つけるより、そのままにしておいた方がよい。理屈からみれば、何で蛸が人間どものゲームの勝敗を
当てなければならないのか? その理由など一つもない。当った当たらないは、人間が勝手につくり上げた虚構でしかない。
でも事実、試合前に勝っている方に入っているではないか?といえるが、その勝ち負けを設定しているのは人間様。
8回も当たったという人間様の論理そのものを疑う必要がある。ドイツの勝ち負けの視点からみている、そこに何かあるとみるべき。
とすると、水槽の中で、誰かのサインにしたがっている説が、有力に思える。 でも、そんなことは、どうでも良い。
スペインの優勝より大きな話題になったから、それで充分である。蛸は三年しか生きないというから次回は無理とか。
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3021,卒業40年周年か〜
 2009年07月13日(月)
 「大学卒業40周年記念の集い」に参加してきた。
20周年、30周年記念の集いにも参加をしたが、非常に良いメルクマールになっている。(10周年は、20数年前から企画されたので、
『集い』そのものが無かった)ところが数日前から腰痛が出て上京など無理の事態だったが、「這ってでも行く」と決めた瞬間から、
痛みが少なくなったには驚いた。 「前日の金曜日に銀座でクラブの仲間が集まろうよ」という誘いを断り、当日の土曜日だけを
出席すれば何とかなるのではと考えた。 しかし出席するとしたら、むしろ前日に東京に行って、クラブ仲間の会の出席は
一度ホテルで休んだ後で、腰と相談すればよい。 また当日に上京するよりも、前日に行って翌日のギリギリまでホテルで
待機して集いに参加すれば何とかなるはず。 ということで何とか二日間を乗り切ることができた。 最後は覚悟である。 
しかし本当に重症だったら無理だったが。 10年ぶりの会は、前回と同じ位の盛況の賑わいで、400人位が集まった。
2500人のうち1700人に連絡がついて400人が出席。 総長の挨拶で、「この厳しい大学経営の中で非常に人気があり、経営も非常に良好、
長期的に改革を地道に続けてきた成果」と語っていた。この10年ぶりの再会で、各人とも人相も体系も老化がハッキリ見てとれた。
仕方がないのだろう。あと10年後は、もっと激しくなるのだろう。 気持ちとしては、これが最後の参加の集いと割り切っていた。
そのため一人ひとりの語らいが熱くなった。 我われは良い時代に青春時代を過ごしていたのである。この集いに参加する人たちは
現状がある程度、余裕のあるのだろう。何か気持ちがリッチに気持ちになれる。そこで受付でチェックをして胸札と名簿を貰い。
参加費は8千円、そこで何人かの知人と再会。 10人位が集まると、若い女性が、構内ツアーで新しい施設などの案内。
そして、学部ごとの写真撮影。その後、チャペルで集合ミサ。 総長の挨拶など・・・。 その後、学食で大立食パーティー。 
その後、学校サイドが用意した二次会がある。しかし前回同様の1~2年の同級会が東武百貨店の14Fに用意してあり、参加する。
参加28名(途中で帰った人3名)その後はクラスで親しかった男と、居酒屋に移動し語らい、22時過ぎにホテルに戻った。
姿、形は変わっても気持ちだけは変わらないのが同期の会での良いところ。 総括として、今回も満点。
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2656, コミュニケーション力とは?
 2008年07月13日(日)
   中島義道の「コミュニケーション力」についての一考察が、面白い。これによると、あくまで家内と私の関係だが、
  私がコミュニケーション強者で、家内はコミュニケーション弱者になる。しかし、如何みても家内の方が強者で、私の方が
  弱者に思えてしかたがない。外国に行って、観光地や飛行場で隣の人に平気で話しかけ英語の勉強をしたり、宮城県の
  医師会会長婦人と仲良くなり、ブランド店で見えの張り合いをしたり、ディナーで周囲の人と瞬間芸のようにハイソサエティー
  婦人に変身をしてしまう。私など何時も微笑をたたえて無言である。 たまに酔って、その場を目茶目茶にすることもある。
  中島のいう「コミュニケーション力」とは、私がいう「対話力」のことのようだ。対話をするには自分の主張を相手に理解させ、
  相手の言っていることを理解し、できれば互いに一人では思いもよらない一段上の内容まで内容を止揚することである。
  それは対「本」の著者ともである。   ーそれよりまずは、中島の、面白い部分を抜粋してみよう。
    (字数の関係でカット09年07月13日)


4867,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー35

2014年07月12日(土)

   * 駅前ホテルと旅館の社長たちの抗議
 開業直前のこと、以前の会社の事務長が、わざわざ長岡から近況を知りたいと開設準備室に
訪ねてきて、世間話をしていると、開業予定地の真前のホテル社長から『これから、伺います!』と
一本の電話。 その事務長は長岡近郊で工場を経営していたが火災のため倒産した経歴を持つ人で、
威風堂々としている。しかし、前の上下関係もあって、私の前では表向きは服従だった! 
当人は元社長なので、それは知り尽くしている。 その雰囲気の中、地元のホテル、旅館の主だった
社長連中が7〜8人、ドタドタと乗り込んできた。何だろう?と思ったが、要は、税込み3980円の
価格破壊に対する抗議と圧力のつもり? ところが、事務長は、その空気に固まってしまったが、
それが、彼らに恐ろしそうな人に見えたようだ。 それと、私にすれば15年間の準備期間を持っての
覚悟がある。烏合の衆になった彼らの方が、明らかに恐れているのを見て取れた。
そこで『私は、ホテル・旅館の組合に入る予定は、一切ありません。問題があるなら、訴えればよい
ではありませんか! 名刺を見ると、素人の駆け出しの私にとって貴方たちは、神様のような存在。
それが、こんな、抗議をしてくるとは!』と、我ながら、冷静な受け応え。 彼らは、罵声を浴びせ
ようにも、得体に知らない恐持ての来客が腕を組み座っている。その人が、私の一言で絶対命令的
に立ち上り席を譲るのを見て、気を飲まれたのが分かった。 第一、グリーン、ハイマート、
ステーションホテルや、その後、自死?した旅館の主も? で、ここで知ったのは、何とも大らかな
世界の存在。で、数分で、すごすごと、何をしにきたのか?曖昧のまま、帰っていった。それよりも、
事務長、何と面白い場面に出くわすことが出来たことか。 それとも極限の恐怖だったか? 
私はゼロというより、面白かった!が。現在も、そのまま経営している彼らか、その子息が、
三年前に「そら、見たことか!」と喜ぶ姿が目に浮かぶが「それ、逆でしょう?」という考えは、
彼らには、あり得ない? 毎日が青色吐息で、この原油高!その世界が全ての彼は、止めるに
止められず!万一のシェルターの備えがあるかどうか? 「倒産や、廃業は悪い!」の銀行系
価値観の盲信が、自分を縛っていることすら理解できない。人様の財布の中までは分からないので、
これも私の思い込みか・・ 長岡も、新潟も、まずは、根こそぎの価格破壊が新規参入の役割。
だから、地元では創業など、すべきでない。それまでの売り方、商習慣を破壊するのが新規
参入者の役割。だから既存の人たちを根こそぎ否定せざるを得ない。で、駄目だったら、
止めればよい。そこに当然、軋轢が生じるが、それを受け止めればよい。そのまま、結構!である。
・・・・・・
4500, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー3
2013年07月12日(金)
             『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
   * 年寄りの不具合は、すべて老化が原因か、老化がらみ
 現代医療は、「老い」を「病」にすり替える。「病」は、回復の可能性があるためだが、老いはどうになるものでないのに、
病気扱いにして薬漬けにする。 老人性鬱も、老いれば誰でも落ち込む。それを病気といって薬を与えれば、自動的に薬中に
なってしまう。で、それが高じてボケを早めるパターン。保険で薬が安く入手できるので、直ぐに病院に行くが、相手も
商売の要素が強いところ。病気という毒を、違う毒で征する危ない手法を駆使するところ。
   ーそこで、この本で面白そうな要所を抜粋ー
・リハビリテーションは、リ(再び)ハビリス(人間にふさわしい)エーション(状態にすること)の合成語で、人間が人間にとって
 ふさわしくない状態に置かれた時、再びそれにふさわしい状態に戻すことを指し、病前の姿への復帰を意味するわけでない。
 以前なら死んでいたものが、死ぬでもなく助かるでもなく、ただズルズルと生かされている事態が起きる。
・「死」を、止めたり、治したりすることはできません。しかるに、治せない「死」に対して、治すためのパターン化した
 医療措置を行います。これらは、せっかく自然が用意してくれている、ぼんやりとして不安も恐ろしさも寂しさも感じない
 幸せムードの中で死んでいける過程を、ぶち壊しているのです。
・点滴注射もせず、口から一滴の水も入らなくなった場合、亡くなるまでの日数がどれくらいかというと、7日から10日が多い。
・「できるだけの手を尽くす」が、「できる限り苦しめて、たっぷり地獄を味わわせる」とほぼ同義になっているといっても、
 いい過ぎではない状況を呈しています。
・日本人は、病気や障害を理由に、甘えて依存しがちです。また、それを許す傾向にあります。こういうことをしていると、
 欲しくない時にも、無理やり口の中に押し込まれるという「拷問」にかけられることになる。
・死にかけの人間が医者にすがるのも、あまり感心しません。なぜなら、いかに生きるか、いかに死ぬかは人生の問題で、
 医療で解決できる問題ではないからです。
・初めから、本人が誰かに何かをしてもらいたくて、自分の足で立とうとせずにぐにゃぐにゃしていたのでは、両側から無理に
 抱え上げようとしても、どうにもなるものではありません。今、老いも若きも、病気は医者に治してもらおう、苦悩は誰かに
 解決してもらおうという、この手のひ弱な人間が日本中に溢れています。
・現在の日本人は若さにこだわり、「年のせい」を嫌って認めようとはせず、近代医療に過度の期待を持ち、老いを「病」に
 すり替えています。なぜなら「老い」は一方通行で、その先には「死」が待ち構えています。 一方、「病」には、
 回復の可能性があるからです。 ・・・年寄りの不具合は、すべて老化が原因か、老化がらみです。
 今さら、医者にかかって薬を飲んでみたところで、若返らせることは不可能ですから、根本的には、どうにもなりません。
・問題は、健康は、人生を豊かに生きるための手段であるはずなのに、それが目的になってしまっている点にあります。
 本来、「健康は、こういう生き方をするために、この程度必要」というものでしょう。それが「生き方」もないのに、
 「健康」だけを追い求めることに、どれほどの意味があるのでしょう。
 ▼ 「還暦を過ぎたら、自然体で、あまり病院などに行くな。どの道、少し早かれ少なかれ亡くなるのだから」と、
  特老の医師が言うのだから、内容はシリアスである。「表面的に健康に戻すために、毒を盛って、毒を征する」のが
  実態なら、毒を毒のまま放置しておいた方がよいというのも筋が通っている。成人病で突然死した人と、特老などで
  不自由な生活をおくっている人と、どちらの生き方を選ぶかというと、どうだろう? 介護生活が平均10年も
  残されていると知った現在、末期ガンで余命半年も喜ぶべきかもしれない。不自由の長生きも辛いということ。
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4126, 第一感は叡智である
2012年07月12日(木)
 倫理研究所の「日捲り」にあった言葉。 「第一感を働かせよ、これは叡智。 気がついたら間髪いれず実行。」と。
出来る人は、これを純粋に実行している。ひと呼吸を入れると必ず迷いが出る。その前に実行すればよいことを出来る人は
知っている。もし迷いが出ても、「迷った時は、可能な限り実行する」という駄目押しの信念を持てばよい。
即実行をしないと人生、後悔をする。そこで、「倫理研究所」のHPを覗いたら次の内容があった。
  ー 万人幸福の栞17ヶ条ー        ー逆も真なりー
1 今日は最良の一日、今は無二の好機     (今日は最悪の一日、今は無二の危機、と考え一日に挑戦する)
2 苦難は幸福の門                (順境は不幸の門)
3 運命は自らまねき、境遇は自ら造る     (運命を考えるときは、境遇が悪いときだけ)
4 人は鏡、万象はわが師            (鏡を見すぎると、何が何だか分からなくなる)
5 夫婦は一対の反射鏡             ( 乱反射があるだけ )
6 子は親の心を実演する名優である      (子供は、親の歪み?)
7 肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号  (精神は肉体の象徴? 違うだろう。健康は生活の青信号?これも違う!未病もある)
8 明朗は健康の父、愛和は幸福の母     (陰鬱は不健康の父?、トラブルは不幸の母か? 裏表じゃないか、健康も不幸も?)
9 約束を違えば、己の幸を捨て他人の福を奪う (約束を守るだけでは不足? もう一歩踏み込んだ実行! 無理?)
10 働きは最上の喜び             (方向が正しいなら良いが、間違っていれば、働くほど最悪の悲しみの道)
11 ものはこれを生かす人に集まる      (使い切った後、いかに捨てるか?)
12 得るは捨つるにあり            (得るは拾う人にあり)
13 本を忘れず、末を乱さず         (本も、末も叩き壊せ、創造は、そこより始まる)
14 希望は心の太陽である          (絶望から、全てが始まる。空即是色である。希望を目標まで具体化すべき)
15 信ずれば成り、憂えれば崩れる       (疑いは、考える第一歩。憂いを乗り越えてこそ厚みのある実現がある
16 己を尊び人に及ぼす           (人の美点を尊び、その結果、美点を吸収する。それが己を尊ぶことになる)
17 人生は神の演劇、その主役は己自身である (人生は悪魔‘=欲望’のなすがまま、欲望と後悔の織り成す絨毯である)
▲ これが裏表を成しているのが人生。だからこそ味わいが出てくる。だからこそ、明るい視点で人生を日捲りで確認する必要がある。
ー逆も真なりーは、居間で晩酌をしながら下書きしたもの。酔いで歪みが出てきたためか、すらすらと書けたが・・ 正・反・合の、反。
・・・・・・
3760, ユング ー 3
2011年07月12日(火)
 ユングといえば、「布置」と「共時性」である。 
〈次数の関係でカット2012年7月12日ー ブログに貼り付けてあります!)
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3395, 何故、名古屋の資産家の息子が麻布で?
2010年07月12日(月)
 学生時代に30日間、一緒に欧州旅行した男が、何ゆえに麻布で撮影会社の社長になったのか?非常に興味があった。
その話を一昨日に会って聞いたが、チョットしたドラマ仕立て。 撮影会社といえばカメラマンとモデルやタレント、
そしてスタジオが舞台になる。撮影の世界は世間一般とは異質である。 人間関係が広く、うるさい上に腕の差が作品で明らかになる。
その世界で麻布周辺で三箇所のスタジオに80数人の会社を経営をしているのだから、そのプロセスの話しが面白くないわけがない。
その会社を独立させるまでの経歴がドラマ仕立てで面白い。三時間が瞬く間に過ぎてしまった。 プライバシーもあるので具体的に
書けないが、静岡の友人と、その話しを三時間に渡って聞き入ってしまった。 大学を卒業後、普通の会社に4年間勤務した後、
実家の貸しビル業に戻ったが、親父と衝突など色いろあった後、東京の撮影会社に勤務(弟子入り)。そこは百貨店の商品のチラシや
パンフレットの写真を扱っていた。 そのうち一つの百貨店をイトーヨーカ堂が買収した時に、社長がスーパーの写真など
撮りたくないと拒否反応。そのため、わざわざ分社。その会社の責任者になったが、撮影写真一点あたりの価格が百貨店の半額以下に
プライスを抑えられた。そこで知恵を発揮して採算にあうようにした。 その結果、ある時点から分社の方が組織的に大きくなり、
稼ぎかしらなった。それを良しとしない社長との対立。会社を辞めた、ところ過半数が辞めたので、やむなく会社を設立、
現在に至ったという。そこから一人の男の人生が見えてくる。寡黙な純粋な男だったがユニークな人生を生きることになるとは驚き。
そこの人間関係は非常な華やかな世界で、有名タレント、歌手、プロ野球の選手など、撮影で接するのが日常という。
それにしても、学生時代の色いろな友人から見えてくる人生は面白い。面白か、恵まれているから、会う機会ができるということもある。
 このリーマンショック以降、経費削減の影響を直撃しているという。 最後は、人間性、品格で人生がつくられる、ということ。
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3020.旅する力ー深夜特急ノートー4
2009年07月12日(日)
旅する力 ー深夜特急ノート ー4
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
    第三章 旅を生きる
 * そのたびの最大の幸運は、第一歩を踏み出した所が香港だということだった。のちになって理解することになるのだが、
 香港から東南アジアを経てインドに入って行くのには、そこから徐々に異国というものに慣れていくのに理想的なルート
 だったかもしれない。気候とか水や食べ物といったものに徐々に慣れていく。湿気、暑さ、食べ物の辛さ・・・・。
 だから、インドに入って下痢をすることもなかったし、どこでもすぐにその土地の食べ物を美味しく食べることができた。
    解)そう言われると、成るほどと納得する。登山のように徐々に空気の希薄に慣れていくのは同じことか。
 *私は、何時のころからか、新しい国に入ると、暇そうな人を見つけては言葉を教えてもらうようになった。
 しかし、語学の乏しい私には、多くの単語を一度に覚えるのが難しい。そこで、次第に、
 必要最小限の単語だけを教えてもらうようになった。
 いくら 何 どこ いつ  こんにちは ありがとう さようなら
   この二つのグループの7つの言葉さえ覚えていれば、まったく情報のない国に入って放置されても、なんと切り抜けることが
  わかってきたからである。もう一つ、宿も、かりに安宿も、中国人が経営している限りは 最低の清潔が保たれてしたし、
  食堂も、どんなみすぼらしい店構えでも、中国人が調理をしては火が通った安全な食べ物を提供してくれる。
  私は、やがて、どんなところに行っても、まずはチャイナタウンを探すようになる。
   解)世界中どこに行ってもあるのが中華料理店で、味の外れは少ない。(一番外れが大きいのが和食の店)
    何処に行っても、中国人がいるから、いい加減な料理も出せないのだろう。
・・・・・・・・・
2655, いちゃつき
2008年07月12日(土)
阪大総長の鷲田清一対談集「気持ちのいい話」に、なかなか含蓄のある話があった。
多田道太郎との対談の中で「気持ちがいい」とはなんだろうと考えたとき、それは「いちゃつく」という言葉に
行き着くという。最近の若い人は、スローセックスというか、最後まで行かないプロセスをダラダラ楽しむ感じが、
また良いと。鷲田は、女子高校生同士が、ベッドで何となくいちゃついている光景が、一番イメージしやすいという。
だいたい飲みにいって、ママとかホステスに何となく酒を飲んでいるのは、横から見れば子供に帰って
いちゃついている姿に似ている。そういえば、私が以前に女性の職場に居たときのタブーは特定の人との親しい関係だが、
不特定多数と何気なく仕事の中でいちゃつくのは、誰も見てみぬフリをする。 それが女の職場の中の男の特権である。 
誰とも目的無しに共同作業の中で引っ付いて、適当に仲良くするのは、幸福の最たるものである(この本で気づいたことだが)。
この対談集の中に、 鷲田が宗教学者・植島啓司から聞いた話として紹介している話が興味深い。
「‘解脱’は自分を遠ざけて、世界の中に自分を溶け込ませる技術で、‘救済’は逆に自分を開いて、
 他人を迎え入れて他人でいっぱいにするというかたちで自分を溶かしてしまう。 だから方法が違うんですよ。
 自分が相手の中に吸収されるか、逆に他が自分の中に浸透するか。どっちにしても、自分と世界の距離をなくして、
 自分を触っているか。相手を触っているかわからないような『いちゃいちゃ状態』を宗教だ」という。
 これから考えると少女が他人の体でいちゃいちゃしている状態や、部屋の中にぬいぐるみをいっぱいにしている状態と、
 宗教の解脱、救済と、きれいにオーバーラップするという。
鷲田は、自分はこれまでの人生で最も欠けていたのが、いちゃつき、といい、寝転んで誰かと飽きるまで、とことんゲップを
しそうになるまで、いちゃつき続けるのが、今の彼にとっての一番の幸せのイメージと正直に告白している。 セックスになると、
相手を満足させなければとか、社会的なこととか心理的な束縛がかかるから、いちゃつきの方がイメージとしてよいとか。 
(以下、中間、略 11年07月12日)
・・・・・・・・・・
2007年07月12日(木)
2291, 10歳の放浪記 ー3
 この番組の中で、作家がドラマの中の10歳の頃の子役を抱きしめた場面を紹介したが、これは深い意味が含まれている。
この行為そのものが「究極の癒し」になるのである。精神症や精神病の原因として最近「トラウマ」が取りあげられている。
辞書でトラウマを調べると、「耐えられないような体験・その痕跡。内的原因(欲動興奮的)と外的原因(侵襲破壊的)がある。」
とある。特に幼少時のトラウマが大きな原因となっている場合が多い。癒し系の本には、その時の自分を思い出して、
イメージとして抱きしめることが、本人のトラウマの一番の治療になる、とある。ところで、NHK/BSで「わたしが子供だった頃」
のシリーズで、童謡作家の上条さなえさんの「10歳の放浪記」をドラマ仕立て観て、感動し、随想日記に二回にわたり書いてきた。
本を買おうかどうか迷ったが「図書館にあるかもしれない」と思って、買うのを控えていた。先日の日曜日に近くの図書館の
ファンタジーなどのコーナーで探したが、無い。諦めかけたが、それでもと思い直し更に探したところ、あったのである。
 ー以下は、この本の一番のクライマックスの場面であるー。
 (以下、中間、略 09年07月12日)


4866,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー34

2014年07月11日(金)

   * 開業前の戸惑い
 店の先頭に立った切った張ったの千葉・長岡の8年間の生活から、今度は、小さいが社長の立場。
御客との直接接点がゼロになってしまった。 しかし、準備期間の一年は、開業直前までは何もかも
独りである。 学校に新卒、職安には中途採用、リクルートには東京まで管理職の募集に行かなければ
ならないが、それらは長岡で経験済み。前宣伝も広告代理店と打ち合わせ、ホテルの備品の購入の
全てを自ら決定していく。それらが、直前に集中するため、加熱状態になるが、それが面白い? 
既存の組織があれば、それぞれの部門の責任者を決め、一つずつ対話をしながら、決定していくのが、
それが無い場合、独り言を口に出して決めていく。 開設準備室のベニア板一枚、隔てたゼネコンの
現場事務所の主任が、それが何とも不気味だと、注意もされた。8年ぶりの今回も、独りからの
出発である。この慣れには、3〜6ヶ月は、かかるが、戸惑が先にたつ。 全て、置いた環境が自分を
慣れさせる。 ホテル開業の数週間前に、学生ショップの開店。その後、ホテル開業になる。
 その間に、色いろなことがあった。ある30歳前後の女性が、開設事務所に履歴書を持って
訪ねてきた。『私は古町で、学生ショップの会社の事務をしている。ある長岡の問屋の方から、
貴方のことを聞いているが、貴方の経営戦略が面白そうなので、是非、事務に雇って欲しい』という。
私にすれば『エッ何?』の小説のような話。『商道徳上、いくら何でも、それは出来ないでしょう』
といっても、なかなか引き下がらない。最後は引下がったが、今度は『私が立場上、駄目なら
親友が働きたいというので、駄目もとで、面接だけでも!』と、本人を連れてきた。
それが品が、この上ない上流階級?ふうの御婦人。 私を余程の凄腕と勘違いをしているよう。
なるほど、長岡と新潟だけでも、これだけ割りきりが違うと、思い知った。
 もう一つ、開業直前、地元紙に〈学生ショップを併設した面白いホテル〉の見出しで、記事を書いて
貰った。掲載された当日の夕方、自宅に一本の電話、『私は三条駅前で学生服を販売している者だが、
貴方のアイデアのホテル開業を羨ましく思う。間違いなく成功するでしょう・・云々』と、一方的な話。
何と答えてよいか分からず、「はい、そうですか、有難うございます」と、丁重に答えるしかなかった。
15年の準備期間を経た立ち上げ。 その戦略を褒めてもらったり、押しかけが来たり! 世の中は、
面白いもの。その間には、前の会社の、ある社員が訪ねてきて『会社がピンク色?に染まり、誰一人、
真剣に仕入れをしない。あるのは男女間の噂話。このままでは会社が潰れてしまう。クーデターを
起こすので戻って欲しい!』と必死の訴え! 私も命を張った大勝負の時節! 
で、断ったが、この計画、誰にも言わなかった秘話。その数ヶ月後、会社の危機を議論をした翌日、
心不全で亡くなっていた、という。彼の口癖が『とにかく、この会社が好き!』だった。 何とも哀く
気の毒な出来事だった。 この頃から、姉夫婦の立ち上げた会社の不調の噂も流れてきていた。 
商売は常時戦場!決して生易しくない。
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4499, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー2
2013年07月11日(木)
            『大往生したけりゃ医療とかかわるな 「自然死」のすすめ』中村仁一著
  *「治療に関する思い込み度テスト」
 「私たちの医療に対する信頼は思い込みでしかない」と著者は、医師の立場から切り捨てている。
私も変わっているので、このテストで○は2〜3つしかない。現在の医療を信頼してはいけないということ。
特に老人は、病院にとって金のなる木。信頼するほど真逆の結果、搾り取られるだけ!というのも、至極当然。
その結果、何とか長生きした先が特老というのも、極論とも思えない。還暦を過ぎたなら、病院でチューブで繋がれる
道でなく、自然死を選ぶのも一つの選択。 ーその辺りから抜粋ー
≪「医療の鉄則」があります。1、死にゆく自然の過程を邪魔しない 1、死にゆく人間に無用の苦痛を与えてはならない
 今の医療現場では、この真逆が行われている。 私が主催する「自分の死を考える集い」の参加者に、
 以下のような「治療に関する思い込み度テスト(信頼度テスト)」を行なった。
�ちょっと具合が悪くなると、すぐ医者にかかる  �薬を飲まないことには病気はよくならない         
�病名がつかないと不安             �医者にかかった以上、薬をもらわないことには気がすまない 
�医者は病気のことなら何でもわかる       �病気は注射を打つほうが早くよくなる           
�よく検査するのは熱心な医者だ         �医者にあれこれ質問するのは失礼だ           
�医者はプロだから、自分に一番いい治療法を教えてくれるはず
�大病院ほど信頼できる医者がたくさんいる    �入院するのなら大病院・大学病院が安心できる
�外科の教授は手術がうまい           �マスコミに登場する医者は名医だ
�医学博士は腕がいい              �リハビリはすればするほど効果が出る
  いくつ◯がつきましたか? 奇人、変人の多い「集い」では、○印がゼロがかなりでした。
 �の説明は学術専門誌の編集長・インゲルハイム氏の言葉の引用です。「ニューイングランド・ジャーナル・メディシン」
の編集長は「病気の80%は医者にかかる必要がない、かかった方がいいのが10%強、かかったために悪い結果になったのが10%弱」
と言いました。4世紀半以上も前の話なのに、今も反論がないそうです。病気を治す中心をなすのは、本人の自然治癒力です≫
▼ これでも日本の医療制度は世界一のレベル。病院とはいえ、経営システムが必要で、一番の利益になる老人に、
 可能な限りの医療を施すのも自然である。問題は、当人の死に方の選択になる。そのためには、このような視点を
知っておくべきである。少しの延命のため、無用の苦痛を与えるのが果たして治療といえるのだろうか?
40年前に父が大手術の一年後に亡くなったが、亡くなる一月ほど前にポツリ言った言葉が耳に残っている。
「あれ程の苦痛なら、手術をしなかった!」と。悪性のガンは、どのみち助からない。 なら、人間ドックも手術も無用と
いうことになる。医者が自然死を勧めるほど実態は薬漬け、チューブつき。酒を飲んできた人は麻酔の効きが悪いというし・・
死に際の厳しさは、実際は壮絶だろうが、生き返って誰も証言しようがない。生きているうち、楽しみ、味わうしかないのか。
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4125, マネー大動乱
2012年07月11日(水)
         「日本と世界を直撃するー マネー大動乱」 増田悦佐著
 世界の激動する国際金融危機を解りやすくダイジェストに俯瞰した内容である。著者の視点で日本国内のついての悲観論と、
 欧米や新興国についての楽観論に対して、まだ日本はマシと論じている。 それぞれの章ごとに、ポイントになる部分を
 書き出して、それについて論じてみる。 世界のマネーは動乱に入ってしまった。
   ー 第一章 アメリカは財務省・ウォール街複合体に潰される?! 〜上位一パーセントの総取り!
【 2007年で、最も裕福な1パーセントが合衆国の全ての資産の34.6パーセントを所有しており、次の19パーセントの人口が
 50.5パーセントを所有している。要は、二割の人口が85パーセントの資産を占めている。逆に連邦政府が定める貧困ライン
(4人家族で2万2千ドル=180万)以下の生活をおくっている人が4620万人。人口比にすると15パーセントも存在する。
 信じられないことだが、生活保護やフードスタンプ(低所得者向け食料配給カード)など、国や州の援助がなければ
 生活が出来ない人が47〜8パーセントもいる。失業率は2008年初頭で5パーセントだったのが、リーマンショックで
 10パーセントを一時期超えたが、去年の秋には8パーセントまで下がってきた。ではオバマの失業対策が上手くいったか
 というと、そうでなく、職探しを諦めてしまった失業者が、労働人口から外れた「無業者」になって、失業調査から
 外れてしまっただけ。・・アメリカの実質世帯所得は5万ドルで日本円すると400万円。これも下落傾向にある。】
▼ ネットでその辺を調べたところ、「全人口の上位1%の税引後世帯収入の割合は1979年の約8%から2007年の17%に上昇、
 2倍になった。全人口の上位5分の1の富裕層が受けとる税引後世帯収入は、1979年の43%からさらに上昇し、2007年には5
 3%だった。言い換えれば、上位5分の1の富裕層の総額は、他の5分の4所得を超えている。」とあった。 
 現在の日本も、同じ傾向にあるようだ。特に地方の衰退は激しい。世界的みて富裕層といわれる人は100万ドル、
 日本では1億前後の流動資産を持っている人をいう。だいたい1・8パーセントの世帯が入るとか。50数世帯に
 一世帯というと、なる程、そうか?である。身辺を見渡してみて、豊かそうな人は、その位は持っていそうである。
 そういう人たちは、何があっても、しぶとく豊かさを守る知恵がある。
 ・・・・・・
3759, ユング ー 2
2011年07月11日(月)
       < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
 あまりに有名な幻覚?だが、序文の冒頭から以下のような刺激的な内容から始まっている。 ーまずは、その部分からー
【 ユソグは六八歳のとき、日課の散歩中凍った道路で滑って、くるぶしを折った。その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた。
彼は病院で酸素とカンフル注射で生き続けた。ユソグに付き添っていた護婦は後に、「私は、死にかけている人が一種の白熱光で
取り囲まれているのを見たことがありますが、あなたもそういう光で取り囲まれていましたよ」と彼に語った。
この状態でユングは、生と死の間をさまよった人々によってしばしば述べられてきた幻影のようなものを経験したらしい。
その第一は、約千マイルの上空から見られ、青い光に浸された海と陸地のある地球の幻影だった。彼は、赤味を帯びた黄色のアラビアの
砂漠や雪でおおわれたヒマラヤ山脈を見分けることができた。つぎにそのそばに、彼は阻石のような巨大な石の塊を見た。
 しかしそれは、彼がインドで見たことがある、ある寺院のようにくり抜かれていた。その入口の近くに、一人のヒソズー教徒が結珈
趺坐め姿勢で坐っていた。ユソグはこう言っている。近づくにつれて、「私は、あらゆるものがはがされて行くかのような感じがした。
私が目指したか、欲したか、あるいは考えたあらゆるものや、走馬灯の様な地上の全ての光景が、消え去るか、私からはぎとられていった。
それは、この上ない苦痛の過程だった」。そして彼が、そのヒンズ教徒によって、灯心が一杯ともっている寺院内部に案内されたとき、
「私の真の仲間であるすぺての人々」にまさに会おうとしている様だという確信と、自分の生命の意義と自分が、この世に送られて来た
理由が突然わかったのだという確信をもった。そのとき、ヨーロッパの方角からなにかが彼のほうへ浮き上がって来た。彼は、それが
自分の治療をしていた医者だということがわかった。しかしこの医者は古代のコスー医療の神、エスクラピウスの寺院のあるところーの
支配者に変わってしまっていた。その医者はユングに、「あなたは死ぬことが許されないでしょう。少なくとも三〇人の女性があなたが
この地球を去るという計画に抗議をしています」と説明した。ユングは、その幻影があせるにつれて、深い絶望感を感じた。自分は
しぼらくの間死んでいて、それから生によびもどされると確信していた多くの人々のように、ユングはもどらざるをえないことに憤慨した。
その医者が古代の王の形をしてユングのまえにあらわれたので、彼は、この医者は死のうとしている ー実際その医者の死が、彼自身の
死の代わりになるのだろうーと信じた。一九四四年四月四日、ユングがベッドの上に坐ることを許された最初の日、その医者は熱のために
病床につき、その直後敗血症で死んだ。ユングが、彼の最後の患者だった。 それは幻影の時期であった。
「毎晩私は、もっとも純粋な至福な状態のなかに浮いて驚いた」。朝が近づくと、彼は「今灰色の朝が再びやって来ると、今灰色の世界が
その贈り物の箱をもってやって来る」と感じたものである。そして彼が肉体的により丈夫になるにつれて、幻影は止んだ。ユングは幻影を、
ある形の夢か幻覚とみなさず、根本的な現実に対する洞察とみなした。「それは想像の産物ではなかった。幻影と体験はまったく
現実的なものであった。それらについて主観的なものはなにもなかった。それらはすべて、絶対的な客観視をもっていた」。 】
 ▼ これは、まさかと思えるほど衝撃的だった。ということは、私には父親が亡くなって10年ぐらい、妙な霊感が身に備わった。
 しかし、その直後に結婚し、様々な事業体験で極限の経験をしてきた中で、その新たな感覚が増強されていった。この感覚は他人に
 言っても信じてくれないことは(自分が経験してない時を考えれば)分かりすぎるほど分かっていた。その中で、この文章である!
 ・・・・・・
3394, おテレビ様と日本人 ー1
2010年07月11日(日)
 この本はテレビの与える弊害を書きつらねている。それも「7人の家族」「鳩子の家」テレビ・映画の脚本家として
活躍した人だから説得力がある。 テレビ局からの一方的な押し付けで思考力を奪ってしまう弊害は大きい。
 4万年前の洞窟の絵文字から、人間は考え、それを他人に伝えてきた。その中から、他者の持つ複雑な考えの意味を理解しようと勤め、
自分の考えを進化してきたのである。そして人間は、「考える動物」として、他の動物と違って、飛躍的に文化・文明を蓄積してきた。 
それが、テレビ様の御かげで、根本から破壊された。人間が創りあげたテレビという機械に、人間は勝ち目のない戦いをし、
それに隷属されている。 人生は短いのに、日本人の総白痴化が、ここで顕著になっている。 経済、政治について語る日本人の
内容の浅いのも「おテレビ」のお蔭という。 「911・考えない・日本人」と合わせ、納得させられう点が多い。
 ーまずは、要約部分からー
≪ テレビのない時代、人間が余暇を過ごした方法の一つは読書だったから、テレビと本を比較すれば言いたいことがわかるだろう。
知的な刺激を求め、人間が本と親しんだその時間の大部分は、今テレビに奪われている。 本には良書と悪書の区別があった。
だが今、テレビに「良番組」「悪番組」などの識別をすることはない。あまりにも一過性で、人に判断の余裕を与えないからだ。
この番組はコマーシャルをはさんで、すぐ次の番組に移る。 焼け野原の都市に、本屋の数は少なかった。 古本屋はアリババの
洞窟のような魅力があった。実際本の起源は洞窟から始まっているのだ。 約四万年も前に、柔らかい岩や粘土に刻み込まれた
絵文字によって。人間は自分の考えを他者に伝えたい本能を持つようだ。また同時に人間は、他者の持つ複雑な考えの意味を
理解しようと努力を始め、自分の考えと同化させる努力を始めた。同意・同感するたびに、あるいは異論を抱くたびに、
人間は人間らしくなっていった。その結果、何万年もかけて地球上でたった一種類の珍種哺乳「考える動物」が誕生したのだ。 
この珍種が、絶滅一歩手前にきている。本を失い、その代替としてテレビを与えられ、考えるカを失ったために。 
もうすぐ人間の最大の敵は、再び歴史以前、石器時代と同じように、他の動物、野獣たちに戻る日が来るだろう。 
考えるカがついてからの長い期間、人間の最大の敵は、無論、人間だった。それはお互いに自分の損得を優先して
考えるようになったからだ。それは単に金銭、物質の損得への考えだけではなかった。 何よりも人間は、人間らしい人生を
送ることへの損得を考えた。 短く貴重な一生を、どうすればより実りの多い時間で満たすことができるかの損得を考えた。
   ( 字数制限のためカット 2011年7月11日)
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3019.旅する力ー深夜特急ノートー3
2009年07月11日(土)
旅する力 ー深夜特急ノート ー3
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
 ー第二章 旅の始まりー
* 果たして陸路でロンドンまで行けるのだろうか? 不安を抱えたまま躊躇していた私の背中を押してくれたのは、
  1973年暮れに出た雑誌に載ったある文章の一節だった…。それは井上靖が書いた「アレキサンダーの道」という
  紀行文の連載第一回の文章であった。掲載誌は「文藝春秋」の1974年の一月号である。その冒頭で井上靖は、こう書いていた。
 《昭和48年の5月〜6月にかけて、アフガン、イラン、トルコの主として古代遺跡だけを漁って、自動車で巡った。
  約一万キロくるまに揺られた荒い旅であったが、私にとってはすべてが初めての経験だったので、面白かった。
  一行は、考古学の江上波夫、画家の平山郁夫両氏の他に、長島弘三、・・・などが同行された。これを読んだ時に
 「アフガン、イラン、トルコ」というのは、まさに私が行こうとしているルートそのもの。・・・》
    解)書物を通して、経験者が声が多くの人を動かす。経験の持つ力は、後進の人の力を喚起させる。
     だから一生を通して読書はしなければならないのである。
* 出発に際して、持ち物の「一覧表」を作った。しかし、参考になる例を知らなかったので一人で考えるしかない。
  旅先で新たに買うことも出来るものもあったが、旅先では買うのは極力抑えたい・・・・
  私はリストを作り変えることにしたが、それは無限の引き算をするようなものだった。
  これらをバックにつめ、それを背中に背負い、ショルダーバックを肩にかける。その中味は以下の通りであった。
  ・パスポート ・証明写真 ・トラベラーズ チェック ・現金 ・航空券 ・カメラ
  持っていく本は、最後に三冊に絞った。『星座図鑑』『西南アジアの歴史』、中国詩人選集の『李賀』である。
    解)旅行先では、意外と本を読む余裕はない。 その先々で、じっくりとする余裕があれば、その読書は
     特別な意味を持つはずだ。 経験主義と合理主義の二つの効果が十二分に発揮する。
     金沢の地で大本教の出口王二三郎の本を貪り読んだが、あれは私にとって鳥瞰の視点の一つを
     得た機会になった。 人生は、何がなくとも、その時々の本である。
・・・・・・・・
2654, 結論で読む人生論
2008年07月11日(金)
「結論で読む人生論 ートルストイから江原啓之まで」勢古 浩爾 (著)     ー読書日記
 古今の人生論を批評しながら著者の人生論を展開する本。
著者の「わたしを認めよ」「まれに見るバカ」「この俗物が」を読んだが、非常に軽妙で、自虐的な文章が私の性に合って
面白かった。この人生論も、勢古の人生論批判で、「結局何なんだよ?」という彼の主観が面白い。まずは、アマゾンの内容
紹介文と、まえがき、の一部を紹介して、次からは、それぞれの章の面白そうなところを抜粋しながら、考えてみる。
人生論は、哲学と同じく読まなくてはならない。そこで培われたものが自分の人生の司令塔になるからである。
ーまずは、この本の概要からー
( 字数制限のためカット 2011年7月11日)


4865,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー33

2014年07月10日(木)

    * つれづれに 〜事業を通した「力と、遊びと、学びと、その背後の闇」
 事業を通して多くを学んだ。その一つが金沢でのこと。追込まれ、気持ちが深く沈んでいた時、
内なる声が浮かんできた。「私は、ここに学びに来ている。順調で満足しているより、この事態こそが
学びではないか。こんな惨めな状態は二度と経験はできない。現状がマイナスほど、逆にプラスに
なるはず。そんなことも分からないのか!」と。そこで現象を改め見直すと、全てが違って見えてきた。
逆境は学び、順境は遊びと、割り切ればよいということか。 3年前も、そのことを思い出し、
「こんな経験、二度とない。倒産の当事者に成りきって、今すべきことを一つずつ処理をしろ」の、
内なる声にしたがい冷静?に取組めた。これは、節目時の対処を何度か経験してきたこともある・・ 
それをみていた、月次の経理監査で30年、来社をしていた税理事務所のJさん曰く、
「楽しんでいますね!貴方は現在、何が起き、どういう立場にいるか分かっていない?」と、呆れ顔。
それに「分かっていないのは彼方!」とも言えない。 偽悪的にいえば「これで創業から終わりまで
起承転結の全てを経験できる! これは立上げからの行蔵を持った私の45年の最期の仕上げ!」
の気持ちが、身体も心も自由にしてくれていた。 表立った心は沈んでも、こころ根まで折ることはない。
痩せ我慢としても、冷たい視線?に対し、逆照射をしているしかないが。
 ブラックスワンの長期的対策をしてない中小企業の9割?以上の方々が、その視線で、
面白おかしく中傷している自分の姿が分からないのが、ブラックジョーク。 他人には、隠れた4
5年が見えないし、見ることもない。 学び、遊び、働きと、それらから解き放された自由な心、
の4分類で考えると、人生が鳥瞰して見えてくる。 「学び」を切口にすると、マイナスの出来事が
真逆に見えてくる。「遊び」も同じ、現象そのものを遊べばよい。 失敗も、遊びで括ると、ケセラセラ!
に、思える。 「働き」で括ると、戦略的失敗も、無我夢中だから・・になる。 
全てが意味(価値)づけが可能ということ。 この3つの括りも、宇宙的括りの解き放された
自由な切口で、包み込めばよい。死んで3日もすれば、300年前、死んだのと同じになるのだから。
 人生の鳥瞰は面白い!
・・・・・・
4498, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー1
2013年07月10日(水)           
   * 現役医師の「自然死」のすすめ    『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 以前から、新聞や雑誌などの見出しをみたり、書店で立ち読みをしていた本だが、偶然、図書館の返却コーナーで見つけ、
読んでみて驚いた。現在の医療のありかたを根底から否定している内容である。生殖能力を終えた動物は、延命などの
無駄な努力をしないで自然死をしなさい。その無駄な努力は、医師などによる洗脳によるもの。それも特老施設の配置医が、
長生きしている特老の死を見るにつけ、薬で何とか生き延びた結果の、痴呆老人の目線から、書いているから
考えさせらる。  =まずは、概要の部分を抜粋する=
≪ 医者にも格付けがあって、大學病院の医者が頂点で、旧国立病院や日赤、済生会、県立、市立などの税立病院と続き、
 次が民間の大病院、中小病院の医者で、一番下が町医者といわれる開業医で、老人ホームの医者はさらにその下ですから、
いわばホームレスレベル。ですかから、県立病院の部長であっても、開業した途端に最下位の町医者に転落するわけです。
世間では、「そんな小さな町医者では駄目」というのがふつうなのですから。考えてみれ当然です。・・・
 ・・配置医はホームレスレベルという構図です。その老人ホーム勤勤も12年目に入り、最後まで点滴注射も、酸素吸入も
いっさいしない「自然死」を数百例もみせてもらえる、得がたい体験をしました。病院では、最後まで何かと処置をします。
いや、しなければならないから、「自然死」はありえません。 在宅における死も、ふつうは病院医療を引き継ぎますから、
ほとんど「自然死」はないっていいでしょう。また、医者の方も、何もしないことには耐えられないでしよう。
しかし、それは、穏やかな死を邪魔する行為なのです。ですから、殆んどの医者は「自然死」を知りません。
人間が自然に死んでいくのを、見たことがありません。だから死ぬのにも医療の手助けが必要だなどと、いいだすのです。
「死」という自然の営みは、本心、穏やかで安らかだったはずです。それを、医療が濃厚に関与することで、より悲惨で、
より非人間的なものに変貌させてしまうのです。世の中で、一番の恐がりなのは医者でしょう。それは悲惨な死ばかりを
目のあたりにしてきたせいだと思います。・・・ がんでさえも何の手出しもしなければ痛まず健やかに死んでいきます。
 以前から死ぬならがんに限ると思っていました。近年、年寄りのがんの自然死を70〜80例みて、確信に変わりました。
繁殖を終えた年寄りは「がん死」が一番のお勧め。「手遅れの幸せ」を満喫するには、「がん検診」や「人間ドック」など
受けてはなりません。病院通いが多いのは、医者たちが、「健やかに老いなければなりません」と洗脳してきたせいもあります。
今、年寄に対する、重圧は、かなりのものは、健康食品やサプリメントの売れ行きをみれば分かります。本来、年寄りは、
どこか具合の悪いのが正常なのです。不具合のほとんどは老化からがらみですから、医者にかかって薬を飲んだところで、
すっかりよくなるわけはありません。昔の老人のように、年をとればこんなものと諦めることが必要です。ところが、
「年のせい」諦めようとせず、「老い」を「病」にすり変えます。 なぜなら「老い」は一方通行で、その先には、
「死」がありますが、病気なら回復が期待できますから。人は、生きものである以上、死ぬという運命は免れません。
最先端医療といい、再生医療といい、所詮、「老いて死ぬ」という砕内での話です。年寄りは、あまり近づかない方がいい。≫
 ▼ ‘まえがき’の一部だが、これが概要である。これを読んで、さっそく、『どうせ死ぬなら「がん」がいい』という
  近藤誠と著者・中村仁一の対談集を買ってきた。まだ目を通した段階だが、多くの共通点がある。上記の‘まえがき’
  の内容である。ガンには良性と悪性があって、悪性は、どのみち助からない。それを延命するのが果たして当人に
  良いのだろうかという素朴な疑問がある。裸の王様ではないが、誰が声高に主張するかだった。それを放射医と、
  特老の配置医が公にしたのだから反響は大きいの当然である。この本も特老の医師という視点で、壮年以下の年齢の
  人には当てはまらないが、参考にする部分は多くあるはず。根底から私の先入観を覆す内容である。そういうこと!
・・・・・・
4124, 老後の備え
2012年07月10日(火)
             「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  ー�
  * 老後の備え ーあってもなくても、虚無
 学生時代に社会学を専攻した。社会といえば人間の集団をいう。個々にみれば人間学ということになる。人生とは、
その人間の始まりから終わりまでをいい、老後は最後の2割ぐらいの時期。その備えを人生の半ばの中年期から如何に
準備するかを問うているのが、この本。 その時々に、やるべきことを明確にして全力で生きれば老後の備えなど考える
こともないが、とはいえ、長年かけた準備は必要である。 私の場合、何度も書いているが
、「50歳代の10年間に30年分の人生を生きること」が人生の最終の備えの仕上げであった。
この御陰で60歳になってから、精神的に非常に楽になった。し残したことが少ないという実感は他人に対しても自分に
対しても余裕を持てる。40年近い事業人生は常に最悪の事業破綻の心配が纏わりついてきた。その恐怖感が逆に
リスク管理をさせることになった。 倒産すれば全て失うし、失業保険もないし、退職金もない。まる裸になってしまう。
その危険の海の中でこそ智恵が出てくる。しかし、想定外の事態が起こるのが事業。その事業破綻の備えは人生の備えと
大きく重なる。破綻の備えを事業計画の組立の中に入れておくのは基本である。 私は、第一に「家族は事業に直接
関わりを持たせない」であった。家業と事業の違いは、会社規模に関係なく家族・親戚を事業に関わらせているかどうか。
家業は家業で、それはそれで良い。ただ危険度は高いが、長年かけた備えの知恵がある。家内の実家を見ていると、
つくづく感じる。何があっても生き延びる体質がある。長年かけた老後の備えに、日記帳的記録を書き続けることがある。
私の場合、このブログ。大きな挫折で虚無に陥りそうな気持ちを何とか支えてくれている。 この著書は、
「老後に後悔しない10の備え」を勧めているが、老後に至った現在、「今から」より、「今更」の内容。
 行蔵の中身の質量を高めておけば、それが老後に生きてくる。 それぞれの人の視界にみえる地平線内の景色は、
その人だけのもの。 目先の生活の心配をしないで済む余裕があれば良いが、時代が時代で一寸先は闇である。
その中にあって、孤独に耐えらる教養と趣味。この二つをベースとした構えを中年から本気になって構築すべきである。 
ところで、老後という言葉。死ぬまで、その人に纏わりつく不安の化け物にも思える。それは還暦から20年以上も
生きなければならない分、大きくなっていく。人生は何とかなるもの。何ともならない時は、自分は無になっている。
だから「いま・ここ」で、精一杯生きるしかない。ただそれだけ。
・・・・・・
3758, ユング ー 1
2011年07月10日(日)
 < ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� >
15〜6年前に、この本を買って読んだ時の衝撃は現在も残っている。それ以前にスェーデン・ボルグの
霊に関する本を読んだことがあったが、この序文からして、一挙に著者によって、「ユング」の異様な世界に引き込まれてしまった。
6年ほど前に、文芸春秋の誌面で立花隆が、「ユング」について、書いた時、ここで取り上げた。 ユングといえば、
超常現象と霊について、心理学者として真正面から向き合った人である。それでフロイトと袂を分かった。
 日本では河合隼雄と秋山さと子が、ユング研究で知られている。また江戸時代に明恵という坊様が、夢世界の著書を書いている。
著者のコリン・ウィルソンは、これまた面白い人物で、「アウトサイダー」以来一貫して、「現代人の精神の貧困を問題視し、
その原因と克服の道は何か」を問い続けてきた人物。この著書は、序文から終わりまで、息をつかせないぐらい濃い。 オカルト、
共時性(意味ある偶然の一致)、能動的想像など、ユングの神秘的側面を明快に説いている。この本を読み返したと同時に、連日、
不思議な夢を見ている。私の人生の節目時に、ユング心理学を通して自分を振り返るに丁度良い機会と、怖いが、オカルト世界を再度、
覗いてみたい。一笑にふすなら簡単だが、この世界は踏み込んだものしか知ることが出来ない。この10年哲学を独学してきたので、
オカルト世界を探索し戻ってくる命綱(哲学が)と気休めもある。ユングは、内面の対話を重視した心理学者。ソクラテスの対話法にも
影響され、患者との対話と、バランスを重視した。「汝自信を知れ」を潜在意識に求め、それまで科学者がタブーにしてきたオカルト
世界の神秘世界に正門から入っていった。ユング関係の本を数冊、目を通しため、毎日、明らかに潜在意識の地下世界の夢を見ている。
この手の世界は自分の内面の意識下の何かを刺激する。 以前から、ここでも書いているが、人より強い?霊感が私にある。
ネット世界になってから、この手の話題は静まった。 直感、霊感より、ネットによる認知が強くなったのでは?と思われる。
 何が今さらユングだが、それでもユングはユングである。それで何を知ることが出来る? 宇宙の外のXとやらを何でもよいから、
ネットで公開したら良いではないか。神秘主義など、情報不足のなせる技。で、終わってしまう。 
・・・・・・
3393, 閑話小題
2010年07月10日(土)
  * お金の恐ろしさ
 金の持つ威力、魔力は今さら言うに及ばない。では、その恐ろしさを本当に知っているかというと疑問?
その魔力の金を金融工学で創りあげ、破壊したのがアメリカである。 金があれば世界の9割が自由になるし、
無ければ今日明日の飯の心配をしなかればならない。 1万円を持って千円の買い物をするのと、1千円を持って
1千円の買い物をするとでは気持ちの余裕が違う。 身近で金にまつわる人間模様を見ていると、その恐ろしさを実感する。
親戚が親からの相続で大金が入ったところが、人相と着ているものが様変わをした。環境=条件が人をつくる典型的事例である。
逆の話しは幾らでもある。 だから、その恐ろしさを充分に知り尽くさないと・・・・
  * 再びユーチュウブについて考えてみる!
(字数の関係で中間カット2012年7月10日)
  * 不機嫌とイライラ
 歳をとるとともに人間は円熟していくと青年期までは思っていた。ところが社会に出て、仕事を通してみる年寄りは
機嫌の悪い偏屈の人の方が多いことに気づいた。 30年前から駅前で事業を始めて出あった老人の何割かは、明らかに不機嫌と
イライラの塊のような人が多いという事実がある。 しかし今度は自分が60歳を過ぎた辺りから、イライラが多くなってきた。 
それは肉体の老化の上に、精神の老化もある。あの出会ったイライラした老人の不快を自分が、その歳になって始めて気づいたのである。 
なるほど人生は60歳までと曽野綾子が述べていたが、その一端が分かってきた。それと社会は年寄り向きには出来ていない。 
円熟なんぞは、年寄り仲間でしか通用しないのも、道理である。むしろ不機嫌、イライラは避けることの出来ない事態と割り切って、
人に見せないようにカモフラージュすべきである。 自分もそうであるように、同年代の知人も老化現象が起こっている。 
他人から聞いた片耳で喧嘩を仕掛けてくる、それを、待ってましたとばかり受けて立つ、というような老化現象を自分にみる。 
 先のことを考えられなくなると、過去の経験がフラッシュのように思い浮かぶ。 40年前のことを思い出して独り怒ってみたり、
ニヤニヤしたり、年老いた幼児である。これが高じると痴呆症ということか。 晩年は、冬景色ということか。
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018, 旅する力 ー深夜特急ノート ー2
2009年07月10日(金)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    読書日記
第一章 旅という病
 * スタインべックの『チャーリーとの旅』には、
  子供のころ、たまらなく何処かに行きたくなると、大人は私に「大きくなれば、そんなにむずむずしなくなるよ」といったものだ。
  年齢から見て大人の歳になると、中年になれば収まる、と言われたものだ。いざ中年になると、今度は「もっと歳になれば、
  その病は治るよ」といわれた。 いま58歳だが、これだけ歳をとれば大丈夫のはずだが、いっこうになおらない。
   解)年齢ごとに行きたくなる場所が変わっていく。だから、その歳ごとに行けるところに行くのが理想的。
    時間の隙間を見つけ強引に行くしかない。定年後に行こうとしても、限界がある。準備を充分してもだ。
 * もし旅が病だとすれば、私がそれに冒されたのはいつのことだったのだろう。ひとり電車に乗って行った
  あの旅においてだったのだろうか……。その小さな旅がすべての始まりだったかもしれない。
  「最初のひとり旅はたった一日で逃げ帰ることになった」 中学生の時、伊豆・大島の三原山を登る途中、
  テントを張っている若い男性から「泊まるところが決まっていなかったら泊まってもいいよ」と声をかけられ、
  泊めてもらうつもりだったが、犯罪者ではないのかとの疑問が恐怖に変わり、山を下りるとそのまま東京に戻ってしまった。
  「たくさんの経験を積んだ今なら、その男性を冷静に判断しただろうが、その時は、誰かが親切にしてくれた場合、
  それがどういうことなのかを判断する力量がなかった」
 解)私の旅の病は《学生時代の30日間の欧州旅行であった。》 自分を取り囲んでいた殻が、大きくヒビが入り、
   半年間は放心状態であった。 日が経つほど、ヒビの割れ目が大きくなっていくのが分かった。その翌年に、北海道の一人旅や、
   そして九州、紀州、能登と一人旅をした。一人旅は、一歩踏み出せば気楽で良いことを、その体験上知ったが、世界に出て行く
   器量はなかった。   もし可能性があるとしたら、20代までだろう。 私の場合は。 あの21歳の時の旅行は、
   私の人生を大きく変えた。 今から考えてみると、
    ・世界は広いこと 
    ・人間も社会も普遍的な部分と異質の部分の両面を持っていること
    ・自分の目線は、多くの世界の目線の一つでしかないこと、この三つを二十代の経験から知ったのである
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653, サッカーやオリンピックで、何故ひとは熱狂するのか
2008年07月10日(木)
  あまりサッカーの歴史のない日本人が、欧州や南米のサッカーの盛り上がりに、「何故あそこまで熱狂するのか?」
 戸惑うことが度々ある。人種間や、国家間の代理戦争?とは気づいてはいたが、ある本にその辺の事情が詳しく書いてあった。
 巨人阪神戦が盛り上がるのは、関東人対関西人の、特に関西人のコンプレックスのハケグチということか。


4864,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー32

2014年07月09日(水)

   * ホテルと学生ショップのオープン
 ホテル一角の学生ショップは、メーカー社長と新潟市内の販売権の移動も話が
ついていた。更にペガサスの立地セミナーで確実に値上するはずのバイパスと
生活道路のクロスしたポイント箇所を把握、長岡郊外の二つの更地を購入していた。
それが数年で倍近くに値上がりをしていた(税制の関係で5年後売却)。 
千葉・千城台ビルの売却資金が、次期計画の基礎資金を予定。 
後で気づいたが、この二ヶ所こそが、郊外型ビジネスホテルの立地。それを薄々
気づきながら売却したのが、私の限界。当時、郊外型ホテルに取り組んでいたら、
数十棟のホテルチェーン展開が可能だった。しかし、リーマンショックで、
これも間違いなく壊滅の道を歩んでいたから同じ! 
現に郊外型ホテルのルートインとαー1が、現在、苦境に陥っている。
 振り返ると、節目の時々こそ、アップスケール(脱皮)の機会があった。
予定挫折で節目を自ら作り、転進した時にチャンスが生まれていた。
 そこで、孤独、孤立に自らを置いた第一歩からから、創業が始まる!
決断をして、大風呂敷を広げ、行動を起こしてしまえば、もう後には引けない。
しかし今度こそ、白紙である。目先の問題は、経営計画書の作成と、ホテルの設計と、
千葉・千城台ビルの売却。それと、有り余った手持時間を使った「宅建資格試験」の
セミナー通い、から出発。
 フロントやベッドメイクなどホテル業務など何も知らないため、ただ呆然自失。
そこで考えたのが、ホテルの一括の運営委託。その場に立てばこそ、知りえたこと。
最終的には、ビルメンテと、ベッドメイクだけにして見積もりを4社に取ったところ、
開けてビックリ玉手箱! 47万、140万、240万、320万である。詳細を見ても同じ。
何で、これだけの差が? とんでもない世界に自分が飛び込んでしまったことを
改めて実感した一現象である。最終的に、これにフロントの夜間委託を加えた。
 そして片腕の人材だが、これが、帯に短し、襷に長しで、見つからない。 
最後の最後に、リクルート本社の中途採用部門を通して、マネジャーを採用することになった。
 その他の学生服ショップとフロント要員は、中途採用と新卒を6人を採用した。 
オープン前に、何日か研修したが、寄せ集めのため、バラバラで手ごわい相手。
その上に学生ショップのオープンでは、学生服メーカーの思うまま、なすがまま。 
相手は、既成の組織がある上、内装費の一千万円近くを出させてのだから、耐えるしかない。 
 次は、付属のレストランである。そこで、コーヒー卸「Sコーヒー」の営業担当に相談すると
『任せてください!そんな難しくはないですよ。一人、面白い男を紹介するので、任せれば良いですよ!』
で、開業直前に本人が乗込んできて無事にオープン。 そこで飲食業界の一種独特の世界を知る!
ホテルなど、よくぞやったもの! 全てが綱渡りで、赤裸々の自分が露出するが、それこそが
己を導いてくれる。 咽喉過ぎれば熱さ忘れるから人は生きていける!
・・・・・・・
4497, 怒らないって本当は恐い! ー12
2013年07月09日(火)                      
   * 怒らない作法        『怒りの作法』小川仁志著
 矛盾しているようだが、ここで「怒らないという方法」について言及している。
≪ 怒らなくても問題が解決する時に、あえて怒る必要がない。その場合、静観する勇気も必要で、淡々と処理をする。 
相手が怒っている場合、特に注意すべき。ネガティブの人、卑小な人を相手にすると、同じレベルまで落ちる危険がある。
 ニーチェは、他人の成功を妬んだり、自身の弱さを他人への復讐心に変えていくような人間を「ハエ」と表現、そこで
「そんなハエを叩いて人生を過ごしてはいけない」と警鐘をならす。もう一つ、人間が一人考え行動できることに限界がある。
そういう限界に謙虚になるのも必要なこと。怒って解決できる物事ばかりでない、気が熟するの待つことも必要である。
その間に、知恵を増やすか、仲間を増やし、力を増やしてから、改めて怒れば良い。その意味で、信長型ではいけません。
待つという意味では秀吉型でも足りない、家康型でなければいけません。・・・≫
 ▼ 一連の事業撤退のプロセスで、地方経済の惨状認識の実感と周囲の段差に驚き、怒りさえ感じた。
  商売柄、津波の到来が早い立ち位置にあっただけだが。 ニーチェは、「ハエ」と表現したが、私は「シラミ」である。
 そういう私もシラミだが、ただシラミを自覚している。いや自覚できないのがシラミだから? 私は?・・ 
 だから、そろそろ気持ちに余裕が出来て、改めて見渡すと、危険度が増しているのが分かる。民主党も酷いが、自民党も酷い。
 あの戦犯の二人が首相と副首相になり、更に悪い間違いをしようとしている。その付けを支払うのは国民である。
 その自民党に国民が多く支持いているのだから。 確かに政治的にみて憲法改革は必要。 甘い餌で釣ることもありだが。
 怒るには覚悟がいるが、怒らないことにも覚悟がいる。 その場をともかく遣り過し、タイムラグを置く。
 そのため「シラミ」と頭の中で繰り返す。これが一番、効果があるが、「三ヶ月に一度は、嫌なことはあるもの」と覚悟。
 まあ、面白いもので慣れ。シラミ、ハエは事実は事実であると確信すると割り切れる。「娑婆娑婆」である。
 その意味で、この経験は私の人生の物語にとって必然だったことになる。 受け止め方の問題でしかないが・・・
・・・・・・
4123, 予言の書「日本の自殺」 ー11
2012年07月09日(月)
   * 戦後民主主義の弊害
  アメリカに与えられた擬似民主主義を、現在でも大事に守っている府ぬけた日本も、ここまでくると呆れ果ててしまう。
 まずは憲法改正と、原爆所持は最低条件である。そして海洋国家として空母を7〜8艘の配備をすべきである。決して極右的発想でない。
 中国と北朝鮮が隣接して隙を伺っている現実が、その必要性を求めている。この国民では無理だろうが・・・
  ー 次の箇所が正しく疑似民主主義の徴候を書き出している。所詮は、アメリカに充てがわれた民主主義国家。
【 平等主義のイデオロギーに限らず、「戦後民主主義」という名の疑似民主主義のイデオロギーは、すべて現代1975年時の日本の
 「自殺のイデオロギー」として機能している。それをわれわれが疑似民主主義と呼ぶ理由は、それが民主主義本来のあり方とは似て非なる
 ものだからである。それは混沌とした意識にとっては確かに民主主義と大変類似したものに見えるかも知れないが、決定的に重要な
 いくつかの本質点において、本来の民主主義とは明確に異質のものだからである。
 〜疑似民主主義は次のような幾つかの特徴を持っている。病理診断の言葉を使うならば、これを疑似民主主義の徴候群と呼んでもよい。
* 疑似民主主義の第一徴候群は、その非科学的性格である。疑似民主主義は、イデオロギー上の独断的命題の無批判的受容から出発する。 
  そのドグマに従って行動するなら、必ずや全人類の解放が実現され、一切の社会問題が完全な解決をみるであろうと、そのイデオロギー
  は主張する。その命題は唯一、絶対的なものであり、完全で、誤りなきものである。問題の鍵は、どれだけ多くの大衆が、どれだけ強く、
  また熱烈にこの福音を信ずるかにかかっている。 「信ぜよ。さらば救われん」なのである。
* 疑似民主主義の第二徴候群は、その画一的、一元的、全体主義的性向である。多数決原理の誤った認識の仕方に端的に示されている。 
  疑似民主主義は本来、多元主義のための一時的、かつ極めて限定された調整のための手段、便法として工夫された多数決を、一元主義、
  画一主義、全体主義のための武器に巧妙に転用するのである。 多様なものの見方の存在を否認する方向で作用することになる。
* 疑似民主主義の第三徴候群とは、権利の一面的強調の仕方にある。 疑似民主主義にとっては、義務も責任もどうでもよいことである。
  できるだけ権利、権利と主張し、取れるだけのものは取り、しかも義務と責任はできる限り拒絶する。
* 疑似民主主義の第四徴候群とは、批判と反対のみで、建設的な提案能力に著しく欠けるということである。
  個人や社会のアラ捜しをすることは、易しいが、問題解決の提案は骨の折れることであり、責任も生じる。
* 疑似民主主義の第五徴候群とは、エリート否定、大衆迎合的な性格である。真の民主主義はエリートやリーダーシップを否定する
  ものでないばかりか、それに重い責任を課するものである。専門家を否定し、リーダーシップを否定するなら、その結果として、
  どうしようもない衆愚政治の泥沼に落ち込んでいくほかない。
* 疑似民主主義の第六徴候群とは、コスト的観点の欠如である。 疑似民主主義は、その権利主張の一面的性格、提案能力の欠如、
  大衆迎合主義などから、大衆の気に入りそうなことを並べたてるだけで、その制約条件を覆いかくそうとする。
  こうした偽善的なポーズで、大衆の人気取りをしている限り、国家は破産し、社会は滅亡するしかないのである。 】
▼ 以上の懸念のとおり、これらの症候に冒された隠れ社会主義政党が与党になった結果、収入の二倍の国家予算を組み、
 動きが取れない事態をつくっても平然としている。それも国民が擬似民主主義の徴候群におかされた結果だが、それにしても酷い。
・・・・・・・       
3757, 下流の宴
2011年07月09日(土)
 NHKで「下流の宴」という面白そうな連続ドラマをあったが、見るほどでないと見過ごしていた。
しかし、先日の夕方に二回分の再放送を見て、そのシビアの内容に苦笑してしまった。エリート・サラリーマンの母親(医者の娘)の
息子が中卒でフリーター。 何とか受験校に心を入れ替えてチャレンジさせたいのに、その彼女が、母親の目には下流家庭の娘。
 その娘に、「私は医者の娘、旦那も一流会社勤め。貴女のような家庭とは身分が違うのです」と言い放つ。しかし、その旦那は、
リストラ対象で自分たちも下流に?なろうとしている、で・・・侮辱を受けた娘は、「私が医大に入学すれば、結婚を許してくれますか?」
というところで、終わった。しかし、これはあくまでドラマでしかない。小中学校の基礎が出来てない人が、猛勉強で今さら! が現実。
 私の一番上の姉が、その母親に考え方がそっくり。婿取り娘で、長岡社交界が彼女の庭。彼女が意識している庭の住人は、上流だとは
当時も、現在も私には思えないから喜劇にしかみえない。もちろん、その人たちは上・中流など全く意識にはない。
自分のことを一番知っている? しかし学歴と学力のない姉は付き合いを、その庭の人たちに絞り、見栄に全てを入れていた。
(字数の関係上カット、2012年07月09日)
 ・・・・・・・
3392, 911・考えない・日本人  ー8
2010年07月09日(金)
             「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 著者の哲学についての解釈が書いてある。自身の言葉だからこそ、納得する。
特に「哲学することの要点は、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。」は、分かりやすい。
  = 哲学とは =    (P−217)
* 科学のように進歩発展があるものではなく、その確実性を求めるものでもなく、人間が共に語り合って確認しあう過程のこと。
* 哲学とは、人間が「目覚める」ための試みである。
* どんな人間でも、自分が人間であることを意識し、自分の運命や経験を意識すれば、誰でも参加できるものが哲学。
* 哲学は、誰でも、人間である限り手にすることができるものである。
 ただし、他人に教えてもらって覚えるものではなく、自分自身でトライするものである。
* 哲学は真理を自分のものにすることが目的ではなく、それを求める過程のことである。
* 哲学は人間同士の交わりである。
* 哲学は自分が人間となるために現実と関係を持ち、その現実に集中することである。
* 哲学の根源は、人間が森羅万象に持つ驚きと疑いから発するものである。徹底的な疑いが心の中に起きていない限り、
 哲学することは不可能である。
* 哲学の起源はそれぞれの人間が、自分自身の弱さと無力さを認めることであった。その自分のカの及ばないことを
 無関係だと思い、無関心になるならば、人間は哲学を失い、非人間化する。
* 世界の存在は頼りないものであり、信じられないことに満ちている。それらに疑問を持ち、考えない限り人間は人間の価値を失う。
* 人間が人間同士助け合う動物だという考え方は欺瞞であり、常に人間は孤独であり、平和には常に限界がある。
 故にどんな場合でも人間は自分独りで自分にとって確実なことを見出さなければならない。それが哲学することである。
* 人間が自分の挫折をどのように経験するかということが、その人間を決定する要点
* その個人的な困難と困惑の中から、目標を探り出すことが哲学である。
* 哲学することの要点は、次のようものである。すなわち、驚異と認識、懐疑と確実性、自己喪失と自己発見。
  〜〜
独りで血の滲むように考えてきたことが、上記のことから読み取れることが出来る。多彩な経験と挫折が豊富?にあるからだ。
人間は考えるからこそ、人間の人間たる所以である。より多く世界を見て、より多く考え、感動すること!それが哲学につながる。
 ・・・・・・・・
3017, 閑話小題
2009年07月09日(木)
 * 中国のウィグル地区の暴動について
    (字数の関係上カット、2008年07月09日)
 ・・・・・・・・・
2652, 人間、互いに理解不可能なのは、如何して?
 2008年07月09日(水)
ある哲学書(*ー参照)の中に、何故人は互いに理解不可能なのかを分解していた。。
長男がUターンで帰ってきて、再就職のことなど、節目ということもあり、話を始めるが全く互いに通じない。
それでいて、居酒屋などに誘うと親子三人が仲の良い家族になる。 そのことを、知人に話したところ、
 ・一人は、「親子で対話など有り得ないこと、会話さえないのが実情だろう。親子であるのは、ただ説得だけ」。 
 ・そしていま一人は、「私の息子は三十半ばになるが、今まで会話さえ殆どしたことがない、
  最近になって上京した時に ご馳走をしてくれと、電話がきだした。会話さえ、していること自体で充分」。
 そういうものか?と、思いつつ、それでも何とか成らないものかと思っていた矢先、わかりやすい道理に出くわした。 
                  <*?(哲学ワンダーランド・貫成人著)第一章の?「話せばわかる」1?3)>
ーまずは、その部分を書き出してみる。
  ーひとは誰でも、自分の「地平」に束縛されているー
二十世紀ドイッの哲学者ハンス・ゲオルク・ガダマー(1900?2002年)は、‘理解しえないものをいかに理解可能にするか’ 
をきわめる「解釈学」を構想した。かれによれば、人々がお互い理解不可能なのは各自が持っている「地平」が異なるからである。
たとえば、物置から古い掛け軸がでてきたとしよう。その値打ちを判断するには相当の経験と知識を必要とする。
それに、そもそもそのようなものに価値があると考えていなければ、その価値を判定しようとも思わない。
実際、古いものには価値がないと思われていた明治初年には、貴重な文物が安値で買いたたかれて海外に流出した。
およそ何かを判断するときには、一定の知識や価値に頼らざるをえない。そのような判断や価値付けの拠り所となるものを
ガダマーは「地平」とよぶ。大海原や砂漠に立ったときに三六〇度ぐるりを水平線、地平線が取り囲む。「地平」とは、
地平線の内側、自分が立っている足下とは逆に、地平があればこそ、その中にある何かを認識することができる。
もちろん、今わたしが位置する地平の外側にある対象も、わたしが移動すれば見えるようになる。
しかし、そのとき地平もわたしと一緒に移動しており、したがってその対象が地平の内部にあることには代わりはない。
物置から出てきた掛け軸の場合、この地平にあたるのは、骨董品を貴重とする価値観、その値打ちを判定するための経験、知識だ。
一定の価値観や知識があればこそ、古びた品物をそのまま捨ててしまうのではなく、目をとめ、値打ちを判定することができる。
あらたな経験を積み、地平が移動し、拡大すれば、これまでわからなかったものの値打ちもわかるようになるだろう。肝心なことは、
自分の足下にある地平を通常、ひとは意識しないということである。自分にどれだけの経験があるのか、どのような価値基準をもって
いるのかのリストをもっている人は誰もいない。いつの間にか身につけた価値観や経験に応じて、ひとは、その場の諸問題に対処する。
その結果、各人は、自分でも気づかないまま自分の地平に束縛されている。 なにしろ、自分がどのような価値観や経験を
持っているかを客観視する方途はないのである。 しかも、このように地平に幽閉された状態であるかぎり、
それぞれは自分がそれまでに身につけた価値観や経験から、身の回りのすべてのもの、したがって他人をも判断するしかない。
もし、相手が自分とは異なる地平に立っていれば、その相手の言うことや、やることはまるで理解の範囲外ということになる。
古物に意味を認めない人物には、物置の掛け軸を二束三文で売ってはいけないという人物の言うことは理解できないのである。
では、この状況が変わることはありえないのだろうか。自分とは異なる他者を理解しうるためには、各人が「心を開いて」
いなければならないとガダマーは言う。他人の言葉や行為をすべて自分の地平の枠内で処理しているかぎり、そもそも
【自分とは異なるものがいる】ということ自体に気づくことはない。けれども、何かのきっかけで、自分が何らかの地平に
とらわれていることに気づくときがある。そのときはじめて、ひとは自分の地平を対象化し、相対化するだろう。そして、
それまで自分がとらわれていたのとは別の地平もありうるということに気づくことになる。 官僚出身者特有の話し方をしていた
政治家も、落選が続けば、土地の人たちの言葉でしゃぺり、かつ、自分の意見を伝えることができるようになるだろう。  
▼ 他人から理解してもらえないという嘆きほど、バカバカしいことは以上からみても解るだろう。
 一人の人間を理解するなど、到底不可能でである。自分でさえ理解できないのに。ただ馬鹿なオッサンだけは解るが! 


4863,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー31 

2014年07月08日(火)

   * 都銀支店長の全面協力が、出発第一歩!  〜後半編へ
 時は、1980年3月1日。都銀・営業のTさん(兄と私の嫁を世話をした恩人)の上司である支店長が、
私に面会したいという連絡が入っていた。当日、本店の朝礼で辞任挨拶をした足で銀行に行った
応接室で、辞めるについての経過と、今後の事業計画を述べたが、それを黙って聞いていた支店長が
おもむろに、『現状のままでのホテル計画なら賛成できないが、貴方が会社を辞め、以前に手がけた
千葉のビルを売却して始めるのは筋が通っている。 当行とし今後の資金計画の全てを面倒を
みます! まず千葉の貸ビル売却からですね!』と。
金融の知識や、長期資金調達方法が皆無の私にとって、渡りに舟の信じられない言葉! 
小説のような話である。何ごとも、実績? 直前に辞任の挨拶をしてきた帰りに、次の事業計画の
最大の理解者を得て、最大課題の解決の糸口を得たとになる。 その間、僅か一時間。幸先良い
出発になった。地銀の役員クラスでは、無理! 今の私が都銀の支店長なら全面協力をするが・・ 
地方豪族化した彼らでは?  それもあり、今回の私の結末は、地方豪族システムの価値観で
染まった地元権力の残存者には最高の物語? 
あと一つ、現在も酒友だが、当時の相互銀行の計算センターの部長が、そこの契約コンサルタントの
W先生が、私の事業計画を聞きたいという。そこで、ありのままを話すと「この事業計画は間違いない
でしょう!」の、お墨付き。私にすれば15年間の捨身の計画だが、誰も、それを知らない。
もし都銀の支店長の全面協力が無かったら、その経営コンサルタントと契約することになった? 
その後、姉夫婦の倒産の後始末と、義父の会社の不動産トラブル解決をして貰うことになったが・・ 
既に20数年前に亡くなった。
・その前の節目は、産地の大手問屋の全面協力と、暖冬で暴落した冬物で大当て、波に乗せた。 
・千城台ビルの二店舗は、商社のS氏が面倒を見てくれた。 
・その前のジャスコ辞任後の産能大時代では、千葉の新興住宅地の中央四つ角商業地の
 売出し記事をみて応募、抽選で当選、次へのステップになっていた。
・今回は、都銀支店長が全面協力の約束。 
節目節目で、何もかもがプラスに働いたのも、右上りの時代に捨身で挑んだため。
どれも紙一重で、思わぬ因縁がプラスに導いた。捨身で、全力で節目に挑めばこそである。
・・・・・
4496,怒らないって本当は恐い! ー11
2013年07月08日(月)              
   * 怒りへの反発を覚悟し、耐えて生きる      『怒りの作法』小川仁志著
 怒りっぽい私は、常に反発されてきたが、それぞれの問題の中心点を凝視、考えることで何とか
乗り越えてきた。考え続けると、いつの間にか、その答えが導き出されてくる。だから、この「怒りの
精神論」が身にしみる。
  ーその辺りからー
≪ まずは怒りの精神論。 怒りは強いメッセージを発する。当然、それに対する共感と反発が
出てくる。そのメッセージが強いほど異論が噴出するのは必至。それを予め承知した上で怒る
必要がある。その覚悟がないと、大きは精神的打撃を受けたり、怒りに臆病になってしまう。
だから怒りには覚悟と準備が必要になる。覚悟とは予め事の困難さを了解し、受け止める心構え。
それはある種の決断といってよい。決断なしに闇雲に怒ると、後で後悔することになる。
怒るべき時に、決断して怒らないとチャンスを逸してしまう。怒りは一日24時間の中の例外事項で、
怒るべき時に怒る一瞬の決断が必要ということ。 ひとたび怒ると決断するには、どんな反発が
来るか、どう対処すべきかを想定しておかなければならない。
 反発には、積極的に否定してくるのと、消極的に無視してくるのがある。
特に積極的に否定してくるのは厄介である。そこで重要なことは、反発を予め予測して、
その際の自分の出方を決めておくこと。それさえしておけば、対処が数分の一で済ますことができる。
そのためには経験の積み重ねが必要だが。 心の準備が出来ていたとしてもへこむのが人情。 
そこに心の強さが必要となる。 そのために自分の主張が正しくなければならない。
正しければ、怒りは無駄にはならない。 この国では、怒りは仏教文化の影響もあって
マイノリティに捉えられがちである。そして、孤立をしてしまう。心の強さとは孤独の強さをいう。 
岡本太郎は、「孤独ということは絶対に社会的だ。孤独者とは肉体的にも精神的にも、
他からの制約を誰よりも鋭く感じ、それに傷つきながら、なおも絶望的に挑む人間である」と言っている。
誰からも理解されなくとも、それでも挑み続ける人間を孤独者と捉えている。
 孤独とは怒りと深く結びついていて、それらがともに創作の根源になっている。・・・ ≫
 ▼ 怒りを表出するには覚悟がいる。その場で怒るか、タイムラグを置くか。過去の怒りが、
 数十年の時を超えて、蘇ることが、最近ちなみに多くなってきた。50歳位までは過去を振り
返らないようにしてきた。しかし、還暦を過ぎた頃から、思わぬ記憶がフラッシュバックすることが
多くなってきた。「遠き日は 年とるごとに 近くなり」である。
 それもマイナーの怒りの記憶が多く占める。それにしても己の無知蒙昧には独り怒った後に
自嘲することになる。過去は決して消えてなく記憶の奥に刻印されている。だから、老いて
心身が緩むと過去の封印された記憶が、あちこちから飛び出してくる。
 それも面白いが・・ 過去は現在の記憶でしかない。そこに脚色も嘘も加わり、
その都度、書き変えられ、違ったものになる。
・・・・・・
4122, 閑話小題ーつれづれに世相
2012年07月08日(日)
   * つれづれに  
 激変する世界と日本の渦中で、一戦を退いた立場で鳥瞰している毎日が刺激的である。情報化社会の本格的到来で
情報はネットから簡単に手に入る。世界は既に恐慌突入か、その一歩手前で一年先の経済見通しは全く見当がつかない事態。
10年前に現在の事態を誰が想像しただろうか。 80年前の世界恐慌より遥かに大きい恐慌前夜というが、実際のところ
起こってみないと分からない。しかし、ただ事でないことは確か。こういうカオスの中では、軍事力しか頼ることが出来ない。
それも原爆の保持が前提である。この国は被爆国という建前で、保持をしないという国是?がある。 しかい世界の常識は、
この国では通じない。 目先の世界恐慌は避けて通ることは出来ないことは誰の目にも明らか。 20G会議も、目先の
対処療法しか対策がたてられない。 不安を煽るようなことばかり書いているが、リーマンショックは起こってしまった。 
その原因となった不良債権が世界中の銀行、政府、企業の金庫に塩漬けで置かれている。それが債権市場か、株式市場で暴落が
起こった時に、表立ってくる。その火薬庫に火の手が近づいている。ロンドンオリンピックも、この状況の中では盛り上がらない。
数ヶ月ぶりにいった居酒屋の主人の話では、長岡の飲み屋街は、惨憺たるもの。これも20年近く言われ続けてきたことだが、
他に働き場が無い上に、一日一日を生き抜いているだけ、という何時もの悲鳴に似た愚痴。歳が歳だけに、行き先は死だけと真顔。
 前の事業の整理も終わって身軽になり、身体が浮いたみたいに気軽だが、日ごと何か気が抜けていく。リーマンショック以来の
経営危機の立場から解放された分、逆に身辺が見えてくる。世間的価値観を割り切ってしまえば、けっこう面白いことに満ちている。
しかし実際のところ明日、死ぬかもしれない舟板一枚下は地獄もある。それが人生。天国も地獄も、娑婆にありということか。
何はあれ後悔はないし、ほどほど満足している。自主独立を貫けたのが最大の収穫?最後は自問自答で自分を説得するしかないか。
 ・・・・・・
3756, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」� −20
2011年07月08日(金)
     ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
  * 楽器編成の基本は、ビッグバンドにあり!  ーP・60
【 ビッグ・パンドにはそれこそ膨大な組合せがあるが、思い切って要約してしまえば、ジャズの入門者には次の三つを覚えれば十分だろう。
それは「ビッグ・バンド」「スモール・コンポ」「ビアノ・トリオ」の三バターン。そしてこの三形態も、基本はビッグ・バンドにあるので、
まずこれを見ていこう。ビッグ・バンドの土台を支えているのはリズム・セクション。 リズム・セクションというのは、ピアノ、べース、
ドラムスそしてギターから成っている。なぜこれらの楽器をリズム・セッションと呼ぶかと言えば、ジャズの要のリズムを提供するからだ。
だがベースとドラムスは先ほどの説明から分かるとしでも、初めての人は、ピアノとギターがリズム楽器というところがわかりにくいかも。
 クラシックでは、ピアノは、オーケストラをバックに従えたピアノ協奏曲を例に出すまでもなく華麗な主役であり、ロック・ファンにとって、
もちろんギター・ソロが目玉になっている。しかしロックでもサイド・ギターが渋くリズムをカットしているようにジャズのビッグ・バンドも、
ギターはコードを掻き鳴らしつつリズムを提供している。そしてピアノもまったく同じことをやっているのだ。そしてそのコード・サウンドを
押さえたリズム・セクションに乗って、ビッグ・バンドの花形楽器ホーン・セクションがバンド・サウンドを吹き鳴らす。
ホーン・セクションというのは、おのおの数名からなるトランペット、サックス類、トロンボーンのことを指し、これにサックスを受け持つ
ミュージシャンが適宜楽器を持ち替えて、たとえばフルートなどを吹いたりする。またスイング時代のバンドでは、ベニー・グッドマン・バンド
のようにクラリネットが加わることが多かった。】
 ▼ ビッグ・バンドの楽器編成を基として、ピアノ、ベース、ドラムス、ギターがリズム・セッションの基本。
  ジャズファンの、まず初め憶える第一歩である。 そこからピッグ・アップしたのが、スモール・コンポとなる。
  トランペットはジャズの花形だが、リズム・セッションにならない。
  * ジャズの花形楽器、トランペット
【 ジャズの歴史のところで、サッチモの吹いたトランペットの親戚のような楽器としてコルネットが、1920年代は主役だった。
しかしモダン期以降は逆転して、ほとんどがトランペットに変わっていった。トランペットはジャズを代表する楽器といって過言でない。
よく通る高音域と華やかな音色の輝きが、ジャズのダイナミックな特質と一致しているからだろう。実際ルイ・アームストロングを
はじめ、一時代を築くようなミュージシャンにはトランペッターが多い。代表例はマイルス・デーヴィス、クリフォード・ブラウン、
そしてリー・モーガンだろう。】
 ▼ トランペットが主流なら、トランペットが聞こえたら、モダン・ジャズとみてよい?
  ・・・・・・・
3391, 911・考えない・日本人  ー7
2010年07月08日(木)
   「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 陽気なロボットが、日本人の原型    (P−192)
≪ 三歳児以下の日本人。自分を客観視するアイの代名詞を持たず、他者を客観視するユーを持たず、故に内言語が生まれず、
故に反省意識が生まれない。故に知性が育たない。故にその近代史は「突き当たり」の連続だった。故に人類で唯一無二の
原子爆弾被爆経験民族の栄に輝いた。「過ちは繰り返しません」と、善のアメリカに原爆を頂いた悪の日本人は、
見当違いの悔恨の思考を働かせて死者に誓い、賑罪をし、より一層の悪化を改善と信じた。こうした日本人の三歳児性は、
無論原爆の出現やその被爆とは関係ない。 われわれ日本人は動物心理をの水準を超えたことは一度もないのだ。
知能ではなく、心理として狸や狐と大差ないということだ。彼らも内語を持たず反省意識を持たないからだ。
原爆を落とした悪よりも、落とされた状態をつくった自分のほうに悪を見る脳みそは、内言語と反省では作りえない
言語以前の反応である。ニャーという猫言語が、ワンという犬言語に尻尾を巻いた心理・外言語構造である。
動物には外言語しかない。いや、言語ではなく、吠え声、鳴き声だ。日本人はその「音」を使ってきた。
「訓」ではない。もはや音と訓の区別もつかない。どっちがどっちだっけ?ハヤシ?リン? ・・・
人間が人間の条件とされたものを次第に失っていく西欧社会や、アメリカでは「陽気なロボット」(自己満足した
卑小な人間の形容)。人間としての尊厳さも、崇高さも字のとおりの意)とか、色いろある。どれも絶望的に
人間性を失った人間を嘆く言葉であり、その論証には反論の余地がない。≫
 ▼ この辺の論も外から見た日本人の姿をシビアに表現している。あまりにアメリカに飼いならされ良いように収奪されても、
 それさえ気づかない三歳児以下の日本人の滑稽さを嘆いている。「アイ」と「ユー」さえ持ちえず「ウィ(我われ)」しか言えない
 幼児性から抜け出れない日本人。そして、あと二年後にアメリカは??を宣言、日本が持っているアメリカ国債と、
 ドルの価値を半減にしてしまう。それが分かっていても、どうもこうもならない陽気なロボットの日本。それが現状の様相である。
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16,旅する力 ー深夜特急ノート ー1
2009年07月08日(水)
 「旅する力ー深夜特急ノート」 沢木耕太郎著    ー読書日記
 深夜特急を初めて読んだ時の興奮を今でも憶えている。その後、TVでもドラマ化されたが、これも良い脚本であった。
その後、彼の本を何冊か読んだが、それに勝るものはなかった。 この本も、沢木の旅好きの子供の時からの由来と、
旅の指導書のようであり、なかなか説得力がある。 深夜特急の読者を狙っているようだが、そうだとしても納得できる。
全体の総評を書こうかと思ったが、一章か、二章単位で印象的な部分を記録として書き残しておいた方が良いと判断して、
何回シリーズで書くことにした。
   まずは ー序章  旅を作るー から
  一行目の出だしからして惹きつけられる。
*「旅とは何か。その答えは無数にあるだろう。私には大槻文彦が『大言海』で記した次の定義が最も的を射たもののように思われる。 
 《家ヲ出デテ、遠キニ行キ、途中ニアルコト》ー・・・しかし、旅は同時に、終わりがあるものである。始まりがあり、終わりがある。
 そこには旅を作る、という要素が入り込む余地が生まれるのだ。人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではなく、
 旅をする人が作るのだ。・・・
(解説)旅と旅行の違いは、「旅は、その途中を味わうことを目的とし、旅行は目的地に行くことを主にすることをいう」
 ということは知っていた。私にとっての秘境・異郷の旅はとりあえず遠くに行くこと、そして文化・文明というより、大自然に
 触れることであった。それは目的地だけでなく、その移動の中に垣間見る景色にあることが多い。
*「余儀ない旅」ではなく、「夢見た旅」を始めようとするとき……既に旅の姿が整えられていく。
  夢が生まれ、それを具体化し、実現する。そのようにして、旅を作っていく。しかし、人によって
  その作り方は違ってくるだろう。だから似た夢でも、まったく違った旅になってくるのだ。
(解説)一回の旅行は、終わって帰ってきても終わりがない。その旅行記を書いて総括し、写真を整理し、そして、
  その後にガイドブックや、ネットで情報を取って記憶を再編集する。そして、何時かTv番組で放送をしているのを見る。
  その都度に一度行った旅行が再編されるのである。だから、どんどん自分が膨らんでいく。
  とにかく一度その地に足を入れることである。 そうすると、作った旅が自ずから動き出していく。
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2651, ロジャーズ 中国の時代 −1
 2008年07月08日(火)
最近の中国事情の本を読むのは、邱 永漢 の中国関連の本以来である。この本は、目から鱗である。20年近く前に中国を訪れて以来、
5年前に北京を訪れてその変貌ぶりに唖然としたが、この本によると、更に変わっているようだ。ただ、その劇的な成長に対する反動が、
どういうカタチでくるのか問題だが。そのクラッシュ後の中国は、これを読む限りより大きく成長するのではと思われる。
ジム・ロジャーズは、中国の成長をいち早く見抜き国際商品の高騰を予言した冒険投資家。これは中国株投資の手の内を明かした
全米ベストセラーになった本。どのページを開いても、唖然とする内容である。この十年間で、耐久消費財の生産能力は、驚くなかれ
100倍になったのである。ロジャーズは、「現在の中国は、1800年代終わりのアメリカは、こんなものだったと思われる」という。
ソ連のように分裂というカタチを通るのか? これだけの大国を束ねるのに、一党独裁という強権も必要なのか? 
独裁国家がオリンピックを開催すると破綻する事例からみると、やはり同じ道を通るのだろう。 
この本の、次の一節が現在の中国の偽ざらない本音であろう。
≪ 中国人の友だちが言うには、「中国は貧乏のどん底から這い上がってきた。 経済改革の夜明け前の一九八○年、購買力平価で換算した
 中国の一人当たりのGDPはたったの四一〇ドルだった。 当時の米国は一万二三三〇ドルだ。第二次世界大戦以降、世界経済が何十年にも
わたって成長している傍らで、私たち中国人は完全に孤立してしまっていた。扉を閉ざして社会主義の桃源郷を作ろうとしていたのだ。 
私有財産は許されない。何から何まですべて国の持ち物だ。民間企業もない。全部中央政府が管理しているからだ。競争もない。
食べ物も着る物も、それこそ調理油まで配給制だ。いつも、何とか生きていけるぐらいしかもらえなかった。 
サービス業なんてものはない。人民に仕えるのが当たり前で、仕えてもらうなど論外だったからだ。 仕事や職種、勤め先を変えたり、
新しいことを始めたりするのも不可能だった。生まれたそのときから何になるかは決められていた。 資本市場もない。
資本は諸悪の根源のレッテルを貼られていた。そんなふうだったから、私たちが生きている間に世の中が、
こんなに変わったのは、一九八0年代の初め以来、成長率は平均九%であり、中国経済の価値は一〇年毎に倍になった。」≫
 といって、先月の上海の証券取引所の株は半値近くまで下がってしまった。
下がりきった有望株を、地頭で考えて長期的に投資すべきということである。
・・・・・・・・・・
2007年07月08日(日)
2287, ちょっとした勉強のコツ −1
    (´∀`σ)σ オハYO!            ー読書日記ー
 外山滋比古氏の著書(エッセイ)である。7年前に発行された本だが、内容は新鮮である。
この本を図書館から借りるのは三度目であるが、何度読んでも新鮮に感じるのは、内容が濃いからだろう。 冒頭からして、
深く考えさせられる。特に、現在の日本は「オーストラリアの蜜蜂」以下?になりかけてはいまいか?
何度読んでも考えさせられる内容である。2003/01/11 に「ハングリー? 」というテーマでも、少し取上げたことがある。 
敢えて、いま一度考えなおすのも良いだろう。それだけ、オーストラリアの蜜蜂化した若者の「下流社会化」の問題の根が深い。
 ーオーストラリアの蜜蜂ー  ( 字数制限のためカット 2011年7月8日 )


4862,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー30 

2014年07月07日(月)

   * 本来、この事業構想は正しかったのだろうか?   ー前半、終了ー
 この事業は、280室で駅前シリーズを終えた後に、郊外型ホテルへ切替えるか、事業売却かであった。
そこで節目を作るのが、学生時代に構想した創業型事業人生。それを作らなかったのが、三年前の結果に繋がった。
1985年のプラザ合意直後から生じたバブルと崩壊は、明治維新と、太平洋戦争敗戦と同じぐらいの大きな節目である。
アメリカの陰謀による経済敗戦であり、更に9・11テロ、9・15のリーマンショック、3・11の東北大震災である。
 それが私の事業にも直撃、これまで深手になることを読めなかったのが致命傷になった。 創業当初の10年間で、
ユデ蛙になったためである。「ご覧とおり、そのまま結構」である。 これを書いて気づいたことは、創業時に
転売した二ヶ所の土地が、実は郊外型ホテルの立地だったこと。あの時に「もしか、ここがホテル立地?」という
想いはあった。しかし、新幹線開業した直後の上越新幹線最終駅前の周辺に、執着するのも仕方がない? 
あと講釈としても、十年目に大きな節目を作るべきだった。進むべきか、立止まるか、引くかのサイン?があった。
その時、そのサインを読み違え、戦略を新潟駅周辺に280室から、500室の拡大戦略をとってしまった。
当時、大型チェーンの駅前などの繁華街店舗が急激に衰退していった。 その頃に、ペガサスでは、駅前立地から
本格撤収を指示していた。事業構想は10年スパンか、駅前周辺300室内なら正しく、それ以上は致命的間違い!
 新潟駅前シリーズは、バブル崩壊による日本経済、特に地方の衰退が本格的に始まった中で、舵取りを間違えた
結果、最期は、これ。直接原因はリーマンショックと、東北大震災?で、間接原因は500室の駅前への過剰投資。
だから、諦めはついている。歴史的バブル経済の崩壊にかかわらず、逆に新潟駅前でバブッタのである。
これが直接原因で、最後の二つは、駄目だしの間接原因ともいえる。物語として、私には、これが丁度良かった!
 〜と、思うしかない。 そして、反省の日々! そして、外海には、更なる大津波の音がする。内海では、
その中、祭り(東京オリンピック)の準備でミニバブル! 高台からの下界の景色を、妙な気分で見るのも?
「天気晴朗なれど、波高し!」が内海の景色! ここからみえる人生68〜75年の最期の祭り?が、面白そうだ。
・・・・・・
4495, 怒らないって本当は恐い! ー10
2013年07月07日(日)                     
   * 石原と橋下の怒りについて        『怒りの作法』小川仁志著 
 怒りといえば、石原と橋下である。TVで常に怒っている。アメリカの間接統治のために与えられた憲法さえ変えることが
出来ないのが二人の怒りの根にある。更に実質的に日本は官僚が支配している実態に対しても怒っている。 二人とも怒りを
実に巧く使い、改革を実施してきた。実質、占領下の現状に対し、怒るのが当たり前だが、それを表立てると何故か失脚をする。
 歴代の首相も何故か、独立を企てると失脚してきた。 アメリカにとって一年の首相交代は間接的統治に理想的である。
   ーその辺りから抜粋して考えてみようー
≪ 橋下大阪市長と、もう一人石原都知事の二人は、事柄に対して本当に怒りを示せる人物だということができます。
 彼らのメッセージはしっかりと伝わるのです。それが人気の秘訣でもあるのでしょう。彼らはまず怒ります。
そしてその怒りのモードに諭理を載せます。なぜ怒っているのか、なぜメッセージを発しているのかが明確なのです。
そして筋が通っています。ただ、両者の怨りの根源は大きく異なります。石原都知事の場合は、偏った保守思想に恨源が
あるのに対して、橋下市長の場合は、世の中の不合理さに対する怒りに恨源があります。 石原都知事は外国人に対する
差別的発言に顕著なように、自分の思想に反する事柄を排除しようとするエネルギーが怒りの源泉となっているのです。
これに対して橋下市長の場合は、弁護士出身だからというわけではないでしょうが、世の中の不公平に対して挑戦しようする。
・・・ そんな橋下市長がぶち上げたのが大阪都構想です。大阪市を特別区に分割し、他の市と一緒に再編してまとめようという。
これによって、大阪市が副都心として活性化するというわけです。
 同じ独裁的イメージを醸し出す二人ですが、いわば石原知事が偏向思想に基づく自己中心型独裁であるのに対して、橋下市長は、
奇しくも彼が解放と表現したように人民開放型独裁のです。この違いは偏りに怒りの恨源の違いに基でづくものといえます。
私もこうした橋下市長の怒りの根源には、石原都知事の偏向思想と連って大いに共感します。この共感を持てるかという点は、
実はメッセージの威力に影響を与えます。というのも、共感とは納得感であって、誰もが納得できるというこは、それだけ
論理的だということだからです。≫
 ▼ 東京と大阪の首長までは、彼らの手法が有効に働いたようだが、こと国政においては難しいようだ。遅かれ早かれ 
  政治的謀略で消え去る可能性が強い。しかし、ここは怒りの話。都会人なら、二人の怒りを理解できたとしても、
  それが全国区となると、民度からして、理解できないのである。その意味で、二人は怒りが洗脳され、安穏とした
  日本という国の実態に怒りが向いているだろう。それにしても怒らなすぎる日本人は! 考えないからだ。
  怒りが私の人生を狂わせたと、少しは思っていたが、そうじゃない、怒りこそが、大きな原動力になっていた。
   歳をとったら、少しは大人しくした方がよいが、これでは怒って当然のこと。 「怒り」の肯定論があるとはね!
・・・・・
4121, 空腹感のすすめ
2012年07月07日(土)
                 「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著  
 最近、「空腹の勧め」をTVなどで紹介しているのを見かける。以前も、ここで飽食の猿と空腹の猿の生存年齢の
違いを取り上げたことがあった。 生物は長年、飢餓の境目に生きてきたため飽食に対しての身体が出来ていないようだ。 
著者は、空腹感状態の方が身体に良いという。私は終戦直後に生まれ、それも大人数の兄姉の末っ子だったたこともあり、
今でも腹八分目は食べないと気が済まない。    ー以下は、そのくだりー
  * 空腹のすすめ
≪ 人間にかぎらず、動物というのは空腹であるのが健全な状態である、と言う。空腹である、ということは、摂取した
 食料が体に採り入れられ、それが身体各部の必要なエネルギーになり、新しい細胞を作っている、ということであって、
動物の体を作ってゆく、という面では生産的であり、体内に蓄積されたエネルギーを消費するという面では消費的な活動を
しているのである。空腹というのは、今、体内に採り入れた養分をしかるべき所に配分しております、という合図なのだ。
それで、もう体の中の余分なエネルギーは残っていません、というのが疲労であり、休息と食事の時間、ということになる。
それなのに、生物の中でも最も恵まれた動物である人間は、空腹を感ずると、すぐに食べはじめる。体を生産的なことに
動かしながらも、食べ物、飲み物を口に入れる。考えてみてほしい、空腹感は、あれで結構、好ましい状態なのではないか。
少なくとも食いすぎの状態よりも、気持ちがいい。「腹が減ってきた。何を食おうかな」と私たち祖先は考えて、
獲物になるものを探したのであろう。空腹はそういう根本的な動物の行動を促す動機になる。
それなのに現代の日本のような先進国では空腹を感ずると、食料が手に入る。戦前の家庭婦人の場合は違った。
朝から掃除、洗濯、昼食は残り物でいい加減にすまして、午後は洗濯物をとり入れて、アイロンをかけて収納する。
さて一休みという段階で、ちょっと空腹感を覚える。空腹になって、それでは夕食のメニューを何にしようか、その材料を
買いに着物を着替えて、駅前のマーケットに買物に行こう、夕食は何ということはまだはっきりしないが、マーケットに
行けば、その日の安いもので、亭主の好さなものが見つかるだろう。つまり空腹が夕食の準備、そのための買い出しと
いった新しい行動をうながしたのである。こうやって、夕食の準備をして、子供には先に食べさせて、寝かしつける。 
自分は空腹をガマンして、午後八時ごろに帰宅する亭主を待つ。≫
 ▼ そういえば独身時代、三食を自分で準備をして食べていた頃は、時間が来たから食事をするというより、
  腹が減ったため食事をしていた。そのためか、何を食べても美味しかったことを憶えている。この年齢だと、
 腹5分位が丁度よいというが、まだ腹8〜9分目まで満たさないと物足りない。
 人間は精神的空腹感も同じように必要か! 青年期の精神的渇望感が懐かしい。
・・・・・・
3755, 夢はリアル
2011年07月07日(木)
 昨日の朝の夢は、生々しい内容である。 ーその内容とはー
【 経営破綻しそうな会社を引き受けないかと言われるが断る。そこに社長の奥さんがいたので、
「助言はするので、あなたが引き受けるべきです」というと、「二つの経済震災と、自然震災で失敗したというが、
そんなのは言い訳、この事態でも乗り切れてこそ、真っ当な経営者。貴方の言うことは当てにならない」と、言われた夢。】
 生々しい、辛らつの指摘であり、その指摘は至極当たり前の道理である。 意識、無意識を含めて、今回の破綻の8割は、
3つの震災が原因と思っているが、反面、それは黙っていればこそ。それを堂々と、ここで書き、また周辺に公言している
脇の甘さが、現在の私。 心底(沼)でドロドロしていたのが変容して、具体的に夢になって自分を責める。
 2割の見方こそ8割の道理がある。 それを前提と考えてみると、「9・11からの長期低迷で売上が三分の二になり、
更に7年後の9・15=リーマン・ショックから二年半で三分の一になったことは果たして想定出来なかったのか?
それも、三年目に入っても売上が2割以上も続けて落ち続けていたが、二年目で収まると楽観視していた、
リーマン・ショックの経済大震災に対する認識の甘さ。 いや、ギリギリのリストラは実施してきたが・・・
 夢は、誰も思っていても直接いわない事実を、潜在意識が生々しい幻影で教えている。 あの眼差しを見れば感じるか?
30年で一応、事業のフルコースを味わったことになる。10年登り、10年緩やかな降り、そして10年で、絵に描いたような
急激な降り。 それに対し、手をこまねいているしかなかった長期装置産業の宿命。そんなことは、分かっていたことでしか
ないのでは?と、言わんばかりの、夢の中での指摘。 それを赤裸々に書いている現在の私がいる。「喜劇と悲劇は紙一重で
しかない、というのは、このことか」という心の声。 それでも、仕方がないと、独り嘯くしかない。自嘲か、これは。 
と同時に、それをも事業のコースと楽しんでいる変な自分こそ、私そのものか。 意味など、あと講釈。
 ・・・・・・・
3390, 閑話小題
2010年07月07日(水)
  * Yotube の世界
 ビデオ・カメラを購入しアップロードをした機会からYoutubeを見るようになった。
それから面白い画像の紹介を私のブログ「バード・ウォッチング」で、毎日のように紹介している。
世界中でYoutubeの面白映像の話が会話の中で取上げられているのを真似たのである。 
そうすると意識して探すようになる。ブログには一日一枚の写真を載せているが、適当の写真を探し出すのが大変だが、
それよりもズット楽である。 「面白い、衝撃的、軽いもの」を中心にアンテナを立てているが、次から次へと
底知れず出てくる。一日20憶のアクセスも分かるような気がする。
  * 角界賭博の処分は妥当?
   (字数制限のためカット 2011年7月7日)
 ・・・・・・・・
3015,エジプト・ピラミッドの謎
2009年07月07日(火)
 一昨日の日曜夜のーNHKスペシャル・エジプト発掘 第1集 「ピラミッド 隠された回廊の謎」が面白い。
一昨年、二度目のクス王のピラミッドを見学してきたが、あの巨大なピラミッドを5000年前にどのようにして造ったのか、
これまでも多くの番組で取り上げていた。 その中で一番尤もらしいのが、「砂漠の砂をピラミッドの周囲に建設の高さに
積み上げて、巨石を運び上げる方法」であった。しかし、今回の説は違っていた。 岩を上に搬送するトンネルを螺旋状に
造りながら上に運ぶという説だった。 近くの崩壊した小さなピラミッドにも、そのような痕跡が見て取れた。
  ーNHKのHPの番組紹介からコピーからー
【 今から約5000年前、エジプトの砂漠地帯に忽然と現れたピラミッド。その後500年あまりに渡ってピラミッドは建造され、
その数は現在確認されているだけでも100個を越える。その中でも最大規模を誇るのが、世界遺産にも登録されている
「クフ王の大ピラミッド」。高さ147メートル、底辺の長さ230メートル。世界最大の石造建造物である。平均2.5トンの石を
300万個積み上げて造られている大ピラミッド。地上60メートルの場所には、重さ60トンもの巨石も使われてる。クレーンも
ない時代に、この巨大ピラミッドをいったいどうやって造ったのか? 古来、様々な研究者が謎解きに挑んだが、答えは出ず、
古代エジプト史上、最大の謎とされてきた。ところが今回、ついにこの謎を解き明かしたという人物が現れた。
フランス人建築家ジャン・ピエール・ウーダン氏である。彼は、最新技術を駆使し、建築家の視点から、「内部トンネルを
使って建設した」という独特の説を世界に発表した。番組では、ピラミッドの登頂調査をはじめ、ウーダン氏の
ピラミッド調査に同行取材、神秘に満ちた、大ピラミッド建造の謎を興味深く解き明かしていく。】
 ▼ ー以上だが、近年になって、ピラミッドの近くに、その建設に従事した労働者の村が発掘された。
その調査から分かったことは、4000人の労働者が20年の歳月をかけて造られたという。
    (字数制限のためカット 2012年7月7日)
・・・・・・
2650, 資源世界大戦が始まった
2008年07月07日(月)
 図書館で「アメリカ狂乱」とともに借りた元NHKの日高芳樹の本である。サブプライム問題から始った問題は、
アメリカの覇権の終了なのであろうか。その中にあって、資源のない日本はどの方向にいくべきか?などを問うている。
やはり、この本を読む限りに日本の行く末は悲観的になる。アメリカの属国でしかなかった日本が自立する道はあるのか。
              「資源世界大戦が始まった   2015年日本の国家戦略 ー 」日高 義樹 (著)
 ー内容紹介
独裁国家・北朝鮮が大国アメリカを揺さぶる現況は、ヒトラーが台頭した1920年代に酷似している!? 米国の要人と直接
対話して得た独自情報から、日本と米国の数年後の未来を高確度で読み解いた、衝撃の最新作。政局の混迷が深まる危うい
日本の行く末を、大統領選を控え、変わりゆくアメリカの世論と政策、政界の要人たちの発言をもとに近未来を予測。
 ーカバーの折り返しー
アメリカの力の後退と中国の台頭は世界に、1930年代の再現ともいえる混乱をもたらそうとしている。
この本では、国際社会で現在起きている情勢を世界的な視点から整理すると同時に、
日本は自らを守るための国家戦略をいかに立てるべきかを考えてみたいと思う。 <序章より>
  ー大ざっぱに、概要をまとめるとー 
  (字数制限のためカット 2010年7月7日)
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2007年07月07日(土)
2286, LSDを一服した状態とは、どんな状態? ー1    おはよー (((。・-・)从(・-・。)・゜
 植草甚一の「カトマンズでLSDを一服」という本が面白い。 ただし、30年前の本で、著者もこの本を出した直後に亡くなった。  
しかし内容は、朽ちてはいない!「植草甚一スクラップブック」の一冊でNO/11になるが古今東西、植草甚一の読んだ
麻薬に関する記事・文献などが話題になっている。図書館で借りてきた本だが面白そうなので、ひととおり目を通して、
中古本だが、直にアマゾンで注文をいれた。 麻薬のトリップに対して興味がある。しかし麻薬をまさか使うことは出来ないし、
中毒になったら取り返しがつかない。といってバッド・トリップやグッド・トリップの状態を経験してみたい誘惑もある。
まあ、死ぬ直前の楽しみにしておいた方がよい。ならせめて、どういう状態なのか、知識として知りたくもなる。 
手元に何冊か、その状況を紹介した本がある。私の枕元にはトリップの状態に近づける音楽のCDのセットがある。
買って10年近く、寝る前などに聴いてきたが、そのためか寝つきが非常によい。酒を飲んだホロヨイの気分と同じである。
私の場合、秘境旅行や、酒席などの盛り上がりなど、至高体験を数多く経験してきたので、少しアルコールを飲んだり、
寝る前の音楽で、直にトリップしやすい蓄積がある。 体質的に脳内には回路が出来ている、ということ!
その体験の倉庫に入るようにすればよい。以下は、この本の冒頭に出てくる心理学者ジュラール・ボルの「麻薬への旅」の中の
一節である。麻薬のトリップの状態を書いた本を何冊か持っているが、どれも似ている。
ともかく、面白く解りやすいので紹介しておこう。
 ーー1967年10月から著者ボルの2年間の経験談であるーー
ーーー        p・12~13「カトマンズでLSDを一服」
   (字数の関係上カット2008年7月7日)


4861,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー29

2014年07月06日(日)

  * 新規事業の構想とは
 新規事業は《「①現金商売で、②箱物を絡めた、③妻子などの親戚を入れない、④転売可能で、⑤手堅いこと」
を前提に、自らを捨石と割り切る!》と、自分にダメ押しをした。 そして、千葉・千城台ビルと、長岡郊外の
更地を売却をして、新潟駅前の更地一点にエネルギーの集中を、第一歩とした。それに躊躇があるなら、
覚悟が出来てないことになる。 独り落下傘で敵地に舞い降りる決死の覚悟だった。まずは、千葉と長岡と同じく、
孤独、孤立からの出発である。 不安と緊張の中で、漆黒のような闇に向かって、ただ一歩ずつ進むしかない。
 ところで、ホテル名は、学生服メーカーのブランドを付け『ベンクーガーホテル』にした。その上にツイン、
ダブルルームをカットしたシングル専門にして、税・サ込3980円の価格破壊を仕掛ければ、成功確率は500%!
の確信が生まれていた。これで15年間の準備は一応、出揃った。「新しい酒は新しい皮袋に盛れ」とは
《新しい内容や思想を表現するために、それに応じた新しい形式や方法が必要であるということ。すなわち、
いつまでも古い形式にこだわってはならない、というたとえ。》をいうが、創業も同じ。まず第一歩は独りになり、
己を無にして市場に聞きながら、踏出すのが基本。 
 事前調査で、ビジネスホテルは月〜木曜日が、ほぼ満室、金土が5〜6割、日曜が3割、平均稼動は8割が目安。
それに対し、学生服は平日が閑散日で、土日が、その三倍の売上げの世界。 平日はフロントに、土日はショップに
シフトをし、回わせば、究極の合理化になる。その上、学生服の荒利が4割近くで、値引きはゼロ。軌道に乗せれば、
大いに利益貢献をもたらす。 しかし、学生ショップと、ビジネスホテルの融合は、短期的にはプラスに働いたが、
長期的に失敗。学生服は制服の自由化で右下がりの衰退が始まっていた。 ホテル名にするなど、言語道断と、
十年近く経って気づくことになる。しかし、創業時の二ヶ所の土地転しと、学生ショップの利益は、二、三棟目の
ホテル開業に大きく貢献していた。これはこれで、良かった? それにしても、何だろう、この男? ドンキ?
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4494, 怒らないって本当は恐い! ー9
2013年07月06日(土)
   * なぜ世界中でデモが起こるのか
 現在、北アフリカと中東をはじめ世界中でデモが起きている。デモは集団による政治のメッセージである。
ここでは、格差問題が若者を中心に怒りとして燃え上がった。その背景には携帯電話という情報機器の普及で、
体制側の腐敗と貧富の格差の情報が隅々まで流されることがある。日本のデモのようにお祭り騒ぎで練り歩くだけでは
怒りは伝わらない。怒りが伴った暴動こそ、その意思が伝わる。  ーまずは、その辺りからー
 ≪ 議論と同じ意味で怒りを道具になるのは、メッセージを伝える感情だからである。つまり行動である。その中で、
一番わかりやすいメッセージの伝達行動は、デモでないだろうか。 通常、デモは政治的メッセージを発信するために、
集団で練り歩く行為をいいます。デモンストレーションの略ですが、語源は「示す」という意味を持っている。したがって、
デモの本質は、人々が自分の意思を示す行為である、と言えるのである。しかし漫然と歩いているのでは効果がない。
怒りが示されると俄然と効果が現れてくる。世界で変革を求めるデモが起きているが、それはもっと非日常的な非常事態であって
しかるべきである。しかし先進国のデモは、そうでない。特に、日本のデモは、どれもお祭り騒ぎである。それは去勢されたから。
安保闘争の時に圧倒的な取締で潰えた後、すっかり大人しくなってしまった。それでも、唯一怒りを伴ったデモらしきものは
反貧困を掲げた運動だった。派遣切りをはじめ、人をモノ扱いにするような新自由主義的な自民党政治に対し、さすがに人々が
怒った。この運動で自民党政治の行き詰まりもあって、ある程度効果があって、一度政権が交代した。そして、誰もが、貧困が
解消されたかに見えたが、実際は自民党的体質を変えることは出来なかった。反貧困の湯浅誠が、内閣参与という形で迎え
いれられることで去勢されてしまった。・・ ≫
 ▼ 携帯電話、スマホは、国境を超えて情報を一瞬のうちに世界に行き来する。今さらグローバル化を元に戻すことは不可能。
 それは情報を通して、世界が平準化していくことを意味するが、様々な格差の拡大を生む。その怒りが世界中に噴出するのは
 避けがたいことになる。現に中国が年間十数万件も暴動が起きている。それが一斉に起きてないから内乱になってないだけ。
 社会には、貧困、格差問題は常に存在する。問題は、グローバル化が貧困、格差を拡大する力になるからである。
 ということは、世界各地で起きているデモや暴動は、ますます激しくなっていく。時の権力者は、その矛先を自国より
 弱い周辺国に向けるため、国境問題を操作する。グローバル化は戦争の機会を促進することになる。
・・・・・・・
4120, オニババと、粗大ゴミ
2012年07月06日(金)
    * 女の変容                  「老後に後悔しない10の備え」三浦朱門著
 流石に20歳年上の書いた老いについての話は参考になる。 奥さんが曽野綾子なら旦那に対しても厳しいはず。特に、
「男から見る女性の、対男性の態度に四つの時期」が面白い。女性は更年期を過ぎる頃から第四期のオニババ化が始まる。 
  ーその辺りを抜粋するー
≪ 男から見ると、女の対男性の態度に四つの時期がある。
・ 最初は男を敵視し、警戒し、ことさらに無関心を装う思春期。
・それから特定の男あるいは男たちには打ち解けて、彼のことに心遣いを示し、男としては、うん、この女は優しくて、
 オレの世話を何くれとなく見てくれる、と思わせる。これを青春期とする。これは結婚しても数年は続く。
・第三期はオバサン期である。オバサンは家庭の主として独裁権を振るう。それに従わない者は、子供であろうと亭主であろうと
 容赦しない。彼女の独裁権が及ばないのは、舅と姑だから、彼らへの鬱憤は専ら、亭主にむけられる。舅、姑は亭主の親だからである。
・第四期がオニババだが、こうなると、彼女は世を呪い、人を恨み、身のまわりのあらゆる物が、自分の意図と違う状況にあると、
 すざまじい勢いで叱りつける、そのくせ、自分は何もしない。人に指図してやらせるだけである。この場合の指図される相手は、
 多くの場合い、亭主しかいないから、オニババの夫としては、少なくとも肉体的には健康であることが望ましい。≫
▼ 数ヶ月前に、色いろあって自宅の名義が家内に変わった。予測はしていたが、急に態度がオーナー然として、私は宿六扱い。
 ペットに餌をやっていたのを見て、「居候が居候に餌をやっている」だと。オニババ化の一場面である。この数年で、団塊世代が
 大量に定年を向かえ家の滞在時間が多くなった。現在、日本中がオニババと団塊粗大ゴミがイガミアッテいる。私など平均4時間は外出。
 ちらほら愚痴が聞こえてきているが、当人にとっては切実の問題。 以前読んだ、あるエッセーにあったが、 定年になった時に、
「食事以外は外出するか、自室以外に出ないよう」妻に言い渡されたという。まあ、現在の私も似たようなもの。
 家が大きいので、まだ助かっている・・ 更年期を過ぎ、身体が老化を始めると過去の思い出が大きな比重を占めてくる。
 人間の記憶の大部分がマイナーで占められている。記憶は主語が消えてしまうので、そのマイナーを身近の人に見ることになる。
 その槍玉が連れ合いになり、オニババ化が進んでいき最悪、熟年離婚になる。せっかく、会社の嫌な上司から解放された挙句に、である。
 ・・・・・・・
3754, ワシも族か〜  ー�
2011年07月06日(水)
  あるブログにあった「ワシも族」、によると、
【 ・定年で毎日が日曜日状態になった父さんが、・家でやることもなくゴロゴロ 
  ・妻がどこかへ行こうとすると「ワシも一緒に」と着いて来る男性を指す。
 一般的のサラリーマンは、「定年になったら、あれも、これもやりたい」と考えるが、何をしても中途半端で飽きてくる。
 定年で急にはじめても、アマチュアになるには遅すぎる。最低で10年の準備が必要。 そこで、妻に縋るしかない。
  TVのワイドショーで「ワシも族・度」が紹介されていた。
1)近所で人当たりが良いが、家では無口    2)夫が家事をするのは「手伝い」と思う
3)妻の予定や行動をよくチェックしている   4)妻にはつい、つらく当たってしまう
5)妻の家事に手は出さないけど、口は出す   6)妻のお出かけにはよくついていく
7)妻子を養ってきたとの自負がある
【判断基準】・3個以下:とりあえずは大丈夫? ・4〜5個:ワシも族の素質、十分です ・6個以上:要注意!見捨てられるかも
  会社人間の習性で、「自分では手を出さずに、命令すること」「部下が作成したものを批評し、自ら積極的に行動しない」が
  習慣化しているからだ。 】
▼ 「ワシも族」といえば、私の夫婦間では、家内の方が前より「私もやりたい」と、言う方。女なら、それは愛嬌だが。
  私がネットに夢中になれば、見よう見まねでネットで情報をとったり、ネット・ショッピングに夢中になったり。
 海外旅行といえば、初めは反対するが、私が申し込む直前に「私も行く」と、のたまう。大反対をしたもの(ハンモック・チェアーや、
 健康機器)を良さそうかどうかを見極めてから、都合の良い理屈をつけて始める。 それが、今度は逆転である。
 私も暇時間のつぶし方は得意だが家内には敵わない。相手は38年、年中である。 一般的には仕事にネルギーを奪われ、
 ライフワークの趣味を作り上げてこなかったツケが、定年後にくる。でも、それでも妻の後についていくだけ、まだましか。
 いくら東京が好きとはいえ、5日連続とは!驚くより呆れる。「ツアーに出ているよう」だと! 内容からして価値あるツアーだが!
・・・・・・・
3389, 911・考えない・日本人  ー6
2010年07月06日(火)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
■ 自問自答が知性を磨く (Pー189)
  他者との対話とは別に自分自身との対話=自問自答がある。
    著者の考える=「哲学する」についてが、なかなか面白い。
≪ 哲学について、ポール・ソシャールの『言語と思考』には次のように書かれている。
*「子供は三歳半ごろ自分を指す代名詞〈私=I〉を使いはじめ、そのときに動物心埋の水準をはっきり乗り越える。
 …つまり反省意識という人間の段階は、言葉に結びついている。思考が内言語(註:個人の頭の中だけに聞こえている言葉)
 であるからこそ伝達できるのであり、意識状態の科学である心理学もできあがるのだ」
*「(I)の言語化と(you)のそれとは切り離せない。それは対話の言語化である。自己の想像した対者との対話も含んでいる」
*「人間では、言語は外言語であると同時に内言語でもあるので、外言語としてはコミュ二ケーションの役を果たし、
  内言語としては思考と反省意識を確保する」
*「人間を理解し、その水準を見定めようとするものは、言語問題に取り組まなくてはならない」
*「言語は人間の発明したもののうちで最高のものである。人間は話すからこそ知恵があるのだ。人間の身体は原初から
  何も変わっていない。変わったのは精神の働きだけだ。人間は言語のおかげで自己を完成し、知性を発展させてきた」
*「言語の無限の能力は単なる感情や状況を示す信号だけでは満足しなくなる。…… 言語は対象を離れ、独立する。
  本質的にコミュニケーションの手段ではなくなり、思考の道具となるのだ。人間だけがこの〈内言語〉を持っている。
  内言語はもはや言語ではない。発音されないからだ。音情報は脳に移動され、自己の意識化を助ける」
*「人間は言語化されていない思考を心に浮かべることはほとんど不可能である」
 まだいくらでも引用したい文章はあるが、読んでいてもつらくなる。なぜなら言語段階から見ると日本人が人間として
いかに未成熟かが歴然としてくるからだ。特にこの「反省」「内言語」の段階は幼児並みに思えてくる。
 どうやらわれわれの大脳皮質は、前述した角田説の逆作用で、成長を停止しているとしか考えられない。
饒舌な内言語の会話が知性を磨く。連続的な自問自答である。われわれは内言語の失語症を起こしている。
だから「失理症」に陥る。主語のない「味言語」は、結局主観と客観の区別がつかない。
それが「無反省」、つまり精神の言語化、あるいはまた逆に言語の精神化を妨げる。 ≫
▼ 子供が、(自分)という言葉を持った瞬間から人間になるというが、そこから、自分に対するyouが出現する。
 いや、youが(自分=I)を創出する。それが、動物と人間の境目になる。人間の記憶が、その辺から始るのは、
自分という言葉を語るからで、その時から人間は飛躍的成長が始る。また日記が人間の成長に大きな役割を果たすのは、
それを一度、ノートに外に出すことで内語を外語とする作業の中で考えることになるからである。サルトルの対自、即自である。
  偶然だが、去年の今日、同じようなことを書いていた。 面白いものである。
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3014, 魂とは何か
 2009年07月06日(月)
  「魂とは何か」ー池田晶子著 −2
 何度か魂については、ここで何度か取り上げてきた。 
先日、「戒名は自分で付けよう」という本を読んで自分と、家内と、二人の息子の戒名を作ってみた。
そのためか? 近くの図書館で池田晶子の「魂とは何か」という本を見つけ借りてきた。池田は二年前に亡くなっているが、
この本は10年前のリメーク版である。ここで頭脳明晰な池田晶子が、魂となると歯切れが悪い。それもあってか、
この一週間は、「魂」漬け。 魂というと、「霊」と「私」「精神」「心」が浮かぶ。「心」は、TPOSで変化するが、
「魂」は「それを見守っている、産まれ、死ぬまで変わらない自分そのもの」。池田は、ヘーゲルなどの論を借りて、
〈魂〉は「考える」より「感じる」ものだと、「思考感覚」という。魂の表現を、無理を承知で言葉にしている。
  《その一部を抜粋してみる。》
ーひょっとしたら「〈私〉が魂」なのでなく、「〈私〉の魂」という言い方もなく、「魂の〈私〉」に近い。ー
  *この部分も鋭く、というより頭の底からひねり出している。
ー以前、誰だったか神秘主義者の本を読んでいて、ひとりの人間を構成するものは、「肉体と精神と魂」という
 言い回しがあって、深く腑に落ちたのだったが、それは正確だろう。 肉体とは個別だが物体であり、
 精神とは物体ではないが非人称であるなら、その人を他の人ではなくその人たらしめている当のものとは、
 他でもない、〈魂〉ということになる。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。 あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。 内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜ〈私〉は、この人間なのか。 なぜそれを〈私〉と、私は言わないのか。
〈私〉とは、おそらく、たんなる形式であろう。あえて「たんなる」と言うのは、形而上的な形式と形而下的な内容とを、
 思考によって峻別した時、そこに残る内容は、形式からみれば、なお不可解なままだからである。内容のない形式とは、
 論理としては可能であっても、思考が驚きによって始まったその振り出しへ戻れば、謎は依然として同じである。
 すなわち、なぜ〈私〉は、この人間なのか。なぜ〈私〉は、この人間なのか・・・ー
▼ 魂を明快に表現出来るなどありえない。それでも何度か読み返しているうちに、少しずつ、その中心に近づいていく。 
我われは、大自然に触れたり、世界的な芸術作品をみた時に〈魂が振動した〉という。実際に私も何度も、いや何十回も経験している。 
あの時の「魂の振動」という時の魂とは何だろうか? べネゼイラのテーブル・マウンテンのキャンプで見た夕景。
あの荘厳な景色で感じた魂の響き。 人間を遥かに越えた大自然の時間の蓄積と、美と、荘厳な一瞬に、自分が、その中に融けて
永遠と共鳴し、「私が、いや私の先祖が産まれる遥か前から存在している命と魂が共鳴している」瞬間の「魂」とは何だろう。
登山好きの人は、早朝などに独りで、それを直感しているのだろう。  宇宙の響きというのだろうか?
・・・・・・・・・
2649, 閑話小題
2008年07月06日(日)
 *凄惨な事件のあとのマンションは?
昼飯に喫茶店に行って週間ポストを読んでいたら、以前から知りたいと思っていた記事に出くわした。
最近、週間ポストが面白い。 定年を迎えたシニア(団塊の世代)にも客層を広げたようだ。
セレブのバラバラ殺人や、江東区の凄惨なバラバラ殺人事件の部屋が、既に他の住人が入居をしているという。
まずは、セレブの殺人現場になった部屋は、女性が入っているという。家賃は20万円だったが、5万円ダウンの15万円。
江東区の方は2万引きの7万円で、これもまた入居済み。こういうイワクつきのマンションの販売価格は大よそ2割のダウンが相場。
こういう事件があると、わざわざ値下がりを期待して部屋探しに来るという。 何とも感じないらしい。家主の方からしたら、
事件のほとぼりが冷めるまで待つより、何割か下げて貸した方が得と判断するようだ。地方なら、嫌がられるかもしれないが、
都会は冷めているということだ。いや借りる方に変わった人がいるということだ。絶対数が多いということか。
 *深刻なスタグフレーションへ突入?
  (字数制限のためカット 2012年7月6日)
 *ツタヤのネットレンタルに入会してみた
 (字数制限のためカット 2012年7月6日)
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007年07月06日(金)
2285, バーナム効果
 詐欺師や占い師や、健康食品のネズミ講などで、相手を信じこませる言葉のつかい方に、「バーナム効果」という手法がある。  
  ーネット百科辞書の「ウィキペディア」によるとー
「誰にでも該当するような曖昧で一般的な性格をあらわす記述を、自分だけに当てはまる正確なものだと捉えてしまう心理学の現象」
という。アメリカ合衆国の興行師・バーナム にちなんで(心理学者のポール・ミールによって1956年に)命名された。
アメリカの心理学者バートラム・フォアの名をとってフォアラー効果ともいう。
 ▼ 被験者に何らかの心理テストを実施し、そのテスト結果を無視して以前に被験者とは無関係に用意した
「あなたはロマンチストな面を持っています」「あなたは快活に振舞っていても心の中で不安を抱えている事があります」といった
診断を被験者に与えた場合、被験者の多くが自分の診断は適切なものと感じてしまうが、これはバーナム効果によるものである。 
  (字数制限のためカット 2010年7月6日)


4860,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー28

2014年07月05日(土)

  * 15年の準備期間の総括! ―チェーンストア理論とは
 多くを学んだ割りに、大きく脱皮出来なかったのは、「根が怠け者」ということがある。
だから、20歳で創業を目指すと決心したことで、何とか人生を全機(人間としての機能フルに生かす)
でないとしても、その数分の一は生きることが出来た。終戦直後に生まれ、地元長岡の焼け野原からの
時代は間違いなく右上りの時代。 アメリカ占領統治から独立の過程で、アメリカ的合理主義が求められていた。
その一つの現象が、アメリカのチェーンストア業態。未開の大陸、流通業の小売で、合理的業態として、
セルフ方式のチェーンストアが、アメリカ全土にあった。 JC・ペニー、シアーズ・ローバックが当時の
雄であった。 現在ではウォルマートなどが主だが・・
 学生時代に、日本の流通革命を目差すペガサス・クラブと、流通コンサルタント・渥美俊一の存在を知る。
当時の都市の駅前には、業種店の百貨店と中小小売店が賑わいを見せていた。そこに業態店のスーパーを
中心とした新たな流通バイパスの業態店を!というから、これ!と思うのは当然。 ちなみに業種店とは、
駅前に残存するが、メーカーなどの売り手サイドの括りで、問屋を仲介にした仕入を主にした店で、
「何を売るか」で、括られる。それに対し業態店とは、「どのように売るか」で括られた店。
セルフ方式で安く売るスーパーや、ディスカウント店である。 コンビニは、車で10分の商圏の中、
10分以内に消費する商品を、24時間営業を、売りにしている。それに対し、駅前・駅中の靴屋、
化粧品店は、あいも変わらず? その為、何時の間にか、スーパーや、ネットで、売上げは激減状態!
 卒論に「流通革命」をテーマにしたこともあり、チェーンストアのシステムの話になると我を忘れるが、
これ、はまると、意外と面白い! その中で、一番の要は、チェーンストア統一伝票と、その伝票に
バイヤーが書き込む仕様書発注である。それさえ、詳細に書けば、それが、そのまま契約書にもなる。
これが曖昧だと、売り手が曖昧な商品を納入可能になる。 ある規模になれば、生産地で、直接、メーカー
と共同開発の特別発注が可能になる。 このところ、イオンが、イオンブランド品に比率を上げているのは、
競争激化による。 そこで、トレード・オフで、ホット商品の無駄をはぶいて数段の値段を下げで、
カジュアルにする。アメリカのディスカウントチェーンは、メーカーと組んで、商品開発から取組んだ
商品を売る、業態店をいう。 値下がり品だけを売る店は、チープ店である。
 小売を科学するとは、流通戦争の中で、生延びる中で生まれてくる。だから、商売のヒントと原則が、
数限りなく積上げられてある。 その中で面白いのが、ロスの概念! 商売をすれば当然、ロスが発生する。
これを、元から予測して、「発生は仕方がないが、最小にする!」という考え方。
これ、人の生き方にも当てはめることが出来る。「思いのまま生きた分、心の傷も、喪失感が多くなるが、
それ以上に得ることがある!」と、言い換えることが出来る。 冒険を恐れて、周囲の価値観の範囲で、
人生を終える時に、やりたかったが、やれなかった機会ロスがあまりに多かったことに気づくが、既に遅し!
 そのゾンビが、巷に多い。 その辺の輩である! その敵は、逆の人生を生きてきた人!
・・・・・
4493, 怒らないって本当は恐い! ー8
2013年07月05日(金)
 人間を閉じ込める心の壁と構造について、何度も書いてきた。「〜をしてはいけません」という心の壁。
それについて何も考えずに、そのまま一生を終えてしまう。そして、心の奥で両親を憎むというのが、親子の関係にある。
それに反発し、両親の元から離れるのが親離れになるが、それが出来ないとミニミニワールドでつい果ててしまう。
そして、それを打ち消すために、その価値観を家族をはじめ、周辺に押し付けてしまう。それも無知の自覚無しときている。
小さいほど、満ち溢れたエネルギーは毒を強くする。それで、まずやられるのが自分自身。あの老人たちの暗い顔が証拠である。
 ーその辺りからを抜粋してみるー
   * フロイトの心の構図と怒り
≪ 怒りという感情を持たないようにするのではなく、いかに上手くコントロールするかだが、精神分析医のフロイトは、
 歴史上初めて、人間の心の構図を明らかにした。彼は私たちの心は、実は三層構造になっているという。
まず人間の根底にはエス、あるいはラテン語でイドといわれる無意識の心的エネルギーがあるという。
これに対し、悪さをすると叱られる父親の存在に象徴されるような、ある種の規範意識が対立します。これを超自我という。
これは両親の道徳観が子どもの心の中に内在化されたもの。従って超自我の多くは「〜してはいけません」という禁止の
形をとります。これは行為だけでなく、不道徳の思いに対しても作用する。そうして両者は対立することになる。
その両者を調停するのが自我です。両者の対立をうまくコントロールしたり、阻止したりする機能を働かせることで、
自我は発達していく。それは思考をつかさどる意識の領域にほかならない。つまり、心というものは、学校での三者面談の
ような構造になっている。先生役の自我は、常に緊張状態に置かれていて、いつ爆発してもおかしくない。これを防ぐのが
防衛機制という機能です。人は自我を維持するのに危機を感じたとき、無意識のうちに、その危機を避けようとします。
たとえば不愉快の過去を忘れてしまうために、持ちたくない意識を外に締め出します。これは「抑圧」という防衛機制の一種です。 
また、本当の欲求が満たされなかったから他のことを行ったのに、それを正当化するため丁度の良い理由を見出すことがある。
手の届かないブドウを、酸っぱいに違いないと決めてかかるキツネのように。 これを「合理化」という。さらに、自分の願望と
裏腹の態度や行動をとる「反動形成」も防衛機制の一つです。したがって怒りの感情をコントロールするというのは、
フロイトのいう自我が正常に機能して、防衛規制がきちんと働くことによってはじめて可能になる。それができないと
キレまくることになる。怒りをコントロールするためにも、自我の形成が大事になってくる。
自我は思考を鍛えるということにつながっていきます。欲望と規範の間で格闘する自我とは、計算であり、配慮であり、
決断にほかならない。・・・思考を鍛えて怒りを飼い慣らすことができれば、日常世界がもっと豊かになるはずです。 ≫
 ▼ サラリーマンが、いちいち怒っていたら、組織の中で生きていくことは困難になる。だから、まず、気持ちを
  押しとどめるしかない。上記の「抑圧」も「合理化」も「反動形成」も、嫌が上にも身につけるしかない。
  そして、それが性格形成の元になる。組織そのものが一つの人格として三者面談を形成してくる。それが組織人というもの。
  それも給料の内と割り切るしかない。そこに埋没しないためには、ライフワークとしての趣味を持つしかない。
  怒りは、その行き詰まった自分を考えるキッカケになる。「エス」「超自我」「自我」の心の構図の論は怒りを考える上で、
  理解しやすい。「自我」にとって、怒りこそエスを正しい方向に導いてくれるということを。それも若いうちにである。
・・・・・・
4119, 閑話小題 ー平均寿命と医療費
2012年07月05日(木)
   * 平均寿命と医療費
 あるレポートに「世界一高い医療費を払っているアメリカで78・3歳、最低の北朝鮮でも67歳の平均寿命」とあった。
アメリカとキューバの平均年齢は全く同じだが、キューバの医療費はアメリカの一割でしかない。北朝鮮では年間、たった一ドル。
社会主義という背景もあるが両国とも最貧国。 皮肉ではないが栄養失調ギリギリの粗食は健康に良いらしい。
ちなみにロシアが65歳、インドは64歳である。 日本の医療費は、先進国の平均値より低いが、女性が86・4歳、
男性が79・6歳,男女平均83歳と世界最長である。こと医療体制をみると、日本は色いろの問題があるにしては
最良のシステムになっている。現実的にみて、財政破綻状態だが決して住みにくい国ではないようだ。
   * アメリカの学費ローンの実情
 アメリカでは所得水準が下半分以下の家庭に生まれたら、返済義務のない奨学金を獲得して大学に入ることは不可能という。
入学金とか学費などの学費ローン(総額9兆円)は、全米の学生の三分の二が借りているほど一般的とか。
しかし、このローンの仕組みも多くの問題を残していて、卒業直後に計画的自己破産による棒引きケースが続出した時期があった。
その当時のクリントン大統領が、罰則として大学を中退しようが自己破産しようが、学費ローンだけは永遠に返済しなければならない
法制化をした。それは当人の許諾を得ずに給与天引きでローン返済をする厳しいもの。アメリカは学費ローンに限り厳格のようだ。
日本では本人の学費ローンは、あまり聞かない。大体が親がローンを組むケースが多い。それにしても日本の大学進学率が五割を
超えているのは問題である。まだ三割なら分かるが。もっともアメリカも5割を超えている。ドイツは三割強、先進国は4割前後と
いうから、日本が取り立てて高い訳ではない。 私の年代では18%だったが。
 ・・・・・・・
3753,ワシも族か〜  ー�
2011年07月05日(火)
 私もついに「ワシも族」になってしまった。 家内は、この数年来、JR東が2〜3ヶ月に一度の3〜4日間乗り放題のサービス期間、
毎日、日帰りで東京名所見物を楽しみにしている。 8時過ぎの新幹線に乗って、18時過ぎに長岡に着く列車で帰ってくる。それも、
何年も続けていると、予めネットで調べていた行き先をこなすのも手馴れたもの。 妹や義理の姉を度々、従えて行く。
ついに暇を持て余している私も「ワシも族」として、家内に従っていくことになった。 行き先は、国立新美術館で行われている
「ワシントンナショナルギャラリー展」である。 乃木坂の美術館としか知らなかったので、まさか近年新しく出来た(黒川紀章設計)
国立美術館とは露知らず、ついていって吃驚! それもワシントンのナショナルギャラリーの印象派とポスト印象派の、多くの作品を
目の当たりするとは・・。見学者の行列にそって作品を観るごとに驚いている次第。初めのうちは、何だ、この程度かと思っていたが、
次々と有名画家の写真集や、TVなどで観た有名な絵画が出てきたのに驚いた。絵画から出ているエネルギーの直感こそ魂。
  ーこのHPの紹介文よりー
「 ワシントン・ナショナル・ギャラリーが所蔵する12万点の作品の中でも、特に質の高さと絶大な人気を誇るのが、その数
およそ400点の印象派とポスト印象派の作品群です。本展では、その中から日本初公開作品約50点を含む、全83点を紹介します。
クールベやコローらバルビゾン派や写実主義を導入部とし、印象派の先駆者といわれるブーダンやマネを経て、モネ、ルノワール、
ピサロ、ドガ、カサットら印象派に至り、セザンヌ、ファン・ゴッホ、ゴーギャン、スーラなど、それぞれの表現によって
印象派を乗り越えていったポスト印象派に続きます。 17年ぶりに来日するエドゥアール・マネの《鉄道》、日本初公開の
フィンセント・ファン・ゴッホの《自画像》、ポール・セザンヌの《赤いチョッキの少年》、そして同じくセザンヌが父を描いた
初期の名作《『レヴェヌマン』紙を読む父》など、いずれもワシントン・ナショナル・ギャラリーの「顔」、美術史において印象派、
ポスト印象派を語る上で欠かせない名作の数々。 まさに、「これを見ずに、印象派は語れない」 
  http://www.museum-cafe.com/report/5333.html  http://totemokimagure.cocolog-nifty.com/zakkan/2011/06/post-d2d9.html
     次回は「ワシも族」とは、どんな人種か? について・・
 ・・・・・・・
3388, 911・考えない・日本人  ー5
2010年07月05日(月)
  「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 * 日本史は最低のドラマか?
= さすがに、古事記と日本書紀がつまらない物語とは書いてない。日本史である。辛辣だが、この視点も必要 =
 ー以下は、内向きになっている日本に対する忠告である。ー
≪ 日本史は最悪の作家の書いた最低のテレビドラマで、これではいくら視聴者のIQが低くても視聴率は取れない。
善悪という山場のない、ドラマのない国に、私はくたびれている。神と悪魔の戦いがない国ほど、グウタラな国はない。
そして・山場がないという意味は、意味がないということなのだ。善もなく、悪もなく暮らす。何事にも意味を求めずに生きる。
一体、何がその生活に残るか ? 考えてくれ、頼む! 善が悪に勝つこともなく、悪が善に勝つこともない。戦いはなく、葛藤は
その一日に、一生に、歴史に、ない。そんな生活と歴史に残るものは何か?ほら、答えはあなたの今にあるじゃないか。
自分の今日の生活にあるじゃないか。 ・・・・ 
 たとえば、歴史上、最も男性的な日本男性は誰か。日本武尊だとしよう。ヘラクレスと比較すればいい。日本史最大の賢者は誰か。
聖徳太子だとしよう。アリストテレスと比較すればいい。日本最大の武将は誰か。織田信長だとしよう。アレキサンダーと
比較すればいい。日本最大のバカタレ(バカタレント)は誰だ。ビートたけしだとしよう。マイケル・ムーアと比較すればいい。
一方はただの世渡り上手な傲慢なバカだが、一方は真摯なインテレクチュアルであり、かつ前者には皆無な勇気の美徳を持ってい。≫
▼ 辛辣である。 島国で海が要塞になっていて、小さな世界で安穏できる自然環境が日本を考えないで済ませている。
 しかしネットで世界が結ばれ、その中で生きるしかない現代では、それでは済まされない。アメリカ史を考えてみれば、
 日本史より低いドラマだろうか? その質は、歴史の長さと地政学に関係してくる。高度成長期の真っ只中に日本のTV業界の
 脚本家として名を成し活躍したぶん、現在の日本の現状とのギャップが鮮明に見えるのである。隷属国家の考えない日本の姿が、
 あまりに酷く悲しいから書くのである。茹で蛙の日本人、ここで民主党に政権を与えたが、あの政策をみていると、彼のみたまま。 
 二大政党という劣悪な政争ドラマが、それを証明している。「その姿は、自分の今の姿にあるじゃないか」が考えさせられる!
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3013,戒名は自分で付けよう ー3
 2009年07月05日(日)
 有名人は、どのような戒名を付けているか興味がわくが、この本には、それがあった。
 それぞれの坊様が知恵を絞ってつくったのだろうが、なかなか味がある。
 時代の影響にされるのは当然である。 まずは、それを見てみよう。
美空ひばり 慈唱院美空日和清大姉      石原裕次郎 陽光院天真寛裕大居士
三島由紀夫 彰武院文鏡公威居士        力道山 大光院力道日源居士
古賀政男 大響院釈生楽          嵐寛寿郎 寛寿院照誉威兄演達居士
   ≪字数制限のためカット2012年7月5日≫
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2648, 座敷童子と出会える宿 ー2
 2008年07月05日(土)
座敷童子を売りにしている旅館が、他に「緑風壮」がある。 実際、どうなのだろうか? 
一度、面白そうなので行ってみたいが。 ーまずは昨日の続きから
 *優しい妖怪*
夜9時頃、旅館に帰ると、ビデオで座敷童子についての研修がある。
その後、ワイドショーの録画で「私は確かに菅原別館で座敷童子を見た」という証言を見る。
そこで、座敷童子がいるという刷り込みがなされるのだ。
9時半頃に研修が終わり、その後、旅館の若旦那が各部屋を回り、座敷童子の居場所を教えてくれる。
筆者の部屋にやってきた若旦那は、「今日はテレビの裏あたりに居る。男の座敷童子だ」と言う。
私は疲れていたので、すぐに眠ってしまった。深夜1時頃、お手洗いに行くために起きて、部屋にもどってきた。
それから、少し経ったところで、私は確かに座敷童子を見た。女の子の姿をした座敷童子で、身長はーメートル弱である。
 (字数制限のためカット2011年7月5日)
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2007年07月05日(木)
2284, 10歳の放浪記 ー2            *ヾ(´∀`o)+。才ノヽ
 この番組の中で、教職員を前に上条さなえさんの講演の一部を放送していた。その内容がユニークである。
「あなた方仲間に年配の口うるさいオバサンがいるでしょう。 彼女らを嫌わないでください。彼女たちは誰からも
愛されなくなってしまったのです。誰からも愛されなくなると、人を愛せなくなるのです。先生の仕事は子供を愛することです。
人を愛することです。その為には人に愛されなければなりません。さらにそのために、まず自分を愛せなくてはなりません」 
という言葉が何とも説得力があった。一年間のホームレスの後、養護学校に初めて行ったとき、アンパンを食べようとしていた
自分に、男の先生が「自分の弁当と交換してほしい、東京のアンパンが食べたい」と、家庭の味のする弁当を交換してくれた。
その時、「必ず良い人間になる」と自分に誓い、先生になりたいと決心をする。
 教育に無条件の愛情以上に何の能力が必要なのだろうか。 ヤクザが気の毒に思い、10歳の子供にいう。
「俺のような人間になっては駄目だ。人間真っ直ぐに生きなくてはいけない」これも、自己否定からくる
良心からの説得力のある言葉である。「うらやましがられることもあるけど、やっぱり平凡な人生がよかった。
まず親が『幸せ』と感じなければ、子供も幸せになれない。それぞれの自分の人生に価値を見いだしてほしい」
「私の書く小説すべてがハッピーエンドに終わるのです。色いろな経験から、そうしなくてはならなくなったのです」の言葉が重い。
最近、14歳というのがキーワードになっている。中学二年生、誰もが覚えがあるだろう、あの揺れ動いていた時期の日々を。
誰も周囲から居なくなって、自分ひとりが取り残されてしまったような不安の日々。ひとつの節目だが、その前の十歳も
大きな節目となる。そこで決まってしまう時期でもある。初めて自分の自我に目覚め、人間としての最初の?壮烈な戦場がある。
そこには虐めと、虐められるギリギリ中で、人間としてのベースがつくられる。彼女のような経験は特殊だが、
しかし大きく揺れる時期でもある。一番問題なのは、親が全て取り仕切り、自主性を刈り取ることである。
10歳の子供が、ケネディーの「国家が何を自分にしてくれるかより、国家のために自分が何ができるかを問え」を
「親」に切り替えるとは、驚きである。             (* ̄∀ ̄)**SeeYou


4859,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー27

2014年07月04日(金)

  * 15年の準備期間の総括! ー2
 この準備期間の15年は、緻密に練られたようだが、実際は成行きの要素が多かった。
事業を立上げ、それを転売をする度にアップスケールする創業を求めた結果が、自然に準備そのものになった。
私の性格が外交的というより、内省的のため、その都度、非常な緊張感が付きまとっていた。医者に診てもらったら、
恐らく、自律神経失調症か、対人恐怖症と診断されただろう。人間は、気づかどうかだが、全ての精神症の要素を
持った総合体で、問題は、そのバランス。その中で、特に初対面の相手との対面が苦手だったが、いざとなれば腹は
据わるもの。その「いざ」の場面から、自ら逃げるから、精神症から精神病に陥ってしまう。
 絶対的父親の元で育った八人姉兄の末っ子が、父親のような創業を、何を血迷ったか求めれば、精神的限界に
立たされて当然である。何とか、その都度、本屋の中の天使に導かれ手にとった本で、乗り切っていた。
 その中で、様々な場面で、多くの判断が求められた。
・大きな問題の一つが、連れ合いである。 右腕タイプか、全く商売の興味を示さない家庭的な人?
 結果として選んだのが、後者タイプだったが、どうだろう? これだけは答えが出ない人類永遠の課題!
 右腕タイプは、事業が拗れた場合に、相打ちという自滅の危険が生じてくる。 巷に多々みかける!
・次が、現場の要の人材である。これが、なかなか定まらず、直前まで手こずっていた。職安やリクルートを
 介して何人かと面接をしたり、数ヶ月間、使ってみても、相性が合うのが見つからない。大問題だったが・・
・出揃った事業資産は、駅前の土地(当時の時価1億円)と、長岡郊外の更地二ヶ所と、現金1億(千城台の売却)。
そこで《事業資産は、博打場に投入した掛札!二度と手元に戻らないと、割切ること!》と、何度も自分に念を押す!
 それまでの実家の急場の助っ人の立場が、今度は、全てが直に跳ね返ってくる白刃の真只中! 本番の創業が始まる。
出発点で、5百%の成功確率の準備を整えていた手ごたえは、あった。しかし最後は「後は 野となれ 山となれ!」
・・・・・・
4492, 怒らないって本当は恐い! ー7
2013年07月04日(木)
   * アポロン(光)とディオニュソス(陰)
≪ プロレスで人気レスラーが最初はヒール役に椅子で叩いたりひどいことをさせます。観客を怒らせるためです。
 そして観客に、「どうしてもっとやり返さないんだ」というストレスを十分ため込ませた後、一気に反転攻勢に出るわけです。 
そうすると観ているほうは、ついに発現した怒りのマグマにカタルシスを感じ、すっきりするわけです。
そもそも人間の感情として怒りが具わっているという点については、哲学者たちもいろんな形で論じています。
たとえばニーチェが『悲劇の誕生』という本の中で、アポロンとディオニュソスという対照的な世界観を描いたのは、
そのことをいいたかったからです。 アポロンは美と光の神、ディオニュソスは、狂乱と陶酔の酒神、激情の神です。
古代ギリシア人たちは、アポロン的、つまり表面的に見ると明るくて楽天的だと思われていたのですが、決してそんなことはない。
実は人生の暗黒の側面と激しく戦って、それを征服し、苦しみも哀しみ為すべて受け入れた人たち、いわばディオニュソス的な
側面があるわけです。その意味では、アポロン的なものはディオニュソス的なものの影であって、本質的なところで苦しさを
受け入れているからこそ、彼らは強く明るく生きていけたのです。 つまりニーチェによると、ディオニュソスに象徴される
怒りの感情は、むしろ人間の本質であるともいえるのです。・・・もともとニーチェの思想というのは、怒りや苦しみを、
あるがままに受け止めることによって、はじめて人は善き人生を送れるとするもの。これが彼の超人思想の根幹ですから、
その意味で怒りは避けるべきものではなく、素直に受け入れるべき感情にほかならないといる。 ≫
 ▼ 誰にも光と、陰の側面を抱えて生きている。それが厚み、深みである。山高ければ谷深しである。
  人生には美と光の日々と、狂乱と悲観の暗黒の日々がある。また、それが混合している。それも光の当て方で幾らでも
  変わって見えてくるから面白いのである。 両親や、社会のバイアス(先入観)に縛られ、光の当て方さえ知らずに、
  小さな岩場の穴に閉じ込められていることさえ、知らずに一生を終えるのが全て人の人生である。
   他者に原因を求めるだけでなく、また自分に原因を求めるでなく、問題そのものに原因を見出すことが正しく怒ること。
  怒りを生み出している原因は客観的なもの。それは粘り強くなければ得ることができないため自然と粘り強くなる。
  今まで、感情についての考察の論を読んできたが、「怒り」を、これほど肯定している本は珍しい。
  怒りっぽい私にとって救いになるが、考えてみれば気が短いだけ。確かに怒りに光と陰がうかび出る。
  自分に怒り、相手に怒り、社会に怒り、国家に怒り、運命に怒り、人生に怒っていたら、せっかくの人生が台無しになるが、
  正当に怒れば、道は開けるというのか? 問題は、ディオニュソスを、どう扱うかということ。本当に恐しい相手だが!
・・・・・・
4118, 財政恐慌 ー5
2012年07月04日(水)
           「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
 財政恐慌の原因について、明快にプラザ合意によるバブルと崩壊と指摘している。悪いことに、国家リストラを建前でいいながら、
政治家も国民も、目先の安易を選択し続けてきた。そして、この財政の惨状に至っても、「成長なくして生存なし」と曰っている。
その合意もアメリカの強要で、後で考えてみれば陰謀としか思えないもの。 しかし、そのアメリカも金融バブルの崩壊である。
  * あの時が、つまずきの始まり
≪『 日本が間違えたのは、1985年のプラザ合意時だと思う。あの時、日本は新世界への大飛躍の入り口に立っていた。
 ドルの過大評価が修正されることの裏返しとして、円の価値が上がる。それに伴って、日本経済の体質と構造が変わる 』ハズだった。
 日本の取った政策はあくまで「円高不況回避」「輸出立国の看板は下ろさない」であった。悪魔に魂を売ったファウストのような
 日本経済のファウスト症候群の原点だった。その結果が、言わずと知れたバブル経済の出現だ。その時に先送りにされた課題が現在の
 我々に重くのしかかっている。≫
▼ あの時から27年間、バブルと崩壊を経た後、ただひたすら財政投入を繰り返し、一千兆という膨大な借金を積み上げてしまった。
考えてみたら私の新潟駅前事業シリーズ、あの時からホテル拡大が本格的に始まった。投資の資金計画さえ立てれば銀行が応じてきた。
そして目先は計画通りに順調に売上が上がったが、目標数字は三年もしないうちに計画より下回っていた。要は、プラザ合意の
背景があって資金需要先が必要だったのである。新幹線開通の勢いと、価格破壊の戦略もあったが、プラザ合意のアダ花でしかなかった。
時代の流れに乗り、その後、激流に流されただけ。それを乗り越えるのが経営。この大津波の飲み込まれたのは、それまででしかない。
何とか近くの山に逃げることが出来たが、山上から見えるのは内海の向こうの大津波。しかし、防波堤の内側の人たちは、のんびり
内海を眺めているため、叫び声が聞こえていない。逃げた人たちが山の上で手を振っているのを見て笑うだけ。江戸の長き眠りを
アメリカの強引な開国要求で醒まされ、無血革命で近代国家造りを余儀なくされ、その膨張の結果、日米大戦に引きずりこまれ敗戦。
その後はアメリカの属国として世界第二位の経済大国になった。しかし、プラザ合意を強引にアメリカにのまされて、バブルと崩壊の中、
ドルとアメリカ国債という紙切れで溜め込んだ資産を収奪されている。それもこれも娑婆娑婆! 所詮はイエロー・モ(ヤ)ンキーか。
・・・・・・
3752, 創業と 野良の話
2011年07月04日(月)
 ゼネコンは慢性供給過剰状態が30年以上続いている。 某ゼネコンの担当で、4棟を一緒に手がけたMさんから聞いた話だが、
その本社の営業会議で上司が営業の不甲斐なさを責め立てるに、「野良猫でさえ自分の餌は探してくる。それさえ出来ないのは、
野良猫以下だ!と、罵倒されてきた」と、愚痴を聞かされたことがあった。その時、「この人は何も分かってない、野良猫は都会の中、
野生の本能を使って食扶持を探している。生き馬の目を抜くゼネコンの営業は、とことん飢えた野獣の感覚を研ぎ澄まさないと、
その中で勝ち抜けない」という比喩を言ったのである。 大手ゼネコンの中で、中堅ゼネコンの営業が、修羅場の闘いの中で、
獲物を獲得するに野良猫の感覚を持たなければならない。この厳しい環境の中で、営業は大変である。ここで同じ話をしても、
その言葉を解釈出来る人と、侮辱されたという受け止め方しか出来ない人が分かれる。
 私の知人が大手の??を早期退職をして、「独立をしたいので助言をして欲しい」と頼まれたことがあった。その時に、長年、
大組織を背景にした人が果たして一匹狼になれるものか、本人も、相談された私も疑問であった。 振り返ってみて、よくぞ、
こんな失礼なことを言ってしまったと冷や汗ものだが、「高級住宅に住む宅上犬が、飼い主の家から出て野良犬になるようなもの、
外に出れば、餌を自分で探さなければならない。外でゴミ箱もあさらなけれならない事態もある。その覚悟があれば、上手くいく」と。 
 それでも本人は嫌な顔をしないで?聞いていた。 そのまま、その道に突き進み、経験を生かして第二の職業で自己を確立している。
そういえば、以前にも同じような相談を受けた人が、もう一人いた! その人も二転三転の後、第二の人生をハッピー・リタイアーをした。
ギリギリの野生に立ち返り、見栄も外見もかきすて、ただ成功させるに、どうしたら良いか、考え、準備し、身体が宙に浮いた状態で、
計画をこなしていくかどうかで何とか自立出来る人が1〜2割、いや、もっと確率は低い。それほど自立は難しい。
だから、野良犬、野良猫という例え話で、創業のシビア(動物的野生)の必要性を、経験から説くが、その覚悟を反応でみる。
 本人は、「頭を垂れて自分の方から聞きにくる第一歩からして、計画のチェックをしにきているに過ぎない。」
で、初めは上手くいっても、私のように震災三つで、はい、さようなら!である。 何かをやろうとしたら、準備、準備、準備。
準備さえしてあれば、野良猫でも野良犬でも、なれる。 野良犬、野良猫を宅上で軽蔑し、頭で考えていただけで準備なしに、
やれば結果は火を見るより明らか。 否定の視点でしか対象を見ることが出来ないから、その中心点と、その奥にある、血と汗を
感じ取ることが出来ない。場数を踏むか、多くの事例を見て消化してきたかが、大きく左右する。 それとて死んでしまえば皆、同じ。
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3387, 金融のミニ講演
2010年07月04日(日)
 一昨夜、新潟の駅近くのイタメシ屋で金融のミニ講演会に出席した。
日系カナダ人の保険業の社長で、香港とシンガポールに支店を持っている人の生の金融情勢も面白そう、と。。
 ーその要旨といえばー
・日本国家の金融もギリギリのところに来ているので、海外に口座を作って何割かの金融資産を出した方がよい。
 その手伝いが自分の仕事の一つという。世界中の10位の通貨にして置いておくのでリスクヘッジが簡単にできる、とか。
(字数制限のためカット 2011年7月4日)
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3012,死ぬまでに知っておきたい5つの秘密
2009年07月04日(土)
 アメリカのケーブルテレビ局の番組で(死ぬまでに知っておくべき五つのこと)の制作を著者が依頼されたことに端を発して、
周囲の人たちから「幸福な賢人」と見なされている1万5千人の高齢者を探し、その中から235人の60歳以上の高齢者に
「幸福な人生を生きるための秘訣」についてインタビュー。 彼らの言葉から浮かびあがってきた
  その「幸福に生きる秘訣」を、「5つの秘密」としてまとめると
1 自分の心に忠実であること    2 思い残すことのないように生きる
3 愛になれ   4 いまを生きよ  5 得るよりも与えよ
 今さらの内容だが、それでも1万5千人の統計の結果と言われると、いやに納得するが目新しいものはない。
〈 自分の好きなことをライフワークにして生きてきた者にとって、何を今さら 〉である。
そうじゃないのが大部分だから、こういう番組が出来、こういう綺麗ごとになるのだろう。
 といって、否定するものではない。
 ーそれよりも、その中で紹介している賢人たちの発言が印象に残る。ー
  「自己実現と好奇心と探求に情熱的に取り組むことだ」     ウィリアム 64歳
  「人の顔色をうかがうな」                  ドン 78歳
  「あわてて幕を引くな。アンコールか第四幕がつきものだから」 ジョシ 79歳
  「自分の心に従い、こうありたいと願う人間になりなさい」   ボブ 59歳
  「お金を目標にしてはだめ。節約し、楽しめる仕事を選びなさい」 メイ 72歳
  「つねに、することを五つ以上、見つけなさい」        ルーシー 101歳
  「自分や人を深く尊敬しなさい。人を傷つけてはならない」   ジュリアン 76歳
 ー何事にも興味を持ち続け、周囲には積極的に働きかけ、明るく生きなさい、とうことだ。
周りをみると、歳を重ねるに従い胡散臭くなっていくのが大部分。 人のことを言えるか、と言われそうだが。
特に、中途半端に生きてきた自主性の無い人ほど群れたがるから「薄汚れたジメジメした悪臭」が漂っている。 
その逆の「不幸に生きる、5つの秘密」という人間になっていく。
1、仲間を大事に、助け合い、自分を高め、奉仕に努める
2、世界は色いろなことに満ちている、独りでは出来ないので、そういう仲間を求めて寄り添い、
  悩みを分かちあうことこそ、老後にまず必要である。
3、愛されるために、自分は生きる。 愛される人間になりましょう。
4、過去の人生を振り返り、その思い出を大事にする。
5、死んでしまえば、それまでよ。 生きているうち、元気なうち。貪欲に人生を求めましょう。
 やはり老人は孤独が似合っている。孤独に耐える老人であるべきである。持って産まれた性格もあるが。
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2647, 座敷童子と出会える宿 ?1
2008年07月04日(金)
  借りてきた「新潮45」の5月号を読んでいると、外務省休職中の佐藤優の手記が載っていた。
 それが《私の出会った「日本の妖怪」》という、彼らしくない内容であった。 そこには「座敷童子」と出会った体験記が
 書いてあった。彼には圧倒的多数の人にとって予想外のことを勘で当てることがしばしばあるので、それが霊視能力と
 勘違いされることがある。 その彼と座敷童子との出会いの体験記が面白くない訳がない。東北には、座敷童子が出るのを
 売りにしている旅館が何軒かあるという。宿泊業をしているものにとって、妖怪を売りにしている逞しさに驚くばかりである。
 それも、二年先まで予約で満席というから、驚きである。何かファンタジーがあって、面白いキャラで何とも微笑ましいのがよい。
 妖怪に会うと幸福になるというのが、またミソである。たまたま、新幹線の座席の前に置いてある小雑誌の特集が
 [東北の妖怪・特集」であった。
  ー まずは、そのサワリを抜粋してみる ー
 *「座敷童子が出た!」
大学生、社会人になって、妖怪のことは、ほとんど忘れていた。私が妖怪を再びリアルに感じるようになったのは、
2年前に岩手県盛岡市で座敷童子に会ってからのことだ。先程、内地の妖怪は「人間に災厄をもたらす奴らがほとんどだ」
と言ったが、もちろん、例外もある。座敷童子は例外的に幸福を呼ぶ妖怪なのだ。座敷童子東北地方で、家の中に出現ナる、
子供の姿をした妖怪。これが居ている間はその家は栄えるが、いなくなると没落するといわれている。
子供には姿が見えても、大人には姿が見えない。岩手では、いくつかの小学校に「座敷童子」が現われた。
生徒と遊びたわむれたり、夜九時ごろ、無人の教室で机やいすの間をくぐっては楽しそうに遊んだりした。
やはり、その姿は子供だけにしか見えなかったという。〉(水木しげる『図説日本妖怪大全一講談社+α文庫)
 (字数制限のためカット 2011年7月4日)
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2007年07月04日(水)
 2283, 10歳の放浪記     才ノヽ∋ ー ヾ(^ω^*)
この日曜日の朝、偶然にBS・NHKハイビジョンで「私が子供だったころ」を観て、思わず涙が溢れてしまった。
昭和25年、東京生まれの児童文学作家・上條さなえさんの実話。
10歳の時、父親が事業に失敗し家族離散、父親と池袋でホームレスの生活を1年過ごし、
その後児童福祉施設を経て、後に小学校教員になった経歴を持つ。
その過酷な子供の頃の生活を「10歳の放浪記」と題して本にした。あまりにも悲しい過去のため出版は躊躇していたが、
出版社から「いじめ問題や親子問題が多い現実にひとつの警鐘を」とくどかれ思い悩んだ末、出版したという。
この本を忠実にドラマ化したのが、TVの内容であった。
 ーその大筋を書いてみるー
不動産業をしていた父が事業に失敗して一家は離散。父と東京・池袋の簡易宿泊街で暮らした。
酒浸りの父に代わってパチンコでかせいで夕食にありつく毎日。高度経済成長期の昭和35年の頃の、学校に行けなかった
1年間の生活を淡々と描写してある。父とふたり、池袋のドヤ街でその日暮らしをしていた彼女を支えてくれたのは、
街で出会ったパチンコ屋の兄さん、やくざのお兄さん…など普通の人々である。 弱者に対して優しかった時代であった。 
そこは池袋駅西口を背にして左に数分歩くと、東京芸術劇場がみえてくる。目的地はその斜め向かいにあるホテルメトロポリタンだ。
かつてそこには1泊100円の簡易宿泊所があった。昭和35年、小学5年生上條は、当時43歳だったその日暮らしの父親と2人、
やむなくのホームレス生活だった。10歳という年で、道にお金が落ちていないか、道をさまよい、パチンコ屋の前で玉を拾い、
パチンコをする。1個、2個、3個と球が無くなり、4個目にチュウリップに入り玉が出る。5個目の球が、途中でひっかかると、
隣のおばさんが「このスイッチを押すと店員さんが来てくれるよ」と、教えられ、ブザーを押す。そこの店員が機械が壊れたと思い
「どうしたの」聞いた。さなえは自分がどうしたのかと聞かれたと思い「お父さんが病気なの」とかぼそい声で答えた。
それを聞いた店員は気の毒に思い、多くの球が出してやる。さらに金に換える方法を教えてくれた。
教えられて行った景品屋のヤクザが同情して、高い値段で買い取ってやる。それから毎日、パチンコに通い、生活を支えた。
しかし、ついに父が言う、「なぁ、なこちゃん、父ちゃんお前を育てるのに疲れちゃったよ」「なこちゃん、死のうか」しかし、
「子どもって、かなしいよね。大人に決められたら逆らえないし、どんないやなことだって、がまんしなきゃならないもんね」
「でも、なこちゃんは幸せだよ。お父さんも、お母さんも、お姉ちゃんも、いるから」。 いつも友のこの言葉を反芻し、
壊れていく父を励まし、生き抜く。こうした放浪の状態では、学校に通えなかったが、簡易宿泊所でドリルを使って勉強したり、
ヤクザから算数を習ったり、映画館に通い洋画の字幕などを見て勉強をする。お金がないのに映画館に通えたのは、
「中に父親がいるの。探してもいい?」と受付の人に言って、映画館に「フリーパス」で入っていく智慧を使う。
    (字数制限のためカット 2011年7月4日)
 


4858,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー26

2014年07月03日(木)

   * 15年の準備期間の総括!
 このテーマを書き始めて改めて思うことは、30年間の新潟駅前のホテル事業そのものより、
その準備期間の15年間の方が遥かにインパクトが強く、どの場面も、私の実力の極限?を
超えていた。無心で取組んだ問題の中心点に立向かい、堪えていると、その能力が何時の間に
蓄えられいく。 その立ふさがった壁、岩盤にこそ、問題解決の糸口が隠されていた。
そのためには、まず立ち向かうしかない。 節目ごとに、それまでの全てをかなぐり捨て、
それまでの実績を一度‘空’にして、立向かう中で、新たな色(現象)が立ち現れてくる。
 何も無いと、逆に、自由に何でも取組め、かつ考えることが出来ることになる。 
コップの水を一度、空にすればこそ、新しい水を入れる事が可能になる。3年前の結果が、
ベストと実感出来たのは、多くを失えばこそ、新たな出発が可能になったからだ。
これを書いていても、それぞれの節目では後悔しても、今からみれば、それはそれで!と、
その時の己を容認するしかない。 15年間の自己配転の繰返しの中で、基礎知識と基礎経験を
積上げた。一に準備、二に準備、三に準備である。この結果で最後は終わったが、これが私の限界、
「御覧のとおり、そのまま結構!」である。 これが限界と本当にいえる程でもないことは、
わかってはいる。しかし、私にとっての限界は、どれもこれも超えていた。
 ・20〜34歳までが完全独立の準備期間。
 ・新潟駅前シリーズ前半15年が50歳で、第二の節目。
 ・最後が65歳、事業人生の最後の節目になる。 
いずれの場面でも、何はともあれ、目先の創業の成果を上げるしかない!
創業は、いや事業は大相撲でいえば、14勝1敗では駄目で、最低でも8勝7休でなければならない。 まずは、真剣勝負の場に、自分を置いて、あとは出たとこ、しかない。 どの場面でも、順調に枝と
幹をのばし、張っている時より、節目の時節の方にチャンスが隠されていた。
白紙に戻して、考えるからだ。極限にたつと、それまで得た知識、経験の蓄積が表立ってくるため、
それらが消化されるため、「人生に、無駄は無し」になっている。
 語り直しだからいえるが、挫折をした下向きの時ほど、上向きへのヒントを拾うことが可能ということ。
それと、両親の愛情を直に受けていたことが、非常に大きい。これは準備以前のことになる。
この辺が、心の芯になる。 それと高度成長の時代も含めて、全てに恵まれていた。
これが下地にあって、この結果にも何ら後悔はない。 手作りヨットの遊びは、運航も良いが、
準備期間が一番、面白い!今だからこそ言えることだが・・ なかなか、書き直しもエネルギーがいる!
・・・・・・
4491, 怒らないって本当は恐い! ー6
2013年07月03日(水)             『怒りの作法』小川仁志 著                      
   * 怒りの蓄積がストレスになるが、解消の中にお宝がある
 怒りには、ストレスがたまるデメリットがある。しかし、それを正しく利用すればメリットになる。
2年前の節目時に、まず考えたのはウツ病対策である。身体を動かすこと。暇を持て余さないこと。
周辺の「C」さん?の毒素に触れないことである。それでも、3月に一度は仕方がないと割り切ってはいたが、
彼らの毒はCなるが故に強い。 で、何より身体を動かすことが、まずは基本。そして、滅多に味わえない経験を、
先人の言葉の中から探し出すこと。そして、最もストレス解消になったのは、この経験と思いを言葉として表現することだ。
「C」さん? の卑しさを言葉として表現し得た時の快感は、既にそれでストレス解消になる。 ただ、その人に、
その自覚さえないから、罪もない。 ここで紹介している子どもの養育概念に「セキュア・ベース」という言葉がある。
「心の安全地帯」と訳される。子どもが安心して外の世界に出ていけるのは、親の存在があるからである。
誰しも自分の心の平静を保つことのできる場所や状態を求めている。とりわけこの理不尽な社会においては、なおのこと。
怒るという行為は、押しつぶされそうな心を、正常な状態に戻す機能を果たします。 怒ることが出来るから、
人は安心して理不尽な世の中を歩いていけるのである。映画の物語からして、そうだ。普通、怒りが人を不愉快にするが、
でも主役が冷静に、暴力に対し暴力を持って対峙して問題を乗り越えたときの快感を味わいに映画館に行くのである。
その怒りは、見るものを心地よくさせる力を持つのである。だから、この2年間はウツ病予防と割り切ってハリウッド映画を
毎週のように通った。主人公と同化して、ネガティブの怒りにポジティブに怒りことで、ストレスを発散し、セキュア・ベース
をつくっていたことになる。平静を装っているが、実は、受けているストレスは同じ。しかし、それなりの防具を着ているだけ。
しかし、一番身近な家内は、ここぞとばかりに、全身で傷口を直接、蹴り上げてくる。 そう人生は、甘くない。


・・・・・・
4117, 財政恐慌 ー4
2012年07月03日(火)
  ー ユーロ危機に対する質問群 ー  「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した」浜矩子 (著)
 ● 1、我々は今どこにいるのか 2、いかにしてここにきたのか 3、なぜ、ここにきたのか 4、我々はどこに行きたいのか
 ≪ 1、今どこにいるのか? =今、我々は閉塞感のさなかにいる。
   2、いかにしてここにきたのか =高度成長期が終わり、ニクソン.ショックがあり、プラザ合意があり、バブル経済を経て、
    失われた一年に見舞われ、小泉劇場に踊らされ、リーマン・ショックの衝撃を味わい、格差の深化におののき、
    衰退国家化することを恐れつつ、ここにきた。
   3、なぜ、ここにきたのか? =ここに至る変転の節目節目で、タイミングを逸し、
    流れに身を任せ過ぎ、時流に飛びつき過ぎ、変身を恐れたから、ここにきた。
   4、どこに行きたいか?=我々は、ほっと安心できるところに行きたがっている。デフレや失業や
    年金問題や、通貨戦争や国々の財政破綻などを心配しなくていい。そのような安らぎの天地を求めている。
 ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
  ≪今、必要なのは、成長戦略ではなくて成熟戦略だ。大きく積み上がった富をいかに上手に分かち合うか。そのための
  新しいメカニズムを考案していくことが必要だ。そのために、これまでの集権的管理のメカニズムを改変する必要がある。
  中央から全方位にばら撒く時代は終わった。地域社会の自己決定力と自己展開力をどう強めるかである。≫  
 ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか
  ≪自分にとって最適の場所に着いているのに、それに気づかない、これは怖いことである。成長よ再び。円高よ去れ。
  そう願うあまり、対応によっては、着いたはずなのに、その場所を忌避していのではないか。 昨日の答えで、
  明日の質問に答えようとする。≫
 ● 我々は地図を持っているのか =持っているのは古い地図ではないか?むかし居たところに戻る地図ではないか。
 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか =元いた場所が不相応になったため、成長期から成熟期になったため。
 ● 我々はここで立ち止まりたいのか =この場所の良さを引き出していくしかない。             
 ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか =それは無理。それなら、ここを新しい出発点にすればよい。】
   ▼ 以上だが、アメリカの支配下で、一時的にしろ世界第二位の経済大国になれた。しかし、既に、その時は終わってしまった。
    そのことを、まずは悟らなければならない。数年以内に、貧乏国に陥ってしまう。日本こそが財政恐慌の最たる国である。
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3751, 閑話小題
2011年07月03日(日)
   ▼ 西鶴人情橋
 図書館で古本の無料配布で貰った10冊の一冊、「西鶴人情橋」を、何気なく手にとって読んだところ、これが面白い。
300頁を毎日1時間半平均で四日で読み上げた。作家は吉村正一郎。初めて聞く名だが、物語に引き寄せられ、
ドップリと吉村の世界に引きずりこまれた。 西鶴と主役の侍を通した江戸時代の大阪の物語だが、正統派の侍に対比させ、
アクの強い西鶴の人間性を浮かび上がらせている。脇役の西鶴が実は主役のところがミソ。 ーアマゾンで概要をみると・・
【俳諧師から草本作家への転身をはかる井原西鶴。亡父ゆずりの豪剣をふるう磯部信十郎。二人の奇妙な友情を軸に
織り成される人間模様の数々。米相場を左右する大坂商人たちの葛藤と幕閣中枢の暗闘には、謎の美剣士がからむ。
―剣あり、恋あり、友情ありの、浪花元禄時代絵巻。第3回時代小説大賞受賞作。】とあった。
 なるほど小説大賞なら面白いはず。 こういう何気なく読み始めた本を一気に読むことは以前なら、無理である。
最近になって気づいたことだが、会社経営は膨大のエネルギーが取られていたようだ。 しかし一度、肩から外れると、
こんなに楽かと驚いている。 余世に入ったということか! 10年続けてきた、この随日、もうそろそろ他に切り替えたら?
  ▼ 扇風機が売り場からホボ消えていた
 物持ちの良い我が家の20数年年近く使った二台の扇風機と二台の冷房も寿命がきたようだ。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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3386, 911・考えない・日本人  ー4
2010年07月03日(土)
 「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  * たまたまその日は・・・を取りさってみると ーP/80
 出来事の真相を見極めるのに最も有効な手段は、その起きたことに対する情報の中に、どれほどの偶然が含まれているかを
見極めることだ。偶然が多ければ多いほど、その情報は捏造性が高い。偶然を取り去れば、残るのは必然要素なのだ。
必然には矛盾がなく、偶然には矛盾がある。
 911 に関するアメリカ政府の発表した情報には、偶然がギュー詰めになっている。
たまたまその日は……、といった矛盾だ。 どんな小さな偶然でも、それを丹念に取り除いていくと、必然要素が残る。
たまたまその日、二十四時間迎撃体制を取っている戦闘機の発進がニューヨークのすぐ近くにある米軍基地から遅れた。
たまたまその日ブッシュはフロリダの小学校にいた。
たまたまラムズフェルドを含め、ペンタゴンの幹部たちは、直撃されたビルの正反対側にいた。
たまたまその日は貿易センタービルのオフィスには、政府関係者は出勤していなかった。
 しかもたまたまそのビルの中には、CIAやFBIはじめとする政府の秘密情報機関が多く入居していて、
たまたまそこに保管されていた重要な秘密書類は灰儘に帰しった。たまたまその存在が完全に抹殺された。、、、、
たまたまアルカイダの幹部は、その日ワシントンにいたし、同じようにたまたまテキサスの別荘
(ブッシュ家のたまたまご近所)にいたビン・ラディンの一家は、他のすべての民間航空機がアメリカ上空の
飛行を禁じられているにもかかわらず、たまたま何機の飛行機を乗り継ぎ、事件直後に国外に脱出した。
 構造学的にも物理学的にも、あの種の外的傷害ではパンケーキ現象でビルが崩壊するすることはありえないのに、
たまたまああの二棟(及びもう一棟)とも、同様の崩壊現象を起こした。これらはブロッカーズやポール・トンプソンの
著書には、これらの「たまたま」が羅列されている。 ・・・問題は、たまたま彼等を訴えている人々が、無力ということ。
▼ これらの偶然が、あまりに多い今回の事件。 どうみても変だが、マスコミは、それを取上げようとしない。
 そういえば真珠湾の攻撃の時も、明らかに情報が漏れていたのに、アメリカは見て見ぬふりをしていた。
あの攻撃で、一番メリットがあったのは、アメリカの公共事業の軍需産業であり、その情報でメリットを上げた
投資銀行である。株も為替も、その情報を知った上での買いが入っていたのは、周知の事実である。
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3011,アンカリング効果
2009年07月03日(金)
「世界は感情で動く」 ー6         読書日記
 ー 行動経済学からみる脳のトラップー   
   *アンカリング効果
 船が錨(アンカー)を降ろすと船と錨を結ぶ鎖の範囲し動ごけなくなることからくる比喩で、最初に印象にの残った数字や
言葉に影響されることを言う。店頭で、1万円に赤線を引いて7千円を見ると、お買い得と思ってしまうことをいう。
「本日限り」「女性半額」「先着10人限り」等の、色いろなアンカーが待っている。
我われは、知らないうちに自分でアンカーを降ろしている。 いま一度、それを点検してみる必要がある。
 アンカリング効果は、偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味の一種である。
・物事の交渉、売買の判断をする際に、初期判断条件として始めに印象に残った数字(値段)や物(品質・量)が、
 その後の判断全体にまで影響を及ぼす心理の傾向を指す。
・アンカーとは、不確実な事象を予測する時に特定の特徴や情報の断片をあまりに重視することを指し、
 最終的な決断、結論までアンカーを過度に注目、意識してしまい決定される事象のことをいう
  ーアンカリング効果として、面白い事例があげられる。
「紙を半分に折り、また半分に折り、この動作を100回くりかえす。そうしたら紙の厚さはどれほどになりますか?」
大多数の人は1メートルくらいと答え、一番大きな数字をあげる人でも、厚さ数十メートルである。
しかし正解は、地球から太陽までの距離(約1億5千万キロメートル)の800兆倍なのだ。そんなに!と驚くかもしれないけど、
計算したらその通りなのだ。「紙は薄っぺらいもの」という固定概念という脳のトラップに見事に嵌っているのである。
 初めてついた仕事しか出来ないと思い込んでしまう人が多い。これもアンカリングになるのだろうが、
人は、その仕事に錨を下ろして鎖の範囲を決めて、他のことは絶対に出来ないと決めてしまう。私の見る限り9割?の人が、
そうである。 考えてみれば、自分で勝手に思い込んでいるだけのこと。転職や転業は、例えると、ある箇所に穴を掘っていて
、一度そこから出て他に似た穴を掘るのと同じである。それは経験を重ねると解ること。一見違うようだが扱う対象が違うだけ。
それが理解できないのである。 そして多くの人は、その穴から一生出ることが出来ない。 
 人生は誰も同じだが。 カミサンもアンカリングか。 これは梃子でも動かない。 ったく!
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2647, アメリカ狂乱 ー2
 2008年07月03日(木)
この本の次期大統領の行方以外のテーマ、アメリカの「偽札事件」の背景を解りやすく説明している。
成るほど、この問題は簡単に片付くわけがない。
 ーその要点をまとめてみたー
実際のところ、アメリカ経済はそれほどおかしくはなっていない。すでに述べたようにこれまでの不況にくらべると、
いまのアメリカには資金があふれている。アメリカの経済専門家はこう言っている。「アメリカには資金がいまや
有り余るほどある。企業もふんだんにお金を持っている。うまくいっていないのは金融システムだ」 この説明は
きわめて意味深長である。これまでアメリカは常に資金が不足してきた。アメリカの人々はお金が入ればすべて使ってしまう。
消費がアメリカ経済の六十パーセントを占めているのだ。だがアメリカ自体が強くて豊かな国であるため、世界の人々が
アメリカに資金を持ち込み、アメリカは資金がないにもかかわらず景気を拡大してきた。 歴史的にみてもこの事実は明らか。
*1970年代に金本位制度をやめ、円を切り上げさせることによってドル安を実施した。
 実質的なドルのインフレーションによってアメリカ経済は不況を脱し、経済が拡大をした。
*1980年代はレーガンがアメリカの国有地をせっせと売ってサウジアラビアなど中東のオイルマネーをアメリカに取り込み、
 アメリカ経済を拡大した。
*1990年代には、世界に先んじてクリントンがIT革命をおし進め、世界中の資金を集めてアメリカ経済を豊かにした。
*2000年代、ブッシュは強いドルと土地、住宅バブル政策によってグローバル化した世界の金融界から資金を集め、
 アメリカ経済の好況を維持した。 この強いドルと住宅バブルを続けるためにアメリカ政府が必要としたのが、
 サブプライム債券である。サブプライム債券という言葉が経済用語として確立しているかどうか分からないし、
 この問題について経済専門家が明確に説明をしているわけでもない。
 (字数の関係でカット 12年7月3日)
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2007年07月03日(火)
 2282, ハンモックを設置! (p≧w≦q)オッ☆ ハァァァァァァ♪
新幹線の座席前においてある通販のパンフレットに結構面白いものがある。(ただし値段は、ネット上の価格の2?3倍する!)
その中にフレーム付きのハンモックがあったが、2万円近くする。 そこでネットで調べたら、多くの種類が売られていた。
 (字数の関係でカット 11年7月3日)


4857,閑話小題 ーつれづれに漠然と!

2014年07月02日(水)

   * ぼんやりと、考えてみると!
 時間とは何だろう? このところ、鳥瞰的に30数年前の時間を超えた過去の語り直しをシリーズで
書いているが、「遠き日は年とるごとに近くなり」の感が、ますます強くなっている。 新しい気づき、
切り口から見える当時が、新鮮に思えてくる。死んでしまえば、全てが永遠の彼方に消えてしまう
のか?それとも、永遠に経験は刻印され残るのか? 
私と行蔵の記憶の刻印から成立しているのか? その刻印も、後で書き換えることが可能なのか。
世間の流説は、ほぼ嘘だが、それを疑わずに信じるものには、それは真実の記憶になるのか? 
バカがバカと自覚できないのが世間様。その彼らが作った妄想を真実がごとく信じ、まかり通るのが
俗世界。そこでしか生きることが出来ない私たち人間? それも小さな世界の中。
 過ぎ去った昔と、現在。宇宙的時間からみれば、同じ様なものだが、間違いなく、時間差の中で
違う人が存在している。それが、自己と、自分の、言葉の意味の違いになる? 刻々変化する
世界と、自分の受け止め方の変化。両者とも、儚い泡のようなものでしかない。
なるほど、《ぼんやり》とは、「闇」―蛍と星にある背景。「独」―独りでいること。
「閑」―逆茂木に囲まれ時空。「怠」―勤勉だけでなく、怠慢も善。「懶」―心の余白。の様というが、
過去を覗き見ると、それが、ぼんやりと、解るような? 《ぼんやり》と、《無我夢中》の言葉の対比が、
何とも面白い。これからして、無我夢中は、光、輝きになるが・・ 
人生を取り囲んでいるのが、先の5つの一字の漢字。 ぼちぼち、過ごすしかない。
   * 夢と現実の境目で
 一月ほど前に、久々に大学時代の友人に電話をしたところ、数日後に大腸検査をすると浮かぬ声。
知人で何人か死んでいるのと、検査も初体験で、そのことで頭が一杯で、落ち込んでいるという。
その後、その結果がどうか?は、大腸だけに電話を躊躇った。そこで、先日、思い切って携帯に電話を
入れたが不在。 その夜半の夢の内容が、《 居間でウトウトしていると、当人から電話。 
非通知だっが、私ではないか?と、折り返しの電話。そこで『検査の結果は、どうだった?』と聞くと、
『う〜ん』しか答えない。そこで『入院をしているの?』と聞くと、曖昧な生返事。 まずかったかな?と
後悔したが、時すでに遅し!》 
 ところが、朝起きて、暫くして、あの会話は、居間で転寝の現実の電話か、夢だったか分からない。 
そこで携帯の着信記録を見て、夢と確認が、今度は、あれが正夢では?と、気になって、性懲りなく、
電話をしたところ、『ああ、あれ! 単なる胃腸の疲れで、何ともなかったよ!』と、明るい声。
・・・・・・
4490, 怒らないって本当は恐い! ー5
2013年07月02日(火)
    * 哲学者と、ジェファーソンの教訓     『怒りの作法』小川仁志 著 
  ここで、哲学者は怒りについて、どのような教訓を残しているか取り上げている。
・ギリシャの哲学者ピタゴラスが、「怒りは無謀をもって始まり、後悔をもって終わる」といっている。・・・
・デカルトは『情念論』の中で「怒りによって真っ赤になる人は、怒りによって真っ青になる人より恐ろしくない」と表現している。
 赤くなる人は、頭に血が上っている人でラッパ型。青くなる人の方が余程怖い。最初は事態の深刻さに青くなる、しかし、その後
 恐ろしいほど冷静に対処することができる実務型。
・ストア派哲学者セネカは、「憤怒より己を抑えるには、他人の怒れるときに静かにそれを観察することなり」と提案。
・アメリカ建国の父トーマス・ジェファーソンは、「腹が立ったら 何かを言ったりしたりする前に10まで数えよ 
 それでも怒りがおさまらなかったら 100まで数えよ、それでも駄目なら 1000まで数えよ」というのがある。
  決して我慢をしろというのでなく、その間に冷静になって考えろ!考えた分、良い結果が生まれるということだ。
 ピタゴラスの教訓は、直情型の怒りに対するもの。怒ってばかりいては短い人生のロスになるが、ボッとしているのも。
▼ 「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」は、その間に冷静に考えろということ。私の場合、「二年スパンもの」。
 正しい怒り方、すなわち問題解決型怒り方とは、粘り強い思考を持って、正しいエネルギーを使うことになる。 
 怒りは、目を外らさないで中心点を見続けていると、時間の経過で殆んど収まる。その鎮静に膨大のエネルギーを
 投入するが、そこで多くの認識が出来てくる。
  この倒産劇の中で、多くの怒りを経験し教訓も得た。 怒りにも、私憤と義憤があること。救いようのない怒りと、
 救いのある怒りがあること。 何事も実際に自分が経験してみないと分からない。
 今回の一連の私憤はデカルトのいう、「青くなる怒り」である。世界は既に世界が恐慌に深く踏み込んでしまっている。
 その直撃で青くなったのは、世界恐慌のウネリの到来を感じたからである。それも、後に控えている歴史的大津波の
 到来が見えたからだ。地元も含め、地方の中小・零細の8割以上はただ呆然と立ち竦んでいる。残る2割の多くも、
 時間の問題でしかない。その中で、何処かの首相が、10年後の一人あたりの所得を150万円増やすと曰わいている。
 耳を疑うより、怒りが込み上げて来たが、これは公憤である。 「腹が立ったら、10、100、1000まで数えよ!」というが、
 挫折は、「二年(スパン)もの」。私の場合は、どうだろう? 自分も周囲に対しても、腹の底から笑えたが! 
「怒らないって本当は怖い!」は、現在の自分にピッタリ。現在、もっと笑い、怒り、哀しみ、楽しめということか。 チロリ
・・・・・・
4116, 財政恐慌 −3
2012年07月02日(月)
                 「 財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る無限ループに突入した 」浜矩子 (著)
  英国の怪物的俳優で異様な喜劇俳優アトキンソンことミスター・ビーンの過っての持ち役の一つがサー・ベンジャミンだった。 
 サー・ベンジャミンは、ロンドン市長主催の晩餐会の栄えある舞台で、「人生の不確実性」について語った内容が新鮮である。
 この著書で、欧州危機について、この質問を、そのままに答えている形式になっている。
   * ミスター・ビーンに聞こう
【・・・ これを考えていくにあたって、皆さんにご紹介申し上げたい人物がいる。 その人の名は、サー・ベンジャミン・フレッチャー。
 イギリスの大物政治家で自ら交通大臣や社会保障大臣を歴任・下院議長も務めた。彼は架空の人物である彼を演じて大反響を得たのが、
 ローワン・アトキンソンである。イギリスの怪物的俳優で異様な喜劇俳優だ。 物言わぬドタバタ男キャラクター、「ミスター・ビーン」
 としての彼をご存知の皆さんは多いだろう。ミスター・ビーンは何も言わない。だが、アトキンソンは実は極めて多芸な俳優さん。
 七変化的な役柄の演じ分けが得意だ。そんな彼のかっての持ち役の一つが、サー・ベンジャミンだった。 サー・ベンジャミンは、
 ロンドン市長主催の晩餐会でスピーチに立つ。 市長の晩餐会はイギリス恒例のビッグ・イベントである。その栄えある舞台で、
 サー・ベンジャミンは「人生の不確実性」について語る。 その中身は、あたかも今日の日本を語っているがごとくだ。
 「今日、イギリスは一三八○年以来最大の経済危機に直面している」と、サー.ベンジャミンは口火を切る。なぜ一三八○年なのかは
 よくわからない。・・ここから、その「我々がみずからに投げかけるべき質問群」が並べ立てられてた。この紙面上に再現してみよう。
 ー 我々がみずからに投げかけるべき質問群 ー 
  ● 我々は今どこにいるのか           
  ● いかにしてここにきたのか  なぜ、ここにきたのか      ● 我々はどこに行きたいのか
  ● 行きたいところに、我々はいかにして行きたいのか どれくらい遠くまで行かないと、行きたいところに行けないのか
  ● 行きたいところに行けた時、そこが行きたかったところであることを、我々はどうすればわかるのか
  ● 我々は地図を持っているのか                 ● 我々はなぜ元いたところから立ち去ったのか
  ● 我々はここで立ち止まりたいのか               ● それとも、我々は元に戻って最初からやり直したいのか 】
▼ これを現在の自分と書き換えて自問自答して考えると、面白い。ここで著者は、対象をユーロ危機に置き換え質問に答えている。
それぞれが個々のテーマとして成り立つ質問群。私たちは9・15ショックという大地震直後の大津波来襲を目前にした茹で蛙。 遊びなされ!
 ・・・・・・・
3750, 自分の居場所のみつけかた ー�
2011年07月02日(土)
                 「自分の居場所のみつけかた」 ー 斉藤学著
 人生はままならぬもの。特に少年・青年期は傷つきやすい時期。ところが中年期、そして晩年期に入ると、過去の出来事のガスが
心の底の沼に溜まり、いつの間にか泥沼になって猛毒が湧き出てくる。 それに老化が重ねると、その毒で脳がやられ下手をすると、
重症の鬱病か分裂病になる。 それを防ぐには孤独に徹し、先人の知恵などを借りて洗浄をしないと老醜を曝すことになる。
憎しみが重度になると、主語(相手)を選ばなくなり、憎しみの連鎖が始まる。以下は怒りと憎しみの意味が分かりやすく書かれている。
【 ● 怒りに羨望が絡むと「憎しみ」に変わる  ーP・118
「怒り」と「憎しみ」の間には少し差があります。怒りは、相手に欲しいものをおねだりしてももらえないというときの感情です。
まだ相手の愛を求めています。赤ちゃんが「オギャー」と泣いて、お母さんのおっぱいの必要を示す。これを「怒り(アンガー」と言います。
そこに「羨望(エンヴィー)」が入ってきます。これは相手が持っているものを、本来自身が持つべき、とその人から取り上げたくなる感情。
「エンヴィー」という言葉の由来は、「横目で睨む」です。つまり、人の持ち物を睨む。それを取り上げたいという感情。
怒りに羨望が絡んでくると「憎しみ」になります。「嫉妬」というのは男女の関係で、自分の持っている人をとられるのでないかという焦燥、
怒り、不安の複合した感情です。 取られることを恐る感情、取ろうとするのも憎む感情です。ここにも「憎しみ」があるわけですが、
男女関係が絡まないエンヴィーとは区別されます。 嫉妬は人聞関係を破壊しません。むしろ人間関係を破壊されることを恐れる感情ですが、
憎しみ、憎悪は人間関係の破壊に結びつきます。もう一度、赤ちゃんとお母さんの関係で考えてみると「おっばいが欲しいのにもらえない」
というときに発生する感情はアンガー。お母さんはいいもの(おっぱい)を持っていて、弟だの妹だのがどんどん出てくるお母さんが
持っているものをみんな自分のものにしたいと思ったら、これはエンヴィーになります。
 ですから、愛情というのは考えてみるとかなり厄介なもので、一つ間違えると怒りに、もっと間違えると憎悪に転換します。
そういう「関係」に身を置くのが厄介だと思うと、逃亡心が生まれてくる。こんな面倒な関係からは離れたくなることもあるでしょう。
昔の東洋人の思想の中には、そういう面倒な関係が嫌だというものがありますね。 いろいろな欲望や感情が渦まいた俗世から離れて、
仙人のように淡々と生きる生き方に憧れるというものです。それをやるとなると、どこかで線を引いて、人間関係からリタイアすることを
考えなければなりません。あれこれ面倒なことがあるうちは、山の中で仙人のように暮らすことに憧れるかもしれませんが、いざ本当に離れた
ところで一人暮らすとなったら、今度は記憶の中の人間関係にわずらわされることになる。 人間は人の中でしか生きるしかないのです。】
 ▼ 大人数の兄姉の中で、私が両親の住んでいた実家に住みついて家屋敷などを引き継いだため多くの葛藤があったのが世の倣い。
 「怒り」×「羨望」=「憎しみ」は肌で嫌というほど感じ取ってきた。私も家内も愛情を限りなく受けてきたが、逆の与え方は上手くない。
 「自分」というものは、自分一人の閉鎖系で成り立っているより、人との「関係」として成り立っていると著者は強調している。
 「愛」というのは、そういう関係性を言っている。 だから、年齢を重ねるほど人間関係は丁寧に扱わなければ。
 「ピーク、エンドの法則」がある。 記憶は、ピーク時と、終わりが引き立ってくる。その数パーセントで、8割以上の記憶を決まる。
 ドロドロの経験が少ない人は、その辺の構えが甘くなる。 心の奥の沼に大切な人生経験をマイナーにして落とし込んでしまう。
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3385, 911・考えない・日本人  ー3
2010年07月02日(金)
            「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
 ー以下の箇所は、欧米の一神教と無宗教の日本の差でもあるー
 * 生存に必要な要素、それは悪 (P・62)
≪ 男のいない日本に、「男らしさ、勇気」があるわけがない。 白人の根本的な善悪の問題は道徳科目ではない。哲学科目だ。
当然、日本にあるわけがない。 日本の悪は改心と謝罪の対象である。 白人の悪は復讐の対象である。 根本的に異質だ。
人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。 悪である。 悪を身につけない限り、生きられない。 
人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。 悪がないことは善か? ノー。 
それは無知であり、バカだ。 生きる条件、つまり《人間の条件》を持たないということだ。
 そしてここに911の問題が拡大される。あの出来事の真の意味を理解できない限り、今後の人間の条件はない。
「神は死んだ」というニーチェの言葉を、もっと深く理解しなくてはならない。
だが、悪がわからなければ、神もわからない。 悪のない日本には、死ぬ前から神は存在していなかった。
存在しない神は死ぬこともできない。つまり「意味」がない。 意味――、神と悪は鶏と卵だ。ねえ、ちょっと、ほんとに・・
冗談じゃなく、日本史をよく勉強してごらん。 そして、その後で世界史を勉強してごらん。
そうすれば、いまなぜ日本が。これほどに惨憺たる状況にあるのか、実にハッキリ、完全に分かるんだ。
▼ 「人間の生存に不可欠な、最も重要な要素は何か。悪である。悪を身につけない限り、生きられない。 
 人間を悪から解放するものは、より強力な悪しかない。悪がないことは善か? ノー。」
 これは、ユダヤ教などの一神教の考えかただが、島国の日本人には考えられない思考法。アラブ・欧州には
 悪が身近に常にあるから、考えるしかない。 現在の惨憺たる状況は、過去の歴史をみれば分かること。
 僅か30年前に隣国中国では、呆けた老人・毛沢東の方針で、2千万とか3千万人が虐殺されたのである。
 あれが悪か善かは歴史が証明するが、あの世界では、善人は悪党の片棒を担がされるか、殺される。
 現在、日本はアメリカに60年以上かけて隷属的人間に変えられた。思考が出来ない哀れな人間にである。
   =偶然、以下の「垂直の言葉」に思考について書いてあった。 面白い偶然である。=
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3010,垂直な言葉
2009年07月02日(木)
「魂とは何か」池田晶子著    ー読書日記
 池田晶子の「魂とは何か」という本に、「垂直な言葉」というがあった。
横に流れる時間に対して、垂直の時間=永遠の時間、という言葉がある。
「今という瞬間の中にこそ、永遠がある」を宗教的、哲学的に考えていくと、感動、感激の瞬間に
感じた垂直の時間の意味の一端を理解することができた。 ところが、今度は「垂直の言葉」である。
 池田晶子は判りやすい。 いや、判ったような気にさせる、と言うほうが本当である。
 ーまずは、その部分である。  P-217 
* 考える不思議、「常識」の不思議 【対談】石川好×池田晶子
池田  当たり前のことを言われても、何を言いたいのか読み手がわからない、と受け止められているのではと。
石川  それは、あなたの言葉が垂直だからですよ。
池田  以前に、おまえは右か左かと訊かれたので、私は垂直だ、と答えたことがあったけど。
石川  そうそう、その意味。日本人の中で、言葉を横でなく縦に、垂直に降りていくものと自覚的に使っている人は、
    めずらしいと思うんです。 なぜかというと、日本の風土の中に、垂直に考える習慣がないからね。横の社会なんですよ。
   (字数制限のためカット2,012年7月2日)


4856,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー25

2014年07月01日(火)

   * 無我夢中の面白い4年半であった!
 ただ、ひたすら必死に過ごした日々。 この頃に再読をしていたのが「無私の精神」(小林秀雄著)。
「有能な実行家は、いつも自己主張より物の動きの方を尊重しているものだ。
現実の新しい動きが看破されれば、直ちに古い解釈や知識を捨てる用意のある人だ。
物の動きに順じて自己を日に新たにするとは一種の無私である。」
何も知らない中で、半狂乱状態だが、無私?で問題に取組んだ4年半。!その頃、激情を抑えた
状態の自分を孫悟空の如意棒に例えていた。「円形グラフ内の自我99%を抑えた1パーセントの
棒に自分に譬え、孫悟空の如意棒状態にすれば、何事も可能!」と。 対象に全身全霊を入れれば、
それは己の入魂の作品。 これは建物にも、システムにもいえる。 しかし時間が経てば、何の
未練も無くなるから、心は不思議。 大きく息を吸って大きく吐いた一呼吸の中に、4年半の現象が
入ったような感覚。 長年かけて積上げられた老舗の信用が背景に有るか無いかでは雲泥の差も、
実感。 現場と、幾つかのチェーン店のシステムの差が、明確であり、その差さえ埋めれば、
そのまま成果になるため、楽といえば楽である。 仕入は、問屋やメーカーにとっては、大のお客様。
慣れると、これほど気分の良い仕事は、他にはないだろう。反面、一つ間違えると、実績に直に
跳ね返える。本店が当時、7億近くの売上げとすると、4〜5億の仕入権限を持つことことになる。
それも、産地に現金支払条件で歩きわたるのだから、これほど、面白い仕事はない! 
更に、これが博打的要素が強い相場物なら、ゲーム感覚になって遊びに昇華することも可能である。
 前任者の数字を落とすことなく引継ぎ、本店ビルを建替え、残留の大半を入替え、
統一伝票システムと、部門別管理で数字を入れこみ、ホッとし、自分を振るかえると、今度は
自分自身の問題。そのまま留まると、実兄との舵取りの違いが表立つのは明白。
それと私に、権利という基盤が無い! それなら、再び外で!になる。 そうこうあって、一年間
暖めていた新潟ホテルシリーズが始まる。 そこで、引継ぎを兄に持ちかけると、その必要はないと、
信じられない言葉! 引継ぎなどなくとも大丈夫と信じて疑ってない。
「何も知らないことを、知らないのである!」‘何も知らないことを、知っていると知らないとは
雲泥の差’ 凍りついた瞬間である。他人事でない! 
日々、何も知らないと自分に言い聞かせてないと、誰しも陥いること。
・・・・・・
4489, 怒らないって本当は恐い! ー4
2013年07月01日(月)                    
   * 怒りの四分類         『怒りの作法』小川仁志 著
ここで、直情型から、それをむしろ前向きに捉える問題解決型まで怒りを4つに分類している。
  ーまずは、その辺からー
≪ 『怒りの方法』辛淑玉著の中で、「噴火型』「イヤミ型」「放火型」「玄関マット型」「問題解決型」に分類している。
・噴火型というのは、怒りを感じた瞬間から攻撃的になるパターンだといいます。
・イヤミ型はその場では対応せずに、まったく関係のないときに、ぐさっと胸に刺さることをいうパたターン。
・放火型は、自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせるパターン。
・玄関マット型は、踏まれても踏まれてもじつと我慢して、怒りの感情を表に出さないパターン。
・問題解決型は、怒りの素を見つけ、すばやく対応するパターンです。
 そして読者には、最後の問題解決型の怒りを勧めています。
この分類は一見わかるような気もしますが、実はあまりうまく整理できているとはいえない。・・(中略)
そこでむしろ、怒りを表に出すかどうか、問題解決に結びつけようとしているかどうかという二つの
指標によって分類すべきだと考えます。そうして改めて分類してみると、
 �表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒り、
 �表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒り、
 �表に出すが、問題解決に結びつけさつとはしない怒り、
 �表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒りの4つに分けることが出来る。 
それぞれ見てみましょう。
△ まず� 表に出さないうえに、問題解決に結びつけようともしない怒りは、「自爆型」と呼ぶ。
 彼らは、ただ単に怒っているものの、それを表情や言葉に表すことはありません。
だから他人は気づかないのです。 しかも怒りの原因を究明し、それを解決しようともしないのです。
 したがって、怒りは自分の中で増幅し、しまいには心身を病んでしまうことになります。
あたかも怒りで自爆してしまうかのように。たちが悪いのは、自爆の際、他人を巻き込むケース。
つまりキレてしまい、他者を傷つけるのです。おそらくこういう人は、テロリストや無差別殺傷の
犯人に多い。
△ 次に、�の表に出さないが、問題解決に結びつけようとしている怒りというのは、
「勤勉型」といえます。 彼らも�と同じく怒りを表情や言葉に表すことはありませんが、
少なくとも問題解決に結びつけようと水面下で努力はします。
 ただ、表に出さないだけに、周囲の理解を得ながら物事を進めるわけにはいかないのです。
△ さらに、�表に出すが、問題解決に結びつけようとはしない怒りは、「ラッパ型」といえます。
怒りを表に出すだけで、一向にそれを問題解決に結びつけようとはしないのです。
いわばラッパのように大きな音を立てて騒ぎ立てるだけで、問題を解決しようという建設的な
姿勢はこれっぽっちもない場合をいいます。自分の発言に満足しているだけなので、評論家に多い
 といえるかもしれません。ちなみにアメリカ軍の消灯ラッパをタップスといいますが、この語は
「終わり」を意味する比喩としてよく用いられます。ラッパ型の怒りには何の展望も描けないのです。 
△ 表に出して、かつ問題解決にむすびつけようとする怒り、これを「実務型」の怒りということができる。怒りを表に出して他人に認知してもらおうというもので、それをキチッと問題解決に向けようというもの。≫
▼ 一つの怒りに、この4つのプロセスを経る場合が多い。その痛みを時間の経過の中で
耐えている間に、考えるという働きが出てくるからである。怒りっぽい私など、何時も、
独り心の中で、このプロセスの中にいる。結局、全ての怒りは時間が解決する。
怒りはエネルギーの元と割り切るしかない。怒るだけ損でなく、怒るだけ得になっていく。
・・・・・・
4115, 財政恐慌 ー2
2012年07月01日(日)
  * 共同債の発行など気違沙汰!   「財政恐慌 ーついに金融と財政の死に至る
無限ループに突入した」浜矩子 (著)
 連日のトップニュースがユーロ危機である。一つ間違えると世界恐慌になるからだ。ギリシャ、イタリア、スペイン、
キプロスと、その危機はモグラ叩きのように次々と出てくる。その都度、ドイツ、フランスを中心にしたEUが財政対策を打ち出し、
何とか乗り越えている。数日前も何とか緊急対策を打ち出した。しかし、ここまで来たかというのが、「ユーロ共通債」構想。
字のとおり、ユーロ圏として一本化した債権を発行することで、ユーロ圏で統一的に財政資金を調達しようとする代物。これまでの、
加盟各国が個別に国債を発行するのではなく、調達窓口を一本にしようとするもの。ブタちゃん=PIIGSにとって、これほど有難い
国債はない。ユーロと同じく、ごねて、どんどん共同債を発行してもらえるからである。ギリシャ、スペイン、イタリアにとって、
7%近い金利が遥かに低くなる。金利の低いドイツが逆に高くなるため認める訳がない。しかし、そうでもしなければ、
PIIGS各国は、財政破綻の限界に来ている。ユーロは暴落し、嫌われた通貨に成り下がった上に、共同債など、無理ときている。
何をしてもユーロ構想が、メルトダウンに入るのは時間の問題。 著者は、ここで「ある地域内で単一通貨を導入して、
うまくいく二つの条件がある。一つは、その地域内では、どこも物価水準、失業率、金利、賃金が同じ、要は、経済格差が
全くない状態であること。二つ目に、地域内に存在する経済格差を埋める中央調整装置の存在が前提としている。
この二つが存在しているかというと、否という。著者は、ドイツが前者の経済格差を無くする方向を求め、フランスは、
財政難諸国を救済する仕組みの強化を目指そうとするが、この二つは、根本的に相容れないもの。現在のユーロは、股裂きの
刑にさらされているという。ドイツもフランスも、今さら、ユーロ圏脱退も出来ない。それをPIIGSが、その足元をみて、
今までの安楽の延長の生活を求めている。それも、時間の問題が現時点である。何処かの国では、国債発行がGDPの二倍、
国家予算は税収の二倍になっても、その都度、首相を取り替えて、国家リストラを避ける。ユーロ圏は同じ道を歩きだしただけ。
 PIIGSを、最終的に準加盟国という名目にして排除するしか存続の道は無いが、私の見立てになる。恐ろしい日々は続く。
・・・・・・・
3749, ジャズについて  ー「ジャズ完全入門!」−19
2011年07月01日(金)
              ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著
  歴史については「音楽の本」のジャズの章に詳しくあったので、ここでは飛ばし、
 「ジャズに使われる楽器とその編成」についての、ポイントを取り上げてみる。
【 ジャズで使われる楽器は、基本的にクラシック音楽と同じ。違うところは、クラシック音楽の音色のメインとなる弦楽器類
(ヴァイオリン、ビオラの類)はメッタニ使われず、ベースは、ジャズでは独自の演奏法を行う。クラシックで使われないもので
ジャズ特有のものはドラム・セットで、この存在がジャズらしいリズミカルな躍動感を作り出すキーポイントとなっている。
クラシックの楽器類マイナス弦楽器(ベースを除く)プラスドラムセットがジャズ特有のタイトでキレの良いサウンドを作っている。
 以上のように、楽器そのものより演奏法によってジャズらしさが出ている。
* まずは、リズムの強調。ジャズのベースは、音楽の最低音部を受け持つだけでなく、2ビート、4ビートといった
 基本ビートがハッキリと聴き取れるよう、クラシックのように弓で持続音を弾かず、指で弦を弾いてリズムを明確にしている。
* 次に、楽器奏法の特徴は、ピアノ、トランペット、サックスといったクラシックでも使われる楽器が、どうしてジャズ特有の
 ダイナミックで個性的な聴こえ方をするのかという、楽器を「ミュージシャンの身体に引き寄せて」演奏しているからだ。
(以下、字数の関係上カット、2012年7月01日)
   ・・・・・・・
3384, 911・考えない・日本人 −2
2010年07月01日(木)
「911・考えない・日本人 」林 秀彦 (著)
  ーアマゾン、内容紹介、よりー
≪ まだ信じているのですか? あの事件が真実だなんて。911の以前と以後では、人間の歴史は完全に代わり、
人間の条件も全く変わった。 これだけは確かなことである。
911は、人間が最後にたどり着いた最大の愚かさと、最大の悪の結晶だった。 これだけは確かなことである。
911は、ある一部の人間たち、私風に命名すれば「ファイナル・パワー・エリート」たちが仕組んだものである。
 私は「911同時多発テロ」と呼ばれている事件は、すべて《彼ら》の自作自演であり、ヤラセであり、捏造であり、その他
どんな言葉を使ってもいいが、ブッシュ政府が公式に発表している内容とはまったく違うものであるということを、確信している。
なぜか? まず疑ったからである。疑わしい要因、要素が多すぎると感じたからである。次に考えたから、知る努力をしたからである。
そのときに私の持った精神状態は、「情熱」と呼べるものとほとんど同じものだった ≫
 ー 以下の箇所は、家畜化された日本人への強烈な批判だが、言いえて妙である。ー(P/86)
【 給費留学生など、日本の若い頭脳がアメリカに召集された。江藤淳などもその中の一人だったが、あのようなろくでもない
日本人のクズが、モルモット代わりに研究されたのかもしれない。 確かにあのような男を典型的日本人モデルとして研究すれば、
その洗脳のたやすさ、誘導のやさしさ、また、一般的な人聞家畜化の手引き材料としては理想的だったに違いない。
その性温厚にして、地球上の人類の例外中の例外、闘争本能ほぼゼロ、嫉妬心ゼロ、執念深さ同じくゼロ、喉もと過ぎれば
熱さを忘れ、知性、理性、論理力はほぼ狐並み、言語、特に国語に対する認識・意識ともに幼児並み、借り物言語に痛痒を感じず、
哲学志向ゼロ。おだてにはすぐ乗り、《彼ら》の差し金で少し高い地位に就かせれば、黙っていても《彼ら》の意を先取りし、
率先して日本人を家畜化させるお先棒を担ぐ。あの当時のフルブライト奨学金で渡米した日本人の全リストでも作ってみれば、
そうした証拠が出るはず。その後彼らが、どのようなジャンルにおける、どのようなポジションで、どのような手先活動をしたか。
多分アカデミー関係が多いはずだ。教授や教師ほど、この使用人に適した職業もない。日教組と地下では連動している可能性も高い。】
 ▼ この十数年、特に感じてきたことがズバリ書かれている。アメリカ占領国で日本人が家畜化されていることすら気づいていない
 哀れさ、その手先が歴代の自民党であり、社会党(現社民党)である。特に著者が移住していたオーストラリアの視点からみると、
 それがリアルに見えるようだ。 特に失われた20年で日本の劣化の激しさが鮮明になってしまった。  ― つづく
 ・・・・・・・
3009,誰が電気自動車を殺したか ?  ー2
2009年07月01日(水)
 GMがそのまま本気で電気自動車に取り組んでいたら、現在も世界NO・1の優良メーカーだったはず。
将来の先取りが本来あるべき戦略であったのに、それを自ら葬ったことで自分自身を殺すことになった。
この数年は多目的のSUV(スポーツ多目的車)という大型車に社運をかけてしまった。
そのうえ自社でローン会社をつくり、車だけでなく住宅ローンまで扱っていたという。
歴代のホワイトハウスのスタッフが石油会社の出身者で占められ、電気自動車の抹殺に組していた。
「誰がアメリカ合衆国を殺したか?」に題名を変えてもよいようなアメリカの縮図でもある。
腐りきったネオコンがアメリカを支配し、それに憎悪を抱いたイスラム原理主義者が9・11のテロを行い、
彼等の戦略に引きこまれ、アフガン、イラクに戦争を仕掛けてしまった。
  (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)
・・・・・・・・・
2645, アメリカ狂乱 ー1
2008年07月01日(火)
 「アメリカ狂乱 ー次の大統領統は誰か」 日高 義樹 (著)
本屋で平積みしてあった本だが、何時か図書館に並んだら読もうと思っていた。それが数日前に、長岡の図書館で読んだら、
数十年近くに渡り、アメリカの国内事情と大統領選挙を見てきた著者の視点のためか多角的に分析していて説得力がある。  
  (以下、字数の関係上カット、2009年7月01日)
・・・・・・・・
2007年07月01日(日)
2280, ビジネススーツ                   ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…YΘ!           
ー 超高層ビル=ビジネススーツ・ビル論 ー
*半月ほど前の読売新聞に掲載されていた建設史学者の鈴木博之氏の「ビジネススーツ・ビル論」が面白い。
超高層ビルの外装を、ビジネス・スーツと類推するところがユニークである。
ー超高層ビルが林立すると、そこに立ち並ぶ超高層群は無個性化を始め、ビジネススーツのように縦ストライブの、
抑えた色調の外装パターンになり、外観からはビルの存在感を消そうとする傾向に入った。
それを「国際化」と見る人もいる。ー  概略は、このようである。
 (以下、字数の関係上カット、2008年7月01日)
・・・・・・・・・
2006年07月01日(土)
1915, スペイン画家・堀越千秋 ー6       \(^▽^*)おはようございます!(*^▽^)/
 文化とかという難しい?ことでなく、スペインの日常料理から現地の生活実感を垣間見ることができる。。
私など、三度行ったスペインのバールの美味い酒のツマミの印象だけで、「もし永住するならスペインが良いな?」
と思っていたら、一撃を喰らう内容があった。
≪スペインの町でキョロキョロしている日本人旅行者たちは、「イヤァ、スペインは美人が多くて結構ですな」
など言いがちである。おまけに「スペイン料理は日本人の口にあっているし」とも言う。
「オリーブ油が如何だこうの言いますが、私は大丈夫です、美味しいですよ」という人がいる。
じゃあ、今夜みそ汁も白米も一切やめて、固いバンにオリーブオイルとラード(マンテカ)塗ってくてみなよ。
あんたの好きな烏賊のリンク揚げと、二週間続けて揚げて使ったオリーブ油で好きなスペイン・オムレツをこしらえて喰いなよ。≫
 (以下、字数の関係上カット、2011年7月01日)

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